競馬用語&競走馬 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

功労馬

功労馬(こうろうば)とは、競走馬、繁殖馬を引退し、余生を送る馬を指す。なお乗馬とは別として扱われるが、乗馬活動を行うこともある。セン馬の競走馬は引退後に功労馬となるケースが多い。

牡馬の競走馬、繁殖馬が功労馬となる場合は去勢される事が多いが、特に著名な元競走馬、馬産地に貢献した名種牡馬であれば、種牡馬登録を抹消しないまま事実上の功労馬として余生を送るケースもある(登録上は種牡馬であるため去勢もされない)。

主な著名功労馬

存命馬

イブンベイ
ウイニングチケット
エルウェーウィン
ケイティタイガー
サイレントウィットネス
サクラチヨノオー
シンボリルドルフ
ダイユウサク
トウケイニセイ
ニッポーテイオー
ヒシマサル
ビワタケヒデ
メジロライアン
ヤマニンゼファー
ランドパワー
レガシーワールド
コスモバルク

過去の功労馬

アンバーシャダイ
イブキマイカグラ
カシュウチカラ
カブトシロー
ガーサント
キングストンタウン
クライムカイザー
サニーブライアン
セガンヂャ
ドージマムテキ
ノーザンテースト
ビクトリアクラウン
ブロケード
メジロファントム
リワードウイング

主な功労馬繋養牧場

日本

イーハトーヴ・オーシァンファーム
うらかわ優駿ビレッジAERU
エクセルマネジメント
土佐黒潮牧場
ビッグレッドファーム
ホーストラスト
名馬のふるさとステーション(2003年閉鎖)

日本以外

オールドフレンズ(アメリカ合衆国・ケンタッキー州)

功労馬(こうろうば)とは、競走馬、繁殖馬を引退し、余生を送る馬を指す。なお乗馬とは別として扱われるが、乗馬活動を行うこともある。セン馬の競走馬は引退後に功労馬となるケースが多い。牡馬の競走馬、繁殖馬が功労馬となる場合は去勢される事が多いが、特に著名な元競走馬、馬産地に貢献した名種牡馬であれば、種牡馬登録を抹消しないまま事実上の功労馬として余生を送るケースもある(登録上は種牡馬であるため去勢もされない)。

主な著名功労馬

功労馬 存命馬

イブンベイ
ウイニングチケット
エルウェーウィン
ケイティタイガー
サイレントウィットネス
サクラチヨノオー
シンボリルドルフ
ダイユウサク
トウケイニセイ
ニッポーテイオー
ヒシマサル
ビワタケヒデ
メジロライアン
ヤマニンゼファー
ランドパワー
レガシーワールド
コスモバルク

過去の功労馬

アンバーシャダイ
イブキマイカグラ
カシュウチカラ
カブトシロー
ガーサント
キングストンタウン
クライムカイザー
サニーブライアン
セガンヂャ
ドージマムテキ
ノーザンテースト
ビクトリアクラウン
ブロケード
メジロファントム
リワードウイング

主な功労馬繋養牧場

主な功労馬繋養牧場 日本

イーハトーヴ・オーシァンファーム
うらかわ優駿ビレッジAERU
エクセルマネジメント
土佐黒潮牧場
ビッグレッドファーム
ホーストラスト
名馬のふるさとステーション(2003年閉鎖)

主な功労馬繋養牧場 日本以外

オールドフレンズ(アメリカ合衆国・ケンタッキー州)

功労馬関連項目
功労馬繋養展示事業

豪サラ

豪サラ(濠サラ、ごうサラ)は、オーストラリアなどの外国で生まれ、日本に輸入された競走馬を表す呼称。大きく分けると2つの意味で用いられる。

明治時代から大正時代にオーストラリアから輸入された競走馬。
太平洋戦争後の1950年代にオーストラリアを中心に外国から輸入された競走馬。

明治・大正時代の豪サラ


「豪」の字は歴史的には「濠」が用いられる場合も多いが、本項では「豪」で統一して表記する。
本来「豪サラ」は文字通り、オーストラリア産のサラブレッドを指す用語である。しかし現在用いる場合には「明治・大正期にオーストラリアから輸入されたのち血統不詳となったサラブレッドと思われるもの」を示す場合が多く、その場合には「オーストラリアから輸入され、現在も血統の詳細が明らかなサラブレッド」は含まない。

これらの血統不詳馬には競走や繁殖で特別に優秀な成績を修めたものがあり、一部にはその子孫が現存する。本来サラブレッドは必ず血統が明らかでなければならないが、これらの子孫の中には、優秀さが認められて正式にサラブレッドに加えられたものもいる。

オーストラリア産サラブレッド輸入の歴史

開国以来、横浜では外国人による競馬が開催され、外国からの輸入馬が競走馬として用いられた。オーストラリアのほか、アメリカや中国産の馬が競走に用いられ、その後に繁殖用に供された。特にミラ、第二メルボルンなどが競走・繁殖ともに優秀な成績を残して有名である。最も狭義の「豪サラ」としてこれらのものを指す場合がある。そのほか、明治初期から官民の牧場にも外国産の馬を種馬(牡牝とも)として輸入するものもあったが、その数は少数にとどまる[1]。

日清・日露戦争を通じて西洋列強の陸軍との比較で著しく軍馬が劣ることが発覚すると、明治政府は内閣に専門部局を設けて軍馬改良に努めることになり、西洋の種牡牝馬を輸入して全国に配布し、地場の国産馬の改良を試みた。日露戦争の拡大により前線での軍馬不足を懸念した陸軍省は、日英同盟を頼ってオーストラリアから3701頭のウマを緊急輸入した。

その後日露戦争は急速に終結し、輸入したウマは軍馬として用いられることなく、日本国内の馬匹改良のため農商務省を経由して1頭200円で払下げられた。

その後しばらくは種馬の輸入はヨーロッパ(イギリス、ハンガリー、フランスなど)からが主流だったが、第一次世界大戦が勃発してヨーロッパからの輸入が困難になると、再びオーストラリアからの輸入が行われた。

この時代は、まだ血統登録に基づくサラブレッドの定義が成立しておらず、日本国内においても公式な血統登録制度は存在しなかった[2]。1921年(大正10年)に施行された馬籍法では、馬の「種類」は登録されたが、父母をはじめ血統に関する規定はない。したがって、サラブレッドであることと血統書の有無は無関係であり、血統書が存在しなくても「サラブレッド」だった。「豪サラ」は単にオーストラリア産のサラブレッドと、「内サラ」と呼ばれる国産のサラブレッドとを区別する用語だった。限定的であるが、このほかアメリカ産の「米サラ」や、中国産、ロシア産の競走馬が存在した(馬産ではこれらの「外国産馬」に対して日本産のものを「内国産馬」という。)。

高いものでは1頭2万円もする馬をオーストラリアから輸入し、競馬で使った後に種馬として供用するものもあった。豪サラは競走能力で内サラを圧倒し、明治末期では1マイル(約1600メートル)の走破記録では国産馬と外国産馬では2から3秒ほどの差があった。だが競走馬生産の目的が国内の産馬業奨励にある以上、これを保護するため競馬においては豪サラは出走に制約が課され、限定された競走にしか出走できず、国内の多くの高額賞金競走からは締め出された。

戦争の終結により輸入は停止され、馬券発売の禁止により競馬も低迷したが、大正後期に馬券の販売が合法化されると各地の競馬場は活況となり、競走馬不足が起こると、オーストラリアからの競走馬の輸入が再開された。この頃になると、日本国内でもイギリスから輸入したサラブレッド種馬による生産を行う産馬業者も増加し、一部の国産サラブレッドは豪州産馬に匹敵する競走能力を示すものも現れ、国産馬と豪州産馬が対戦する名物競走が創設され話題を呼んだ。

馬主個人による輸入は稀で、一般には競馬主催者がまとめて輸入したものを抽選で希望者に配布する方式をとったため、これらの競走馬は「豪抽」と分類された。しかし過剰な豪州産馬の輸入は国内の事業者の発展を阻害するとの懸念により、数年で輸入は再び停止された。この時期に輸入されたものの中でバウアーストックが有名である。

血統登録の創設と「血統不詳」馬の誕生

一方、20世紀初頭にジェネラルスタッドブックによって血統登録に基づくサラブレッドの厳密な定義が確立し、日本国内においても競馬法の成立を受けて1925年(大正14年)に血統登録制度が創設された。これにより、輸入手続時に血統登録書を紛失したものなど、祖先馬を遡ることができないものは「血統不詳」として扱われることになり、サラブレッドと称する事はできず「豪洋」となった(この血をひく国産馬は「内洋」である。)。

その結果、豪洋の血をひくものは正式なサラブレッドに準ずる「サラ系」に分類されることとなった。とはいえ、大正期までは、たとえ「濠洋」であっても競馬場での高い実績により、名声の上でも価格の上でも国産サラブレッドよりも高評価を受けており、当時の出版物でもこうした豪州産血統不詳馬を祖先に持つものを「名血統」と著している[3][4]。これらの中には昭和中期まで優れた系統として高い評価を受け続けたものもある。

この時代の馬産の最大の目的は軍馬育成にあり、また競走馬以外にも一般の交通や使役にも多くの馬が用いられていた。血統不詳の豪洋種と様々な品種の種馬の配合で生産されたものが各地の博覧会や品評会で優秀な賞を受賞しており、血統書が整っているか否かにかかわらず豪州産馬は実用上優れた評価を受けていたのである。

その後、新しい定義に基づくサラブレッドの概念が普及し、太平洋戦争後に競馬の目的から軍馬育成の要素が失われるとともに、豪サラの子孫も代を重ねて初期の圧倒的な能力差が見られなくなるにつれ、その子孫は純粋正統なサラブレッドではないサラ系として一段低く扱われることとなった。

欧米ではジェネラルスタッドブックの定めたジャージー規則により、アメリカやフランスでも優秀な競走馬の多くがサラブレッドの定義から外れる事態となり、サラブレッドの定義の修正問題に発展した。やがてアメリカやフランスではサラブレッドの定義の修正によって「名誉回復」がなされたが、日本国内ではこうした動きはほとんど見られず[5]、戦後は「サラ系」はサラブレッドに対して低い評価を受け続けた。しかし、現在まで牝系が存続し、優秀な能力を伝えている系統の中には、新しい定義に基づいて「サラブレッド」への復帰を遂げたもの(ヴィークル・メアと呼ばれる)もいる。

1950年代の豪サラ

太平洋戦争後の競走馬不足の時代を補う理由で、日本中央競馬会、大井競馬場、兵庫県競馬組合の競馬主催者や馬主会などがオーストラリア、ニュージーランド、アメリカ合衆国(米サラと呼ばれた)などから競走馬を団体購入し、抽せん馬として日本で競走に使用した。まもなく国内の馬産が復活したため数年で打ち切られている。

代表的な馬として1954年の天皇賞(秋)を優勝したオパールオーキツト、1956年の天皇賞(秋)を優勝したミツドフアーム、1955年の第1回春の鞍を優勝したローヤルレザー(ニュージーランド産)、ハイセイコーの祖母ダルモーガン、タケシバオーの祖母クニビキなどが知られている。

豪サラ関連項目

日本の競馬
抽せん馬
外国産馬

豪サラ脚注

^ 宮内省では明治14年からオーストラリア産サラブレッドを輸入しているが、その総数は大正期まで含めても10頭程である。
^ 明治17年には「馬籍法」が審議されたが議決されなかった。当時の法の主旨は馬商の詐欺行為の防止で、血統登録と品種改良を両輪とする概念はまだ存在していない。
^ 同様に、サラブレッドではないが、江戸時代にフランスから贈呈されたアラブ馬の子孫も、その血統書は存在しないにも関わらず「名血統」と称されている。
^ 日本国内の競走馬を分類する「サラブレッド」「サラ系」「アングロアラブ」等の用語と、品種としての「サラブレッド」や「アラブ」は必ずしも同じ定義に基づくものではない点には注意が必要である。
^ 1970年代に、ミラの子孫であるヒカルイマイやランドプリンスが皐月賞や日本ダービーに優勝すると、JRAは職員をオーストラリアに派遣し、豪サラの血統調査を行った。

検量

競馬における検量

競馬における検量は、騎手の体重と各種装備(鞍・鐙など)、重量調整用の錘などを合計した重さが、予め定められた負担重量に対して一定の範囲内に収まっているかどうかを、レースの前と後に確認する作業のことを指す。通常レース前の検量を前検量、レース後の検量を後検量と呼ぶ。

もし負担重量に対し実際の重さが一定の範囲に収まっていない場合は、騎手に対し過怠金や騎乗停止などの制裁が課せられる。特に後検量で1kgを超える重量不足が発覚した場合などは、レース結果に影響が及ぶ可能性があるため、当該騎手の騎乗した馬が失格となることもある。

グレード制

グレード制(グレードせい)またはグループ制(グループせい)とは、競馬および公営競技における競走の格付け制度の1つである。

グレード制解説

グレード制は、1971年にイギリス・フランス・アイルランドの競馬でグループ制が導入されたことを受け、1973年にアメリカ合衆国・カナダ間で始められたものである。

その後南アフリカ共和国(1981年)などが続き、日本でも1984年に中央競馬が導入した。
以後、日本ではグレードを興行のブランド化する手法が他の公営競技でも広く受け入れられ、競艇・オートレース・競輪でも主要競走がグレードによって格付けされるようになっていった。

各競技間の互換性はないが、競馬では主要国間(アメリカ合衆国、カナダ、日本[1]、南アフリカ共和国・ジンバブエ)で格付けに互換性があり、グループ制導入国の主要国間(イギリス、フランス、アイルランド、オーストラリア、アルゼンチンなど)とも互換性がある。

略称はどちらもG1、G2、G3である。障害競走では平地競走でグループ制を導入している国でもグレード制で格付けを行っている。
グレード制では、各競走をレベルや重要度の高い順にグレード1、グレード2、グレード3と格付けする。競馬ではグレード制における最高峰の格付けはグレード1であるが、競輪・競艇・オートレースではグレード1の上にそれぞれグランプリ、スペシャルグレード、スーパーグレードが設定されている。またオートレースにおいてはグレード3の格付けを持つ競走は、現在は存在しない[2]。

それぞれのグレード制の詳細については以下を参照。

競馬の競走格付け
競輪の競走格付け
競艇の競走格付け
オートレースの競走格付け

グレード制その他

テニスやゴルフのツアーサーキットなど公営競技以外のプロスポーツでは、グレード(グループ)制という表現ではないが、「メジャー」と呼ばれる高い位置付けがされた大会が存在する。競馬で言うと、グレード1に相当する大会である。

テニスのウィンブルドン選手権など
ゴルフのマスターズ、全米オープン、日本オープン、日本プロなど→日本ゴルフツアー機構を参照。

グレード制脚注


^ ただし、中央競馬が最初に導入したグレードは中央競馬独自のグレードであり、2009年までは国際的な互換性があるのは一部の競走に過ぎなかった。2007年度から2009年度まで、国際グレードの付かない重賞レースは「Jpn」表記となった。ただし、この場合でも「ジーワン(JpnI)」などと表現するが「グレードワン」と表現しない。2010年からは中央競馬のグレードと国際グレードがすべての競走で一致するようになり、「Jpn」表記はダートグレード競走のうち地方競馬で開催される競走にのみ付けられている。
^ かつては、ジュニア選手権、若獅子杯争奪戦、関東地区選手権、九州選手権、関東ジュニア選手権がグレード3に格付けされていた。

グランプリ

グランプリとは日本中央競馬会(JRA)が施行する競馬の重賞競走でファン投票によって出走馬が決定される有馬記念の副称で、有馬記念、宝塚記念の総称である。

グランプリ解説

競馬においてファン投票で出走馬が決定されることは世界的にも類を見ないものであったが[1]、1956年に当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧がプロ野球のオールスターに倣ってファン投票方式を発案し、「中山グランプリ」として創設されたのがグランプリレースの始まりである。翌年、有馬が死去したため、有馬の業績をたたえて同競走は「有馬記念」と改称された。 有馬記念は3歳馬と古馬との対戦の場として、また1年の締めくくりとして、「競馬の祭典」としての性格を持つようになった。

1960年に、有馬記念に匹敵する大競走を関西で開催したいという要望からファン投票方式を倣った宝塚記念が新設された。 有馬記念が「グランプリ」であるのにならって、宝塚記念は「夏のグランプリ」と呼ばれることが多いが、正確には宝塚記念はグランプリではない。

グランプリ脚注

^ 現在は地方競馬(ホッカイドウ競馬の道営記念など)でも採用されている。

関連項目
グラスワンダー(グランプリ3連覇)

クラシック

競馬におけるクラシックまたはクラシック競走(Classic Races)とは、各国の3歳馬による三冠を形成する競走を指す。

またクラシック競走であるダービーステークスの施行距離から派生して、芝1マイル1/2または2400メートルの距離をクラシックディスタンスと呼ぶ。

クラシック概要

「クラシック競走」という言葉は元来イギリスのサラブレッド競馬の黎明期から作られていた伝統的な競走を指していた。一般的に以下の5競走がクラシック競走として呼ばれ、いずれも格の高い競走として位置づけられている。

2000ギニー(1809年創設。3歳牡馬牝馬限定)
1000ギニー(1814年創設。3歳牝馬限定)
オークス(1779年創設。3歳牝馬限定)
ダービーステークス(1780年創設。3歳牡馬牝馬限定)
セントレジャー(1776年創設。3歳牡馬牝馬限定)

当初は古くからある競走としてそれぞれ独立したものであったが、やがて牡馬が出走できる2000ギニー・ダービー・セントレジャーの3競走、牝馬限定の1000ギニー・オークス(およびセントレジャー)を制することに意義が持たれるようになった。その達成馬に「クラシック三冠」という特別な称号が与えられるようになると、その傾向はより強くなっていった。

この三冠の概念は後にアメリカ合衆国の競馬界などにも導入され、古くからある競走で三冠を形成したり、イギリスに倣って三冠を形成する競走をクラシック競走と呼ぶようになった。

牡馬の競走に関しては2000ギニー・ダービー・セントレジャーの3競走を模倣して創設されたものが多い一方、牝馬の競走に関してはばらつきが多く特に3冠目の競走が牡馬のものとは別に新設されている場合もある。

主催する国・地域によって若干の違いはあるが、多くのクラシック三冠競走ではイギリスのものと同じく出走条件に「3歳馬限定」という決まりがあり、どの競走馬もクラシック競走に出走する機会は一生に一度だけである。またこれらの競走は種牡馬や繁殖牝馬の価値を高めるための選定競走と位置づけられているものが多く、去勢された騸馬が出走できない場合が多い。またクラシック競走には事前にクラシック登録が義務付けられているものが多く、現代ではその制限は緩和されつつあるが、かつてはその制度がもとでクラシックに出走する機会を得られなかった馬も存在した。

重要なのはクラシック5競走で優勝することであるが、ほとんどの場合でそれらの競走のみに出走することはなく、前哨戦(プレップレース)を何戦か経験してから本番に挑むのが通例である。これらの前哨戦を含めたクラシック競走に至るまでの道筋は「クラシック路線」などと呼ばれ、優勝候補同士の力比べや距離適性、勝算の有無を見定めるためなどに役立てられる。一部の競走には、クラシック競走本戦への優先出走権を得ることができるものもある。

クラシック競走は基本的にいずれの施行団体においても価値のある競走として位置づけられているが、時代の変遷とともに長距離競走の価値が下落し、その影響でセントレジャーおよびそれに相当する競走もまた価値が下落しつつある。このため、一部の国では本来3歳限定戦のセントレジャーを古馬の出走を可能にするよう条件変更したり、距離の改定を試みられるなど、クラシックとしての価値が減衰・消失しているところが見られる。

各国のクラシック

イギリス・アイルランド


クラシック発祥の地であるイギリスのクラシック競走においても、すでに三冠の価値は大きく下落している。2000ギニーとダービーはともに権威ある競走として扱われているものの、距離体系の違いからその両方に出走する陣営は非常に少なくなった。特にセントレジャーはそこに出走する価値そのものの下落が激しく、1970年にニジンスキーが凱旋門賞で敗れたときもセントレジャーを経由するローテーションが原因であったという指摘があるなど、その存在意義は薄れる一方である。

アイルランドでもクラシック三冠競走は存在したが、1983年にアイリッシュセントレジャーが古馬に開放され、三冠競走の体系は消滅している。またアイリッシュダービーは開催時期からイギリスやフランスのダービー馬などが集う場として利用され、こちらもすでにクラシックとは名ばかりのものになっている。

日本


中央競馬

中央競馬のクラシック三冠はイギリスのクラシック競走を模範として形成され、皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞・桜花賞・優駿牝馬(オークス)の5競走がクラシック競走として創設された。

当初は牝馬の3冠目(ただし、牝馬は2冠までという考え方もあった)は本家と同様に菊花賞がそれに相当したが、1970年に3歳牝馬限定戦のビクトリアカップが創設され、後に同じ役割を果たす競走としてエリザベス女王杯、そして秋華賞が創設されると、牝馬三冠の最終戦はこれらに役割が移された。ただし、この新設された競走がクラシック競走と呼ばれることはなく、現在もクラシックは当初の5競走を指す言葉として使われている。

中央競馬においても世界的な傾向と同じく長距離競走の人気が低下しているが、現在でも菊花賞の価値は高く保たれており、クラシック三冠の価値も今もって最高の評価として健在である。ただし出走可能な競走の選択肢が増えたことから、皐月賞ではなくNHKマイルカップから日本ダービーに出走したり、菊花賞に向かわず天皇賞(秋)に出走する3歳馬も出ている。

中央競馬のクラシック三冠競走にはかつては厳重な出走制限があり、クラシック登録のない馬は出走できなかったほか、外国産馬や地方競馬所属馬に対する出走規制も存在した。現在ではクラシック追加登録制度の適応や、段階的に行われた出走規制撤廃などを経て、せん馬を除くほとんどの中央所属馬が出走できるようになった。2010年より、外国調教馬(海外からの遠征馬)の出走も可能になった。

地方競馬


各地方競馬団体においてもそれぞれの地域ごとに、優秀競走馬選定を目的としたクラシック競走は行われており、サラブレッド以外のアングロアラブ競走やばんえい競走においても三冠競走が存在する。現在主流のサラブレッド競馬においては他地区との交流も盛んに行われており、一部のクラシック競走は中央所属の競走馬も出走可能なダートグレード競走である。

近年はこれらの優勝馬と中央競馬のダート路線の優秀な3歳馬を集め、盛岡競馬場のダービーグランプリにおいて全国のダービー馬同士の対決が企画されていた。ダービーグランプリのグレード撤廃後は、同様の役割を大井競馬場のジャパンダートダービーが担っている。

アメリカ合衆国・カナダ

アメリカ合衆国では、クラシック競走といえば同国でもっとも大規模な三冠を形成するケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークスの3競走のことを指している。これらは当時盛り上がりを見せていたこの3競走を制したギャラントフォックスが三冠馬と呼ばれたことがきっかけで呼ばれるようになったもので、イギリスの各競走を模したものではない。またそれらより古くからあるトラヴァーズステークスなどの競走、セントレジャーを模して創設されたローレンスリアライゼーションステークスなどの競走もあるがそれらがクラシックと呼ばれることはまずない。

アメリカの牡馬クラシック競走には騸馬の出走が認められており、現在までにエクスターミネーターなど8頭のケンタッキーダービー馬が誕生している。

それぞれの競走はダートの馬場で行われ、また春季の約1ヵ月間で三冠戦が終わるという非常に短い期間も特徴的である。ダートとしては長丁場のベルモントステークス(12ハロン・約2414メートル)に関しては他国のセントレジャー相当競走と同じくしばしば距離短縮の提言が上げられることもあるが、現在まで条件の変更もなく地位を保ち続けている。

また、牝馬の競走においてクラシック競走と呼ばれていたものにコーチングクラブアメリカンオークスがあるが、クラシックの意味が上記牡馬三冠競走を意味することが多くなった現在においてはあまり使われない表現である。クラシックとは無関係だが三冠路線は存在し、特にニューヨーク牝馬三冠(エイコーンステークス・コーチングクラブアメリカンオークス・アラバマステークス)は同国最大の牝馬三冠路線として位置づけられている。しかし王道の中距離路線に出走する多くの牝馬にとっては5月のケンタッキーオークスが最大の目標になっており、同競走を絡めた新たな三冠体系の確立の検討も行われている。

カナダでは1949年に三冠設置が提唱されて、クイーンズプレート・プリンスオブウェールズステークス・ブリーダーズステークスの3競走がカナダクラシック三冠競走として位置づけられた。ただしいずれの競走もカナダ国内所属の競走馬のみ出走可能な競走で、かつカナダの競走馬でもアメリカクラシック三冠に挑むこともできるためそれに比べると価値は一枚落ちる。これらの大規模な三冠のほか、競馬場を運営する各団体ごとに三冠競走が設定されている。

クラシック関連項目

三冠 (競馬)
ダービー (競馬)

距離

競馬における距離(きょり)では、競馬での距離の算出方法についての説明をする。

競馬の距離


競馬の競走毎に分かれており、大まかに短距離、マイル、中距離、中長距離、長距離と5つに分離される事が多い。競走馬によって距離の得意、不得意があり、不得意な距離の競走に出走すると凡走するパターンが非常に多い。

距離の単位にはメートル法あるいはヤード・ポンド法を用いるところがある。前者は主にフランス、イタリア、ドイツ、香港、日本など、後者は主にイギリス、アメリカ合衆国、アイルランド、オーストラリアなどで表記される。
負担重量の単位も違い、メートル法を用いるところはキログラム、ヤード・ポンド法を用いるところはポンドで表記している。

超短距離

220ヤードから880ヤード辺りの距離を指す。アメリカンクォーターホースかあるいは特別にこの距離に特化したサラブレッドが走る距離である。下の短距離から長距離とは別の競走体系を持ち、基本的に交流は無い。クォーターマイル」と呼ばれるようにG1は1マイルの1/4、440ヤード(約402m)付近に集中している。アメリカ、オーストラリアに相当数存在する。

短距離

Sprint(短距離)1000~1400 m未満
「スプリント(戦)」とも呼ばれ、短距離を得意とする競走馬は「スプリンター」と呼ばれる。主に1400メートル(7ハロン)までの競走を短距離戦と呼ぶ。短距離GIレースのほとんどは、基本的に1000メートルから1400メートルで行われることが多い。

短距離のG1級競走


ジュライカップ
アベイ・ド・ロンシャン賞
モーリス・ド・ゲスト賞
ブリーダーズカップ・スプリント
ゴールデンスリッパーステークス
ライトニングステークス
ウィリアム・レイドステークス
ドバイゴールデンシャヒーン
香港スプリント
高松宮記念
スプリンターズステークス など
短距離で活躍した競走馬
デイジュール
サイレントウィットネス
テイクオーバーターゲット
アパッチキャット
セブリング
シーニックブラスト
サクラバクシンオー
デュランダル
ローレルゲレイロ
など
マイル

Mile(マイル)1400~1900 m未満


単位のマイル(1マイル=約1609メートル)から由来しており、マイルを得意とする競走馬は「マイラー」と呼ばれる。主に1400メートル(7ハロン)から1800メートル(9ハロン)までの競走をマイル戦と呼ぶ。なお日本の競馬では1600メートルのみをマイル戦と定義する傾向があり、1400メートルはスプリント、1800メートルは中距離走に分類されている。

マイルのG1級競走

2000ギニー
アイリッシュ2000ギニー
セントジェームズパレスステークス
クイーンアンステークス
サセックスステークス
クイーンエリザベス2世ステークス
ジャック・ル・マロワ賞
ムーラン・ド・ロンシャン賞
メトロポリタンハンディキャップ
ブリーダーズカップ・マイル
フェブラリーステークス
桜花賞
NHKマイルカップ
ヴィクトリアマイル
安田記念
マイルチャンピオンシップ
ジャパンカップダート
阪神ジュベナイルフィリーズ
朝日杯フューチュリティステークス
マイルで活躍した競走馬
テューダーミンストレル
ブリガディアジェラード
ミエスク
スピニングワールド
ロックオブジブラルタル
ゴルディコヴァ
ドクターフェイガー
タイキシャトル
ダイワメジャー
ウオッカ
など

中距離


Intermediate(中距離)1900~2200 m未満

主に1800メートル(9ハロン)から2200メートル(11ハロン)未満までの競走を中距離戦と呼ぶ。現在世界でもっともスタンダードとされる距離で、ほとんどのタイプの馬が出走しやすいのが特徴。基本的には2000メートル前後のことを中距離といい、2200メートルも世界的に見れば中距離にしてはやや長い部類に入る。
中距離のG1級競走
プリンスオブウェールズステークス
エクリプスステークス
インターナショナルステークス
アイリッシュチャンピオンステークス
チャンピオンステークス
ケンタッキーダービー
プリークネスステークス
ブリーダーズカップ・クラシック
ドバイワールドカップ
コックスプレート
香港カップ
皐月賞
秋華賞
天皇賞(秋)
中距離で活躍した競走馬
ジャイアンツコーズウェイ
ファンタスティックライト
シーザスターズ
ドバイミレニアム
サンデーサイレンス
シガー
インヴァソール
ダマスカス
サンライン
アグネスデジタル
など

中長距離


Long(長距離)2200~2800 m未満

主に2200メートル(11ハロン)から2700メートル(13ハロン)位までの競走を中長距離戦と呼ぶ。中長距離で最もスタンダーとされるのは2400メートル(12ハロン)であり、この距離をクラシックディスタンスと呼ぶ。フランスの凱旋門賞やイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスなど各国の最高峰の競走が中長距離を採用している。しかし、現在は若干、有力馬の多くが中距離レースに出走することが多くなってきている。
中長距離のG1級競走
ダービーステークス
オークス
アイリッシュダービー
凱旋門賞
ベルモントステークス
ブリーダーズカップ・ターフ
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス
優駿牝馬
東京優駿
宝塚記念
エリザベス女王杯
ジャパンカップ
有馬記念
中長距離で活躍した競走馬
リボー
シーバード
ミルリーフ
アレッジド
シャーガー
ラムタラ
モンジュー
シンダー
テイエムオペラオー
ハーツクライ
ディープインパクト
など

長距離

Extended(超長距離)2800 m以上

長距離を得意とする馬は「ステイヤー」と呼ばれる。主に2800メートル(14ハロン)以上の競走を長距離戦と呼び、G1ではステイヤーよりもオールラウンダーの活躍が目立っていたが、現代では競走馬のスペシャリスト化によってステイヤーが活躍している。世界的に主流距離から外れていく中、オーストラリアのメルボルンカップのようにまだ権威や賞金が高い競走もある。
長距離のG1級競走
アスコットゴールドカップ
セントレジャー
アイリッシュセントレジャー
ロワイヤルオーク賞
カドラン賞
メルボルンカップ
天皇賞(春)
菊花賞
長距離で活躍した競走馬
マカイビーディーヴァ
アリシドン
イングランディーレ
ライスシャワー
ホットシークレット
アイポッパー
デルタブルース
アドマイヤモナーク
トウカイトリック
ザッツザプレンティ
など
その他

ごく稀に距離を選ばず活躍する競走馬が存在する。これらの競走馬は「オールラウンダー」と呼ばれ、数々の大レースを制する名馬が多い。以下に挙げる馬は距離を選ばず活躍した馬である。なお、今日のように距離適性の概念ができる以前は、マイル~4000mくらいまでこなす馬が多数存在した。例:グラディアトゥール(マイルから6400mまで)。
ニジンスキー – マイルから長距離まで
ゴーストザッパー – 短距離から中距離まで
タケシバオー – 短距離から長距離まで
シンボリルドルフ – 短距離から長距離まで
オグリキャップ – 短距離から中長距離まで
ナリタブライアン – 短距離から長距離まで
グラスワンダー – 短距離から中長距離まで
エルコンドルパサー – マイルから中長距離まで
ダイワスカーレット – マイルから中長距離まで
など

障害競走



ばんえい競走


ばんえい競走は日本独自の競走であるが、公式競技(帯広競馬場1箇所のみ)では一律200mである。
繋駕速歩競走

フランスを中心に長距離の競走も行われるが、大半はマイルで行われる。
                           (引用 ウィキペディア)

九州産馬

九州産馬(きゅうしゅうさんば)とは、九州地方で生産された競走馬のことである。

かつて、九州地方(主に南九州地区)での競走馬の生産は盛んであったが、戦後、馬産地の中心が北海道地方へ移り、かつ大規模化していった事もあって、九州地方の馬産地としての地位は低下していった。

北海道に比べて競走馬生産の規模が小さい事から、生産を奨励する目的で、中央競馬(JRA)においては小倉競馬場での2歳戦の一部競走、地方競馬においては荒尾競馬場の一部競走が九州産馬限定競走として行われている。

現在では種付けを北海道の種牡馬と行い、その後種付された繁殖牝馬を九州に戻し、出産は九州で行うという、いわば持込の九州産馬が増えてきている。自己所有している種牡馬を中心に配合しているテイエム牧場がその代表格である。

その結果、九州の種牡馬から生まれた産駒の限定競走における賞金の割合は減っているものの、血統のレベルは上昇しており、重賞戦線で活躍できる馬が出現する確率は高くなった。

主な九州産馬限定競走

ひまわり賞 (小倉競馬)(JRA小倉競馬場)
霧島賞(荒尾競馬場)
たんぽぽ賞(荒尾競馬場)

主な九州産馬

括弧内は主な勝ち鞍
キングスピード(京都杯)
フェロースピード(小倉大賞典)
ニルキング(デイリー杯3歳ステークス)
ケンセイグッド(日経新春杯)
アオイライコー(東京盃、大井記念)
ゴールドイーグル(大阪杯、マイラーズカップ)
ミクニノホマレ(菊水賞、播磨賞)
ダンツセントー(アネモネステークス)
シンセイマーク(たんぽぽ賞、霧島賞)
コウエイロマン(小倉3歳ステークス)
テイエムチュラサン(アイビスサマーダッシュ)
コウエイソフィア(トゥインクルレディー賞)
コウエイトライ(小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、東京オータムジャンプ、新潟ジャンプステークス)
テイエムトッパズレ(京都ジャンプステークス)
タガミホマレ(楠賞全日本アラブ優駿、六甲盃、兵庫大賞典、新春賞、園田金盃)
スマノダイドウ(アラブダービー)
ウットマン(全日本サラブレッドカップ、霧島賞、名古屋大賞典)
コウエイノホシ(大井記念)
コウエイハート(ひまわり賞、紅梅ステークス)

九州で繋養されていた主な種牡馬


カブトシロー
ハッピープログレス
ブラックスキー
シンウルフ
マークオブディスティンクション
ダンツシアトル
サイレントハンター
ロドリゴデトリアーノ

脚質

脚質(きゃくしつ)とは、公営競技において競技対象の走行の方法に関する分類のことである。以下、本項では主に競馬における競走馬の代表的な脚質について記述する。

脚質概要

馬とは基本的に臆病であり、他馬がいるとそれを追走する習性をもつため、コースやレースに参加する馬の個性にもよるが、概ねレース中は縦長な展開になることが多い。

そのため、レースに参加する馬によっては、その位置取りが有利に働くこともあれば、不利に働くこともある。

これは基本的にその馬の性格や能力によるものであり、それを脚質と呼ぶ。
通常であればその脚質通りの位置取りでレースをする事が望ましいとされるが、レース展開やコース状態、レースに参加する馬によっては、その馬が苦手とする位置取りにあえて挑戦することもしばしばである。

また、「キレのいい脚」や「長く使える脚」なども脚質と呼ばれることがあるが、通常脚質とはレース中の位置取りを指し、これらの表現はその脚質を決定づけるであることが多い。

逃げ

競走開始直後から先頭に立ち、そのままゴールインすることを目指す走行方法。
基本的に周囲に他競技対象がいないため、最短最良の走路を走ることが出来るメリットがある反面、他の競技対象から目標にされやすい。

また、空気抵抗を他の馬より受けるというデメリットがある。競馬においては、専門用語で先頭の事を「ハナ」、先頭に立つことを「ハナをきる・ハナに立つ」などという。勝つときは一度も他の競技対象に先頭を譲らないため「逃げて勝つのが一番強い」と言われている。一方で人気薄の競技対象が勝利を挙げるときもこのパターンが多い。

この場合は警戒されにくいためマイペース[1]で競走することが可能だからである。なお、競技対象のひとつが単独で逃げることを単騎逃げといい、一般的にこの状態が逃げ戦法の理想とされる。複数の競技対象が逃げを行った結果、先頭を奪い合う状態のことを「逃げ競り合い」や「ハナの競り合い」などと表現される。この場合、競走のペースが極めて速くなることが多く、その結果競り合いをした競技対象同士が、後半までにスタミナを消耗して大敗することも多い。逃げ戦法には、ゲート出の上手さ[2]、直後のダッシュのスピード[3]、レース前半からある程度のスピードで走り続けるスタミナなどが必要とされる。

逃げ戦法を用いて先頭を譲らず、そのまま先頭でゴールする[4]ことを「逃げ切り」という。ただし、競走中に一度先頭を奪われた競技対象が、再び先頭を奪い返して勝利する場合もあるが、これは逃げ戦法を用いた競技対象であっても逃げ切りとは呼ばず「(逃げ)差し返し」のが一般的である。

反対に、逃げ戦法を用いたがスタミナ配分が上手くいかず、競走終盤に満足なラストスパートができずに敗北することを「逃げ潰れ(つぶれ)」などといわれる。また、逃げた馬とその直後につけた馬がそのまま1・2着でゴールインすることを「行った行った」という。

基本的に、ミドル~スローペースのほうが、後半のラストスパートに備えてスタミナを温存できる為有利といわれ、このような走り方を「溜め逃げ」という。ただし、逃げ馬の中には、やや速めのペースで逃げて、自らを追走する後続馬のスタミナを浪費させてそのまま粘りこむ戦法を得意とする競走馬もおり、アイネスフウジン、ミホノブルボン、ダイワスカーレットなどが当てはまる。

競馬において逃げの戦法を多用する競走馬を逃げ馬(にげうま)という。逃げ馬になる理由には主に『気性的理由』と『能力的理由』とがある。気性的理由で逃げ馬になった馬には、気性が激しかったり臆病であったりなどして他馬に並ばれることや砂を浴びることを嫌がる馬や、レース後半まで騎手の指示に従いペースを抑えて走り続けることの出来ない馬[5]が多い。

前者の代表としてはカブラヤオー[6]が挙げられる。能力的理由で逃げ馬になった馬には、絶対的なスピード不足を補うために他競技対象が抑えて走るレース前半でリードを作っておこうとして逃げている馬が多い。ただし、例外的に、競走能力に極めて勝る競走馬が、他の他競技対象に「レース後半までスタミナを維持できる範囲内では追走することが困難だ」と判断させることで逃げ続け、結果として「逃げ馬」と呼ばれるようになる場合もあるとされている。

大逃げ

2番手以下の馬を大きく引き離す逃げ。
大逃げを行うことを「大逃げを打つ」と言われる。大逃げを行うとレース中に2番手との差が極端に開き、特に長距離競走ではその差が顕著となる。第82回天皇賞では、プリテイキャストが大逃げを行った結果、道中で2番手以下を100m以上引き離して、そのまま勝利した例もある。しかし、多くの場合は相応の実力と、馬場状態や他馬の動向などが有利に働くこと等が必要で[7]、それらに恵まれないと大逃げしてもレース後半にスタミナが保てず、大きく失速して大敗という結果となる。

大逃げを多用した代表的な競走馬にサイレンススズカ・セイウンスカイ・ツインターボ・メジロパーマー・エイシンワシントン・アドマイヤメイン等がいる。日本の競馬では、一昔前にはGIなどの大レースにおいて大逃げをする競走馬がいた。このような大逃げは実力的に大きく劣る競走馬が、「せめてテレビ中継によく映るように」という馬主の要望によって行われることが多く、そのような競走馬はテレビ馬と呼ばれていた。但し、現在は出走頭数制限[8]とレース体系が整備されているためその様な馬は殆ど存在しない。

もっとも、『勝つための戦術』としての大逃げは無くなった訳では無い。競馬の格言で「人気薄の逃げ馬は買い」と言われるように、後続集団で有力馬が互いに牽制し合い、ゴール前の直線でスパートをかけるも逃げた馬を捕らえ切れなかったということで波乱をまねく結果が少なからず発生している。

代表例として、第129回天皇賞のイングランディーレ(単勝配当7100円)や、第34回エリザベス女王杯のクィーンスプマンテ(単勝配当7710円)、それに付いていく形で2着に粘ったテイエムプリキュアなど。他にも、重馬場のときにあえて前半に突き放し終盤に重馬場のため後方待機の馬が届かないことを見越して逃げるときもある[9]。

戦術というよりも馬の個性を生かす大逃げの場合は、大別すると
絶対的な能力(スピードまたはスタミナあるいは両方)の違いによる
一定のラップを刻み後続馬にも脚を使わせた上で粘りきる
抑えの利かない気性のままに先行する
の三通りとなる。

1の例としてはトキノミノル、マルゼンスキー、サイレンススズカなどが挙げられる。サイレンススズカの主戦騎手の武豊は「他馬との絶対的なスピード差の為に大逃げの形になっているだけ」と述べている。このようなタイプは直線でもう一度伸びる二の脚を使い[10]後続を突き放して勝利することもある。また、サニーブライアンやタップダンスシチーのように強引に先頭に立ち押し切るという絶対的なスタミナで逃げ切る馬もいる[11]。

2の代表例はメジロパーマーであり、後続馬に迫られ必死で粘って勝利を収めることが多かった。このタイプはいつも大逃げになるとは限らない[12]。3の代表例がエイシンワシントンであり、2000mの朝日チャレンジカップでもそこそこの好走を見せはしたものの、調教から見せる気性の荒さのために、短距離を中心に使うようになった。前述したプリテイキャストもこのタイプである。ツインターボは2と3の中間であり、一見大逃げに見えるレースでもラップタイムはさほど速くない場合もある。

先行

レース前半は逃げる競技対象の後ろ(好位)につけ、後半にそれをかわそうとする走行方法。最も競走中の不利を受けにくく、それ故に最も実力を反映しやすい戦法と言われ、実力のある競技対象が先行して勝った場合、強い勝ち方という意味で「横綱相撲」と言われる。
競馬において先行を多用する競走馬を先行馬(せんこうば)という。馬群も怖がらない性格と、スタートや直後のダッシュも上手くなくてはならず、融通の利く性格や能力が要求される。

もっとも、この戦法で1頭のみである事は少なく、終始併せ馬の状態になる事が多いために、勝ちきるには自分と並んでいる競技対象を突き放そうとすると同時に、前を行く競技対象を追い越そうとする勝負根性も必要となる。

不利を受けにくい戦法ではあるが集団の前方に位置するため、逃げほどではないものの一般的にはハイペースが不利とされており、逃げる競技対象が速いペースで競走を進めた場合、それを目標として自らもペースを上げざるを得なくなり、終盤までにスタミナが保てずに、逃げ馬に届かずに逃げ切りを許す、或いは後方の差し・追い込み馬に追い抜かれてしまうことも多い。

また、逃げ馬がいないときには押し出されて本来は先行馬である馬が結果として逃げになることも多い。また、こういう流れによってはいつもと同じポジションで走れない馬の中には、一定のラップを刻み後続馬にも脚を使わせた上で粘りきるタイプもいて、こういうタイプが主導権を握ったレースは比較的速いタイムが出ることが多い。日本ではこういうタイプの馬はあまり例がないが、近年ではタップダンスシチーがその代表格とされる。

また、先行馬の多くはキレ味に欠ける馬が多いが、中にはビワハヤヒデやエルコンドルパサーのように、先行馬でありながら勝負所で一気に抜け出して他馬をグイグイ引き離すレースをするものもいる。

代表的な先行馬はシンザンやシンボリルドルフ、ビワハヤヒデ、タイキシャトル、エルコンドルパサー、タップダンスシチーなど。

差し

レース前半は逃げ・先行を採用する競技対象の後ろにつけ、後半にそれらをかわそうとする走行方法。競走前半から中盤まで競技集団のほぼ中段からやや後方付近に位置して競走を行う。瞬発力に自信のある競技対象がこの脚質を選ぶ。

競馬において差しを多用する競走馬を差し馬(さしうま)という。性格的に馬群の中に入っても怖がらない、前の馬が巻き上げた砂などを浴びても嫌がらない気性の持ち主で、前述のとおり瞬発力を武器とする競走馬がとる戦法であるといえる。 また、差し馬と先行馬のどちらとも取れる位置取りをする馬も多い。これは事前の作戦やレースの展開によっても左右される。 先行と同様に、終始併せ馬の状態が多い為に勝負根性が必要である。

なお、前方の馬を追い抜くことを「差す」、追い抜いて勝利することを「差しきる」と言うが、これは差し馬のみに用いられる言葉ではなく、該当する競技内容であれば、追い込み馬や先行馬[13]、場合によっては逃げ馬であっても「差す」、または「差し返す」と表現される。
代表的な差し馬はナリタブライアンやエアグルーヴ、ステイゴールド、スペシャルウィーク、グラスワンダー、シンボリクリスエス、ウオッカなど。

追い込み

レース前半は差しの戦法をとる競技対象のさらに後ろ、競技集団のほぼ最後方につけ、競走中盤まではスタミナをできる限り温存して、最後の直線でのラストスパートで温存したスタミナ(末脚)を最大限に発揮し、前を行く競技対象をまとめて追い抜こうとする走り方。この走法は勝つときには鮮やかな競馬を演出する反面、スローペースなど逃げ・先行の馬の脚色が衰えにくいような展開などで追い込みが届かない場合や、馬群が塞がり突き進めない(壁になるという)など不利を受け敗れることも、しばしばある。

また壁を避けて大外に持ち出すことが多く、比較的馬場の荒れていない良好な走路を取れる反面[14]、コース内側を走る他競技対象に比べて距離的不利も被る。 一般的には、最後の直線が長く直線に坂が存在する競馬場[15]で比較的決まりやすい戦法とされており、直線の短い競馬場でこの戦法を用いるには、後述のまくり戦法等を併用するなどの工夫が必要とされる。追い込み戦法を決める為には、ラストスパートで瞬時に加速できる瞬発力と前を行く競技対象を追い抜く絶対的なスピードが必要である。

競馬において追い込みを多用する競走馬を追い込み馬(おいこみば)という。気性的理由で追い込み馬になった馬には、馬群や砂を浴びるのを嫌う臆病な馬や、先に行きたがらない比較的のんびりとした性格の馬が多い。能力的理由で追い込み馬になった馬には、距離を持たせるためにレース前半を抑えてスタミナを温存しているスタミナ不足のスピード馬が多い。
代表的な追い込み馬はシービークロス、ミスターシービー、ホクトヘリオス、ヒシアマゾン、ブロードアピール、アグネスデジタル、デュランダル、スイープトウショウ、ディープインパクト、ドリームジャーニーなど。

(慢性的)出遅れ追い込み
差しの場合とは違いただ単に瞬発力があるという理由だけでなく、元来ゲートからのスタートが下手だったり[16]、出遅れなくともスタート後のダッシュが苦手なために結果的に追い込みの戦法を取らざるを得なくなる場合もある。ゲート出の下手な馬としてはミスターシービー、サクラチトセオー、ヒシアマゾン、ディープインパクトらがその代表。 また、気性が悪く、しかもスタートが上手くない馬もこの戦法をとることが多い。代表例としてサッカーボーイなど、さらに古くはミリオンパラがいる。

まくり
『まくり』は狭義での脚質ではない。まくりとは主に差し馬や追い込み馬が最後の直線が短いコースでのレースで、早めにスパートをかけ第3、第4コーナーあたりから一気に前方の馬をコースの外側を通って交わしていくことであり、このようなことを一般的にまくるまたはまくりをかける、などとと言う。

この戦法を用いた著名な例としては、第44回菊花賞において、最後方から第3コーナーでまくりをかけて先頭に立ち、そのまま勝利したミスターシービーや、第111回天皇賞において、やはり第3コーナー付近で馬群中段からまくりをかけて先頭に立ち、直線で他馬の猛追を凌いで勝利したライスシャワー等多数例がある。第3コーナー付近からゴールまでの絶対的なスピードの持続力を必要とし、他の出走馬との力量差が無ければ、この戦法は決まらない。ただし、周長の比較的短い地方競馬においては、向正面から外をまくり上げて行く戦法も多く見られる。

京都競馬場では第3コーナー付近に丘状の坂があり、「京都の坂はゆっくり登ってゆっくり下る」という格言がある。この第3コーナーの坂付近で速度を上げてまくると、坂を登る時に必要以上のスタミナを消費し、加速度が付いた状態で坂を下ると、速度が出すぎて上手くコーナーを回れなくなる為、勝利することが難しくなるとされる。近年では、坂の下りを利用して加速する馬が多くなっているが、坂の登りから加速を始めることは現在でも稀である。ただし、前述のミスターシービー・ライスシャワーのまくりの事例は共に、坂の存在から早めのまくりに適さないとされる京都競馬場の第3コーナーで行われており、これらは常識を覆す戦法と言えるが、無論それを乗り切るだけの実力を伴っていてこそであり、凡百の馬で簡単に成功できることではない。

なお、まくりを使う馬にもタイプがあり、以下のように分類できる。
スピードそのものとその持続力が優れているので差し切れないということがないよう早めに仕掛ける。

スピードは優れていないが、恵まれたスタミナにモノを言わせて他馬より早くスパートをかけて先頭に立った上で粘りきる。

1の代表例としては前述のディープインパクトの他、クロフネがいる。たいていは馬なりのままにまくりを仕掛け、他馬を一気に交わして先頭に立つ。他馬との絶対的な能力差があって初めて可能となる。さらに極端な例としてはダートにおけるホクトベガがいる。この馬の場合、ダートにおける他の馬とのスピードの絶対値が明らかに異なっており、場合によっては地方競馬の小回りコースとはいえ2コーナーや向正面で馬なりのままにまくって先頭に立ち、そのまま後続を突き放して楽勝してしまう事もあった。

2の代表例はヒシミラクルが挙げられる。こちらはスピードが末脚勝負だけに徹するには不利なので、早めにスパートをかけ直線で早め先頭に立って粘りきることで、長所である豊富なスタミナを最大限に生かしている。一瞬の切れでは見劣りしても「スピードを持続できる(いい脚を長く使える)」馬に適している。

自在

レース展開や、馬場状態に合わせて戦法を変える馬のこと。日本ではタマモクロス、ホクトベガ、マヤノトップガン、テイエムオペラオー、ハーツクライがこの戦法を用いたとされるが、明確に自在と分けられる場合は少なく、騎手の指示に即座に応えられる素直な性格と、どの位置からでも力を発揮できる根性やスピードの全てを持ち合わせた馬のことを自在脚質と呼ぶ場合がある。

また、逆に気性が荒いためにレース前の馬の状況に応じて脚質を変えるケースもある。他には、本来の脚質が使えなかった[17]場合に直線一気の追い込みで勝つなど新境地を見出すこともある。それ以外にもレース毎に戦法を変えてかく乱させようとした騎手の判断により、結果的に自在と呼ばれるケースもあるが、それが成功して結果を残した場合でないと自在とは呼べない。例外はあるものの、自在脚質と呼ばれる競走馬の多くは「自身の勝ちパターン」や「決め手」を持たない場合が多い。

競馬における脚質と枠順の関係

競馬においては、脚質によって発馬機におけるスタート位置が有利または不利に作用することがある。 一般的には内枠(発馬機内の内寄りの枠)からスタートする場合は先行・差しの脚質の馬は馬群の内側に閉じ込められ、進路が確保できなくなる危険がある[18]。また外枠(発馬機内の外寄りの枠)からスタートする場合、馬群の中に閉じ込められる危険は少ないが、トラック状のコースを走る場合、馬群の外めを走らされることで走行距離の面において不利を被ることがある[19]。逃げおよび追い込み脚質の馬は出走馬中に占める割合が先行・差し脚質の馬より少ないことが多いため、走行距離面の不利が少なくなることが多い。ただし、外枠スタートの逃げ馬は内枠スタートの逃げ馬に先手をとられやすい。
他の公営競技における脚質 [編集]

競輪の選手については、競輪#競輪の主な戦法を参照のこと。 なお上記された競馬との違いを数点挙げ補足する。
「先行」が「逃げ」に含められ、「差し」が「追い込み」に含められる。
「大逃げ」は競輪でも行われる(「単騎のカマシ」と表現される)。
枠順に関する有利不利は、ほとんどない[20]。
競艇はエンジンを動力としているが、プロペラの整備などにより加速の度合いなどが変化することを「脚質」として表現することが多い。

脚注

^ 終盤までスタミナを保てるようなスローペースなど、ペース配分が馬に適していたり、作戦どおりに運ぶことのできたレースについて総括する場合に用いられる。
^ 但し、全ての馬がスタートが得意ということはなく、プリテイキャストの様にスタートが下手な逃げ馬もいる。
^ 競馬用語で「テンの速さ」という
^ 最後の直線で再加速する事を、競馬においては「二の脚を使う」と言う。
^ 戦術面での融通性を優先し、通常は気性や能力に問題が無ければ先行・差しを目指す。例えば、サイレンススズカも当初は先行、もしくは差しの戦法で走らせようと陣営が試みている。
^ 理由はカブラヤオーの項を参照。
^ 実際、プリティキャストやイングランディーレの天皇賞における逃げ切りは、前述の人気薄で警戒されなかったことも要因の一つとなっている。
^ 現在は最大18頭に制限されているが、昔は最大33頭立てでダービーが行われた事もある。
^ 代表例は、第23回ジャパンカップ勝ち馬のタップダンスシチー。
^ ただし、二の脚を使うのは苦戦時だけで、後続との差がある時はさほど使わないか全く使わず逃げ込む事が多い。
^ 例えば、タップダンスシチーが行った、「先頭で13-11-13-11・・・・・と1F毎のラップを刻み、変則ペースで後続馬のスタミナを消費させての逃げ切り」などが挙げられる。
^ 「僅差で追走してもらった方が好都合なタイプ」な為、このタイプにとって大逃げ展開はそれ程喜ばしくない。
^ 競馬用語では「好位差し」とも言われる。
^ 但し、この利点は芝コース競走のみで発生し、ダートコースでは原則的に起こらない。
^ 代表例として、東京競馬場が挙げられる。
^ 「出遅れ気味~完全に出遅れ」など言い方は幅広く有る。
^ 例えば、逃げ脚質の競走馬がゲートで出遅れ殿(しんがり)からの競馬を強いられるようなパターン。
^ 先行と差しとの比較では差しのほうが危険性が高く、第36回東京優駿でのミノル惜敗の理由として、最内枠を引き当ててしまった事を挙げる者もいる。
^ 実際、第49回東京優駿でフライングを犯したロングヒエンが、折角手に入れた内枠5番枠から大外30番枠からのスタートを余儀無くされ、無理逃げした結果15着惨敗を喫している。
^ 序盤の周回中に前の位置を確保したい場合、内枠の選手がやや有利になる程度である。

奇跡の血量

(きせきのけつりょう)は競走馬の交配を行う場合の血統理論のひとつ。

インブリードで、4代前祖先(6.25%の血量)と3代前祖先(12.5%の血量)が共通の馬となる場合「4×3のインブリード」という。そのときの血量は6.25%+12.5%=18.75%となり、これを特に奇跡の血量と呼ぶ。

奇跡の血量概要

近親交配は、その共通する祖先の能力を大きく引き出せるといわれる反面、濃すぎる血量は虚弱体質や気性難など弊害もあるといわれている。そのギリギリのバランスがこの奇跡の血量18.75%と考えられている。しかしこれは経験則によるところが大きく、科学的な根拠には乏しい。

ただ、日本においては血統論や競走馬の配合の概念としては歴史のあるものの一つで、1951年にトキノミノルが、10戦全勝で東京優駿(日本ダービー)を制した際に紹介され、定着したといわれている。

奇跡の血量主な活躍馬

4×3のインブリードをもつ主な活躍馬 [編集]
対象馬 馬名 主な勝鞍 備考
Buckpasser マンオブパーサー ダービーグランプリ(2006年)
Graustark タニノギムレット 東京優駿(2002年)
Hail to Reason タイキブリザード 安田記念(1997年)
Halo アサクサデンエン 安田記念(2005年)
ヴィクトワールピサ 皐月賞(2010年)
有馬記念(2010年)
Lady Angela アドラーブル(父内) 優駿牝馬(1992年)
ノーザンレインボー(父内) 中山大障害(春)(1998年)
ビッグテースト(父内) 中山グランドジャンプ(2003年)
Lyphard レギュラーメンバー ダービーグランプリ(2000年)
川崎記念(2001年)
JBCクラシック(2001年)
Nasrullah マックスビューティ 桜花賞(1987年)
優駿牝馬(1987年)
サクラユタカオー 天皇賞(秋)(1986年)
Nearctic ヒシアマゾン 阪神3歳牝馬ステークス(1993年)
エリザベス女王杯(1994年)
Nijinsky II ブエナビスタ 阪神ジュベナイルフィリーズ(2008年)
桜花賞(2009年)
優駿牝馬(2009年)
Northern Dancer メイセイオペラ マイルチャンピオンシップ南部杯
フェブラリーステークス(1999年)
帝王賞(1999年)
エルコンドルパサー NHKマイルカップ(1998年)
ジャパンカップ(1998年)
サンクルー大賞(1999年) Special(Lisadell) 4×3×4(25%)
エリモエクセル 優駿牝馬(1998年)
ブゼンキャンドル 秋華賞(1999年)
ヤマカツスズラン 阪神3歳牝馬ステークス(1999年)
マイネルコンバット ジャパンダートダービー(2000年)
ヤマニンシュクル 阪神ジュベナイルフィリーズ(2003年)
デルタブルース 菊花賞(2004年)
メルボルンカップ(2006年)
キストゥヘヴン 桜花賞(2006年)
メイショウサムソン 皐月賞(2006年)
東京優駿(2006年)
天皇賞(春)(2007年)
天皇賞(秋)(2007年)
スズカフェニックス(母内) 高松宮記念(2007年)
エイシンプレストン 朝日杯3歳ステークス(1999年)
香港マイル(2001年)
クイーンエリザベス2世カップ(2002年、2003年)
Raise a Native エスプリシーズ 川崎記念(2004年)
Rockefella サンドピアリス エリザベス女王杯(1989年)
ネヴァービート メルシータカオー 中山大障害(2004年)
ノーザンテースト ドリームジャーニー 朝日杯フューチュリティステークス(2006年)
宝塚記念(2009年)
有馬記念(2009年)
オルフェーヴル 皐月賞(2011年)
東京優駿(2011年)
The Tetrarch トキノミノル 皐月賞、東京優駿(日本ダービー)(1951年)、朝日杯3歳ステークス(1950年)
Hyperion トウショウボーイ 皐月賞、有馬記念(1976年)、宝塚記念(1977年)
St. Simon Hyperion エプソムダービー、セントレジャーステークス(1932年)
Fairway セントレジャーステークス(1928年)
Pharos チャンピオンステークス(1922年)
Wild Risk Arazi ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル、グラン・クリテリウム、サラマンドル賞、モルニ賞(1991年)
4×3以外で18.75%の血量のインブリードをもつ主な活躍馬 [編集]
対象馬 馬名 主な勝鞍 備考
Nearco
5×5×4×4 ワカタイショウ 中山大障害(秋)(1990年)
Galopin
6.4.5×4.6 Hyperion エプソムダービー、セントレジャーステークス(1932年)
18.75%を超える血量のインブリードをもつ主な活躍馬 [編集]
これらの馬は奇跡の血量とは呼ばない。
対象馬 馬名 主な勝鞍 備考
Hail to Reason
3×3 スティルインラブ 日本牝馬三冠(2003年)
Literat(Liberty)
3×3 ランド ドイチェスダービー(1993年)
バーデン大賞(1993,1994年)他G1、4勝(JRA-GI含む)
Native Dancer
5×4×3 フリートストリートダンサー ジャパンカップダート(2003年)
Riverman
3×3 オリオンザサンクス ジャパンダートダービー(1999年)
Northern Dancer
3×2 シンコウキング 高松宮杯(1997年)
Northern Dancer
5×2 タムロチェリー 阪神ジュベナイルフィリーズ(2001年)
Northern Dancer
3×3 フサイチコンコルド 東京優駿(1996年)
Northern Dancer
2×4 ラムタラ エプソムダービー、KG6世&QES、凱旋門賞(1995年)
St. Simon
4.5×4.5.7 Nearco パリ大賞典、ダービーイタリアーノ(1938年)
St. Simon
4.6.7×3 Bois Roussel エプソムダービー(1938年)

奇跡の血量関連項目

競走馬の血統
インブリード
フィッツラック