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ジャパンダートダービー 歴代優勝馬

ジャパンダートダービー 歴代優勝馬

回数	施行日	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1999年7月8日	オリオンザサンクス	牡3	大井	2:06.9	早田秀治	赤間清松	日浦桂子
第2回	2000年7月12日	マイネルコンバット	牡3	JRA	2:06.4	大西直宏	稲葉隆一	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第3回	2001年7月12日	トーシンブリザード	牡3	船橋	2:05.8	石崎隆之	佐藤賢二	稲垣博信
第4回	2002年7月4日	ゴールドアリュール	牡3	JRA	2:04.1	武豊	池江泰郎	(有)社台レースホース
第5回	2003年7月8日	ビッグウルフ	牡3	JRA	2:04.9	武豊	中尾正	(有)ビッグ
第6回	2004年7月8日	カフェオリンポス	牡3	JRA	2:04.5	柴田善臣	松山康久	西川清
第7回	2005年7月13日	カネヒキリ	牡3	JRA	2:04.9	武豊	角居勝彦	金子真人ホールディングス(株)
第8回	2006年7月12日	フレンドシップ	牡3	JRA	2:06.1	内田博幸	角居勝彦	吉田照哉
第9回	2007年7月11日	フリオーソ	牡3	船橋	2:02.9	今野忠成	川島正行	ダーレー・ジャパン・レーシング(有)
第10回	2008年7月9日	サクセスブロッケン	牡3	JRA	2:04.5	横山典弘	藤原英昭	高嶋哲
第11回	2009年7月8日	テスタマッタ	牡3	JRA	2:04.5	岩田康誠	村山明	吉田和美
第12回	2010年7月14日	マグニフィカ	牡3	船橋	2:05.2	戸崎圭太	川島正行	吉田照哉
第13回	2011年7月13日	グレープブランデー	牡3	JRA	2:04.9	横山典弘	安田隆行	(有)社台レースホース

ジャパンダートダービー 歴史

ジャパンダートダービー 歴史
1999年 - 大井競馬場のダート2000mの4歳(現3歳)の定量の統一グレード競走「ジャパンダートダービー」として創設、格付けは統一GI・南関東G1。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
船橋のトーシンブリザードが優勝、史上初の南関東4冠を達成。
2003年 - JRAの武豊が騎手として史上初の連覇。
2006年 - JRAの角居勝彦が調教師として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。なお、南関東グレード(G1)は併記しないことになった。
2008年 - ユキチャン効果で同レース最高売上11億2,690万700円を記録(ユキチャン自身は直前で蕁麻疹により回避)。
2009年 - JRA所属馬の出走枠が5頭から6頭に、南関東所属馬の出走枠が6頭から5頭にそれぞれ変更。
2011年 - 南関東二冠牝馬のクラーベセクレタが3位入線したが、後日、禁止薬物のカフェインが検出されたことから失格となる。

ジャパンダートダービー

ジャパンダートダービーとは、日本の特別区競馬組合が大井競馬場のダート2000mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 ジャパンダートダービー」と表記される。
1996年に創設された4歳ダート三冠(ユニコーンステークス・ダービーグランプリ・スーパーダートダービー)の3競走はいずれも秋に開催される競走だった為、「春にも4歳(現3歳)のダートチャンピオン決定戦を」と言う意見があった。

また特別区競馬組合が主催するダート4歳ダート三冠競走最終戦のスーパーダートダービーを統一GIIから統一GIに昇格を目指していた思惑とも合致しスーパーダートダービーをスーパーチャンピオンシップと改名の上、4歳ダート三冠から撤退および南関東交流競走に降格させ本競走を統一グレード競走のスーパーダートダービーの後身競走として春季に新設した。春の3歳ダートチャンピオン決定戦の位置付けで、統一JpnIとして開催されている。

なお、2006年までは南関東G1が併記されていた。
また新設年よりユニコーンステークス・ダービーグランプリと共に3歳ダート三冠を形成。

更に2002年より羽田盃・東京ダービーと共に南関東3歳三冠を形成した。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)の競走馬を前提としてフルゲート16頭で、JRA所属馬6頭、南関東所属馬5頭、南関東所属以外の地方所属馬5頭と出走枠が定められている。
負担重量は定量で56kg、牝馬は2kg減の54kgである。
なお、2007年までは1着入賞した地方所属馬に限りダービーグランプリの優先出走権が与えられた。
ジャパンダートダービーとは日本の特別区競馬組合が大井競馬場のダート2000mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 ジャパンダートダービー」と表記される。
1996年に創設された4歳ダート三冠(ユニコーンステークス・ダービーグランプリ・スーパーダートダービー)の3競走はいずれも秋に開催される競走だった為、「春にも4歳(現3歳)のダートチャンピオン決定戦を」と言う意見があった。

また特別区競馬組合が主催するダート4歳ダート三冠競走最終戦のスーパーダートダービーを統一GIIから統一GIに昇格を目指していた思惑とも合致しスーパーダートダービーをスーパーチャンピオンシップと改名の上、4歳ダート三冠から撤退および南関東交流競走に降格させ本競走を統一グレード競走のスーパーダートダービーの後身競走として春季に新設した。春の3歳ダートチャンピオン決定戦の位置付けで、統一JpnIとして開催されている。

なお、2006年までは南関東G1が併記されていた。
また新設年よりユニコーンステークス・ダービーグランプリと共に3歳ダート三冠を形成。

更に2002年より羽田盃・東京ダービーと共に南関東3歳三冠を形成した。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)の競走馬を前提としてフルゲート16頭で、JRA所属馬6頭、南関東所属馬5頭、南関東所属以外の地方所属馬5頭と出走枠が定められている。
負担重量は定量で56kg、牝馬は2kg減の54kgである。
なお、2007年までは1着入賞した地方所属馬に限りダービーグランプリの優先出走権が与えられた。

ジャパンダートダービー 優先出走権付与競走
地方所属馬に限り優先出走権保持馬、指定馬が所属枠内の頭数で出走できる。その指定競走は以下のとおり。
優先出走権トライアル競走(優先出走権は地方馬のみ)
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
兵庫チャンピオンシップ	統一JpnII	園田競馬場	ダート1870m	1着入賞
ユニコーンステークス	統一GIII	東京競馬場	ダート1600m	1着入賞
関東オークス	統一JpnII	川崎競馬場	ダート2100m	1着入賞
南関東トライアル競走
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
羽田盃	南関東S1	大井競馬場	ダート1800m	1着入賞
東京ダービー	南関東S1	大井競馬場	ダート2000m	1着・2着入賞
指定馬トライアル競走(ダービーWeek参加競走)
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
九州ダービー栄城賞	KJ1	佐賀競馬場	ダート2000m	1着入賞
東海ダービー	SPI	名古屋競馬場	ダート1900m	1着入賞
兵庫ダービー	重賞	姫路競馬場	ダート1800m	1着入賞
岩手ダービーダイヤモンドカップ	D重賞	盛岡競馬場	ダート2000m	1着入賞
北海優駿(ダービー)	HI	門別競馬場	ダート2000m	1着入賞
また上記以外のダートグレード競走の1着入賞馬、兵庫チャンピオンシップの2着・3着入賞馬、中央競馬における重賞競走(2歳芝重賞・障害重賞除く)及びオープン特別競走(芝・障害・2歳競走を除く)の1着入賞馬にも指定馬としての権利が与えられる

帝王賞 歴代優勝馬

帝王賞 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1978年4月27日	ローズジヤツク	牡5	大井	2:59.1	阪本泰之	荒居貴美夫	阪本栄
第2回	1979年4月23日	ハツマモル	牡4	大井	2:58.2	福永二三雄	朝倉文四郎	山岡初太郎
第3回	1980年4月10日	カツアール	牡4	大井	3:00.6	高橋三郎	秋谷元次	栗林英雄
第4回	1981年4月28日	アズマキング	牡4	大井	2:57.1	岡部盛雄	岡部猛	(有)上山ビル
第5回	1982年4月19日	コーナンルビー	牝4	大井	2:57.8	堀千亜樹	遠間波満行	越路玄太
第6回	1983年4月18日	トラストホーク	牡5	大井	3:02.1	高橋三郎	武智一夫	菅波滿
第7回	1984年4月11日	スズユウ	牡6	大井	3:01.5	石川綱夫	朝倉文四郎	鈴木榮治
第8回	1985年4月18日	ロツキータイガー	牡4	船橋	3:00.2	桑島孝春	泉孝	児玉孝
第9回	1986年4月9日	トムカウント	牡7	船橋	2:05.9	石崎隆之	江川秀三	藤田松己
第10回	1987年4月8日	テツノカチドキ	牡7	大井	2:07.5	佐々木竹見	大山末治	(株)勝俣工務店
第11回	1988年4月13日	チヤンピオンスター	牡4	大井	2:07.0	桑島孝春	秋谷元次	坪野谷純子
第12回	1989年4月12日	フエートノーザン	牡6	笠松	2:07.3	安藤勝己	吉田秋好	高橋義和
第13回	1990年4月11日	オサイチブレベスト	牡6	JRA	2:07.6	丸山勝秀	土門一美	野出長一
第14回	1991年4月3日	チヤンピオンスター	牡7	大井	2:05.2	高橋三郎	飯野貞次	坪野谷純子
第15回	1992年4月15日	ナリタハヤブサ	牡5	JRA	2:06.6	横山典弘	中尾謙太郎	山路秀則
ラシアンゴールド	牡5	JRA	蛯名正義	大久保洋吉	大原詔宏
第16回	1993年4月12日	ハシルショウグン	牡5	大井	2:05.5	的場文男	赤間清松	渡辺典六
第17回	1994年4月11日	スタビライザー	牡6	JRA	2:04.7	柴田善臣	高橋英夫	ホースマン
第18回	1995年4月13日	ライブリマウント	牡4	JRA	2:03.7	石橋守	柴田不二男	加藤哲郎 他2名
第19回	1996年6月19日	ホクトベガ	牝6	JRA	2:04.2	横山典弘	中野隆良	金森森商事(株)
第20回	1997年6月24日	コンサートボーイ	牡5	大井	2:04.9	的場文男	栗田繁	森杉茂
第21回	1998年6月24日	アブクマポーロ	牡6	船橋	2:03.5	石崎隆之	出川克己	鑓水秋則
第22回	1999年6月24日	メイセイオペラ	牡5	岩手	2:04.0	菅原勲	佐々木修一	(有)明正商事
第23回	2000年6月22日	ファストフレンド	牝6	JRA	2:05.6	蛯名正義	高市圭二	竹﨑大晃
第24回	2001年6月26日	マキバスナイパー	牡6	船橋	2:04.4	K.デザーモ	岡林光浩	新田知也
第25回	2002年6月18日	カネツフルーヴ	牡5	JRA	2:03.7	松永幹夫	山本正司	(株)ローレルレーシング
第26回	2003年6月25日	ネームヴァリュー	牝5	船橋	2:04.6	佐藤隆	川島正行	(有)飛野牧場
第27回	2004年6月30日	アドマイヤドン	牡5	JRA	2:04.0	安藤勝己	松田博資	近藤利一
第28回	2005年6月29日	タイムパラドックス	牡7	JRA	2:03.5	武豊	松田博資	(有)社台レースホース
第29回	2006年6月28日	アジュディミツオー	牡5	船橋	2:02.1	内田博幸	川島正行	織戸眞男
第30回	2007年6月27日	ボンネビルレコード	牡5	JRA	2:04.3	的場文男	堀井雅広	塩田清
第31回	2008年6月25日	フリオーソ	牡4	船橋	2:04.7	戸崎圭太	川島正行	ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第32回	2009年6月24日	ヴァーミリアン	牡7	JRA	2:03.6	武豊	石坂正	(有)サンデーレーシング
第33回	2010年6月30日	フリオーソ	牡6	船橋	2:03.4	戸崎圭太	川島正行	ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第34回	2011年6月29日	スマートファルコン	牡6	JRA	2:01.1	武豊	小崎憲	大川徹

帝王賞の記録
レースレコード - 2:01.1(第34回優勝馬スマートファルコン)
2着との最大着差 - 9馬身(第34回優勝馬スマートファルコン)

帝王賞 歴史

帝王賞 歴史
1978年 - 大井競馬場のダート2800mの4歳(旧5歳)以上の重賞競走帝王賞として創設。
1986年
中央招待競走に指定。
施行距離を現在のダート2000mに変更。
1992年 - JRAのナリタハヤブサとラシアンゴールドが史上初の同着優勝。
1994年 - 本年以降ナイター競走で施行される。
1995年
中央・地方全国指定交流競走に指定。
南関東グレード制施行により南関東G1に格付け。
1997年 - ダート競走格付け委員会からGI(統一GI)に格付け。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2005年 - JRAの松田博資が調教師として史上初の連覇。
2006年 - 船橋のアジュディミツオーが大井競馬場・ダート2000mの当時のコースレコード2分2秒1で優勝。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。なお、南関東グレードは併記しないことになった。
2009年 - JRA所属馬の出走枠が5頭から6頭に、南関東所属馬の出走枠が8頭から7頭にそれぞれ変更。
2010年 - 船橋のフリオーソが当競走で史上2頭目となる2度目の優勝。

帝王賞

帝王賞(ていおうしょう)とは日本の特別区競馬組合が大井競馬場のダート2000mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は農林水産大臣賞典 帝王賞と表記される。
1978年に中央競馬の天皇賞の様に権威ある競走になって欲しいとの意のもと「帝王賞」の名で創設、第1回は大井競馬場のダート2800mで施行され同じ大井競馬場の東京大賞典と並ぶ大レースとして、また南関東地区の古馬の春のダート最強馬決定戦と位置付けされた。

また1973年から始まっていた中央競馬招待競走(中央競馬の施行の場合には地方競馬招待競走)が1年ごとに中央競馬と地方競馬で相互に施行されていたが1986年に中央競馬招待競走に指定され、現在のダート2000mに短縮された。なお中央競馬ではオールカマーが地方競馬招待競走に指定されている。
1994年からはナイター競走で施行、翌1995年には中央・地方全国交流競走に指定、1996年からは施行時期が6月下旬に移行され1997年には前年から施行されたダートグレード競走のGI(統一GI)に格付けされ日本の古馬のダート最強馬決定戦として定着した。
出走条件はサラブレッド系4歳(旧5歳)の競走馬でフルゲートは16頭、南関東所属馬7頭、南関東以外のNAR所属馬3頭、JRA所属馬6頭と所属別で出走枠が決められている。
負担重量は定量で57kg、牝馬は2kg減の55kgである。

帝王賞 優先出走権付与競走
地方所属馬に限り以下の競走での上位2頭には優先出走権が付与される。

南関東以外の所属馬が獲得した場合は南関東枠(厳密には南関東枠から引かれ自所属枠が増える)から出走できる。
競走格付け競馬場距離
かしわ記念統一JpnI船橋競馬場ダート1,600m

ポートアイランドステークス

ポートアイランドステークスは、
毎年阪神競馬場の秋開催の最終日に、メイン競走として施行されている。
1988年の12月10日に阪神競馬場のダートの1200mの1400万下の条件戦で新設されたこのレースは、何度か施行条件を変更されながら、現在は芝・外回りコースの1600mの距離で秋開催の最終日にオープンクラスの特別競走として施行されている。 

2011年現在の総額賞金は4,180万円で、1着賞金:2200万円、2着賞金:880万円、3着賞金:550万円、4着賞金:330万円、5着賞金:220万円と定められている。
ポートアイランドステークス歴史

1988年の12月にダート1200mの1400万下クラスの競走として新設される。
1992年から芝1600mで開催。
2000年から秋開催の最終週に開催。
2006年は阪神競馬場の改修工事のために中京競馬場の芝1800mで代替開催。
ポートアイランドステークス 歴代優勝馬

施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師
1988年12月10日ワンダードレッサー牝41:12.6武豊藤岡範士
1990年2月17日ヤグラステラ牝51:35.6田原成貴中尾謙太郎
1991年12月8日ユタカニーズ牡51:26.1岡潤一郎長浜博之
1992年12月12日ワイドバトルセン51:36.5田原成貴吉永猛
1993年12月12日ワイドバトルセン61:35.6土肥幸広吉永猛
1994年12月11日フィールドボンバー牡31:36.0O・ペリエ山内研二
1995年12月10日ニホンピロプリンス牡61:33.5小林徹弥目野哲也
1996年12月8日ヤマニンパラダイス牝41:34.5熊沢重文浅見国一
1997年12月7日ベルウイナー牡51:35.0角田晃一宗像義忠
1998年12月13日ナリタプロテクター牡51:36.2飯田祐史中尾謙太郎
1999年12月12日タイクラッシャー牡31:34.1高橋亮五十嵐忠男
2000年10月1日エイシンルバーン牡41:33.3秋山真一郎坂口正則
2001年9月30日ロードキーロフセン61:33.5四位洋文藤沢和雄
2002年9月28日モノポライザー牡31:33.2武豊橋口弘次郎
2003年10月4日マイネルモルゲン牡31:34.3武豊堀井雅広
2004年10月2日ニューベリー牡61:33.7岩田康誠音無秀孝
2005年10月1日タニノマティーニ牡51:33.9須貝尚介須貝彦三
2006年10月1日コンゴウリキシオー牡41:47.3和田竜二山内研二
2007年9月30日スーパーホーネット牡41:33.3藤岡佑介矢作芳人
2008年10月5日マイネルレーニア牡41:34.6佐藤哲三西園正都
2009年10月4日クラウンプリンセス牝51:33.4太宰啓介橋口弘次郎
2010年10月3日ダノンヨーヨー牡41:34.8北村友一音無秀孝

スプリンターズステークス

スプリンターズステークス

開催地中山競馬場
施行日2011年10月2日
施行時期9月下旬 - 10月上旬
(原則4回中山8日目)
格付けGI
1着賞金9500万円
賞金総額1億8050万円
距離芝1200m
出走条件サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日1967年7月9日
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スプリンターズステークスとは日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝1200mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。

メディアなどでは「電撃の6ハロン戦」という通称が用いられる。
スプリンターズステークスとは?

1967年に4歳(現3歳)以上・ハンデキャップによる重賞競走として現在と同じ中山競馬場・芝1200mに「スプリンターズステークス」を創設。

1984年のグレード制導入によりGIIIに格付けされ、時期を3月に移動し、京王杯スプリングカップや安田記念へのステップレースとして位置づけられることになった。また、1987年にはGIIに格上げされた。
1994年からは国際競走に指定され外国調教馬の出走が可能に、翌1995年には指定競走となり地方競馬所属馬にも出走資格が与えられた。
2000年には1年を通してのスプリント路線の競走体系が整備され、時期を秋の中山開催最終週(9月末から10月初め)に移動。

2005年よりグローバル・スプリント・チャレンジの第6戦に組み込まれた。
GI格上げ時は1年を締めくくるスプリント王決定戦という位置づけであったが、現在は春の高松宮記念と双璧をなし、日本における下半期のスプリンターNo.1決定戦として位置づけられるほか、秋のGIシリーズの初戦として定着している。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬(外国産馬含む)、外国調教馬(8頭まで)、および2歳時を除くGI競走1着、または指定の競走で所定の成績を収め本競走の出走資格を得た地方所属競走馬。なお、地方所属競走馬でキーンランドカップ・セントウルステークスで2着以内、または外国で行われるグローバル・スプリント・チャレンジ対象競走の2着以内に入った馬には優先出走が認められる。
1着賞金9500万円で以下2着賞金3800万円、3着賞金2400万円、4着賞金1400万円、5着賞金950万円。
スプリンターズステークス 歴史

1967年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬によるハンデキャップの重賞競走・スプリンターズステークスが創設され、中山競馬場・芝1200mで施行された。
1970年 - 当日中山競馬場内で発生した騒動(ハスラー事件)の影響で発走時刻が25分遅れた[1]。
1974年 - 読売新聞社から寄贈杯を受けて名称を「読売杯スプリンターズステークス」に変更。
1980年 - 名称を「読売スプリンターズステークス」に変更。
1981年 - 出走条件が5歳(現4歳)以上に変更。
1983年 - 読売新聞社が寄贈杯を取り止め「スプリンターズステークス」に名称変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIIに指定。
1994年
国際競走に指定され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
サクラバクシンオーが当時の日本レコード1分07秒1で優勝、史上3頭目の連覇を達成。
2002年
東京競馬場の改修工事による振替開催により、新潟競馬場・芝内回り1200mで施行。
この年のみ、外国調教馬の出走可能枠は5頭までとなる。

平安ステークス

平安ステークス(へいあんステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場のダート1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII・統一GIII)競走である。競走名はかつて京都に置かれていた日本の首都の平安京に由来。正賞は全国公営競馬馬主連合会会長賞、地方競馬全国協会理事長賞。

平安ステークス概要

1984年に京都競馬場の芝2200mの5歳(現4歳)以上の混合のオープン特別競走、平安ステークスとして施行されたのが始まり。
1985年は施行距離を芝1400mに変更、1986年からは施行距離をダート1400mに変更するとともに施行時期が現在の1月開催となり、1993年までオープン特別競走として施行された。

1994年にダート重賞路線の整備により、阪神競馬場のダート1800mの重賞競走として創設された。同年は京都競馬場の改修工事のため阪神競馬場で施行されたが、翌1995年から京都競馬場に戻っている。同時に指定競走となり、地方競馬所属馬が出走可能な初のダート重賞でもあった。同年は地方競馬所属馬が2・3着に入賞している。

フェブラリーステークスの関西圏における前哨戦に位置付けられており、第2回優勝馬ライブリマウントと第4回優勝のシンコウウインディが同年のフェブラリーステークスを制している。

出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は4歳は55kg、5歳以上は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は3kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
2011年度現在の総額賞金は7,200万円で、1着賞金3,800万円、2着賞金1,500万円、3着賞金950万円、4着賞金570万円、5着賞金380万円と定められている。

平安ステークス歴史

1984年 – 京都競馬場の5歳(現4歳)以上の混合競走の別定重量の芝2200mのオープン特別競走、平安ステークスとして施行。
1985年 – 施行距離を芝1400mに変更。
1986年
施行時期を現在の1月に変更。
施行距離をダート1400mに変更。
1994年 – 阪神競馬場[1]の5歳(現4歳)以上の混合競走・指定交流競走の馬齢重量のダート1800mの重賞(GIII)競走、平安ステークスとして新設(創設当初の地方所属馬の出走枠は5頭まで)。
1995年
施行場を京都競馬場のダート1800mに変更。
負担重量を別定重量に変更。
1997年
ダートグレード格付け委員会にGIII(統一GIII)に格付け。
負担重量をグレード別定重量に変更。
トーヨーシアトルとシンコウウインディが同着優勝。
2000年
オースミジェットが2頭目の連覇。
白井寿昭が調教師として2人目の連覇。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
四位洋文が騎手として史上初の3連覇。
2003年
スマートボーイが3頭目の連覇。
伊藤直人が騎手として2人目の連覇。
伊藤圭三が調教師として3人目の連覇。
2006年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
地方所属馬の出走枠が5頭から4頭に削減。
2007年
日本のパートI国昇格により、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
施行日当日から過去1年以上前の重賞競走および牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。
歴代優勝馬 [編集]
オープン特別 [編集]
施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
1984年4月22日 リウジンフジ 牡5 2:17.9 伊藤稔 須貝彦三 龍進撃(有)
1985年4月21日 ロングハヤブサ 牡4 1:22.9 村本善之 小林稔 中井長一
1986年1月15日 マルブツサーペン 牡5 1:24.6 加用正 瀬戸口勉 大澤毅
1987年1月18日 フェートノーザン 牡4 1:23.4 中竹和也 吉田三郎 高橋義和
1988年1月17日 ドウカンジョー 牝4 1:24.1 田島信行 池江泰郎 新井興業(株)
1989年1月16日 ドウカンジョー 牝5 1:23.2 松永幹夫 池江泰郎 新井興業(株)
1990年1月15日 ダンシングサム 牡5 1:24.3 松永幹夫 高橋直 福山商事(株)
1991年1月15日 パッシングルート 牡4 1:23.1 西浦勝一 山内研二 山本菊一
1992年1月19日 キョウエイスワット 牡6 1:23.7 南井克巳 清水久雄 松岡正雄
1993年1月17日 ミスタートウジン 牡7 1:23.2 村本善之 福島信晴 藤立啓一
重賞格付け以後 [編集]
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1994年1月15日 トーヨーリファール 牡4 1:52.8 松永昌博 松永善晴 (有)トーヨークラブ
第2回 1995年1月16日 ライブリマウント 牡4 1:52.9 石橋守 柴田不二男 加藤哲郎
第3回 1996年1月15日 アドマイヤボサツ 牡6 1:50.5 芹沢純一 橋田満 近藤利一
第4回 1997年1月6日 トーヨーシアトル 牡4 1:49.9 松永昌博 松永善晴 (有)トーヨークラブ
シンコウウインディ 牡4 四位洋文 田中清隆 安田修
第5回 1998年1月6日 エムアイブラン 牡6 1:48.5 武豊 伊藤修司 稲見豊
第6回 1999年1月10日 オースミジェット 牡5 1:49.9 四位洋文 白井寿昭 山路秀則
第7回 2000年1月23日 オースミジェット 牡6 1:49.8 四位洋文 白井寿昭 山路秀則
第8回 2001年1月21日 マンボツイスト 牡6 1:48.7 四位洋文 古川平 田原源一郎
第9回 2002年1月20日 スマートボーイ 牡7 1:50.9 伊藤直人 伊藤圭三 (有)グランド牧場
第10回 2003年1月26日 スマートボーイ 牡8 1:49.7 伊藤直人 伊藤圭三 (有)グランド牧場
第11回 2004年1月25日 タイムパラドックス 牡6 1:51.3 安藤光彰 松田博資 (有)社台レースホース
第12回 2005年1月23日 ヒシアトラス 牡5 1:50.3 福永祐一 中野隆良 阿部雅一郎
第13回 2006年1月22日 タガノゲルニカ 牡4 1:50.2 池添謙一 池添兼雄 八木良司
第14回 2007年1月21日 メイショウトウコン 牡5 1:51.0 石橋守 安田伊佐夫 松本好雄
第15回 2008年1月27日 クワイエットデイ 牡8 1:51.0 角田晃一 松元省一 (有)サンデーレーシング
第16回 2009年1月25日 ワンダースピード 牡7 1:50.4 小牧太 羽月友彦 山本信行
第17回 2010年1月24日 ロールオブザダイス 牡5 1:51.1 岩田康誠 角居勝彦 (株)東京ホースレーシング
第18回 2011年1月23日 ダイシンオレンジ 牡6 1:51.5 川田将雅 庄野靖志 大八木信行
本競走からのフェブラリーステークス優勝馬 [編集]
重賞格付け時からフェブラリーステークスの前哨戦として施行されるようになったが、4頭が同年のフェブラリーステークスを制覇している。
回数 馬名 性齢 着順
第2回 ライブリマウント 牡4 1着
第4回 シンコウウインディ 牡4 1着
第7回 ウイングアロー 牡5 5着
第14回 サンライズバッカス 牡5 2着

京成杯

京成杯(けいせいはい)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝2000mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。京成杯オータムハンデキャップと同様、競走名は中山競馬場の最寄駅(東中山駅)があり優勝杯を提供する京成電鉄から冠名が取られている。

京成杯概要

1961年に関東圏の4歳(現3歳)の最初の重賞競走として創設、第1回は中山競馬場の芝外回り1600mで施行された。
1970年には施行場を東京競馬場に移すが、1980年に再び中山競馬場に戻している。1984年にはグレード制施行によりGIIIに格付けされたが、施行距離の芝1600mがクラシック競走に直結せず、クラシック路線の有力馬は回避する傾向があった。

そのため、1999年にジュニアカップと施行条件を入れ替える形で皐月賞と同じ距離である芝2000mに延長された結果、本競走で入賞した競走馬が同年のクラシック戦線で好走することが多くなり、クラシック戦線の行方を占う意味合いがより強まった。

当競走の勝ち馬が後にGIを勝ったという視点からみると、1981年のテンモン以降現れていなかったが、2010年のエイシンフラッシュが東京優駿(日本ダービー)を制し、29年ぶりにGI優勝馬が現れることになった。また出走馬に関して言えば、ヒシアマゾン(エリザベス女王杯優勝、第34回当競走2着)・キングカメハメハ(NHKマイルカップ、東京優駿優勝、第44回当競走3着で生涯唯一の敗戦)・ナカヤマフェスタ(宝塚記念優勝、第49回当競走2着)などがいる。

出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)である。
負担重量は馬齢重量56kg、牝馬2kg減を基本とし、日本馬は収得賞金2000万円以上は1kg増、外国調教馬は重賞競走優勝馬は1kg増となっている。

2011年度現在の総額賞金は7,460万円で、1着賞金3,900万円、2着賞金1,600万円、3着賞金980万円、4着賞金590万円、5着賞金390万円と定められている。
現在の優勝レイの配色は、赤色地に銀色文字となっている。

京成杯歴史

1961年 – 中山競馬場の芝外回り1600mの4歳(現3歳)限定の別定重量の重賞競走、京成盃として創設(創設当初の基本負担斤量は52kg)。
1970年 – 施行場を東京競馬場に変更。
1971年 – 牡馬・騸馬の基本負担斤量が52kgから54kgに変更。
1972年 – 流行性のインフルエンザの影響で中山競馬場の芝外回り1600mで順延開催。
1980年 – 施行場を中山競馬場に戻す。
1981年
基本負担斤量が牡馬・騸馬54kg、牝馬52kgから牡馬・騸馬55キロ、牝馬53kgに変更。
嶋田功が騎手として史上初の連覇。
1984年
混合競走に指定。
グレード制施行によりGIIIに格付け。
1988年 – 柴田政人が騎手として2人目の連覇。
1990年 – 安田富男が騎手として3人目の連覇。
1996年
特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
福島競馬場の改修工事の調整による代替開催により、東京競馬場の芝1600mで施行。
1999年 – 施行距離を現在の芝2000mに変更。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳」から「3歳」に変更。
2002年
東京競馬場の改修工事の調整による代替開催により東京競馬場の芝2000mで施行。
ヤマニンセラフィムとローマンエンパイアが同着優勝。
2003年
基本負担斤量が牡馬・騸馬55kg、牝馬53kgから牡馬・騸馬56kg、牝馬54kgに変更。
蛯名正義が騎手として4人目の連覇。
2005年 – 横山典弘が騎手として5人目の連覇。
2006年 – 3歳クラシック以前の実績馬の選択肢を増やす目的で、負担重量の上限が57kg(牝馬は55kg)になるよう現行の規定に変更。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2008年 – 松岡正海が騎手として6人目の連覇。
2009年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
外国調教馬の負担重量を現行の規定に設定。

京成杯歴代優勝馬

回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1961年1月15日 モンテカルロ 牡3 1:40.6 佐藤征助 秋山史郎
第2回 1962年1月15日 オーハヤブサ 牝3 1:39.8 藤本勝彦 藤本冨良
第3回 1963年1月15日 カネノヒカル 牡3 1:37.5 加賀武見 阿部正太郎
第4回 1964年1月15日 トキノパレード 牡3 1:40.5 野平好男 田中和夫
第5回 1965年1月15日 メジロマンゲツ 牝3 1:38.5 加賀武見 阿部正太郎
第6回 1966年3月20日 スピードシンボリ 牡3 1:40.2 津田昭 野平富久
第7回 1967年1月15日 ホウゲツオー 牡3 1:39.3 加賀武見 山岡寿恵次
第8回 1968年1月14日 ライトワールド 牡3 1:39.6 樋口弘 三井末太郎
第9回 1969年1月12日 ギャロップ 牡3 1:39.2 野平祐二 秋山史郎
第10回 1970年1月11日 アローエクスプレス 牡3 1:37.1 柴田政人 高松三太
第11回 1971年1月15日 ヤシマライデン 牡3 1:38.1 伊藤正徳 尾形藤吉
第12回 1972年3月19日 ヒデハヤテ 牡3 1:35.8 福永洋一 伊藤修司
第13回 1973年1月14日 カミノテシオ 牡3 1:37.2 加賀武見 高橋英夫
第14回 1974年1月13日 ウエスタンダッシュ 牡3 1:36.9 伊藤正徳 尾形藤吉
第15回 1975年1月12日 テスコガビー 牝3 1:37.5 菅原泰夫 仲住芳雄
第16回 1976年1月11日 クライムカイザー 牡3 1:36.4 加賀武見 佐藤嘉秋
第17回 1977年1月16日 ヒシスピード 牡3 1:36.7 小島太 高木嘉夫
第18回 1978年1月15日 タケデン 牡3 1:37.1 岡部幸雄 元石孝昭
第19回 1979年1月14日 ファーストアモン 牡3 1:37.3 吉永正人 松山吉三郎
第20回 1980年1月13日 ハーバーシャレード 牡3 1:42.1 嶋田功 佐々木亜良
第21回 1981年1月11日 テンモン 牝3 1:36.8 嶋田功 稲葉幸夫
第22回 1982年1月10日 アスワン 牡3 1:36.7 吉永正人 松山吉三郎
第23回 1983年1月9日 ブルーダーバン 牡3 1:37.7 杉浦宏昭 二本柳俊夫
第24回 1984年1月15日 ハツノアモイ 牡3 1:36.2 菅原泰夫 仲住芳雄
第25回 1985年1月13日 サクラサニーオー 牡3 1:35.6 小島太 境勝太郎
第26回 1986年1月12日 ダイナフェアリー 牝3 1:35.1 増沢末夫 鈴木康弘
第27回 1987年1月11日 スーパーファントム 牡3 1:35.7 柴田政人 中村貢
第28回 1988年1月10日 トウショウマリオ 牡3 1:35.4 柴田政人 奥平真治
第29回 1989年1月15日 スピークリーズン 牡3 1:36.3 安田富男 尾形充弘
第30回 1990年1月14日 ノーモアスピーディ 牡3 1:35.2 安田富男 松山康久
第31回 1991年1月13日 ダイナマイトダディ 牡3 1:34.8 増沢末夫 鈴木康弘
第32回 1992年1月19日 エーピージェット 牡3 1:35.2 的場均 元石孝昭
第33回 1993年1月17日 オースミポイント 牡3 1:35.8 橋本広喜 白井寿昭
第34回 1994年1月9日 ビコーペガサス 牡3 1:33.9 的場均 柳田次男
第35回 1995年1月8日 マイティーフォース 牡3 1:35.1 松永幹夫 加藤敬二
第36回 1996年1月7日 サクラスピードオー 牡3 1:34.6 小島太 境勝太郎
第37回 1997年1月7日 スピードワールド 牡3 1:36.3 的場均 小西一男
第38回 1998年1月11日 マンダリンスター 牡3 1:36.8 柴田善臣 高市圭二
第39回 1999年1月17日 オースミブライト 牡3 2:01.5 蛯名正義 中尾正
第40回 2000年1月16日 マイネルビンテージ 牡3 2:04.0 柴田善臣 佐々木晶三
第41回 2001年1月14日 ボーンキング 牡3 2:03.2 D.ハリソン 松田国英
第42回 2002年1月13日 ヤマニンセラフィム 牡3 2:00.4 蛯名正義 浅見秀一
ローマンエンパイア 武幸四郎 古川平
第43回 2003年1月19日 スズカドリーム 牡3 2:01.7 蛯名正義 橋田満
第44回 2004年1月18日 フォーカルポイント 牡3 1:59.2 横山典弘 河野通文
第45回 2005年1月16日 アドマイヤジャパン 牡3 2:07.4 横山典弘 松田博資
第46回 2006年1月15日 ジャリスコライト 牡3 2:03.2 北村宏司 藤沢和雄
第47回 2007年1月14日 サンツェッペリン 牡3 2:01.6 松岡正海 斎藤誠
第48回 2008年1月20日 マイネルチャールズ 牡3 2:02.9 松岡正海 稲葉隆一
第49回 2009年1月18日 アーリーロブスト 牡3 2:02.7 福永祐一 本田優
第50回 2010年1月17日 エイシンフラッシュ 牡3 2:03.6 横山典弘 藤原英昭
第51回 2011年1月16日 フェイトフルウォー 牡3 2:00.9 田中勝春 伊藤伸一

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