1962年3月、京都競馬場所属の松元正雄厩舎所属でデビューしたが、初年度には1勝も出来ず、初勝利は翌年まで持ち越された。その後、坪重兵衛厩舎に移動ののち、1966年には、坪厩舎の先輩騎手で、新たに開業する伊藤雄二厩舎所属となる。
伊藤厩舎初期の主戦騎手として数々の馬に騎乗し、厩舎初の重賞勝ちを記録するなどして勝ち星も増えたが、梅内慶蔵調教師の女婿となって梅内姓に改称、1972年には義父の厩舎に移籍した。
1972年にデビューしたキシュウローレルにはデビュー戦から騎乗し、デイリー杯3歳ステークスを当時の日本レコードとなる1分22秒2で快勝すると、続く阪神3歳ステークスも快勝したが、桜花賞ではニットウチドリの2着に破れた。
また長女の栄子は、女性調教助手の草分け的存在として知られている。
梅内忍 騎手成績
通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地2312252292241.103.203
障害222024132.167.318
計2532452532373.107.210
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1962年3月17日-ブランドカーン--10着
初勝利1962年3月31日-コールキング--1着
重賞初騎乗・初勝利1963年6月7日アラブ大障害(春)ヒダノオー8頭71着
GI級初騎乗・初勝利1972年12月10日阪神3歳Sキシュウローレル15頭11着
梅内忍 主な騎乗馬
キシュウローレル(阪神3歳ステークス・デイリー杯3歳ステークス)
メジロスイセイ(京都記念・秋)
ミカファスト(京都4歳特別)
デヤレスト(阪神障害ステークス)
梅内忍 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1989年11月26日5回京都8日6R3歳上400万下インターイズミ13頭610着
初勝利1989年4月4日3回中京7日2R2歳未勝利ミノリオージャ15頭51着
重賞初出走1990年4月8日3回阪神6日10R桜花賞テンザンアルファ18頭95着
重賞初勝利1990年8月26日3回小倉6日11R小倉記念スノージェット12頭51着
梅内忍 主な管理馬
スノージェット(1990年小倉記念)
シゲルホームラン(1993年 - 1995年セイユウ記念)
バンブーマリアッチ(1999年愛知杯)
ドンクール(2005年兵庫チャンピオンシップ、2006年名古屋大賞典)
→『梅内忍』の詳細ページへ
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1994年3月、茨城県美浦トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。初勝利は同期開業調教師の中で最も遅く、同年7月3日の札幌開催における未勝利戦をノーブルグラスで勝ったのが最初となった。
しかし以後は順調に勝利を重ね、当年13勝を挙げた。翌1995年7月には初勝利馬ノーブルグラスが札幌スプリントステークスを制し、重賞初勝利を挙げる。
2004年、管理馬ダイワメジャーが皐月賞を制し、GI競走およびクラシック競走初制覇を果たす。同馬は後に競走能力に影響を及ぼす喘鳴症を発症して低迷に陥ったが、手術を施した後は立て直すことに成功し、2007年末の引退までに5つのGI競走に優勝した。
上原博之 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1994年3月5日2回中山3日12R5歳上500万下メイスンボサツ16頭1211着
初勝利1994年7月3日1回札幌8日3R4歳未勝利ノーブルグラス8頭11着
重賞初出走1994年4月9日3回中山5日9R中山大障害(春)ロンゲット6頭55着
重賞初勝利1995年7月16日2回札幌4日11R札幌スプリントSノーブルグラス16頭91着
GI初出走1995年10月29日4回東京8日10R天皇賞(秋)スガノオージ17頭815着
GI初勝利2004年4月18日3回中山8日11R皐月賞ダイワメジャー18頭101着
上原博之 主な管理馬
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
ノーブルグラス(1995・1996年札幌スプリントステークス)
スガノオージ(1995年毎日王冠 1996年カブトヤマ記念)
ダイワルージュ(2000年新潟3歳ステークス)
ダイワメジャー(2004年皐月賞、2006年天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、2007年安田記念、マイルチャンピオンシップなど重賞8勝)
フェリシア(2004年フェアリーステークス)
ショウナンタキオン(2005年新潟2歳ステークス)
プレミアムボックス(2008年オーシャンステークス 2009年CBC賞、京阪杯)
ダイワワイルドボア(2008年セントライト記念)
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騎手としてバンブーアトラスで東京優駿(日本ダービー)、ラフオンテースで阪神3歳ステークスなどに優勝し、調教師として顕彰馬・テイエムオペラオーを管理した。2000年度JRA賞最多賞金獲得調教師。
初出走は同年12月2日、阪神競馬第8競走のアールカップで9着、初勝利は翌1990年1月15日、京都競馬第2競走のミヤジペガサスで挙げた(延べ14頭目)。同年の小倉3歳ステークスをテイエムリズムで制して重賞初勝利を挙げた。
1996年より和田竜二が所属騎手となっている。1999年の皐月賞を和田騎乗のテイエムオペラオーで制し、岩元の調教師としてのJRAGI初勝利と共に和田のGI初勝利を飾っている。
2000年には同馬がGI競走を次々と制して8戦無敗という成績でシーズンを終え、この年最多獲得賞金調教師のタイトルを獲得した。
冠名「テイエム」を使用する垂水町(現・垂水市)出身の馬主・竹園正繼は幼馴染で、岩元がバンブーアトラスで勝った東京優駿(日本ダービー)の勝利騎手インタビューを偶然見たことがきっかけで馬主になったという逸話がある。
キングラナーク(1977年中日新聞杯 1978年中京記念、大阪杯)
スリーファイヤー(1978年阪急杯、金鯱賞 1979年中日新聞杯、北九州記念)
ネーハイジェット(1979年きさらぎ賞、神戸新聞杯)
ラフオンテース(1979年阪神3歳ステークス、デイリー杯3歳ステークス 1981年北九州記念、小倉大賞典、朝日チャレンジカップ)
マリージョーイ(1980年金鯱賞)
バンブーアトラス(1982年東京優駿)
シンブラウン(1983年・1984年阪神大賞典)
岩元市三 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1989年12月2日5回阪神1日8R3歳上400万下アールカップ10頭109着
初勝利1990年1月15日1回京都6日2R3歳未勝利ミヤジペガサス12頭31着
重賞初出走1990年1月28日1回阪神2日11R京都牝馬特別ファンドリポポ14頭811着
重賞初勝利1990年9月2日3回小倉8日11R小倉3歳Sテイエムリズム13頭81着
GI初出走1991年4月7日3回京都6日10R桜花賞テイエムリズム18頭1814着
GI初勝利1999年4月18日3回中山8日11R皐月賞テイエムオペラオー17頭51着
重賞競走31勝(うちGI競走7勝)
岩元市三 主な管理馬
テイエムリズム(1990年小倉3歳ステークス)
ファンドリポポ(1990年朝日チャレンジカップ)
シンホリスキー(1991年スプリングステークス、きさらぎ賞)
グランドシンゲキ(1993年 アーリントンカップ)
ポレール(1996年中山大障害・春、中山大障害・秋、東京障害特別・春、阪神障害ステークス・秋 1997年中山大障害・春)
サージュウェルズ(1996年ステイヤーズステークス)
テイエムトップダン(1997年毎日杯)
テイエムオペラオー(1999年毎日杯、皐月賞 2000年京都記念、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念、京都大賞典、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念2001年天皇賞(春)、京都大賞典)
ポートブライアンズ(1999年福島記念)
テイエムトッキュー(1999年カブトヤマ記念)
ファンドリロバリー(2000年阪神スプリングジャンプ)
ユーセイシュタイン(2001年京都ジャンプステークス)
トッププロテクター(2002年北九州記念)
クーリンガー(2004年佐賀記念、名古屋大賞典2005年名古屋大賞典、マーチステークス 2006年マーキュリーカップ)
岩元市三 受賞歴
jRA賞最多賞金獲得調教師(2000年)
JRA賞優秀技術調教師(1999年)
優秀調教師賞(関西)4回(1990年、1991年、1999年、2000年)
和田竜二(騎手、1996年3月 - 2010年3月)
出津孝一(騎手、2010年5月 - 2010年10月調教助手、2010年10月 - )
鈴木孝志(調教助手、1995年4月 - 2009年2月)
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岩戸 孝樹(いわと たかき、1966年7月23日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター北に所属している調教師で、元騎手である。
1985年3月美浦・山崎彰義厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には柴田善臣、石橋守などがいる。
現役生活16年間で重賞勝利や表彰等の特筆すべき実績は無く、2000年2月調教師免許の取得に伴い現役を引退。
騎手成績は中央通算1909戦83勝、地方通算31戦1勝であった。
その後、技術調教師研修などを経て2002年3月、定年解散となった山崎彰義厩舎を引き継ぐ形で厩舎を開業。競馬学校騎手課程を卒業した騎手として初の調教師となる。
開業初年度こそ7勝に終わったものの、以後は勝利数を2桁を維持し続け、2007年11月に管理馬であるフサイチアソートが東京スポーツ杯2歳ステークスを制し開業6年目で重賞初勝利を達成。その翌年の京王杯2歳ステークスにて通算100勝を2度目の重賞勝利で飾っている。
岩戸孝樹 騎手成績
通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 83 122 140 1909 .043 .107
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1985年3月2日 - セッテフローラ 11頭 - 6着
初勝利 1985年3月24日 - タイウイナー - - 1着
重賞初騎乗 1989年9月17日 タマツバキ記念 セッテノベラ 12頭 3 12着
岩戸孝樹 主な騎乗馬
セッテノベラ(1988年アラブ大賞典など、アラブ系オープン特別競走3勝)
タイジョイナー(1990年ラジオたんぱ賞3着)
岩戸孝樹 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2002年3月2日 1回中山3日7R 4歳上500万下 デルマアベンヌ 16頭 15 15着
初勝利 2002年3月10日 1回中京4日6R 4歳上500万下 コールミークイーン 16頭 8 1着
重賞初出走 2003年8月3日 2回新潟6日11R 関屋記念 クロンヌドール 16頭 16 13着
重賞初勝利 2007年11月17日 5回東京5日11R 東京スポーツ杯2歳S フサイチアソート 15頭 9 1着
GI初出走 2004年4月17日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ フサイチジハード 15頭 4 中止
岩戸孝樹 主な管理馬
フサイチアソート(2007年東京スポーツ杯2歳ステークス)
ゲットフルマークス(2008年京王杯2歳ステークス)
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稲葉 隆一(いなば りゅういち、1941年5月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。
元JRA調教師の稲葉幸夫は実父。
1963年、東京競馬場の稲葉幸夫厩舎で調教助手となる。
同年8月31日、新潟3歳ステークスでクリールサイクロンが勝利し、平地重賞初勝利。
1998年12月20日、スプリンターズステークスでマイネルラヴが勝利し、GI初勝利を挙げる。
2011年には70歳定年引退直前に中山グランドジャンプでマイネルネオスが勝利を挙げた。
2008年終了時点の成績は平地464勝、障害26勝(JRAのみ)。
稲葉隆一 主な管理馬
マイネルトレドール(1997年・東京障害特別・春)
クリールサイクロン(1998年・スプリングステークス他重賞2勝)
マイネルラヴ(1998年・スプリンターズステークス他重賞3勝)
マイネルコンバット(2000年・ジャパンダートダービー)
サクセスストレイン(2001年・クイーンカップ)
マイネヌーヴェル(2003年・フラワーカップ)
マイネルスケルツィ(2006年・ニュージーランドトロフィー他重賞2勝)
マイネルチャールズ(2008年・弥生賞他重賞2勝)
ドリームパスポート(2008年1月に松田博資厩舎から転厩)
マイネルアワグラス(2008年・シリウスステークス)
マイネルネオス(2011年・中山グランドジャンプ)
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同期に岡部幸雄、柴田政人、福永洋一らがおり、優秀な成績を挙げた事から、のちに「馬事公苑花の15期生」と呼ばれる世代である。1966年に尾形藤吉厩舎所属の騎手見習いとなり、1968年に騎手としてデビュー。
この他では1982年の第86回天皇賞(秋)をメジロティターンで、1973年の第23回安田記念をハクホオショウで制した(但し当時同競走はハンデキャップ競走)。
1987年2月に引退。
1999年にエアジハードで安田記念、マイルチャンピオンシップを制す。他にはマイネルブリッジ(NHK杯など3勝)、ローエングリン(マイラーズカップなど4勝)など重賞は通算19勝。
2008年、エアデジャヴーを母に持つエアシェイディでアメリカジョッキークラブカップを制す。
翌年の2009年にはネヴァブションが制覇、2010年もコンビを組む横山典弘の好騎乗によりネヴァブションはアンバーシャダイ以来史上2頭目となるアメリカジョッキークラブカップ連覇を達成。
伊藤正徳も二本柳俊夫元調教師(1981年ホウヨウボーイ、1982、1983年アンバーシャダイ)以来史上2人目のアメリカジョッキークラブカップ3連覇となった。
伊藤正徳騎手成績
1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地2762322142089.132.243
障害65225.240.440
計2822372162114.133.246
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1968年3月2日-コキンホース--6着
初勝利1968年8月24日-フリートターフ--1着
重賞初騎乗1968年11月10日カブトヤマ記念クレバーミナド14頭138着
重賞初勝利1968年11月24日東京障害特別(秋)フリートターフ6頭11着
GI級初騎乗1970年11月28日天皇賞(秋)ハクエイホウ13頭912着
GI級初勝利1977年5月29日東京優駿ラッキールーラ28頭91着
伊藤正徳 主な騎乗馬
フリートターフ(東京障害特別(秋))
ヒガシライト(日本短波賞)
ヤシマライデン(京成杯・東京4歳ステークス)
ムツミマサル(アラブ王冠(秋))
リキショウ(アラブ王冠(春))
ハクホオショウ(安田記念)
ウエスタンダッシュ(京成杯・金杯(東))
ラッキールーラ(弥生賞・日本ダービー)
タケノハッピー(クイーンステークス・ダービー卿CT)
メジロティターン(セントライト記念・日経賞・天皇賞(秋))
ヨロズハピネス(金杯(東))
伊藤正徳 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1988年3月5日2回東京3日8R5歳上400万下トーヨーテイオー14頭511着
初勝利1988年5月15日1回新潟8日8R4歳上400万下エイコーフィバー13頭111着
重賞初出走1989年3月12日2回中山6日11R中山記念アイアンシロー13頭1213着
重賞初勝利1990年9月30日4回中山8日11RクイーンSウィナーズゴールド13頭81着
GI初出走1989年5月21日3回東京2日10R優駿牝馬エバープロスパー24頭89着
GI初勝利1999年6月13日3回東京8日11R安田記念エアジハード14頭41着
伊藤正徳 主な管理馬
エアジハード(安田記念、マイルチャンピオンシップ、富士ステークス)
マイネルブリッジ(NHK杯、七夕賞、福島記念)
ホッカイセレス(府中牝馬ステークス、中山牝馬ステークス)
エアデジャヴー(クイーンステークス、優駿牝馬2着)
ローエングリン(中山記念2勝、マイラーズカップ2勝)
ネヴァブション(日経賞、アメリカジョッキークラブカップ2勝)
エアシェイディ(アメリカジョッキークラブカップ)
カテゴリ : 調教師 あ行, 調教師 一覧
伊藤 大士(いとう だいし、1972年11月29日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。
1997年、競馬学校卒業後の4月から美浦・森安弘昭厩舎所属の厩務員となり、6月に美浦・上原博之厩舎に転厩して調教助手に転向した。
2009年、2月12日にJRA調教師免許試験に合格したことが発表され、3月1日付で調教師免許免許を取得した。
伊藤 大士の記録
中央競馬
日付競馬場・開催・レース競走名格馬名頭数人気着順
初出走2009年5月23日1回新潟7日第8競走4歳以上500万以下マイネアクトナイン161212
初勝利2009年7月11日2回福島7日第10競走郡山特別3歳以上500万以下ショウナンダンク1611
重賞初出走2009年8月9日2回札幌4日第9競走函館2歳ステークス2歳JpnIIIバトルレッド16816
重賞初勝利未勝利
GI初出走未出走
GI初勝利
地方競馬
日付競馬場・開催・レース競走名格馬名頭数人気着順
初出走2009年8月5日浦和第7競走ツインメイト特別3歳スピードスクエア1023
初勝利未勝利
伊藤 大士エピソード
調教師免許取得の同期には、清水久詞、鈴木孝志、田島俊明、牧浦充徳、和田正一郎の5人がおり、清水とは同い年、鈴木とは同じ愛知県出身者でもある。
大竹正博は大学の先輩にあたる。
目標とする調教師は、自身が調教助手として所属した上原博之だと新規調教師プロフィールの欄で語っている
調教師へなることの志望動機は、「馬に携わる仕事を行っていく中で、調教師が一番「華」があり、やりがいのある仕事だと思ったので志望しました。」
と新規調教師プロフィールの欄で語っている。
調教師免許合格の際には、「競馬を取り巻く環境は厳しいですが、まずは自分自身が調教師としての仕事を楽しみたいと思います。
といったコメントを新規調教師プロフィールの欄に残した。
競馬サークルには伊藤姓は多いが競馬サークル内に血縁関係者はいない。
カテゴリ : 調教師 あ行, 調教師 一覧
1999年騎手課程15期生として騎手デビュー、当時の所属は美浦・大久保洋吉厩舎。主な同期騎手に北村宏司・高田潤などがいる。
デビュー2年目の2000年には障害競走への騎乗もあったが落馬により競走中止という結果に終わっており、障害での騎乗はこの1回だけとなっている。なお障害免許は2011年現在も保有している。
2005年には特別競走3勝を含む10勝を記録し、5年ぶりに勝利数を2桁台に乗せるが、2008年にデビュー以来所属していた大久保洋吉厩舎を離れフリーへと転向。
フリーと所属騎手を繰り返す2008年以降は騎乗数が2桁台に落ち込み、年間通じ未勝利に終わることもあるなど苦戦が続いている。
高橋智大 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平地 初騎乗 1999年3月7日 2回中山4日4R 4歳新馬 ショウナンパーク 14頭 12 11着
初勝利 1999年5月9日 1回新潟4日3R 4歳未出走 グレイトフェロー 15頭 3 1着
重賞初騎乗 2000年1月23日 1回中山8日11R AJCC アールニセイ 14頭 13 11着
障害 初騎乗 2000年3月4日 2回中山3日5R 障害オープン メジロスパーク 7頭 7 中止
カテゴリ : 騎手, 騎手 た行
2007年、10月24日に4度目の受験となるJRAの平成20年度新規騎手免許第1次試験を受験し、11月15日に発表された合格者の中に含まれていたことが明らかになった。中央競馬で1度も騎乗経験のない地方の騎手が1次試験を合格するのは初めてのことである。
2008年、2月14日に第2次試験の合格が発表され、高知県競馬組合所属騎手および中央競馬で騎乗経験のない地方の騎手として初めてJRAの騎手試験合格者となる。同年2月24日には高知競馬場で壮行式が行われ、「飛翔タカノ壮行特別」が地方競馬騎手最後の騎乗となった(1番人気10着)。
2008 年3月1日付で美浦・二ノ宮敬宇厩舎所属騎手としてJRA騎手免許交付。デビュー同期に伊藤工真、大江原圭、三浦皇成の3人と、大井から移籍してきた内田博幸がいる。
同日、中山競馬第3競走でハイブリッドスターに騎乗しJRA初騎乗(10着)、5月18日、新潟競馬第3競走でアンブロークンに騎乗しJRA移籍後初勝利を挙げた。
2010年4月21日付で二ノ宮厩舎を離れフリー騎手となり[1]、翌22日から所属先を栗東トレーニングセンターに移した。
鷹野宏史 エピソード
日本中央競馬会の騎手免許取得時にすでに次男・文裕は2008年4月より競馬学校へ入学しており、父は騎手免許、息子は入学試験に合格した。次男は横山典弘の長男・和生と同期である。
ただし文裕は2010年までに競馬学校を退学した。
鷹野宏史 主な騎乗馬
セントリチカラ(1985年南国桜花賞)
ファンドリボーイ(1986年高知優駿)
キャプテンライジン(1992年南国桜花賞)
サクラアラシオー(1994年二十四万石賞、珊瑚冠賞)
トモエスター(1995年南国桜花賞)
パープルマジック(1997年高知県知事賞)
マサミネオー(1997年黒潮スプリンターズカップ)
セクチオ(1997年金の鞍賞)
マルカイッキュウ(1998年高知県知事賞、二十四万石賞、建依別賞、1999年高知県知事賞)
キング(2003年珊瑚冠賞)
ナイキアフリート(2004年珊瑚冠賞)
マルチシークレット(2006年黒潮皐月賞)
鷹野宏史 騎乗成績
地方競馬
14345戦2190勝
中央競馬
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2008年3月1日2回中山1日3R3歳未勝利ハイブリッドスター12頭910着
初勝利2008年5月18日1回新潟6日3R3歳未勝利アンブロークン15頭21着
重賞初騎乗2008年3月22日2回中山7日11Rフラワーカップラヴドシャンクシー16頭1512着
カテゴリ : 騎手, 騎手 た行
2004年3月美浦の小檜山悟厩舎所属騎手としてデビュー。同期に藤岡佑介・川田将雅・吉田隼人らがいる。
JRAデビューに先立ち3月2日、高崎競馬場7Rの中央交流競走でコウテイノユメに騎乗、初騎乗初勝利を飾る。
同馬は高野が所属する小檜山厩舎の管理馬であり、競馬場には小檜山自身も臨場、高野の騎乗にあたり、「どうせ指示してもその通りに乗れるわけはないんで、特に位置取りなどは指示せず「みんなと一緒にしっかり乗ってこい」とだけ言って送り出しました。」とコメントを残している。
地方競馬にて幸先のよいスタートを切った高野であるが、減量騎手としての3年間の平地勝利は僅か3勝と苦戦。
減量が取れる2006年春からはそれまで所属していた小檜山厩舎を離れフリーの騎手へと転向。
また同時に乗り鞍を増やすべく障害競走への騎乗を開始し同年12月に障害初勝利を記録、近年では平地への騎乗は減少するも、それと入れ替わる形で障害競走中心の騎乗となっている。
高野和馬 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗2004年3月6日1回中京1日4R3歳未勝利アンジェリーナ16頭1111着
初勝利2004年4月18日1回福島6日5R3歳未勝利ノーザンスター16頭91着
障
害初騎乗2006年4月9日3回中山6日4R障害未勝利ワンダーエベレスト14頭1313着
初勝利2006年12月17日5回中山6日5R障害未勝利マイネルアントス14頭11着
重賞初騎乗2006年8月19日3回新潟3日10R新潟ジャンプステークストウカイブレーン14頭1313着
カテゴリ : 騎手, 騎手 た行