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秋山真一郎

秋山 真一郎(あきやま しんいちろう、1979年2月9日 – )はJRAの騎手。父の秋山忠一は元・JRA騎手で現在は調教助手。

秋山 真一郎来歴

1997年栗東の野村彰彦厩舎所属騎手としてデビュー。同期には武幸四郎、勝浦正樹、村田一誠らがいる。
当時より展開に合わせ柔軟な騎乗ができる若手としてはめずらしい騎手として評価をされ[1]、デビュー初年度より毎年30勝以上の成績を残し、3年間で103勝をマークし自力で見習騎手から外れるなどコンスタントな活躍を見せている。

2年目の1998年にはカネトシガバナーで重賞初勝利並びにGI競走初騎乗を併せて達成。さらに当時の野村厩舎の代表管理馬であるキョウエイマーチの主戦騎手に起用され、京都金杯・阪急杯を制するなど騎乗停止処分中の一回を除き引退まで同馬の騎乗を務めている。

またデビュー年こそ重賞勝利は無かったものの、翌1998年以降毎年重賞勝利を記録、中京と相性が良く通算重賞18勝のうち、中京開催の重賞を6勝しJRA全10場中、新潟競馬場、福島競馬場以外の8場で勝利を挙げている。(2010年末現在)

秋山真一郎と重賞

2010年11月末現在、デビュー以来GI51連敗中である。中央競馬に所属するJRAGI未勝利騎手のうち、藤岡佑介とともに中央競馬重賞勝利数が最も多い騎手である。

2003年のテイエムサンデーで制したシルクロードステークスは、自らの誕生日を飾るプレゼントになった。
2005年にはサカラートで東海ステークスに勝利。同レースの前身であるウインターステークスは父・忠一が唯一勝利したサラブレッド重賞でもあり(1987年・クラウンエクシードでの勝利)、親子騎手制覇となった。
2006年は最低人気のビーナスラインで函館スプリントステークスを制し、シーイズトウショウの3連覇を阻止した。
2009年には、サクラオリオンに騎乗し、中京記念と函館記念に優勝。同馬では札幌記念でも3着と好走し、この活躍が同年のサマージョッキーズシリーズ優勝につながった。

秋山 真一郎主な騎乗馬

キョウエイマーチ(1999年阪急杯、2000年京都金杯)
カネトシガバナー(1998年神戸新聞杯、愛知杯)
ブルーコンコルド(2002年京王杯2歳ステークス)
サクラオリオン(2009年中京記念、函館記念)

秋山 真一郎騎乗成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1997年3月1日 1回中京1日2R 4歳未勝利 ヤマニンポシブル 16頭 3 3着
初勝利 1997年3月9日 1回中京4日2R 4歳未勝利 スズカアオイ 16頭 1 1着
重賞初騎乗 1997年8月10日 3回小倉2日11R 小倉記念 シーフリージア 10頭 10 4着
重賞初勝利 1998年9月20日 5回阪神4日11R 神戸新聞杯 カネトシガバナー 14頭 5 1着
GI初騎乗 1998年11月8日 6回京都2日11R 菊花賞 カネトシガバナー 17頭 6 8着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 備考
1997年 33 34 36 412 .080 .163 .250
1998年 37 30 33 366 .101 .183 .273
1999年 33 33 25 378 .087 .175 .241
2000年 30 35 38 453 .066 .143 .227
2001年 66 33 46 600 .110 .165 .242
2002年 38 61 65 623 .061 .159 .263
2003年 69 56 52 662 .104 .189 .267
2004年 48 43 46 639 .075 .142 .214 中京競馬記者クラブ賞
2005年 45 53 51 613 .073 .160 .243
2006年 73 55 63 708 .103 .181 .270
2007年 38 54 58 622 .061 .148 .241
2008年 33 34 43 498 .066 .135 .221
2009年 47 39 39 589 .080 .146 .212
2010年 52 48 48 616 .084 .162 .240
中央 642 608 643 7779 .083 .161 .243
地方 31 41 17 225 .138 .320 .396

赤木高太郎

赤木 高太郎(あかぎ こうたろう、1970年1月21日 – )は、日本中央競馬会(JRA)所属の騎手。元NAR兵庫県競馬組合所属。

赤木 高太郎経歴

赤木 高太郎地方競馬時代

1987年に園田・齊藤裕厩舎所属で騎手デビュー。1998年秋から約8ヶ月間、単身オーストラリアに遠征。本人曰く、技術面よりもメンタル面を鍛えるための修行であったという。帰国後2000年度から2003年度まで、小牧太・岩田康誠に次ぐ兵庫リーディング3位のポジションをキープ。赤木圭一郎と同姓であったことから「園田第3の男」というニックネームも生まれた。

2001赤木 高太郎年、JRAの騎手免許試験の受験を決意。JRAでの勝ち鞍がなく1次試験(筆記試験)免除の特例(5年間でJRA年間20勝以上を2回達成した地方騎手に適用された)が適用されなかったため、調教やレースの傍ら1日8時間の試験勉強に取り組んだ。2002年の1次試験は不合格であったが2003年秋に合格。

地方騎手による初の1次試験合格として競馬メディアによって大きく報道された。また、これ以降柴山雄一をはじめ地方所属の騎手がJRAの騎手免許試験を1次試験から受験する動きが加速した。翌2004年2月には2次試験(実技試験)もクリアしてJRA騎手免許試験合格を果たした。同じ兵庫県競馬組合所属の小牧と同時の合格となり、2月19日には園田競馬場で、24日に姫路競馬場で「フェアウェルセレモニー」と銘打たれた両騎手の壮行会が執り行われた。

赤木 高太郎JRA移籍後

栗東・坪憲章厩舎所属でデビュー。2004年3月6日、中京競馬第2競走を所属厩舎の管理馬・タイセキショウで優勝。中央デビュー初日に初勝利を挙げた。2006年12月2日中京競馬第2競走でJRA通算100勝を達成、この年2006年度フェアプレー賞を受賞した。
2007年、競馬視察のため初の海外出張届を提出し、9月28日から10月2日までアメリカに滞在し、一旦帰国後の10月5日から10月10日まではフランスに滞在し第86回凱旋門賞などを観戦していた。

2008年7月13日プロキオンステークスにてヴァンクルタテヤマに騎乗、直線で逃げ粘るバンブーエールを交わして念願の中央競馬重賞初勝利を飾った。2009年より栗東所属のまま拠点を美浦トレーニングセンターに移している。
中京、福島、小倉などのローカル路線での騎乗が多く、またそれら小回りコースでの成績が良い。

赤木 高太郎騎乗成績


日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2004年3月6日 1回中京1日1R 3歳未勝利 ナショナルプラザ 15頭 10 14着
初勝利 2004年3月6日 1回中京1日2R 4歳上500万円下 タイセキショウ 16頭 6 1着
重賞初騎乗 2004年3月7日 1回中京2日11R 中京記念 キングフィデリア 16頭 10 6着
重賞初勝利 2008年7月13日 3回阪神8日11R プロキオンステークス ヴァンクルタテヤマ 13頭 7 1着
GI初騎乗 2004年3月28日 1回中京8日11R 高松宮記念 モンパルナス 18頭 16 17着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2004年 31 21 36 540 .057 .096 .163
2005年 39 50 32 585 .067 .152 .207
2006年 34 42 34 647 .053 .117 .170
2007年 25 28 29 500 .050 .106 .164
2008年 27 36 29 488 .055 .129 .189
2009年 25 24 30 507 .049 .097 .156
2010年 8 11 10 226 .035 .084 .128
中央 189 212 200 3499 .054 .115 .172
地方 19 17 18 152 .125 .237 .355
地方在籍時 10193戦1176勝

赤木 高太郎主な勝ち鞍

赤木 高太郎地方競馬

園田ダービー(2002年:優勝馬 セトノウルトラ)
菊水賞(1997年:優勝馬 マーキュリサンダー、2002年:優勝馬 セトノウルトラ)
六甲盃(2000年:優勝馬 スペシャルダッシュ)
姫山菊花賞(2000年:優勝馬 タカライデン)
フクパーク記念(2000年:優勝馬 タカライデン)
園田金盃(2009年:優勝馬 ハスフェル)*JRA移籍後、初の地方重賞勝ち

赤木 高太郎中央競馬

プロキオンステークス(2008年:優勝馬 ヴァンクルタテヤマ)

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