野村 彰彦(のむら・あきひこ 1943年9月13日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手並びに現役調教師である。
1943年9月13日、愛知県一宮市にて出生。
1962年騎手免許取得。
京都競馬場の橋本正晴厩舎に所属。
1962年3月17日、カツラオーザで初騎乗。
1962年3月24日、カツラバラツケーにて初勝利。
1965年9月26日、第21回タマツバキ記念(アラブ重賞)をミエタカラにて制覇し、重賞競走初勝利。
1967年、橋本正晴厩舎から中村覚之助厩舎へ所属変更。
1985年、騎手を引退。
1989年3月12日、管理馬のナムラモノノフが第37回阪神大賞典に優勝。重賞初勝利。
1997年4月6日、管理馬のキョウエイマーチが第57回桜花賞に優勝。GI競走初制覇。
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野中 賢二(のなか けんじ、1965年9月29日 - )は、日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属している調教師である。
1982年、10月に栗東・藤岡範士厩舎所属の厩務員となる。
2007年、2月に調教師免許を取得する。
2008年、3月1日付で厩舎を18馬房で開業した。
同日には粕谷昌央厩舎、鹿戸雄一厩舎、松山将樹厩舎も開業している。開業時の管理馬には勇退解散となった松元省一厩舎からトウカイトリックなどの転厩馬20頭が含まれている。
2010年3月21日、阪神大賞典にて管理馬のトウカイトリックが1着となり、厩舎開業後初の重賞勝利を挙げた。
調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2008年3月1日1回阪神1日9R千里山特別トウカイフラッグ16頭1113着
初勝利2008年3月15日1回阪神5日8R4歳上500万下トウカイインパクト16頭11着
重賞初出走2008年3月23日1回阪神8日11R阪神大賞典トウカイトリック13頭34着
トウカイエリート95着
GI初出走2008年5月4日3回京都4日11R天皇賞(春)トウカイトリック14頭97着
トウカイエリート128着
重賞初勝利2010年3月21日1回阪神8日11R阪神大賞典トウカイトリック14頭51着
主な管理馬 [編集]
トウカイトリック(2010年阪神大賞典)
人物・エピソード [編集]
開業時の管理馬はトウカイテイオーなど内村正則の所有馬を多く管理した松元省一厩舎からの転厩馬が多いため、トウカイトリックやトウカイエリートといった「トウカイ」の冠名を使用する実力馬を多く管理することになった。
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根本 康広(ねもと やすひろ、1956年1月31日- )は日本中央競馬会(JRA)の元騎手で現在は調教師。美浦トレーニングセンター所属。
騎手時代は個性派ジョッキーとして知られた。
1986年 - 朝日杯3歳ステークスをメリーナイスで勝利。この時彼はパット・エデリーの騎乗スタイルに刺激を受けており、(朝日杯前に行われたジャパンカップでジュピターアイランドに騎乗し優勝した)直線で風車ムチを使うヨーロピアンスタイルの騎乗スタイルを披露したが、その姿はあまり良いものではないと判断され、周囲からは「却って馬に負担を掛けてしまっている」と苦言を呈される。
この騎乗スタイルは以後は使っていない。
後年になって、真相は直前に左足に負傷を負った根本が、それを隠して朝日杯に出場するために「ヨーロピアンスタイル」を口実に負担の少ない乗り方を模索した結果だったと明かしている。
なお、「根本流」のヨーロピアンスタイルは大庭和弥騎手が受け継いでいる。
2007年に行われた引退騎手のエキシビジョンレース「ジョッキーマスターズ」に出場した際には、根本自身この風車ムチを約20年ぶりに披露している。
1987年 - メリーナイスで東京優駿(日本ダービー)を制する。2着に6馬身の差をつける圧勝だった。
また、この優勝で当時撮影中だった映画「優駿 ORACION」に出演が決まり、メリーナイスを劇中の登場馬・オラシオンに見立て、その主戦騎手・奈良として出演している。
なお、同映画内ではそのメリーナイスで出走もスタート直後に落馬・競走中止となる第32回有馬記念のシーンも使用されている。
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二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属する調教師である。
凱旋門賞において日本馬による連対を果たしている唯一の調教師である。
1978年、美浦・橋本輝雄厩舎の調教助手となる。
1990年、調教師免許を取得し厩舎を開業する。
1994年、優秀調教師賞(関東)を初めて受賞する。
1998年、第32回共同通信杯4歳ステークスをエルコンドルパサーが制しJRA重賞初勝利を挙げる。しかし積雪の影響でグレード格付けは無かった。
第3回NHKマイルカップもエルコンドルパサーで制しJRAGI初勝利を挙げる。
1999年、フランスのサンクルー大賞をエルコンドルパサーが制し海外GI初勝利を挙げる。
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西橋 豊治(にしはし とよじ、1950年3月18日-)は日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。主な管理馬に1999年の桜花賞優勝馬プリモディーネがいる。兵庫県出身。
1950年、京都府に生まれる。父は増本勇厩舎に所属していた厩務員であり、この3年後にクラシック二冠を制するボストニアンの担当者であった。
幼少期から騎手を志し、1965年に阪神競馬場・佐藤勇厩舎に入門、騎手候補生となった。1970年に正騎手としてデビューしたが、佐藤厩舎は兄弟子の高橋成忠が不動の主戦騎手であったため、西橋までは騎乗馬が回ってこず、障害競走を中心に騎乗した。
1986年に佐藤厩舎を離れてフリーとなった後、1989年に騎手を引退した。騎手時代に重賞勝利を挙げることはできなかったが、トウメイ、オペックホースといった八大競走優勝馬にも騎乗し、オペックホースでは4歳時以外で主戦騎手を務めた。
初勝利は同年12月10日阪神競馬第8競走のムービングシーンで延べ7頭目であった。
1998年、管理馬プリモディーネがファンタジーステークスを制し、重賞初勝利を挙げた。
同馬は翌1999年の桜花賞にも優勝し、GI競走初制覇も果たした。その後重賞から遠ざかったが、2008年にメイショウクオリアが京都新聞杯を制し、9年ぶりの重賞勝利を挙げた。
年間成績は概ね10勝前後で推移を続けている。管理馬は主に松本好雄と永井啓弐(永井商事なども含む)の所有馬が多い。
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西園 正都(にしぞの まさと、1955年12月29日 - )は、日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。
西園の実家は競馬とは無関係であったが、母方の親類に競馬関係者(伯父には師匠でもある柳田次男調教師がいる)が多かったことなどから騎手を志すようになったという。
1974年、3月から栗東・大根田裕也厩舎所属の騎手となる。初騎乗は3月2日でヤングローズに騎乗して8着、6月30日にヒコボシに騎乗して勝利し、初勝利を挙げた。
1981年、9月から栗東・柳田次男厩舎所属となる。
1985年、10月20日にカブトヤマ記念をチェリーテスコに騎乗して制し、重賞初勝利を挙げた。
1986年、2月からフリーランス(どこの厩舎にも所属しない騎手)となるが、4月に再び栗東・柳田次男厩舎所属となった。
1994年、1月から再びフリーとなるが、7月から栗東・二分久男厩舎所属となった。
1997年、2月に調教師免許を取得し、騎手を引退する。騎手成績は中央通算3875戦303勝。
1998年、旧・谷八郎厩舎などから在籍馬を受け継ぐ形で3月1日付で厩舎を開業した。3月7日に管理馬が初出走し、ドクターブイが4着となり、4月26日に新潟競馬場でマイネルユートピアが制し、延べ26頭目で管理馬が初勝利を挙げた。
1999年、9月25日に阪神ジャンプステークスをヒサコーボンバーが制し、管理馬が重賞初勝利を挙げた。
2001年、12月2日にタムロチェリーが阪神ジュベナイルフィリーズを制し、管理馬がGI初勝利を挙げた。
2007年、12月24日にフィールドルージュが名古屋グランプリを制し、ダートグレード競走初勝利を挙げた。
2010年、11月21日にエーシンフォワードがマイルチャンピオンシップを制し、GI2勝目を挙げた。なお。前日にもサダムパテックで東京スポーツ杯2歳ステークスを勝利しており、2日連続での重賞制覇となった。
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