北村 宏司(きたむら ひろし、1980年7月24日 – )は日本中央競馬会(JRA)の美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
北村宏司 プロフィール
馬術の国体選手だった父親が、家で馬を飼っていたこともあり、幼少の頃から乗馬に親しんでいた。
競馬学校騎手過程15期生で1999年に騎手デビュー。同期には二本柳壮、高田潤らがいる。初騎乗は同年3月6日、中京競馬第4競走のイブキアーンドランで、16頭立ての16着だった。初勝利は同年3月14日、中山競馬第2競走でタイキコンコルドに騎乗してのものであった。その年は6月に左足を骨折し、それによる1ヶ月の休養があったものの37勝を挙げ、JRA賞(最多勝利新人騎手)を獲得した。
デビュー翌年の2000年1月30日、東京競馬場での東京新聞杯を単勝7番人気のダイワカーリアンで制して重賞初勝利。その後もコンスタントに勝利を挙げ、関東リーディングの上位に名を連ねる。
所属の藤沢和雄厩舎はGIによく管理馬を送り出すが、北村が騎乗していた馬がGI出走になると他のリーディング上位の騎手や外国人騎手に乗り替わりというパターンが多かった。しかし、岡部幸雄が2005年に引退して以降は実力のある馬の騎乗が回ってきている。また、藤沢も2006年からは「日本人騎手育成のためにオリビエ・ペリエ、ケント・デザーモなどの外国人騎手に依頼せずに(自身の厩舎に所属する騎手を中心とした)日本人騎手に依頼する」と宣言しているため、更に有力馬への騎乗機会が増えている。
ダンスインザムードに騎乗した2005年の天皇賞(秋)では、それまで不振に陥っていた同馬を、前年に2着したときと同じような先行3番手という競馬を試みた結果、僅差の3着に粘らせ復活させた。
さらに2006年のヴィクトリアマイルでは同馬を桜花賞以来2年ぶりの勝利に導き、自身初のGIタイトルを獲得。同時にヴィクトリアマイルの初代優勝騎手となった。ヴィクトリアマイルの8日後には東西騎手対抗サッカー大会に参加。この場でも東軍(Jスマイル)を勝利へと導き、MVPに選ばれる活躍を見せた。
2008年、アメリカ合衆国へ遠征していた自厩舎のカジノドライヴのピーターパンステークスへ向けての調教を行うためのパートナーとして渡米し、5月7日の追い切り後に帰国した。その帰国直後の5月11日に京都競馬場で行われた第12競走でジェイケイボストンに騎乗し、最後の直線で前の馬と触れてつまずいたことにより落馬し、その後左前腕部骨折、左大腿部挫創と診断された。
なおジェイケイボストンの落馬直後にはコンゴウダイオーと鞍上の武英智(北村と同期でもある)が接触し、後者も落馬するという大きな落馬事故となっている。そして療養中には普段できないことをしたいということからフランスへ競馬研修を行うなどした。傷が癒えて8月21日より調教に復帰し、9月13日より実戦復帰を果たし、復帰初日に勝利を挙げている。
そして復帰2週目の9月21日には2頭落馬というアクシデントの中、セントライト記念をダイワワイルドボアで勝ち、2008年初重賞勝ちを記録した。
北村宏司 重賞勝利
2000年
東京新聞杯(GIII) ダイワカーリアン
関屋記念(GIII) ダイワテキサス
新潟記念(GIII) ダイワテキサス
新潟3歳ステークス(GIII) ダイワルージュ
2004年
共同通信杯(GIII) マイネルデュプレ
2005年
エプソムカップ(GIII) スズノマーチ
セントライト記念(GII) キングストレイル
2006年
京成杯(GIII) ジャリスコライト
ヴィクトリアマイル(GI) ダンスインザムード
2007年
クイーンカップ(GIII) イクスキューズ
日経賞(GII) ネヴァブション
2008年
セントライト記念(JpnII) ダイワワイルドボア
2009年
ダイヤモンドステークス(GIII) モンテクリスエス
エルムステークス(GIII)マチカネニホンバレ
2010年
中山牝馬ステークス(GIII) ニシノブルームーン
関屋記念(GIII) レッツゴーキリシマ
レパードステークス(重賞) ミラクルレジェンド
2011年
フィリーズレビュー(GII) フレンチカクタス
北村宏司 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1999年3月6日 1回中京7日4R 4歳未勝利 イブキアーンドラン 16頭 16 16着
初勝利 1999年3月14日 2回中山6日2R 4歳未勝利 タイキコンコルド 14頭 1 1着
重賞初騎乗 1999年4月25日 2回東京2日11R NZT4歳S タイキトレジャー 18頭 6 3着
重賞初勝利 2000年1月30日 1回東京2日11R 東京新聞杯 ダイワカーリアン 16頭 7 1着
GI初騎乗 2000年5月7日 2回東京6日11R NHKマイルカップ マイネルブライアン 18頭 7 14着
GI初勝利 2006年5月14日 2回東京8日11R ヴィクトリアマイル ダンスインザムード 18頭 2 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1999年 37 25 25 363 .102 .171 .240
2000年 38 40 46 592 .064 .132 .209
2001年 54 52 55 652 .083 .163 .247
2002年 41 62 53 596 .069 .173 .262
2003年 78 56 72 690 .113 .194 .299
2004年 65 55 59 745 .087 .161 .240
2005年 59 63 45 740 .080 .165 .226
2006年 79 72 66 842 .094 .179 .258
2007年 61 76 72 821 .074 .167 .255
2008年 55 40 35 513 .107 .185 .253
2009年 87 77 57 828 .105 .198 .267
2010年 60 80 64 878 .068 .159 .232
中央 714 698 649 8260 .086 .171 .250
地方 20 16 23 212 .094 .170 .278
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北沢 伸也(きたざわ しんや、1971年6月9日 – )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「北沢」と表記されるが、正しくは「北澤 伸也」である。
北沢伸也プロフィール
1971年、東京都江戸川区に生まれる。3歳の時に千葉県市川市に移住、幼少の頃から父親と一緒に近郊の中山競馬場を訪れていた。
北沢を騎手にしたいと望んだ父親の勧めで、中学2年次から乗馬を始め、中学校卒業後、JRA競馬学校騎手課程に第6期生として入学した。主な同期生には江田照男、村山明、牧田和弥、のちに落馬事故で殉職した玉ノ井健志などがいる。
2年次から滋賀県栗東トレーニングセンターの荻野光男厩舎で研修の後、1990年に騎手免許を取得。3月3日に初騎乗、同10日に初勝利を挙げた。デビュー以降しばらくは平地競走のみに騎乗し、初年度は9勝、2年目には24勝と成績を伸ばした。
3年目にも23勝を記録したが、若手騎手の負担重量特典が失われた4年目に入ると12勝と成績を落とし、以後数年間15勝前後の成績に落ち着いた。この頃騎乗した馬に、オープン特別競走で3勝を挙げ、1995年の天皇賞(秋)で5着の成績を残した牝馬・ポジーがいる。
1998年から障害競走での騎乗を始め、やがて主戦場とした。2002年にミレニアムスズカで阪神ジャンプステークスを制し、デビュー13年目で重賞を初制覇。2010年にはトーワベガで阪神スプリングジャンプを制して重賞2勝目を挙げ、年間では障害で12勝を挙げて優秀障害騎手賞(第2位)を初受賞した。
北沢伸也 主な騎乗馬
カガミセンカ (1992年4歳牝馬特別2着)
ポジー (1995年天皇賞秋5着)
シンカイウン (1997年小倉記念3着)
ミレニアムスズカ (2002年阪神ジャンプステークス)
トーワベガ (2010年阪神スプリングジャンプ)
北沢伸也 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 1990年3月3日 1回中京1日4R 4歳上500万円下 クリヤーターボ 15頭 5 11着
初勝利 1990年3月10日 1回中京3日2R 3歳未勝利 ジョウネツ 9頭 2 1着
重賞初騎乗 1992年5月3日 2回東京4日11R 4歳牝馬特別 カガミセンカ 14頭 6 2着
GI初騎乗 1992年5月24日 3回東京2日10R 優駿牝馬 カガミセンカ 18頭 12 13着
障
害 初騎乗 1998年3月21日 1回阪神7日5R 障害400万円下 エイユーダンボー 9頭 7 9着
初勝利 1998年8月1日 4回阪神5日5R 障害未勝利 ダンディウラノス 11頭 1 1着
重賞初騎乗 1998年5月16日 3回京都7日9R 京都大障害(春) エイユーダンボー 8頭 8 3着
重賞初勝利 2002年9月14日 4回阪神3日9R 阪神JS ミレニアムスズカ 14頭 1 1着
JGI初騎乗 2001年12月22日 5回中山7日10R 中山大障害 ワンダフルシチー 10頭 9 5着
年度 障害競走 平地競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1990年 – 9 10 16 146 .062 .130 .240
1991年 – 24 24 17 268 .090 .179 .243
1992年 – 23 20 22 273 .084 .158 .238
1993年 – 12 4 7 126 .095 .127 .183
1994年 – 14 12 19 138 .101 .188 .326
1995年 – 13 12 14 165 .079 .152 .236
1996年 – 16 21 22 219 .073 .169 .269
1997年 – 10 9 7 143 .070 .133 .182
1998年 3 7 6 34 .088 .294 .471 0 3 4 94 .000 .032 .074
1999年 8 12 4 62 .129 .323 .387 1 3 0 39 .026 .103 .103
2000年 7 6 7 64 .109 .203 .313 0 3 4 39 .000 .077 .179
2001年 3 3 4 31 .097 .194 .323 0 1 0 14 .000 .071 .071
2002年 7 5 5 54 .130 .222 .315 0 1 3 26 .000 .038 .154
2003年 4 3 4 51 .078 .137 .216 0 0 0 5 .000 .000 .000
2004年 5 3 0 45 .111 .178 .178 0 0 0 9 .000 .000 .000
2005年 4 9 8 46 .087 .283 .457 0 0 0 6 .000 .000 .000
2006年 1 8 3 49 .020 .184 .245 0 0 0 3 .000 .000 .000
2007年 2 2 6 52 .038 .077 .192 0 0 0 1 .000 .000 .000
2008年 6 5 5 56 .107 .196 .286 0 0 0 1 .000 .000 .000
2009年 8 11 10 67 .119 .284 .433 0 0 0 4 .000 .000 .000
2010年 12 10 6 71 .169 .310 .394 –
中央 70 84 68 682 .103 .226 .326 122 123 135 1719 .071 .143 .221
地方 – 3 2 1 24 .125 .208 .250
関連項目 [編集]
騎手一覧
参考文献 [編集]
木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982
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川田 将雅(かわだ ゆうが、1985年10月15日 – )は日本中央競馬会(JRA)所属の騎手である。
曾祖父(川田若弥)が佐賀競馬場所属の騎手で、祖父(川田利美)・父(孝好は佐賀競馬場の現役)・伯父(宮浦正行は大井競馬場の現役)が調教師という競馬一族に生まれる。同じくJRA所属の鮫島良太騎手とは、幼稚園時代から先輩後輩の関係。
妻は元タレントのおおつか麗衣[1]。
川田将雅プロフィール
2004年3月7日、栗東・安田隆行厩舎所属の騎手として中京競馬第2競走のシュアリーゴールドでデビューし、15頭立ての5着に入る。初勝利は3月20日、阪神競馬第8競走のホーマンルーキー。
1年目は16勝で終わるが人気薄の3着が多く、その頃からも穴騎手として注目されていた。とりわけ500万円以下クラスの3着率が高く、1年目の3着17回のうち12回は500万円以 下クラスでのものであった。
2005年は成績を大きく伸ばし、39勝を挙げた。しかし特別競走での勝利は前年のゲヴァルトの甲東特別とエイシンヘーベの大濠特別の2勝のみで、依然として穴騎手という印象が強かった。
2006年からはフリーの騎手として活動している。小倉大賞典をメジロマイヤーとのコンビで逃げ切り、重賞初制覇を達成する。さらに中京記念ではマチカネオーラとのコンビで豪快に捲り、重賞2勝目をあげた。
そして、東京優駿(日本ダービー)で初めてのGI級競走騎乗を果たす(スーパーホーネットで15着)とその直後の目黒記念をポップロックで勝利した。
同年9月30日の中京競馬第4競走で落馬し、右橈骨骨幹部骨折・右尺骨頭脱臼という大怪我を負った。2007年1月6日の京都競馬で復帰するまで長期休養を余儀なくされたが、この間「観るとイライラするので競馬は観なかった」という(後述の「ジョッキー・スペシャルトーク」での発言)。
2008年4月20日、第68回皐月賞をキャプテントゥーレで制覇し、GI級競走及びクラシック競走初勝利を飾った。
2009年11月3日、公営名古屋競馬場で開催された第9回JBCスプリントをスーニで制覇し、交流重賞競走初勝利を挙げた。
2006年には関西騎手リーディング11位、2007年には同8位、2008年も同8位に入るなど、若手としてトップクラスの活躍を見せている。また接戦に強く、2006年に写真判定になった際の勝率は10回以上機会があった騎手の中で第1位だった。
川田将雅 エピソード
2005年2月26日の丹波特別でゲヴァルトがゲートで暴れて第2頚椎骨折を発症し斃死した。その時、将雅は真っ先にゲヴァルトの元に向かい、その後関係者から渡されたゲヴァルトのゼッケンを持ち帰り、泣き崩れていたという話がある。将雅にとっては初の特別勝ちをもたらしてくれた馬である。
2007年2月26日、東京都渋谷区のプラザエクウスで行われた「ジョッキー・スペシャルトーク」に吉田隼人と共に登場した。前日に阪神競馬場で騎乗し、翌日には栗東に戻って調教に騎乗するというハードスケジュールであった。
競馬学校での生活について「全てが嫌でした。毎日同じことの繰り返しで」などと話した。
好きな女性のタイプは大人しい人。しかし好きな芸能人の話では、そういったタイプとは遠い印象の沢尻エリカの名を挙げ「ギャフンと言わせたい」と話した。
「同期の中で最初にGIを勝つのは自分だと思っている。理由は『取れると思っていないと取れるものも取れない』ため。」と語っている。なお、2008年の皐月賞を優勝し、同期では最初のGI制覇を果たしたことで実現した。
初重賞勝利となった2006年の小倉大賞典において、騎乗したメジロマイヤーの馬主である「メジロ牧場」の勝負服(白・緑一本輪・袖緑縦縞)を着用すべきところを、誤って「メジロ商事」の勝負服(白・緑一本輪・緑袖)を着用しレースに騎乗するアクシデントがあった(勝負服を用意するのは調教師である田島良保の義務となる)。
2007年4月1日、阪神競馬第1レースの3歳未勝利戦にて白毛馬のホワイトベッセルに騎乗して勝利。JRA史上初の白毛馬での勝利騎手として歴史に名を残すこととなった。この時は余程嬉しかったのか、第1レースの未勝利戦であるにもかかわらずガッツポーズを見せた。レース後のコメントでも「重賞レースと同じくらい興奮した」と語っている。
ジャンクSPORTSに出演した際、プロ野球選手を目指していた中学校の友人と「自分が騎手になったらジャンクSPORTSで再会しよう」と誓い合っていたことを明かした。
2008年12月、スカパー!『公営競技スペシャルプログラムSUPER STAR RACERS』では競馬界代表として出演を果たした。
『探偵!ナイトスクープ』2009年4月10日放送分の「阪神競馬場の上り坂は本当にキツイ!?」に出演。競馬場の副場長や新聞の競馬担当記者、競馬番組のキャスターらとダート1200メートルを走り見事1位になる。タイムは6分20秒だった。感想は「馬って本当に頑張っているんだなって。これから馬に感謝しながら馬に乗って行きたいと思います」であった。
勝利騎手インタビューで、自分が乗った馬の事を「この子」と言う。
川田将雅 主な騎乗馬
2010年菊花賞
キャプテントゥーレ (2007年デイリー杯2歳ステークス、2008年皐月賞、2009年朝日チャレンジカップ)
アドマイヤフジ (2008年・2009年中山金杯)
スーニ (2009年JBCスプリント、2010年黒船賞・東京スプリント、2011年サマーチャンピオン)
ダイシンオレンジ (2010年アンタレスステークス、2011年平安ステークス)
ダッシャーゴーゴー (2010年セントウルステークス・2011年オーシャンステークス・2011年CBC賞)
ビッグウィーク (2010年菊花賞)
ゴルトブリッツ (2011年マーキュリーカップ)
騎乗成績 [編集]
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2004年3月7日 1回中京2日2R 3歳未勝利 シュアリーゴールド 15頭 7 5着
初勝利 2004年3月20日 1回阪神7日8R 4歳上500万円下 ホーマンルーキー 16頭 3 1着
重賞初騎乗 2004年6月6日 2回中京6日11R 愛知杯 カレンバレリーナ 18頭 17 11着
重賞初勝利 2006年2月4日 1回小倉5日11R 小倉大賞典 メジロマイヤー 16頭 11 1着
GI初騎乗 2006年5月28日 3回東京4日10R 東京優駿 スーパーホーネット 18頭 18 15着
GI初勝利 2008年4月20日 3回中山8日11R 皐月賞 キャプテントゥーレ 18頭 7 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2004年 16 9 17 255 .063 .098 .165
2005年 39 37 35 543 .072 .140 .204
2006年 59 52 38 522 .113 .213 .285
2007年 58 75 56 727 .080 .183 .260
2008年 73 64 51 673 .108 .204 .279
2009年 65 62 65 712 .091 .178 .270
2010年 83 69 69 708 .117 .215 .312
中央 393 368 331 4140 .095 .184 .264
地方 9 14 10 91 .099 .252 .363
川田将雅 メディア出演
テレビ
ジャンクSPORTS(2008年9月7日・11月9日・2009年4月26日、フジテレビ)
公営競技スペシャルプログラム SUPER STAR RACERS(2008年12月6日)
サタうま!(2009年1月10日、関西テレビ)
探偵!ナイトスクープ(2009年4月10日、ABCテレビ)
武豊TV!(フジテレビ739)
CM
競馬学校(2009年)※松岡正海と共演。
川田将雅 脚注
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^ “川田が結婚!相手は元ブラン娘の大塚麗衣さん”. スポーツニッポン. (2011年4月27日) 2011年4月28日閲覧
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
川須 栄彦(かわす はるひこ、1991年11月9日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター所属の騎手である。
川須 栄彦 プロフィール
2007年4月にJRA競馬学校騎手課程第26期生として入学。2010年2月に卒業して騎手免許を取得した[1]。同期には菅原隆一、平野優、高倉稜らがいる。
競馬学校卒業後は栗東の本田優厩舎に所属。2010年3月13日、第2回中京競馬3日目第1競走のビーンケードで初騎乗(16頭立て13着)。2010年5月23日、第1回新潟競馬8日目第1競走でメイショウクレモナに騎乗して初勝利[2]。
2010年12月9日、本田厩舎を離れ、フリーに転向[3]。本人によれば、この直前に行われた騎手免許更新のための講習会[4]の存在を失念し、講習会に遅刻したことで調教師の本田の逆鱗に触れたことが直接の原因だが、それ以前から「厩舎のことを考えない行動が目立つ」等の理由で本田との仲が悪化していたとのことで、半ば所属厩舎から追放されるような形でフリーにならざるを得なかったという[5]。
川須 栄彦 人物
競馬関係者の間では、同期の高倉と苗字をごっちゃにされ「高須君」と呼ばれることが少なくない。『武豊TV!II』(フジテレビワンツーネクスト)では、武豊、幸英明などの先輩ジョッキーが度々川須のことを「高須君」と間違えて呼んでいる。
川須 栄彦 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2010年3月13日 2回中京3日1R 3歳未勝利 ビーンケード 16頭 9 13着
初勝利 2010年5月23日 1回新潟8日1R 3歳未勝利 メイショウクレモナ 15頭 3 1着
年度 平地競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2010年 18 13 26 345 .052 .090 .165
中央 18 13 26 345 .052 .090 .165
川須 栄彦 脚注
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^ 競馬学校 騎手課程第26期生が卒業”.JRA(2010年2月9日).2011年4月13日閲覧。
^ 川須栄彦騎手がJRA初勝利”.netkeiba.com (2010年5月23日).2011年4月13日閲覧。
^ 川須 本田厩舎所属からフリーに転向”.スポニチ(2010年12月9日).2011年4月13日閲覧。
^ 騎手免許取得後3年未満の騎手は毎年受講する必要がある。
^ 『競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2011年8月号 p.68
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
川島 信二(かわしま しんじ、1982年11月24日 – )は日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの所属の騎手。田島良保は義父(妻の父)にあたる。
川島信二 プロフィール
千葉県にある宝馬乗馬クラブに兄弟で練習を積んだ後、競馬学校に入学(アニマル・ベジテイション・カレッジに入学とあるが同校が開校したのは競馬学校に入学した年である)。
競馬学校第17期生の同期には難波剛健、田中亮、大庭和弥、小坂忠士らがいる。2001年に騎手免許を取得し、初騎乗は3月3日、中京競馬第1競走のイスズペルルで、10頭立ての10着だった。初勝利は同年3月4日の中京競馬第5競走で、オースミダイモンに騎乗してのものであった。
2003年にマイネルブラウで小倉大賞典を制して重賞初勝利。また、オースミハルカとのコンビで3勝を挙げている。特に2003年のクイーンステークスは、相手が休み明けだったとはいえ、女王ファインモーションの追撃を振り切る金星であった。同馬では2004年、2005年のエリザベス女王杯を2年連続2着するなどの活躍を挙げている。
2006年1月7日の京都競馬第4競走をマイネルオレアに騎乗して勝利し、JRA通算100勝を達成した。
川島信二 主な騎乗馬
マイネルブラウ(2003年小倉大賞典)
オースミハルカ(2003年クイーンステークス、2004年クイーンステークス、府中牝馬ステークス、エリザベス女王杯2着、2005年エリザベス女王杯2着)
川島信二 エピソード
フリーに転向する以前に所属していた安藤厩舎は、1993年に落馬事故で死亡した岡潤一郎が生前所属した厩舎で、安藤から「これぐらいの騎手にならなければいけないぞ」と言われて岡の鞭を託され、今もお守りとして所有しているという。
キノコが好きで、調教のウエアはキノコの刺繍である。また北海道大学へキノコ図鑑(五十嵐恒夫著『北海道のキノコ』)を買いに行ったことがある。
川島信二 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2001年3月3日 1回中京1日1R 3歳未勝利 イスズペルル 10頭 10 10着
初勝利 2001年3月4日 1回中京2日5R 4歳上500万円下 オースミダイモン 16頭 3 1着
重賞初騎乗 2002年2月3日 2回京都4日11R シルクロードステークス スニーカー 16頭 12 13着
重賞初勝利 2003年2月9日 1回小倉8日11R 小倉大賞典 マイネルブラウ 16頭 11 1着
GI初騎乗 2003年3月30日 1回中京8日11R 高松宮記念 シベリアンメドウ 18頭 15 10着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2001年 10 16 14 208 .048 .125 .192
2002年 32 35 33 447 .072 .150 .224
2003年 22 21 28 409 .054 .105 .174
2004年 13 20 28 344 .038 .096 .177
2005年 22 22 35 399 .055 .110 .198
2006年 20 27 31 429 .047 .110 .182
2007年 18 15 31 395 .046 .084 .162
2008年 13 16 21 322 .040 .090 .155
2009年 25 28 19 340 .074 .156 .212
2010年 14 20 28 371 .038 .092 .167
中央 189 220 268 3664 .052 .112 .182
地方 10 10 4 87 .115 .230 .276
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
金子 光希(かねこ みつき、1982年3月10日-)は日本中央競馬会(JRA)の騎手。
金子光希プロフィール
2000年第16期生として美浦の矢野進厩舎所属騎手としてデビュー。同厩舎にかつて所属していた蛯名正義は兄弟子にあたり、金子が目標とする騎手でもある。[1]
減量騎手から外れた2003年以降は騎乗機会が減少。デビュー当初(48キロ)に比べ体重が増え始め、この頃より障害競走中心の騎乗となった。
2003年10月以降は平地未勝利となっており、2010年現在まで平地重賞への騎乗経験は無い。
金子光希 エピソード
父はかつて中山競馬場の職員であった。[1]
美浦トレセンの独身寮である若駒寮の寮長を務めている。
テレジェニックとのコンビは同馬の引退まで4年間続き、本人は「金子光希を語るにおいて決して外せない一頭」と語っている。爾来非常に悍性のきつい馬であったが、障害レースを実に35戦し全て完走、22戦連続掲示板など「無事是名馬」と言える活躍を果たした。
金子光希 主な騎乗馬
テレジェニック(2005年秋陽ジャンプステークスほか)
シュフルール(2009年中山新春ジャンプステークスほか)
金子光希 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 2000年3月4日 2回中山3日2R 4歳未勝利 アンデス 13頭 13 13着
初勝利 2000年5月6日 1回福島5日6R 4歳未勝利 キャロルグリーン 16頭 2 1着
障
害 初騎乗 2002年2月3日 2回東京4日5R 障害未勝利 インタープレジャー 14頭 10 6着
初勝利 2002年5月3日 3回東京5日5R 障害未勝利 ダイワカーネギー 14頭 10 1着
重賞初騎乗 2002年10月12日 3回中山3日9R 東京オータムジャンプ テルテルボウズ 12頭 10 2着
JGI初騎乗 2002年12月21日 5回中山7日10R 中山大障害 ユーワブレイヴ 12頭 11 9着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2000年 3 2 6 143 .027 .035 .077 –
2001年 3 5 5 112 .027 .071 .116 –
2002年 4 4 2 151 .026 .053 .066 2 3 3 28 .071 .179 .286
2003年 4 3 2 94 .043 .074 .096 0 1 2 31 .000 .032 .097
2004年 0 2 1 26 .000 .077 .115 2 7 3 41 .049 .220 .293
2005年 0 0 0 7 .000 .000 .000 5 5 4 40 .125 .250 .350
2006年 0 0 0 7 .000 .000 .000 4 8 4 57 .070 .211 .281
2007年 0 0 0 4 .000 .000 .000 7 7 2 49 .143 .286 .327
2008年 0 0 1 11 .000 .000 .091 5 4 2 49 .102 .184 .224
2009年 0 0 0 2 .000 .000 .000 3 1 3 52 .058 .077 .135
2010年 0 0 0 1 .000 .000 .000 0 3 5 44 .000 .068 .182
中央 14 16 17 558 .025 .054 .083 28 39 28 391 .072 .171 .243
地方 0 0 0 11 .000 .000 .000
テレビ出演 [編集]
馬の王子様(2009年7月23日、フジテレビ)
脚注 [編集]
^ a b 別冊宝島騎手名鑑
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嘉藤 貴行(かとう たかゆき、1981年11月5日 – )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属する騎手。
嘉藤貴行 プロフィール
2000年、JRA競馬学校を卒業する。同期には鈴来直人らがいる。 初騎乗は3月4、中山競馬場での3レースにウインワイズマンに騎乗し16頭中9着、初勝利は同日の12レースでリアルヴィジョンで勝利した。同年19勝をマークし、民放競馬記者クラブ賞(後述。新人賞)を受賞するがその後は伸び悩んでいる。
嘉藤貴行 主な騎乗馬
レディパステル(2001年未勝利戦)
嘉藤貴行 騎乗成績
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2000年 19 22 19 288 .066 .142 .208
2001年 18 28 34 415 .043 .111 .193
2002年 19 20 21 370 .051 .105 .162
2003年 11 18 30 326 .034 .089 .181
2004年 5 7 10 210 .024 .057 .105
2005年 2 4 9 142 .014 .042 .106
2006年 2 2 5 154 .013 .026 .058
2007年 3 2 6 139 .022 .036 .079
2008年 4 2 3 150 .027 .040 .060
2009年 5 1 2 105 .048 .057 .076
中央 88 106 139 2309 .038 .084 .144
地方 1 3 2 45 .022 .089 .133
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2000年3月4日 2回中山3日3R 4歳未勝利 ウインワイズマン 16頭 12 9着
初勝利 2000年3月4日 2回中山3日12R 5歳上900万下 リアルヴィジョン 12頭 3 1着
重賞初騎乗 2000年3月26日 3回中山2日11R 日経賞 シグナスヒーロー 10頭 9 8着
GI初騎乗 2002年10月20日 4回京都6日11R 菊花賞 マイネルアムンゼン 18頭 12 14着
2000年度民放競馬記者クラブ賞(関東新人騎手賞)
2000年度場長表彰
嘉藤貴行 関連項目
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加藤 士津八(かとう しづや、1985年2月2日 – )は、JRAの美浦トレーニングセンターに所属するフリーの騎手である。父は加藤和宏調教師。
加藤士津八 プロフィール
1985年2月2日、和宏の長男として誕生する。この年、父・和宏はシリウスシンボリで東京優駿(日本ダービー)を制し、口取り式では馬上で生後4ヶ月の士津八を抱いて臨んでいる。
2000年、第19期生として競馬学校に入学する。
2003年、競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。同期には石橋脩、長谷川浩大、松岡正海らがいる。デビュー時の所属は国枝栄厩舎。現役親子騎手として話題となった。JRA初騎乗は、3月1日第3回中山2日目の12Rで6番人気のダンシングスナークに騎乗して7着だった。
3月8日、第1回中京1日目の8Rで4番人気だったエグジジェで勝利しJRA初勝利を挙げる。8月31日、重賞初騎乗となった第39回新潟記念は、16番人気のクロンヌドールで17着という結果だった。デビュー年は合計7勝を挙げた。
2007年、9月20日に9月30日から10月9日までアイルランド、イギリス、フランスにて自主研修を行うために海外出張届を提出した。
加藤士津八 成績表
日付 競馬場・開催・レース 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平地 初騎乗 2003年3月1日 3回中山1日12R 4歳上1000万円下 ダンシングスナーク 16頭 6 7着
初勝利 2003年3月8日 1回中京1日8R 4歳上500万円下 エグジジェ 16頭 4 1着
重賞初騎乗 2003年8月31日 3回新潟6日11R 新潟記念 クロンヌドール 17頭 16 17着
障害 初騎乗 2009年7月26日 2回新潟4日4R 障害未勝利 テイエムアーバン 10頭 10 10着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2003年 7 14 12 220 .032 .095 .150 –
2004年 5 11 6 219 .023 .073 .100 –
2005年 5 10 12 204 .025 .074 .132 –
2006年 1 3 10 121 .008 .033 .116 –
2007年 0 6 3 70 .000 .086 .129 –
2008年 2 11 11 106 .019 .123 .226 –
2009年 0 0 0 37 .000 .000 .000 0 0 0 1 .000 .000 .000
2010年 0 0 1 48 .000 .000 .021 0 0 0 6 .000 .000 .000
中央 20 55 55 1025 .020 .073 .127 0 0 0 7 .000 .000 .000
地方 0 0 0 11 .000 .000 .000 –
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
勝浦 正樹(かつうら まさき、1978年8月10日 – )はJRA(日本中央競馬会)美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
勝浦正樹 プロフィール
1997年にデビュー。同期には武幸四郎や秋山真一郎らがいる。初騎乗は1997年3月2日、中山競馬第2競走で、14頭立ての14着だった。初勝利は6月14日、福島競馬第1競走。
デビュー2年目の1998年に50勝を挙げる活躍を見せると、翌1999年の共同通信杯4歳ステークスでヤマニンアクロに騎乗し、重賞初勝利。2000年には函館記念をクラフトマンシップで勝利。なお、いずれも2桁人気(=低評価)での優勝(10番人気、14番人気)であった。
そして2002年、テレグノシスとのコンビでNHKマイルカップに挑み、GI初勝利だが、やや強引なレース運びが長い審議を生むこととなり、圧倒的な1番人気のタニノギムレットが被害を受けるなど、後味としては悪いものとなってしまい、複雑な心境の中でのGI初勝利であった。テレグノシスとのコンビでは、ジャック・ル・マロワ賞やムーラン・ド・ロンシャン賞などの海外遠征も行っており、ジャック・ル・マロワ賞では3着に入る健闘を見せた。
以降はGI(JpnI)勝利と縁が無かったが、2007年の朝日杯フューチュリティステークスでゴスホークケンに騎乗して見事に勝ちを収め、久し振りのGI(JpnI)勝利となった。
「最終の勝浦」の異名を持ち、その日の最終競走(通常の場合は第12競走)で人気薄の馬を上位に持ってくるなどの活躍が目立つ。
好きなスポーツは大相撲とゴルフ。相撲は両国国技館へ足を運ぶほどの熱心なファン(好角家)でもある。
勝浦正樹 主な騎乗馬
ヤマニンアクロ(1999年共同通信杯4歳ステークス)
クラフトマンシップ(2000年函館記念)
テレグノシス(2002年NHKマイルカップ、2003年京王杯スプリングカップ、2004年毎日王冠)
ディーエスサンダー(2003年マーキュリーカップ)
トーセンダンディ(2004年オールカマー)
スキップジャック(2004年京王杯2歳ステークス)
グラスボンバー(2005年福島記念)
キネティクス(2006年富士ステークス)
シーキングザベスト(2006年武蔵野ステークス)
アポロティアラ(2006年フェアリーステークス)
サウンドザビーチ(2007年TCK女王盃)
ゴスホークケン(2007年朝日杯フューチュリティステークス)
アドマイヤスバル(2009年白山大賞典)
勝浦正樹 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1997年3月2日 2回中山4日2R 4歳未勝利 ミッシーダンサー 14頭 13 14着
初勝利 1997年6月14日 1回福島1日1R 4歳未勝利 ファンタジー 12頭 1 1着
重賞初騎乗 1997年9月21日 4回中山6日11R セントライト記念 タヤスアストラル 12頭 10 12着
重賞初勝利 1999年2月14日 1回東京6日11R 共同通信杯4歳S ヤマニンアクロ 14頭 10 1着
GI初騎乗 1999年4月18日 3回中山8日11R 皐月賞 ヤマニンアクロ 17頭 10 10着
GI初勝利 2002年5月4日 3回東京6日11R NHKマイルカップ テレグノシス 18頭 4 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1997年 11 13 25 247 .045 .097 .198
1998年 50 39 46 475 .105 .187 .284
1999年 34 51 40 547 .062 .155 .229
2000年 42 54 42 629 .067 .153 .219
2001年 31 42 41 523 .059 .140 .218
2002年 53 61 57 706 .075 .161 .242
2003年 47 47 61 585 .080 .161 .265
2004年 47 51 56 704 .067 .139 .219
2005年 36 41 41 681 .053 .113 .173
2006年 35 42 67 686 .051 .112 .210
2007年 43 42 56 770 .056 .110 .183
2008年 35 49 47 678 .052 .124 .193
2009年 45 50 60 704 .064 .135 .220
2010年 36 50 63 728 .049 .118 .205
中央 545 632 702 8663 .063 .136 .217
地方 44 48 41 366 .120 .251 .363
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
小野寺 祐太(おのでら ゆうた、1990年3月12日 – )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター、伊藤正徳厩舎所属の騎手。座右の銘は「日進月歩」。
目標とする騎手は岩田康誠。
小野寺祐太 プロフィール
競馬学校25期生の卒業生である。同期には国分恭介・国分優作・松山弘平・丸山元気がいる。
2009年3月1日、中山競馬場第5レースでデビュー。エアダーミに騎乗し5着だった。同年3月29日、中山競馬場第5レースでキングヴィオラに騎乗し、13戦目で初勝利を挙げた。同期で勝利を挙げたのは松山に続き2人目。
小野寺祐太 騎乗成績
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 3 3 9 187 .016 .032 .080
2010年 9 11 17 351 .026 .057 .105
中央 12 14 26 538 .022 .048 .097
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月1日 2回中山2日5R 3歳未勝利 エアダーミ 16頭 7 5着
初勝利 2009年3月29日 3回中山2日5R 3歳未勝利 キングヴィオラ 18頭 1 1着
重賞初騎乗 2010年11月7日 5回東京2日11R アルゼンチン共和国杯 マキハタサイボーグ 18頭 18 11着
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行