加藤 士津八(かとう しづや、1985年2月2日 – )は、JRAの美浦トレーニングセンターに所属するフリーの騎手である。父は加藤和宏調教師。
加藤士津八 プロフィール
1985年2月2日、和宏の長男として誕生する。この年、父・和宏はシリウスシンボリで東京優駿(日本ダービー)を制し、口取り式では馬上で生後4ヶ月の士津八を抱いて臨んでいる。
2000年、第19期生として競馬学校に入学する。
2003年、競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。同期には石橋脩、長谷川浩大、松岡正海らがいる。デビュー時の所属は国枝栄厩舎。現役親子騎手として話題となった。JRA初騎乗は、3月1日第3回中山2日目の12Rで6番人気のダンシングスナークに騎乗して7着だった。
3月8日、第1回中京1日目の8Rで4番人気だったエグジジェで勝利しJRA初勝利を挙げる。8月31日、重賞初騎乗となった第39回新潟記念は、16番人気のクロンヌドールで17着という結果だった。デビュー年は合計7勝を挙げた。
2007年、9月20日に9月30日から10月9日までアイルランド、イギリス、フランスにて自主研修を行うために海外出張届を提出した。
加藤士津八 成績表
日付 競馬場・開催・レース 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平地 初騎乗 2003年3月1日 3回中山1日12R 4歳上1000万円下 ダンシングスナーク 16頭 6 7着
初勝利 2003年3月8日 1回中京1日8R 4歳上500万円下 エグジジェ 16頭 4 1着
重賞初騎乗 2003年8月31日 3回新潟6日11R 新潟記念 クロンヌドール 17頭 16 17着
障害 初騎乗 2009年7月26日 2回新潟4日4R 障害未勝利 テイエムアーバン 10頭 10 10着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2003年 7 14 12 220 .032 .095 .150 –
2004年 5 11 6 219 .023 .073 .100 –
2005年 5 10 12 204 .025 .074 .132 –
2006年 1 3 10 121 .008 .033 .116 –
2007年 0 6 3 70 .000 .086 .129 –
2008年 2 11 11 106 .019 .123 .226 –
2009年 0 0 0 37 .000 .000 .000 0 0 0 1 .000 .000 .000
2010年 0 0 1 48 .000 .000 .021 0 0 0 6 .000 .000 .000
中央 20 55 55 1025 .020 .073 .127 0 0 0 7 .000 .000 .000
地方 0 0 0 11 .000 .000 .000 –
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勝浦 正樹(かつうら まさき、1978年8月10日 – )はJRA(日本中央競馬会)美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
勝浦正樹 プロフィール
1997年にデビュー。同期には武幸四郎や秋山真一郎らがいる。初騎乗は1997年3月2日、中山競馬第2競走で、14頭立ての14着だった。初勝利は6月14日、福島競馬第1競走。
デビュー2年目の1998年に50勝を挙げる活躍を見せると、翌1999年の共同通信杯4歳ステークスでヤマニンアクロに騎乗し、重賞初勝利。2000年には函館記念をクラフトマンシップで勝利。なお、いずれも2桁人気(=低評価)での優勝(10番人気、14番人気)であった。
そして2002年、テレグノシスとのコンビでNHKマイルカップに挑み、GI初勝利だが、やや強引なレース運びが長い審議を生むこととなり、圧倒的な1番人気のタニノギムレットが被害を受けるなど、後味としては悪いものとなってしまい、複雑な心境の中でのGI初勝利であった。テレグノシスとのコンビでは、ジャック・ル・マロワ賞やムーラン・ド・ロンシャン賞などの海外遠征も行っており、ジャック・ル・マロワ賞では3着に入る健闘を見せた。
以降はGI(JpnI)勝利と縁が無かったが、2007年の朝日杯フューチュリティステークスでゴスホークケンに騎乗して見事に勝ちを収め、久し振りのGI(JpnI)勝利となった。
「最終の勝浦」の異名を持ち、その日の最終競走(通常の場合は第12競走)で人気薄の馬を上位に持ってくるなどの活躍が目立つ。
好きなスポーツは大相撲とゴルフ。相撲は両国国技館へ足を運ぶほどの熱心なファン(好角家)でもある。
勝浦正樹 主な騎乗馬
ヤマニンアクロ(1999年共同通信杯4歳ステークス)
クラフトマンシップ(2000年函館記念)
テレグノシス(2002年NHKマイルカップ、2003年京王杯スプリングカップ、2004年毎日王冠)
ディーエスサンダー(2003年マーキュリーカップ)
トーセンダンディ(2004年オールカマー)
スキップジャック(2004年京王杯2歳ステークス)
グラスボンバー(2005年福島記念)
キネティクス(2006年富士ステークス)
シーキングザベスト(2006年武蔵野ステークス)
アポロティアラ(2006年フェアリーステークス)
サウンドザビーチ(2007年TCK女王盃)
ゴスホークケン(2007年朝日杯フューチュリティステークス)
アドマイヤスバル(2009年白山大賞典)
勝浦正樹 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1997年3月2日 2回中山4日2R 4歳未勝利 ミッシーダンサー 14頭 13 14着
初勝利 1997年6月14日 1回福島1日1R 4歳未勝利 ファンタジー 12頭 1 1着
重賞初騎乗 1997年9月21日 4回中山6日11R セントライト記念 タヤスアストラル 12頭 10 12着
重賞初勝利 1999年2月14日 1回東京6日11R 共同通信杯4歳S ヤマニンアクロ 14頭 10 1着
GI初騎乗 1999年4月18日 3回中山8日11R 皐月賞 ヤマニンアクロ 17頭 10 10着
GI初勝利 2002年5月4日 3回東京6日11R NHKマイルカップ テレグノシス 18頭 4 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1997年 11 13 25 247 .045 .097 .198
1998年 50 39 46 475 .105 .187 .284
1999年 34 51 40 547 .062 .155 .229
2000年 42 54 42 629 .067 .153 .219
2001年 31 42 41 523 .059 .140 .218
2002年 53 61 57 706 .075 .161 .242
2003年 47 47 61 585 .080 .161 .265
2004年 47 51 56 704 .067 .139 .219
2005年 36 41 41 681 .053 .113 .173
2006年 35 42 67 686 .051 .112 .210
2007年 43 42 56 770 .056 .110 .183
2008年 35 49 47 678 .052 .124 .193
2009年 45 50 60 704 .064 .135 .220
2010年 36 50 63 728 .049 .118 .205
中央 545 632 702 8663 .063 .136 .217
地方 44 48 41 366 .120 .251 .363
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
小野寺 祐太(おのでら ゆうた、1990年3月12日 – )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター、伊藤正徳厩舎所属の騎手。座右の銘は「日進月歩」。
目標とする騎手は岩田康誠。
小野寺祐太 プロフィール
競馬学校25期生の卒業生である。同期には国分恭介・国分優作・松山弘平・丸山元気がいる。
2009年3月1日、中山競馬場第5レースでデビュー。エアダーミに騎乗し5着だった。同年3月29日、中山競馬場第5レースでキングヴィオラに騎乗し、13戦目で初勝利を挙げた。同期で勝利を挙げたのは松山に続き2人目。
小野寺祐太 騎乗成績
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 3 3 9 187 .016 .032 .080
2010年 9 11 17 351 .026 .057 .105
中央 12 14 26 538 .022 .048 .097
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月1日 2回中山2日5R 3歳未勝利 エアダーミ 16頭 7 5着
初勝利 2009年3月29日 3回中山2日5R 3歳未勝利 キングヴィオラ 18頭 1 1着
重賞初騎乗 2010年11月7日 5回東京2日11R アルゼンチン共和国杯 マキハタサイボーグ 18頭 18 11着
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
荻野 琢真(おぎの たくま、1988年7月28日 – )とは、中央競馬・栗東トレーニングセンターの大久保龍志厩舎に所属する騎手である。騎手免許は平地競走、障害競走の両方を所持(ただし障害競走の出走経験はない)。
荻野琢真プロフィール
兵庫県内の乗馬クラブで腕を磨き、2004年4月にJRA競馬学校騎手課程第23期生として入学。2007年2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得する。同期には浜中俊・藤岡康太・宮崎北斗・丸田恭介らがいる。卒業前の12月16日に中山競馬場で行われた模擬レースでは、丸田に次ぐ2着であった。
初騎乗は3月3日の中京競馬場1レースにおいてブライティアアーチに騎乗し、16頭立ての11着。1週間後の3月10日の中京3レースにおいて、コアレスリーヴァに騎乗し初勝利。初年度は11勝を挙げる。
初重賞勝ちはデビュー3年目の2009年1月18日の日経新春杯で、テイエムプリキュア騎乗によるもの。この時はハンデ49キロを活かした大逃げによる勝利であった。
荻野琢真 人物
座右の銘は「和して同ぜず」。目標とする騎手は松永幹夫。夢は凱旋門賞の制覇。特技はコサック・ダンスとスプーン曲げ。
初重賞勝利となった日経新春杯では、阪神ジュベナイルフィリーズ以後3年以上勝てず今レース限りでの引退を表明していたテイエムプリキュアの有終の美を飾り、後に引退が撤回されたことで、一躍「時の人」となった。
鞍上に荻野が起用された理由としては、当日のハンデが49キロと超軽量だったことや、馬主が無名騎手の起用で実績のある竹園正繼であったことなどである。なお荻野はこのレースの数日前に丹波市の成人式に出席したばかりであった。
テイエムプリキュア引退の際には、自身のブログで最も影響を受けた馬として感謝の言葉を多数並べた。
荻野琢真 主な騎乗馬
テイエムプリキュア(2009年日経新春杯)
荻野琢真 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2007年3月3日 1回中京1日1R 3歳未勝利 ブライティアアーチ 16頭 10 11着
初勝利 2007年3月10日 1回中京3日2R 3歳未勝利 コアレスリーヴァ 16頭 3 1着
重賞初騎乗 2007年6月17日 3回阪神2日11R マーメイドステークス ミスベロニカ 12頭 4 6着
重賞初勝利 2009年1月18日 1回京都6日11R 日経新春杯 テイエムプリキュア 16頭 11 1着
GI初騎乗 2009年5月3日 3回京都4日10R 天皇賞(春) テイエムプリキュア 18頭 14 18着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2007年 11 14 12 255 .043 .098 .145
2008年 17 8 21 383 .044 .065 .120
2009年 19 11 20 426 .045 .070 .117
2010年 14 29 12 299 .047 .144 .184
中央 61 62 65 1363 .045 .090 .138
地方 2 0 1 7 .286 .286 .429
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
荻野 要(おぎの かなめ、1979年8月28日 – )は、日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターの石坂正厩舎に所属する騎手。
荻野要プロフィール
1998年栗東・増本豊厩舎所属騎手としてデビュー。初騎乗は1998年3月1日、中京競馬場第5競走のホシメールで、15頭立ての4着。同年3月7日、中京競馬場第7競走でレッドマルスに騎乗し初勝利を挙げた。1998年9月12日、エルムステークスでタヤスロベルトに騎乗し重賞初騎乗(7着)を記録した。
なお2001・2002両年に障害競走への騎乗経験もあったが、現在では障害免許を返上し平地のみの騎乗となっている。
デビュー初年度に15勝を記録も、1999年1月京都にて第7、8、9胸椎圧迫骨折、さらに7月函館でも左踵骨骨折および左第二指末節骨骨折と、落馬負傷が相次ぐ不運にも見舞われ、1999年以降の勝ち鞍は1桁台で推移し伸び悩みが続く。
減量騎手より外れる2001年からは騎乗機会も減少、2005年10月を最後に勝ち星からも遠ざっている。
荻野要 騎乗成績
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1998年 15 24 27 278 .054 .140 .237
1999年 6 9 12 154 .039 .097 .175
2000年 5 7 6 176 .028 .068 .102
2001年 2 4 1 84 .024 .071 .083
2002年 5 2 2 84 .060 .083 .107
2003年 2 2 2 76 .026 .053 .079
2004年 6 1 4 67 .090 .104 .164
2005年 4 7 1 71 .056 .155 .169
2006年 0 1 0 46 .000 .022 .022
2007年 0 0 0 35 .000 .000 .000
2008年 0 1 0 21 .000 .048 .048
2009年 0 1 0 25 .000 .040 .040
2010年 0 0 1 14 .000 .000 .071
平地 45 59 56 1131 .040 .092 .141
障害 0 0 0 2 .000 .000 .000
地方 1 3 3 25 .040 .160 .280
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1998年3月1日 1回中京2日5R 5歳上500万円下 ホシメール 15頭 5 4着
初勝利 1998年3月7日 1回中京3日7R 5歳上500万円下 レッドマルス 14頭 1 1着
重賞初騎乗 1998年9月12日 2回札幌3日11R エルムステークス タヤスロベルト 10頭 8 7着
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
大庭 和弥(おおば かずや、1982年9月13日 – )は、JRA・美浦トレーニングセンターに所属する騎手である。騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持している。愛称は「オーバ」。
大庭和弥 プロフィール
1998年、JRA競馬学校騎手課程に第17期生として入学、2001年に騎手免許を取得し嶋田潤厩舎所属騎手としてデビュー。同期には川島信二、小坂忠士らがいる。
デビュー1年目こそ未勝利に終わるも2002年から2004年にかけ勝利数を2桁に伸ばし、2003年には平地・障害双方の重賞騎乗も記録。
重賞初騎乗となった2003年中山牝馬ステークス、14番人気テンエイウイングでの2着などを始め、たびたび人気薄の馬を馬券圏内に持ち込むことが多く、ファンやマスコミから「穴男」・「穴の大庭」として認知され[1]、ファンから質問に対し自身のブログにて「自信はなかったが、穴を開けた時は何かしら好走の要因がある」とコメントを残している[2]。
好物はラーメンで、自身のブログに写真や味の評価を載せている。
大庭和弥 主な騎乗馬
テンエイウイング (2003年中山牝馬ステークス2着)
ライトパシフィック (2004年新潟ジャンプステークス2着)
カツヨトワイニング (2009年ファルコンステークス2着)
ジャミール (2010年アルゼンチン共和国杯2着[3])
大庭和弥 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 2001年3月3日 2回中山3日3R 3歳未勝利 セタノホラフキ 16頭 16 15着
初勝利 2002年2月3日 2回東京4日7R 4歳上500万円下 カオリハイパー 15頭 5 1着
重賞初騎乗 2003年3月15日 3回中山5日11R 中山牝馬ステークス テンエイウイング 16頭 14 2着
GI初騎乗 2009年4月12日 2回阪神6日11R 桜花賞 カツヨトワイニング 18頭 16 14着
障
害 初騎乗 2001年4月29日 2回東京4日5R 障害未勝利 ノボバンバン 14頭 12 8着
初勝利 2002年8月25日 3回新潟6日5R 障害未勝利 カチケンザン 14頭 11 1着
重賞初騎乗 2003年8月23日 3回新潟3日10R 新潟ジャンプステークス カチケンザン 13頭 9 11着
JGI初騎乗 2004年12月25日 5回中山7日10R 中山大障害 トーセンメイザン 13頭 9 8着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2001年 0 3 3 100 .000 .030 .060 0 0 1 7 .000 .000 .143
2002年 14 12 6 187 .075 .139 .171 1 0 1 17 .059 .059 .118
2003年 14 16 17 323 .043 .093 .145 1 0 2 24 .042 .042 .125
2004年 12 12 15 243 .049 .099 .160 3 2 2 25 .120 .200 .280
2005年 4 4 12 139 .029 .058 .144 3 0 4 26 .115 .115 .269
2006年 4 5 1 153 .026 .059 .065 2 2 5 43 .047 .093 .209
2007年 6 6 10 208 .029 .058 .106 4 1 3 42 .095 .119 .190
2008年 7 10 10 271 .026 .063 .100 7 0 2 41 .171 .171 .220
2009年 2 11 11 241 .008 .054 .100 1 5 3 29 .034 .207 .310
2010年 9 16 15 409 .022 .061 .098 3 5 5 39 .077 .205 .333
中央 72 95 100 2275 .032 .073 .117 25 15 28 293 .085 .137 .232
地方 0 3 1 54 .000 .055 .074
大庭和弥 脚注
^ 東スポコラム
^ 走るのは馬ですから~質問コーナー
^ 安藤勝己急病による乗替り 日刊スポーツ
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
大野 拓弥(おおの たくや、1986年9月8日 – )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手。
大野拓弥プロフィール
小学校6年生のときに乗馬クラブに行き、乗馬を始めたことがきっかけで騎手を目指す。2002年、21期生として競馬学校に入学。同期には小島太一、鮫島良太、塚田祥雄らがいる。目標とする騎手は横山典弘騎手。
2005年に杉浦宏昭厩舎所属でデビュー。初騎乗は3月5日、中京第1競走でナンヨージルバに騎乗したが、スタート直後に落馬し競走中止。3月13日に中山第4競走のフレンチクルーラーで初勝利。この年は11勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
重賞初騎乗は2006年4月23日、フローラステークスでミルキーウェイに騎乗し、18番人気で6着。
GI初騎乗は2007年5月20日、優駿牝馬でマイネルーチェに騎乗し、15番人気で6着。
2008年7月16日に所属をフリーに変更した。
騎手のなかでは、比較的珍しい左利きである。ペンも箸も左手で持つ。
大野拓弥 騎乗成績
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2005年 11 16 15 310 .035 .087 .135
2006年 31 32 36 576 .054 .109 .172
2007年 28 36 38 633 .044 .101 .161
2008年 23 33 39 578 .040 .097 .164
2009年 17 22 28 571 .030 .068 .117
中央 110 139 156 2668 .041 .093 .152
地方 4 8 3 45 .089 .267 .333
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2005年3月5日 1回中京1日1R 3歳未勝利 ナンヨージルバ 15頭 7 中止
初勝利 2005年3月13日 2回中山6日4R 3歳未勝利 フレンチクルーラー 15頭 1 1着
重賞初騎乗 2006年4月23日 2回東京2日11R フローラステークス ミルキーウェイ 18頭 18 6着
GI初騎乗 2007年5月20日 3回東京2日11R 優駿牝馬 マイネルーチェ 18頭 15 6着
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
大江原圭 プロフィール
2004年に日本中央競馬会競馬学校の入学試験に合格し、2005年4月より同校へ第24期として入学した。なお同期入学には8人おり、その中に北村浩平の弟(中途退学)もいた。
2008年、2月12日に同校を卒業した。卒業時の同期には伊藤工真と三浦皇成がいる。そして2月14日に発表された2008年度騎手免許試験に合格し、3月1日付で栗東トレーニングセンター・作田誠二厩舎所属としてデビュー。父と伯父はともに騎手時代から美浦トレーニングセンターに所属していたが、美浦だと甘えてしまうかも知れないとの理由であえて栗東に所属した。デビューの同期には前述の2人に加え、大井競馬場から移籍してきた内田博幸と高知競馬場から移籍してきた鷹野宏史がいる。
2008年3月1日に中京競馬場で行われた第1競走で中央競馬初騎乗を迎え、自厩舎のビリーヴインタイムに騎乗して13番人気で13着だった。その後、第5競走で6位に入線するも、3コーナーで急に外側に斜行したとして、14着に降着。デビュー当日にいきなり、3月8日から3月16日までの開催日4日間の騎乗停止処分を受けた。その後も騎乗馬に恵まれず、新人騎手でありながら満足に騎乗経験すら積めない状態が続いた。
2009年3月2日付で所属を栗東から美浦に移し、どこの厩舎にも所属しないフリーの騎手として活動[3]。
騎乗数を増やすために2009年4月4日から障害競走にも騎乗するようになる。同年7月18日の障害未勝利戦で藤沢和雄厩舎所属の初障害馬に騎乗するが、気性難の馬であったために落馬した。派手な落ち方であったため大怪我が心配されたが打撲で済んだ。その次の週の7月26日に新潟競馬場で行われた障害未勝利戦で、同じ藤沢和雄厩舎所属の初障害馬キングアーサーに騎乗し、最後の直線で追いすがる2着馬をクビ差凌いで初勝利を挙げた。デビューして約1年5ヶ月近く、121戦目での初勝利だった。
大江原圭 エピソード
競馬学校時代からの同期である伊藤とは生年月日が同じである。圭の初勝利のセレモニーでは伊藤がプラカードを持った[4]。
2007年10月11日に競馬学校で行われた第1回模擬レースでは1レースと2レースをともに現役騎手の吉田豊・隼人兄弟らを相手に勝利している。
2008年1月21日に競馬学校の近郊にあるファイターズスタジアムで行われている合同自主トレーニングを訪問した際に、同い年の中田翔と交流し、「同じ18歳には負けたくない」とライバル心を燃やしている。
2008年2月12日に行われた卒業記念模擬レースでメイショウクラマに騎乗して3着だった。同日の謝恩会では「宙返り大賞」を受賞した。
座右の銘は「一意専心」、目標とする騎手は四位洋文と横山典弘、好きなものは水分とチョコレート[5]。
スポーツライターの相沢光一は「競馬界の電車男」という見出しの記事で、圭と彼の初勝利を願うインターネットの競馬ファンについて取り上げた[6]。
2011年5月14日に京都競馬場の調整ルーム内において携帯電話でツイッターを閲覧、操作を誤ってリツイートしていたことが判明し、同年5月15日から6月13日まで30日間の騎乗停止処分を受けた[7]。
大江原圭 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平地 初騎乗 2008年3月1日 1回中京1日1R 3歳未勝利 ビリーヴインタイム 15頭 13 13着
障害 初騎乗 2009年4月4日 3回中山3日4R 障害未勝利 ロッキーローレル 14頭 8 4着
初勝利 2009年7月26日 2回新潟4日4R 障害未勝利 キングアーサー 10頭 2 1着
JGI初騎乗 2009年12月26日 5回中山7日10R 中山大障害 モルフェサイレンス 14頭 5 4着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2008年 0 0 1 86 .000 .000 .012 –
2009年 0 0 4 53 .000 .000 .075 4 4 1 33 .121 .242 .273
2010年 0 0 1 45 .000 .000 .022 0 1 3 45 .000 .022 .089
中央 0 0 6 184 .000 .000 .033 4 5 4 78 .051 .115 .167
地方 0 0 0 1 .000 .000 .000
大江原圭 出演
テレビ
学校へ行こう!MAX(TBSテレビ、2006年4月25日)
土曜スポーツタイム「アナザーストーリー」(NHK総合テレビ、2008年2月23日)
脚注 [編集]
^ vol.008 草野 太郎騎手 &大江原 圭騎手 Uman.jp、2010年4月5日
^ ただしUman.jpでのインタビューでは身長172cm、体重52~53kgと答えている。vol.008 草野 太郎騎手 &大江原 圭騎手(Uman.jp、2010年4月5日 )
^ 大江原圭騎手、美浦所属に ラジオNIKKEI、2009年3月1日
^ やるときはやる?大江原圭騎手(騎手課程第24期生)初勝利! 競馬学校ブログ、2009年7月27日
^ 【競馬学校】卒業生(=新人騎手)紹介(2) 大江原圭 競馬学校ブログ、2008年2月22日
^ 「競馬界の電車男」大江原圭 未勝利新人騎手への声援は時代の空気か DIAMOND online SPORTS セカンド・オピニオン、2009年7月22日
^ 大江原、「ツイッター」で騎乗停止30日間 – 競馬 – SANSPO.COM
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
蛯名 正義(えびな まさよし, 1969年3月19日 – )はJRA所属の騎手。愛称は「エビショー」。同会の騎手・調教師であった蛯名信広は遠縁にあたる。夫人は元タレントでテレビ東京の土曜競馬中継(現在のウイニング競馬)の司会者だった石森かずえ(本名・一枝)。
蛯名正義プロフィール
小学校の時、菊花賞をグリーングラスが勝利したレース[1]をテレビ中継で見て騎手を志し、中学校から乗馬を始める。
1987年に美浦の矢野進厩舎所属でデビュー。同期に武豊・塩村克己(引退)・合谷喜壮(引退)らがいる。デビュー初年度30勝を挙げ民放競馬記者クラブの関東新人騎手賞を獲得
重賞初勝利は1992年のフェブラリーハンデキャップのラシアンゴールド。ラシアンゴールドとのコンビで当時は中央交流競走の1つだった帝王賞も制する。
1995年は七夕賞、中山記念を制していたフジヤマケンザンとのコンビで香港国際カップ(現在の香港カップ)に勝利した。
1996年にバブルガムフェローとのコンビで天皇賞(秋)を制し、初めてのGI制覇となる。この時の騎乗は、同馬の主戦騎手であった岡部幸雄がタイキブリザードとのコンビでブリーダーズカップクラシックに出走する事による代打騎乗であった。
1998年にエルコンドルパサーとのコンビでジャパンカップを制覇。自身2つめのGIタイトルを獲得。このコンビで翌1999年、フランスのサンクルー大賞を制し、凱旋門賞でも2着に入る。またウメノファイバーとのコンビで優駿牝馬(オークス)、エアジハードとのコンビで安田記念、マイルチャンピオンシップを制した。
2000年にはアメリカ合衆国の東海岸地方への遠征を敢行。一方でファストフレンドに騎乗するため帰国し、帝王賞や東京大賞典を制した。
2001年にはトロットスターで高松宮記念、スプリンターズステークスを制覇。さらにマンハッタンカフェで菊花賞や有馬記念を制し、また133勝を挙げて最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手の2冠を獲得した。翌2002年にはマンハッタンカフェとのコンビで天皇賞(春)を制した。
中央GIタイトルは2002年のトウカイポイント(マイルチャンピオンシップ)以来勝ち星を挙げていなかったが、2006年12月10日の朝日杯フューチュリティステークスでドリームジャーニーの勝利で挙げた。
12月22日には自身6度目となる中央競馬年間100勝を達成した。なおこれはこの年9人目の達成となり、年間100勝を達成した人数の史上最多記録となった。12月23日の有馬記念をマツリダゴッホ鞍上で勝利し、マンハッタンカフェ以来2回目の勝利を飾った。
2009年12月13日の第61回阪神ジュベナイルフィリーズをアパパネで優勝し、JRAのGI競走通算14勝目を挙げた。
2010年3月20日の中京第1競走・3歳未勝利にはバイブレイションズで1着となり、JRA史上7人目、現役では4人目となる通算1800勝を達成すると、4月11日の桜花賞をアパパネで優勝し、JRAのGI競走通算15勝目となった。なお、関東所属騎手による桜花賞の勝利は1985年の木藤隆行以来、25年ぶり。
2010年5月23日の第71回優駿牝馬に桜花賞に続きアパパネに騎乗。直線、横山典弘騎手騎乗のサンテミリオンとの叩きあいの末、横一線でゴール板を通過。およそ10分ほど写真判定を行った後に蛯名、横山のGI初となる同着優勝を飾る珍事を起こす。ゴール板を通過した際に、当時サンテミリオンに歩があったと思っていた蛯名は、同着確定後のインタビューで横山と笑顔で抱き合い、「負けなくてよかったです。」と語った。
2010年10月3日、凱旋門賞をナカヤマフェスタで2度目の2着。10月17日の第15回秋華賞をアパパネで勝利を収め、初の秋華賞勝利。加えてこの年の牝馬三冠を成し遂げる。なおアパパネは史上3頭目となる牝馬三冠馬となる。その活躍が認められ、東京競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞した。この賞の特別賞には過去に野平祐二、サンデーサイレンス、岡部幸雄、横山典弘が受賞しているのだが、野平祐二と岡部幸雄は引退した年、サンデーサイレンスは亡くなった年にそれぞれ選出されているため、現役での特別賞への選出は史上2人目である。
蛯名正義 騎乗成績
GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別) [編集]
(緑字は統一GI、赤字は海外GIを指す)
1996年
天皇賞(秋) – バブルガムフェロー
1998年
ジャパンカップ – エルコンドルパサー
1999年
サンクルー大賞 – エルコンドルパサー
優駿牝馬 – ウメノファイバー
安田記念 – エアジハード
マイルチャンピオンシップ – エアジハード
2000年
帝王賞 – ファストフレンド
東京大賞典 – ファストフレンド
2001年
高松宮記念 – トロットスター
スプリンターズステークス – トロットスター
菊花賞 – マンハッタンカフェ
有馬記念 – マンハッタンカフェ
JBCスプリント -ノボジャック
2002年
天皇賞(春) – マンハッタンカフェ
マイルチャンピオンシップ – トウカイポイント
2006年
朝日杯フューチュリティーステークス – ドリームジャーニー
2007年
有馬記念 – マツリダゴッホ
2009年
阪神ジュベナイルフィリーズ – アパパネ
2010年
桜花賞 – アパパネ
優駿牝馬 – アパパネ
秋華賞 – アパパネ
2011年
ヴィクトリアマイル – アパパネ
以上JRA・GI 18勝(海外GI1勝、交流GI3勝)
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1987年 30 38 27 216 .139 .315 .440
1988年 43 28 33 353 .122 .201 .295
1989年 36 44 35 356 .101 .225 .323
1990年 27 34 34 352 .077 .173 .270
1991年 23 18 19 257 .089 .160 .233
1992年 54 52 47 414 .130 .256 .370
1993年 49 46 46 537 .091 .177 .263
1994年 71 44 73 572 .124 .201 .329
1995年 84 62 60 596 .141 .245 .346
1996年 82 82 73 680 .121 .241 .349
1997年 62 86 63 660 .094 .224 .320
1998年 136 92 69 777 .175 .293 .382
1999年 129 118 94 800 .161 .309 .426
2000年 62 58 59 563 .110 .213 .318
2001年 133 106 101 905 .147 .264 .376
2002年 99 82 67 803 .123 .225 .309
2003年 101 82 70 780 .129 .235 .324
2004年 88 84 57 752 .117 .229 .305
2005年 101 93 73 828 .122 .234 .322
2006年 78 71 62 680 .115 .219 .310
2007年 105 98 76 831 .126 .244 .336
2008年 83 82 57 717 .116 .230 .310
2009年 101 85 65 779 .130 .239 .322
中央 1777 1585 1360 14208 .125 .236 .332
地方 40 37 37 256 .156 .301 .445
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1987年3月1日 2回中山2日5R 4歳新馬 アイガーターフ 14頭 14 14着
初勝利 1987年4月12日 3回中山6日4R 4歳未勝利 ダイナパッション 8頭 2 1着
重賞初騎乗 1987年7月5日 1回福島6日11R ラジオたんぱ賞 ハマナスニゾン 8頭 7 8着
重賞初勝利 1992年2月22日 1回東京7日11R フェブラリーHC ラシアンゴールド 16頭 10 1着
GI初騎乗 1989年4月16日 3回中山8日11R 皐月賞 リアルビクトリ 20頭 11 17着
GI初勝利 1996年10月27日 5回東京8日10R 天皇賞(秋) バブルガムフェロー 17頭 3 1着
蛯名正義 エピソード
パチスロ好きである。
大の読売ジャイアンツファン。
騎乗依頼仲介者は武山修司(馬三郎)。
蛯名正義 テレビ出演
トップランナー(1999年12月3日、NHK)。当時大江千里、益子直美が司会の時に出演(蛯名がJ6(他のメンバーは藤田伸二、四位洋文、後藤浩輝、田中勝春、松永幹夫)名義で発表した曲「Destination」は大江が作詞したもの)。同番組への競馬騎手の出演は1997年の武豊に次いで2人目であった。
武豊TV!II(2010年)
蛯名正義 連載
『週刊Gallop』に「新・正義の見方」(旧「正義の見方」)というエッセイを執筆している。
東京中日スポーツ・中日スポーツでは「エビSHOW!」というコラムを連載している。
東京スポーツ(大阪・中京・九州スポーツ)では「エビショウの“独舌”講座」(毎週木曜掲載)というコラムを連載している。
週刊プレイボーイではかつて「競馬の神髄」を執筆していた。現在は福永祐一に交代している。
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
江田 勇亮(えだ ゆうすけ、1978年9月4日 – )は日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターの河野通文厩舎所属の騎手である。
江田勇亮 来歴
父はCBスタッド牧場に勤務[1]という馬との距離が近い環境で育ち、騎手を志すようになり中学卒業後JRA競馬学校へ入学。1997年、第13期生として騎手免許を取得し矢野照正厩舎所属騎手としてデビュー。
同期には秋山真一郎、勝浦正樹、武幸四郎、村田一誠、板倉真由子、押田純子、武士沢友治、松田大作らがいる。デビュー当時の夢は「名馬の子で勝ちたい」[1]。
平地での勝利は、12年もの間、減量騎手の間に挙げた16勝が全てであったが、2011年5月14日東京8Rのトワインブルームで久しぶりの平地優勝を成し遂げた。
また、デビュー初年度から平地と同時に障害競走への騎乗も開始。
近年では平地と入れ替わる形で障害競走中心の騎乗となり、2004年にはメジロロンザンで東京ハイジャンプを優勝。1991年宝塚記念優勝馬メジロライアンを父に持つ同馬で重賞初制覇を達成し、騎手デビュー当時の夢を叶える勝利となった。
江田勇亮 主な騎乗馬
ミナミノゴージャス (2001年中山新春ジャンプ)
メジロロンザン (2004年東京ハイジャンプ)
オープンガーデン (2010年中山グランドジャンプ2着、2011年阪神スプリングジャンプ)
江田勇亮 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 1997年3月1日 2回中山3日3R 4歳未勝利 シルキーキッス 16頭 13 10着
初勝利 1997年3月2日 2回中山4日1R 4歳未勝利 アンディーン 16頭 5 1着
重賞初騎乗 1998年11月7日 5回東京1日11R アルゼンチン共和国杯 テンジンショウグン 18頭 17 18着
障
害 初騎乗 1997年8月16日 3回新潟3日5R 障害4歳上未勝利 ウメノリュウジン 9頭 7 中止
初勝利 1998年7月12日 1回福島8日5R 障害4歳上未勝利 キングスロード 9頭 2 1着
重賞初騎乗 1999年6月12日 3回東京7日10R 東京ハイジャンプ キングスロード 13頭 9 7着
重賞初勝利 2004年6月12日 3回東京7日9R 東京ハイジャンプ メジロロンザン 14頭 4 1着
JGI初騎乗 1999年12月18日 5回中山5日10R 中山大障害 アポンマイワード 15頭 11 10着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1997年 4 8 5 144 .028 .083 .118 0 0 0 3 .000 .000 .000
1998年 6 4 10 159 .038 .063 .126 1 1 3 24 .042 .083 .208
1999年 6 7 9 136 .044 .096 .162 1 3 1 20 .050 .200 .250
2000年 0 1 2 83 .000 .012 .036 2 0 3 26 .077 .077 .192
2001年 0 0 1 31 .000 .000 .032 1 0 3 28 .036 .036 .143
2002年 0 1 0 20 .000 .050 .050 0 2 4 15 .000 .133 .400
2003年 0 0 0 23 .000 .000 .000 4 2 3 30 .133 .200 .300
2004年 0 0 0 7 .000 .000 .000 4 1 7 28 .143 .179 .429
2005年 0 0 0 4 .000 .000 .000 0 0 2 23 .000 .000 .087
2006年 0 0 0 5 .000 .000 .000 1 0 2 31 .032 .032 .097
2007年 0 0 0 2 .000 .000 .000 1 0 0 39 .026 .026 .026
2008年 0 0 0 2 .000 .000 .000 2 2 2 36 .056 .111 .167
2009年 0 0 0 1 .000 .000 .000 2 2 2 41 .049 .098 .146
2010年 0 0 0 6 .000 .000 .000 2 2 1 36 .056 .111 .139
中央 16 21 27 623 .026 .059 .103 21 15 33 380 .055 .095 .180
地方 0 0 0 9 .000 .000 .000
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行