地方競馬
地方競馬規則(1927年8月27日 農林・内務省令)が制定されたことにより始められた競馬。主催者は畜産組合、畜産組合連合会、または(投票権付入場券を発行しない場合は)馬匹改良を目的とする団体。
1939年4月7日に軍馬資源保護法が公布されたことにより「軍用保護馬鍛錬競走」へと移行した。
現行の競馬法に基づき都道府県・競馬場が所在する市町村あるいは左記の地方公共団体で構成される一部事務組合が施行する競馬である。
地方公共団体等が施行することから「公営競馬」(こうえいけいば)という俗称で呼ばれることもあるが正式な呼称は「地方競馬」であり、日本中央競馬会(JRA)の施行する「中央競馬」と対をなす法令用語となっている(競馬法第1条第5項)。以下に詳述。
地方競馬の定義
現在の日本における地方競馬は、都道府県または総務大臣により指定を受けた市町村により施行される競馬であると競馬法に定義されている。過去には競馬場が所在しない市町村も競馬を開催していたが昭和40年代の法改正により著しく災害を受けた市町村と競馬場が所在する市町村に限定されている。
地方競馬など公営競技は長年にわたり地方自治体の貴重な収入源となってきたが、近年パチンコ産業との競合や一般大衆の「ギャンブル離れ」の影響を強く受けて不採算化が著しく競馬などの公営競技事業そのものを廃止する事例が出てきた。
地方競馬の歴史
地方競馬とは?
前述のように戦前の地方競馬は畜産組合連合会や畜産組合などが主催して行われ太平洋戦争中は軍用保護馬鍛錬競走として行われた。
戦後は一時根拠法が存在しない状態が生じたが、1946年11月20日に地方競馬法が制定され再び馬匹組合・馬匹組合連合会の主催で行われることとなった。その後それらを主催者とすることが独占禁止法に抵触するという指摘がGHQによってなされ、1948年7月13日以降は競馬法に基いて地方自治体の主催で行われるようになった。
終戦直後の地方競馬は戦災復興の名目の下、地方自治体の財源を確保するために行われた。そのため売上が好調であったにもかかわらず終戦後一定期間が経過したことにより競馬開催を廃止した競馬場も存在する。
開催を続行した競馬場は1990年代以降総じて売り上げの低下が問題化し、財政の悪化を理由として開催を廃止するものが相次いでいる。
アングロアラブ競走
かつての地方競馬ではアングロアラブによる競走が盛んにおこなわれていた。
中央競馬所属のアングロアラブはすべて抽せん馬であったのに対し地方競馬所属のアングロアラブにはそのような制約がなかったため、一般に中央競馬よりも質の高い競走馬が確保された。しかし1995年以降中央競馬と地方競馬の交流が進む中、サラブレッドの導入を積極的に行う競馬場が相次いで現れ、その影響を受けてアングロアラブによる競走は全国的に縮小されていき2009年にアングロアラブの単独での競走に終止符が打たれた。
地方競馬が抱える問題
地方競馬の廃止・存続問題
概要
地方競馬を含む公営競技は長年にわたり地方自治体の貴重な収入源となってきた。しかし近年、バブル崩壊以後の不況の長期化、一般大衆のギャンブル離れ、公営競技施設・レース数の過剰、レジャーの多様化、射幸性が高まり事実上ギャンブル同然の存在であるパチンコ・パチスロや、一応ギャンブルではないもののハイリスク・ハイリターンな株式相場・商品先物・外国為替証拠金取引などの投機との競合など様々な要素が原因となって収益が悪化していった。
カテゴリ : 地方競馬
池江泰寿プロフィール
父は元調教師の池江泰郎、従兄弟に池江敏行調教助手、伯父に池江敏郎元厩務員がいる。同級生に武豊がおり、幼馴染みである。
2004年3月20日、ソニックサーパス号で初出走を飾り、このレースで初勝利を挙げた。
以降は順調に勝ち星を重ね、2006年にドリームジャーニーが初重賞制覇にして初のGI勝利、2008年1月20日に若駒ステークスでアインラクスが勝ち、中央競馬通算100勝を達成。
2010年7月3日には3歳未勝利戦でサンデーミューズが優勝し、中央競馬通算200勝を挙げた。また、2008年は51勝を挙げ、最多勝利調教師賞のタイトルを受賞している。
また42歳4カ月17日でのダービー勝利は、グレード制導入後では、最年少ダービー優勝調教師となった。
池江泰寿調教師成績
地方交流競走での成績は除く
年区分1着2着3着出走数勝率連対率
2004年平地37460.050.167
障害1023.333.333
計47663.063.175
2005年平地201814149.134.255
2006年平地362316194.186.304
2007年平地362125220.164.259
2008年平地513220291.175.285
2009年平地403027257.156.272
2010年平地422826266.158.263
計平地2281591321,374.166.282
障害1023.333.333
総計2291591341,377.166.282
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走・初勝利2004年3月20日1回阪神7日5R障害4歳上未勝利マイネルアパッシュ14頭41着
重賞初出走2005年4月9日3回中山5日11Rニュージーランドトロフィーピカレスクコート16頭54着
GI初出走2005年10月23日4回京都6日11R菊花賞フサイチアウステル16頭55着
重賞初勝利2006年12月10日5回中山4日11R朝日杯FSドリームジャーニー15頭21着
池江泰寿 受賞
2006年 – 最高勝率調教師賞
2006年 – 優秀調教師賞(関西)
2006年 – 2006JRA賞(最高勝率調教師)
2008年 – 最多勝利調教師賞
2008年 – 優秀技術調教師賞
池江泰寿主な管理馬
括弧内は当該馬の優勝重賞競走
GI競走優勝馬
ドリームジャーニー(2006年朝日杯フューチュリティステークス、 2009年宝塚記念、有馬記念)
オルフェーヴル(2011年東京優駿、皐月賞、スプリングステークス)
その他重賞競走優勝馬
トーセンジョーダン(2010年アルゼンチン共和国杯、2011年アメリカジョッキークラブカップ、札幌記念)
メテオロロジスト(2011年佐賀記念)
ウォータクティクス(2009年アンタレスステークス)
ランザローテ(2009年プロキオンステークス)
エアパスカル(2008年チューリップ賞)
ピカレスクコート(2007年ダービー卿チャレンジトロフィー)
池江泰寿主な厩舎所属者
括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
吉村圭司(2004年-2011年 調教助手)
池江泰寿主な騎乗依頼騎手
内田博幸 – トーセンジョーダンなど
池添謙一 – ドリームジャーニーなど
武豊 – メテオロロジストなど
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五十嵐 忠男(いがらし ただお 1952年11月9日 – )は、日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属する調教師で、元騎手である。
五十嵐忠男プロフィール
1973年に田所秀雄厩舎より騎手デビュー。初騎乗は同年3月4日阪神競馬第7競走のミスクロンサンで3着。初勝利は同年3月24日の阪神競馬第9競走のセンタービバーであった。
1977年に清水久雄厩舎に移籍し、騎手引退まで所属する。1984年の中日新聞杯をアスコットエイトで制して重賞初勝利。1990年のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスをイソノルーブルに騎乗して優勝。その後はクラシックでの勝利が期待されたが、翌1991年のエルフィンステークスを勝った後、松永幹夫に乗り替わりとなり、クラシックで騎乗することはなかった。
1993年に調教師免許を取得、騎手を引退して調教師へと転身した。翌1994年に厩舎を開業。初出走は同年3月12日中京競馬第8競走のタイウンザーで14着、初勝利は同年7月2日札幌競馬第1競走のニッポーダイヤで、延べ16頭目であった。
2005年の阪神ジュベナイルフィリーズをテイエムプリキュアで制し、調教師としての重賞初勝利がG1(JpnI)競走でとなった。
五十嵐忠男 騎手成績
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 176 213 204 2584 .068 .151
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1973年3月4日 – ミスクロンサン – – 3着
初勝利 1973年3月24日 – センタービバー – – 1着
重賞初騎乗 1973年8月19日 北海道3歳S ベルトップ 12頭 12 10着
重賞初勝利 1984年1月22日 中日新聞杯 アスコットエイト 8頭 1 1着
GI級初騎乗 1983年11月13日 菊花賞 アスコットエイト 21頭 11 21着
五十嵐忠男 主な騎乗馬
アスコットエイト(1984年中日新聞杯)
イソノルーブル(1990年ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス)
五十嵐忠男 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1994年3月12日 1回中京5日8R 4歳500万下 タイウインザー 16頭 5 14着
初勝利 1994年7月2日 1回札幌7日1R 4歳未勝利 ニッポーダイヤ 8頭 3 1着
重賞初出走 1996年7月28日 2回札幌8日11R 札幌3歳S ママノパンチ 13頭 12 9着
GI初出走 1998年10月25日 5回京都6日11R 秋華賞 スピーディローザー 18頭 15 17着
GI初勝利 2005年12月4日 5回阪神2日11R 阪神JF テイエムプリキュア 18頭 8 1着
五十嵐忠男 主な管理馬
テイエムプリキュア(2005年阪神ジュベナイルフィリーズ、2009年日経新春杯)
マイネレーツェル(2008年フィリーズレビュー、ローズステークス)
テイエムオーロラ(2010年府中牝馬ステークス)
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飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 – )は中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属している元騎手の調教師である。東邦高等学校卒。息子は飯田祐史騎手である。
飯田明弘プロフィール
1965年、中京・小林稔厩舎所属の騎手候補生となる。
1969年、同厩舎より騎手デビュー。初騎乗は3月1日で、タカレットに騎乗し2着、3月16日に再び同馬に騎乗して勝利し初勝利を挙げる。
1970年、中京記念をゼットアローで制し重賞初勝利を挙げる。
1982年、フリーとなる。同年9月5日のレース中に村本善之騎手(当時)の頭を2度打ち、開催4日間の騎乗停止となる。
1988年、調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は、JRA通算5305戦632勝(重賞24勝)。
1989年、厩舎を開業する。3月4日、初出走となった阪神競馬場での第11レースは、7番人気だったタカシャネルが9着となる。3月26日に阪神競馬場での第3レースで、1番人気だったリュウシャムソンが勝利し延べ9頭目で初勝利を挙げる。
1993年、息子・祐史が騎手となり厩舎に所属する。
1995年、東京障害特別(春)をリターンエースが制し重賞初勝利を挙げる。
1997年、5月29日に管理馬が地方競馬に初出走。
2002年、4月4日に名古屋競馬場で行われた名古屋優駿を10番人気だったホーマンキュートが制し、地方競馬初勝利及び交流重賞初勝利を挙げる。
飯田明弘 騎手成績
通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 632 600 557 5303 .119 232
障害 0 0 0 2 .000 .000
計 632 600 557 5305 .119 .232
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1969年3月1日 – タカレット – – 2着
初勝利 1969年3月16日 – タカレット – – 1着
重賞初騎乗 1969年7月27日 函館記念 ミッキーゴイチ 7頭 7 7着
重賞初勝利 1970年11月8日 中京記念 ゼットアロー 10頭 10 1着
GI級初騎乗 1971年11月28日 天皇賞(秋) シュンサクリュウ 12頭 7 5着
飯田明弘 主な騎乗馬
ゼットアロー(1970年中京記念)
シュンサクオー(1971年高松宮杯)
シュンサクリュウ(1972年京都記念(春))
シングン(1972年金鯱賞)
フジノタカワシ(1974年スワンステークス)
スズカハード(1975年金鯱賞)
パッシングベンチャ(1976年京都大賞典)
スリークルト(1977年京都4歳特別)
リネンジョオー(1977年京都牝馬特別)
リキタイコー(1977年CBC賞、1978年中日新聞杯)
キャプテンナムラ(1978年阪神大賞典)
テルノエイト(1979年シンザン記念、札幌記念、1980年阪急杯)
シルクスキー(1979年阪神牝馬特別)
タニノテスコ(1980年京阪杯)
バンブトンハーレー(1982年阪急杯)
ロングワーズ(1982年小倉記念、京都記念(秋))
シンウルフ(1983年スプリンターズステークス)
ハッピープログレス(1984年スプリンターズステークス)
ピーターホーラー(1986年愛知杯、1987年愛知杯)
飯田明弘 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1989年3月4日 1回阪神3日11R うずしおS タカシャネル 9頭 7 9着
初勝利 1989年3月26日 2回阪神2日3R 3歳未勝利 リュウシャムソン 10頭 1 1着
重賞初出走 1989年12月17日 5回阪神6日11R 阪神3歳S ツールドフランス 12頭 11 10着
重賞初勝利 1995年2月11日 1回東京5日9R 東京障害特別(春) リターンエース 13頭 1 1着
飯田明弘 主な管理馬
リターンエース(1995年東京障害特別(春)、阪神障害ステークス(春)、京都大障害(春))
テスコガリバー(1997年阪神障害ステークス(春))
ラヴラヴラヴ(1998年アネモネステークス)
メイショウアヤメ(1998年葵ステークス)
メイショウオウドウ(2000年産経大阪杯、マイルチャンピオンシップ3着、2001年安田記念3着、鳴尾記念など)
ホーマンキュート(2002年名古屋優駿)
キョウワロアリング(2007年北九州記念)
飯田明弘 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
小崎憲(1992年-1997年 厩務員、調教厩務員、調教助手)
飯田祐史(1993年-現在 騎手)
荒川義之(1995年-2007年 厩務員、調教厩務員、調教助手)
吉村圭司(1996年-2004年 厩務員、調教助手)
嘉堂信雄(1999年-2006年 騎手)
今村康成(2008年-現在 騎手)
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浅見秀一(あさみ ひでかず、1951年5月11日 – )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師である。元調教師の浅見國一は実父。
浅見秀一 プロフィール
1973年に父の浅見國一厩舎で騎手候補となり、1977年に調教助手となる。長らく父の下で調教助手を務めていたが、1991年に調教師免許を取得し、翌1992年3月に厩舎を開業。
初出走は同年3月8日中京競馬第1競走のグローバルキティで7着、初勝利は同年3月14日中京競馬第7競走のアテヨーノクラウンで延べ4頭目であった。 1994年のアルゼンチン共和国杯をマチカネアレグロで制して重賞初勝利を挙げた。
1997年に父・浅見國一調教師が定年引退となり、メジロブライトなどの管理馬を引き継いだ。そのメジロブライトが翌1998年の天皇賞(春)を勝ち、G1競走初勝利となった。
浅見秀一 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1992年3月8日 1回中京2日1R アラ系4歳上800万下 グローバルキティ 10頭 6 7着
初勝利 1992年3月14日 1回中京3日7R 5歳上500万下 アテヨーノクラウン 16頭 3 1着
重賞初出走 1992年7月5日 1回札幌8日11R 札幌記念 ニックテイオー 13頭 7 2着
重賞初勝利 1994年11月19日 5回東京5日11R アルゼンチン共和国杯 マチカネアレグロ 14頭 2 1着
GI初出走 1994年12月25日 5回中山8日9R 有馬記念 マチカネアレグロ 13頭 7 10着
GI初勝利 1998年5月3日 3回京都4日11R 天皇賞(春) メジロブライト 14頭 2 1着
浅見秀一 主な管理馬
メジロブライト(1998年天皇賞 (春))
ヤマニンシュクル(2003年阪神ジュベナイルフィリーズ)
ソングオブウインド(2006年菊花賞)
レジネッタ(2008年桜花賞)
浅見秀一 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
白浜雄造(1998年-2002年、2002年-2004年 騎手)
千田輝彦(2001年、2002年、2004年 騎手)
浅見恵一(2005年-現在 調教助手)
林満明(2006年-2007年 騎手)
田中健(2007年-現在 騎手)
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荒川 義之(あらかわ よしゆき、1968年5月21日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属している調教師である。京都府出身。
荒川義之プロフィール
1994年、10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学する。
1995年、4月から栗東・飯田明弘厩舎所属の厩務員となり後に調教厩務員となる。12月からは調教助手となった。
2007年、調教師免許を取得。7月21日付で厩舎を開業した(12馬房、うち2馬房は臨時貸付け)。開業時の管理馬は、勇退解散した安藤正敏厩舎から引き継いだ。7月21日に管理馬が初出走、オースミオペラが7着となる。10月7日にチェレブリタが勝利し、延べ33戦目で初勝利を挙げた。
荒川義之 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2007年7月21日 2回小倉3日2R 3歳未勝利 オースミオペラ 16頭 11 7着
初勝利 2007年10月7日 4回京都2日1R 2歳未勝利 チェレブリタ 16頭 3 1着
重賞初出走 2007年11月4日 5回京都2日11R ファンタジーS チェレブリタ 14頭 8 5着
重賞初勝利 2008年5月10日 1回新潟3日11R 新潟大賞典 オースミグラスワン 16頭 3 1着
GI初出走 2008年11月2日 4回東京8日11R 天皇賞(秋) オースミグラスワン 17頭 10 7着
荒川義之 主な管理馬
オースミグラスワン(2008年新潟大賞典)
チェレブリタ(2009年京都牝馬ステークス)
ジュエルオブナイル(2009年小倉2歳ステークス)
ミリオンディスク(2009年カペラステークス、2010年北海道スプリントカップ)
荒川義之 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
安藤清治(2007年 調教助手)
佐藤淳(2007年-現在 調教助手)
西山誠(2007年-現在 調教助手)
高橋亮(2009年-現在 騎手)
カテゴリ : 調教師 あ行
安達 昭夫(あだち あきお、1959年10月27日 – )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師である。
安達昭夫プロフィール
私立高校への進学が決まっていたが、騎手への夢を捨てきれず[1]、馬事公苑の昭和50年度長期騎手講習生となり、1979年3月、栗東・増本勇厩舎所属の騎手として騎手デビューした。当時、父親も増本厩舎で厩務員として働いていた。デビュー当初は騎乗馬にも恵まれ、栗田伸一と新人賞を争ったが、栗田の22勝に対して16勝で新人賞獲得はならなかった。
しかし、身長が167cmと高く体重もやや重たかった事から、次第に騎乗数も減ってゆき、途中フリーになったり厩舎所属を繰り返すことになる。騎手時代の晩年は梅内忍厩舎所属となって1994年に引退。通算勝利は125勝であった。
騎手引退は梅内厩舎の調教助手となり、1999年に調教師免許を取得。2000年に厩舎を開業。初出走は同年3月4日阪神競馬第10競走のヤマトプリティで2着、初勝利は同年4月23日福島競馬第12競走のマルサンミッキーで、延べ24頭目であった。
安達昭夫 騎手成績
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 122 159 144 1952 .063 .144
障害 3 7 3 27 .111 .370
計 125 166 147 1979 .063 .147
日付 競走名 競馬場 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1979年3月10日 4歳未勝利 阪神 ノトヨーコー 10 – 9着
初勝利 1979年3月10日 – 阪神 フジワカ – – 1着
重賞初騎乗 1979年8月19日 函館記念 函館 ハッコウオー 11頭 8 5着
GI級初騎乗 1979年11月16日 エリザベス女王杯 阪神 ミンドヒカリ 18頭 16 15着
安達昭夫 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2000年3月4日 1回阪神3日10R 鳴門S ヤマトプリティ 16頭 5 2着
初勝利 2000年4月23日 1回福島2日12R 5歳上500万下 マルサンミッキー 12頭 7 1着
重賞初出走 2000年9月3日 3回小倉8日11R 小倉3歳S フィオリトゥーラ 17頭 15 17着
重賞初勝利 2003年12月6日 6回中山1日11R ステイヤーズS チャクラ 10頭 6 1着
GI初出走 2002年5月4日 3回東京6日11R NHKマイルカップ マヤノサリーダ 18頭 17 15着
GI初勝利 2009年12月6日 5回阪神2日11R ジャパンカップダート エスポワールシチー 16頭 1 1着
安達昭夫 代表管理馬
チャクラ(ステイヤーズステークス、目黒記念)
メイショウオスカル(フローラステークス、福島牝馬ステークス)
ヤマトマリオン(フローラステークス、東海ステークス、クイーン賞、TCK女王盃)
バンブーエール(JBCスプリント、クラスターカップ、東京盃)
エスポワールシチー(かしわ記念2勝、マイルチャンピオンシップ南部杯、ジャパンカップダート、フェブラリーステークス、マーチステークス)
サウンドバリアー(フィリーズレビュー)
安達昭夫 関連項目
競馬の調教師一覧
参考文献 [編集]
「日本の騎手」(中央競馬ピーアール・センター編、1981年)
「中央競馬騎手名鑑・1984年版」(日本中央競馬会、1984年)
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相沢 郁(あいざわ いくお、1959年6月19日 – )はJRA美浦トレーニングセンター所属の調教師。
相沢郁プロフィール
美浦の前田禎厩舎で調教助手の経験を経て調教師試験に合格する。
1997年3月 - 調教師免許を取得
1998年3月 - 厩舎開業
1998年11月25日 - 重賞初勝利(ウメノファイバー)
1999年5月30日 - G1初勝利(ウメノファイバー)
2005年6月25日 - 通算100勝を達成
2010年6月20日 - 通算200勝を達成
相沢郁 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1998年3月7日 2回中山3日1R 4歳未勝利 アカバラジョウ 16頭 15 14着
初勝利 1998年5月17日 1回新潟6日12R 5歳上500万下 ベルグエイシ 13頭 3 1着
重賞初出走 1998年8月2日 2回函館8日11R 函館3歳S ウメノファイバー 16頭 15 4着
重賞初勝利 1998年11月14日 5回東京3日11R 京王杯3歳S ウメノファイバー 9頭 6 1着
GI初出走 1998年12月6日 6回阪神2日11R 阪神3歳牝馬S ウメノファイバー 13頭 8 6着
GI初勝利 1999年5月30日 3回東京4日11R 優駿牝馬 ウメノファイバー 18頭 7 1着
相沢郁 主な管理馬
ウメノファイバー(1999年オークスなど重賞3勝)
マイネルコンドル(1999年札幌3歳ステークス)
ジョウテンブレーヴ(2001年マイラーズカップなど重賞4勝)
ダンスインザモア(2005年スプリングステークス、2010年福島記念)
クリールパッション(2010年エルムステークス)
相沢郁 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
松岡正海(2005年-現在 騎手)
斎藤誠(2005年-2006年 調教助手)
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国分 優作(こくぶん ゆうさく、1990年12月27日 – )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「国分」と表記されるが、正しくは「國分 優作」。
双子の弟・国分恭介も栗東所属の騎手。
国分優作プロフィール
2006年4月に競馬学校第25期生として双子の弟・恭介らと共に入学。在学中の3年生時には弟同様、藤田伸二の特別講義を受け[1]、2009年2月に卒業。その際、成績優秀者に贈られるアイルランド大使特別賞を受賞している。
兄・優作は美浦の国枝栄厩舎、弟・恭介は栗東の五十嵐忠男厩舎と東西別れての所属となり、JRAでは柴田大知・柴田未崎以来13年振り2組目の双子騎手となった[2]。なお同期に小野寺祐太、松山弘平、丸山元気などがいる。
しかし2009年は恭介23勝に対し優作は4勝。2010年も恭介52勝に対し優作は3勝と、弟に大きく水を空けられる状況下にあったが、関西では減量騎手の起用に積極的であるという背景を考慮した当時の師匠である国枝の方針もあり、2010年11月より騎手としては珍しく「栗東留学」を行った[3]。
3キロ減の減量騎手ということから乗り鞍を集めた優作は徐々に勝利数も伸ばしはじめ、やがて「勝つまで乗せる」という調教師も現れるようになるなど栗東関係者より信頼を集めるようになる[4]。国枝は「美浦に帰ってくるまでに10勝してこい」と優作を送り出し、当初は2月一杯で美浦に戻す予定であったものの[4]、栗東で成果を出すようになった優作を呼び戻すことはせず、そのまま留め置くようになり2011年3月1日より栗東へ所属変更となった。[5]。
国分優作 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月1日 2回中山2日1R 3歳未勝利 ヒラボクドリーム 16頭 6 14着
初勝利 2009年4月19日 1回福島4日1R 3歳未勝利 ラレーヌデュバル 15頭 7 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 4 3 6 171 .023 .041 .076
2010年 3 12 12 255 .012 .059 .106
中央 7 15 18 426 .016 .052 .094
地方 0 0 0 1 .000 .000 .000
国分優作 脚注
^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
^ ただし双子騎手自体は片方のみJRAでもう片方がNARであれば水野貴広・水野貴史兄弟が既に柴田より先にいた。また両方NARであれば竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫で騎手をしていた松本良平・松本心平兄弟の例もあった
^ KKベストセラーズ「競馬最強の法則」 2011年1月号 p.99
^ a b 2011年2月5日日刊スポーツ関西版
^ 時事ドットコム:国分、水出騎手が所属変更=JRA 2011-02-25閲覧
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国分 恭介(こくぶん きょうすけ、1990年12月27日 – )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「国分」と表記されるが、正しくは「國分 恭介」。
双子の兄・国分優作も栗東所属の騎手。
国分恭介プロフィール
騎手になるきっかけは恭介の身体が小さかったこともあって、母が競馬学校のパンフレットを家に持ち帰り、将来の進路のひとつとして勧めたことがきっかけだったという[1]。
2006年4月に競馬学校第25期生として双子の兄・優作らと共に入学。また、3年生時に藤田伸二の特別講義を受けた一人である[2]。
2009年2月に競馬学校を卒業。JRAでは柴田大知・柴田未崎以来、13年振り2組目の双子騎手となった[3]。同期に小野寺祐太、国分優作、松山弘平、丸山元気がいる。
調教中に落馬負傷したため、同期の他の4人より1週間遅れてのデビューとなった。初騎乗は2009年3月7日、阪神競馬場第1レースのターンオーバーで、14頭立ての11着だった。同年4月25日、京都競馬場第12レースで5番人気スリーサンビームに騎乗し53戦目で初勝利を挙げた。兄・優作から6日遅れての初勝利だった。
2009年9月6日、小倉2歳ステークスでダンツミラションに騎乗し重賞初騎乗(8着)。また、年末に中京競馬場で実施された「中京ヤングバトルシリーズ2009」(ポイント制)で見事優勝し、翌2010年の同シリーズも優勝し連覇を果たす。同年10月17日には府中牝馬ステークスをテイエムオーロラで勝利し、15度目の挑戦で同期一番乗りとなる、JRA重賞初勝利を挙げる。
国分恭介 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月7日 1回阪神3日1R 3歳未勝利 ターンオーバー 14頭 10 11着
初勝利 2009年4月25日 3回京都1日12R 4歳上500万円下 スリーサンビーム 16頭 5 1着
重賞初騎乗 2009年9月6日 3回小倉8日10R 小倉2歳ステークス ダンツミラション 14頭 12 8着
重賞初勝利 2010年10月17日 4回東京4日11R 府中牝馬ステークス テイエムオーロラ 17頭 4 1着
GI初騎乗 2010年11月14日 6回京都4日11R エリザベス女王杯 テイエムプリキュア 17頭 11 17着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 23 29 42 539 .043 .096 .174
2010年 52 34 59 843 .062 .102 .172
中央 75 63 101 1382 .054 .100 .173
地方 0 0 1 7 .000 .000 .143
国分介 脚注
^ 2010年11月16日付中日スポーツ紙面
^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
^ ただし双子騎手自体は片方のみJRAでもう片方がNARであれば水野貴広・水野貴史兄弟が既に柴田より先にいた。また両方NARであれば竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫で騎手をしていた松本良平・松本心平兄弟の例もあった
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