第59回日経新春杯が行われる京都芝2400外の騎手別成績から見ると、
川田騎手と、安藤騎手が 勝率 連対率 複勝率 単回収率で抜けていますね!
この2人が乗る馬は、
12番 リベルタス 牡4 55.0 川田 将雅 西 角居 勝彦
1番 スマートロビン 牡4 55.0 安藤 勝己 西 松田 国英
ですね。
久しぶりに強いリベルタスが見られるかもしれないですね。このところ、ディープ産駒は牝馬が頑張ってますし、川田騎手ですから。
スマートロビンは、人気になりそうです。安藤騎手が内側から、ロングスパートを決めそうです。
騎手 着別度数 勝率 連対率 複勝率 単回値 複回値 単適回値 平均着 平人気 人気別度数
川田将雅 8- 2- 4-12/26 30.8% 38.5% 53.8% 216 96 172.6 4.6着 4.5人気 5- 4- 4-13/26
安藤勝己 5- 1- 1- 5/12 41.7% 50.0% 58.3%401 121 177.0 3.8着 3.3人気 4- 2- 1- 5/12
池添謙一 4- 6- 1-15/26 15.4% 38.5% 42.3% 50 89 131.0 4.7着 5.4人気 1- 5- 1-19/26
浜中俊 3- 2- 5-16/26 11.5% 19.2% 38.5% 120 205 103.0 6.5着 6.6人気 2- 2- 3-19/26
福永祐一 2- 2- 2-13/19 10.5% 21.1% 31.6% 27 70 71.7 6.3着 5.1人気 2- 3- 3-11/19
和田竜二 1- 6- 5-23/35 2.9% 20.0% 34.3% 22 108 23.4 6.1着 6.7人気 5- 1- 1-28/35
岩田康誠 1- 2- 6-13/22 4.5% 13.6% 40.9% 10 62 21.6 4.5着 3.3人気 6- 4- 5- 7/22
武豊 1- 2- 1-14/18 5.6% 16.7% 22.2% 45 38 31.6 6.5着 4.0人気 2- 3- 4- 9/18
幸英明 0- 5- 2-30/37 0.0% 13.5% 18.9% 0 46 0.0 7.1着 7.2人気 2- 1- 4-30/37
小牧太 0- 1- 2-21/24 0.0% 4.2% 12.5% 0 14 0.0 8.0着 6.6人気 1- 2- 3-18/24
小坂忠士 0- 0- 0- 2/ 2 0.0% 0.0% 0.0% 0 0 0.0 8.5着 12.5人気 0- 0- 0- 2/ 2
小林慎一 0- 0- 0- 1/ 1 0.0% 0.0% 0.0% 0 0 0.0 10.0着 7.0人気 0- 0- 0- 1/ 1
集計期間:2009. 1.18 ~ 2011.11.19
枠 馬 印 馬名 性齢 斤量 馬体重 騎手 厩舎
1 01 スマートロビン 牡4 55.0 安藤 勝己 西 松田 国英
2 02 スマートギア 牡7 56.0 武 豊 西 佐山 優
3 03 トゥザグローリー 牡5 58.5 福永 祐一 西 池江 泰寿
4 04 メイショウクオリア 牡7 56.0 幸 英明 西 西橋 豊治
5 05 トップカミング セン6 54.0 小坂 忠士 西 境 直行
5 06 ナムラクレセント 牡7 58.0 和田 竜二 西 福島 信晴
6 07 ビートブラック 牡5 57.0 浜中 俊 西 中村 均
6 08 ブルースターキング 牡6 50.0 小林 慎一郎 西 山内 研二
7 09 マカニビスティー 牡5 56.0 小牧 太 西 矢作 芳人
7 10 マゼラン 牡7 54.0 池添 謙一 西 角居 勝彦
8 11 ダノンバラード 牡4 56.0 岩田 康誠 西 池江 泰寿
8 12 リベルタス 牡4 55.0 川田 将雅 西 角居 勝彦
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東スポによると、
10月29日にJRA騎手が史上初めて中国本土の競馬に騎乗したそうです。
「馬主サイドから誘いがかかり、武漢競馬場(湖北省)の招待レースに出場しました。計8か国の騎手(延べ12人)のうち、1人は凱旋門賞馬(デインドリーム)のオーナーの息子さんでビックリ。蒙古馬のレースで千二ダートが1分32秒という途方もない決着だったけど、楽しい時を過ごさせてもらいました」
こうコメントするのは、加藤士津八騎手。史上初めて中国本土の競馬に騎乗したJRA騎手になったわけですね。
中国では今年の夏から60年ぶりに競馬が解禁されたそうです。
まだ馬券発売こそ禁止されているが「向こうでは歓待を受け、日本の競馬事情など熱心に聞かれました。道端に卓を引っ張り出してマージャンをしている国民性ですからね。政府の認可さえ下りれば、馬券は爆発的に売れそう」と加藤士津八騎手は肌身で感じた様子です。
今、馬券発売市場としても大きな注目が集まる中国。加藤士津八騎手の今回の騎乗が日本と中国をつなぐ未来への懸け橋になり、
中国人の馬券がJRAの売り上げを上げる救いの神になるかもですね。
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エイシンフラッシュの騎手はルメールですね。
外人騎手はGIをとるための必殺仕事人ですね。ルメール騎手は特に、日本での実績が半端ないですから
かなり期待できますね。
クリストフ・ルメール騎手は、
国籍 フランス
生年月日 1979年5月20日(32歳)
身長 163cm
体重 52.5kg
血液型 B型
初免許年 1999年(フランス)
免許区分 平地競走・障害競走
クリストフ・パトリス・ルメール(Christophe Patrice Lemaire、1979年5月20日 – )は、フランス生まれの騎手。ミドルネームの「パトリス」はフランスの障害競馬界で名を馳せた父親の名前からとった。香港における名前の中文表記は「李慕華」。近年は短期免許制度を利用して来日しており、オリビエ・ペリエ・ミルコ・デムーロ・クリストフ・スミヨンらと並んで、日本人にも馴染みの深い騎手である。
クリストフ・ルメール プロフィール
父パトリスの勧めにより競馬学校ではなく普通の学校に進学し、学校が休みの週末に厩舎を出入りすることで騎乗技術を磨き1999年にフランスの騎手免許を取得し騎乗を開始。フランスで競馬学校を経由せず騎手になるのは障害騎手ではよく見られるが、平地騎手では稀な例である。
2003年に仏リーディング7位、同年の仏G1パリ大賞を制するなど順調に実績を積み重ねている。
2002年よりJRAの短期免許制度を利用し中央競馬でも騎乗を開始している。
2006年のドバイシーマクラシックでは、ハーツクライに騎乗し優勝した。また、サンクルー大賞ではプライドに騎乗し、最強と目されていたハリケーンランを破った。
2008年、サンタラリ賞連覇を達成。
2009年、5月10日にプール・デッセ・デ・プーリッシュを騎乗契約を結んでいるジャン=クロード・ルジェ厩舎所属のイリューシヴウェイヴに騎乗して制し、翌週の5月17日に行われたサンタラリ賞(第4競走)をルジェ厩舎所属のスタセリタで、イスパーン賞(第5競走)をルジェ厩舎所属のネヴァーオンサンデーに騎乗して制し、同じ厩舎所属馬でG1競走3連勝を達成し、同時にサンタラリ賞3連覇も達成した。
2010年のシーズンから、それまで主戦を勤めていたクリストフ・スミヨンに代わり、アーガー・ハーン4世所有馬のフランスにおける主戦を任されることに決まった。それに先駆け、2009年のエリザベス女王杯でシャラナヤに騎乗した(結果は4着)。
クリストフ・ルメール 日本での騎乗実績
2002年より短期免許制度により中央競馬でも騎乗を開始。当初は中京や小倉といったローカルを中心に活躍。毎年好成績を残しており、GIでの騎乗も2004年のダンスインザムードで天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップともに2着、コスモバルクでジャパンカップ2着、2005年のダイワメジャーでマイルチャンピオンシップ2着、ハーツクライでジャパンカップ2着するなどの実績を残すも、中央の重賞勝利には恵まれていなかった。
しかし2005年の有馬記念でハーツクライに騎乗すると、これまで追い込み一辺倒であった同馬で先行するレースを見せ、同年の無敗の三冠馬ディープインパクトに初めて土をつける大仕事をやってのけ、初重賞勝利をGIで飾ったと同時に、オリビエ・ペリエから続く外国人騎手による同競走の連勝記録を4に伸ばした。
2007年は、1度目の短期免許期間中に、統一JpnIの川崎記念をヴァーミリアンに騎乗して制し、2度目の短期免許期間中の12月15日には愛知杯をディアデラノビアに騎乗して制した。この勝利で外国人騎手史上4人目となる中央通算100勝を達成した。
2008年も2度短期免許を取得し、2度目の短期免許期間中の11月16日に行われたエリザベス女王杯ではリトルアマポーラに騎乗し優勝。さらに12月7日に行われたジャパンカップダートではヴァーミリアンを選択した主戦騎手の武豊に代わってカネヒキリに騎乗し優勝。
(後に武は負傷し、ヴァーミリアンも乗り代わり)中央競馬GIの勝利数を3に伸ばした。2008年12月29日から2009年1月28日まで地方競馬の短期免許を取得した。所属厩舎は船橋の川島正行厩舎となる。これで、東京大賞典と川崎記念に騎乗可能となり実際、カネヒキリで東京大賞典と川崎記念共に勝利した。
2009年も1月と11月に短期免許を取得し、短期免許期間中に4度海外渡航(行き先はドバイ、香港)し、アースリヴィングに騎乗してUAE1000ギニーとUAEオークスで2着となっている。12月5日と6日の2競走で走路妨害による降着となり、12月12日から12月26日まで開催5日間の騎乗停止処分を受けた。このため香港国際競走には騎乗できなくなった。なお、12月8日の香港騎手招待競走は騎乗停止期間外のため、予定通り香港には渡航している。
2010年にも短期免許を取得していた。
年 厩舎 馬主 期間 中央競馬年間成績
2002年 瀬戸口勉 吉田照哉 12月7日 – 3月6日 37戦4勝
2003年 125戦11勝
2004年 瀬戸口勉 吉田照哉 1月5日 – 1月26日 157戦17勝
2月5日 – 2月23日
吉田千津 10月30日 – 11月29日
2005年 瀬戸口勉 吉田千津 1月22日 – 2月21日 209戦20勝(重賞1勝)
吉田照哉 10月29日 – 12月25日
2006年 瀬戸口勉 吉田照哉 1月21日 – 2月19日 194戦34勝(重賞2勝)
橋口弘次郎 11月4日 – 12月24日
2007年 瀬戸口勉 吉田照哉 1月20日 – 2月19日 170戦14勝(重賞2勝)
橋口弘次郎 11月10日 – 12月23日
2008年 橋口弘次郎 吉田照哉 1月26日 – 2月25日 193戦21勝(重賞2勝)
11月1日 – 12月28日
2009年 橋口弘次郎 吉田照哉 1月24日 – 2月23日
11月28日 – 12月27日
※JRA短期免許のみ、成績は2008年終了時点。
クリストフ・ルメール 年度別成績表
クリストフ・ルメール騎 フランス競馬(2009年終了時点)
年度 騎乗
数 勝利 勝率 獲得賞金
勝数 順位 金額 順位
1999年 137 9勝 111位 .066 15万5803 86位
2000年 656 52勝 16位 .079 92万6680 14位
2001年 403 26勝 36位 .065 60万4887 25位
2002年 630 52勝 13位 .083 143万2855 12位
2003年 750 75勝 6位 .100 253万6705 7位
2004年 799 71勝 9位 .089 286万7187 6位
2005年 634 81勝 7位 .128 366万8290 4位
2006年 653 68勝 8位 .104 363万8497 5位
2007年 638 101勝 5位 .158 414万1430 3位
2008年 662 94勝 6位 .142 369万9155 5位
2009年 614 89勝 7位 .143 527万8095 1位
通算 6576 718勝 – .109 2894万9584 –
※金額の単位はユーロ。
クリストフ・ルメール騎 中央競馬(2009年終了時点)
年度 騎乗
数 勝利 勝率 連対率 獲得賞金
勝数 順位
2002年 25 4勝 127位 .108 .216 6069万
2003年 126 11勝 77位 .087 .190 2億3322万
2004年 157 17勝 51位 .108 .236 4億5669万
2005年 209 20勝 46位 .096 .234 6億9880万
2006年 194 34勝 31位 .175 .258 5億7466万
2007年 170 14勝 61位 .082 .218 4億6680万
2008年 193 21勝 49位 .109 .212 5億8328万
2009年 149 12勝 64位 .081 .208 6298万
通算 1086 121勝 – .111 .227 31億3715万
※金額の単位は円。
クリストフ・ルメール騎 主な勝鞍
クリストフ・ルメール騎 フランス
パリ大賞 – ヴェスポーヌ(2003年)
マルセルブサック賞 – デネボラ(2003年)、ディヴァインプロポーションズ(2004年)
モルニ賞 – ディヴァインプロポーションズ(2004年)
プール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー) – ディヴァインプロポーションズ(2005年)、イリューシヴウェイヴ(2009年)
ディアヌ賞(仏オークス) – ディヴァインプロポーションズ(2005年)、スタセリタ(2009年)
アスタルテ賞 – ディヴァインプロポーションズ(2005年)
ムーラン・ド・ロンシャン賞 – スタークラフト(2005年)
サンクルー大賞 – プライド(2006年)
サンタラリ賞 – コケレイエ(2007年)、ベルエセレブル(2008年)、スタセリタ(2009年)
イスパーン賞 – ネヴァーオンサンデー(2009年)
ジョッケクルブ賞(仏ダービー) – ルアーヴル(2009年)
ヴェルメイユ賞 – スタセリタ(2009年)
クリストフ・ルメール騎 イギリス
クイーンエリザベス2世ステークス – スタークラフト(2005年)
チャンピオンステークス – プライド(2006年)、リテラト(2007年)
1000ギニー – ナタゴラ(2008年)
2000ギニー – マクフィ(2010年)
クリストフ・ルメール騎 日本
クリストフ・ルメール騎 中央競馬
GI競走
有馬記念 – ハーツクライ(2005年)
エリザベス女王杯 – リトルアマポーラ(2008年)
ジャパンカップダート – カネヒキリ(2008年)
ジャパンカップ – ウオッカ(2009年)
重賞競走
クイーンカップ – コイウタ(2006年)
中日新聞杯 – トーホウアラン(2006年)
ダイヤモンドステークス – トウカイトリック(2007年)
愛知杯 – ディアデラノビア(2007年)
クリストフ・ルメール騎 地方競馬
JpnI競走
川崎記念 – ヴァーミリアン(2007年)、カネヒキリ(2009年)
東京大賞典 – カネヒキリ(2008年)
重賞競走
名古屋グランプリ – ヴァーミリアン(2006年)
アラブ首長国連邦 [編集]
ドバイシーマクラシック – ハーツクライ(2006年)
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木幡初広プロフィール
同期には中舘英二、出津孝一、鹿戸雄一、谷中公一(谷中はデビュー1年遅れ)などがいる。この翌年には千葉県印旛郡白井町(現・白井市)に競馬学校が開校、馬事公苑で養成された最後の世代となった。
1984年に騎手免許を取得し、稲葉隆一厩舎所属でデビュー。同年3月3日に初騎乗を迎え、エドワーズシチーで2着。
5月13日に同馬で初勝利を挙げた。デビュー後しばらくは年間20勝以下の下位騎手であったが、1993年の28勝を皮切りに年間30勝前後を安定して記録する中堅騎手となった。
1995年に稲葉厩舎を離れ、フリーに転身。1997年、新潟記念をパルブライトで制し、デビュー13年目で重賞初勝利を挙げる。
順調に卒業すれば、2014年3月に騎手デビュー予定。
次男も騎手を志しており、2009年11月8日に東京競馬場で行われたイベント「全国ポニー競馬選手権・第1回ジョッキーベイビーズ」の関東予選で優勝、同競走の出場騎手に名を連ね、5着の成績を残した。
太字はGI級競走。
パルブライト(1997年新潟記念、1998年函館記念)
サクセスストレイン(2001年クイーンカップ)
バランスオブゲーム(2001年新潟2歳ステークス)
ウインブレイズ(2002年カブトヤマ記念、福島記念、2003年鳴尾記念)
マンオブパーサー(2006年ダービーグランプリ)
ブライトトゥモロー(2007年新潟大賞典)
木幡初広 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1984年3月3日2回中山3日1R4歳未勝利エドワーズシチー13頭-2着
初勝利1984年5月13日1回新潟8日1R4歳未勝利エドワーズシチー5頭-1着
重賞初騎乗1987年1月11日1回中山4日11R京成杯エプソムオーザ15頭1413着
重賞初勝利1997年8月24日3回新潟6日11R新潟記念パルブライト15頭21着
GI初騎乗1989年4月16日3回中山8日10R皐月賞アクアビット20頭910着
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小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 – )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。
2004年に兵庫県競馬組合から移籍。弟は兵庫県競馬組合所属調教師の小牧毅。
この頃から橋口弘次郎厩舎の所属馬に騎乗する機会が増えた。
2001年、2002年に中央競馬で20勝以上を挙げ、JRAの騎手試験の一次試験の筆記試験(国語・数学・競馬法規)が免除され二次試験(技能試験と面接)から受験できる資格を得た。
2003年の同試験に合格し、2004年にJRAへ移籍。兵庫県競馬組合所属としての最後の勝利は、特別に「フェアウェルステージ」と改称されたレースで同じくJRAへ移籍する赤木高太郎をマッチレースの末、クビ差抑えてのものだった。
通算勝利は3376勝。
小牧太 JRA移籍後
移籍後の初騎乗は2004年3月6日、初勝利は翌3月7日。
しかしJRA移籍後は移籍前より下手になっていると陰口を叩かれる事もある。ダイタクバートラムでは同じようなミスを犯し、しかもミルコ・デムーロに乗り代わった途端に圧勝されるなど与えられたチャンスを生かせなかった。
騎乗機会の多かった橋口厩舎の馬でも上村洋行(ペールギュントなど)や藤岡佑介(ローゼンクロイツなど)に委ねられるケースが増えた時期もあった。ただ、2009年にはローズキングダムでの朝日杯フューチュリティステークス勝利をはじめ橋口厩舎所属馬で重賞を4勝するなど、最近は重要な場面での起用が増えている。
2008年4月13日、桜花賞をレジネッタで制し、JRA移籍5年目にして初のJpnI(GIを含む)勝利を飾った。同年のスプリングステークスをスマイルジャックで制するなど同年のクラシック世代で活躍していることから、桜花賞実況の馬場鉄志(関西テレビアナウンサー)をして「今年は小牧の年か!」
また、夏にはカノヤザクラでアイビスサマーダッシュ、セントウルステークスを制してサマージョッキーズシリーズに優勝、JRA移籍後初となるワールドスーパージョッキーズシリーズへも参戦した。
2009年7月19日、アイビスサマーダッシュをカノヤザクラで制し、人馬共に史上初となる、アイビスサマーダッシュ連覇を記録した。
なおJRA所属となってからも兵庫への参戦は活発で、2004年に条件レベルの交流戦を中心に地方全体で10勝を挙げ、兵庫での重賞成績は4戦2勝2着2回。三冠の園田ダービー、菊水賞では兵庫所属のホクセツガーデンに騎乗している。
小牧太 エピソード
泣き虫ジョッキー [編集]
太は感激屋であり、非常に涙もろいことで知られている。前述の中央競馬初勝利のワールドスーパージョッキーズシリーズでの表彰台に上がった際に涙を見せたのをはじめ、JRA移籍直前の園田競馬場での壮行会でも涙で挨拶にならず(最初に一言しゃべりかけたものの涙で詰まってしまい、1分以上泣きじゃくって何も言えず、なんとか「JRAに行っても応援してください!」
このように同番組でとりあげられている太であるが、同番組へのゲスト出演は現在の所一度も無い。
小牧太 主な騎乗馬
タッカースカレー(1998年フクパーク記念、菊水賞、楠賞全日本アラブ優駿)
ニホンカイユーノス(1998年播磨賞、山陽杯、タマツバキ記念、摂津盃、白鷺賞、園田金盃)
ワシュウジョージ(1999年菊水賞、六甲盃、西日本アラブダービー、2000年新春賞、山陽杯、2001年西日本アラブ大賞典、兵庫大賞典、園田金盃、アラブグランプリ、摂津盃、2002年西日本アラブ大賞典)
ロードバクシン(2001年兵庫三冠)
ローズバド(2001年フィリーズレビュー)
ロサード(2001年小倉記念)
ニホンピロサート(2004年プロキオンステークス、サマーチャンピオン、2005年さきたま杯)
ダイタクバートラム(2004年北九州記念)
ペールギュント(2004年デイリー杯2歳ステークス)
ゴールデンキャスト(2005年セントウルステークス)
アグネスジェダイ(2005年東京盃、サマーチャンピオン、2006年クラスターカップ)
アサカディフィート(2007年小倉大賞典)
エムオーウイナー(2007年シルクロードステークス)
スマイルジャック(2008年スプリングステークス、東京優駿2着)
レジネッタ(2008年桜花賞)
ワンダースピード(2008年アンタレスステークス、名古屋グランプリ、2009年平安ステークス、東海ステークス、2010年名古屋グランプリ)
カノヤザクラ(2008年アイビスサマーダッシュ、セントウルステークス、2009年アイビスサマーダッシュ)
ダブルウェッジ(2009年アーリントンカップ)
アイアンルック(2009年毎日杯)
リディル(2009年デイリー杯2歳ステークス)
ローズキングダム(2009年東京スポーツ杯2歳ステークス、朝日杯フューチュリティステークス)
キャプテントゥーレ(2010年朝日チャレンジカップ)
シルポート(2011年京都金杯、2011年マイラーズカップ)
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小林徹弥プロフィール
1993年目野哲也厩舎所属騎手としてデビュー。同期には飯田祐史・伊藤直人・宗像徹らがいる。
1年目こそ1桁勝利に終わるが2年目の1994年から途中落馬負傷による長期戦線離脱もある中、毎年勝利数を2桁に乗せ関西の中堅騎手として活躍を続ける。
またデビュー年より障害競走にも騎乗し、重賞への出走経験も数回あったが2003年を最後に障害競走への騎乗は無い(免許は平地・障害双方を現有)。
1994年には短距離馬ニホンピロスタディとのコンビでOP特別を4勝、その2年後となる1996年、同じニホンピロの冠号馬ニホンピロプリンスにて重賞初勝利を記録している。
2009年9月12日、13日に韓国・ソウル競馬場で実施された第5回韓国馬事会国際騎手招待競走で合計4鞍に騎乗し最終第4戦目で勝利をあげた。
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小林 淳一(こばやし じゅんいち、1973年3月12日 – )は、JRAの美浦トレーニングセンター所属する騎手である。
愛称はコバジュン。
小林淳一 プロフィール
1992年、第6期生として競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。
JRA初騎乗は、3月1日第2回中山2日の2Rで9番人気だったブランドアップに騎乗し4着。3月21日第2回中山7日の8Rで4番人気だったメジロフェンディーで勝利しJRA初勝利をあげる。
10月18日、第2回福島6日目5Rで3番人気のミュージックシチーで勝利しJRA通算100勝を達成する。
2000年、第61回優駿牝馬にて8番人気のバイラリーナに騎乗しJRAGI初騎乗を果たした(11着)。
2001年3月17日第36回フローラステークスで5番人気だったオイワケヒカリでレディパステルら有力馬に競り勝ち見事JRA初重賞勝利をあげた。
2002年11月10日、第4回中山4日目10Rで1番人気のトウカイアローで勝利しJRA通算200勝を達成する。
2005年10月22日の東京競馬第12レースにおいて出走16頭中最低人気のゼンノエキスプレスで勝利し、3連単1846万9120円のJRA史上最高配当が飛び出す大波乱の中心となった。 また、2007年5月6日のNHKマイルカップでは出走18頭中最低人気のムラマサノヨートーで3着入線し、17番人気で勝利したピンクカメオとともに当時のJRA重賞最高配当となる3連単973万9870円の波乱劇を演出するなど、記録的高配当となったレースで馬券対象に名を連ねている。
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小林慎一郎は、父は元調教助手でライターの小林常浩。
小林慎一郎プロフィール
2000年、第16期生としてJRA競馬学校騎手課程を卒業、中尾謙太郎厩舎所属騎手としてデビュー。
後、厩舎解散に伴う所属変更やフリー転向を経るが特筆すべき実績は無く、迎えた騎手生活10年目となる2009年、グロリアスノアに騎乗し自身9年ぶりとなる特別競走勝ちを記録。
翌2010年には同馬とのコンビで根岸ステークスを制し重賞初勝利を挙げた他、人馬共に初の海外レース参戦となるゴドルフィンマイルへの騎乗(4着)を果たした。
なおゴドルフィンマイルに騎乗した日本人騎手は松永幹夫、武豊に次いで3人目、平地のG2競走に騎乗するのは国内外通じてこれが初めてであった。
小林慎一郎 主な騎乗馬
テンシノキセキ (2000年福島2歳ステークス)
グロリアスノア (2010年根岸ステークス、ジャパンカップダート2着)
小林慎一郎 騎乗成績
種別記録日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平地初騎乗2000年3月4日1回阪神3日1R4歳未勝利タキノルディー10頭69着
初勝利2000年3月19日1回阪神8日12R5歳上900万円下リキアイフジ13頭51着
重賞初騎乗2009年1月11日1回中山4日11Rフェアリーステークスシルクマイホーム16頭1213着
重賞初制覇2010年1月31日1回東京2日11R根岸ステークスグロリアスノア16頭111着
GI初騎乗2010年2月21日1回東京8日11Rフェブラリーステークスグロリアスノア16頭65着
障害初騎乗2000年3月25日2回阪神1日5R障害オープンイブキハイシーザー9頭77着
初勝利2008年3月9日1回阪神4日4R障害未勝利シゲルダンプウ14頭81着
重賞初騎乗2003年11月15日5回京都3日10R京都ハイジャンプイブキマンパワー6頭55着
年度平地競走障害競走
1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2000年14822197.071.112.2230001.000.000.000
2001年13912260.050.085.131-
2002年11310201.055.070.1190001.000.000.000
2003年310100.030.040.04000011.000.000.000
2004年00241.000.000.04900115.000.000.067
2005年11129.034.069.10300026.000.000.000
2006年23542.048.119.23800118.000.000.056
2007年11338.026.053.13200213.000.000.154
2008年41349.082.102.16310011.091.091.091
2009年34260.050.117.1500001.000.000.000
2010年47555.073.200.291-
中央5638651072.052.088.14810497.010.010.052
地方00114.000.000.071
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後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 – )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手。
大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。
1995年に師匠である伊藤との確執などの理由でフリー騎手となる。
1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる前代未聞の不祥事を起こした。
JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった。
12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間(実効6日間)の騎乗停止処分を受ける。
翌2000年には、年末の最後まで岡部幸雄や横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には102勝)をマーク。
ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。
2002年6月2日、安田記念をアドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬のGI初勝利。
このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスでマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。
2006年11月25日、ジャパンカップダートでアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。
2007年、9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。
11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった。
ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場にてJRA通算1000勝を達成。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった。
2010年6月6日、安田記念をショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。
2011年5月22日、エリンコートで優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた。
レース後の勝利インタビューにはさまざまな小ネタを披露している。
2002年のダイヤモンドステークスを制したときには、テレビの通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。しかし「宣伝ではないか?」
とJRA上層部から注意を受けたとのちに語っている。
アドマイヤコジーンで東京新聞杯や阪急杯を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答えた。
減量騎手時代、『さんまのナンでもダービー』でポニーにちょんまげの格好で乗り、落馬をしたことがある。
レース終了後のイベントに力を入れている。
1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、俗に言う「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる。
2000年5月7日、福島競馬場にて、調教師の高市圭二から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。
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小島太一プロフィール
同期には大野拓弥、鮫島良太、塚田祥雄らがいる。初騎乗は2005年3月5日、中山競馬第2競走のメイショウジャンヌで15頭中14着だった。
同年3月12日、中京競馬第8競走でホットカフェに騎乗し初勝利を挙げる。
2007年、3月22日から5月5日まで修業のためニュージーランドへ遠征した。
2007年5月にはロッカーの中に涼宮ハルヒなどのフィギュアを入れていることが明らかになった。
藤田伸二からはゲーマーとしても評価されている。
中央競馬の騎手で初めて公式にTwitterをはじめた(その後後藤浩輝や高田潤らも始めている)。
小島太一 騎乗成績
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2005年9119168.054.119.173
2006年121211227.053.106.154
2007年842122.066.098.115
2008年353111.027.072.099
2009年597108.046.130.194
2010年265117.017.068.111
中央394737853.046.101.144
地方0009.000.000.000
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2005年3月5日2回中山3日2R3歳未勝利メイショウジャンヌ15頭814着
初勝利2005年3月12日1回中山3日8R4歳上500万下ホットカフェ16頭51着
重賞初騎乗2005年6月12日3回東京8日11Rエプソムカップブラックカフェ17頭1516着
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