騎手 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

天皇賞(秋)エイシンフラッシュは、ルメール騎手なんですね。これは、盾を獲りに来ているのは間違いない!?

エイシンフラッシュの騎手はルメールですね。

外人騎手はGIをとるための必殺仕事人ですね。ルメール騎手は特に、日本での実績が半端ないですから
かなり期待できますね。

クリストフ・ルメール騎手は、

国籍 フランス
生年月日 1979年5月20日(32歳)
身長 163cm
体重 52.5kg
血液型 B型
初免許年 1999年(フランス)
免許区分 平地競走・障害競走

クリストフ・パトリス・ルメール(Christophe Patrice Lemaire、1979年5月20日 – )は、フランス生まれの騎手。ミドルネームの「パトリス」はフランスの障害競馬界で名を馳せた父親の名前からとった。香港における名前の中文表記は「李慕華」。近年は短期免許制度を利用して来日しており、オリビエ・ペリエ・ミルコ・デムーロ・クリストフ・スミヨンらと並んで、日本人にも馴染みの深い騎手である。

クリストフ・ルメール プロフィール

父パトリスの勧めにより競馬学校ではなく普通の学校に進学し、学校が休みの週末に厩舎を出入りすることで騎乗技術を磨き1999年にフランスの騎手免許を取得し騎乗を開始。フランスで競馬学校を経由せず騎手になるのは障害騎手ではよく見られるが、平地騎手では稀な例である。

2003年に仏リーディング7位、同年の仏G1パリ大賞を制するなど順調に実績を積み重ねている。

2002年よりJRAの短期免許制度を利用し中央競馬でも騎乗を開始している。

2006年のドバイシーマクラシックでは、ハーツクライに騎乗し優勝した。また、サンクルー大賞ではプライドに騎乗し、最強と目されていたハリケーンランを破った。

2008年、サンタラリ賞連覇を達成。

2009年、5月10日にプール・デッセ・デ・プーリッシュを騎乗契約を結んでいるジャン=クロード・ルジェ厩舎所属のイリューシヴウェイヴに騎乗して制し、翌週の5月17日に行われたサンタラリ賞(第4競走)をルジェ厩舎所属のスタセリタで、イスパーン賞(第5競走)をルジェ厩舎所属のネヴァーオンサンデーに騎乗して制し、同じ厩舎所属馬でG1競走3連勝を達成し、同時にサンタラリ賞3連覇も達成した。

2010年のシーズンから、それまで主戦を勤めていたクリストフ・スミヨンに代わり、アーガー・ハーン4世所有馬のフランスにおける主戦を任されることに決まった。それに先駆け、2009年のエリザベス女王杯でシャラナヤに騎乗した(結果は4着)。

クリストフ・ルメール 日本での騎乗実績

2002年より短期免許制度により中央競馬でも騎乗を開始。当初は中京や小倉といったローカルを中心に活躍。毎年好成績を残しており、GIでの騎乗も2004年のダンスインザムードで天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップともに2着、コスモバルクでジャパンカップ2着、2005年のダイワメジャーでマイルチャンピオンシップ2着、ハーツクライでジャパンカップ2着するなどの実績を残すも、中央の重賞勝利には恵まれていなかった。
しかし2005年の有馬記念でハーツクライに騎乗すると、これまで追い込み一辺倒であった同馬で先行するレースを見せ、同年の無敗の三冠馬ディープインパクトに初めて土をつける大仕事をやってのけ、初重賞勝利をGIで飾ったと同時に、オリビエ・ペリエから続く外国人騎手による同競走の連勝記録を4に伸ばした。
2007年は、1度目の短期免許期間中に、統一JpnIの川崎記念をヴァーミリアンに騎乗して制し、2度目の短期免許期間中の12月15日には愛知杯をディアデラノビアに騎乗して制した。この勝利で外国人騎手史上4人目となる中央通算100勝を達成した。
2008年も2度短期免許を取得し、2度目の短期免許期間中の11月16日に行われたエリザベス女王杯ではリトルアマポーラに騎乗し優勝。さらに12月7日に行われたジャパンカップダートではヴァーミリアンを選択した主戦騎手の武豊に代わってカネヒキリに騎乗し優勝。

(後に武は負傷し、ヴァーミリアンも乗り代わり)中央競馬GIの勝利数を3に伸ばした。2008年12月29日から2009年1月28日まで地方競馬の短期免許を取得した。所属厩舎は船橋の川島正行厩舎となる。これで、東京大賞典と川崎記念に騎乗可能となり実際、カネヒキリで東京大賞典と川崎記念共に勝利した。
2009年も1月と11月に短期免許を取得し、短期免許期間中に4度海外渡航(行き先はドバイ、香港)し、アースリヴィングに騎乗してUAE1000ギニーとUAEオークスで2着となっている。12月5日と6日の2競走で走路妨害による降着となり、12月12日から12月26日まで開催5日間の騎乗停止処分を受けた。このため香港国際競走には騎乗できなくなった。なお、12月8日の香港騎手招待競走は騎乗停止期間外のため、予定通り香港には渡航している。
2010年にも短期免許を取得していた。
年 厩舎 馬主 期間 中央競馬年間成績
2002年 瀬戸口勉 吉田照哉 12月7日 – 3月6日 37戦4勝
2003年 125戦11勝
2004年 瀬戸口勉 吉田照哉 1月5日 – 1月26日 157戦17勝
2月5日 – 2月23日
吉田千津 10月30日 – 11月29日
2005年 瀬戸口勉 吉田千津 1月22日 – 2月21日 209戦20勝(重賞1勝)
吉田照哉 10月29日 – 12月25日
2006年 瀬戸口勉 吉田照哉 1月21日 – 2月19日 194戦34勝(重賞2勝)
橋口弘次郎 11月4日 – 12月24日
2007年 瀬戸口勉 吉田照哉 1月20日 – 2月19日 170戦14勝(重賞2勝)
橋口弘次郎 11月10日 – 12月23日
2008年 橋口弘次郎 吉田照哉 1月26日 – 2月25日 193戦21勝(重賞2勝)
11月1日 – 12月28日
2009年 橋口弘次郎 吉田照哉 1月24日 – 2月23日
11月28日 – 12月27日
※JRA短期免許のみ、成績は2008年終了時点。

クリストフ・ルメール 年度別成績表

クリストフ・ルメール騎 フランス競馬(2009年終了時点)
年度 騎乗
数 勝利 勝率 獲得賞金
勝数 順位 金額 順位
1999年 137 9勝 111位 .066 15万5803 86位
2000年 656 52勝 16位 .079 92万6680 14位
2001年 403 26勝 36位 .065 60万4887 25位
2002年 630 52勝 13位 .083 143万2855 12位
2003年 750 75勝 6位 .100 253万6705 7位
2004年 799 71勝 9位 .089 286万7187 6位
2005年 634 81勝 7位 .128 366万8290 4位
2006年 653 68勝 8位 .104 363万8497 5位
2007年 638 101勝 5位 .158 414万1430 3位
2008年 662 94勝 6位 .142 369万9155 5位
2009年 614 89勝 7位 .143 527万8095 1位
通算 6576 718勝 – .109 2894万9584 –
※金額の単位はユーロ。
クリストフ・ルメール騎 中央競馬(2009年終了時点)
年度 騎乗
数 勝利 勝率 連対率 獲得賞金
勝数 順位
2002年 25 4勝 127位 .108 .216 6069万
2003年 126 11勝 77位 .087 .190 2億3322万
2004年 157 17勝 51位 .108 .236 4億5669万
2005年 209 20勝 46位 .096 .234 6億9880万
2006年 194 34勝 31位 .175 .258 5億7466万
2007年 170 14勝 61位 .082 .218 4億6680万
2008年 193 21勝 49位 .109 .212 5億8328万
2009年 149 12勝 64位 .081 .208 6298万
通算 1086 121勝 – .111 .227 31億3715万
※金額の単位は円。

クリストフ・ルメール騎 主な勝鞍

クリストフ・ルメール騎 フランス


パリ大賞 – ヴェスポーヌ(2003年)
マルセルブサック賞 – デネボラ(2003年)、ディヴァインプロポーションズ(2004年)
モルニ賞 – ディヴァインプロポーションズ(2004年)
プール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー) – ディヴァインプロポーションズ(2005年)、イリューシヴウェイヴ(2009年)
ディアヌ賞(仏オークス) – ディヴァインプロポーションズ(2005年)、スタセリタ(2009年)
アスタルテ賞 – ディヴァインプロポーションズ(2005年)
ムーラン・ド・ロンシャン賞 – スタークラフト(2005年)
サンクルー大賞 – プライド(2006年)
サンタラリ賞 – コケレイエ(2007年)、ベルエセレブル(2008年)、スタセリタ(2009年)
イスパーン賞 – ネヴァーオンサンデー(2009年)
ジョッケクルブ賞(仏ダービー) – ルアーヴル(2009年)
ヴェルメイユ賞 – スタセリタ(2009年)
クリストフ・ルメール騎 イギリス
クイーンエリザベス2世ステークス – スタークラフト(2005年)
チャンピオンステークス – プライド(2006年)、リテラト(2007年)
1000ギニー – ナタゴラ(2008年)
2000ギニー – マクフィ(2010年)
クリストフ・ルメール騎 日本


クリストフ・ルメール騎 中央競馬 
GI競走
有馬記念 – ハーツクライ(2005年)
エリザベス女王杯 – リトルアマポーラ(2008年)
ジャパンカップダート – カネヒキリ(2008年)
ジャパンカップ – ウオッカ(2009年)
重賞競走
クイーンカップ – コイウタ(2006年)
中日新聞杯 – トーホウアラン(2006年)
ダイヤモンドステークス – トウカイトリック(2007年)
愛知杯 – ディアデラノビア(2007年)
クリストフ・ルメール騎 地方競馬
JpnI競走
川崎記念 – ヴァーミリアン(2007年)、カネヒキリ(2009年)
東京大賞典 – カネヒキリ(2008年)
重賞競走
名古屋グランプリ – ヴァーミリアン(2006年)
アラブ首長国連邦 [編集]
ドバイシーマクラシック – ハーツクライ(2006年)

福永祐一騎手!今期100勝達成おめでとうございます!!

毎日王冠で福永祐一騎手はダークシャドウで勝ち、今季100勝目を挙げました。
シルポートの逃げを追い、直線でのたたき合いが見ごたえありました。
ダークシャドウは、あの位置からよく差し切れましたね。福永騎手も、冷や汗たらたらだったでしょう。
本格化しての秋の天皇賞GI挑戦、楽しみです。
天皇賞では、何番人気になるでしょうか?
ブエナビスタ、アーネストリー、ローズキングダム、エイシンフラッシュ、ルーラーシップの次くらいかな?

しかし4歳は層が厚いですね。

福永 祐一 エピソード

福永 祐一エピソード
父・洋一の兄弟である伯父には競馬関係者が多い。

長兄・甲はJRAの元騎手・元調教師、次兄・二三雄は大井競馬の元騎手、三男・尚武は船橋競馬の元騎手である。洋一は四男。
母の弟である叔父にも元・騎手の北村卓士がいる。
子供の頃から栗東の福永家は武家と隣同士であり、武豊(豊は厳密には京都市伏見区出身)や武幸四郎とはご近所さんの間柄だった。

しかし、直前に負った足の骨折で体力試験をパスできずに不合格。これにより福永は幻の11期生となったが、その後1年間近江兄弟社高等学校に通い、翌年に再受験し合格したため、1歳年上の細江純子以外の同期生は福永より1歳年下である。
また2・3歳戦が得意で、そのことは本人も自負している。実際、2・3歳の重賞(特に牝馬限定戦)でも上位の戦績を誇る。

特に2002年は2歳馬のGI(阪神ジュベナイルフィリーズ:ピースオブワールド、朝日杯フューチュリティステークス:エイシンチャンプ)を両方とも制覇している。
優駿牝馬(オークス)では2004年から4年連続連対(3勝2着1回)という驚異的な成績を残していた。

2007年の同競走を外国産馬のローブデコルテで勝利した時のTV中継での勝利インタビューで、「オークス3勝目、相性いいですね」の問いに対して「新オークス男です」と語った。
小倉で行われる2歳オープン戦・フェニックス賞に強く、2001年から2007年までで6勝2着1回という成績を残し2003年から2007年まで5連勝を記録していた(これは武豊の若駒ステークス5連勝、河内洋の万葉ステークス5連勝に並ぶ同一特別競走の最多連勝タイ記録である)。

本人曰く「フェニックス男」である(ABCラジオ・オン・ザ・ターフ!より)
なお2007年は後述のとおり主戦を務めた前年の北橋厩舎に続き瀬戸口厩舎が解散することで(両厩舎とも夏競馬は小倉競馬場を主戦場にしていた)、夏競馬については新潟競馬場を主戦場にする旨を仄めかし(実際にその通りにしていた)、記録達成する意思が無いように述べていたが、ビーチアイドルの前走に騎乗した武豊が欧州遠征でフェニックス賞に騎乗出来ないために、祐一が騎乗することとなり、5連勝・7年連続連対を達成した。

2007年の天皇賞・秋ではカンパニーに騎乗したが最後の直線でコスモバルクが左右によれたことにより不利を受けたとされ、地方競馬所属で同馬の騎手である五十嵐冬樹に対し「コスモバルクは毎回、毎回やっている。五十嵐さんはG1に乗る騎手じゃない。

と発言したと報道され一部で物議を醸したが、本人はこの発言を否定している。
逆に翌年の日本ダービーで、福永はモンテクリスエスに騎乗し1コーナーでかなりの斜行をしている。

被害馬は同レース3着のブラックシェルであったが、騎乗していた武豊騎手は「1コーナーをスムーズにいければあるいは…」という談話を残している。
テレビゲームマニアで、幼少の頃は信長の野望シリーズや三國志シリーズ(どちらもコーエー)に熱中していた他、「イメージトレーニングのため」と称して『ジーワンジョッキー』シリーズ(コーエー)をプレイすることが多いという。

『ジーワンジョッキー』ではゲーム中に自分自身が実名で登場するため、自分の名前ではなくエディット機能を使用して父・洋一の名前でプレイしている。
小学校時代、体育で縄跳びが苦手で、二重跳びが全くできなかった。

これは2010年4月18日に中山(皐月賞終了後)のファンイベントで明らかになったものだが、そのイベントで二重跳びが1回だけだが成功した。
2010年5月10日に高知競馬場で行われた第1回「福永洋一記念」(父の名を冠したレースが、息子である本人の熱意によって実現)。

福永 祐一 騎乗成績

福永 祐一 騎乗成績
日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初騎乗・初勝利	1996年3月2日	1回中京1日3R	4歳未勝利	マルブツブレベスト	16頭	1	1着
重賞初騎乗	1996年3月2日	1回中京1日11R	中日新聞杯	オグリワン	16頭	6	15着
重賞初勝利	1997年11月15日	5回東京5日11R	東京スポーツ杯3歳S	キングヘイロー	12頭	1	1着
GI初騎乗	1996年10月20日	4回京都6日10R	秋華賞	シーズグレイス	18頭	12	6着
GI初勝利	1999年4月11日	2回阪神6日11R	桜花賞	プリモディーネ	18頭	4	1着
年度	1着	2着	3着	騎乗数	勝率	連対率	複勝率	表彰
1996年	53	49	45	518	.102	.197	.284	JRA賞(最多勝利新人騎手)
1997年	62	59	56	692	.090	.175	.256	
1998年	52	52	55	635	.082	.164	.250	
1999年	43	39	31	398	.108	.206	.284	
2000年	84	71	61	660	.127	.235	.327	
2001年	81	68	69	749	.108	.199	.291	
2002年	89	62	78	722	.123	.209	.317	JRA優秀騎手賞
2003年	83	78	67	696	.119	.231	.328	
2004年	96	81	96	771	.125	.230	.354	JRA優秀騎手賞
2005年	109	70	81	811	.134	.221	.321	JRA優秀騎手賞
2006年	88	69	87	820	.107	.191	.298	JRA優秀騎手賞
2007年	82	80	67	744	.110	.218	.308	
2008年	86	70	86	804	.107	.194	.301	
2009年	93	82	89	825	.113	.212	.320	
2010年	109	108	82	809	.135	.268	.370	
中央	1210	1038	1050	10654	.114	.211	.310
地方	55	55	61	402	.137	.274	.425
騎乗成績
日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初騎乗・初勝利	1996年3月2日	1回中京1日3R	4歳未勝利	マルブツブレベスト	16頭	1	1着
重賞初騎乗	1996年3月2日	1回中京1日11R	中日新聞杯	オグリワン	16頭	6	15着
重賞初勝利	1997年11月15日	5回東京5日11R	東京スポーツ杯3歳S	キングヘイロー	12頭	1	1着
GI初騎乗	1996年10月20日	4回京都6日10R	秋華賞	シーズグレイス	18頭	12	6着
GI初勝利	1999年4月11日	2回阪神6日11R	桜花賞	プリモディーネ	18頭	4	1着
年度	1着	2着	3着	騎乗数	勝率	連対率	複勝率	表彰
1996年	53	49	45	518	.102	.197	.284	JRA賞(最多勝利新人騎手)
1997年	62	59	56	692	.090	.175	.256	
1998年	52	52	55	635	.082	.164	.250	
1999年	43	39	31	398	.108	.206	.284	
2000年	84	71	61	660	.127	.235	.327	
2001年	81	68	69	749	.108	.199	.291	
2002年	89	62	78	722	.123	.209	.317	JRA優秀騎手賞
2003年	83	78	67	696	.119	.231	.328	
2004年	96	81	96	771	.125	.230	.354	JRA優秀騎手賞
2005年	109	70	81	811	.134	.221	.321	JRA優秀騎手賞
2006年	88	69	87	820	.107	.191	.298	JRA優秀騎手賞
2007年	82	80	67	744	.110	.218	.308	
2008年	86	70	86	804	.107	.194	.301	
2009年	93	82	89	825	.113	.212	.320	
2010年	109	108	82	809	.135	.268	.370	
中央	1210	1038	1050	10654	.114	.211	.310
地方	55	55	61	402	.137	.274	.425

福永 祐一 成績

福永 祐一 成績

福永 祐一 GI・JpnI競走勝利
(斜字は統一GI、太字は海外GIを指す)
1999年
桜花賞 - プリモディーネ
朝日杯3歳ステークス - エイシンプレストン
2001年
香港マイル - エイシンプレストン
2002年
クイーンエリザベス2世カップ - エイシンプレストン
JBCスプリント - スターリングローズ
阪神ジュベナイルフィリーズ - ピースオブワールド
朝日杯フューチュリティステークス - エイシンチャンプ
2003年
クイーンエリザベス2世カップ - エイシンプレストン
2004年
高松宮記念 - サニングデール
優駿牝馬 - ダイワエルシエーロ
2005年
フェブラリーステークス - メイショウボーラー
桜花賞 - ラインクラフト
NHKマイルカップ - ラインクラフト
優駿牝馬 - シーザリオ
アメリカンオークス招待ステークス - シーザリオ
朝日杯フューチュリティステークス - フサイチリシャール
2006年
エリザベス女王杯 - フサイチパンドラ
2007年
優駿牝馬 - ローブデコルテ
2010年
阪神ジュベナイルフィリーズ - レーヴディソール
JRA・GI 14勝(海外GI4勝、交流1勝)

和田 竜二

和田 竜二(わだ りゅうじ、1977年6月23日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の騎手。
1996年栗東・岩元市三厩舎所属騎手としてデビュー、同年12月にステイヤーズステークスをサージュウェルズで制し、花の12期生の中では最初に重賞を制覇するなどデビュー年は33勝を挙げ、関西新人騎手賞を獲得している。
1999年の皐月賞をテイエムオペラオーで制しGI初制覇、翌2000年には京都記念→阪神大賞典→天皇賞(春)→宝塚記念→京都大賞典→天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念、と見事に重賞を8連勝して前人未到の古馬GIグランドスラムという大記録を達成するなど大活躍。

テイエムオペラオー引退後はG1勝利こそ無いものの、毎年30勝以上をコンスタントに稼ぎ、2005年には自身初の年間50勝越えも達成した。現在では関西リーディングの上位にも名を連ねるほどの成績を挙げている。

渡辺 薫彦

渡辺 薫彦(わたなべ くにひこ、1975年4月5日 - )は日本中央競馬会(JRA)沖芳夫厩舎所属の騎手。
戸籍上での表記は渡邊である。
妻は関西テレビ『ドリーム競馬』の司会を務めていた水野麗奈。

栗東トレセン内にある駿風寮の寮長である。
1975年4月、沖芳夫厩舎にて厩務員を務める渡辺薫の嫡男として出生、また伯父の古川博も古川平厩舎で調教助手を務める[4]という競馬に近い環境で育ち、1994年3月父の務める沖厩舎の所属騎手としてデビュー、以後現在まで同厩舎に所属し続けている。

デビュー当初より着実に勝ち鞍を積み重ねるも、重賞で人気を背負いながら経験の薄さを懸念される[5]など重賞タイトルにはなかなか手が届かなかったが、1999年ナリタトップロードとのコンビでクラシック戦線にて活躍(詳細は後述)、同馬引退後はGI戦線の常連馬には出会えていないが、関西の中堅騎手として騎乗数や勝ち星を伸ばしている。
この他2007年にはソウル競馬場で行われる韓国国際騎手競走へ招待され初の海外競走への騎乗も経験している(結果は10人中9位)。

ナリタトップロードなどに見られるように、先行からの粘りを最も得意としているが、近年ではタマモホットプレイやカネトシツヨシオーなどに見られるように差し・追い込みにも戦略の幅を広げている。また、時折人気薄を2着に持ってくることから関西では穴騎手として人気がある[7]。
ナリタトップロード

渡辺を語る上で最も大きな存在がナリタトップロードである。1999年のきさらぎ賞で2番人気の同馬に騎乗し勝利。

これが重賞初制覇となった。この年のクラシックにナリタトップロードと共に参戦するが、皐月賞3着、東京優駿2着と、あと一歩のところで届かず、東京優駿のレース後には悔し涙を流した。

そして、秋の菊花賞でGI初制覇を成し遂げた。現在までのところ、これが唯一のGI勝利である。

なお、ナリタトップロードの全8勝中7勝は渡辺騎乗によるものである。
しかし、ナリタトップロードの資質を十分に発揮した騎乗ができていないとの批判もあり、途中的場均・四位洋文と鞍上を交替させられたこともあるが、結局は渡辺の元に戻ってくる。

2001年の阪神大賞典で2戦騎乗した的場から再び騎乗機会が来るが、主戦騎手は俺だと言わんばかりに直線突き放しても追い続け、後続に8馬身差をつけ、さらに芝3000mの世界レコードという勝利を収めている。
その後、落馬によるケガで2002年シーズンの秋は四位洋文に3戦乗り替わる、そして京都大賞典の完勝と秋の天皇賞2着惜敗という結果を受け、渡辺はもう自分の元には戻ってこないと思ったという。

しかしジャパンカップで惨敗し、有馬記念が引退レースとなる。ファンの声もあり渡辺は三たびナリタトップロードの鞍上に帰ってくる。

関係者インタビューでは渡辺が涙で思わず声を詰まらせる場面があった。
産駒のデビューを待っていた矢先、2005年11月7日にナリタトップロードの訃報があった。

その直後に、ベストアルバムに騎乗したエリザベス女王杯での本馬場入場の紹介の際に「ベストアルバム…亡き友に健闘を誓う渡辺薫彦です。」という紹介があった。

吉田 豊

吉田 豊(よしだ ゆたか、1975年4月19日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手。
騎手の吉田隼人は実弟。
1994年3月6日、中山競馬第2競走でチャーリーブラボーに騎乗してデビュー(14頭立ての12着)。

同日の第5競走でエリモハヤブサに騎乗して初勝利を挙げる。
1996年、阪神3歳牝馬ステークスをメジロドーベルで制し、初の重賞勝利をGI勝利で挙げる。

以後、メジロドーベルとのコンビでは、1997年の優駿牝馬(オークス)、秋華賞を制するほか、1998年、1999年とエリザベス女王杯を連覇した。勝ち星を順調に積み重ね、関西所属の武豊に対比して「東のユタカ」「東の豊」と呼ばれ、関東のトップ騎手、日本を代表する騎手になることを期待する声もあった。
1999年に後藤浩輝騎手から木刀で殴打・暴行される事件が起きた。その後の2003年の天皇賞(秋)では、後藤騎乗のローエングリンが内から好スタートを切ったが、ゴーステディに騎乗した吉田もハナを主張(調教師から「何が何でもハナに行け」と指示があったため)。

2004年にはドバイワールドカップでリージェントブラフに騎乗、9着となる。
2004年には弟の隼人がJRAの騎手デビューしている。

関西への遠征時、自らの騎乗馬に藤田の伸二と書かれた腹帯を借りて着用していることがある。メジロドーベルのエリザベス女王杯時など(藤田の著書「競馬番長のぶっちゃけ話」より)。

吉田 隼人

吉田 隼人(よしだ はやと、1983年12月20日 - )は日本中央競馬会(JRA)の美浦所属の騎手である。
兄の吉田豊もJRA美浦所属の騎手である。
競馬学校第20期生として卒業し、2004年に騎手免許を取得(同期には藤岡佑介、津村明秀らがいる)。

また朝日杯フューチュリティステークスに出走したアポロノサトリはそれまで吉田が騎乗し2戦2勝の好相性であったが、その時点での通算勝利数は26勝であり、GI騎乗可能となる通算勝利数(31勝)を満たせていなかったため、蛯名正義に乗り替わりとなる試練もあった(結果は8着)。
翌2006年4月9日の中山競馬で中央競馬通算31勝目をあげ、晴れてGIへの騎乗が可能となった。
さらに、4月22日の福島競馬第11競走福島牝馬ステークスをロフティーエイムで優勝し重賞初制覇。この勝利で史上初の兄弟の初重賞制覇が共に牝馬限定の重賞となった。

兄・豊の重賞初制覇は、1996年に行われたメジロドーベルでの阪神3歳牝馬ステークスである。また同年は60勝を挙げ、年間勝ち数で兄・豊(57勝)を上回った。
2009年11月21日の福島記念でサニーサンデーで重賞制覇したが2着に兄・豊のトウショウシロッコが入り吉田兄弟で初の重賞ワン・ツー・フィニッシュを達成した。

吉田 隼人 人物
仲の良い騎手は後藤浩輝など。

後藤とは一緒にイベントに出演するぐらいの仲である。
吉田 隼人 主な騎乗馬
ロフティーエイム(2006年 福島牝馬ステークス)
ルルパンブルー(2007年 フェアリーステークス)
アグネスアーク(2007年 天皇賞(秋)2着)
プレミアムボックス(2008年 オーシャンステークス)
マイネカンナ(2008年 福島牝馬ステークス)
フォゲッタブル(2009年 菊花賞2着)
ミヤビランベリ(2009年 アルゼンチン共和国杯)
サニーサンデー(2009年 福島記念)
このほか、白毛馬で初の重賞勝利馬となったユキチャンにも、デビューから4戦騎乗していた。

横山 義行

横山 義行(よこやま よしゆき、1974年3月19日 - )は日本中央競馬会(JRA)所属の騎手。
競馬学校8期生。同期には上村洋行、後藤浩輝らがいる美浦トレーニングセンターの加賀武見厩舎所属で1992年にデビュー。

同馬の故障引退後、ゴーカイ号にめぐり会い、「東京オータムジャンプ」を勝利。翌春、国際競走化された障害競走「中山グランドジャンプ(J・GI)」にて、一番人気に応え優勝。

平地競走でも既に100勝を達成しており、史上5人目の平地・障害100勝を達成した。

横山 義行 主な騎乗馬
ビクトリーアップ(1998年中山大障害(秋))
ゴーカイ(1999年東京オータムジャンプ、2000年東京ハイジャンプ、2000年・2001年中山グランドジャンプ)
オンワードメテオ(2002年新潟ジャンプステークス)
テンビーエース(東京オータムジャンプ)
メルシーエイタイム(2007年中山大障害)
タイキレーザー(2008年東京オータムジャンプ)
エーシンディーエス(2009年京都ジャンプステークス)
横山 義行 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗1992年3月1日2回中山2日1R4歳未勝利サンリバカメハメハ15頭715着
初勝利1992年3月7日2回中山3日2R4歳未勝利センターグリーン16頭91着
重賞初騎乗1992年8月2日2回札幌8日11R札幌3歳ステークステキサスローズ14頭107着
GI初騎乗2000年2月20日1回東京8日11Rフェブラリーステークステセウスフリーゼ16頭1612着
障
害初騎乗1992年4月4日3回中山3日5R障害未勝利センターコスモ8頭45着
初勝利1995年12月9日5回中山3日6R障害未勝利エステージュピター10頭61着
重賞初騎乗1996年4月6日2回中山5日9R中山大障害(春)エステージュピター9頭9中止
重賞初勝利1998年12月19日5回中山5日10R中山大障害(秋)ビクトリーアップ8頭31着
JGI初騎乗1999年4月11日3回中山6日10R中山グランドジャンプビクトリーアップ10頭24着
JGI初勝利2000年4月15日3回中山7日10R中山グランドジャンプゴーカイ16頭11着

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