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ラジオNIKKEI杯2歳ステークス

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス

開催地	阪神競馬場
施行日	2011年12月24日
施行時期	12月下旬
(原則5回阪神7日目)
格付け	GIII
1着賞金	3200万円
賞金総額	6100万円
距離	芝2000m
出走条件	サラブレッド系2歳(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	馬齢(55kg、牝馬54kg)
第1回施行日	1984年12月9日

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(ラジオにっけいはい2さいステークス)は、阪神競馬場の芝2000mで行われる中央競馬の重賞競走(GIII)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 概要
1984年のグレード制導入時に2歳(当時の馬齢表記では3歳なので競走名には3歳とつく)牡馬路線と牝馬路線の差別化のために関西地区の2歳牝馬限定マイル重賞、ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスとして、関東地区のテレビ東京賞3歳牝馬ステークス(現・フェアリーステークス)と共に開設。牝馬限定戦時代には1990年優勝馬イソノルーブルが翌年のオークスを制している。
1991年に関西地区の2歳GIとして定着していた阪神3歳ステークスが2歳牝馬限定GIの阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)に変更されると、舞台を芝2000mに移すと共に牡馬・騸馬の競走になる、名称もラジオたんぱ杯3歳ステークスに変更された。1993年からは混合競走に指定され、外国馬の出走が可能になり、1996年より特別指定交流競走として地方馬にも出走資格が与えられた。

また、2000年からは牝馬も出走可能な競走に変更されている。2010年からは国際競走となり、外国調教馬の出走も可能になった。
朝日杯フューチュリティステークスに間に合わなかった馬、あるいは翌年のクラシック路線へ向けて長めの距離の競走を使って行きたい馬や賞金を加算したい馬が多く出走するようになり、特に2000年は翌年の皐月賞を制するアグネスタキオン、東京優駿・ジャパンカップを制し年度代表馬となるジャングルポケット、NHKマイルカップ・ジャパンカップダートを制するクロフネの3頭で決着する非常にレベルの高いレースとなった。ほかにも優勝馬からはナリタタイシン、タヤスツヨシ、アドマイヤベガ、ザッツザプレンティ、ロジユニヴァース、ヴィクトワールピサなど多数のクラシックホースを生み出し、当競走と比較して距離が短く、枠順の不利が多い朝日杯フューチュリティステークスを回避しこの競走に出走する馬が増えるなど、朝日杯フューチュリティステークス優勝馬をしのぐ水準になることも多く、翌年のクラシック競走を占う重要なレースとして定着している。
この競走の優勝杯を寄贈している日本短波放送は2003年10月1日に社名を日経ラジオ社に変更し、翌2004年4月1日には局名をラジオたんぱからラジオNIKKEIに改称したが、2004年、2005年の競走名は旧局名のままであった。2006年よりラジオNIKKEI杯2歳ステークスに変更された(ラジオNIKKEI賞も同様)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 出走資格
サラ系2歳のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)、JRAに認定された地方所属の競走馬(3頭まで)、および外国調教馬(8頭まで)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 負担重量
馬齢重量で牡馬・せん馬は55kg、牝馬は54kgである。
第1回から第17回までは牡馬・せん馬は54kg、第7回より出走可能になった牝馬は53kgで施行されていた。
第18回と第19回は定量となり牡馬・せん馬は55kg、牝馬は54kgに変更。第20回より負担重量は変更されず、馬齢重量に戻り現在に至る。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 賞金
第1回からの賞金は以下の通り。2012年にJRAのGIを除く大半の競走で賞金が減額されるが、当競走に関しては減額が行われなかった(GIII競走で減額が行われなかったのは本競走と東京スポーツ杯2歳ステークスのみ)。
回(施行年)	総額賞金	1着	2着	3着	4着	5着
第1回(1984年)	4,380万円	2,300万円	920万円	580万円	350万円	230万円
第2回(1985年)
第3回(1986年)
第4回(1987年)	4,560万円	2,400万円	960万円	600万円	360万円	240万円
第5回(1988年)	4,900万円	2,600万円	1,000万円	650万円	390万円	260万円
第6回(1989年)	5,300万円	2,800万円	1,100万円	700万円	420万円	280万円
第7回(1990年)	5,560万円	2,900万円	1,200万円	730万円	440万円	290万円
第8回(1991年)	5,700万円	3,000万円	750万円	450万円	300万円
第9回(1992年)	6,100万円	3,200万円	1,300万円	800万円	480万円	320万円
第10回(1993年)
第11回(1994年)
第12回(1995年)
第13回(1996年)
第14回(1997年)
第15回(1998年)
第16回(1999年)
第17回(2000年)
第18回(2001年)
第19回(2002年)
第20回(2003年)
第21回(2004年)
第22回(2005年)
第23回(2006年)
第24回(2007年)
第25回(2008年)
第26回(2009年)
第27回(2010年)
第28回(2011年)
第29回(2012年)

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 歴史

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 3歳(現2歳)牝馬限定競走時代
1984年 - 阪神競馬場の芝1600mの3歳(現2歳)牝馬限定の馬齢重量の重賞(GIII)競走「ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス」として創設(創設当初の負担斤量は53kg)。
1990年
阪神競馬場の改修工事により、京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
施行日が現在の有馬記念前日(土曜日)に変更される。(年間を通して関西圏で最後の重賞ともなる)

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 3歳(現2歳)混合競走時代
1991年
出走条件を「3歳(現2歳)牝馬」から「3歳(現2歳)牡馬・騸馬」に変更。それに伴い、名称も「ラジオたんぱ杯3歳ステークス」に変更(牡馬・騸馬の負担斤量は54kgに設定)。
施行距離を現在の芝2000mに変更。
1993年 - 混合競走に指定。
1996年 - 中央競馬特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2000年 - 出走条件を「3歳(現2歳)牡馬・騸馬」から「3歳(現2歳)」に変更(牝馬の負担斤量は創設当初と変わらず)。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「3歳」から「2歳」に変更。それに伴い、名称も「ラジオたんぱ杯2歳ステークス」に変更。
負担重量を定量に変更。
負担斤量が牡馬・騸馬54kg、牝馬53kgから牡馬・騸馬55kg、牝馬54kgに変更。
2002年 - 地方馬の出走枠が3頭に拡大。
2003年
負担重量を馬齢に戻す。
地方ホッカイドウ所属のコスモバルクが地方所属馬として史上初の優勝。
2006年
名称を現在の「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」に変更。
安藤勝己が騎手として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2010年
国際競走に指定され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。このため重賞格付け表記をGIIIに戻す。
武豊が騎手として史上2人目の連覇。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 歴代優勝馬
ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(芝1600m)
回数	年月日	優勝馬	勝時計	騎手	管理調教師	馬主
第1回	1984年12月9日	ニホンピロビッキー	1:35.9	河内洋	田中耕太郎	小林百太郎
第2回	1985年12月8日	ダイナカンパリー	1:37.1	樋口弘	浜田光正	(有)社台レースホース
第3回	1986年12月7日	ドウカンジョー	1:35.5	田島信行	池江泰郎	新井興業(株)
第4回	1987年12月13日	プリンセススキー	1:36.6	田島良保	田中耕太郎	奥村清晴
第5回	1988年12月11日	タニノターゲット	1:36.1	小島貞博	戸山為夫	谷水雄三
第6回	1989年12月10日	レガシーワイス	1:35.8	武豊	坂口正大	(株)ホースタジマ
第7回	1990年12月22日	イソノルーブル	1:35.0	五十嵐忠男	清水久雄	磯野俊雄

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(芝2000m)
2000年度まではラジオたんぱ杯3歳ステークス、2001~2005年度はラジオたんぱ杯2歳ステークスとして施行
1999年度まで牡馬・騸馬限定、2000年度より牝馬も出走可能
回数	年月日	優勝馬	勝時計	騎手	管理調教師	馬主
第8回	1991年12月21日	ノーザンコンダクト	2:05.9	藤田伸二	伊藤修司	(有)社台レースホース
第9回	1992年12月26日	ナリタタイシン	2:05.8	清水英次	大久保正陽	山路秀則
第10回	1993年12月25日	ナムラコクオー	2:05.7	上村洋行	野村彰彦	奈村信重
第11回	1994年12月24日	タヤスツヨシ	2:03.4	小島貞博	鶴留明雄	横瀬寛一
第12回	1995年12月23日	ロイヤルタッチ	2:02.7	O.ペリエ	伊藤雄二	大田美實
第13回	1996年12月21日	メジロブライト	2:03.1	松永幹夫	浅見国一	(有)メジロ牧場
第14回	1997年12月20日	ロードアックス	2:03.8	岡部幸雄	藤沢和雄	(株)ロードホースクラブ
第15回	1998年12月26日	アドマイヤベガ	2:04.1	武豊	橋田満	近藤利一
第16回	1999年12月25日	ラガーレグルス	2:03.7	佐藤哲三	大久保正陽	奥村啓二
第17回	2000年12月23日	アグネスタキオン	2:00.8	河内洋	長浜博之	渡辺孝男
第18回	2001年12月22日	メガスターダム	2:03.4	渡辺薫彦	山本正司	(有)ノースヒルズマネジメント
第19回	2002年12月21日	ザッツザプレンティ	2:04.5	河内洋	橋口弘次郎	(有)社台レースホース
第20回	2003年12月27日	コスモバルク	2:01.6	五十嵐冬樹	田部和則	岡田美佐子
第21回	2004年12月25日	ヴァーミリアン	2:03.5	武豊	石坂正	(有)サンデーレーシング
第22回	2005年12月24日	サクラメガワンダー	2:01.9	安藤勝己	友道康夫	(株)さくらコマース
第23回	2006年12月23日	フサイチホウオー	2:02.1	安藤勝己	松田国英	関口房朗
第24回	2007年12月22日	サブジェクト	2:07.0	O.ペリエ	池江泰郎	(有)ノースヒルズマネジメント
第25回	2008年12月27日	ロジユニヴァース	2:01.7	横山典弘	萩原清	久米田正明
第26回	2009年12月26日	ヴィクトワールピサ	2:01.3	武豊	角居勝彦	市川義美
第27回	2010年12月25日	 ダノンバラード	2:02.2	武豊	池江泰郎	(株)ダノックス

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス その他
牡馬が出走できる競走に変更された1991年以来偶数年の優勝馬は2006年優勝馬のフサイチホウオーを除き後にGIで勝利している。逆に奇数年の優勝馬は2003年優勝馬のコスモバルク及び2009年優勝馬のヴィクトワールピサを除きGIで勝利していないが、奇数年であっても、優勝馬以外の出走馬からアドマイヤマックス、アドマイヤムーン、ダノンシャンティ、ヒルノダムールなどのGI馬を輩出している。
JRAから発表される出走馬のレーティングは、GIIであるデイリー杯2歳ステークスや京王杯2歳ステークスのそれを上回る年も多く、その出走馬のレベルの高さから、GIIへの格上げを望む声も多いがいまだに実現されていない。その理由として、もし本競走がGIIに昇格された場合に、1週前に開催されるGIの朝日杯フューチュリティステークスのレベル低下を招くためと考えられる。それ以外でも2歳戦線における中距離戦は翌年のクラシックに直結しやすく、同じく2歳戦線の中距離重賞である札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスも同様の理由が言える。
上記のように何度もレース名が変更されているが、武豊はいずれのレース名においても優勝経験がある(ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス=1989年、ラジオたんぱ杯3歳ステークス=1998年、ラジオたんぱ杯2歳ステークス=2004年、ラジオNIKKEI杯2歳ステークス=2009年、2010年)。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークス 関連するレース
ラジオNIKKEI賞(7月 福島競馬場)
ホープフルステークス(有馬記念当日に中山競馬場で皐月賞と同コース・距離設定行われるオープン特別競走)

中山大障害

中山大障害

第133回中山大障害
開催地	中山競馬場
施行日	2011年12月24日
施行時期	12月下旬
(原則5回中山7日目)
格付け	J・GI
1着賞金	7000万円
賞金総額	1億3400万円
距離	障害・芝・外4100m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳61kg、4歳以上63kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	1934年12月5日

中山大障害(なかやまだいしょうがい)は、中山競馬場の障害・芝4100mで施行する中央競馬の障害の重賞(J・GI)競走。
正賞は農林水産大臣賞、日本馬主協会連合会長賞。農林水産大臣賞が提供されているため、正式名称は農林水産省賞典中山大障害と表記される。
春に施行される中山グランドジャンプと共に、大竹柵障害や赤レンガと呼ばれる大生垣障害を飛越する中山競馬場の大障害コースが用いられる。

中山大障害 概要
中山大障害 初期の走路図
中山競馬倶楽部の肥田金一郎が1932年に創設された東京優駿競走に匹敵する競走を中山競馬場でも開催したいと考え、イギリスのグランドナショナルにならった障害競走を創設するため同年に障害コースの整備を開始。
1934年8月27日に大障碍特別競走を創設する旨を各倶楽部に通知した。
それは距離4100m、高さ160cmの大竹柵、高さ140cm幅220cmの大土塁、高さ150cm幅270cmの大生垣の三大障害を含め計10回の飛越、加えて高低差4mを超える坂路を6回昇降するというものであり殆どが中距離で障害も120cm以下の競走しかなかった当時としては非常に過酷なものであった。
競馬関係者からは軍馬の改良の必要性などから長距離を耐え抜く有能な実役馬を選定できるという賛成意見もあったが将来種牡馬となる良血馬、高額馬の出走が望めない少頭数となり競走興味が薄れるなどの理由で時期尚早とする反対意見が圧倒的となった。
しかし肥田は断固として施行を主張。12月5日に大障碍特別競走を行うことを決定した。1着賞金は1万円であり、これは東京優駿競走と並び当時最高の賞金額を誇るレースであった。第1回の優勝馬は肥田の所有馬のキンテンである。
戦前期では負担重量が賞金によっておよそ60kgから70kg間で行われ第8回に出走したチカラは73kgの負担重量で出走したが、戦後は馬資源の不足と軍馬育成の必要性がなくなったこともあり基本負担重量が大幅に引き下げられ障害の難易度も若干緩和された。
また当初は天皇賞と同じく勝ち抜き制が採られていたが、戦後は1950年を除き過去の優勝馬も出走が可能となった。
1965年秋から現在のコースとなる1972年秋までは施行条件が幾度か変更された。平地外回りコース拡張及びダートコース新設のため、スタンド前内回りコースとそこに設置されていた大生垣が廃止。またスタート位置が3、4コーナー中間の土塁障害の前方から後方に移され飛越回数が10回から11回に増加、そして大竹柵を除くすべての障害の規模が拡大した。
1999年より障害競走改革のためグレード制が導入されJRAによりジャンプグレードワン(J・GI=ジェージーワン)に格付けされ、定量戦となる。優勝賞金額は5700万円から8000万円に大幅増となった。同時に春の中山大障害は中山グランドジャンプに衣替えし、年1回秋だけの開催となった。当初は春の大障害を「中山スプリングジャンプ」、秋の大障害を「中山グランドジャンプ」とする計画であったが競馬サークルの内外から「伝統のレース名は残すべき」という声が上がり、また春の競走を国際招待レースとする計画が立ち上がったため春を中山グランドジャンプ、秋を中山大障害として実施する事となった。ファンファーレはそれまでは東京・中山用の重賞ファンファーレを使用していたが、同年より三枝成彰作曲によるJ・GIファンファーレが使用されている。
2011年からは国際競走となる。
出走資格は、サラ系3歳以上のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)および外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は定量で3歳61kg、4歳以上63kg、牝馬は2kg減となっている。
2011年度現在の総額賞金は1億3,400万円で、1着賞金7,000万円、2着賞金2,800万円、3着賞金1,800万円、4着賞金1,100万円、5着賞金700万円と定められている。
以前は「だいしょうがい」ではなく「おおしょうがい」と呼ばれていたが、現在は前者が正式名称となっている。現在、中央競馬で唯一メインレースとして施行されないGI競走である。
他の著名な重賞競走は1990年代半ばが売上のピークとなっているが中山大障害が最も売上を伸ばしたのは1974年秋であり、総売上は25億9774万3200円である。

中山大障害 コース
第3コーナーからスタートし、時計回りに3/4周。向正面から襷コースに入り大竹柵へ、その後第4コーナーから第3コーナーを通って再び襷コースに入って大生垣へ。その後第1コーナーから第2、第3コーナーを経由して第4コーナーから芝コースへ進入。芝コースの直線を通ってゴールを目指す。
障害飛越数は11回と4100mという距離にもかかわらず3900mで行われる阪神スプリングジャンプの14回、3930mの京都ハイジャンプの18回と比べて少ないが6度のバンケット昇降がある。春に行われる中山グランドジャンプより150m短いが、バンケットの回数が多い為にスタミナの問われるコースとなっている。

中山大障害 大障害
中山競馬場の襷コース及び設置されている大竹柵、大生垣は本競走と中山グランドジャンプの時のみ使用される。春は皐月賞、年末は有馬記念の午後は馬場が開放される。

中山大障害 大竹柵

中山大障害 2007年の大竹柵
中山競馬場第6号障害。スタートから5番目に飛越する障害であり高さ160cm幅205cm(1990年代以前は高さ160cm、幅190cm)、土台部分の高さは85cmとなっている。1980年代はこの障害で転倒、落馬をする馬が非常に多く1981年春より1985年秋までの10回で出走馬延べ80頭のうち19頭の転倒、落馬を引き起こした[1]。その後1991~1996年までは89頭中13頭と相変わらず高確率で落馬が起きていたが、その後障害の形状変更に伴い大幅に易化し、グレード制導入後2010年までの計11回の競走では167頭の出走馬うち落馬はわずかギフテッドクラウン、メジロライデン、マイネルユニバース、ジュレップの4頭のみに減少している。

中山大障害 主な出来事
1970年秋 - 1番人気インターヒカリ、2番人気スイノソレイユ、5番人気フォースターフの3頭が転倒。
1980年秋 - 1番人気ナカミショウグン、2番人気ジョーアルバトロスなど4頭が騎手落馬により競走中止。
1983年春 - ヤクモファントムの騎手・田中剛とサビアスポートの騎手・菅沼輝正は落馬の後に再騎乗を行い、それぞれ7位、8位に入線(8頭立て)。中山大障害での落馬再騎乗はこれを最後に行われていない。
1985年春 - バウンスポート、ナックルフォンテン、エイティレオ、ダイナドルフィンの4頭が転倒。中山大障害2勝のオキノサキガケとスマッシングダイナの騎手が落馬したため、計6頭競走中止。中山大障害の最多記録となっている。
1992年春 - 中山大障害優勝馬のワカタイショウ、パンフレットなど4頭が競走中止。不利を受けなかったシンボリクリエンスが2着に8.6秒差の独走で優勝した。
1998年春 - 当時の障害重賞4場グランドスラム(中山大障害、京都大障害、東京障害特別、阪神障害ステークス)にリーチがかかっていた1番人気アワパラゴンが転倒。

中山大障害 大生垣

中山大障害 2007年の大生垣
中山競馬場第7号障害。スタートから7番目に飛越する障害であり高さ160cm、幅240cm、土塁の高さは80cmであり大障害創設当初より20cm高くなっている。大竹柵から見て逆周りをしてもう1回、襷に戻って来ると言う仕組み。かつては大土塁と呼ばれたが、当時の大生垣の廃止後1990年代に入ってこちらが大生垣と呼ばれるようになった。前面土塁部分に赤レンガ模様のデザインが施されているため「赤レンガ」という通称も有名。以前より競走中止となることは少ないが、時折有力馬の落馬を引き起こしている。

中山大障害 主な出来事
1934年秋 - 第1回競走において1番人気レツドサンドが転倒、競走中止。
1994年秋- 2番人気タイヤン、3番人気ユーワハッピーが落馬。最低人気のローズムーンが優勝。
1998年秋 - 1番人気ノーザンレインボーが転倒、競走中止。

中山大障害 各種記録

中山大障害 記録
レースレコード - 4:37.2(1991年秋・シンボリモントルー)
2着との最大着差 - 8.6秒(1992年春・シンボリクリエンス)
最多優勝馬 - 5勝 バローネターフ
最多優勝騎手 - 7勝 星野忍(1980年春・1983年春・1983年秋・1989年春・1990年秋・1996年春・1996年秋)
最多優勝調教師 - 8勝 尾形藤吉(1937年秋・1938年春・1939年秋・1940年春・1941年秋・1949年秋・1956年秋・1966年春)
最少出走頭数 - 3頭(1935年春・1952年秋・1953年春)
最少完走頭数 - 2頭(1950年春・1952年秋・1953年春)
最多落馬頭数 - 6頭(1985年春・出走馬10頭)

中山大障害 3連覇以上の優勝馬
フジノオー(4回・4回連続・1963年秋から1965年春)
グランドマーチス(4回・4回連続・1974年春から1975年秋)
バローネターフ(5回・3回連続・1977年春から1977年秋、1978年秋から1979年秋)
ポレール(3回・3回連続・1996年春から1997年春)
他に、ゴーカイの3年連続2着(1999年から2001年)、メルシーエイタイムの5年連続連対(2005年から2009年)と言う記録も存在する。

中山大障害 エピソード

中山大障害 競走のエピソード
1944年春の競走は競馬の一時停止と、中山競馬場閉鎖のため東京競馬場で能力検定競走「農商省賞典障碍」を距離4050mで施行。7歳以上の馬は出走不可のため5、6歳馬のみで争われた。9頭立てで行われイマカゼが5:06のタイムで優勝したが、中山大障害の回数としてはカウントされていない。秋は京都競馬場で行われる予定だったが、戦局の悪化に伴い4歳馬競走のみ行われたため障害競走は全て取り止めとなった。
1957年春の競走でカツプスターに騎乗した本田昌雄騎手は大土塁(現・大生垣)飛越着地の際に落馬したが直ちに再騎乗を行い鐙を踏まずに大生垣(廃止)を飛越して完走(出走馬8頭・8着)したため、裁決委員からその敢闘ぶりを表彰された。
1960年春の競走でガーナードに騎乗した加賀武見騎手は落馬後再騎乗の際に他人の助けを借り、また競走に要した時間が規定時間を越えたため(参考タイム 9:31.2)タイムオーバーでガーナードは失格、加賀武見は戒告を受けた。
1972年春の競走ではナスノセイランが前年春に続いて連覇(前年秋は開催せず)したがこの時の2着馬は全弟であるナスノヒエンであり、GI(級)レースにおいて初めて(2010年6月現在、未だに唯一)となる全姉弟による1・2着を記録した。なお、ナスノヒエンは1973年春の競走を勝利している。

中山大障害 その他のエピソード
阿部幸太郎が『中央競馬ワイド中継』のレギュラー時代、中山大障害コース4100mを自分の足で走ってさらには障害は乗り越えて完走するという特集VTRが制作された。後に競馬開催が台風・降雪等で中止となった際に穴埋めとして放映された。
有馬記念などの大レース開催日に大障害コースの一部を観客席として開放するケースや、ファンサービスの一環として実際に大障害コースの一部に入れる機会を設けるケースもある。

中山大障害 歴史
1934年秋 - 「大障碍特別競走」の名称で別定戦として創設。出走馬4頭中3頭が完走した。
1935年 - この年より年2回施行される(1947年と1956年を除く)。同年春にレース名が「中山大障碍特別」に改められ、秋からは農林省賞典が下賜され、「農林省賞典障碍」となる。
1938年秋 - 「小倉農林省賞典障碍」創設に伴い、「中山農林省賞典障碍」に改称される。
1943年秋 - 農林省と商工省の一部が合併し「農商省」が設置されたことに伴い、「中山農商省賞典障碍」に改称される。
1944年 - 中山競馬場閉鎖に伴い、春季に東京で能力検定競走「農商省賞典障碍」として施行される。
1947年秋 - 戦後「小倉農林省賞典障碍」が廃止、及び再び農林省が設置されたことに伴い名称が「農林省賞典障碍」にもどる。
1948年
春 - 過去の優勝馬が出走可能となる。
秋 - 競走名が「中山大障碍」に変更される。
1950年 - この年のみ過去の優勝馬が出走不可となる。
1951年春 - 過去の優勝馬の斤量は2kg増となる。
1953年春 - NHKによってテレビ中継され、日本初の競馬のテレビ中継となった。
1954年秋 - 競走名が「農林省賞典中山大障碍」に変更される。
1957年 - 秋の競走に限り4歳馬(現・3歳馬)の出走が可能となる。
1966年春 - 中山大障碍1勝毎に2kg増に変更される[2]。
1969年春 - 出走馬ロイタンの実質的な馬主が出走馬バスターに禁止薬物のカフェインを含む抹茶を摂取させようと企み、バスターが出走取消に追い込まれる事件が起こった(バスター事件)。
1970年 - 「障碍」から「障害」へ漢字表記が変更され「農林省賞典中山大障害」となる。
1971年秋 - 馬インフルエンザ蔓延の影響で開催中止。
1972年春
流行性の馬インフルエンザの影響により6月に順延開催。
中山大障害優勝馬は2kg増。及び収得賞金による斤量規定が廃止される。
出走馬ダテハクタカがパドック周回中に何者かに濃硫酸をかけられ右目を負傷し、競走除外となる事件が起こった(ダテハクタカ#ダテハクタカ事件)。
1976年春 - 再び中山大障害1勝毎に2kg増に変更される。
1978年秋 - 農林省の名称変更により「農林水産省賞典中山大障害」となる。
1988年春 - 中山競馬場の改修工事で東京競馬場で行われたため東京大障害として施行された。東京大障害は過去に使用されたことがない距離4000mで施行され、第3コーナーから逆回りで1周した後に襷コースに入り第2コーナーから順回りで直線に向かった。障害飛越数は17。
1989年春 - 混合競走に指定。
1993年秋 - 混合競走に指定。
1999年
グレード制導入によりJ・GIに格付け。
負担重量を定量として年1回施行。春のレースを中山グランドジャンプに移行。
2000年 - 創設以来初めて出走可能頭数上限の16頭で行われる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2002年 - ギルデッドエージが優勝し、ニュージーランドから短期免許で騎乗したロシェル・ロケットがJRA史上初の女性騎手による重賞制覇を果たした。
2003年 - 積雪のため中止・延期となり、2004年に1月(代替開催)と12月で2回行われた。
2005年 - テイエムドラゴンが1着となり、1968年のタジマオーザ以来37年ぶりに3歳馬が優勝した(2着も3歳馬のメルシーエイタイム)。
2009年 - キングジョイがJ・GIに格付け及び年1回施行において史上初の連覇。
2011年 - 国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。

中山大障害 歴代優勝馬
中山大障害(春)
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第2回	1935年4月7日	イサハヤ	牡6	5:09 4/5	秋山辰治	川崎敬次郎	真藤慎太郎
第4回	1936年4月5日	ジユピターユートピア	牡5	5:01 4/5	中口儀一郎	大久保房松	小林国威
第6回	1937年4月4日	フソウ	牡4	4:57 1/5	平井寅雄	稲葉秀男	中村勝五郎
第8回	1938年4月10日	トクタカ	牡5	4:59 0/5	内藤潔	尾形景造	山中清兵衛
第10回	1939年4月9日	コクオー	牝5	5:03 4/5	松永光雄	土田順三	村上菊松
第12回	1940年4月19日	キヨクジツ	牡6	4:55 4/5	古賀嘉蔵	尾形景造	高杉晋
第14回	1941年4月20日	ライハルオン	牝6	4:53 1/5	中野才一	佐藤重治	伊藤盛治
第16回	1942年4月26日	ホウカツピータ	牡5	5:07 2/5	本田昌雄	稗田虎伊	経塚彌三
第18回	1943年5月2日	モトクマ	牡5	5:03 4/5	平井稔	稲葉幸夫	門井鍋四郎
第21回	1948年4月3日	フクレイ	牡5	4:08 1/5	田畑志郎	古賀嘉蔵	西博
第23回	1949年5月1日	カミカゼ	牡4	4:50 3/5	高松三太	柏谷富衛	小野ムメ
第25回	1950年5月5日	エイシヤイン	牡6	5:00 2/5	小森園正義	久保田彦之	伊藤市平
第27回	1951年5月20日	ツキヤス	牝4	4:43 4/5	古山良司	上村大治郎	高須銀次郎
第29回	1952年6月8日	カツシロ	牡4	4:44 4/5	富田六郎	見上恒芳	松村政雄
第31回	1953年6月28日	ハクオー	牡4	4:45 3/5	斉藤義美	松元正雄	西村光之助
第33回	1954年6月20日	ギンザクラ	牡4	4:50 3/5	富田六郎	見上恒芳	鈴江チヨ
第35回	1955年6月26日	キタノイヅミ	牡4	4:43 1/5	勝尾竹男	久保田金造	田中留治
第38回	1957年6月30日	クロシオ	牡4	4.52 0/5	長池辰三	大久保末吉	渡辺美弥子
第40回	1958年6月29日	ケニイモア	牝5	4:47 0/5	目時重男	武輔彦	ジョー・エス
第42回	1959年6月28日	オータジマ	牡4	4:43 0/5	高屋次郎	古賀嘉蔵	田島将光
第44回	1960年6月26日	ロールメリー	牝5	4:49.5	古賀一隆	古賀嘉蔵	豊島美王麿
第46回	1961年4月23日	クニハヤ	牡6	4:45.0	加賀武見	阿部正太郎	日下邦雄
第48回	1962年4月22日	フエニツクス	牡5	4:54.2	田村駿仁	二本柳俊夫	河野魁
第50回	1963年6月23日	ゴールデンオーザ	牡4	4:46.2	関口薫	中村広	川俣トシエ
第52回	1964年3月15日	フジノオー	牡5	4:45.5	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第54回	1965年4月11日	フジノオー	牡6	4:49.2	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第56回	1966年4月24日	アドミラル	牡4	5:04.0	小泉明東	尾形藤吉	永田雅一
第58回	1967年6月11日	クニハヤヒメ	牝4	4:52.1	関口健太郎	阿部正太郎	日下邦雄
第60回	1968年4月7日	フジノホマレ	牡8	4:53.4	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第62回	1969年6月29日	ホンマルシロー	牡4	4:58.9	千田能照	勝又忠	原田享
第64回	1970年4月5日	ハセタカラ	牡4	4:50.9	法理弘	阿部正太郎	長南鶴雄
第66回	1971年5月5日	ナスノセイラン	牝5	4:48.6	金井国男	稲葉秀男	那須野牧場
第68回	1972年6月4日	ナスノセイラン	牝6	4:53.0	柴崎勇	稲葉秀男	那須野牧場
第70回	1973年4月8日	ナスノヒエン	牡5	4:45.1	金井国男	稲葉秀男	那須野牧場
第72回	1974年4月7日	グランドマーチス	牡5	4:48.4	寺井千万基	伊藤修司	大久保興産(株)
第74回	1975年4月6日	グランドマーチス	牡6	4:40.3	寺井千万基	伊藤修司	大久保興産(株)
第76回	1976年4月11日	エリモイーグル	牡5	4:38.9	渡辺修一	大久保末吉	井上芳春
第78回	1977年4月10日	バローネターフ	牡5	4:44.3	三浦春美	矢野進	(有)ターフ・スポート
第80回	1978年4月9日	ファンドリナイロ	牡6	4:42.1	広松孝司	須貝彦三	水戸富雄
第82回	1979年4月8日	バローネターフ	牡7	4:38.5	根本康広	矢野進	(有)ターフ・スポート
第84回	1980年4月6日	オキノサコン	牡6	4:49.5	星野忍	八木沢勝美	沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第86回	1981年4月5日	ナカミショウグン	牡5	4:47.4	根本康広	八木沢勝美	中村美俊
第88回	1982年4月11日	キングスポイント	牡5	4:44.1	小島貞博	小川佐助	高田久成
第90回	1983年4月10日	オキノサキガケ	牡5	4:41.8	星野忍	佐藤林次郎	沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第92回	1984年4月8日	メジロジュピター	牡6	4:41.9	池添兼雄	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第94回	1985年4月7日	ブルーフラール	牝5	4:43.1	成田均	大久保勝之	栗林英雄
第96回	1986年4月6日	ライバコウハク	牡7	4:44.9	大江原哲	松元正雄	坂本盛正、上水清氏
第98回	1987年4月12日	メジロアンタレス	牡8	4:44.2	成田均	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第100回	1988年4月10日	メジロアイガー	牡5	4:34.6	臼井武	尾形充弘	(有)メジロ牧場
第102回	1989年4月9日	キョウエイウオリア	牡10	4:46.8	星野忍	中村均	松岡正雄
第104回	1990年4月7日	パンフレット	牡5	4:39.5	嘉堂信雄	田中良平	小田切有一
第106回	1991年4月6日	シンコウアンクレー	牡5	4:38.1	田中剛	二本柳俊一	安田修
第108回	1992年4月11日	シンボリクリエンス	牡7	4:41.7	大江原哲	境征勝	シンボリ牧場
第110回	1993年4月10日	メジログッテン	牡6	4:38.5	押田年郎	大久保正陽	(有)メジロ牧場
第112回	1994年4月9日	ブロードマインド	牡6	4:40.7	牧之瀬幸夫	矢野進	吉田照哉
第114回	1995年4月8日	ダイカツストーム	牡5	4:44.1	中竹和也	中村好夫	志賀泰吉
第116回	1996年4月6日	ポレール	牡5	4:41.2	星野忍	岩元市三	林進
第118回	1997年4月12日	ポレール	牡6	4:43.1	出津孝一	岩元市三	林進
第120回	1998年4月18日	ノーザンレインボー	牡8	4:46.2	田中剛	鈴木康弘	吉田照哉
以後、中山グランドジャンプに移行。

中山大障害 中山大障害(秋)
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1934年12月5日	キンテン	牡5	5:21 1/5	稲葉幸夫	稲葉秀男	肥田金一郎
第3回	1935年10月20日	オーシス	牡4	5:02 2/5	佐藤修	杉浦照	石川義明
第5回	1936年10月18日	トーナメント	牡4	4:57 1/5	中野吉太郎	杉浦照	石川義明
第7回	1937年10月17日	キンテキ	牡4	5:01 0/5	古賀嘉蔵	尾形景造	高井治兵衛
第9回	1938年11月27日	リードアン	牝4	5:06 0/5	稲葉幸夫	藤本冨良	大川義雄
第11回	1939年12月3日	シヤインモア	牝4	4:55 1/5	内藤潔	尾形景造	土田荘助
第13回	1940年12月8日	スタミナ	牝5	4:59 0/5	岩下密政	田村仁三郎	豊島美王麿
第15回	1941年12月7日	ゼーアドラー	牡5	4:55 0/5	古賀嘉蔵	尾形景造	片山哲雄
第17回	1942年11月29日	バイエル	牝4	5:08 3/5	富田竹次郎	布施季三	高橋錬逸
第19回	1943年11月28日	カミワカ	牡5	5:05 1/5	岩下密政	田村仁三郎	豊島美王麿
第20回	1947年12月14日	ニユージヤパン	牡4	4:07 3/5	小桧山悦雄	鈴木信太郎	豊島美王麿
第22回	1948年11月3日	ブルーホマレ	牡4	4:47 0/5	吉野勇	大久保房松	久保邦造
第24回	1949年12月4日	ブランドライト	牡5	4:58 3/5	坂内光雄	尾形藤吉	川内安忠
第26回	1950年12月7日	アシガラヤマ	牡4	4:54 1/5	吉野勇	平井寅雄	川島政子
第28回	1951年12月16日	ミツタヱ	牝5	4:51 0/5	渡辺正人	東原玉造	河野信一
第30回	1952年12月21日	サチヒカリ	牡4	4:50 3/5	坂本栄三郎	小西喜蔵	石原利貞
第32回	1953年11月1日	モモタロウ	牡5	4:49 4/5	野平幸雄	田中和一郎	舟橋聖一
第34回	1954年11月3日	アラワシ	牡4	4:54 1/5	伊藤英治	望月与一郎	高橋なつ
第36回	1955年11月3日	シマユキ	牡5	4:47 1/5	飯塚好次	松山吉三郎	小野仁助
第37回	1956年11月18日	ハクレイ	牝4	4:54 4/5	目時重男	尾形藤吉	西博
第39回	1957年10月20日	ヤマカブト	牝5	4:46 1/5	坂本栄三郎	小西喜蔵	山之内喜代子
第41回	1958年10月12日	ケニイモア	牝5	4:44 4/5	目時重男	武輔彦	ジョー・エス
第43回	1959年10月11日	ハルボー	牡4	4:43.8	本田昌雄	田中朋次郎	加藤春雄
第45回	1960年10月9日	ロールメリー	牝5	4:46.9	古賀一隆	古賀嘉蔵	豊島美王麿
第47回	1961年10月15日	トサキング	牡4	4:48.4	瀬戸口勉	上田武司	上田清次郎
第49回	1962年10月7日	ライトリア	牡6	4:43.1	坂内光雄	藤本冨良	伊藤久雄
第51回	1963年10月20日	フジノオー	牡4	4:46.9	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第53回	1964年10月11日	フジノオー	牡5	4:49.7	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第55回	1965年10月17日	ミスハツクモ	牝5	4:54.4	前田禎	鈴木清	勝又豊次郎
第57回	1966年12月4日	ホウラン	牝4	4:56.1	金井国男	稲葉秀男	河野通
第59回	1967年12月3日	ヤマニンダイヤ	牡5	4:48.1	鶴留明雄	諏訪佐市	土井宏二
第61回	1968年12月29日	タジマオーザ	牡3	4:56.6	津田昭	佐藤勝美	(株)田島牧場
第63回	1969年12月28日	マウントブゼン	牝4	4:55.1	山田広士	野平省三	山田福太郎
第65回	1970年12月27日	リクオー	牡4	4:58.4	千田能照	勝又忠	矢沢註二
第67回	1971年12月25日	開催中止
第69回	1972年12月24日	マスヒロ	牝4	5:02.8	成島正規	阿部正太郎	増山栄一
第71回	1973年12月23日	クリユタカ	牡5	4:44.7	法理弘	阿部正太郎	栗林友二
第73回	1974年12月22日	グランドマーチス	牡5	4:40.2	寺井千万基	伊藤修司	大久保興産(株)
第75回	1975年12月21日	グランドマーチス	牡6	4:42.5	法理弘	伊藤修司	大久保興産(株)
第77回	1976年12月26日	サクラオンリー	牡8	4:45.1	平井雄二	久保田彦之	(株)さくらコマース
第79回	1977年12月25日	バローネターフ	牡5	4:39.7	三浦春美	矢野進	(有)ターフ・スポート
第81回	1978年12月24日	バローネターフ	牡6	4:43.6	小柳由春	矢野進	(有)ターフ・スポート
第83回	1979年12月23日	バローネターフ	牡7	4:43.7	根本康広	矢野進	(有)ターフ・スポート
第85回	1980年12月20日	カチウマタロー	牡5	4:49.4	田中剛	柄崎義信	島崎竜五郎
第87回	1981年12月19日	テキサスワイポン	牡7	4:42.1	今岡正	二分久男	渡辺孝男
第89回	1982年12月25日	キングスポイント	牡5	4:42.6	小島貞博	小川佐助	高田久成
第91回	1983年12月24日	オキノサキガケ	牡5	4:41.9	星野忍	佐藤林次郎	沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第93回	1984年12月22日	メジロアンタレス	牡5	4:39.1	牧之瀬幸夫	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第95回	1985年12月21日	オンワードボルガ	牡4	4:46.9	田中剛	二本柳俊夫	樫山純三
第97回	1986年12月20日	ハッピールイス	牡4	4:45.6	中竹和也	吉田三郎	マエコウファーム(有)
第99回	1987年12月26日	シノンシンボリ	牡8	4:39.4	牧之瀬幸夫	大和田稔	和田共弘
第101回	1988年12月24日	ヤマニンアピール	騸5	4:39.0	岡冨俊一	中村均	土井宏二
第103回	1989年12月23日	メジロマスキット	牝4	4:39.0	臼井武	尾形充弘	(有)メジロ牧場
第105回	1990年12月22日	ワカタイショウ	牡5	4;38.9	星野忍	嶋田功	渡辺喜八郎
第107回	1991年12月21日	シンボリモントルー	牡6	4:37.2	成田均	田中和夫	シンボリ牧場
第109回	1992年12月26日	シンボリクリエンス	牡7	4:38.3	大江原哲	境征勝	シンボリ牧場
第111回	1993年12月25日	ブロードマインド	牡5	4:42.0	牧之瀬幸夫	矢野進	吉田照哉
第113回	1994年12月17日	ローズムーン	牝5	4:40.6	五十嵐久	田村駿仁	(株)大東牧場
第115回	1995年12月16日	フジノスラッガー	牡5	4:44.9	臼井武	和田正道	中村寛俊
第117回	1996年12月14日	ポレール	牡5	4:44.0	星野忍	岩元市三	林進
第119回	1997年12月13日	ケイティタイガー	牡8	4:45.5	嘉堂信雄	吉岡八郎	瀧本和義
第121回	1998年12月19日	ビクトリーアップ	騸5	4:44.1	横山義行	吉永正人	(有)池ばた

中山大障害 J・GIに格付けされてからの歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第122回	1999年12月18日	ゴッドスピード	牡5	4:42.6	西谷誠	瀬戸口勉	坪野谷和平
第123回	2000年12月23日	ランドパワー	牡5	4:40.7	金折知則	福島勝	木村善一
第124回	2001年12月22日	ユウフヨウホウ	牡4	4:44.1	今村康成	松元茂樹	(株)アイテツ
第125回	2002年12月21日	ギルデッドエージ	牡5	4:51.6	R.ロケット	松元茂樹	(有)ノースヒルズマネジメント
第126回	2004年1月10日	ブランディス	騸7	4:40.9	大江原隆	藤原辰雄	(有)サンデーレーシング
第127回	2004年12月25日	メルシータカオー	騸5	4:37.6	出津孝一	武宏平	永井康郎
第128回	2005年12月24日	テイエムドラゴン	牡3	4:39.9	白浜雄造	小島貞博	竹園正繼
第129回	2006年12月23日	マルカラスカル	牡4	4:41.0	西谷誠	瀬戸口勉	河長産業(株)
第130回	2007年12月22日	メルシーエイタイム	牡5	4:39.7	横山義行	武宏平	永井康郎
第131回	2008年12月27日	キングジョイ	牡6	4:45.0	高田潤	増本豊	松岡隆雄
第132回	2009年12月26日	キングジョイ	牡7	4:41.7	西谷誠	増本豊	松岡隆雄
第133回	2010年12月25日	バシケーン	牡5	4:46.1	蓑島靖典	高橋義博	石橋英郎

競走名:第1回 「大障碍特別」、第2回「中山大障碍特別」、第3~8、20、21回 「農林省賞典障碍」、第9~18回 「中山農林省賞典障碍」、第19回 「中山農商省賞典障碍」、第100回 「東京大障害」
距離:第16~19回 4240m、第20、21回 3350m、第55~68回 4200m、第100回 4000m
勝時計:第1~42回 1/5秒表示、第43回~ 1/10秒表示

愛知杯

愛知杯

開催地	小倉競馬場
施行日	2011年12月18日
施行時期	12月中旬 - 下旬
(原則3回中京4日目)
格付け	GIII
1着賞金	3800万円
賞金総額	7200万円
距離	芝2000m
出走条件	サラブレッド系3歳以上牝馬(国際)(特指)

負担重量	ハンデキャップ競走
第1回施行日	1963年8月11日

愛知杯(あいちはい)は、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場の芝2000mで施行する競馬の重賞競走(GIII)。
優勝馬主には農林水産大臣賞と、愛知県知事賞が贈られる。農林水産省が賞を提供しており、正式名称は「農林水産省賞典 愛知杯」と表記している。

愛知杯 概要
元々はカブトヤマ記念、中日新聞杯とともに父内国産馬限定重賞競走として年末(2000年より春季開催)に開催されていたが、種牡馬リーディング上位を争う内国産種牡馬の登場により、父内国産馬の奨励賞の目的がほぼ達成できたという観点から、2004年の番組改編で、牝馬限定の重賞競走として生まれ変わった。ただし、レースの開催回次は継続されている。なお、同様にカブトヤマ記念も福島牝馬ステークスに変更された。こちらはカブトヤマ記念を一旦廃止した上での新設競走扱いとなるため開催回次は2004年を改めて第1回とした。
2006年からは再び年末に開催時期を変更し、ヴィクトリアマイルの前哨戦として春に開催変更となった阪神牝馬ステークスに替わる年末の牝馬限定競走に位置づけられ、エリザベス女王杯の出走馬およびヴィクトリアマイルに向けて獲得賞金の加算を目指す牝馬が出走している。
現在の優勝レイの配色は、紫色の地に黄色文字となっている。
出走資格は、サラ系3歳以上牝馬で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬と、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量はハンデキャップである。
2011年度現在の総額賞金は7,200万円で、1着賞金3,800万円、2着賞金1,500万円、3着賞金950万円、4着賞金570万円、5着賞金380万円と定められている。

愛知杯 歴史
4歳(現3歳)以上競走時代
1963年 - 中京競馬場の砂2000mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、「愛知杯」として創設。
1966年 - 名称を「農林省賞典愛知杯」に変更。
1970年 - 中京競馬場の芝コース設置により、施行コースを現在の芝2000mに変更。
1972年 - 父内国産馬限定競走に指定。
1974年
シルバーランドが史上初の連覇。
高橋成忠が騎手として史上初の連覇。
佐藤勇が調教師として史上初の連覇。
1976年 - ハードラークとトウカンタケシバが同着優勝。
1977年
トウカンタケシバが史上2頭目の連覇。
浅野武志が調教師として史上2人目の連覇。
1978年 - 農林省の名称変更により「農林水産省賞典愛知杯」に変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。
1987年
施行日をウインターステークスと交換。
ピーターホーラーが史上3頭目の連覇。
飯田明弘が騎手として史上2人目の連覇。
荻野光男が調教師として史上3人目の連覇。
1998年 - 特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
1999年 - 小倉競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝2000mで施行。
2000年
開催時期を12月から6月に変更。
特別指定交流競走から外れる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2003年 - 愛知の吉田稔が騎手として史上3人目の連覇となり、地方所属の騎手としては史上初。
3歳以上牝馬限定競走時代
2004年
出走条件を「3歳以上」から「3歳以上牝馬限定」に変更。
父内国産馬限定競走から混合競走に変更。
2006年
開催時期を6月から12月に戻す。
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
特別指定交流競走に再び指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2009年 - 外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
2010年
中京競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝2000mで施行。
施行日を阪神カップと交換し、土曜日開催から日曜日開催に変更。中山競馬場で行われる朝日杯フューチュリティステークスと同日開催となる。
セラフィックロンプが当競走で史上4頭目となる2度目の優勝を果たすと共に、中京・小倉の両方の開催地で制覇。
2011年 - 中京競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝2000mで施行予定。
2012年 - 施行日を土曜日開催に戻す。

愛知杯 歴代優勝馬
4歳(現3歳)以上競走時代
回数	年月日	優勝馬	勝時計	性齢	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1963年8月11日	バンダル	2分05秒0	牡3	浅見国一	藤本冨良	白井新平
第2回	1964年8月23日	コウタロー	2分06秒5	牡4	武邦彦	柴田不二男	上田正次
第3回	1965年12月26日	アオバ	2分06秒2	牡3	沢峰次	森末之助	清水友太郎
第4回	1966年12月18日	パラデイン	2分09秒0	牡4	矢野照正	阿部正太郎	大和通孝
第5回	1967年12月17日	カブトザン	2分06秒6	牡4	小林常泰	小西喜蔵	梅原トモ
第6回	1968年12月15日
(予定)	前週に暴動が発生したため開催中止
第7回	1969年8月3日	グローブターフ	2分04秒5	牝3	佐々木昭次	阿部正太郎	ターファイトクラブ
第8回	1970年12月20日	オウジャ	2分01秒8	牡3	古賀正俊	古賀嘉蔵	(有)鎌田牧場
第9回	1971年12月19日	スリービート	2分01秒5	牡4	稲部和久	諏訪佐市	永井永一
第10回	1972年12月3日	シンザンミサキ	2分01秒4	牡3	久保敏文	久保道雄	(有)近藤牧場
第11回	1973年12月2日	シルバーランド	1分59秒9	牡3	高橋成忠	佐藤勇	冨士田竹三
第12回	1974年12月22日	シルバーランド	2分01秒5	牡4	高橋成忠	佐藤勇	冨士田竹三
第13回	1975年12月21日	イナボレス	2分01秒7	牡6	矢野一博	大久保末吉	(有)イナトミ
第14回	1976年12月19日	ハードラーク	2分00秒9	牡4	増沢末夫	久保田金造	榊原富夫
トウカンタケシバ	牡3	清水英次	浅野武志	関口量三
第15回	1977年12月18日	トウカンタケシバ	2分03秒3	牡4	野川秋良	浅野武志	関口量三
第16回	1978年12月17日	ハシコトブキ	2分01秒7	牡4	安田伊佐夫	内藤繁春	(株)シンザンクラブ
第17回	1979年12月16日	グレートタイタン	2分01秒2	牡4	武邦彦	吉田三郎	長底定治郎
第18回	1980年12月21日	ウエスタンジョージ	2分00秒2	牡4	加用正	北橋修二	西川商事(株)
第19回	1981年12月20日	ヒヨシシカイナミ	2分02秒7	牡4	柴田政見	柴田不二男	酒井登
第20回	1982年12月5日	ワイエムアロー	2分00秒7	牡3	田原成貴	谷八郎	ワイエム観光(株)
第21回	1983年12月4日	アローボヘミアン	2分00秒2	牡4	岩元市三	梶与四松	伊達秀和
第22回	1984年12月2日	キクノペガサス	2分00秒3	牝3	南井克巳	宇田明彦	佐々木秋芳
第23回	1985年12月1日	ロングクイック	2分01秒3	牡3	内田国夫	小野幸治	中井商事(株)
第24回	1986年11月30日	ピーターホーラー	2分00秒0	牡3	飯田明弘	荻野光男	松坂正喜
第25回	1987年12月13日	ピーターホーラー	2分00秒3	牡4	飯田明弘	荻野光男	松坂正喜
第26回	1988年12月11日	カツトクシン	1分58秒2	牡3	松永幹夫	安田伊佐夫	渡辺典六
第27回	1989年12月10日	グレートモンテ	1分59秒0	牡4	猿橋重利	高橋成忠	野﨑龍一
第28回	1990年12月9日	ホワイトアロー	1分59秒8	牡3	内田国夫	小野幸治	東山ホース(株)
第29回	1991年12月8日	ヤマニンシアトル	2分00秒8	牡4	熊沢重文	橋本寿正	土井薫
第30回	1992年12月13日	ヌエボトウショウ	2分02秒5	牝5	角田晃一	渡辺栄	トウショウ産業(株)
第31回	1993年12月12日	ホマレオーカン	2分00秒6	牡3	菊沢隆徳	柄崎孝	(株)グリーンテック
第32回	1994年12月11日	テンザンユタカ	2分00秒1	牝3	松永昌博	松永善晴	平野三郎
第33回	1995年12月10日	サウンドバリヤー	2分00秒2	牡3	河北通	小野幸治	名古屋友豊(株)
第34回	1996年12月8日	ファンドリショウリ	2分00秒8	牡5	宝来城多郎	布施正	水戸富雄
第35回	1997年12月7日	サクラエキスパート	2分00秒6	牡4	佐藤哲三	佐々木晶三	(株)さくらコマース
第36回	1998年12月13日	カネトシガバナー	2分01秒6	牡3	秋山真一郎	野村彰彦 	兼松利男
第37回	1999年12月12日	バンブーマリアッチ	1分59秒9	牡4	野元昭嘉	梅内忍	(有)バンブー牧場
第38回	2000年6月3日	トゥナンテ	1分58秒6	牡5	幸英明	松元省一	(有)社台レースホース
第39回	2001年6月2日	グランドシンザン	1分59秒8	セン7	安藤勝己	坂田正行	元屋地文明
第40回	2002年6月2日	トウカイパルサー	2分00秒3	牡5	吉田稔	松元茂樹	内村正則
第41回	2003年6月8日	カゼニフカレテ	1分59秒7	牡4	吉田稔	佐々木晶三	小田切有一
3歳以上牝馬限定競走時代
回数	年月日	優勝馬	勝時計	性齢	優勝騎手	管理調教師	馬主
第42回	2004年6月6日	メモリーキアヌ	2分00秒6	牝4	秋山真一郎	湯窪幸雄	(株)シンザンクラブ
第43回	2005年6月5日	マイネソーサリス	2分01秒3	牝4	安部幸夫	佐々木晶三	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第44回	2006年12月16日	 アドマイヤキッス	1分58秒6	牝3	武豊	松田博資	近藤利一
第45回	2007年12月15日	 ディアデラノビア	1分58秒9	牝5	C.ルメール	角居勝彦	(有)キャロットファーム
第46回	2008年12月20日	 セラフィックロンプ	1分59秒2	牝4	宮崎北斗	武藤善則	井上一郎
第47回	2009年12月19日	 リトルアマポーラ	1分59秒7	牝4	中舘英二	長浜博之	(有)社台レースホース
第48回	2010年12月19日	 セラフィックロンプ	1分59秒5	牝6	宮崎北斗	武藤善則	井上一郎
第49回	2011年12月18日

朝日杯フューチュリティステークス

朝日杯フューチュリティステークス
第51回朝日杯3歳ステークス
開催地	中山競馬場
施行日	2011年12月18日
施行時期	12月中旬 - 下旬
(原則5回中山6日目)
格付け	GI
1着賞金	7000万円
賞金総額	1億3400万円
距離	芝・外1600m
出走条件	サラブレッド系2歳牡・牝(国際)(指定)

負担重量	馬齢(牡馬55kg、牝馬54kg)
第1回施行日	1949年12月3日

朝日杯フューチュリティステークス(Asahi Hai Futurity Stakes)とは日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝1600mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走。
正賞は朝日新聞社賞、日本馬主協会連合会会長賞、日本軽種馬協会会長賞。

朝日杯フューチュリティステークス 概要
1949年に関東所属の2歳(旧3歳)競走馬のチャンピオン決定戦朝日杯3歳ステークスとして創設、中山競馬場の芝1100mで施行された。その後1959年からは芝1200m、1962年からは現在の芝1600mに距離が延長され、1971年からは混合競走に指定され、1984年からはグレード制導入により最高位のGIに格付けされた。
1991年に栗東所属(関西)の2歳(旧3歳)競走馬のチャンピオン決定戦の阪神3歳ステークスが2歳(旧3歳)牝馬限定戦の阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)に変更されるのに合わせて出走条件を2歳(旧3歳)牡馬・騸馬に変更され、2歳牡馬チャンプ決定戦の位置付けとして施行されるようになった。
GI昇格後から10年間はメリーナイス、サクラチヨノオー、アイネスフウジン、ミホノブルボン、ナリタブライアンと5頭の東京優駿優勝馬を輩出した為、「クラシックへの登龍門」とも言われた。
2001年に競走馬の年齢表記を国際基準に合わせたことに伴い、競走名が朝日杯フューチュリティステークスとなった。競走名のフューチュリティ(Futurity)とは、英語で「未来・将来・前途」という意味がある。2004年からは3歳のクラシックと出走条件を合わせる目的から、出走条件が牡馬・牝馬になり騸馬の出走ができなくなった[1]。ただ、騸馬が優勝したことはこれまで一度もなかった。
中央競馬の2歳馬限定のGI競走(2007年から2009年までJpnI)は2つ(地方競馬の全日本2歳優駿を合わせても3競走)のみで1991年に内1競走が牝馬限定となったので、規定は無いがそれ以降は毎年この競走の優勝馬がJRA賞最優秀2歳牡馬に選出されている[2]。
このレースは有馬記念と同じ開催で行われることになっているため、これまで中山競馬場以外で開催されたことは一度もない。
なお武豊はこの競走で3度2着を記録しているものの、JRAGIの中でこの競走とマイルチャンピオンシップは未勝利である(2010年現在)。

朝日杯フューチュリティステークス 出走資格
原則としてサラ系2歳(旧3歳)のJRA所属の牡馬・牝馬競走馬、JRAに認定された地方所属の牡馬・牝馬競走馬(5頭まで)及び牡馬・牝馬の外国調教馬(8頭まで)。
JRA所属馬は通算の収得賞金が多い順に出走が可能となる。1勝馬は抽選によって出走が決められる。
地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
競走名	格付	施行競馬場	施行距離	必要な着順	備考
デイリー杯2歳ステークス	GII	京都競馬場	芝1600m	1・2着	本競走のステップ競走指定
京王杯2歳ステークス	GII	東京競馬場	芝1400m	1・2着
東京スポーツ杯2歳ステークス	GIII	東京競馬場	芝1800m	1・2着
函館2歳ステークス	GIII	函館競馬場	芝1200m	1着	阪神JFといずれか1競走に優先出走できる。
新潟2歳ステークス	GIII	新潟競馬場	芝1600m	1着
小倉2歳ステークス	GIII	小倉競馬場	芝1200m	1着
札幌2歳ステークス	GIII	札幌競馬場	芝1800m	1着

朝日杯フューチュリティステークス 負担重量
負担重量は馬齢で牡馬は55kg、牝馬は54kgである。
第1回は別定重量51kgで、第2回から第8回は52kg、第9回から第18回および第20回、第21回は牡馬52kg・牝馬51kg、第19回のみ牡馬51kg・牝馬50kg、第22回は牡53kg・牝52kg。
第23回から第42回は馬齢重量となり牡馬54kg・牝馬53kg、出走条件が牡馬・騸馬に変更された第43回から第52回は54kg、第53回から第55回は55kg。出走条件が牡馬、牝馬に戻った第56回より現行の負担重量で施行されている。

朝日杯フューチュリティステークス 賞金
グレード制が施行された第36回(1984年)以降
回(施行年)	総額賞金	1着	2着	3着	4着	5着
第36回(1984年)	5,700万円	3,000万円	1,200万円	750万円	450万円	300万円
第37回(1985年)
第38回(1986年)	5,860万円	3,100万円	780万円	470万円	310万円
第39回(1987年)	6,260万円	3,300万円	1,300万円	830万円	500万円	330万円
第40回(1988年)	6,800万円	3,600万円	1,400万円	900万円	540万円	360万円
第41回(1989年)	7,600万円	4,000万円	1,600万円	1,000万円	600万円	400万円
第42回(1990年)	8,050万円	4,200万円	1,700万円	1,100万円	630万円	420万円
第43回(1991年)	8,980万円	4,700万円	1,900万円	1,200万円	710万円	470万円
第44回(1992年)	1億30万円	5,300万円	2,100万円	1,300万円	800万円	530万円
第45回(1993年)
第46回(1994年)
第47回(1995年)
第48回(1996年)
第49回(1997年)
第50回(1998年)
第51回(1999年)
第52回(2000年)
第53回(2001年)	1億1,400万円	6,000万円	2,400万円	1,500万円	900万円	600万円
第54回(2002年)
第55回(2003年)
第56回(2004年)
第57回(2005年)
第58回(2006年)
第59回(2007年)
第60回(2008年)	1億1,980万円	6,300万円	2,500万円	1,600万円	950万円	630万円
第61回(2009年)
第62回(2010年)	1億3,400万円	7,000万円	2,800万円	1,800万円	1,100万円	700万円
第63回(2011年)
第64回(2012年)

朝日杯フューチュリティステークス 施行コースとその問題点
中山競馬場の芝1600mで第1コーナーのポケットの奥から発走。最後の上り坂以外は延々と下り坂が続くためスピードが出やすい[3]。そして最初の第2コーナーまでの直線距離は240mと短く、そこで外枠発走の馬が大きな距離ロスを受けやすいためにフルゲートの頭数は阪神ジュベナイルフィリーズなどが18頭なのに対し16頭に減らされている[4]。しかしそれ以外にも他の競馬場の同じ距離での競走のコーナーの数の2つであるのに対し3つと多く[5]、またスプリンターズステークスなどの競走でも共通するが最後の直線距離も310mと短く第4コーナーを一団となって曲がるために、そこで大きく膨らんで距離をロスする外枠や最後の追い込みが得意な馬にとって非常に厳しいコース形態となっている。2010年現在、20年以上7枠・8枠の馬の優勝は無く(3着以内なら数例あり。2003年のメイショウボーラーは8枠15番で2着、1996年のオープニングテーマは7枠14番で2着など)[6]、GI昇格時にまで遡ってもそれは10頭以下での施行時に限られている。
つまり、枠順以外の勝敗の要素としては前めで内寄りの位置を確保するためのスタートの上手さや加速力などといった器用さが大きな割合を占めることになる。GI昇格後こそ「クラシックへの登龍門」とも言われクラシック出走条件に合わせて騸馬の出走を禁じるなどの変更が加えられたりしたが、この競走形態により1993年のナリタブライアンを最後にこの競走を制していた馬ばかりか、出走していた馬の中ですら東京優駿を勝った馬はなく、更にこの競走で2007年に3着に入ったキャプテントゥーレが翌年の皐月賞(クラシックの中で最も条件が近い)を制するまで長らくクラシック競走の優勝馬が出ていないという状況が示す通り、クラシックで不振になる傾向が強い。
1993年のナリタブライアン以降も勝ち馬から数多くのGI馬や種牡馬が出ていて出世レースではあるがそのほとんどが故障を発症してクラシックを棒に振ったり、マイラーとして活躍したり、早熟という結果になっている。そのためクラシックを目指す競走馬は阪神競馬場の芝2000mで施行するラジオNIKKEI杯2歳ステークスや有馬記念当日に行われるホープフルステークスなどに出走させる傾向もあり、またかつて外国産馬に閉ざされていたクラシックも近年は開放されつつあるため、こぞってここを目標に外国産馬が出走するという光景も見られなくなっている。
ただし2006年のドリームジャーニーは5歳時に宝塚記念・有馬記念を優勝。2009年のローズキングダムはクラシックで2着2回の後に第30回ジャパンカップで優勝するなど、中には本競走からクラシックおよび3歳秋以降のレースで好走する馬もいる。

朝日杯フューチュリティステークス 歴史
1949年 - 中山競馬場の芝1100mの2歳(旧3歳)限定の別定重量の重賞競走朝日杯3歳ステークスとして創設。
1950年 - 出走条件が別定重量51kgから別定重量52kgに変更。
1953年 - 騎手の谷岡敏行が死亡する事故が発生。
1956年
勝尾竹男が騎手として史上初の連覇。
久保田金造が調教師として史上初の連覇。
1957年 - 出走条件が別定重量、牡馬52kg・牝馬51kgに変更。
1959年
施行コースを芝1200mに変更。
この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1962年 - 施行コースを芝1600mに変更。
1967年 - 出走条件が別定重量、牡馬51kg・牝馬50kgに変更。
1968年 - 出走条件が別定重量、牡馬52kg・牝馬51kgに戻す。
1970年 - 出走条件が別定重量、牡馬53kg・牝馬52kgに変更。
1971年
出走条件が別定重量から馬齢重量、牡馬54kg・牝馬53kgに変更。
混合競走に指定。
1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
1988年
小島太が騎手として史上2人目の連覇。
境勝太郎が調教師として史上2人目の連覇。
1991年 - 出走条件が2歳(旧3歳)から2歳(旧3歳)牡馬・騸馬に変更。
1993年 - 南井克巳が騎手として史上3人目の連覇。
1995年 - 特別指定競走に指定。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「3歳牡馬・騸馬」から「2歳牡馬・騸馬」に変更。
名称を朝日杯フューチュリティステークスに変更。
出走条件が馬齢重量54kgから定重量55kgに変更。
2003年 - 出走条件が定重量55kgから馬齢重量55kgに変更。
2004年 - 出走条件が2歳牡馬・騸馬から2歳牡馬・牝馬に変更(牝馬の負担重量は54kgに設定)。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
2008年 - ジャパンカップダートの施行日の変更に伴い、開催週が1週繰り下げ。
2010年 - 国際競走に指定され、重賞格付け表記をGIに戻す。

朝日杯フューチュリティステークス 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1949年12月3日	アヅマホマレ	牡2	1:07 3/5	八木沢勝美	尾形藤吉	岩崎新太郞
第2回	1950年12月10日	トキノミノル	牡2	1:06 3/5	岩下密政	田中和一郎	永田雅一
第3回	1951年12月9日	タカハタ	牝2	1:06 1/5	八木沢勝美	尾形藤吉	川内安忠
第4回	1952年12月21日	サンゲツ	牝2	1:07 0/5	古山良司	望月与一郎	新倉文郎
第5回	1953年12月13日	タカオー	牡2	1:07 4/5	高橋英夫	上村大治郎	高須銀次郎
第6回	1954年12月12日	メイヂヒカリ	牡2	1:07 3/5	蛯名武五郎	藤本冨良	新田新作
第7回	1955年12月11日	キタノオー	牡2	1:05 4/5	勝尾竹男	久保田金造	田中留治
第8回	1956年12月23日	キタノヒカリ	牝2	1:06 2/5	勝尾竹男	久保田金造	田中留治
第9回	1957年12月15日	カツラシユウホウ	牡2	1:09 0/5	蛯名武五郎	藤本冨良	牧市太郎
第10回	1958年12月14日	ウネビヒカリ	牡2	1:07 0/5	野平祐二	野平省三	山之内軍二
第11回	1959年12月13日	マツカゼオー	牡2	1:12.3	蛯名武五郎	藤本冨良	長山善武
第12回	1960年12月11日	ハクシヨウ	牡2	1:11.2	保田隆芳	尾形藤吉	西博
第13回	1961年12月17日	カネツセーキ	牡2	1:10.9	伊藤竹男	久保田金造	カネツ(株)
第14回	1962年12月16日	グレートヨルカ	牡2	1:38.7	保田隆芳	尾形藤吉	小野晃
第15回	1963年12月15日	ウメノチカラ	牡2	1:38.9	古賀一隆	古賀嘉蔵	梅野昇
第16回	1964年12月20日	リユウゲキ	牡2	1:38.8	油木宣夫	矢倉玉男	福井章哉
第17回	1965年12月19日	メジロボサツ	牝2	1:39.5	矢野一博	大久保末吉	北野俊雄
第18回	1966年12月18日	モンタサン	牡2	1:37.4	油木宣夫	矢野幸夫	古知政市
第19回	1967年12月17日	タケシバオー	牡2	1:38.4	中野渡清一	三井末太郎	小畑正雄
第20回	1968年12月15日	ミノル	牡2	1:40.8	保田隆芳	尾形藤吉	永田卓也
第21回	1969年12月14日	アローエクスプレス	牡2	1:36.2	加賀武見	高松三太	伊達秀和
第22回	1970年12月13日	オンワードガイ	牡2	1:39.8	蓑田早人	森末之助	(株)オンワード牧場
第23回	1971年12月12日	トクザクラ	牝2	1:36.2	田村正光	梶与四松	(有)徳間牧場
第24回	1972年12月10日	レッドイーグル	牡2	1:38.3	岡部幸雄	鈴木清	千屋レッド牧場(株)
第25回	1973年12月9日	ミホランザン	牡2	1:35.5	柴田政人	高松三太	堤勘時
第26回	1974年12月8日	マツフジエース	牝2	1:37.1	増田久	山岡寿恵次	(有)マツケン農場
第27回	1975年12月7日	ボールドシンボリ	牡2	1:38.6	柴田政人	高松三太	和田共弘
第28回	1976年12月12日	マルゼンスキー	牡2	1:34.4	中野渡清一	本郷重彦	橋本善吉
第29回	1977年12月11日	ギャラントダンサー	牡2	1:35.7	吉永正人	松山康久	吉田照哉
第30回	1978年12月10日	ビンゴガルー	牡2	1:36.0	嶋田功	久保田彦之	水野剛
第31回	1979年12月9日	リンドタイヨー	牡2	1:36.7	横山富雄	見上恒芳	(株)デルマークラブ
第32回	1980年12月7日	テンモン	牝2	1:35.5	嶋田功	稲葉幸夫	原八衛
第33回	1981年12月6日	ホクトフラッグ	牡2	1:35.3	柴田政人	中野隆良	森滋
第34回	1982年12月12日	ニシノスキー	牡2	1:35.8	安田富男	元石孝昭	西島清
第35回	1983年12月11日	ハーディービジョン	牡2	1:36.3	的場均	柄崎義信	鈴木健司
第36回	1984年12月16日	スクラムダイナ	牡2	1:35.0	柴田政人	矢野進	(有)社台レースホース
第37回	1985年12月15日	ダイシンフブキ	牡2	1:35.4	菅原泰夫	柴田寛	高橋金次
第38回	1986年12月14日	メリーナイス	牡2	1:35.6	根本康広	橋本輝雄	浦房子
第39回	1987年12月20日	サクラチヨノオー	牡2	1:35.6	小島太	境勝太郎	(株)さくらコマース
第40回	1988年12月18日	サクラホクトオー	牡2	1:35.5	小島太	境勝太郎	(株)さくらコマース
第41回	1989年12月17日	アイネスフウジン	牡2	1:34.4	中野栄治	加藤修甫	小林正明
第42回	1990年12月9日	リンドシェーバー	牡2	1:34.0	的場均	元石孝昭	(株)デルマークラブ
第43回	1991年12月8日	ミホノブルボン	牡2	1:34.5	小島貞博	戸山為夫	(有)ミホノインターナショナル
第44回	1992年12月13日	エルウェーウィン	牡2	1:35.5	南井克巳	坪憲章	雑古隆夫
第45回	1993年12月12日	ナリタブライアン	牡2	1:34.4	南井克巳	大久保正陽	山路秀則
第46回	1994年12月11日	フジキセキ	牡2	1:34.7	角田晃一	渡辺栄	齊藤四方司
第47回	1995年12月10日	バブルガムフェロー	牡2	1:34.2	岡部幸雄	藤沢和雄	(有)社台レースホース
第48回	1996年12月8日	マイネルマックス	牡2	1:36.3	佐藤哲三	中村均	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第49回	1997年12月7日	グラスワンダー	牡2	1:33.6	的場均	尾形充弘	半沢(有)
第50回	1998年12月13日	アドマイヤコジーン	牡2	1:35.3	M.ロバーツ	橋田満	近藤利一
第51回	1999年12月12日	エイシンプレストン	牡2	1:34.7	福永祐一	北橋修二	平井豊光
第52回	2000年12月10日	メジロベイリー	牡2	1:34.5	横山典弘	武邦彦	(有)メジロ牧場
第53回	2001年12月9日	アドマイヤドン	牡2	1:33.8	藤田伸二	松田博資	近藤利一
第54回	2002年12月8日	エイシンチャンプ	牡2	1:33.5	福永祐一	瀬戸口勉	平井豊光
第55回	2003年12月14日	コスモサンビーム	牡2	1:33.7	D.バルジュー	佐々木晶三	岡田美佐子
第56回	2004年12月12日	マイネルレコルト	牡2	1:33.4	後藤浩輝	堀井雅広	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第57回	2005年12月11日	フサイチリシャール	牡2	1:33.7	福永祐一	松田国英	関口房朗
第58回	2006年12月10日	ドリームジャーニー	牡2	1:34.4	蛯名正義	池江泰寿	(有)サンデーレーシング
第59回	2007年12月9日	ゴスホークケン	牡2	1:33.5	勝浦正樹	斎藤誠	藤田与志男
第60回	2008年12月21日	セイウンワンダー	牡2	1:35.1	岩田康誠	領家政蔵	大谷高雄
第61回	2009年12月20日	ローズキングダム	牡2	1:34.0	小牧太	橋口弘次郎	(有)サンデーレーシング
第62回	2010年12月19日	グランプリボス	牡2	1:33.9	M.デムーロ	矢作芳人	(株)グランプリ

朝日杯フューチュリティステークスの記録

レースレコード - 1:33.4(第56回優勝馬マイネルレコルト)
2着との最大着差 - 大差(約13馬身差)(第28回優勝馬マルゼンスキー)

朝日杯フューチュリィステークス 父子制覇
過去に3組の例がある。
組	父馬名	優勝回	仔馬名	優勝回
1組目	マルゼンスキー	第28回	ニシノスキー	第34回
2組目	マルゼンスキー	第28回	サクラチヨノオー	第39回
3組目	グラスワンダー	第49回	セイウンワンダー	第60回

朝日杯フューチュリティステークス 兄弟制覇
過去に2組の兄弟(姉妹)制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。
組	兄馬名	優勝回	弟馬名	優勝回	母馬名
1組目	キタノオー	第7回	キタノヒカリ	第8回	バウアーヌソル(サラ系)
2組目	サクラチヨノオー	第39回	サクラホクトオー	第40回	サクラセダン
キタノオーとキタノヒカリは父馬も同じ(トサミドリ)全兄妹である。

朝日杯フューチュリティステークス 脚注
^ ただし、クラシック競走において騸馬排除の根拠とされる「繁殖馬の選定」について本競走において明確に謳っているわけではない。これはNHKマイルカップ・ニュージーランドトロフィーでも同様である。
^ 最優秀2歳牡馬の参考として、2000年の勝ち馬メジロベイリーは4戦目にようやく初勝利を挙げた直後の出走であり、勝ち馬として(2009年現在の)歴代最低人気の10番人気に過ぎなかったこと、1番人気のタガノテイオーがレース中に骨折し予後不良となり、他の上位人気馬も下位に沈む中の優勝であったことから、評価は低かった。この年にはラジオたんぱ杯2歳ステークスでジャングルポケットとクロフネとの3強対決で完勝したアグネスタキオンがおり高い評価を受けていたが、記者投票147対119票の結果によりメジロベイリーが選出されている。
^ 1600mのレコードタイムは2010年5月9日の東京競馬場で施行されたNHKマイルカップ競走で優勝したダノンシャンティが記録した1:31.4。なお中山競馬場での記録は2001年9月9日の京成杯オータムハンデキャップ競走で優勝したゼンノエルシドが記録した1:31.5。
^ 中山競馬場で出走可能頭数が18頭確保できるコースは芝内回り2000m、芝外回り2200mのいずれもスタンド正面から発走するコースのみである。同じGIであるスプリンターズステークス(芝外回り1200m)、有馬記念(芝内回り2500m)も出走可能頭数は16頭である。
^ 道中もほとんどが緩やかなカーブで距離ロスなく追い越しをかけられる直線がなく、並んで走るだけであっても内側の馬に対し3馬身差の距離のロスがあると言われる。
^ JRA公式サイトの「今週の注目レース」でのデータ分析(外部リンク参照)でもはっきりと「内枠が有利、過去10年で7枠・8枠で連対したのはメイショウボーラーのみ」という旨が明記されている

阪神カップ

阪神カップ

開催地	阪神競馬場
施行日	2011年12月17日
施行時期	12月中旬
(原則5回阪神5日目)
格付け	GII
1着賞金	7000万円
賞金総額	1億3400万円
距離	芝1400m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)

負担重量	定量(3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	2006年12月17日

阪神カップ(はんしんカップ)とは日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝内回り1400mで施行する競馬の重賞競走(GII)。
短距離重賞競走の体系整備の一環で、マイラーとスプリンター双方の活躍の場をひろげるために新設された。
尚、アーリントンパーク競馬場(アメリカ合衆国)では阪神競馬場との交換競走として阪神カップ(Hanshin Cup、GIII・サラブレッド3歳以上・オールウェザー8ハロン)が行われているが、阪神競馬場ではアーリントンカップが対応する。

阪神カップ 概要
2006年の競馬番組改革の主な変更点の一つに短距離重賞競走の整備が定められ、その際に新設されたGII競走である。従来、12月の阪神競馬開催の第3週には阪神牝馬ステークス(GII)が行われていたが、これがヴィクトリアマイル(GI)の新設に伴う牝馬路線整備のために開催日が春へ移動し、空いた日程に「スプリンターとマイラー双方の出走による新たな魅力ある競走を提供する」[1]目的で新設された。これに伴い、同時期に中京競馬場で施行されていたCBC賞(芝1200m)はGIIIに降格かつ、6月~7月に日程が変更となり、年末の牡馬牝馬混合の短距離重賞競走が本競走に一元化された。
第2・3回はJpnII(国内限定グレード)として施行されたが、これは国際格付けに必要な開催年数に達していないためで、第4回からGII(国際グレード)に再指定された。よって第1回と第4回以後のグレードの意味合いは異なる。また、阪神電鉄とは、関係ない。
現在の優勝レイの配色は薄紫色の地に黄色文字となっている。
出走資格は、サラ系3歳以上のJRA所属の競走馬と、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は定量で3歳は56kg、4歳以上は57kgで、牝馬は2kg減である。
2011年度現在の総額賞金は1着賞金7,000万円、2着賞金2,800万円、3着賞金1,800万円、4着賞金1,100万円、5着賞金700万円と定められており、GII競走の中では札幌記念と並ぶ最高金額である。

阪神カップ 歴史
2006年 - 阪神競馬場の芝内回り1400mの3歳以上の国際競走・特別指定交流競走の定量の重賞(GII)競走阪神カップとして新設(地方所属馬の出走枠は2頭、外国調教馬の出走枠は5頭まで)。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2009年
外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
重賞格付け表記をGIIに戻す。
サンカルロとプレミアムボックスが2着同着。
8位入線のエイシンタイガーが進路妨害により12着に降着。
2010年
施行日を愛知杯と交換。
キンシャサノキセキが競走馬として史上初の連覇。
堀宣行が調教師として史上初の連覇。
2012年
開催日が有馬記念より後となり、最後に行われる重賞となる。
JRA2連福対象競走に指定。
近代競馬150周年記念の副称を付けて施行。

阪神カップ 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	2006年12月17日	 フサイチリシャール	牡3	1:20.6	福永祐一	松田国英	関口房朗
第2回	2007年12月16日	 スズカフェニックス	牡5	1:20.6	武豊	橋田満	永井啓弐
第3回	2008年12月21日	 マルカフェニックス	牡4	1:21.6	福永祐一	松永昌博	河長産業
第4回	2009年12月20日	 キンシャサノキセキ	牡6	1:20.4	M.デムーロ	堀宣行	吉田和美
第5回	2010年12月18日	 キンシャサノキセキ	牡7	1:20.3	C.スミヨン	堀宣行	吉田和美
第6回	2011年12月17日						

阪神カップ その他
2008年からジャパンカップダートが阪神競馬場へ移転し、施行期日も12月第1週に変更になったことに伴い、阪神ジュベナイルフィリーズと朝日杯フューチュリティステークスの施行期日がそれぞれ1週ずつ繰り下がった。そのため、朝日杯フューチュリティステークスと本競走が同じ日に施行されるようになったが、2010年・2011年は施行日が土曜日だったが、2012年は振替休日の月曜日に施行される予定。
2005年8月にスポーツ新聞各紙で報道された記事によると、当初は新設GI競走として予定されていた

プリンセス特別

プリンセス特別

開催地	笠松競馬場
施行日	2011年12月12日
格付け	SPI
1着賞金	200万円
賞金総額	290万円
距離	ダート1600m
出走条件	サラブレッド系2歳牝馬オープン・地方競馬全国交流
負担重量	別定重量
第1回施行日	1977年11月23日

プリンセス特別(プリンセスとくべつ)は岐阜県地方競馬組合が笠松競馬場のダート1600mで施行する競馬の重賞(SPI)競走(平地競走)。
正式名称は「スポーツニッポン杯 プリンセス特別」、スポーツニッポン新聞社が優勝杯を提供している。

プリンセス特別 概要
1977年にサラブレッド系3歳(現2歳)牝馬の東海(笠松・愛知)所属馬限定の重賞競走「スポーツニッポン杯 サラ・プリンセス特別」として創設。1996年からは東海地区重賞格付け制度施行によりSPIII(スーパープレステージスリー)に格付けされた。
2009年からは「サラ」の冠が取れ、名称を現在の「スポーツニッポン杯 プリンセス特別」に変更された。なお同様の趣旨の競走にアングロアラブ系2歳牝馬の東海所属馬限定の重賞競走「アラ・プリンセス特別」が笠松競馬場で施行されていたがこちらは1991年に創設され、1995年を以って廃止となっている。
2010年からGRANDAME-JAPAN・2歳シーズンの第4戦に指定となり、更にSPIIIからSPIに格上げされた。
施行距離は長らくダート1400mで施行されていたが、2010年からはダート1600mで施行されている。
出走条件は創設当初から2004年までは東海所属馬、2005年のみは北陸・東海・近畿所属馬、2006年からは北陸・東海・近畿・中国所属馬、2010年からは地方競馬全国交流競走となる。馬齢はいずれもサラブレッド系2歳牝馬。
負担重量は別定重量である。
2011年度の賞金総額は290万円で、1着賞金200万円、2着賞金50万円、3着賞金22万円、4着賞金12万円、5着賞金6万円と定められている。

プリンセス特別 歴史
1977年 - 笠松競馬場のダート1400mのサラブレッド系3歳(現2歳)牝馬の東海所属馬限定の重賞競走「スポーツニッポン杯 サラ・プリンセス特別」として創設。
1979年 - 施行時期を11月から12月に変更。
1992年 - 施行時期を12月から11月に戻す。
1994年 - 当時、笠松所属の安藤勝己が騎手として史上初の連覇。
1996年 - 東海地区重賞格付け制度施行によりSPIIIに格付け。
1999年 - 笠松の東川公則が騎手として史上2人目の連覇。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「サラブレッド系3歳牝馬の東海所属馬」から「サラブレッド系2歳牝馬の東海所属馬」に変更。
2003年
当時、笠松所属の安藤光彰が騎手として史上3人目の連覇。
笠松の柳江仁が調教師として史上初の連覇。
2005年 - 当年のみ、北陸・東海・近畿地区交流競走として施行され、出走条件を「サラブレッド系2歳牝馬の北陸・東海・近畿所属馬」に変更。
2006年 - この年から北陸・東海・近畿・中国地区交流競走として施行され、出走条件を「サラブレッド系2歳牝馬の北陸・東海・近畿・中国所属馬」に変更。
2008年
笠松の阪上忠匡が騎手として史上4人目の連覇。
笠松の森山英雄が調教師として史上2人目の連覇。
2009年
名称を現在の「スポーツニッポン杯 プリンセス特別」変更。
兵庫のサイバーモールが他地区の地方所属馬として史上初の優勝。
2010年
施行距離を現在のダート1600mに変更。
この年から地方競馬全国交流競走として施行され、出走条件を「サラブレッド系2歳牝馬の地方所属馬」に変更。
GRANDAME-JAPAN・2歳シーズンに指定。
SPIに格上げ。

プリンセス特別 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1977年11月23日	エバーローランド	牝2	笠松	1:34.0	南輝幸	山中敏彦	
第2回	1978年11月22日	ハツシンジユエル	牝2	笠松	1:31.5	味坂勲	松村友二	(株)八神会
第3回	1979年12月9日	ユミコウジ	牝2	笠松	1:31.0	安藤勝己	梶原軍造	柴田光男
第4回	1980年12月7日	コマツミサキ	牝2	笠松	1:31.4	井上孝彦	荒川友司	
第5回	1981年12月13日	ミエノダンサー	牝2	笠松	1:32.4	川原正一	後藤四季治	
第6回	1982年12月12日	カイソクワン	牝2	愛知	1:31.1	原口次夫	錦見勇夫	
第7回	1983年12月18日	セイランレデイ	牝2	笠松	1:31.5	安藤勝己	高田勝良	
第8回	1984年12月9日	ヤングパンサー	牝2	笠松	1:31.2	安藤光彰	田邉睦雄	
第9回	1985年12月8日	スペクテイター	牝2	笠松	1:30.2	伊藤浩臣	小井土金一	堀野進
第10回	1986年12月14日	ホクテンヒユーマ	牝2	笠松	1:29.9	井上孝彦	荒川友司	
第11回	1987年12月6日	ハロープリンセス	牝2	笠松	1:30.7	安藤勝己	後藤保	佐橋五十雄
第12回	1988年12月14日	リユウコウエンゼル	牝2	愛知	1:32.6	原口次夫	磯村林三	池田徳七
第13回	1989年12月13日	ベンテンプツシヤー	牝2	笠松	1:30.3	伊藤強一	神部幸夫	
第14回	1990年12月12日	タツミモンブラン	牝2	笠松	1:33.9	横山誠	中山義宣	松原重太郎
第15回	1991年12月11日	アソパンサー	牝2	笠松	1:31.6	川原正一	後藤保	川崎不動産
第16回	1992年11月4日	ホクテンホウ	牝2	笠松	1:32.4	井上孝彦	高田勝良	竹内延光
第17回	1993年11月4日	オグリローマン	牝2	笠松	1:28.9	安藤勝己	鷲見昌勇	小栗孝一
第18回	1994年11月6日	ライデンリーダー	牝2	笠松	1:28.6	安藤勝己	荒川友司	水野俊一
第19回	1995年11月5日	ゴーテンジョウ	牝2	笠松	1:30.6	川原正一	山中敏彦	青山眞澄
第20回	1996年11月21日	グレイキュウ	牝2	笠松	1:32.4	村井栄治	原隆男	岡本紘一
第21回	1997年11月19日	ライデンガール	牝2	笠松	1:31.1	仙道光男	岩崎幸紀	(有)トミケン
第22回	1998年11月5日	ミホノミンクス	牝2	笠松	1:31.7	東川公則	粟津豊彦	伊藤好生
第23回	1999年11月21日	トスターバロン	牝2	笠松	1:30.8	東川公則	後藤保	今井田正純
第24回	2000年11月21日	マスターワーク	牝2	笠松	1:29.9	安藤勝己	鈴木良文	水野恵吉
第25回	2001年11月21日	アイムクイーン	牝2	笠松	1:29.3	吉田稔	伊藤勝好	永田捷子
第26回	2002年11月6日	トキノホーマ	牝2	笠松	1:29.2	安藤光彰	柳江仁	伊藤昭次
第27回	2003年11月5日	メジャーガール	牝2	笠松	1:29.7	安藤光彰	柳江仁	吉田博俊
第28回	2004年11月5日	ミツアキチーター	牝2	笠松	1:31.6	東川公則	後藤保	山本光明
第29回	2005年11月9日	ミヤビダンサー	牝2	笠松	1:29.4	土田龍也	柳江仁	加藤鈴幸
第30回	2006年11月8日	フジノビビアン	牝2	笠松	1:30.7	濱口楠彦	後藤保	榊原勝好
第31回	2007年11月6日	カキツバタフェロー	牝2	笠松	1:30.4	阪上忠匡	森山英雄	久世浅市
第32回	2008年11月13日	ニュースターガール	牝2	笠松	1:29.3	阪上忠匡	森山英雄	荒木克己
第33回	2009年11月12日	サイバーモール	牝2	兵庫	1:29.5	安部幸夫	橋本忠男	山口春夫
第34回	2010年11月25日	ミラノボヴィッチ	牝2	笠松	1:42.3	濱口楠彦	柳江仁	村田裕子
第35回	2011年12月12日	タッチデュール	牝2	笠松	1:43.0	大原浩司	山中輝久	(有)ホースケア

香港ヴァーズ

香港ヴァーズ

Hong Kong Vase
開催地 沙田競馬場
施行時期 12月第2日曜日
格付け G1
1着賞金 798万香港ドル(約1億1100万円)
賞金総額 1400万香港ドル(約1億9600万円)
距離 芝2400m
出走条件 サラブレッド3歳以上
負担重量 3歳123ポンド(約56kg)、
4歳以上126ポンド(約57kg)、牝馬4ポンド減
第1回施行日 1994年12月11日

香港ヴァーズ(香港瓶、Hong Kong Vase)とは毎年12月中旬に中華人民共和国の香港にある沙田競馬場の芝2400メートルで行われる3歳以上の競馬の競走。

香港国際賽事(香港国際競走)として香港カップ(芝2000メートル)、香港スプリント(芝1200メートル)、香港マイル(芝1600メートル)といった国際G1(グループワン)と同日に開催される。

香港競馬年度シーズンの最初の中長距離路線のG1競走であるが香港では2000m以上の競走があまり日程に組み込まれていないため、ヨーロッパなど他地区の競走馬が地元勢を圧倒する事が多い。

香港ヴァーズ 歴史
 
1994年 「香港国際ヴァーズ」として創設、競走グループは国際リステッド
1996年 国際G2に昇格
1997年 イギリス調教馬のルソー(Luso)が史上初の連覇
2000年
「香港ヴァーズ」に改称
国際G1に昇格

香港ヴァーズ 主なプレップレース

香港地区内
インターナショナルカップトライアル(國際盃預賽) 香港国内G2 3歳以上 芝2000メートル
日本
菊花賞 国際GI 3歳牡馬・牝馬 芝3000メートル
エリザベス女王杯 国際GI 3歳以上牝馬 芝2200メートル
ジャパンカップ 国際GI 3歳以上 芝2400メートル
フランス
凱旋門賞(Prix de l’Arc de Triomphe) 国際G1 3歳以上牡馬・牝馬 芝2400メートル
アメリカ
ブリーダーズカップターフ(Breeders’ Cup Turf) 国際G1 3歳以上 芝12ハロン
ブリーダーズカップフィリー&メアターフ(Breeders’ Cup Filly & Mare Turf) 国際G1 3歳以上牝馬 芝11ハロン
カナダ
カナディアンインターナショナルステークス(Canadian International Stakes) 国際G1 3歳以上 芝12ハロン

香港ヴァーズ 歴代優勝馬

回数 施行日 調教国・優勝馬 日本語読み 性齢 勝時計 優勝騎管理調教師
第1回 1994年12月11日 紅主教(Red Bishop) レッドビショップ 牡6 2:25.1 C.アスムッセン J.ハモンド
第2回 1995年12月10日 派得好(Partipral) パルティプラル 牡6 2:25.7 O.ペリエ E.ルルーシュ
第3回 1996年12月8日 牢騷(Luso) ルソー 牡4 2:26.1 L.デットーリ C.ブリテン
第4回 1997年12月14日 牢騷(Luso) ルソー 牡5 2:26.3 M.キネーン C.ブリテン
第5回 1998年12月13日 原居民(Indigenous) インディジェナス 騸5 2:27.4 D.ホワイト I.アラン
第6回 1999年12月12日 博爾吉亞(Borgia) ボルジア 牝5 2:30.1 O.ペリエ A.ファーブル
第7回 2000年12月17日 大利多(Daliapour) ダリアプール 牡4 2:28.2 J.ムルタ M.スタウト
第8回 2001年12月16日 黄金旅程(Stay Gold) ステイゴールド 牡7 2:27.8 武豊 池江泰郎
第9回 2002年12月15日 嘉比奧(Ange Gabriel) アンジュガブリエル 牡4 2:28.4 T.ジャルネ E.リボー
第10回 2003年12月14日 逍遙谷(Vallee Enchantee) ヴァレーアンシャンテ 牝3 2:28.2 D.ブフ E.ルルーシュ
第11回 2004年12月12日 鳳凰烈焰(Phoenix Reach) フェニックスリーチ 牡4 2:29.8 M.ドワイヤー A.ボールディング
第12回 2005年12月11日 占卜(Ouija Board) ウィジャボード 牝4 2:28.9 K.ファロン E.ダンロップ
第13回 2006年12月10日 煤礦山(Collier Hill) コリアーヒル 牡8 2:27.1 D.マッキューン G.A.スウィンバンク
第14回 2007年12月9日 迪諾醫生(Doctor Dino) ドクターディーノ 牡5 2:28.2 O.ペリエ R.ギブソン
第15回 2008年12月14日 迪諾醫生(Doctor Dino) ドクターディーノ 牡6 2:29.14 O.ペリエ R.ギブソン
第16回 2009年12月13日 大利來(Daryakana) ダリャカーナ 牝3 2:27.51 G.モッセ A.ド・ロワイエデュプレ
第17回 2010年12月12日 技藝精湛(Mastery) マスタリー 牡4 2:27.69 L.デットーリ S.ビン・スルール

武蔵野ステークス

武蔵野ステークス
開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月13日
施行時期	11月上旬 - 中旬
(原則5回東京4日目)
格付け	GIII
1着賞金	3800万円
賞金総額	7200万円
距離	ダート1600m
出走条件	サラ系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	1996年5月18日

武蔵野ステークス(むさしのステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場のダート1600mで施行する中央競馬の重賞(国際GIII・統一GIII)競走である。東京中日スポーツを発行する中日新聞東京本社が優勝杯を提供しているため、正式名称は東京中日スポーツ杯武蔵野ステークスと表記される。名称は施行場の所在地域の武蔵野に由来している。正賞は中日新聞社賞のほか、地方競馬全国協会会長賞。

武蔵野ステークス 概要
東京競馬場の5歳(現4歳)以上による準オープン競走「武蔵野ステークス」の名称で施行されたのが始まり。1996年に4歳(現3歳)以上による混合・別定の重賞競走として格上げ(GIII)された。
重賞に格上げされた当初は、帝王賞の前哨戦として位置付けされダート2100mで施行されていた。しかし2000年よりジャパンカップダートが新設されたことにより施行時期を秋に、施行距離をダート1600mに変更、JBCクラシックとともに同競走の前哨戦として行われている。なお2010年からは、エリザベス女王杯(GI)と同日開催となる。
またクロフネが芝路線からダート路線に移し、歴史的な大差勝ちを収めたのも当競走である。
出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)及び、JRAに認定された地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)である。
負担重量は3歳55kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は3kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
総額賞金は7200万円。1着賞金3800万円で、以下2着賞金1500万円、3着賞金950万円、4着賞金570万円、5着賞金380万円と定められている。

武蔵野ステークス 歴史
条件競走、オープン特別時代
1986年以前 - 5歳(現4歳)以上の競走馬による混合・馬齢重量の1400万下条件競走として「武蔵野ステークス」が、東京競馬場・ダート1600mで施行。
1987年
混合競走から除外。
負担重量をハンデキャップに変更。
1988年
混合競走に再び指定。
負担重量を別定に変更。
施行距離をダート1400mに変更。
1989年
施行距離をダート1600mに戻す。
オープン特別に昇格。
1990年 - 負担重量をハンデキャップに戻す。
1995年
イブキクラッシュが史上初の連覇。
的場均が騎手として史上初の3連覇。
沖芳夫が調教師として史上初の連覇。
重賞競走時代
1996年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬による混合・別定重賞(GIII)競走「武蔵野ステークス」として昇格、東京競馬場・ダート2100mで施行。
1997年 - 指定交流競走に指定され、地方馬は5頭まで出走可能となる。
1998年 - 当年のみ「英国祭UK98開催記念 武蔵野ステークス」として施行。
1999年
エムアイブランが2頭目の連覇。
武豊が騎手として2人目の連覇。
伊藤修司が調教師として2人目の連覇。
2000年
国際競走に指定され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
地方馬の出走枠が5頭から4頭に変更される。
施行距離をダート1600mに戻す。
2001年
中日新聞東京本社より寄贈杯を受け、名称を「東京中日スポーツ杯武蔵野ステークス」に変更。
クロフネがダート1600mの日本レコード1分33秒3で優勝。
2002年
東京競馬場の改修工事により、中山競馬場・ダート1800mで施行。
外国調教馬の出走枠を8頭に拡大。
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)より国際GIIIに指定。
2007年 - 施行日当日から過去1年以上前の重賞競走および牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。
2010年 - 施行日をエリザベス女王杯と同日にし、日曜日開催となる。

武蔵野ステークス 歴代優勝馬

武蔵野ステークス 1400万下条件・オープン特別
施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
1986年4月20日	ロードレオネ	牡4	1:37.8	菅原泰夫	野平好男	(株)ロードホースクラブ
1987年5月16日	ベルベッドグローブ	牡4	1:35.5	郷原洋行	大久保房松	栗林英雄
1988年4月29日	イブキノキャニオン	牡4	1:23.1	田村正光	野平富久	(有)伊吹
1989年5月13日	レインボーアカサカ	牡5	1:35.0	岡部幸雄	高橋英夫	(有)イーデン産業
1990年5月12日	ダイナレター	牡6	1:36.6	杉浦宏昭	二本柳俊夫	(有)社台レースホース
1991年5月11日	ミスタートウジン	牡5	1:35.4	安田隆行	福島信晴	藤立啓一
1992年5月16日	ナリタハヤブサ	牡5	1:34.5	横山典弘	中尾謙太郎	山路秀則
1993年5月15日	メイショウホムラ	牡5	1:35.3	的場均	高橋成忠	松本好雄
1994年5月14日	イブキクラッシュ	牡4	1:37.0	的場均	沖芳夫	(有)伊吹
1995年5月13日	イブキクラッシュ	牡5	1:35.6	的場均	沖芳夫	(有)伊吹

武蔵野ステークス 重賞格付け以後
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1996年5月18日	キソジゴールド	牡7	2:11.6	安田康彦	安田伊佐夫	皆吉康子
第2回	1997年5月17日	デュークグランプリ	牡6	2:10.5	岡部幸雄	小西一男	石原春夫
第3回	1998年5月23日	エムアイブラン	牡6	2:11.8	武豊	伊藤修司	稲見豊
第4回	1999年5月22日	エムアイブラン	牡7	2:09.6	武豊	伊藤修司	谷口貞保
第5回	2000年10月28日	サンフォードシチー	牡5	1:35.4	村山明	大沢真	(株)友駿ホースクラブ 
第6回	2001年10月27日	クロフネ	牡3	1:33.3	武豊	松田国英	金子真人
第7回	2002年10月26日	ダブルハピネス	牡5	1:52.2	河内洋	柴田政見	伊藤武三郎
第8回	2003年11月1日	サイレントディール	牡3	1:36.2	O.ペリエ	池江泰郎	金子真人
第9回	2004年10月30日	ピットファイター	牡5	1:35.4	柴田善臣	加藤征弘	臼田浩義
第10回	2005年10月29日	サンライズバッカス	牡3	1:35.2	佐藤哲三	音無秀孝	松岡隆雄
第11回	2006年10月28日	シーキングザベスト	牡5	1:35.3	勝浦正樹	森秀行	吉田和子
第12回	2007年10月27日	エイシンロンバード	牡5	1:35.5	吉田豊	小崎憲	平井豊光
第13回	2008年11月8日	キクノサリーレ	牡3	1:36.0	後藤浩輝	吉田直弘	菊池五郎
第14回	2009年11月7日	ワンダーアキュート	牡3	1:35.5	安藤勝己	佐藤正雄	山本信行
第15回	2010年11月14日	グロリアスノア	牡4	1:36.6	戸崎圭太	矢作芳人	高野葉子
※2002年以降は国際重賞(国際GIII)競走により国旗を表記。

武蔵野ステークスからのジャパンカップダート優勝馬
2000年から同年に新設されたジャパンカップダートの前哨戦として施行されるようになったが、2頭(内1頭が2回制覇)が同年のジャパンカップダートを制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第6回	クロフネ	牡3	1着
第10回	カネヒキリ	牡3	2着
第13回	カネヒキリ	牡6	9着

京都ジャンプステークス

京都ジャンプステークス

第11回京都ジャンプステークス
開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月12日
施行時期	11月上旬 - 中旬
(原則5回京都3日目)
格付け	J・GIII
1着賞金	3000万円
賞金総額	5700万円
距離	障害芝3170m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(混合)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	1999年5月16日

京都ジャンプステークス(きょうとジャンプステークス)は、京都競馬場の障害・芝3170mで施行する中央競馬の障害の重賞(J・GIII)競走である。

京都ジャンプステークス 概要
1953年に障害の重賞競走として創設され、年2回施行されていた京都大障害の春の競走を前身とし、1998年の第90回競走を最後に廃止された京都大障害(春)を機能的に引き継ぐ形で、1999年に障害競走にグレード制が施行されたと同時に新設された。
なお、京都大障害(秋)は同年に新設された京都ハイジャンプ(2009年より5月に施行)に引き継がれている。
2008年までは6月に施行される東京ハイジャンプへ向けての前哨戦の位置付けとされており、2005年の優勝馬エリモカントリー、同じく2006年のスプリングゲントが同競走で優勝を果たしている。2009年からは開催時期を5月中旬から11月中旬に変更された。
京都ハイジャンプとともに重賞競走用の「大障害コース」を通過するコースで施行され、高低差0.8m、長さ15.9mのバンケット(飛び上がり飛び下り台、愛称は「ビッグスワン」)が設けられ、コースの難易度が他の競馬場よりも比較的高く、第4回・第8回競走以外は出走馬が落馬をしている。オープン連勝した馬がそのまま優勝するなど、近走好調の馬がその勢いで活躍することが多い。
現在の優勝レイの配色は、紫色の地に金色の文字となっている。
出走条件は、2008年まではサラ系4歳(旧5歳)以上、2009年からは3歳以上のJRA所属の競走馬(外国産馬を含む)。
負担重量は、2008年まではハンデキャップで施行されたが、有力馬の出走を促すため、2009年からは別定重量に変更された。 3歳58kg、4歳以上60kg、牝馬2kg減を基本とし、更にJ・GI競走1着馬は3kg増、J・GII競走1着馬は2kg増が課せられる。
2011年現在の総額賞金は5,700万円で、1着賞金3,000万円、2着賞金1,200万円、3着賞金750万円、4着賞金450万円、5着賞金300万円と定められている。

京都ジャンプステークス 歴史
1999年
京都競馬場の障害・芝3170mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの混合の重賞(J・GIII)競走、京都ジャンプステークスとして創設。
出走馬13頭の内2頭が落馬、1頭が競走中止、そのうちファイブポインターとカブトフドオは、2周目7号障害で先頭を争って競りながら飛越するが揃って失敗、ファイブポインターは転倒し、カブトフドオも騎手が落馬した。ちなみに、両馬はそれぞれ1,2番人気と人気を分け合っていた。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2009年
開催時期を5月から11月に変更。それに伴い、出走条件も「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
負担重量を「ハンデキャップ」から「別定重量」に変更。

京都ジャンプステークス 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1999年5月16日	トキオワイルド	牡5	3:33.3	熊沢重文	山本正司	坂田時雄
第2回	2000年5月13日	メイショウワカシオ	牡6	3:34.0	嘉堂信雄	池添兼雄	松本好雄
第3回	2001年5月12日	ユーセンシュタイン	牡5	3:31.5	出津孝一	岩元市三	(有)アサヒクラブ
第4回	2002年5月11日	ホッコーアンバー	牡7	3:33.4	熊沢重文	浜田光正	矢部幸一
第5回	2003年5月17日	ウインマーベラス	牡6	3:36.0	白浜雄造	森秀行	(株)ウイン
第6回	2004年5月15日	クールジョイ	牡6	3:31.8	金折知則	松元茂樹	菱田健
第7回	2005年5月14日	エリモカントリー	牡5	3:30.6	嘉堂信雄	高橋隆	山本敏晴
第8回	2006年5月13日	スプリングゲント	牡6	3:38.2	小坂忠士	野村彰彦	加藤春夫
第9回	2007年5月12日	キングジョイ	牡5	3:31.0	白浜雄造	増本豊	松岡隆雄
第10回	2008年5月17日	テイエムトッパズレ	牡5	3:33.3	佐久間寛志	鹿戸明	竹園正繼
第11回	2009年11月14日	エーシンディーエス	牡4	3:31.8	横山義行	坂口正則	(株)栄進堂
第12回	2010年11月13日	ランヘランバ	牡7	3:31.7	五十嵐雄祐	藤沢則雄	田中充
第13回	2011年11月12日

京王杯2歳ステークス

京王杯2歳ステークス

開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月12日
施行時期	11月中旬
(原則5回東京3日目)
格付け	GII
1着賞金	3800万円
賞金総額	7200万円
距離	芝1400m
出走条件	サラブレッド系2歳(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	馬齢(55kg、牝馬1kg減)
第1回施行日	1965年10月17日

京王杯2歳ステークスは、東京競馬場の芝1400mで行われる2歳馬限定の競馬の重賞(GII)競走。
正賞は京王電鉄株式会社賞。京王杯スプリングカップ同様に優勝杯を提供する京王電鉄から冠名が取られている。
京王電鉄は東京競馬場の最寄の駅である府中競馬正門前駅に乗り入れをしている鉄道会社。

京王杯2歳ステークス 概要 

1965年に京成杯3歳ステークスとして創設。当初は中山競馬場の芝1200mで施行されていたが(1968年・1975年は東京競馬場の芝1400mで施行)、1980年からは施行場が東京競馬場に移るとともに現行距離となり定着している。
1984年のグレード制施行によりGIIに格付けされた。
1998年に京王杯3歳ステークスに改称されたが、これは当競走の施行場が変更された1980年以降、京成電鉄の沿線にある中山競馬場で京王杯オータムハンデキャップ、京王帝都電鉄(1998年に社名を京王電鉄に変更)の沿線にある東京競馬場で京成杯3歳ステークスが施行されるというねじれ現象が続いていたことから、京王・京成両者の合意を得て寄贈賞を入れ替える形で行なわれたものであった。そして2001年からは馬齢表記変更に伴い、現競走名となっている。2002年は東京競馬場改修工事の影響で、かつての施行条件である中山競馬場の芝1200mで施行された。
阪神ジュベナイルフィリーズと朝日杯フューチュリティステークスの両GI競走の前哨戦に位置付けられており、旧3歳GIの位置付けが明確に分かれた1991年以降では、1996年優勝のマイネルマックス、1997年優勝のグラスワンダー、2003年優勝のコスモサンビーム、2010年優勝のグランプリボスの4頭が次走で2歳(旧3歳)GI競走を制しており、また同じく優勝馬のウメノファイバー・ブルーコンコルドものちにGI競走を優勝している。優勝馬以外からは2010年の10着馬オルフェーヴルが史上7頭目の三冠馬となっている。
出走資格は、サラブレッド系2歳のJRA所属馬(外国産馬含む、未出走馬及び未勝利馬は除く)、地方競馬所属馬(4頭まで)、及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は馬齢で、牡馬・セン馬は55kg、牝馬は54kgである。
2011年度現在の総額賞金は7200万円で、1着賞金:3800万円、2着賞金:1500万円、3着賞金:950万円、4着賞金:570万円、5着賞金:380万円と定められている。

京王杯2歳ステークス 歴史 

1965年 - 3歳(現2歳)の競走馬による重賞競走として京成杯3歳ステークスが創設され、中山競馬場・芝1200mで施行された。
1968年 - 東京競馬場のスタンド増設工事に伴う振替開催により、東京競馬場・芝1400mで施行。
1975年 - 京葉労働組合の労働協議の影響による開催中止の振替開催により、東京競馬場・芝1400mで施行。
1980年 - 施行場を東京競馬場・芝1400mに変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。
1989年 - 混合競走に指定。
1990年 - 境勝太郎が調教師として史上初の連覇。
1995年
指定交流競走に指定され、地方所属馬は4頭まで出走可能になる(阪神ジュベナイルフィリーズ出走候補馬及び朝日杯フューチュリティステークス出走候補馬がそれぞれ2頭)。
加藤和宏が騎手として史上初の連覇。
1998年 - 京王電鉄と寄贈杯提供競走(京王杯オータムハンデキャップ)を入れ替え、京王杯3歳ステークスに名称変更。
1999年 - 蛯名正義が騎手として2人目の連覇。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「3歳」から「2歳」に変更。
競走名を京王杯2歳ステークスに変更。
2002年 - 東京競馬場の改修工事による振替開催により、中山競馬場・芝1200mで施行。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2010年 - 国際競走に指定され、外国馬は9頭まで出走可能になる。そのため、重賞格付け表記をGIIに戻す。

京王杯2歳ステークス 歴代優勝馬

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数	施行日	優勝馬	勝時計	性齢	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1965年10月17日	ハイアデス	1分12秒0	牡2	加賀武見	小西喜蔵	椎野浅五郎
第2回	1966年11月20日	メジロフレーム	1分11秒0	牡2	矢野一博	八木沢勝美	北野豊吉
第3回	1967年10月29日	ヤマトダケ	1分13秒2	牝2	嶋田功	稲葉幸夫	北條三郎
第4回	1968年10月20日	ショウゲッコウ	1分26秒0	牝2	佐藤征助	田中朋次郎	村松健一
第5回	1969年11月2日	アローエクスプレス	1分10秒7	牡2	加賀武見	高松三太	伊達秀和
第6回	1970年10月10日	スズランパス	1分10秒5	牝2	郷原洋行	西塚十勝	鈴木武二
第7回	1971年10月10日	トクザクラ	1分13秒2	牝2	田村正光	梶与四松	(有)徳間牧場
第8回	1972年10月15日	マミーブルー	1分10秒9	牝2	藤本勝彦	藤本冨良	竹内専一
第9回	1973年10月7日	カーネルシンボリ	1分13秒0	牡2	西野桂	野平省三	和田共弘
第10回	1974年10月20日	テスコガビー	1分10秒2	牝2	菅原泰夫	仲住芳雄	長島忠雄
第11回	1975年10月19日	フェアスポート	1分25秒2	牡2	嶋田潤	藤本冨良	(有)ターフ・スポート
第12回	1976年10月24日	セーヌスポート	1分12秒9	牝2	嶋田功	稲葉幸夫	(有)ターフ・スポート
第13回	1977年10月23日	タケデン	1分10秒0	牡2	岡部幸雄	鴨田次男	武市伝一
第14回	1978年10月22日	ジェットバージ	1分10秒4	牡2	郷原洋行	稗田善彦	上総興業(有)
第15回	1979年10月21日	シャダイダンサー	1分10秒1	牝2	竹原啓二	松山吉三郎	吉田善哉
第16回	1980年10月19日	タケノダイヤ	1分24秒8	牝2	中島啓之	仲住芳雄	大沢良丈
第17回	1981年11月1日	イーストボーイ	1分22秒4	牡2	根本康広	橋本輝雄	加藤久枝
第18回	1982年11月7日	ドウカンヤシマ	1分26秒3	牡2	郷原洋行	田中朋次郎	新井操
第19回	1983年11月6日	ハーディービジョン	1分25秒6	牡2	的場均	柄崎義信	鈴木健司
第20回	1984年11月4日	ダイナシュート	1分23秒6	牝2	柴田政人	矢野進	(有)社台レースホース
第21回	1985年11月3日	ダイシンフブキ	1分23秒2	牡2	菅原泰夫	柴田寛	高橋金次
第22回	1986年11月2日	ホクトヘリオス	1分23秒3	牡2	南田美知雄	中野隆良	森滋
第23回	1987年11月15日	シノクロス	1分23秒9	牝2	嶋田功	西塚十勝	福井裕
第24回	1988年11月13日	ドクタースパート	1分24秒0	牡2	的場均	柄崎孝	松岡悟
第25回	1989年11月12日	サクラサエズリ	1分22秒9	牝2	木藤隆行	境勝太郎	(株)さくらコマース
第26回	1990年11月11日	ビッグファイト	1分23秒4	牡2	小島太	境勝太郎	戸澤澄
第27回	1991年11月10日	ヤマニンミラクル	1分22秒6	牡2	田島良保	浅見国一	土井薫
第28回	1992年11月15日	マイネルキャッスル	1分23秒0	牡2	柴田善臣	河野通文	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第29回	1993年11月13日	ヤマニンアビリティ	1分22秒9	牡2	横山典弘	浅見国一	土井薫
第30回	1994年11月12日	ゴーゴーナカヤマ	1分22秒0	牡2	加藤和宏	小西一男	和泉信一
第31回	1995年11月11日	アジュディケーター	1分23秒5	牝2	加藤和宏	佐藤全弘	関駿也
第32回	1996年11月9日	マイネルマックス	1分22秒9	牡2	佐藤哲三	中村均	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第33回	1997年11月8日	グラスワンダー	1分21秒9	牡2	的場均	尾形充弘	半沢(有)
第34回	1998年11月14日	ウメノファイバー	1分22秒8	牝2	蛯名正義	相沢郁	梅崎敏則
第35回	1999年11月13日	ダイワカーソン	1分23秒4	牡2	蛯名正義	増沢末夫	大和商事(株)
第36回	2000年11月11日	テイエムサウスポー	1分22秒3	牡2	和田竜二	柴田光陽	竹園正繼
第37回	2001年11月10日	シベリアンメドウ	1分25秒8	牡2	後藤浩輝	堀井雅広	藤田与志男
第38回	2002年11月9日	ブルーコンコルド	1分09秒4	牡2	秋山真一郎	服部利之	(株)荻伏レーシング・クラブ
第39回	2003年11月15日	コスモサンビーム	1分21秒8	牡2	武豊	佐々木晶三	岡田美佐子
第40回	2004年11月13日	スキップジャック	1分22秒1	牡2	勝浦正樹	高橋裕	ディアレスト
第41回	2005年11月12日	デンシャミチ	1分23秒3	牡2	柴田善臣	田中章博	小田切有一
第42回	2006年11月11日	マイネルレーニア	1分22秒6	牡2	松岡正海	西園正都	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第43回	2007年11月10日	アポロドルチェ	1分22秒7	牡2	後藤浩輝	堀井雅広	アポロサラブレッドクラブ
第44回	2008年11月15日	ゲットフルマークス	1分21秒6	牡2	四位洋文	岩戸孝樹	ジェイアール
第45回	2009年11月14日	エイシンアポロン	1分22秒0	牡2	池添謙一	岡田稲男	平井豊光
第46回	2010年11月13日	グランプリボス	1分21秒8	牡2	M.デムーロ	矢作芳人	(株)グランプリ
本競走からの阪神ジュベナイルフィリーズ優勝馬 [編集]
第27回から阪神ジュベナイルフィリーズ(阪神3歳牝馬ステークス)の前哨戦の1競走として施行されているが1頭が同年の阪神ジュベナイルフィリーズ(阪神3歳牝馬ステークス)を制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第29回	ヒシアマゾン	牝2	2着
京王杯2歳ステークスからの朝日杯フューチュリティステークス優勝馬
第1回から朝日杯フューチュリティステークス(朝日杯3歳ステークス)の前哨戦の1競走として施行されているが13頭が同年の朝日杯フューチュリティステークス(朝日杯3歳ステークス)を制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第2回	モンタサン	牡2	4着
第5回	アローエクスプレス	牡2	1着
第7回	トクザクラ	牝2	1着
第9回	ミホランザン	牡2	6着
第15回	リンドタイヨー	牡2	2着
第17回	ホクトフラッグ	牡2	2着
第19回	ハーディービジョン	牡2	1着
第21回	ダイシンフブキ	牡2	1着
第32回	マイネルマックス	牡2	1着
第33回	グラスワンダー	牡2	1着
第39回	コスモサンビーム	牡2	1着
第40回	マイネルレコルト	牡2	5着
第46回	グランプリボス	牡2	1着

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