2011年9月 のアーカイブ | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

音無秀孝

音無 秀孝(おとなし ひでたか、1954年6月10日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター所属の調教師であり、元栗東所属騎手である。

中学校を卒業した後、大阪のレストランでコックとして3年間働いていたが、この間に競馬ファンとなり、自身も騎手として競馬界に飛び込むことを決意する。1973年から騎手見習いとして騎乗を開始、1979年からは田中良平厩舎に所属し正式な騎手となった。

1995年6月24日に中京競馬第12競走でキーペガサスが管理馬として初出走、初勝利は厩舎10戦目であった同年7月23日の小倉競馬第11競走北九州記念をイナズマタカオーで飾っている。

リンカーン、カンパニー、オレハマッテルゼ、サンアディユ、サンライズバッカス、オウケンブルースリなどの活躍馬を世に送り出し、騎手時代以上の活躍が目立つ。

音無秀孝 特徴

開業時に他厩舎から転厩してきたイナズマタカオーで重賞を2勝するなど開業当初から調教師として手腕を発揮していたが、2000年頃から成績が飛躍的に向上し、現在では毎年のように調教師リーディングの上位を賑わす存在である。これには、リンカーンなどに代表される近藤英子所有の素質馬を管理し始めたことや、条件戦での積極的な関東遠征、東田幸男調教助手を始めとする厩舎スタッフらの手腕とチームワークなどが理由として挙げられる。

また坂路主体の調教も厩舎の特徴であり、西高東低の現状に於いて、これが前述の関東遠征での好結果に繋がっている。
その他に、管理馬がレースでの人気の有無に拘らず2着・3着を拾うケースが目立つこと(この事に関しては音無も自虐的に語ることがある)や、ヘネシーやスウェイン、ジェリなどの本邦ではまだ馴染み薄い種牡馬の産駒達が活躍していることも特徴である。

2003年より2010年まで厩舎所属騎手として生野賢一がいたが、重賞を含む上級条件競走においては、関西では武豊、関東では柴田善臣が騎乗することが多い。熱心な競馬ファンの間では「関東で柴田を乗せてきたら買い」とも言われるほどの複勝率を誇る。

当時、小田切は田中良平厩舎にその所有馬の多くを預けていたこともあり、音無は若い頃から小田切に可愛がられていた(現在も”秀ちゃん”と呼ばれている)。その縁と信頼関係は、調教師となってからのエガオヲミセテやワナでの重賞勝利や、オレハマッテルゼでの高松宮記念優勝による悲願のGI初制覇へと結実している。

所属馬一頭一頭の過去のデータが一目瞭然できるというソフト(自らが考案)を利用し、調教時計を始めとする詳細事項を自らの手でパソコンに入力、さらにそのデータは馬主にも届けるというマメな一面も持ち合わせている。
栗東トレセンでは同郷のよしみから橋口弘次郎調教師と仲が良く、二人の会話は新聞記事のネタになることもある。

しかし週明けの月曜日(6日)、絶対安静とされる中、上記の“データ入力”の為コルセットを装着した状態で厩舎へ現れるという肉体的かつ精神的タフさをも見せている。
妻は元JRA職員(京都競馬場業務課)である。

奥平雅士

奥平 雅士(おくひら まさし、1972年6月22日 – )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。

1995年7月、JRA競馬学校厩務員課程に入学する。
1996年1月、美浦・浅野洋一郎厩舎所属の調教厩務員となる。
1997年6月、美浦・奥平真治厩舎所属の調教助手となる。
2004年2月、調教師免許を取得する。
1月30日には初出走となるレースにトマホークが出走するも6着だった。初勝利は3月12日、フジマサミラクルが延べ12頭目で勝利。
2006年、第41回クイーンカップをコイウタが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
2007年、第2回ヴィクトリアマイルをコイウタが制しJRA JpnI(GI)初勝利を挙げる。

奥平雅士 管理馬

エンゲルグレーセ(クラスターカップ)
コイウタ(クイーンカップ、桜花賞3着、ヴィクトリアマイル)
シャーベットトーン(マーキュリーカップ)
アルティマトゥーレ(セントウルステークス、シルクロードステークス)

奥平雅士 エピソード

調教師研修期間中に馬主でもある堀紘一の経営コンサルト会社でサラリーマン生活を送っていた。
2007年4月、他の調教師の引退などによりかつて義父・奥平真治厩舎だった厩舎に引っ越した。

沖芳夫

1986年に調教師免許を取得し、翌1987年に厩舎を開業。初出走は同年10月10日京都競馬第8競走のダイオーハードで15着、初勝利は同年10月25日福島競馬第12競走のダイオーハードで延べ3頭目であった。

渡辺薫彦は所属騎手で、1994年のデビュー以来、一貫して所属している。このため、渡辺を主戦騎手として多くの管理馬に騎乗させており、ナリタトップロードで1999年の菊花賞を含む重賞6勝を挙げている。

渡辺以外の騎手では幸英明や小牧太などの起用が多い。

沖芳夫 主な管理馬

エリモシック(1997年エリザベス女王杯)
ナリタトップロード(1999年菊花賞)
シェイクハンド(1995年ニュージーランドトロフィー4歳ステークス)

沖芳夫 所属騎手

渡辺薫彦 (1994年3月1日~)
高野容輔(2008年4月1日~6月30日)

尾形充弘

イギリスでの1年7ヶ月間の競馬留学を経て、1975年に尾形藤吉厩舎に入門、調教助手となった。1981年、藤吉の死去に伴って父・盛次の厩舎に移った後、1982年に調教師免許を取得。

翌1983年には19勝を挙げて関東の優秀調教師賞を受賞するなど、早くから頭角を現した。1989年には スピークリーズンが京成杯を制し、平地競走の重賞で初勝利を挙げる。

同年秋にはメジロマスキットで中山大障害も制覇した。
以後も安定した成績を保ちながら、長らく平地のGI級競走に恵まれなかったが、1997年12月、管理馬グラスワンダーが朝日杯3歳ステークスを制し、GI競走を初制覇。

1994年から日本調教師会副会長および関東本部長を兼任し、2010年2月より同会会長に就任。

尾形充弘 調教師成績

日付競走名馬名頭数人気着順
初出走1982年10月2日-バーターホース–2着
初勝利1982年10月17日-バーターホース–1着
重賞初出走・初勝利1982年11月14日東京障害特別(秋)ラッキータウロ10頭21着
GI初出走1984年4月29日天皇賞(春)ダイナフランダース19頭1116着
GI初勝利1997年12月7日朝日杯3歳Sグラスワンダー15頭11着

尾形充弘 主な管理馬

ラッキータウロ(1982年東京障害特別・秋)
ヨロズハピネス(1983年日刊スポーツ賞金杯)
メジロアイガー(1988年東京大障害)
スピークリーズン(1989年京成杯、函館記念)
メジロマスキット(1989年中山大障害・秋、東京障害特別・秋)
エアジョーダン(1992年共同通信杯4歳ステークス)
ヒガシマジョルカ(1992年函館記念)
トウショウフェノマ(1994年新潟3歳ステークス)
グラスワンダー(1997年朝日杯3歳ステークス 1998年有馬記念 1999年宝塚記念、有馬記念など重賞7勝)
ブラックタキシード(1999年セントライト記念)
グラスボンバー(2005年福島記念)
ニシノナースコール(2009年エンプレス杯)
ハンソデバンド(2010年共同通信杯)

尾形充弘 表彰記録

優秀調教師賞(関東)6回(1983年、1989年、1997-1999年、2005年)
主な厩舎所属者 [編集]

括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
伊藤正徳(1982年-1987年 騎手)
菊川正達(1988年-1993年 騎手)
沢昭典(1990年-1999年 騎手)
臼井武(1997年-現在 調教助手)
柄崎将寿(2001年-2005年 騎手)

大竹正博

大竹 正博(おおたけ まさひろ、1969年12月30日 – )は、日本中央競馬会(JRA)所属の調教師(美浦トレーニングセンター)、元調教助手、元厩務員。

旧姓・大崎 正博(おおさき まさひろ)
大竹の父は中央競馬の元騎手・大崎昭一である。1985年に大崎は八百長を行ったという疑いをかけられ、無期限の騎乗停止処分を受けた。

最終的に八百長行為は認められないという結論が下され騎乗停止処分は解除されたものの、騒動の影響で栗東の一部の厩舎を除きほとんどの厩舎から騎乗依頼が来なくなるなど大崎の騎手生活は大きく狂わされることとなった(新潟事件)。

事件の影響から大竹は競馬に良い印象を抱いておらず、当初は獣医師を志していたが、1992年に大崎がレッツゴーターキンに騎乗して天皇賞(秋)を優勝したことをきっかけに中央競馬で働くことを考えるようになった。
麻布大学獣医学部を卒業後、北海道の牧場での勤務を経て競馬学校の厩務員過程に合格。1997年に中央競馬の調教助手となった。

大竹は中央競馬の調教師になることが父の敵をとることになると考えており、当初から調教師になることを志していた[2]。2008年に調教師免許を取得し、2009年に美浦トレーニングセンターに厩舎を開業した。
なお、調教師試験受験時に過去の経緯もあり、姓を母方の「大竹」にすると同時に、父・昭一と話し合いの末、お互い疎遠にすることにしたという。

大竹正博 エピソード

大竹に初勝利をもたらした競走馬アンヴェイルは橋口弘次郎厩舎からの転厩馬である。

橋口は新潟事件後大崎を積極的に起用した調教師として知られ、その縁でアンヴェイルの転厩が実現した[3]。
萩原清厩舎で技術調教助手をしていた時に後にダービー馬となるロジユニヴァースの調教等に携わっている。

その縁もあり開業間もない大竹厩舎に久米田氏の期待馬が預けられている。

大竹正博 調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2009年3月8日2回中山4日8R4歳上500万下アンヴェイル16頭52着
初勝利2009年4月4日3回中山3日8R4歳上500万下アンヴェイル11頭11着
重賞初出走2010年1月11日1回中山4日11RフェアリーSロジフェローズ16頭56着
重賞初勝利2011年3月21日1回阪神5日11Rフィリーズレビューフレンチカクタス16頭31着
GI初出走2011年4月10日2回阪神6日11R桜花賞フレンチカクタス18頭79着

大久保龍志

2003年1月に初出走を迎え、2月23日に初勝利。2006年にナイキアースワークでユニコーンステークスに優勝し、重賞競走を初制覇。

その3ヶ月後にはマンオブパーサーでダービーグランプリに優勝し、GI競走初制覇となった。翌2007年にはアサクサキングスで菊花賞に優勝し、クラシック競走初優勝も果たしている。

大久保龍志 調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2003年3月7日1回京都3日4R3歳新馬ベレノス15頭913着
初勝利2003年2月23日2回京都8日2R3歳未勝利ベレノス15頭31着
重賞初出走2003年3月29日2回阪神1日11R毎日杯エクスアタック13頭1013着
重賞初勝利2006年6月3日3回東京5日11RユニコーンSナイキアースワーク16頭41着
GI初出走2006年12月10日5回中山4日11R朝日杯FSジャングルテクノ15頭109着
GI初勝利2007年10月21日4回京都7日11R菊花賞アサクサキングス18頭41着

大久保龍志 主な管理馬

ナイキアースワーク(2006年ユニコーンステークス)※2007年に川島正行厩舎に移籍。
マンオブパーサー(2006年ダービーグランプリ)
アサクサキングス(2007年きさらぎ賞、菊花賞、2009年京都記念、阪神大賞典)
ヒラボクロイヤル(2007年青葉賞)

大久保洋吉

大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。

調教師・大久保末吉の長男として生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、建築士を経て競馬界に入る。1976年に調教師免許を取得し、1990年代後半にGI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の活躍馬を管理している。

東京都府中市出身。
1944年、東京競馬場所属の調教師・大久保末吉の長男として生まれる。

建築の道へ進んだ理由は、図面描きが好きであったことによる。
大学卒業後は建築士として前田建設工業に入社、八幡製鐵君津工場(現・新日本製鐵君津製鐵所)火力発電所の工事などに携わった。

その後、一級建築士資格も取得したが、父・末吉が高齢になっていたこと、また1964年にクラシック三冠を達成したシンザンの登場以来、競馬に対する世間のイメージ向上が進みつつあったことなどもあり、父を補佐するため1971年に前田建設工業を退社し、調教助手に転身した。
1976年に調教師免許を取得。

父・末吉がメジロムサシなど「メジロ」を冠名とする北野豊吉所有馬の管理を多数請け負っていたことから、洋吉は北野が創設したメジロ牧場からの預託馬を数多く手掛けた。1979年には初管理馬の1頭であるメジロファントムが東京新聞杯に優勝し、管理馬の重賞初勝利を挙げた。

同馬は1983年まで走り、目黒記念優勝のほか天皇賞、有馬記念で計3度の2着など重賞戦線の名脇役として人気を博した。
1984年にはメジロジュピター、メジロアンタレスで春秋の中山大障害を連覇するなど「メジロ」4頭で重賞勝利、年間では自身初の30勝を挙げ、関東の優秀調教師賞と重賞獲得調教師賞を受賞した。

1992年に大久保の管理で初勝利を挙げたショウナングレイス(メジロファントムの又姪)は、国本の馬主業7年目での初勝利馬となった[6]。1994年には、競馬学校騎手課程を卒業した吉田豊を厩舎所属騎手として引き受け、以後吉田を主戦騎手とした。
1996年12月にメジロドーベルが阪神3歳ステークスを制し、大久保は開業21年目、吉田はデビュー3年目でのGI競走初制覇を果たす。年間では37勝を挙げ、勝利度数ランキングで藤沢和雄に次ぐ全国2位に付けた。

翌年には同馬で優駿牝馬(オークス)に優勝し、クラシック競走を初制覇。末吉が管理した曾祖母・メジロボサツが1966年のオークスで2着となっており、洋吉にとっては親子二代・31年越しの雪辱となった。

当年は他に秋華賞制覇などを含む自己最高の40勝を挙げ、前年に次ぐ勝利度数2位(1位藤沢)を記録した。メジロドーベルは1999年の引退までにエリザベス女王杯2勝を加え、牝馬として当時最多のGI競走5勝を達成した。

以後大久保は関東所属調教師の上位に定着し、安定して30勝以上を記録していった。2002年にはショウナングレイスの産駒・ショウナンカンプで高松宮記念に優勝、2004年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズを制した。

大江原 哲

大江原 哲(おおえはら さとし、1953年2月13日 – )は、日本中央競馬会の元騎手並びに美浦トレーニングセンター所属の調教師である。
実弟は元騎手の大江原隆、甥に騎手の大江原圭(隆の実子)がいる。

馬事公苑長期騎手課程(当時は現在のように競馬学校がない時代だった)を経て、1971年に古山良司厩舎から騎手としてデビュー。
初騎乗:1971年3月6日 第1回中山競馬4日目の第3競走(タマクラヒメ 14着)。
初勝利:1971年7月4日 第4回東京競馬8日目の第4競走のアイアンオーザ。

現役時代は主に障害競走に騎乗した。
1996年2月で騎手を引退した後は調教師へ転身し、翌1997年に厩舎を開業した。

津村明秀

騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、障害レースへの騎乗経験はない。
2001年、4月にJRA競馬学校騎手課程第20期生として入学。

入学時の同期には川田将雅、藤岡佑介各騎手らがいる。
2003年、12月20日に中山競馬場で行われた模擬レースでリュウキュウスターに騎乗し、後続に6馬身差をつけ1着となる。

模擬レースでは2戦2勝という成績だった。
2004年、2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得する。

3月6日中京4Rでブーゲンビリアで初騎乗(4着)。3月21日中京5Rをマグマヴィーナスで勝利し、16戦目で初勝利を挙げたが、同日の第7レース発走前に騎乗馬のマイティーキングに振り落とされて落馬した際に左第1中手骨を骨折する不運に見舞われた。

7月28日に船橋競馬場で行われたファビィステッキ特別でスズダニエルに騎乗し、地方競馬初騎乗を果たし10着となる。デビュー年は8勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
2007年8月17日にフリーとなることが発表され、8月21日付けでフリーとなった。
2010年2月20日の東京競馬場第5レースで、コスモグレイスに騎乗して直線先頭に立っていたが、馬が急に外側に逃避し、バランスを崩して落馬した。

同番組では、武豊や三浦皇成等が記録達成で取り上げられることはあっても、好騎乗が取り上げられることは珍しい。

津村明秀 表彰

アイルランド大使特別賞・民放競馬記者クラブ賞(2004年)

津村明秀 主な騎乗馬

津村明秀 重賞勝利

タマモサポート(2006年ラジオNIKKEI賞、2009年京都金杯)
ファイアーフロート(2010年京成杯オータムハンデキャップ)
クリールパッション(2010年エルムステークス)

津村明秀 その他

カネツテンビー(2005年CBC賞2着) – 重賞での初連対
アイルラヴァゲイン(2008年福島民友C1着、2009年スプリンターズステークス4着等) – 中央GI・地方交流JpnI初騎乗
コスモバルク(2009年宝塚記念で騎乗経験あり)

津村明秀 騎乗成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順

央初騎乗2004年3月6日1回中京1日4R3歳未勝利ブーゲンビリア16頭44着
初勝利2004年3月21日1回中京6日5R4歳上500万円下マグマヴィーナス16頭11着
重賞初騎乗2005年4月3日3回中山4日11Rダービー卿CTミッドタウン16頭47着
重賞初勝利2006年7月2日2回福島6日11RラジオNIKKEI賞タマモサポート16頭51着
GI初騎乗2009年3月29日2回中京6日11R高松宮記念アイルラヴァゲイン18頭1713着

方初騎乗2004年7月28日5回船橋2日10Rファビィステッキ特別スズダニエル11頭810着
初勝利2008年6月16日盛岡9Rエメラルド賞コスモクルトゥーラ12頭21着
重賞およびJpnI初騎乗2010年11月3日8回船橋3日9RJBCスプリントアイルラヴァゲイン14頭55着

千葉直人

千葉 直人(ちば なおと、1986年7月30日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター南に所属する騎手である。

騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持している。
2003年、4月にJRA競馬学校騎手課程第22期生として入学する。

2006年、2月にJRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得し成島英春厩舎所属騎手としてデビュー。
初騎乗は3月4日の中山競馬場第1レースで、16番人気だったハッピーステージに騎乗し15着。

4月25日に浦和競馬場で行われたマルチスピリット特別で地方競馬初騎乗。6番人気だったカントウオウに騎乗し9着となる。

12月2日に中京競馬場で行われた第1レースを5番人気だったオースミダイケンに騎乗して制し、JRA通算107戦目で初勝利を挙げた。
2007年、1月7日に障害レースで初騎乗し、10番人気だったコスモベリュームトに騎乗して10着となる。

10月20日に東京競馬場でレース中に落馬。診察の結果、右上顎骨骨折と診断された。

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