女性騎手
女性騎手
女性騎手 概要
世界初の女性騎手は1936年に日本の京都競馬倶楽部での騎手免許試験に合格した斉藤澄子である。
しかし、競馬関係者が「女性騎手の存在は風紀を乱す」と反対運動を展開した結果、農林省および東京帝国競馬協会が斉藤のレース出場を禁止する通達を出したためレースに騎乗することができず、さらに1937年に発足した日本競馬会が男性であることを騎手の要件とした(当時)ため引退を余儀なくされた。吉永みち子の小説『繋(つな)がれた夢』の主人公は斉藤がモデルとなっている。
世界2例目の女性騎手は斉藤の引退から30年以上を経た1968年11月にアメリカで騎手免許を取得したペニー・アン・アーリーである。しかし男性騎手がストライキを起こすなどして抵抗し、斉藤と同様に一度もレースに出場することなく引退した。 このように完全なる男尊女卑の社会であったかつての競馬界において異色の存在であった女性騎手は、それ故にその誕生から不遇に満ちたものだった。
しかしその後、1960年代後半から起こったウーマンリブの世界的広がりなどの影響から、競馬界に於いても不当な男女差別が問題視されるようになり、以後実際にレースで騎乗し活躍を見せる女性騎手が登場し始める。 最も成功した女性騎手はアメリカのジュリー・クローンである。クローンは通算3704勝、重賞132勝、1993年のベルモントステークスに優勝するなど超一流騎手と呼ぶに相応しい実績をあげ、2000年8月に女性騎手として初めて競馬の殿堂入りを果たした。
21世紀以降も、カナダのシャンタル・サザーランドなどの超一流クラスの女性騎手が登場している。サザーランドはモデル業と騎手を兼任している珍しい騎手でもある。 日本では勝利数の面において、中央競馬よりも地方競馬において女性騎手が活躍している。名古屋競馬場に所属していた宮下瞳が、日本における女性騎手の最多勝利記録の626勝を挙げ(地方競馬のみ)、短期騎手免許で騎乗した韓国でも50勝以上を挙げている[1]。なお、2002年に中央競馬の短期免許を取得したニュージーランドのロシェル・ロケットが、中山大障害に優勝。これが中央競馬初の女性騎手による重賞優勝、かつGI(J・GI)優勝である。 対する日本中央競馬会(JRA)所属の日本人女性騎手については、2010年時点でも目立った活躍は見られない。これは単純に騎乗技術の優劣によるとする考え方の一方、技術以上に「女の力では馬は御せない」という盲目的な古い因習=男尊女卑の思想が競馬関係者や馬主などに未だ根強く残っていることにも原因があるという見解の分かれる部分もある。その最たる例として、競馬学校で騎乗技術を含めて最も優秀な成績を修めた卒業生に贈られるアイルランド大使特別賞を受賞し、JRA初の女性騎手の1人としてデビューした牧原由貴子(現・増沢由貴子)が、実際の騎乗依頼数、騎乗馬の質においても殆どチャンスを与えられず、他の同期生たちよりも騎乗数などで冷遇されていることが上げられる。彼女たちのデビュー当初は「女性にも道が開けたことで先行する地方競馬のように中央競馬に挑戦する女性騎手が増えるのではないか」と期待されていたが、最初のケースが実質的な失敗に終わったことで、現在の中央競馬では女性騎手が活躍できる下地が根付いておらず、また西原玲奈を最後に競馬学校の騎手過程を卒業した女性は途絶えている。
日本全国の女性騎手を招待して開催されるシリーズとして、「レディースジョッキーズシリーズ」(LJS)がある。これは荒尾競馬場で2004年および2005年に行われた「全日本レディース招待競走」を前身とし、1997年から2000年まで中津競馬場で行われていた「卑弥呼杯」、2001年に新潟競馬場で行われた「駒子賞」を起源とする。なお、それ以前の女性競馬騎手招待レースには「レディスカップ」(1981年〜1984年、水沢競馬場、上山競馬場、新潟競馬場)、「国内女性騎手招待競走」(1982年〜1984年、水沢競馬場)、「ANJレディースカップ」(1988年、札幌競馬場)、「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」(1989年〜1993年)などがある。 NARグランプリでは「優秀女性騎手賞」の部門を設置し、その年に最も活躍した女性騎手を表彰している。
女性騎手に対する減量特典がある競馬場
女性騎手に対してレース時の負担重量を減量する特典を付与する制度を実施している競馬主催者もある。平地競走においては1kg、ばんえい競馬は10kg優遇される。ただし、重賞競走においては適用されない。 ばんえい競馬 名古屋競馬場 笠松競馬場 福山競馬場 高知競馬場 荒尾競馬場
主な女性騎手 日本の女性騎手
女性騎手 現役(2011年11月現在)
増沢由貴子(旧姓:牧原)(JRA) 竹ケ原茉耶(ばんえい) 笹木美典(北海道) 下村瑠衣(北海道) - 2011年3月16日新規騎手免許合格。 皆川麻由美(岩手) 山本茜(名古屋) 別府真衣(高知) - 父は高知所属の調教師別府真司。 森井美香(高知) 岩永千明(荒尾)
女性騎手 引退
斉藤澄子(京都競馬倶楽部) 田村真来(JRA) - 父は元騎手の田村正光。 板倉真由子(JRA) 細江純子(JRA) 押田純子(JRA) - 現姓・清水。父は元騎手の押田年郎。 西原玲奈(JRA) 辻本由美(ばんえい) - 父は調教師の辻本誠作、弟は騎手の辻本貴信。 佐藤希世子(ばんえい) 安田歩(北海道) 勝賀瀬芳子(北海道〜宇都宮) 佐々木明美(北海道) 高橋クニ(岩手) - 実際にレースで騎乗した日本初の女性騎手。繋駕競走のみ騎乗し、通算253戦33勝、2着39回(1966〜1971年)。水沢・高橋武(クニの夫でもある)厩舎所属。娘の優子(下記参照)は日本初の平地女性騎手。 高橋優子(岩手) - 日本初の平地女性騎手。水沢・高橋武(優子の父でもある)厩舎所属。1,776騎乗209勝(1969〜1974年,通算5年6ヵ月)。1969年4月にデビューしたが1974年、急性心不全のため死去。 佐々木亜紀(岩手) 石川夏子(岩手) 千田和江(岩手) 新田弥生(旧姓:吉田)(岩手) 岩田富子(上山) - 昭和20年代に活動。『地方競馬』1986年7月号29ページにおいて「(斉藤を除くと実質的な)本邦女性騎手第一号といわれる」と紹介されている。 小田嶋志生子(上山) 和田美由紀(上山) 徳留五月(旧姓:遠藤)(上山〜高知) 藤塚聡子(新潟〜高崎) 山田真裕美(新潟) 山本泉(大井〜新潟) 赤見千尋(高崎) 米田真由美(高崎) 牛房由美子(浦和) - 父は浦和所属の元騎手、現調教師の牛房榮吉。 木村園夏(浦和) 平山真希(浦和) - 騎手引退後調教師に転向。 土屋薫(浦和〜大井) - 父は浦和所属の元調教師土屋登。 稲川由紀子(船橋) 鈴木久美子(船橋) 鈴木千予(船橋) 溝邉悦代(船橋) 米井陽子(船橋) 松沼緑(大井) 沢江鮎美(大井) 埴谷美奈子(大井〜益田) 戸川理彩(川崎) 安池成実(川崎) - 騎手引退後調教師に転向。父は元調教師の安池保。 宮岸由香(金沢) 山上由紀子(金沢) 岡河まき子(笠松) 中島広美(笠松) 神野治美(名古屋) - 日本の女性騎手として史上初の初騎乗初勝利の快挙を達成した人物。後に同じ名古屋所属の騎手であった横川健二と結婚し、子息である横川怜央は大井所属の騎手で、日本の平地競馬では史上初の両親が騎手経験者である騎手[1]。 宮下瞳(名古屋) - 日本における女性騎手最多勝記録保持者(2011年8月現在)。 吉岡牧子(益田) - 8年間で通算350勝。現代競馬において女性騎手の存在を広めた功労者。引退まで益田のスター騎手でもあった。 白津万里(福山) 池本徳子(旧姓:大場〜佐藤)(福山) 伊藤千織(佐賀) 藤本美芽(荒尾) 小田部雪(中津〜荒尾) - 2001年中津競馬の廃止とともに荒尾競馬に移籍。2002年引退。 篠田幸子(中津)
日本国外の女性騎手
ペニー・アン・アーリー(アメリカ) メアリー・ベーコン(アメリカ) - 1978年大井競馬場の招待競走などで来日。 ジュリー・クローン(アメリカ) - 1990年ワールドスーパージョッキーズシリーズで来日。 エマ=ジェイン・ウィルソン(カナダ) リサ・クロップ(ニュージーランド) - 1994年にJRAの短期免許を取得し来日(女性短期免許騎手第1号)。 リサ・マンビー(ニュージーランド) ロシェル・ロケット(ニュージーランド) - 2002年中山大障害優勝、JRAの重賞競走で唯一の女性G1ジョッキー。 アンヌソフィ・マドレーヌ(フランス) - 1999年インターナショナルジャンプジョッキーズで来日。 アレックス・グリーヴス(イギリス) - 1997年ナンソープステークス優勝、欧州の平地競走で史上初の女性G1ジョッキー。 バーナデット・クーパー(大井) - 短期免許(2003年8月5日〜11月4日)。オーストラリアの騎手。 ヘイリー・ターナー(イギリス) - 2006年、2007年シャーガーカップイギリス代表として出場。2011年ジュライカップG1、2011年ナンソープステークスG1優勝。 シャンタル・サザーランド(カナダ) カシー・オハラ(オーストラリア)
^ 韓国の日本人騎手たち 内田利騎手、現地若手の模範に ZakZak 2011年1月27日