騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、近年は障害競走への騎乗機会はない。
1998年競馬学校14期生美浦・高松邦男厩舎所属騎手としてデビュー。
2010年11月にはアルゼンチン共和国杯で、初騎乗のコスモヘレノスで3着と結果を出し、中谷自身重賞での初の入着を果たす。翌2011年には同馬にて天皇賞(春)に騎乗。
これがデビュー14年目にして初のGI騎乗となった。
中谷雄太 主な騎乗馬
ビクトリーアップ(1998年障害4歳上未勝利戦)
ザッハーマイン(2010年富嶽賞)
コスモヘレノス(2010年アルゼンチン共和国杯3着)
中谷雄太 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗1998年3月2日2回中山2日12R5歳上500万下チャプター15頭89着
初勝利1998年4月5日2回中京4日7R5歳上500万下アップザナイブ13頭11着
重賞初騎乗1999年2月21日1回東京8日11Rクイーンカップハセノスパーク16頭1412着
GI初騎乗2011年5月1日3回京都4日11R天皇賞(春)コスモヘレノス18頭1314着
障
害初騎乗1998年3月7日2回中山3日5R障害未勝利カツノスマイル12頭86着
初勝利1998年8月23日3回新潟4日5R障害未勝利ビクトリーアップ7頭61着
重賞初騎乗2003年3月15日1回阪神5日10R阪神スプリングジャンプインタープレジャー14頭148着
カテゴリ : 騎手, 騎手 な行
騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、障害レースへの騎乗経験はない。
2001年、4月にJRA競馬学校騎手課程第20期生として入学。
入学時の同期には川田将雅、藤岡佑介各騎手らがいる。
2003年、12月20日に中山競馬場で行われた模擬レースでリュウキュウスターに騎乗し、後続に6馬身差をつけ1着となる。
模擬レースでは2戦2勝という成績だった。
2004年、2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得する。
3月6日中京4Rでブーゲンビリアで初騎乗(4着)。3月21日中京5Rをマグマヴィーナスで勝利し、16戦目で初勝利を挙げたが、同日の第7レース発走前に騎乗馬のマイティーキングに振り落とされて落馬した際に左第1中手骨を骨折する不運に見舞われた。
7月28日に船橋競馬場で行われたファビィステッキ特別でスズダニエルに騎乗し、地方競馬初騎乗を果たし10着となる。デビュー年は8勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
2007年8月17日にフリーとなることが発表され、8月21日付けでフリーとなった。
2010年2月20日の東京競馬場第5レースで、コスモグレイスに騎乗して直線先頭に立っていたが、馬が急に外側に逃避し、バランスを崩して落馬した。
同番組では、武豊や三浦皇成等が記録達成で取り上げられることはあっても、好騎乗が取り上げられることは珍しい。
津村明秀 表彰
アイルランド大使特別賞・民放競馬記者クラブ賞(2004年)
津村明秀 主な騎乗馬
津村明秀 重賞勝利
タマモサポート(2006年ラジオNIKKEI賞、2009年京都金杯)
ファイアーフロート(2010年京成杯オータムハンデキャップ)
クリールパッション(2010年エルムステークス)
津村明秀 その他
カネツテンビー(2005年CBC賞2着) – 重賞での初連対
アイルラヴァゲイン(2008年福島民友C1着、2009年スプリンターズステークス4着等) – 中央GI・地方交流JpnI初騎乗
コスモバルク(2009年宝塚記念で騎乗経験あり)
津村明秀 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
中
央初騎乗2004年3月6日1回中京1日4R3歳未勝利ブーゲンビリア16頭44着
初勝利2004年3月21日1回中京6日5R4歳上500万円下マグマヴィーナス16頭11着
重賞初騎乗2005年4月3日3回中山4日11Rダービー卿CTミッドタウン16頭47着
重賞初勝利2006年7月2日2回福島6日11RラジオNIKKEI賞タマモサポート16頭51着
GI初騎乗2009年3月29日2回中京6日11R高松宮記念アイルラヴァゲイン18頭1713着
地
方初騎乗2004年7月28日5回船橋2日10Rファビィステッキ特別スズダニエル11頭810着
初勝利2008年6月16日盛岡9Rエメラルド賞コスモクルトゥーラ12頭21着
重賞およびJpnI初騎乗2010年11月3日8回船橋3日9RJBCスプリントアイルラヴァゲイン14頭55着
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千葉 直人(ちば なおと、1986年7月30日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター南に所属する騎手である。
騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持している。
2003年、4月にJRA競馬学校騎手課程第22期生として入学する。
2006年、2月にJRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得し成島英春厩舎所属騎手としてデビュー。
初騎乗は3月4日の中山競馬場第1レースで、16番人気だったハッピーステージに騎乗し15着。
4月25日に浦和競馬場で行われたマルチスピリット特別で地方競馬初騎乗。6番人気だったカントウオウに騎乗し9着となる。
12月2日に中京競馬場で行われた第1レースを5番人気だったオースミダイケンに騎乗して制し、JRA通算107戦目で初勝利を挙げた。
2007年、1月7日に障害レースで初騎乗し、10番人気だったコスモベリュームトに騎乗して10着となる。
10月20日に東京競馬場でレース中に落馬。診察の結果、右上顎骨骨折と診断された。
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在学時には武豊の特別講義を受けたこともあり、2004年第20期生として競馬学校騎手課程を卒業。美浦清水美波厩舎所属騎手としてデビュー。
同期には川田将雅、藤岡佑介、吉田隼人、津村明秀らがいる。
1年目は8勝という成績に終わるも、翌2005年27勝を挙げ特別戦勝利も達成した他、新潟2歳ステークスにて重賞初騎乗を記録。
なおこの年は朝日杯フューチュリティステークスでスロクハイネスに騎乗予定だったが、直前の出走取消によりGI初騎乗を果たせない不運に見舞われた。
その後しばらくの間、GIへの騎乗を果たせずにいたが、2011年の天皇賞(春)でコスモメドウに騎乗し、6年越しでGI初騎乗が実現するも2周目最後の直線で競走中止、コスモメドウは予後不良となってしまう不運に見舞われた。
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1983年に高松邦男厩舎所属でデビュー。初騎乗は1983年3月5日、中山競馬第1競走のセノエクインで、16頭立ての10着だった。
以降、2000年まで18年連続2桁勝利を記録した。重賞では1991年の産經大阪杯をホワイトストーンで制したほか、1992年の阪神3歳牝馬ステークスでは単勝35.9倍の穴馬スエヒロジョウオーを勝たせ、馬連12万馬券の片棒を担いだ。
2000年にはダイワカーリアンとのコンビで札幌記念と富士ステークスを共に逃げ切り勝ちした。
2001年は9勝に留まり、デビュー以来初めて2桁勝利を達成できず、その頃から徐々に勝ち鞍が減っていった。
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田村 太雅(たむら たいが、1986年1月16日-)は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手。
2006年栗東佐藤正雄厩舎の所属騎手としてデビュー。同期には北村友一・田中博康などがいる。
1.2年目合わせ6勝に終わるも、3年目となる2008年には一般競走3キロ減の特典を生かし11番人気馬での勝利を収めるなど下位人気の馬を上位に持ち込む内容を見せ、この年の勝ち鞍である12勝全てを一般競走で挙げ、成績を大きく伸ばした。
2009年3月以降、見習騎手の斤量減免を解かれてからは騎乗数や勝利数は減少、2010年末より騎乗数確保のため障害競走への騎乗も開始している。
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戸籍上での表記は田邊である。
2002年、2月にJRA競馬学校騎手課程を第18期生として卒業し騎手免許を取得する。
中山競馬場での第2レースで9番人気のアルファジェネラスに騎乗し8着。3月21日に高崎競馬場で地方競馬初騎乗。
弥生特別でシアトルドータに騎乗し、11頭立て8番人気で11着だった。8月3日に新潟競馬場第12レースで4番人気のヒノデツートンに騎乗し、初勝利を挙げた。
2004年4月25日、重賞初騎乗となった福島牝馬ステークスでは、14番人気のトーセンリリーに騎乗して16着だった。
2009年8月30日のキーンランドカップでは、モルトグランデに騎乗し2位入線を果たす。
これをきっかけに松田博資調教師の信頼を得ると、他の栗東の有力厩舎からも依頼が殺到するようになる。
2011年4月24日のアンタレスステークスでは、栗東・吉田直弘厩舎所属のゴルトブリッツに騎乗して勝利し、デビューから10年目で初重賞勝利を飾った。
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同期には北村友一、千葉直人、的場勇人らがいる。
2006年、美浦の高橋祥泰厩舎所属騎手としてデビュー。
初年度は4勝にとどまったが、2007年は44勝と勝ち星を伸ばしている。
2009年にはシルクメビウスでユニコーンステークスを制し重賞初勝利。
秋になるとエリザベス女王杯をクィーンスプマンテで優勝し、初のGI制覇を果たした。この年、シルクメビウスとのコンビでジャパンダートダービー、ジャパンカップダートで2着に入るなどG1戦線で活躍し、クイーンスプマンテとのコンビで海外遠征も果たした(香港カップ騎乗で結果は10着)。
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栗東・浅見秀一厩舎所属。2007年3月3日、中京競馬場第2競走でナナヨーウインドに初騎乗しデビュー、16頭中11着だった。
2007年3月3日、中京競馬場第6競走でメイショウセレットに騎乗し、初勝利をあげた。
2010年にはマルモセーラとのコンビでファンタジーステークスを制覇し重賞初勝利を挙げ、GI競走初騎乗も記録している。
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重賞初勝利は1990年9月9日の京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。GI初勝利は1992年の安田記念。
ヤマニンゼファーに騎乗し、大外枠を苦にせず優勝。ゴール前では派手なガッツポーズを見せた。
2007年、皐月賞でヴィクトリーに騎乗し勝利。ヤマニンゼファー以来となる15年ぶり(騎乗機会では140戦ぶり)の中央競馬でのGI(表記はJpnIである)制覇となった。
田中勝春とGI
通算1000勝以上を達成していながら、近年の西高東低と言われる全体的な関東馬不振の流れの影響などを受けたのか、1992年の安田記念での初勝利からは、長期間GIを勝てずにいた。2004年の優駿牝馬(オークス)ではウイングレットに騎乗し7着。
なお、全日本2歳優駿は「全日本3歳優駿」という名称だった1998年にもアドマイヤマンボで勝っているが、当時は統一GIIだった。
中央競馬のGIに限ればその後も連敗が続き、2007年の皐月賞に勝利するまで139回もの長い連敗となったが、2007年に第67回皐月賞でヴィクトリーに騎乗し勝利、15年ぶりに中央競馬のGI競走制覇を果たして連敗記録139で終止符をうった。
ヤマニンゼファーとセキテイリュウオーにまつわるエピソードも、元はといえばセキテイリュウオーが所属厩舎(当時)の馬であり、自厩舎の馬を優先させたという事情があった。また、1番人気での騎乗は日本で2回・海外で1回(2000年安田記念:スティンガー、2002年朝日杯フューチュリティステークス:サクラプレジデント、2007年シンガポール航空インターナショナルカップ:シャドウゲイト)で、2番人気での騎乗も4回(2003年皐月賞・東京優駿(日本ダービー):サクラプレジデント、2004年宝塚記念:ゼンノロブロイ、2007年日本ダービー:ヴィクトリー)しかなかった。
この時の優勝馬は、前年の安田記念で自身が騎乗して優勝したヤマニンゼファーであった。1997年の安田記念でもジェニュインに騎乗し同馬をかつてお手馬にしていた岡部騎乗のタイキブリザードにハナ差まで迫ったことがある。
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