重賞の歴史 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

スリーロールス

スリーロールス (Three Rolls) は日本の競走馬である。馬名は冠名と自動車のロールス・ロイスから。主な勝ち鞍は2009年の菊花賞。
2006年4月26日、北海道日高郡新ひだか町の武牧場で生まれる。場長の山ノ井紀明は牧場時代のスリーロールスを「手が掛からず、かえって印象が薄かった」と語っている[1]。母馬のオーナーであった永井啓弐が永井商事名義で所有し、母を管理した栗東トレーニングセンターの武宏平厩舎へ入厩する。
2歳(2008年) [編集]
2008年10月26日、第4回京都競馬第5競走の2歳新馬戦にて横山典弘騎乗でデビュー。このデビュー戦は4着と敗れたが、同じレースにはのちの皐月賞馬アンライバルド(1着)、東京優駿2着馬リーチザクラウン(2着)、牝馬二冠馬ブエナビスタ(3着)が出走していた。
その後、3戦目の2歳未勝利戦(11月30日)に福永祐一が騎乗して初勝利を挙げる。
スリーロールス 3歳(2009年)
しかし1勝目を挙げた後、明け3歳になって重賞競走の毎日杯を含めて4戦して勝ち星に恵まれず、8戦目となった5月3日の京都競馬の3歳500万下条件戦で2勝目を挙げた[2]。2勝目をあげた直後、「本当に良くなるのは秋、ここで無理をさせると成長を阻害する」との陣営の判断で放牧へ出される[2]。また5月からは足腰を鍛えるために障害練習も取り入れた。
放牧後、新潟競馬場の弥彦特別(5着)、阪神競馬場での野分特別(1着)を経て浜中俊を鞍上に10月25日の菊花賞に出走する。レースはリーチザクラウンが大逃げを打ち粘る展開のなか、直線でリーチザクラウンとヤマニンウイスカーの間から先頭に抜け出した[4]。ターフビジョンに驚いて外へ膨れたものの、内から追い込んで来たフォゲッタブルとゴール前まで馬体を併せる形になった[4]。最後はハナ差で1着となり、重賞競走初勝利をGI競走で挙げた[4]。菊花賞後は疲労を完全に取りのぞくためジャパンカップを回避し、有馬記念へ出走[3]。
有馬記念では、左前浅屈腱不全断裂を発症し2周目第3コーナー手前で競走中止となった[5]。陣営は現役続行の可能性を模索し、2010年1月3日に再検査を行ったが競走能力喪失と診断され[6]、1月5日に1月6日付で競走馬登録を抹消し、現役を引退することを発表した[6]。引退後は種牡馬入りし、繋養先はレックススタッドである[6]。
スリーロールス 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2008	10.	26	京都	2歳新馬		11	7	8	49.7(8人)	4着	横山典弘	55	芝1800m(良)	1:52.2 (34.3)	0.5	アンライバルド
11.	8	京都	2歳未勝利		11	4	4	2.1(1人)	5着	岩田康誠	55	芝2000m(稍)	2:02.4 (35.9)	0.6	ピエナファンタスト
11.	30	京都	2歳未勝利		18	2	4	5.8(3人)	1着	福永祐一	55	芝1800m(良)	1:49.3 (35.1)	-0.2	(ナリタプラチナ)
12.	14	中京	中京2歳S	OP	10	7	8	10.5(5人)	5着	太宰啓介	55	芝1800m(良)	1:49.7 (35.4)	0.4	メイショウドンタク
2009	3.	7	阪神	3歳500万下		15	8	14	9.3(4人)	4着	福永祐一	56	芝1800m(良)	1:50.1 (35.1)	0.1	フミノイマージン
3.	28	阪神	毎日杯	GIII	14	4	6	53.7(11人)	8着	浜中俊	56	芝1800m(良)	1:48.4 (34.2)	0.4	アイアンルック
4.	19	阪神	はなみずき賞		13	6	9	2.9(1人)	2着	浜中俊	56	芝1800m(良)	1:48.2 (33.4)	0.2	ロードロックスター
5.	3	京都	3歳500万下		14	4	5	2.5(1人)	1着	浜中俊	56	芝1800m(良)	1:47.1 (33.8)	-0.4	(ナリタクリスタル)
9.	5	新潟	弥彦特別		13	8	13	3.6(2人)	5着	内田博幸	54	芝2000m(良)	1:59.3 (34.1)	0.5	メイショウベルーガ
9.	26	阪神	野分特別		11	1	1	3.7(3人)	1着	浜中俊	54	芝1800m(良)	1:45.0 (33.6)	-0.7	(ジャミール)
10.	25	京都	菊花賞	JpnI	18	1	1	19.2(8人)	1着	浜中俊	57	芝3000m(良)	3:03.5 (35.2)	0.0	(フォゲッタブル)
12.	27	中山	有馬記念	GI	16	5	10	13.5(6人)	中止	浜中俊	55	芝2500m(良)	競走中止		ドリームジャーニー

ビッグウィーク

ビッグウィーク(英:Big Week)は2010年の菊花賞勝ち馬。
馬名の由来は「重大な週」。
2009年9月のデビュー。当初より幾度も頭の高い走法を厩舎スタッフやメディアで指摘され、後にシャドーロール装着による矯正が行われている。
途中ソエで5か月休養したものの休み戦目の2010年7月に初勝利を記録すると、小倉の条件特別戦2連勝を加え3連勝で神戸新聞杯に出走、距離延長をする度にそれを懸念[2]されるも結果を出し、ここでも重賞初挑戦ながら3着に入り菊花賞への優先出走権を獲得する。

ビッグウィーク 菊花賞優勝時
迎えた菊花賞、陣営は「キレる脚は使えないが長くいい脚を使える馬。体型的にも距離はこなせそう。」と同馬に対しコメントを残すも、「(神戸新聞杯の)上位2頭との差は大きい」[3]と評され7番人気と前走よりさらに人気を落としていた。
レースでは、大逃げを打つコスモラピュタを前に3番手を追走、3コーナー手前で2番手に上がり、直線に向いてからは残り150m程で前を行くコスモラピュタを捕らえ先頭に出ると、そのまま2位以下の追走を振り切り優勝、重賞初勝利をGIで飾った。バゴ産駒初のGI勝利、馬主の谷水雄三は父の谷水信夫と父子でクラシック三冠を達成[4]、管理調教師の長浜博之も史上11人目の牡馬クラシック三冠達成となった。
菊花賞後はジャパンカップと有馬記念に出走せず、休養することとなった。なお、有馬記念のファン投票ではGI馬なのにも関わらず、投票対象から外れていた。
2011年初戦は京都記念、3・4番手追走も直線で伸びきれず6着。日経賞では10着と殿負けした。その後は天皇賞(春)を目指していたが、右第3中手骨罅裂骨折が判明し、休養を余儀なくされる[5]。
休養明け緒戦となった毎日王冠では2番手追走も直線で失速し11着と殿負けした。
ビッグウィーク 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2009.	9.	27	阪神	2歳新馬		15	5	9	15.3	(6人)	8着	武豊	54	芝1600m(良)	1.36.5(34.8)	0.7	トーセンファントム
11.	15	京都	2歳未勝利		14	2	2	35.1	(8人)	2着	藤岡佑介	55	芝1600m(稍)	1.36.4(35.6)	0.1	ストレンジラブ
12.	12	阪神	2歳未勝利		18	7	15	7.4	(4人)	2着	藤岡佑介	55	芝1600m(稍)	1.35.2(35.7)	0.2	カネトシディオス
2010.	1.	11	京都	3歳未勝利		16	1	2	2.3	(1人)	2着	武豊	56	芝1600m(良)	1.34.8(35.5)	0.2	タバルナ
6.	13	京都	3歳未勝利		18	7	15	7.7	(5人)	2着	池添謙一	56	芝1800m(良)	1.47.4(35.6)	0.1	ヤマニンガーゴイル
7.	10	阪神	3歳未勝利		18	4	8	2.5	(1人)	1着	川田将雅	56	芝1800m(良)	1.46.8(35.0)	-0.3	(エクスペディション)
8.	7	小倉	都井岬特別		14	1	1	2.5	(1人)	1着	川田将雅	54	芝1800m(良)	1.47.6(35.0)	-0.4	(エメラルドミスト)
9.	4	小倉	玄海特別		9	8	9	2.1	(1人)	1着	川田将雅	54	芝2000m(良)	1.58.3(35.2)	-0.1	(マイネルゴルト)
9.	26	阪神	神戸新聞杯	GII	12	1	1	12.7	(5人)	3着	川田将雅	56	芝2400m(良)	2.26.4(34.1)	0.5	ローズキングダム
10.	24	京都	菊花賞	GI	18	3	6	23.2	(7人)	1着	川田将雅	55	芝3000m(良)	3.06.1(34.4)	-0.2	(ローズキングダム)
2011.	2.	13	京都	京都記念	GII	12	3	3	12.6	(6人)	6着	川田将雅	58	芝2400m(良)	2.15.0(35.6)	1.1	トゥザグローリー
4.	2	阪神	日経賞	GII	10	4	4	15.3	(4人)	10着	四位洋文	59	芝2400m(良)	2.30.0(38.8)	4.6	トゥザグローリー

第68回菊花賞

第68回菊花賞は、2007年10月21日に開催。

第74回東京優駿を制したウオッカは、第12回秋華賞に出走し、2004年以来3年ぶりにダービー馬不在で行われた。
第56回ラジオNIKKEI賞を制したロックドゥカンブなどは、後述の第61回セントライト記念を経て本競走に出走。
前年の2歳王者のドリームジャーニー、第74回東京優駿2着のアサクサキングス、第67回皐月賞を制したヴィクトリー、第41回共同通信杯など重賞3勝を制したフサイチホウオー、第14回青葉賞を制したヒラボクロイヤル、第55回京都新聞杯を制したタスカータソルテ、当年の阿寒湖特別を制したホクトスルタンなどは、後述の第55回神戸新聞杯を経て本競走に出走。
その他の路線からは、第47回京成杯を制したサンツェッペリンは第53回オールカマーで9着後に、第42回京都大賞典で3着となったアルナスラインらが出走した。

第68回菊花賞 トライアルの結果
第61回セントライト記念
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	ロックドゥカンブ	牡3	柴山雄一	2:12.0	
2	ゴールデンダリア	牡3	柴田善臣	2:12.2	1馬身1/4
3	スクリーンヒーロー	牡3	木幡初広	2:12.7	3馬身
第55回神戸新聞杯
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	ドリームジャーニー	牡3	武豊	2:24.7	
2	アサクサキングス	牡3	四位洋文	2:24.8	1/2馬身
3	ヴィクトリー	牡3	岩田康誠	2:25.1	2馬身
出走可能頭数18頭に対し22頭の出馬投票があった。トライアルで優先出走権を獲得した上記の6頭のうちゴールデンダリアとスクリーンヒーローは怪我のため出走を回避した。優先出走権を持つ4頭と収得賞金上位12頭の計16頭と、収得賞金900万円の6頭のうち2頭が抽選により出走となった。10月18日に行われた抽選の結果、ウエイクアイランド、エーシンダードマンの2頭が抽選を突破し、サンライズマックス、タガノファントム、トーセンアーチャー、マルモコウテイの4頭が非当選馬として出走できなかった。

第68回菊花賞 出走馬と枠順
枠番	馬番	競走馬名	性齢	騎手	オッズ	調教師
1	1	ヒラボクロイヤル	牡3	武幸四郎	29.7(11人)	大久保龍志
2	ウエイクアイランド	牡3	幸英明	118.2(17人)	堀宣行
2	3	ブルーマーテル	牡3	田中博康	83.6(15人)	菅原泰夫
4	ロックドゥカンブ	牡3	柴山雄一	3.5(1人)	堀宣行
3	5	エーシンダードマン	牡3	角田晃一	39.5(12人)	大久保龍志
6	コートユーフォリア	牡3	川田将雅	164.7(18人)	岡田稲男
4	7	タスカータソルテ	牡3	福永祐一	23.6(10人)	藤原英昭
8	マンハッタンスカイ	牡3	小牧太	52.8(13人)	浅見秀一
5	9	サンツェッペリン	牡3	松岡正海	18.9(8人)	斎藤誠
10	アサクサキングス	牡3	四位洋文	8.4(4人)	大久保龍志
6	11	フサイチホウオー	牡3	安藤勝己	11.2(5人)	松田国英
12	アルナスライン	牡3	和田竜二	11.4(6人)	松元茂樹
7	13	ローズプレステージ	牡3	秋山真一郎	64.8(14人)	橋口弘次郎
14	デュオトーン	牡3	藤田伸二	21.8(9人)	池江泰寿
15	ベイリングボーイ	牡3	渡辺薫彦	112.9(16人)	田所清広
8	16	ドリームジャーニー	牡3	武豊	5.5(2人)	池江泰寿
17	ホクトスルタン	牡3	横山典弘	12.7(7人)	庄野靖志
18	ヴィクトリー	牡3	岩田康誠	6.7(3人)	音無秀孝
負担重量は南半球産のロックドゥカンブが55kg[1]、他は57kg。

第68回菊花賞 レース展開
スタート後、ハナを奪ったのはマンハッタンスカイで、2番手にホクトスルタン、その後ろにサンツェッペリン、ヴィクトリー、アサクサキングスと続き、フサイチホウオーとロックドゥカンブは中団、ドリームジャーニーは最後方からの競馬となった。その後正面スタンドに入るあたりでホクトスルタンが先頭に立つ。
そのままレースは進み、最後の3コーナーで、ドリームジャーニーが一気に先団へ。1番人気ロックドゥカンブは内に入り仕掛けのタイミングが遅れた。直線では、逃げたホクトスルタンが一瞬抜け出すも、アサクサキングスとアルナスラインが交わし、2頭の叩き合いとなった。
内を突いたロックドゥカンブは3着まで。ドリームジャーニーも最後に追い込んではきたものの、5着となった。デュオトーンが不利を受けて審議になるも降着までには至らず、コートユーフォリア騎乗の川田将雅騎手に、制裁として過怠金の処分となった。
第68回菊花賞 レース結果
着順	枠番	馬番	競走馬名	タイム	着差
1	5	10	アサクサキングス	3:05.1
2	6	12	アルナスライン	3:05.1	アタマ
3	2	4	ロックドゥカンブ	3.05.3	1馬身1/2
4	3	5	エーシンダードマン	3.05.5	1馬身1/2
5	8	16	ドリームジャーニー	3.05.6	1/2馬身
6	8	17	ホクトスルタン	3.05.7	1/2馬身
7	7	13	ローズプレステージ	3.05.7	クビ
8	6	11	フサイチホウオー	3.05.8	1/2馬身
9	4	7	タスカータソルテ	3.05.9	クビ
10	1	1	ヒラボクロイヤル	3.05.9	クビ
11	3	6	コートユーフォリア	3.06.2	1馬身3/4
12	7	14	デュオトーン	3.06.4	1馬身1/4
13	2	3	ブルーマーテル	3.06.5	1/2馬身
14	5	9	サンツェッペリン	3.06.8	1馬身3/4
15	4	8	マンハッタンスカイ	3.06.8	クビ
16	8	18	ヴィクトリー	3.07.8	6馬身
17	7	15	ベイリングボーイ	3.09.3	9馬身
18	1	2	ウエイクアイランド	3.09.5	1馬身1/4

第66回菊花賞

第66回菊花賞(だい66かいきっかしょう)は、2005年10月23日に京都競馬場で施行された競馬競走である。ディープインパクトが皐月賞、東京優駿(日本ダービー)に続き優勝し、無敗でクラシック三冠を達成した。

2005年の牡馬クラシックはディープインパクトが皐月賞、東京優駿(日本ダービー)に無敗で優勝した。そして同馬は菊花賞まで無敗を保ち、無敗のクラシック三冠が達成されるかが注目されていた。同馬はトライアル競走である神戸新聞杯を快勝し、三冠への期待が大きく高まったことで単勝1.0倍の圧倒的1番人気に支持された。
同馬の対抗馬には東京優駿3着の後、神戸新聞杯2着のシックスセンス、神戸新聞杯3着のローゼンクロイツ、東京優駿4着のアドマイヤフジなどが挙げられたが、2番人気のシックスセンスでも単勝20倍が限界であり、ディープインパクトの人気は絶大なものであった。
また、東京優駿において2着に入ったインティライミは有力候補として注目されていたが、故障(裂蹄)を発症し、菊花賞出走を断念した。

第66回菊花賞 トライアルの結果
第53回神戸新聞杯
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	ディープインパクト	牡3	武豊	1.58.4	
2	シックスセンス	牡3	上村洋行	1.58.8	2馬身1/2
3	ローゼンクロイツ	牡3	安藤勝己	1.58.9	3/4馬身
第59回セントライト記念
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	キングストレイル	牡3	北村宏司	2.11.8	
2	フサイチアウステル	牡3	安藤勝己	2.11.8	クビ
3	ピサノパテック	牡3	田中勝春	2.11.9	1/2馬身

第66回菊花賞 出走馬と枠順
インティライミが故障で回避、キングストレイル、ストーミーカフェが天皇賞(秋)へ出走し、更に、例年では多く出走する条件馬も出走を避けた事もあり、クラシック競走である菊花賞は3年ぶりにフルゲートを割り、16頭立てで行われるという状況となった。
枠番	馬番	競走馬名	性齢	騎手	オッズ	調教師
1	1	コンラッド	牡3	小牧太	60.5(7人)	手塚貴久
2	ヤマトスプリンター	牡3	池添謙一	111.1(10人)	安達昭夫
2	3	ミツワスカイハイ	牡3	渡辺薫彦	161.3(15人)	佐山優
4	ローゼンクロイツ	牡3	安藤勝己	25.3(3人)	橋口弘次郎
3	5	アドマイヤフジ	牡3	福永祐一	30.2(4人)	橋田満
6	アドマイヤジャパン	牡3	横山典弘	50.3(6人)	松田博資
4	7	ディープインパクト	牡3	武豊	1.0(1人)	池江泰郎
8	シャドウゲイト	牡3	佐藤哲三	77.1(9人)	加藤征弘
5	9	エイシンサリヴァン	牡3	吉田豊	161.8(16人)	大久保洋吉
10	レットバトラー	牡3	幸英明	151.9(14人)	瀬戸口勉
6	11	シックスセンス	牡3	四位洋文	20.7(2人)	長浜博之
12	ピサノパテック	牡3	岩田康誠	75.0(8人)	藤沢和雄
7	13	ディーエスハリアー	牡3	石橋脩	125.9(12人)	柴田政人
14	フサイチアウステル	牡3	藤田伸二	32.9(5人)	池江泰郎
8	15	マルブツライト	牡3	松岡正海	114.1(11人)	大久保正陽
16	マルカジーク	牡3	角田晃一	144.8(13人)	北橋修二

第66回菊花賞 レース展開


2005年菊花賞・2周目4コーナーカーブの攻防
ディープインパクトはこれまでに無い好スタートを切るが、1周目の坂からかかり始めた。直線で内へ入ると落ち着き、ローゼンクロイツ、シックスセンス、アドマイヤフジらがいる中団付近に位置した。一方、前はシャドウゲイトとアドマイヤジャパンが先行集団を大きく引き離して逃げた。そして、最終コーナーから直線に向く辺りでアドマイヤジャパンが先頭に立ったが、ディープインパクトはまだ動かず、残り400mを切った所から追い込むと、道中では10馬身以上も差があったアドマイヤジャパンを一気に差し切り、2馬身の差をつけて優勝した。また、勝利したディープインパクトの上がり3ハロンのタイムである33.3秒は全出走馬の中でも突出していた(2番目に早いのがシックスセンスの34.2秒)。
第66回菊花賞 レース結果

第66回菊花賞 全着順
着順	枠番	馬番	競走馬名	タイム	着差
1	4	7	ディープインパクト	3.04.6
2	3	6	アドマイヤジャパン	3.04.9	2馬身
3	2	4	ローゼンクロイツ	3.05.6	4馬身
4	6	11	シックスセンス	3.05.7	1/2馬身
5	7	14	フサイチアウステル	3.06.0	2馬身
6	3	5	アドマイヤフジ	3.06.9	5馬身
7	1	1	コンラッド	3.07.3	2馬身1/2
8	8	15	マルブツライト	3.07.3	ハナ
9	5	9	エイシンサリヴァン	3.07.4	3/4馬身
10	2	3	ミツワハイスカイ	3.07.5	クビ
11	6	12	ピサノパテック	3.07.7	1馬身1/2
12	1	2	ヤマトスプリンター	3.07.8	1/2馬身
13	8	16	マルカジーク	3.08.6	5馬身
14	7	13	ディーエスハリアー	3.09.2	3馬身1/2
15	4	8	シャドウゲイト	3.09.6	2馬身1/2
16	5	10	レットバトラー	3.09.8	1馬身

第66回菊花賞 データ
1000m通過タイム	60.9秒
2000m通過タイム	2分4秒3
上がり4ハロン	47.8秒
上がり3ハロン	35.7秒
優勝馬上がり3ハロン	33.3秒

第66回菊花賞 払戻金
単勝式	7	100円
複勝式	7	100円
6	400円
4	190円
枠連	3-4	410円
馬連	6-7	1290円
ワイド	6-7	620円
4-7	230円
4-6	1720円
馬単	7-6	1320円
3連複	4-6-7	2730円
3連単	7-6-4	7090円

第66回菊花賞 記録
優勝馬ディープインパクトはセントライト(1941年)、シンザン(1964年)、ミスターシービー(1983年)、シンボリルドルフ(1984年)、ナリタブライアン(1994年)に次ぐ、史上6頭目の牡馬クラシック三冠を達成。
ディープインパクト(7戦7勝)の無敗での三冠達成はシンボリルドルフ(8戦8勝)に次いで21年ぶり史上2度目。
武豊はGI通算50勝目の節目の勝利を挙げた。
この日の京都競馬場の入場者数は13万6701人を記録し、菊花賞での最多記録となり、同競馬場での入場者記録としても史上2位の記録である。
本競走においてのディープインパクトの単勝支持率は79.03%であり、この支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2%に次ぐ史上2位となった。また、菊花賞優勝馬、またグレード制導入以後の重賞としては1943年のクリフジの75%を超える、史上最高支持率となった(グレード制導入以後の重賞の単勝支持率については2011年にチューリップ賞でレーヴディソールが81.4%を記録し塗り替えている。
更に単勝の配当は100円元返しで、GI級競走での元返しは1965年の天皇賞(秋)を優勝したシンザン以来、40年ぶりの記録となった。また、全ての馬券において、ディープインパクトが絡んでいる馬券は、売り上げの89%を超えた。(なお、単勝配当と単勝支持率の話は2008年に『JRAプラス10』の制度ができた以降のJRA公式サイトの案内ページで「喩え」として紹介されている。

第66回菊花賞 エピソード
ディープインパクトはスタート直後に鞍上の武豊との折り合いを欠き、仕方なく武豊は強引に馬込みの中にディープインパクトを入れ、敢えて行き場を無くした。しかし、この行為は前の馬に急接近する可能性もあり、危険な策ではあったが、武豊は「外に出すと本当にディープインパクトが前に行くかもしれないので、半分賭けでインにいれた」と語っている。また、ディープインパクトが折り合いを欠いた原因は、いつも3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、1周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまったからだと武豊は証言している。
ディープインパクトはパドックから本馬場に向かう際、興奮しないように他の馬と一緒に行くことを避け、最後に馬場入りした。
当日のFNS系列の競馬中継も超豪華に放送され、本来ならば放映権、制作を担当する西の関西テレビの競馬中継番組のドリーム競馬に加えて、東のフジテレビの競馬中継番組のスーパー競馬が制作に名乗りを挙げ、その結果夢のコラボレーションが実現。スーパードリーム競馬・第66回菊花賞実況中継として放送された。スタジオは第1コーナーの付近の建物の屋上にてオープン型に設定。司会は宮川一朗太と福原直英アナウンサーが務め、解説には杉本清、井崎脩五郎、岡部幸雄が、リポーターには水野麗奈と若槻千夏が務めた。実況アナは馬場鉄志が担当し、ゴール前に発言した『世界のホースマンよ見てくれ! これが日本近代競馬の結晶だ!』は同年のFNSアナウンス大賞を受賞した。
騎乗した武豊はレース後、表彰式での勝利騎手インタビューで「三冠の重圧は相当なものだったでしょう」とねぎらわれると、「いやもう、今日負けちゃったら向こう正面から帰ろうと思ってました」と返して場内を沸かせた。

第63回菊花賞

第63回菊花賞(だい63かいきっかしょう)は、2002年10月20日に京都競馬場で施行された競馬競走。
10番人気のヒシミラクルが優勝した。
2002年の牡馬クラシック戦線は混戦状態だったが、そこから一歩抜け出したのはノーリーズンだった。ノーリーズンはトライアルの神戸新聞杯で東京優駿3着のシンボリクリスエスに敗れたものの、シンボリクリスエスは菊花賞ではなく天皇賞(秋)に回った為、骨折からの復活が期待され1番人気に支持された。
他には、ラジオたんぱ杯2歳ステークス3着後、骨折で長期休養を強いられ、休み明けのセントライト記念で2着に入ったアドマイヤマックス、東京優駿・神戸新聞杯4着のメガスターダム、宝塚記念3着のローエングリン、前年の2歳王者で札幌記念4着のアドマイヤドン、セントライト記念の勝ち馬バランスオブゲームなどが有力馬に挙げられた。

第63回菊花賞 トライアルの結果
第50回神戸新聞杯
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	シンボリクリスエス	牡3	岡部幸雄	1.59.1	
2	ノーリーズン	牡3	武豊	1.59.5	2馬身1/2
3	ナムラサンクス	牡3	橋本美純	2.01.2	2馬身
第56回セントライト記念
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	バランスオブゲーム	牡3	田中勝春	2.12.9	
2	アドマイヤマックス	牡3	後藤浩輝	2.15.9	1馬身1/2
3	マイネルアムンゼン	牡3	嘉藤貴行	2.16.6	1/2馬身

第63回菊花賞 出走馬と枠順
ダービー馬のタニノギムレットが故障で回避、シンボリクリスエスが天皇賞(秋)へ路線変更等、有力馬の回避があった。
枠番	馬番	競走馬名	性齢	騎手	オッズ	調教師
1	1	ナムラサンクス	牡3	橋本美純	80.1(14人)	松永善晴
2	ヒシミラクル	牡3	角田晃一	36.6(10人)	佐山優
2	3	アドマイヤドン	牡3	藤田伸二	11.4(5人)	松田博資
4	ダイタクフラッグ	牡3	太宰啓介	122.3(17人)	鹿戸明
3	5	キーボランチ	牡3	熊沢重文	130.5(18人)	宮徹
6	ノーリーズン	牡3	武豊	2.5(1人)	池江泰郎
4	7	ファストタテヤマ	牡3	安田康彦	91.3(16人)	安田伊佐夫
8	ダンツシェイク	牡3	河内洋	22.6(9人)	山内研二
5	9	レニングラード	牡3	池添謙一	19.7(9人)	音無秀孝
10	ヤマノブリザード	牡3	柴田善臣	19.6(7人)	藤沢和雄
6	11	タイガーカフェ	牡3	蛯名正義	38.8(11人)	小島太
12	ローエングリン	牡3	岡部幸雄	9.1(4人)	伊藤正徳
7	13	バンブーユベントス	牡3	幸英明	73.9(13人)	田島良保
14	メガスターダム	牡3	松永幹夫	9.1(3人)	山本正司
15	シンデレラボーイ	牡3	福永祐一	86.5(15人)	中竹和也
8	16	バランスオブゲーム	牡3	田中勝春	14.1(6人)	宗像義忠
17	マイネルアムンゼン	牡3	嘉藤貴行	122.3(17人)	田中清隆
18	アドマイヤマックス	牡3	後藤浩輝	4.8(2人)	橋田満

第63回菊花賞 レース結果
着順	枠番	馬番	競走馬名	タイム	着差
1	1	2	ヒシミラクル	3.05.9	
2	4	7	ファストタテヤマ	3.05.9	ハナ
3	7	14	メガスターダム	3.06.0	1/2馬身
4	2	3	アドマイヤドン	3.06.4	2馬身1/2
5	8	16	バランスオブゲーム	3.06.5	クビ
6	5	9	レニングラード	3.06.6	3/4馬身
7	7	13	バンブーユベントス	3.06.7	3/4馬身
8	4	8	ダンツシェイク	3.07.0	1馬身3/4
9	5	10	ヤマノブリザード	3.07.2	1馬身1/4
10	1	1	ナムラサンクス	3.07.4	1馬身1/2
11	8	18	アドマイヤマックス	3.08.1	4馬身
12	3	5	キーボランチ	3.09.7	10馬身
13	6	11	タイガーカフェ	3.10.1	2馬身1/2
14	8	17	マイネルアムンゼン	3.11.0	5馬身
15	7	15	シンデレラボーイ	3.11.7	4馬身
16	6	12	ローエングリン	3.13.8	大差
17	2	4	ダイタクフラッグ	3.35.5	大差
中止	3	6	ノーリーズン		

第63回菊花賞 レース展開
スタート直後、1番人気ノーリーズン鞍上の武豊が落馬。これで110億円以上の馬券が露と消えた。1番人気の落馬という大波乱で始まったレースは、ローエングリンとダイタクフラッグが逃げる展開。人気のアドマイヤマックス、メガスターダムは後方待機策。3コーナーを曲がるとメガスターダムがまくり、先頭に踊り出る。そして2番手にヒシミラクルとヤマノブリザード。逃げたローエングリンは後退。直線に入ると、徐々にメガスターダムとヒシミラクルが抜け出し、ヒシミラクルが先頭に立ち勝負決したかと思われたが、大外からファストタテヤマが急追。2頭並んで入線した。勝ったのはヒシミラクルだった。

第63回菊花賞 データ 
1000m通過タイム	58.3秒(ローエングリン)
2000m通過タイム	124.7秒(ローエングリン)
上がり4ハロン	48.0秒
上がり3ハロン	35.4秒
優勝馬上がり3ハロン	35.2秒
払戻 [編集]
単勝式	2	3660円
複勝式	2	880円
7	2250円
14	330円
枠連	1-4	8390円
馬連	2-7	96070円
ワイド	2-7	20170円
2-14	3680円
2-7	12170円
馬単	7-6	182540円
3連複	4-6-7	344630円

第63回菊花賞 記録

第63回菊花賞 エピソード
大きく離れた17着のダイタクフラッグは鼻出血を発症していた。
サッカーボーイ産駒は1999年のナリタトップロードに次ぐ菊花賞2勝目を挙げたが、サッカーボーイ自身はステイヤーではなく、マイルから中距離路線で活躍していた。
1番人気のノーリーズンが落馬した菊花賞当日から10日後の東海菊花賞では、2番人気と同じく人気を集めていた、安藤勝己騎乗のレジェンドハンターも落馬した。
当競走は芝3000mのレースであったが、出走馬の中にはこのレースの後に路線転向し大活躍を収めた馬も多い。アドマイヤドンは当競走から中1週で出走したJBCクラシック圧勝をきっかけにダート路線の頂点に上り詰め、アドマイヤマックスはマイル・短距離路線に転向、2005年の高松宮記念を勝つに至った。他にもGII最多勝記録を更新することになるバランスオブゲームや、8歳で重賞やオープン特別で勝ち鞍を挙げ、息の長い活躍を続けるローエングリン・ファストタテヤマ・タイガーカフェ等、後から振り返ると非常に個性的なメンバーが揃った一戦であったと言える。

第55回菊花賞

第55回菊花賞(だい55かいきっかしょう)は、1994年11月6日に京都競馬場で施行された競馬競走である。ナリタブライアンが皐月賞、東京優駿(日本ダービー)に続き優勝し、シンボリルドルフ以来のクラシック三冠を達成した。年齢は全て旧表記(数え年)にて表記。

優勝馬はナリタブライアン。

第55回菊花賞 レース施行時の状況
同年の牡馬クラシックはナリタブライアンが皐月賞・東京優駿(日本ダービー)に優勝した。そのため、菊花賞において同馬クラシック三冠を達成するかどうかが最大の焦点となった。同馬はトライアルの京都新聞杯でスターマンに敗れたものの、同レースに出走後体調が上向いたと判断されたことや三冠達成への期待から抜けた1番人気に支持された。
同馬の対抗馬には東京優駿3着のあとラジオたんぱ賞・福島民報杯を連勝したヤシマソブリン、東京優駿2着のエアダブリン、神戸新聞杯・京都新聞杯を含め4連勝中のスターマンなどが挙げられた。また一部からは、かつて3200mの天皇賞(秋)を大逃げして勝ったプリテイキャストを母に持つスティールキャストがどのようなレースをするかが注目を集めた。
なお、同年の第61回東京優駿において出遅れながら5着となり、10月に菊花賞と同じ芝3000mの嵐山ステークスにコースレコードで優勝したノーザンポラリスが穴馬として注目を集めたが、故障を発症したため出走することができなかった。

第55回菊花賞 トライアルの結果
第42回神戸新聞杯
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	スターマン	牡4	藤田伸二	2.00.6	
2	メルシーステージ	牡4	内山正博	2.01.0	2馬身1/2
3	マルカオーカン	牡4	河内洋	2.01.2	1馬身1/4
第48回セントライト記念
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	ウインドフィールズ	牡4	東信二	2.15.9	
2	ラグビーカイザー	牡4	柴田善臣	2.15.9	ハナ
3	エアダブリン	牡4	岡部幸雄	2.16.6	4馬身
第42回京都新聞杯
着順	競走馬名	性齢	騎手	タイム	着差
1	スターマン	牡4	藤田伸二	2.12.1	
2	ナリタブライアン	牡4	南井克巳	2.12.2	クビ
3	エアダブリン	牡4	岡部幸雄	2.12.3	3/4

第55回菊花賞 出走馬と枠順
春のクラシック出走馬のオフサイドトラップや、ノーザンポラリスが故障で回避、メルシーステージが天皇賞(秋)へ路線変更等があったことや、例年であれば出走してくる下級条件馬もこの年は回避が多くクラシック競走としては異例のフルゲート割れという状況であった。
枠番	馬番	競走馬名	性齢	騎手	オッズ	調教師
1	1	スターマン	牡4	藤田伸二	10.5(4人)	長浜博之
2	2	マルカオーカン	牡4	河内洋	39.1(8人)	瀬戸口勉
3	キョウトシチー	牡4	松永幹夫	101.4(13人)	中尾謙太郎
3	4	ナリタブライアン	牡4	南井克巳	1.7(1人)	大久保正陽
5	スティールキャスト	牡4	角田晃一	98.4(11人)	森秀行
4	6	バンブーフェリーニ	牡4	田原成貴	58.9(10人)	田島良保
7	インターライナー	牡4	的場均	38.8(7人)	柄崎孝
5	8	エアダブリン	牡4	岡部幸雄	6.1(3人)	伊藤雄二
9	ラグビーカイザー	牡4	柴田善臣	32.3(6人)	栗田博憲
6	10	フェスティブキング	牡4	菊沢隆徳	136.2(14人)	久恒久夫
11	アドマイヤコール	牡4	上村洋行	100.2(12人)	橋田満
7	12	ヤシマソブリン	牡4	坂井千明	5.8(2人)	松山康久
13	ウインドフィールズ	牡4	東信二	15.0(5人)	谷原義明
8	14	サムソンビッグ	牡4	小島貞博	157.4(15人)	鹿戸幸治
15	ゴーゴーゼット	牡4	村本善之	56.0(9人)	新井仁

第55回菊花賞 レース結果
着順	枠番	馬番	競走馬名	タイム	着差
1	3	4	ナリタブライアン	R 3.04.6
2	7	12	ヤシマソブリン	3.05.7	7馬身
3	5	8	エアダブリン	3.05.8	3/4馬身
4	7	13	ウインドフィールズ	3.05.9	3/4馬身
5	1	1	スターマン	3.05.9	クビ
6	4	7	インターライナー	3.06.1	1馬身
7	5	9	ラグビーカイザー	3.06.2	3/4馬身
8	8	15	ゴーゴーゼット	3.06.7	3馬身
9	6	11	アドマイヤコール	3.06.8	1/2馬身
10	2	3	キョウトシチー	3.07.4	3馬身1/2
11	4	6	バンブーフェリーニ	3.07.8	2馬身1/2
12	6	10	フェスティブキング	3.08.1	1馬身3/4
13	2	2	マルカオーカン	3.08.3	1馬身1/4
14	3	5	スティールキャスト	3.09.0	4馬身
15	8	14	サムソンビッグ	3.11.1	大差

第55回菊花賞 レース展開
一部から期待された通り、スティールキャストが序盤から大逃げを打った。ナリタブライアン・ヤシマソブリン・スターマンは馬群の中ほど、エアダブリンは後方からレースを進めた。第4コーナーでヤシマソブリンが前方へ進出を開始するとナリタブライアンがそれを追って先団に取り付き、直線では出走馬中最も早い上がりを見せ、ヤシマソブリンに7馬身の着差をつけて優勝した。

第55回菊花賞 データ
1000m通過タイム	61.2秒(スティールキャスト)
2000m通過タイム	122.7秒(スティールキャスト)
上がり4ハロン	49.1秒
上がり3ハロン	36.5秒
優勝馬上がり3ハロン	34.3秒

第55回菊花賞 払戻
単勝式	4	170円
複勝式	4	110円
8	140円
12	160円
枠連	3-7	370円
馬連	4-12	520円

第55回菊花賞 記録
ナリタブライアンの走破タイムは前年にビワハヤヒデが記録したレースレコード及びコースレコードを0.1秒更新するものであった。
ナリタブライアンは日本競馬史上5頭目となるクラシック三冠馬となった。
南井克巳はクラシック三冠すべてに優勝した騎手となった。
大久保正陽はクラシック三冠すべてに優勝した調教師となった。

第55回菊花賞 エピソード
当該レースの1週前に行われた天皇賞(秋)でナリタブライアンの半兄ビワハヤヒデが屈腱炎を発症して引退を余儀なくされた。そのためフジテレビ系列の実況を担当した杉本清はナリタブライアンの勝利が確定的となった場面で「弟は大丈夫だ!」と実況した。
クラシック三冠馬の管理調教師となった大久保正陽はレース後、「感無量。こういう馬に巡り会えたことが私の勲章」とコメントした。また、7馬身もの着差がついたことについてナリタブライアンの生産者である早田光一郎に「あんなに引き離さなくてもいいよな」と語ったという。
2着となったヤシマソブリンに騎乗した坂井千明は、「第4コーナーでナリタブライアンを一時引き離し、何とかなるのではと思ったが並ぶ間もなく逆にアッという間に引き離されてしまった」とコメントした。
この年の三冠競走全てに出走した馬はナリタブライアン以外ではサムソンビッグだけであり、このことも異例であった。
場内実況を担当したラジオたんぱ(現・ラジオNIKKEI)の北野守アナがゴール後に「おめでとうナリタブライアン!」と実況した。
南井克己騎手はこの日、通常何枚か重ねて装着するゴーグルを1枚しか付けず、2周目の3~4コーナーで外に馬を持ち出すとゴーグルを外し、素顔でゴールに達している。前を走る馬が跳ね上げる土などから目を保護するゴーグルをレース途中で外したのは、直線で他馬に交わされることはない、という自信があったからだと南井騎手はコメントしている。

菊花賞のエピソード

菊花賞のエピソード

競走不成立 
1944年の第7回は第二次世界大戦中に能力検定競走として長距離特殊競走の名で施行され、第13回東京優駿競走の優勝馬カイソウが3:30 4/5[4]の時計でクリアズマに3/4馬身の差を付けて勝利、競走も終わり騎手も検量室に引き上げ検量を終えた時、審判団から競走の不成立が申し立てられた。不成立の真相は第6回競走のコースが内回り1周・外回り1周だったのに対し第7回競走は内回り2周に変更されていたのだが主催者側の日本競馬会の伝達不備で全出走馬が前回と同じコースを通過、規定の3000mよりも100m程多く走ってしまったのである。これにより1944年の第7回は競走不成立により全出走馬が失格となり、第二次世界大戦後の1946年に改めて第7回として開催された。

菊花賞 落馬
当競走での落馬の中でも2002年の第63回、1番人気に支持された武豊騎乗のノーリーズンがスタート直後に躓き鞍上の武豊が落馬し競走を中止した。人馬ともに怪我はなかったが、同馬絡みの勝馬投票券(馬券)約110億円分(この年の菊花賞の売り上げの約半分)が一瞬のうちに紙屑となった。なおこのレースで優勝したのは10番人気のヒシミラクルで2着に16番人気のファストタテヤマが入り、大波乱を巻き起こした。
奇しくも10日後に名古屋競馬場で施行された、第43回東海菊花賞でもレジェンドハンターに騎乗した安藤勝己がスタート直後に落馬している。

菊花賞の記録

菊花賞の記録

レースレコード - 3:02.7(第67回優勝馬ソングオブウインド)
2着との最大着差 - 大差(第6回優勝馬クリフジ)
デビューからの最短日数での制覇 - 46日(第7回優勝馬アヅマライ)
最多勝騎手 - 武豊 4勝(第49、57、61、66回)
最多勝調教師 - 5勝 尾形藤吉(第1、6、14、20、24回)

菊花賞 父子制覇
過去に9組の父子制覇の例がある。
組	父馬名	優勝回	子馬名	優勝回
1組目	セントライト	第8回	セントオー	第13回
2組目	トサミドリ	第10回	キタノオー	第17回
3組目	トサミドリ	第10回	キタノオーザ	第21回
4組目	トサミドリ	第10回	ヒロキミ	第23回
5組目	シンザン	第25回	ミナガワマンナ	第42回
6組目	シンザン	第25回	ミホシンザン	第46回
7組目	ダンスインザダーク	第57回	ザッツザプレンティ	第64回
8組目	ダンスインザダーク	第57回	デルタブルース	第65回
9組目	ダンスインザダーク	第57回	スリーロールス	第70回
菊花賞 兄弟制覇
過去に4組の兄弟制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。
組	兄馬名	優勝回	弟馬名	優勝回	母馬名
1組目	セントライト	第8回	トサミドリ	第10回	フリッパンシー
2組目	キタノオー	第17回	キタノオーザ	第21回	バウアーヌソル
3組目	メジロデュレン	第47回	メジロマックイーン	第51回	メジロオーロラ
4組目	ビワハヤヒデ	第54回	ナリタブライアン	第55回	パシフィカス
2組目のキタノオーとキタノオーザは父馬も同じ全兄弟である(父子制覇の項も参照)。

菊花賞の歴史

菊花賞の歴史
回数	施行日	     優勝馬	性齢	勝時計	     優勝騎手	   管理調教師	馬主
第1回	1938年12月11日	テツモン	牡3	3:16 0/5	伊藤正四郎	尾形藤吉	松山隆郎
第2回	1939年10月29日	マルタケ	牡3	3:22 0/5	清水茂次	清水茂次	榎壽逸
第3回	1940年11月3日	テツザクラ	牡3	3:17 3/5	伊藤勝吉	伊藤勝吉	三宅孝之介
第4回	1941年10月26日	セントライト	牡3	3:22 3/5	小西喜蔵	田中和一郎	加藤雄策
第5回	1942年11月8日	ハヤタケ	牡3	3:16 3/5	佐藤勇	岩井健吉	伊藤祐之
第6回	1943年11月14日	クリフジ	牝3	3:19 3/5	前田長吉	尾形藤吉	栗林友二
第7回	1946年12月1日	アヅマライ	牡3	3:26 4/5	武田文吾	高橋直三	熊谷新太郎
第8回	1947年10月19日	ブラウニー	牝3	3:16 0/5	土門健司	武輔彦	仙石襄
第9回	1948年11月23日	ニユーフオード	牡3	3:13 3/5	武田文吾	小川佐助	吉木三郎
第10回	1949年11月3日	トサミドリ	牡3	3:14 3/5	浅野武志	望月与一郎	斉藤健二郎
第11回	1950年10月29日	ハイレコード	牡3	3:09 1/5	浅見国一	武田文吾	山田常太郎
第12回	1951年11月3日	トラツクオー	牡3	3:11 1/5	小林稔	久保田金造	岩本政一
第13回	1952年11月23日	セントオー	牡3	3:10 1/5	梅内慶蔵	新堂捨蔵	三木福一
第14回	1953年11月23日	ハクリヨウ	牡3	3:09 1/5	保田隆芳	尾形藤吉	西博
第15回	1954年11月23日	ダイナナホウシユウ	牡3	3:09 1/5	上田三千夫	上田武司	上田清次郎
第16回	1955年11月23日	メイヂヒカリ	牡3	3:09 1/5	蛯名武五郎	藤本冨良	新田松江
第17回	1956年11月18日	キタノオー	牡3	3:09 3/5	勝尾竹男	久保田金造	田中留治
第18回	1957年11月17日	ラプソデー	牡3	3:16 0/5	矢倉義勇	小西喜蔵	椎野浅五郎
第19回	1958年11月16日	コマヒカリ	牡3	3:10 0/5	浅見国一	橋本輝雄	鈴木一平
第20回	1959年11月15日	ハククラマ	牡3	3:07.7	保田隆芳	尾形藤吉	西博
第21回	1960年11月13日	キタノオーザ	牡3	3:15.1	伊藤竹男	久保田金造	田中清司
第22回	1961年11月19日	アズマテンラン	牡3	3:15.4	野平好男	二本柳俊夫	堀平四郎
第23回	1962年11月25日	ヒロキミ	牡3	3:10.7	高松三太	二本柳俊夫	相馬恵胤
第24回	1963年11月17日	グレートヨルカ	牡3	3:09.5	保田隆芳	尾形藤吉	小野晃
第25回	1964年11月15日	シンザン	牡3	3:13.8	栗田勝	武田文吾	橋元幸吉
第26回	1965年11月14日	ダイコーター	牡3	3:13.4	栗田勝	上田武司	上田清次郎
第27回	1966年11月13日	ナスノコトブキ	牡3	3:08.5	森安弘明	稲葉秀男	那須野牧場
第28回	1967年11月12日	ニツトエイト	牡3	3:14.5	伊藤竹男	矢倉玉男	太田和芳郎
第29回	1968年11月17日	アサカオー	牡3	3:09.0	加賀武見	中村広	浅香源二
第30回	1969年11月16日	アカネテンリュウ	牡3	3:15.3	丸目敏栄	橋本輝雄	関野栄一
第31回	1970年11月15日	ダテテンリュウ	牡3	3:10.4	宇田明彦	星川泉士	浅野千恵子
第32回	1971年11月14日	ニホンピロムーテー	牡3	3:13.6	福永洋一	服部正利	小林保
第33回	1972年11月12日	イシノヒカル	牡3	3:11.6	増沢末夫	浅野武志	石嶋清仁
第34回	1973年11月11日	タケホープ	牡3	3:14.2	武邦彦	稲葉幸夫	近藤たけ
第35回	1974年11月10日	キタノカチドキ	牡3	3:11.9	武邦彦	服部正利	初田豊
第36回	1975年11月9日	コクサイプリンス	牡3	3:11.1	中島啓之	稗田敏男	芦部博子
第37回	1976年11月14日	グリーングラス	牡3	3:09.9	安田富男	中野隆良	半沢吉四郎
第38回	1977年11月13日	プレストウコウ	牡3	3:07.6	郷原洋行	加藤朝治郎	渡辺喜八郎
第39回	1978年11月12日	インターグシケン	牡3	3:06.2	武邦彦	日迫良一	松岡正雄
第40回	1979年11月11日	ハシハーミット	牡3	3:07.5	河内洋	内藤繁春	(株)シンザンクラブ
第41回	1980年11月9日	ノースガスト	牡3	3:06.1	田島良保	二分久男	鈴木忠男
第42回	1981年11月8日	ミナガワマンナ	牡3	3:07.1	菅原泰夫	仲住芳雄	寺内倉蔵
第43回	1982年11月14日	ホリスキー	牡3	3:05.4	菅原泰夫	本郷重彦	堀川三之助
第44回	1983年11月13日	ミスターシービー	牡3	3:08.1	吉永正人	松山康久	(株)丸沼温泉ホテル
第45回	1984年11月11日	シンボリルドルフ	牡3	3:06.8	岡部幸雄	野平祐二	和田農林(有)
第46回	1985年11月10日	ミホシンザン	牡3	3:08.1	柴田政人	田中朋次郎	堤勘時
第47回	1986年11月9日	メジロデュレン	牡3	3:09.2	村本善之	池江泰郎	メジロ商事(株)
第48回	1987年11月8日	サクラスターオー	牡3	3:08.0	東信二	平井雄二	(株)さくらコマース
第49回	1988年11月6日	スーパークリーク	牡3	3:07.3	武豊	伊藤修司	木倉誠
第50回	1989年11月5日	バンブービギン	牡3	3:07.7	南井克巳	布施正	竹田辰一
第51回	1990年11月4日	メジロマックイーン	牡3	3:06.2	内田浩一	池江泰郎	メジロ商事(株)
第52回	1991年11月3日	レオダーバン	牡3	3:09.5	岡部幸雄	奥平真治	田中竜雨
第53回	1992年11月8日	ライスシャワー	牡3	3:05.0	的場均	飯塚好次	栗林英雄
第54回	1993年11月7日	ビワハヤヒデ	牡3	3:04.7	岡部幸雄	浜田光正	(有)ビワ
第55回	1994年11月6日	ナリタブライアン	牡3	3:04.6	南井克巳	大久保正陽	山路秀則
第56回	1995年11月5日	マヤノトップガン	牡3	3:04.4	田原成貴	坂口正大	田所祐
第57回	1996年11月3日	ダンスインザダーク	牡3	3:05.1	武豊	橋口弘次郎	(有)社台レースホース
第58回	1997年11月2日	マチカネフクキタル	牡3	3:07.7	南井克巳	二分久男	細川益男
第59回	1998年11月8日	セイウンスカイ	牡3	3:03.2	横山典弘	保田一隆	西山牧場
第60回	1999年11月7日	ナリタトップロード	牡3	3:07.6	渡辺薫彦	沖芳夫	山路秀則
第61回	2000年10月22日	エアシャカール	牡3	3:04.7	武豊	森秀行	(株)ラッキーフィールド
第62回	2001年10月21日	マンハッタンカフェ	牡3	3:07.2	蛯名正義	小島太	西川清
第63回	2002年10月20日	ヒシミラクル	牡3	3:05.9	角田晃一	佐山優	阿部雅一郎
第64回	2003年10月26日	ザッツザプレンティ	牡3	3:04.8	安藤勝己	橋口弘次郎	(有)社台レースホース
第65回	2004年10月24日	デルタブルース	牡3	3:05.7	岩田康誠	角居勝彦	(有)サンデーレーシング
第66回	2005年10月23日	ディープインパクト	牡3	3:04.6	武豊	池江泰郎	金子真人ホールディングス(株)
第67回	2006年10月22日	ソングオブウインド	牡3	3:02.7	武幸四郎	浅見秀一	(有)社台レースホース
第68回	2007年10月21日	アサクサキングス	牡3	3:05.1	四位洋文	大久保龍志	田原慶子
第69回	2008年10月26日	オウケンブルースリ	牡3	3:05.7	内田博幸	音無秀孝	福井明
第70回	2009年10月25日	スリーロールス	牡3	3:03.5	浜中俊	武宏平	永井商事(株)
第71回	2010年10月24日	 ビッグウィーク	牡3	3:06.1	川田将雅	長浜博之	谷水雄三

菊花賞の歴史

菊花賞の歴史

1938年 - 4歳(現3歳)の牡馬・牝馬の競走馬による定量(牡馬55kg・牝馬53kg)の重賞競走として「第1回京都農林省賞典4歳呼馬」が創設され、京都競馬場・芝3000mで施行された。
1940年 - 負担斤量を牡馬57kg・牝馬55.5kgにそれぞれ変更。
1941年 - セントライトが史上初のクラシック三冠を達成。
1944年 「長距離特殊競走」名称で能力判定競走として施行されるが、競走中に全出走馬がコースを間違えたため競走不成立(当該項を参照)。
1945年 - 第二次世界大戦により中止。
1950年 - 二冠馬クモノハナが2着に敗れる。
1953年 - 二冠馬ボストニアンが5着に敗れる。
1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1953年 - 二冠馬コダマが2着に敗れる。
1961年 - アズマテンランが持込馬として史上初の制覇。
1962年
当競走で史上最多の23頭が出走。
二本柳俊夫が調教師として史上初の連覇。
1963年 - 二冠馬メイズイが6着に敗れる。
1964年 - シンザンが2頭目のクラシック三冠を達成。
1965年 - 栗田勝が騎手として史上初の連覇。
1970年 - 二冠馬タニノムーティエが11着に敗れる。
1973年 - 元地方大井所属のハイセイコーがタケホープに2度目の敗走。
1974年 - 武邦彦が騎手として2人目の連覇。
1975年 - ヤマゼントップが第1コーナーでコースから外れて外ラチに激突、鞍上久保敏文が落馬。
1976年 - 12番人気のグリーングラスがトウショウボーイ・テンポイントを破り優勝。
1977年 - プレストウコウが芦毛馬として史上初の3歳クラシック制覇。
1979年 - 京都競馬場のスタンド改築工事による振替開催により、阪神競馬場の芝3000mで施行。
1982年 - 菅原泰夫が騎手として3人目の連覇。
1983年 - ミスターシービーが3頭目のクラシック三冠を達成。
1984年
グレード制施行によりGIに格付け。
シンボリルドルフがデビューから無敗で4頭目のクラシック三冠を達成。
1987年 - 施行時期をエリザベス女王杯と交換。
1992年 - 二冠馬ミホノブルボンが2着に敗れる。
1993年 - ビワハヤヒデが持込馬として史上2頭目の制覇。
1994年 - ナリタブライアンが5頭目のクラシック三冠を達成。
1995年
指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
ダンスパートナーが牝馬として18年振りの出走、1番人気に支持される(結果は5着)。
1998年 - セイウンスカイが当時の芝3000mの世界レコード3:03.2で優勝。
2003年
負担重量を定量から馬齢重量に変更。
二冠馬ネオユニヴァースが3着に敗れる。
2004年
当年のみ「日本中央競馬会創立50周年記念 菊花賞」として施行。
岩田康誠がJRA史上初の地方競馬所属騎手によるクラシック競走制覇。
2005年
外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
ディープインパクトがデビューから無敗で6頭目のクラシック三冠を達成。
二冠馬メイショウサムソンが4着に敗れる。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
2009年 - ポルカマズルカが牝馬としてダンスパートナー以来14年ぶりに出走(結果は17着)。
2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。

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