田嶋翔
妻は小島貞博調教師の次女。
2000年に美浦・大江原哲厩舎所属で騎手デビュー。
同期に梶晃啓、西原玲奈などがいる。2000年3月4日中山競馬12競走でエイキューガッツで初騎乗(2着)。
2004年には中山グランドジャンプでGI初騎乗。同じ日には娘も生まれている。
2005年には、桜花賞で平地GIおよびクラシックに初騎乗。この時のパートナーであるテイエムチュラサンは後にアイビスサマーダッシュで重賞制覇。
妻は小島貞博調教師の次女。
2000年に美浦・大江原哲厩舎所属で騎手デビュー。
同期に梶晃啓、西原玲奈などがいる。2000年3月4日中山競馬12競走でエイキューガッツで初騎乗(2着)。
2004年には中山グランドジャンプでGI初騎乗。同じ日には娘も生まれている。
2005年には、桜花賞で平地GIおよびクラシックに初騎乗。この時のパートナーであるテイエムチュラサンは後にアイビスサマーダッシュで重賞制覇。
父は太宰義人元調教師。
1998年競馬学校騎手課程第14期生、太宰義人厩舎所属騎手としてデビュー。
同期には池添謙一、白浜雄造らがいる。デビュー年は合計34勝を挙げ関西のフェアプレー賞を受賞、また2006年にも同賞を受賞した。
初騎乗・初勝利馬の他、重賞・GIへの初騎乗馬も父の管理馬にて記録するなどデビュー後、父義人より管理馬の大半の騎乗を託されていた。
2005年4月にフリー騎手となるが、転向後も騎乗馬・勝利数を伸ばし、2009年には自己最高となる45勝を挙げ、デビュー年度より13年連続で2桁勝利を記録している。
なお、当初は2007年3月21日付けで再び太宰義人厩舎所属となる予定であったが、19日に父が亡くなった為に引き続きフリーとなっている。
デビュー1年目の函館3歳ステークスを皮切りに毎年重賞への騎乗を続け、2000年根岸ステークスや2001年菊花賞などでの連対実績もあるが、勝ち星を挙げるまでには至らずJRA重賞は未勝利であったが、2011年4月23日に、福島牝馬ステークスをフミノイマージンで優勝し、14年目にして重賞初勝利を挙げた。
6月19日にはマーメイドステークスでフミノイマージンに騎乗し、重賞2勝目を挙げた。
太宰啓介 主な騎乗馬
エイシンサンルイス(2000年プロキオンステークス2着、根岸ステークス2着、シリウスステークス2着)
マイネルデスポット(2001年菊花賞2着)
アイティースワロー(2001年霧島賞、2002年シルクロードステークス3着)
ダイナミックグロウ(2008年阿蘇ステークス)
クラウンプリンセス(2009米子ステークス・ポートアイランドステークス・小倉記念3着)
フミノイマージン(2011年福島牝馬ステークス、2011年マーメイドステークス)
太宰啓介 騎乗成績
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率備考
1998年342330410.083.139.212フェアプレー賞(関西)
1999年192921327.058.147.211
2000年212628363.058.129.207
2001年212523348.060.132.198
2002年232321437.053.105.153
2003年172128350.049.109.189
2004年141418233.060.120.197
2005年181925297.061.125.209
2006年333127393.084.163.232フェアプレー賞(関西)
2007年232427477.048.099.155
2008年252527509.049.098.151
2009年452943647.070.114.181
2010年303046736.041.082.144
中央3233193645527.058.116.182
地方242128207.116.217.353
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1998年3月1日1回中京2日1R4歳未勝利ターフプロテクター14頭36着
初勝利1998年3月8日1回中京4日8R5歳上500万円下エンジェルスポート15頭11着
重賞初騎乗1998年8月2日2回函館8日11R函館3歳ステークスラバーズミス16頭76着
重賞初勝利2011年4月23日1回新潟1日11R福島牝馬ステークスフミノイマージン16頭91着
GI初騎乗1998年11月22日6回京都6日11Rマイルチャンピオンシップマウントアラタ13頭1213着
武豊 テレビ出演
マスメディアへの初出演は1987年の『素敵!
KEI-SHU5』であった。このときの新聞テレビ欄の見出しには「18歳の天才騎手登場!」
賀来千香子などと共演した。
ファイト(2005年、NHK「連続テレビ小説」)
特別出演(9月放映)。
ごくせん(第3シリーズ)(2008年6月28日、日本テレビ)
武豊 その他の番組
武豊レギュラー
武豊TV! → 武豊TV!
II(フジテレビワンツーネクスト)
武豊 過去の出演
笑っていいとも!(フジテレビ)
名物コーナーであるテレフォンショッキングに出演。
1回目は1989年12月21日で早見優から紹介されて、当時交際中の佐野量子を紹介し、2回目は2002年1月9日で小泉孝太郎から紹介されて陣内孝則を紹介した。
女子アナ新年会(1990年1月2日、フジテレビ)
痛快!
明石家電視台(1990年4月30日、毎日放送)
クイズダービー(1991年2月23日、TBS)
プロ野球オールスターゲーム(1991年7月24日、広島テレビ)ゲスト
徹子の部屋(1991年、テレビ朝日)
スポーツ100万倍(1994年4月19日、NHK)
さんまのナンでもダービー(1995年9月26日、テレビ朝日)
とんねるずのみなさんのおかげです(1996年4月11日、フジテレビ)
「食わず嫌い王決定戦」で杉本清と対戦、結果は勝ち。嫌いなものはクリームシチュー(にんじん)。
プロ野球オールスターゲーム(1996年7月21日、テレビ朝日)ゲスト
Grade-A(1997年5月11日、フジテレビ・関西テレビ)
とんねるずの本汁でしょう(1997年、フジテレビ)
トップランナー(1997年6月13日、NHK)
はなまるマーケット(1997年8月4日・2008年2月26日、TBS)
FAN(1998年3月27日、日本テレビ)
SMAP×SMAP(1999年5月3日・2006年5月29日、関西テレビ・フジテレビ)
情熱大陸(1999年9月12日・2001年10月28日・2010年10月24日、毎日放送)
夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!
スペシャル(2000年1月3日・2006年1月3日・2010年1月2日、テレビ朝日)
ウチくる!?(2001年4月8日、フジテレビ)
クイズ$ミリオネア(2003年4月3日、フジテレビ)
1000万円を懸けた最終問題に挑戦したが、不正解に終わった。
木梨ガイド・週末の達人(2003年7月18日、フジテレビ)
すぽると!(2003年11月8日、フジテレビ)
ZONE(2004年1月18日、TBS)
土曜インタビュー(2004年5月8日、NHK)
新型テレビ(2004年10月13日、福岡放送)
とんねるずのみなさんのおかげでした(2005年12月22日、フジテレビ)
「新・食わず嫌い王決定戦」で吉田秀彦と対戦、結果は引き分け。
MAX(2006年4月25日、TBS)
NANDA!?(2006年9月22日・29日、テレビ朝日)
アスリート応援TV!
ニッポン!チャ×3(2006年12月9日、TBS)
浜田雅功の新春太っ腹!
スーパースターにお年玉あげちゃおうSP(2007年1月3日、フジテレビ)
行列のできる法律相談所(2007年3月18日、日本テレビ)
Music Lovers(2007年4月15日、日本テレビ)
武=孝太郎(2007年4月 – 9月、フジテレビ)
トップランナー10周年スペシャル~ゴールはまだ先にある(2007年7月28日、NHK)
とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ)
「新・食わず嫌い王決定戦」でTIMと対戦、結果は負け。嫌いなものはうずらの卵。
デビュー当時「武邦彦の息子」と言われたことに発奮し「武邦彦の息子ではなく、父のことを『武豊の父』と言わせてみせます」と発言した。デビュー直後の関西競馬四季報(1987年秋号)では、「父子鷹・武邦彦調教師・武豊騎手」として特集が組まれていた。
デビューした1987年にトウカイローマンでジャパンカップに出走した際には「デビューの年にジャパンカップに騎乗できるなんて、そうそうない」と語った(実際に菊花賞とジャパンカップの新人騎乗は武が史上初であった)。
2001年12月、ワールドスーパージョッキーズシリーズの最終戦で、カウボーイ姿(武のアイデア)で誘導馬に騎乗し、出走馬を先導していた。
2002年に死んだサンデーサイレンスのたてがみをお守りとして財布の中に入れている。
2005年3月20日に行われた岡部幸雄騎手の引退セレモニーで、「数々の記録を破ってすいませんでした」との発言をし場内を沸かせていた。
2005年の第66回菊花賞の勝利騎手インタビューで「もし負けたら向こう正面から帰ろうと思ってました」と話しファンの笑いを誘っていた。
2005年、戦後初の天覧競馬となった第132回天皇賞においてJRA所属騎手を代表し今上天皇の出迎えを行った。
武豊展
騎手デビュー20周年にあたっては、日本各地で記念展が開催された。優勝カップや馬具、プライベート写真などの展示、VTR上映等が行われた。
2006年2月23日 – 27日タカシマヤ新宿店
2006年4月19日 – 24日高島屋京都店(四条河原町)
2006年8月30日 – 9月4日伊勢丹小倉店(北九州市)
2007年2月7日 – 15日高島屋大阪店(なんば)
2007年4月25日 – 5月6日高島屋米子店
2007年12月18日 – 24日三越名古屋店(栄)
その他、ウインズ広島にて2006年9月23日 – 10月1日にパネル展が開かれるなど、競馬場内やウインズ各地にて、さまざまなイベントが行われている。
武豊 その他
佐野量子との結婚式は1995年6月5日に京都の教会で伊集院静・篠ひろ子夫妻を立会人に行われた[6]。
競艇の松井繁とは非常に仲が良く(生まれた年は同じだが、武が早生まれのため武が1学年上になる)、2006年には第21回住之江賞金王を制した松井にゴルフ代と食事を奢ってもらった経験もある。
阪神タイガースファン[8]で、阪神の選手と親交も深い。
甲子園で阪神-巨人戦の始球式を務めたこともある。
2005年、「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2005」受賞[9]。
2005年、雑誌「Number」が選ぶ2005年度MVP受賞。
愛知県知多郡にある武豊町(たけとよちょう)には数回招かれ、1989年には一日町長を務めたこともある[10]。
同町にあるJR東海・武豊線の武豊駅の改札口上には一時期サイン色紙が飾られていた。
2006年10月20日、福岡中2いじめ自殺事件の中学2年の生徒がディープインパクトのファンであったため、両親に対し「天国で応援して」と色紙を送った。
武豊 成績表
西暦勝利数・勝率連対率表彰歴
1987年69勝(.125)(.238)JRA賞(最多勝利新人騎手)
1988年113勝(.169)(.306)史上最年少関西リーディングジョッキー
1989年133勝(.183)(.340)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1990年116勝(.160)(.324)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1991年96勝(.150)(.291)優秀騎手賞
1992年130勝(.215)(.345)JRA賞(最多勝利騎手)
1993年137勝(.196)(.392)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)・フェアプレー賞
1994年134勝(.230)(.388)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手)
1995年134勝(.193)(.343)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1996年159勝(.211)(.340)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1997年168勝(.233)(.371)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
1998年169勝(.226)(.366)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
1999年178勝(.220)(.396)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
2000年130勝(.236)(.362)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2001年65勝(.183)(.315)-
2002年133勝(.291)(.435)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
2003年204勝(.236)(.384)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2004年211勝(.231)(.372)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2005年212勝(.248)(.398)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2006年178勝(.225)(.375)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2007年156勝(.219)(.372)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手・特別賞)、関西スポーツ賞
2008年143勝(.219)(.355)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手)
2009年140勝(.182)(.320)JRA賞(最多賞金獲得騎手)
2010年69勝(.167)(.281)-
武 豊(たけ ゆたか、1969年3月15日-)とは日本中央競馬会(JRA)の騎手である。
1987年の騎手デビュー以降、JRAにおいて数々の記録を更新し「天才」と呼ばれることも多い。2010年4月12日に日本騎手クラブの東西役員総会で柴田善臣の後任として会長に選出され[2][3]、同年9月16日に就任した[4]。
未勝利の国内平地GIおよびJpnIはマイルチャンピオンシップ、朝日杯フューチュリティステークス(JRA主催分)、かしわ記念
武豊 成績
武豊 記録年表
1987年
栗東・武田作十郎厩舎所属でデビュー。初騎乗は3月1日1回阪神2日目第4競走アグネスディクター(2着)。
1988年
4月16日に史上最年少(19歳1ヶ月)でJRA通算100勝達成。(史上最速100勝記録は2009年2月7日に三浦皇成が更新)。
菊花賞でスーパークリークに騎乗し初GI勝利にして史上最年少(19歳8ヶ月)でクラシック制覇。
1989年
3月4日に史上最速・最年少(19歳11ヶ月)でJRA通算200勝達成。
11月25日に史上最速・最年少(20歳8ヶ月)でJRA通算300勝達成。
この年は133勝を挙げ、自身初の全国リーディングジョッキーとなる。
1990年
8月5日に史上最速・最年少(21歳5ヶ月)でJRA通算400勝達成。
1991年
7月21日に史上最速・最年少(22歳4ヶ月)でJRA通算500勝達成。
天皇賞(春)でメジロマックイーンに騎乗し、史上初の同一競走4連覇を達成。
8月29日に史上最速・最年少(23歳9ヶ月)でJRA通算600勝達成。
1993年
4月17日に史上最速・最年少(24歳1ヶ月)でJRA通算700勝達成。
桜花賞(ベガ)・皐月賞(ナリタタイシン)・優駿牝馬(ベガ)と春のクラシックを3連覇。
1994年
1月6日に史上最速・最年少(24歳10ヶ月)でJRA通算800勝達成。
フランス・ロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞でスキーパラダイスに騎乗し、JRA所属の騎手としては初めての海外G1勝利。
9月11日に史上最速・最年少(25歳5ヶ月)でJRA通算900勝達成。
1995年
7月23日に史上最速・最年少(26歳4ヶ月)でJRA通算1000勝を武邦彦管理馬のエールノコイビトで達成。
1996年
2月10日の京都競馬第8競走で勝利し、1999年9月5日に途絶えるまでの騎乗機会連続週勝利の開始。
4月1日に史上最速・最年少(27歳1ヶ月)でJRA通算1100勝達成。
11月9日に史上最速・最年少(27歳7ヶ月)でJRA通算1200勝達成。
1997年
6月28日に史上最速・最年少(28歳3ヶ月)でJRA通算1300勝達成。
北九州記念でダンディコマンドで優勝し、史上最速・最年少(28歳4ヶ月)でJRA重賞通算100勝達成。
函館3歳ステークスでアグネスワールドに騎乗、史上2人目の中央競馬全10場重賞制覇達成。
この年は初めて騎手主要3タイトルを総なめにし、史上2人目の騎手大賞を受賞。
1998年
1月24日に史上最速・最年少(28歳10ヶ月)でJRA通算1400勝達成。
8月9日、フランス・ドーヴィル競馬場のモーリス・ド・ゲスト賞でシーキングザパールに騎乗し、日本調教馬初の海外G1制覇に導く。
8月23日に史上最速・最年少(29歳5ヶ月)でJRA通算1500勝達成。
1999年
3月28日に史上最速・最年少(30歳1ヶ月)でJRA通算1600勝達成。
6月6日、東京優駿(日本ダービー)でアドマイヤベガに騎乗、史上初となる日本ダービー連覇達成。
1999年、栗東の領家政蔵厩舎に所属し騎手デビュー。初騎乗は3月1日、高知競馬第3競走の1番人気ミシマリンボスターで、9頭立ての8着。
JRAの新人騎手の初騎乗が地方競馬だったのは史上初の事だった。中央競馬初騎乗は3月6日、阪神第2競走のラインフォレストで、10頭立ての5着。
2001年6月21日にフリーとなり、2005年10月4日栗東の田所清広厩舎所属となる。2006年4月1日に栗東の山内研二厩舎に所属変更、2009年10月1日より再びフリーとなる。
2008年に5年ぶりの重賞騎乗があったが2010年現在重賞勝ちは無く、2000年愛知杯でブルーエンプレスに騎乗し2着が最高成績となっている。
武英智 主な騎乗経験馬
ハギノハイグレイド(2勝)
タッチオブゴールド(3勝、2006年新潟2歳ステークスを勝ったゴールドアグリの母)
メルシーエイタイム(1勝、後に2005、2006年中山大障害2着)
武英智 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1999年3月6日1回阪神3日2R3歳未勝利ラインフォレスト10頭55着
初勝利1999年4月11日2回中京6日8R5歳上500万円下ユメノセテコウユー16頭21着
重賞初騎乗1999年11月21日3回福島8日11R福島記念ピサノガレー14頭95着
GI初騎乗2002年11月10日5回京都4日11Rエリザベス女王杯ビルアンドクー13頭1211着
武 幸四郎(たけ こうしろう、1978年11月3日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である。
初騎乗は1997年3月1日、阪神競馬第1競走でメイショウユリヒメに騎乗し、13頭立ての6着に終わる。3月2日、マイラーズカップでオースミタイクーンに騎乗し、11番人気で快勝。
初勝利が重賞という快挙を成し遂げた。同年のJRA賞で最多勝利新人騎手を受賞した。
兄・豊も最多勝利新人騎手を受賞しており、JRA史上初の兄弟受賞であった。
武幸四郎 騎乗成績
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
1997年373936492.075.154.228
1998年313248526.059.120.211
1999年626566648.096.196.298
2000年595550630.094.181.260
2001年476752594.079.192.279
2002年494735534.092.180.245
2003年494344587.083.157.232
2004年616363680.090.182.275
2005年284037456.061.149.230
2006年594942567.104.190.265
2007年324034456.070.158.232
2008年343136484.070.134.209
2009年182117379.047.103.148
中央5665925607033.080.165.245
地方202518171.117.263.368
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗1997年3月1日1回阪神3日1R4歳未勝利メイショウユリヒメ13頭36着
初勝利
重賞初騎乗
重賞初勝利1997年3月2日1回阪神4日11Rマイラーズカップオースミタイクーン14頭111着
GI初騎乗1997年11月16日5回京都6日11Rマイルチャンピオンシップオースミタイクーン18頭810着
GI初勝利2000年10月15日4回京都4日11R秋華賞ティコティコタック18頭101着
武幸四郎 記録
JRA史上最年少重賞勝利(1997年マイラーズカップオースミタイクーン) – 18歳3か月27日
JRA初勝利が初重賞勝利(同上) – 1997年3月2日
JRA賞最多勝利新人騎手 – 兄弟受賞はJRA史上初
親子2代菊花賞制覇
兄弟菊花賞制覇 JRA史上初
武幸四郎 GI競走勝利一覧
2000年秋華賞(ティコティコタック)
2003年NHKマイルカップ(ウインクリューガー)
2006年菊花賞(ソングオブウインド)
武幸四郎 エピソード
誕生してから9日後(1978年11月12日)に父・邦彦はインターグシケンで菊花賞3勝目を挙げた。
高橋 亮(たかはし りょう、1978年1月6日 – )は日本中央競馬会(JRA)の騎手。
父は元騎手・現調教師の高橋隆、母方の祖父は大久保石松(騎手、調教師)。
調教師の沖芳夫は義伯父にあたる。福永祐一などが同期の競馬学校花の12期生である。
福永祐一などが同期の競馬学校花の12期生である。
初騎乗は1996年3月2日、阪神競馬第1競走のツルマルミニーで16頭立ての9着だった。
1998年の中日新聞杯をツルマルガイセンで制して重賞初勝利。また、2000年にはダイタクリーヴァでスプリングステークスなどを制した。
1998年、1999年と年間50勝以上を挙げていたが、2000年以降は怪我などもあって不振。2005年以降は年間勝利数が一桁台に留まっている。
この頃を境にデビュー当時から所属していた、橋口弘次郎厩舎の馬に騎乗することがほとんど無くなり、現在では父である高橋隆厩舎管理馬への騎乗が中心となっている。
高橋亮 主な騎乗馬
ツルマルガイセン(1998年中日新聞杯、カブトヤマ記念)
コウエイロマン(1998年小倉3歳ステークス)
エガオヲミセテ(1998年阪神牝馬特別)
ダイタクリーヴァ(2000年シンザン記念、スプリングステークス)
テンシノキセキ(2002年小倉日経オープン)
キタサンチャンネル(2001年ニュージーランドトロフィー)
高橋亮 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1996年3月2日1回阪神3日1R4歳未勝利ツルマルミニー16頭119着
初勝利1996年3月24日1回中京8日8R5歳上500万円下ブレイヴリバー12頭71着
重賞初騎乗1996年9月1日3回小倉8日11R小倉3歳ステークスショウザンリキオー11頭118着
重賞初勝利1998年2月28日1回中京1日11R中日新聞杯ツルマルガイセン16頭31着
GI初騎乗1997年5月11日2回東京8日11RNHKマイルカップキタサンフドー18頭1611着
1999年騎手課程15期生として騎手デビュー、当時の所属は美浦・大久保洋吉厩舎。主な同期騎手に北村宏司・高田潤などがいる。
デビュー2年目の2000年には障害競走への騎乗もあったが落馬により競走中止という結果に終わっており、障害での騎乗はこの1回だけとなっている。なお障害免許は2011年現在も保有している。
2005年には特別競走3勝を含む10勝を記録し、5年ぶりに勝利数を2桁台に乗せるが、2008年にデビュー以来所属していた大久保洋吉厩舎を離れフリーへと転向。
フリーと所属騎手を繰り返す2008年以降は騎乗数が2桁台に落ち込み、年間通じ未勝利に終わることもあるなど苦戦が続いている。
高橋智大 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平地 初騎乗 1999年3月7日 2回中山4日4R 4歳新馬 ショウナンパーク 14頭 12 11着
初勝利 1999年5月9日 1回新潟4日3R 4歳未出走 グレイトフェロー 15頭 3 1着
重賞初騎乗 2000年1月23日 1回中山8日11R AJCC アールニセイ 14頭 13 11着
障害 初騎乗 2000年3月4日 2回中山3日5R 障害オープン メジロスパーク 7頭 7 中止