小島茂之 は、
2003年(平成15年):厩舎開業。
2008年(平成20年):管理馬であるブラックエンブレムが第13回秋華賞を制覇した。
2009年(平成21年):管理馬であるクィーンスプマンテが第34回エリザベス女王杯を制覇した。
ブラックエンブレムやクィーンスプマンテは直前に栗東で調教した『栗東留学』でGIを制しており、栗東の施設を積極的に活用している調教師の一人である。
なお、GIを制した2勝はいずれも11番人気で共に3連単が100万円を超える波乱を演出している。
第13回秋華賞ではブラックエンブレムと共に出走したプロヴィナージュ(16番人気)が3着に入り、GI史上最高配当となる3連単10,982,020円の大波乱(1,000万円馬券)を演出した。
小島茂之 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2003年3月1日3回中山1日3R3歳未勝利アイアイラッキー15頭34着
初勝利2003年5月18日1回東京8日2R3歳未勝利アイアイラッキー11頭61着
重賞初出走2003年3月15日1回阪神5日10R阪神SJヒカルボシ14頭64着
重賞初勝利2008年3月22日2回中山7日11RフラワーCブラックエンブレム16頭11着
GI初出走2005年4月17日3回中山8日11R皐月賞ストラスアイラ18頭1814着
GI初勝利2008年10月19日4回京都4日11R秋華賞ブラックエンブレム18頭111着
小島茂之 主な管理馬
ブラックエンブレム(2008年秋華賞優勝)
プロヴィナージュ(2008年秋華賞3着)
クィーンスプマンテ(2009年エリザベス女王杯優勝)
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小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手である。
戦後デビューの騎手の内、平地・障害それぞれの最高級競走である東京優駿(日本ダービー)と中山大障害で2勝ずつを挙げている唯一の騎手である[注 1]。
調教師としても2005年の最優秀障害馬テイエムドラゴンなどを管理している。
小島貞博 少年期
1951年、北海道新冠町にサラリーマン家庭の長男として生まれる[1]。中学時代から静内町の牧場で住み込みのアルバイトをしながら暮らし、身体が小さかったため、同場の従業員から騎手になることを勧められていた[1]。
中学3年生の時、馬を買い付けに来ていた馬主の谷水信夫に出会い、騎手になるため谷水のいる京都に移った[1]。谷水と懇意であった調教師の戸山為夫を紹介された後、東京都馬事公苑の中央競馬騎手養成長期課程に第17期生として入所、上京に際しては事実上の兄弟子となる鶴留明雄が保護者代わりに付き添った[2][注 2]。
小島貞博 騎手時代
1971年に騎手免許を取得し、同年3月に戸山厩舎所属としてデビュー、同6月に初勝利を挙げた。デビューからしばらくは平地競走を中心に騎乗していたが、障害の名手であった鶴留が1978年に引退したことに伴い、障害での騎乗を増やしていった[3]。
小島は引退を考え始めたが、当時有力な調教師となっていた鶴留明雄が、この状況を聞きつけて小島の支援を始め、鶴留厩舎に所属する有力馬の主戦騎手を任されるようになった[6]。1994年には同厩舎所属のチョウカイキャロルに騎乗し優駿牝馬を制覇。
以後は若手騎手の台頭などもあり、1997年からは一桁の勝利数を続けた。1996年から調教師免許試験の受験を始めており[8]、2001年に調教師免許を取得し、騎手を引退した。
調教師試験の合格時の会見には戸山の未亡人も同席して喜びを共にした。騎手成績は通算4722戦495勝。
そのうち重賞はG1競走5勝を含む27勝だった。
小島貞博 調教師時代
免許取得当時は管理馬房に空きがなく、技術調教師[注 3]として2年過ごした後、2003年に栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した。
初年度から15勝を挙げる順調な滑り出しを見せ、2005年には娘婿の田嶋翔が手綱を取るテイエムチュラサンがアイビスサマーダッシュに優勝、調教師として重賞初勝利を挙げた。またテイエムドラゴンが中山大障害に優勝し(騎手時代に続いての制覇)、同年のJRA賞最優秀障害馬部門を受賞した。
その言葉通り、小島と弟弟子の小谷内秀夫は、厳しい師弟関係の傍らで「本当の父親以上の愛情をもって接していただいた」と、戸山の死後出版された著書に寄せている[10]。
また戸山は、「調教師というのは、少なくとも師匠と言われるからには、人を育てることも大きな仕事である[11]」という信念に基づき、必ずしも成績上位ではない両者を起用し続け、馬主に対しても、管理に際しては両者を専属騎手とする契約を結ばせていた[12]。
小島と小谷内は件の寄稿において、感謝の念とともに「師匠は『それがオレの信念だ』と当然のような顔をしていたが、私たちのレースぶりを見て、心の中で歯ぎしりすることも多かったのではないかと思う。私たちがそれに十分報いることができなかったのが残念である[10]」と反省を述べた。
小島は調教師転身に当たり、「馬が走るのはもちろんですけど、人づくりの面もいつも頭に入れておきたいですね。余裕ができたら、騎手を育ててみたいと思っています[14]」と語り、開業後は自厩舎に所属した田嶋翔を積極的に起用し続けている。
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小崎憲は、
2007年3月、厩舎を開業する。初出走は、3月10日でノーモアクライが2着となり、翌11日、ワンダープロが勝利し延べ3頭目での初勝利となった。
2007年5月、第52回京王杯スプリングカップをエイシンドーバーが制しJRA重賞初勝利を挙げる。厩舎開業からわずか2ヶ月余りでの快挙となった。
2008年10月、金沢競馬場で行われた白山大賞典をスマートファルコンで制し、交流重賞初勝利をあげた。
小崎憲 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2007年3月10日1回中京3日9R4歳上500万下ノーモアクライ16頭32着
初勝利2007年3月24日1回阪神6日8R4歳上500万下ワンダープロ16頭101着
重賞初出走2007年4月7日2回阪神5日11R阪神牝馬Sサウスティーダ10頭610着
重賞初勝利2007年5月12日2回東京7日11R京王杯SCエイシンドーバー18頭51着
GI初出走2007年6月3日3回東京6日11R安田記念エイシンドーバー18頭66着
小崎憲 主な管理馬
エイシンドーバー(2007年京王杯スプリングカップ)
エイシンロンバード(2007年武蔵野ステークス)
スマートファルコン(2008年白山大賞典、彩の国浦和記念、兵庫ゴールドトロフィー、2009年佐賀記念、名古屋大賞典、かきつばた記念、さきたま杯、ブリーダーズゴールドカップ、2010年JBCクラシック、東京大賞典、かきつばた記念、さきたま杯、2011年ダイオライト記念、帝王賞)
エーシンヴァーゴウ(2011年アイビスサマーダッシュ、セントウルステークス)
小崎憲 エピソード
2011年4月、長男が競馬学校に30期生として入学した[1](同期入学に木幡初広騎手の長男らがいる)。
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古賀慎明は、
1992年、1月より美浦・飯塚好次厩舎所属の調教厩務員となり、4月より美浦・藤沢和雄厩舎所属の調教助手となる。
2005年、2月に調教師免許を取得する。
2006年、3月1日付けで厩舎を20馬房で開業する。ちなみに父は2月28日付けで定年で引退した為、現役の親子調教師にはなれなかった。
同期開業には松永昌博調教師らがいる。3月4日、初出走となった中京競馬場での第6レースは、13番人気だったコメットサンサンが6着となる。
3月11日に中山競馬場で行われたアネモネステークスを1番人気だったアサヒライジングが勝利し延べ2戦目で初勝利を挙げる。
2006年、4月4日に船橋競馬場で行われたナイスステッキ特別に10番人気だったラッキーショウリが出走し、地方競馬初出走を果たし5着となる。
7月2日にハリウッドパーク競馬場で行われたアメリカンオークスインビテーショナルステークスにアサヒライジングが出走し、海外レース及び海外GI初出走を果たし2着となる。
2007年、クイーンステークスをアサヒライジングが制し重賞初勝利を挙げる。
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1980年(昭和55年)に斎藤籌敬厩舎で調教助手となり、翌年古賀末喜厩舎に移籍。1988年に調教師免許を取得し、翌1989年に厩舎開業。
初出走は同年3月18日の中山競馬第10競走でキリーコンコルドで3着。初勝利は同年4月29日東京競馬第6競走でのエリジアム(延べ10頭目)であった。
1990年のセイユウ記念をトキノリバティーで制して重賞初勝利。G1競走は未勝利。
古賀史生 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1989年3月18日2回中山7日10R総武特別キリーコンコルド12頭63着
初勝利1989年4月29日2回東京3日6R3歳未勝利エリジアム16頭31着
重賞初勝利1990年7月15日2回札幌4日9Rセイユウ記念トキノリバティー12頭11着
GI初出走1992年4月19日3回中山8日10R皐月賞セイショウマインド17頭1717着
古賀史生 代表管理馬
※カッコ内は主な勝ち鞍
トキオパーフェクト (1998年 クリスタルカップ、中日スポーツ賞4歳ステークス)
シンコウスプレンダ (1998年京成杯オータムハンデキャップ、2000年エルムステークス)
サーガノヴェル (2001年フェアリーステークス、2002年クリスタルカップ)
古賀史生 受賞
優秀調教師賞(関東)1990年
主な厩舎所属者 [編集]
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初出走は同年10月25日東京競馬第10競走のタニノネバアーで14着、初勝利は翌1981年3月22日中山競馬第4競走のフジノタイヨーで延べ16頭目であった。1987年の日刊スポーツ賞金杯をトチノニシキが14番人気の低評価を覆して優勝し、重賞初勝利を挙げた。
同年のエリザベス女王杯ではタレンティドガールが、栗田の提案した正攻法[1]で桜花賞・優駿牝馬の牝馬二冠馬マックスビューティを抑えて優勝し、G1競走初勝利を飾った。
1999年5月16日に東京競馬場で施行された緑風ステークス(1600万下条件戦)において、シンコウシングラーを柴田善臣騎乗で出走させた。
またこの失格裁定は一旦確定の発表が行われた後に覆す形で発表されたため、JRAの対応について競馬ファンより批判や議論の対象となり、再発防止のため、装鞍前の鞍の検量が制度化された。
栗田博憲 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1980年10月25日東京10R-タニノネバアー--14着
初勝利1981年5月22日中山4R-フジノタイヨー--1着
重賞初出走1981年7月26日札幌9R北海道3歳Sノースワンダー16頭1414着
重賞初勝利1987年1月5日1回中山1日11R金杯トチノニシキ16頭141着
GI初出走1984年5月27日2回東京8日10R東京優駿フジノフウウン21頭73着
GI初勝利1987年11月15日5回京都4日10Rエリザベス女王杯タレンティドガール20頭41着
栗田博憲 代表管理馬
タレンティドガール(1987年エリザベス女王杯)
ヤマニンゼファー(1992年・1993年安田記念、1993年天皇賞(秋))
シンコウフォレスト(1998年高松宮記念)
栗田博憲 表彰歴
1985年 優秀調教師賞
1987年 優秀調教師賞(関東)
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久保田 貴士(くぼた たかし、1967年9月17日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属する調教師である。
父・久保田敏夫は元JRA調教師。
JRAにて調教師を務め、ユキノビジンなどの活躍馬を管理した久保田敏夫を父に持つ貴士は馬との関わりを持ちながら学生時代を送り、明治大学在学時の1987年から1989年にかけ全日本学生馬術選手権大会3連覇を記録している。
卒業後、イギリスのクライヴ・ブリテン厩舎にて2年の実地研修を経た後1992年4月にJRA競馬学校厩務員課程に入学、同年10月より美浦・柴田欣也厩舎所属の厩務員として配属される。その半年後に調教助手の資格を取得、その後も複数の厩舎を渡り歩きながらキャリアを積み、2002年2月に調教師試験に合格、1年の技術調教師研修を経て2003年3月開業となる。
初年度こそ6勝と奮わなかった久保田厩舎であったが翌2004年に勝利数を2桁に乗せ、以後年間20勝台を勝ち上がるようになり2007年には重賞勝利を記録するなど頭角を現すようになる。
久保田 貴士 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2003年3月9日1回中京2日1R3歳未勝利ファカルティー16頭45着
初勝利2003年4月19日4回中山7日1R3歳未勝利ケイツーウイン11頭11着
重賞初出走2004年11月20日5回東京5日11R東京スポーツ杯2歳Sカネサマンゲツ13頭811着
重賞初勝利2007年4月22日3回京都2日11RアンタレスSワイルドワンダー16頭31着
GI初出走2006年10月1日4回中山8日11RスプリンターズSシンボリエスケープ16頭713着
久保田 貴士 主な管理馬
ワイルドワンダー(2007年アンタレスステークス、プロキオンステークス、2008年根岸ステークス)
ドラゴンファイヤー(2007年シリウスステークス)
ストロングガルーダ(2009ラジオNIKKEI賞)
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1978年に美浦・山崎彰義厩舎で調教助手となる。1989年に調教師免許を取得し、翌1990年に厩舎を開業。
国枝栄師の栗東留学への見解
西高東低の現状から期待馬については下級条件でも積極的に関西圏に遠征させ、その際に栗東トレーニングセンターに滞在させてその施設を積極的に利用してトレーニングを行なっている事でも有名で、いわゆる「栗東留学」のパイオニア的存在とも言われている。
国枝は「栗東留学」について、雑誌のインタビューで「昔は関東から関西への直前輸送はなかったんだから」「昔は一旦栗東に入るやり方でやって勝っていたんだから、そのやり方をもう一度やってみよう。
それだけのこと」「私の場合はやはり『栗東に事前入厩することで輸送の負担を減らしたい』ということ」と語っており、主に長時間の輸送が競走馬へ与える負担の軽減に重きを置いている。一方で「栗東留学をやらなくても勝てるならやりませんよ」「栗東坂路がいかにいいものだったとしても、肝心のレースに疲れが出てしまう、とかね。
その辺をよく見極める必要があると思いますよ」とも語っており、施設面における美浦と栗東の差はレース結果にはあまり関係ないとの見解を示している[1]。
国枝栄 調教師成績
日付競馬場・開催人気着順
初出走1990年2月4日1回東京4日3R3歳未勝利シャインバード14頭711着
初勝利1990年3月10日2回中山5日10R千葉日報杯リュウカムイ10頭71着
重賞初出走1990年5月6日2回東京6日11RNHK杯ヤマシゲオー16頭611着
重賞初勝利1998年4月11日3回中山5日11Rダービー卿CTブラックホーク11頭21着
GI初出走1990年12月9日5回中山4日11R朝日杯3歳Sボードセイリング13頭123着
GI初勝利1999年12月5日5回中山6日11RスプリンターズSブラックホーク16頭21着
国枝栄 代表管理馬
ブラックホーク(1999年スプリンターズステークス、2001年安田記念)
ピンクカメオ(2007年NHKマイルカップ)
マツリダゴッホ(2007年有馬記念)
マイネルキッツ(2009年天皇賞(春))
アパパネ(2009年阪神ジュベナイルフィリーズ、2010年桜花賞、優駿牝馬、秋華賞、2011年ヴィクトリアマイル)
国枝栄 表彰歴
2004年 優秀調教師賞(関東)
2005年 優秀調教師賞(関東)
2006年 優秀調教師賞(関東)
2007年 優秀調教師賞(関東)、東京競馬記者クラブ賞
2008年 優秀調教師賞(関東)
国枝栄 主な厩舎所属者
括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
勢司和浩(1990年-1999年 調教助手)
加藤士津八(2003年-2006年 騎手)
国分優作(2009年-2011年 騎手)
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河内 洋(かわち ひろし、1955年2月22日 – )は、日本中央競馬会(JRA)所属の元騎手で現在は調教師。
河内 洋 騎手時代
1955年大阪府東住吉区にて春木競馬場で調教師を務める父・信治の次男として出生。祖父・幸四郎は京都競馬場の調教師、叔父の河内義昭も地方競馬の新潟県競馬の調教師、さらに実兄・幸治も春木競馬場で騎手という競馬一家の一員として生まれ育ち、幼少の頃から馬に親しみを持ち騎手を志すようになる。
信治はこの話を当初断ったものの、父の問いかけに対し洋は「行く」と答えたことから1970年騎手見習いとして武田作十郎調教師に入門。この当時、父の厩舎があった春木競馬場は地方政治の関係から廃止の方向に向かっており、父と親交のある武田師の門下に入り中央競馬の世界を目指すことになった。
また同年、ハシハーミットで菊花賞を制した際には、杉本清が「やったり河内、やったり河内」と実況している。その7年後1986年メジロラモーヌで日本競馬史上初の牝馬三冠達成。
オグリキャップの6歳時、陣営が武豊に騎乗を依頼した際、武は河内がオグリキャップから降ろされている経緯もあることから河内に気を遣い、相談を持ちかけたが河内は騎乗を勧めたという。なお河内は天皇賞・秋のみ勝てずに八大競走完全制覇を逃しているが、1988年1番人気のオグリキャップでタマモクロスに2着したのが天皇賞・秋の最高成績だった。
その後も勝ち星を積み重ねた河内は2001年増沢末夫、岡部幸雄に次ぐ史上3人目の通算2000勝を当時の最短記録で達成(後に武豊が更新)している。
2003年河内は本年度の調教師試験に合格、調騎分離の規定に従い現役を引退、調教師への転身が決まる。
受験の背景には1000勝達成騎手の調教師第1次試験免除の規定が2002年度の試験をもって廃止になるという事情があり、この免除規定は河内が最後の適用者となった。同年2月23日、京都競馬場で騎手生活最後の日を迎えた河内には10鞍に騎乗依頼が集まり、1番人気に支持されること7鞍、その他のレースでも2番人気2鞍、3番人気1鞍と同騎手の人気が窺え、最終レース終了後は杉本清司会で引退式が行われた。
河内 洋 調教師時代
2005年3月開業。騎手時代から縁のある西山牧場系列の馬と渡辺孝男所有馬を多く管理しているが、それ以外にも騎手時代から縁がある馬主や牧場の馬を手広く管理している。
同年末に復帰している。
騎手の起用については、武や藤田伸二など有力騎手に依頼する一方で、「人も育てる」の信念の下、若手騎手にも積極的に依頼していて、栗東所属では川田将雅、美浦所属では吉田隼人が多い。
また、石橋守や小池隆生にも厩舎開業当初からよく騎乗依頼をしている。小池に関しては、2007年5月9日にはフリーから河内厩舎所属の騎手へ所属変更され、同年7月1日からは厩舎の調教助手として活動することになった。
また、調教師活動に勤しむ一方、2007年・2008年に行われたジョッキーマスターズを連覇するなど現役を退いてからも騎手として活躍する一面も披露している。
河内 洋 騎手成績
2000年東京優駿優勝時
1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地21111796160114940.141.262
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗・初勝利1974年3月3日4歳未勝利ホースメンレディ–1着
重賞初騎乗1974年7月7日金鯱賞ボージェスト15頭1214着
重賞初勝利1975年11月24日小倉大賞典ロッコーイチ9頭51着
GI級初騎乗1978年11月12日菊花賞メジロイーグル20頭43着
GI級初勝利1979年5月20日優駿牝馬アグネスレディー24頭11着
河内 洋 主な騎乗馬
アグネスレディー(1979年 優駿牝馬)
ハシハーミット(1979年 菊花賞)
カツラノハイセイコ(1981年 天皇賞・春)
ヒカリデユール(1982年 有馬記念)
ニホンピロウイナー(1984年・1985年 マイルチャンピオンシップ、1985年 安田記念)
メジロラモーヌ(1986年 桜花賞、優駿牝馬、エリザベス女王杯)
アラホウトク(1988年 桜花賞)
サッカーボーイ(1988年 マイルチャンピオンシップ)
アグネスフローラ(1990年 桜花賞)
ダイイチルビー(1991年 安田記念、スプリンターズステークス)
ニシノフラワー(1992年 桜花賞、スプリンターズステークス)
レガシーワールド(1993年 ジャパンカップ)
メジロブライト(1998年 天皇賞・春)
ミッドナイトベット(1998年 香港国際カップ)
アグネスフライト(2000年 東京優駿)
アグネスタキオン(2001年 皐月賞)
河内 洋 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2005年3月12日1回阪神5日3R3歳未勝利ミッドナイトトーク16頭12着
初勝利2005年4月10日2回阪神6日2R3歳未勝利ミッドナイトトーク16頭11着
GI初出走2006年5月21日3回東京2日11R優駿牝馬ヤマニンファビュル18頭1617着
重賞初勝利2008年8月10日2回新潟8日11R関屋記念マルカシェンク12頭11着
河内 洋 主な管理馬
マルカシェンク(2008年関屋記念)
ヤマニンキングリー(2008年中日新聞杯・2009年札幌記念)
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加用正は、騎手試験には3度不合格となり、約6年間の下積みを続けた。次いで瀬戸口勉厩舎で半年間の研修を積んだのち、1976年3月に瀬戸口厩舎よりデビューした。
1980年、シンザン記念をノトダイバーで制し、重賞初勝利を挙げる。当年には重賞4勝を含め、自己最高記録となる53勝を挙げて全国6位に付けた。
GI級競走での勝利はなかったものの重賞20勝を挙げ、「渋く、地味な騎手」という印象を持たれた騎手生活であった。
加用正 調教師時代
1994年、栗東トレーニングセンターに加用正厩舎を開業。
加用正 通算成績
ウエスタンジョージに騎乗する加用(1981年3月8日)
加用正 騎手成績
通算成績1着2着3着4着以下騎乗回数勝率連対率
平地5525605453,7805,437.102.205
障害71183056.125.321
計5595715533,8105,493.102.206
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1976年3月6日-カクノホープ–2着
初勝利1976年3月7日-カクノヤシマ–1着
重賞初騎乗1976年3月6日阪神障害S(春)マルブツビート13頭129着
重賞初勝利1980年1月13日シンザン記念ノトダイバー11頭51着
GI級初騎乗1978年4月9日桜花賞マンジュデンミキコ21頭813着
加用正 主な騎乗馬
※括弧内は加用騎乗時の勝利重賞競走。
ノトダイバー(1980年シンザン記念、きさらぎ賞 1981年・1982年京阪杯)
ウエスタンジョージ(1980年愛知杯、1981年スポニチ賞金杯、中日新聞杯)
マルブツウイナー(1980年鳴尾記念)
マルブツサーペン(1984年毎日杯 1985年京阪杯)
ダイゴアルファ(1987年毎日杯)
ヒデリュウオー(1987年中日スポーツ賞4歳ステークス)
ゴルデンビューチ(1987年小倉記念)
ダイナカーペンター(1988年阪神大賞典 1989年京都記念)
トウショウアロー(1989年中日新聞杯)
マルブツスピーリア(1989年ウインターステークス)
ダイタクヘリオス(1991年高松宮杯)
ロングタイトル(1991年神戸新聞杯)
マルカアイリス(1992年小倉3歳ステークス)
加用正 受賞
関西放送記者クラブ賞(1976年)
加用正 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1994年4月23日4回阪神1日4R4歳未勝利ロングシリウス14頭1212着
初勝利1994年6月11日1回札幌1日9R北斗賞パリスケイワン7頭61着
重賞初出走1994年5月8日4回阪神6日11R京都4歳特別パリスケイワン14頭1311着
重賞初勝利1996年8月4日2回新潟8日11R関屋記念エイシンガイモン12頭11着
GI初出走1995年12月10日5回中山4日11R朝日杯3歳Sエイシンガイモン12頭22着
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