小坂忠士 プロフィール
2001年、JRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。デビュー時の所属は境直行厩舎だった(兄弟子は石橋守、藤田伸二、荻野要。
ただし小坂と同時に所属したことはない)。3月3日、初騎乗となった阪神4レースでは、1番人気だったキクノプロスパに騎乗して2着となったが、同日第7レースで騎乗した2番人気のブリッジシャトーで勝利しわずか2戦目でJRA初勝利を挙げる。
3月6日には地方競馬に初騎乗。6月23日に障害レース初騎乗、7月21日に障害レース初勝利を挙げ、8月18日に新潟ジャンプステークスで重賞初騎乗。
6着となった。
2002年、愛知杯にナムラサンクスで平地重賞初騎乗(4着)。
2003年、阪神スプリングジャンプをカネトシガバナーで制し重賞初勝利、同馬にて障害GI中山グランドジャンプにも初騎乗を果たす。
2005年、2月23日に地方競馬で初勝利を挙げる。
小坂忠士 エピソード
地元に愛知県競馬組合の井上哲調教師の実家(たつの市新宮町)が近くにある.
小坂忠士 主な騎乗馬
カネトシガバナー(2003年阪神スプリングジャンプ)
スプリングゲント(2006年京都ジャンプステークス、京都ハイジャンプ)
コウエイトライ(2006年小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、東京オータムジャンプ、2007年小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、2008年阪神ジャンプステークス、2010年阪神ジャンプステークス)
トーワヒヨシマル(2009年阪神スプリングジャンプ)
小坂忠士 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗2001年3月3日1回阪神3日4R3歳未勝利キクノプロスパ13頭12着
初勝利2001年3月3日1回阪神3日7R4歳上900万円下ブリッジシャトー10頭21着
重賞初騎乗2002年6月2日2回中京6日11R愛知杯ナムラサンクス12頭64着
GI初騎乗2008年12月14日5回阪神4日11R阪神ジュベナイルフィリーズフキラウソング18頭1415着
障
害初騎乗2001年6月23日3回阪神3日5R障害未勝利シンボリアカデミー12頭33着
初勝利2001年7月21日2回小倉3日5R障害未勝利シンボリアカデミー12頭11着
重賞初騎乗2001年8月18日2回新潟3日10R新潟ジャンプステークスシンボリアカデミー12頭65着
重賞初勝利2003年3月15日1回阪神5日10R阪神スプリングジャンプカネトシガバナー14頭51着
JGI初騎乗2003年4月19日4回中山7日11R中山グランドジャンプカネトシガバナー16頭34着
年度平地競走障害競走
1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2001年528133.038.053.11311416.063.125.375
2002年192218381.050.108.15553542.119.190.310
2003年4816217.018.055.12916136.028.194.222
2004年659126.048.087.15911028.036.071.071
2005年4910136.029.096.16926348.042.167.229
2006年33381.037.074.11195648.188.292.417
2007年246108.019.056.111127351.235.373.431
2008年22281.025.049.074410957.070.246.404
2009年236102.020.049.10893466.136.182.242
2010年387115.026.096.15749455.073.236.309
中央5066851480.034.078.136485139447.107.221.309
地方35561.049.131.213
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
国分 恭介(こくぶん きょうすけ、1990年12月27日 – )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「国分」と表記されるが、正しくは「國分 恭介」。
双子の兄・国分優作も栗東所属の騎手。
国分恭介プロフィール
騎手になるきっかけは恭介の身体が小さかったこともあって、母が競馬学校のパンフレットを家に持ち帰り、将来の進路のひとつとして勧めたことがきっかけだったという[1]。
2006年4月に競馬学校第25期生として双子の兄・優作らと共に入学。また、3年生時に藤田伸二の特別講義を受けた一人である[2]。
2009年2月に競馬学校を卒業。JRAでは柴田大知・柴田未崎以来、13年振り2組目の双子騎手となった[3]。同期に小野寺祐太、国分優作、松山弘平、丸山元気がいる。
調教中に落馬負傷したため、同期の他の4人より1週間遅れてのデビューとなった。初騎乗は2009年3月7日、阪神競馬場第1レースのターンオーバーで、14頭立ての11着だった。同年4月25日、京都競馬場第12レースで5番人気スリーサンビームに騎乗し53戦目で初勝利を挙げた。兄・優作から6日遅れての初勝利だった。
2009年9月6日、小倉2歳ステークスでダンツミラションに騎乗し重賞初騎乗(8着)。また、年末に中京競馬場で実施された「中京ヤングバトルシリーズ2009」(ポイント制)で見事優勝し、翌2010年の同シリーズも優勝し連覇を果たす。同年10月17日には府中牝馬ステークスをテイエムオーロラで勝利し、15度目の挑戦で同期一番乗りとなる、JRA重賞初勝利を挙げる。
国分恭介 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月7日 1回阪神3日1R 3歳未勝利 ターンオーバー 14頭 10 11着
初勝利 2009年4月25日 3回京都1日12R 4歳上500万円下 スリーサンビーム 16頭 5 1着
重賞初騎乗 2009年9月6日 3回小倉8日10R 小倉2歳ステークス ダンツミラション 14頭 12 8着
重賞初勝利 2010年10月17日 4回東京4日11R 府中牝馬ステークス テイエムオーロラ 17頭 4 1着
GI初騎乗 2010年11月14日 6回京都4日11R エリザベス女王杯 テイエムプリキュア 17頭 11 17着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 23 29 42 539 .043 .096 .174
2010年 52 34 59 843 .062 .102 .172
中央 75 63 101 1382 .054 .100 .173
地方 0 0 1 7 .000 .000 .143
国分介 脚注
^ 2010年11月16日付中日スポーツ紙面
^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
^ ただし双子騎手自体は片方のみJRAでもう片方がNARであれば水野貴広・水野貴史兄弟が既に柴田より先にいた。また両方NARであれば竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫で騎手をしていた松本良平・松本心平兄弟の例もあった
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行, 69~0点商材一覧
黒岩 悠(くろいわ ゆう、1983年10月26日 – )は、JRA・栗東トレーニングセンターの騎手。
黒岩 悠プロフィール
2002年3月2日、競馬学校第18期生吉岡八郎厩舎所属騎手としてデビュー。同期には五十嵐雄祐・高野容輔・南井大志らがいる。
1年目より平地の他、障害競走にも騎乗。2年目の2003年には自己最高となる17勝をマークし、平地・障害双方の重賞競走への初騎乗も記録。この年ナムラエキスプレスにて障害初勝利を達成、同馬にて小倉サマージャンプに参戦し3着という結果を残している。
見習騎手から外れる2005年以降、平地での騎乗機会は減少するも障害競走へと活躍の場を移し、デビュー7年目となる2008年にはドールリヴィエールに騎乗し三木ホースランドジャンプステークスを制し初の特別競走勝ちを記録、翌2009年には同馬にてJGI初騎乗も果たしている。
黒岩 悠 主な騎乗馬
ナムラエキスプレス(2003年小倉サマージャンプ3着)
ドールリヴィエール(2008年三木ホースランドJS)
黒岩 悠 騎乗成績
競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 2002年3月2日 1回中京1日3R 3歳未勝利 キシュウミカン 16頭 9 15着
初勝利 2002年7月14日 2回小倉2日1R 3歳未勝利 マヤノフォーティ 15頭 5 1着
重賞初騎乗 2003年2月9日 2回京都4日11R シルクロードステークス キシュウファンタジ 14頭 12 11着
障
害 初騎乗 2002年7月20日 2回小倉3日5R 障害未勝利 マリアエレナ 12頭 10 12着
初勝利 2003年3月29日 2回阪神1日5R 障害未勝利 ナムラエキスプレス 14頭 2 1着
重賞初騎乗 2003年5月17日 3回京都7日9R 京都ジャンプステークス アグネスストーム 14頭 11 7着
JGI初騎乗 2009年4月18日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ ドールリヴィエール 15頭 9 5着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2002年 2 2 5 139 .014 .029 .065 0 0 0 6 .000 .000 .000
2003年 13 12 21 302 .043 .083 .152 4 3 4 33 .121 .212 .333
2004年 3 10 6 142 .021 .092 .134 1 0 2 8 .125 .125 .375
2005年 2 2 3 85 .024 .047 .082 0 0 2 15 .000 .000 .133
2006年 0 0 0 43 .000 .000 .000 1 2 2 32 .031 .094 .156
2007年 0 0 2 18 .000 .000 .111 2 0 1 30 .067 .067 .100
2008年 1 1 1 31 .032 .065 .097 6 2 0 32 .188 .250 .250
2009年 0 0 0 10 .000 .000 .000 0 0 5 42 .000 .000 .119
2010年 0 1 0 16 .000 .063 .063 0 1 4 41 .000 .024 .122
中央 21 28 38 786 .027 .062 .111 14 8 20 239 .058 .092 .175
地方 0 1 0 9 .000 .111 .111
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
熊沢 重文(くまざわ しげふみ、1968年1月25日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である。JRAおよびマスコミ各社における表記ルールにより「熊沢」になっているが正しくは「熊澤重文」である[1]。
平地・障害どちらもトップジョッキーと言われるレベルにある。
熊沢重文 プロフィール
1968年愛知県刈谷市にて出生、またこれより10年ほど前に南井騎手の家族も京都から移り住んでおり、これが熊沢が騎手となる契機の一つとなっている。この刈谷では祭事に馬が使われることは珍しくなく熊沢も馬に少なからず興味を示しこれも騎手となる素地であったと語っている。
熊沢が中学野球で活動していた頃父が入院、その同じ病室に南井の父親がいたことから話は進展。息子同士が出会うこととなり、同時期に担任の教師より「(同じ愛知出身の)調教師に話を通してもいい」と後押しされたこともあり熊沢は騎手になることを志すようになる。
1986年騎手免許を取得し栗東・内藤繁春厩舎所属騎手としてデビュー、同期騎手として横山典弘、松永幹夫などがいる。3年目の1988年に代打騎乗[2]となるコスモドリームで優駿牝馬を制しGI初勝利を記録、満20歳3ヶ月という最年少GI勝利(当時)の他、史上3人目の減量騎手のオークス制覇[3]という記録も達成している。
1991年にはダイユウサクで有馬記念をレコード勝ちし二度目のGI勝利を記録、人気馬メジロマックイーンを破った実力派騎手としてこのレース以降、熊沢の名は関東でも認知されるようになりファンからの声援の他、調教師からも声がかかるようになった[4]が、この2つのGI勝利を熊沢は「悪く言えばどちらも遊びに行ったという感じ[5]。」「人気薄(コスモドリーム/10番人気・ダイユウサク/13番人気)で気楽に乗れた[6]。」と振り返っている。
他にも1996年スプリンターズステークスではわずか1cmの差で涙を飲んだ快速馬エイシンワシントン、後にパートナー交替となるが、ステイゴールドの主戦騎手でもあった。
また「最も取りたいレースは日本ダービーと中山大障害」と公言[7]しているように、障害競走にも積極的に騎乗している。平地競走でGI勝利を経験している騎手は障害競走には初めから乗らないか、それまで乗っていても辞めるケースがほとんど(障害競走は落馬の危険性が高く、怪我をしやすいため敬遠する騎手も多い)であり、今も騎乗し続けている熊沢は極めて稀有な例である。勝利数も多く、1999年、2000年、2002年、2004年にJRA賞(最多勝利障害騎手)を獲得し、通算500勝、800勝は障害競走で記録し、2001年にはJRA3人目[8]となる平地・障害100勝を達成している。
2005年12月4日、テイエムプリキュアに騎乗し阪神ジュベナイルフィリーズに勝利。ダイユウサク以来14年ぶりのGI制覇となった。
2009年8月8日の小倉競馬4Rでベネラに騎乗し1着となり、中央競馬史上29人目、現役12人目となるJRA通算900勝を達成した。
熊沢重文 主な騎乗馬
コスモドリーム(1988年オークス)
ダイユウサク(1991年有馬記念、京都金杯)
エイシンワシントン(1994年セントウルステークス、1996年CBC賞、スプリンターズステークス2着)
ストーンステッパー(1996年根岸ステークス、1997年ガーネットステークス)
ステイゴールド(1998年天皇賞春2着・宝塚記念2着・1999年天皇賞秋2着)
ロードプリヴェイル(2004年京都ハイジャンプ、阪神ジャンプステークス、小倉サマージャンプ)
テイエムプリキュア(2005年阪神ジュベナイルフィリーズ、2009年エリザベス女王杯2着)
熊沢重文 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 1986年3月2日 1回阪神4日7R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 12頭 5 5着
初勝利 1986年3月29日 2回阪神3日8R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 14頭 8 1着
重賞初騎乗 1986年11月30日 3回中京4日11R 愛知杯 マルカセイコウ 13頭 12 13着
GI初騎乗・初勝利 1988年5月22日 5回東京2日10R 優駿牝馬 コスモドリーム 22頭 10 1着
障
害 初騎乗 1987年4月11日 2回阪神5日5R 障害オープン グリーンサツキ 14頭 13 12着
初勝利 1987年10月24日 4回京都5日5R 障害未勝利 グリーンサンミャク 10頭 2 1着
重賞初騎乗 1987年9月19日 4回阪神3日9R 阪神障害ステークス(秋) インターシャドー 9頭 6 4着
重賞初勝利 1993年5月8日 3回京都5日9R 京都大障害(春) ビックフォルテ 8頭 4 1着
JGI初騎乗 2001年4月14日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ ダンシングターナー 11頭 4 3着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1986年 30 28 24 345 .087 .168 .238 –
1987年 19 18 16 275 .069 .135 .193 2 4 2 27 .074 .222 .296
1988年 27 30 18 283 .095 .201 .265 0 0 3 11 .000 .000 .273
1989年 34 24 25 298 .114 .195 .279 3 2 2 23 .130 .217 .304
1990年 21 24 22 306 .069 .147 .219 7 4 6 54 .130 .204 .315
1991年 31 30 28 425 .073 .144 .209 4 3 5 43 .093 .163 .279
1992年 29 38 44 454 .064 .148 .244 3 4 6 38 .079 .184 .342
1993年 35 43 43 510 .069 .153 .237 7 8 9 44 .159 .341 .545
1994年 29 44 47 549 .053 .133 .219 6 6 4 36 .167 .333 .444
1995年 38 46 42 500 .076 .168 .252 5 6 6 42 .119 .262 .405
1996年 51 40 39 510 .100 .178 .255 7 10 7 41 .171 .415 .585
1997年 48 53 31 529 .091 .191 .250 6 7 7 36 .167 .361 .556
1998年 39 53 43 526 .074 .175 .257 7 2 6 42 .167 .214 .357
1999年 33 49 46 589 .056 .139 .217 16 6 4 40 .400 .550 .650
2000年 35 43 50 620 .056 .126 .206 17 9 6 61 .279 .426 .525
2001年 49 57 58 679 .072 .156 .242 11 15 9 61 .180 .426 .574
2002年 28 41 49 590 .047 .117 .200 13 9 6 53 .245 .415 .528
2003年 37 42 48 631 .059 .125 .201 6 10 6 49 .122 .327 .449
2004年 35 42 29 551 .064 .140 .192 11 6 4 53 .208 .321 .396
2005年 33 43 29 610 .054 .125 .172 6 7 6 45 .133 .289 .422
2006年 18 29 30 510 .035 .092 .151 6 3 4 37 .162 .243 .351
2007年 14 14 14 368 .038 .076 .114 3 5 4 33 .091 .242 .364
2008年 7 16 22 409 .017 .056 .110 7 7 8 48 .146 .292 .458
2009年 21 16 22 494 .043 .075 .119 13 3 4 60 .217 .267 .333
2010年 17 13 18 375 .045 .080 .128 4 4 1 22 .182 .364 .409
中央 758 876 837 11936 .064 .137 .207 170 140 125 999 .170 .310 .435
地方 48 37 31 302 .159 .281 .384
熊沢重文 参考文献
別冊宝島『競馬騎手読本』(宝島社、1997年)ISBN 4-7966-9290-8
別冊宝島『競馬騎手名鑑’98』(宝島社、1998年)ISBN 4-7966-9383-1
木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4-89691-298-5
小林常浩『騎手という稼業』(アールズ出版、2000年)ISBN 4-901226-13-4
熊沢重文 脚注
^ NARデータベース
^ 元々岡潤一郎が騎乗していたが、GI競走に騎乗するための勝利数(31勝)に達していなかったため
^ 1938年保田隆芳、1943年前田長吉に次ぐ3人目
^ 騎手物語
^ 東京競馬場・中山競馬場共に両GIレースの施行日が初騎乗
^ 騎手という稼業
^ 別冊宝島騎手名鑑’98
^ 横山富雄・田中剛に次ぐ3人目
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
北村 友一(きたむら ゆういち、1986年10月3日 – )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属する騎手である。騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、障害競走への騎乗経験は現在の所ない。
北村友一プロフィール
2006年、2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得、田島良保厩舎所属騎手としてデビュー。同期には田中博康、的場勇人騎手がいる。初年度は14勝を挙げ中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞した。
2007年、第1回新潟競馬に於いて11勝、2着5回、3着3回の成績で初の開催リーディングジョッキーを獲得。10月8日京都12Rで走行妨害を受け落馬。当初JRAより頭部外傷と発表されたが、その後の精密検査で右手首骨折が判明。手術を受け年内復帰は絶望視されていたが、12月8日復帰、15日に復帰後初勝利を記録している。
2008年10月4日札幌3Rにて通算100勝を達成、仲の良い藤岡佑介騎手がプラカードを持った。10月18日、デイリー杯2歳ステークスをシェーンヴァルトで制し、デビュー3年目にして重賞競走を初制覇した。また同馬にて翌年の皐月賞・東京優駿に騎乗し4着・6着と結果を残す。
2009年ミヤビランベリで目黒記念・七夕賞を優勝する等、7月まで39勝を挙げる活躍を見せるも、7月19日札幌12Rにて落馬のため左上腕骨を骨折。12月12日の復帰まで長期休養となる。
北村友一 主な騎乗馬
シェーンヴァルト(2008年デイリー杯2歳ステークス、2009年皐月賞4着)
ソルジャーズソング(2009年高松宮記念3着)
ミヤビランベリ(2009年目黒記念、2009年七夕賞)
ホッコーパドゥシャ(2009年福島民報杯)
エーシンホワイティ(2010年ファルコンステークス)
ダノンヨーヨー(2010年富士ステークス)
トウカイミステリー(2011年北九州記念)
北村友一 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2006年3月4日 1回阪神3日3R 3歳未勝利 ソリッドスウィート 15頭 13 11着
初勝利 2006年3月19日 1回中京6日7R 4歳上500万円下 ゴッドヘイロー 16頭 12 1着
重賞初騎乗 2006年12月3日 4回中京2日11R 中日新聞杯 イーグルドライバー 13頭 13 4着
重賞初勝利 2008年10月18日 4回京都3日11R デイリー杯2歳S シェーンヴァルト 12頭 3 1着
GI初騎乗 2008年5月18日 2回東京8日11R ヴィクトリアマイル タイキマドレーヌ 18頭 15 12着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 表彰
2006年 14 15 10 291 .048 .100 .134 中央競馬関西放送記者クラブ賞
2007年 45 47 46 591 .076 .156 .234
2008年 53 59 53 730 .073 .153 .226
2009年 41 30 28 460 .089 .154 .215
2010年 53 54 52 682 .078 .157 .233
中央 206 205 189 2754 .075 .149 .218
地方 5 0 2 19 .263 .263 .368
北村友一 supporter’s wave +Trieath+
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
北村 宏司(きたむら ひろし、1980年7月24日 – )は日本中央競馬会(JRA)の美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
北村宏司 プロフィール
馬術の国体選手だった父親が、家で馬を飼っていたこともあり、幼少の頃から乗馬に親しんでいた。
競馬学校騎手過程15期生で1999年に騎手デビュー。同期には二本柳壮、高田潤らがいる。初騎乗は同年3月6日、中京競馬第4競走のイブキアーンドランで、16頭立ての16着だった。初勝利は同年3月14日、中山競馬第2競走でタイキコンコルドに騎乗してのものであった。その年は6月に左足を骨折し、それによる1ヶ月の休養があったものの37勝を挙げ、JRA賞(最多勝利新人騎手)を獲得した。
デビュー翌年の2000年1月30日、東京競馬場での東京新聞杯を単勝7番人気のダイワカーリアンで制して重賞初勝利。その後もコンスタントに勝利を挙げ、関東リーディングの上位に名を連ねる。
所属の藤沢和雄厩舎はGIによく管理馬を送り出すが、北村が騎乗していた馬がGI出走になると他のリーディング上位の騎手や外国人騎手に乗り替わりというパターンが多かった。しかし、岡部幸雄が2005年に引退して以降は実力のある馬の騎乗が回ってきている。また、藤沢も2006年からは「日本人騎手育成のためにオリビエ・ペリエ、ケント・デザーモなどの外国人騎手に依頼せずに(自身の厩舎に所属する騎手を中心とした)日本人騎手に依頼する」と宣言しているため、更に有力馬への騎乗機会が増えている。
ダンスインザムードに騎乗した2005年の天皇賞(秋)では、それまで不振に陥っていた同馬を、前年に2着したときと同じような先行3番手という競馬を試みた結果、僅差の3着に粘らせ復活させた。
さらに2006年のヴィクトリアマイルでは同馬を桜花賞以来2年ぶりの勝利に導き、自身初のGIタイトルを獲得。同時にヴィクトリアマイルの初代優勝騎手となった。ヴィクトリアマイルの8日後には東西騎手対抗サッカー大会に参加。この場でも東軍(Jスマイル)を勝利へと導き、MVPに選ばれる活躍を見せた。
2008年、アメリカ合衆国へ遠征していた自厩舎のカジノドライヴのピーターパンステークスへ向けての調教を行うためのパートナーとして渡米し、5月7日の追い切り後に帰国した。その帰国直後の5月11日に京都競馬場で行われた第12競走でジェイケイボストンに騎乗し、最後の直線で前の馬と触れてつまずいたことにより落馬し、その後左前腕部骨折、左大腿部挫創と診断された。
なおジェイケイボストンの落馬直後にはコンゴウダイオーと鞍上の武英智(北村と同期でもある)が接触し、後者も落馬するという大きな落馬事故となっている。そして療養中には普段できないことをしたいということからフランスへ競馬研修を行うなどした。傷が癒えて8月21日より調教に復帰し、9月13日より実戦復帰を果たし、復帰初日に勝利を挙げている。
そして復帰2週目の9月21日には2頭落馬というアクシデントの中、セントライト記念をダイワワイルドボアで勝ち、2008年初重賞勝ちを記録した。
北村宏司 重賞勝利
2000年
東京新聞杯(GIII) ダイワカーリアン
関屋記念(GIII) ダイワテキサス
新潟記念(GIII) ダイワテキサス
新潟3歳ステークス(GIII) ダイワルージュ
2004年
共同通信杯(GIII) マイネルデュプレ
2005年
エプソムカップ(GIII) スズノマーチ
セントライト記念(GII) キングストレイル
2006年
京成杯(GIII) ジャリスコライト
ヴィクトリアマイル(GI) ダンスインザムード
2007年
クイーンカップ(GIII) イクスキューズ
日経賞(GII) ネヴァブション
2008年
セントライト記念(JpnII) ダイワワイルドボア
2009年
ダイヤモンドステークス(GIII) モンテクリスエス
エルムステークス(GIII)マチカネニホンバレ
2010年
中山牝馬ステークス(GIII) ニシノブルームーン
関屋記念(GIII) レッツゴーキリシマ
レパードステークス(重賞) ミラクルレジェンド
2011年
フィリーズレビュー(GII) フレンチカクタス
北村宏司 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1999年3月6日 1回中京7日4R 4歳未勝利 イブキアーンドラン 16頭 16 16着
初勝利 1999年3月14日 2回中山6日2R 4歳未勝利 タイキコンコルド 14頭 1 1着
重賞初騎乗 1999年4月25日 2回東京2日11R NZT4歳S タイキトレジャー 18頭 6 3着
重賞初勝利 2000年1月30日 1回東京2日11R 東京新聞杯 ダイワカーリアン 16頭 7 1着
GI初騎乗 2000年5月7日 2回東京6日11R NHKマイルカップ マイネルブライアン 18頭 7 14着
GI初勝利 2006年5月14日 2回東京8日11R ヴィクトリアマイル ダンスインザムード 18頭 2 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1999年 37 25 25 363 .102 .171 .240
2000年 38 40 46 592 .064 .132 .209
2001年 54 52 55 652 .083 .163 .247
2002年 41 62 53 596 .069 .173 .262
2003年 78 56 72 690 .113 .194 .299
2004年 65 55 59 745 .087 .161 .240
2005年 59 63 45 740 .080 .165 .226
2006年 79 72 66 842 .094 .179 .258
2007年 61 76 72 821 .074 .167 .255
2008年 55 40 35 513 .107 .185 .253
2009年 87 77 57 828 .105 .198 .267
2010年 60 80 64 878 .068 .159 .232
中央 714 698 649 8260 .086 .171 .250
地方 20 16 23 212 .094 .170 .278
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北沢 伸也(きたざわ しんや、1971年6月9日 – )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「北沢」と表記されるが、正しくは「北澤 伸也」である。
北沢伸也プロフィール
1971年、東京都江戸川区に生まれる。3歳の時に千葉県市川市に移住、幼少の頃から父親と一緒に近郊の中山競馬場を訪れていた。
北沢を騎手にしたいと望んだ父親の勧めで、中学2年次から乗馬を始め、中学校卒業後、JRA競馬学校騎手課程に第6期生として入学した。主な同期生には江田照男、村山明、牧田和弥、のちに落馬事故で殉職した玉ノ井健志などがいる。
2年次から滋賀県栗東トレーニングセンターの荻野光男厩舎で研修の後、1990年に騎手免許を取得。3月3日に初騎乗、同10日に初勝利を挙げた。デビュー以降しばらくは平地競走のみに騎乗し、初年度は9勝、2年目には24勝と成績を伸ばした。
3年目にも23勝を記録したが、若手騎手の負担重量特典が失われた4年目に入ると12勝と成績を落とし、以後数年間15勝前後の成績に落ち着いた。この頃騎乗した馬に、オープン特別競走で3勝を挙げ、1995年の天皇賞(秋)で5着の成績を残した牝馬・ポジーがいる。
1998年から障害競走での騎乗を始め、やがて主戦場とした。2002年にミレニアムスズカで阪神ジャンプステークスを制し、デビュー13年目で重賞を初制覇。2010年にはトーワベガで阪神スプリングジャンプを制して重賞2勝目を挙げ、年間では障害で12勝を挙げて優秀障害騎手賞(第2位)を初受賞した。
北沢伸也 主な騎乗馬
カガミセンカ (1992年4歳牝馬特別2着)
ポジー (1995年天皇賞秋5着)
シンカイウン (1997年小倉記念3着)
ミレニアムスズカ (2002年阪神ジャンプステークス)
トーワベガ (2010年阪神スプリングジャンプ)
北沢伸也 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 1990年3月3日 1回中京1日4R 4歳上500万円下 クリヤーターボ 15頭 5 11着
初勝利 1990年3月10日 1回中京3日2R 3歳未勝利 ジョウネツ 9頭 2 1着
重賞初騎乗 1992年5月3日 2回東京4日11R 4歳牝馬特別 カガミセンカ 14頭 6 2着
GI初騎乗 1992年5月24日 3回東京2日10R 優駿牝馬 カガミセンカ 18頭 12 13着
障
害 初騎乗 1998年3月21日 1回阪神7日5R 障害400万円下 エイユーダンボー 9頭 7 9着
初勝利 1998年8月1日 4回阪神5日5R 障害未勝利 ダンディウラノス 11頭 1 1着
重賞初騎乗 1998年5月16日 3回京都7日9R 京都大障害(春) エイユーダンボー 8頭 8 3着
重賞初勝利 2002年9月14日 4回阪神3日9R 阪神JS ミレニアムスズカ 14頭 1 1着
JGI初騎乗 2001年12月22日 5回中山7日10R 中山大障害 ワンダフルシチー 10頭 9 5着
年度 障害競走 平地競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1990年 – 9 10 16 146 .062 .130 .240
1991年 – 24 24 17 268 .090 .179 .243
1992年 – 23 20 22 273 .084 .158 .238
1993年 – 12 4 7 126 .095 .127 .183
1994年 – 14 12 19 138 .101 .188 .326
1995年 – 13 12 14 165 .079 .152 .236
1996年 – 16 21 22 219 .073 .169 .269
1997年 – 10 9 7 143 .070 .133 .182
1998年 3 7 6 34 .088 .294 .471 0 3 4 94 .000 .032 .074
1999年 8 12 4 62 .129 .323 .387 1 3 0 39 .026 .103 .103
2000年 7 6 7 64 .109 .203 .313 0 3 4 39 .000 .077 .179
2001年 3 3 4 31 .097 .194 .323 0 1 0 14 .000 .071 .071
2002年 7 5 5 54 .130 .222 .315 0 1 3 26 .000 .038 .154
2003年 4 3 4 51 .078 .137 .216 0 0 0 5 .000 .000 .000
2004年 5 3 0 45 .111 .178 .178 0 0 0 9 .000 .000 .000
2005年 4 9 8 46 .087 .283 .457 0 0 0 6 .000 .000 .000
2006年 1 8 3 49 .020 .184 .245 0 0 0 3 .000 .000 .000
2007年 2 2 6 52 .038 .077 .192 0 0 0 1 .000 .000 .000
2008年 6 5 5 56 .107 .196 .286 0 0 0 1 .000 .000 .000
2009年 8 11 10 67 .119 .284 .433 0 0 0 4 .000 .000 .000
2010年 12 10 6 71 .169 .310 .394 –
中央 70 84 68 682 .103 .226 .326 122 123 135 1719 .071 .143 .221
地方 – 3 2 1 24 .125 .208 .250
関連項目 [編集]
騎手一覧
参考文献 [編集]
木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982
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川田 将雅(かわだ ゆうが、1985年10月15日 – )は日本中央競馬会(JRA)所属の騎手である。
曾祖父(川田若弥)が佐賀競馬場所属の騎手で、祖父(川田利美)・父(孝好は佐賀競馬場の現役)・伯父(宮浦正行は大井競馬場の現役)が調教師という競馬一族に生まれる。同じくJRA所属の鮫島良太騎手とは、幼稚園時代から先輩後輩の関係。
妻は元タレントのおおつか麗衣[1]。
川田将雅プロフィール
2004年3月7日、栗東・安田隆行厩舎所属の騎手として中京競馬第2競走のシュアリーゴールドでデビューし、15頭立ての5着に入る。初勝利は3月20日、阪神競馬第8競走のホーマンルーキー。
1年目は16勝で終わるが人気薄の3着が多く、その頃からも穴騎手として注目されていた。とりわけ500万円以下クラスの3着率が高く、1年目の3着17回のうち12回は500万円以 下クラスでのものであった。
2005年は成績を大きく伸ばし、39勝を挙げた。しかし特別競走での勝利は前年のゲヴァルトの甲東特別とエイシンヘーベの大濠特別の2勝のみで、依然として穴騎手という印象が強かった。
2006年からはフリーの騎手として活動している。小倉大賞典をメジロマイヤーとのコンビで逃げ切り、重賞初制覇を達成する。さらに中京記念ではマチカネオーラとのコンビで豪快に捲り、重賞2勝目をあげた。
そして、東京優駿(日本ダービー)で初めてのGI級競走騎乗を果たす(スーパーホーネットで15着)とその直後の目黒記念をポップロックで勝利した。
同年9月30日の中京競馬第4競走で落馬し、右橈骨骨幹部骨折・右尺骨頭脱臼という大怪我を負った。2007年1月6日の京都競馬で復帰するまで長期休養を余儀なくされたが、この間「観るとイライラするので競馬は観なかった」という(後述の「ジョッキー・スペシャルトーク」での発言)。
2008年4月20日、第68回皐月賞をキャプテントゥーレで制覇し、GI級競走及びクラシック競走初勝利を飾った。
2009年11月3日、公営名古屋競馬場で開催された第9回JBCスプリントをスーニで制覇し、交流重賞競走初勝利を挙げた。
2006年には関西騎手リーディング11位、2007年には同8位、2008年も同8位に入るなど、若手としてトップクラスの活躍を見せている。また接戦に強く、2006年に写真判定になった際の勝率は10回以上機会があった騎手の中で第1位だった。
川田将雅 エピソード
2005年2月26日の丹波特別でゲヴァルトがゲートで暴れて第2頚椎骨折を発症し斃死した。その時、将雅は真っ先にゲヴァルトの元に向かい、その後関係者から渡されたゲヴァルトのゼッケンを持ち帰り、泣き崩れていたという話がある。将雅にとっては初の特別勝ちをもたらしてくれた馬である。
2007年2月26日、東京都渋谷区のプラザエクウスで行われた「ジョッキー・スペシャルトーク」に吉田隼人と共に登場した。前日に阪神競馬場で騎乗し、翌日には栗東に戻って調教に騎乗するというハードスケジュールであった。
競馬学校での生活について「全てが嫌でした。毎日同じことの繰り返しで」などと話した。
好きな女性のタイプは大人しい人。しかし好きな芸能人の話では、そういったタイプとは遠い印象の沢尻エリカの名を挙げ「ギャフンと言わせたい」と話した。
「同期の中で最初にGIを勝つのは自分だと思っている。理由は『取れると思っていないと取れるものも取れない』ため。」と語っている。なお、2008年の皐月賞を優勝し、同期では最初のGI制覇を果たしたことで実現した。
初重賞勝利となった2006年の小倉大賞典において、騎乗したメジロマイヤーの馬主である「メジロ牧場」の勝負服(白・緑一本輪・袖緑縦縞)を着用すべきところを、誤って「メジロ商事」の勝負服(白・緑一本輪・緑袖)を着用しレースに騎乗するアクシデントがあった(勝負服を用意するのは調教師である田島良保の義務となる)。
2007年4月1日、阪神競馬第1レースの3歳未勝利戦にて白毛馬のホワイトベッセルに騎乗して勝利。JRA史上初の白毛馬での勝利騎手として歴史に名を残すこととなった。この時は余程嬉しかったのか、第1レースの未勝利戦であるにもかかわらずガッツポーズを見せた。レース後のコメントでも「重賞レースと同じくらい興奮した」と語っている。
ジャンクSPORTSに出演した際、プロ野球選手を目指していた中学校の友人と「自分が騎手になったらジャンクSPORTSで再会しよう」と誓い合っていたことを明かした。
2008年12月、スカパー!『公営競技スペシャルプログラムSUPER STAR RACERS』では競馬界代表として出演を果たした。
『探偵!ナイトスクープ』2009年4月10日放送分の「阪神競馬場の上り坂は本当にキツイ!?」に出演。競馬場の副場長や新聞の競馬担当記者、競馬番組のキャスターらとダート1200メートルを走り見事1位になる。タイムは6分20秒だった。感想は「馬って本当に頑張っているんだなって。これから馬に感謝しながら馬に乗って行きたいと思います」であった。
勝利騎手インタビューで、自分が乗った馬の事を「この子」と言う。
川田将雅 主な騎乗馬
2010年菊花賞
キャプテントゥーレ (2007年デイリー杯2歳ステークス、2008年皐月賞、2009年朝日チャレンジカップ)
アドマイヤフジ (2008年・2009年中山金杯)
スーニ (2009年JBCスプリント、2010年黒船賞・東京スプリント、2011年サマーチャンピオン)
ダイシンオレンジ (2010年アンタレスステークス、2011年平安ステークス)
ダッシャーゴーゴー (2010年セントウルステークス・2011年オーシャンステークス・2011年CBC賞)
ビッグウィーク (2010年菊花賞)
ゴルトブリッツ (2011年マーキュリーカップ)
騎乗成績 [編集]
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2004年3月7日 1回中京2日2R 3歳未勝利 シュアリーゴールド 15頭 7 5着
初勝利 2004年3月20日 1回阪神7日8R 4歳上500万円下 ホーマンルーキー 16頭 3 1着
重賞初騎乗 2004年6月6日 2回中京6日11R 愛知杯 カレンバレリーナ 18頭 17 11着
重賞初勝利 2006年2月4日 1回小倉5日11R 小倉大賞典 メジロマイヤー 16頭 11 1着
GI初騎乗 2006年5月28日 3回東京4日10R 東京優駿 スーパーホーネット 18頭 18 15着
GI初勝利 2008年4月20日 3回中山8日11R 皐月賞 キャプテントゥーレ 18頭 7 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2004年 16 9 17 255 .063 .098 .165
2005年 39 37 35 543 .072 .140 .204
2006年 59 52 38 522 .113 .213 .285
2007年 58 75 56 727 .080 .183 .260
2008年 73 64 51 673 .108 .204 .279
2009年 65 62 65 712 .091 .178 .270
2010年 83 69 69 708 .117 .215 .312
中央 393 368 331 4140 .095 .184 .264
地方 9 14 10 91 .099 .252 .363
川田将雅 メディア出演
テレビ
ジャンクSPORTS(2008年9月7日・11月9日・2009年4月26日、フジテレビ)
公営競技スペシャルプログラム SUPER STAR RACERS(2008年12月6日)
サタうま!(2009年1月10日、関西テレビ)
探偵!ナイトスクープ(2009年4月10日、ABCテレビ)
武豊TV!(フジテレビ739)
CM
競馬学校(2009年)※松岡正海と共演。
川田将雅 脚注
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^ “川田が結婚!相手は元ブラン娘の大塚麗衣さん”. スポーツニッポン. (2011年4月27日) 2011年4月28日閲覧
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
川須 栄彦(かわす はるひこ、1991年11月9日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター所属の騎手である。
川須 栄彦 プロフィール
2007年4月にJRA競馬学校騎手課程第26期生として入学。2010年2月に卒業して騎手免許を取得した[1]。同期には菅原隆一、平野優、高倉稜らがいる。
競馬学校卒業後は栗東の本田優厩舎に所属。2010年3月13日、第2回中京競馬3日目第1競走のビーンケードで初騎乗(16頭立て13着)。2010年5月23日、第1回新潟競馬8日目第1競走でメイショウクレモナに騎乗して初勝利[2]。
2010年12月9日、本田厩舎を離れ、フリーに転向[3]。本人によれば、この直前に行われた騎手免許更新のための講習会[4]の存在を失念し、講習会に遅刻したことで調教師の本田の逆鱗に触れたことが直接の原因だが、それ以前から「厩舎のことを考えない行動が目立つ」等の理由で本田との仲が悪化していたとのことで、半ば所属厩舎から追放されるような形でフリーにならざるを得なかったという[5]。
川須 栄彦 人物
競馬関係者の間では、同期の高倉と苗字をごっちゃにされ「高須君」と呼ばれることが少なくない。『武豊TV!II』(フジテレビワンツーネクスト)では、武豊、幸英明などの先輩ジョッキーが度々川須のことを「高須君」と間違えて呼んでいる。
川須 栄彦 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2010年3月13日 2回中京3日1R 3歳未勝利 ビーンケード 16頭 9 13着
初勝利 2010年5月23日 1回新潟8日1R 3歳未勝利 メイショウクレモナ 15頭 3 1着
年度 平地競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2010年 18 13 26 345 .052 .090 .165
中央 18 13 26 345 .052 .090 .165
川須 栄彦 脚注
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^ 競馬学校 騎手課程第26期生が卒業”.JRA(2010年2月9日).2011年4月13日閲覧。
^ 川須栄彦騎手がJRA初勝利”.netkeiba.com (2010年5月23日).2011年4月13日閲覧。
^ 川須 本田厩舎所属からフリーに転向”.スポニチ(2010年12月9日).2011年4月13日閲覧。
^ 騎手免許取得後3年未満の騎手は毎年受講する必要がある。
^ 『競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2011年8月号 p.68
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
川島 信二(かわしま しんじ、1982年11月24日 – )は日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの所属の騎手。田島良保は義父(妻の父)にあたる。
川島信二 プロフィール
千葉県にある宝馬乗馬クラブに兄弟で練習を積んだ後、競馬学校に入学(アニマル・ベジテイション・カレッジに入学とあるが同校が開校したのは競馬学校に入学した年である)。
競馬学校第17期生の同期には難波剛健、田中亮、大庭和弥、小坂忠士らがいる。2001年に騎手免許を取得し、初騎乗は3月3日、中京競馬第1競走のイスズペルルで、10頭立ての10着だった。初勝利は同年3月4日の中京競馬第5競走で、オースミダイモンに騎乗してのものであった。
2003年にマイネルブラウで小倉大賞典を制して重賞初勝利。また、オースミハルカとのコンビで3勝を挙げている。特に2003年のクイーンステークスは、相手が休み明けだったとはいえ、女王ファインモーションの追撃を振り切る金星であった。同馬では2004年、2005年のエリザベス女王杯を2年連続2着するなどの活躍を挙げている。
2006年1月7日の京都競馬第4競走をマイネルオレアに騎乗して勝利し、JRA通算100勝を達成した。
川島信二 主な騎乗馬
マイネルブラウ(2003年小倉大賞典)
オースミハルカ(2003年クイーンステークス、2004年クイーンステークス、府中牝馬ステークス、エリザベス女王杯2着、2005年エリザベス女王杯2着)
川島信二 エピソード
フリーに転向する以前に所属していた安藤厩舎は、1993年に落馬事故で死亡した岡潤一郎が生前所属した厩舎で、安藤から「これぐらいの騎手にならなければいけないぞ」と言われて岡の鞭を託され、今もお守りとして所有しているという。
キノコが好きで、調教のウエアはキノコの刺繍である。また北海道大学へキノコ図鑑(五十嵐恒夫著『北海道のキノコ』)を買いに行ったことがある。
川島信二 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2001年3月3日 1回中京1日1R 3歳未勝利 イスズペルル 10頭 10 10着
初勝利 2001年3月4日 1回中京2日5R 4歳上500万円下 オースミダイモン 16頭 3 1着
重賞初騎乗 2002年2月3日 2回京都4日11R シルクロードステークス スニーカー 16頭 12 13着
重賞初勝利 2003年2月9日 1回小倉8日11R 小倉大賞典 マイネルブラウ 16頭 11 1着
GI初騎乗 2003年3月30日 1回中京8日11R 高松宮記念 シベリアンメドウ 18頭 15 10着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2001年 10 16 14 208 .048 .125 .192
2002年 32 35 33 447 .072 .150 .224
2003年 22 21 28 409 .054 .105 .174
2004年 13 20 28 344 .038 .096 .177
2005年 22 22 35 399 .055 .110 .198
2006年 20 27 31 429 .047 .110 .182
2007年 18 15 31 395 .046 .084 .162
2008年 13 16 21 322 .040 .090 .155
2009年 25 28 19 340 .074 .156 .212
2010年 14 20 28 371 .038 .092 .167
中央 189 220 268 3664 .052 .112 .182
地方 10 10 4 87 .115 .230 .276
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行