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相馬眼

相馬眼(そうまがん)とは、競走、馬術、軍役、使役などに供される馬の能力・資質を見抜くことができる見識を指す言葉である。

紀元前から近代の産業革命に至るまで、馬は交通、運輸、軍事など様々な場面において重要な位置を占めており、その資質を見極める目を持つこともまた重要視されてきた。史上には馬の繁殖・調教に特化した役所が設置された例が多くあり、ゆえに為政者が優れた相馬眼の持ち主を迎え入れる例もあった。

こうした者の中では、中国の春秋戦国時代に穆公(ぼくこう)に仕えた伯楽孫陽がよく知られる。孫陽はその優れた相馬眼から天馬の守護星である「伯楽」が通称となり、相馬に関する様々な逸話が伝えられている。「相馬眼に優れた者」転じて「人を見る目を持つ者」を指す言葉「名伯楽」は孫陽に由来したものである。

唐代の詩人・韓愈が眼のある者の重要性を説いた「世に伯楽有り、然る後に千里馬[1]有り。世に千里馬は常に有れども、伯楽は常に無し(世有伯楽 然後有千里馬 千里馬常有 而伯楽不常有)」という一節もよく知られる。

近代以降になると競馬、競技としての馬術が普及する。競走馬・馬術競技馬は、最上の血統であれば非常に高価なものとなる反面、必ずしも価格通りの成績を残さない例も多々あるため、購買の際にその実質を見極めることが重要視される。この世界でもやはり優れた相馬眼を有する者が優遇され、世界最大規模の競走馬生産・育成グループであるゴドルフィン、クールモアといった競馬組織は、それぞれ相馬眼があるとされる調教師、エージェントを引き抜き[2]、多くの名馬を輩出している。

日本では、安価な幼駒を購買して活躍馬を輩出する岡田繁幸、竹園正繼や社台グループ創業者・吉田善哉などが優れた相馬眼の持ち主と評価される。また馬術の世界においては、近代馬術の大成者とも評されるジェームス・フィリスがいる。フィリスがその生涯で調教に失敗したものは僅か2頭であると言われ、日本有数の馬術家であった遊佐幸平はこれを指して「(技術の他に)彼が馬を観る鑑識に卓越していて、調教をしても見込みのない馬には手を付けなかったことを物語るものである」と述べている[3]。

相馬の着眼点

優れた相馬眼を持つとされる人々が具体的にどの点を見ているのかは千差万別であるが、一般的には、馬体の骨格や歩行動作、顔つき、筋肉の付き方、馬の性格等を総合的に判断していると言われる。しかしながら、最終的な判断においては、自身の経験に基づく直感に頼る場合も多く、優れた相馬眼を持つと言われる人達は、この直感が非常に秀でているとされる。

そのため、自身が選択した馬の選択理由を口頭で表現しづらい事も多いという。一方で現代の競走馬については、近親繁殖を繰り返し遺伝構成がどの馬も似通っているため、その外見からは能力を判断できないとする意見もあり、動物行動学者のデズモンド・モリスは「栄光と屈辱を分ける決定的な要因は、個々の循環器系の効率である。違いの秘密は外見では分からない内臓にある」としている[4]。

相馬眼脚注

^ 千里を走れるほど強健な馬のこと。
^ 河村清明『馬産地ビジネス – 知られざる「競馬業界」の裏側』(イースト・プレス、2002年)331頁。
^ 遊佐幸平『遊佐馬術・改訂版』(第一出版株式会社、1985年)28頁。
^ デズモンド・モリス『競馬の動物学 – ホース・ウォッチング』渡辺政隆訳(平凡社、1989年)149頁。

スローペース症候群

スローペース症候群(スローペースしょうこうぐん)とは、競馬、とりわけ日本の中央競馬の競走について、レースの序盤および中盤が遅いペースで推移し、終盤(上がり)のみ速くなる競走が多発する現象。しばしば批判的な意味で使われる。

スローペース症候群要因

スローペース症候群と呼ばれる現象が発生する要因としては以下のものが挙げられている。

スローペース症候群の騎手

要因を騎手、具体的には、序盤・中盤に好位置で競走を進めようとする騎手が増えたことに求める見解がある。栗山求や阿部珠樹はその原因について、スローペース症候群という言葉が盛んに使用された1990年代の中央競馬のトップジョッキーであった岡部幸雄や武豊がそのようなレース運びをすることが多かったからだと指摘する[1]。

1997年にスローペースとなった東京優駿を優勝した元騎手の大西直宏は、同競走のペースがかつてよりもスローになった[2]原因として、出走頭数が多いと馬群を捌ききれず前方への進出ができないことを恐れて序盤から前方で競走を進めようとする[3]が、出走頭数が大幅に減少した[4]結果、その必要がなくなり、むしろ序盤・中盤に下手に動くと勝機を失うようになったことを挙げている[5]。

スローペース症候群の馬場

安福良直は要因として、馬場の改良が進み馬の走行がスムーズになった結果、騎手の意図するペースよりも速いペースで走り、騎手がそれを抑えようとする結果ペースがスローになるという仮説を唱えている[6]。

競走馬の能力の向上とスローペース症候群

元騎手の坂井千明は馬場の改良が進んだことに加え競走馬の能力(瞬発力)が大幅に向上した結果、「中途半端に前に行っても差されるという意識が、騎手の中にある」と指摘し、スローペースの競走が増加したのは「騎手が勝つためにベストの選択をし」た結果であるとしている[7]。

調教技術の向上とスローペース症候群

騎手の小野次郎は、かつては他の馬を怖がる性格の競走馬は「何が何でも前へ」という競馬をしたが、競走馬を調教する技術が進み性格の矯正が可能になった結果そのような競走馬が減少したことを要因として挙げている[8]。
反論

スローペースの競走を否定的にとらえることについては反論も出ている。

山田康文(ターファイトクラブ東京事務所長)は、「よい馬がいて、よい騎手が乗れば、絶対能力ギリギリの真剣勝負を見せてくれるのはむしろスローペースの競馬のはず」と述べている[9]。

日刊スポーツ記者の松田隆は、東京優駿について1992年以降のものとそれより前のものとを比較し、かつての競走を序盤の2ハロンだけが極端なハイペースでそれ以降はほぼ平均的なペースで推移し、終盤に入ると逃げ馬がバテる他は出走馬が同じような上がりで走り、先行馬が粘り勝ちする「切れ味という言葉とは無縁の消耗レース」と分析した上で、「果たしてそれを、迫力あるレースと呼んでいいのかどうか」と述べている。そして、序盤と中盤はスローに近いペースで推移するが上がり4ハロンからペースが速くなる競走の方が迫力があると評価している[10]。

競馬評論家の大川慶次郎は、戦前から戦後にかけての競馬(公認競馬)ではスローペースの競走が多かったと指摘した上で、「スローペースが日本の競馬をダメにするというんだったら、とっくに日本の競馬なんかなくなってる」と述べている[11]。

スローペース症候群の脚注

^ 『競馬名馬&名人読本』、173頁。
^ 1980年代にスローペースとなったことは一度もなかった。
^ 元騎手の坂井千明、騎手の小野次郎も同様の指摘をしている。(『競馬名馬&名人読本』、177-178頁)
^ 1982年には28頭が出走していたが1989年に24頭、1990年に22頭、1991年に20頭と減少し、1992年以降は常に18頭以下。
^ 『競馬名馬&名人読本』、174頁。
^ 『競馬名馬&名人読本』、172-173頁。
^ 『競馬名馬&名人読本』、177頁。
^ 『競馬名馬&名人読本』、178頁。
^ 『競馬名馬&名人読本』、173頁。
^ 『競馬名馬&名人読本』、175-177頁。
^ 『競馬名馬&名人読本』、216-217頁。

スローペース症候群参考文献

「競馬はつまらなくなったのか!?」(『競馬名馬&名人読本』、宝島社、1998年)171-221頁。

スピード指数

スピード指数(スピードしすう、Speed Figure)とは、主に競馬において、競走馬の絶対能力を数字で表すことを目的として開発された指数のこと。

スピード指数概要

馬の能力を独自に数値化する試みは古くから様々な予想家によって行われてきたが、現在「スピード指数」として知られているものの原型は、1975年にアンドリュー・ベイヤーによって提唱されたものが事実上の元祖といわれている。

スピード指数の基本的な発想は「全ての馬が同じ馬場状態の同じコースを同じ負担重量で走ったと仮定して、そのタイム(=スピード指数)を比較する」というもの(考え方としてはボクシングにおけるパウンド・フォー・パウンドなどに近い)。

具体的には各競走馬のレースにおける走破タイム(厳密には各競馬場における平均的なレベルのタイムを示す「基準タイム」と走破タイムの差)を元に、レース距離や負担重量の高低、コース形態・馬場状態などによる数値の調整を行い指数を算出する、という形態を取るものが一般的だ。

日本においては1992年に西田和彦が雑誌「競馬最強の法則」や著書「西田式スピード指数」(いずれもKKベストセラーズ刊)で提唱したものが契機となり、一般の競馬ファンにもその存在が広く知られるようになった。

スピード指数問題点

ベイヤーの提唱したオリジナルのスピード指数は、原則として各レースにおける走破タイムを元に算出するため、
レースがスローペースとなった場合にはそれに伴いスピード指数も低く算出され、本来の競走馬の能力よりも低い値となってしまう。

急激に成長する過程の途中の馬の場合にも、指数が本来の能力より低く算出される
新馬のように、過去にレースを走ったことがない馬に対しては指数を計算できない

など、いくつか問題点も存在する。そのため現在は、主に競馬評論家や予想家を中心に、それらの問題点を克服すべくそれぞれ独自の改良を加えられた数多くの指数が存在している。また日刊コンピ指数(日刊スポーツ)などのように、血統などの要素を指数の算出に取り込むことで、新馬などへの対応を目指すものもある。

主なスピード指数

以下、現在日本国内において著名なスピード指数(括弧内は提唱者)を列挙する。
西田式スピード指数(西田和彦)
タイムフィルター(市丸博司)
石川式スピード指数(石川ワタル)
デイリースポーツ新聞社のスピード指数(西日本版に掲載)

スピード指数関連項目

予想 (競馬)

ストライド走法

ストライド走法(ストライドそうほう)とは、長距離走で、ストライドの幅(歩幅)が大きい走法のこと。
全身のバネを使って飛び跳ねるように走るが、負担が大きいと言われる。日本では負担の少ないピッチ走法が主流。
なお、競馬の世界においても、競走馬の走り方に対して用いられる。

ストライド走法の競走馬

ディープインパクト
クロフネ

ステークス方式

ステークス方式(ステークスほうしき)とは、競馬における賞金形態のひとつ。

近代競馬の成立以後、主にイギリスで賞金を懸けての競走が盛んに行われるようになり、その賞金を拠出するため、レースに所有馬を出走させる馬主が賭け金(stake)を出し合い、それを集めたもの(stakes)を勝者あるいは事前に定められた番手の入着馬までに分配するという方法が採られていた。

これがステークス方式と呼ばれる。オックスフォード英語辞典によると、勝者が賞金を総取り(sweep)する形式としてスウィープステークス(sweep stakes)という言葉が1495年に初出しており、これが縮まってステークスになったと言われている。この分配方式はゴルフなどイギリス起源の競技に多く採用されているが、特に競馬ではこの方式を採る競走をステークスレース(特別競走)と呼び、「○○ステークス」などの形で現在でも競走名に残っている。

特定の運営組織が賞金を拠出している場合がほとんどの現代では、上記のような厳密な意味でのステークスレースはほぼ存在しなくなっているが、例えば日本の中央競馬の場合、特別競走の出走登録料には特別登録料が加算されており、その加算分が7:2:1の割合で3着馬までの賞金に上乗せされるため、これも広義でのステークスレースであると。イギリス、アメリカ等でもステークスレースの登録料と賞金には同様の方式が採られている。

ステークス方式関連項目

セントレジャーステークス-イギリス最古のクラシック競走。第2回までスウィープステークスの名で行われていた。

スクーリング

競馬においてスクーリングとは、競走馬をある競馬場のコースで初めて走らせる前に、予行演習としてその競走馬をコース内に連れて行くことをいう。

馬は未知の環境に対して警戒感を抱くため、競走馬は初めて走るコースでは競走能力を十分に発揮できなくなることがある。スクーリングはそうした不安をあらかじめ競馬場の環境に慣れさせることで解消する目的で行われる。

スクーリングが行われた事例

日本の競走馬ハイセイコーには初めて来る場所で物見をする癖があり、東京優駿の前に同じ東京競馬場で行われるトライアルのNHK杯に出走した。
オグリキャップは1988年の有馬記念に出走する前に、同レースがおこなわれる中山競馬場で調教を行った。

スクーリング関連項目

ハイセイコー
オグリキャップ

新馬

新馬(しんば)とは、
新しい馬。
馬術競技大会などに未出場の馬。

競馬において競走未出走の馬。本項目で記述。
日本の競馬において、一定の範囲の馬齢の競走馬であってレースに出走した経験のないものをいう。新馬のみが出走することができるレースを新馬戦という。新馬戦の賞金額は未勝利戦より若干高く設定されており、また新馬戦を勝つことを新馬勝ちといい競走馬としてのひとつのステータスともなっている。

中央競馬においては毎年6月ごろに2歳馬を対象とした新馬戦の開催が始まり、翌年の3月ごろ(3歳)まで行われる。競走馬は新馬戦には一度しか出走することができない。

2002年以前は、初出走した開催内であれば最大で4回新馬戦に出走することができた。このため3週目や4週目の新馬戦は2走目の馬が多く出走するなどし、レース未経験馬に対し有利になりやすかった。

新馬戦を勝つことができなかった競走馬は未勝利クラスに分類され、一般的には未勝利戦での優勝を目指すこととなる。新馬戦の開催が終了すると、それまで新馬クラスに分類されていた競走馬は自動的に未勝利馬のクラスに分類される。また、2002年以前において、新馬戦が終わった3歳3月下旬から5月までの間に未出走戦という競走が存在した。出走条件は新馬戦と同じく未出走、賞金は新馬より低く未勝利戦と同額であった。

2008年から新馬戦には「メイクデビュー(開催競馬場名)」(例:メイクデビュー函館)という愛称が設定されている。この愛称を考案したのは、レーシングプログラムの「馬名プロファイル」を担当している英文学者・柳瀬尚紀である。
同時に本馬場入場で新馬戦専用曲「The Rising Sun」(作曲・椎名邦仁)が使用されている。

複数のG1優勝馬が同じ新馬でデビューした例
*旧八大競走も含む
1972年7月15日東京競馬場芝1100メートル 1着タケホープ 6着イチフジイサミ[1]
1976年1月31日東京競馬場芝1400メートル 1着トウショウボーイ 4着グリーングラス[2]
1995年1月8日京都競馬場ダート1200メートル 1着ワンダーパヒューム 5着マヤノトップガン
1996年3月3日阪神競馬場芝1600メートル 4着エリモシック 5着マサラッキ
1996年11月30日京都競馬場ダート1200メートル 1着キョウエイマーチ 3着マチカネフクキタル
2002年11月30日阪神競馬場芝1400メートル 1着スティルインラブ 6着ヘヴンリーロマンス
2004年10月23日京都競馬場芝1400メートル 3着マルカラスカル 15着サンライズバッカス[3]
2005年8月21日札幌競馬場芝1800メートル 1着マツリダゴッホ 7着フレンドシップ
2006年7月1日福島競馬場芝1200メートル 1着ピンクカメオ 6着ショウワモダン
2007年7月8日阪神競馬場芝1800メートル 1着アーネストリー 2着トールポピー 8着キャプテントゥーレ[4]
2007年10月8日京都競馬場芝1400メートル 1着エーシンフォワード 4着ディープスカイ
2008年10月26日京都競馬場芝1800メートル 1着アンライバルド 3着ブエナビスタ 4着スリーロールス[5]
2009年10月25日京都競馬場芝1800メートル 1着ローズキングダム 2着ヴィクトワールピサ

地方競馬の新馬

地方競馬ではホッカイドウ競馬やばんえい競馬では例年中央競馬より早い2歳4月から新馬戦が始まる。JRA2歳認定競走を兼ねていたりする場合は「フレッシュチャレンジ」などの競走名となる。

新馬脚注

^ この2頭は翌年のダービーで1着2着を占める
^ シービークインが5着
^ ブライトトゥモローが1着、エイシンドーバーが2着、ブロードキャスターが4着
^ ドリームシグナルが3着
^ リーチザクラウンが2着

新馬関連項目

日本の競馬の競走体系

シンジケート

シンジケートとは、種牡馬を共同で所有する組織のことを指す言葉で、現在主流となっている種牡馬の所有形態である。

かつては個人所有の形式が一般的だったが、種牡馬価格の高騰に伴い、この形式では負担やリスクがあまりに大きくなった。そこで考案されたのがシンジケートで、細部はそれぞれ異なるが、1頭の馬につき約40株から60株程に分けて会員を募り、30人から50人程度で共同所有するという形式が一般的である。

日本では、1955年に輸入されたハロウェーが、この形式で所有された最初の種牡馬とされる。会員の持つ株を本株と言い、1株につき1頭分の種付け権利を有する。

株の保有数に応じて発言権が高まるのは、一般の株式会社と同様である。 本株とは別に余勢株というものがあり、ノミネーションセールと呼ばれるセリ市で取引されるが、非会員はこれを購入して1年限定の種付け権利を得ることとなる。余勢株の相場は、おおむね本株の5分の1程度とされる。余勢株から得られた収入は、会員に分配される配当金となる。

審議

競馬における審議(しんぎ、英:Stewards’ Inquiry,または単にinquiryとも)とは、ある競走において発馬機のゲートが開いてから決勝線を迎えるまでの間に、不正な行為がなかったかを審査やチェックすることを指す。

審議概要

審議は、競走中に進路妨害の疑いが生じたり、負担重量に問題が生じたりした場合に行われる。審議を行う場合には、裁決委員が場内アナウンス担当者を通して審議を行う旨を場内に知らせる。

知らせる方法として、電光掲示板と場内への審議放送が行われる。

電光掲示板では「審議」もしくは審議の略である「審」を掲示する場合が多い。また青ランプも点灯させる競馬場がある(おもに中央競馬)。この審議が行われる旨は、競走中に早々と示される場合もあれば、後検量で負担重量に問題があった場合など、競走が終わってしばらくしてから示される場合もある。通常は全馬入線後に知らされるが、まれに競走中に電光掲示板に審議を行う旨が示されることがある。

競走終了後、裁決委員がパトロールビデオを見てその競走馬が降着・失格の対象になるか否かを審議する。日本の中央競馬の場合、場合によっては被害馬・審議対象馬双方の関係者を裁決室に呼び事情を聴くこともある。なお地方競馬や日本国外の場合は、基本的には関係者を呼ばずに裁決委員が当該関係者に伝えるのみである。

審議終了後、降着・失格の有無に関係なくふたたび審議放送が同じく場内アナウンス担当者によって行われ、審議の結果が場内に告知される。

基本的には審議の終了まで着順が確定されず、審議の結果によっては着順の変更が生じるため、場内放送で「お手持ちの勝馬投票券はお捨てにならないようにお願い申し上げます」とアナウンスされることもある。

また審議が長引き、上位入線馬には影響がない場合には、上位入線馬のみを確定し、引き続き審議を行う場合がある(これは馬券の払い戻しを一刻も早く行うためである)。

審議の結果、不正や反則が認められた場合は、状況に応じて制裁が加えられる。制裁には馬に主たる原因があるものと人馬ともに原因のあるものなどいくつかに区別され、反則の内容により裁決委員により制裁の内容を決定する。

中央競馬においては、レース終了後は審議の有無に関わらず5位以内入線馬の着差が電光掲示板(着順掲示板)に順次表示されるが、5位以内入線馬に降着・失格があって確定した場合は、確定後も着差は電光掲示板には表示されない。ただしJRAの公式刊行物およびウェブサイト上には「○位降着」(=○位で入線したのち降着になった意)などと表示される。

審議放送

審議を行う旨や審議の結果などは、場内放送を用いてアナウンスを行う。このアナウンスを審議放送と呼ぶ。審議放送では、発生した地点(発走後間も無く、第○コーナー、向正面、最後の直線コース、決勝線手前、○周目第○号障害飛越の際)、被害を受けたと思われる馬名、発生した案件(進路が狭くなったこと、つまずいたこと、バランスを崩したこと、騎手が落馬したこと、転倒したこと、競走を中止したこと、外にふくれたこと)をアナウンスする。

ただし、2頭が接触したと思われる事案は「○○号と××号が接触したこと」とし、案件がはっきりしない場合は馬名を挙げずに「第○コーナーでの出来事」とアナウンスする。

以下に中央競馬における審議放送の内容を挙げる。なお、馬名はすべて架空の馬名である。

審議の実施

「お知らせ致します。○○競馬第○レースは~」に続いて審議対象案件の説明となる。最後に「お持ちの投票券は、勝ち馬が確定するまで、お捨てにならない様お願い致します。」とアナウンスされる。

審議対象案件のアナウンスの例

「決勝線手前で、11番セカイイチゴウ号の進路が狭くなったことについて審議を致します。」
「発走後間も無く、11番セカイイチゴウ号がつまずいたことについて審議を致します。」
「最後の直線コースで、11番セカイイチゴウ号の騎手がバランスを崩したことについて審議を致します。」
「向正面で、11番セカイイチゴウ号の騎手が落馬したことについて審議を致します。」
「最後の直線コースで、11番セカイイチゴウ号が転倒したことについて審議を致します。」
「第4コーナーで、11番セカイイチゴウ号が競走を中止したことについて審議を致します。」
「第1コーナーで、11番セカイイチゴウ号が外にふくれたことについて審議を致します。」
「2周目第3コーナーで、7番セカイオウ号と11番セカイイチゴウ号が接触したことについて審議を致します。」
「第3コーナーでの出来事について審議を致します。」
「最後の直線コースで、11番の進路が狭くなったこと、及び7番の進路が狭くなったことについて合わせて審議を致します。」
「競走後半で、11番の進路が狭くなったことについて審議を致します。」 (新潟直線1000mの場合のみ)

上位入線馬に審議の対象馬がいない場合の審議

「お知らせ致します。○○競馬第○レースは引き続き審議しておりますが、第○着までは到達順位の通り確定致します。」とアナウンスされる。この場合、競走としては確定ではないが馬券は確定となり、追って払戻しのアナウンスが行われる。
なお審議終了後、降着・失格の有無に関わらずその結果がアナウンスされる。

審議終了(進路妨害等が認められないと判断した場合)

「お待たせ致しました。○○競馬第○レースは、審議を致しましたが、到達順位の通り確定致します。なお~」に続いて審議結果がアナウンスされる。
審議結果のアナウンスの例
「審議の対象馬は7番であり、最後の直線コースで、11番の進路が狭くなったものでありました。」
「最後の直線コースで、11番は充分な進路が取れなかったため控えたものであり、進路が狭くなったものでありました。」
「7番は左側に寄れたことにより、最後の直線コースで、11番の進路が狭くなったものでありました。」
「この件は7番が内側に動いたことにより、最後の直線コースで、11番の進路が狭くなったものでありました。」
「最後の直線コースで、11番はバテ下がった前の馬をかわすため、控えたものでありました。」
「11番は他の馬に関係なく、つまずいて騎手が落馬し、最後の直線コースで、競走を中止したものでありました。」
「11番は他の馬に関係なく、最後の直線コースで、外にふくれたものでありました。」
「審議の対象馬は先の件は3番で最後の直線コースで、11番の進路が狭くなったものであり、後の件は5番で同じく最後の直線コースで7番の進路が狭くなったものでありました。」

審議終了(降着・失格が生じた場合)

「お待たせ致しました。○○競馬第○レースの審議についてお知らせ致します。」に続いて審議結果がアナウンスされる。冒頭部のアナウンスが降着・失格が生じない場合と異なる。
審議結果のアナウンスの例
「第3位に入線した、7番セカイオウ号は、最後の直線コースで急に内側に斜行し、11番セカイイチゴウ号の走行を妨害したため、第9着に降着とし、着順を変更の上、確定致します。従って、3着までの着順は、1着4番、2着8番、3着1番となります」
「第3位に入線した、7番セカイオウ号は、2周目6号障害で急に内側に斜飛し、11番セカイイチゴウ号の走行を妨害したため、第9着に降着とし、着順を変更の上、確定致します。従って、3着までの着順は、1着4番、2着8番、3着1番となります」
「第3位に入線した、3番セカイセイハ号は、最後の直線コースで急に内側に斜行し、11番セカイイチゴウ号の走行を妨害したため、第9着に降着とし、着順を変更の上、確定致します。従って、3着までの着順は、1着4番、2着8番、3着1番となります。なお、最後の直線走路で、7番の進路が狭くなったことについて審議をいたしましたが、この件による失格馬、及び降着馬はございません。なお、この件の対象馬は、5番でした。」
「第3位に入線した、7番セカイオウ号は、最後の直線コースで急に外側に斜行し、11番セカイイチゴウ号の走行を妨害したため、失格とし、着順を変更の上、確定致します。従って、3着までの着順は、1着4番、2着8番、3着1番となります」
「第3位に入線した、7番セカイオウ号は、2周目6号障害で急に外側に斜飛し、11番セカイイチゴウ号の走行を妨害したため、失格とし、着順を変更の上、確定致します。従って、3着までの着順は、1着4番、2着8番、3着1番となります」

審議終了(被害馬が先着していた場合)

「お待たせ致しました。○○競馬第○レースは、審議を致しましたが、到達順位の通り確定致します。なお~」に続いて審議結果がアナウンスされる。

審議結果のアナウンスの例

「7番セカイオウ号は、最後の直線コースで、11番ウィキペディア号の走行を妨害しましたが、被害馬が先着のため、着順の変更はありません」

中央競馬の「不服申立て制度」 の審議

中央競馬では1994年以降、審議の結果裁決委員が下した判定に不服のある当事者(馬主、騎手、調教師)は裁決委員以外の上部機関[注 1]にアピール(不服申し立て)を所定の保証金を支払う(2011年時点では10万円[2])ことで行うことができる(アピール制度)[3]。2011年2月までに行われた申し立てはすべて棄却されている[4]。

審議注釈
^ 当初は日本中央競馬会の役職員のみで構成されていたが、2009年6月20日から外部委員がメンバーに加わった[1]。

審議脚注

^ 谷川善久 (2009年6月14日). “中央競馬ニュース「不服審理委員会に外部委員が参加」” (日本語). Racing Topics. 日本中央競馬会. 2011年3月8日閲覧。
^ “幸 英明騎手からの不服申立てについて” (日本語). 日本中央競馬会 (2011年2月28日). 2011年3月8日閲覧。
^ “中央競馬Q&A 第12版 (PDF)” (日本語). 日本中央競馬会. pp. 20 (2010). 2011年3月8日閲覧。「Q43.不服申立て(アピール)制度とは。」参照
^ “幸の申し立て棄却” (日本語). スポーツ報知 (2011年3月3日). 2011年3月8日閲覧。

審議参考資料・出典

走路妨害および制裁について(JRAホームページ内)
藤田伸二「競馬番長のぶっちゃけ話」(宝島社 2009年)

勝率

勝率(しょうりつ、winning percentage、WP)とは勝利した割合を表す。

勝率概要

競技大会などで試合方式として主に総当たり戦(日本におけるリーグ戦)で行われる際の順位決定の為に採られる算出方法である。「順位決定方法は勝率制で行われる。」などの表現で用いられることが多い。勝率制の場合、基本的には前述の勝率計算で一番数値が高いチームが優勝となる。但し、プレーオフ制度を導入しているスポーツの場合は、それ以外(例えば2~3番手)の順位のチームにも最終的な優勝へのチャンスが与えられる為、この限りではない。

勝率計算方法

対戦形式のゲームでは、文字通りに考えれば
勝利数÷全試合数
となるが、引き分けがあるルールでは問題が発生するのでこの式はあまり使われない。たとえば日本の野球では
勝利数÷(勝利数+敗戦数)
が標準である(公認野球規則10.22)。

但し引き分けは負け扱いとして「勝利数÷全試合数」をそのまま採用する例や、0.5勝0.5敗として「[勝利数+(引分数×0.5)]÷全試合数」とする例もある(後述)。
野球選手個人(投手)の勝率を計算する場合は勝利投手数÷(勝利投手数+敗戦投手数)で計算する。
レースでは、
勝利数÷参加レース数
である。この場合の勝利とはレースで1着となることである。競馬の騎手なら「勝利数÷騎乗数」、調教師なら「勝利数÷出走数」となる。

勝率における引き分けの扱い

通常、単に勝率制と表現した場合は、冒頭での計算式からも解るように、引き分けは除外、つまり勝利数にも敗戦数にも含めない。但し、この場合引き分けの価値が(勝率)勝(1-勝率)敗と等価になるため、勝率が高くなればなるほど引き分けの価値が高くなる。

このため、引き分け制度がある競技運営の場合、優勝争いをしているチームが最初から、或いはある程度の段階から、勝利することではなく、意図的に引き分け狙いの作戦をとることがあったり、勝率で1位となったチームの勝利数が2位チームのそれより低い場合もあり、それを回避する目的で次のような方法が取られることがある。(いずれの方法も他のアマチュアスポーツなどでは現用で採用されている方法であり、決して特殊な方法ではない。)

勝率における0.5勝0.5敗に換算

引き分けを0.5勝0.5敗に換算し、勝率を計算する方法。
特徴:
引き分けの価値が常に同じとなる。
勝数と負数だけの計算に比べて多少複雑になる。
勝率1位が必ず勝数も最大になるとは限らない。

採用例:
1960年代までの日本プロ野球で行われた。
韓国プロ野球では2008年まで使用された。
2006 ワールド・ベースボール・クラシックで採用された。
日本国内の大学野球の一部のリーグで現用になっている。

再試合を実施の時の勝率

引き分け試合が発生した場合、再試合を行って必ず勝敗の決着を付ける方法。
特徴:
総試合数が参加全チームで同じになるため、勝率の1位と勝数の1位が必ず同一になるため解りやすい。

採用例:
1960年代までの日本プロ野球で採用実績がある。
1990年代のセントラル・リーグでも用いられた。但し、延長戦を15回までとして再試合の発生する可能性を抑えていた。

負け試合(非勝利)として扱う時の勝率

冒頭の計算式で、負数を非勝利数として扱う。つまり、総試合数に引き分けも含める。
特徴:
引き分け試合は実質的に負けと同等な価値になる。この為総試合数は参加全チームで同じになり、全日程終了時の順位も後述の勝利数のみで順位を決定する方法と同一となる。
負けないにも関わらず引き分け数が多いほど勝率上では不利になるので、引き分け試合が多く発生する競技では避けられる傾向がある。

採用例:
NFL(引き分け制度あり)
韓国プロ野球では2009年から2010年まで使用された。

勝率ではなく勝利数で順位を決定

冒頭の計算式で算出した勝率ではなく、あくまで勝利数のみで順位を決定する方法。
特徴:
勝利数で順位を決定すると、残り試合の差によって順位表が優勝までの有利不利さと著しく乖離してしまう。
引き分け試合は実質的に負けと同等な価値になり、負けないにも関わらず引き分け数が多いほど不利になるので、引き分け試合が多く発生する競技では避けられる傾向がある。
採用例:
2001年のセントラル・リーグで採用されたが1年で廃止された(東京ヤクルトスワローズ#2001年のリーグ優勝も参照)。
2003年・2004年の韓国プロ野球でも同様のシステムが取られた。

プレーオフを実施

勝率の1位と勝数の1位が同一チームではない場合、プレーオフを行う。
特徴:
勝率・勝利数の違いの不公平さをある程度解消できる。
採用例:
2001年から2006年までのセントラル・リーグで採用されたが、実際にプレーオフが行われることはなかった。

勝率に関するタイトル


プロ野球の投手成績

日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属する投手にも、最高勝率のタイトルがあった(1986年~2001年まで。2002年より最優秀投手へとタイトル名が変更された)。

JRAの騎手、調教師成績


競馬では、JRA賞でJRA賞最高勝率騎手、JRA賞最高勝率調教師の2タイトルが制定されており、日本中央競馬会によって表彰される。

勝率関連項目

最高勝率
リーグ戦
トーナメント方式
勝利
勝ち点

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