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ショウリュウムーン

ショウリュウムーンは、
名前の由来は昇竜に母の名前の一部であるムーンからとった。
2009年 
11月22日京都競馬場の新馬戦芝1400mで7番人気で2着に惜敗。

2戦目は12月6日の阪神の未勝利戦で1番人気に推されるも3着に終わる。
ショウリュウムーン 2010年
2月14日の京都未勝利戦で3戦目で未勝利を脱出した。

次走のチューリップ賞は9番人気だったが、直線先頭のアパパネをゴール前差しきり重賞初挑戦で初制覇し桜花賞の優先出走権を獲得した。鞍上の兵庫県競馬所属の木村健にとってもJRA重賞初制覇となった。

古馬との初対戦となったクイーンステークスでは中団から追い上げるも人気通りの5着に敗れた。秋華賞ではいつもの様に中団で待機するも直線では全く伸びず16着と大敗した。

マイラーズカップでは終始後方のまま14着と大敗した。そして本番のヴィクトリアマイルでは中団後方で待機するも見せ場無く13着。

クイーンステークスでは後方から追い上げるも5着に敗れた。ポートアイランドステークスでは内から馬群を捌いて抜け出すと、大外から伸びてきたロードバリオスをクビ差凌いで勝利した。

ショウリダバンザイ

ショウリダバンザイは、馬名の由来は「勝利だ万歳」から。
ショウリダバンザイ 2歳時 
ホッカイドウ競馬デビューであり、2009年5月20日のデビュー戦は門別で行われたJRA認定フレッシュチャレンジだった。

8頭立ての1番人気に推され勝利すると、次走は7月7日の栄冠賞に出走し、前走に引き続き1番人気に推されたが5着に敗れた。
3走目は8月11日のリリーカップで、3戦連続の1番人気だったが3着に敗れ、続く9月24日のルールオブロー賞では、2番人気となったが、デビュー戦以来の勝利を挙げた。
5走目に10月22日のエーデルワイス賞に出走、前走は勝利したものの3番人気で6着となり、6走目は水沢競馬場に遠征して南部駒賞に出走し、3番人気で4着となった。

ショウリダバンザイ 3歳時
年が明けてホッカイドウから大井に転厩し、3歳初戦は1月21日の桃花賞に出走すると、転厩初戦を勝利で飾った。

続く転厩2戦目に3月24日に浦和競馬場で行われた桜花賞に出走。レースは中団追走から徐々に進出し、4コーナーから先頭に並ぶと最後の直線では後続との差を広げ、1番人気だったバックアタックに2馬身半の差をつけて転厩2連勝とした。
さらに南関東へ戻り、11月17日に川崎競馬場で行われたロジータ記念に出走すると、最後の直線で1番人気ハーミアを交わし優勝。重賞3勝目となった。

ショウリダバンザイ 4歳時
初戦は2月2日のTCK女王盃に出走、後方追走のまま9着に終わった。4月18日付でホッカイドウ競馬の林和弘厩舎に復帰。

ノースクイーンカップでは1番人気のクラキンコを抑えて優勝、連覇を達成した。ビューチフル・ドリーマーカップではマチカネオイカゼの2着に敗れた。




 

サンライズプリンス

サンライズプリンスは、
主な勝ち鞍は2010年のニュージーランドトロフィー。
名前の由来は冠名+王子。
サンライズプリンス 2010年 
デビュー戦は1月24日、中京芝2000mの新馬戦。2着以下を9馬身差の圧勝でデビュー戦を飾る。

全勝のまま3戦目を中山の皐月賞トライアルのスプリングステークスだったが、4着となり惜しくも皐月賞の優先出走権を逃した。そして4月10日の中山のニュージーランドトロフィーは中山1600m戦の不利な大外16番枠を克服して重賞初制覇しNHKマイルカップの優先出走権を得た。

しかしNHKマイルカップは前目の競馬をしたものの直線伸びず4着となった。その後、右前浅屈腱炎を発症していたことが判明。

休養することになった。

サンライズプリンス競走成績

年月日競馬場競走名格頭数オッズ(人気)着順騎手斤量距離(馬場)タイム(上り3F)タイム差勝ち馬/(2着馬)
2010.1.24中京新馬153.6(2人)1着北村友一56芝2000m(良)2:02.1(36.2)-1.4(オーパスクイーン)
2.13中京ビオラ賞91.4(1人)1着北村友一56芝2000m(良)2:02.0(36.3)-0.6(アルティスト)
3.21中山スプリングSGII157.1(3人)4着北村友一56芝1800m(良)1:48.6(34.9)0.4アリゼオ
4.10中山ニュージーランドTGII163.4(1人)1着横山典弘56芝1600m(良)1:32.9(34.8)-0.3(ダイワバーバリアン)
5.9東京NHKマイルCGI182.7(2人)4着横山典弘57芝1600m(良)1:31.9(35.2)0.5ダノンシャンティ

サンテミリオン競走成績

サンテミリオン競走成績
競走日競馬場競走名格頭数枠番馬番オッズ(人気)着順騎手斤量[kg]距離(馬場)タイム(上り3F)着差1着馬(2着馬)
2010.1.5中山3歳新馬14453.6(1人)1着内田博幸54芝2000m(良)2:06.1(35.2)-0.2(クォークスター)
1.24中山若竹賞9774.5(3人)1着横山典弘54芝1800m(良)1:51.2(34.6)-0.4(バシレウス)
3.20中山フラワーCGIII16591.6(1人)3着横山典弘54芝1800m(良)1:50.7(34.8)0.4オウケンサクラ
4.25東京フローラSGII158151.9(1人)1着横山典弘54芝2000m(良)2:00.2(34.6)-0.2(アグネスワルツ)
5.23東京優駿牝馬GI188188.5(5人)1着横山典弘55芝2400m(稍)2:29.9(35.3)同着アパパネ
10.17京都秋華賞GI18357.9(3人)18着藤岡佑介55芝2000m(良)2:00.7(35.6)2.3アパパネ
11.14京都エリザベス女王杯GI174712.7(5人)9着M.デムーロ54芝2200m(良)2:14.0(35.4)1.5スノーフェアリー

サンテミリオン

サンテミリオンは、
主な勝ち鞍は2010年の優駿牝馬。馬名はフランス有数のワインの産地、世界文化遺産であるサン=テミリオンに由来する。
2010年1月5日中山競馬場の新馬戦芝2000mでデビュー。1番人気に応えて初戦を飾った。

2戦目は1月24日の500万下の若竹賞でここでも3番人気だったが、直線抜け出して2勝目をあげた。3戦目で初の重賞挑戦となったフラワーカップは、後ろからの競走となってしまい3着となった。

陣営は桜花賞への出走を選ばず、優駿牝馬(オークス)を目標にしたローテーションを組んだ。そして4月25日のフローラステークスでは1番人気に応えて重賞初制覇となった。
5月23日、雨の中で施行された優駿牝馬では、8枠18番という外枠での発走から中団後方を追走し、最終直線残り1ハロンあたりからアパパネとの叩き合いになり、そのまま並んで2頭がゴール板を駆け抜けた。15分近い写真判定の結果、アパパネと1着同着となった(JRA主催GIでは史上初)。

この結果、鞍上の横山典弘に初の優駿牝馬優勝を、調教師の古賀慎明には初のGI制覇をもたらした。そしてゼンノロブロイ産駒にとっても初のGI優勝となった。

詳細は第71回優駿牝馬を参照のこと。
秋はトライアルレースを使わずに秋華賞に直行することとなった。

それまで主戦を務めていた横山典弘が落馬負傷したため藤岡佑介に乗り替わりとなったが、迎えた本番ではゲート内で扉に顔をぶつけスタートで出遅れるというアクシデントに見舞われ、また頭をぶつけた際に口を切り出血していた為ハミを取ることが出来ず、
終始最後方のまま6馬身の大差しんがり18着に大敗した。エリザベス女王杯では主戦の横山が武蔵野ステークスでユノゾフィーに騎乗するため、ミルコ・デムーロを鞍上に迎えたが、中団追走も直線で伸びを欠いて9着に敗れた。

ゴルトブリッツ(独:Galt blitz)

ゴルトブリッツは、
おもな勝ち鞍は2011年アンタレスステークス、マーキュリーカップ。馬名はドイツ語で金の稲妻。
ゴルトブリッツ 2010年
母レディブロンドと同じく美浦の藤沢和雄厩舎所属としてデビューした。3月14日、阪神の芝1600メートルの新馬戦で単勝2番人気に推されるも7着だった。

2戦2勝でふたたび中央競馬への再入厩となったが、今度は栗東の吉田直弘厩舎所属となり、ダート路線を歩むこととなる。再デビューとなった12月の阪神ダート1800メートル戦を1番人気で勝つと、1000万条件馬の身で大井の東京大賞典に出走。

結果は7着だった。
ゴルトブリッツ 2011年
1月の京都戦を1番人気で勝利すると、小倉の準オープンの門司ステークスも2着に3馬身以上の差をつけて勝利し、オープン入りした。

そして中央競馬では初めての重賞出走となったアンタレスステークスでも最後の直線で抜け出して勝利。3連勝を達成し、騎手を務めた田辺裕信ともども重賞初制覇を果たした。

しかし同じく京都で行われた東海ステークスでは人気に推されるも、5着に敗れた。マーキュリーカップでは2着に3馬身差をつけて優勝し、重賞2勝目をあげた。

コスモメドウ

コスモメドウは、2011年ダイヤモンドステークスの優勝馬。
コスモメドウ3歳(2009年-2010年)
2009年12月20日の新馬戦でデビュー。

16頭立ての14番人気とまったく注目されていなかったが、5着と好走する。好走はするもののなかなか勝てず、初勝利は6戦目となる2010年4月4日の未勝利戦だった。

その後9月と11月に条件戦で勝利している。
コスモメドウ4歳(2011年)
条件馬であったが格上挑戦で1月5日の万葉ステークスに出走し、モンテクリスエスを2馬身抑えて優勝する。

ゲシュタルト

ゲシュタルト(独:Gestalt)は日本の競走馬。馬名はドイツ語で「形態」を意味する。
デビューは年明けと遅かった。そのデビュー戦を勝利したがその後の自己条件戦は2戦続けて敗れた。

4戦目は格上挑戦として皐月賞トライアルのスプリングステークスに出走。
 
アリゼオには先着を許したが前年の2歳王者ローズキングダムには先着した。しかし本番の皐月賞では2番手でレースを進めるも7着に敗れた。
続く京都新聞杯では、コスモファントムとレーヴドリアンを抑え重賞初制覇となった。迎えた第77回東京優駿では好位からしぶとく伸びるものの4着に敗れた。
秋緒戦のセントライト記念では1番人気で出走、先団からレースを進めるも直線で失速し14着と大敗を喫した。本番の菊花賞では好位からレースを進めるも人気通りの10着に敗れた。

中日新聞杯では好位からしぶとく脚を伸ばし3着となった。
明け4歳緒戦の日経新春杯では先団を進むも直線で伸びを欠き6着、ダイヤモンドステークスでは好位から脚を伸ばすが5着、阪神大賞典では6着、天皇賞(春)は最下位の17着と惨敗が続いた。

クラキンコ

クラキンコは日本で生産、調教された競走馬である。
馬名の意味・由来は「冠名(クラ)+父名より(キン)+子」。両親ともに北海優駿勝ち馬という、ホッカイドウ競馬の申し子として生まれ、史上4頭目、牝馬では初の北海道三冠を達成した。
特に北海優駿は、非常に珍しい両親と娘の2世代3頭による制覇である。ダートグレード競走でも実績を残した。
誕生までの経緯
クラキングオーは2000年の北海優駿、王冠賞の二冠を制するなど重賞を5勝し、ホッカイドウ競馬の第一線で活躍していた。しかし、2003年のレース中に故障を発生して競走を中止。

故郷の倉見牧場で功労馬として余生を過ごし、2006年からは種牡馬登録もされ、自家種牡馬としての役目も担うことになる。初年度の配合相手に選ばれたのは、クラキングオーと同じく北海優駿を勝った、牧場の看板ともいえる繁殖牝馬クラシャトル。

ダートグレード競走初挑戦のエーデルワイス賞も後方からの競馬で、先に抜けだしたオノユウに届かず2着だった。次走は中央の特別指定競走である赤松賞で芝レースに初挑戦するが、先行するも直線で伸びず、12着と惨敗した。

クラキンコは日本で生産、調教された競走馬である。馬名の意味・由来は「冠名(クラ)+父名より(キン)+子」。両親ともに北海優駿勝ち馬という、ホッカイドウ競馬の申し子として生まれ、史上4頭目、牝馬では初の北海道三冠を達成した。特に北海優駿は、非常に珍しい両親と娘の2世代3頭による制覇である。ダートグレード競走でも実績を残した。
ホッカイドウ競馬のオフシーズンとなる12月からは大井の中村護厩舎に移籍。東京2歳優駿牝馬を目指したが、右前肢に内側管骨瘤の症状が出たため、回避して休養に入る。

3歳時 
北海道三冠の一冠目である北斗盃はホッカイドウ競馬の開幕週に行われるため、ステップレースを使う目的で引き続き大井に所属し、菜の花特別から戦線に復帰。このレースはスタートで大きく出遅れて7着、次走のたんぽぽ特別では中団後方から直線で内から伸び、追撃をハナ差でしのいで勝利する。

再び堂山厩舎に戻って迎えた北斗盃では、中団追走から直線で内を突いて先頭に立ち、ゴール前は抑える余裕も見せる完勝で一冠目を制する。続く北海優駿は4番手から4コーナーでもったまま先頭に立ち、直線でも3頭の南関東勢を完封。

そしてレースでは5番手追走から4コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切って三冠を達成した[2]。
三冠達成後の緒戦となったオープン特別のNOSAI日高特別は2番手に先行し、4コーナーで楽に先頭に立って直線で後続を突き放し、古馬との初対決を制した。

ホッカイドウ競馬のオフシーズンに入った12月には名古屋グランプリに出走。先行して3番手につけるが、2周目3コーナー付近で手ごたえがなくなり、8着に敗れた。
この年の活躍が認められ、ホッカイドウ競馬の年度代表馬賞(サラブレッド系3歳以上[4])を受賞した。
4歳時 [編集]
2011年の初戦は5月5日のコスモバルク記念。

遠征してきた岩手の三冠馬ロックハンドスターとの三冠馬対決に、南関東重賞2勝をひっさげてホッカイドウ競馬に復帰したショウリダバンザイも加わっての三つ巴の戦いが注目された。レースでは3番手で折り合い、直線で外目から抜けだすと、追い込んできたショウリダバンザイをクビ差しのいで勝利した。

クォークスター(英:Quark Star)

クォークスター(英:Quark Star)は、
主な勝ち鞍はセントライト記念。名前の由来は、超新星爆発を起した後に形成される天体。
2010年
デビュー戦は1月5日、中山芝2000mの新馬戦。直線追い込むも2着だった。

このあと初重賞挑戦となったきさらぎ賞に出走も7着だった。その後中山の500万下に出走し2着、1着した。

その後間を開けてダービートライアルのプリンシパルステークスに出走し、2着に入ったがこの年からダービーへの優先出走権が勝ち馬だけにしか与えられなかったために惜しくもダービーへの出走は叶わなかった。その後ラジオNIKKEI賞はまたも2着となり、夏場休養に充てられた。

そしてセントライト記念は逃げるヤマニンエルブをゴール前差しきり重賞初制覇を果たした。菊花賞では見せ場なく9着に敗れた。

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