1986年に調教師免許を取得し、翌1987年に厩舎を開業。初出走は同年10月10日京都競馬第8競走のダイオーハードで15着、初勝利は同年10月25日福島競馬第12競走のダイオーハードで延べ3頭目であった。
渡辺薫彦は所属騎手で、1994年のデビュー以来、一貫して所属している。このため、渡辺を主戦騎手として多くの管理馬に騎乗させており、ナリタトップロードで1999年の菊花賞を含む重賞6勝を挙げている。
渡辺以外の騎手では幸英明や小牧太などの起用が多い。
沖芳夫 主な管理馬
エリモシック(1997年エリザベス女王杯)
ナリタトップロード(1999年菊花賞)
シェイクハンド(1995年ニュージーランドトロフィー4歳ステークス)
沖芳夫 所属騎手
渡辺薫彦 (1994年3月1日~)
高野容輔(2008年4月1日~6月30日)
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イギリスでの1年7ヶ月間の競馬留学を経て、1975年に尾形藤吉厩舎に入門、調教助手となった。1981年、藤吉の死去に伴って父・盛次の厩舎に移った後、1982年に調教師免許を取得。
翌1983年には19勝を挙げて関東の優秀調教師賞を受賞するなど、早くから頭角を現した。1989年には スピークリーズンが京成杯を制し、平地競走の重賞で初勝利を挙げる。
同年秋にはメジロマスキットで中山大障害も制覇した。
以後も安定した成績を保ちながら、長らく平地のGI級競走に恵まれなかったが、1997年12月、管理馬グラスワンダーが朝日杯3歳ステークスを制し、GI競走を初制覇。
1994年から日本調教師会副会長および関東本部長を兼任し、2010年2月より同会会長に就任。
尾形充弘 調教師成績
日付競走名馬名頭数人気着順
初出走1982年10月2日-バーターホース–2着
初勝利1982年10月17日-バーターホース–1着
重賞初出走・初勝利1982年11月14日東京障害特別(秋)ラッキータウロ10頭21着
GI初出走1984年4月29日天皇賞(春)ダイナフランダース19頭1116着
GI初勝利1997年12月7日朝日杯3歳Sグラスワンダー15頭11着
尾形充弘 主な管理馬
ラッキータウロ(1982年東京障害特別・秋)
ヨロズハピネス(1983年日刊スポーツ賞金杯)
メジロアイガー(1988年東京大障害)
スピークリーズン(1989年京成杯、函館記念)
メジロマスキット(1989年中山大障害・秋、東京障害特別・秋)
エアジョーダン(1992年共同通信杯4歳ステークス)
ヒガシマジョルカ(1992年函館記念)
トウショウフェノマ(1994年新潟3歳ステークス)
グラスワンダー(1997年朝日杯3歳ステークス 1998年有馬記念 1999年宝塚記念、有馬記念など重賞7勝)
ブラックタキシード(1999年セントライト記念)
グラスボンバー(2005年福島記念)
ニシノナースコール(2009年エンプレス杯)
ハンソデバンド(2010年共同通信杯)
尾形充弘 表彰記録
優秀調教師賞(関東)6回(1983年、1989年、1997-1999年、2005年)
主な厩舎所属者 [編集]
括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
伊藤正徳(1982年-1987年 騎手)
菊川正達(1988年-1993年 騎手)
沢昭典(1990年-1999年 騎手)
臼井武(1997年-現在 調教助手)
柄崎将寿(2001年-2005年 騎手)
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大竹 正博(おおたけ まさひろ、1969年12月30日 – )は、日本中央競馬会(JRA)所属の調教師(美浦トレーニングセンター)、元調教助手、元厩務員。
旧姓・大崎 正博(おおさき まさひろ)
大竹の父は中央競馬の元騎手・大崎昭一である。1985年に大崎は八百長を行ったという疑いをかけられ、無期限の騎乗停止処分を受けた。
最終的に八百長行為は認められないという結論が下され騎乗停止処分は解除されたものの、騒動の影響で栗東の一部の厩舎を除きほとんどの厩舎から騎乗依頼が来なくなるなど大崎の騎手生活は大きく狂わされることとなった(新潟事件)。
事件の影響から大竹は競馬に良い印象を抱いておらず、当初は獣医師を志していたが、1992年に大崎がレッツゴーターキンに騎乗して天皇賞(秋)を優勝したことをきっかけに中央競馬で働くことを考えるようになった。
麻布大学獣医学部を卒業後、北海道の牧場での勤務を経て競馬学校の厩務員過程に合格。1997年に中央競馬の調教助手となった。
大竹は中央競馬の調教師になることが父の敵をとることになると考えており、当初から調教師になることを志していた[2]。2008年に調教師免許を取得し、2009年に美浦トレーニングセンターに厩舎を開業した。
なお、調教師試験受験時に過去の経緯もあり、姓を母方の「大竹」にすると同時に、父・昭一と話し合いの末、お互い疎遠にすることにしたという。
大竹正博 エピソード
大竹に初勝利をもたらした競走馬アンヴェイルは橋口弘次郎厩舎からの転厩馬である。
橋口は新潟事件後大崎を積極的に起用した調教師として知られ、その縁でアンヴェイルの転厩が実現した[3]。
萩原清厩舎で技術調教助手をしていた時に後にダービー馬となるロジユニヴァースの調教等に携わっている。
その縁もあり開業間もない大竹厩舎に久米田氏の期待馬が預けられている。
大竹正博 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2009年3月8日2回中山4日8R4歳上500万下アンヴェイル16頭52着
初勝利2009年4月4日3回中山3日8R4歳上500万下アンヴェイル11頭11着
重賞初出走2010年1月11日1回中山4日11RフェアリーSロジフェローズ16頭56着
重賞初勝利2011年3月21日1回阪神5日11Rフィリーズレビューフレンチカクタス16頭31着
GI初出走2011年4月10日2回阪神6日11R桜花賞フレンチカクタス18頭79着
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2003年1月に初出走を迎え、2月23日に初勝利。2006年にナイキアースワークでユニコーンステークスに優勝し、重賞競走を初制覇。
その3ヶ月後にはマンオブパーサーでダービーグランプリに優勝し、GI競走初制覇となった。翌2007年にはアサクサキングスで菊花賞に優勝し、クラシック競走初優勝も果たしている。
大久保龍志 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2003年3月7日1回京都3日4R3歳新馬ベレノス15頭913着
初勝利2003年2月23日2回京都8日2R3歳未勝利ベレノス15頭31着
重賞初出走2003年3月29日2回阪神1日11R毎日杯エクスアタック13頭1013着
重賞初勝利2006年6月3日3回東京5日11RユニコーンSナイキアースワーク16頭41着
GI初出走2006年12月10日5回中山4日11R朝日杯FSジャングルテクノ15頭109着
GI初勝利2007年10月21日4回京都7日11R菊花賞アサクサキングス18頭41着
大久保龍志 主な管理馬
ナイキアースワーク(2006年ユニコーンステークス)※2007年に川島正行厩舎に移籍。
マンオブパーサー(2006年ダービーグランプリ)
アサクサキングス(2007年きさらぎ賞、菊花賞、2009年京都記念、阪神大賞典)
ヒラボクロイヤル(2007年青葉賞)
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大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。
調教師・大久保末吉の長男として生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、建築士を経て競馬界に入る。1976年に調教師免許を取得し、1990年代後半にGI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の活躍馬を管理している。
東京都府中市出身。
1944年、東京競馬場所属の調教師・大久保末吉の長男として生まれる。
建築の道へ進んだ理由は、図面描きが好きであったことによる。
大学卒業後は建築士として前田建設工業に入社、八幡製鐵君津工場(現・新日本製鐵君津製鐵所)火力発電所の工事などに携わった。
その後、一級建築士資格も取得したが、父・末吉が高齢になっていたこと、また1964年にクラシック三冠を達成したシンザンの登場以来、競馬に対する世間のイメージ向上が進みつつあったことなどもあり、父を補佐するため1971年に前田建設工業を退社し、調教助手に転身した。
1976年に調教師免許を取得。
父・末吉がメジロムサシなど「メジロ」を冠名とする北野豊吉所有馬の管理を多数請け負っていたことから、洋吉は北野が創設したメジロ牧場からの預託馬を数多く手掛けた。1979年には初管理馬の1頭であるメジロファントムが東京新聞杯に優勝し、管理馬の重賞初勝利を挙げた。
同馬は1983年まで走り、目黒記念優勝のほか天皇賞、有馬記念で計3度の2着など重賞戦線の名脇役として人気を博した。
1984年にはメジロジュピター、メジロアンタレスで春秋の中山大障害を連覇するなど「メジロ」4頭で重賞勝利、年間では自身初の30勝を挙げ、関東の優秀調教師賞と重賞獲得調教師賞を受賞した。
1992年に大久保の管理で初勝利を挙げたショウナングレイス(メジロファントムの又姪)は、国本の馬主業7年目での初勝利馬となった[6]。1994年には、競馬学校騎手課程を卒業した吉田豊を厩舎所属騎手として引き受け、以後吉田を主戦騎手とした。
1996年12月にメジロドーベルが阪神3歳ステークスを制し、大久保は開業21年目、吉田はデビュー3年目でのGI競走初制覇を果たす。年間では37勝を挙げ、勝利度数ランキングで藤沢和雄に次ぐ全国2位に付けた。
翌年には同馬で優駿牝馬(オークス)に優勝し、クラシック競走を初制覇。末吉が管理した曾祖母・メジロボサツが1966年のオークスで2着となっており、洋吉にとっては親子二代・31年越しの雪辱となった。
当年は他に秋華賞制覇などを含む自己最高の40勝を挙げ、前年に次ぐ勝利度数2位(1位藤沢)を記録した。メジロドーベルは1999年の引退までにエリザベス女王杯2勝を加え、牝馬として当時最多のGI競走5勝を達成した。
以後大久保は関東所属調教師の上位に定着し、安定して30勝以上を記録していった。2002年にはショウナングレイスの産駒・ショウナンカンプで高松宮記念に優勝、2004年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズを制した。
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大江原 哲(おおえはら さとし、1953年2月13日 – )は、日本中央競馬会の元騎手並びに美浦トレーニングセンター所属の調教師である。
実弟は元騎手の大江原隆、甥に騎手の大江原圭(隆の実子)がいる。
馬事公苑長期騎手課程(当時は現在のように競馬学校がない時代だった)を経て、1971年に古山良司厩舎から騎手としてデビュー。
初騎乗:1971年3月6日 第1回中山競馬4日目の第3競走(タマクラヒメ 14着)。
初勝利:1971年7月4日 第4回東京競馬8日目の第4競走のアイアンオーザ。
現役時代は主に障害競走に騎乗した。
1996年2月で騎手を引退した後は調教師へ転身し、翌1997年に厩舎を開業した。
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1962年3月、京都競馬場所属の松元正雄厩舎所属でデビューしたが、初年度には1勝も出来ず、初勝利は翌年まで持ち越された。その後、坪重兵衛厩舎に移動ののち、1966年には、坪厩舎の先輩騎手で、新たに開業する伊藤雄二厩舎所属となる。
伊藤厩舎初期の主戦騎手として数々の馬に騎乗し、厩舎初の重賞勝ちを記録するなどして勝ち星も増えたが、梅内慶蔵調教師の女婿となって梅内姓に改称、1972年には義父の厩舎に移籍した。
1972年にデビューしたキシュウローレルにはデビュー戦から騎乗し、デイリー杯3歳ステークスを当時の日本レコードとなる1分22秒2で快勝すると、続く阪神3歳ステークスも快勝したが、桜花賞ではニットウチドリの2着に破れた。
また長女の栄子は、女性調教助手の草分け的存在として知られている。
梅内忍 騎手成績
通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地2312252292241.103.203
障害222024132.167.318
計2532452532373.107.210
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1962年3月17日-ブランドカーン--10着
初勝利1962年3月31日-コールキング--1着
重賞初騎乗・初勝利1963年6月7日アラブ大障害(春)ヒダノオー8頭71着
GI級初騎乗・初勝利1972年12月10日阪神3歳Sキシュウローレル15頭11着
梅内忍 主な騎乗馬
キシュウローレル(阪神3歳ステークス・デイリー杯3歳ステークス)
メジロスイセイ(京都記念・秋)
ミカファスト(京都4歳特別)
デヤレスト(阪神障害ステークス)
梅内忍 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1989年11月26日5回京都8日6R3歳上400万下インターイズミ13頭610着
初勝利1989年4月4日3回中京7日2R2歳未勝利ミノリオージャ15頭51着
重賞初出走1990年4月8日3回阪神6日10R桜花賞テンザンアルファ18頭95着
重賞初勝利1990年8月26日3回小倉6日11R小倉記念スノージェット12頭51着
梅内忍 主な管理馬
スノージェット(1990年小倉記念)
シゲルホームラン(1993年 - 1995年セイユウ記念)
バンブーマリアッチ(1999年愛知杯)
ドンクール(2005年兵庫チャンピオンシップ、2006年名古屋大賞典)
→『梅内忍』の詳細ページへ
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1994年3月、茨城県美浦トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。初勝利は同期開業調教師の中で最も遅く、同年7月3日の札幌開催における未勝利戦をノーブルグラスで勝ったのが最初となった。
しかし以後は順調に勝利を重ね、当年13勝を挙げた。翌1995年7月には初勝利馬ノーブルグラスが札幌スプリントステークスを制し、重賞初勝利を挙げる。
2004年、管理馬ダイワメジャーが皐月賞を制し、GI競走およびクラシック競走初制覇を果たす。同馬は後に競走能力に影響を及ぼす喘鳴症を発症して低迷に陥ったが、手術を施した後は立て直すことに成功し、2007年末の引退までに5つのGI競走に優勝した。
上原博之 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1994年3月5日2回中山3日12R5歳上500万下メイスンボサツ16頭1211着
初勝利1994年7月3日1回札幌8日3R4歳未勝利ノーブルグラス8頭11着
重賞初出走1994年4月9日3回中山5日9R中山大障害(春)ロンゲット6頭55着
重賞初勝利1995年7月16日2回札幌4日11R札幌スプリントSノーブルグラス16頭91着
GI初出走1995年10月29日4回東京8日10R天皇賞(秋)スガノオージ17頭815着
GI初勝利2004年4月18日3回中山8日11R皐月賞ダイワメジャー18頭101着
上原博之 主な管理馬
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
ノーブルグラス(1995・1996年札幌スプリントステークス)
スガノオージ(1995年毎日王冠 1996年カブトヤマ記念)
ダイワルージュ(2000年新潟3歳ステークス)
ダイワメジャー(2004年皐月賞、2006年天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、2007年安田記念、マイルチャンピオンシップなど重賞8勝)
フェリシア(2004年フェアリーステークス)
ショウナンタキオン(2005年新潟2歳ステークス)
プレミアムボックス(2008年オーシャンステークス 2009年CBC賞、京阪杯)
ダイワワイルドボア(2008年セントライト記念)
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騎手としてバンブーアトラスで東京優駿(日本ダービー)、ラフオンテースで阪神3歳ステークスなどに優勝し、調教師として顕彰馬・テイエムオペラオーを管理した。2000年度JRA賞最多賞金獲得調教師。
初出走は同年12月2日、阪神競馬第8競走のアールカップで9着、初勝利は翌1990年1月15日、京都競馬第2競走のミヤジペガサスで挙げた(延べ14頭目)。同年の小倉3歳ステークスをテイエムリズムで制して重賞初勝利を挙げた。
1996年より和田竜二が所属騎手となっている。1999年の皐月賞を和田騎乗のテイエムオペラオーで制し、岩元の調教師としてのJRAGI初勝利と共に和田のGI初勝利を飾っている。
2000年には同馬がGI競走を次々と制して8戦無敗という成績でシーズンを終え、この年最多獲得賞金調教師のタイトルを獲得した。
冠名「テイエム」を使用する垂水町(現・垂水市)出身の馬主・竹園正繼は幼馴染で、岩元がバンブーアトラスで勝った東京優駿(日本ダービー)の勝利騎手インタビューを偶然見たことがきっかけで馬主になったという逸話がある。
キングラナーク(1977年中日新聞杯 1978年中京記念、大阪杯)
スリーファイヤー(1978年阪急杯、金鯱賞 1979年中日新聞杯、北九州記念)
ネーハイジェット(1979年きさらぎ賞、神戸新聞杯)
ラフオンテース(1979年阪神3歳ステークス、デイリー杯3歳ステークス 1981年北九州記念、小倉大賞典、朝日チャレンジカップ)
マリージョーイ(1980年金鯱賞)
バンブーアトラス(1982年東京優駿)
シンブラウン(1983年・1984年阪神大賞典)
岩元市三 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1989年12月2日5回阪神1日8R3歳上400万下アールカップ10頭109着
初勝利1990年1月15日1回京都6日2R3歳未勝利ミヤジペガサス12頭31着
重賞初出走1990年1月28日1回阪神2日11R京都牝馬特別ファンドリポポ14頭811着
重賞初勝利1990年9月2日3回小倉8日11R小倉3歳Sテイエムリズム13頭81着
GI初出走1991年4月7日3回京都6日10R桜花賞テイエムリズム18頭1814着
GI初勝利1999年4月18日3回中山8日11R皐月賞テイエムオペラオー17頭51着
重賞競走31勝(うちGI競走7勝)
岩元市三 主な管理馬
テイエムリズム(1990年小倉3歳ステークス)
ファンドリポポ(1990年朝日チャレンジカップ)
シンホリスキー(1991年スプリングステークス、きさらぎ賞)
グランドシンゲキ(1993年 アーリントンカップ)
ポレール(1996年中山大障害・春、中山大障害・秋、東京障害特別・春、阪神障害ステークス・秋 1997年中山大障害・春)
サージュウェルズ(1996年ステイヤーズステークス)
テイエムトップダン(1997年毎日杯)
テイエムオペラオー(1999年毎日杯、皐月賞 2000年京都記念、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念、京都大賞典、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念2001年天皇賞(春)、京都大賞典)
ポートブライアンズ(1999年福島記念)
テイエムトッキュー(1999年カブトヤマ記念)
ファンドリロバリー(2000年阪神スプリングジャンプ)
ユーセイシュタイン(2001年京都ジャンプステークス)
トッププロテクター(2002年北九州記念)
クーリンガー(2004年佐賀記念、名古屋大賞典2005年名古屋大賞典、マーチステークス 2006年マーキュリーカップ)
岩元市三 受賞歴
jRA賞最多賞金獲得調教師(2000年)
JRA賞優秀技術調教師(1999年)
優秀調教師賞(関西)4回(1990年、1991年、1999年、2000年)
和田竜二(騎手、1996年3月 - 2010年3月)
出津孝一(騎手、2010年5月 - 2010年10月調教助手、2010年10月 - )
鈴木孝志(調教助手、1995年4月 - 2009年2月)
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岩戸 孝樹(いわと たかき、1966年7月23日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター北に所属している調教師で、元騎手である。
1985年3月美浦・山崎彰義厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には柴田善臣、石橋守などがいる。
現役生活16年間で重賞勝利や表彰等の特筆すべき実績は無く、2000年2月調教師免許の取得に伴い現役を引退。
騎手成績は中央通算1909戦83勝、地方通算31戦1勝であった。
その後、技術調教師研修などを経て2002年3月、定年解散となった山崎彰義厩舎を引き継ぐ形で厩舎を開業。競馬学校騎手課程を卒業した騎手として初の調教師となる。
開業初年度こそ7勝に終わったものの、以後は勝利数を2桁を維持し続け、2007年11月に管理馬であるフサイチアソートが東京スポーツ杯2歳ステークスを制し開業6年目で重賞初勝利を達成。その翌年の京王杯2歳ステークスにて通算100勝を2度目の重賞勝利で飾っている。
岩戸孝樹 騎手成績
通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 83 122 140 1909 .043 .107
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1985年3月2日 - セッテフローラ 11頭 - 6着
初勝利 1985年3月24日 - タイウイナー - - 1着
重賞初騎乗 1989年9月17日 タマツバキ記念 セッテノベラ 12頭 3 12着
岩戸孝樹 主な騎乗馬
セッテノベラ(1988年アラブ大賞典など、アラブ系オープン特別競走3勝)
タイジョイナー(1990年ラジオたんぱ賞3着)
岩戸孝樹 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2002年3月2日 1回中山3日7R 4歳上500万下 デルマアベンヌ 16頭 15 15着
初勝利 2002年3月10日 1回中京4日6R 4歳上500万下 コールミークイーン 16頭 8 1着
重賞初出走 2003年8月3日 2回新潟6日11R 関屋記念 クロンヌドール 16頭 16 13着
重賞初勝利 2007年11月17日 5回東京5日11R 東京スポーツ杯2歳S フサイチアソート 15頭 9 1着
GI初出走 2004年4月17日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ フサイチジハード 15頭 4 中止
岩戸孝樹 主な管理馬
フサイチアソート(2007年東京スポーツ杯2歳ステークス)
ゲットフルマークス(2008年京王杯2歳ステークス)
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