2007年、10月24日に4度目の受験となるJRAの平成20年度新規騎手免許第1次試験を受験し、11月15日に発表された合格者の中に含まれていたことが明らかになった。中央競馬で1度も騎乗経験のない地方の騎手が1次試験を合格するのは初めてのことである。
2008年、2月14日に第2次試験の合格が発表され、高知県競馬組合所属騎手および中央競馬で騎乗経験のない地方の騎手として初めてJRAの騎手試験合格者となる。同年2月24日には高知競馬場で壮行式が行われ、「飛翔タカノ壮行特別」が地方競馬騎手最後の騎乗となった(1番人気10着)。
2008 年3月1日付で美浦・二ノ宮敬宇厩舎所属騎手としてJRA騎手免許交付。デビュー同期に伊藤工真、大江原圭、三浦皇成の3人と、大井から移籍してきた内田博幸がいる。
同日、中山競馬第3競走でハイブリッドスターに騎乗しJRA初騎乗(10着)、5月18日、新潟競馬第3競走でアンブロークンに騎乗しJRA移籍後初勝利を挙げた。
2010年4月21日付で二ノ宮厩舎を離れフリー騎手となり[1]、翌22日から所属先を栗東トレーニングセンターに移した。
鷹野宏史 エピソード
日本中央競馬会の騎手免許取得時にすでに次男・文裕は2008年4月より競馬学校へ入学しており、父は騎手免許、息子は入学試験に合格した。次男は横山典弘の長男・和生と同期である。
ただし文裕は2010年までに競馬学校を退学した。
鷹野宏史 主な騎乗馬
セントリチカラ(1985年南国桜花賞)
ファンドリボーイ(1986年高知優駿)
キャプテンライジン(1992年南国桜花賞)
サクラアラシオー(1994年二十四万石賞、珊瑚冠賞)
トモエスター(1995年南国桜花賞)
パープルマジック(1997年高知県知事賞)
マサミネオー(1997年黒潮スプリンターズカップ)
セクチオ(1997年金の鞍賞)
マルカイッキュウ(1998年高知県知事賞、二十四万石賞、建依別賞、1999年高知県知事賞)
キング(2003年珊瑚冠賞)
ナイキアフリート(2004年珊瑚冠賞)
マルチシークレット(2006年黒潮皐月賞)
鷹野宏史 騎乗成績
地方競馬
14345戦2190勝
中央競馬
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2008年3月1日2回中山1日3R3歳未勝利ハイブリッドスター12頭910着
初勝利2008年5月18日1回新潟6日3R3歳未勝利アンブロークン15頭21着
重賞初騎乗2008年3月22日2回中山7日11Rフラワーカップラヴドシャンクシー16頭1512着
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2004年3月美浦の小檜山悟厩舎所属騎手としてデビュー。同期に藤岡佑介・川田将雅・吉田隼人らがいる。
JRAデビューに先立ち3月2日、高崎競馬場7Rの中央交流競走でコウテイノユメに騎乗、初騎乗初勝利を飾る。
同馬は高野が所属する小檜山厩舎の管理馬であり、競馬場には小檜山自身も臨場、高野の騎乗にあたり、「どうせ指示してもその通りに乗れるわけはないんで、特に位置取りなどは指示せず「みんなと一緒にしっかり乗ってこい」とだけ言って送り出しました。」とコメントを残している。
地方競馬にて幸先のよいスタートを切った高野であるが、減量騎手としての3年間の平地勝利は僅か3勝と苦戦。
減量が取れる2006年春からはそれまで所属していた小檜山厩舎を離れフリーの騎手へと転向。
また同時に乗り鞍を増やすべく障害競走への騎乗を開始し同年12月に障害初勝利を記録、近年では平地への騎乗は減少するも、それと入れ替わる形で障害競走中心の騎乗となっている。
高野和馬 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗2004年3月6日1回中京1日4R3歳未勝利アンジェリーナ16頭1111着
初勝利2004年4月18日1回福島6日5R3歳未勝利ノーザンスター16頭91着
障
害初騎乗2006年4月9日3回中山6日4R障害未勝利ワンダーエベレスト14頭1313着
初勝利2006年12月17日5回中山6日5R障害未勝利マイネルアントス14頭11着
重賞初騎乗2006年8月19日3回新潟3日10R新潟ジャンプステークストウカイブレーン14頭1313着
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2001年に小倉サマージャンプで障害重賞を初制覇するなど、近年は障害レースでの活躍が目立っている。平地重賞は、2006年神戸新聞杯でドリームパスポートに騎乗して初勝利を挙げた。
同馬には2006年の皐月賞でも騎乗し、2着に好走している(この時はミルコ・デムーロの騎乗停止処分による乗り替わりであった)。
同一週に行われる平地と障害のGI(2006年4月15日中山グランドジャンプ・アズマビヨンド騎乗、4月16日皐月賞・ドリームパスポート騎乗)に両方騎乗した騎手は高田が初めてである。
翌2007年にも12月22日中山大障害・キングジョイと、12月23日有馬記念・ドリームパスポートに騎乗。この年高田はまだ勝利がなかったが、有馬記念に騎乗する騎手が未勝利であったというのは例がなく、当時のスポーツ新聞などで話題になり、12月21日の日刊スポーツでは一面で取り上げられた[1][2]ものの、中山大障害2着・有馬記念6着と共に敗れ、結局2007年は未勝利に終わった。
2007年2月11日の第4レースの障害戦で落馬し、両側肺挫傷、左眼瞼挫傷、外傷性血気胸、頭部外傷の重傷を負う。療養後、5月6日に復帰した。
サッカー日本代表の松井大輔とは彼が京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に所属していた時から友人関係にあり、松井の京都時代のチームメイトであり親友である韓国代表の朴智星も交えて一緒に飲みに出かけるなどの交友がある。
高田潤 主な騎乗馬
ヒサコーボンバー(2001年小倉サマージャンプ)
アイディンサマー(2001年阪神ジャンプステークス、京都ハイジャンプ)
ギフテッドクラウン(2001年東京オータムジャンプ、2002年小倉サマージャンプ)
ドリームパスポート(2006年皐月賞2着、神戸新聞杯)
キングジョイ(2007年中山大障害2着、2008年京都ハイジャンプ、2008年中山大障害)
コウエイトライ(2010年新潟ジャンプステークス)
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高倉 稜(たかくら りょう、1991年9月4日-)は、日本中央競馬会(JRA)の騎手である。
2010年卒業(アイルランド大使特別賞を受賞)。菅原隆一、平野優、川須栄彦らとは同期に当たる。
卒業後栗東トレーニングセンターの崎山博樹厩舎へと所属。2010年3月6日の第1回阪神競馬3日目第5レースで騎手デビュー。
初騎乗馬はプリサイストップで、16頭立ての2着に入線した。翌週3月14日の第2回中京競馬4日目第6レースのパープルスターで初勝利を挙げた。
最終的には新人最多となる37勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手と関西放送記者クラブ賞を受賞した。
高倉稜 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2010年3月6日1回阪神3日5R3歳新馬プリサイストップ16頭22着
初勝利2010年3月14日2回中京4日6R4歳上500万下パープルスター16頭61着
重賞初騎乗2010年6月13日4回京都8日10RCBC賞ウエスタンダンサー18頭1715着
カテゴリ : 騎手, 騎手 た行
芹沢 純一(せりざわ じゅんいち、1968年9月4日 – )は、JRAの栗東トレーニングセンターに所属する騎手。
常用外漢字の使用に制約がある新聞・JRA公式ホームページなどでは「芹沢」と表記されるが、戸籍上の表記は「芹澤 純一」である。
1968年静岡市にて出生。
競馬学校に進学した芹沢は本来なら1987年デビュー予定であったが、卒業試験直前に落馬骨折するケガを負い、騎手免許試験を不合格となり留年したため一年遅れの1988年、競馬学校第3期生鹿戸幸治厩舎所属騎手としてデビューとなった。同期には蛯名正義、武豊らがいる。
デビュー初日にJRA初騎乗初勝利という記録を達成し、デビュー初年度に23勝を記録。師匠である鹿戸幸治の尽力により一年目より他厩舎からも騎乗馬を集め、勝利数を順調に伸ばす。
1990年には栗東トレセン内で交通事故を起こし騎乗数を減らされる中[2]23勝を挙げるも、翌年以降は落馬負傷等により低迷、デビュー当時にあったGI競走への騎乗依頼も無くなる。
この当時、中央場所(京都・阪神)中心の騎乗だった芹沢だが、勝ち鞍を伸ばすためローカル開催へと騎乗の場を移し、1994年には北九州記念をイブキファイブワンで制し重賞初制覇を達成。
またこの年フェアプレー賞を初めて受賞し、これまでに同賞を4度受賞している。ローカル転戦により再び勝利数を伸ばし始めた芹沢はこの後も重賞勝利を重ねた他、1996年には7年ぶりのGI騎乗も果たしている。
関西を拠点とする騎手であるが、先述の通りローカルでの騎乗が多く、関西主場である京都・阪神での騎乗数は全体の2割強にとどまり、6割超が福島・新潟・小倉・中京の4場を占める。中でも福島・新潟の2場では福島記念2勝2着2回の他、1993年から2000年にかけカブトヤマ記念騎乗機会6年連続2着という好成績を残している。
カテゴリ : 騎手, 騎手 さ行
鈴木慶太(すずき けいた、1983年3月18日 – )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する騎手である。
静岡県出身。
1999年にJRA競馬学校の騎手課程第18期生として入学。
初勝利は同年5月17日新潟第11競走でのリワードゲインで、28戦目であった。[2]
2005年2月21日付けで藤原辰雄厩舎所属からフリーになった。
2006年3月19日の中山第4競走をサマードレスで勝利した後、2010年7月17日の新潟第4競走で勝利するまで4年3ヶ月を要した。中央競馬では矢原洋一騎手が記録した4年8ヶ月に次ぐ長ブランク勝利記録となる。
カテゴリ : 騎手, 騎手 さ行
元俳優(子役)。2010年3月6日に日本中央競馬会(JRA)の騎手としてデビュー。
美浦トレーニングセンター・保田一隆厩舎所属。
父は元JRA騎手で現調教助手の菅原隆明。
JRAでは初めての俳優出身の騎手となった。
幼少時は子役俳優として数多くのドラマ・映画に出演。
競馬学校第26期生。2007年にJRAの競馬学校・騎手課程に合格し、2010年2月に卒業して騎手免許を取得した。
過去の子役という経歴もあってデビュー時は注目を集めたが、所属厩舎の不振もあり、2010年中に初勝利を挙げられず厳しい状態が続いていた。
2011年8月28日1回札幌6日目の第2Rにて、メジロベイリー産駒のメジロマリシテン(栗東:田島良保厩舎)で初勝利をあげ、これがデビューから208戦目での嬉しい初勝利となった[3]。
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戸籍上の表記は白濱である。
1998年、第14期生として競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。
5月3日、京都6Rをラプタスで勝ち初勝利を挙げる。
1999年6月12日、東京ハイジャンプをレガシーロックで制し障害重賞初勝利。
2007年11月10日、京都ハイジャンプをテイエムドラゴンで勝利し嘉堂信雄騎手が持つ障害重賞最多勝利(15勝)に並び2009年の中山グランドジャンプをスプリングゲントで制し新記録となる障害重賞16勝目を挙げた。
なお新潟ジャンプステークスを制覇すればJRA全6場障害重賞勝利(障害重賞が施行されない福島競馬場、中京競馬場、障害コースがない札幌競馬場、函館競馬場を除く)となる。
2009年の新潟ジャンプステークスではビコーフェザーに騎乗したが、2着に敗れている。
白浜雄造 主な騎乗馬
レガシーロック(1999年 東京ハイジャンプ 2000年 小倉サマージャンプ)
テイエムダイオー(2000年 京都ハイジャンプ、阪神ジャンプステークス)
ウインマーベラス(2003年 京都ハイジャンプ、阪神ジャンプステークス、小倉サマージャンプ、京都ジャンプステークス)
テイエムドラゴン(2005年 中山大障害、2006年 阪神スプリングジャンプ、2007年 京都ハイジャンプ)
アズマビヨンド(2005年 阪神ジャンプステークス)
ナムラリュージュ(2005年 阪神スプリングジャンプ)
スプリングゲント(2006年 東京ハイジャンプ、2009年 中山グランドジャンプ)
キングジョイ(2007年 京都ジャンプステークス)
白浜雄造 特徴
勝利数に占める重賞勝ちの割合が他の騎手と比べても非常に高く、「ここ一番での勝負強さ・勝負運」を持った騎手と言える。
翌週2月21日の『サンデーモーニング』(TBS)の人気コーナー「週刊御意見番」でもこの模様が取り上げられ、大沢啓二より「あっぱれ」をもらっている。
白浜雄造 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗1998年3月7日1回阪神3日3R4歳未勝利ユノタックスマン13頭812着
初勝利1998年5月3日3回京都4日6R5歳上500万円下ラプタス15頭81着
重賞初騎乗2004年1月18日1回京都6日11R日経新春杯テイエムゴーカイ14頭149着
障
害初騎乗1998年4月4日2回阪神3日5R障害オープンニケスピリット11頭22着
初勝利1998年5月9日2回東京5日5R障害オープンニケスピリット7頭11着
重賞初騎乗1998年9月19日5回阪神3日9R阪神障害ステークス(秋)メジロバルカン7頭46着
重賞初勝利1999年6月12日3回東京7日10R東京ハイジャンプレガシーロック13頭31着
JGI初騎乗2001年12月22日5回中山7日10R中山大障害ギフテッドクラウン10頭4中止
JGI初勝利2005年12月24日5回中山7日10R中山大障害テイエムドラゴン14頭21着
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中学校3年生の時に、競馬学校に関するドキュメンタリー番組を見た母親から騎手を勧められ、JRAの競馬学校の願書も母親が勝手に取り寄せたという。この母親の勧めが契機となり騎手を志すようになった。
しかし、12期生入学試験の時から競馬学校を受験するも、3年連続で不合格となった。最初の受験時には福永祐一や細江純子らと一緒になり、次の年には武幸四郎や勝浦正樹らと、最後の年には酒井学や池添謙一らと一緒に受験した。
その後、当時アルバイトをしていた滋賀県の牧場から笠松競馬場を紹介され、高校3年生の1学期で学校を中退し、受験先を地方競馬教養センターに切り替えて騎手を目指していくこととなった。
柴山雄一 笠松時代
1998年にデビュー。
2004年に同じ笠松競馬出身の安藤勝己の勧めもあり、JRAの騎手免許試験を受験する。
地方競馬騎手に対しては、中央競馬にて5年間で年間20勝以上を2回クリアすると一次試験の筆記試験が免除され二次試験から受験可能である特例が設けられていたが、柴山はこれに該当せず(柴山のそれまでの中央競馬での成績はわずか2勝であったため)、一次試験からの受験となった。
それでも猛勉強の末に見事試験に一発合格。笠松競馬からは安藤勝己に続く2人目の、地方競馬出身者としては前年の小牧太、赤木高太郎に続く4人目の移籍騎手となった。
地方通算成績3240戦393勝(JRA72戦2勝)。
柴山雄一 中央移籍後
2005年3月、美浦所属のJRA騎手として騎乗を開始。
当初、大阪府出身ということもあり、栗東所属を考えていたが、畠山吉宏調教師に誘われたことで美浦所属となった。名前の売り込みを兼ねてローカル競馬を中心に活躍。
2006年は正月の中山金杯をヴィータローザで制し、また5月14日にはJRA通算100勝を達成した。
2007年は第4回福島牝馬ステークスをスプリングドリューで制し、中央移籍後3年連続の重賞勝利を記録した後にはロックドゥカンブでラジオNIKKEI賞、セントライト記念を勝つなど目覚しい活躍を見せた。
レース後の審議の結果、騎乗馬は8着→14着に降着、自身も11月3日から11月11日まで、開催日4日間の騎乗停止処分となった。
2008年は第26回中山牝馬ステークスでヤマニンメルベイユに騎乗し、2008年初となる重賞勝ちを収めた。
それ以外ではヤマニンメルベイユを始めとする、栗田博憲厩舎の管理馬に騎乗することが多い。
柴山雄一 主な騎乗馬
グランリーオ(2005年中日新聞杯)
ヴィータローザ(2006年中山金杯)
シンボリグラン(2006年スワンステークス2着、マイルチャンピオンシップ3着)
スプリングドリュー(2007年福島牝馬ステークス)
ロックドゥカンブ(2007年ラジオNIKKEI賞、セントライト記念)
ディアヤマト(2007年兵庫ジュニアグランプリ)
ヤマニンメルベイユ(2008年中山牝馬ステークス、クイーンステークス)
ヤマニンキングリー(2009年札幌記念)
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1999年、JRA競馬学校に騎手課程第18期生として入学。2002年に騎手免許取得し、栗東の田中章博厩舎からデビュー。
初騎乗は同年3月2日中京競馬第1競走でのセイカアプ(15頭立て14着)。初勝利は同年3月17日中京競馬第6競走のユーセイプライム。
デビュー年は19勝を挙げ、関西放送記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞する。翌2003年は自身最多の31勝を挙げ、フェアプレー賞も受賞するなど躍進したが、以降はやや成績が伸び悩んでいる。
2008年はわずか1勝に終わったが、2009年は昆貢厩舎所属馬への騎乗機会が増え、勝利数も8勝と持ち直している。
柴原央明 主な騎乗馬
カンパニー (2004年ベンジャミンステークス1着、ラジオたんぱ賞2着)
グローリアスデイズ (2004年フローラステークス2着、ローズステークス2着)
ニューベリー (2006年京都金杯2着)
リキサンマックス (2011年きさらぎ賞2着)
柴原央明 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2002年3月2日1回中京1日1R3歳未出走セイカアプ15頭714着
初勝利2002年3月17日1回中京6日6R4歳上500万円下ユーセイプライム12頭11着
重賞初騎乗2003年2月9日1回小倉8日11R小倉大賞典カネトシディザイア16頭89着
GI初騎乗2003年10月19日4回京都4日11R秋華賞ミルフィオリ18頭1711着
カテゴリ : 騎手, 騎手 さ行