横山 典弘(よこやま のりひろ、1968年2月23日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。
美浦トレーニングセンター所属で現在はフリー。
父は元JRA騎手の横山富雄、兄も元JRA騎手の横山賀一(ただしJRAの騎手免許は典弘の方が先に取得している)。
さらに叔父に元JRA調教師の奥平真治がおり、身内に競馬関係者が多数存在する中で育つ。その他、妹の夫に元JRA騎手・JRA調教師の菊沢隆徳が、長男にJRA騎手の横山和生がいる。
初めての関東リーディングジョッキーとなる。この年のマイルチャンピオンシップではトロットサンダーに騎乗し3つ目のGIタイトルを獲得。
1996年は同年に引退した小島太に代わりサクラローレルの主戦騎手となる。また、トロットサンダーで安田記念を制したほか、砂の女王と呼ばれたホクトベガにも騎乗。
2005年11月5日には東京競馬の第2競走で通算1600勝を達成すると、第7競走まで6連勝し、JRAの連続施行競走連続勝利の新記録を達成した。なお、この日の騎乗馬は全て3着以内で馬券に絡んでいる。
2007年、10月26日に発表されたJRA競馬学校騎手課程27期生の合格者(入学内定者)の中に長男が合格していたことが明らかになった。11月17日には東京スポーツ杯2歳ステークスをフサイチアソートに騎乗して制し、この勝利と同時に4年連続、自身8度目となるJRA年間100勝を達成した。
2008年は、6月15日の第25回エプソムカップ(サンライズマックス)で、この年の重賞6勝目を記録。これがJRA重賞競走通算100勝目となるメモリアル勝利ともなった。
(後は新潟重賞のみ)
同年の3月1日の中山記念をカンパニーで連覇を飾ると翌週の3月7日にはアーバニティでオーシャンステークスを制覇。さらにその翌日もロジユニヴァースで弥生賞を制覇。
第76回東京優駿の表彰式にて。左から、内閣総理大臣(当時)麻生太郎、勝利騎手の横山典弘、JRAイメージキャラクターの俳優・佐藤浩市
同年5月31日の日本ダービーをロジユニヴァースで優勝、デビュー24年目、15回目のダービー挑戦にして悲願のダービー制覇を達成し、ついにダービージョッキーの称号を手にした。
史上5人目となる2000勝を達成した。
同年の11月1日の天皇賞(秋)ではカンパニーと共に前走の毎日王冠でウオッカを破った勢いそのまま見事G1制覇を果たし、カンパニーにとっては重賞8勝目にして初のGI競走制覇、横山自身も秋の盾20度目の挑戦にして初の勝利を果たした。
8歳馬による平地GI競走制覇はJRAでは史上初となり、2008年の中山記念からコンビを組んでいた横山自身も「人間の想像を超えた馬。」とカンパニーを称えた。
その後、カンパニーの引退レースとなったマイルチャンピオンシップでも堂々の1番人気に応え勝利。秋3戦3勝と衰えを見せぬままカンパニーは種牡馬入りとなった。
横山は12月にはワールドスーパージョッキーズシリーズでも、1995年以来自身2度目の優勝を果たし、その年のすさまじい活躍により秋戦線は運に見放されていた2冠牝馬ブエナビスタの有馬記念の騎乗を任され、テン乗りで今までと違う騎乗を求められていた横山は今まで見せた事のない先行策に出るが惜しくも2着となった。
2009年の横山は2年連続となる重賞二桁勝利、悲願のダービーを含めた3つのG1制覇、2000勝達成、ワールドスーパージョッキーズシリーズ優勝など非常に顕著な活躍が認められ、2009年度の東京競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞。
この特別賞は過去に野平祐二、サンデーサイレンス、岡部幸雄が選出されていて、いずれも引退時に又、サンデーサイレンスは死亡した年の選出で現役での特別賞への選出は横山典弘が初の事となる。
2010年には、4週連続重賞勝ち(京成杯・エイシンフラッシュ、アメリカジョッキークラブカップ・ネヴァブション、東京新聞杯・レッドスパーダ、シルクロードステークス・アルティマトゥーレ)を記録した。
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山本 康志(やまもと こうし、1977年2月28日 - )は、JRA・美浦トレーニングセンターに所属する騎手である。近年は障害競走の騎乗が中心だが平地競走の騎手免許も所持している。
1995年、第11期生としてJRA競馬学校を卒業し騎手免許を取得する。
同期には石山繁、西谷誠、青木芳之、西田雄一郎らがいる。
デビュー時の所属は佐々木亜良厩舎だった。
3月5日、JRA初騎乗となる中山競馬場での第2レースでは、11番人気だったバックファイアーに騎乗し13着だった。8月19日、新潟競馬場での第3レースで4番人気だったアイランドロッコーで勝利しJRA初勝利を挙げる。
9月3日、新潟競馬場での障害レースに出走した4番人気のブローフォンテンに騎乗し障害初騎乗を果たすも5着だった。デビュー年は126戦1勝という成績だった。
1997年、2月23日に中山競馬場で行われた障害競走に3番人気で出走したストレートアンサーで勝利し障害レース初勝利を挙げる。同馬とは初の重賞となる阪神障害ステークス(春)にも出走したが競走中止となった。
2005年、新潟ジャンプステークスを6番人気だったメジロベイシンガーで制し重賞初勝利を挙げる。
山本 康志 主な騎乗馬
バローネフォンテン(2005年ペガサスジャンプステークス、東京オータムジャンプ)
メジロベイシンガー(2005年新潟ジャンプステークス、東京ハイジャンプ2着、2007年イルミネーションジャンプステークス)
ギルティストライク(2010年東京ジャンプステークス)
クリーバレン(2011年新潟ジャンプステークス)
山本 康志 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗1995年3月5日2回中山4日2R4歳未勝利バックファイアー15頭1113着
初勝利1995年8月19日1回新潟3日3R4歳未勝利アイランドロッコー13頭41着
重賞初騎乗1998年4月18日2回中京7日11R小倉大賞典テイエムトッキュー16頭1213着
障
害初騎乗1995年9月3日1回新潟8日5R障害未勝利ブローフォンテン7頭45着
初勝利1997年2月23日2回中山2日5R障害400万下ストレートアンサー10頭31着
重賞初騎乗1997年3月8日1回阪神5日9R阪神障害S(春)ストレートアンサー10頭7中止
重賞初勝利2005年8月20日3回新潟3日10R新潟JSメジロベイシンガー14頭61着
JGI初騎乗1999年12月18日5回中山5日10R中山大障害ヨイドレテンシ15頭145着
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村田 一誠(むらた いっせい、1978年12月20日 - )はJRA(日本中央競馬会)美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
重賞競走への初騎乗は1999年。2001年にはNHKマイルカップでグラスエイコウオーでの2着を含め2着3回を記録、翌2002年にはJRA重賞に先立ち地方交流重賞のエーデルワイス賞をトーセンリリーで制している。
これ以降上位人気馬への騎乗もあった中、JRA重賞未勝利が続いていたが、2007年通算127回目の重賞レース騎乗となった根岸ステークスをビッググラスで制しデビュー11年目でのJRA重賞初勝利を達成、この年さらに2つの重賞勝ちを収めている。
先述の2001年NHKマイルカップで13番人気のグラスエイコウオーをあわやの2着に逃げ粘らせた他、サンアディユ(アイビスサマーダッシュ・13番人気)・ヴィーヴァヴォドカ(フラワーカップ・11番人気)等、人気薄の馬を連対させ、穴を空ける騎手と評される事が多いが、単勝万馬券での勝利も2011年1月8日に初めて達成した。
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宗像 徹(むなかた とおる、1974年3月27日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
遠戚に障害専門騎手として活躍した三浦堅治がいる。
1993年JRA競馬学校騎手課程を第9期生として卒業し、笹倉武久厩舎所属騎手としてデビュー。
1993年新潟記念をはじめ、2011年現在まで平地重賞に12レース騎乗、この中には所属していた笹倉厩舎の代表管理馬であるツインターボへの騎乗も2レース含まれている。なお平地重賞での最高着順は2001年クリスタルカップの4着となっている。
減量騎手から外れてからも暫く平地での騎乗を続けていたが2年目の325レースをピークに年々騎乗機会が減少したため、1999年騎乗数確保のためにデビュー年以来乗っていなかった障害競走への騎乗を再開する。
再開後も平地への騎乗は並行して続けていたが、2003年から2004年にかけ障害でのオープン特別勝ちや重賞勝利を記録するなど、障害競走での成績は平地のそれを上回るようになり、それに伴い騎乗の場は徐々に障害へと移行。
騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、近年では障害競走への騎乗が中心となっている。
宗像 徹 主な騎乗馬
マイネルオーパー(2003年福島ジャンプステークス、2004年春麗ジャンプステークス、秋陽ジャンプステークス、中山大障害3着)
デモリションマン(2004年新潟ジャンプステークス)
宗像 徹 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗1993年3月7日2回中山4日1R4歳未勝利オーツベッド14頭912着
初勝利1993年5月16日1回新潟8日1Rアラブオープンハクサンツバメ9頭21着
重賞初騎乗1993年8月29日3回新潟6日11R新潟記念エプソムジョーオー13頭1210着
障
害初騎乗1993年3月28日3回中山2日5R障害400万下スバルボーイ8頭42着
初勝利1993年9月12日4回中山2日5R障害400万下スバルボーイ6頭21着
重賞初騎乗1993年10月23日4回東京5日10R東京障害特別(秋)スバルボーイ11頭113着
重賞初勝利2004年8月21日3回新潟3日10R新潟ジャンプステークスデモリションマン14頭21着
JGI初騎乗1999年12月18日5回中山5日10R中山大障害エーピーランド15頭54着
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幸 英明(みゆき ひであき、1976年1月12日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。
田島良保JRA調教師(元騎手)、田原成貴(元JRA調教師、元騎手)は兄弟子の間柄にあたる。
1997年3月15日、中京競馬第3競走においてJRA通算100勝を達成。
またブルーコンコルドとのコンビで活躍し、JBCスプリント連覇(2005年・2006年。ただし2006年はコース(川崎競馬場)の都合によりJBCマイルとして行われた)、マイルチャンピオンシップ南部杯3連覇(2006年~2008年)の他、東京大賞典(2006年)、かしわ記念(2007年)を勝ち、ダートGI・JpnI計7勝をあげた。
2008年3月30日、第38回高松宮記念をファイングレインで制覇し、4年6ヶ月ぶりに中央競馬のGIレースでの勝利をあげた。
2010年にはJRAの年間最多騎乗回数記録を更新し、史上初となる年間1000回騎乗を達成した。
JRA所属騎手の中でも屈指の騎乗回数を誇る。
2010年5月22日、京都競馬第4競走で、デビューから16年2か月18日で通算11000回騎乗を達成した。
これはJRA史上最速(当時[4])・最年少記録である。またこのレースを勝利し、JRA通算800勝も同時に達成した(騎乗馬・ニホンピロアワーズ)。
2011年6月12日、阪神競馬第3競走で通算12000回騎乗。デビューから17年3ヵ月8日、35歳5ヵ月1日(JRA史上最速・最年少記録)で達成。
2009年の年間騎乗回数は968回で、従来の記録(岩田康誠、2006年、952回)を上回った(ただし内田博幸が年間975回騎乗のため中央競馬記録とはならなかった)。
2010年12月26日、阪神競馬第2競走で史上初となるJRA年間騎乗回数1000回を達成(騎乗馬・タマモダイナミック・1着)。
最終的には1008回に伸ばした(中央競馬記録)。
幸 英明 成績
GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
(斜字は統一GI)
2003年
桜花賞 - スティルインラブ
優駿牝馬 - スティルインラブ
秋華賞 - スティルインラブ
2005年
JBCスプリント - ブルーコンコルド
2006年
マイルチャンピオンシップ南部杯 - ブルーコンコルド
JBCマイル - ブルーコンコルド
東京大賞典 - ブルーコンコルド
2007年
かしわ記念 - ブルーコンコルド
マイルチャンピオンシップ南部杯 - ブルーコンコルド
2008年
高松宮記念 - ファイングレイン
マイルチャンピオンシップ南部杯 - ブルーコンコルド
JRA・GI4勝(交流GI7勝)
JRA重賞21勝・地方交流重賞14勝
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宮崎 北斗(みやざき ほくと、1989年3月12日 - )は、日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属する騎手である。
2004年に競馬学校第23期生として入学し、2007年に騎手免許を取得。同年に美浦・高市圭二厩舎所属として騎手デビュー。
同期に浜中俊、藤岡康太、丸田恭介らがいる。
初騎乗は同年3月3日中京競馬第2競走のオリジナルカラーで3着。
初勝利は同年4月21日福島競馬第3競走で、デビュー戦に騎乗したオリジナルカラーであった。
2008年12月20日、第46回愛知杯で16番人気セラフィックロンプに騎乗し、重賞競走初挑戦で初勝利を挙げた。
2011年6月9日にタレントの高橋摩衣と入籍。
宮崎 北斗 主な騎乗馬
セラフィックロンプ(2008年、2010年愛知杯)
宮崎 北斗 騎乗成績
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2007年869245.033.057.094
2008年112519416.026.087.132
2009年373749678.055.109.181
2010年182116409.044.095.134
中央7489931748.042093.146
地方01019.000.053.053
日付競馬場・開催・レース競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2007年3月3日1回中京1日目2R3歳未勝利オリジナルカラー16頭103着
初勝利2007年4月21日1回福島7日目3R3歳未勝利オリジナルカラー14頭11着
重賞初騎乗・初勝利2008年12月20日3回中京3日11R愛知杯セラフィックロンプ18頭161着
GI初騎乗2009年5月17日2回東京8日11Rヴィクトリアマイルセラフィックロンプ18頭1818着
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蓑島靖典(みのしま やすのり、1982年11月14日 - )は日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属する騎手。
騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、近年では障害競走への騎乗が中心となっている。
JRA初の十勝支庁出身騎手[1]として、2001年3月美浦の後藤由之厩舎所属でデビュー。
同期として大庭和弥・川島信二・小坂忠士などがいる。
約2ヶ月後となる4月29日に初勝利を達成し、この年特別戦2勝を含む10勝を挙げ関東新人賞となる2001年民放競馬記者クラブ賞を受賞する。
同賞の受賞にあたり「この賞を頂くには物足りない成績ですが、来年はこれに応えるよう、もっと頑張ります」とコメント[2]を残した蓑島は、翌2002年こそ騎乗数・勝利数等を共に伸ばすも、減量免除の特典を解かれる2004年以降は騎乗数を減少させ、後に活躍の場をデビュー2年目より騎乗を開始した障害競走へと移す。
2005年には年間を通じ平地・障害未勝利に終わるなど不振の年もあったが、2008年新潟ジャンプステークスをユウタービスケットで制し重賞初勝利を記録、2010年にはバシケーンで中山大障害を制覇しGI騎手の仲間入りを果たしている。
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南井 大志(みない ひろし、1983年2月12日 -)は日本中央競馬会(JRA)所属の騎手。
元騎手で調教師の南井克巳は実父。
1983年2月12日、克巳の長男として生まれ、幼少期から父・克巳に憧れて騎手を目指し[1]、1999年、競馬学校に18期生として入学。
2002年、栗東の橋田満厩舎所属騎手としてデビューし、3月10日クラフティスズカにて初勝利を記録している。
デビュー初年度、競馬学校の管理から解放された反動から暴飲暴食に走り、2度にわたって斤量オーバーで騎乗が不可能になり、さらに急激な減量がたたりレース当日に脱水症状になり騎乗が不可能になる[2]など体重調整に関するミスを繰り返し、厳重注意処分や騎乗停止処分を受けた。
190鞍に騎乗し9勝という成績を残した一年目の2002年をピークに勝利数・騎乗数は減少。見習騎手の負担重量減免が解かれた2005年には平地での騎乗数が100を割込むなど伸び悩みが続き、騎乗数確保のためこの年より障害競走への騎乗を開始。
その後障害競走中心の騎乗となっている。
南井 大志 主な騎乗馬
ファントムスズカ (2007年阪神スプリングジャンプ3着)
オースミサムソン (2007年阪神ジャンプステークス3着)
南井 大志 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗2002年3月2日1回中京1日1R3歳未出走タイカレント15頭37着
初勝利2002年3月10日1回中京4日8R4歳上500万円下クラフティスズカ15頭21着
障
害初騎乗2005年11月5日5回京都1日4R障害未勝利コネチカットダーク14頭1311着
初勝利2006年10月29日5回京都8日4R障害未勝利ラフハーティリー12頭11着
重賞初騎乗2006年3月11日1回阪神5日9R阪神スプリングジャンプブライアンスキー14頭98着
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水出 大介は、
1993月6日競馬学校20期生矢野進厩舎所属騎手としてデビュー。同期には川田将雅・津村明秀・藤岡佑介・吉田隼人がいる。
2年目より障害競走への騎乗を開始、減量騎手としてのデビュー3年間で平地・障害合わせて14勝を記録。
減量騎手の特典を失う3年目以降は騎乗数・勝利数共に急落、さらに2006年右橈骨末端骨折、2008年右鎖骨骨折と落馬による2度の負傷もあり伸び悩みが続く。
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三浦 皇成デビュー後のエピソード 2008年
3月1日に中山競馬場で行われた第1競走で中央競馬初騎乗、自厩舎のモエレロングランに騎乗して3番人気で6着。
同期の伊藤、さらに内田・鷹野もこの競走で中央競馬初騎乗を果たしており1着は内田だった。同日第10競走の潮来特別を自厩舎のフェニコーンに騎乗して6番人気で勝利、デビュー当日の3戦目で初勝利を挙げた。
また5月24・25日には新潟競馬場においてJRA史上4人目の1節における全24競走完全騎乗を達成した。両記録はJRA競馬学校卒業生新人騎手では史上初である。
8月10日に行われた第40回函館2歳ステークスでフィフスペトルに騎乗して優勝し、デビュー5ヶ月目で重賞競走を制覇。
9月21日の札幌競馬で通算59勝とした。
これで加賀武見(1960年に58勝)を抜き、デビュー年の勝利数で歴代2位となった。9月28日に騎乗機会8連続連対を達成した。
なお最多記録は武豊(2002年)、安藤勝己(2005年)が持つ9連続連対。
10月5日に行われたスプリンターズステークスでプレミアムボックスにてGI初騎乗を最速で果たす(結果は14着)。
10月11日の東京競馬場第2レースでマイネルクロッシュに騎乗してデビューからの騎乗回数が555回となり、武豊が持っていた新人騎手年間最多騎乗回数の554回を超えた。過去に新人騎手で500鞍以上の騎乗を行なったのは武豊(1987年、554回)、福永祐一(1996年、518回)、池添謙一(1998年、522回)の3人。
三浦 皇成デビュー後のエピソード 2009年~
2月7日東京競馬場第4競走でインフィニットエアに騎乗して1着となり、JRA通算100勝を達成した。2月8日に通算101勝を挙げたため規定により2月14日から減量騎手ではなくなる。
デビュー1年未満で減量騎手でなくなるのはJRA史上初。
8月9日、関屋記念勝利。
9月12日、英国のフォスラス競馬場で行われたトートスポートドットコムハンデキャップで海外初騎乗。ロイヤルダイアモンドに騎乗し優勝。
9月25日2回札幌5日目1Rサラ2歳牝未勝利・リアライズノユメで1着となり、現役では56人目となるJRA通算200勝を達成した。2008年3月1日のデビューから2年6カ月25日での200勝は、武豊騎手(2年0カ月4日)に次ぐ、史上2番目のスピード記録となった。
2010年
1月11日、第1回中山競馬第4競走の3歳新馬戦(ダート1800メートル)で、ノボプロジェクトに騎乗した際、第4コーナーで斜行し隣の馬が転倒、それが引き金となり中央競馬史上最多である9頭が落馬[2]する事故を引き起こし失格となる。
2008年3月1日のデビューから2年6カ月25日での200勝は、武豊騎手(2年0カ月4日)に次ぐ、史上2番目のスピード記録となった。
11月7日、アルゼンチン共和国杯勝利。
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