調教師 一覧 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

加藤征弘

東京都出身。
1991年5月、JRA競馬学校厩務員課程に入学し、9月から美浦・加賀武見厩舎所属の厩務員となり、11月には美浦・二本柳俊一厩舎所属の調教助手となる。
1994年3月、美浦・相川勝敏厩舎所属となる。
1996年4月、美浦・内藤一雄厩舎所属となる。
1997年4月、再び美浦・相川勝敏厩舎所属となる。
2001年2月、調教師免許を取得する。
2004年、第9回武蔵野ステークスをピットファイターが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
2007年、第7回シンガポール航空インターナショナルカップをシャドウゲイトが制し海外のGIがGI初制覇となった。

加藤敬二

加藤敬二は、馬界入りする前には信用金庫の職員だったという、異色の経歴を持つ。

しかし配属先の犬山支店で預金係として札束勘定や営業活動に明け暮れる自分を見た加藤は「これは自分に合う仕事ではない、体を使い野外で働いてみたい」と感じるようになりほどなく退職届を提出。僅か2年半ほどのサラリーマン生活に終止符を打った。

1968年7月より社台ファームの従業員として繁殖・育成・馴致・調教と多くの業務に携わった加藤はその2年半後の1971年正月、社台に暇を請い北海道を後にする。栗東で調教助手になることを望み、現地での実践勉強や海外視察を視野に入れていたためであった。

この時直接加藤より暇請いを受けた社台総帥吉田善哉は「そうか、頑張れや」とだけいい加藤を送り出したという。
栗東に移り、宮本悳厩舎の厩務員として2年半籍を置いた加藤は、1973年10月一旦職を辞しイギリスへと向かい、同地で1年以上に渡る厩舎・牧場での研修を経て1975年1月帰国。

再び宮本厩舎へと戻った加藤は同年3月調教助手試験に合格し、かねてからの望みを実現させた。加藤はその後11年にわたり調教助手として宮本を補佐し続け、1986年3月6度目の挑戦で調教師試験に合格。

馬房の空きが無かったため1年以上の待機となったが、1987年10月病死により今春廃業した梅内慶蔵厩舎を引き継ぐ形で厩舎開業を果たす。
開業後暫くは旧梅内厩舎の馬だけで運営を賄い、加藤自らが開拓した馬主からの馬を入れることはしなかったがやがて自然代謝により梅内の馬が去り始めたころより、続々と新規参入の馬主の馬が入厩。

加藤厩舎はその実績を伸ばし始め1989年より勝利数2桁を維持、1994年にはノースフライトでGIを2勝、1998年にはエリモエクセルでオークスを制しクラシック制覇を記録するなど多くの重賞勝利を輩出し続けている。

加藤敬二 調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1987年10月10日4回京都1日9R黄菊賞ブリングスハピネス10頭910着
初勝利1987年10月11日4回京都2日2R3歳未勝利ハクサンエース14頭11着
重賞初出走1987年11月14日5回京都3日11Rデイリー杯3歳Sハクサンエース13頭136着
重賞初勝利1988年1月31日2回京都2日11R京都牝馬特別マヤノジョウオ10頭11着
GI初出走1988年5月15日4回東京8日10R安田記念マヤノジョウオ12頭107着
GI初勝利1994年5月15日4回東京8日10R安田記念ノースフライト16頭51着

加藤敬二 主な管理馬

アラシ(1992年福島記念、中京記念)
ノースフライト(1994年安田記念、マイルチャンピオンシップ)
サマニベッピン(1995年金鯱賞、府中牝馬ステークス、阪神牝馬特別)
エリモエクセル(1998年オークス)
ミヤビランベリ(2008年・2009年七夕賞、2009年目黒記念、2009年アルゼンチン共和国杯)

加藤敬二 主な厩舎所属者

括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
梅内忍(1987年-1989年 調教助手)
牧田和弥(2005年-2010年 調教助手)
高井彰大(2010年-現在 調教助手)

加藤和宏

1985年の東京優駿(日本ダービー)はシリウスシンボリに騎乗、それまでに紆余曲折があったが、1番人気に応えて優勝を果たし、優勝騎手インタビューでは「ゆかりちゃん、やったよ!」と、前年に結婚した妻の名を叫んで話題となった。

2003年に息子・士津八の騎手デビューで親子騎手となったが、2年後の2005年に調教師免許を取得し、同年に騎手を引退した。通算6476戦604勝(数字は中央競馬のみ)。

加藤和宏 調教師時代

2005年、美浦トレーニングセンターに厩舎を開業。初出走は同年5月28日東京競馬第4競走のビクトリアスで3着。

2007年には第1回ジョッキーマスターズの出場騎手に名を連ね、シャダイアイバーの服色で参戦し4着という結果を残した。

シリウスシンボリと加藤調教師

シリウスシンボリの馬主であった和田共弘は、クラシックを前に、それまでのレースで進路妨害による失格や、騎乗ミスでの敗戦があった加藤から、岡部幸雄への乗り替わりを求めた。

折衝の末にシリウスは二本柳厩舎に戻り、「若葉ステークスは岡部、日本ダービーは加藤」という妥協案で合意した。ダービー優勝によって円満解決になると思われたが、この後シリウスシンボリは菊花賞に向かわず、約2年にわたって欧州遠征を行った。

粕谷昌央

粕谷 昌央(かすや まさお、1965年9月4日 – )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。
1986年、5月に日本中央競馬会競馬学校厩務員課程に入学し、卒業後の9月から美浦・小西登厩舎所属の厩務員となり、11月には美浦・栗田博憲厩舎に移って調教助手に転身。この間ヤマニンゼファー、アイリッシュダンス等の実績馬を担当している。
2001年、5月より美浦・佐藤征助厩舎所属となる。
2004年、3月より美浦・本間忍厩舎所属となる。
2007年、2月に調教師免許を取得する。
2008年、3月1日付で厩舎を18馬房で開業した。

同日には鹿戸雄一厩舎、松山将樹厩舎、野中賢二厩舎も開業している。開業時の管理馬には定年解散となった矢野進厩舎からの転厩馬5頭が含まれている。

小原伊佐美

1980年、厩舎を開業し、10月18日に阪神競馬場で管理馬が初出走し、ハンキツヨシが7着となる。
1981年、タマモコウリュウが3月28日に阪神競馬場で勝利を挙げ、管理馬が延べ51頭目で初勝利を挙げた。
1987年、12月6日の鳴尾記念をタマモクロスが制し、管理馬が重賞競走初勝利を挙げた。
1988年、4月29日の天皇賞(春)をタマモクロスが制し、管理馬がGI競走初勝利を挙げた。

さらに1988年度のJRA賞最多賞金獲得調教師を受賞した。
1990年、9月24日に管理馬が地方競馬で初出走する。
2001年、5月9日に名古屋競馬場で行われた名古屋チャレンジカップ・ジュピター賞をユーコーフォエバーが制し、管理馬が地方競馬で初勝利を挙げた。

小原伊佐美 表彰

JRA賞最多賞金獲得調教師
1988年
主な騎乗馬 [編集]

ホウシュウヒカリ(1968年 タマツバキ記念(秋))

小原伊佐美 主な管理馬

タマモクロス(1987年 鳴尾記念、1988年 スポーツニッポン賞金杯、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋))
トーアファルコン(1988年 CBC賞)
ロンシャンボーイ(1993年 京阪杯、高松宮杯)
ルーブルアクト(1993年 鳴尾記念)
ホクセイアンバー(1994年 小倉記念)
タマモモノノフ(1994年 小倉障害ステークス)
タマモイナズマ(1999年 万葉ステークス、ダイヤモンドステークス)
タマモヒビキ(2002年 小倉大賞典)
ナナヨーヒマワリ(2008年 マーチステークス)

小原伊佐美 厩舎スタッフ

内田国夫(調教助手)
小原義之(調教助手)
過去の所属者
清山宏明(当時騎手)

小原伊佐美 人物・エピソード

タマモクロスが藤森特別(当時400万下)を8馬身の圧勝し、一部マスコミから「菊花賞での関西の秘密兵器」と呼ばれたが、先を考えて菊花賞には出走させなかった。
代表管理馬のタマモクロスをはじめ、タマモ株式会社が所有する競走馬を管理することが多い。
管理馬には息子で厩舎に所属する小原義之を起用していたことが多く、父子で重賞を4勝している。

小野次郎

かつて中央競馬の騎手であった小野定夫は、遠縁にあたる。
1989年に騎手免許を取得し、美浦の高松邦男厩舎所属でデビュー。

初勝利は同年5月7日、東京第4競走のホッカイカオリであった。重賞初勝利は1995年 カブトヤマ記念をアイオーユーで制覇。
2010年12月9日、2011年度調教師免許試験に合格。かつては合格した後も厩舎に空きがないなどの理由により、1年程度他厩舎の技術調教師として所属し、研修後開業するのが通常の流れであったが、近年の調教師の定年による引退及び定年前の勇退者の増加により、合格直後の2011年3月から開業できることになったため、2010年10月24日東京競馬第7レースでの騎乗(7着)を最後の騎乗とし、通常2月末に行われることが多い、引退記念の騎乗及び引退についてファンへの挨拶などは一切行わず鞭を置くこととなった。

小野幸治

1966年、第1回北九州記念をハジメリユウで制し重賞初勝利を挙げる。
1974年、栗東・小林三雄三厩舎所属となる。
通算成績は2342戦317勝。
1984年、厩舎を開業する。

3月11日、初出走となった小倉競馬場での第9レースは、タケノヨロコビが4着となる。5月19日、阪神競馬場での第2レースでハンキトップが勝利し延べ17頭目で初勝利を挙げる。
1985年、愛知杯をロングクイックが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
1987年、第39回阪神3歳ステークスをサッカーボーイが制し、JRAGI初勝利を挙げる。

小野幸治 騎手成績

通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地3143012582320.135.265
障害32215.200.333
計3173032602335.136.266
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1965年3月6日-シーダ–4着
初勝利1965年3月7日-ダイハジメオー–1着
重賞初騎乗1965年6月6日鳴尾記念アスカ7頭23着
重賞初勝利1966年11月20日北九州記念ハジメリユウ12頭21着
GI級初騎乗1968年6月30日優駿牝馬ローズイパス16頭69着

小野幸治 主な騎乗馬

ハジメリユウ(1966年北九州記念)
タカノキネン(1969年阪急杯)
フサイチ(1970年アラブ大賞典(春・秋))
シュンサクオー(1970年大阪杯)
キームスビィミー(1971年京都記念(秋)、1972年ハリウッドターフクラブ賞)
ホースメンホープ(1977年日本経済新春杯、中京記念)
タニノテスコ(1981年阪神牝馬特別)

小野幸治 表彰

優秀調教師賞(関西)
1986年
中京競馬記者クラブ賞
1995年

小野幸治 調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1984年3月11日1回小倉2日9R-タケノヨロコビ–4着
初勝利1984年5月19日3回阪神1日2R4歳未勝利ハンキトップ–1着
重賞初出走1984年11月3日5回京都1日11Rデイリー杯3歳Sロングクイック10頭79着
重賞初勝利1985年12月1日3回中京2日11R愛知杯ロングクイック14頭51着
GI初出走1985年5月19日3回東京4日10R優駿牝馬クリスシルバー28頭812着
GI初勝利1987年12月20日5回阪神6日11R阪神3歳Sサッカーボーイ10頭11着

小野幸治 主な管理馬

ロングクイック(1985年愛知杯)
サッカーボーイ(1987年阪神3歳ステークス、1988年中日スポーツ賞4歳ステークス、函館記念、マイルチャンピオンシップ)
ホワイトアロー(1990年愛知杯、1992年スポニチ賞金杯)
メルシーアトラ(1991年日経新春杯)
メルシーステージ(1994年アーリントンカップ、毎日杯)
サウンドバリヤー(1995年愛知杯)
セフティーエンペラ(2004年福島記念)
スリーアベニュー(2007年ガーネットステークス)
ロングプライド(2007年ユニコーンステークス)
ジョイフルハート(2008年北海道スプリントカップ)


音無秀孝の調教師成績

音無秀孝 調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1995年6月24日3回中京3日12R5歳上900万下キーペガサス16頭711着
重賞初勝利1995年7月23日2回小倉4日11R北九州記念イナズマタカオー16頭31着
GI初出走1995年10月29日4回東京8日10R天皇賞(秋)イナズマタカオー17頭149着
GI初勝利2006年3月26日1回中京8日11R高松宮記念オレハマッテルゼ18頭41着

音無秀孝 受賞

2004年 JRA賞(優秀技術調教師)
2005年-2010年 優秀調教師賞(関西)
2009年 最多賞金獲得調教師賞
2009年 JRA賞(最多賞金獲得調教師)
2010年 JRA賞(最多勝利調教師)
2010年 最多勝利調教師賞

音無秀孝 主な管理馬

リンカーン(2004年阪神大賞典、2005年京都大賞典、2006年日経賞)
カンパニー(2005年京阪杯、2006年大阪杯、2007年関屋記念、2008年中山記念、マイラーズカップ、2009年中山記念、毎日王冠、天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ)
イナズマタカオー(1995年北九州記念、1996年中京記念)
エガオヲミセテ(1998年阪神牝馬特別、1999年マイラーズカップ)
ユーセイトップラン(1999年アルゼンチン共和国杯、1998年・2000年ダイヤモンドステークス)
トシザブイ(2002年・2003年目黒記念)
オレハマッテルゼ(2006年高松宮記念、2006年京王杯スプリングカップ)
サンライズバッカス(2005年武蔵野ステークス、2007年フェブラリーステークス)
ヴィクトリー(2007年皐月賞)
サンアディユ(2007年アイビスサマーダッシュ、2007年セントウルステークス、2007年京阪杯)
オウケンブルースリ(2008年菊花賞、2009年京都大賞典)
ブラボーデイジー(2009年福島牝馬ステークス、2010年エンプレス杯)
ザレマ(2009年京成杯オータムハンデキャップ)
オウケンサクラ(2010年フラワーカップ)
サンライズプリンス(2010年ニュージーランドトロフィー)
ドモナラズ(2010年七夕賞)
ダノンヨーヨー(2010年富士ステークス)
レッドデイヴィス(2011年シンザン記念、毎日杯)
ミッキードリーム(2011年朝日チャレンジカップ)

音無秀孝 主な厩舎所属者

括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
東田幸男(1995年-現在 調教助手)
生野賢一(2003年-2010年 騎手、2010年-現在 調教助手)

音無秀孝

音無 秀孝(おとなし ひでたか、1954年6月10日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター所属の調教師であり、元栗東所属騎手である。

中学校を卒業した後、大阪のレストランでコックとして3年間働いていたが、この間に競馬ファンとなり、自身も騎手として競馬界に飛び込むことを決意する。1973年から騎手見習いとして騎乗を開始、1979年からは田中良平厩舎に所属し正式な騎手となった。

1995年6月24日に中京競馬第12競走でキーペガサスが管理馬として初出走、初勝利は厩舎10戦目であった同年7月23日の小倉競馬第11競走北九州記念をイナズマタカオーで飾っている。

リンカーン、カンパニー、オレハマッテルゼ、サンアディユ、サンライズバッカス、オウケンブルースリなどの活躍馬を世に送り出し、騎手時代以上の活躍が目立つ。

音無秀孝 特徴

開業時に他厩舎から転厩してきたイナズマタカオーで重賞を2勝するなど開業当初から調教師として手腕を発揮していたが、2000年頃から成績が飛躍的に向上し、現在では毎年のように調教師リーディングの上位を賑わす存在である。これには、リンカーンなどに代表される近藤英子所有の素質馬を管理し始めたことや、条件戦での積極的な関東遠征、東田幸男調教助手を始めとする厩舎スタッフらの手腕とチームワークなどが理由として挙げられる。

また坂路主体の調教も厩舎の特徴であり、西高東低の現状に於いて、これが前述の関東遠征での好結果に繋がっている。
その他に、管理馬がレースでの人気の有無に拘らず2着・3着を拾うケースが目立つこと(この事に関しては音無も自虐的に語ることがある)や、ヘネシーやスウェイン、ジェリなどの本邦ではまだ馴染み薄い種牡馬の産駒達が活躍していることも特徴である。

2003年より2010年まで厩舎所属騎手として生野賢一がいたが、重賞を含む上級条件競走においては、関西では武豊、関東では柴田善臣が騎乗することが多い。熱心な競馬ファンの間では「関東で柴田を乗せてきたら買い」とも言われるほどの複勝率を誇る。

当時、小田切は田中良平厩舎にその所有馬の多くを預けていたこともあり、音無は若い頃から小田切に可愛がられていた(現在も”秀ちゃん”と呼ばれている)。その縁と信頼関係は、調教師となってからのエガオヲミセテやワナでの重賞勝利や、オレハマッテルゼでの高松宮記念優勝による悲願のGI初制覇へと結実している。

所属馬一頭一頭の過去のデータが一目瞭然できるというソフト(自らが考案)を利用し、調教時計を始めとする詳細事項を自らの手でパソコンに入力、さらにそのデータは馬主にも届けるというマメな一面も持ち合わせている。
栗東トレセンでは同郷のよしみから橋口弘次郎調教師と仲が良く、二人の会話は新聞記事のネタになることもある。

しかし週明けの月曜日(6日)、絶対安静とされる中、上記の“データ入力”の為コルセットを装着した状態で厩舎へ現れるという肉体的かつ精神的タフさをも見せている。
妻は元JRA職員(京都競馬場業務課)である。

奥平雅士

奥平 雅士(おくひら まさし、1972年6月22日 – )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。

1995年7月、JRA競馬学校厩務員課程に入学する。
1996年1月、美浦・浅野洋一郎厩舎所属の調教厩務員となる。
1997年6月、美浦・奥平真治厩舎所属の調教助手となる。
2004年2月、調教師免許を取得する。
1月30日には初出走となるレースにトマホークが出走するも6着だった。初勝利は3月12日、フジマサミラクルが延べ12頭目で勝利。
2006年、第41回クイーンカップをコイウタが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
2007年、第2回ヴィクトリアマイルをコイウタが制しJRA JpnI(GI)初勝利を挙げる。

奥平雅士 管理馬

エンゲルグレーセ(クラスターカップ)
コイウタ(クイーンカップ、桜花賞3着、ヴィクトリアマイル)
シャーベットトーン(マーキュリーカップ)
アルティマトゥーレ(セントウルステークス、シルクロードステークス)

奥平雅士 エピソード

調教師研修期間中に馬主でもある堀紘一の経営コンサルト会社でサラリーマン生活を送っていた。
2007年4月、他の調教師の引退などによりかつて義父・奥平真治厩舎だった厩舎に引っ越した。

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