調教師 一覧 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

橋口 弘次郎 主な管理馬

橋口 弘次郎 主な管理競走馬

カルストンダンサー(1984年阪神牝馬特別)
サンキンハヤテ(1986年小倉3歳ステークス、1988年阪急杯・セントウルステークス)
セントシーザー(1987年阪急杯・CBC賞)
レッツゴーターキン(1991年小倉大賞典・中京記念、1992年天皇賞(秋))
ミスタースペイン(1992年京阪杯・高松宮杯)
ツルマルガール(1994年朝日チャレンジカップ)
ロゼカラー(1995年デイリー杯3歳ステークス)
ダンスインザダーク(1996年弥生賞・京都新聞杯・菊花賞)
ツルマルガイセン(1998年中日新聞杯・カブトヤマ記念)
ロサード(1998年新潟3歳ステークス、1999年京阪杯、2001年・2003年小倉記念、2002年オールカマー)
ダイタクリーヴァ(2000年シンザン記念・スプリングステークス・鳴尾記念、2001年・2002年京都金杯)
テンシノキセキ(2000年フェアリーステークス、2003年セントウルステークス)
ローズバド(2001年フィリーズレビュー、2003年マーメイドステークス)
イブキガバメント(2001年朝日チャレンジカップ、2002年鳴尾記念)
ツルマルボーイ(2002年中京記念・金鯱賞、2004年安田記念)
ザッツザプレンティ(2002年ラジオたんぱ杯2歳ステークス、2003年菊花賞)
ダイタクバートラム(2003年阪神大賞典、2004年北九州記念・ステイヤーズステークス)
ユートピア(2002年全日本2歳優駿、2003年ユニコーンステークス・ダービーグランプリ、2004年・2005年マイルチャンピオンシップ南部杯、2006年ゴドルフィンマイル)
ヴィータローザ(2003年ラジオたんぱ賞・セントライト記念、2006年中山金杯)
ハーツクライ(2004年京都新聞杯、2005年有馬記念、2006年ドバイシーマクラシック)
ゴールデンキャスト(2004年・2005年セントウルステークス)
ペールギュント(2004年デイリー杯2歳ステークス、2005年シンザン記念)
ローゼンクロイツ(2005年毎日杯、2007年中京記念・金鯱賞)
ロジック(2006年NHKマイルカップ)
オディール(2007年ファンタジーステークス)
ダノンゴーゴー(2008年ファルコンステークス)
スリープレスナイト(2008年CBC賞、北九州記念、スプリンターズステークス)
カノヤザクラ(2008年・2009年アイビスサマーダッシュ、2008年セントウルステークス、2008年・2009年サマースプリントシリーズ王者)
リーチザクラウン(2009年きさらぎ賞(NHK賞)、2010年マイラーズカップ)
ローズキングダム (2009年東京スポーツ杯2歳ステークス、朝日杯フューチュリティステークス、2010年神戸新聞杯、ジャパンカップ)

橋口 弘次郎 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
石坂正(1982年-1997年 調教助手)
高橋亮(1996年-2002年 騎手)
平田修(1998年 調教助手)
助手)

橋口 弘次郎

橋口 弘次郎 エピソード
実績を挙げた調教師は若手であってもすぐに評価し、その調教方針から範を取って、自らの調教に取り入れることもある。そのため、レース週の追い切りなどにはしばしば変化が見られる。

栗東トレーニングセンターに坂路コースが完成した際、いち早く調教メニューに組み入れた調教師の一人でもある。
1996年にロゼカラーが桜花賞を熱発で回避し次の週にはダンスインザダークが同じく熱発で皐月賞を回避したり、ロゼカラーの仔ローズバドが母と同じ熱発で桜花賞を回避するなど、春のGIでは運に恵まれない面もあった。
東京優駿(日本ダービー)に人一倍執着を持っており、「私の一年はダービーに始まり、ダービーで終わる」と語ったこともある。その考え方を表すように、1999年から2006年までは8年連続で日本ダービーに管理馬を出走させていた。

1996年にダンスインザダークで、2004年にハーツクライで、2009年にリーチザクラウンで、2010年にローズキングダムで2着に入っているが、まだ日本ダービー制覇の夢は実現できていない。
新潟事件によって所属する関東の調教師からの騎乗依頼が激減した後、主としてローカル開催で関西馬に騎乗することが多くなっていた大崎昭一騎手。

同県出身ということもあり「大崎昭一に1000勝させる会」と一部で呼ばれた調教師グループの一員として橋口調教師も加わっていた。管理馬であったレッツゴーターキンが谷川岳Sから大崎騎手とコンビを組むとそれまでの不安定な成績が一変、勝ちきれないことも多かったが安定した成績を残すようになった。

福島民報杯を勝ったところで、半信半疑ながらも大崎騎手のアドバイスにより秋の天皇賞へ出走、11番人気ながらも先行馬の作った猛烈なハイペースに乗じて直線一気の剛脚を炸裂させ、一緒に伸びたムービースターをおさえて見事栄冠を勝ち得た。大崎騎手にとっては11年ぶりのG1級勝利であった。
熱烈な読売ジャイアンツファンで知られ、2006年5月4日の阪神甲子園球場で行われた、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のラジオ日本ジャイアンツナイターにゲスト出演した。

橋口 弘次郎 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走・初勝利1982年3月13日1回阪神5日2R4歳未勝利ハクサンレンポー--1着
重賞初出走1983年9月11日4回阪神4日11RサファイヤSカルストンダンサー13頭1213着
重賞初勝利1984年1月29日2回京都2日11R京都牝馬特別カルストンダンサー13頭81着
GI初出走1984年11月18日5回京都6日10RマイルCSカルストンダンサー16頭1414着
GI初勝利1992年11月1日4回東京8日10R天皇賞(秋)レッツゴーターキン18頭111着

橋口 弘次郎

橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は日本の調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属。

宮崎県北諸県郡三股町出身。実子の橋口慎介はJRA調教助手。

実弟の橋口満朗は元JRA騎手。
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。
日本の戦後競馬史を見渡しても数少ない学士騎手の1人であり、さらには地方競馬の騎手から中央競馬の厩務員に転じたのちに調教師にまでなったという、日本競馬史を見渡しても稀な経歴を持つ人物である。
大学を卒業後、24歳のときに地方競馬の佐賀競馬で瀬戸山重春厩舎所属の騎手としてデビュー。

大学卒の騎手は非常に珍しく、地方競馬の過去例を見渡しても船橋の森誉・足利の早川順一などごく少数である[注 2]。
しかし1年で騎手を引退。

免許取得は1980年3月1日であるが、厩舎を開業したのは丸2年後の1982年3月1日。初出走(同時に初勝利)は同年3月13日の阪神競馬第2競走のハクサンレンポー。

2002年、9月22日から11月24日まで当時JRA新記録となる10週連続勝利を達成する。
2006年のドバイミーティングでは、GIIのゴドルフィンマイル(ユートピア)とGIのドバイシーマクラシック(ハーツクライ)に勝利した。

預託馬主は、「ツルマル」の冠名で知られる鶴田任男、社台グループの一口馬主クラブである社台レースホース・サンデーレーシングなど。両クラブからは特に、薔薇一族の馬を数多く預かっている。

薔薇一族の重賞16勝は、全て橋口厩舎の馬が挙げたものである。
GI競走優勝は多いが、それ以上にGI競走での2着が多いことで知られる。

萩原 清

萩原 清(はぎわら きよし 1959年3月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター所属の調教師。
1982年7月に競馬学校厩務員課程に入学。同課程修了後の同年10月より橋本輝雄厩舎の厩務員となる。

1983年に調教助手となり、橋本輝雄厩舎、今津福松厩舎、鈴木勝太郎厩舎、鈴木康弘厩舎にて調教助手を務める。
1996年に調教師試験に合格し、同年12月に厩舎開業。

初出走は1996年12月21日の第6回中山競馬7日目の第7競走のラインフィーバーで13着。初勝利は、1997年3月15日の第2回中山競馬7日目の第4競走のトーヨージェイドであった。
1999年2月14日、第1回東京競馬6日目の共同通信杯4歳ステークスを、勝浦正樹騎乗のヤマニンアクロで重賞初制覇を飾る。
2009年5月31日、第76回日本ダービーを管理馬のロジユニヴァースが優勝し、厩舎開業14年目にしてJpn1競走初制覇をダービーで果たした。
萩原 清 主な管理馬
ヤマニンアクロ(共同通信杯4歳ステークス)
アタゴタイショウ(函館2歳ステークス)
プリサイスマシーン(中日新聞杯、スワンステークス、阪急杯)
ロジユニヴァース(弥生賞、東京優駿など4勝)
ランフォルセ(エルムステークス)
萩原 清主な厩舎スタッフ
南田雅昭(調教助手)

服部 利之

服部 利之(はっとり としゆき、1958年6月12日 - )は
JRA・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。

父は服部正利元調教師。
1984年7月、父・服部正利厩舎の厩務員となり、11月からは調教助手となる。
1988年10月、目野哲也厩舎の調教助手となる。
1998年、調教師免許を取得。
4月4日、エイユースナイパーが勝利し延13頭目で初勝利となった。
2000年、第36回小倉記念をミッキーダンスが制しJRA重賞初勝利を挙げる。

父も1975年に制しており、同レース父子制覇となった。
2005年、第5回JBCスプリントをブルーコンコルドが制しGI初勝利を挙げる。

野村 彰彦

野村 彰彦(のむら・あきひこ 1943年9月13日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手並びに現役調教師である。
1943年9月13日、愛知県一宮市にて出生。
1962年騎手免許取得。

京都競馬場の橋本正晴厩舎に所属。
1962年3月17日、カツラオーザで初騎乗。
1962年3月24日、カツラバラツケーにて初勝利。
1965年9月26日、第21回タマツバキ記念(アラブ重賞)をミエタカラにて制覇し、重賞競走初勝利。
1967年、橋本正晴厩舎から中村覚之助厩舎へ所属変更。
1985年、騎手を引退。

1989年3月12日、管理馬のナムラモノノフが第37回阪神大賞典に優勝。重賞初勝利。
1997年4月6日、管理馬のキョウエイマーチが第57回桜花賞に優勝。GI競走初制覇。

野中 賢二

野中 賢二(のなか けんじ、1965年9月29日 - )は、日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属している調教師である。
1982年、10月に栗東・藤岡範士厩舎所属の厩務員となる。
2007年、2月に調教師免許を取得する。
2008年、3月1日付で厩舎を18馬房で開業した。

同日には粕谷昌央厩舎、鹿戸雄一厩舎、松山将樹厩舎も開業している。開業時の管理馬には勇退解散となった松元省一厩舎からトウカイトリックなどの転厩馬20頭が含まれている。

2010年3月21日、阪神大賞典にて管理馬のトウカイトリックが1着となり、厩舎開業後初の重賞勝利を挙げた。

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2008年3月1日1回阪神1日9R千里山特別トウカイフラッグ16頭1113着
初勝利2008年3月15日1回阪神5日8R4歳上500万下トウカイインパクト16頭11着
重賞初出走2008年3月23日1回阪神8日11R阪神大賞典トウカイトリック13頭34着
トウカイエリート95着
GI初出走2008年5月4日3回京都4日11R天皇賞(春)トウカイトリック14頭97着
トウカイエリート128着
重賞初勝利2010年3月21日1回阪神8日11R阪神大賞典トウカイトリック14頭51着
主な管理馬 [編集]

トウカイトリック(2010年阪神大賞典)
人物・エピソード [編集]

開業時の管理馬はトウカイテイオーなど内村正則の所有馬を多く管理した松元省一厩舎からの転厩馬が多いため、トウカイトリックやトウカイエリートといった「トウカイ」の冠名を使用する実力馬を多く管理することになった。

根本 康広

根本 康広(ねもと やすひろ、1956年1月31日- )は日本中央競馬会(JRA)の元騎手で現在は調教師。美浦トレーニングセンター所属。
騎手時代は個性派ジョッキーとして知られた。
1986年 - 朝日杯3歳ステークスをメリーナイスで勝利。この時彼はパット・エデリーの騎乗スタイルに刺激を受けており、(朝日杯前に行われたジャパンカップでジュピターアイランドに騎乗し優勝した)直線で風車ムチを使うヨーロピアンスタイルの騎乗スタイルを披露したが、その姿はあまり良いものではないと判断され、周囲からは「却って馬に負担を掛けてしまっている」と苦言を呈される。

この騎乗スタイルは以後は使っていない。
後年になって、真相は直前に左足に負傷を負った根本が、それを隠して朝日杯に出場するために「ヨーロピアンスタイル」を口実に負担の少ない乗り方を模索した結果だったと明かしている。

なお、「根本流」のヨーロピアンスタイルは大庭和弥騎手が受け継いでいる。
2007年に行われた引退騎手のエキシビジョンレース「ジョッキーマスターズ」に出場した際には、根本自身この風車ムチを約20年ぶりに披露している。
1987年 - メリーナイスで東京優駿(日本ダービー)を制する。2着に6馬身の差をつける圧勝だった。
また、この優勝で当時撮影中だった映画「優駿 ORACION」に出演が決まり、メリーナイスを劇中の登場馬・オラシオンに見立て、その主戦騎手・奈良として出演している。
なお、同映画内ではそのメリーナイスで出走もスタート直後に落馬・競走中止となる第32回有馬記念のシーンも使用されている。

二ノ宮 敬宇

二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属する調教師である。

凱旋門賞において日本馬による連対を果たしている唯一の調教師である。
1978年、美浦・橋本輝雄厩舎の調教助手となる。
1990年、調教師免許を取得し厩舎を開業する。
1994年、優秀調教師賞(関東)を初めて受賞する。
1998年、第32回共同通信杯4歳ステークスをエルコンドルパサーが制しJRA重賞初勝利を挙げる。しかし積雪の影響でグレード格付けは無かった。

第3回NHKマイルカップもエルコンドルパサーで制しJRAGI初勝利を挙げる。
1999年、フランスのサンクルー大賞をエルコンドルパサーが制し海外GI初勝利を挙げる。

西橋 豊治

西橋 豊治(にしはし とよじ、1950年3月18日-)は日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。主な管理馬に1999年の桜花賞優勝馬プリモディーネがいる。兵庫県出身。
1950年、京都府に生まれる。父は増本勇厩舎に所属していた厩務員であり、この3年後にクラシック二冠を制するボストニアンの担当者であった。
幼少期から騎手を志し、1965年に阪神競馬場・佐藤勇厩舎に入門、騎手候補生となった。1970年に正騎手としてデビューしたが、佐藤厩舎は兄弟子の高橋成忠が不動の主戦騎手であったため、西橋までは騎乗馬が回ってこず、障害競走を中心に騎乗した。

1986年に佐藤厩舎を離れてフリーとなった後、1989年に騎手を引退した。騎手時代に重賞勝利を挙げることはできなかったが、トウメイ、オペックホースといった八大競走優勝馬にも騎乗し、オペックホースでは4歳時以外で主戦騎手を務めた。
初勝利は同年12月10日阪神競馬第8競走のムービングシーンで延べ7頭目であった。
1998年、管理馬プリモディーネがファンタジーステークスを制し、重賞初勝利を挙げた。

同馬は翌1999年の桜花賞にも優勝し、GI競走初制覇も果たした。その後重賞から遠ざかったが、2008年にメイショウクオリアが京都新聞杯を制し、9年ぶりの重賞勝利を挙げた。
年間成績は概ね10勝前後で推移を続けている。管理馬は主に松本好雄と永井啓弐(永井商事なども含む)の所有馬が多い。

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