競馬用語&競走馬 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

JBCクラシック 歴史

JBCクラシック 歴史
2001年 - サラ系3歳以上・指定交流・定量の重賞競走「JBCクラシック」を創設。

第1回は大井競馬場・ダート2000mで施行。
2004年
アドマイヤドンが史上初の3連覇。
安藤勝己が騎手として史上初の連覇。
2005年 - 馬主・関口房朗が代表を務める株式会社FDOが協賛(2006年まで)。

この年のみ競走馬関連情報サイト「フサイチネット」を冠にした「フサイチネット協賛 農林水産大臣賞典 JBCクラシック」として施行。
2006年
タイムパラドックスが史上2頭目の連覇、同時に平地GI級競走(中央・地方)では史上最高齢となる8歳での優勝。
松田博資が調教師として史上初の5連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、格付け表記をJpnIに変更。
2008年
ヴァーミリアンが園田競馬場・ダート1870mのコースレコード(1:56.7)で優勝、3頭目の連覇。
武豊は騎手として2人目の連覇。
石坂正は調教師として2人目の連覇。
2009年
ヴァーミリアンがアドマイヤドンに続く3連覇と同時に、GI勝利数新記録となる8勝を達成。
武豊は騎手として初の3連覇。
2010年 - スマートファルコンが勝利し、武豊は騎手として初の4連覇。

JBCクラシック

JBCクラシック(ジェイビーシークラシック)とは日本のJBC実行委員会と施行競馬場を管轄下する地方競馬団体とで、各地方競馬の競馬場で持ち回り開催される「ジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)」で施行される地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 JBCクラシック」と表記される。
2001年から始まったジャパンブリーディングファームズカップのメイン競走として夏の帝王賞(JpnI・ダート2000m)、冬の東京大賞典(GI・ダート2000m)と並ぶ地方競馬の最高峰の競走として創設された。

JBCスプリントとともに開催地を固定せず、各地の競馬場が持ち回りで実施する方式が採用されている。
施行距離はダート2000mが基本だが、競馬場のコース事情により前後することもある[2]。
出走条件はトライアルレースの優勝馬及び、選定選抜されたサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬及び地方所属馬で、出走枠は競馬場のコース事情により毎年異なる。
負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減である。
Road to JBC(トライアル競走シリーズ) 
このシリーズは上記JBCクラシックの出走権をかけて争うシリーズで、大きくトライアル指定競走と選抜指定競走の2つで構成されている。

JBCクラシック トライアル指定レース
以下に示す2競走の優勝馬については中央競馬・地方競馬問わずに優先出走権が与えられる。
競走格付け競馬場距離備考
日本テレビ盃統一JpnII船橋競馬場ダート1800m
マイルチャンピオンシップ南部杯統一JpnI東京競馬場ダート1600mJBCスプリント優先出走権兼

JBC指定競走
次に示す各競走は、優勝馬がJBCの出走馬を決める選定の対象馬としてノミネートされる。2011年は以下の6競走(前年と同数)が指定されている。
競走	競馬場	距離	備考
青藍賞	盛岡競馬場	ダート1600m	JBCスプリント指定競走兼
東京記念	大井競馬場	ダート2400m	
オータムカップ	笠松競馬場	ダート1900m	
珊瑚冠賞	高知競馬場	ダート1900m	2010年より
姫山菊花賞	園田競馬場	ダート1700m	JBCスプリント指定競走兼
九州記念	荒尾競馬場	ダート2000m

JBCスプリント 歴代優勝馬

JBCスプリント 歴代優勝馬

回数	施行日	開催競馬場	施行距離	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	2001年
10月31日	大井競馬場	ダート1200m	ノボジャック	牡4	JRA	1:11.1	蛯名正義	森秀行	(有)池ばた
第2回	2002年
11月4日	盛岡競馬場	ダート1200m	スターリングローズ	牡5	JRA	1:11.4	福永祐一	北橋修二	(株)協栄
第3回	2003年
11月3日	大井競馬場	ダート1190m[4]	サウスヴィグラス	牡7	JRA	1:09.7	柴田善臣	高橋祥泰	南波壽
第4回	2004年
11月3日	大井競馬場	ダート1200m	マイネルセレクト	牡5	JRA	1:10.6	武豊	中村均	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第5回	2005年
11月3日	名古屋競馬場	ダート1400m	ブルーコンコルド	牡5	JRA	1:25.3	幸英明	服部利之	(株)荻伏レーシング・クラブ
第6回	2006年
11月2日	川崎競馬場	ダート1600m[5] [2]	ブルーコンコルド	牡6	JRA	1:39.6	幸英明	服部利之	(株)荻伏レーシング・クラブ
第7回	2007年
10月31日	大井競馬場	ダート1200m	フジノウェーブ	牡5	大井	1:11.0	御神本訓史	高橋三郎	大志総合企画(株)
第8回	2008年
11月3日	園田競馬場	ダート1400m	バンブーエール	牡5	JRA	1:25.6	松岡正海	安達昭夫	(有)バンブー牧場
第9回	2009年
11月3日	名古屋競馬場	ダート1400m	スーニ	牡3	JRA	1:25.9	川田将雅	吉田直弘	吉田和美
第10回	2010年
11月3日	船橋競馬場	ダート1000m	サマーウインド	牡5	JRA	0:57.6	藤岡佑介	庄野靖志	ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第11回	2011年
11月3日	大井競馬場	ダート1200m							
第12回		川崎競馬場	ダート1400m

JBCスプリント 歴史

JBCスプリント 歴史
2001年 - サラ系3歳以上・指定交流・定量の重賞競走「JBCスプリント」を創設。第1回は大井競馬場・ダート1200mで施行。
2005年 - 馬主・関口房朗が代表を務める株式会社FDOが協賛(2006年まで)。この年のみ競走馬関連情報サイト「フサイチネット」を冠にした「フサイチネット協賛 農林水産大臣賞典 JBCスプリント」として施行。
2006年
ダート1600mのJBCマイルとして施行。
ブルーコンコルドが史上初の連覇。
幸英明が騎手として史上初の連覇。
服部利之が調教師として史上初の連覇。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。
大井のフジノウェーブが地方馬として初の制覇。

JBCスプリント

JBCスプリント(ジェイビーシースプリント)とは日本のJBC実行委員会と施行競馬場を管轄下する地方競馬団体とで、各地方競馬の競馬場で持ち回り開催される「ジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)」で施行される地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しているため、正式名称は「農林水産大臣賞典 JBCスプリント」と表記される。
2001年から始まったジャパンブリーディングファームズカップの準メイン競走として春のかしわ記念(統一JpnI・ダート1600m)、秋のマイルチャンピオンシップ南部杯(統一JpnI・ダート1600m)と並ぶ地方競馬の短距離路線の最高峰の競走として創設された。

JBCクラシックとともに開催地を固定せず、各地の競馬場が持ち回りで実施する方式が採用されている。なお2006年は川崎競馬場で施行されたがダート1200mが設定できずダート1600mで施行、名称も「JBCマイル」に変更された[2]。
距離はダート1200mが基本であるが、競馬場のコース事情[3]により前後する。
出走条件はトライアルレースの優勝馬及び、選定選抜されたサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬及び地方所属馬で、出走枠は競馬場のコース事情により異なる。

Road to JBC(トライアル競走シリーズ) 
このシリーズはJBCスプリントの出走権をかけて争うシリーズで、大きくトライアル指定競走と選抜指定競走の2つで構成されている。

JBCスプリント トライアル指定競走
次に示す2競走の優勝馬については中央競馬・地方競馬問わずに優先出走権が与えられる。
競走格付け競馬場距離
東京盃統一JpnII大井競馬場ダート1200m
マイルチャンピオンシップ南部杯統一JpnI東京競馬場ダート1600m

JBC指定競走
次に示す各競走は、優勝馬がJBCの出走馬を決める選定の対象馬としてノミネートされる。2011年は以下の5競走(前年から1競走減)が指定されている。
競走	競馬場	距離	備考
アフター5スター賞	大井競馬場	ダート1200m	
青藍賞	盛岡競馬場	ダート1600m	JBCクラシックの指定競走兼
オータムスプリントカップ	金沢競馬場	ダート1400m	
道営スプリント	門別競馬場	ダート1200m	
姫山菊花賞	園田競馬場	ダート1700m	JBCクラシックの指定競走兼

ジャパンダートダービー 歴代優勝馬

ジャパンダートダービー 歴代優勝馬

回数	施行日	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1999年7月8日	オリオンザサンクス	牡3	大井	2:06.9	早田秀治	赤間清松	日浦桂子
第2回	2000年7月12日	マイネルコンバット	牡3	JRA	2:06.4	大西直宏	稲葉隆一	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第3回	2001年7月12日	トーシンブリザード	牡3	船橋	2:05.8	石崎隆之	佐藤賢二	稲垣博信
第4回	2002年7月4日	ゴールドアリュール	牡3	JRA	2:04.1	武豊	池江泰郎	(有)社台レースホース
第5回	2003年7月8日	ビッグウルフ	牡3	JRA	2:04.9	武豊	中尾正	(有)ビッグ
第6回	2004年7月8日	カフェオリンポス	牡3	JRA	2:04.5	柴田善臣	松山康久	西川清
第7回	2005年7月13日	カネヒキリ	牡3	JRA	2:04.9	武豊	角居勝彦	金子真人ホールディングス(株)
第8回	2006年7月12日	フレンドシップ	牡3	JRA	2:06.1	内田博幸	角居勝彦	吉田照哉
第9回	2007年7月11日	フリオーソ	牡3	船橋	2:02.9	今野忠成	川島正行	ダーレー・ジャパン・レーシング(有)
第10回	2008年7月9日	サクセスブロッケン	牡3	JRA	2:04.5	横山典弘	藤原英昭	高嶋哲
第11回	2009年7月8日	テスタマッタ	牡3	JRA	2:04.5	岩田康誠	村山明	吉田和美
第12回	2010年7月14日	マグニフィカ	牡3	船橋	2:05.2	戸崎圭太	川島正行	吉田照哉
第13回	2011年7月13日	グレープブランデー	牡3	JRA	2:04.9	横山典弘	安田隆行	(有)社台レースホース

ジャパンダートダービー 歴史

ジャパンダートダービー 歴史
1999年 - 大井競馬場のダート2000mの4歳(現3歳)の定量の統一グレード競走「ジャパンダートダービー」として創設、格付けは統一GI・南関東G1。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
船橋のトーシンブリザードが優勝、史上初の南関東4冠を達成。
2003年 - JRAの武豊が騎手として史上初の連覇。
2006年 - JRAの角居勝彦が調教師として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。なお、南関東グレード(G1)は併記しないことになった。
2008年 - ユキチャン効果で同レース最高売上11億2,690万700円を記録(ユキチャン自身は直前で蕁麻疹により回避)。
2009年 - JRA所属馬の出走枠が5頭から6頭に、南関東所属馬の出走枠が6頭から5頭にそれぞれ変更。
2011年 - 南関東二冠牝馬のクラーベセクレタが3位入線したが、後日、禁止薬物のカフェインが検出されたことから失格となる。

ジャパンダートダービー

ジャパンダートダービーとは、日本の特別区競馬組合が大井競馬場のダート2000mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 ジャパンダートダービー」と表記される。
1996年に創設された4歳ダート三冠(ユニコーンステークス・ダービーグランプリ・スーパーダートダービー)の3競走はいずれも秋に開催される競走だった為、「春にも4歳(現3歳)のダートチャンピオン決定戦を」と言う意見があった。

また特別区競馬組合が主催するダート4歳ダート三冠競走最終戦のスーパーダートダービーを統一GIIから統一GIに昇格を目指していた思惑とも合致しスーパーダートダービーをスーパーチャンピオンシップと改名の上、4歳ダート三冠から撤退および南関東交流競走に降格させ本競走を統一グレード競走のスーパーダートダービーの後身競走として春季に新設した。春の3歳ダートチャンピオン決定戦の位置付けで、統一JpnIとして開催されている。

なお、2006年までは南関東G1が併記されていた。
また新設年よりユニコーンステークス・ダービーグランプリと共に3歳ダート三冠を形成。

更に2002年より羽田盃・東京ダービーと共に南関東3歳三冠を形成した。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)の競走馬を前提としてフルゲート16頭で、JRA所属馬6頭、南関東所属馬5頭、南関東所属以外の地方所属馬5頭と出走枠が定められている。
負担重量は定量で56kg、牝馬は2kg減の54kgである。
なお、2007年までは1着入賞した地方所属馬に限りダービーグランプリの優先出走権が与えられた。
ジャパンダートダービーとは日本の特別区競馬組合が大井競馬場のダート2000mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 ジャパンダートダービー」と表記される。
1996年に創設された4歳ダート三冠(ユニコーンステークス・ダービーグランプリ・スーパーダートダービー)の3競走はいずれも秋に開催される競走だった為、「春にも4歳(現3歳)のダートチャンピオン決定戦を」と言う意見があった。

また特別区競馬組合が主催するダート4歳ダート三冠競走最終戦のスーパーダートダービーを統一GIIから統一GIに昇格を目指していた思惑とも合致しスーパーダートダービーをスーパーチャンピオンシップと改名の上、4歳ダート三冠から撤退および南関東交流競走に降格させ本競走を統一グレード競走のスーパーダートダービーの後身競走として春季に新設した。春の3歳ダートチャンピオン決定戦の位置付けで、統一JpnIとして開催されている。

なお、2006年までは南関東G1が併記されていた。
また新設年よりユニコーンステークス・ダービーグランプリと共に3歳ダート三冠を形成。

更に2002年より羽田盃・東京ダービーと共に南関東3歳三冠を形成した。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)の競走馬を前提としてフルゲート16頭で、JRA所属馬6頭、南関東所属馬5頭、南関東所属以外の地方所属馬5頭と出走枠が定められている。
負担重量は定量で56kg、牝馬は2kg減の54kgである。
なお、2007年までは1着入賞した地方所属馬に限りダービーグランプリの優先出走権が与えられた。

ジャパンダートダービー 優先出走権付与競走
地方所属馬に限り優先出走権保持馬、指定馬が所属枠内の頭数で出走できる。その指定競走は以下のとおり。
優先出走権トライアル競走(優先出走権は地方馬のみ)
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
兵庫チャンピオンシップ	統一JpnII	園田競馬場	ダート1870m	1着入賞
ユニコーンステークス	統一GIII	東京競馬場	ダート1600m	1着入賞
関東オークス	統一JpnII	川崎競馬場	ダート2100m	1着入賞
南関東トライアル競走
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
羽田盃	南関東S1	大井競馬場	ダート1800m	1着入賞
東京ダービー	南関東S1	大井競馬場	ダート2000m	1着・2着入賞
指定馬トライアル競走(ダービーWeek参加競走)
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
九州ダービー栄城賞	KJ1	佐賀競馬場	ダート2000m	1着入賞
東海ダービー	SPI	名古屋競馬場	ダート1900m	1着入賞
兵庫ダービー	重賞	姫路競馬場	ダート1800m	1着入賞
岩手ダービーダイヤモンドカップ	D重賞	盛岡競馬場	ダート2000m	1着入賞
北海優駿(ダービー)	HI	門別競馬場	ダート2000m	1着入賞
また上記以外のダートグレード競走の1着入賞馬、兵庫チャンピオンシップの2着・3着入賞馬、中央競馬における重賞競走(2歳芝重賞・障害重賞除く)及びオープン特別競走(芝・障害・2歳競走を除く)の1着入賞馬にも指定馬としての権利が与えられる

帝王賞 歴代優勝馬

帝王賞 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1978年4月27日	ローズジヤツク	牡5	大井	2:59.1	阪本泰之	荒居貴美夫	阪本栄
第2回	1979年4月23日	ハツマモル	牡4	大井	2:58.2	福永二三雄	朝倉文四郎	山岡初太郎
第3回	1980年4月10日	カツアール	牡4	大井	3:00.6	高橋三郎	秋谷元次	栗林英雄
第4回	1981年4月28日	アズマキング	牡4	大井	2:57.1	岡部盛雄	岡部猛	(有)上山ビル
第5回	1982年4月19日	コーナンルビー	牝4	大井	2:57.8	堀千亜樹	遠間波満行	越路玄太
第6回	1983年4月18日	トラストホーク	牡5	大井	3:02.1	高橋三郎	武智一夫	菅波滿
第7回	1984年4月11日	スズユウ	牡6	大井	3:01.5	石川綱夫	朝倉文四郎	鈴木榮治
第8回	1985年4月18日	ロツキータイガー	牡4	船橋	3:00.2	桑島孝春	泉孝	児玉孝
第9回	1986年4月9日	トムカウント	牡7	船橋	2:05.9	石崎隆之	江川秀三	藤田松己
第10回	1987年4月8日	テツノカチドキ	牡7	大井	2:07.5	佐々木竹見	大山末治	(株)勝俣工務店
第11回	1988年4月13日	チヤンピオンスター	牡4	大井	2:07.0	桑島孝春	秋谷元次	坪野谷純子
第12回	1989年4月12日	フエートノーザン	牡6	笠松	2:07.3	安藤勝己	吉田秋好	高橋義和
第13回	1990年4月11日	オサイチブレベスト	牡6	JRA	2:07.6	丸山勝秀	土門一美	野出長一
第14回	1991年4月3日	チヤンピオンスター	牡7	大井	2:05.2	高橋三郎	飯野貞次	坪野谷純子
第15回	1992年4月15日	ナリタハヤブサ	牡5	JRA	2:06.6	横山典弘	中尾謙太郎	山路秀則
ラシアンゴールド	牡5	JRA	蛯名正義	大久保洋吉	大原詔宏
第16回	1993年4月12日	ハシルショウグン	牡5	大井	2:05.5	的場文男	赤間清松	渡辺典六
第17回	1994年4月11日	スタビライザー	牡6	JRA	2:04.7	柴田善臣	高橋英夫	ホースマン
第18回	1995年4月13日	ライブリマウント	牡4	JRA	2:03.7	石橋守	柴田不二男	加藤哲郎 他2名
第19回	1996年6月19日	ホクトベガ	牝6	JRA	2:04.2	横山典弘	中野隆良	金森森商事(株)
第20回	1997年6月24日	コンサートボーイ	牡5	大井	2:04.9	的場文男	栗田繁	森杉茂
第21回	1998年6月24日	アブクマポーロ	牡6	船橋	2:03.5	石崎隆之	出川克己	鑓水秋則
第22回	1999年6月24日	メイセイオペラ	牡5	岩手	2:04.0	菅原勲	佐々木修一	(有)明正商事
第23回	2000年6月22日	ファストフレンド	牝6	JRA	2:05.6	蛯名正義	高市圭二	竹﨑大晃
第24回	2001年6月26日	マキバスナイパー	牡6	船橋	2:04.4	K.デザーモ	岡林光浩	新田知也
第25回	2002年6月18日	カネツフルーヴ	牡5	JRA	2:03.7	松永幹夫	山本正司	(株)ローレルレーシング
第26回	2003年6月25日	ネームヴァリュー	牝5	船橋	2:04.6	佐藤隆	川島正行	(有)飛野牧場
第27回	2004年6月30日	アドマイヤドン	牡5	JRA	2:04.0	安藤勝己	松田博資	近藤利一
第28回	2005年6月29日	タイムパラドックス	牡7	JRA	2:03.5	武豊	松田博資	(有)社台レースホース
第29回	2006年6月28日	アジュディミツオー	牡5	船橋	2:02.1	内田博幸	川島正行	織戸眞男
第30回	2007年6月27日	ボンネビルレコード	牡5	JRA	2:04.3	的場文男	堀井雅広	塩田清
第31回	2008年6月25日	フリオーソ	牡4	船橋	2:04.7	戸崎圭太	川島正行	ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第32回	2009年6月24日	ヴァーミリアン	牡7	JRA	2:03.6	武豊	石坂正	(有)サンデーレーシング
第33回	2010年6月30日	フリオーソ	牡6	船橋	2:03.4	戸崎圭太	川島正行	ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第34回	2011年6月29日	スマートファルコン	牡6	JRA	2:01.1	武豊	小崎憲	大川徹

帝王賞の記録
レースレコード - 2:01.1(第34回優勝馬スマートファルコン)
2着との最大着差 - 9馬身(第34回優勝馬スマートファルコン)

帝王賞 歴史

帝王賞 歴史
1978年 - 大井競馬場のダート2800mの4歳(旧5歳)以上の重賞競走帝王賞として創設。
1986年
中央招待競走に指定。
施行距離を現在のダート2000mに変更。
1992年 - JRAのナリタハヤブサとラシアンゴールドが史上初の同着優勝。
1994年 - 本年以降ナイター競走で施行される。
1995年
中央・地方全国指定交流競走に指定。
南関東グレード制施行により南関東G1に格付け。
1997年 - ダート競走格付け委員会からGI(統一GI)に格付け。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2005年 - JRAの松田博資が調教師として史上初の連覇。
2006年 - 船橋のアジュディミツオーが大井競馬場・ダート2000mの当時のコースレコード2分2秒1で優勝。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。なお、南関東グレードは併記しないことになった。
2009年 - JRA所属馬の出走枠が5頭から6頭に、南関東所属馬の出走枠が8頭から7頭にそれぞれ変更。
2010年 - 船橋のフリオーソが当競走で史上2頭目となる2度目の優勝。

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