重賞データ | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

京都金杯は、単勝○倍未満の馬は信頼性大!あとは単勝○○倍未満の馬をヒモにするだけで、当たりそう!?

京都金杯の過去10年の傾向を単勝オッズから見てみると、

単勝3倍未満なら
(2-3-0-0)で、連には絡みそうですね。

ヒモ馬は、単勝オッズが10.0~14.9倍(5-1-2-10)
が目立ちますね!

京都金杯の単勝オッズ

1.0~1.9倍 (2-0-0-0)
2.0~2.9倍 (0-3-0-0)
3.0~3.9倍 (0-0-0-4)
4.0~4.9台 (0-0-1-2)
5.0~6.9倍 (1-2-3-7)
7.0~9.9倍 (1-2-0-14)
10.0~14.9倍(5-1-2-10)
15.0~19.9倍(0-0-2-10)
20.0~29.9倍(0-2-0-10)
30.0~49.9倍(1-0-1-25)
50.0~99.9倍(0-0-1-24)
100倍以上  (0-0-0-22)



中山金杯の過去10年のオッズから、馬券に絡む馬を探していくと・・・。顕著な傾向があります!

中山金杯は、いかにも荒れそうな中山芝2000mで行われるハンデ重賞です。

過去10年のオッズ別の成績を見てみると、

勝った10頭は全部、単勝オッズ15倍未満の馬ですね。

ところが、2着馬は10頭中8頭、3着馬は10頭中7頭が単勝オッズ10倍以上の馬です。
さらに、単勝オッズ30倍以上の馬も4頭が馬券に絡んでいます。

ヒモ荒れが大いに期待できるレースですね。


・中山金杯/単勝オッズ
1.0~1.9倍 (0-0-0-0)
2.0~2.9倍 (2-0-0-0)
3.0~3.9倍 (1-0-0-3)
4.0~4.9台 (1-0-0-3)
5.0~6.9倍 (2-2-0-10)
7.0~9.9倍 (3-0-3-18)
10.0~14.9倍(1-3-1-10)
15.0~19.9倍(0-1-1-17)
20.0~29.9倍(0-3-2-12)
30.0~49.9倍(0-0-2-22)
50.0~99.9倍(0-1-1-24)
100倍以上  (0-0-0-7)

2012年1月5日第50回京都金杯、脚質・上がりデータから見る勝ち馬は?

京都金杯が行われる京都芝1600外の脚質・上り別データ(2009年~2011年)を見ると、

上がり3Fの1位~3位が単勝、複勝の回収率が高いですね。
このデータ、かなり、役に立ちそうです。

脚質上り 着別度数          勝率 連対率 複勝率 単回値 複回値 単適回値 平均着 平人気 人気別度数
逃げ 10- 6- 4- 46/ 66 15.2% 24.2% 30.3% 123 104 214.1 7.2着 8.5人気 2- 4- 6- 54/ 66
先行 23- 29- 18-174/244 9.4% 21.3% 28.7% 91 91 90.0 7.2着 7.1人気 24- 22- 18-180/244
中団 24- 24- 28-303/379 6.3% 12.7% 20.1% 86 69 68.6 7.8着 7.6人気 26- 30- 29-294/379
後方 8- 7- 17-251/283 2.8% 5.3% 11.3% 20 31 47.7 9.4着 9.5人気 13- 10- 13-247/283
マクリ 1- 0- 0- 1/ 2 50.0% 50.0% 50.0% 95 60 186.3 8.5着 6.5人気 1- 0- 0- 1/ 2
3F 1位 18- 8- 19- 36/ 81 22.2% 32.1% 55.6% 111 158 124.7 4.2着 5.2人気 20- 10- 6- 45/ 81
3F 2位 14- 14- 8- 45/ 81 17.3% 34.6% 44.4% 141 120 139.5 4.6着 6.3人気 9- 8- 7- 57/ 81
3F 3位 11- 12- 6- 45/ 74 14.9% 31.1% 39.2% 277 116 110.2 4.9着 5.7人気 11- 4- 7- 52/ 74
3F~5位 12- 12- 13- 94/131 9.2% 18.3% 28.2% 114 83 88.8 6.0着 7.0人気 8- 14- 16- 93/131
3F6位~ 11- 20- 21-555/607 1.8% 5.1% 8.6% 22 36 31.8 9.9着 9.2人気 18- 30- 30-529/607

第61回日刊スポーツ賞中山金杯に登録している馬の中山芝成績&重賞実績

第61回日刊スポーツ賞中山金杯 登録馬の中山芝の成績と重賞実績は?

アースサウンド  (未)
アクシオン    (1-0-1-2) ’10中山金杯・1着
アドマイヤコスモス(未)
イケドラゴン   (1-0-0-4)
エーシンジーライン(0-0-0-1)
エオリアンハープ (1-0-3-1)
エクスペディション(未)
ゲシュタルト   (0-2-0-2) ’11オールカマー・2着、’10スプリングS・2着
コスモファントム (1-0-0-2) ’11中山金杯・1着
コロンバスサークル(3-1-0-5)
ジーエスライカー (未)
ストロングガルーダ(0-0-0-1)
スノークラッシャー(1-0-1-9)
スマートステージ (0-1-1-3)
セイカアレグロ  (未)
ダイワファルコン (5-1-1-2) ’10弥生賞・3着
ダノンバラード  (未)
ダンスインザモア (3-0-1-11)
ツクバホクトオー (0-0-0-2)
デストラメンテ  (1-0-0-7)
デュアルスウォード(未)
トップゾーン   (未)
ネオサクセス   (2-2-1-2)
ネオヴァンドーム (0-0-0-1)
ネコパンチ    (1-2-2-6)
ネヴァブション  (5-1-4-10) ’10AJCC・1着、’11AJCC・3着など
ビッグウィーク  (0-0-0-1)
フェデラリスト  (2-0-0-0)
ミステリアスライト(1-1-1-4)
ムラマサノヨートー(2-0-0-9)
リベルタス    (0-0-1-1) ’10朝日杯FS・3着


2011年に勝ったコスモファントムや2010年に勝ったアクシオンも、出てきますね。
しかし、コスモファントムはハンデ57.5kgですし、アクシオンは明け10歳馬ですからねえ。
厳しそうですね。

中山ではまだ走ったことはありませんが、アドマイヤコスモス、エクスペディションなんかは、
かなり強そうですね。

第61回 日刊スポーツ賞 中山金杯、大荒れ!?

2012年もJRA銀行から預金を引き出させていただきます!

まずは、中山金杯ですね!
とにかく荒れる!!重賞です。

過去10年間で、単勝8番人気以下の馬が3着以内に入らなかったのは2004年の1回だけ。
単勝10番人気以下で3着以内に食い込んだ馬は7頭もいます!

そういいながらも過去2年は単勝1番人気馬が勝っているんですね。

上位人気馬と穴馬をうまく組み合わせるのが狙いどころでしょう。

過去10年のデータ(東京競馬場で行われた2002年を含む)を見ると、

中山金杯 負担重量別の成績は?

負担重量別の成績を調べてみると、もっとも好成績を挙げているのが「57キロ」の馬。

それに「57.5キロ以上」を背負って出走した馬も2勝を挙げていますね。
※2002年は東京競馬場で開催

中山金杯 負担重量別成績(過去10年)

負担重量 成績 勝率 連対率 3着内率
51キロ以下 0-2-0-6 0% 25.0% 25.0%
52キロ 0-0-1-14 0% 0% 6.7%
53キロ 1-1-2-16 5.0% 10.0% 20.0%
54キロ 1-1-2-22 3.8% 7.7% 15.4%
55キロ 1-1-2-18 4.5% 9.1% 18.2%
56キロ 1-2-2-23 3.6% 10.7% 17.9%
56.5キロ 0-0-0-2 0% 0% 0%
57キロ 4-2-0-12 22.2% 33.3% 33.3%
57.5キロ 1-1-1-8 9.1% 18.2% 27.3%
58キロ以上 1-0-0-5 16.7% 16.7% 16.7%

中山金杯 単勝オッズ別成績を見ると

過去10年のこのレースを勝利した10頭のうち9頭は、単勝オッズ「10倍未満」

2着に入った馬は8頭が単勝オッズ「10倍以上」。

3着に入った馬も7頭が「10倍以上」

中山金杯 単勝オッズ別成績(過去10年)

単勝オッズ 成績 勝率 連対率 3着内率
2.9倍以下 2-0-0-0 100% 100% 100%
3.0~4.9倍 2-0-0-6 25.0% 25.0% 25.0%
5.0~6.9倍 2-2-0-10 14.3% 28.6% 28.6%
7.0~9.9倍 3-0-3-18 12.5% 12.5% 25.0%
10.0~14.9倍 1-3-1-10 6.7% 26.7% 33.3%
15.0~19.9倍 0-1-1-17 0% 5.3% 10.5%
20.0~29.9倍 0-3-2-12 0% 17.6% 29.4%
30.0倍以上 0-1-3-53 0% 1.8% 7.0%

中山金杯 前走の単勝人気別成績

前走が単勝「1番人気」だった馬の勝利がゼロ。

「2番人気」だった馬が4勝。

前走が「3番人気」だった馬も不振。

逆に、前走が「4~9番人気」だった馬がいい成績ですね。

前走が「10番人気以下」だった馬はまったくいいところがありません。

中山金杯 前走の単勝人気別成績(過去10年)

前走の単勝人気 成績 勝率 連対率 3着内率
1番人気 0-1-2-16 0% 5.3% 15.8%
2番人気 4-2-0-7 30.8% 46.2% 46.2%
3番人気 0-1-1-8 0% 10.0% 20.0%
4~5番人気 2-0-4-11 11.8% 11.8% 35.3%
6~9番人気 4-5-1-46 7.1% 16.1% 17.9%
10番人気以下 0-1-2-38 0% 2.4% 7.3%

中山金杯 低評価で好走歴がある馬にも要注意

2005年以外で、「5走前までに、単勝6番人気以下で3着以内に入ったことがある」馬が毎年連対。



中山金杯 5走前までに、単勝6番人気以下で3着以内に入った実績がある中山金杯連対馬一覧(過去10年)

年度 着順 馬名 該当レース
02年 2着 タフグレイス 4走前 千葉S(1600万下) 7番人気 1着
03年 2着 トーアメイウン 前々走 磐梯山特別(1000万下) 6番人気 1着
04年 1着 アサカディフィート 4走前 函館記念 6番人気 3着
06年 2着 アサカディフィート 前々走 京阪杯 9番人気 2着
07年 2着 アサカディフィート 4走前 オパールS 7番人気 3着
08年 1着 アドマイヤフジ 5走前 目黒記念 6番人気 3着
09年 1着 アドマイヤフジ 3走前 毎日王冠 10番人気 3着
10年 1着 アクシオン 前走 鳴尾記念 7番人気 1着
11年 1着 コスモファントム 前走 中日新聞杯 6番人気 2着
2着 キョウエイストーム 3走前 京成杯オータムH 7番人気 2着

※ 該当レースが複数ある場合は、直近のものを掲載

有馬記念、馬番順の成績を見ると、アレッ!?

14番15番16番に入った馬は、残念でしたあ!になってますね。

中山芝2500メートルのコースの特徴がもろに影響していますね。やっぱり外外を回されると、どんなに強い馬でも 馬券にならないですね。

さて、どの馬が、14番15番16番に入ってしまうのでしょうか?
ブエナビスタだったりして!?

[馬番]
1番(5-4-7-44) 8.3% 15.0% 26.7%
2番(5-4-0-51) 8.3% 15.0% 15.0%
3番(5-5-9-41) 8.3% 16.7% 31.7%
4番(7-6-2-45) 11.7% 21.7% 25.0%
5番(5-6-11-38) 8.3% 18.3% 36.7%
6番(6-5-2-46) 10.2% 18.6% 22.0%
7番(9-8-3-40) 15.0% 28.3% 33.3%
8番(3-5-6-46) 5.0% 13.3% 23.3%
9番(3-2-7-44) 5.4% 8.9% 21.4%
10番(7-4-2-40) 13.2% 20.8% 24.5%
11番(1-7-2-40) 2.0% 16.0% 20.0%
12番(1-2-6-31) 2.5% 7.5% 22.5%
13番(3-1-2-19) 12.0% 16.0% 24.0%
14番(0-1-0-17) 0.0% 5.6% 5.6%
15番(0-0-0-10) 0.0% 0.0% 0.0%
16番(0-0-1-5)  0.0% 0.0% 16.7%

有馬記念で馬券に絡む馬!過去10年データから見ると・・・

有馬記念で馬券に絡む馬を、人気順で見ると・・・

【人気順】
1番人気 (4-3-0-3)
2番人気 (3-0-0-7)
3番人気 (1-1-2-6)
4番人気 (1-1-0-8)
5番人気 (0-1-0-9)
6番人気 (0-1-3-6)
7~9人 (1-0-2-27)
10人以下(0-3-3-48)

【単勝オッズ順】
1.0~1.9倍 (1-2-0-1)
2.0~2.9倍 (3-0-0-2)
3.0~3.9倍 (1-1-0-1)
4.0~4.9台 (0-0-0-2)
5.0~6.9倍 (0-0-1-5)
7.0~9.9倍 (2-3-0-9)
10.0~14.9倍(0-0-0-12)
15.0~19.9倍(1-0-3-9)
20.0~29.9倍(0-0-2-16)
30.0~49.9倍(0-1-3-10)
50.0~99.9倍(1-2-1-33)
100倍以上  (0-1-0-14)

人気上位の馬は、安定して、馬券になっていますね。

でも、10番人気以下の穴馬も結構、激走しているわけで・・・。はてさて、今年は、荒れるのか!?

穴馬の激走は、「中山巧者」に多く見られます。

有馬頼寧

有馬頼寧
 
ありま よりやす
生年月日	1884年12月17日
出生地	東京都渋谷区
没年月日	1957年1月9日(満72歳没)
出身校	東京帝国大学
(現・東京大学)
所属政党	(立憲政友会→)
無所属
称号	伯爵
勲一等瑞宝章
親族	父・有馬頼万
祖父・岩倉具視
孫・亀井久興
配偶者	妻・有馬貞子
 第14代 農林大臣
内閣	第1次近衛内閣
任期	1937年6月4日 - 1939年1月5日
 貴族院議員
選挙区	伯爵選出
任期	1926年8月 - 1937年9月
 衆議院議員
選挙区	福岡県第5区
当選回数	1回
任期	1924年5月11日 - 1926年8月

有馬 頼寧(ありま よりやす、明治17年(1884年)12月17日 - 昭和32年(1957年)1月9日)は日本の政治家。農政研究者。元農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。伯爵。

有馬頼寧 経歴
旧筑後国久留米藩主有馬家当主で伯爵有馬頼万の長男として東京に生まれる。学習院中等科(現 学習院高等科)、旧制学習院高等科を経て東京帝国大学農科(現農学部)を卒業後、農商務省に入省して農政に携わり、東京帝国大学農科講師、助教授となり母校で教鞭をとった。夜間学校の開校、女子教育、農民の救済や部落解放運動、震災義捐などの社会活動に広く活躍し、農山漁村文化協会の初代会長や日本農民組合の創立にも関わった。
1924年に立憲政友会から衆議院に出馬して当選。任期中に有馬家を継いで伯爵に叙爵、華族の互選による貴族院議員に挙げられ、1932年に斎藤内閣で農林政務次官、1937年に第1次近衛内閣の農林大臣となった。日中戦争が拡大する中で近衛の側近として大政翼賛会の設立に関わり、1940年に翼賛会初代事務局長に就任するが、翌年の翼賛会の改組により辞任、これを機に公職を退いた。また、1936年より当時の職業野球の東京セネタース → 大洋軍の個人経営に乗り出していた。
第二次世界大戦(太平洋戦争)の終戦後、GHQよりA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘置されるが無罪と認められ釈放、その後は引退生活を送った。
1955年に農林省に招請されて安田伊左衛門の後任として日本中央競馬会第2代理事長に就任、有馬特例法の公布、中央競馬運営方策要綱案の着手、中山競馬場をはじめとする競馬施設改築、競馬国際協定加入、競馬実況中継放送の強化など、競馬の発展や大衆化に尽力した。
1957年に急性肺炎のため逝去した。「有馬頼寧関係文書」が国立国会図書館にある。

有馬頼寧 篤志事業の展開
大正年間には、社会運動や奉仕活動に目覚め、多額の私財を投じる。結果、有馬家の家計が傾いてしまい、父親が死去した1927年には相続税の支払いに困窮したという。これ以降、社会運動への参加には一線を引くこととなり、政治活動へ没頭する。
1918年 夜間中学である信愛学園を設立。
1919年 浅草に貧困者向けの無料診療所を設立。
1920年 日本教育者協会を設立。教育の機会均等を図ると共に、教員の地位向上を目指す取り組みを進める。
1920年 同愛会を設立し、部落差別を解消を図る運動を進める。翌年、水平社が設立されると賛同し、演説などを引き受ける。
1922年 同情園乳児部を自宅に設立し、関東大震災により困窮した子供達の面倒を見る。
有馬頼寧 スポーツ振興への貢献

有馬頼寧 プロ野球
様々な政治・社会活動の他、スポーツに対する造詣が深かったことでも有名で、1936年に結成された職業野球球団「東京セネタース」[1]のオーナーを務めた。日本野球連盟→日本野球報国会等の相談役を歴任。1969年に野球殿堂入りした。

有馬頼寧 競馬
日本中央競馬会第2代理事長に就任。有馬の尽力により1955年1月に施行された「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」(通称「有馬特例法」)は、売り上げ金の国庫への納付が免除された臨時競馬の施行を可能とする法律であり、臨時競馬の売上金を競馬場の施設などハード面の整備にあてることで中央競馬発展の基礎を築いた。
また日本中央競馬会史上、もっともファンサービス拡充に努めた理事長として知られる。これには競馬は全くの門外漢だった有馬故の柔軟な発想があったからとされる。具体的にはPR機関中央競馬サービスセンターを創設し、日本短波放送によるレースの実況放送を開始し、競馬場内に託児所や遊園地を設置するなどのほか、1956年にプロ野球のオールスターゲームのように人気投票で出走馬を選ぶレースでファンに喜んでもらおうと、中央競馬のオールスター戦を発案、競走名を「中山グランプリ」として創設した。
なお、中山グランプリは第1回を盛況に開催したが、それから程なく有馬が急性肺炎にて逝去、その年の暮れに開催された第2回競走からは、これまでの様々な彼の功績を称え「有馬記念」と改称され施行されている。

有馬頼寧 略歴
学習院中等科、学習院高等科を卒業
1910年7月 東京帝国大学農学科を卒業
1918年2月 東京帝国大学農業教員養成所講師
1920年11月 東京帝国大学農学部助教授(〜1924年3月)
1924年5月 衆議院議員(〜1927年4月)
1926年8月 貴族院議員(〜1937年9月)
1929年6月 農林政務次官(〜1930年4月)
1930年4月 産業組合中央金庫理事長(〜1934年6月)
1934年6月 農林大臣(〜1936年1月)
1955年4月 日本中央競馬会理事長(〜1957年1月)

有馬頼寧 栄典
昭和32年1月9日:勲一等瑞宝章
家族・親族 [編集]

父母
父:有馬頼万
母:寛子(岩倉具視の娘。離縁後、森有礼後妻となる)
兄弟姉妹
長男:有馬頼寧
長女:禎子(奥平昌恭夫人)
二男:安藤信昭(安藤信篤養子)
三男:松田正之(松田正久継嗣)
次女:久米(稲田昌植夫人)
妻
妻:貞子(北白川宮能久親王次女)
子女
次女:澄子(足利惇氏夫人)
四女:正子(亀井茲建夫人)
三男:有馬頼義(第16代当主、直木賞作家)
その他の親族
叔母:小松宮妃頼子(小松宮彰仁親王妃)
孫:亀井久興(政治家)
甥:森有正(哲学者、仏文学者)
姪:関屋綾子(世界平和アピール七人委員会委員)
従甥:有馬頼底(禅僧、臨済宗相国寺派管長)

有馬頼寧 私生活
社会運動・慈善活動に身を投じた「異色の華族」でありながら、女性関係が派手なことでは有名であり、本人も気にしていたようであるが[2]女癖の悪さは生涯直らなかった。
井深八重の友人であった松信緑(美登里)は千葉県佐原の格地病院設立者の孫娘で、同志社女学校を卒業後に有馬家に行儀見習いに来ていた令嬢だったが、一度は解雇して思いを断ち切った物のふたたびよりを戻し、一時は廃嫡覚悟でアメリカに駆け落ちする覚悟であった。しかし、倉富勇三郎ら有馬伯爵家政参与者の画策によって別れた。
この事件の4年後に知り合った博多の芸妓舟子こと福田次恵は、頼寧が衆議院議員選挙活動中に2000円(当時)で落籍した人物である。後に頼寧の命によって上京し、有馬伯爵邸から歩いて数分の所に別邸を構えて住む。選挙活動中に愛人を入手したとして一般庶民や一族からの非難も激しかったが、以前に松信緑との仲を周りに強引に引き裂かれて苦悩した反動のせいで、殆ど意に介さなかった。次恵は頼寧晩年には実質的な本妻と化し、貞子夫人を悩ませる存在であった。息子・頼義の小説にもたびたび題材として取り上げられている[3]。
恋多き伯爵と知られた有馬の日記を読むと上記の2人を含め、その生涯で少なくとも4人の愛人がいたことが判明しており、その他にも多数の愛人を抱えていたとされる。

有馬頼寧 脚注
^ 1945年に新設されたセネタースとは、出身者が創設に関与した以外、直接の繋がりはない。
^ 『恋と伯爵と大正デモクラシー』p.214
^ 『母 その哀しみの生涯』文藝春秋

有馬記念

有馬記念

第50回有馬記念
開催地	中山競馬場
施行日	2011年12月25日
施行時期	12月下旬
(原則5回中山8日目)
格付け	GI
1着賞金	2億円
賞金総額	3億8000万円
距離	芝2500m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)[1]
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	1956年12月23日

有馬記念(ありまきねん)は中山競馬場の芝内回り2500mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走。
正賞は日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞[2]。

有馬記念 概要
1955年まで暮れの中山競馬では中山大障害が看板競走であったが、東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めなかった。そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアとしてファンがより親近感を持てるようにとファン投票により出走馬を選出するオールスターレース方式による第1回中山グランプリが1956年12月23日に中山競馬場の芝内回り2600mで開催された。プロ野球のオールスターと同様の競馬のオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない画期的な選抜方法[3]であった(のちに宝塚記念もファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用)[4]。
しかし第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月9日に提唱者の有馬が急逝したため、有馬の数々の功績を称えて第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった。
期せずして、これは日本の公営競技等のレースでレースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となっている)。このような経緯があるため、現在でもJRAの競馬番組表やレーシングプログラムでは競走名が「有馬記念(第○○回グランプリ)」と表記される。競走名の副題から優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。
距離は第10回までは2600m(第4回までは芝・内回り、第5回から第10回までは芝・外回り)、第11回以降は現在に至るまで芝・内回りの2500mで施行されている。なおこれまですべて中山競馬場で開催され、八大競走の中では唯一開催場の変更が無いレースでもある[5]。
現在の優勝レイは、青色の地に金色の文字となっている。
なお地方競馬との申し合わせにより長らく12月28日から1月4日の間は中央競馬の開催が行われなかったが、2003年の第48回では初めて12月28日に行われた。以後12月28日が日曜日と重なる場合はその日に開催されるようになった[6]。

有馬記念 出走資格
サラ系3歳(旧4歳)以上のファン投票及びJRAに選出されたJRA所属馬及び本競走に出走登録した外国馬及び出走登録しJRAに選定された地方馬のみ出走が可能である。
出走馬の選定方法は以下のとおりである。
ファン投票選出方法は公式投票用紙(競馬場、ウインズ各会場で配布)、市販のはがき(官製・私製)、インターネットから可能だが1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と郵送の場合の印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効となる。
特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[7] [8]。
それ以外の馬(外国馬を除く)は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方馬もこの方法で選出される)。フルゲート16頭まで出走できる。
2000年から2006年まではジャパンカップで優勝した外国所属競走馬にも優先出走権が与えられ、該当馬が2頭いたがいずれも行使しなかった。
2007年からは国際競走となり外国馬は最大6頭まで出走できる。

有馬記念 歴代ファン投票1位
回数	開催年	ファン投票1位	性齢	得票数	結果
第1回	1956	キタノオー	牡3	6,159	2着
第2回	1957	ハクチカラ	牡4	7,356	1着
第3回	1958	カツラシユウホウ	牡3	18,952	不出走
第4回	1959	ハククラマ	牡3	11,438	12着
第5回	1960	コダマ	牡3	17,082	6着
第6回	1961	シーザー	牡4	12,773	4着
第7回	1962	オンスロート	牡5	15,617	1着
第8回	1963	メイズイ	牡3	18,309	2着
第9回	1964	メイズイ	牡4	18,448	3着
第10回	1965	シンザン	牡4	26,853	1着
第11回	1966	ナスノコトブキ	牡3	22,510	5着
第12回	1967	スピードシンボリ	牡4	22,143	4着
第13回	1968	アサカオー	牡3	23,098	6着
第14回	1969	マーチス	牡4	21,798	10着
第15回	1970	アカネテンリュウ	牡4	20,295	2着
第16回	1971	アカネテンリュウ	牡5	25,215	出走取消
第17回	1972	イシノヒカル	牡3	17,022	1着
第18回	1973	ハイセイコー	牡3	24,143	3着
第19回	1974	ハイセイコー	牡4	22,400	2着
第20回	1975	キタノカチドキ	牡4	17,077	8着
第21回	1976	トウショウボーイ	牡3	19,957	1着
第22回	1977	テンポイント	牡4	22,541	1着
第23回	1978	プレストウコウ	牡4	75,257	12着
第24回	1979	サクラショウリ	牡4	90,301	6着
第25回	1980	カツラノハイセイコ	牡4	154,640	2着
第26回	1981	ホウヨウボーイ	牡6	185,747	2着
第27回	1982	モンテプリンス	牡5	113,667	11着
第28回	1983	アンバーシャダイ	牡6	147,484	3着
第29回	1984	ミスターシービー	牡4	171,979	3着
第30回	1985	シンボリルドルフ	牡4	140,753	1着
第31回	1986	ミホシンザン	牡4	168,210	3着
第32回	1987	サクラスターオー	牡3	141,494	競走中止
第33回	1988	タマモクロス	牡4	183,473	2着
第34回	1989	オグリキャップ	牡4	197,682	5着
第35回	1990	オグリキャップ	牡5	146,738	1着
第36回	1991	メジロマックイーン	牡4	155,353	2着
第37回	1992	トウカイテイオー	牡4	177,926	11着
第38回	1993	ビワハヤヒデ	牡3	146,218	2着
第39回	1994	ナリタブライアン	牡3	178,471	1着
第40回	1995	ヒシアマゾン	牝4	173,689	5着
第41回	1996	マヤノトップガン	牡4	155,122	7着
第42回	1997	エアグルーヴ	牝4	142,596	3着
第43回	1998	エアグルーヴ	牝5	165,357	5着
第44回	1999	スペシャルウィーク	牡4	165,734	2着
第45回	2000	テイエムオペラオー	牡4	109,140	1着
第46回	2001	テイエムオペラオー	牡5	93,217	5着
第47回	2002	ナリタトップロード	牡6	91,122	4着
第48回	2003	シンボリクリスエス	牡4	125,116	1着
第49回	2004	ゼンノロブロイ	牡4	100,052	1着
第50回	2005	ディープインパクト	牡3	160,297	2着
第51回	2006	ディープインパクト	牡4	119,940	1着
第52回	2007	ウオッカ	牝3	105,441	11着
第53回	2008	ウオッカ	牝4	136,619	不出走
第54回	2009	ウオッカ	牝5	105,059	不出走
第55回	2010	ブエナビスタ	牝4	111,323	2着
第56回	2011	ブエナビスタ	牝5	109,247	
2004年の投票では、地方競馬所属のため投票の対象外であるコスモバルクに大量の無効票が投じられた。不完全な集計ながら、この年1位のゼンノロブロイを支持率で上回っていたという[9]。

有馬記念 負担重量
負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減である。
第1回は3歳54㎏・4歳以上55㎏・牝馬各2㎏減で施行。第10回から第24回は3歳54㎏・4歳56㎏・5歳以上55㎏・牝馬各2㎏減。第25回から第28回は3歳55kg・4歳57kg・5歳以上56kg・牝馬2kg減で施行された。
第2回から第9回、第29回から第45回までは馬齢重量で施行され、第46回より現行の負担重量となった。

有馬記念 賞金
2011年度現在の総額賞金は3億8,000万円で、ジャパンカップに次いで国内で2番目に総額賞金の高いレースとなっている。

有馬記念 グレード制が施行された第36回(1984年)以降
回(施行年)	総額賞金      1着	        2着	3着	4着	5着
第29回(1984年)	1億4,250万円	7,500万円	3,000万円	1,900万円	1,100万円	750万円
第30回(1985年)	1億4,880万円	7,800万円	3,100万円	2,000万円	1,200万円	780万円
第31回(1986年)	1億5,200万円	8,000万円	3,200万円	800万円
第32回(1987年)	1億6,150万円	8,500万円	3,400万円	2,100万円	1,300万円	850万円
第33回(1988年)	1億8,050万円	9,500万円	3,800万円	2,400万円	1,400万円	950万円
第34回(1989年)	1億9,530万円	1億300万円	4,100万円	2,600万円	1,500万円	1,030万円
第35回(1990年)	2億1,000万円	1億1,000万円	4,400万円	2,800万円	1,700万円	1,100万円
第36回(1991年)	2億2,800万円	1億2,000万円	4,800万円	3,000万円	1,800万円	1,200万円
第37回(1992年)	2億4,800万円	1億3,000万円	5,200万円	3,300万円	2,000万円	1,300万円
第38回(1993年)
第39回(1994年)
第40回(1995年)	2億5,120万円	1億3,200万円	5,300万円	1,320万円
第41回(1996年)
第42回(1997年)
第43回(1998年)
第44回(1999年)
第45回(2000年)	3億4,200万円	1億8,000万円	7,200万円	4,500万円	2,700万円	1,800万円
第46回(2001年)
第47回(2002年)
第48回(2003年)
第49回(2004年)
第50回(2005年)
第51回(2006年)
第52回(2007年)
第53回(2008年)
第54回(2009年)
第55回(2010年)
第56回(2011年)	3億8,000万円	2億円	8,000万円	5,000万円	3,000万円	2,000万円
第57回(2012年)

有馬記念は、ドリームレース
夢のあるレースを目標に創設されたことや出走メンバーの豪華さから、ドリームレースとも言われる。中央競馬の1年間を締めくくる総決算としてその異名にふさわしい中央競馬の歴史に残る数々の名勝負や名場面を生んでおり、この日は競馬ファンならずとも競馬で盛り上がる1日となる。1996年の第41回で記録した売上金額の875億円は世界で最も勝馬投票券の売上のある競走としてギネス・ワールド・レコーズに認定・登録されている。
ただし有馬記念を最大目標としない陣営もあり、秋のGIシリーズ(菊花賞、天皇賞(秋)、ジャパンカップ等)に最大目標を定め何回かレースに出走してくる馬が少なくないのが特徴である[10]。中にはジャパンカップからのレース間隔が短く疲労が抜けきりにくいため凡走や怪我などを警戒して出走を回避をする陣営や、小回りで直線の短い中山競馬場を嫌って同競走を回避する陣営が近年増えつつある[11]。かつてはそれとは逆に天皇賞(秋)やジャパンカップを回避して有馬記念に照準を絞る馬も多かったが、近年は少なくなってきている(有馬記念に照準を絞る場合はジャパンカップを回避することが多かった)。さらに、同時期に香港で開催される香港国際競走に出走する馬もいる。

有馬記念 施行コースと特徴
中山競馬場の芝2500mで外回りコースの第3コーナーから発走。このコースは最初の第4コーナーまでが192mと短く、外枠からスタートする馬は距離をロスしやすく内枠からスタートする馬も距離のロスを避けようと内側に殺到してくる他馬により進路を塞がれる不利を受けやすいため[要出典]出走可能頭数は他のGIと比較して2頭少ない16頭[12]で行われるが、問題が完全に解消しているわけではない[13]。このため[要出典]大川慶次郎は、東京競馬場での施行を生前に主張していた[14]。
また中山競馬場は最後の直線が310mと短いため(こちらも頭数が少ないために影響は軽減しているが)、東京競馬場のような広いコースとは異なり後半の追い上げを得意としている馬は内を通って前が詰まるリスクかコーナーを大きく回って距離をロスするリスクかを背負わねばならず、ジャパンカップで好走した馬が疲労も相まって力を出し切れないことなどもある。
その一方で、人気薄の逃げ馬や2000m以下しか好走実績がない馬が出足の良さや器用さを活かして上位に食い込んできたり不振に陥っていた馬が名騎手に導かれて突然復活する[15]こともあるレースでもある。その理由としてスタート直後のコーナーを回ったところに正面スタンドがあることで大歓声があがり、ここで馬が行きたがる傾向があるからであり、そこでの騎手との折り合いがポイントとなるからである。[要出典]

有馬記念 特別褒賞金
2000年から天皇賞(秋)、ジャパンカップとこのレースの秋季主要GI競走3競走を全て優勝した場合は1億円の特別褒賞金(後に内国産馬には2億円、外国産馬には1億円に変更)を交付する制度が取り入れられ[16]出走が促されることとなり、その年のテイエムオペラオーが早速それを達成して褒賞金を獲得した。そして、2004年にゼンノロブロイが第2号の獲得馬になった。
また、2010年からは中央競馬所属馬で当該年のJRA・海外のGI競走優勝馬が本競走に出走し3着までに入着した場合に限り1着から順に3000万円、2000万円、1000万円の褒賞金を交付するようになり[17]2011年からは天皇賞(秋)とジャパンカップいずれかで3着以内に入着した馬が本競走に出走し3着までに入着した場合に、最大5000万円の褒賞金が交付されるようになる[17][18]。ただし、秋季主要GI競走3競走を全て優勝した場合は既存の報奨金(2億円または1億円)のみとなりこの報奨金は与えられない。

有馬記念 歴史
1956年 - 中山競馬場の芝2600m(内回り)の4歳(現3歳)以上の馬齢重量の重賞競走「中山グランプリ」として創設(創設当初の負担重量は4歳(現3歳)が牡馬・騸馬54kg・牝馬52kg、5歳(現4歳)以上が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kg)。
1957年
名称を「有馬記念」に変更。
6歳(現5歳)以上の負担重量が4歳(現3歳)と同じく牡馬・騸馬54kg・牝馬52kgに変更。
1959年
この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
ガーネツトが牝馬として初の優勝。
1960年 - 芝2600m(外回り)に変更[19]。
1960年 - 高松三太が騎手として初の連覇を果たす。
1965年
5歳(現4歳)の負担重量が牡馬・騸馬56kg・牝馬54kgに、6歳(現5歳)以上の負担重量が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kgにそれぞれ変更。
シンザンが優勝し五冠達成。
1966年 - 馬場改修に伴い施行コースを芝2500m(内回り)に変更。
1970年 - スピードシンボリが史上初の連覇。
1971年
混合競走に指定。
馬流感騒動の影響で、馬流感に罹患したメジロアサマ、アカネテンリュウ、カミタカの3頭が出走を取り消し、出走頭数が6頭のみの競走となる(有馬記念史上出走馬最少記録)。
1977年 - テンポイントとトウショウボーイのマッチレース、テンポイントが優勝。
1980年 - 4歳(現3歳)の負担斤量が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kgに、5歳(現4歳)の負担重量が牡馬・騸馬57kg・牝馬55kgに、6歳(現5歳)以上の負担重量が牡馬・騸馬56kg・牝馬54kgにそれぞれ変更。
1984年
グレード制施行によりGI競走に格付け。
この年より1987年まで、当日の中山競馬場が全11競走制となり、当競走は第10競走で施行された。
1985年
シンボリルドルフが史上2頭目の連覇およびび七冠を達成。史上初のJRA・GI競走7勝を達成。
同年に限り当時ジャパンカップのみの採用であった馬名入りゼッケンの試験的な使用を行う(この結果1987年秋競馬より馬名入りゼッケンの他競走への拡大を実施)。
1987年 - メリーナイスがスタート直後に落馬。1番人気サクラスターオーが最後の直線手前で故障発生、競走中止。
1988年
オグリキャップが当競走で引退と決まっていたタマモクロスとの「昭和最後の芦毛対決」を制する(タマモクロスは2着)。
3位入線のスーパークリークが進路妨害により失格。
この年より2007年まで、当日の中山競馬場が全10競走制となり、当競走は第9競走で施行された。
1989年 - 1着賞金総額が1億円台となる。
1990年 - 当競走での引退を表明していたオグリキャップが1988年に次ぐ2度目の優勝を果たし、レース後場内が「オグリ」コールに包まれる。
1993年 - トウカイテイオーが約1年ぶりの出走で優勝、奇跡の復活を果たす。
1995年 - 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開放される。
1996年 - 単独競走としての勝馬投票券の売上げ世界レコード875億104万2400円を記録。
1999年 - グラスワンダーが史上3頭目の連覇。
2000年
秋の古馬GI報奨金制度の第3戦に指定。
テイエムオペラオーが優勝、JRA古馬中長距離GI競走[20]完全制覇を達成。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
負担重量を「馬齢重量」から「定重量」に変更。
5歳以上の負担重量が4歳と同じく牡馬・騸馬57kg・牝馬55kgに変更。
敬宮愛子内親王御誕生慶祝の副称が当年のみにつく。
2003年 - シンボリクリスエスが史上4頭目の連覇。
2004年
オリビエ・ペリエが騎手として史上初の3連覇。
藤沢和雄が調教師として史上初の3連覇。
2006年
この競走で引退が決まっていたディープインパクトが優勝、史上3頭目のJRA・GI競走7勝を達成。
大相撲の第68代横綱朝青龍明徳が表彰式プレゼンターを務めた。
2007年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は6頭まで出走可能となる。
2008年
当年のみ、JRAプレミアムレースの対象レースとなる(同日に開催される中央競馬の全競馬場の全特別競走もJRAプレミアムの対象レースとなっている)。
この年より当日の中山競馬場が全11競走制となり、当競走の競走番号が再び第10競走に設定。
ダイワスカーレットがトウメイ以来37年ぶりの牝馬として優勝。
2009年
ウオッカが史上初の3年連続ファン投票1位を獲得したがジャパンカップ競走中に鼻出血を発症したため、日本中央競馬会競馬番組一般事項第2章のその11「痼疾馬の出走制限」の規定(1ヶ月出走停止)により出走できなかった。
史上初めて、4歳馬の出走がなかった。
コスモバルクが新記録となる「6年連続出走」を達成。
この年の菊花賞優勝馬であるスリーロールスが競走中止し、引退に追い込まれる。
2010年
当該年度のGI優勝馬が3着以内に入ることを条件に褒賞金が設定される。
大相撲の第69代横綱白鵬翔が表彰式プレゼンターを務めた[21]。朝青龍に次ぐ現役横綱の競馬場来場となった。
1着から3着まで、同競走史上初めて外国人騎手の騎乗馬が占めた。
2011年 - 褒賞金の対象を天皇賞(秋)とジャパンカップの1~3着馬にも拡大。

有馬記念 歴代優勝馬
国際競走となった2007年以降は優勝馬の国旗を表記する。性齢の年齢は現在の満年齢表記で表す。
回数	施行日	調教国・優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1956年12月23日	メイヂヒカリ	牡4	2:43 1/5	蛯名武五郎	藤本冨良	新田松江
第2回	1957年12月22日	ハクチカラ	牡4	2:49 0/5	保田隆芳	尾形藤吉	西博
第3回	1958年12月21日	オンワードゼア	牡4	2:49 1/5	八木沢勝美	二本柳俊夫	樫山純三
第4回	1959年12月20日	ガーネツト	牝4	2:50.9	伊藤竹男	稗田敏男	畑江五郎
第5回	1960年12月18日	スターロツチ	牝3	2:44.5	高松三太	松山吉三郎	藤井金次郎
第6回	1961年12月24日	ホマレボシ	牡4	2:40.8	高松三太	稗田敏男	川口文子
第7回	1962年12月23日	オンスロート	牡5	2:44.4	山岡忞	中村広	田村喜志
第8回	1963年12月22日	リユウフオーレル	牡4	2:42.5	宮本悳	橋本正晴	三好笑子
第9回	1964年12月27日	ヤマトキヨウダイ	牡4	2:45.1	梶与四松	稲葉幸夫	門井みち
第10回	1965年12月26日	シンザン	牡4	2:47.2	松本善登	武田文吾	橋元幸吉
第11回	1966年12月25日	コレヒデ	牡4	2:37.0	保田隆芳	尾形藤吉	千明康
第12回	1967年12月24日	カブトシロー	牡5	2:39.7	大崎昭一	久保田彦之	(有)志賀
第13回	1968年12月22日	リュウズキ	牡4	2:46.2	森安弘明	矢倉玉男	福井章哉
第14回	1969年12月21日	スピードシンボリ	牡6	2:35.1	野平祐二	野平省三	和田共弘
第15回	1970年12月20日	スピードシンボリ	牡7	2:35.7	野平祐二	野平省三	和田共弘
第16回	1971年12月19日	トウメイ	牝5	2:36.0	清水英次	坂田正行	近藤克夫
第17回	1972年12月17日	イシノヒカル	牡3	2:38.5	増沢末夫	浅野武志	石嶋清仁
第18回	1973年12月16日	ストロングエイト	牡4	2:36.4	中島啓之	奥平真治	ハイランド牧場
第19回	1974年12月15日	タニノチカラ	牡5	2:35.9	田島日出雄	島崎宏	谷水雄三
第20回	1975年12月14日	イシノアラシ	牡3	2:38.1	加賀武見	浅野武志	石嶋清仁
第21回	1976年12月19日	トウショウボーイ	牡3	2:34.0	武邦彦	保田隆芳	トウショウ産業(株)
第22回	1977年12月18日	テンポイント	牡4	2:35.4	鹿戸明	小川佐助	高田久成
第23回	1978年12月17日	カネミノブ	牡4	2:33.4	加賀武見	阿部新生	角替光二
第24回	1979年12月16日	グリーングラス	牡6	2:35.4	大崎昭一	中野隆良	半沢吉四郎
第25回	1980年12月21日	ホウヨウボーイ	牡5	2:33.7	加藤和宏	二本柳俊夫	古川嘉治
第26回	1981年12月20日	アンバーシャダイ	牡4	2:35.5	東信二	二本柳俊夫	吉田善哉
第27回	1982年12月26日	ヒカリデユール	牡5	2:36.7	河内洋	須貝彦三	橋本善吉
第28回	1983年12月25日	リードホーユー	牡3	2:34.0	田原成貴	服部正利	熊本芳雄
第29回	1984年12月23日	シンボリルドルフ	牡3	2:32.8	岡部幸雄	野平祐二	和田農林(有)
第30回	1985年12月22日	シンボリルドルフ	牡4	2:33.1	岡部幸雄	野平祐二	和田農林(有)
第31回	1986年12月21日	ダイナガリバー	牡3	2:34.0	増沢末夫	松山吉三郎	(有)社台レースホース
第32回	1987年12月27日	メジロデュレン	牡4	2:33.9	村本善之	池江泰郎	メジロ商事(株)
第33回	1988年12月25日	オグリキャップ	牡3	2:33.9	岡部幸雄	瀬戸口勉	佐橋五十雄
第34回	1989年12月24日	イナリワン	牡5	2:31.7	柴田政人	鈴木清	保手浜弘規
第35回	1990年12月23日	オグリキャップ	牡5	2:34.2	武豊	瀬戸口勉	近藤俊典
第36回	1991年12月22日	ダイユウサク	牡6	2:30.6	熊沢重文	内藤繁春	橋元幸平
第37回	1992年12月27日	メジロパーマー	牡5	2:33.5	山田泰誠	大久保正陽	(有)メジロ牧場
第38回	1993年12月26日	トウカイテイオー	牡5	2:30.9	田原成貴	松元省一	内村正則
第39回	1994年12月25日	ナリタブライアン	牡3	2:32.2	南井克巳	大久保正陽	山路秀則
第40回	1995年12月24日	マヤノトップガン	牡3	2:33.6	田原成貴	坂口正大	田所祐
第41回	1996年12月22日	サクラローレル	牡5	2:33.8	横山典弘	境勝太郎	(株)さくらコマース
第42回	1997年12月21日	シルクジャスティス	牡3	2:34.8	藤田伸二	大久保正陽	有限会社シルク
第43回	1998年12月27日	グラスワンダー	牡3	2:32.1	的場均	尾形充弘	半沢(有)
第44回	1999年12月26日	グラスワンダー	牡4	2:37.2	的場均	尾形充弘	半沢(有)
第45回	2000年12月24日	テイエムオペラオー	牡4	2:34.1	和田竜二	岩元市三	竹園正繼
第46回	2001年12月23日	マンハッタンカフェ	牡3	2:33.1	蛯名正義	小島太	西川清
第47回	2002年12月22日	シンボリクリスエス	牡3	2:32.6	O.ペリエ	藤沢和雄	シンボリ牧場
第48回	2003年12月28日	シンボリクリスエス	牡4	2:30.5	O.ペリエ	藤沢和雄	シンボリ牧場
第49回	2004年12月26日	ゼンノロブロイ	牡4	2:29.5	O.ペリエ	藤沢和雄	大迫忍
第50回	2005年12月25日	ハーツクライ	牡4	2:31.9	C.ルメール	橋口弘次郎	(有)社台レースホース
第51回	2006年12月24日	ディープインパクト	牡4	2:31.9	武豊	池江泰郎	金子真人ホールディングス(株)
第52回	2007年12月23日	マツリダゴッホ	牡4	2:33.6	蛯名正義	国枝栄	高橋文枝
第53回	2008年12月28日	ダイワスカーレット	牝4	2:31.5	安藤勝己	松田国英	大城敬三
第54回	2009年12月27日	ドリームジャーニー	牡5	2:30.0	池添謙一	池江泰寿	(有)サンデーレーシング
第55回	2010年12月26日	ヴィクトワールピサ	牡3	2:32.6	M.デムーロ	角居勝彦	市川義美

有馬記念の記録
レースレコード - 2:29.5(第49回優勝馬ゼンノロブロイ)
2着との最大着差 - 9馬身(第48回優勝馬シンボリクリスエス)
2着との最小着差 - 2cm (第55回優勝馬ヴィクトワールピサ - 2着ブエナビスタ)
最多優勝騎手 - 3勝 岡部幸雄(第29、30、33回) 田原成貴(第28、38、40回) オリビエ・ペリエ(第47~49回)
連続優勝騎手 - オリビエ・ペリエ 3連覇(第47~49回)
最多勝調教師 - 3勝 二本柳俊夫(第3、25、26回) 大久保正陽(第37、39、42回) 藤沢和雄(第47~49回 3連覇)
最多連続出走 - 6年連続 コスモバルク(第49~54回)

有馬記念 史上初あれこれ
牝馬 - ガーネツト(第4回)
3歳(旧4歳)馬 - スターロツチ(第5回)
3歳(旧4歳)牡馬 - イシノヒカル(第17回)
6歳(旧7歳)以上馬 - スピードシンボリ(第14回)
青毛馬 - リュウズキ(第13回)
芦毛馬 - オグリキャップ(第33回)
父内国産馬 - メイヂヒカリ(第1回)
父(本邦調教)外国産馬 - リュウズキ(第13回)
関西馬 - リユウフオーレル(第8回)
公営出身馬 - オンスロート(第7回)
持込馬 - サクラローレル(第41回)
外国産馬 - グラスワンダー(第43回)
サラ系馬 - ヒカリデユール(第27回)
父子制覇 - 父:シンボリルドルフ(第29回・第30回)、子:トウカイテイオー(第38回)
連覇 - スピードシンボリ(第14回・第15回)
年数を空けて2勝以上 - オグリキャップ(第33回・第35回)
重賞初制覇が有馬記念 - ストロングエイト(第18回)
父子騎手による制覇 - 父:武邦彦(第21回 トウショウボーイ)、子:武豊(第35回 オグリキャップ)
父子調教師による制覇 - 父:池江泰郎(第32回 メジロデュレン、第51回 ディープインパクト)、子:池江泰寿(第54回 ドリームジャーニー)
外国人騎手による制覇 - オリビエ・ペリエ(第47回)
牡馬・牝馬の両方で制覇した騎手 - 高松三太(第5回 スターロツチ・第6回 ホマレボシ)
牡馬・牝馬の両方で制覇した調教師 - 稗田敏男(第4回 ガーネツト・第6回 ホマレボシ)
騎手・調教師の両方で制覇 - 保田隆芳(騎手:第2回 ハクチカラ、調教師:第21回 トウショウボーイ)

有馬記念 特記事項
概要にも記されているとおりファン投票による出走馬の選定を行うことは新しい試みであったが、レースの名称もファン投票によって選定しようとしたことも非常に画期的であった。当初、競馬会は「中山グランプリ」という名称にしようとしていたが当時「グランプリ」という名称は映画に関係する言葉として使われていたくらいでまだ広く馴染んではいなかった。そこで、ファン投票用紙に出走させたい競走馬と同時に競走名を募った。その結果、一番多かった「中山大賞典」を始め17もの名称が集まった(競馬会が提唱していた「中山グランプリ(を可とする)」は第2位だった)。しかしどの名称も名提案とまではいかなかったため、第1回はそのまま「中山グランプリ」で行われた。
有馬記念の競走名により有馬温泉のある兵庫県の阪神競馬場で開催されていると勘違いされたり、特に関西在住の競馬初心者に「なぜ有馬温泉に近い阪神競馬場で行われないのか」という声が聞かれる[22]。正しい由来は概要に記されているとおり有馬頼寧の功績を称えて命名されたものであって、レース名と有馬温泉とに直接の関係はない。ただし、有馬の先祖は室町時代に有馬温泉の周辺を治めていた地頭の摂津有馬氏である。
有馬記念開催50周年を記念し、2005年にロゴマークの一般公募を行った。その結果、京都市在住の男性が制作した有馬(Arima)の"A"をモチーフに金色の天馬の羽根と16個(有馬記念の最大出走可能頭数)の星(ファン投票で選ばれたスターホースの意味)をあしらったデザインが採用された。競走当日はグリーンチャンネルや全国の競馬場、ウインズで放送されるレースの映像にもこのマークが登場した(通常は中山のマスコットキャラクターである「ナッキー」)。2006年では使用されていなかったが、2007年以降では使用されている。
12月25日に本競走が開催される時には「クリスマスグランプリ」と言われる。2005年で50周年を迎えた本競走で、このクリスマスの日に本競走が開催されたのは過去5度。1966年の第11回が初開催。それ以降は1983年の第28回、1988年の第33回、1994年の第39回、そして2005年の第50回と施行されている。次回は2011年の第56回で施行の予定。
2001年以降、主要なGI競走開催日において行われてきた入場券完全前売制による入場規制は行われなくなったが2005年の第50回では無敗の三冠馬として社会的な人気現象を引き起こしたディープインパクトが出走を表明し来場者の殺到が予測されたことから6年ぶりに入場券は完全前売制となり、当日発売は行われなかった。前売り券は約19万枚発売され完売した。その日、中山競馬場に訪れたのは約16万人であった。しかし、その16万人の注目の的であるディープインパクトは2着に敗れた。なお、これはディープインパクトの国内で唯一の敗北である。
本競走の開催日は混雑などの混乱を避けるため2007年までは全10競走で行われて、本競走は第9競走であった(発走時刻15:25と早い。なお通常GIが行われる競馬場のレースが15時半以後に行われるが、12月開催のメインレース発走時刻は日没時刻の関係でジャパンカップダート(2008年から)及び阪神ジュベナイルフィリーズが阪神競馬場にて開催される日を除き関東は全日15:25で順序も東京or中山→第3場→京都or阪神である。ちなみに、ジャパンカップダート(2007年まで)及びジャパンカップの発走時刻は15:20である。したがって通常の日程と勘違いして勝馬投票券を購入してしまう者もたびたびみられる[23]。ただし2007年までの有馬記念開催日の中山競馬場では「中山競馬第11競走」は存在せず、誤って第11競走の馬券を購入しようとしても発券機にマークカードを挿入したところでエラーが発生してしまうのでこのことによる購入ミスは起きなかった。1984年から1987年までと2008年からは全11競走中の第10競走で行われる。なお、中山競馬場の発走時刻及び発走間隔が通常開催日と異なっている。
本競走当日は、阪神競馬場と中京競馬場も有馬記念効果で混雑する(危険防止のための退場規制も行われる。現在の有馬記念当日の中京競馬場の入場人員は、高松宮記念当日のそれを上回ることが多い)。また、指定席も早朝で売り切れる。名鉄では高松宮記念及び有馬記念当日に限り、夕方時間帯の一部で中京競馬場前駅に特急電車の臨時停車を行うなど鉄道業界も動かす。例年競馬が行われない東京競馬場も混雑し、通常競馬開催日にしか行わない京王線準特急の東府中駅臨時停車が行われる。
中央競馬における「1年終わりの競走」として親しまれる有馬記念であるが、厳密にはJRAでのその年最後の競馬ではない。2009年の場合は中山競馬場の当日最終競走(第11競走、16:05発走)は「ハッピーエンドカップ」という条件競走であり、直後に中京競馬場の最終第12競走である「尾張(おわり)ステークス」(16:10発走。2005年までは「尾張特別」)というオープン特別競走が行われ、さらにその直後に阪神競馬場で行われる第12競走「ファイナルステークス」(16:20発走)がJRAの年間最後の競馬競走となる。
なお、1979年までは必ずしもその年の中央競馬最終開催日に固定して開催されていなかった(最終開催日には中山大障害やアラブの重賞が開催されたことがある)。
2010年は中京競馬場の改修工事により第三場開催は小倉競馬場で行われ、これまでJRA年間最終競走であったファイナルステークスは発走時刻はそのままだが「年間最終競走」でなくなり代わりに小倉競馬場で行われる第12競走「アンコールステークス」(16:35発走)というオープン競走が2010年のJRA最終競走となった。なお「ハッピーエンドカップ」はJRAプレミアム競走として「ハッピーエンドプレミアム(オグリキャップメモリアル)」として施行された[24]。
2011年も同様の施行時刻割となる予定[25]。
2012年は有馬記念開催日の翌日(12月24日)にも中央競馬の開催が行われる(予定)ことがJRAから発表されている[26]。これは当日が休日にあたるためで3日間開催を実施し、阪神競馬場では年間最終の重賞競走として阪神カップ(GII)が行われる予定である。
通常、GI当日のメインレースと最終レースとの間は40分確保されているが(それでも記念写真撮影、表彰式、勝利騎手インタビューなどのセレモニーが長引いて最終レースの発走時刻が5分ほど遅れることが多い)、朝日杯フューチュリティステークスと有馬記念の2つのGIレースだけは35分と短い。そのため、ハッピーエンドカップの発走時刻が毎年のように遅れる。ただし2008年からはハッピーエンドカップの発走時刻を16:05に設定し、有馬記念との間隔を40分に拡大したが、それでも遅れが発生することがある。
1988年から1995年までの8年間、有馬記念の前座競走として第7競走にファン投票によって選抜された騎手が出場できるジョッキーズグランプリが施行されていた。ファン投票は、有馬記念の出走馬投票とともに同じ投票用紙(はがき)を使って行われた。
有馬記念を中継するフジテレビはこのレースを競馬中継の中で最高のレースに位置付けており、それに相応しいアナウンサーが実況するという観点から部長級の管理職のアナウンサーが代々実況を務めており、現在の三宅正治で6代目となる。またこのレースを実況するアナウンサーはその他のレースは実況しないという慣例があり、三宅も初めて担当した2005年こそジャパンカップの実況を担当したが、翌2006年からは慣例に倣いその他のレースの実況からは退いた。ただ、すぽると!司会を勇退した2011年では一部の重賞を含む一般メイン競争の実況を数回担当はしていた。

有馬記念フェスティバル

中央競馬のその年の締めくくりを飾るオールスター戦・有馬記念競走の気運を盛り上げようと、1981年から毎年開かれている日本中央競馬会主催の公開イベントである。
毎年有馬記念開催週の月曜日に東京都内の会場で開かれるこのイベントではその年の有馬記念に出走が予定されている有力馬の騎手・関係者をゲストに招いてレースへの意気込みを語るトークイベント、また騎手と競馬愛好家のタレントらを交えたクイズ・ゲーム大会やタレント・競馬マスコミ関係者総出演によるレース展望会が実施されている。2004年は元JRA職員で現在プロ格闘家として活躍する小川直也がゲストとして招かれた。2005年はダービーフェスティバル同様、主催者側の都合で行われなかった。
また各地でも有馬記念ウィークを中心にした関連のイベントが開かれており新潟市において「有馬記念フェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場・新潟放送の共催で毎年行われ、その模様は新潟放送(ローカル)とグリーンチャンネルで放送される。2005年は大雪に伴う施設の停電のため開催されず、スタジオでレース展望を収録し放送した。なお、現在イベントの形で残っている有馬記念フェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。

有馬記念 脚注
^ 八大競走の中では最も出走条件が緩やかで、クラシックに出走できない騸馬でも出走が可能である。
^ http://www.jra.go.jp/keiba/calender/program/pdf/22naka5.pdf
^ 他に推薦委員会による推薦馬の選出があったが、形骸化したため1995年を最後に廃止された。
^ 日本の公営競技において、初めてファン投票による競走対象の選定を行ったのは競輪(オールスター競輪)である。
^ 日本ダービーも基本的に開催場変更を行わないレースだが最初の2回は目黒競馬場で施行され、競馬場移転に伴い第3回から現在まで東京競馬場で行われるようになった。
^ 12月28日が土曜日=即ち翌29日が日曜となる場合は従来どおり29日ではなく22日開催。
^ なお上位第10位までで出走の意思がない場合、その分を11位以下の馬が繰り上げで出走できる権利がある。
^ 中央にアラブのレースがあった時代にはアングロアラブの出走も可能であり、「アラブの怪物」の異名を持つセイユウがファン投票による権利を持っていたもののアラブの読売カップ(秋)連覇を優先し出走を辞退している。
^ バルク 有馬“影の人気1位”(スポーツニッポン、2004年12月17日) - ウェイバックマシン (2005年1月22日アーカイブ分)
^ 柏木集保はコンサートなどのアンコールに例えている[要出典]。
^ ジャングルポケット、アドマイヤムーン、ウオッカ、ディープスカイなど。
^ 中山競馬場で出走可能頭数が18頭設定可能なコースは芝内回り2000m(A、Bコース指定時)、芝外回り2200m(A、Bコース指定時)のみ。したがって、中山競馬場で施行されるGIは皐月賞(と代替開催で行われた天皇賞(秋)・ジャパンカップ)を除いてフルゲート16頭で行われる。
^ 1984年のグレード制施行後に15頭以上で行われたこのレースにおいて8枠スタートで2着以内に入ったのは、1989年に馬群に包まれるのを嫌った最内枠で1番人気のオグリキャップが先行して他馬がマークするハイペースで進む展開で最後に馬群の中をすり抜けて追い込んだ15番枠のイナリワンただ1頭である。16番枠スタートからの優勝馬・2着馬はまだいない。
^ ケイバブックは、最初のコーナーまでの距離が長い2000mか2200mでの施行を提案している。
^ 不振を極めていた1990年のオグリキャップと武豊、一年ぶりのレースを制した1993年のトウカイテイオーと田原成貴など
^ 同一年度に本会が定める競走に優勝した馬に対する褒賞金(PDFファイル) - JRA公式サイト 2011年12月7日閲覧
^ a b 有馬記念競走における褒賞金(PDFファイル) - JRA公式サイト 2011年12月7日閲覧
^ 具体例を挙げると2010年の本競走を優勝したヴィクトワールピサはこの年の皐月賞を優勝しているため3000万円、2着のブエナビスタは天皇賞・秋を優勝しているため2000万円の褒賞金が交付される。3着のトゥザグローリーはこの年のGIを優勝していないため褒賞金は交付されない。
^ この距離は現在でも設定されているものの、この距離でのレースは開催されていない。また、現在の中山競馬場の芝外回り2600mとは違うコースであった。
^ 天皇賞(春・秋)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
^ 横綱 白鵬関が有馬記念(GI)当日に来場! - JRA公式サイト 2010年12月13日閲覧
^ 週刊競馬ブックの投書欄、および同2008年12月21日号の乗峯栄一のコラム「理想と妄想」他多数。
^ テレビの競馬中継でもその旨の注意喚起が行われている
^ 平成22年度秋季競馬番組の概要について - JRA公式サイト 2011年11月15日閲覧
^ 2011年12月25日(日) 競馬番組 - JRA公式サイト 2011年11月15日閲覧
^ 2012年度開催日割および重賞競走について - JRA公式サイト 2011年11月15日閲覧

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス

開催地	阪神競馬場
施行日	2011年12月24日
施行時期	12月下旬
(原則5回阪神7日目)
格付け	GIII
1着賞金	3200万円
賞金総額	6100万円
距離	芝2000m
出走条件	サラブレッド系2歳(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	馬齢(55kg、牝馬54kg)
第1回施行日	1984年12月9日

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(ラジオにっけいはい2さいステークス)は、阪神競馬場の芝2000mで行われる中央競馬の重賞競走(GIII)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 概要
1984年のグレード制導入時に2歳(当時の馬齢表記では3歳なので競走名には3歳とつく)牡馬路線と牝馬路線の差別化のために関西地区の2歳牝馬限定マイル重賞、ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスとして、関東地区のテレビ東京賞3歳牝馬ステークス(現・フェアリーステークス)と共に開設。牝馬限定戦時代には1990年優勝馬イソノルーブルが翌年のオークスを制している。
1991年に関西地区の2歳GIとして定着していた阪神3歳ステークスが2歳牝馬限定GIの阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)に変更されると、舞台を芝2000mに移すと共に牡馬・騸馬の競走になる、名称もラジオたんぱ杯3歳ステークスに変更された。1993年からは混合競走に指定され、外国馬の出走が可能になり、1996年より特別指定交流競走として地方馬にも出走資格が与えられた。

また、2000年からは牝馬も出走可能な競走に変更されている。2010年からは国際競走となり、外国調教馬の出走も可能になった。
朝日杯フューチュリティステークスに間に合わなかった馬、あるいは翌年のクラシック路線へ向けて長めの距離の競走を使って行きたい馬や賞金を加算したい馬が多く出走するようになり、特に2000年は翌年の皐月賞を制するアグネスタキオン、東京優駿・ジャパンカップを制し年度代表馬となるジャングルポケット、NHKマイルカップ・ジャパンカップダートを制するクロフネの3頭で決着する非常にレベルの高いレースとなった。ほかにも優勝馬からはナリタタイシン、タヤスツヨシ、アドマイヤベガ、ザッツザプレンティ、ロジユニヴァース、ヴィクトワールピサなど多数のクラシックホースを生み出し、当競走と比較して距離が短く、枠順の不利が多い朝日杯フューチュリティステークスを回避しこの競走に出走する馬が増えるなど、朝日杯フューチュリティステークス優勝馬をしのぐ水準になることも多く、翌年のクラシック競走を占う重要なレースとして定着している。
この競走の優勝杯を寄贈している日本短波放送は2003年10月1日に社名を日経ラジオ社に変更し、翌2004年4月1日には局名をラジオたんぱからラジオNIKKEIに改称したが、2004年、2005年の競走名は旧局名のままであった。2006年よりラジオNIKKEI杯2歳ステークスに変更された(ラジオNIKKEI賞も同様)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 出走資格
サラ系2歳のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)、JRAに認定された地方所属の競走馬(3頭まで)、および外国調教馬(8頭まで)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 負担重量
馬齢重量で牡馬・せん馬は55kg、牝馬は54kgである。
第1回から第17回までは牡馬・せん馬は54kg、第7回より出走可能になった牝馬は53kgで施行されていた。
第18回と第19回は定量となり牡馬・せん馬は55kg、牝馬は54kgに変更。第20回より負担重量は変更されず、馬齢重量に戻り現在に至る。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 賞金
第1回からの賞金は以下の通り。2012年にJRAのGIを除く大半の競走で賞金が減額されるが、当競走に関しては減額が行われなかった(GIII競走で減額が行われなかったのは本競走と東京スポーツ杯2歳ステークスのみ)。
回(施行年)	総額賞金	1着	2着	3着	4着	5着
第1回(1984年)	4,380万円	2,300万円	920万円	580万円	350万円	230万円
第2回(1985年)
第3回(1986年)
第4回(1987年)	4,560万円	2,400万円	960万円	600万円	360万円	240万円
第5回(1988年)	4,900万円	2,600万円	1,000万円	650万円	390万円	260万円
第6回(1989年)	5,300万円	2,800万円	1,100万円	700万円	420万円	280万円
第7回(1990年)	5,560万円	2,900万円	1,200万円	730万円	440万円	290万円
第8回(1991年)	5,700万円	3,000万円	750万円	450万円	300万円
第9回(1992年)	6,100万円	3,200万円	1,300万円	800万円	480万円	320万円
第10回(1993年)
第11回(1994年)
第12回(1995年)
第13回(1996年)
第14回(1997年)
第15回(1998年)
第16回(1999年)
第17回(2000年)
第18回(2001年)
第19回(2002年)
第20回(2003年)
第21回(2004年)
第22回(2005年)
第23回(2006年)
第24回(2007年)
第25回(2008年)
第26回(2009年)
第27回(2010年)
第28回(2011年)
第29回(2012年)

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 歴史

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 3歳(現2歳)牝馬限定競走時代
1984年 - 阪神競馬場の芝1600mの3歳(現2歳)牝馬限定の馬齢重量の重賞(GIII)競走「ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス」として創設(創設当初の負担斤量は53kg)。
1990年
阪神競馬場の改修工事により、京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
施行日が現在の有馬記念前日(土曜日)に変更される。(年間を通して関西圏で最後の重賞ともなる)

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 3歳(現2歳)混合競走時代
1991年
出走条件を「3歳(現2歳)牝馬」から「3歳(現2歳)牡馬・騸馬」に変更。それに伴い、名称も「ラジオたんぱ杯3歳ステークス」に変更(牡馬・騸馬の負担斤量は54kgに設定)。
施行距離を現在の芝2000mに変更。
1993年 - 混合競走に指定。
1996年 - 中央競馬特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2000年 - 出走条件を「3歳(現2歳)牡馬・騸馬」から「3歳(現2歳)」に変更(牝馬の負担斤量は創設当初と変わらず)。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「3歳」から「2歳」に変更。それに伴い、名称も「ラジオたんぱ杯2歳ステークス」に変更。
負担重量を定量に変更。
負担斤量が牡馬・騸馬54kg、牝馬53kgから牡馬・騸馬55kg、牝馬54kgに変更。
2002年 - 地方馬の出走枠が3頭に拡大。
2003年
負担重量を馬齢に戻す。
地方ホッカイドウ所属のコスモバルクが地方所属馬として史上初の優勝。
2006年
名称を現在の「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」に変更。
安藤勝己が騎手として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2010年
国際競走に指定され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。このため重賞格付け表記をGIIIに戻す。
武豊が騎手として史上2人目の連覇。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 歴代優勝馬
ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(芝1600m)
回数	年月日	優勝馬	勝時計	騎手	管理調教師	馬主
第1回	1984年12月9日	ニホンピロビッキー	1:35.9	河内洋	田中耕太郎	小林百太郎
第2回	1985年12月8日	ダイナカンパリー	1:37.1	樋口弘	浜田光正	(有)社台レースホース
第3回	1986年12月7日	ドウカンジョー	1:35.5	田島信行	池江泰郎	新井興業(株)
第4回	1987年12月13日	プリンセススキー	1:36.6	田島良保	田中耕太郎	奥村清晴
第5回	1988年12月11日	タニノターゲット	1:36.1	小島貞博	戸山為夫	谷水雄三
第6回	1989年12月10日	レガシーワイス	1:35.8	武豊	坂口正大	(株)ホースタジマ
第7回	1990年12月22日	イソノルーブル	1:35.0	五十嵐忠男	清水久雄	磯野俊雄

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(芝2000m)
2000年度まではラジオたんぱ杯3歳ステークス、2001~2005年度はラジオたんぱ杯2歳ステークスとして施行
1999年度まで牡馬・騸馬限定、2000年度より牝馬も出走可能
回数	年月日	優勝馬	勝時計	騎手	管理調教師	馬主
第8回	1991年12月21日	ノーザンコンダクト	2:05.9	藤田伸二	伊藤修司	(有)社台レースホース
第9回	1992年12月26日	ナリタタイシン	2:05.8	清水英次	大久保正陽	山路秀則
第10回	1993年12月25日	ナムラコクオー	2:05.7	上村洋行	野村彰彦	奈村信重
第11回	1994年12月24日	タヤスツヨシ	2:03.4	小島貞博	鶴留明雄	横瀬寛一
第12回	1995年12月23日	ロイヤルタッチ	2:02.7	O.ペリエ	伊藤雄二	大田美實
第13回	1996年12月21日	メジロブライト	2:03.1	松永幹夫	浅見国一	(有)メジロ牧場
第14回	1997年12月20日	ロードアックス	2:03.8	岡部幸雄	藤沢和雄	(株)ロードホースクラブ
第15回	1998年12月26日	アドマイヤベガ	2:04.1	武豊	橋田満	近藤利一
第16回	1999年12月25日	ラガーレグルス	2:03.7	佐藤哲三	大久保正陽	奥村啓二
第17回	2000年12月23日	アグネスタキオン	2:00.8	河内洋	長浜博之	渡辺孝男
第18回	2001年12月22日	メガスターダム	2:03.4	渡辺薫彦	山本正司	(有)ノースヒルズマネジメント
第19回	2002年12月21日	ザッツザプレンティ	2:04.5	河内洋	橋口弘次郎	(有)社台レースホース
第20回	2003年12月27日	コスモバルク	2:01.6	五十嵐冬樹	田部和則	岡田美佐子
第21回	2004年12月25日	ヴァーミリアン	2:03.5	武豊	石坂正	(有)サンデーレーシング
第22回	2005年12月24日	サクラメガワンダー	2:01.9	安藤勝己	友道康夫	(株)さくらコマース
第23回	2006年12月23日	フサイチホウオー	2:02.1	安藤勝己	松田国英	関口房朗
第24回	2007年12月22日	サブジェクト	2:07.0	O.ペリエ	池江泰郎	(有)ノースヒルズマネジメント
第25回	2008年12月27日	ロジユニヴァース	2:01.7	横山典弘	萩原清	久米田正明
第26回	2009年12月26日	ヴィクトワールピサ	2:01.3	武豊	角居勝彦	市川義美
第27回	2010年12月25日	 ダノンバラード	2:02.2	武豊	池江泰郎	(株)ダノックス

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス その他
牡馬が出走できる競走に変更された1991年以来偶数年の優勝馬は2006年優勝馬のフサイチホウオーを除き後にGIで勝利している。逆に奇数年の優勝馬は2003年優勝馬のコスモバルク及び2009年優勝馬のヴィクトワールピサを除きGIで勝利していないが、奇数年であっても、優勝馬以外の出走馬からアドマイヤマックス、アドマイヤムーン、ダノンシャンティ、ヒルノダムールなどのGI馬を輩出している。
JRAから発表される出走馬のレーティングは、GIIであるデイリー杯2歳ステークスや京王杯2歳ステークスのそれを上回る年も多く、その出走馬のレベルの高さから、GIIへの格上げを望む声も多いがいまだに実現されていない。その理由として、もし本競走がGIIに昇格された場合に、1週前に開催されるGIの朝日杯フューチュリティステークスのレベル低下を招くためと考えられる。それ以外でも2歳戦線における中距離戦は翌年のクラシックに直結しやすく、同じく2歳戦線の中距離重賞である札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスも同様の理由が言える。
上記のように何度もレース名が変更されているが、武豊はいずれのレース名においても優勝経験がある(ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス=1989年、ラジオたんぱ杯3歳ステークス=1998年、ラジオたんぱ杯2歳ステークス=2004年、ラジオNIKKEI杯2歳ステークス=2009年、2010年)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 関連するレース
ラジオNIKKEI賞(7月 福島競馬場)
ホープフルステークス(有馬記念当日に中山競馬場で皐月賞と同コース・距離設定行われるオープン特別競走)

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