競馬用語&競走馬 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

勝負服

競馬における勝負服(しょうぶふく)とはレースに出走する馬に騎乗する騎手が着用する服のことである。

日本の競馬における勝負服

中央競馬の勝負服

中央競馬(JRA)では馬主ごとに服色が定められている。服色の登録は馬主が行い、勝負服そのものは、競走馬を預託している調教師が所有と管理を行う。一部の騎手の中には騎乗回数が多い馬主の勝負服を所有・管理しているケースもある。

勝負服の登録

勝負服の登録は馬主登録と同時に行うか、所有馬が初めて出走する直前にJRAに登録する。使用できる色と柄は競馬施行規則に定められており、柄についてはその寸法について明記されている。

勝負服 に使用できる色

白・黒・赤・青・黄・緑・桃・水色・紫・薄紫・鼠・海老・茶の13色で、胴と袖それぞれ地色と模様に1色ずつ、合計4色まで使用できる。

勝負服 に使用できる胴の柄

「無し(1色のみの使用)・一本輪・二本輪・三本輪・一文字・帯・山形一本輪・山形二本輪・山形三本輪・山形一文字・山形帯・菱山形・襷・十字襷・縦縞・格子・元禄・ダイヤモンド・うろこ・井桁絣・玉霰・星散・蛇目散・銭形散」の中から1種類を使用できる。
※帯と山形帯については最近ではほとんど使用されていない。

勝負服 に使用できる袖の柄

袖の部分は胴とは別の色を使用でき、柄も別に定められている。左右で同じ柄を使用する。
「無し(1色のみの使用)・一本輪・二本輪・三本輪・山形一本輪・山形二本輪・山形三本輪・菱山形・縦縞・格子・元禄・ダイヤモンド・うろこ・井桁絣・玉霰・星散・蛇目散・銭形散」の中から1種類を選択する。

勝負服の特殊な柄

鋸歯形(胸から肩にかけて使われる柄であり、胴の柄はこれ以上使えず、袖の柄は「一本輪・二本輪・三本輪」しか使用できない)

勝負服の変更

服色変更の申請があれば何度でも変更が可能である。過去には変更した翌週に元に戻した事例(前田幸治やノースヒルズマネジメント)もある。

勝負服の抹消

馬主登録が抹消されると勝負服の登録についても抹消される。抹消された勝負服は抹消日から60日間は使用できないが、抹消馬主の相続人であれば同じ勝負服を使用することができる。

特殊な勝負服

勝負服が未登録のまま馬が出走した場合

JRAより勝負服が貸し出される(1競走1頭につき使用料500円を徴収)。貸し出される勝負服は、胴の色と袖の色が白で、枠番の色(1枠は水色)の斜縞が入る。同枠の2頭がともに未登録の場合は馬番の大きい方は白ではなく1・2枠が薄紫、3〜8枠が黒となる。

勝負服を用意できなかった場合

JRAより勝負服が貸し出される(1競走1頭につき使用料500円を徴収)。貸し出される勝負服は、胴の色と袖の色が白で、枠番の色(1枠は水色)の斜縞が入る。同枠の2頭がともに未登録の場合は馬番の大きい方は白ではなく薄紫となる。
競走馬の調教師に対して過怠金(1万円)が課せられる。競馬開催中に発覚した場合は、文字放送において告知を行う。

中央競馬馬主登録を受けていない馬主の競走馬が出走した場合

JRAより勝負服が貸し出される(1競走1頭につき使用料500円を徴収)。貸し出される勝負服は、胴の色が白で枠番の色(1枠は水色)の四ツ割が入り、袖の色が白で枠番の色(1枠は水色)の一本輪が入る。同枠の2頭がともに未登録の場合は馬番の大きい方は白ではなく薄紫となる。

枠番の色が導入される以前の貸し出し用勝負服は、当時の写真を見ると、胴と袖の色が別々(色は不明)で、胴の右胸の部分に馬番が縫い付けられたものを使用していたようである。

国際競走(ジャパンカップなど)に海外馬が出走した場合

日本では登録が認められていない装飾の勝負服を着用して出走することができるが、帽子は枠の色の物を着用する。

勝負服の染め分け帽

同じ枠に同馬主の馬が入った場合は、帽子の色も勝負服も同じことになる。それでは見分けが付かない場合もあるため、大きい数字側の馬に騎乗する騎手が染め分け帽と呼ばれる色が2色に分かれた帽子を着用することになっている[1]。

また17頭か18頭立てで行われるレースは7枠および8枠に3頭ずつ入るようになっているが、もし3頭全て同じ馬主の馬が入った場合は、最も大きい番号の馬の騎手が交互8つに色が分かれた帽子を着用することになっている。また、2番目に大きい番号の騎手は前述した4つ分けの染め分け帽を着用する。ただ8つ分け染め分け帽は滅多に見られない(1991年以前は1枠から6枠までも4つ分けの染め分け帽が用意されていたが、1991年秋以降は最大出走頭数が18頭となった関係で事実上廃止された)。

非常に多数の競走馬を所有する馬主[2]に染め分け帽は多く見られる。

勝負服の製作

制作メーカーは福島県福島市にある合資会社河野テーラー[3]などがある。

レプリカ勝負服
中央競馬ピーアール・センター(1993年以降のG1レース)やホース・ライフ社の通販サイトで勝負服のレプリカを販売している。また、勝負服柄をモチーフとしたTシャツやブルゾンなどのグッズもある。

地方競馬の勝負服

地方競馬(NAR)ではホッカイドウ競馬の一部のケースを除き、騎手ごとに勝負服が定められている。これは騎手服と呼ばれるシステムで、所属競馬場やあるいは同じ地区の競馬場の他の騎手と同じものにならないように、騎手が色や柄を登録することになる。
デザインが騎手ごとのものであるため、基本的には騎手本人が色柄を選択する。他地区の有力騎手や中央競馬や海外の有力馬にあやかってその勝負服と同じデザインを登録している騎手や、一門で共通の柄を用いていたり、師匠である調教師が騎手時代に用いていた勝負服のデザインを弟子である騎手が受け継ぐなどということも見られる。

その他、中央競馬と地方競馬の勝負服で異なる点として、中央競馬では使えない色や柄が地方競馬では使えることもある。例えば、橙色は中央競馬で勝負服の色には使用できない(一部を除く)が、地方競馬では使用できる。

中央競馬の騎手が地方競馬場に指定交流戦のために遠征し、その遠征馬の他に一般戦などで地元所属の馬に騎乗する場合については、基本的には枠順に合わせた色の勝負服がJRA所属騎手用とし用意される。ただし、兵庫県競馬(園田、姫路)では、元兵庫所属のJRA騎手である岩田康誠が地元所属馬に騎乗する場合、馬券を購入する地元の競馬ファンの混乱防止の観点から、地方競馬時代に使用していた服色の勝負服を着用している[4]。

また、岩田康誠以外の元地方所属だったJRA騎手が騎乗する場合、地方所属時代の勝負服をイメージできる色の貸し服を着用する(小牧太:緑・内田博幸:青など)。武豊はこれらに該当しないが、ゴールデンジョッキーカップに招待されることが多いということもあり、ピンク色の勝負服を着用する。

同様に南関東地方競馬でも、2008年3月より騎手の取り扱いについて変更を行い、中央競馬に移籍した元南関東地区所属の騎手について、中央所属馬に騎乗する時以外は地方競馬当時の服色での騎乗が可能となった。これは大井競馬場のトップジョッキーであった内田博幸が中央競馬に移籍したことに伴って行われた変更である。また川崎競馬場では、2011年から「一定の基準」を満たしたJRA所属騎手については、各自がデザインした勝負服の着用を認めることとした[5]。

逆に指定交流戦などで中央競馬の所属馬に地方競馬所属の騎手が騎乗する場合は、JRA騎手同様、馬主が中央競馬で使用している勝負服を着用する。

地方競馬に短期免許で外国人騎手や外国に活動の本拠地を持つ日本人騎手が騎乗する場合についても、基本的には専用の服飾が用意される。また、かつて大井競馬場がアメリカのサンタアニタ競馬場との交流の一環として騎手招待レースを実施していたころには、星条旗などをモチーフとした本来ならば日本の規定にない特殊なデザインの勝負服を用意し、その服をその当日の招待騎手専用のものとして使用していた。

なお、日本競馬の通算最多勝記録の保持者である佐々木竹見元騎手の使用していた『赤・黄山形一文字』の服色は、佐々木の功績を記念して永久保存に指定されており、新たに服色として使用することができない(ただし、現在使用している騎手はそのまま使用できる)。

愛知県競馬(名古屋、公営中京)や兵庫県競馬(園田、姫路)では、かつては騎手勝負服ではなく、競輪やオートレースなどのような枠順ごとの勝負服が用いられていた。

ホッカイドウ競馬の勝負服

ホッカイドウ競馬では2006年度から以下の場合に限り馬主ごとの勝負服着用を認めている。
JRA認定競走(フレッシュチャレンジ競走、ルーキーチャレンジ競走、アタックチャレンジ競走)
2歳勝馬戦(オープン競走)
交流重賞競走及び重賞競走

交流競走の勝負服

地方競馬に所属する騎手が中央競馬で騎乗する場合、地方競馬で自分が着用している勝負服を中央競馬のレースで着用することはできない。その場合、地方馬の馬主が中央競馬の馬主登録をしていれば登録した勝負服を着用し、登録がなければ規定によって定められたデザインの勝負服が貸し出される。逆に中央競馬の馬が地方競馬のレースに出走する際には、中央競馬で登録している馬主の勝負服が用いられるのが一般的である。

日本以外の国の競馬における勝負服

日本の中央競馬と同じく、馬主ごとに勝負服が定められている。デザインについては日本より自由度が高く、日本で認められていない色や柄、装飾などが用いることができる。また、文字の挿入を認めている国もある。

ベージュ・ダークブルー・ダークグリーン・エメラルドグリーン・ライトグリーン・ガーネット・オレンジ・白・黒・赤・青・黄・緑・桃・水色・紫・薄紫・鼠・海老・茶 ほか

無地・エポレッツ(肩章)・ストライプ(縦一本)・ブレセス(縦二本)・ストライプス(縦縞)・ホローボックス(枠)・ホープ(一本輪)・ホープス(三本輪)・シェブロン(V字一本)・シェブロンズ(逆V字三本)・シームス(縫目)・サッシュ(襷)・クロスベルツ(十字襷)・クロスオブロレーヌ(ロレーヌ十字)・チェック(元禄)・ディアブロ(鼓輪)・ディスク(円盤)・サークル(輪)・クォータード(四ツ割)・ハァヴ(胴左半分・右袖)・スター(星)・スターズ(星散)・ダイヤモンド(ダイヤモンド一つ)・ダイヤモンズ(ダイヤモンド散)・トリプルダイヤモンド(菱山形)・スポッツ(玉霰)・ラージスポッツ(玉襷)・トライアングル(逆三角形)ほか

上記の柄の他に馬主独自の意匠が認められる場合もある(主にアメリカ競馬)。
アラン・ポールソン(シアトリカルなど)〜赤と青で図案化された「AP」が前面及び背面に大きく描かれている。
チャールズ・ハワード(シービスケット)〜逆三角形の白枠内に、白の「H」が描かれている。
ストロナース・ステーブル(ゴーストザッパーなど)〜橙色のディスクの中に、白い「A」と赤い「矢」が描かれている。
日本では基本的に枠の色が使われる帽子も、日本以外では勝負服の一部としてさまざまな色や柄が用いられる。たとえば有限会社社台レースホース(勝負服の登録は「黄、黒縦縞、袖青一本輪」)は日本以外で出走する際には「黄、黒縦縞」の帽子を使用する。

勝負服 脚注

^ 例:2枠であれば黒と白交互4つに分かれた帽子を着用。1枠であれば白と水色に色が分かれた帽子を着用。
^ 近年は有限会社サンデーレーシング・有限会社社台レースホース(ともに社台グループ)、株式会社サラブレッドクラブ・ラフィアンなど。
^ 佐藤夏樹 (2011年8月6日). “シェア全国トップ級 勝負服の老舗が苦境 福島競馬中止で” (日本語). 河北新報. 2011年8月10日閲覧。
^ ただし、JRAに移籍した直後に行なわれた第43回六甲盃では青色ベースの貸し服を着用しており(マイネルサイプレス:2着)、その後に現在のようになった。
^ “JRA福永祐一騎手が川崎競馬オリジナル勝負服で佐々木竹見カップに出場!” (日本語). 川崎競馬ニュース. 神奈川県川崎競馬組合 (2011年1月18日). 2011年1月22日閲覧。

出馬投票

出馬投票(しゅつばとうひょう)とは、競走馬が競馬の競走に出走するために必要な登録申請の事である。出馬投票を行うのは競走馬を所有する馬主である。それぞれの競走は競馬番組として施行条件が発表されており、その競馬番組に示された条件に該当しない競走馬の出馬投票は認められない。

この項目は出馬投票であるが、競走に出走が決まるまでの諸事項についても取り上げる。
日本の競馬は中央競馬と地方競馬に分かれており、それぞれは異なるため、場合分けをして説明する。

中央競馬における出馬投票

競走が行われる週の木曜日(年始などの変則開催時は例外あり)に出馬投票が受け付けられる。出馬投票は競走毎に行われる。
特別競走及び地方競馬で実施される指定交流競走においては、競走が行われる週の前の週の日曜日(例外あり)に特別登録の受付が行われ、この特別登録がない馬は、その競走への出馬投票はできない。

またグレードワン競走及び地方競馬のダートグレード競走の特別登録は、さらに1週前に行われる。(2008年までの2歳馬限定のグレードワン競走は除く)

地方競馬における出馬投票

競馬番組は開催の直前にならないと確定しない。というのも、競走馬の出走状況を把握した上で競走を編成するためである。従って、事前調査を兼ねて開催の前に、その開催に出走する旨があるかどうかを事前に登録を行う。

出走する意思(その後、出走しなくても当然構わない)がある場合にはこの段階で登録しなければならない。登録がない場合には、その開催に出走することはできない。主催者はこの事前の登録をもとに競走を編成し、競走の施行条件を定め、競馬番組を発表する。
この段階で事前に登録された競走馬は出走する競走を指定される。

この指定された競走以外への出走投票は認められない。この際、その後の出走取りやめなども想定し、出走可能頭数を上回る数の馬を一つの競走に割り当てる。その後、指定された競走に出走させる場合には、競走の前日(前々日に行われることもある)に行われる出馬投票を行う。

また、重賞競走などでは、中央競馬同様に特別登録が行われる。

出馬投票が出走可能頭数を超過した場合

出馬投票によって、出走希望頭数が出走可能頭数を超過する場合には、選定基準の下位の馬より除外される。日本の中央競馬の場合、出走可能頭数は最大で18頭までであるが、コース形態や移動柵の設置場所によって変動する。頭数制限が敷かれた1991年以前は20~30頭も出走するレースもあった。

選定基準は獲得賞金順や過去の競走実績、レースの間隔などを加味して決められる。競走によって選定基準は異なる。選定基準が同一の場合には抽選が行われ、抽選で当選した馬が出走できる。当選しなかった馬は競走から除外される。なお、中央競馬においては除外された競走馬には優先出走権が付与される場合がある。

中央競馬において、選定基準が下位のために除外された競走馬を非抽選馬、抽選で除外された競走馬は非当選馬と呼ぶ。除外された競走馬は同じ週の他の一般競走に改めて出馬投票することができる。

出馬投票の出走希望頭数が開催基準頭数に満たない場合

出走希望頭数が開催基準頭数(3歳の未勝利戦は5頭、それ以外は4頭)に満たない場合は原則として競走を取りやめる。
ただし、重賞競走(GIIIおよびJ・GIIIを除く)、トライアル競走、国際指定競走において外国馬の出走申込並びに指定交流競走で地方競馬所属馬の出走申込があった場合は競走を実施する。

出馬投票の中央競馬における競走の分割

出走希望頭数が開催基準頭数に満たすことが出来ずに競走が取りやめとなった場合、その分を補充するという意味合いで、一般競走の中で出走希望頭数の多かった1競走を選んで競走の分割を行う場合がある。

1997年度までは、競馬番組の発表の段階において、GI競走開催日(2歳戦は除く)とあらかじめ12競走が開催される日を除く全ての開催日は11競走を編成していた。しかし、出走希望頭数が最も多くなった条件の競走を2つに分割(分割ABの2競走。競走の取りやめがあった場合には2競走を分割してそれぞれAB・CDとして施行)して開催するケースが多く、結果的にほとんどの開催日は12競走行われてきた。

そこで、1998年度から一部の例外日(東京優駿・ジャパンカップ・有馬記念施行日)を除く開催日はあらかじめ競馬番組を発表する段階において12競走を編成するようになった。従って、出走希望頭数が開催基準頭数に満たず競走が取りやめとなった場合に限り、競走が分割されるようになった。

12競走を超えて編成することは競馬法施行規則により、行うことができない。
地方競馬においてはあらかじめ、競馬番組を発表する際に、全出走予定馬を各競走に分けて編成する形で発表しているので、出走希望頭数が開催基準頭数に満たない場合には競走が取りやめになるだけであり、中央競馬のように他の競走が分割されることはない。

出馬投票後

出馬投票で除外されなかった場合には、その競走馬は競走に出走することができる。また、出走が決まった馬は出馬表(後述)によって速やかに発表される。

出走が決まると次はゲートの順番(これを以後、枠順と呼ぶ)を決める。枠順の抽選を行う日は競走により異なるが、中央競馬は主にその競走の勝馬投票券が販売開始される日の前日、地方競馬は出馬投票が終了次第速やかに枠順の抽選が行われ、枠順が確定する。
一部のグレードワン競走では、現在でも抽選機による公開(といってもマスコミなどへの公開であり、ファンが参加できるものではない)の枠順抽選が行われている。八大競走やジャパンカップ・ジャパンカップダートではコンピューターによる抽選、それ以外は新井式回転抽選器による抽選が行われている[1]。

出走取消

日本の競馬では出馬投票後の出走取消は疾病などによるやむを得ない場合に限られている。 外国の競馬では当日の馬場状況によって出馬投票後に出走を取り消すことは多々ある。

出馬投票(出走馬確定)後、枠順が確定する前に出走を取り消す場合には、枠順抽選からはずされ、その後の出馬表には掲載されず「枠順確定前出走取り消し」として扱われる。枠順確定後の取り消し、並びに競走除外(装鞍所到着後、パドック周回時を含め競走の発走前の負傷による出走辞退)の場合はそのまま出馬表に掲載される。

また勝馬投票券の扱いについては、当該の競走の馬券発売後の取り消し(除外)があった場合に、取り消し(除外)当該馬に関連する全ての投票券がレース確定後払い戻される。

出馬表

出馬投票が終了し、出走馬が確定した時点で発表される出走馬を知らせるための表のこと。日本では「枠番連勝」の勝馬投票券が発売されていることもあり、枠番および馬番の扱いが他国とは大きく異なっている。

中央競馬において、出馬表に書かれる競走馬の順番は枠順が決定してない段階と、決定後の段階で異なる。
「枠順が決定してない段階」では馬名のアイウエオ順に並べられる。この際に馬番号は附されない。

「枠順決定後」はゲートの順番である馬番号順に並べられる。「枠順確定前出走取り消し」となった馬については「枠順決定後」の出馬表には記載されない。

日本国外の競馬では出馬投票終了の時点で馬番号がつけられ、この順番に出馬表に並べられる。海外での馬番号は負担重量の重い順に並べられ、同じ負担斤量の馬は現地表記のアルファベット順に並べられる。負担斤量の重い馬は通常、他の馬よりも実績があるため、その実績に敬意をもって馬番号の若い方に並べられている。

その後、ゲートの順番が決定されるが、この順番は日本ではゲート順、または枠番号などと表記される。従って日本と異なり馬番号とゲート順(枠番号)は全く関係性がない。

日本中央競馬会のホームページでの外国の競馬の出馬表の掲載は馬番号順に並べられているが、日本のマスコミなどが掲載するものは日本にあわせてゲート順に並び替えられたものが掲載されていることがある。

開催中止時の出馬投票について

台風や積雪などの気象条件の悪化や、大地震などの天災、さらには機器故障や開催関係者による労働争議(例として厩務員ストライキなど)などの不測の事態が原因で、正常かつ公正な競馬の開催が困難となり、その日の競馬施行を中止し後日代替開催(途中打ち切りによる続行開催の場合も含む)となった場合は、原則として中止になった当日の枠順は全て取り消され、改めて出馬投票をやり直すことになっている。

ただし、最近は出馬投票のやり直しをしないで、中止時の枠順をそのまま有効にして代替(続行)開催を行うケースがある。これは、枠順の変更に伴う有利不利などでファンに馬券推理・検討の上で混乱をきたすことがないようにするため、また競馬新聞の作り直しや、販売済みの新聞の交換などが発生しないよう、競馬新聞関係者の負担を減らすための目的もある。

再出馬投票なしでの代替(続行)開催が適用される条件として、
前日発売を含め、勝馬投票券の発売前であること
出走予定馬に対する、輸送などの影響が少ないこと
が、挙げられる。

出馬投票注釈・出典

^ 『優駿』2011年3月号、p.166。

主戦騎手

主戦騎手(しゅせんきしゅ)とは、競馬における1頭の競走馬の専属騎手を指す用語である。

主戦と簡略することもある。主戦騎手といっても、海外遠征やGI競走などで他の競走馬の主戦騎手として騎乗することもあり、騎手が必ずその競走馬に騎乗するわけではない。主戦騎手からみてその馬を「お手馬」という。

あるいは、ある厩舎で主に騎乗する騎手を、(その厩舎の)主戦騎手と呼ぶ場合もある。以前は、厩舎所属の騎手が、その厩舎の有力馬に騎乗するケースがほとんどだったことから、(平場オープンなどで見習騎手が乗ることに対して)常に騎乗する騎手を主戦騎手と言っていた。

特殊な例としては、馬主が、馬の所属厩舎に関係なく、特定の騎手に騎乗依頼を行うことがあった。「ヒシ」の冠名が付いた馬の主戦騎手であった小野定夫(特定の厩舎に所属していない、所謂フリー騎手でのさきがけでもあった)や、「サクラ」の冠名の馬の小島太などが挙げられる。

主戦騎手の具体的な例

トップジョッキーになると自分が主戦騎手を務める競走馬が同じ競走で出走することもある。当然、この場合はどちらかを選択する必要があるが、過去にあった例として、1998年の毎日王冠(GII)で的場均が主戦騎手を務めるグラスワンダーとエルコンドルパサーが出走した。的場は悩みに悩みぬいた末、グラスワンダーに騎乗することを選択した。結果はグラスワンダーが5着、エルコンドルパサーは蛯名正義に乗り替わって2着だった。

しかしその後、グラスワンダーはその年の有馬記念、さらに翌年は宝塚記念、有馬記念に勝利しグランプリ3連覇を達成。エルコンドルパサーは毎日王冠以降は蛯名が主戦騎手を務めることになり、日本の3歳馬としては初のジャパンカップ制覇や海外に拠点を移して凱旋門賞で2着に健闘するなど大活躍した。ただ、グラスワンダーの現役最後の引退レースは蛯名が騎乗している。

現在では武豊が主戦騎手を務める競走馬が、複数GI競走に出走することがよくある。1998年の宝塚記念でのエアグルーヴとサイレンススズカの選択や、1997年の有馬記念でのマーベラスサンデーとエアグルーヴとの選択、2006年の皐月賞でのアドマイヤムーンとフサイチジャンクの選択などがある(いずれの競走も前競走馬に騎乗した)。GI競走には比較的レベルの高い競走馬が出走してくるため、以前に武豊が手綱を取ったことがある競走馬が多い。

日本の主な厩舎とその主戦騎手

久保田貴士:蛯名正義、田辺裕信
国枝栄:後藤浩輝
昆貢:四位洋文、柴原央明、松田大作、藤田伸二
佐々木晶三:佐藤哲三
鮫島一歩:安藤勝己
白井寿昭:岩田康誠
角居勝彦:クリストフ・ルメール、岩田康誠、四位洋文
友道康夫:岩田康誠、福永祐一
橋口弘次郎:上村洋行、小牧太、武豊(以前は大崎昭一)
藤沢和雄:北村宏司、横山典弘(以前は岡部幸雄)
藤原英昭:岩田康誠、福永祐一、藤田伸二
松田博資:安藤勝己
音無秀孝:北村友一、川田将雅

有名馬と主戦騎手の例

主戦騎手日本

クリフジ:前田長吉
タマツバキ:土門健司
トキノミノル:岩下密政
ダイナナホウシユウ:上田三千夫
ハクチカラ、ハクシヨウ:保田隆芳
ヒカルメイジ:蛯名武五郎
コダマ、シンザン:栗田勝
ヒカルポーラ、リキエイカン:高橋成忠
キタノダイオー、ニッポーテイオー、レジェンドテイオー:郷原洋行
キーストン:山本正司
カネケヤキ、スピードシンボリ:野平祐二
ダイシンボルガード:大崎昭一
タニノムーティエ:安田伊佐夫
ヒカルイマイ:田島良保
タニノチカラ:田島日出雄
ハイセイコー、ダイナガリバー:増沢末夫
イシノヒカル、クライムカイザー:加賀武見
ナスノチグサ、タカツバキ、タケフブキ、タケホープ:嶋田功
ナオキ:佐々木昭次
ロングエース、キタノカチドキ:武邦彦
テスコガビー、カブラヤオー:菅原泰夫
エリモジョージ、インターグロリア:福永洋一
リニアクイン、ミヤマポピー:松田幸春
ホクトボーイ、ヒメカップ、マーチス:久保敏文
テンポイント:鹿戸明
トウショウボーイ:池上昌弘(初代)、福永洋一(2代)、武邦彦(3代)
マルゼンスキー:中野渡清一
サクラショウリ、サクラチヨノオー:小島太
シービークロス、ミスターシービー、モンテプリンス:吉永正人
シンボリルドルフ、ビワハヤヒデ、タイキシャトル:岡部幸雄
ミホシンザン、ウイニングチケット:柴田政人
メジロラモーヌ、アグネスタキオン:河内洋
サッカーボーイ:内山正博(初代)、河内洋(2代)
タマモクロス、ナリタブライアン:南井克巳
アイネスフウジン:中野栄治
ポットテスコレディ、ナイスネイチャ:松永昌博
キングスポイント、ミホノブルボン、チョウカイキャロル、タヤスツヨシ:小島貞博
ライスシャワー、グラスワンダー:的場均
マックスビューティ、マヤノトップガン、フラワーパーク:田原成貴
タレンティドガール、スズパレード:蛯沢誠治
サニーブライアン:大西直宏
テイエムオペラオー:和田竜二
スティルインラブ、ブルーコンコルド:幸英明
ナリタトップロード:渡辺薫彦
ラインクラフト、シーザリオ、エイシンプレストン:福永祐一
スーパークリーク、ディープインパクト、スペシャルウィーク:武豊
ゴールドシチー、テイエムオーシャン、カワカミプリンセス:本田優
メイショウサムソン:石橋守
ヒシアマゾン:中館英二
メジロドーベル:吉田豊
セイウンスカイ:横山典弘
ダイワメジャー、ダイワスカーレット:安藤勝己
ヒシミラクル:角田晃一
ウオッカ:四位洋文(初代)、武豊(2代)

主戦騎手日本国外

日本国外は日本国内とは違い、馬主や調教師と専属契約を結び、主戦騎手として騎乗するパターンが一般的である。
ゴドルフィン:ランフランコ・デットーリ、ケリン・マカヴォイ
アーガー・ハーン4世:クリストフ・ルメール(後)、クリストフ・スミヨン(元)
エイダン・オブライエン厩舎:キーレン・ファロン、ジョニー・ムルタ
ジョン・オックス厩舎:マイケル・キネーン
カラジ:ブレット・スコット

重賞

重賞(じゅうしょう)とは競馬の競走の中の目玉となる大きな競走である。

重賞解説

重賞の開催は事前から告知を行い有力馬を集め、多くの観客を集めるための看板となる競走である。

重賞の語源は英語のパターンレース(pattern race)から来ている。パターンレースとは「毎年一定の時期に一定の条件で繰り返し行われる競走」のことで、18世紀のイギリスで始まった。それ以前は競馬の競走は開催直前まで条件が確定されないことが常であったが、パターンレースが広まることによって有力馬が目標を持って調整を行うことが可能となった。

「重賞」という語は、このパターンレースの「回を重ねて賞を行う」点を採って意訳したものとされる。もちろん「重要な賞」であることに疑いはないが、patternという語に「重要な」という意味はない。

ただし、現在ではパターンレースの訳語が重賞であると単純に定義づけることはできない。例えばグレード制(またはグループ制)のもとではパターンレースはG1(グレード1もしくはグループ1、以下同じ)、G2、G3およびL(LR、リステッドレース、Listed race)に格付けされるがこのうちリステッドレースは日本では主に「準重賞」と訳され重賞には含めない。

日本でも重賞以外の一般競走・特別競走の番組が一部を除いて中央競馬では年3回、地方競馬では当該開催の直前に所属馬の動向を鑑みて発表されるのに対し重賞は年度ごとの発表であり、なおかつ頻繁な条件の変更は行われないことから「重賞はパターンレースの一種」であるということは間違いない。

重賞に対応する言葉としてグレード競走(グループ競走)という表現が用いられることも多いが、日本にはグレードなどの格付けのない重賞も地方競馬を中心に多数存在する[1]。準重賞は地方競馬では現在も用いられている。

中央競馬では、降雪等により出馬投票後に芝コースからダートコースに馬場変更となった場合には重賞競走のままであるが格付けは設定されない。最近ではエルコンドルパサーが勝利した1998年の共同通信杯4歳ステークスがこれにあたり、降雪で本来の芝1800mからダート1600mに変更となったため格付け(JRAGIII)が外された。この取り扱いは1984年2月4日から実施されているものであり[2]、それ以前に芝コースからダートコースに変更された4競走[3]については当初の格付けのまま施行されている。

日本競馬関連の重賞に関する記録

便宜上、以下、中央競馬施行の重賞は「中央」、地方競馬施行の統一重賞は「統一」、地方競馬施行の統一重賞でない重賞は「地方」、ここまでの総称は「日本」、外国競馬施行の重賞は「外国」ないし具体的な国名で表す。

通算重賞勝利数

17勝 ブライアンズロマン 統一1勝 地方16勝
16勝 オグリキャップ 中央12勝 地方4勝
15勝 トウケイニセイ 地方15勝
15勝 スマートファルコン 統一15勝
14勝 アブクマポーロ 中央1勝 統一9勝 地方4勝
14勝 メイセイオペラ 中央1勝 統一3勝 地方10勝
14勝 スズノキャスター 地方14勝
13勝 ホクトベガ 中央4勝 統一9勝
13勝 ケイエスヨシゼン 地方13勝
13勝 ロードバクシン 地方13勝
13勝 ヴァーミリアン 中央3勝 統一10勝
13勝 マルヨフェニックス 地方13勝
13勝 ヒシウォーシイ 地方13勝
12勝 スピードシンボリ 中央12勝
12勝 テイエムオペラオー 中央12勝
12勝 ナイキアディライト 統一2勝 地方10勝
12勝 マリンレオ 地方12勝
12勝 ローゼンホーマ 地方12勝
12勝 ワシュウジョージ 地方12勝

外国調教馬日本重賞勝利数
3勝 カラジ 障害重賞
2勝 ハートレイク

日本調教馬外国重賞勝利数
3勝 エイシンプレストン 香港3勝
2勝 エルコンドルパサー フランス2勝
2勝 アグネスワールド フランス、イギリス各1勝
2勝 ステイゴールド ドバイ、香港各1勝

年間重賞勝利数
8勝 オグリキャップ 1988年 中央7勝 地方1勝
8勝 ホクトベガ 1996年 統一8勝
8勝 アブクマポーロ 1998年 統一6勝 地方2勝
8勝 テイエムオペラオー 2000年 中央8勝
8勝 エレーヌ 2010年 地方8勝
7勝 ブライアンズロマン 1998年 統一1勝 地方6勝
7勝 マリンレオ 2002年 地方7勝
7勝 ヒシウォーシイ 2010年 地方7勝

重賞連続勝利数
10連勝 オグリキャップ 中央6勝 地方4勝 重賞以外での勝利を挟む
9連勝 マリンレオ 地方9勝 重賞以外での勝利を挟む
9連勝 ヒシウォーシイ 地方9勝 重賞以外での勝利を挟む
8連勝 タイキシャトル 外国1勝 中央7勝
8連勝 テイエムオペラオー 中央8勝
7連勝 ホクトベガ 中央1勝 統一6勝

同一重賞勝利数
6勝 シバフイルドー クイーンカップ(地方) 6連覇
4勝 ブライアンズロマン とちぎ大賞典(地方) 4連覇
4勝 オースミダイナー 瑞穂賞(地方) 4連覇
4勝 キングスゾーン マイル争覇(地方) 4連覇
4勝 コウエイトライ 阪神ジャンプステークス 3連覇
3勝 セカイオー 鳴尾記念 3連覇
3勝 シゲルホームラン セイユウ記念 3連覇
3勝 アドマイヤドン JBCクラシック 3連覇
3勝 タップダンスシチー 金鯱賞 3連覇
3勝 カラジ 中山グランドジャンプ 3連覇
3勝 エリモハリアー 函館記念 3連覇
3勝 ブルーコンコルド マイルチャンピオンシップ南部杯 3連覇
3勝 マツリダゴッホ オールカマー 3連覇
3勝 ヴァーミリアン JBCクラシック 3連覇
3勝 ラヴェリータ スパーキングレディーカップ 3連覇
年間複数施行重賞限定記録
5勝 バローネターフ 中山大障害 秋施行分3連覇含む
4勝 フジノオー 中山大障害 4連覇
4勝 グランドマーチス 中山大障害 4連覇

同一重賞連対数
6連対 シバフイルドー クイーンカップ(地方) 6連続
6連対 ブライアンズロマン とちぎ大賞典(地方) 6連続
5連対 メルシーエイタイム 中山大障害 5連続
5連対 クーリンガー 佐賀記念
年間複数施行重賞限定記録
7連対 バローネターフ 中山大障害 6連続
5連対 フジノオー 中山大障害 5連続
5連対 グランドマーチス 中山大障害 5連続

最短距離勝利重賞と最長距離勝利重賞の距離の幅
2400m ドクタースパート 1200m(北海道3歳優駿)~3600m(ステイヤーズステークス)
2100m タカハタ 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(日本経済賞)
2100m タカオー 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(天皇賞(春))
2100m メイヂヒカリ 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(天皇賞(春))
2100m キタノオー 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(天皇賞(春))
2000m タケシバオー 1200m(英国フェア施行記念)~3200m(天皇賞(春)) 古馬戦のみでの最高記録
中央限定記録
2200m ドクタースパート 1400m(京成杯3歳ステークス)~3600m(ステイヤーズステークス)
障害重賞も含めた参考記録
2900m ゴッドスピード 1200m(小倉3歳ステークス)~4100m(中山大障害)

連続出走連続勝利重賞間の距離の幅
1600m タイテエム 1600m(マイラーズカップ)~3200m(天皇賞(春))
1600m フソウ 1600m(安田賞)~3200m(日本経済賞)
1600m クリチカラ 1600m(安田賞)~3200m(日本経済賞)
1400m アサホコ 1800m(スワンステークス)~3200m(天皇賞(春))
1400m クシロキング 1800m(中山記念)~3200m(天皇賞(春))
1400m サクラローレル 1800m(中山記念)~3200m(天皇賞(春))
1400m メジロブライト 3600m(ステイヤーズステークス)~2200m(アメリカジョキークラブカップ)

勝利重賞の距離のバリエーション
7 シンザン 1800m 2000m 2400m 2500m 2600m 3000m 3200m
7 アブクマポーロ 1600m 1800m 2000m 2100m 2300m 2400m 2600m
7 ヴァーミリアン 1600m 1870m 1900m 2000m 2100m 2400m 2500m
7 マルヨフェニックス 1400m 1600m 1700m 1800m 1900m 2000m 2400m

重賞勝利競馬場数
10 ホクトベガ 中山 京都 札幌 川崎 東京 船橋 高崎 大井 盛岡 浦和
9 メイショウバトラー 小倉 京都 佐賀 中京 名古屋 浦和 川崎 水沢 船橋

最初の重賞勝利から最後の重賞勝利までの期間
2522日 ユウユウサンボーイ 1990年12月29日 全日本3歳優駿 ~ 1997年11月24日 北上川大賞典 共に地方
2165日 ブルーコンコルド 2002年11月9日 京王杯2歳ステークス ~ 2008年10月13日 マイルチャンピオンシップ南部杯
1932日 トーアファルコン 1983年9月4日 小倉3歳ステークス ~ 1988年12月18日 CBC賞

重賞勝利から次の重賞勝利までの期間
2071日 ダンスインザモア 2005年3月20日 スプリングステークス ~ 2010年11月20日 福島記念
1457日 メジロマイヤー 2002年2月10日 きさらぎ賞 ~ 2006年2月6日 小倉大賞典
重賞勝利から次の重賞勝利までの期間を未勝利で過ごした参考記録
1434日 エルウェーウィン 1992年12月13日 朝日杯3歳ステークス ~ 1996年11月16日 アルゼンチン共和国杯
最短記録
6日 エレーヌ 2010年4月19日 日高賞 ~ 4月25日 ル・プランタン賞 共に地方
7日 バリモスニセイ 1964年10月25日 朝日チャレンジカップ ~ 11月1日 京都杯
12日 ヤサカ 1955年5月3日 京都4歳特別 ~ 5月15日 毎日杯

同一重賞勝利間隔
1472日 テツノヒリユウ 東京盃 第21回1987年9月15日 ~ 第25回1991年9月26日
1463日 ヒダカハヤト カブトヤマ記念 第44回1990年10月21日 ~ 第48回1994年10月23日
1463日 マズルブラスト 大井記念 第52回2007年5月23日 ~ 第56回2011年5月25日
1456日 ローエングリン 中山記念 第77回2003年3月2日 ~ 第81回2007年2月25日
最短記録
36日 バンチャンプ テレビ埼玉杯 第7回1997年3月26日 ~ 第8回1997年5月1日(地方)
287日 シエスキイ クモハタ記念 第16回1966年12月11日 ~ 第17回1967年9月24日
年間複数施行重賞限定記録
82日 プラトーフォンテン 東京障害特別 第50回1980年11月9日 ~第51回1981年1月31日
98日 ヤマニリユウ 京都記念 第42回1966年11月27日 ~ 第43回1967年3月5日

重賞出走後に長期休養を経て復帰戦を重賞勝利で飾るまでの期間
574日 テイエムドラゴン 2006年4月15日中山グランドジャンプ(2着) ~ 2007年11月10日京都ハイジャンプ
462日 スズパレード 1987年6月14日宝塚記念(1着) ~ 1988年9月18日オールカマー 連勝
385日 サクラローレル 1995年2月19日目黒記念(2着) ~ 1996年3月10日中山記念
364日 トウカイテイオー 1992年12月27日有馬記念(11着) ~ 1993年12月26日有馬記念
343日 メジロマックイーン 1992年4月26日天皇賞(春)(1着) ~ 1993年4月4日大阪杯 連勝

最後の重賞勝利時における年齢
13歳 オースミダイナー エトワール賞(地方)
12歳 オースミダイナー 北海道スプリントカップ
12歳 カラジ 中山グランドジャンプ
10歳 ブラーボウッズ みちのく大賞典(地方) 重賞初勝利
10歳 セタノキング さくらんぼ記念
10歳 ブラクパワー 金杯 福山(地方) 重賞初勝利
10歳 アサカディフィート 小倉大賞典
9歳 ゲイリーフラッシュ シルクロードステークス 重賞初勝利

最後の重賞勝利時における出走数
106戦目 サンエムキング 2002年開設記念 高崎(地方)
94戦目 ダイニカツフジ 1956年京都大障害(秋)
75戦目 トラツクオー 1953年毎日王冠
75戦目 タマツバキ 1951年読売楯アラブ東西対抗(秋)
最初の重賞勝利時における出走数
93戦目 クルセイズ 2008年OROカップ(地方)
71戦目 リバーセキトバ 1998年黒船賞
68戦目 メリーダンサー 1970年京都大障害(秋)
66戦目 ブレツシング 1958年中京競馬開設5周年記念

重賞勝利馬の勝率
戦績 勝率 馬名 主な勝ち鞍
11戦11勝 1.000 クリフジ 東京優駿
10戦10勝 1.000 トキノミノル 東京優駿
8戦8勝 1.000 マルゼンスキー 朝日杯3歳ステークス
8戦8勝 1.000 ケイウンリーダー 荒尾ヤングチャンピオン
7戦7勝 1.000 カヅミネオン 笠松アラブダービー
7戦7勝 1.000 ナイスフレンド アラブダービー(大井)
7戦7勝 1.000 キタノダイオー 北海道3歳ステークス
4戦4勝 1.000 フジキセキ 朝日杯3歳ステークス
4戦4勝 1.000 アグネスタキオン 皐月賞
3戦3勝 1.000 ガヴアナー 東京優駿
3戦3勝 1.000 レッドイーグル 朝日杯3歳ステークス
3戦3勝 1.000 ミラクルユートピア 帝室御賞典
3戦3勝 1.000 ダイナサンキュー デイリー杯3歳ステークス
2戦2勝 1.000 サイキョウカチドキ 兼六園ジュニアカップ
13戦12勝 0.923 コウザンハヤヒデ 楠賞全日本アラブ優駿
12戦11勝 0.917 ツキノイチバン 金盃(大井)
11戦10勝 0.909 ホスピタリテイ セントライト記念
43戦39勝 0.907 トウケイニセイ マイルチャンピオンシップ南部杯
10戦9勝 0.900 ピユーアゴールド 帝室御賞典
8戦7勝 0.875 ミホノブルボン 東京優駿
8戦7勝 0.875 キングカメハメハ 東京優駿
8戦7勝 0.875 ロイヤルブリッジ しもつけ弥生賞
23戦20勝 0.870 ゴールドレツト 東海ダービー
14戦12勝 0.857 ディープインパクト 七冠馬
27戦23勝 0.852 シユンエイ タマツバキ記念
20戦17勝 0.850 トチノミネフジ 全日本アラブ大賞典
13戦11勝 0.846 バンザイ 帝室御賞典
13戦11勝 0.846 タイキシャトル ジャックルマロワ賞
13戦11勝 0.846 カブラヤオー 東京優駿
19戦16勝 0.842 キンカイチフジ 全日本アラブ大賞典
30戦25勝 0.833 インターハイクラス 九州王冠
18戦15勝 0.833 ヘイセイパウエル 新春アラブ争覇
6戦5勝 0.833 シーザリオ アメリカンオークス
6戦5勝 0.833 アグネスフローラ 桜花賞
6戦5勝 0.833 ダイシンフブキ 朝日杯3歳ステークス
6戦5勝 0.833 ユーワフォルテ 新潟大賞典
6戦5勝 0.833 アサクサスケール クイーンステークス
41戦34勝 0.829 ローゼンホーマ 全日本アラブ大賞典
35戦29勝 0.829 第二メルボルン 帝室御賞典
49戦40勝 0.816 マリンレオ タマツバキ記念
16戦13勝 0.813 シンボリルドルフ 七冠馬
15戦12勝 0.800 エビタカラ 全日本アラブ大賞典
15戦12勝 0.800 クロイチョキンバコ 全日本2歳アラブ優駿
5戦4勝 0.800 ダービーリッチ ラジオたんぱ賞
5戦4勝 0.800 ギャラントダンサー 朝日杯3歳ステークス
29戦23勝 0.793 ダイナナホウシユウ 天皇賞(秋)
19戦15勝 0.789 シンザン 五冠馬
14戦11勝 0.786 ホマレショウハイ 全日本アラブ争覇
9戦7勝 0.778 ハクシヨウ 東京優駿
9戦7勝 0.778 マルシンヴィラーゴ 全日本アラブ争覇
13戦10勝 0.769 ミラ 帝室御賞典
30戦23勝 0.767 コトノアサブキ 道営記念
21戦16勝 0.762 メイヂヒカリ 中山グランプリ
40戦30勝 0.750 ニホンカイユーノス 西日本アラブダービー
36戦27勝 0.750 ニユーバラツケー 読売楯争奪東西対抗
12戦9勝 0.750 トウカイテイオー 有馬記念
12戦9勝 0.750 メジロラモーヌ 牝馬三冠
12戦9勝 0.750 エキプレス 読売カップ
8戦6勝 0.750 イソノルーブル 優駿牝馬
8戦6勝 0.750 サルノキング 弥生賞
4戦3勝 0.750 ミナミホマレ 東京優駿
4戦3勝 0.750 ミュゲロワイヤル 共同通信杯
15戦11勝 0.733 キタノカチドキ 皐月賞 菊花賞
11戦8勝 0.727 エルコンドルパサー サンクルー大賞
11戦8勝 0.727 ノースフライト 安田記念
11戦8勝 0.727 カオリビジン 六甲盃
25戦18勝 0.720 キーストン 東京優駿
32戦23勝 0.719 アブクマポーロ 帝王賞
7戦5勝 0.714 キタサンヒボタン ファンタジーステークス
38戦27勝 0.711 ヒメカツプ アラブ大賞典
41戦29勝 0.707 カウンテスアツプ 東京大賞典
17戦12勝 0.706 コダマ 東京優駿
17戦12勝 0.706 ホクトライデン アラブダービー(大井)
40戦28勝 0.700 スズノキャスター 全日本アラブクイーンカップ
20戦14勝 0.700 マルタケ 帝室御賞典
10戦7勝 0.700 テスコガビー 桜花賞 優駿牝馬
以上に現役馬は含まず

重賞脚注

^ 中央競馬では平地競走は1984年、障害競走も1999年から全ての重賞競走に格付けがなされ格付けの無かったアングロアラブ系競走は1995年に廃止されたためしばらく全重賞に格付けがなされていた(芝コースからダートコースに馬場変更となったために格付けがはずされたレースを除く)。2009年より施行されたレパードステークスは創設から2年は格付けを行わないことが決まっており、グレード制が導入されてからは初の格付けのない重賞となる。
^ 『優駿』(日本中央競馬会)1984年3月号、p161
^ アメリカジョッキークラブカップ、日経新春杯、中日新聞杯、京都牝馬特別

ジャージー規則

ジャージー規則(じゃーじーきそく、Jersey Act)とは、イギリスのジョッキークラブがかつて定めていたサラブレッドの定義のことである。1949年撤廃された。規則名の由来は当時のジョッキークラブ会長の名前より。

ジャージー規則解説

ジャージー規則の内容は、先祖の全てがジェネラルスタッドブックに収録されている馬にさかのぼれなければジェネラルスタッドブックに登録しない。つまりサラブレッドとは認めないとしたものであり、サラブレッドの定義の中でも最も条件が厳しい。

これは1909年にジェネラルスタッドブック第21巻に記載され、1913年の第22巻ではさらに強化された。(*サラブレッドの定義が初めて決められたのが1901年(第19巻)、この時は現在とほぼ同じ「父母8代に渡ってサラブレッドとしての先祖関係を証明できること」であった。)

この規則が成立する少し前、それまでの馬匹改良によって高いレベルに達していたアメリカのサラブレッドが数多くイギリスに輸入され、その中には伝統あるクラシック競走に優勝する馬が出現した。

この事にイギリスは屈辱を感じ、またアメリカのサラブレッドの中には、ジェネラルスタッドブックに記載されずにアメリカに輸出されたサラブレッドの血や、南北戦争などで血統書が失われたサラブレッドの血を含むためサラブレッドの純血性が失われるのではないかとも危惧していた。このような背景でジョッキークラブはジャージー規則を決めアメリカのサラブレッドと、その血を持つサラブレッド(イギリス内ではサラブレッド系種)を締め出しにかかったのである。

種牡馬としても成功したレキシントンの血統中にはジェネラルスタッドブックに遡れない馬の血が含まれていた
折りしもアメリカは1920年から禁酒法時代を迎え、多くの州で馬券発行が禁止されヨーロッパに多数のサラブレッドが流出したが、イギリス国内ではそれら全てがサラブレッドとして認められなかった。

だが、サラブレッド系種としてイギリス国内で走ることは禁止されていなかったため、1914年にはダーバー(父父がセントサイモンだが、母方に米血であるレキシントンを持つ)がエプソムダービーに優勝している。

その後、イギリスはアメリカのサラブレッドの血を使えなかったため(ただし規則成立以前に輸入されていたアメリカ血統は使えた)、イギリス・アメリカの血を自由に使えたフランス(米血を使える上、当然セントサイモンに代表される英血も使えるため遺伝子資源の面で優位になった)に対し、相対的に馬のレベルの低下を引き起こし、フランスからの遠征馬にイギリス国内の大レースが数多く勝たれるという現象を生じた。特にトウルビヨン出現以後はその現象が顕著になり、ついに1949年、米仏からの強い抗議もありジャージー規則は撤廃された。

斜行

斜行(しゃこう)とは、公営競技において斜めに走行することを指す用語である。斜行により、他の競技者(馬)の走行を妨害したと判定されたときは、反則行為として制裁が科される。

競馬では、レース中に走っている馬が斜めに走り出す事である。「もたれる」の表現も斜行と同じ意味で使われる。当然真っ直ぐだけに走らせ続けることは不可能であるので、自分より横や2馬身以内の後方に馬がいないこと、進路変更が他馬の走行に妨害を与えるもので無いこと(前を走る馬を抜きに掛かる余力が残っていない状態を含む)などを条件として、斜め・横に進路を取ることが許されている。これに該当しない斜め・横方向への進路選択を斜行という。

斜行するとその横にいる馬だけでなく、後ろを追走していて追い抜きにかかる馬が非常に危険にさらされ、時には接触または避けようとして落馬などに至る場合がある。

この場合、斜行した馬に騎乗した騎手に制裁を課されることが多い。軽い場合(馬の癖などによる斜行など)や過失が馬に起因し騎手が進路修正を行なっていたと認められた場合などは戒告や制裁金で済むこともあるが、悪質なもの(後続の馬が落馬、または騎手がバランスを崩し落馬寸前まで至る等)にはその騎手に対して降着や失格と判定し、次週以降の騎乗停止処分を課すこともある。

降着制度は1953年に西ドイツで採用され、その後採用した国が多くなり、1990年頃になると世界にはこの制度が一般的のものとなっていたが、日本競馬での降着制度は1991年(平成3年)に採用された。日本にはそれ以前は降着制度が無く、制裁は主に失格と過怠金および騎乗停止によるものだった。

現在の日本において降着制度が存在するのは競馬だけである。ただし、中央競馬による斜行の事例を例に取ると、一見同じ度合の斜行に見えても裁決委員の判断により処分は異なるケースがあることに留意しなければならない。

斜行その他

他の公営競技では選手の走行中における行為により斜行を判定する。例えば競輪の場合は「走行注意」などの制裁(着順には関係しないが事故点が課せられる)が科せられ、失格となった場合そのレースの賞金は支給されず、開催中のレース出場取り消し(斡旋解除)や、その後の出場を予定するレースの参加を取り消される(斡旋拒否、出場自粛)場合がある。

斜行関連項目

降着制度
パトロールビデオ

三大始祖

三大始祖(さんだいしそ)とは現在のサラブレッドの直系父系祖先を可能な限り遡った場合に辿り着くダーレーアラビアン(Darley Arabian 1703)・バイアリーターク(Byerley Turk 1679)・ゴドルフィンアラビアン(Godolphin Arabian 1724)の3頭の種牡馬の事である。

三大始祖概要

現存のサラブレッドの血統を父の父そのまた父というふうに遡っていくと、必ず3頭の種牡馬に辿り着く。このため、この3頭を三代始祖と称する。

三代始祖が生存していた時代には、「サラブレッド」の概念は成立していなかった。後世に「サラブレッド」として品種が確立されたウマの父系先祖をたどった場合に、個体の記録が公式に残っているものとして行きつく最古のウマ、ということである。

サラブレッドは複数の品種を用いた品種改良の結果誕生した品種である。三大始祖は品種改良に用いられた多数の馬のうちの3頭に過ぎず、したがって三大始祖それぞれはサラブレッド品種ではない点にも注意を要する。

例外もあるが原則的に両親ともサラブレッドでなければその仔もサラブレッドとして登録できないため、今後も三大始祖以外を父系祖先とするサラブレッドは生まれて来ることがない。

三代始祖と三大基礎種牡馬

日本では上記それぞれの父系子孫で、これらの父系を発展させた3頭を三代始祖と称する場合もある。

ダーレーアラビアン – エクリプス(Eclipse 1764)
バイアリーターク – ヘロド(Herod 1758)
ゴドルフィンアラビアン – マッチェム(Matchem 1748)

サラブレッドの場合、エクリプスを介さないダーレーアラビアンの父系子孫は現存していない。他の系統も同様である。したがって、現存のサラブレッドについては、ダーレーアラビアンの父系子孫はすべてエクリプスの父系子孫となる。

このため、現存のサラブレッドを分類する場合、エクリプス系、ヘロド系、マッチェム系と3つに大別する場合もあり、注意を要する。混同を避けるため前者を三大始祖、後者を三大基礎種牡馬として区別する場合もあるが、英語圏で三大基礎種牡馬(three foundation stallions)と言った場合、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、バイアリータークの3頭を指す。他に三大根幹種牡馬等とも言う。

三大始祖に対する誤解

三大始祖というのは、現在生きているサラブレッドの父方祖先を遡った末にたどり着く3頭の種牡馬というだけのことであり、本来人間で言う一族の祖以上でもそれ以下でもない。

サラブレッドは3頭から始まったと言われることもあるが、当然牝祖は別におり、当時は別の種牡馬も活躍していた。このためサラブレッドは3頭から始まったというのは完全に誤りである。

三大始祖の血量を合計しても25%程度でしかない(ゴドルフィンアラビアンはサラブレッド最大の祖ではある)。また、サラブレッドは複数の品種を用いた品種改良の結果誕生した品種であり、三大始祖は品種改良に用いられた多数の馬のうちの3頭に過ぎず、したがって三大始祖それぞれはサラブレッド品種ではない点にも注意を要する。

また、あくまでも現存のサラブレッドをたどると3頭に行きつくというだけであり、この3頭以外の子孫のサラブレッドが存在しなかった、ということではない。かつてはこれ以外の父系統もあったが、現存していない。現在のサラブレッドの定義の基礎となっているジェネラルスタッドブックには、この3頭を含めて100頭以上の種牡馬が記録されており、これらの子孫もサラブレッドである。

三大始祖サラブレッド以外

サラブレッド以外の品種では三大始祖の何れかが単一の始祖となっていることが多い(多くはダーレーアラビアンが)。競走馬として使われるスタンダードブレッドは、エクリプスを介さないダーレーアラビアン系であるフライングチルダーズ系が実に99%をも占める。イタリア史上最強馬ヴァレンヌを例にとると

ヴァレンヌ
父Waikiki Beach→Speedy Somolli→Speedy Crown→Speedy Scot→Speedster→Rodney→Spencer Scott→Scotland→Peter Scott→Peter the Great→Pilot Medium→Happy Medium→Hambletonian 10→Abdallah→Mambrino II(これ以前はサラブレッド)→Messenger→Mambrino→Engineer→Sampson→Blaze→Flying Childers→Darley Arabian(22代前がダーレーアラビアン)
となっている。ただしスタンダードブレッド以外のトロッターにまで広げるとマッチェム系も若干の勢力を持っている。

そのほかの品種については
クォーターホース – ハーミット系とピーターパン系(どちらもエクリプス系の一派)が多い。
セルフランセ – 比較的最近成立した品種であるため、雑多な父系が残るが、それでもセントサイモン系(エクリプス系の一派)が最も多く、次いでハリーオン系(マッチェム系の一派)が多いという。

三大始祖歴史

三大始祖成立

サラブレッドがまだイングランドのランニングホースと呼ばれていた時代には三大始祖以外の父系も数多く存在していた。代表的な物としては、オルコックアラビアン系や、ダーシーズホワイトターク系があり、ジェネラルスタッドブック第一巻には三大始祖を含めた102頭の基礎種牡馬が記載されている。

これら102頭の内実際に父系を伸ばせたのは10数頭であったが、それでも18世紀初頭には必ずしも現在の三大始祖が特別な地位を占めていたわけではなかった。

ゴドルフィンアラビアンやダーレーアラビアンは当初から大きな勢力を持っていたが、それもダーシーズホワイトターク系などを圧倒する程ではなく、バイアリータークの父系に至っては当初弱小父系に過ぎなかった。この時代には、ダーシーズホワイトターク系のベイボルトンが8度種牡馬チャンピオンになり、オルコックアラビアン系のスペクテイターがマッチェムを破っている。

1760年から80年代になると、三大始祖の父系から登場したエクリプス、ヘロド、マッチェム、及びヘロドの産駒ハイフライヤー等が種牡馬として大きな成功を収めることで他の父系は圧倒されていく。イギリス本国では1785年のエイムウェルによるイギリスダービー制覇を最後にオルコックアラビアン系の組織的な抵抗が終わり、新大陸に逃れたダーシーズホワイトタークとセントヴィクターズバルブの系統も19世紀中ごろまでには完全に滅ぼされた。こうして三大始祖が成立した。

三大始祖勢力の増減

この頃の各父系の勢力はヘロド系が最も大きく、次いでエクリプス系、マッチェム系であった。しかし、ヘロド系は何頭かの突出した種牡馬、ヘロド系を後押しした馬産家がいたにもかかわらず著しく衰退、マッチェム系も同様に衰退した。200年経過した21世紀初頭、エクリプス系が圧倒的勢力を築いている。なお、かつてはエクリプス系、ヘロド系どちらが競走馬として優れているかの議論も行われていたが、現在は三大始祖いずれの父系に属しているかによって能力等に差は生じないと考えられている。

三大始祖他品種への拡大

19世紀以降、サラブレッドの優秀性が認められるにつれ、他の品種の改良にサラブレッドが頻繁に使われた。スタンダードブレッドや北米における乗用種の成立に関わったメッセンジャー、クォーターホースの改良に貢献したスリーバー、セルフランセの父祖に見られるオレンジピール及びフリオーソ等を通じて三大始祖は他品種に浸透した。現在では三大始祖の勢力はサラブレッドに限られたものでは無くなっている。

三大始祖現存のサラブレッドの例

ディープインパクト
父サンデーサイレンス→Halo→Hail to Reason→Turn-to→Royal Charger→Nearco→Pharos→Phalaris→Polymelus→Cyllene→Bona Vista→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabianとなり25代遡るとダーレーアラビアンへ辿り着く

ナリタブライアン
父ブライアンズタイム→Roberto→Hail to Reason→Turn-to→Royal Charger→Nearco→Pharos→Phalaris→Polymelus→Cyllene→Bona Vista→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(これも25代遡るとダーレーアラビアンへ)

シンボリルドルフ
父パーソロン→Milesian→My Babu→Djebel→Ambiorix→Tourbillon→Ksar→Bruleur→Chouberski→Gradefeu→Cambyse→Androcles→Dollar→The Flying Dutchman→Bay Middleton→Sultan→Selim→Buzzard→Woodpecker→Herod→Tartar→Partner→Jigg→Byerley Turk(24代前はバイアリーターク)

ミスターシービー
父トウショウボーイ→テスコボーイ→Princely Gift→Nasrullah→Nearco→Pharos→Phalaris→Polymelus→Cyllene→Bona Vista→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(24代前はダーレーアラビアン)

シンザン
父ヒンドスタン→Bois Roussel→Vatout→Prince Chimay→Chaucer→St.Simon→Galopin→Vedette→Voltigeur→Voltaire→Blacklock→Whitelock→Hambletonian→King Fergus→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(19代前はダーレーアラビアン)

セントライト
父ダイオライト→Diophon→Grand Parade→Orby→Orme→Ormonde→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(20代前がダーレーアラビアン)

クライムカイザー
父ヴェンチア→Relic→War Relic→Man o’ War→Fair Play→Hastings→Spendthrift→Australian→West Australian→Melbourne→Humphrey Clinker→Comus→Sorcerer→Trumpator→Conductor→Matchem→Cade→Godolphin

Arabian(18代前がゴドルフィンアラビアン)
三冠馬の6頭の内、5頭がダーレーアラビアンの直系子孫であることからも分かるように、この3系統の中でもその勢力には大きな隔たりがある。

ダーレーアラビアン(エクリプス)を父系祖先とする馬、すなわちエクリプス系が全世界のサラブレッドのうち95%をも占めている。残りはゴドルフィンアラビアン(マッチェム系)が多く、バイアリーターク(ヘロド系)はイギリス・アイルランドを中心に少数が残るのみとなっている。日本における偏りはさらに大きく、2008年に日本国内で血統登録されたサラブレッドの99.5%はエクリプス系(内訳はファラリス系97%、リボー系2%、他0.6%)であり、ヘロド系(0.3%)、マッチェム系(0.2%)の割合は極めて小さい。

三大始祖アメリカンダミー

三大始祖以外の馬が現在も種牡馬として活動しているとする見解も一部にはある。日本の血統研究家の中島国治は、かつてのアメリカにおいてはクォーターホースをはじめとするサラブレッド以外の品種の馬の仔が、血統を偽ってサラブレッドとして登録されていたと主張し、三大始祖以外、それもサラブレッド以外の品種の父系子孫が現在も種牡馬として活動しているという説を唱えている[1]。そのような馬のことを中島はアメリカンダミーと呼び[2]、近親交配を解消するための有効な手段だと主張した。

なお、競走用クォーターホースはハーミットとヒムヤーの子孫が大半であり、残りも新興のファラリス系が殆どである。基本的にエクリプス系に属していると考えてよい。

三大始祖その他

インドには三大始祖とオルコックアラビアンを記念したダーレーアラビアンステークス、ゴドルフィンバルブステークス、バイアリータークステークス、オルコックアラビアンステークス(全てインド国内GIII)という競走がある。

馬主法人であるゴドルフィン、ダーレー・ジャパン・レーシングの名も三大始祖が元になっている。
メダルゲームの『STARHORSE』『STARHORSE2』には、三大始祖が登場し架空の競馬場で競走するレース(ゲーム上で行われる架空のレース)がある。ただし三大始祖で現実に競走で使われたのはバイアリータークだけである。

三大始祖脚注

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^ 類似の噂話には、アングロアラブ種における血統偽装(「テンプラ」と呼ばれる)がある。
^ 「アメリカンダミー」という呼び方は中島自身の造語である可能性が高い。彼は自著『血とコンプレックス』で「いわゆるアメリカンダミー」と(あたかも既存の用語であるかのように)言及しているが、中島以前の競馬関連書籍でこの言葉を用いた例は見受けられない。
外部リンク [編集]
地方競馬まるごと―三大始祖

サイン理論

サイン理論(サインりろん)とは、競馬の勝ち馬予想の手法の一つのことである。広義的な意味でケントク買い(見得買い、見徳買い)の一種として扱うこともある。
この手法を用いて買い目を決めた勝馬投票券をサイン馬券ともいう。

サイン理論概要

「メインレースの多くではレース前から既に勝ち馬や勝利する騎手が決まっており、特定の者に主催者または競馬の神様がサインを出して教えている」という発想の下で予想を行い、馬券を購入する。

人気馬では配当面の妙味が薄いため、基本的には穴馬を探すための手法であるが、人気馬を本命視する根拠の補強のために用いられることもある。

ただし、多くの手法が過去の経験則や統計から導き出された結果に基づくことから、必ずしも将来も的中が続くとは限らない。さらに、開催者・競馬関係者自体が八百長行為を行っているとも解釈することができるため、真面目な競馬ファンや競馬関係者からは嫌われる予想方法でもある。

古くからある手法の一つではあるが、日本においては競馬評論家の高本公夫がこの種の予想方法を世間に広めた人物として認知されており、予想コラムなどを通じて広めたことからタカモト式の名称で呼ばれることも多い。

ただし、実際のところ、当初の高本が著していた「サイン馬券」とは、競馬場の内外で情報収集を徹底的に繰り返し、馬主経済・厩舎人脈・競馬主催者の集客戦略から競走馬の生理面に至るまで様々な要素のレース予想における必然性を理路整然と唱えたものであった。

これに基づいて高本が無名時代に東京スポーツに連載していたコラムで枠順発表前に勝ち馬を予想したものが次々と的中したことが、「サイン馬券」の信奉者を増やす原動力になった。

だが、JRAの厩舎・競馬の関係者の管理体制や取材方式などの変化に伴ってそういった「サイン」の元となる情報の入手が困難になったことで、高本自身の予想も現在のサイン理論の様な「レースには何らかの作為がある」として強引に暗号解読を試みるものに変質してゆき、それと同時に多くの後発亜流が発生し、既に全盛期が過ぎていた高本もそれに呑み込まれてしまった。

サイン理論手法の例

時候や記念日から連想される馬名、馬主から予想する。
出走馬の関係者の誕生日や冠婚葬祭にもとづいて予想する。
主催者(中央競馬の場合は日本中央競馬会)の発行物や広告にあるフレーズ(特定の単語、漢字の画数)、使用されている写真などから予想する。

当日競馬場にゲストとして来た有名人や、場内で放送される迷子案内から連想される馬券を購入する。
そのとき、社会で大きな話題となっているニュース・事件・事故などの時事ネタから連想される馬券を購入する。
なかにはノストラダムスの予言解読などで見られるように、アナグラムや暗号解読、挙句にはオカルト的発想などの手法を用いた、牽強付会とも言えるこじ付けによる手法が用いられることもある。もちろん、レースの結果が出た後に、その結果にあてはめてサイン理論を作り上げることも可能である。

また、サインの対象が騎手である場合、その騎手が騎乗している全レースの馬券を購入することもある。競走馬でもサインが馬主の冠号にまつわる場合は、同様に同じ冠号を持つ馬の馬券を全て購入することもある。

サイン理論代表的な例

有馬記念
有馬記念は、中央競馬における1年の総決算ということもあり、その年の世相を反映したサイン予想がスポーツ誌を賑わせる。レース翌日のスポーツ誌でも、勝ち馬と世相を結びつける記事が掲載されることがある。以下のような例がある[1]。

アメリカ同時多発テロ事件が発生した2001年、秋開催唯一のクラシック第62回菊花賞では、逃げるマイネルデスポットをマンハッタンカフェが捕らえ勝利。さらに、有馬記念ではマンハッタンカフェとアメリカンボスの1・2フィニッシュとなった。3頭ともテロ絡み(独裁者・ニューヨーク・大統領)のサイン理論の典型的な予想および的中例ではあるが、多数の被害者が出た事件でもあり不謹慎とされかねないことから、結果や成果に言及した者は少なかった。

トリインフルエンザが流行し、中央競馬も馬インフルエンザで開催中止に追い込まれた2007年、1着に人気薄のマツリダゴッホが入った。この勝利とインフルエンザを関連付け、「ゴッホゴッホ」と咳をするという説明をしている。

2008年は、1着こそ単勝1番人気のダイワスカーレットだったが、2着は14頭中14番人気と最低人気だったアドマイヤモナークが入った。この年の7月に山本モナが、当時読売ジャイアンツ選手だった二岡智宏との不倫が発覚し話題となっていた。このことは、有馬記念翌日のスポーツ新聞各紙で大きく取り上げられた。

さらには騎乗した川田将雅騎手のイニシャル「K.Y.」(Kawada Yuga)が、2007年ごろから流行していたギャル語の1つ「KY」(空気読めない)と一致していたこともあり、偶然が重なっている。川田本人も、レース後のファンイベントで「すみません、KYでした」と恐縮しながら発言している。

2010年は、表彰式に第69代横綱白鵬翔が登場することがあり、勝ち馬は白つながりであった。1枠(白い帽子)のヴィクトワールピサが勝利し、しかもヴィクトワールピサの母がホワイトウォーターアフェアといった具合である[2]。

サイン理論その他

ほかにも、代表例として以下のようなものある。
1980年代の日刊スポーツ賞金杯において、「金杯」の名のとおり、金、もしくは金属、さらには金偏の漢字やそれを想像させる馬名の馬が偶然にも1着になる傾向があった。

すなわち、1984年のドウカンヤシマ(本来は太田道灌が由来だが、「銅カン」と考えられた)を皮切りに、1985年はスズパレード(鈴・錫)、1986年はクシロキング(釧路)、1987年はトチノニシキ(錦)、1988年はアイアンシロー(アイアン=鉄)、1989年はニシノミラー(ミラー=鏡)が優勝したことから、一部で「金杯は金の付く馬が勝つ」と語られるようになったのである。1990年以降はこの傾向はなくなったものの、金杯の時期になるとこのサインがしばしば語られる。

1990年代には「中山競馬場のレースで『ナカヤマ』の冠名を持つ馬の馬券を買うだけで儲かる」という話が話題となったことがある。実際1989年から1998年にかけて(10年間)のデータで、中山競馬場のレースで「ナカヤマ」の冠名の馬の馬券を全て購入した場合の単勝・複勝回収率がいずれも100%を超えるという結果が出ている[3]。

特に1997年末(5回中山2日目)から1998年初頭(1回中山3日目)にかけて「ナカヤマ」の馬が中山競馬場のレースに出走したケースで6連勝し、なかでも1998年のガーネットステークスでは「ナカヤマ」の馬(スーパーナカヤマとビーマイナカヤマ)がワンツーフィニッシュを飾った。

1998年、第3回秋華賞では、1着に同年の桜花賞馬ファレノプシス、2着に単勝13番人気のナリタルナパークが入線し万馬券決着となったが、これも同年秋に急逝した三冠馬ナリタブライアンに関するサイン理論の予想および的中だったとされる。1着のファレノプシスはナリタブライアンの近親、2着のナリタルナパークはナリタブライアンと同じ馬主で、かつ所属厩舎も同じ大久保正陽厩舎であった。

2009年8月、芸能人の押尾学と酒井法子が覚醒剤絡みの容疑で相次いで逮捕され、マスコミ報道が加熱している最中に開催された第44回北九州記念では、酒井学が騎乗しているサンダルフォンが勝利。田中裕二が東京スポーツで連載している予想コラムでこれをサイン的な形で話題として取り上げてサンダルフォンに本命印を打ち、単勝1,580円を的中させている。

天皇賞(春)においては、開催時期が世間一般でゴールデンウィークにあたることから、ゴールデンウィークに関連した馬名が絡むケースがいくつかある。一例として、1999年はスペシャルウィークが1着となり、2010年は人気薄のメイショウドンタクが3着に入った(ゴールデンウィークには博多どんたくが開催される)。


2010年11月21日に行われたマイルチャンピオンシップでは、前日11月20日にJリーグ(J1)優勝を決めた名古屋グランパスエイトやサッカーに関連した馬が上位独占した。1着はエーシンフォワード、2着は8番(エイト)のダノンヨーヨー、3着はゴールスキーといった具合である[4]。

サイン理論脚注

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^ 2010年12月21日付東京スポーツ紙面 井崎脩五郎と田中裕二の対談記事
^ 2010年12月27日 東京スポーツ紙面
^ 『珍馬怪記録うま大全』(井崎脩五郎・須田鷹雄著、ザ・マサダ、1999年)pp.172 – 173
^ グランパス馬券だった/マイルCS – 日刊スポーツウェブサイト 2010年11月21日閲覧

サイン理論関連項目

陰謀論
疑似科学
チェリー・ピッキング
中丸新将(俳優。サイン理論で馬券予想する著名人のひとり)

裁決委員

裁決委員(さいけついいん)とは、着順の確定や制裁など競馬に関する一定の事務を執り行う者のことである。

競馬の開催を担当している開催執務委員の一種で、関係者不祥事などの処分を検討・決定する裁定委員会とは別である。
以下、日本の中央競馬における裁決委員について記述する。

裁決委員の職務

裁決委員概要

日本中央競馬会競馬施行規程第181条に規定されている職務は以下の通り。
着順の確定
走行の妨害の申し立ての採決
出走馬または騎手に対する保安措置
制裁
競馬の公正を害すべき行為の取り締まりに関する事務

裁決委員による着順の確定

全出走馬の決勝線入線後、裁決室から検量室へ移動し、レース後の騎手の検量(後検量)に異常がないことを確認した上で着順の確定を行う。ただし、以下の場合には審議を行った上で確定を行う。(なお、審議が行われる場合には着順掲示板に「審議」と表示される。詳細については審議 (競馬)を参照。)

競走中に着順を変更する可能性のある出来事が起こったと判断した場合。
全出走馬の決勝線入線後、馬主、騎手、調教師などから走行妨害の申し立て(他の出走馬から走行妨害を受けたという申し立て)があった場合。

負担重量について審議する必要があると認めた場合。
審議の結果着順に変更がない場合は入線した順(到達順位)の通り確定を行い、着順を変更する必要があると認めた場合には着順変更の措置(詳細については降着制度を参照)をとった上で確定を行う。

裁決委員による走行の妨害の申し立ての採決

走行の妨害の申し立てとは、前述のように全出走馬の決勝線入線後に馬主、騎手、調教師などによって行われる他の出走馬から走行妨害を受けたという申し立てのことである。この場合、申し立ての際に申請者側が3万円を支払うことになっている。

裁決委員の出走馬または騎手に対する保安措置

出走予定馬および騎乗予定騎手の異常について出走または騎乗が不適当と判断した場合、当該馬について出走取消を許可しまたは競走から除外し、当該騎手について騎手変更を許可する。

裁決委員による制裁

競馬開催期間内に日本中央競馬会競馬施行規程に違反した競馬関係者に対する制裁および競走中に悪癖を呈した競走馬に対する処分を行う。制裁には「戒告」、「過怠金」、および「調教または騎乗の停止」があり、処分には「出走停止」がある。さらに競走馬については再度調教審査を受けるよう命じることができる。処分の通知は書面によって行われる。

裁決委員の競馬の公正を害すべき行為の取り締まりに関する事務

中央競馬では競馬の公正を確保するため、各競馬場内およびトレーニングセンター内には調整ルームが設けられている。裁決委員は調整ルームの管理を行っている。

裁決委員の構成・勤務形態

一競馬場につき3名で構成される。競走中には裁決室(競馬場内のスタンド最上階にある)から競走を監視する。監視は双眼鏡とパトロールビデオを用いて行う。

裁決委員を補佐する者

ハンデキャップ作成委員(ハンデキャッパー)・獣医委員 – 競走中に裁決室内で情報・資料を提供し裁決委員を補佐する。
走路監視委員 – 競走中にコース内の各コーナーにあるパトロールタワーから競走を監視し、異常を見つけた場合に裁決委員に報告する。
決勝審判委員 – タイムの計測や写真判定を担当し、判定の結果の報告を裁決委員に行う。

裁決委員その他の業務

騎手を補佐するバレットの採用試験の面接を担当している。

裁決委員参考文献・出典

藤田伸二「競馬番長のぶっちゃけ話」(2009年 宝島社)

裁決委員関連項目

審議 (競馬)
降着制度
パトロールビデオ

コンパラブルインデックス

コンパラブルインデックス(Comparable Index、略称:CI)とは、競馬において、種牡馬の成績を表す1つの指標で、どのぐらい良質の繁殖牝馬と配合されたかを示す。

CIは種牡馬の交配相手の繁殖牝馬群が過去に他の種牡馬と交配されてできた産駒のアーニングインデックスの平均である。
この数値だけで種牡馬の評価はできず、アーニングインデックス(AEIもしくはEI)との比較によって、その種牡馬が配合された繁殖牝馬の質に見合った産駒を出しているのかが判定される。

AEIは優秀でも、CIも高いのであれば配合相手の繁殖牝馬の質を考えると期待外れであったり、逆にAEIはそれほど高くなくてもCIも低ければ、低級の繁殖牝馬に配合された割には好成績であるという判定が可能である。

例として、サンデーサイレンスのCIは2005年3月の時点で2.43である。これはサンデーサイレンスの配合相手の牝馬の仔が、他の種牡馬との産駒の獲得賞金平均の2.43倍の賞金を稼いでいることを意味する。

つまり、サンデーサイレンスは平均よりも2.4倍程度優秀な牝馬と配合されている。一方、同時点でのサンデーサイレンスのAEIは4.61で、これはサンデーサイレンスの産駒が、種牡馬平均の4.61倍の賞金を稼いでいることを意味する。

つまりサンデーサイレンスの仔は、配合相手の牝馬の他の仔に比べて約2倍の賞金を稼いでいるということが推察できる。したがって、サンデーサイレンスは他の種牡馬よりも優れた牝馬に恵まれているが、それ以上に自分自身が優秀であることを示している。
CIは計算するのが非常に困難な指標のため、用いられることは少ない。