重賞の歴史 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

スノーフェアリー

スノーフェアリー

英字表記	Snow Fairy
品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2007年2月12日(4歳)
父	Intikhab
母	Woodland Dream
母の父	Charnwood Forest
生国	 アイルランド
生産	Windflower Overseas Holdings Inc.
馬主	アナモイン社
調教師	E.ダンロップ(英)
競走成績
生涯成績	18戦6勝
獲得賞金	558,609ポンド(英・愛)
9386万4000円(日)
+9000万円(褒賞金)
1140万香港ドル(香)

スノーフェアリー(Snow Fairy)はアイルランドで生産されたイギリスの競走馬。
主な勝ち鞍は2010年のイギリスオークス、アイリッシュオークス、エリザベス女王杯、香港カップ。

スノーフェアリー 経歴
2008年に開催された1歳馬のセールに上場されたが、1800ユーロ(当時のレートで約23万4000円)で買主がつかず生産者の主取りとなるなど、周囲の評価は極めて低かった。
2009年6月、ニューベリー競馬場の未勝利戦でデビューし、3着となる。
次走半月後の未勝利戦で勝利を収める。その後年内は全て7F以下の短距離を中心に使われ、勝利を挙げられないまま翌年を迎える。
年が明けて2010年、初戦のハイトオブファッションステークスでは初めての中距離でのレースとなったが、ここを3馬身差で快勝しオークスに駒を進める。 これまでの実績がほとんど無いため7番人気に甘んじていたが、激戦をクビ差でしのぎ、重賞初勝利をクラシックレースにて収める。
続いてアイリッシュオークスに出走。2着Miss Jean Brodieに8馬身の差をつけて圧勝し、英愛オークス制覇を達成した。その後は8月のヨークシャーオークスに出走するも、ミッデイに3馬身及ばず2着に敗れた。
続いて9月のセントレジャーステークスに出走。牝馬の挑戦は2008年のUnsung Heroine(2着)、Look Here(3着)以来となるが4着と敗れた。


スノーフェアリー エリザベス女王杯表彰式

その後、陣営はボーナスを目指し、エリザベス女王杯、ジャパンカップ等に登録、日本に渡る。11月14日のエリザベス女王杯ではライアン・ムーアが騎乗し、4コーナー出口で馬群が外にバラけたところを内から一気に突き抜け、2着の京都巧者メイショウベルーガに4馬身差をつける圧勝。
なお、ジャパンカップは馬体の回復が思わしくないため、回避することとなった。その後香港へ遠征し、12月12日に行われた香港カップでは後方2番手から直線に入ると一気に豪脚を発揮しIrianをわずかにかわして勝利した。
これらの活躍により2010年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬を受賞した。
2011年、当初はドバイワールドミーティングで始動する予定であったが軽い脚部不安が発生し回避し、6月25日にカラで行なわれたG1プリティーポリーステークスにエントリーしたが直前の荒天で馬場が悪化したため出走を取り消した[3]。翌週7月2日のエクリプスステークスに出走することになったが、ソーユーシンクの4着に敗れた。続いてナッソーステークスに出走するも、ミッデイに2馬身及ばず2着に敗れた。アイリッシュチャンピオンステークスでは中団から追い上げたがソーユーシンクの2着。10月2日の凱旋門賞では後方から鋭い脚を使い伸びてきたが伏兵デインドリームの3着、10月15日のチャンピオンステークスではシリュスデゼーグルの3着に敗れた。

スノーフェアリー 競走成績
出走日	競馬場	競走名	格	距離	馬場	着順	騎手	着差	1着(2着)馬
2009.	6.	23	ニューベリー	メイドン		芝6f8y	堅良	3着	D.オドノヒュー	2馬身1/2	Lady Pattern
7.	8	リングフィールド	メイドン		AW6f	良	1着	K.ミルチャレック	3馬身1/2	(Baby Dottie)
8.	1	ニューマーケット	牝馬2歳		芝6F	良	2着	A.カービー	頭	She's Ok
8.	8	ニューマーケット	スウィートソレラS	G3	芝6f	良	4着	J.クロウリー	3馬身1/4	Long Lashes
8.	29	グッドウッド	プレスティージS	G3	芝7f	良	3着	S.ホウリー	短首	Sent From Heaven
10.	24	ニューベリー	ラドリーS	準重	芝7F	重	9着	P.スマレン	19 1/2馬身	Electric Feel
2010	5.	19	グッドウッド	ハイトオブファッションS	準重	芝9f192y	良	1着	E.アハーン	3馬身	(Pipette)
6.	4	エプソム	英オークス	G1	芝12f10y	良	1着	R.ムーア	クビ	(Meezanah)
7.	18	カラ	愛オークス	G1	芝12f	稍重	1着	R.ムーア	8馬身	(Miss Jean Brodie)
8.	19	ヨーク	ヨークシャーオークス	G1	芝12f	良	2着	R.ヒューズ	3馬身	Midday
9.	11	ドンカスター	セントレジャー	G1	芝14f132y	良	4着	E.アハーン	3馬身	Arctic Cosmos
11.	14	京都	エリザベス女王杯	GI	芝2200m	良	1着	R.ムーア	4馬身	(メイショウベルーガ)
12.	12	沙田	香港C	G1	芝2000m	良	1着	R.ムーア	クビ	(Irian)
2011	6.	25	カラ	プリティーポリーS	G1	芝10f	重	取消	R.ムーア	-	Misty for Me
7.	2	サンダウン	エクリプスS	G1	芝10f7y	良	4着	J.ムルタ	9馬身	So You Think
7.	30	グッドウッド	ナッソーS	G1	芝9f192y	堅良	2着	L.デットーリ	2馬身	Midday

スノーフェアリー 血統表
スノーフェアリーの血統 (ロベルト系/Roberto 15.63% 3 x 5, Northern Dancer 6.25% 5 x 5, In Reality 6.25% 5 x 5)
父

Intikhab
1994 鹿毛	Red Ransom
1987 鹿毛	Roberto	Hail to Reason
Bramalea
*アラビアII	Damascus
Christmas Wind
Crafty Example
1987 鹿毛	Crafty Prospector	Mr.Prospector
Real Crafty Lady
Zienelle	Danzig
Past Example
母

Woodland Dream
2002 黒鹿毛	Charnwood Forest
1992 黒鹿毛	*ウォーニング	Known Fact
Slightly Dangerous
Dance of Leaves	Sadler's Wells
Fall Aspen
Fantasy Girl
1992 黒鹿毛	Marju	*ラストタイクーン
Flame of Tara
Persian Fantasy	Persian Bold
Gay Fantasy

エリザベス女王杯

エリザベス女王杯

開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月13日
施行時期	11月上旬 - 中旬
(原則5回京都4日目)
格付け	GI
1着賞金	9000万円
賞金総額	1億7200万円
距離	芝・外2200m
出走条件	サラブレッド系3歳以上牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳54kg、4歳以上56kg)
第1回施行日	1976年11月21日

エリザベス女王杯(エリザベスじょおうはい)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝・外回り2200mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。略称は「女王杯」「エリ女」など。
正賞はエリザベス女王杯、京都府知事賞、日本馬主協会連合会長賞。

エリザベス女王杯 概要

前身の「ビクトリアカップ」は牝馬の菊花賞に位置付けられるものとして1970年から行われていたが1975年にエリザベス女王が来日したことを記念し、翌1976年に新たに「エリザベス女王杯」が創設されてビクトリアカップは廃止された。
競走名の改称が行われた場合は通常施行回数は引き継がれるがエリザベス女王杯は事実上は改称ながら形式としては新設の競走とされたため、1976年のエリザベス女王杯が「第1回」となっている。
(実質は改称だが施行回数がリセットされた例はほかにはペガサスステークス→アーリントンカップがある)。
1995年の第20回までは京都競馬場の芝2400mで施行され牝馬三冠レースの最終戦であった。ただし桜花賞・優駿牝馬(オークス)とは違い英国競馬のクラシック競走に範を取った競走ではないため、クラシック競走には位置付けられていない(これは秋華賞も同様である)。
1996年、秋華賞の新設に伴い芝2400mから芝2200mに距離が短縮されると共に古馬牝馬も出走が可能になり、これまで古馬になると牡馬と戦うしかなかった牝馬最大の目標の1つとして定着、3歳牝馬三冠路線組も合わせ牝馬の一線級が一堂に会する競走となった。また1995年以降JRAの方針によりGI競走が地方馬にも開放され秋華賞・京都大賞典・府中牝馬ステークスのいずれか2着以内の地方馬には出走資格が与えられることになり、更に1999年からは外国馬も出走可能となり、2008年からはジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定されている。
なお2006年には春季に古馬牝馬限定のGI競走としてヴィクトリアマイルが新設されたため、春秋それぞれに古馬牝馬が出走可能な牝馬限定GI競走が存在することとなった。
出走資格はサラブレッド系3歳(旧4歳)以上牝馬のJRA所属の競走馬、JRAのGI競走、指定された海外国際G1競走、地方競馬のダート交流GI競走優勝馬(2歳限定戦を除く)、及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は定量で3歳54kg、4歳以上56kgである。
2011年度現在の総額賞金は1億7200万円で1着賞金9000万円、2着賞金3600万円、3着賞金2300万円、4着賞金1400万円、5着賞金900万円と定められている。

エリザベス女王杯 外国馬の優先出走権

2009年5月の改定にて、その年のオペラ賞(フランス・ロンシャン競馬場)を優勝した外国馬には当競走への優先出走権が付与されることとなった[1]。
優先出走権使用馬
2009年 - シャラナヤ

エリザベス女王杯 褒賞金制度 

ジャパン・オータムインターナショナルシリーズとなった2008年より、指定の海外競走に優勝した競走馬がその年の当競走に出走し優勝した場合には優勝賞金に加え褒賞金を交付している。また2009年5月の改定で範囲が拡大され、3着までに入着した場合にも褒賞金が交付されることとなった[1]。
指定競走・金額は以下の通り。イギリスオークス・ディアヌ賞・アイリッシュオークスは3歳馬によるレースでそれ以外は古馬混合レースである。
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	指定年	褒賞金
イギリスオークス	G1	エプソム	芝12f10y	2008年 -	
1着:6300万円[2]
2着:2500万円[3]
3着:1600万円[4]
フランスオークス	G1	シャンティイ	芝2100m
アイリッシュオークス	G1	カラ	芝12f
ナッソーステークス	G1	グッドウッド	芝9f192y
ヨークシャーオークス	G1	ヨーク	芝12f
ヴェルメイユ賞	G1	ロンシャン	芝2400m
オペラ賞	G1	ロンシャン	芝2000m
アイルランドプリティーポリーステークス	G1	カラ	芝10f
ビヴァリーD・ステークス	G1	アーリントンパーク	芝9.5f
フラワーボウルインビテーショナルステークス	G1	ベルモントパーク	芝10f
褒賞金獲得馬
回数	調教国・出走馬	当競走着順	指定競走結果
第35回	スノーフェアリー	1着	イギリスオークス1着、アイリッシュオークス1着

エリザベス女王杯 歴史

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)牝馬限定競走時代 
1976年
京都競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牝馬限定の重賞競走「エリザベス女王杯」として創設(創設当初の負担斤量は55kg)。
牝馬二冠馬のテイタニヤが4着に敗れる。
1979年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝2400mで施行。
1984年
グレード制施行によりGIに格付け。
当競走で史上最多の21頭が出走。
1986年 - メジロラモーヌが本競走を勝利し、史上初の牝馬三冠を達成。
1987年
菊花賞と開催週を交換。
牝馬二冠馬のマックスビューティが2着に敗れる。
1989年 - 岸滋彦騎乗のサンドピアリスが20頭中20番人気で勝利し、単勝払い戻し43060円を記録(グレード制施行後のGI最高単勝配当記録)。
1993年 - 牝馬二冠馬のベガが3着に敗れる。

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)以上牝馬競走時代
1996年
秋華賞の創設により、出走資格が「4歳(現3歳)牝馬」から「4歳(現3歳)以上牝馬」に変更(5歳(現4歳)以上の負担斤量は56kgに設定)。
4歳(現3歳)の負担斤量が55kgから54kgに変更。
施行距離を現在の芝・外回り2200mに変更。
1着賞金が8900万円から1億円に増額。
2位入線のヒシアマゾンが進路妨害により7着に降着。
1999年
国際競走に指定。
メジロドーベルが史上初の連覇を達成。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上牝馬」から「3歳以上牝馬」に変更。
2003年 - 外国調教馬(アナマリー、タイガーテイル)が当競走に初めて出走。
2004年 - アドマイヤグルーヴが史上2頭目の連覇を達成。
2006年
1着賞金が9000万円に減額(ヴィクトリアマイルと同額)。
1位入線のカワカミプリンセスが進路妨害により12着に降着(降着制度施行後のGIでは1991年天皇賞(秋)のメジロマックイーン以来2度目の1位入線馬の降着)。
2008年
ジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定。
クリストフ・ルメールが外国人騎手として史上初の優勝。
ポルトフィーノがスタート直後に落馬・競走中止し、そのままカラ馬のままで先頭でゴール。GI競走でカラ馬が先頭でゴールしたのは史上初。
2010年
イギリスのスノーフェアリーが外国調教馬として史上初の優勝[5]。
ライアン・ムーアが外国人騎手として2人目の優勝。
エリザベス女王杯 歴代優勝馬

国際競走となった1999年以降は優勝馬の国旗を表記する。馬齢は国際馬齢表記による。

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)牝馬限定競走時代

回数	施行日	調教国・優勝馬	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1976年11月21日	ディアマンテ	2:28.5	松田幸春	稲葉幸夫	佐藤弘嘉
第2回	1977年11月20日	インターグロリア	2:28.7	福永洋一	柳田次男	松岡正雄
第3回	1978年11月19日	リードスワロー	2:29.1	武邦彦	服部正利	熊本芳雄
第4回	1979年11月18日	ミスカブラヤ	2:32.6	岡部幸雄	西塚十勝	(有)鏑矢
第5回	1980年11月16日	ハギノトップレディ	2:27.9	伊藤清章	伊藤修司	日隈広吉
第6回	1981年11月15日	アグネステスコ	2:28.1	西浦勝一	久保道雄	渡辺孝男
第7回	1982年11月21日	ビクトリアクラウン	2:29.2	嶋田功	稲葉幸夫	飯田正
第8回	1983年11月20日	ロンググレイス	2:30.1	河内洋	小林稔	中井長一
第9回	1984年11月4日	キョウワサンダー	2:28.4	樋口弘	吉岡八郎	浅川吉男
第10回	1985年11月3日	リワードウイング	2:26.8	内田国夫	鶴留明雄	宮崎忠比古
第11回	1986年11月2日	メジロラモーヌ	2:29.1	河内洋	奥平真治	(有)メジロ牧場
第12回	1987年11月15日	タレンティドガール	2:29.3	蛯沢誠治	栗田博憲	飯田政子
第13回	1988年11月13日	ミヤマポピー	2:27.2	松田幸春	松田由太郎	大宮良吾
第14回	1989年11月12日	サンドピアリス	2:28.8	岸滋彦	吉永忍	(株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第15回	1990年11月11日	キョウエイタップ	2:25.5	横山典弘	稗田研二	松岡正雄
第16回	1991年11月10日	リンデンリリー	2:29.6	岡潤一郎	野元昭	林田秋利
第17回	1992年11月15日	タケノベルベット	2:27.1	藤田伸二	小林稔	武岡大佶
第18回	1993年11月14日	ホクトベガ	2:24.9	加藤和宏	中野隆良	金森森商事(株)
第19回	1994年11月13日	ヒシアマゾン	2:24.3	中舘英二	中野隆良	阿部雅一郎
第20回	1995年11月12日	サクラキャンドル	2:27.2	小島太	境勝太郎	(株)さくらコマース

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)以上牝馬競走時代 
回数	施行日	調教国・優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第21回	1996年11月10日	ダンスパートナー	牝4	2:14.3	四位洋文	白井寿昭	吉田勝己
第22回	1997年11月9日	エリモシック	牝4	2:12.5	的場均	沖芳夫	山本慎一
第23回	1998年11月15日	メジロドーベル	牝4	2:12.8	吉田豊	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第24回	1999年11月14日	メジロドーベル	牝5	2:13.5	吉田豊	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第25回	2000年11月12日	ファレノプシス	牝5	2:12.8	松永幹夫	浜田光正	(有)ノースヒルズマネジメント
第26回	2001年11月11日	トゥザヴィクトリー	牝5	2:11.2	武豊	池江泰郎	金子真人
第27回	2002年11月10日	ファインモーション	牝3	2:13.2	武豊	伊藤雄二	伏木田達男
第28回	2003年11月16日	アドマイヤグルーヴ	牝3	2:11.8	武豊	橋田満	近藤利一
第29回	2004年11月14日	アドマイヤグルーヴ	牝4	2:13.6	武豊	橋田満	近藤利一
第30回	2005年11月13日	スイープトウショウ	牝4	2:12.5	池添謙一	鶴留明雄	トウショウ産業(株)
第31回	2006年11月12日	フサイチパンドラ[6]	牝3	2:11.6	福永祐一	白井寿昭	関口房朗
第32回	2007年11月11日	ダイワスカーレット	牝3	2:11.9	安藤勝己	松田国英	大城敬三
第33回	2008年11月16日	リトルアマポーラ	牝3	2:12.1	C.ルメール	長浜博之	(有)社台レースホース
第34回	2009年11月15日	クィーンスプマンテ	牝5	2:13.6	田中博康	小島茂之	(株)グリーンファーム
第35回	2010年11月14日	スノーフェアリー	牝3	2:12.5	R.ムーア	E.ダンロップ	アナモイン社

エリザベス女王杯の記録
レースレコード - 2:11.2(第26回優勝馬 トゥザヴィクトリー)
2着との最大着差 - 4馬身(第35回優勝馬 スノーフェアリー)
同一馬による連覇 - 2
メジロドーベル - 第23、24回
アドマイヤグルーヴ - 第28、29回
同一騎手による連続優勝 - 4(第26~29回 武豊。同競走の最多勝利騎手でもある)
外国人騎手による優勝 - クリストフ・ルメール(第33回優勝馬 リトルアマポーラ)、ライアン・ムーア(第35回優勝馬 スノーフェアリー)

みやこステークス

みやこステークス

開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月6日
施行時期	11月上旬
(原則5回京都2日目)
格付け	GIII
1着賞金	3800万円
賞金総額	7200万円
距離	ダート1800m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	2010年11月7日(重賞格上)
特記	2010年度より施行
前身競走は、「トパーズステークス」

みやこステークスは京都競馬場のダート1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。
正賞は地方競馬全国協会理事長賞。競走名は中央政府の所在地を表す「みやこ」が長らく京都にあったことに由来。
みやこステークス 概要
12月に阪神競馬場で行われるジャパンカップダートへ向けた中央競馬でのステップレースは東京競馬場で開催される武蔵野ステークス及びダートグレード競走のJBCクラシックがあったが、関西圏ではステップとなる重賞競走がなかった。
このため2010年から「ジャパンカップダートへのステップ競走の充実」を目的に2009年まで京都競馬場で開催されていた「トパーズステークス」(オープン特別競走)を重賞に格上げする形で誕生したのが当競走である。
本来であれば規定により新設された重賞競走については新設から2年間はグレードの格付けはされないが(レパードステークスを参照)、本競走は「トパーズステークス」を重賞競走に格上げし競走名を変更した競走と位置づけられ「日本グレード格付け管理要綱」が定める格付け基準を満たしていると判断されたため、新設初年度からGIIIに格付けされた。
施行する競馬場こそ異なるが距離が同じであるため、ジャパンカップダートを目指す関西圏の有力馬が出走し、第1回の優勝馬が早くも同レースを制覇している。
出走資格はサラブレッド系3歳以上のJRA所属馬、地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は3歳54kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は3kg増。
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増。
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増。
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増。
施行日当日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増。
2011年度現在の総額賞金は7,200万円で、1着賞金3,800万円、2着賞金1,500万円、3着賞金950万円、4着賞金570万円、5着賞金380万円と定められている。

みやこステークス 歴史

1983年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬によるオープン特別競走として、トパーズステークスが京都競馬場・芝外回り1400mで施行。
1984年 - 施行距離を芝内回り2000mに変更。
1997年
施行距離をダート1800mに変更。
プレミアムサンダーが日本レコード(当時)となる1:48.4のタイムで勝利。
2010年 - 3歳以上の競走馬による別定の国際競走・指定交流競走の重賞(GIII)競走「みやこステークス」として昇格、京都競馬場・ダート1800mで施行。

みやこステークス 歴代優勝馬
トパーズステークス 
※馬齢標記は現行の標記で統一する。
施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師
1983年11月12日	ニホンピロウイナー	牡3	1:22.6	河内洋	服部正利
1984年11月25日	ロングレザー	牝3	2:04.6	河内洋	長浜彦三郎
1985年11月24日	ロイヤルコスマー	牝3	2:05.2	田原成貴	浅見国一
1986年11月23日	スズタカヒーロー	牡4	2:01.7	丸山勝秀	坂口正大
1987年11月29日	ハシケンエルド	牡4	2:02.5	松本達也	中尾正
1988年11月27日	ハッピースズラン	牝3	2:02.1	田原成貴	湯浅三郎
1989年11月26日	マロングラッセ	牝5	2:00.8	岡潤一郎	庄野穂積
1990年11月25日	ダイユウサク	牡5	2:00.1	熊沢重文	内藤繁春
1991年11月24日	ラッキーゲラン	牡5	2:06.4	内田浩一	池江泰郎
1992年11月29日	オースミロッチ	牡5	2:00.3	松本達也	中尾正
1993年11月28日	トーワナゴン	牝4	2:00.8	小谷内秀夫	佐山優
1994年11月27日	タマモハイウェイ	牡4	1:59.6	四位洋文	吉永忍
1995年11月26日	ユウトウセイ	牡5	2:00.9	塩村克己	田中章博
1996年11月24日	ユウトウセイ	牡6	2:00.4	塩村克己	田中章博
1997年11月15日	プレミアムサンダー	牡3	1:48.4	武豊	大沢真
1998年11月21日	オースミジェット	牡4	1:50.5	四位洋文	白井寿昭
1999年11月20日	ワールドクリーク	牡4	1:51.6	加藤和宏	新井仁
2000年11月18日	ホクセツキング	騸4	1:50.2	秋山真一郎	坂田正行
2001年11月17日	タマモルビーキング	牡3	1:51.3	小林徹弥	川村禎彦
2002年11月16日	エアピエール	牡6	1:52.2	藤田伸二	田村康仁
2003年11月22日	タイムパラドックス	牡5	1:51.6	安藤勝己	松田博資
2004年11月20日	エンシェントヒル	牝3	1:50.7	生野賢一	松元茂樹
2005年11月19日	ベラージオ	牡6	1:50.3	松永幹夫	高市圭二
2006年11月18日	カフェオリンポス	牡5	1:50.9	四位洋文	松山康久
2007年11月17日	ロングプライド	牡3	1:51.3	武豊	小野幸治
2008年11月24日	エスポワールシチー	牡3	1:50.8	佐藤哲三	安達昭夫
2009年11月21日	シルクメビウス	牡3	1:49.6	田中博康	領家政蔵
創設当初から「オープン特別」として開催された。

みやこステークス 
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	2010年11月7日	 トランセンド	牡4	1:49.8	藤田伸二	安田隆行	前田幸治
本競走からのジャパンカップダート優勝馬 [編集]

みやこステークス創設年からジャパンカップダートの前哨戦として施行されるようになったが、1頭が同年のジャパンカップダートを制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第1回	トランセンド	牡4	1着

アルゼンチン共和国杯

第48回アルゼンチン共和国杯

開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月6日
施行時期	11月上旬
(原則5回東京2日目)
格付け	GII
1着賞金	5800万円
賞金総額	1億1050万円
距離	芝2500m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	ハンデキャップ
第1回施行日	1963年5月19日

アルゼンチン共和国杯(アルゼンチンきょうわこくはい)は、東京競馬場の芝2500mで施行する競馬の重賞(GII)競走。
公式の外語表記はCopa Republica Argentinaで中央競馬の重賞では唯一のスペイン語となっている。
正賞はアルゼンチン共和国社会福祉省賞。

アルゼンチン共和国杯 概要
1963年にアルゼンチンジョッキークラブカップ(略称:ARJC杯)として創設。当初は春季に施行されており、施行場・距離も創設時は東京競馬場の芝2300mだったがその後何度か変更され、1972年からは東京競馬場の芝2400mで定着した。
1975年にはアルゼンチンの競馬の主催が国に変更されたのに伴い、創設時の競走名から現競走名に改称され、1981年からは中山競馬場の芝2500mとなった。
1984年からは目黒記念(秋)の条件を引き継ぐ形で、施行時期が秋季の11月に移り施行場も再び東京競馬場に変更されるとともにGIIに格付けされた。
GIIながらハンデキャップ競走であり、また1997年以降は天皇賞(秋)の翌週に施行されていることもあって、天皇賞を除外された馬、または距離適性の関係から天皇賞に出走しなかった馬がこのレースへ回ってくることもしばしばある。GI級の有力馬の出走は少ないが、ジャパンカップ・有馬記念への出走を目指す馬や、平地重賞の最長距離となるステイヤーズステークスへ向かう馬が出走することが多い。2008年の優勝馬スクリーンヒーローは本競走をステップとして次のジャパンカップを制した。
国際競走ではあるが、国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、レースレーティングがGIIの基準を満たしていないため2007年から2年間、JpnII表記となっていたが、2009年よりGII表記となる。
出走資格はサラブレッド系3歳以上で、施行日当日過去1年前以降1週前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬と地方所属馬(2頭まで)、及び外国調教馬(9頭まで)。
2011年度現在の総額賞金は1億1050万円で、1着賞金:5800万円、2着賞金:2300万円、3着賞金:1500万円、4着賞金:870万円、5着賞金:580万円と定められている。

アルゼンチン共和国杯 歴史
1963年 - 東京競馬場の芝2300mの4歳(現3歳)以上の別定の重賞競走アルゼンチンジョッキークラブカップとして創設。
1964年 - 出走条件が4歳(現3歳)以上から5歳(現4歳)以上に変更。
1966年 - 施行距離を芝3200mに変更。
1968年 - 開催時期を10月に変更。
1969年
施行距離を芝2600mに変更。
開催時期を5月に戻す。
1970年 - 施行場を中山競馬場の芝2500mに変更。
1972年
混合競走に指定。
流行性の馬インフルエンザの影響で6月に順延開催。
施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
1975年 - 競走名を現在の「アルゼンチン共和国杯」に変更。
1977年
アイフルが史上初の連覇。
嶋田功が騎手として史上初の連覇。
仲住芳雄が調教師として史上初の連覇。
1981年
開催時期を3月末から4月上旬に変更。
施行場を中山競馬場の芝2500mに変更。
1983年
ミナガワマンナが史上2頭目の連覇。
仲住芳雄が調教師として2度目の連覇。
1984年
グレード制の施行によりGIIに格付け。
施行場を東京競馬場の芝2500mに変更。
開催時期を現在の11月に変更。それに伴い、出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
混合競走から除外。
1989年 - 郷原洋行が騎手として2人目の連覇。
1990年 - 混合競走に再び指定。
1991年 - 横山典弘が騎手として3人目の連覇。
1993年
施行日が土曜日に変更となる。
藤田伸二が騎手として4人目の連覇。
1998年
日本・アルゼンチン修好100周年記念の副称が当年のみ付く。
特別指定交流競走に指定され、地方馬が2頭まで出走可能となる。
2000年 - 施行日が日曜日に戻る。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2002年 - 東京競馬場の改修工事による振替開催により中山競馬場の芝2500mで施行。
2005年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬が5頭まで出走可能となる。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2009年
重賞格付け表記をGIIに戻す。
外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
2010年 - アルゼンチン共和国建国200周年記念の副称が当年のみ付く。

アルゼンチン共和国杯 歴代優勝馬
国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数	施行日	優勝馬	タイム 	性齢	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1963年5月19日	エムローン	2:23.9	牡5	加賀武見	高木良三	久保田かつ
第2回	1964年5月17日	トースト	2:22.0	牝5	保田隆芳	尾形藤吉	永田雅一
第3回	1965年5月16日	トサイサミ	2:24.5	牡4	伊藤竹男	稗田敏男	斎藤ジョウ
第4回	1966年5月15日	コレヒデ	3:24.8	牡4	保田隆芳	尾形藤吉	千明康
第5回	1967年5月5日	リコウ	3:23.0	牡5	加賀武見	小西喜蔵	鈴木富喜子
第6回	1968年10月13日	スピードシンボリ	3:23.6	牡5	野平祐二	野平省三	和田共弘
第7回	1969年5月11日	メジロタイヨウ	2:43.7	牡5	横山富雄	八木沢勝美	北野豊吉
第8回	1970年5月5日	マツセダン	2:34.8	牡4	星野信幸	橋本輝雄	松岡冨治
第9回	1971年5月9日	メジロアサマ	2:38.0	牡5	池上昌弘	保田隆芳	北野豊吉
第10回	1972年6月11日	ゼンマツ	2:27.0	牡4	吉永正人	松山吉三郎	癸生川ヨシ
第11回	1973年5月13日	クリイワイ	2:27.4	牡4	柴田政人	大久保勝之	栗林友二
第12回	1974年5月12日	トーヨーアサヒ	2:28.2	牡5	小島太	古山良司	(有)トーヨークラブ
第13回	1975年5月11日	キクノオー	2:27.6	牡4	横山富雄	山岡寿恵次	田中伊三郎
第14回	1976年5月16日	アイフル	2:27.7	牡5	嶋田功	仲住芳雄	藤本義昭
第15回	1977年5月15日	アイフル	2:34.4	牡6	嶋田功	仲住芳雄	藤本義昭
第16回	1978年5月14日	カネミノブ	2:27.8	牡4	加賀武見	阿部新生	金指利明
第17回	1979年5月13日	カネミカサ	2:28.1	牡5	蛯沢誠治	成宮明光	畠山伊公子
第18回	1980年5月11日	ブルーマックス	2:29.8	牡5	東信二	境勝太郎	角隆司
第19回	1981年3月29日	ウエスタンジェット	2:35.2	牡4	柴田政人	柴田欣也	西川商事(株)
第20回	1982年4月4日	ミナガワマンナ	2:35.4	牡4	菅原泰夫	仲住芳雄	寺内倉蔵
第21回	1983年4月3日	ミナガワマンナ	2:36.9	牡5	郷原洋行	仲住芳雄	寺内倉蔵
第22回	1984年11月18日	メジロシートン	2:35.8	牡3	的場均	大久保洋吉	(有)メジロ牧場
第23回	1985年11月17日	イナノラバージョン	2:36.4	牡8	嶋田功	矢野照正	石井亀吉
第24回	1986年11月16日	サクラサニーオー	2:35.9	牡4	小島太	境勝太郎	(株)さくらコマース
第25回	1987年11月22日	カシマウイング	2:32.8	牡4	的場均	飯塚好次	松浦安雄
第26回	1988年11月20日	レジェンドテイオー	2:38.1	牡5	郷原洋行	田村駿仁	(有)貞文
第27回	1989年11月19日	クリロータリー	2:33.5	牝5	郷原洋行	吉野勇	栗林英雄
第28回	1990年11月18日	メジロモントレー	2:32.9	牝4	横山典弘	奥平真治	(有)メジロ牧場
第29回	1991年11月17日	ヤマニングローバル	2:32.6	牡4	横山典弘	浅見国一	土井宏二
第30回	1992年11月22日	ミナミノアカリ	2:33.5	牡4	藤田伸二	庄野穂積	岩谷包美
第31回	1993年11月20日	ムッシュシェクル	2:32.6	牡5	藤田伸二	小林稔	藤立啓一
第32回	1994年11月19日	マチカネアレグロ	2:31.3	牡3	河内洋	浅見秀一	細川益男
第33回	1995年11月18日	ゴーゴーゼット	2:31.3	牡4	村本善之	新井仁	林儀信
第34回	1996年11月16日	エルウェーウィン	2:31.8	牡6	南井克巳	坪憲章	雑古隆夫
第35回	1997年11月1日	タイキエルドラド	2:32.2	牡3	岡部幸雄	藤沢和雄	(有)大樹ファーム
第36回	1998年11月7日	ユーセイトップラン	2:32.9	牡5	佐藤哲三	音無秀孝	(有)アサヒクラブ
第37回	1999年11月6日	マーベラスタイマー	2:32.0	牡5	的場均	矢野照正	笹原貞生
第38回	2000年11月5日	マチカネキンノホシ	2:33.9	牡4	岡部幸雄	藤沢和雄	細川益男
第39回	2001年11月4日	トウカイオーザ	2:32.0	牡4	蛯名正義	松元省一	内村正則
第40回	2002年11月3日	サンライズジェガー	2:30.6	牡4	岡部幸雄	福永甲	(株)松岡
第41回	2003年11月9日	アクティブバイオ	2:31.9	牡6	武幸四郎	崎山博樹	バイオ(株)
第42回	2004年11月7日	レニングラード	2:33.8	牡5	横山典弘	音無秀孝	近藤英子
第43回	2005年11月6日	 サクラセンチュリー	2:32.4	牡5	佐藤哲三	佐々木晶三	(株)さくらコマース
第44回	2006年11月5日	 トウショウナイト	2:31.0	牡5	武士沢友治	保田一隆	藤田衛成
第45回	2007年11月4日	 アドマイヤジュピタ	2:30.9	牡4	村田一誠	友道康夫	近藤利一
第46回	2008年11月9日	 スクリーンヒーロー	2:30.8	牡4	蛯名正義	鹿戸雄一	吉田照哉
第47回	2009年11月8日	 ミヤビランベリ	2:30.9	牡6	吉田隼人	加藤敬二	村上義勝
第48回	2010年11月7日	 トーセンジョーダン	2:30.0	牡4	三浦皇成	池江泰寿	島川隆哉

ファンタジーステークス

ファンタジーステークス
開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月5日
施行時期	11月上旬
(原則5回京都1日目)
格付け	GIII
1着賞金	3000万円
賞金総額	5700万円
距離	芝・外1400m
出走条件	サラブレッド系2歳牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	馬齢(54kg)
第1回施行日	1996年11月2日

ファンタジーステークス (Fantasy Stakes) は、京都競馬場の芝外回り1400mで施行する競馬の重賞(GIII)競走。
競走名は英語で「幻想」「空想」を表す「Fantasy」から。
1月に施行される3歳(旧4歳)牝馬限定オープン特別競走である紅梅賞(現紅梅ステークス)からKBS京都の冠競走を引き継いでおり、正式名称は「KBS京都賞 ファンタジーステークス」と表記される。

ファンタジーステークス 概要
1996年に阪神3歳牝馬ステークス(現:阪神ジュベナイルフィリーズ)の前哨戦の位置付けとして新設された。
中央競馬では独立UHF局が冠競走となっている唯一の重賞である。KBS京都は1969年のアナログテレビ放送開始以来、自社制作の競馬中継番組を西日本各地にネットしており、放送対象区域外である中京・阪神・小倉にもスタッフを派遣している。また、日曜日のKBS京都の競馬中継は通常は15時 - 16時まで中断するが(この時間帯は関西テレビが中継)、本競走が日曜開催であった2000年から2009年までは、KBS京都に限り中断なしで本競走が放送された。
おもに早い時期から好成績を残してきた有力2歳牝馬が出走している。優勝馬のうち、プリモディーネが桜花賞、ラインクラフトが桜花賞、NHKマイルカップを、スイープトウショウが秋華賞、宝塚記念、エリザベス女王杯を優勝したほか、ロンドンブリッジが桜花賞で2着に入るなど、牝馬三冠路線で活躍する競走馬や、アストンマーチャンのように3歳ながらもスプリンターズステークスで古馬や牡馬を負かす競走馬も輩出している。
現在の優勝レイの配色は、薄紫色の地に黄色文字となっている。
出走資格はサラ系2歳(旧3歳)牝馬のJRA所属馬、阪神ジュベナイルフィリーズ出走候補の地方馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は馬齢重量で54kgである。
2011年現在の総額賞金は5,700万円で、1着賞金:3,000万円、2着賞金:1,200万円、3着賞金:750万円、4着賞金:450万円、5着賞金:300万円と定められている。

ファンタジーステークス 歴史
1996年 - 京都競馬場の芝外回り1400mの3歳(現2歳)牝馬限定の混合競走・指定競走の馬齢重量の重賞(GIII)競走「ファンタジーステークス」として創設(地方馬の出走枠は2頭まで)。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「3歳牝馬」から「2歳牝馬」に変更。
2006年 - 武豊が騎手として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2008年 - 元地方ホッカイドウ所属のイナズマアマリリスがJRA転厩馬として史上初の優勝。
2010年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
施行日を日曜日から土曜日に変更。
2012年 - アルテミスステークス創設に伴い、開催時期を1週遅める。

ファンタジーステークス 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1996年11月2日	シーズプリンセス	牝2	1:21.2	四位洋文	伊藤修司	齊藤敬
第2回	1997年11月1日	ロンドンブリッジ	牝2	1:21.2	松永幹夫	中尾謙太郎	(有)下河辺牧場
第3回	1998年11月7日	プリモディーネ	牝2	1:21.7	福永祐一	西橋豊治	伊達秀和
第4回	1999年11月6日	テネシーガール	牝2	1:22.1	山田和広	坪正直	平井豊光
第5回	2000年11月5日	タシロスプリング	牝2	1:21.3	池添謙一	鶴留明雄	(有)日進牧場
第6回	2001年11月4日	キタサンヒボタン	牝2	1:22.6	須貝尚介	須貝彦三	大野商事
第7回	2002年11月3日	ピースオブワールド	牝2	1:22.2	福永祐一	坂口正大	飯田正
第8回	2003年11月9日	スイープトウショウ	牝2	1:22.6	角田晃一	渡辺栄	トウショウ産業(株)
第9回	2004年11月7日	ラインクラフト	牝2	1:21.6	福永祐一	瀬戸口勉	大澤繁昌
第10回	2005年11月6日	アルーリングボイス	牝2	1:21.4	武豊	野村彰彦	(有)サンデーレーシング
第11回	2006年11月5日	アストンマーチャン	牝2	1:20.3	武豊	石坂正	戸佐眞弓
第12回	2007年11月4日	オディール	牝2	1:21.1	安藤勝己	橋口弘次郎	(有)ノースヒルズマネジメント
第13回	2008年11月9日	イナズマアマリリス	牝2	1:23.7	池添謙一	松元茂樹	小泉賢悟
第14回	2009年11月8日	タガノエリザベート	牝2	1:21.2	川田将雅	松田博資	八木昌司
第15回	2010年11月6日	マルモセーラ	牝2	1:22.3	田中健	木原一良	まるも組合

ファンタジーステークスからの阪神ジュベナイルフィリーズ優勝馬
過去に3頭の優勝馬を輩出している。また3頭とも阪神ジュベナイルフィリーズ(アインブライドは阪神3歳牝馬ステークス)優勝後は勝利することなく引退している。
回数	馬名	性齢	着順	備考
第2回	アインブライド	牝2	7着	
第6回	タムロチェリー	牝2	10着	
第7回	ピースオブワールド	牝2	1着

ディープインパクトの凱旋門賞

ディープインパクトの凱旋門賞
ディープインパクトは、凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年7月2日にマイクロチップが埋め込まれた[27]。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。
ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した[27]。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。
10月1 日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか[30]、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた[31]。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。
レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進め、ゴールから300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている[33]。そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している[36]。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭[注 10]に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている

ディープインパクト 三冠達成、有馬記念での初黒星

ディープインパクト 三冠達成、有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し[19]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[20]。放牧に出されずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[19]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた[20]。
秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。


ディープインパクト2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞
そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた[21]。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。この単勝支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位[注 5]、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった[注 6]。レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かったため、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線では先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。


第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場にて撮影。ハーツクライの2着に敗れ、デビュー戦からの連勝記録が「7」で途絶える)
菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した[22]。事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆[23]が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している[24](レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。
2005年の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト デビュー前

ディープインパクト(Deep Impact、2002年3月25日 - )は日本の競走馬、種牡馬。

2008年にはJRA顕彰馬に選出された。
ディープインパクト デビュー前
ディープインパクト ノーザンファーム時代
ディープインパクトは2002年3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた。

ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと証言している。
0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。

馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目[注 3]の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた[2]。
ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した[3]。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。
場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった[4]。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと証言している。
1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた[3]。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した[5]。

その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった。
ディープインパクト 池江泰郎厩舎に入厩
ディープインパクトは2004年4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[7]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。

市川は初めてディープインパクトを見た時に馬体が小さい上にかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。
入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。

それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。

ソングオブウィンド

ソングオブウインド(英語表記Song of Wind、香港表記風之歌)とは、日本の競走馬・種牡馬である。2006年の菊花賞の優勝馬。馬名の由来は村上春樹の小説『風の歌を聴け』から。
クラブ法人「社台サラブレッドクラブ」が、一口馬主を募集した価格は2200万円(1口55万円×40口)。
ソングオブウインド 競走馬時代
2006年1月29日、京都競馬のダート1800メートルの新馬戦でデビュー。鞍上に武豊を迎え単勝1番人気に推されるも、2着に敗れる。その後勝ち切れないレースが続くが、5戦目の未勝利戦、4戦目から手綱を取った武幸四郎を鞍上に初勝利を挙げた。
初勝利のあと、初の芝レースで2着と好走し芝への適性を示し、次の夏木立賞で2勝目を挙げると、続く初重賞挑戦となったラジオNIKKEI賞 (GIII) では2着に入った。秋はダービーグランプリにも選出されたが、結局神戸新聞杯から始動、ドリームパスポート、メイショウサムソンに次ぐ3着に入り菊花賞への優先出走権を獲得する。
菊花賞では後方待機策から直線で一気に差し切り、重賞初制覇をGI勝利で飾った。このときのタイム3分2秒7は、京都競馬場芝3000メートルのコースレコードを0秒1、菊花賞レースレコードの3分3秒2(セイウンスカイ-1998年)を0秒5更新するものであった。2002年に死んだ父エルコンドルパサーはこの馬の世代が最後の世代であるため、最後のクラシック制覇のチャンスで初のGI産駒が誕生したことになる。
菊花賞後は香港ヴァーズに出走し、遠征などで体調があまりよくなかったものの4着に入った。レース翌日に右前肢の腱を負傷したと香港ジョッキークラブから発表されていたが、帰国後の12月22日に着地検査先でのエコー検査の結果、右前浅屈腱炎であったことが判明し、北海道に放牧に出されて休養。そのまま引退し種牡馬入りすることが決まった。
ソングオブウインド 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	人気	倍率	着順	距離	タイム	(上3F)	騎手	勝ち馬/(2着馬)
2006.	1.	29	京都	3歳新馬		1人	2.0	2着	ダ1800m(良)	1:54.5	(37.1)	武豊	シロキタベガ
2.	18	京都	3歳未勝利		1人	1.2	3着	ダ1800m(稍)	1:54.3	(38.1)	武豊	メイショウシフト
3.	12	阪神	3歳未勝利		1人	2.1	3着	ダ1800m(重)	1:56.4	(38.3)	武豊	パーフェクトラン
3.	26	阪神	3歳未勝利		1人	1.5	2着	ダ1400m(良)	1:27.0	(38.3)	武幸四郎	サミーデザート
4.	9	中山	3歳未勝利		1人	1.5	1着	ダ1800m(良)	1:57.7	(40.8)	武幸四郎	(ハタノスティング)
4.	29	京都	3歳500万下		5人	14.0	2着	芝1800m(良)	1:48.0	(33.8)	武幸四郎	ソリッドプラチナム
5.	13	東京	夏木立賞		2人	6.2	1着	芝2000m(良)	2:01.7	(34.7)	北村宏司	(サクラマジェスティ)
7.	2	福島	ラジオNIKKEI賞	GIII	2人	5.5	2着	芝1800m(重)	1:50.8	(37.3)	田中勝春	タマモサポート
9.	24	中京	神戸新聞杯	GII	6人	42.3	3着	芝2000m(良)	1:58.2	(35.4)	武幸四郎	ドリームパスポート
10.	22	京都	菊花賞	GI	8人	44.2	1着	芝3000m(良)	R3:02.7	(33.5)	武幸四郎	(ドリームパスポート)
12.	10	沙田	香港ヴァーズ	G1	2人		4着	芝2400m(良)	2:27.3		武幸四郎	Collier Hill
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
ソングオブウインド 種牡馬時代
2007年、当初社台スタリオンステーション荻伏で種牡馬となったが、種付け希望が多く社台スタリオンステーションに移動となった。その後7月13日には優駿スタリオンステーションへ移動した。初年度産駒の初勝利は中央競馬では2010年6月20日にコットンフィールド(メイクデビュー福島)が、地方競馬では2010年5月26日にモルフェソングエル(ホッカイドウ競馬のルーキーチャレンジ)が挙げている。
ソングオブウインド 代表産駒
2008年産
ライステラス(阪神ジュベナイルフィリーズ 3着、チューリップ賞 2着)

アサクサキングス

アサクサキングス(Asakusa Kings)の主な勝ち鞍は、2007年の菊花賞、きさらぎ賞、2009年の京都記念、阪神大賞典。

アサクサキングス2006年10月に鞍上に四位洋文を迎え東京競馬場でデビューした。新馬戦を2馬身差で勝利すると次走の条件戦の百日草特別(500万下)も乗り替りで騎乗した横山典弘で勝利した。そして再び鞍上を四位洋文にし、重賞のラジオNIKKEI杯2歳ステークスに出走したが、道中不利を受けフサイチホウオーの5着に敗れた。
アサクサキングス 2007年
2007年初戦に出走したきさらぎ賞では3番人気に推された。四位洋文が落馬負傷のため武幸四郎を鞍上に迎えレースに挑み、逃げ切りで重賞初制覇を果たした。
しかし、続く皐月賞では逃げるヴィクトリーなどを捕らえることができず、更には後続にも交わされ7着に敗れると、次走のNHKマイルカップでは11着に敗れた。
その後は東京優駿(日本ダービー)に出走した。2007年に入ってから手綱を取っていた武幸四郎がヒラボクロイヤルに騎乗するため、鞍上は福永祐一で挑戦した。人気は14番人気と評価は非常に低かったが、ヴィクトリーが少し出遅れたこともありスムーズに先頭に立ちそのまま直線に入り、最後はウオッカに交わされながらも2着に入った。
その後は宝塚記念に出走した。武幸四郎がカワカミプリンセスに、福永祐一はアドマイヤフジに騎乗するため松岡正海が騎乗した。しかし、レースでは不利もあり15着に敗れた。
秋は神戸新聞杯から始動。武幸四郎が落馬負傷のため鞍上は四位洋文に戻った。レースでは直線で一度先頭に立つが、大外からドリームジャーニーに差された。しかし2着に入り菊花賞の優先出走権を獲得した。
そして第68回菊花賞では、先頭集団の様子を伺う形で5番手あたりにつけると、直線に向いてからは粘るホクトスルタンを交わし、後ろから追い込んでくるアルナスラインとの激しい叩き合いを制し、JpnI初勝利を果たした。レース後は、10月25日にグリーンウッドへ1週間の短期放牧に出され、帰厩後はジャパンカップに向かう予定であったが、出走登録は行わず、12月23日の有馬記念‎を目標に調整していたが、12月6日に体調が整わないため出走回避が発表され、翌12月7日に山元トレーニングセンターへ放牧に出された。なお12月6日に有馬記念ファン投票の最終結果で8位となる5万2149票を獲得したことが発表された。
日本ダービー2着の実績があったことや、同年のNHKマイルカップと日本ダービーは牝馬が優勝したことで、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。

アサクサキングス 2008年
4歳になって初戦は大阪杯に出走し、直線でダイワスカーレットに並びかけるも、直後にそのダイワスカーレットと接触し、その後突き放され結果は3着だった。次走の天皇賞(春)では1番人気に支持されたがアドマイヤジュピタ、メイショウサムソンにかわされ3着に敗れた。
6月12日に第49回宝塚記念ファン投票の最終結果で3位となる5万856票を獲得したことが発表され、6月29日の宝塚記念に出走した。レースでは、最後の直線で左右にふらついたこともあって、5着に敗れた。しかも、これが原因でインティライミとメイショウサムソンに不利を与えてしまった。特にメイショウサムソンに至っては勝ち馬のエイシンデピュティにクビ差迫っていたこともあり、レース後にはメイショウサムソンに騎乗していた武豊が怒りを顕わにした。宝塚記念後は山元トレーニングセンターに放牧に出された。10月8日に栗東に帰厩し、シーズン後半緒戦は体調、仕上がりを考慮して決定されることとなった。考慮の結果、天皇賞(秋)に特別登録され、鞍上には新たに藤岡佑介を迎えることが決定した。そして初コンビで挑んだ天皇賞では8着に敗れた。その後、11月30日のジャパンカップではクリストフ・ルメールとのコンビで挑んだが、先行せず後ろからの競馬に回った結果8着に終わった。有馬記念では最下位14着に大敗した。

アサクサキングス 2009年
5歳になって初戦は京都記念に出走、外のサクラメガワンダーとの叩き合いを制し、2007年菊花賞以来の勝利を収めた。続く阪神大賞典では大逃げするテイエムプリキュアを直線で捕らえ、最後は内から伸びたヒカルカザブエとの叩き合いを制し連勝、重賞4勝目を挙げた。その後、5月3日の天皇賞(春)に出走、昨年同様1番人気に支持された。しかし、好位でレースを進め、直線外に持ち出すも伸びを欠いてマイネルキッツの9着に終わった。 秋初戦は天皇賞(秋)に出走、11番人気と評価を大きく落としていた。レースは終始後方からの競馬を余儀なくされ、まったく見せ場無く最下位の18着に大敗した。ジャパンカップも出走したが、いつもの先行策に出るも直線で失速、ここでも16着に大敗した。

アサクサキングス 2010年
6歳となり、緒戦は連覇がかかった阪神大賞典から始動。レースでは2番手で追走し、最後の直線で一旦先頭に立つも外から追い込んできたトウカイトリック、ジャミール、メイショウベルーガにかわされ4着に敗れた。このレース中に左前脚を打撲したため、天皇賞(春)を回避して長期休養に入った。

アサクサキングス 2011年
6月26日の宝塚記念で復帰、先団追走も直線で失速、最下位の16着に大敗した。レース後の6月29日、7月1日付で競走馬登録を抹消しブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入りが発表された。[1][2]

アサクサキングス 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤
量	距離(馬場)	タイム
(上3F)	着差	勝ち馬/(2着馬)
2006.	10.	15	東京	2歳新馬		12	5	5	4.4	(3人)	1着	四位洋文	55	芝1600m(良)	1:38.5(34.2)	-0.3	(モハチビスティー)
11.	4	東京	百日草特別		8	8	8	2.4	(1人)	1着	横山典弘	55	芝1800m(良)	1:47.5(34.5)	-0.1	(サンツェッペリン)
12.	23	阪神	ラジオNIKKEI杯2歳S	GIII	11	4	4	8.0	(4人)	5着	四位洋文	55	芝2000m(良)	2:02.5(35.1)	0.4	フサイチホウオー
2007.	2.	11	京都	きさらぎ賞	JpnIII	8	7	7	9.1	(3人)	1着	武幸四郎	56	芝1800m(良)	1:48.8(35.0)	-0.3	(ナムラマース)
4.	15	中山	皐月賞	JpnI	18	6	12	12.0	(6人)	7着	武幸四郎	57	芝2000m(良)	2:00.4(35.6)	0.5	ヴィクトリー
5.	6	東京	NHKマイルC	JpnI	18	1	1	6.8	(3人)	11着	武幸四郎	57	芝1600m(稍)	1:35.4(36.5)	1.1	ピンクカメオ
5.	27	東京	東京優駿	JpnI	18	8	16	84.5	(14人)	2着	福永祐一	57	芝2400m(良)	2:25.0(34.9)	0.5	ウオッカ
6.	24	阪神	宝塚記念	GI	18	7	15	55.5	(11人)	15着	松岡正海	53	芝2200m(稍)	2:17.3(41.4)	4.9	アドマイヤムーン
9.	23	阪神	神戸新聞杯	JpnII	15	7	13	18.2	(5人)	2着	四位洋文	56	芝2400m(良)	2:24.8(35.4)	0.1	ドリームジャーニー
10.	21	京都	菊花賞	JpnI	18	5	10	8.4	(4人)	1着	四位洋文	57	芝3000m(良)	3:05.1(35.8)	0.0	(アルナスライン)
2008.	4.	6	阪神	大阪杯	GII	11	6	6	12.4	(4人)	3着	四位洋文	59	芝2000m(良)	1:58.9(34.9)	0.2	ダイワスカーレット
5.	4	京都	天皇賞(春)	GI	14	8	13	3.6	(1人)	3着	四位洋文	58	芝3200m(良)	3:15.5(35.5)	0.4	アドマイヤジュピタ
6.	29	阪神	宝塚記念	GI	14	7	11	8.7	(4人)	5着	四位洋文	58	芝2200m(重)	2:15.7(37.5)	0.4	エイシンデピュティ
11.	2	東京	天皇賞(秋)	GI	17	1	1	21.2	(6人)	8着	藤岡佑介	58	芝2000m(良)	1:57.7(35.0)	0.5	ウオッカ
11.	30	東京	ジャパンC	GI	17	7	15	12.9	(6人)	8着	C.ルメール	57	芝2400m(良)	2:26.1(34.4)	0.6	スクリーンヒーロー
12.	28	中山	有馬記念	GI	14	7	12	29.5	(9人)	14着	四位洋文	57	芝2500m(良)	2:34.3(39.1)	2.8	ダイワスカーレット
2009.	2.	21	京都	京都記念	GII	12	6	9	8.9	(3人)	1着	四位洋文	58	芝2200m(良)	2:14.6(35.6)	0.0	(サクラメガワンダー)
3.	22	阪神	阪神大賞典	GII	12	6	7	3.7	(2人)	1着	四位洋文	58	芝3000m(重)	3:13.2(38.3)	0.0	(ヒカルカザブエ)
5.	3	京都	天皇賞(春)	GI	18	8	17	3.5	(1人)	9着	四位洋文	58	芝3200m(良)	3:15.3(35.8)	0.9	マイネルキッツ
11.	1	東京	天皇賞(秋)	GI	18	3	6	47.5	(11人)	18着	四位洋文	58	芝2000m(良)	1:59.3(34.5)	2.1	カンパニー
11.	29	東京	ジャパンC	GI	18	1	1	43.9	(10人)	16着	岩田康誠	57	芝2400m(良)	2:25.5(38.0)	3.1	ウオッカ
2010.	3.	21	阪神	阪神大賞典	GII	14	8	14	7.3	(6人)	4着	岩田康誠	58	芝3000m(良)	3:07.5(37.3)	0.2	トウカイトリック
2011.	6.	26	阪神	宝塚記念	GI	16	3	6	232.9	(15人)	16着	浜中俊	58	芝2200m(良)	2:14.4(39.0)	4.3	アーネストリー

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