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小林徹弥

小林徹弥プロフィール

1993年目野哲也厩舎所属騎手としてデビュー。同期には飯田祐史・伊藤直人・宗像徹らがいる。
1年目こそ1桁勝利に終わるが2年目の1994年から途中落馬負傷による長期戦線離脱もある中、毎年勝利数を2桁に乗せ関西の中堅騎手として活躍を続ける。

またデビュー年より障害競走にも騎乗し、重賞への出走経験も数回あったが2003年を最後に障害競走への騎乗は無い(免許は平地・障害双方を現有)。

1994年には短距離馬ニホンピロスタディとのコンビでOP特別を4勝、その2年後となる1996年、同じニホンピロの冠号馬ニホンピロプリンスにて重賞初勝利を記録している。
2009年9月12日、13日に韓国・ソウル競馬場で実施された第5回韓国馬事会国際騎手招待競走で合計4鞍に騎乗し最終第4戦目で勝利をあげた。

小林淳一

小林 淳一(こばやし じゅんいち、1973年3月12日 – )は、JRAの美浦トレーニングセンター所属する騎手である。
愛称はコバジュン。

小林淳一 プロフィール

1992年、第6期生として競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。

JRA初騎乗は、3月1日第2回中山2日の2Rで9番人気だったブランドアップに騎乗し4着。3月21日第2回中山7日の8Rで4番人気だったメジロフェンディーで勝利しJRA初勝利をあげる。

10月18日、第2回福島6日目5Rで3番人気のミュージックシチーで勝利しJRA通算100勝を達成する。
2000年、第61回優駿牝馬にて8番人気のバイラリーナに騎乗しJRAGI初騎乗を果たした(11着)。
2001年3月17日第36回フローラステークスで5番人気だったオイワケヒカリでレディパステルら有力馬に競り勝ち見事JRA初重賞勝利をあげた。
2002年11月10日、第4回中山4日目10Rで1番人気のトウカイアローで勝利しJRA通算200勝を達成する。
2005年10月22日の東京競馬第12レースにおいて出走16頭中最低人気のゼンノエキスプレスで勝利し、3連単1846万9120円のJRA史上最高配当が飛び出す大波乱の中心となった。 また、2007年5月6日のNHKマイルカップでは出走18頭中最低人気のムラマサノヨートーで3着入線し、17番人気で勝利したピンクカメオとともに当時のJRA重賞最高配当となる3連単973万9870円の波乱劇を演出するなど、記録的高配当となったレースで馬券対象に名を連ねている。

小林慎一郎

小林慎一郎は、父は元調教助手でライターの小林常浩。

小林慎一郎プロフィール

2000年、第16期生としてJRA競馬学校騎手課程を卒業、中尾謙太郎厩舎所属騎手としてデビュー。

後、厩舎解散に伴う所属変更やフリー転向を経るが特筆すべき実績は無く、迎えた騎手生活10年目となる2009年、グロリアスノアに騎乗し自身9年ぶりとなる特別競走勝ちを記録。

翌2010年には同馬とのコンビで根岸ステークスを制し重賞初勝利を挙げた他、人馬共に初の海外レース参戦となるゴドルフィンマイルへの騎乗(4着)を果たした。

なおゴドルフィンマイルに騎乗した日本人騎手は松永幹夫、武豊に次いで3人目、平地のG2競走に騎乗するのは国内外通じてこれが初めてであった。

小林慎一郎 主な騎乗馬

テンシノキセキ (2000年福島2歳ステークス)
グロリアスノア (2010年根岸ステークス、ジャパンカップダート2着)

小林慎一郎 騎乗成績

種別記録日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平地初騎乗2000年3月4日1回阪神3日1R4歳未勝利タキノルディー10頭69着
初勝利2000年3月19日1回阪神8日12R5歳上900万円下リキアイフジ13頭51着
重賞初騎乗2009年1月11日1回中山4日11Rフェアリーステークスシルクマイホーム16頭1213着
重賞初制覇2010年1月31日1回東京2日11R根岸ステークスグロリアスノア16頭111着
GI初騎乗2010年2月21日1回東京8日11Rフェブラリーステークスグロリアスノア16頭65着
障害初騎乗2000年3月25日2回阪神1日5R障害オープンイブキハイシーザー9頭77着
初勝利2008年3月9日1回阪神4日4R障害未勝利シゲルダンプウ14頭81着
重賞初騎乗2003年11月15日5回京都3日10R京都ハイジャンプイブキマンパワー6頭55着
年度平地競走障害競走
1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2000年14822197.071.112.2230001.000.000.000
2001年13912260.050.085.131-
2002年11310201.055.070.1190001.000.000.000
2003年310100.030.040.04000011.000.000.000
2004年00241.000.000.04900115.000.000.067
2005年11129.034.069.10300026.000.000.000
2006年23542.048.119.23800118.000.000.056
2007年11338.026.053.13200213.000.000.154
2008年41349.082.102.16310011.091.091.091
2009年34260.050.117.1500001.000.000.000
2010年47555.073.200.291-
中央5638651072.052.088.14810497.010.010.052
地方00114.000.000.071

後藤浩輝

後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 – )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手。

大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。
1995年に師匠である伊藤との確執などの理由でフリー騎手となる。

1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる前代未聞の不祥事を起こした。

JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった。

12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間(実効6日間)の騎乗停止処分を受ける。
翌2000年には、年末の最後まで岡部幸雄や横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には102勝)をマーク。

ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。
2002年6月2日、安田記念をアドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬のGI初勝利。

このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスでマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。

2006年11月25日、ジャパンカップダートでアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。
2007年、9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。

11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった。

ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場にてJRA通算1000勝を達成。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった。

2010年6月6日、安田記念をショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。
2011年5月22日、エリンコートで優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた。
レース後の勝利インタビューにはさまざまな小ネタを披露している。

2002年のダイヤモンドステークスを制したときには、テレビの通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。しかし「宣伝ではないか?」

とJRA上層部から注意を受けたとのちに語っている。
アドマイヤコジーンで東京新聞杯や阪急杯を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答えた。
減量騎手時代、『さんまのナンでもダービー』でポニーにちょんまげの格好で乗り、落馬をしたことがある。
レース終了後のイベントに力を入れている。

1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、俗に言う「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる。
2000年5月7日、福島競馬場にて、調教師の高市圭二から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。

小島太一

小島太一プロフィール

同期には大野拓弥、鮫島良太、塚田祥雄らがいる。初騎乗は2005年3月5日、中山競馬第2競走のメイショウジャンヌで15頭中14着だった。

同年3月12日、中京競馬第8競走でホットカフェに騎乗し初勝利を挙げる。
2007年、3月22日から5月5日まで修業のためニュージーランドへ遠征した。

2007年5月にはロッカーの中に涼宮ハルヒなどのフィギュアを入れていることが明らかになった。
藤田伸二からはゲーマーとしても評価されている。
中央競馬の騎手で初めて公式にTwitterをはじめた(その後後藤浩輝や高田潤らも始めている)。

小島太一 騎乗成績

年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2005年9119168.054.119.173
2006年121211227.053.106.154
2007年842122.066.098.115
2008年353111.027.072.099
2009年597108.046.130.194
2010年265117.017.068.111
中央394737853.046.101.144
地方0009.000.000.000
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2005年3月5日2回中山3日2R3歳未勝利メイショウジャンヌ15頭814着
初勝利2005年3月12日1回中山3日8R4歳上500万下ホットカフェ16頭51着
重賞初騎乗2005年6月12日3回東京8日11Rエプソムカップブラックカフェ17頭1516着

小坂忠士

小坂忠士 プロフィール

2001年、JRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。デビュー時の所属は境直行厩舎だった(兄弟子は石橋守、藤田伸二、荻野要。

ただし小坂と同時に所属したことはない)。3月3日、初騎乗となった阪神4レースでは、1番人気だったキクノプロスパに騎乗して2着となったが、同日第7レースで騎乗した2番人気のブリッジシャトーで勝利しわずか2戦目でJRA初勝利を挙げる。

3月6日には地方競馬に初騎乗。6月23日に障害レース初騎乗、7月21日に障害レース初勝利を挙げ、8月18日に新潟ジャンプステークスで重賞初騎乗。

6着となった。
2002年、愛知杯にナムラサンクスで平地重賞初騎乗(4着)。
2003年、阪神スプリングジャンプをカネトシガバナーで制し重賞初勝利、同馬にて障害GI中山グランドジャンプにも初騎乗を果たす。
2005年、2月23日に地方競馬で初勝利を挙げる。

小坂忠士 エピソード

地元に愛知県競馬組合の井上哲調教師の実家(たつの市新宮町)が近くにある.

小坂忠士 主な騎乗馬

カネトシガバナー(2003年阪神スプリングジャンプ)
スプリングゲント(2006年京都ジャンプステークス、京都ハイジャンプ)
コウエイトライ(2006年小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、東京オータムジャンプ、2007年小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、2008年阪神ジャンプステークス、2010年阪神ジャンプステークス)
トーワヒヨシマル(2009年阪神スプリングジャンプ)

小坂忠士 騎乗成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順

地初騎乗2001年3月3日1回阪神3日4R3歳未勝利キクノプロスパ13頭12着
初勝利2001年3月3日1回阪神3日7R4歳上900万円下ブリッジシャトー10頭21着
重賞初騎乗2002年6月2日2回中京6日11R愛知杯ナムラサンクス12頭64着
GI初騎乗2008年12月14日5回阪神4日11R阪神ジュベナイルフィリーズフキラウソング18頭1415着

害初騎乗2001年6月23日3回阪神3日5R障害未勝利シンボリアカデミー12頭33着
初勝利2001年7月21日2回小倉3日5R障害未勝利シンボリアカデミー12頭11着
重賞初騎乗2001年8月18日2回新潟3日10R新潟ジャンプステークスシンボリアカデミー12頭65着
重賞初勝利2003年3月15日1回阪神5日10R阪神スプリングジャンプカネトシガバナー14頭51着
JGI初騎乗2003年4月19日4回中山7日11R中山グランドジャンプカネトシガバナー16頭34着
年度平地競走障害競走
1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2001年528133.038.053.11311416.063.125.375
2002年192218381.050.108.15553542.119.190.310
2003年4816217.018.055.12916136.028.194.222
2004年659126.048.087.15911028.036.071.071
2005年4910136.029.096.16926348.042.167.229
2006年33381.037.074.11195648.188.292.417
2007年246108.019.056.111127351.235.373.431
2008年22281.025.049.074410957.070.246.404
2009年236102.020.049.10893466.136.182.242
2010年387115.026.096.15749455.073.236.309
中央5066851480.034.078.136485139447.107.221.309
地方35561.049.131.213

国分恭介

国分 恭介(こくぶん きょうすけ、1990年12月27日 – )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「国分」と表記されるが、正しくは「國分 恭介」。

双子の兄・国分優作も栗東所属の騎手。

国分恭介プロフィール

騎手になるきっかけは恭介の身体が小さかったこともあって、母が競馬学校のパンフレットを家に持ち帰り、将来の進路のひとつとして勧めたことがきっかけだったという[1]。

2006年4月に競馬学校第25期生として双子の兄・優作らと共に入学。また、3年生時に藤田伸二の特別講義を受けた一人である[2]。

2009年2月に競馬学校を卒業。JRAでは柴田大知・柴田未崎以来、13年振り2組目の双子騎手となった[3]。同期に小野寺祐太、国分優作、松山弘平、丸山元気がいる。

調教中に落馬負傷したため、同期の他の4人より1週間遅れてのデビューとなった。初騎乗は2009年3月7日、阪神競馬場第1レースのターンオーバーで、14頭立ての11着だった。同年4月25日、京都競馬場第12レースで5番人気スリーサンビームに騎乗し53戦目で初勝利を挙げた。兄・優作から6日遅れての初勝利だった。

2009年9月6日、小倉2歳ステークスでダンツミラションに騎乗し重賞初騎乗(8着)。また、年末に中京競馬場で実施された「中京ヤングバトルシリーズ2009」(ポイント制)で見事優勝し、翌2010年の同シリーズも優勝し連覇を果たす。同年10月17日には府中牝馬ステークスをテイエムオーロラで勝利し、15度目の挑戦で同期一番乗りとなる、JRA重賞初勝利を挙げる。

国分恭介 騎乗成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月7日 1回阪神3日1R 3歳未勝利 ターンオーバー 14頭 10 11着
初勝利 2009年4月25日 3回京都1日12R 4歳上500万円下 スリーサンビーム 16頭 5 1着
重賞初騎乗 2009年9月6日 3回小倉8日10R 小倉2歳ステークス ダンツミラション 14頭 12 8着
重賞初勝利 2010年10月17日 4回東京4日11R 府中牝馬ステークス テイエムオーロラ 17頭 4 1着
GI初騎乗 2010年11月14日 6回京都4日11R エリザベス女王杯 テイエムプリキュア 17頭 11 17着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 23 29 42 539 .043 .096 .174
2010年 52 34 59 843 .062 .102 .172
中央 75 63 101 1382 .054 .100 .173
地方 0 0 1 7 .000 .000 .143

国分介 脚注

^ 2010年11月16日付中日スポーツ紙面
^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
^ ただし双子騎手自体は片方のみJRAでもう片方がNARであれば水野貴広・水野貴史兄弟が既に柴田より先にいた。また両方NARであれば竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫で騎手をしていた松本良平・松本心平兄弟の例もあった

黒岩悠

黒岩 悠(くろいわ ゆう、1983年10月26日 – )は、JRA・栗東トレーニングセンターの騎手。

黒岩 悠プロフィール

2002年3月2日、競馬学校第18期生吉岡八郎厩舎所属騎手としてデビュー。同期には五十嵐雄祐・高野容輔・南井大志らがいる。

1年目より平地の他、障害競走にも騎乗。2年目の2003年には自己最高となる17勝をマークし、平地・障害双方の重賞競走への初騎乗も記録。この年ナムラエキスプレスにて障害初勝利を達成、同馬にて小倉サマージャンプに参戦し3着という結果を残している。

見習騎手から外れる2005年以降、平地での騎乗機会は減少するも障害競走へと活躍の場を移し、デビュー7年目となる2008年にはドールリヴィエールに騎乗し三木ホースランドジャンプステークスを制し初の特別競走勝ちを記録、翌2009年には同馬にてJGI初騎乗も果たしている。

黒岩 悠 主な騎乗馬

ナムラエキスプレス(2003年小倉サマージャンプ3着)
ドールリヴィエール(2008年三木ホースランドJS)

黒岩 悠 騎乗成績

競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

地 初騎乗 2002年3月2日 1回中京1日3R 3歳未勝利 キシュウミカン 16頭 9 15着
初勝利 2002年7月14日 2回小倉2日1R 3歳未勝利 マヤノフォーティ 15頭 5 1着
重賞初騎乗 2003年2月9日 2回京都4日11R シルクロードステークス キシュウファンタジ 14頭 12 11着

害 初騎乗 2002年7月20日 2回小倉3日5R 障害未勝利 マリアエレナ 12頭 10 12着
初勝利 2003年3月29日 2回阪神1日5R 障害未勝利 ナムラエキスプレス 14頭 2 1着
重賞初騎乗 2003年5月17日 3回京都7日9R 京都ジャンプステークス アグネスストーム 14頭 11 7着
JGI初騎乗 2009年4月18日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ ドールリヴィエール 15頭 9 5着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2002年 2 2 5 139 .014 .029 .065 0 0 0 6 .000 .000 .000
2003年 13 12 21 302 .043 .083 .152 4 3 4 33 .121 .212 .333
2004年 3 10 6 142 .021 .092 .134 1 0 2 8 .125 .125 .375
2005年 2 2 3 85 .024 .047 .082 0 0 2 15 .000 .000 .133
2006年 0 0 0 43 .000 .000 .000 1 2 2 32 .031 .094 .156
2007年 0 0 2 18 .000 .000 .111 2 0 1 30 .067 .067 .100
2008年 1 1 1 31 .032 .065 .097 6 2 0 32 .188 .250 .250
2009年 0 0 0 10 .000 .000 .000 0 0 5 42 .000 .000 .119
2010年 0 1 0 16 .000 .063 .063 0 1 4 41 .000 .024 .122
中央 21 28 38 786 .027 .062 .111 14 8 20 239 .058 .092 .175
地方 0 1 0 9 .000 .111 .111

熊沢重文

熊沢 重文(くまざわ しげふみ、1968年1月25日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である。JRAおよびマスコミ各社における表記ルールにより「熊沢」になっているが正しくは「熊澤重文」である[1]。

平地・障害どちらもトップジョッキーと言われるレベルにある。

熊沢重文 プロフィール

1968年愛知県刈谷市にて出生、またこれより10年ほど前に南井騎手の家族も京都から移り住んでおり、これが熊沢が騎手となる契機の一つとなっている。この刈谷では祭事に馬が使われることは珍しくなく熊沢も馬に少なからず興味を示しこれも騎手となる素地であったと語っている。

熊沢が中学野球で活動していた頃父が入院、その同じ病室に南井の父親がいたことから話は進展。息子同士が出会うこととなり、同時期に担任の教師より「(同じ愛知出身の)調教師に話を通してもいい」と後押しされたこともあり熊沢は騎手になることを志すようになる。

1986年騎手免許を取得し栗東・内藤繁春厩舎所属騎手としてデビュー、同期騎手として横山典弘、松永幹夫などがいる。3年目の1988年に代打騎乗[2]となるコスモドリームで優駿牝馬を制しGI初勝利を記録、満20歳3ヶ月という最年少GI勝利(当時)の他、史上3人目の減量騎手のオークス制覇[3]という記録も達成している。

1991年にはダイユウサクで有馬記念をレコード勝ちし二度目のGI勝利を記録、人気馬メジロマックイーンを破った実力派騎手としてこのレース以降、熊沢の名は関東でも認知されるようになりファンからの声援の他、調教師からも声がかかるようになった[4]が、この2つのGI勝利を熊沢は「悪く言えばどちらも遊びに行ったという感じ[5]。」「人気薄(コスモドリーム/10番人気・ダイユウサク/13番人気)で気楽に乗れた[6]。」と振り返っている。

他にも1996年スプリンターズステークスではわずか1cmの差で涙を飲んだ快速馬エイシンワシントン、後にパートナー交替となるが、ステイゴールドの主戦騎手でもあった。

また「最も取りたいレースは日本ダービーと中山大障害」と公言[7]しているように、障害競走にも積極的に騎乗している。平地競走でGI勝利を経験している騎手は障害競走には初めから乗らないか、それまで乗っていても辞めるケースがほとんど(障害競走は落馬の危険性が高く、怪我をしやすいため敬遠する騎手も多い)であり、今も騎乗し続けている熊沢は極めて稀有な例である。勝利数も多く、1999年、2000年、2002年、2004年にJRA賞(最多勝利障害騎手)を獲得し、通算500勝、800勝は障害競走で記録し、2001年にはJRA3人目[8]となる平地・障害100勝を達成している。

2005年12月4日、テイエムプリキュアに騎乗し阪神ジュベナイルフィリーズに勝利。ダイユウサク以来14年ぶりのGI制覇となった。

2009年8月8日の小倉競馬4Rでベネラに騎乗し1着となり、中央競馬史上29人目、現役12人目となるJRA通算900勝を達成した。

熊沢重文 主な騎乗馬

コスモドリーム(1988年オークス)
ダイユウサク(1991年有馬記念、京都金杯)
エイシンワシントン(1994年セントウルステークス、1996年CBC賞、スプリンターズステークス2着)
ストーンステッパー(1996年根岸ステークス、1997年ガーネットステークス)
ステイゴールド(1998年天皇賞春2着・宝塚記念2着・1999年天皇賞秋2着)
ロードプリヴェイル(2004年京都ハイジャンプ、阪神ジャンプステークス、小倉サマージャンプ)
テイエムプリキュア(2005年阪神ジュベナイルフィリーズ、2009年エリザベス女王杯2着)

熊沢重文 騎乗成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

地 初騎乗 1986年3月2日 1回阪神4日7R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 12頭 5 5着
初勝利 1986年3月29日 2回阪神3日8R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 14頭 8 1着
重賞初騎乗 1986年11月30日 3回中京4日11R 愛知杯 マルカセイコウ 13頭 12 13着
GI初騎乗・初勝利 1988年5月22日 5回東京2日10R 優駿牝馬 コスモドリーム 22頭 10 1着

害 初騎乗 1987年4月11日 2回阪神5日5R 障害オープン グリーンサツキ 14頭 13 12着
初勝利 1987年10月24日 4回京都5日5R 障害未勝利 グリーンサンミャク 10頭 2 1着
重賞初騎乗 1987年9月19日 4回阪神3日9R 阪神障害ステークス(秋) インターシャドー 9頭 6 4着
重賞初勝利 1993年5月8日 3回京都5日9R 京都大障害(春) ビックフォルテ 8頭 4 1着
JGI初騎乗 2001年4月14日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ ダンシングターナー 11頭 4 3着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1986年 30 28 24 345 .087 .168 .238 –
1987年 19 18 16 275 .069 .135 .193 2 4 2 27 .074 .222 .296
1988年 27 30 18 283 .095 .201 .265 0 0 3 11 .000 .000 .273
1989年 34 24 25 298 .114 .195 .279 3 2 2 23 .130 .217 .304
1990年 21 24 22 306 .069 .147 .219 7 4 6 54 .130 .204 .315
1991年 31 30 28 425 .073 .144 .209 4 3 5 43 .093 .163 .279
1992年 29 38 44 454 .064 .148 .244 3 4 6 38 .079 .184 .342
1993年 35 43 43 510 .069 .153 .237 7 8 9 44 .159 .341 .545
1994年 29 44 47 549 .053 .133 .219 6 6 4 36 .167 .333 .444
1995年 38 46 42 500 .076 .168 .252 5 6 6 42 .119 .262 .405
1996年 51 40 39 510 .100 .178 .255 7 10 7 41 .171 .415 .585
1997年 48 53 31 529 .091 .191 .250 6 7 7 36 .167 .361 .556
1998年 39 53 43 526 .074 .175 .257 7 2 6 42 .167 .214 .357
1999年 33 49 46 589 .056 .139 .217 16 6 4 40 .400 .550 .650
2000年 35 43 50 620 .056 .126 .206 17 9 6 61 .279 .426 .525
2001年 49 57 58 679 .072 .156 .242 11 15 9 61 .180 .426 .574
2002年 28 41 49 590 .047 .117 .200 13 9 6 53 .245 .415 .528
2003年 37 42 48 631 .059 .125 .201 6 10 6 49 .122 .327 .449
2004年 35 42 29 551 .064 .140 .192 11 6 4 53 .208 .321 .396
2005年 33 43 29 610 .054 .125 .172 6 7 6 45 .133 .289 .422
2006年 18 29 30 510 .035 .092 .151 6 3 4 37 .162 .243 .351
2007年 14 14 14 368 .038 .076 .114 3 5 4 33 .091 .242 .364
2008年 7 16 22 409 .017 .056 .110 7 7 8 48 .146 .292 .458
2009年 21 16 22 494 .043 .075 .119 13 3 4 60 .217 .267 .333
2010年 17 13 18 375 .045 .080 .128 4 4 1 22 .182 .364 .409
中央 758 876 837 11936 .064 .137 .207 170 140 125 999 .170 .310 .435
地方 48 37 31 302 .159 .281 .384

熊沢重文 参考文献

別冊宝島『競馬騎手読本』(宝島社、1997年)ISBN 4-7966-9290-8
別冊宝島『競馬騎手名鑑’98』(宝島社、1998年)ISBN 4-7966-9383-1
木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4-89691-298-5
小林常浩『騎手という稼業』(アールズ出版、2000年)ISBN 4-901226-13-4

熊沢重文 脚注

^ NARデータベース
^ 元々岡潤一郎が騎乗していたが、GI競走に騎乗するための勝利数(31勝)に達していなかったため
^ 1938年保田隆芳、1943年前田長吉に次ぐ3人目
^ 騎手物語
^ 東京競馬場・中山競馬場共に両GIレースの施行日が初騎乗
^ 騎手という稼業
^ 別冊宝島騎手名鑑’98
^ 横山富雄・田中剛に次ぐ3人目

北村友一

北村 友一(きたむら ゆういち、1986年10月3日 – )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属する騎手である。騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、障害競走への騎乗経験は現在の所ない。

北村友一プロフィール

2006年、2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得、田島良保厩舎所属騎手としてデビュー。同期には田中博康、的場勇人騎手がいる。初年度は14勝を挙げ中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞した。

2007年、第1回新潟競馬に於いて11勝、2着5回、3着3回の成績で初の開催リーディングジョッキーを獲得。10月8日京都12Rで走行妨害を受け落馬。当初JRAより頭部外傷と発表されたが、その後の精密検査で右手首骨折が判明。手術を受け年内復帰は絶望視されていたが、12月8日復帰、15日に復帰後初勝利を記録している。

2008年10月4日札幌3Rにて通算100勝を達成、仲の良い藤岡佑介騎手がプラカードを持った。10月18日、デイリー杯2歳ステークスをシェーンヴァルトで制し、デビュー3年目にして重賞競走を初制覇した。また同馬にて翌年の皐月賞・東京優駿に騎乗し4着・6着と結果を残す。

2009年ミヤビランベリで目黒記念・七夕賞を優勝する等、7月まで39勝を挙げる活躍を見せるも、7月19日札幌12Rにて落馬のため左上腕骨を骨折。12月12日の復帰まで長期休養となる。

北村友一 主な騎乗馬
 
シェーンヴァルト(2008年デイリー杯2歳ステークス、2009年皐月賞4着)
ソルジャーズソング(2009年高松宮記念3着)
ミヤビランベリ(2009年目黒記念、2009年七夕賞)
ホッコーパドゥシャ(2009年福島民報杯)
エーシンホワイティ(2010年ファルコンステークス)
ダノンヨーヨー(2010年富士ステークス)
トウカイミステリー(2011年北九州記念)

北村友一 騎乗成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2006年3月4日 1回阪神3日3R 3歳未勝利 ソリッドスウィート 15頭 13 11着
初勝利 2006年3月19日 1回中京6日7R 4歳上500万円下 ゴッドヘイロー 16頭 12 1着
重賞初騎乗 2006年12月3日 4回中京2日11R 中日新聞杯 イーグルドライバー 13頭 13 4着
重賞初勝利 2008年10月18日 4回京都3日11R デイリー杯2歳S シェーンヴァルト 12頭 3 1着
GI初騎乗 2008年5月18日 2回東京8日11R ヴィクトリアマイル タイキマドレーヌ 18頭 15 12着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 表彰
2006年 14 15 10 291 .048 .100 .134 中央競馬関西放送記者クラブ賞
2007年 45 47 46 591 .076 .156 .234
2008年 53 59 53 730 .073 .153 .226
2009年 41 30 28 460 .089 .154 .215
2010年 53 54 52 682 .078 .157 .233
中央 206 205 189 2754 .075 .149 .218
地方 5 0 2 19 .263 .263 .368

北村友一 supporter’s wave +Trieath+