シンボリルドルフは、
1984年、4歳初戦として弥生賞に出走した。
このレースはシンボリルドルフにとって3か月ぶりとなり、18キログラム増の馬体重で出走した。
このレースではそれまで岡部が主戦騎手を務め4連勝中であったビゼンニシキが単勝1番人気となったがこれを1馬身4分の3差で破った。
ふたたびビゼンニシキとの2強対決となり、2頭に人気が集中しそうだったため2頭とも単枠指定とされた。今度はシンボリルドルフが1番人気となった。
シンボリルドルフは道中3番手で競馬を進め、第4コーナーでは先頭になった。直線に入るとビゼンニシキと一騎打ちになり、シンボリルドルフは外側を走るビゼンニシキと激しくぶつかり合い、外に斜行している。
しかし最後はビゼンニシキを1馬身4分の1抑えてレースレコードで一冠達成。ただし、この斜行で岡部騎手は2日間の騎乗停止処分を受けている。
表彰式で三冠を意識して岡部が一冠を示す1本指を指し示した(このパフォーマンスはのちにディープインパクトに騎乗した武豊も行った)。
東京優駿(日本ダービー)はビゼンニシキとの「SBダービー」と呼ばれた。
皐月賞に続いて揃って単枠指定とされた2頭の連勝複式馬券は銀行馬券と思われ、今も投票額最高記録を維持している。しかし単勝ではオッズ1.3倍とシンボリルドルフの圧倒的1番人気だった。
シンボリルドルフが向こう正面で岡部のゴーサインに反応しなかったために競馬場は騒然となったが、直線に入ると自らハミをとり3頭併せで先を行くスズマッハ・フジノフウウン・スズパレードを差し切り二冠達成。この出来事から岡部は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。
無敗での二冠制覇はトキノミノル、コダマ以来3頭目の快挙だった。ビゼンニシキは14着と沈んだ。
ここでも岡部は表彰式で二冠を示す2本指を立てた。
ダービー後、和田はルドルフの海外遠征を計画。
新聞などでも報道された[7]。しかし、ルドルフが右前脚に故障を発症したことと検疫条件が整わなかったことが重なり、7月に海外遠征の中止が発表された[8]。
秋緒戦、故障した右肩も回復し、すっかりリフレッシュしたシンボリルドルフはセントライト記念をレコードタイムで優勝。そして、三冠最後の菊花賞に挑む。
表彰式では岡部が三冠を示す3本指を立てた。そして3000メートルの菊花賞後、中1週の強行軍でジャパンカップへと駒を進めた。
前走で天皇賞(秋)を制した前年の三冠馬ミスターシービーも出走し、史上初の三冠馬同士の対戦となったジャパンカップだったが、シンボリルドルフは下痢をするなど体調不良が大きく報道され、生涯最低の4番人気となった。1番人気はミスターシービーだった。
しかし、レースは10番人気と前走の天皇賞(秋)から大きく人気を落としていた宝塚記念馬カツラギエースが逃げ切り勝ちを収め、史上初の日本馬のジャパンカップ優勝馬となった。シンボリルドルフはミスターシービー(10着)にこそ先着するものの、イギリスから参戦したベッドタイムにも及ばず3着と敗れ、連勝記録は8でストップした。
初の敗戦後に迎えた有馬記念は、ファン投票こそミスターシービーに次ぐ2位だったものの、単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持される。岡部は、前走カツラギエースにノーマークで逃げ切られた反省から、カツラギエースをマークする競馬に徹した。
最後の直線で先頭に立つと、粘るカツラギエースに2馬身差をつけてレコードタイムで優勝。中央競馬史上初の4歳四冠を達成した。
表彰式で岡部は4本指を立てた。この年7戦6勝3着1回で年度代表馬に選出された。
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シンボリルドルフ (Symboli Rudolf) は、
日本競馬史上4頭目のクラシック三冠馬であり、また初めて無敗でクラシック三冠を達成した。
三冠を含め、GI競走で通算7勝。1984年度優駿賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬、1985年度同年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬。
主戦騎手は岡部幸雄。
シンボリ牧場で、スイートルナにパーソロンを交配し、その結果1981年にスイートルナの4番目の産駒として生まれたのがシンボリルドルフだった。
額に三日月に似た形がついているという特徴を持ち、誕生から立ち上がるまでにかかる時間がわずか20分だったという。
牧場にいるころは「ルナ」と呼ばれていた。
シンボリルドルフ 競走馬時代
シンボリルドルフ 3歳
シンボリルドルフ 競走内容
1983年7月23日、新潟競馬の新馬戦でデビューし、優勝した。
このときのレースぶりについて岡部は「1000メートルで1600メートルの競馬を覚えさせた」と述べた。
新馬戦のあとシンボリ牧場で調整されたシンボリルドルフは10月上旬に美浦トレーニングセンターへ戻り、10月29日のいちょう特別を優勝した。野平はこのときの岡部の騎乗を見て「1600メートルのレースで2400メートルの競馬をした」と語っている。
3走目には朝日杯3歳ステークスではなく11月27日の一般オープン競走が選択され、優勝した。
シンボリルドルフ 3歳時のローテーション
シンボリルドルフ デビュー戦について
当時は期待の大きい馬が夏にデビューする場合、北海道で行われるレースに出走するのが一般的であった。
そのため新潟でデビューしたシンボリルドルフは、デビュー当初はそれほど期待されていなかったのだという説がある。
これに対して野平は美浦トレーニングセンターと北海道を往復することによってかかる負担を避けたかったことと、芝のレースでデビューさせたかった[4]ことから新潟のレースに出走させることを決定したとしている。
また、このときのレースは芝1000メートルであったが、野平は岡部に対し「1600メートルのつもりで乗ってほしい」と騎乗の際に話している。
シンボリルドルフ 朝日杯3歳ステークス不出走について
シンボリルドルフは関東の3歳チャンピオン決定戦であった朝日杯3歳ステークスに出走せず、11月27日の一般オープン競走に出走した。
このレースはシンボリルドルフにとって3か月ぶりとなり、18キログラム増の馬体重で出走した。このレースではそれまで岡部が主戦騎手を務め4連勝中であったビゼンニシキが単勝1番人気となったがこれを1馬身4分の3差で破った。
ふたたびビゼンニシキとの2強対決となり、2頭に人気が集中しそうだったため2頭とも単枠指定とされた。今度はシンボリルドルフが1番人気となった。
シンボリルドルフは道中3番手で競馬を進め、第4コーナーでは先頭になった。直線に入るとビゼンニシキと一騎打ちになり、シンボリルドルフは外側を走るビゼンニシキと激しくぶつかり合い、外に斜行している。
しかし最後はビゼンニシキを1馬身4分の1抑えてレースレコードで一冠達成。ただし、この斜行で岡部騎手は2日間の騎乗停止処分を受けている。
表彰式で三冠を意識して岡部が一冠を示す1本指を指し示した(このパフォーマンスはのちにディープインパクトに騎乗した武豊も行った)。
東京優駿(日本ダービー)はビゼンニシキとの「SBダービー」と呼ばれた。
皐月賞に続いて揃って単枠指定とされた2頭の連勝複式馬券は銀行馬券と思われ、今も投票額最高記録を維持している。しかし単勝ではオッズ1.3倍とシンボリルドルフの圧倒的1番人気だった。
また回避馬が続出し、当時の戦後最少頭数となる21頭でのレースとなった。レースではスズマッハが逃げる展開となった。
シンボリルドルフが向こう正面で岡部のゴーサインに反応しなかったために競馬場は騒然となったが、直線に入ると自らハミをとり3頭併せで先を行くスズマッハ・フジノフウウン・スズパレードを差し切り二冠達成。この出来事から岡部は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。
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バーディバーディは日本の競走馬。
勝ち鞍に2010年ユニコーンステークス等ダート重賞2勝。馬名の由来はゴルフ用語「バーディー」から。
時期や輸送面等を考慮され辞退となったがUAEダービーへの招待を受けるなどダート戦では早くにその実力を発揮した。
バーディバーディは池江から「もともと芝で期待していた馬」と評され[2]、ここまでの勝ち鞍は全てダートながら春先はクラシックローテーションを組まれる。
ユニコーンステークスでは好位の4番手を追走し、直線に入りバトードールとの叩き合いになったが、残り200mでバトードールを一気に突き放し、2馬身半差をつけて快勝した。本番のジャパンダートダービーでは2番手追走も直線で伸びを欠き6着に終わった。
秋はマイルチャンピオンシップ南部杯から始動、道中好位を追走するも直線で伸びあぐねて5着に終わった。続く武蔵野ステークスでは中団追走も直線で伸びを欠き6着、ジャパンカップダートでは逃げるトランセンドをマークしながらレースしたが、直線で伸びあぐねて4着だった。
東京大賞典ではスマートファルコンの3着に入った。
バーディバーディ4歳
2011年はフェブラリーステークスから始動、中団から渋太く脚を伸ばしたがトランセンドの3着。
続く東海ステークスでは好位を追走したが直線で伸びあぐねて6着、オアシスステークスでは後方から渋太く脚を伸ばすも3着だった。帝王賞では4番手のインに位置したがスマートファルコンの3着。
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ネオヴァンドーム(Neo Vendome)は、
主な勝ち鞍は2010年きさらぎ賞。馬名の由来は冠名「ネオ」にパリのヴァンドーム広場。
ネオヴァンドーム(Neo Vendome)は2009年
10月18日京都競馬場の新馬戦芝1800mで2着、2戦目は11月1日で2着、3戦目は12月12日でまたしても2着だった。
ネオヴァンドーム(Neo Vendome)は2010年
4戦目は1月5日で1番人気に応えて初勝利を飾った。
そして5戦目のきさらぎ賞。5番人気とそれほど人気にならなかったがミルコ・デムーロを鞍上に人気のレーヴドリアンの追い込みを封じ重賞初勝利となった。
その後、トライアルを使わず、4月18日の皐月賞に出走。好位からレースを進めるも3コーナー付近から徐々に後退してしまいブービーの17着と大敗した。
秋初戦の神戸新聞杯では2番手追走から3コーナー付近で先頭に並びかけるも直線で一杯になり8着に敗れた。10月24日の菊花賞では後方追走のまま13着に敗れた。
金鯱賞では中団に控えたが10着。札幌記念では中団追走も直線で伸びず6着。
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トゥザグローリー
英字表記 To the Glory
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 2007年2月16日(4歳)
登録日 2009年5月6日
父 キングカメハメハ
母 トゥザヴィクトリー
母の父 サンデーサイレンス
生国 日本(北海道勇払郡)
生産 ノーザンファーム
馬主 キャロットファーム
調教師 池江泰郎(栗東)→池江泰寿(栗東)
厩務員 市川明彦→塩津有也
競走成績
生涯成績 17戦6勝
獲得賞金 2億8969万2000円
トゥザグローリー(英: To the Glory)の主な勝ち鞍は2010年中日新聞杯、2011年京都記念、日経賞。馬名の意味は「栄光に向かって」であり、これは母トゥザヴィクトリーの「勝利に向かって」から連想され、母以上の栄光を勝ち取ってほしいという願いが込められている。
トゥザグローリー 戦績
トゥザグローリー 3歳
大型馬ゆえに調教が難しく、脚部不安も見られたためにデビューは遅れ、3月14日阪神競馬場の新馬戦芝1600mでデビュー。太目残りながら直線だけで差し切り勝ちをし、2戦目の4月4日阪神競馬場の3歳500万条件戦も連勝した。
続いて、東京優駿(日本ダービー)出走を目指してダービートライアルの青葉賞に出走。ペルーサの2着にとなり、日本ダービーの優先出走権を確保する。そして5月30日、本番の第77回東京優駿に出走したが、エイシンフラッシュの7着に終わった。
続く7月4日のラジオNIKKEI賞では1番人気で出走。向正面でポジションを上げ4コーナーで先頭に並びかけるも直線で伸びあぐねて5着に敗れた。
10月16日のアイルランドトロフィーでは1番人気で出走したが、トーセンジョーダンの2着。続いて10月31日のカシオペアステークスを勝ち、11月21日のマイルチャンピオンシップでは直線で伸びあぐねて7着に敗れた。12月11日の中日新聞杯では中団待機から徐々にポジションを上げると、直線で空いた内側を縫うように進出し逃げたコスモファントムを一気に交わして勝利、重賞初制覇を飾った。そして中1週で迎えた有馬記念は14番人気だったが、先行の位置から勝ち馬を追い上げて僅差で3着となり、3連複と3連単は万馬券となった。
トゥザグローリー 4歳
2011年、明け4歳の緒戦は2月13日の京都記念。最終直線で先に抜け出したヒルノダムールを捉えて先頭に立つと、京都巧者のメイショウベルーガの追走を3/4馬身抑え、1番人気に応えての重賞2勝目となった。これが2月末に引退する池江泰郎において、最後の重賞勝利となった。2月末で池江泰郎厩舎が定年解散となったため、息子の池江泰寿厩舎に転厩。
4月2日の日経賞では好位の3・4番手でレースを進めると直線では馬なりで先頭に立ち、ペルーサの猛追を2馬身半差抑えて重賞3勝目となった。5月1日の天皇賞(春)に1番人気で出走したが、途中先頭に立ってしまうなど折り合いを欠き、13着と大敗を喫した。6月26日の宝塚記念では中団に待機したが直線ではまったく伸びず13着と惨敗。
秋はステップレースを使わず天皇賞(秋)に出走。中団から伸びてくるもトーセンジョーダンの5着に敗れる。続くジャパンカップでは4番手でレースを進めたが直線で失速し11着に終わった。有馬記念では中団待機から直線で外から追い上げて3着となった。
トゥザグローリー 競走成績
競走日 競馬場 競走名 格 距離(馬場) 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 タイム
(上り3F) 着差 騎手 斤量
[kg] 1着馬(2着馬)
2010.3.14 阪神 3歳新馬 芝1600m(良) 16 1 2 1.5(1人) 1着 1:37.0(33.8) クビ 武豊 56 (ダノンゲットウィン)
4.4 阪神 3歳500万下 芝2200m(良) 8 1 1 1.3(1人) 1着 2:14.9(34.8) -0.1 福永祐一 56 (アイウォントユー)
5.1 東京 青葉賞 GII 芝2400m(良) 18 3 5 5.6(2人) 2着 2:25.0(34.3) 0.7 内田博幸 56 ペルーサ
5.30 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 17 8 17 65.8(10人) 7着 2:27.4(33.7) 0.5 戸崎圭太 57 エイシンフラッシュ
7.4 福島 ラジオNIKKEI賞 GIII 芝1800m(良) 16 5 9 2.6(1人) 5着 1:47.5(35.6) 0.2 内田博幸 56 アロマカフェ
10.16 東京 アイルランドT OP 芝2000m(良) 14 3 3 2.7(1人) 2着 1:59.3(33.7) 0.1 武豊 53 トーセンジョーダン
10.31 京都 カシオペアS OP 芝1800m(稍) 11 7 8 1.7(1人) 1着 1:47.8(35.9) -0.3 池添謙一 53 (ナムラクレセント)
11.21 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 18 5 9 9.1(4人) 7着 1:32.3(34.2) 0.5 M.デムーロ 56 エーシンフォワード
12.11 小倉 中日新聞杯 GIII 芝2000m(良) 18 1 1 2.2(1人) 1着 1:58.7(33.6) -0.3 M.デムーロ 55 (コスモファントム)
12.26 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 15 6 11 75.9(14人) 3着 2:32.6(34.4) 0.0 C.ウィリアムズ 55 ヴィクトワールピサ
2011.2.13 京都 京都記念 GII 芝2200m(良) 12 2 2 2.4(1人) 1着 2:13.9(34.5) -0.1 U.リスポリ 56 (メイショウベルーガ)
4.2 阪神 日経賞 GII 芝2400m(良) 10 1 1 2.0(1人) 1着 2:25.4(34.2) -0.4 福永祐一 58 (ペルーサ)
5.1 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(稍) 18 5 9 3.1(1人) 13着 3:22.3(37.3) 1.7 四位洋文 58 ヒルノダムール
6.26 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 16 7 14 10.1(4人) 13着 2:11.8(36.2) 1.7 福永祐一 58 アーネストリー
トゥザグローリー 血統表
トゥザグローリーの血統 (ミスタープロスペクター系/Northern Dancer 5x5x4=12.5%、Nureyev 4×3=18.75%)
父
キングカメハメハ
2001 鹿毛 Kingmambo
1990 鹿毛 Mr.Prospector Raise a Native
Gold Digger
Miesque Nureyev
Pasadoble
*マンファス
Manfath
1991 黒鹿毛 *ラストタイクーン
Last Tycoon *トライマイベスト
Mill Princess
Pilot Bird Blakeney
The Dancer
母
トゥザヴィクトリー
1996 鹿毛 *サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛 Halo
1969 黒鹿毛 Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well
1975 鹿毛 Understanding
Mountain Flower
*フェアリードール
1991 栗毛 Nureyev
1977 Northern Dancer
Special
Dream Deal
1986 Sharpen Up
Likely Exchange F-No.9-f
母は2001年エリザベス女王杯の優勝馬であり、ドバイワールドカップで2着に入った名牝トゥザヴィクトリー。
母の全弟に芝・ダートで重賞を制したサイレントディールがいる。
担当厩務員だった市川明彦はディープインパクトを担当したことで知られているが、上記のトゥザヴィクトリー、サイレントディールも担当していた。
2006年生まれの全姉は同年のセレクトセールにおいて、6億円で取引され大きな話題となった(未出走のまま繁殖入り)。
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トゥザグローリー(英:To the Glory)は、
主な勝ち鞍は2010年中日新聞杯、2011年京都記念、日経賞。馬名の意味は「栄光に向かって」であり、これは母トゥザヴィクトリーの「勝利に向かって」から連想され、母以上の栄光を勝ち取ってほしいという願いが込められている。
トゥザグローリー 3歳
大型馬ゆえに調教が難しく、脚部不安も見られたためにデビューは遅れ、3月14日阪神競馬場の新馬戦芝1600mでデビュー。太目残りながら直線だけで差し切り勝ちをし、2戦目の4月4日阪神競馬場の3歳500万条件戦も連勝した。
そして5月30日、本番の第77回東京優駿に出走したが、エイシンフラッシュの7着に終わった。続く7月4日のラジオNIKKEI賞では1番人気で出走。
向正面でポジションを上げ4コーナーで先頭に並びかけるも直線で伸びあぐねて5着に敗れた。
10月16日のアイルランドトロフィーでは1番人気で出走したが、トーセンジョーダンの2着。
そして中1週で迎えた有馬記念は14番人気だったが、先行の位置から勝ち馬を追い上げて僅差で3着となり、3連複と3連単は万馬券となった。
トゥザグローリー 4歳
2011年、明け4歳の緒戦は2月13日の京都記念。
最終直線で先に抜け出したヒルノダムールを捉えて先頭に立つと、京都巧者のメイショウベルーガの追走を3/4馬身抑え、1番人気に応えての重賞2勝目となった。これが2月末に引退する池江泰郎において、最後の重賞勝利となった。
2月末で池江泰郎厩舎が定年解散となったため、息子の池江泰寿厩舎に転厩。4月2日の日経賞では好位の3・4番手でレースを進めると直線では馬なりで先頭に立ち、ペルーサの猛追を2馬身半差抑えて重賞3勝目となった。
5月1日の天皇賞(春)に1番人気で出走したが、途中先頭に立ってしまうなどの折り合いを欠き、13着と大敗を喫した。6月26日の宝塚記念では中団に待機したが直線ではまったく伸びず13着と惨敗。
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ダノンシャンティは、
馬名の意味は「冠名」+「フランスの競馬場名(シャンティイ競馬場)」、主な勝ち鞍は2010年のNHKマイルカップ。
ダノンシャンティデビュー前
セレクトセール2008に上場され、ダノックスが2750万円で落札。
その後ファンタストクラブで育成調教される。
ダノンシャンティ2歳
2009年11月22日、京都競馬場芝1800mの新馬戦で内田博幸鞍上にデビュー、2番人気に支持されたこのレースでは道中好位に付け、直線で抜け出して2着に3/4馬身差で勝利する。
2戦目にはラジオNIKKEI杯2歳ステークスに出走、直線は馬群の間を割って伸びてきたが、先行して粘ったコスモファントムをかわせず、さらに差してきたヴィクトワールピサに交わされて3着に敗れる。
ダノンシャンティ3歳
2010年2月7日に行われた共同通信杯に内田博幸から吉田豊に乗り替わり出走した。
道中は後方から進み、直線で追い込んで圧倒的1番人気に支持されていたアリゼオに先着したが、ハンソデバンドにはハナ差及ばず2着に敗れる。
その後、3月27日の毎日杯に出走、道中は中団から進み直線で差し切り重賞初制覇となった。
5月9日、NHKマイルカップに出走、単勝1番人気に支持される。前半1000mが56.3というレース史上最速のハイペースとなったこのレースを後方待機策でスタミナを温存し、直線大外に持ち出し、直線だけで15頭を差し切ってGIを初制覇した[1]。
後方2番手でレースを進めたがスローペースが響いて9着に敗れた。
ダノンシャンティ4歳
2011年2月13日の京都記念に出走。道中折り合いを欠き、直線では良く伸びてきたものの4着。4月3日の大阪杯では最後方から追いあげてくるも4着。その後は安田記念に向けて調整されていたが、4月20日に右前浅屈腱炎が判明し、長期休養に入る。幹細胞移植手術を施された後に放牧に出され、11月頃に進退を判断するとしていたが[4]、5月18日に、現役を引退し北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬入りすることが発表された。
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ダッシャーゴーゴーは、
主な勝ち鞍はセントウルステークス、オーシャンステークス、CBC賞。馬名は元気のいい人+行く。
続く小倉2歳ステークスは5番人気ながら1着とはクビ差の2着に健闘した。阪神のオープン特別のききょうステークスは人気に応えて2勝目を飾った。
しかし京王杯2歳ステークスは1番人気に推されたものの4着に敗れた。次の朝日杯フューチュリティステークスでは12着惨敗となった。
ダッシャーゴーゴー 2010年
ファルコンステークスは直線伸びを欠き4着。阪神のマーガレットステークスは1番人気を裏切り8着となった。
陣営はこの後京都でのCBC賞に出走。古馬相手に直線伸びて2着に健闘した。
北九州記念は11着に惨敗するもセントウルステークスでは直線で前を捉えて差しきり重賞初制覇となった。鞍上の川田将雅はかつての師匠である安田隆行の管理馬での初の重賞制覇となった。
続くスプリンターズステークスは6番人気で出走。道中は中団最内からレースを進め、直線でも内から脚を伸ばし、ゴール前でウルトラファンタジーをハナ差捉えきれなかったものの2着入線となった。
しかし直線で内に斜行し、最内にいたサンカルロの進路を妨害したため、これが審議対象となり4着降着となった。その後、京都での京阪杯に1番人気で出走も10着と惨敗した。
ダッシャーゴーゴー 2011年
初戦のオーシャンステークスでは5番手からレースを進めると、直線で抜け出し重賞2勝目を飾った。続く高松宮記念では2番手追走から直線で先頭に立つも後続に交わされて4位で入線。
しかし3コーナーで内側に斜行してジョーカプチーノの進路を妨害したことが審議となり、11着に降着となった。降着制度導入以来2頭目となる、GI競走で2度目の降着となった[1]。
高松宮記念の後、2ヶ月間を空けて6月12日のCBC賞に出走、1番人気に応えての重賞3勝目を挙げた。
3ヶ月間を空けて9月11日のセントウルステークスでは中団で脚を溜め直線でエーシンヴァーゴウ、ラッキーナインとの激しい叩き合いとなったが3着。
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ダッシャーゴーゴー競争成績
年月日競馬場競走名格頭数オッズ(人気)着順騎手斤量距離(馬場)タイム(上り3F)タイム
差勝ち馬/(2着馬)
20097.26小倉新馬101.6(1人)1着川田将雅54ダ1000m(不)0:59.2(36.2)-0.1(エムオーゴールド)
9.6小倉小倉2歳SGIII1412.6(5人)2着佐藤哲三54芝1200m(良)1:09.0(34.9)0.0ジュエルオブナイル
10.3阪神ききょうSOP163.5(1人)1着佐藤哲三56芝1400m(良)1:22.4(35.5)-0.3(ニシノモレッタ)
11.14東京京王杯2歳SGII173.3(1人)4着後藤浩輝55芝1400m(稍)1:22.2(34.9)0.2エイシンアポロン
12.20中山朝日杯FSGI1620.9(6人)12着佐藤哲三55芝1600m(良)1:35.1(36.3)1.1ローズキングダム
20103.20中京ファルコンSGIII184.9(2人)4着和田竜二56芝1200m(良)1:09.0(35.6)0.3エーシンホワイティ
4.3阪神マーガレットSOP164.0(1人)8着佐藤哲三57芝1400m(良)1:21.7(35.3)0.4シゲルモトナリ
6.13京都CBC賞GIII1813.7(7人)2着古川吉洋52芝1200m(稍)1:09.0(34.0)0.1ヘッドライナー
8.15小倉北九州記念GIII185.1(2人)11着川田将雅54芝1200m(良)1:08.0(35.1)0.9メリッサ
9.12阪神セントウルSGII159.6(4人)1着川田将雅55芝1200m(良)1:08.0(33.7)0.0(グリーンバーディー)
10.3中山スプリンターズSGI1614.8(6人)4降川田将雅55芝1200m(良)1:07.4(34.0)0.0ウルトラファンタジー
11.27京都京阪杯GIII182.5(1人)10着古川吉洋56芝1200m(良)1:08.5(33.7)0.5スプリングソング
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シンメイフジ(英: Shimmei Fuji)は、
主な勝ち鞍は新潟2歳ステークス(2009年)、関東オークス(2010年)。馬名の由来は冠名+父名の一部より。
シンメイフジ 2歳(2009年)
2009年7月5日、阪神の芝1200メートルの2歳新馬戦で武豊とのコンビでデビューし、1.6倍の1番人気に応えてデビュー戦初勝利を挙げた。続く8月8日のダリア賞でも1番人気の支持を得たが、先に抜け出したプリンセスメモリーに先着を許した。
3戦目の9月6日の新潟2歳ステークスが重賞初挑戦となり、最後方追走から上がり3F32秒9の末脚を見せて岩田康誠との新たなコンビで重賞初勝利を飾った。これで岩田康誠は騎手として同レース史上3人目の連覇となった。
阪神の第61回阪神ジュベナイルフィリーズでは3.9倍の単勝1番人気と支持されたが、道中後方待機から伸びきれず5着となった。
シンメイフジ 3歳(2010年)
2010年の始動戦は3月20日のフラワーカップ。
好スタートを決めハナに立ち、道中も先頭でレースを進めた。直線に入って一旦突き放すも3番人気のオウケンサクラに並ばれると後退し5着。
6月16日、川崎で行われた第46回関東オークスでは内田博幸が手綱を取り初ダートとなったが、1番人気に支持され、課題のスタートも五分に出て好位追走から抜け出し2着に0.3秒差突き離して快勝した。6月30日、右第1指骨剥離骨折を発症していることが判明した。
シンメイフジ 4歳(2011年)
7ヵ月半ぶりの実戦復帰となった2011年2月2日の第14回TCK女王盃では内枠を利してハナに立ち先頭でレースを進めたが直線で後退し5着に敗れた。続く3月20日の第59回中京記念では先団から追走して4着。
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