重賞結果 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

アルゼンチン共和国杯、トレイルブレイザー重賞初制覇おめでとう!!池江調教師は3週連続重賞勝ち!!!

トレイルブレイザー重賞初制覇、おめでとうございます!!
ゼンノロブロイ産駒の今年初の重賞制覇でもありますね!

トレイルブレイザーは、まさに故・大迫忍オーナーの遺志を実らせたと言ってもいいくらいの活躍ぶりですね。
かつて、ゼンノロブロイが本格化し、天皇賞秋を勝ってGⅠ馬になったとき、
故・大迫忍オーナーは、既に末期ガンで床に伏せていて表彰台の馬主席は空席でした。
ゼンノロブロイの息子や娘が活躍しているのを見て、故・大迫忍オーナーも天国で喜んでいるでしょう!

格上挑戦の身で重賞制覇とは大したものです。さすが安藤さんがビートブラックではなくトレイルブレイザーを選んだだけのことはありますね。
安藤さんの騎乗も素晴らしかった。なんと土日騎乗4レースで2勝、3着1回です。ほぼ完璧ですね。
次走はJCや香港ヴァーズも視野に入っているようです。どこまで伸びていくのか、期待大ですね。



スマートファルコン、一年間で4億4千万円の賞金獲得!武豊は5連覇で、今年もなんとかG1を勝ちました!!

スマートファルコンがJBCクラシック優勝しました。トランセンドは、スマートファルコンのスピードに
全くついていけなかったね。最後は、武が余裕を感じて、手綱を緩めてましたから。
第11回JBCクラシックが3日、大井競馬場2000メートルダートで開催されました。
勝ったスマートファルコンはこれで7連勝!JRA・地方含め通算31戦21勝、なんと重賞は17勝目!
GIレースは2010年JBCクラシック、2010年東京大賞典、2011年帝王賞に続き4勝目です。
そして騎乗した武豊は、2007年~09年ヴァーミリアン、2010年スマートファルコンに続いて
JBCクラシック5連覇です。まだまだ腐っても武豊ですね。

スマートファルコンは、この1年間で4億4千万の賞金を稼いでいます。今までの獲得賞金の半分以上をこの1年で稼いでいますから
今が、ピークでしょうか!?
来年のドバイで賞金を加算できれば日本馬史上最高獲得賞金額になりそうですね!!

みやこステークス

みやこステークス

開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月6日
施行時期	11月上旬
(原則5回京都2日目)
格付け	GIII
1着賞金	3800万円
賞金総額	7200万円
距離	ダート1800m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	2010年11月7日(重賞格上)
特記	2010年度より施行
前身競走は、「トパーズステークス」

みやこステークスは京都競馬場のダート1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。
正賞は地方競馬全国協会理事長賞。競走名は中央政府の所在地を表す「みやこ」が長らく京都にあったことに由来。
みやこステークス 概要
12月に阪神競馬場で行われるジャパンカップダートへ向けた中央競馬でのステップレースは東京競馬場で開催される武蔵野ステークス及びダートグレード競走のJBCクラシックがあったが、関西圏ではステップとなる重賞競走がなかった。
このため2010年から「ジャパンカップダートへのステップ競走の充実」を目的に2009年まで京都競馬場で開催されていた「トパーズステークス」(オープン特別競走)を重賞に格上げする形で誕生したのが当競走である。
本来であれば規定により新設された重賞競走については新設から2年間はグレードの格付けはされないが(レパードステークスを参照)、本競走は「トパーズステークス」を重賞競走に格上げし競走名を変更した競走と位置づけられ「日本グレード格付け管理要綱」が定める格付け基準を満たしていると判断されたため、新設初年度からGIIIに格付けされた。
施行する競馬場こそ異なるが距離が同じであるため、ジャパンカップダートを目指す関西圏の有力馬が出走し、第1回の優勝馬が早くも同レースを制覇している。
出走資格はサラブレッド系3歳以上のJRA所属馬、地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は3歳54kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は3kg増。
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増。
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増。
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増。
施行日当日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増。
2011年度現在の総額賞金は7,200万円で、1着賞金3,800万円、2着賞金1,500万円、3着賞金950万円、4着賞金570万円、5着賞金380万円と定められている。

みやこステークス 歴史

1983年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬によるオープン特別競走として、トパーズステークスが京都競馬場・芝外回り1400mで施行。
1984年 - 施行距離を芝内回り2000mに変更。
1997年
施行距離をダート1800mに変更。
プレミアムサンダーが日本レコード(当時)となる1:48.4のタイムで勝利。
2010年 - 3歳以上の競走馬による別定の国際競走・指定交流競走の重賞(GIII)競走「みやこステークス」として昇格、京都競馬場・ダート1800mで施行。

みやこステークス 歴代優勝馬
トパーズステークス 
※馬齢標記は現行の標記で統一する。
施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師
1983年11月12日	ニホンピロウイナー	牡3	1:22.6	河内洋	服部正利
1984年11月25日	ロングレザー	牝3	2:04.6	河内洋	長浜彦三郎
1985年11月24日	ロイヤルコスマー	牝3	2:05.2	田原成貴	浅見国一
1986年11月23日	スズタカヒーロー	牡4	2:01.7	丸山勝秀	坂口正大
1987年11月29日	ハシケンエルド	牡4	2:02.5	松本達也	中尾正
1988年11月27日	ハッピースズラン	牝3	2:02.1	田原成貴	湯浅三郎
1989年11月26日	マロングラッセ	牝5	2:00.8	岡潤一郎	庄野穂積
1990年11月25日	ダイユウサク	牡5	2:00.1	熊沢重文	内藤繁春
1991年11月24日	ラッキーゲラン	牡5	2:06.4	内田浩一	池江泰郎
1992年11月29日	オースミロッチ	牡5	2:00.3	松本達也	中尾正
1993年11月28日	トーワナゴン	牝4	2:00.8	小谷内秀夫	佐山優
1994年11月27日	タマモハイウェイ	牡4	1:59.6	四位洋文	吉永忍
1995年11月26日	ユウトウセイ	牡5	2:00.9	塩村克己	田中章博
1996年11月24日	ユウトウセイ	牡6	2:00.4	塩村克己	田中章博
1997年11月15日	プレミアムサンダー	牡3	1:48.4	武豊	大沢真
1998年11月21日	オースミジェット	牡4	1:50.5	四位洋文	白井寿昭
1999年11月20日	ワールドクリーク	牡4	1:51.6	加藤和宏	新井仁
2000年11月18日	ホクセツキング	騸4	1:50.2	秋山真一郎	坂田正行
2001年11月17日	タマモルビーキング	牡3	1:51.3	小林徹弥	川村禎彦
2002年11月16日	エアピエール	牡6	1:52.2	藤田伸二	田村康仁
2003年11月22日	タイムパラドックス	牡5	1:51.6	安藤勝己	松田博資
2004年11月20日	エンシェントヒル	牝3	1:50.7	生野賢一	松元茂樹
2005年11月19日	ベラージオ	牡6	1:50.3	松永幹夫	高市圭二
2006年11月18日	カフェオリンポス	牡5	1:50.9	四位洋文	松山康久
2007年11月17日	ロングプライド	牡3	1:51.3	武豊	小野幸治
2008年11月24日	エスポワールシチー	牡3	1:50.8	佐藤哲三	安達昭夫
2009年11月21日	シルクメビウス	牡3	1:49.6	田中博康	領家政蔵
創設当初から「オープン特別」として開催された。

みやこステークス 
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	2010年11月7日	 トランセンド	牡4	1:49.8	藤田伸二	安田隆行	前田幸治
本競走からのジャパンカップダート優勝馬 [編集]

みやこステークス創設年からジャパンカップダートの前哨戦として施行されるようになったが、1頭が同年のジャパンカップダートを制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第1回	トランセンド	牡4	1着

トーセンジョーダン

トーセンジョーダンの主な勝ち鞍は、2011年秋の天皇賞、2010年のアルゼンチン共和国杯、2011年のアメリカジョッキークラブカップ、札幌記念。
馬名は冠名+人名。
トーセンジョーダンの戦績
2008年
デビュー戦は11月1日、京都芝2000mの新馬戦。中団でレースを進めるも6着だった。2戦目の福島芝2000mで初勝利を飾った(タイムの2:02.7は福島の芝2000mの基準タイム(福島の2歳芝2000mのレースはトーセンジョーダンが勝ったレースが初めてだったためレコードタイムではない。)を記録)。その後中山の500万下の葉牡丹賞とオープンのホープフルステークスを連勝した。
2009年
初戦は共同通信杯で先行するも2着惜敗となったもののクラシック候補として名乗りをあげた。しかしその後裂蹄が見つかり結局クラシックへの出走はならなかった。復帰は11月の京都のアンドロメダステークスで休み明けながら2着に健闘。しかし中日新聞杯では追い込むも4着に敗れた。

2010年 
半年の休養後、準オープンに降級した初戦の函館の五稜郭ステークスは5着に敗れたものの、続く漁火ステークスで人気に応えて勝利し、再びオープン入り。続く東京のアイルランドトロフィーも父池江泰郎が管理するトゥザグローリーに競り勝ち、アルゼンチン共和国杯も直線差しきり3連勝で重賞初制覇した。有馬記念はスローの逃げで粘り5着に入り込んだ。

2011年 
初戦のアメリカジョッキークラブカップでは中団待機から徐々に進出すると、最後の直線で逃げ粘ったミヤビランベリを捕らえて重賞2勝目をあげた。その後阪神大賞典に出走予定だったが、右肩ハ行のため出走取消となった。宝塚記念では後方に待機するも直線伸びきれず9着に敗れた。その後2ヶ月休養の後、札幌記念に出走。ゴール前でアクシオン、レッドディザイアとの接戦を制して重賞3勝目を挙げた。
秋の天皇賞は、シルポートの強引な逃げにより、先行馬が最後の直線で脚をなくす中、
中段後方より、ビンナ騎手の華麗な追いに答えて、グングンほかの馬を突き放し、最後は、ダークシャドウとの
競り合いを制して優勝した。
トーセンジョーダン競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	距離(馬場)	頭数	枠番	馬番	オッズ(人気)	着順	タイム(上り3F)	着差	騎手	斤量	1着馬(2着馬)
2008.11.1	京都	2歳新馬		芝2000m(良)	14	3	4	6.5(4人)	6着	2:04.6(35.3)	0.5	武豊	55kg	ファミリズム
11.16	福島	2歳未勝利		芝2000m(良)	16	7	13	3.4(1人)	1着	2:02.7(37.0)	-0.2	北村友一	55kg	(キアラ)
12.6	中山	葉牡丹賞		芝2000m(良)	9	3	3	4.6(2人)	1着	2:00.5(35.4)	-0.2	O.ペリエ	55kg	(セイクリッドバレー)
12.28	中山	ホープフルS	OP	芝2000m(良)	13	2	2	2.0(1人)	1着	2:00.4(35.4)	-0.4	O.ペリエ	56kg	(アラシヲヨブオトコ)
2009.2.8	東京	共同通信杯	GIII	芝1800m(良)	15	2	3	4.1(2人)	2着	1:47.6(34.4)	0.3	松岡正海	56kg	ブレイクランアウト
11.14	京都	アンドロメダS	OP	芝2000m(重)	17	3	6	4.6(2人)	2着	2:00.7(34.9)	0.2	C.スミヨン	54kg	ナムラクレセント
12.12	中京	中日新聞杯	GIII	芝2000m(良)	15	8	15	3.4(2人)	4着	1:58.0(35.4)	0.6	C.スミヨン	55kg	アーネストリー
2010.7.4	函館	五稜郭S		芝2000m(良)	10	4	4	3.3(1人)	5着	2:02.2(35.4)	0.4	藤岡佑介	58.5kg	マイネルキーロフ
7.31	函館	漁火S		芝1800m(良)	14	6	9	1.7(1人)	1着	1:49.4(35.3)	-0.2	D.ホワイト	57kg	(ミッキーパンプキン)
10.16	東京	アイルランドT	OP	芝2000m(良)	14	6	9	3.6(2人)	1着	1:59.2(33.6)	-0.1	内田博幸	56kg	(トゥザグローリー)
11.7	東京	アルゼンチン共和国杯	GII	芝2500m(良)	18	1	2	3.1(1人)	1着	2:30.0(35.2)	-0.3	三浦皇成	57kg	(ジャミール)
12.26	中山	有馬記念	GI	芝2500m(良)	15	2	4	20.0(7人)	5着	2:32.9(34.9)	0.3	三浦皇成	57kg	ヴィクトワールピサ
2011.1.23	中山	AJCC	GII	芝2200m(良)	11	6	6	1.9(1人)	1着	2:14.2(34.7)	-0.1	内田博幸	58kg	(ミヤビランベリ)
3.20	阪神	阪神大賞典	GII	芝3000m(良)	13	7	11	-	取消	-	-	内田博幸	58kg	ナムラクレセント
6.26	阪神	宝塚記念	GI	芝2200m(良)	16	7	13	45.9(9人)	9着	2:11.2(35.2)	1.1	N.ピンナ	58kg	アーネストリー
8.21	札幌	札幌記念	GII	芝2000m(良)	13	8	13	3.0(1人)	1着	2:00.4(34.5)	0.0	福永祐一	57kg	(アクシオン)

ディープインパクトの凱旋門賞

ディープインパクトの凱旋門賞
ディープインパクトは、凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年7月2日にマイクロチップが埋め込まれた[27]。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。
ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した[27]。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。
10月1 日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか[30]、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた[31]。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。
レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進め、ゴールから300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている[33]。そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している[36]。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭[注 10]に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている

ディープインパクト 三冠達成、有馬記念での初黒星

ディープインパクト 三冠達成、有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し[19]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[20]。放牧に出されずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[19]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた[20]。
秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。


ディープインパクト2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞
そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた[21]。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。この単勝支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位[注 5]、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった[注 6]。レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かったため、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線では先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。


第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場にて撮影。ハーツクライの2着に敗れ、デビュー戦からの連勝記録が「7」で途絶える)
菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した[22]。事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆[23]が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している[24](レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。
2005年の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト デビュー前

ディープインパクト(Deep Impact、2002年3月25日 - )は日本の競走馬、種牡馬。

2008年にはJRA顕彰馬に選出された。
ディープインパクト デビュー前
ディープインパクト ノーザンファーム時代
ディープインパクトは2002年3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた。

ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと証言している。
0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。

馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目[注 3]の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた[2]。
ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した[3]。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。
場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった[4]。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと証言している。
1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた[3]。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した[5]。

その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった。
ディープインパクト 池江泰郎厩舎に入厩
ディープインパクトは2004年4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[7]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。

市川は初めてディープインパクトを見た時に馬体が小さい上にかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。
入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。

それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。

ソングオブウィンド

ソングオブウインド(英語表記Song of Wind、香港表記風之歌)とは、日本の競走馬・種牡馬である。2006年の菊花賞の優勝馬。馬名の由来は村上春樹の小説『風の歌を聴け』から。
クラブ法人「社台サラブレッドクラブ」が、一口馬主を募集した価格は2200万円(1口55万円×40口)。
ソングオブウインド 競走馬時代
2006年1月29日、京都競馬のダート1800メートルの新馬戦でデビュー。鞍上に武豊を迎え単勝1番人気に推されるも、2着に敗れる。その後勝ち切れないレースが続くが、5戦目の未勝利戦、4戦目から手綱を取った武幸四郎を鞍上に初勝利を挙げた。
初勝利のあと、初の芝レースで2着と好走し芝への適性を示し、次の夏木立賞で2勝目を挙げると、続く初重賞挑戦となったラジオNIKKEI賞 (GIII) では2着に入った。秋はダービーグランプリにも選出されたが、結局神戸新聞杯から始動、ドリームパスポート、メイショウサムソンに次ぐ3着に入り菊花賞への優先出走権を獲得する。
菊花賞では後方待機策から直線で一気に差し切り、重賞初制覇をGI勝利で飾った。このときのタイム3分2秒7は、京都競馬場芝3000メートルのコースレコードを0秒1、菊花賞レースレコードの3分3秒2(セイウンスカイ-1998年)を0秒5更新するものであった。2002年に死んだ父エルコンドルパサーはこの馬の世代が最後の世代であるため、最後のクラシック制覇のチャンスで初のGI産駒が誕生したことになる。
菊花賞後は香港ヴァーズに出走し、遠征などで体調があまりよくなかったものの4着に入った。レース翌日に右前肢の腱を負傷したと香港ジョッキークラブから発表されていたが、帰国後の12月22日に着地検査先でのエコー検査の結果、右前浅屈腱炎であったことが判明し、北海道に放牧に出されて休養。そのまま引退し種牡馬入りすることが決まった。
ソングオブウインド 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	人気	倍率	着順	距離	タイム	(上3F)	騎手	勝ち馬/(2着馬)
2006.	1.	29	京都	3歳新馬		1人	2.0	2着	ダ1800m(良)	1:54.5	(37.1)	武豊	シロキタベガ
2.	18	京都	3歳未勝利		1人	1.2	3着	ダ1800m(稍)	1:54.3	(38.1)	武豊	メイショウシフト
3.	12	阪神	3歳未勝利		1人	2.1	3着	ダ1800m(重)	1:56.4	(38.3)	武豊	パーフェクトラン
3.	26	阪神	3歳未勝利		1人	1.5	2着	ダ1400m(良)	1:27.0	(38.3)	武幸四郎	サミーデザート
4.	9	中山	3歳未勝利		1人	1.5	1着	ダ1800m(良)	1:57.7	(40.8)	武幸四郎	(ハタノスティング)
4.	29	京都	3歳500万下		5人	14.0	2着	芝1800m(良)	1:48.0	(33.8)	武幸四郎	ソリッドプラチナム
5.	13	東京	夏木立賞		2人	6.2	1着	芝2000m(良)	2:01.7	(34.7)	北村宏司	(サクラマジェスティ)
7.	2	福島	ラジオNIKKEI賞	GIII	2人	5.5	2着	芝1800m(重)	1:50.8	(37.3)	田中勝春	タマモサポート
9.	24	中京	神戸新聞杯	GII	6人	42.3	3着	芝2000m(良)	1:58.2	(35.4)	武幸四郎	ドリームパスポート
10.	22	京都	菊花賞	GI	8人	44.2	1着	芝3000m(良)	R3:02.7	(33.5)	武幸四郎	(ドリームパスポート)
12.	10	沙田	香港ヴァーズ	G1	2人		4着	芝2400m(良)	2:27.3		武幸四郎	Collier Hill
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
ソングオブウインド 種牡馬時代
2007年、当初社台スタリオンステーション荻伏で種牡馬となったが、種付け希望が多く社台スタリオンステーションに移動となった。その後7月13日には優駿スタリオンステーションへ移動した。初年度産駒の初勝利は中央競馬では2010年6月20日にコットンフィールド(メイクデビュー福島)が、地方競馬では2010年5月26日にモルフェソングエル(ホッカイドウ競馬のルーキーチャレンジ)が挙げている。
ソングオブウインド 代表産駒
2008年産
ライステラス(阪神ジュベナイルフィリーズ 3着、チューリップ賞 2着)

アサクサキングス

アサクサキングス(Asakusa Kings)の主な勝ち鞍は、2007年の菊花賞、きさらぎ賞、2009年の京都記念、阪神大賞典。

アサクサキングス2006年10月に鞍上に四位洋文を迎え東京競馬場でデビューした。新馬戦を2馬身差で勝利すると次走の条件戦の百日草特別(500万下)も乗り替りで騎乗した横山典弘で勝利した。そして再び鞍上を四位洋文にし、重賞のラジオNIKKEI杯2歳ステークスに出走したが、道中不利を受けフサイチホウオーの5着に敗れた。
アサクサキングス 2007年
2007年初戦に出走したきさらぎ賞では3番人気に推された。四位洋文が落馬負傷のため武幸四郎を鞍上に迎えレースに挑み、逃げ切りで重賞初制覇を果たした。
しかし、続く皐月賞では逃げるヴィクトリーなどを捕らえることができず、更には後続にも交わされ7着に敗れると、次走のNHKマイルカップでは11着に敗れた。
その後は東京優駿(日本ダービー)に出走した。2007年に入ってから手綱を取っていた武幸四郎がヒラボクロイヤルに騎乗するため、鞍上は福永祐一で挑戦した。人気は14番人気と評価は非常に低かったが、ヴィクトリーが少し出遅れたこともありスムーズに先頭に立ちそのまま直線に入り、最後はウオッカに交わされながらも2着に入った。
その後は宝塚記念に出走した。武幸四郎がカワカミプリンセスに、福永祐一はアドマイヤフジに騎乗するため松岡正海が騎乗した。しかし、レースでは不利もあり15着に敗れた。
秋は神戸新聞杯から始動。武幸四郎が落馬負傷のため鞍上は四位洋文に戻った。レースでは直線で一度先頭に立つが、大外からドリームジャーニーに差された。しかし2着に入り菊花賞の優先出走権を獲得した。
そして第68回菊花賞では、先頭集団の様子を伺う形で5番手あたりにつけると、直線に向いてからは粘るホクトスルタンを交わし、後ろから追い込んでくるアルナスラインとの激しい叩き合いを制し、JpnI初勝利を果たした。レース後は、10月25日にグリーンウッドへ1週間の短期放牧に出され、帰厩後はジャパンカップに向かう予定であったが、出走登録は行わず、12月23日の有馬記念‎を目標に調整していたが、12月6日に体調が整わないため出走回避が発表され、翌12月7日に山元トレーニングセンターへ放牧に出された。なお12月6日に有馬記念ファン投票の最終結果で8位となる5万2149票を獲得したことが発表された。
日本ダービー2着の実績があったことや、同年のNHKマイルカップと日本ダービーは牝馬が優勝したことで、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。

アサクサキングス 2008年
4歳になって初戦は大阪杯に出走し、直線でダイワスカーレットに並びかけるも、直後にそのダイワスカーレットと接触し、その後突き放され結果は3着だった。次走の天皇賞(春)では1番人気に支持されたがアドマイヤジュピタ、メイショウサムソンにかわされ3着に敗れた。
6月12日に第49回宝塚記念ファン投票の最終結果で3位となる5万856票を獲得したことが発表され、6月29日の宝塚記念に出走した。レースでは、最後の直線で左右にふらついたこともあって、5着に敗れた。しかも、これが原因でインティライミとメイショウサムソンに不利を与えてしまった。特にメイショウサムソンに至っては勝ち馬のエイシンデピュティにクビ差迫っていたこともあり、レース後にはメイショウサムソンに騎乗していた武豊が怒りを顕わにした。宝塚記念後は山元トレーニングセンターに放牧に出された。10月8日に栗東に帰厩し、シーズン後半緒戦は体調、仕上がりを考慮して決定されることとなった。考慮の結果、天皇賞(秋)に特別登録され、鞍上には新たに藤岡佑介を迎えることが決定した。そして初コンビで挑んだ天皇賞では8着に敗れた。その後、11月30日のジャパンカップではクリストフ・ルメールとのコンビで挑んだが、先行せず後ろからの競馬に回った結果8着に終わった。有馬記念では最下位14着に大敗した。

アサクサキングス 2009年
5歳になって初戦は京都記念に出走、外のサクラメガワンダーとの叩き合いを制し、2007年菊花賞以来の勝利を収めた。続く阪神大賞典では大逃げするテイエムプリキュアを直線で捕らえ、最後は内から伸びたヒカルカザブエとの叩き合いを制し連勝、重賞4勝目を挙げた。その後、5月3日の天皇賞(春)に出走、昨年同様1番人気に支持された。しかし、好位でレースを進め、直線外に持ち出すも伸びを欠いてマイネルキッツの9着に終わった。 秋初戦は天皇賞(秋)に出走、11番人気と評価を大きく落としていた。レースは終始後方からの競馬を余儀なくされ、まったく見せ場無く最下位の18着に大敗した。ジャパンカップも出走したが、いつもの先行策に出るも直線で失速、ここでも16着に大敗した。

アサクサキングス 2010年
6歳となり、緒戦は連覇がかかった阪神大賞典から始動。レースでは2番手で追走し、最後の直線で一旦先頭に立つも外から追い込んできたトウカイトリック、ジャミール、メイショウベルーガにかわされ4着に敗れた。このレース中に左前脚を打撲したため、天皇賞(春)を回避して長期休養に入った。

アサクサキングス 2011年
6月26日の宝塚記念で復帰、先団追走も直線で失速、最下位の16着に大敗した。レース後の6月29日、7月1日付で競走馬登録を抹消しブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入りが発表された。[1][2]

アサクサキングス 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤
量	距離(馬場)	タイム
(上3F)	着差	勝ち馬/(2着馬)
2006.	10.	15	東京	2歳新馬		12	5	5	4.4	(3人)	1着	四位洋文	55	芝1600m(良)	1:38.5(34.2)	-0.3	(モハチビスティー)
11.	4	東京	百日草特別		8	8	8	2.4	(1人)	1着	横山典弘	55	芝1800m(良)	1:47.5(34.5)	-0.1	(サンツェッペリン)
12.	23	阪神	ラジオNIKKEI杯2歳S	GIII	11	4	4	8.0	(4人)	5着	四位洋文	55	芝2000m(良)	2:02.5(35.1)	0.4	フサイチホウオー
2007.	2.	11	京都	きさらぎ賞	JpnIII	8	7	7	9.1	(3人)	1着	武幸四郎	56	芝1800m(良)	1:48.8(35.0)	-0.3	(ナムラマース)
4.	15	中山	皐月賞	JpnI	18	6	12	12.0	(6人)	7着	武幸四郎	57	芝2000m(良)	2:00.4(35.6)	0.5	ヴィクトリー
5.	6	東京	NHKマイルC	JpnI	18	1	1	6.8	(3人)	11着	武幸四郎	57	芝1600m(稍)	1:35.4(36.5)	1.1	ピンクカメオ
5.	27	東京	東京優駿	JpnI	18	8	16	84.5	(14人)	2着	福永祐一	57	芝2400m(良)	2:25.0(34.9)	0.5	ウオッカ
6.	24	阪神	宝塚記念	GI	18	7	15	55.5	(11人)	15着	松岡正海	53	芝2200m(稍)	2:17.3(41.4)	4.9	アドマイヤムーン
9.	23	阪神	神戸新聞杯	JpnII	15	7	13	18.2	(5人)	2着	四位洋文	56	芝2400m(良)	2:24.8(35.4)	0.1	ドリームジャーニー
10.	21	京都	菊花賞	JpnI	18	5	10	8.4	(4人)	1着	四位洋文	57	芝3000m(良)	3:05.1(35.8)	0.0	(アルナスライン)
2008.	4.	6	阪神	大阪杯	GII	11	6	6	12.4	(4人)	3着	四位洋文	59	芝2000m(良)	1:58.9(34.9)	0.2	ダイワスカーレット
5.	4	京都	天皇賞(春)	GI	14	8	13	3.6	(1人)	3着	四位洋文	58	芝3200m(良)	3:15.5(35.5)	0.4	アドマイヤジュピタ
6.	29	阪神	宝塚記念	GI	14	7	11	8.7	(4人)	5着	四位洋文	58	芝2200m(重)	2:15.7(37.5)	0.4	エイシンデピュティ
11.	2	東京	天皇賞(秋)	GI	17	1	1	21.2	(6人)	8着	藤岡佑介	58	芝2000m(良)	1:57.7(35.0)	0.5	ウオッカ
11.	30	東京	ジャパンC	GI	17	7	15	12.9	(6人)	8着	C.ルメール	57	芝2400m(良)	2:26.1(34.4)	0.6	スクリーンヒーロー
12.	28	中山	有馬記念	GI	14	7	12	29.5	(9人)	14着	四位洋文	57	芝2500m(良)	2:34.3(39.1)	2.8	ダイワスカーレット
2009.	2.	21	京都	京都記念	GII	12	6	9	8.9	(3人)	1着	四位洋文	58	芝2200m(良)	2:14.6(35.6)	0.0	(サクラメガワンダー)
3.	22	阪神	阪神大賞典	GII	12	6	7	3.7	(2人)	1着	四位洋文	58	芝3000m(重)	3:13.2(38.3)	0.0	(ヒカルカザブエ)
5.	3	京都	天皇賞(春)	GI	18	8	17	3.5	(1人)	9着	四位洋文	58	芝3200m(良)	3:15.3(35.8)	0.9	マイネルキッツ
11.	1	東京	天皇賞(秋)	GI	18	3	6	47.5	(11人)	18着	四位洋文	58	芝2000m(良)	1:59.3(34.5)	2.1	カンパニー
11.	29	東京	ジャパンC	GI	18	1	1	43.9	(10人)	16着	岩田康誠	57	芝2400m(良)	2:25.5(38.0)	3.1	ウオッカ
2010.	3.	21	阪神	阪神大賞典	GII	14	8	14	7.3	(6人)	4着	岩田康誠	58	芝3000m(良)	3:07.5(37.3)	0.2	トウカイトリック
2011.	6.	26	阪神	宝塚記念	GI	16	3	6	232.9	(15人)	16着	浜中俊	58	芝2200m(良)	2:14.4(39.0)	4.3	アーネストリー

スリーロールス

スリーロールス (Three Rolls) は日本の競走馬である。馬名は冠名と自動車のロールス・ロイスから。主な勝ち鞍は2009年の菊花賞。
2006年4月26日、北海道日高郡新ひだか町の武牧場で生まれる。場長の山ノ井紀明は牧場時代のスリーロールスを「手が掛からず、かえって印象が薄かった」と語っている[1]。母馬のオーナーであった永井啓弐が永井商事名義で所有し、母を管理した栗東トレーニングセンターの武宏平厩舎へ入厩する。
2歳(2008年) [編集]
2008年10月26日、第4回京都競馬第5競走の2歳新馬戦にて横山典弘騎乗でデビュー。このデビュー戦は4着と敗れたが、同じレースにはのちの皐月賞馬アンライバルド(1着)、東京優駿2着馬リーチザクラウン(2着)、牝馬二冠馬ブエナビスタ(3着)が出走していた。
その後、3戦目の2歳未勝利戦(11月30日)に福永祐一が騎乗して初勝利を挙げる。
スリーロールス 3歳(2009年)
しかし1勝目を挙げた後、明け3歳になって重賞競走の毎日杯を含めて4戦して勝ち星に恵まれず、8戦目となった5月3日の京都競馬の3歳500万下条件戦で2勝目を挙げた[2]。2勝目をあげた直後、「本当に良くなるのは秋、ここで無理をさせると成長を阻害する」との陣営の判断で放牧へ出される[2]。また5月からは足腰を鍛えるために障害練習も取り入れた。
放牧後、新潟競馬場の弥彦特別(5着)、阪神競馬場での野分特別(1着)を経て浜中俊を鞍上に10月25日の菊花賞に出走する。レースはリーチザクラウンが大逃げを打ち粘る展開のなか、直線でリーチザクラウンとヤマニンウイスカーの間から先頭に抜け出した[4]。ターフビジョンに驚いて外へ膨れたものの、内から追い込んで来たフォゲッタブルとゴール前まで馬体を併せる形になった[4]。最後はハナ差で1着となり、重賞競走初勝利をGI競走で挙げた[4]。菊花賞後は疲労を完全に取りのぞくためジャパンカップを回避し、有馬記念へ出走[3]。
有馬記念では、左前浅屈腱不全断裂を発症し2周目第3コーナー手前で競走中止となった[5]。陣営は現役続行の可能性を模索し、2010年1月3日に再検査を行ったが競走能力喪失と診断され[6]、1月5日に1月6日付で競走馬登録を抹消し、現役を引退することを発表した[6]。引退後は種牡馬入りし、繋養先はレックススタッドである[6]。
スリーロールス 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2008	10.	26	京都	2歳新馬		11	7	8	49.7(8人)	4着	横山典弘	55	芝1800m(良)	1:52.2 (34.3)	0.5	アンライバルド
11.	8	京都	2歳未勝利		11	4	4	2.1(1人)	5着	岩田康誠	55	芝2000m(稍)	2:02.4 (35.9)	0.6	ピエナファンタスト
11.	30	京都	2歳未勝利		18	2	4	5.8(3人)	1着	福永祐一	55	芝1800m(良)	1:49.3 (35.1)	-0.2	(ナリタプラチナ)
12.	14	中京	中京2歳S	OP	10	7	8	10.5(5人)	5着	太宰啓介	55	芝1800m(良)	1:49.7 (35.4)	0.4	メイショウドンタク
2009	3.	7	阪神	3歳500万下		15	8	14	9.3(4人)	4着	福永祐一	56	芝1800m(良)	1:50.1 (35.1)	0.1	フミノイマージン
3.	28	阪神	毎日杯	GIII	14	4	6	53.7(11人)	8着	浜中俊	56	芝1800m(良)	1:48.4 (34.2)	0.4	アイアンルック
4.	19	阪神	はなみずき賞		13	6	9	2.9(1人)	2着	浜中俊	56	芝1800m(良)	1:48.2 (33.4)	0.2	ロードロックスター
5.	3	京都	3歳500万下		14	4	5	2.5(1人)	1着	浜中俊	56	芝1800m(良)	1:47.1 (33.8)	-0.4	(ナリタクリスタル)
9.	5	新潟	弥彦特別		13	8	13	3.6(2人)	5着	内田博幸	54	芝2000m(良)	1:59.3 (34.1)	0.5	メイショウベルーガ
9.	26	阪神	野分特別		11	1	1	3.7(3人)	1着	浜中俊	54	芝1800m(良)	1:45.0 (33.6)	-0.7	(ジャミール)
10.	25	京都	菊花賞	JpnI	18	1	1	19.2(8人)	1着	浜中俊	57	芝3000m(良)	3:03.5 (35.2)	0.0	(フォゲッタブル)
12.	27	中山	有馬記念	GI	16	5	10	13.5(6人)	中止	浜中俊	55	芝2500m(良)	競走中止		ドリームジャーニー

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