橋田 満(はしだ みつる1952年9月15日-)は、JRA栗東トレーニングセンターに所属する調教師である。
1983年に調教師免許を取得し、1985年3月16日に管理馬が初出走、同年5月11日に初勝利を挙げる。
有力馬主である近藤利一や永井啓弍との繋がりが非常に強く、代表的な管理馬の名前には大抵「アドマイヤ」や「スズカ」の冠名がつく。
逆にこの2人の馬主以外の馬でのGI勝ちはパッシングショットの1回しかない。2010年2月22日現在の管理馬42頭中36頭が両名の所有馬である。
2007年以降は近藤オーナーの意向で、「アドマイヤ」の管理馬に武豊が騎乗することはなくなった。しかし松田博資調教師と違い、スズカフェニックスを初めとする他の管理馬では、武に騎乗依頼を出している。
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橋口 弘次郎 主な管理競走馬
カルストンダンサー(1984年阪神牝馬特別)
サンキンハヤテ(1986年小倉3歳ステークス、1988年阪急杯・セントウルステークス)
セントシーザー(1987年阪急杯・CBC賞)
レッツゴーターキン(1991年小倉大賞典・中京記念、1992年天皇賞(秋))
ミスタースペイン(1992年京阪杯・高松宮杯)
ツルマルガール(1994年朝日チャレンジカップ)
ロゼカラー(1995年デイリー杯3歳ステークス)
ダンスインザダーク(1996年弥生賞・京都新聞杯・菊花賞)
ツルマルガイセン(1998年中日新聞杯・カブトヤマ記念)
ロサード(1998年新潟3歳ステークス、1999年京阪杯、2001年・2003年小倉記念、2002年オールカマー)
ダイタクリーヴァ(2000年シンザン記念・スプリングステークス・鳴尾記念、2001年・2002年京都金杯)
テンシノキセキ(2000年フェアリーステークス、2003年セントウルステークス)
ローズバド(2001年フィリーズレビュー、2003年マーメイドステークス)
イブキガバメント(2001年朝日チャレンジカップ、2002年鳴尾記念)
ツルマルボーイ(2002年中京記念・金鯱賞、2004年安田記念)
ザッツザプレンティ(2002年ラジオたんぱ杯2歳ステークス、2003年菊花賞)
ダイタクバートラム(2003年阪神大賞典、2004年北九州記念・ステイヤーズステークス)
ユートピア(2002年全日本2歳優駿、2003年ユニコーンステークス・ダービーグランプリ、2004年・2005年マイルチャンピオンシップ南部杯、2006年ゴドルフィンマイル)
ヴィータローザ(2003年ラジオたんぱ賞・セントライト記念、2006年中山金杯)
ハーツクライ(2004年京都新聞杯、2005年有馬記念、2006年ドバイシーマクラシック)
ゴールデンキャスト(2004年・2005年セントウルステークス)
ペールギュント(2004年デイリー杯2歳ステークス、2005年シンザン記念)
ローゼンクロイツ(2005年毎日杯、2007年中京記念・金鯱賞)
ロジック(2006年NHKマイルカップ)
オディール(2007年ファンタジーステークス)
ダノンゴーゴー(2008年ファルコンステークス)
スリープレスナイト(2008年CBC賞、北九州記念、スプリンターズステークス)
カノヤザクラ(2008年・2009年アイビスサマーダッシュ、2008年セントウルステークス、2008年・2009年サマースプリントシリーズ王者)
リーチザクラウン(2009年きさらぎ賞(NHK賞)、2010年マイラーズカップ)
ローズキングダム (2009年東京スポーツ杯2歳ステークス、朝日杯フューチュリティステークス、2010年神戸新聞杯、ジャパンカップ)
橋口 弘次郎 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
石坂正(1982年-1997年 調教助手)
高橋亮(1996年-2002年 騎手)
平田修(1998年 調教助手)
助手)
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橋口 弘次郎 エピソード
実績を挙げた調教師は若手であってもすぐに評価し、その調教方針から範を取って、自らの調教に取り入れることもある。そのため、レース週の追い切りなどにはしばしば変化が見られる。
栗東トレーニングセンターに坂路コースが完成した際、いち早く調教メニューに組み入れた調教師の一人でもある。
1996年にロゼカラーが桜花賞を熱発で回避し次の週にはダンスインザダークが同じく熱発で皐月賞を回避したり、ロゼカラーの仔ローズバドが母と同じ熱発で桜花賞を回避するなど、春のGIでは運に恵まれない面もあった。
東京優駿(日本ダービー)に人一倍執着を持っており、「私の一年はダービーに始まり、ダービーで終わる」と語ったこともある。その考え方を表すように、1999年から2006年までは8年連続で日本ダービーに管理馬を出走させていた。
1996年にダンスインザダークで、2004年にハーツクライで、2009年にリーチザクラウンで、2010年にローズキングダムで2着に入っているが、まだ日本ダービー制覇の夢は実現できていない。
新潟事件によって所属する関東の調教師からの騎乗依頼が激減した後、主としてローカル開催で関西馬に騎乗することが多くなっていた大崎昭一騎手。
同県出身ということもあり「大崎昭一に1000勝させる会」と一部で呼ばれた調教師グループの一員として橋口調教師も加わっていた。管理馬であったレッツゴーターキンが谷川岳Sから大崎騎手とコンビを組むとそれまでの不安定な成績が一変、勝ちきれないことも多かったが安定した成績を残すようになった。
福島民報杯を勝ったところで、半信半疑ながらも大崎騎手のアドバイスにより秋の天皇賞へ出走、11番人気ながらも先行馬の作った猛烈なハイペースに乗じて直線一気の剛脚を炸裂させ、一緒に伸びたムービースターをおさえて見事栄冠を勝ち得た。大崎騎手にとっては11年ぶりのG1級勝利であった。
熱烈な読売ジャイアンツファンで知られ、2006年5月4日の阪神甲子園球場で行われた、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のラジオ日本ジャイアンツナイターにゲスト出演した。
橋口 弘次郎 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走・初勝利1982年3月13日1回阪神5日2R4歳未勝利ハクサンレンポー--1着
重賞初出走1983年9月11日4回阪神4日11RサファイヤSカルストンダンサー13頭1213着
重賞初勝利1984年1月29日2回京都2日11R京都牝馬特別カルストンダンサー13頭81着
GI初出走1984年11月18日5回京都6日10RマイルCSカルストンダンサー16頭1414着
GI初勝利1992年11月1日4回東京8日10R天皇賞(秋)レッツゴーターキン18頭111着
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橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は日本の調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属。
宮崎県北諸県郡三股町出身。実子の橋口慎介はJRA調教助手。
実弟の橋口満朗は元JRA騎手。
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。
日本の戦後競馬史を見渡しても数少ない学士騎手の1人であり、さらには地方競馬の騎手から中央競馬の厩務員に転じたのちに調教師にまでなったという、日本競馬史を見渡しても稀な経歴を持つ人物である。
大学を卒業後、24歳のときに地方競馬の佐賀競馬で瀬戸山重春厩舎所属の騎手としてデビュー。
大学卒の騎手は非常に珍しく、地方競馬の過去例を見渡しても船橋の森誉・足利の早川順一などごく少数である[注 2]。
しかし1年で騎手を引退。
免許取得は1980年3月1日であるが、厩舎を開業したのは丸2年後の1982年3月1日。初出走(同時に初勝利)は同年3月13日の阪神競馬第2競走のハクサンレンポー。
2002年、9月22日から11月24日まで当時JRA新記録となる10週連続勝利を達成する。
2006年のドバイミーティングでは、GIIのゴドルフィンマイル(ユートピア)とGIのドバイシーマクラシック(ハーツクライ)に勝利した。
預託馬主は、「ツルマル」の冠名で知られる鶴田任男、社台グループの一口馬主クラブである社台レースホース・サンデーレーシングなど。両クラブからは特に、薔薇一族の馬を数多く預かっている。
薔薇一族の重賞16勝は、全て橋口厩舎の馬が挙げたものである。
GI競走優勝は多いが、それ以上にGI競走での2着が多いことで知られる。
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萩原 清(はぎわら きよし 1959年3月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター所属の調教師。
1982年7月に競馬学校厩務員課程に入学。同課程修了後の同年10月より橋本輝雄厩舎の厩務員となる。
1983年に調教助手となり、橋本輝雄厩舎、今津福松厩舎、鈴木勝太郎厩舎、鈴木康弘厩舎にて調教助手を務める。
1996年に調教師試験に合格し、同年12月に厩舎開業。
初出走は1996年12月21日の第6回中山競馬7日目の第7競走のラインフィーバーで13着。初勝利は、1997年3月15日の第2回中山競馬7日目の第4競走のトーヨージェイドであった。
1999年2月14日、第1回東京競馬6日目の共同通信杯4歳ステークスを、勝浦正樹騎乗のヤマニンアクロで重賞初制覇を飾る。
2009年5月31日、第76回日本ダービーを管理馬のロジユニヴァースが優勝し、厩舎開業14年目にしてJpn1競走初制覇をダービーで果たした。
萩原 清 主な管理馬
ヤマニンアクロ(共同通信杯4歳ステークス)
アタゴタイショウ(函館2歳ステークス)
プリサイスマシーン(中日新聞杯、スワンステークス、阪急杯)
ロジユニヴァース(弥生賞、東京優駿など4勝)
ランフォルセ(エルムステークス)
萩原 清主な厩舎スタッフ
南田雅昭(調教助手)
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服部 利之(はっとり としゆき、1958年6月12日 - )は
JRA・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。
父は服部正利元調教師。
1984年7月、父・服部正利厩舎の厩務員となり、11月からは調教助手となる。
1988年10月、目野哲也厩舎の調教助手となる。
1998年、調教師免許を取得。
4月4日、エイユースナイパーが勝利し延13頭目で初勝利となった。
2000年、第36回小倉記念をミッキーダンスが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
父も1975年に制しており、同レース父子制覇となった。
2005年、第5回JBCスプリントをブルーコンコルドが制しGI初勝利を挙げる。
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