騎乗停止(きじょうていし、英語:suspension)とは競馬において反則をおかした騎手に対して与えられる制裁である。
騎乗停止になる理由は様々であるが、危険度が高いなどのの場合には長期間の騎乗停止ということもあり得る。
中央競馬における騎乗停止の概要
中央競馬所属の騎手の場合には、競馬の開催は毎週土曜日と日曜日に行われるのが普通であるため、騎乗停止を課されると土曜日と日曜日の競馬には騎乗できない。
また、平日に行われる地方競馬での地方馬と中央馬の交流競走も騎乗停止期間中は騎乗できないし、海外での騎乗も出来ない(海外遠征の届出が許可されないため)。
競走中の事由による騎乗停止の場合、開催日4日間などの騎乗停止となるが、開催日4日間の騎乗停止の場合は「土・日~土・日」の期間が騎乗停止となるため、実質的に1週間は中央・地方・海外全ての競走に騎乗することができない事になる。
但し、同一騎手が同一競走、または同一開催週に複数回の騎乗停止規則に抵触する走行があった場合はその分期間が延長されてしまう。
その例として、吉田豊が2009年5月10日に開催されたNHKマイルカップにおいて、サンカルロに騎乗したが、
第4コーナーで外側に斜行した際、アイアンルックの走行を妨害
直線走路でダイワプリベールの走行を妨害
という同一競走において2度の走行妨害を行ったとして、同年5月16日から6月7日の合計開催日8日間(1開催相当 前者は5月24日まで、後者は5月25日からそれぞれ開催日4日間ずつの扱い)の騎乗停止を受けた。サンカルロは8位入線→最下位・18着降着となった。
1976年までは騎乗停止は次の競走から即刻適用されていたが、1977年以降は翌日からの騎乗停止とし、前日発売の競走に騎乗している場合は翌日の騎乗は可能としていた。
さらに1994年からは騎乗停止をファンに広く伝えるために騎乗停止の開始日を翌週の土曜日からとした。ただし、粗暴な行為、あるいは油断騎乗(楽勝ペースでゴールに駆け抜けようとした際に追う動作を緩め、敢闘精神に著しく欠ける騎乗があった場合や不注意行為があった場合他)による騎乗停止は発覚の当日もしくは翌日からの適用となる場合がある。
また、故意的に騎手を落とした場合、もしくは重大な不祥事(逮捕・起訴)があった場合は、長期もしくは無期限の騎乗停止、最悪の場合は騎手免許剥奪となる。
基本的な騎乗停止期間
2004年までは馬の癖などでの軽減、あるいは重過失や故意の落馬などによる増加はあったが、基本開催日6日間の騎乗停止であった。
2005年からこれが大幅に変更され、基本的な騎乗停止は制裁を受けた次週最初の開催日からの開催日4日間。馬の癖などによるものは同2日間。重過失や故意の落馬など悪質な場合は同6日(またはそれ以上)。
ただしごく軽微と判断したものは1日間のみとすることもある。
中央・地方間の騎乗停止の相互適用
他の主催者から騎乗停止処分を受けた場合、所属している主催者からも騎乗停止の処分が下されることがある(中央競馬の場合、日本中央競馬会競馬施行規程第147条17号)。
主催者毎に開催日数が異なることと、騎乗停止の処罰の基準が異なるため、要因が同じでも騎乗停止期間が異なる場合がある。
なお、騎乗停止期間は、すでに出馬投票が終了して騎乗が決定している競走がある場合、そのまま騎乗することとなり、騎乗停止期間の開始が、翌開催日からに持ち越される。
日本国外の競馬で騎乗停止を受けた場合
日本国外で騎乗停止が課された場合であっても、騎手の国籍に関係なく騎乗停止が課される(JRAの騎手の場合には、日本中央競馬会競馬施行規程第147条18号が適用)。
日本国外の関係機関から日本中央競馬会 (JRA) または地方競馬全国協会 (NAR) への報告により騎乗停止の日数が決定される。
JRAの騎手では、福永祐一騎手が2002年12月15日に行われた香港カップにエイシンプレストンで出走した際、外側に斜行したため12月16日から実効4日間の騎乗停止処分を受けた。
これに伴い、JRAは12月16日以降の最初の開催日である12月21日から4日間の騎乗停止処分を行った。ただし、騎乗停止処分後も引き続き海外で騎乗する場合には、海外で騎乗停止を消化すればJRAならびに地方競馬の各主催者での追加の処分は行われない。
イギリスでは動物愛護の観念からレース中に馬に対して鞭を叩くのは7回までという決まりがある。それ以上叩いた場合には4日程度の騎乗停止が課される。
しかし7回では競馬にならないという声もあるため、勝負どころで騎乗停止覚悟で鞭を連打する騎手も多くいる。
イギリスでは連日競馬が開催されているため、せいぜい4日と考えている騎手も少なくない。日本人騎手では、武豊騎手がゼンノロブロイで出走したインターナショナルステークスで、上記の処分を受けている。
この時、武豊騎手は引き続き海外遠征を行っており、騎乗停止処分を消化したためJRAでの処分は行われなかった。2009年シャーガーカップに出場した内田博幸騎手も同様の処分を受け、こちらは8月22日から8月30日まで開催4日間JRAでの騎乗停止処分を受けた。
香港では2004-2005シーズン(香港は開催周期が日本と異なる)より騎乗停止延期制度が導入された。
これは、香港では大レースの直前に騎乗停止を受けた場合、意図的に異議申し立て(アピール)をすることが度々起きた。
当時は異議申し立てをすると2週間の執行猶予が行われていたためにこのようなことがあった。そこで、大レース直前に騎乗停止を受けた場合には、裁定委員の裁量により延期をすることができるようになった。
このため、大レースでの騎乗が確実に行われるため、騎手・馬主双方にメリットがある。その代わり、異議申し立てを行った場合の猶予期間が1週間に短縮され、さらに保証金も以前の倍額に増額した。
日本人騎手では2006年12月に行われたインターナショナルジョッキーズチャンピオンシップに参加した武豊騎手が落馬事故の原因となったため6日間の騎乗停止処分を受けたが、日本の大レースである有馬記念騎乗を控えていたために、裁定委員の裁量により、有馬記念翌日の12月25日からの執行に延期された。また、フランスでも同様の制度がある。
騎乗停止が課される要因
以下では騎乗停止が課される代表的な事例を取り上げる。なお騎手及び調教師の所属については特記以外JRAである。
進路妨害
他馬の進路を妨害した場合。降着もしくは失格になった場合は当然のほか、被害馬先着などで降着が発生しなくても、降着に相当する妨害を起こした場合には騎乗停止処分となる。
ラフプレー
降着、失格には至らないが、度重ねて軽微な進路妨害を起こした場合、危険行為の繰り返しが改善されていないと判断され、騎乗停止となる。
五十嵐冬樹(ホッカイドウ競馬)
2003年8月17日、1回札幌2日第1競走において、最後の直線走路で外側に押圧したことについて、前週にも同様事象による過怠金10万円の制裁があったにもかかわらず、騎乗方法の改善なく再び同様の行為に及んだため、開催日2日間の騎乗停止。
池添謙一
2008年5月25日、3回東京2日第11競走(優駿牝馬)において、最後の直線走路で内側への斜行による被害は走行妨害には至らないが、継続的かつ修正動作の無い危険な騎乗であると認められたため、開催日2日間の騎乗停止。
高田潤
2010年8月21日、3回新潟3日第9競走(新潟ジャンプステークス)において、最後の直線走路で内側へ斜行したことについて、走行妨害とはならなかったものの継続的かつ修正動作のない危険な騎乗と判断され、開催日2日間の騎乗停止。
丸山元気
2010年12月25日、3回小倉7日第7競走において、最後の直線走路で外側へ斜行したことについて、走行妨害とはならなかったものの十分な進路がないところでの強引な騎乗と判断され、開催日2日間の騎乗停止。なお丸山自身はこの日の第10競走にてJRA通算100勝を達成したものの、後味の悪い形での達成となってしまった[1]。
伊藤工真
2011年1月30日、1回小倉4日第11競走(帆柱山特別)において、最後の直線走路で外側へ斜行したことについて、走行妨害とならなかったものの継続的かつ修正動作のない危険な騎乗と判断され、開催日2日間の騎乗停止[2]。
岩部純二
2011年5月21日、3回東京競馬初日第3競走において、最後の直線走路で急に外側へ斜行したことについて、走行妨害とはならなかったものの「危険な騎乗に該当する行為」と認められたため、開催日2日間の騎乗停止[3]。
負担重量
降雨などの特段の理由がなく、負担重量が前検量と後検量との間でプラスマイナス1kg以上の誤差が生じた場合。
プラスマイナス1kg以下でも注意義務を怠った場合には騎乗停止となる場合がある。出走した馬については、1kg以上の誤差については失格となり、1kg以内の誤差については着順に変更はない。
なお日本の中央競馬では2011年以降規定が改正され、プラスマイナス1kg以上の誤差からマイナス1kg以上の誤差に変更された(プラスの場合での誤差については制限がなくなる)。
横山典弘
1993年6月26日、1回札幌5日第2競走(レアリングサン号に騎乗 負担重量55kg)において、前検量と後検量との間でマイナス1.8kgの誤差が生じた。馬は5位入線失格。騎手は開催日9日間の騎乗停止となった。
福永祐一
1996年3月23日、1回中京7日第2競走(テナシャスバイオ号に騎乗 負担重量52kg)において、前検量と後検量との間でマイナス1.8kgの誤差が生じた。馬は1位入線失格。騎手は開催日10日間の騎乗停止となった。
穂苅寿彦
1998年4月11日、2回中京5日第4競走(スイートコーン号に騎乗 負担重量51kg)において、前検量と後検量との間でプラス0.7kgの誤差が生じた。馬は6位入線(1kg以内の誤差のため着順変更なし)。原因は、前検量時に鐙・下腹帯を付けずに計量し、装鞍時にそれらを装着したため誤差が生じた。騎手は前検量時における注意義務を怠ったため開催日9日間(4月12日~5月11日)の騎乗停止となった。
上村洋行
1998年1月25日、1回京都8日第11競走 日経新春杯(ナムラホームズ号に騎乗 負担重量55kg)において、前検量と後検量との間でマイナス2.0kgの誤差が生じた。馬は5位入線失格。騎手は開催日10日間の騎乗停止となった。
吉井竜一(大井競馬)
2011年7月1日、平成23年度6回大井6日目第1競走(オカノヒーロー号に騎乗 負担重量56kg)において、前検量と後検量との間でマイナス1kg以上の誤差が生じた。馬は6位入線失格。騎手は公正保持のため当日の残り2騎乗は騎手変更となった上で開催日10日間(4回川崎全日程と7回大井の5日目まで)の騎乗停止となった[4]。
体重調整
体重調整(健康管理)を怠ったことによって、決められた負担重量で騎乗できない場合。1kg未満の場合は、当日は負担重量を変更の上で騎乗できるが、後日騎乗停止となる。1kg超過の場合は当日から騎乗停止となり騎手変更が発生する。
平沢健治
2002年2月2日、1回小倉5日第4競走(ヒロスズラン号に騎乗 競走は10着 負担重量50kg)において、体重調整ができず50.4kgで騎乗した。しかし、前検量時に競馬施行規程に違反して保護ベストのクッション材をすべて抜き取って装着し計量していたことが判明した。騎手は開催日4日間(2月3日~2月16日)の騎乗停止となった。
田口大二郎
2002年3月17日、1回阪神8日第5競走に騎乗予定だったが、体重調整ができず騎手変更となった。騎手は体重調整の注意義務を怠ったとして開催日2日間(3月18日~3月24日)の騎乗停止となった。
南井大志
2002年6月8日、2回中京7日に騎乗予定だったが、体重調整ができなかった上、病気(熱中症、脱水症)となり騎手変更となった。騎手は体重調整の注意義務を怠ったとして開催日2日間(6月10日~6月16日)の騎乗停止となった。前週6月1日にも体重調整を怠り負担重量を変更したため5万円の過怠金を課せられていた。
2002年7月6日、1回函館7日第6競走に50kgで騎乗予定だったが、体重調整ができず、50.5kgに負担重量を変更し騎乗した。騎手は体重調整の注意義務を怠った上、前月も同様の理由で過怠金と騎乗停止の処分を受けていたとして開催日4日間(7月8日~7月21日)の騎乗停止となった。
鞭の不適切な使用
2011年から適用開始。鞭を不適切に使用した際、騎乗停止となる場合がある[5]。なお、イギリスでは鞭を多く叩くと騎乗停止となる。
粗暴な行為
競馬場内外での暴力行為などは、スポーツマンシップに反し、社会的にも問題事件となるため、騎乗停止となる。
飯田明弘
1982年9月5日、4回京都8日第5競走において、4コーナーで村本善之騎手に寄られた同騎手は最後の直線で仕返しに村本騎手の馬に内側から自馬を寄せ、村本騎手の頭を2度打ち、開催日4日間の騎乗停止。
岡部幸雄
1984年2月18日、1回東京7日第8競走において、スタート後、杉浦宏昭騎手に外に持ち出されたことに憤慨。向正面で内斜しながら併走する同騎手を小突き、左手で顔面を叩き、開催日2日間の騎乗停止。
柏崎正次
1984年11月19日、東海道新幹線で飲酒の上、乗客に暴行をした。裁定委員会の議定により3ヵ月間の騎乗停止。
塚越一弘、国兼正浩
1987年12月17日夜、中京競馬場調整ルーム内で、塚越一弘騎手が国兼正浩騎手の騎乗に関して批判した事に端を発して両騎手が口論。粗暴な行為に及び国兼が打撲傷を負った。結局塚越が開催日4日間、国兼が開催日2日間の騎乗停止。
大塚栄三郎
1996年10月26日、4回新潟1日第8競走において 、藤原英幸騎手のゴール前のムチの使い方に不満を持ち、着順確定前の検量室で同騎手を殴打し、開催日4日間の騎乗停止。
出津孝一
1度目は1999年3月6日、1回阪神3日第5競走(障害戦)において、最後の直線で岡富俊一騎手をムチで叩き、開催日4日間の騎乗停止。2度目は2001年8月5日、小倉競馬第5競走での川合達彦騎手の騎乗に対し腹を立て、パトロールビデオ室内で粗暴な行為に及んだ。開催日2日間の騎乗停止。
後藤浩輝
1999年8月19日、美浦トレーニングセンター騎手独身寮「若駒寮」において後輩の吉田豊騎手と口論となり、木刀を用いて暴力行為に及び負傷させた。裁定委員会の議定により4ヵ月間(1999年8月20日~1999年12月19日)の騎乗停止。
郷原洋司
1999年11月21日、東京競馬第12競走での勝浦正樹騎手の騎乗に対し腹を立て、ジョッキールーム内で粗暴な行為に及んだ。開催日2日間の騎乗停止。
上村洋行
2002年7月13日、函館競馬場調整ルーム内で、青木芳之騎手と口論の末、粗暴な行為に及んだ。開催日4日間の騎乗停止。
田中剛
2006年1月9日、中山競馬場調整ルーム内風呂場で入浴のマナーを巡って江田照男騎手と口論の末、粗暴な行為(ヘッドロック)に及び、発覚した当日と翌週の土曜日の計2日間の騎乗停止。
江田照男
2006年7月1日、福島競馬第5競走後の裁決テレビ室内において、競走中、大野拓弥騎手に進路をふさがれたことに腹を立て、粗暴な行為(でん部を蹴り上げた)に及び、翌日の日曜日と翌週の土曜日の計2日間の騎乗停止。
藤田伸二
2006年12月21日午前1時30分頃、栗東市内にある飲食店において従業員に対し暴力行為(平手打ち)に及んだとして、裁定委員会の議定により3ヶ月間(2006年12月22日~2007年3月21日)の騎乗停止。
カルヴィン・ボレル、ハビエル・カステリャーノ(アメリカ合衆国)
2010年11月5日、ブリーダーズカップ・マラソンの競走後、進路妨害(斜行)に腹を立てたボレルがカステリャーノに殴りかかり、カステリャーノも応戦。これにより両者共に騎乗停止となった。
犯罪行為
刑法に抵触する犯罪行為(主に逮捕を伴うもの)なども騎乗停止の対象となる。
安田康彦
2000年9月7日午前10時過ぎ、札幌市中央区内の道路を34キロの速度超過および酒気帯び運転で北海道警札幌方面中央署に現行犯逮捕された。裁定委員会は同日から2ヶ月間の騎乗停止処分を下した[6]。
石神深一
2005年2月24日夜、茨城県阿見町内において飲酒運転の上物損事故を起こし、茨城県警土浦署に道路交通法違反で逮捕された。裁定委員会の議定の結果、翌2月25日から6月24日まで4ヵ月間の騎乗停止。
佐藤聖也
2009年12月1日、同僚騎手のスニーカーを盗んだとして茨城県警稲敷署に窃盗容疑で逮捕となった。裁定委員会は当面の騎乗停止処分を下したが、2010年2月に騎手免許の返上を自ら申し出たため、そのまま引退した。
(参考)蛯沢誠治
1975年に運転免許不正取得事件に連座したことが発覚し、警察から事情聴取を受け書類送検となった(結果は起訴猶予)。逮捕には至らなかったものの、日本中央競馬会はこの犯罪行為への加担を重く見て、同年6月5日から暫定的に騎乗停止、9月18日付けで騎手免許取り消し処分を下した。なお蛯沢は1978年に処分が解除され、同年に騎手免許を再交付され現役騎手に復帰した。
不適切騎乗
騎乗馬の手綱を緩めるなど、競走中の不適切な騎乗は競馬の公正を害するものとして騎乗停止の対象となる。
天間昭一
1987年10月25日、東京競馬第11競走の決勝線手前において、騎乗馬の手綱を緩めたことについて、「騎乗に遺憾な点があった」として4ヵ月間の騎乗停止。
田面木博公
1992年2月8日、東京競馬第7競走で騎乗馬に異常歩様を感じ一旦追うことをやめたものの、その後レースを続けた。検査の結果馬には異常はなく、「不注意騎乗」と判断され開催日9日間の騎乗停止。
土谷智紀
1993年5月15日、新潟競馬第4競走の決勝線手前で追う動作を緩めたことについて、「油断騎乗」として翌16日から開催4日間の騎乗停止[7]。
張田京(船橋競馬)
2010年4月20日、大井競馬第7競走の最後の直線走路で、早めに追うことをやめたことについて、「不適切な騎乗で競馬の公正を害した」と判断され翌4月21日から実効8日間の騎乗停止。
黛弘人
2011年2月26日、小倉競馬第12競走で、先頭を走行しながらも決勝線手前で追う動作を緩めて後続馬にかわされハナ差の2着となったことが「油断騎乗」と見なされ、翌27日から30日間(開催日9日間)の騎乗停止[7]。
佐藤博紀(川崎競馬)
2011年2月28日、川崎競馬第8
その他、本人の過失や規則違反など[
大崎昭一
1985年8月25日、3回新潟6日第9競走の赤倉特別の際、観客に対し予想行為を行った。裁定委員会の議定により無期限の騎乗停止。4ヵ月後には解除された。
大塚栄三郎
1993年10月17日、京都競馬場で行われた京都新聞杯でマイネルリマークなどに騎乗する予定だったが、前日深夜まで飲食をしたため同競馬場の調整ルーム入りが3時間以上も遅れ、なおかつ連絡を怠り、その日の全レースが騎乗停止に。
大庭和弥
2007年5月4日、美浦トレーニングセンター内の調整ルームへの入室時刻に遅れた際、私的な用事での遅刻だったにも関わらず、「厩舎業務で遅刻する」と虚偽の報告をしたため、5月12日・13日の開催日2日間騎乗停止。
小島太一
2008年2月17日、東京競馬第3競走において所定の時間に遅れ、前検量を受けることができなかったため騎手変更となった。翌2月18日より2月24日までの開催日2日間騎乗停止。
ブレイク・シン、ピーター・ロブル(オーストラリア)
2010年11月26日にシンはコンピューターを使ったレースでの賭博行為、およびその行為にロブルもシンと共有のアカウントを使用し共同で賭博を行っていたことが発覚し、主犯のシンには1年3ヶ月間、共犯のロブルには1年間の騎乗停止処分。なおシンはその後交際中の女性騎手であるカシー・オハラとジョッキーズルーム内で携帯電話でやり取りしていたことも発覚している。
中野省吾(船橋競馬)
2011年3月7日、平成22年度19回大井競馬1日第8競走にて騎乗の際、「指定された騎手服を使用しなかった」として開催日2日の騎乗停止[9]。
御神本訓史(大井競馬)
2011年5月3日、平成23年度2回船橋競馬2日第6競走にて騎乗の際、「前検量してこの競走で使わなければならなかった鞍を、検量していない別の鞍と取り違えて使用した」として開催日6日間の騎乗停止[10]。
濱田達也(船橋競馬)
2011年5月6日に千葉県競馬組合から、「船橋競馬場の調整ルーム内で競馬開催期間中にも関わらず携帯電話を使って外部とTwitterを行い、競馬の公正を害した」として、5月6日から5月19日まで実効10日間の騎乗停止処分を受けた[11]。
大江原圭
上述の濱田と同様、「2011年5月14日に京都競馬場の調整ルーム内において規定に違反して、携帯電話を使ってTwitterを行っていた」として、翌5月15日から6月13日まで30日間の騎乗停止処分を受けた[12]。
脚注 [編集]
^ 開催競馬場・今日の出来事、明日の取消・変更等 JRA公式サイト 2010年12月25日付
^ 開催競馬場・今日の出来事 JRA公式サイト 2011年1月30日付
^ 開催競馬場・今日の出来事、明日の取消・変更等 JRA公式サイト 2011年5月21日付
^ 第6回開催6日目(7/1)の出来事 – 東京シティ競馬公式サイト 2011年7月1日
^ 競走ルールを変更します 日本中央競馬会 2011年1月4日 『鞭の使用に関するガイドライン』の取扱いについてを参照。
^ 北海道新聞縮刷版 2000年9月を参照した
^ a b 黛弘人騎手が油断騎乗により騎乗停止 netkeiba.com 2011年2月26日
^ 2011年3月1日付・スポーツニッポン第10面掲載の「川崎競馬出来事」欄を参照した
^ 第19回開催1日目(3/7)の出来事 – 東京シティ競馬公式サイト 2011年3月7日付
^ 【船橋】御神本騎手、鞍取り違えで騎乗停止 スポニチアネックス 2011年5月4日
^ 開催中にツイッターでつぶやき騎乗停止…船橋・浜田騎手 スポーツ報知 2011年5月7日
^ 大江原騎手が調整ルームで携帯使用 デイリースポーツオンライン 2011年5月15日
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 か行
冠名(正しくは「かんむりめい」と読むが、しばしば「かんめい」とも読まれる)は、馬主が自分が所有する競走馬の競走名中に含める特定の言葉のことである。
「冠号」とも。特に日本の馬主が好んで用いるが、日本独特の手法というわけではない。
冠名概要
一般的には馬主が自分の所有馬であることを目立たせることに加え、ほかの馬と馬名が重複し競走馬としての登録が行えないことを防ぐなどといった目的で使われる。
冠という文字がついているが必ずしも競走馬名の冒頭につくとは限らず、「シチー」(友駿ホースクラブ)のように末尾につく冠名も存在する。
最近は金子真人ホールディングスや社台レースホース、キャロットファーム、サンデーレーシングなど、冠名を用いない有力馬主も多い。
日本中央競馬会(JRA)では、競馬施行規程の第22条5項の規定により、競走馬名には広告宣伝を目的にした名称は使用できないと定められているが、冠名に関しては事実上容認されている。
その一方で、冠名の付いている馬は功績顕著であったとしても基本的に競走名には用いられないが、これは馬名に入っている冠名が馬主の宣伝に当たるためとされている。
ただし、2004年にJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの一環で行なわれた「名馬で振り返る50年」では、冠名の有無の区別なく年度代表馬・顕彰馬から特別競走名に採用された。なお、地方競馬では1997年から2004年までダートグレード競走として施行されていたオグリキャップ記念(1996年以前と2005年以降は地区重賞として施行)のように使用されている例もある。
日本軽種馬登録協会の「馬名登録実施基準」によれば、冠名を使用している馬主が冠名のみの馬名の登録を申請した場合、認められないことがある[1]。
冠名そのものは登録制ではなく、また独占権もないので、つながりのない複数の馬主が同時期に同一の冠名を使用する場合がある。中にはセイウンワンダーのように、父馬や母馬の名前に含まれる他者の冠名が馬名登録申請の際に「父名(母名)の一部」として扱われることもある。
冠名が同じ競走馬について、馬主が異なる場合でも得意距離や血統構成などに似たような傾向が現れたり、同じ馬主が複数の冠名を持つ場合に特定の冠名に活躍馬が集中したりするケースがよく見られる。このことから、井崎脩五郎と須田鷹雄は「ウマ家」(うまけ)という概念を提唱し、これらを馬券予想に役立てようとしている。
主な冠名一覧
2011年現在使用されているもの
冠名 馬主 由来・意味 活躍馬
アイアム 堀紘一 I am アイアムカミノマゴ
アイアン 池上一馬 不明 アイアンルック
アグネス 渡辺孝男 アグネス・チャン アグネスデジタル
アサクサ 田原源一郎
田原慶子 経営する会社所在地の浅草(東京都台東区元浅草) アサクサデンエン
アサヒ 寺内倉蔵
土屋増雄子 不明 アサヒエンペラー
アドマイヤ 近藤利一 admire アドマイヤベガ
アポロ アポロTB
菅原太陽 クラブ名 (apollo) アポロドルチェ
イイデ アールエスエーカントリ 飯豊 イイデケンシン
イシノ 石嶋清仁
→イシノ
→イシジマ 馬主姓 イシノサンデー
イソノ 磯野俊雄 馬主姓 イソノルーブル
イナズマ 小泉賢悟 所有馬イナズマクロスの父シービークロスの愛称「白い稲妻」から イナズマアマリリス
ウイン ウイン クラブ名 (win) ウインクリューガー
ウエスタン 西川商事(株)
(株)西川
西川幸男
西川賢 Western ウエスタンダンサー
エア 吉原貞敏
吉原毎文
ラッキーフィールド air = 空 (仏教)
所有馬でエア・ジョーダンの名を用いたエアジョーダンから エアグルーヴ
エーシン 栄進堂(平井宏承) 経営する会社名「栄進堂」 エーシンフォワード
エイシン 平井豊光 エイシンプレストン
ガール girl、外国産牝馬用、末尾に付ける レマーズガール
エリモ 山本菊一
山本慎一
山本敏晴 えりも牧場(現エクセルマネジメント・北海道えりも町) エリモジョージ
オウケン 福井明 経営している道場「桜拳塾」 オウケンブルースリ
オグリ 小栗孝一 馬主姓 オグリキャップ
オメガ 原禮子 不明 特になし
オンワード 樫山純三
オンワード牧場 親会社のオンワードホールディングス オンワードゼア
カシノ 柏木務 馬主姓 カシノリファール
カフェ 西川清
西川光一
西川恭子 西川清の所有馬カリブカフェから (cafe)、前後に付ける マンハッタンカフェ
カラノテガミ 千田幸信 「カナダからの手紙」(平尾昌晃、畑中葉子)から、末尾に付ける ジョンカラノテガミ
セタガヤ 東京都世田谷区 特になし
カワカミ 三石川上牧場 牧場所在地の三石川上(北海道新ひだか町) カワカミプリンセス
キタサン 大野商事 代表者北島三郎の芸名(北三=キタサン) キタサンチャンネル
キョウエイ 松岡正雄
松岡留枝
インターナショナルホース 馬主の経営している会社、キョウエイアドインターナショナル キョウエイプロミス
インター インターグロリア
ケイシュウ ケイシュウフオード
グラス 半沢有限会社 現オーナーの兄の所有馬グリーングラスから (grass) グラスワンダー
グランプリ 株式会社グランプリ 会社名 (Grand Prix) グランプリボス
グリーン グリーンファーム 会社名 (green) セレクトグリーン
クレバー 田邉正明 不明 クレバートウショウ
ケイアイ 啓愛義肢材料販売所
亀田守弘 会社名 ケイアイガーベラ
コアレス 小林昌志 馬主が経営する会社の主力商品、芯無しトイレットペーパーから コアレスハンター
ブライティア 不明、牝馬用 ブライティアパルス
シャイニー 不明、牡馬用 特になし
コスモ ビッグレッドファーム
岡田美佐子 cosmo コスモバルク
コパノ 小林祥晃 馬主の芸名「Dr.コパ」から コパノフウジン
ゴールド ゴールドレーシング クラブ名 特になし
コンゴウ 金岡久夫 経営する会社名「金剛建設」 コンゴウリキシオー
サウス 南波壽 馬主姓の一部「南」から サウスヴィグラス
サザン サザンビューティー
サクセス 高嶋哲
高嶋祐子 success サクセスブロッケン
サクラ さくらコマース 会社名 サクラスターオー
サダム 大西定 馬主名 サダムパテック
サトノ 里見治 馬主姓 サトノプログレス
サミー 馬主が代表を務めるサミーから 特になし
サニー 宮崎守保 sunny サニーブライアン
サンライズ 松岡隆雄 sunrise サンライズバッカス
シービー 千明牧場 牧場名のローマ字イニシャル「Chigira Bokujo」 ミスターシービー
シゲル 森中蕃 馬主名 シゲルホームラン
シチー 友駿ホースクラブ city、末尾に付ける タップダンスシチー
ショウナン 国本哲秀
有限会社湘南 湘南(神奈川県) ショウナンカンプ
ジョー 上田けい子 馬主姓「上」の音読み ジョーカプチーノ
シルク 有限会社シルク クラブ名 (Silk) シルクジャスティス
シルキー シルキーラグーン
シンボリ シンボリ牧場 牧場旧所在地の新堀(千葉県)
「Symbolic」からの造語「Symboli」、牡馬用 シンボリルドルフ
スイート 牧場の基礎牝馬の一頭、スヰートから、牝馬用 スイートネイティブ
スズカ 永井啓弍 鈴鹿市、鈴鹿山脈(三重県) サイレンススズカ
サンレイ 会社所在地の三重県 鈴鹿市 サンレイジャスパー
ミスズ ミスズシャルダン
サン 会社所在地の三重県 サンコメーテス
スプリング 加藤春夫 spring スプリングゲント
スリー 永井商事 会社所在地の三重県 スリーロールス
ゼンノ 大迫忍
大迫久美子 大迫忍が経営した会社名ゼンリン、牡馬用 ゼンノロブロイ
ビコー 大迫久美子の名前下二文字「美子」の音読み、牝馬用・末尾に付ける ダイヤモンドビコー
有限会社レジェンド 不明 ビコーペガサス
ダービー ダービー社 会社名 ダービーレグノ
タイ 名鯛興業 会社名 タイテエム
ダイシン 大八木信行 馬主の姓名から「大信」 ダイシンオレンジ
タイキ 大樹ファーム 会社名と所在地の大樹町(北海道) タイキシャトル
ダイワ 有限会社ダイワ
→大和商事
→大城敬三 経営する会社名「大和商事」 ダイワスカーレット
タガノ 八木良司 経営する会社の所在地 井手町多賀(京都) タガノテイオー
タケデン 武市伝一
武市弘 初代馬主の通称 タケデンバード
タテヤマ 辻幸雄 立山(富山県)、末尾に付ける ファストタテヤマ
タニノ 谷水信夫
谷水雄三 馬主姓 タニノギムレット
ダノン ダノックス 馬主名(代表野田順弘のノダを逆にしたもの) ダノンシャンティ
タマモ タマモ 会社名・玉藻城(高松城の別名)[2] タマモクロス
ダンツ 山元哲二 不明 ダンツシアトル
ツルマル 鶴田任男 馬主名 ツルマルボーイ
ディア ディアレスト 会社名 ディアヤマト
寺田千代乃 不明 ディアチャンス
テイエム 竹園正繼 馬主のローマ字イニシャル「Takezono Masatsugu」[3] テイエムオペラオー
ディープ 深見敏男 馬主姓「深」→deep ディープスカイ
トウカイ 内村正則 経営する会社名「東海パッキング工業」 トウカイテイオー
トウショウ トウショウ産業
トウショウ牧場
藤田衛成 創設者藤田正明の姓名(藤正=トウショウ)
※牝馬は末尾に付ける トウショウボーイ
トーセン 島川隆哉 馬主姓の音読み トーセンキャプテン
トーホウ 東豊物産 会社名 トーホウエンペラー
トーヨー トーヨークラブ 会社名 トーヨーリファール
トシザ 上村叶 不明 トシザブイ
トシ 不明 トシヴォイス
トラスト 菅波滿 trust、英語で信頼・信用 トラストファイヤー
ドリーム セゾンレースホース dream、牡馬用 前身のクラブ法人で活躍したドリームパスポートに因む。 ドリームシグナル
サマー summer、牝馬用 セゾン=季節を意味することからの連想 特になし
ナカヤマ 和泉信一
和泉信子
信和商会 不明 ナカヤマフェスタ
ナナヨー 尾崎和助 不明 ナナヨーヒマワリ
ナムラ 奈村信重 馬主姓 ナムラコクオー
ナリタ 山路秀則
→オースミ 成田山大阪別院明王院(大阪府) ナリタブライアン
オースミ 大隅半島(鹿児島県・宮崎県) オースミハルカ
ニシノ 西山牧場
西山正行
西山茂行 馬主姓、自家生産馬用 ニシノフラワー
セイウン 不明、主に購入馬用 セイウンスカイ
ニチドウ 山田敏夫
→山田伸 経営する会社「日動建設」 ニチドウタロー
ニットウ 日東牧場 牧場名 ニットウチドリ
ニホンピロ
ニホンピロー 小林保
小林百太郎
小林保一 経営する会社名「日本ピローブロック」 ニホンピロウイナー
ノブ 前田亘輝 馬主名「亘」 特になし
ノボ 池ばた
LS.M 不明 ノボトゥルー
バイオ バイオ 会社名(Bio)、末尾に付ける アニメイトバイオ
ハギノ 日隈広吉
日隈良江 不明 ハギノトップレディ
バローズ 猪熊広次 馬主の経営する会社「バローズ(BAROWS)」から アントニオバローズ
バニヤン 津村靖志 ハワイの聖樹「バニヤンツリー」から バトルバニヤン
バンブー 竹田辰一
バンブー牧場 馬主姓「竹」→bamboo バンブーメモリー
ビービー 坂東牧場 Bando Bokujoの頭文字から ビービーガルダン
ビッグ ビッグ 会社名 (big) ビッグテースト
ピサノ 市川義美 経営する会社名「ピサダイヤモンド」 ピサノガルボ
ピサ 由来は「ピサノ」と同上、末尾に付ける ヴィクトワールピサ
ヒシ 阿部雅信
阿部雅一郎 馬主の会社の屋号「菱雅」 ヒシミラクル
ヒラボク 平田牧場 馬主の会社名 ヒラボクロイヤル
フィールド 地田勝三 地 (field) フィールドルージュ
フォンテン 吉橋計 fontaine ホワイトフォンテン
フサイチ 関口房朗 馬主名と一番の造語「房朗が一番」 フサイチコンコルド
フジヤマ 藤本龍也
藤本美也子 不明 フジヤマケンザン
キタヤマ 不明 キタヤマリィフォー
スノー 不明 スノーエンデバー
ブルー ブルーマネジメント クラブ名と勝負服の色 (blue) ブルーコンコルド
ホーマン 久保久人
久保博文 宝満山 ホーマンキュート
ホッカイ 北海牧場 牧場名 ホッカイルソー
ホッコー 矢部幸一 経営する会社「北海土建工業」の略称 ホッコーパドゥシャ
マイネル ラフィアン meiner(独)、牡馬用、「私の」 マイネルマックス
マイネ meine(独)、牝馬用、「私の」 マイネレーツェル
マスター (有)ヤナガワ牧場 master 特になし
ヒガシ 不明 ヒガシマジョルカ
マツリダ 高橋文枝 「祭り」や「集まり」から マツリダゴッホ
マヤノ 田所祐
田所英子 摩耶山(兵庫県) マヤノトップガン
マックス max 伊藤雄二厩舎および伊藤正徳厩舎所属馬 マックスビューティ
マルカ 河長産業 (株) 関連会社の丸河商事株式会社の社名 マルカラスカル
マルブツ 大澤毅 不明 マルブツトップ
マルターズ 藤田与志男
藤田在子 マルチーズ マルターズスパーブ
シベリアン シベリアン・ハスキー シベリアンメドウ
マルモ まるも組合 馬主名 マルモセーラ
メイショウ 松本好雄 明石(兵庫県明石市・会社所在地)の松本(馬主姓) メイショウサムソン
メルシー 永井康郎 merci(仏) メルシータカオー
モエレ 中村和夫 北海道札幌市にあるモエレ沼公園に馬主が経営している健康センターがあることから モエレエスポワール
モンテ 毛利喜八
毛利喜昭 不明 モンテプリンス
ヤマニン 土井宏二
土井肇
土井薫
土井商事 馬主一族の屋号「ヤマニンベン」 ヤマニンゼファー
ユノ 細川祐季子 不明 ユノペンタゴン
ランド 木村善一 不明 ランドプリンス
キシュウ 不明 キシュウローレル
リキアイ 高山幸雄 不明 リキアイノーザン
レオ 田中竜雨
→レオ 会社名 レオダーバン
レッド 東京HR 勝負服の色である赤色から レッドディザイア
ロード ロードHC 馬主名 ロードプリヴェイル
レディ lady、牝馬用 レディパステル
ローレル ローレルレーシング クラブ名 (laurel) ローレルゲレイロ
ロジ 久米田正明 経営する会社名「ロジフレックス株式会社」 ロジユニヴァース
ロング 中井長一
中井敏雄 初代馬主の名から「長」→Long ロングエース
ワンダー 山本信行 wonder ワンダーパヒューム
現在使用されていない冠名 [編集]
冠名 馬主 由来・意味 活躍馬
アサカ 佐久間有寿 不明 アサカリジェント
オサイチ 野出長一 馬主の名前(長一→オサイチ) オサイチジョージ
カツラギ 野出一三 不明 カツラギエース
カネ 金指吉昭
金指利明
畠山伊公子 馬主姓から カネケヤキ
カネツ ローレルレーシング 旧馬主名(カネツ競走馬) カネツフルーヴ
カミノ 保手浜忠弘
保手浜弘規 不明 カミノスミレ
テイエッチ 外国産用(馬主のイニシャル) テイエッチドリ-ム
イナリ 地方競馬用 イナリワン
コバノ 小林昌雄 馬主名 コバノリッチ
シャダイ 吉田善哉 経営する会社「社台ファーム」、末尾に付ける場合もあり アンバーシャダイ
シンコウ 安田修(撤退) 経営していた会社名「新興産業」 シンコウラブリイ
スター 山本信行 Star アチーブスター
ゴールドレーシング
(旧クローバークラブ) スターキングマン
ステラ 牝馬用 特になし
スワン 平井豊光 swan、1999年生産の外国産馬のみ、末尾に付ける キーンランドスワン
タイガー 穴澤正 不明 タイガーボーイ
ダイシン 高橋金次 経営していた会社名 ダイシンボルガード
ダイタク 中村建
太陽ファーム
中村雅一
中村和子(撤退) 経営していた会社名「大拓」 ダイタクヘリオス
ダイナ 社台レースホース 提携先だった日本ダイナースクラブ、末尾に付ける場合もあり。
1987年頃より順次冠名の使用を中止。 ギャロップダイナ
タカトモ 高橋顯輔(撤退) 経営する会社名「高友産業」 ドントコイタカトモ
ハイフレンド 高友=ハイ+フレンド ハイフレンドコード
タヤス 横瀬寛一
横瀬兼二
中村篤 経営する会社名「田安商事」 タヤスツヨシ
チアズ 北村キヨ子 不明 チアズグレイス
チョウカイ 新田嘉一
→平田牧場 牧場の至近に所在する「鳥海山」より チョウカイキャロル
ドウカン 新井操
新井興業 馬主が江戸城を築城した太田道灌の子孫 ドウカンヤシマ
トキオ 坂田時雄 馬主名 トキオパーフェクト
トウコウ 渡辺喜八郎 経営する会社名「東江運輸」 プレストウコウ
ブランド 西山牧場
西山正行
西山茂行 不明、関東所属自家生産牝馬 ブランドアート
セント 不明、主に関東所属自家生産牡馬 セントビッド
チヨノ 不明 チヨノタカラ
シロー 正行が経営していた高級クラブの店名(現在閉店)。
中央所属馬は末尾に付け、地方所属馬は頭に付ける カブトシロー、シローランド
マルサ 不明 マルサチャーリー
アマノ 不明 特になし
ハク 西博 馬主名 ハクチカラ
ビゼン 藤田正蔵 不明 ビゼンニシキ
ビワ ビワ(撤退) 会社名・琵琶湖(滋賀県) ビワハヤヒデ
ホウシュウ 上田清次郎
上田牧場(廃業) 豊州 ダイナナホウシユウ
ブゼン 豊前 ブゼンキャンドル
ホクト 森滋
金森森商事(撤退) 不明 ホクトベガ
ポット ポット牧場(廃業) 牧場名 ポットテスコレディ
マチカネ 細川益男 待兼山(大阪府) マチカネフクキタル
ミクロン 自身が社長となっている会社名のホソカワミクロン ミクロンテンロー
ミホ 堤勘時
堤賢一 不明 ミホシンザン
メイヂ 新田新作
→新田松江 経営していた劇場「明治座」 メイヂヒカリ
メイジ ヒカルメイジ
メジロ メジロ商事
メジロ牧場 親会社の所在地の目白(東京都豊島区) メジロマックイーン
モガミ 早坂太吉 経営する会社名 モガミヤシマ
最上ホースクラブ 経営する会社名 モガミナイン
ヤシマ 小林庄平
ヤシマ牧場 牧場名 ヤシマドオター
毛利喜昭 経営する会社名 ヤシマソブリン
ラッキー 吉原貞敏
吉原毎文
ラッキーフィールド 吉(lucky) ラッキールーラ
リンド デルマークラブ
鶴巻智徳 不明 リンドシェーバー
エーピー 鶴巻が経営していたサーキット、オートポリス(AutoPolis) エーピーインディ
リュウ 三好笑子 不明 リユウフオーレル
リード 熊本芳雄 不明 リードホーユー
日本国外での冠名
日本と比較すると海外で冠名が使用されるケースはあまり見受けられないが、少なからず使用例はある。また日本人馬主が海外での所有馬に使用することもある。ここでは海外での冠名の使用例とその著名馬の例を挙げる。
冠名 馬主 由来・意味 活躍馬
キングプローン 劉錫康 蝦王 King Prawn フェアリーキングプローン(靚蝦王)
ドバイ ゴドルフィン Dubai ドバイミレニアム
ファンタジー 林大輝 奇妙 Fantasy ウルトラファンタジー(極奇妙)
ブリッシュ 王永強 牛精 Bullish ブリッシュラック(牛精福星)
脚注 [編集]
^ 日本軽種馬登録協会馬名登録実施基準(pdf)p.3
^ 2005年産馬からは冠名が付かない馬もいる
^ 出身地の垂水(TaruMizu)とも掛けている。
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カンパイは、競馬の競走において、公正なスタート(発馬)が出来なかった場合に発生するスタートのやり直しの事である。
カンパイ解説
語源は、日本で居留地競馬が始まった江戸時代末期から明治時代初期の頃、スタートの失敗でやり直しをする際に、外国人のスターターが出走馬に対し「カムバック」(戻ってください)と伝えたのを、日本人が「乾杯」と聞き間違えた事からそう付けられたと言われている[1]。カンバイとも呼ぶ。なおオートレースでもフライングによるスタートのやり直しもカンパイと呼ぶ。
一般にカンパイが発生する事例としては、発馬機の故障および誤作動、あるいは発馬合図前にスタートするフライング行為があった場合に生じることがある。バリヤー式発馬機の時代は、これらの事象は頻繁に発生していたが、現在では、発馬機が自動化(ゲート式)され、かつ性能も向上して故障発生が殆ど無くなった為、滅多に発生しなくなった。かつての地方競馬では、大きく出遅れた競走馬がいた場合に再スタートをさせる事が稀にあったが、現在はそれは認められていない。また、過去には出走全馬がゲートに入る前にスターターが誤ってゲート開扉した為に馬がゲートから飛び出してしまい、この為にカンパイとなった例もある。
カンパイ事例
中央競馬
大レースでの事例としては、1978年の天皇賞(秋)で出走のやり直しが発生している。原因は、パワーシンボリがゲートに噛み付いた結果、当馬のゲートが開かなかった為である。この想定外のアクシデントの直後に行われたやり直しのレースでは、暴走気味に逃げたプレストウコウを最後の直線でテンメイが交わし優勝している。
中央競馬で最後に発生したカンパイは1997年12月20日に中山競馬場で行われた3歳500万円下条件戦で、最後の1頭(1番枠の馬)が枠入りする前にゲートを開いてしまった(最後の枠入りは通常もっとも外枠の馬だが1番枠が最後になったため[2]スターターが気づかずゲートをあけてしまった)ためにやり直しとなった。なお、このレースでは大半の馬がカンパイとなったことに気づかずに600メートルほど疾走してしまい、馬場を1周してしまったベリーウェル、シルキーピンクの2頭が疲労が著しいと認められ競走除外となった(主催者側のミスのため関係者への出走手当ては支払われた)。なお、このレースは1着がエフワンナカヤマ、マチカネシルヤキミの2頭同着となった。
地方競馬
地方競馬では、近年もフライングやゲート故障などが原因のカンパイが希に発生している。著名な例として、当時アラブの双璧と言われたタイムラインとスマノダイドウのゲートが正規の作動をせず大きな不利を受けたが、再スタート故にレースを続行させた結果大惨事となった園田事件がある。
2002年6月19日に大井競馬場で行われた風待月特別は、同じ競走で2回カンパイが発生するという珍事となった。1回目は2頭が、2回目は前回の原因馬のうちの1頭がゲートを潜ってフライングとなった。なお、2回とも原因となった馬は競走から除外された。
2010年12月8日には、船橋競馬場で行われた第4競走C2(六)(七)でフライング発走があり、カンパイが発生。しかし、出走各馬がゴールまで走ってしまい、疲労により出走を予定していた全12頭が競走除外、競走は中止となった。また、勝ち馬投票券は全額払戻(返還)となった[1]。
2011年5月5日、船橋競馬場で行われた第7競走bayfmCUPで、体勢完了の前にゲートが開き、発走委員が真正な発走ではないと判断してカンパイを行った。
脚注
^ a b 「カンパイ」で珍事…レース取り止めに サンケイスポーツ 2010年12月9日
^ 大外枠の馬が先に枠入りすることを希望した場合などは、最内枠の馬の枠入りを最後にすることがある。例として2003年のジャパンカップでは、外の18番枠、17番枠の馬が共に先入れを希望したため、1番枠のタップダンスシチーの枠入りが最後となった。
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関西の秘密兵器(かんさいのひみつへいき)とは、日本の競馬におけるクラシック競走で、未知の可能性を秘めた関西所属(現在は栗東所属)の期待馬に対し、マスコミおよび競馬ファンによってしばしば用いられた通り名、キャッチコピーである。「西の秘密兵器」と呼ばれることもあった。
ただし、近年では関東馬(現在は美浦所属馬)に対して関西馬が圧倒的に優位であり、この言葉自体が既に死語となった状態である。
皐月賞不出走ながらもトライアル競走や裏街道のオープン特別などで好走して東京優駿(日本ダービー)の出走権を得た関西馬や、夏競馬で力を付けて菊花賞トライアルで好走したり、長距離の特別戦・オープン戦勝利など賞金を稼いで菊花賞の出走権を得た関西馬に用いられることが多く、皐月賞・桜花賞・優駿牝馬(オークス)といった他のクラシック競走の際に見受けられることはほとんどなかった。
転じて、関西のお笑いタレントなどを形容する際にこの言葉が用いられることもある。
目次
1 日本ダービーにおける「関西の秘密兵器」
2 菊花賞における「関西の秘密兵器」
3 主な例
3.1 日本ダービーに出走した競走馬
3.2 菊花賞に出走した競走馬
日本ダービーにおける「関西の秘密兵器」 [編集]
傾向としては、
(旧)4歳になって以降の裏街道での圧勝劇や連勝がある
キャリアが浅い
有力馬が群雄割拠しているような混戦模様の中で、さほど実績の無い馬の手綱を有力騎手が取る
皐月賞は不出走
直前のレースで好走している(NHK杯、京都4歳特別など)
小林稔元調教師の管理馬等である
言うまでもなく関西・栗東の厩舎所属の馬であること
特に1、4、5は重要で、それゆえ、皐月賞出走馬のロングヒエンやシクレノンシェリフ、NHK杯で6着に敗れたバンブーアトラスなどは、そういった印象は薄かった。
まだ実力の全て、底を見せていないが故に人気を集めることもあり(そもそも、ある程度人気を集めるような馬でないと秘密兵器と呼ばれない)、1番人気に押された事例もあったが、ほとんどの場合、周囲の期待を裏切る結果に終わった。
フサイチコンコルドがダービーを制して以降、関西の秘密兵器という言葉自体が風化しつつある。
菊花賞における「関西の秘密兵器」
概ね日本ダービーにおけるそれと似通っているが、
(旧)4歳春以降デビュー、本格化が遅れた、怪我や体調不良で春シーズン全休、などの理由で春のクラシックに間に合わなかった素質馬
2200m以上の特別戦で好走
いかにもスタミナがありそうな血統
かつて菊花賞と同距離・同コースで行われていた名物準オープン戦・嵐山ステークスに勝利、出走等である
ただし直前のトライアル競走で優勝していたりすると、秘密兵器とは呼ばれないこともある。特に嵐山ステークス組は優勝馬、好走馬を多数輩出し、「菊と嵐山ステークスの濃密な関係」とも謳われた。なお1999年をもって嵐山ステークスはプログラムから姿を消している。
「関西の秘密兵器」 主な例
日本ダービーに出走した競走馬 [編集]
馬名 年 日本ダービーの前走 出走時戦績 結果
コーヨーチカラ 1976年 NHK杯優勝 6戦4勝 3番人気で15着
ホリタエンジェル 1977年 NHK杯2着 4戦3勝 2番人気で15着
レッドジャガー 1980年 NHK杯2着 4戦3勝 5番人気で26着
ラッシュアンドゴー 1984年 青葉賞優勝 4戦3勝 3番人気で18着
ラグビーボール 1986年 NHK杯優勝 3戦3勝 1番人気で4着
ダイゴアルファ 1987年 NHK杯4着 4戦3勝 3番人気で20着
ロングシンホニー 1989年 若草ステークス優勝 6戦3勝 1番人気で5着
メルシーアトラ 1990年 若草ステークス優勝 4戦3勝 5番人気で11着
オースミベスト 1995年 青葉賞3着 5戦1勝 3番人気で8着
フサイチコンコルド 1996年 すみれステークス優勝 2戦2勝 7番人気で優勝
シルクジャスティス 1997年 京都4歳特別優勝 10戦3勝 3番人気で2着
菊花賞に出走した競走馬 [編集]
馬名 年 菊花賞の前走 出走時戦績 結果
パッシングベンチャ 1976年 京都大賞典優勝 10戦4勝 7番人気で9着
スズカシンプウ 1978年 比叡ステークス(芝2200)優勝 10戦4勝 8番人気で17着
アジシバオー 1981年 京都新聞杯6着 12戦4勝 4番人気で6着
リードホーユー 1983年 京都新聞杯2着 6戦2勝 5番人気で4着
メジロデュレン 1986年 嵐山特別優勝 9戦4勝 6番人気で優勝
スーパークリーク 1988年 京都新聞杯6着 7戦2勝 3番人気で優勝
メジロマックイーン 1990年 嵐山ステークス2着 7戦3勝 4番人気で優勝
ダイイチジョイフル 1992年 南武特別(芝2400)優勝 14戦3勝 8番人気で5着
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 か行
空馬またはカラ馬(からうま)とは、騎乗者(騎手、馬術選手など)が騎乗しているべき馬が、何らかの理由により騎乗者が落馬した際の馬の状態を指す。
競馬における空馬
競馬の競走中に空馬となった場合は停止したり、馬群と離れて逸走したり、そのまま走る馬など様々であるが、そのまま競走に参加して(当然、斤量が一気に騎手分軽くなる)1位でゴール板に到達する馬もいる(当然1着にはならず、勝馬投票券も払い戻されない)。この場合、鞍上の制御を失ったことで予想外の動きをしかねないため、接触および多重落馬の恐れがあり、大変な危険を伴う。
障害飛越時に落馬することが多い障害競走でしばしば見られるが、平地競走でも特にバランスを崩しやすいスタート時に騎手が落馬することが多い。
競走中に空馬となった主な競走馬
ギャロップダイナ
1985年天皇賞(秋)勝ち馬。同年の札幌日経賞にて発馬後東信二騎手が落馬、そのまま走り続けて「幻の」1位入線。
ワイドバトル
1993年京阪杯にて発馬後山田泰誠騎手が落馬、そのまま走り続けて「幻の」差し切り勝ち。
ノボリハウツー
2007年2月24日、阪神競馬場での障害レース中に船曳文士騎手が落馬し、空馬のままゲートの開いていた競馬場の場外へ逃走し各メディアで取り上げられ話題となった。
ポルトフィーノ
2008年11月16日、エリザベス女王杯にてゲートイン直後武豊騎手が落馬、そのまま大逃げで走り続けて「幻の」逃げ切り勝ち。
引用ウィキペディア
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 か行
角馬場(かくばば)とは、競馬における競走馬調教用の馬場のひとつ。
1周200~600mほどの小回りの馬場で、ごく軽い運動や、芝コース・ダートコース・ウッドチップコース・坂路コースなどにおいて本格的な調教を行う前の準備運動を行うために利用されることが多い。(引用 ウィキぺデイア)
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 か行
外国馬(がいこくば)とは、競走馬の区分で、国際競走に出走する国外調教師の管理馬を指す。
外国馬概略
出走表上では「カク外」(□の中に外)で表記される。そのため、日本で生まれ、かつて日本の中央競馬・地方競馬に所属していた馬でも、海外競馬に移籍すれば「外国馬」となる(ユートピアなどが該当するが、現在のところ国際競走に出走した日本出身の外国馬はいない)。
外国産馬(日本国外で生まれ、日本国外で出走する以前に日本の馬名登録を受けた馬)とは区別される。
日本の競馬界はかつては閉鎖的で、1981年のジャパンカップ創設までは外国馬が出走することはできなかった。その後徐々に制限は緩和されてきたが、現在でも出走が可能なレースは非常に限られている。番組表上で国際または国際招待とあるのが出走可能なレースである。
JRAは2005年度から段階的に国際競走を増やし、2007年度にはインターナショナル・カタロギング・スタンダーズ(国際セリ名簿作成基準)に掲載されている競走の1/2(約111競走)を国際競走にし、2010年度には中央競馬の平地競走の重賞はすべて国際競走となった(障害競走はJ・GIの中山グランドジャンプのみ)。
外国馬の日本国内のレースへの出走
ジャパンカップなど一部を除けば、外国選出馬に選ばれながらも、特にGIレースのシーズンが集中する春秋を中心に、外国馬の所属する地元の競馬場でのレースに向けてローテーションを調整する傾向にあること、また日本では外国馬の遠征のための検疫用きゅう舎などの施設がまだ少ない(千葉県・白井市の競馬学校等)から、調教師やきゅう舎等、当該外国馬の関係者から出走辞退を申し入れるケースが多く、国際競走であっても、外国馬の出走しない(日本馬だけで行う)レースが比較的多い。
そもそも競馬が盛んな欧米、豪州には日本よりもGI競走の数が多いので、無理に日本に遠征しなくとも、出走できるGI競走はいくらでもある。その上、90年代以降、レベルが向上し、なおかつ高速馬場化し、そのうえ小回りで直線の短い競馬場が多い日本競馬に、適性があるかどうかも分からないまま出走する外国馬が多いとは考えづらい。また、外国馬が制したレースのほとんどは比較的直線が長く、小回りではない東京競馬場がほとんどである。
これらのことから、海外の一流馬は日本競馬への適性を考えて出走を踏みとどまり、一流と呼べない馬たちはレベルの上がっている日本を避ける傾向がある。近年は外国馬は、比較的征しやすく、地元馬のレベルがもう一つである国のレースを選ぶことが多くなってきている。特に欧州馬は賞金が高額ながら、比較的制しやすいBCターフや、香港国際競走を選ぶ傾向にある。しかしながら、アジアマイルチャレンジやグローバル・スプリント・チャレンジ、ジャパン・オータムインターナショナルといったシリーズが開催されることによって、賞金も目的として上記シリーズに該当する競走に出走する外国馬もみられるようになっている。
外国馬が出走可能な日本のGIレース
フェブラリーステークス
高松宮記念
桜花賞(2010年から)
中山グランドジャンプ
皐月賞(2010年から)
天皇賞(春・秋)
NHKマイルカップ
ヴィクトリアマイル
優駿牝馬(2010年から)
東京優駿(2010年から)
安田記念
宝塚記念
スプリンターズステークス
秋華賞
菊花賞(2010年から)
エリザベス女王杯
マイルチャンピオンシップ
ジャパンカップ
ジャパンカップダート
阪神ジュベナイルフィリーズ(2010年から)
朝日杯フューチュリティステークス(2010年から)
有馬記念(2007年からジャパンカップ優勝に関わらず)
地方競馬には2010年まで外国馬が出走可能なGI競走は存在しなかったが、2011年からは東京大賞典が外国馬が出走可能になる予定。
日本のGIで優勝した外国馬
ジャパンカップ [編集]
1981年メアジードーツ(米)
1982年ハーフアイスト(米)
1983年スタネーラ(愛)
1986年ジュピターアイランド(英)
1987年ルグロリュー(仏)
1988年ペイザバトラー(米)
1989年ホーリックス(新)
1990年ベタールースンアップ(豪)
1991年ゴールデンフェザント(米)
1995年ランド(独)
1996年シングスピール(英)
1997年ピルサドスキー(英)
2002年ファルブラヴ(伊)
2005年アルカセット(英)
ジャパンカップダート [編集]
2003年フリートストリートダンサー(米)
安田記念 [編集]
1995年ハートレイク (UAE)
2000年フェアリーキングプローン(香)
2006年ブリッシュラック(香)
中山グランドジャンプ [編集]
2002年セントスティーヴン(豪)
2005年カラジ(豪)
2006年カラジ(豪)
2007年カラジ(豪)
スプリンターズステークス [編集]
2005年サイレントウィットネス(香)
2006年テイクオーバーターゲット(豪)
2010年ウルトラファンタジー(香)
エリザベス女王杯 [編集]
2010年スノーフェアリー(英)
日本のGIIで優勝した外国馬 [編集]
1994年京王杯スプリングカップ:スキーパラダイス(仏)
1995年京王杯スプリングカップ:ドゥマーニ(UAE)
1996年京王杯スプリングカップ:ハートレイク(UAE)
1996年毎日王冠:アヌスミラビリス(UAE)
外国馬関連項目
国際グレードレース
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 か行
外国産馬(がいこくさんば)とは、広義では外国で生まれた馬を指す。「外車」と呼ばれることもある。対義語は内国産馬である。
本項では日本国外で生産され、日本国外の競走に出走せず、日本で競走馬登録された外国産競走馬について扱う。
日本の競馬における外国産馬
2009年現在、日本国外で生まれた競走馬については、大井競馬場をのぞく地方競馬と中央競馬では、日本での競走馬登録の前に日本国外の厩舎に所属し出走歴のある競走馬については競走馬登録が認められていない(すなわち移籍ができない)。
したがって、それ以前に日本の馬名登録を受けた輸入競走馬が対象となる(内国産馬は所定の競走成績をおさめていれば競走馬登録が可能)。
中央競馬の定義では「マル外」(○の中に「外」)で表記される。ただし、種付けのため外国に一時的に輸出された牝馬が輸出される前に日本で種付けして受胎している場合で、外国で生まれた仔馬を当歳(0歳)の12月31日までに輸入した場合は内国産馬扱いとなる。
また、種付けのため外国に輸出された牝馬が受胎して帰国して出産した場合や、外国産の牝馬が受胎した状態で日本に輸入され、日本で出産した場合は持込馬とされ、1971年6月30日から1983年末までの期間を除いて内国産馬の扱いとなっている。外国馬(日本国外の厩舎に所属している競走馬[1]とは区別される。
日本の競馬界はかつては閉鎖的で、外国産馬の出走には厳しい制限が加えられていた。これは、特に北海道に多い国内産競走馬生産の保護・流通の観点があったためとされ、長らく日本の競走馬生産関係者からはマル外の出走に反対した傾向が強かったとされる。2007年、大井競馬を主催する特別区競馬組合が現役の外国調教馬の転入制度の導入を決めた[2][3]際にも、生産関係者の反発により、第7回JBCの開催が危ぶまれる事態となった[4]。
徐々に制限は緩和されてきたが、現在でも中央競馬や地方競馬のホッカイドウ競馬などでは出走が可能な競走はまだ限られている。中央競馬では混合競走(○の中に「混合」)と国際競走(○の中に「国際」)とされている競走が産地に一切の制限なく出走可能な競走である(クラシックは制限枠付での出走可能なので混合競走ではない)。なお、混合競走と国際競走の両方を併記する競走は存在しない(条件が重複するため)。
日本に競走馬として輸入される外国産馬の多くはトレーニングセールで購買されたもので、価格が安くて仕上がりが早いというのが特徴であった。そのため、3歳時(旧4歳時)には外国産馬が内国産馬を完成度で圧倒し、1996年に行われた第1回NHKマイルカップにおいては出走18頭中14頭を外国産馬が占めたほどであった。
2000年代に入り、外国産馬の出走制限が徐々に緩和されるのとは裏腹に、サンデーサイレンスを筆頭に外国から導入された種牡馬や繁殖牝馬の成功により内国産馬の質が向上したことで外国産馬の活躍は目立たなくなってきており、特にクラシック競走で外国産馬が制したのは、2009年現在、ローブデコルテの優駿牝馬(オークス)のみである。
中央競馬のクラシック・天皇賞における出走制限 。
中央競馬のクラシック競走はかつては一切外国産馬の出走を認めない競走であった。天皇賞は勝ち抜け制度がある代わりに外国産馬の出走が可能であったが、1971年6月30日から実施された活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い、1971年秋の天皇賞から外国産馬は出走不可能となった。
しかし、2000年より段階的に、制限付きながら出走を認められた。天皇賞については2005年以降は国際競走となっているため外国産馬の出走制限は撤廃されている。
中央競馬のクラシック5競走と外国産馬
中央競馬のクラシック5競走については以下のように外国産馬の出走枠の制限が行われている。国際競走となった現在でも出走枠に制限があることから混合競走とはされない。トライアル競走は重賞競走でない競走(アネモネステークス、若葉ステークス、スイートピーステークス、プリンシパルステークス)を除き、開放された年にあわせて対応するトライアル競走が混合競走に変更された。
2001年 東京優駿(日本ダービー)、菊花賞が各2頭まで出走可能(優先出走権は認められない)。
2002年 皐月賞が2頭まで出走可能。菊花賞は3頭まで拡大。
2003年 優駿牝馬(オークス)が2頭まで出走可能に。
2004年 桜花賞が2頭まで出走可能に。
2005年 上記5競走いずれも各4頭まで出走可能になる。この年より、トライアル1競走ずつ優先出走権が認められるようになる。
2006年 それぞれ5頭に拡大。
2007年 それぞれ6頭に拡大。あわせて優先出走権が認められる競走が2競走ずつに拡大。
2008年 それぞれ7頭に拡大。
2010年 JRAのすべての重賞競走が国際競走になる。ただし、クラシック5競走については外国調教馬と合わせて9頭まで出走可能となる。
出走馬の選定は、優先出走権を持っている馬、内国産馬を含めた収得賞金順で、制限頭数以内である。内国産馬を含めた順位付けで下位となった場合は制限頭数に満たさなくても除外される。2001年から2004年までは外国産馬は優先出走は認められてこなかった(ただし内国産馬に優先出走権が認められるトライアル競走には外国産馬も出走は可能)が、2005年以降、下記の競走で優先出走が認められることとなった。競走によって認められるようになった年度が異なる。優先出走権所有馬で制限頭数を超過した場合は、優先出走権を持っている競走馬の中で収得賞金順上位馬から制限頭数内で出走でき、制限頭数からはみ出した競走馬は優先出走権を持っていても除外される。一部のトライアル競走は収得賞金が0の馬も出走可能であるが、収得賞金が0の馬はトライアル競走で収得賞金を得なければ、優先出走権を取得できない[5]。
本競走 トライアル競走 対象 対象年度
桜花賞 チューリップ賞 3着以内 2007年以降
フィリーズレビュー 3着以内 2005年以降
皐月賞 弥生賞 3着以内 2007年以降
スプリングステークス 3着以内 2005年以降
優駿牝馬 桜花賞 4着以内 2007年以降
フローラステークス 3着以内 2005年以降
東京優駿 皐月賞 4着以内 2007年以降
青葉賞 2着以内 2010年以降
菊花賞 セントライト記念 3着以内 2007年以降
神戸新聞杯 3着以内 2005年以降
天皇賞
天皇賞は以下のように外国産馬の出走枠が拡大され、2005年より国際競走となり出走制限が撤廃されている。なお優先出走ではないため、内国産馬を含めた出走馬の選定基準において、下位となった場合は除外される。
2000年 春秋ともに2頭まで。
2002年 原則2頭。ただし内国産馬と外国産馬2頭を含めて最大出走可能頭数に満たさない場合に限り、さらに2頭(合計4頭)まで出走可能。
2004年 出走頭数に関係なく春は4頭、秋は5頭まで出走可能。
2005年 国際競走となり外国産馬の出走制限は撤廃。外国調教馬も5頭以内で出走可能となる。
日本で活躍した外国産馬
中央競馬グレード制導入前
1950年代初頭、戦争による競走馬不足を補う目的で、1952年の競走馬輸入解禁と同時にアメリカ合衆国・オーストラリア・ニュージーランドからかなりの頭数のサラブレッド[6]が輸入され、1950年代半ばには外国産馬が大活躍した時期もあった。
中央競馬で導入初年度となった1952年暮れの朝日杯3歳ステークスでは7頭中4頭出走した外国産馬が、後にクモハタ記念を勝ったイチジヨウ(母クリフジ)らを圧倒、1着・3~5着を独占しいきなりその能力を見せつけた。一時は外国産馬限定の競走が組まれていたこともあるほどである。しかし外国産馬が出走できる重賞(混合戦)は限定され、現在のG1級競走に相当するものでは天皇賞、宝塚記念、有馬記念[7]のみに限られていた(→豪サラの項目を参照)。
1960年代に入ると、外国産馬は年間輸入頭数が制限されていたこともあって繁殖用の馬の輸入が優先され、外国産競走馬の数は急減した。そのうえ1971年6月30日から実施された活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い、国産馬保護のため混合戦が更に減らされ(天皇賞も混合戦から外された)、外国産種牡馬や繁殖牝馬は頻繁に輸入されるようになったが、外国産競走馬はさらに少なくなった。しかしこの頃から社台グループやシンボリ牧場などの海外に目を向けた生産者が厳選した競走馬を輸入し、出走レースが限られた環境ながらも高い能力を見せた馬が数頭いた。
外国産競走馬は引退後の繁殖馬としての価値を見越して輸入されることが多く、牝馬の方が多かった。1952年に輸入された馬の仔からはダイコーター、トースト、ヘリオスなどが活躍、孫の代にはハイセイコー、タケシバオーやラッキールーラ(母トースト)など多くの活躍馬を輩出し、現在に至るまで活躍馬を出し続けている牝系(ファミリーライン)は多い。
サンゲツ
1952年朝日杯3歳ステークスなど
オパールオーキツト
1954年天皇賞(秋) – オーストラリア産。地方競馬からの移籍馬で、最初に天皇賞を制した外国産馬。
ロイヤルウツド
1954年・1955年鳴尾記念、1954年目黒記念(秋) – オーストラリア産。オーナーは永田雅一。
ミツサクラ
1955年阪神記念 – ニュージーランド産。ジャンボキングの母の父。
フアイナルスコア
1954年京都記念(春・秋)、1956年阪神記念など。トウカイテイオーの4代母トツプリユウの父。サニーブライアンの3代母ファイナルクインの父。
ヤサカ
1955年朝日チャレンジカップ、1955年・1956年京都盃など – ニュージーランド産。種牡馬としてカネツセーキらを輩出。シルバーランドの母の父。
カバーラップ二世(競走名セイカン)
競走馬としては振るわなかったが、種牡馬としてリユウズキ・ワカクモ・カシュウチカラ・プリテイキャストらを輩出。
サスケハナ
1955年毎日王冠 – アメリカ合衆国産。旧4歳時、月3~4戦ペースで32戦11勝というタフな使われ方をしていた。同世代の桜花賞優勝馬ヤシマベル、優駿牝馬優勝馬ヒロイチを押しのけ啓衆社賞最優秀4歳牝馬に選ばれる。最後は1956年秋の天皇賞で故障発生して引退するが、繁殖牝馬として1963年の桜花賞馬ミスマサコを送り出し、現在まで子孫は繁栄している。
ブレツシング
1955年クイーンステークス、1958年スプリングハンデ – アメリカ合衆国産。旧8歳まで走り17勝を挙げる。産駒は1頭しか残せなかった。1977年小倉大賞典の優勝馬アランフェスの祖母。
ミツドフアーム
1956年天皇賞(秋) – オーストラリア産。オパールオーキツトと同じく地方競馬からの移籍馬。種牡馬になったが繁殖能力がなかった。
サールス
1957年京都記念(秋)など – ニュージーランド産
ビツグヨルカ
1960年日本短波賞中山4歳ステークス – イギリス産。兄にWill Somers、弟にグレートヨルカを持つ。
マツフジエース
1974年朝日杯3歳ステークス
スピリットスワプス
1976年きさらぎ賞 – TTGの同期。デビューから9連続連対した快速逃げ馬(→脚質を参照)。
ギャラントダンサー
1977年朝日杯3歳ステークス – 父ギャラントマン。社台グループがノーザンテーストと同等の期待を掛けて輸入した。フランスに遠征するも故障のため出走ならず、1走も出来ずに帰国。海外再挑戦を目指すが宝塚記念の調教中に骨折、治療の甲斐なく安楽死となる。
タクラマカン
第1回ジャパンカップに出走。
マルゼンスキー(1976年朝日杯3歳ステークス優勝)は持込馬であったが、当時の規定で外国産馬とほぼ同様の規定が用いられていた。
中央競馬グレード制導入後 [編集]
パーシャンボーイ
1986年宝塚記念 – グレード制導入後最初にG1を制した外国産馬
リンドシェーバー
1990年朝日杯3歳ステークス
ヒシアマゾン
1993年阪神3歳牝馬ステークス、1994年エリザベス女王杯など
ダンツシアトル
1995年宝塚記念
タイキシャトル
1997年・1998年マイルチャンピオンシップ、1998年安田記念など
シーキングザパール
1997年NHKマイルカップ
グラスワンダー
1997年朝日杯3歳ステークス、1998年・1999年有馬記念、1999年宝塚記念など
エルコンドルパサー
1998年NHKマイルカップ、1998年ジャパンカップ
タップダンスシチー
2003年ジャパンカップ、2004年宝塚記念
アグネスデジタル
2000年マイルチャンピオンシップ、2001年天皇賞(秋)、2002年フェブラリーステークス、2003年安田記念など
メイショウドトウ
2001年宝塚記念、日経賞など
クロフネ
2001年NHKマイルカップ、2001年ジャパンカップダートなど
シンボリクリスエス
2002年・2003年天皇賞(秋)、2002・2003年有馬記念など
ファインモーション
2002年秋華賞、エリザベス女王杯
2000年に、天皇賞が外国産馬の出走が認められて以降、天皇賞(秋)はアグネスデジタルとシンボリクリスエスが優勝している。天皇賞(春)の優勝馬は2009年現在出ていない[8]。
2001年にクラシック競走が外国産馬に開放された後、初めて制したのは2007年の優駿牝馬のローブデコルテである。
脚注
^ 中央競馬の定義では□の中に「外」。
^ 外国馬の転入、大井で2年間実施へ(ラジオNIKKEI競馬情報Web、2007年3月9日)
^ 外国産馬「バーナスコーニ号」に関するお知らせ(東京都競馬株式会社)
^ 地方競馬の祭典、JBCに開催の危機(netkeiba.com、2007年3月12日)
^ クラシック競走の出走条件に「未勝利馬および未出走馬を除く」と定義されているため。「未勝利馬および未出走馬」の定義は収得賞金が0の馬と同義である。たとえば、未勝利馬および未出走馬が重賞で2着に入った場合は、0勝であるが未勝利馬ではない。
^ 旧3歳(馬齢表記は当時)以下の未出走馬のほか、既に出走していた旧4歳馬などを含む。
^ 宝塚記念、有馬記念はファン投票などによる選出が必要であった。(注: 現在はファン投票選出馬以外の出走馬は収得賞金などにより決定するが、かつては収得賞金とは無関係でファン投票の上位馬と委員会により選出された馬のみ出走可能であった。)
^ 1971年以前の優勝馬には外国産馬はいる。
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折り合い(おりあい)とは競馬のレース(競走)において、競走馬が騎手の制御・命令に従うかどうかを指す。
制御・命令に従うことを折り合うまたは折り合いがつくといい、制御・命令に従わないことを折り合いを欠くという。折り合いを欠き、前方へ疾走することを特に掛かるまたは引っ掛かるという。
一般に競走馬が折り合いを欠くとスタミナを消耗し、レース終盤での失速に繋がるとされる。特に長距離戦では致命的な敗因となることが多い。一方、短距離戦では序盤から早いペースでレースが推移しまた長距離戦ほどスタミナを要しないため、折り合いを欠くことによるデメリットが比較的少ないとされる。
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インブリード (Inbreeding) とは、馬、犬、レース鳩といった家畜や愛玩動物の、近親交配のことである。その定義は交配する生物によって微妙に異なる。対義語はアウトブリード。
日本では競走馬や肉牛(特に繁殖牛)の生産や選別、血統を語る際において使用されるのが中心で、畜産分野や競馬産業から持ち込まれた用語といえるが、競馬シミュレーションゲーム「ダービースタリオン」シリーズの大ヒットにより、一般にもこの言葉が広く知られる事となった。
他方、純血種の犬や猫などの生産に関わるペット業界では、生産効率の向上や小型化などを意図した一部の生産者により、このインブリードを意図的かつ過剰に発生させるケースが近年相次いでいる。
この結果として奇形や感覚障害といった先天的な問題を抱えるペットが少なからず生産され、テレビ番組でも取り上げられるなど大きな問題に発展している。
しかし、インブリードは品種改良や品種のスタンダード維持の重要な手段でもあるため、これについては血統登録などでの規制等を行う事も極めて困難でもあるという一面も持っている。
インブリード概要
サラブレッドを生産するときには、良質な劣性遺伝子をホモ化して特定の能力を固定する目的で意識的に近親交配を行うことがある。
一方、悪質な劣性遺伝子がホモ化すると気性難を引き起こしたり体質が弱くなるなどの悪影響が発生する可能性がある。
チャールズ・レスターは著書『サラブレッドの生産』において、「近親繁殖の目的は、われわれが近親繁殖を行った、その祖先の影響を強めるためである」、「それは、たとえば両親のいろいろな要素をふくんでいる同じ井戸から、2回くみだす作業だと言える」、「われわれが井戸からくみ出す時には、よい成分も悪い成分もどちらもくみ出すことになる」と述べている。
古来から極端に強いインブリードは避けるべきと考えられているが、マルセル・ブサックのように極端に強いインブリードを好んで行った生産者もいる。また、インブリードを持つ種牡馬は遺伝力が強いと言われる。
血統表においてインブリードとなる馬を表すときには、数字を用いて4×5のような表記を用いる。この数字の意味は共通して現れる祖先の位置を表すもので、配合する種牡馬および繁殖牝馬を1として扱い、その親となる馬に対しては2,3,4…と順番に数が増える。例えば父方の祖父と母方の祖母の父が同じ馬であるときには2×3という表記になる。
また、このときに三代前の祖先と四代前の祖先が同じ馬になる、即ち4×3(もしくは逆に3×4)となる配合は、奇跡の血量18.75%と呼ばれ、過去に数々の名馬を輩出したことで知られている。この奇跡の血量については、元々はアメリカで考案された概念であると言われており、日本国内ではトキノミノル(ザテトラークの3×4)の活躍によって注目されだしたと言われる。
基本的にインブリードが発生する場合、共通となる祖先は種牡馬である場合が多いが、まれに牝馬のインブリードが発生する場合がある。
エルコンドルパサーの場合、スペシャルとリサデルの全姉妹クロス4×4×3のインブリードが発生している(全兄弟・全姉妹は同一の父母を持つため、インブリードを考える上では同一の馬と見做して考える場合がある。
ちなみにこの馬の場合、ノーザンダンサーの4×3の奇跡の血量でもある)。なお、11年連続リーディングサイヤーに輝いたノーザンテーストは、Lady Angela(ニアークティックの母)の3×2という名牝の強いインブリードを持っている事で有名である。
日本の馬産におけるインブリード
日本の馬産におけるインブリードは、血統というものがサラブレッドにとって極めて重要なものであると認識された頃から既に生産者に意識され試みられている。
歴代顕彰馬の中でも最も生まれが早いクモハタもハンプトンの5×5とセントサイモンの5×5を持っている。
生産者以外でも意識され始めたきっかけは、トキノミノルが10戦全勝で日本ダービーを制した事で、その血統にあったザテトラークの「3×4」という配合が、名馬が多く誕生する「奇跡の血量18.75%」としてスポーツ新聞などでもてはやされる様になった事によるとされる。
なお、「3×4」、「18.75%」という血量の根拠については諸説あるものの、現在に至るまで有力な決め手になるものは無い。
ただし、一説ではトキノミノル亡き後、同年の菊花賞を制したトラックオーもブカンの3×4というインブリードを持っていた事により、日本では定説になったという説がある。
また、この「奇跡の血量」を持つ日本の競走馬としては、著名な所ではコダマ(ブランドフォードの4×3)、トウショウボーイ(ハイペリオンの3×4)などがいる(ちなみにこのハイペリオン自身もセントサイモンの3×4を持つ事で知られる)。
現在の状況としては1980年代にノーザンテースト、マルゼンスキーが大成功した事もあり、2頭の共通の祖先であるノーザンダンサーの血を引く繁殖馬が非常に多く、1990年代を中心にノーザンダンサーの「奇跡の血量」を持たせる交配が積極的に試みられた。
その一方で、1990年代後半からは日本馬産史上最大の成功種牡馬とも言われるサンデーサイレンスから広がった血統を持つ種牡馬・繁殖牝馬が、日本の馬産史上かつて無い速度で広まっている。
そのため、近い将来にはサンデーサイレンスの血統とそのインブリードを持つ馬で飽和状態となり、やがて「日本版セントサイモンの悲劇」の様な事態が起きるのではないかという懸念を示している者もいる。
だがセントサイモンの時代と現在の生産・流通事情は大きく異なるため、同様の状況に至る可能性は低い。
その一方でインブリードの効果による強烈な能力を持った馬の誕生を期待して、実績を残した種牡馬の濃いインブリード交配に挑む生産者もいる。また、九州地方など種牡馬と繁殖牝馬の数が限られている地域では、その限られた組み合わせの中での配合という事情から発生してしまう事もある。
実際、サンデーサイレンスの血脈は日本に登場してからまだ15年も経っていないが、サンデーサイレンスの2×3という馬産の常識的な概念からはやや危険と考えられるインブリードを持った馬が九州産馬などで既に何頭か現れている。その中には、サンデーサイレンスの2×3とトウショウボーイの3×3を併せ持つ血統配合の馬もいる。
なお、平成以降の日本のサラブレッド馬産における極限の近親配合は、記録に残る限りでは血統名「リトルジャスミンの1994」のトドロキヒホウの1×2(父と母の父が同じ馬)というものがあるが、これは種付け時の手違いによって起きてしまったもので、生産者の意図によるものではなかったとされている。
インブリードの問題点
上記の様にインブリードは強い馬作りには効果的であるとされる反面、極端な近親交配を避ける観点から、繁殖馬とした時に交配可能な相手が限られるという問題もある。
そのため、特定の血統が繁栄しすぎると、その血筋を濃く受けている繁殖馬、特に種牡馬にとっては、交配可能な相手が限定され、また似た様な血統構成を持つ数多くの種牡馬との競合にもさらされ、かえって活躍の場が狭まるという事態が起きる。
古くは「18世紀の三大名馬」の一頭に数えられるハイフライヤーや、20世紀初頭の「セントサイモン」に知られ、現在ではノーザンダンサー系の種牡馬にもその兆候が懸念されている。
日本国内で供用された近年の種牡馬では、ノーザンダンサーの2×4を持つラムタラがノーザンダンサーの血が欧米以上に溢れ返ると言われる日本では近親交配の問題で相手が限定され、活躍できずに終わっており、その最典型として挙げられる事が多い(他方、この種牡馬については血統面以外でもサンデーサイレンス産駒の活躍による相対的なスピード能力の不足などの指摘もされている)。
他方では、同じくノーザンダンサーの3×3を持ち、自身も競走馬生活では体調難に苦しんだフサイチコンコルドが種牡馬としてGI優勝などの活躍馬を出しているなど、単純に名馬の濃いインブリードがすなわち「悪」というものでもない。
競走馬は自然交配によって生み出され、実際に産駒を走らせてみるまでは親である繁殖馬についても一概な評価はできず、インブリードについてその利点問題点を語る際の難しさもこの点にあると言える。
また、種牡馬として成功したところで、健康な馬を作るために強い近親交配を避ける観点から交配可能な繁殖牝馬が限定される点については変わりが無い。実際、フサイチコンコルドにしても、ノーザンダンサーのインブリードを自身も持っている繁殖牝馬との配合は危険と考えている生産者は多い。
いずれにせよ、突き詰めれば抜きんでて優れているが故にその血統で溢れ過ぎ、極端な近親交配を避ければ交配困難となって血統が衰退するという、サラブレッドという品種の馬産の趣旨からすればおよそ相反した悩ましい事態とも言える。
インブリードの遺伝学上の見地
これらの説に遺伝学的に充分な説得力があるわけではない。
劣性遺伝子は不利なものがほとんどである。
ある一つの生物学的性質に注目した場合(例えば肉体の強靱さ)、それに関わる対立遺伝子のうち競走馬として有利さをもたらす遺伝子が劣性で、不利さをもたらす遺伝子が優性だった場合、その優性な遺伝子を持つ個体は「肉体が強靱でない馬」となるため、厳しい人為淘汰(とそれ以前の生存競争)によって取り除かれ、「劣性で有利な遺伝子」を持った個体ばかりが残る。
これが競走馬(または生物)にとって不利な(あるいはそれほど有利でない)遺伝子が、優性であれば存続することができず、劣性のものが細々と継承されるプロセスである。
もしも全く自然および人為淘汰が働かず、馬の生存が運不運のみで決まる環境であれば、「優性だが不利な遺伝子」が多く残り「劣性だが有利な遺伝子」を包み隠してしまうことがあり得る。
その環境ではインブリードはより大きな効果を発揮するが、しかしサラブレッドの置かれている環境はそれとは正反対である(ただしサラブレッドの歴史の初期には一定の効果をもたらした可能性はある)。
「劣性で有利な遺伝子」のホモ化以外の意義として、集団内で「劣性で不利な遺伝子」の割合を下げる方向に働くことや、インブリードされている数世代前の名馬の遺伝パターンの再現(ホモ化ではなく複数の遺伝子の関連を考える)などと色々理由を考えることは可能であるものの、いずれも説得力は弱い。
奇跡の血量と呼ばれる値については科学的根拠はない。そもそも18.75%というのは、単に「その祖先と、2親等より少なく3親等より多くの遺伝子を共有している」ことしか意味しない(そのうち0.78125%が重複しているので、実際の共有率は18%弱である。
また祖先と同じ遺伝子が発現する率は4.88%強である)。論理的には、有利な劣性遺伝子が不利な劣性遺伝子より多いことはありえず、どの遺伝子を継承するか自然交配では選ぶことができない以上、不利な遺伝子の発現を避けるために遺伝子の重複度は極力低くなる方が望ましい(イヌで純血種より雑種の方が一般に平均寿命が長いのもこのためである)。
特に強いインブリードを持つ活躍馬
サラブレッドは父が同じでも兄弟という扱いはされないが、ここでは説明の便宜上兄弟とする。
コロナティオン(トウルビヨン2×2、テディ4×4半兄弟同士の配合) – 凱旋門賞
ハイタイム(ドミノ3.3×2、半兄弟同士の配合で生まれたアルティマスにさらに父の半妹を交配) – 米リーディングサイアー
オオヒエイ(アングロアラブ。スカレー2×2)- 全日本アラブ大賞典
ニットウチドリ(マーマハル4×5、ブランドフォード5×5、テディ5×5、ファロス(フェアウェイ)5×5、父内にゲインズバラ5.5×5、フライアーズドーター5×5、母内にブレニム5×5、母の父内にウガンダ5×5)- 桜花賞、ビクトリアカップ
ダイシンフブキ(ナスルーラ3×3.4。ナスルーラ3×4に加え、母父母にナスルーラの全妹を持つ。) – 朝日杯3歳ステークス
エルコンドルパサー(ノーザンダンサー3×4。スペシャル(リサデル)4×3.4。ネイティヴダンサー4×5)- ジャパンカップ、サンクルー大賞、NHKマイルカップ
シンコウキング(ノーザンダンサー2×3) – 高松宮杯(GI)
ストーミングホーム(ミスタープロスペクター2×3) – チャンピオンステークス、チャールズウィッティンガム記念ハンデキャップ
インブリードと人間
人間に対しては、特に中世ヨーロッパにおいて、「近親姦によって産まれた者」という意味で差別的、侮蔑的に用いられた。
他方で、洋の東西を問わず、長い歴史を誇る旧家や王侯貴族などには、「自家の血統を濃く残すべし」「他家の血を混ぜない」など血統の純潔性を重んじる考え方を綿々と受け継いできた家も少なくない。また、ハプスブルク家の様に所領分散防止などの一族の戦略的な観点から近親婚を続けていた家系も見られる。
その中には、何世紀にも渡り、また現在も近親婚により血脈を繋いでいる、あるいは近代までその様な習慣を続けてきた家系や、さらにはサラブレッドのインブリードと同様に、「(多大な功績を残した)特定の祖先の血(血量)をより濃く残してゆく事」を目的に一族内で婚姻の相手を決める様な家系も存在する。
関連項目
アウトブリード
ニックス
競走馬の血統
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