平安S・G3は10番人気のヒラボクキングが、1分48秒1のレースレコードで優勝。重賞初制覇ですね。
単勝1・3倍の1番人気エスポワールシチーは、外枠と馬場と58キロの斤量で負けたのかな。
大久保龍調教師は、2年11か月ぶりの重賞勝ちですね。
次は、ジャパンCダート(12月2日、阪神)を狙うらしい。
ヒラボクキング 牡5歳の鹿毛。父キングカメハメハ、母エンキャンタドゥ(父ラーイ)。戦績14戦6勝。総収得賞金1億998万2000円。重賞初勝利。生産者・北海道浦河町の辻牧場。馬主・(株)平田牧場。栗東・大久保龍志厩舎所属。
ヒラボクキング 成績
年月日 レース 競馬場 コース 馬場 頭数 枠番 馬番 人気 オッズ 着
順 騎手名 斤量 馬体重 タイム 上3F 通過順位 タイム差
12/01/22 平安S(GIII) 京都 ダ1800 不良(晴) 16 6 12 10 56.4 1 藤岡佑介 56.0 528(2) 1.48.1 36.1 02-02-02-02 0.2
11/11/06 みやこ(GIII) 京都 ダ1800 稍重(曇) 16 8 16 9 43.5 5 藤岡佑介 56.0 526(0) 1.49.4 37.5 02-03-03-03 -1.0
11/10/09 平城京 京都 ダ1800 良(晴) 14 4 5 2 4.3 1 藤岡佑介 57.0 526(4) 1.50.9 36.4 01-01-01-01 0.7
11/09/10 鳥取特 阪神 ダ2000 良(晴) 11 7 9 1 2.8 1 小牧太 57.0 522(-6) 2.05.8 36.3 02-02-02-02 0.6
11/07/30 麒麟山 新潟 ダ1800 重(晴) 15 2 3 1 2.9 4 福永祐一 57.0 528(6) 1.51.6 36.9 07-07-07-07 -0.7
11/06/11 灘S 阪神 ダ1800 重(晴) 16 8 15 6 13.8 4 岩田康誠 57.0 522(-16) 1.49.1 35.8 05-05-03-04 -0.4
11/01/29 北山S 京都 ダ1800 良(晴) 12 8 11 4 6.1 5 藤岡佑介 56.0 538(4) 1.53.4 36.7 03-03-03-04 -0.5
11/01/05 4歳上 京都 ダ1800 良(曇) 16 8 16 1 3 1 藤岡佑介 56.0 534(2) 1.51.5 37.4 09-09-04-04 0.0
10/12/05 3歳上 阪神 ダ2000 稍重(晴) 11 6 6 1 2.5 5 藤岡佑介 56.0 532(0) 2.05.1 38.9 02-02-02-02 -0.7
10/11/14 3歳上 京都 ダ1800 良(曇) 15 6 11 4 7.5 2 蛯名正義 55.0 532(0) 1.51.8 37.6 02-02-02-02 -1.0
10/10/17 3歳上 京都 ダ1800 良(晴) 14 3 3 1 3.7 1 藤岡佑介 55.0 532(10) 1.52.8 37.3 01-01-01-01 0.1
10/03/06 3歳 阪神 ダ1800 不良(曇) 15 2 2 2 4.9 4 藤岡佑介 56.0 522(-10) 1.53.5 38.5 07-06-06-06 -0.9
10/02/06 未勝利 京都 ダ1800 稍重(小雪) 16 1 2 1 1.7 1 藤岡佑介 56.0 532(0) 1.54.1 37.7 04-04-03-03 0.3
10/01/09 新馬 京都 ダ1800 良(晴) 14 5 7 3 12.8 3 藤岡佑介 56.0 532 1.56.4 36.9 02-02-02-02 -0.4
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ゲートさえ、まともに出れば、3着以内は、あるでしょうね。
平安ステークスは、中山競馬場に多い、典型的なリピーターレースのひとつです。
インバルコは昨年の2着馬です。
ただ、ゲートの出が悪い。
「あの時は内にヨレて、その分の2着でしたね。真っすぐ走っていれば、おそらく1着…という内容」
「ゲートの出がどんどん悪くなっている。問題はそこでしょうね。それで前走のようなスローで前残りの競馬になると厳しい」と池江師は言っています。
ただ、斤量が2.5kg軽くなりますし、体調も良さそうです。
スタートでの出遅れが影響する内枠ではなく、不利な外枠でもなく
真ん中の枠が引ければ、3着以内はありそうですね!
インバルコの基本情報
所属 中央
登録 中央現役 性別 牡 6歳
馬主 藤田孟司 毛色 鹿毛
調教師 池江 泰寿(栗 東) 生産牧場 Takeshi Fujita
産地 米国産 戦績
国内:27戦8勝 出馬表
総賞金 20785.4万円
血統
Fusaichi Pegasus(USA)
鹿 1997 Mr. Prospector(USA)
Angel Fever(USA)
Personal Delight(USA)
鹿 1997 Personal Flag(USA)
Knight Prospector(USA)
年度別累計成績
年 レース回数 1着 2着 3着 着外 賞金(万円) 開催場所
中央 2009 8 4 2 1 1 4874.1 東京、中山、中京、京都、阪神、小倉
2010 9 3 1 1 4 8062.2 東京、中山、京都、阪神、小倉
2011 9 1 3 2 3 7049.1 新潟、東京、中山、京都、阪神、小倉
合計 26 8 6 4 8 19985.4 SSI = 4.94
地方 2011 1 0 0 1 0 800.0 船橋
合計 1 0 0 1 0 800.0 SSI = 50.17
インバルコ 主な成績
着順 日付 レース名 競馬場 芝ダ 距離 1着馬(2着馬)
3 2011/05/02 ダイオライト記念(中央交流) 船橋 ダ 2400 スマートファルコン
2 2011/01/23 平安S 京都 ダ 1800 ダイシンオレンジ
3 2011/04/10 マーチS 阪神 ダ 1800 テスタマッタ(USA)
1 2011/10/23 ブラジルC オープン 東京 ダ 2100 (フリソ)
1 2010/10/24 ブラジルC オープン 東京 ダ 2100 (エアマックール(USA))
1 2010/12/25 師走S オープン 中山 ダ 1800 (ユノゾフィー)
2 2010/03/06 仁川S オープン 阪神 ダ 2000 モンテクリスエス
2 2011/12/10 ベテルギウスS オープン 阪神 ダ 2000 キングスエンブレム
2 2011/07/17 祇園S オープン 京都 ダ 1800 ニホンピロアワーズ
3 2011/08/28 阿蘇S オープン 小倉 ダ 1700 フサイチセブン
3 2010/08/29 阿蘇S オープン 小倉 ダ 1700 クリーン
1 2009/12/27 フェアウェルS 1600万下 中山 ダ 1800 (フリソ)
1 2010/08/08 宮崎S 1600万下 小倉 ダ 1700 (ゴールデンチケット)
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キングカメハメハ産駒の京都芝2400m外の成績は4勝、2着1回、3着4回、着外18回です。
勝率14.8% 連対率18.5% 複勝率33.3%でぅ。
回収率は、単勝124%、複勝は55%です。人気になる馬が多くて、結構勝ちきっているということですね。
今回、圧倒的な一番人気になりそうな、トゥザグローリーからの馬券を考えるなら、馬単勝負か3連単勝負!かもしれませんね。
なにしろトゥザグローリーは、もう5歳にはありましたが、まだまだ成長をみこめそうな馬です。
完成されていないように見える分、もしかしたら、その伸びシロはオルフェーブル以上かも。
今回は、まさに池江師の腕しだいですね。
あのメジロマックイーン、ディープインパクト、ドリームジャーニーを育ててきた池江師なら、日経新春杯は、トゥザグローリーとともに勝ちきりそうです!
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中山金杯のダイワファルコンは、惜しくも2着。京都金杯マイネルラクリマは、余裕の勝利。
管理する上原博之師は、中央大学卒のインテリ調教師。昨年は21勝で調教師リーディングで48位。開業20年目で今年ブレイクするかもしれません。注目します。
上原博之
出身地 茨城県土浦市
(出生は千葉県我孫子市)
生年月日 1957年1月25日(54歳)
所属団体 日本中央競馬会
初免許年 1993年(1994年開業)
重賞勝利 19勝
G1級勝利 5勝
経歴
所属 柄崎義信(1980年 – 1983年、調教助手)
和田正道(1983年 – 1993年、調教助手)
美浦T.C.(1994年 – 現在)
上原 博之(うえはら ひろゆき、1957年1月25日 – )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。主な管理馬にGI競走で5勝を挙げたダイワメジャーがいる。所属場は美浦トレーニングセンター。茨城県土浦市出身、茨城県立土浦第三高等学校を経て中央大学法学部卒。
上原 博之 経歴
1957年、千葉県我孫子市に生まれる。1歳の時に茨城県土浦市に転居し、以後土浦で育った。父親は農協系の団体職員で獣医師資格を持ち、この影響もあって幼少の頃から動物好きだった。
土浦第三高等学校では父の勧めで馬術部に所属。3年次には主将を務め、1974年の茨城国体では県代表選手として個人準優勝、団体で優勝を経験している。高校卒業後は馬術選手としての推薦で中央大学に進み、ここでも3、4年次に主将を務めた。大学時代は4年次に出場した関東大学馬術選手権で優勝、全日本学生選手権では個人3位、団体5位の成績を残した。
就職先には日本中央競馬会を希望していたが採用されず、留年を選択した後に乗馬インストラクターの資格を取得するためイギリスに留学。4ヶ月間の研修を経て帰国の翌春に大学を卒業し、静岡県御殿場市のホテル兼乗馬クラブにアシスタントマネージャー兼インストラクターとして就職した。しかし半年後、恋人(後の妻)と美浦トレーニングセンターを見学に訪れた際、知己であった獣医師に競走馬の調教に携わることを勧められ、直後に日本中央競馬会の調教助手資格を取得。1980年11月、紹介を受けた同場所属の調教師・柄崎義信厩舎に入った。
柄崎厩舎で3年過ごした後、和田正道厩舎へ移籍。ドバイでの研修などを経て調教師を志すようになり、1993年に通算5度目の受験で調教師免許を取得した。
上原 博之 調教師時代
1994年3月、茨城県美浦トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。初勝利は同期開業調教師の中で最も遅く、同年7月3日の札幌開催における未勝利戦をノーブルグラスで勝ったのが最初となった。
しかし以後は順調に勝利を重ね、当年13勝を挙げた。翌1995年7月には初勝利馬ノーブルグラスが札幌スプリントステークスを制し、重賞初勝利を挙げる。当年は重賞2勝を含む24勝を挙げ、関東の優秀調教師賞を受賞。以後毎年概ね15-20勝前後の成績を維持する中堅厩舎として定着している。
2004年、管理馬ダイワメジャーが皐月賞を制し、GI競走およびクラシック競走初制覇を果たす。同馬は後に競走能力に影響を及ぼす喘鳴症を発症して低迷に陥ったが、手術を施した後は立て直すことに成功し、2007年末の引退までに5つのGI競走に優勝した。
同馬に代表されるように、「ダイワ」を冠名とする有力馬主・大城敬三所有馬の関東における主戦厩舎を担っている。また、自身の管理馬が出走しないGI競走当日には、テレビの競馬中継で解説者としての出演もこなす。
上原 博之 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走1994年3月5日 2回中山3日12R 5歳上500万下 メイスンボサツ 16頭 12 11着
初勝利 1994年7月3日 1回札幌8日3R 4歳未勝利 ノーブルグラス 8頭 1 1着
重賞初出走 1994年4月9日 3回中山5日9R 中山大障害(春) ロンゲット 6頭 5 5着
重賞初勝利 1995年7月16日 2回札幌4日11R 札幌スプリントS ノーブルグラス 16頭 9 1着
GI初出走 1995年10月29日 4回東京8日10R 天皇賞(秋) スガノオージ 17頭 8 15着
GI初勝利 2004年4月18日 3回中山8日11R 皐月賞 ダイワメジャー 18頭 10 1着
上原 博之 主な管理馬
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
ノーブルグラス(1995・1996年札幌スプリントステークス)
スガノオージ(1995年毎日王冠 1996年カブトヤマ記念)
ダイワルージュ(2000年新潟3歳ステークス)
ダイワメジャー(2004年皐月賞、2006年天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、2007年安田記念、マイルチャンピオンシップなど重賞8勝)
フェリシア(2004年フェアリーステークス)
ショウナンタキオン(2005年新潟2歳ステークス)
プレミアムボックス(2008年オーシャンステークス 2009年CBC賞、京阪杯)
ダイワワイルドボア(2008年セントライト記念)
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蛯名 幸作(えびな こうさく、1946年10月21日-)は、厩務員。
日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター、田中清隆厩舎に所属。
競馬関係者の出身者が多い青森県上北郡出身。蛯名は上北の農家で育った。
子供の頃は自宅に馬がいたが、当時は馬と接することを嫌い、中学卒業後は東京都に出て喫茶店などで勤務
しかし勤務はするものの、遊んでばかりしていたため体調を崩してしまう。
既に競馬関係者として働いていた蛯名の兄に厩務員になることを勧められ、以後は競馬の世界で生きて行くことになった。
1967年、東京競馬場の坂本栄三郎厩舎所属の厩務員となった。
その後1990年に坂本の死去による厩舎の解散により田中清隆厩舎に移籍した。
1970年初春にはクイーンカップを勝利したタマミを桜花賞終了まで当時開場間もない栗東トレーニングセンターに長期的に滞在させたが、蛯名も馬の様子を見るためにタマミと共に長期にわたって栗東に滞在した。関東馬が長期間栗東に滞在した初の事例であった[1]。
2011年10月21日、中央競馬の厩務員の定年となる65歳に達する。
厩務員になる前とは逆に現在は「馬(との仕事)が好きである」と蛯名は語る。
蛯名 幸作 主な管理馬
括弧内は主な優勝レース
タマミ(1970年桜花賞)
キタイシオー(1973年東京障害特別)
グルメフロンティア(1998年フェブラリーステークス)
トーホウシデン(2003年中山金杯)
タイキリオン(2002年ニュージーランドトロフィー)
ホエールキャプチャ(2011年クイーンカップ)
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1980年、厩舎を開業し、10月18日に阪神競馬場で管理馬が初出走し、ハンキツヨシが7着となる。
1981年、タマモコウリュウが3月28日に阪神競馬場で勝利を挙げ、管理馬が延べ51頭目で初勝利を挙げた。
1987年、12月6日の鳴尾記念をタマモクロスが制し、管理馬が重賞競走初勝利を挙げた。
1988年、4月29日の天皇賞(春)をタマモクロスが制し、管理馬がGI競走初勝利を挙げた。
さらに1988年度のJRA賞最多賞金獲得調教師を受賞した。
1990年、9月24日に管理馬が地方競馬で初出走する。
2001年、5月9日に名古屋競馬場で行われた名古屋チャレンジカップ・ジュピター賞をユーコーフォエバーが制し、管理馬が地方競馬で初勝利を挙げた。
小原伊佐美 表彰
JRA賞最多賞金獲得調教師
1988年
主な騎乗馬 [編集]
ホウシュウヒカリ(1968年 タマツバキ記念(秋))
小原伊佐美 主な管理馬
タマモクロス(1987年 鳴尾記念、1988年 スポーツニッポン賞金杯、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋))
トーアファルコン(1988年 CBC賞)
ロンシャンボーイ(1993年 京阪杯、高松宮杯)
ルーブルアクト(1993年 鳴尾記念)
ホクセイアンバー(1994年 小倉記念)
タマモモノノフ(1994年 小倉障害ステークス)
タマモイナズマ(1999年 万葉ステークス、ダイヤモンドステークス)
タマモヒビキ(2002年 小倉大賞典)
ナナヨーヒマワリ(2008年 マーチステークス)
小原伊佐美 厩舎スタッフ
内田国夫(調教助手)
小原義之(調教助手)
過去の所属者
清山宏明(当時騎手)
小原伊佐美 人物・エピソード
タマモクロスが藤森特別(当時400万下)を8馬身の圧勝し、一部マスコミから「菊花賞での関西の秘密兵器」と呼ばれたが、先を考えて菊花賞には出走させなかった。
代表管理馬のタマモクロスをはじめ、タマモ株式会社が所有する競走馬を管理することが多い。
管理馬には息子で厩舎に所属する小原義之を起用していたことが多く、父子で重賞を4勝している。
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かつて中央競馬の騎手であった小野定夫は、遠縁にあたる。
1989年に騎手免許を取得し、美浦の高松邦男厩舎所属でデビュー。
初勝利は同年5月7日、東京第4競走のホッカイカオリであった。重賞初勝利は1995年 カブトヤマ記念をアイオーユーで制覇。
2010年12月9日、2011年度調教師免許試験に合格。かつては合格した後も厩舎に空きがないなどの理由により、1年程度他厩舎の技術調教師として所属し、研修後開業するのが通常の流れであったが、近年の調教師の定年による引退及び定年前の勇退者の増加により、合格直後の2011年3月から開業できることになったため、2010年10月24日東京競馬第7レースでの騎乗(7着)を最後の騎乗とし、通常2月末に行われることが多い、引退記念の騎乗及び引退についてファンへの挨拶などは一切行わず鞭を置くこととなった。
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1966年、第1回北九州記念をハジメリユウで制し重賞初勝利を挙げる。
1974年、栗東・小林三雄三厩舎所属となる。
通算成績は2342戦317勝。
1984年、厩舎を開業する。
3月11日、初出走となった小倉競馬場での第9レースは、タケノヨロコビが4着となる。5月19日、阪神競馬場での第2レースでハンキトップが勝利し延べ17頭目で初勝利を挙げる。
1985年、愛知杯をロングクイックが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
1987年、第39回阪神3歳ステークスをサッカーボーイが制し、JRAGI初勝利を挙げる。
小野幸治 騎手成績
通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地3143012582320.135.265
障害32215.200.333
計3173032602335.136.266
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1965年3月6日-シーダ–4着
初勝利1965年3月7日-ダイハジメオー–1着
重賞初騎乗1965年6月6日鳴尾記念アスカ7頭23着
重賞初勝利1966年11月20日北九州記念ハジメリユウ12頭21着
GI級初騎乗1968年6月30日優駿牝馬ローズイパス16頭69着
小野幸治 主な騎乗馬
ハジメリユウ(1966年北九州記念)
タカノキネン(1969年阪急杯)
フサイチ(1970年アラブ大賞典(春・秋))
シュンサクオー(1970年大阪杯)
キームスビィミー(1971年京都記念(秋)、1972年ハリウッドターフクラブ賞)
ホースメンホープ(1977年日本経済新春杯、中京記念)
タニノテスコ(1981年阪神牝馬特別)
小野幸治 表彰
優秀調教師賞(関西)
1986年
中京競馬記者クラブ賞
1995年
小野幸治 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1984年3月11日1回小倉2日9R-タケノヨロコビ–4着
初勝利1984年5月19日3回阪神1日2R4歳未勝利ハンキトップ–1着
重賞初出走1984年11月3日5回京都1日11Rデイリー杯3歳Sロングクイック10頭79着
重賞初勝利1985年12月1日3回中京2日11R愛知杯ロングクイック14頭51着
GI初出走1985年5月19日3回東京4日10R優駿牝馬クリスシルバー28頭812着
GI初勝利1987年12月20日5回阪神6日11R阪神3歳Sサッカーボーイ10頭11着
小野幸治 主な管理馬
ロングクイック(1985年愛知杯)
サッカーボーイ(1987年阪神3歳ステークス、1988年中日スポーツ賞4歳ステークス、函館記念、マイルチャンピオンシップ)
ホワイトアロー(1990年愛知杯、1992年スポニチ賞金杯)
メルシーアトラ(1991年日経新春杯)
メルシーステージ(1994年アーリントンカップ、毎日杯)
サウンドバリヤー(1995年愛知杯)
セフティーエンペラ(2004年福島記念)
スリーアベニュー(2007年ガーネットステークス)
ロングプライド(2007年ユニコーンステークス)
ジョイフルハート(2008年北海道スプリントカップ)
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音無秀孝 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1995年6月24日3回中京3日12R5歳上900万下キーペガサス16頭711着
重賞初勝利1995年7月23日2回小倉4日11R北九州記念イナズマタカオー16頭31着
GI初出走1995年10月29日4回東京8日10R天皇賞(秋)イナズマタカオー17頭149着
GI初勝利2006年3月26日1回中京8日11R高松宮記念オレハマッテルゼ18頭41着
音無秀孝 受賞
2004年 JRA賞(優秀技術調教師)
2005年-2010年 優秀調教師賞(関西)
2009年 最多賞金獲得調教師賞
2009年 JRA賞(最多賞金獲得調教師)
2010年 JRA賞(最多勝利調教師)
2010年 最多勝利調教師賞
音無秀孝 主な管理馬
リンカーン(2004年阪神大賞典、2005年京都大賞典、2006年日経賞)
カンパニー(2005年京阪杯、2006年大阪杯、2007年関屋記念、2008年中山記念、マイラーズカップ、2009年中山記念、毎日王冠、天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ)
イナズマタカオー(1995年北九州記念、1996年中京記念)
エガオヲミセテ(1998年阪神牝馬特別、1999年マイラーズカップ)
ユーセイトップラン(1999年アルゼンチン共和国杯、1998年・2000年ダイヤモンドステークス)
トシザブイ(2002年・2003年目黒記念)
オレハマッテルゼ(2006年高松宮記念、2006年京王杯スプリングカップ)
サンライズバッカス(2005年武蔵野ステークス、2007年フェブラリーステークス)
ヴィクトリー(2007年皐月賞)
サンアディユ(2007年アイビスサマーダッシュ、2007年セントウルステークス、2007年京阪杯)
オウケンブルースリ(2008年菊花賞、2009年京都大賞典)
ブラボーデイジー(2009年福島牝馬ステークス、2010年エンプレス杯)
ザレマ(2009年京成杯オータムハンデキャップ)
オウケンサクラ(2010年フラワーカップ)
サンライズプリンス(2010年ニュージーランドトロフィー)
ドモナラズ(2010年七夕賞)
ダノンヨーヨー(2010年富士ステークス)
レッドデイヴィス(2011年シンザン記念、毎日杯)
ミッキードリーム(2011年朝日チャレンジカップ)
音無秀孝 主な厩舎所属者
括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
東田幸男(1995年-現在 調教助手)
生野賢一(2003年-2010年 騎手、2010年-現在 調教助手)
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音無 秀孝(おとなし ひでたか、1954年6月10日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター所属の調教師であり、元栗東所属騎手である。
中学校を卒業した後、大阪のレストランでコックとして3年間働いていたが、この間に競馬ファンとなり、自身も騎手として競馬界に飛び込むことを決意する。1973年から騎手見習いとして騎乗を開始、1979年からは田中良平厩舎に所属し正式な騎手となった。
1995年6月24日に中京競馬第12競走でキーペガサスが管理馬として初出走、初勝利は厩舎10戦目であった同年7月23日の小倉競馬第11競走北九州記念をイナズマタカオーで飾っている。
リンカーン、カンパニー、オレハマッテルゼ、サンアディユ、サンライズバッカス、オウケンブルースリなどの活躍馬を世に送り出し、騎手時代以上の活躍が目立つ。
音無秀孝 特徴
開業時に他厩舎から転厩してきたイナズマタカオーで重賞を2勝するなど開業当初から調教師として手腕を発揮していたが、2000年頃から成績が飛躍的に向上し、現在では毎年のように調教師リーディングの上位を賑わす存在である。これには、リンカーンなどに代表される近藤英子所有の素質馬を管理し始めたことや、条件戦での積極的な関東遠征、東田幸男調教助手を始めとする厩舎スタッフらの手腕とチームワークなどが理由として挙げられる。
また坂路主体の調教も厩舎の特徴であり、西高東低の現状に於いて、これが前述の関東遠征での好結果に繋がっている。
その他に、管理馬がレースでの人気の有無に拘らず2着・3着を拾うケースが目立つこと(この事に関しては音無も自虐的に語ることがある)や、ヘネシーやスウェイン、ジェリなどの本邦ではまだ馴染み薄い種牡馬の産駒達が活躍していることも特徴である。
2003年より2010年まで厩舎所属騎手として生野賢一がいたが、重賞を含む上級条件競走においては、関西では武豊、関東では柴田善臣が騎乗することが多い。熱心な競馬ファンの間では「関東で柴田を乗せてきたら買い」とも言われるほどの複勝率を誇る。
当時、小田切は田中良平厩舎にその所有馬の多くを預けていたこともあり、音無は若い頃から小田切に可愛がられていた(現在も”秀ちゃん”と呼ばれている)。その縁と信頼関係は、調教師となってからのエガオヲミセテやワナでの重賞勝利や、オレハマッテルゼでの高松宮記念優勝による悲願のGI初制覇へと結実している。
所属馬一頭一頭の過去のデータが一目瞭然できるというソフト(自らが考案)を利用し、調教時計を始めとする詳細事項を自らの手でパソコンに入力、さらにそのデータは馬主にも届けるというマメな一面も持ち合わせている。
栗東トレセンでは同郷のよしみから橋口弘次郎調教師と仲が良く、二人の会話は新聞記事のネタになることもある。
しかし週明けの月曜日(6日)、絶対安静とされる中、上記の“データ入力”の為コルセットを装着した状態で厩舎へ現れるという肉体的かつ精神的タフさをも見せている。
妻は元JRA職員(京都競馬場業務課)である。
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