田村 太雅(たむら たいが、1986年1月16日-)は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手。
2006年栗東佐藤正雄厩舎の所属騎手としてデビュー。同期には北村友一・田中博康などがいる。
1.2年目合わせ6勝に終わるも、3年目となる2008年には一般競走3キロ減の特典を生かし11番人気馬での勝利を収めるなど下位人気の馬を上位に持ち込む内容を見せ、この年の勝ち鞍である12勝全てを一般競走で挙げ、成績を大きく伸ばした。
2009年3月以降、見習騎手の斤量減免を解かれてからは騎乗数や勝利数は減少、2010年末より騎乗数確保のため障害競走への騎乗も開始している。
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戸籍上での表記は田邊である。
2002年、2月にJRA競馬学校騎手課程を第18期生として卒業し騎手免許を取得する。
中山競馬場での第2レースで9番人気のアルファジェネラスに騎乗し8着。3月21日に高崎競馬場で地方競馬初騎乗。
弥生特別でシアトルドータに騎乗し、11頭立て8番人気で11着だった。8月3日に新潟競馬場第12レースで4番人気のヒノデツートンに騎乗し、初勝利を挙げた。
2004年4月25日、重賞初騎乗となった福島牝馬ステークスでは、14番人気のトーセンリリーに騎乗して16着だった。
2009年8月30日のキーンランドカップでは、モルトグランデに騎乗し2位入線を果たす。
これをきっかけに松田博資調教師の信頼を得ると、他の栗東の有力厩舎からも依頼が殺到するようになる。
2011年4月24日のアンタレスステークスでは、栗東・吉田直弘厩舎所属のゴルトブリッツに騎乗して勝利し、デビューから10年目で初重賞勝利を飾った。
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同期には北村友一、千葉直人、的場勇人らがいる。
2006年、美浦の高橋祥泰厩舎所属騎手としてデビュー。
初年度は4勝にとどまったが、2007年は44勝と勝ち星を伸ばしている。
2009年にはシルクメビウスでユニコーンステークスを制し重賞初勝利。
秋になるとエリザベス女王杯をクィーンスプマンテで優勝し、初のGI制覇を果たした。この年、シルクメビウスとのコンビでジャパンダートダービー、ジャパンカップダートで2着に入るなどG1戦線で活躍し、クイーンスプマンテとのコンビで海外遠征も果たした(香港カップ騎乗で結果は10着)。
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栗東・浅見秀一厩舎所属。2007年3月3日、中京競馬場第2競走でナナヨーウインドに初騎乗しデビュー、16頭中11着だった。
2007年3月3日、中京競馬場第6競走でメイショウセレットに騎乗し、初勝利をあげた。
2010年にはマルモセーラとのコンビでファンタジーステークスを制覇し重賞初勝利を挙げ、GI競走初騎乗も記録している。
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重賞初勝利は1990年9月9日の京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。GI初勝利は1992年の安田記念。
ヤマニンゼファーに騎乗し、大外枠を苦にせず優勝。ゴール前では派手なガッツポーズを見せた。
2007年、皐月賞でヴィクトリーに騎乗し勝利。ヤマニンゼファー以来となる15年ぶり(騎乗機会では140戦ぶり)の中央競馬でのGI(表記はJpnIである)制覇となった。
田中勝春とGI
通算1000勝以上を達成していながら、近年の西高東低と言われる全体的な関東馬不振の流れの影響などを受けたのか、1992年の安田記念での初勝利からは、長期間GIを勝てずにいた。2004年の優駿牝馬(オークス)ではウイングレットに騎乗し7着。
なお、全日本2歳優駿は「全日本3歳優駿」という名称だった1998年にもアドマイヤマンボで勝っているが、当時は統一GIIだった。
中央競馬のGIに限ればその後も連敗が続き、2007年の皐月賞に勝利するまで139回もの長い連敗となったが、2007年に第67回皐月賞でヴィクトリーに騎乗し勝利、15年ぶりに中央競馬のGI競走制覇を果たして連敗記録139で終止符をうった。
ヤマニンゼファーとセキテイリュウオーにまつわるエピソードも、元はといえばセキテイリュウオーが所属厩舎(当時)の馬であり、自厩舎の馬を優先させたという事情があった。また、1番人気での騎乗は日本で2回・海外で1回(2000年安田記念:スティンガー、2002年朝日杯フューチュリティステークス:サクラプレジデント、2007年シンガポール航空インターナショナルカップ:シャドウゲイト)で、2番人気での騎乗も4回(2003年皐月賞・東京優駿(日本ダービー):サクラプレジデント、2004年宝塚記念:ゼンノロブロイ、2007年日本ダービー:ヴィクトリー)しかなかった。
この時の優勝馬は、前年の安田記念で自身が騎乗して優勝したヤマニンゼファーであった。1997年の安田記念でもジェニュインに騎乗し同馬をかつてお手馬にしていた岡部騎乗のタイキブリザードにハナ差まで迫ったことがある。
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妻は小島貞博調教師の次女。
2000年に美浦・大江原哲厩舎所属で騎手デビュー。
同期に梶晃啓、西原玲奈などがいる。2000年3月4日中山競馬12競走でエイキューガッツで初騎乗(2着)。
2004年には中山グランドジャンプでGI初騎乗。同じ日には娘も生まれている。
2005年には、桜花賞で平地GIおよびクラシックに初騎乗。この時のパートナーであるテイエムチュラサンは後にアイビスサマーダッシュで重賞制覇。
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父は太宰義人元調教師。
1998年競馬学校騎手課程第14期生、太宰義人厩舎所属騎手としてデビュー。
同期には池添謙一、白浜雄造らがいる。デビュー年は合計34勝を挙げ関西のフェアプレー賞を受賞、また2006年にも同賞を受賞した。
初騎乗・初勝利馬の他、重賞・GIへの初騎乗馬も父の管理馬にて記録するなどデビュー後、父義人より管理馬の大半の騎乗を託されていた。
2005年4月にフリー騎手となるが、転向後も騎乗馬・勝利数を伸ばし、2009年には自己最高となる45勝を挙げ、デビュー年度より13年連続で2桁勝利を記録している。
なお、当初は2007年3月21日付けで再び太宰義人厩舎所属となる予定であったが、19日に父が亡くなった為に引き続きフリーとなっている。
デビュー1年目の函館3歳ステークスを皮切りに毎年重賞への騎乗を続け、2000年根岸ステークスや2001年菊花賞などでの連対実績もあるが、勝ち星を挙げるまでには至らずJRA重賞は未勝利であったが、2011年4月23日に、福島牝馬ステークスをフミノイマージンで優勝し、14年目にして重賞初勝利を挙げた。
6月19日にはマーメイドステークスでフミノイマージンに騎乗し、重賞2勝目を挙げた。
太宰啓介 主な騎乗馬
エイシンサンルイス(2000年プロキオンステークス2着、根岸ステークス2着、シリウスステークス2着)
マイネルデスポット(2001年菊花賞2着)
アイティースワロー(2001年霧島賞、2002年シルクロードステークス3着)
ダイナミックグロウ(2008年阿蘇ステークス)
クラウンプリンセス(2009米子ステークス・ポートアイランドステークス・小倉記念3着)
フミノイマージン(2011年福島牝馬ステークス、2011年マーメイドステークス)
太宰啓介 騎乗成績
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率備考
1998年342330410.083.139.212フェアプレー賞(関西)
1999年192921327.058.147.211
2000年212628363.058.129.207
2001年212523348.060.132.198
2002年232321437.053.105.153
2003年172128350.049.109.189
2004年141418233.060.120.197
2005年181925297.061.125.209
2006年333127393.084.163.232フェアプレー賞(関西)
2007年232427477.048.099.155
2008年252527509.049.098.151
2009年452943647.070.114.181
2010年303046736.041.082.144
中央3233193645527.058.116.182
地方242128207.116.217.353
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1998年3月1日1回中京2日1R4歳未勝利ターフプロテクター14頭36着
初勝利1998年3月8日1回中京4日8R5歳上500万円下エンジェルスポート15頭11着
重賞初騎乗1998年8月2日2回函館8日11R函館3歳ステークスラバーズミス16頭76着
重賞初勝利2011年4月23日1回新潟1日11R福島牝馬ステークスフミノイマージン16頭91着
GI初騎乗1998年11月22日6回京都6日11Rマイルチャンピオンシップマウントアラタ13頭1213着
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武豊 テレビ出演
マスメディアへの初出演は1987年の『素敵!
KEI-SHU5』であった。このときの新聞テレビ欄の見出しには「18歳の天才騎手登場!」
賀来千香子などと共演した。
ファイト(2005年、NHK「連続テレビ小説」)
特別出演(9月放映)。
ごくせん(第3シリーズ)(2008年6月28日、日本テレビ)
武豊 その他の番組
武豊レギュラー
武豊TV! → 武豊TV!
II(フジテレビワンツーネクスト)
武豊 過去の出演
笑っていいとも!(フジテレビ)
名物コーナーであるテレフォンショッキングに出演。
1回目は1989年12月21日で早見優から紹介されて、当時交際中の佐野量子を紹介し、2回目は2002年1月9日で小泉孝太郎から紹介されて陣内孝則を紹介した。
女子アナ新年会(1990年1月2日、フジテレビ)
痛快!
明石家電視台(1990年4月30日、毎日放送)
クイズダービー(1991年2月23日、TBS)
プロ野球オールスターゲーム(1991年7月24日、広島テレビ)ゲスト
徹子の部屋(1991年、テレビ朝日)
スポーツ100万倍(1994年4月19日、NHK)
さんまのナンでもダービー(1995年9月26日、テレビ朝日)
とんねるずのみなさんのおかげです(1996年4月11日、フジテレビ)
「食わず嫌い王決定戦」で杉本清と対戦、結果は勝ち。嫌いなものはクリームシチュー(にんじん)。
プロ野球オールスターゲーム(1996年7月21日、テレビ朝日)ゲスト
Grade-A(1997年5月11日、フジテレビ・関西テレビ)
とんねるずの本汁でしょう(1997年、フジテレビ)
トップランナー(1997年6月13日、NHK)
はなまるマーケット(1997年8月4日・2008年2月26日、TBS)
FAN(1998年3月27日、日本テレビ)
SMAP×SMAP(1999年5月3日・2006年5月29日、関西テレビ・フジテレビ)
情熱大陸(1999年9月12日・2001年10月28日・2010年10月24日、毎日放送)
夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!
スペシャル(2000年1月3日・2006年1月3日・2010年1月2日、テレビ朝日)
ウチくる!?(2001年4月8日、フジテレビ)
クイズ$ミリオネア(2003年4月3日、フジテレビ)
1000万円を懸けた最終問題に挑戦したが、不正解に終わった。
木梨ガイド・週末の達人(2003年7月18日、フジテレビ)
すぽると!(2003年11月8日、フジテレビ)
ZONE(2004年1月18日、TBS)
土曜インタビュー(2004年5月8日、NHK)
新型テレビ(2004年10月13日、福岡放送)
とんねるずのみなさんのおかげでした(2005年12月22日、フジテレビ)
「新・食わず嫌い王決定戦」で吉田秀彦と対戦、結果は引き分け。
MAX(2006年4月25日、TBS)
NANDA!?(2006年9月22日・29日、テレビ朝日)
アスリート応援TV!
ニッポン!チャ×3(2006年12月9日、TBS)
浜田雅功の新春太っ腹!
スーパースターにお年玉あげちゃおうSP(2007年1月3日、フジテレビ)
行列のできる法律相談所(2007年3月18日、日本テレビ)
Music Lovers(2007年4月15日、日本テレビ)
武=孝太郎(2007年4月 – 9月、フジテレビ)
トップランナー10周年スペシャル~ゴールはまだ先にある(2007年7月28日、NHK)
とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ)
「新・食わず嫌い王決定戦」でTIMと対戦、結果は負け。嫌いなものはうずらの卵。
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デビュー当時「武邦彦の息子」と言われたことに発奮し「武邦彦の息子ではなく、父のことを『武豊の父』と言わせてみせます」と発言した。デビュー直後の関西競馬四季報(1987年秋号)では、「父子鷹・武邦彦調教師・武豊騎手」として特集が組まれていた。
デビューした1987年にトウカイローマンでジャパンカップに出走した際には「デビューの年にジャパンカップに騎乗できるなんて、そうそうない」と語った(実際に菊花賞とジャパンカップの新人騎乗は武が史上初であった)。
2001年12月、ワールドスーパージョッキーズシリーズの最終戦で、カウボーイ姿(武のアイデア)で誘導馬に騎乗し、出走馬を先導していた。
2002年に死んだサンデーサイレンスのたてがみをお守りとして財布の中に入れている。
2005年3月20日に行われた岡部幸雄騎手の引退セレモニーで、「数々の記録を破ってすいませんでした」との発言をし場内を沸かせていた。
2005年の第66回菊花賞の勝利騎手インタビューで「もし負けたら向こう正面から帰ろうと思ってました」と話しファンの笑いを誘っていた。
2005年、戦後初の天覧競馬となった第132回天皇賞においてJRA所属騎手を代表し今上天皇の出迎えを行った。
武豊展
騎手デビュー20周年にあたっては、日本各地で記念展が開催された。優勝カップや馬具、プライベート写真などの展示、VTR上映等が行われた。
2006年2月23日 – 27日タカシマヤ新宿店
2006年4月19日 – 24日高島屋京都店(四条河原町)
2006年8月30日 – 9月4日伊勢丹小倉店(北九州市)
2007年2月7日 – 15日高島屋大阪店(なんば)
2007年4月25日 – 5月6日高島屋米子店
2007年12月18日 – 24日三越名古屋店(栄)
その他、ウインズ広島にて2006年9月23日 – 10月1日にパネル展が開かれるなど、競馬場内やウインズ各地にて、さまざまなイベントが行われている。
武豊 その他
佐野量子との結婚式は1995年6月5日に京都の教会で伊集院静・篠ひろ子夫妻を立会人に行われた[6]。
競艇の松井繁とは非常に仲が良く(生まれた年は同じだが、武が早生まれのため武が1学年上になる)、2006年には第21回住之江賞金王を制した松井にゴルフ代と食事を奢ってもらった経験もある。
阪神タイガースファン[8]で、阪神の選手と親交も深い。
甲子園で阪神-巨人戦の始球式を務めたこともある。
2005年、「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2005」受賞[9]。
2005年、雑誌「Number」が選ぶ2005年度MVP受賞。
愛知県知多郡にある武豊町(たけとよちょう)には数回招かれ、1989年には一日町長を務めたこともある[10]。
同町にあるJR東海・武豊線の武豊駅の改札口上には一時期サイン色紙が飾られていた。
2006年10月20日、福岡中2いじめ自殺事件の中学2年の生徒がディープインパクトのファンであったため、両親に対し「天国で応援して」と色紙を送った。
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武豊 成績表
西暦勝利数・勝率連対率表彰歴
1987年69勝(.125)(.238)JRA賞(最多勝利新人騎手)
1988年113勝(.169)(.306)史上最年少関西リーディングジョッキー
1989年133勝(.183)(.340)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1990年116勝(.160)(.324)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1991年96勝(.150)(.291)優秀騎手賞
1992年130勝(.215)(.345)JRA賞(最多勝利騎手)
1993年137勝(.196)(.392)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)・フェアプレー賞
1994年134勝(.230)(.388)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手)
1995年134勝(.193)(.343)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1996年159勝(.211)(.340)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1997年168勝(.233)(.371)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
1998年169勝(.226)(.366)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
1999年178勝(.220)(.396)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
2000年130勝(.236)(.362)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2001年65勝(.183)(.315)-
2002年133勝(.291)(.435)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
2003年204勝(.236)(.384)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2004年211勝(.231)(.372)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2005年212勝(.248)(.398)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2006年178勝(.225)(.375)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2007年156勝(.219)(.372)JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手・特別賞)、関西スポーツ賞
2008年143勝(.219)(.355)JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手)
2009年140勝(.182)(.320)JRA賞(最多賞金獲得騎手)
2010年69勝(.167)(.281)-
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