オグリキャップ クラシック登録
オグリキャップはクラシック登録をしていなかったため、中央競馬クラシック三冠競走には出走できなかった。
オグリキャップが優勝した毎日杯で4着だったヤエノムテキが皐月賞を優勝した後は、大橋巨泉が「追加登録料を支払えば出られるようにして欲しい」と提言するなど、中央競馬を主催する日本中央競馬会に対してオグリキャップのクラシック出走を可能にする措置を求める声が起こったが、実現しなかった。このことからクラシックに出走できなかったオグリキャップはマルゼンスキー以来となる「幻のダービー馬」と呼ばれた。
調教師の瀬戸口は後に「ダービーに出ていれば勝っていたと思いませんか」という問いに対し「そうやろね」と答え、また「もしクラシックに出られたら、中央競馬クラシック三冠を獲っていただろう」とも述べている。一方、毎日杯の結果を根拠にヤエノムテキをはじめとする同世代のクラシック優勝馬の実力が低く評価されることもあった。
なお1992年から、中央競馬はクラシックの追加登録制度(事前のクラシック登録がされていなくても、後で追加登録料200万円を払えばクラシック競走に出走登録できる制度)を導入した。1999年にはテイエムオペラオーがこの制度を生かして皐月賞に出走し、優勝している。
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オグリキャップ 中央競馬時代4歳(1988年)
中央競馬移籍後のオグリキャップは栗東トレーニングセンターの調教師瀬戸口勉の厩舎で管理されることが決まり、1月28日に鷲見厩舎から瀬戸口厩舎へ移送された。
オグリキャップ 競走内容
オグリキャップの中央移籍後の初戦にはペガサスステークスが選ばれた。地方での快進撃は知られていたものの、単勝オッズは2番人気であった。
レースでは序盤は後方に控え、第3コーナーから馬群の外を通って前方へ進出を開始し、第4コーナーを過ぎてからスパートをかけて他馬を追い抜き、優勝した。出走前の時点では陣営の期待は必ずしも高いものではなく、優勝は予想を上回る結果だった。
移籍2戦目には毎日杯が選ばれた。このレースでは馬場状態が追い込み馬に不利とされる重馬場と発表され、オグリキャップが馬場状態に対応できるかどうかに注目が集まった。
オグリキャップは第3コーナーで最後方の位置から馬群の外を通って前方へ進出を開始し、ゴール直前で先頭に立って優勝した。
オグリキャップはクラシック登録(JRAのクラシック競走に出走するため前年に行う予備登録)をしていなかったため、前哨戦である毎日杯を優勝して本賞金額では優位に立ったものの皐月賞に登録できず、代わりに京都4歳特別に出走した。
レースではオグリ一頭だけが58キロの斤量を背負ったが第3コーナーで後方からまくりをかけ、優勝した。
クラシック登録をしていないオグリキャップは東京優駿(日本ダービー)にも出走することができず、代わりにニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走した。
この時オグリキャップには疲労が蓄積し、治療のために注射が打たれるなど体調面に不安を抱えていた[27]が、レースでは序盤は最後方に位置したが向こう正面で前方へ進出を開始すると第4コーナーを通過した直後に先頭に立ち、そのまま優勝した。このレースでのオグリキャップの走破タイムはニュージーランドトロフィー4歳ステークスのレースレコ-ドであったにもかかわらず、騎乗していた河内洋はレース中に一度も本格的なゴーサインを出すことがなかった。
このレースでのオグリキャップの走破タイムは、同じ東京競馬場芝1600mで行われた古馬GIの安田記念よりも速かった。(レースに関する詳細については第6回ニュージーランドトロフィー4歳ステークスを参照)
続く高松宮杯では、中央競馬移籍後初の古馬との対戦、特に重賞優勝馬でありこの年の宝塚記念で4着となったランドヒリュウとの対戦にファンの注目が集まった。
レースではランドヒリュウが先頭に立って逃げたのに対してオグリキャップは序盤は4番手に位置して第3コーナーから前方への進出を開始し、第4コーナーで2番手に立つと直線でランドヒリュウをかわし、中京競馬場芝2000mのコースレコードを記録して優勝した。この勝利により、地方競馬からの移籍馬による重賞連勝記録である5連勝を達成した。
高松宮杯のレース後、陣営は秋シーズンのオグリキャップのローテーションを検討し、毎日王冠を経て天皇賞(秋)でGIに初出走することを決定した。毎日王冠までは避暑(中央競馬に所属する一流の競走馬は、夏期は避暑のために北海道へ移送されることが多い)を行わず、栗東トレーニングセンターで調整を行い[29]、8月下旬から本格的な調教を開始。
9月末に東京競馬場に移送された。
毎日王冠では終始後方からレースを進め、第3コーナーからまくりをかけて優勝した。
当時競馬評論家として活動していた大橋巨泉は、オグリキャップのレース内容について「毎日王冠で古馬の一線級を相手に、スローペースを後方から大外廻って、一気に差し切るなどという芸当は、今まで見たことがない」「どうやらオグリキャップは本当のホンモノの怪物らしい」と評した。毎日王冠の後、オグリキャップはそのまま東京競馬場に留まって調整を続けた。
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栗東トレーニングセンターの主な厩舎&活躍馬&騎手
厩舎 所属馬
笹田和秀 エリンコート
矢作芳人 グランプリボス
安田隆行 トランセンド、グレープブランデー、カレンチャン
庄野靖志 サマーウインド
小崎憲 スマートファルコン
松永幹夫 レッドディザイア
村山明 テスタマッタ
中竹和也 ジョーカプチーノ
吉田直弘 スーニ
藤原英昭 エイジアンウインズ、サクセスブロッケン、エイシンフラッシュ
安達昭夫 バンブーエール、エスポワールシチー
友道康夫 アドマイヤジュピタ、アンライバルド
目野哲也 ニホンピロジュピタ
境直行 フレッシュボイス
谷潔 ナリタホマレ
鹿戸明 テイエムメガトン
坪憲章 エルウェーウィン
梅田康雄 ダイタクヘリオス
小原伊佐美 タマモクロス
山内研二 ダンツフレーム、ダンツシアトル、イシノサンデー、チアズグレイス、シルクプリマドンナ、アローキャリー、パーソナルラッシュ
領家政蔵 ワンダーパヒューム、セイウンワンダー
野村彰彦 キョウエイマーチ、スプリングゲント
増本豊 マサラッキ、マルカラスカル、キングジョイ
五十嵐忠男 テイエムプリキュア
西浦勝一 テイエムオーシャン、カワカミプリンセス
服部利之 ブルーコンコルド
南井克巳 ウイングアロー
宮徹 アインブライド
西橋豊治 プリモディーネ
西園正都 タムロチェリー、フィールドルージュ、エーシンフォワード
中村均 トウカイローマン、マイネルマックス、マイネルセレクト
長浜博之 アグネスフローラ、ファビラスラフイン、アグネスフライト、アグネスタキオン、ファイングレイン、リトルアマポーラ、ビッグウィーク
武宏平 メルシータカオー、メルシーエイタイム、スリーロールス、メルシーモンサン
佐山優 ヒシアケボノ、ヒシミラクル
清水出美 ゴールドシチー、ムガムチュウ
佐々木晶三 タップダンスシチー、コスモサンビーム、アーネストリー
坂口正則 エイシンサニー
小島貞博 テイエムドラゴン
昆貢 ローレルゲレイロ、イイデケンシン、ディープスカイ、ヒルノダムール
加藤敬二 ノースフライト、エリモシック
小野幸治 サッカーボーイ
岩元市三 テイエムオペラオー
大根田裕之 カルストンライトオ
大久保龍志 マンオブパーサー、アサクサキングス
沖芳夫 エリモシック、ナリタトップロード
浅見秀一 メジロブライト、ヤマニンシュクル、ソングオブウインド、レジネッタ
池添兼雄 ヤマカツスズラン
角居勝彦 デルタブルース、カネヒキリ、シーザリオ、ハットトリック、ウオッカ、トールポピー、フレンドシップ、ヴィクトワールピサ
松田国英 クロフネ、タニノギムレット、キングカメハメハ、フサイチリシャール、ゴールドティアラ、ダイワエルシエーロ、ダイワスカーレット、ダノンシャンティ
松田博資 コスモドリーム、ベガ、ブゼンキャンドル、アドマイヤドン、タイムパラドックス、アドマイヤムーン、ブエナビスタ、レーヴディソール、マルセリーナ
音無秀孝 オレハマッテルゼ、サンライズバッカス、ヴィクトリー、オウケンブルースリ、カンパニー
橋田満 パッシングショット、サイレンススズカ、アドマイヤベガ、アドマイヤマックス、アドマイヤコジーン、アドマイヤホープ、アドマイヤグルーヴ、スズカマンボ、スズカフェニックス
森秀行 レガシーワールド、シーキングザパール、アグネスワールド、エアシャカール、ノボトゥルー、スターキングマン、ノボジャック、キャプテントゥーレ
白井寿昭 ダンスパートナー、スペシャルウィーク、アグネスデジタル、メイショウボーラー、フサイチパンドラ
池江泰寿 ドリームジャーニー、オルフェーヴル
橋口弘次郎 レッツゴーターキン、ダンスインザダーク、ツルマルボーイ、ユートピア、ザッツザプレンティ、ハーツクライ、ロジック、スリープレスナイト、ローズキングダム
松元茂樹 ユウフヨウホウ、ビリーヴ、ギルデッドエージ、ウインクリューガー、ローブデコルテ
鶴留明雄 リワードウイング、シスタートウショウ、チョウカイキャロル、タヤスツヨシ、スイープトウショウ
石坂正 アロンダイト、アストンマーチャン、ヴァーミリアン、ダイタクヤマト、ブルーメンブラット
所属騎手 [編集]
現役騎手 [編集]
赤木高太郎
秋山真一郎
安藤勝己
安藤光彰
飯田祐史
池添謙一
石橋守
今村康成
岩崎祐己
岩田康誠
上野翔
植野貴也
上村洋行
大下智
荻野要
荻野琢真
川島信二
川須栄彦
川田将雅
北沢伸也
北村友一
熊沢重文
黒岩悠
小坂忠士
国分恭介
小林慎一郎
小林徹弥
小牧太
酒井学
佐久間寛志
佐藤哲三
鮫島良太
四位洋文
柴原央明
白浜雄造
芹沢純一
高倉稜
高田潤
鷹野宏史
高橋亮
武幸四郎
武英智
武豊
竹之下智昭
田嶋翔
田中克典
田中健
田村太雅
太宰啓介
中村将之
難波剛健
西谷誠
野元昭嘉
長谷川浩大
畑端省吾
花田大昂
浜中俊
林満明
福永祐一
藤岡康太
藤岡佑介
藤懸貴志
藤田伸二
古川吉洋
松田大作
松山弘平
南井大志
幸英明
森一馬
渡辺薫彦
和田竜二
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栗東トレーニングセンターと美浦トレーニングセンターとの施設比較
施設の南方にある竜王山から流れる水は自然の地形によって磨かれることから大変水質が良く、小島茂之調教師は馬が倍も飲むとコメントしている。[要出典]
坂路の高低差は、美浦が17メートルで競走馬が一息で駆け上がれるのに対し、栗東32メートルで傾斜もきつく、2度ほど深呼吸しなければ上り切れないと言う。これにより、後肢を中心とした筋力、心肺能力、真っ直ぐに走る力、首を下げて走る技術などが、身に付きやすいと言われる。また、ゴールの後が下りになっていて、最後まで十分に走らせきれない美浦に対し、上りへの傾斜が更にきつくなる栗東では、最後まで走りきるための力が付きやすいとも言われる。レオダーバンの陣営は、菊花賞出走に備えての栗東滞在中、カロリーの消費量が大きく、美浦で与えていた7升の飼料では馬がガレて(痩せて)しまったために、8升に増やして対応した。
トレセン全体に起伏が多く、馬のクールダウンやリラックスのための逍遥馬道を歩くだけでも負荷がかかり、鍛えられると言われる。
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栗東トレーニングセンター(りっとうトレーニングセンター)は、滋賀県栗東市にある、日本中央競馬会(JRA)の施設(トレーニングセンター)である。
西日本における中央競馬の調教拠点である。
開設は1969年11月11日。
それまで関西所属馬(俗に関西馬と呼ばれる)の調教は主として京都・阪神・中京の各競馬場で行われていたが、調教トラックが少なく、十分な調教ができなかったことや、京都競馬場以外は平坦なコースばかりであった(関東の東京・中山には坂がある。阪神の直線に坂が設けられたのは1991年である。)
現在はトラック4コースと坂路コースの5つからなり、トラックのCコースと坂路コースには木片を敷き詰め、競走馬の脚部負担を抑える効果があるとされる「ウッドチップコース」を採用している。Dコースは内側半分は芝、外側半分は全天候馬場素材であるニューポリトラックを採用したコースとなっている。
敷地面積やコース本数などの全体の規模だけ見れば後発の美浦トレーニングセンターにわずかに見劣りするものの、これらの先進の調教設備を美浦に先んじて整備させ質的にも充実を図り、特に1985年に坂路コースが設置されてからは、1988年以降は毎年関東馬の年間勝利数を上回り、トウカイテイオーを管理した松元省一や、ミホノブルボンを管理した戸山為夫などの試行錯誤の末に競走馬の鍛練のノウハウが確立されてからは、関東圏の競馬シーンにおいても特別競走や重賞競走などで地元の関東馬を圧倒する状況が続いている。そ若干差を詰められているものの、獲得賞金額や優勝レースのタイトル数についてはいまだ完全に水を空けている状況である。また、平成以降、一時は栗東トレセンの代名詞にもなった坂路コースをはじめとして、栗東で取り入れられた各種施設や新機軸、他にも関西・関東間などの長距離の直前輸送など、栗東の厩舎が考案したノウハウの成功を見て、これを美浦の厩舎が追随するというパターンが幾度となく繰り返されている。
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オグリキャップの佐橋五十雄への売却と中央競馬への移籍
1988年1月、馬主の小栗はオグリキャップを2000万円で佐橋五十雄に売却し、佐橋は中央競馬への移籍を決定した。
JRA移籍に際して、登録名は発音と同じ「オグリキャップ」に変更された。
オグリキャップが活躍を続ける中で同馬を購入したいという申し込みは多数あり、特に中京競馬場(当時は地方と中央の共同使用)の芝コースで行われた8戦目の中京盃を優勝して以降は申込みが殺到した。
また、小栗に対してオグリキャップの中央移籍を勧める声も出た。しかしオグリキャップに関する小栗の意向はあくまでも笠松競馬での活躍にあり、また所有する競走馬は決して手放さないという信念を持っていたため、すべて断っていた。
これに対し最も熱心に小栗と交渉を行ったのが佐橋で、中央競馬の馬主登録をしていなかった小栗に対して「このまま笠松のオグリキャップで終わらせていいんですか」「馬のためを思うなら中央競馬へ入れて走らせるべきです」と再三にわたって説得したため、小栗は「馬の名誉のためには早めに中央入りさせた方がいい」との判断に至り、「中央の芝が向いていなければ鷲見厩舎に戻す」という条件付きで同意した。また、佐橋はオグリキャップが中央競馬のレースで優勝した際にはウイナーズサークルでの記念撮影に招待し、種牡馬となった場合には優先的に種付けする権利を与えることを約束した。
なお、鷲見は小栗がオグリキャップを売却したことにより自身の悲願であった東海ダービー制覇の可能性が断たれたことに怒り、笠松競馬場での最後のレースとなったゴールドジュニアのレース後、小栗が関係者による記念撮影を提案した際にこれを拒否した。オグリキャップの移籍によって笠松競馬の関係者はオグリキャップとの直接の関わりを断たれることになった。
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オグリキャップ 競走馬時代
オグリキャップ 笠松競馬時代
オグリキャップ 競走内容
1987年1月に笠松競馬場の鷲見昌勇厩舎に入厩。登録馬名は「オグリキヤツプ」。
ダート800mで行われた能力試験を51.1秒で走り合格した。
5月19日のデビュー戦ではマーチトウショウの2着に敗れた。その後2連勝したが、4戦目で再びマーチトウショウの2着に敗れた。5戦目でマーチトウショウを降して優勝して以降は重賞5勝を含む8連勝を達成した。
前述のようにオグリキャップはデビュー戦と4戦目の2度にわたってマーチトウショウに敗れている。敗れたのはいずれもダート800mのレースで、短距離戦では大きな不利に繋がるとされる出遅れ(スタート時にゲートを出るタイミングが遅れること)をした。一方オグリキャップに勝ったレースでマーチトウショウに騎乗していた原隆男によると、同馬はオグリキャップがエンジンのかかりが遅い馬であったのに対し、「一瞬の脚が武器のような馬で、短い距離が合っていた」。また、オグリキャップの厩務員は4戦目と5戦目の間の時期に三浦裕一から川瀬友光に交替しているが、川瀬が引き継いだ当初、オグリキャップのひづめは蹄叉腐乱(ひづめの内側が腐る疾病)を起こしていた。川瀬は、引き継ぐ前のオグリキャップは蹄叉腐乱が原因で競走能力が十分に発揮できる状態ではなかったと推測している。
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オグリキャップ 誕生
オグリキャップの母のホワイトナルビーは競走馬時代に馬主の小栗孝一が所有し、笠松競馬場の調教師鷲見昌勇が管理した。
ホワイトナルビーが繁殖牝馬となった後はその産駒の競走馬はいずれも小栗が所有し、鷲見が管理していた。
1984年のホワイトナルビーの交配相手には笠松競馬場で優秀な種牡馬成績を収めていたダンシングキャップが選ばれた。
これは小栗の意向によるもので、鷲見はダンシングキャップの産駒に気性の荒い競走馬が多かったことを理由に反対したが、最終的に提案が実現した[† 2]。
なお、オグリキャップは仔分けの馬(具体的には馬主の小栗と稲葉牧場の間で、小栗が管理にかかる費用と種牡馬の種付け料を負担し、生まれた産駒の所有権を半分ずつ持つ取り決めがなされていた)で、出生後に小栗が稲葉牧場に対してセリ市に出した場合の想定額を支払うことで産駒の所有権を取得する取り決めがされていた。
オグリキャップについて小栗が支払った額は250万円とも500万円ともされる。
オグリキャップ デビュー前
オグリキャップ 稲葉牧場時代
オグリキャップは1985年3月27日の深夜に誕生した。
誕生時には右前脚が大きく外向(脚が外側を向いていること)しており、出生直後はなかなか自力で立ち上がることができず、牧場関係者が抱きかかえて初乳を飲ませた[4]。これは競走馬としては大きなハンデキャップであり、稲葉牧場場長の稲葉不奈男は障害を抱えた仔馬が無事に成長するよう願いを込め血統名(幼名)を「ハツラツ」と名付けた。
なお、ハツラツの右前脚の外向は稲葉が削蹄(蹄を削ること)を行い矯正に努めた結果、成長するにつれて改善されていった。
ホワイトナルビーは乳の出があまり良くなく、加えて仔馬に授乳することを嫌がることもあったため、出生後しばらくのハツラツは痩せこけて見栄えのしない馬体だった。
しかしハツラツは雑草もかまわず食べるなど食欲が旺盛で、2歳の秋頃には他馬に見劣りしない馬体に成長した。気性面では前に他の馬がいると追い越そうとするなど負けん気が強かった。
オグリキャップ 美山育成牧場時代
1986年の10月、ハツラツは岐阜県山県郡美山町(現:山県市)にあった美山育成牧場[† 3]に移り、3ヶ月間馴致が施された。当時の美山育成牧場では1人の従業員(吉田謙治)が30頭あまりの馬の管理をしていたため、すべての馬に手が行き届く状況ではなかったが、ハツラツは放牧地で一頭だけ離れて過ごすことが多かったために吉田の目を引き、調教を施されることが多かった。
当時のハツラツの印象について吉田は、賢くておとなしく、また人なつっこい馬だったが、調教時には人間を振り落とそうとして跳ねるなど勝負を挑んでくることもあり、調教というよりも一緒に遊ぶ感覚だったと語っている[10]。また、ハツラツは育成牧場にいた馬の中では3,4番手の地位にあり、他の馬とけんかをすることはなかったという。
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オグリキャップ(Oguri Cap、1985年3月27日 - 2010年7月3日)は、
「平成三強」の一頭。第二次競馬ブーム期に、ハイセイコーに比肩するとも評される高い人気を得た。
1987年5月に笠松競馬場でデビュー。8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍し、重賞12勝(うちGI4勝)を記録した。その活躍と人気の高さは第二次競馬ブームを巻き起こす大きな要因のひとつとなったといわれる。32戦22勝(地方競馬時代含む)の成績を残して競走馬を引退した後は種牡馬となったが、中央競馬の重賞優勝馬を輩出することはできず、2007年に種牡馬を引退した。
1988年度のJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年度のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬。1991年、顕彰馬に選出。愛称は「オグリ」、「芦毛の怪物」など。
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サッカーボーイ血統背景
父ディクタスはフランス産馬、ジャック・ル・マロワ賞などに勝利し、種牡馬としてもフランスサイアーランキング2位などの活躍で、1981年に社台グループにより日本に輸入された。ファイントップの子孫は世界でもほぼ勢力を失っており、本馬が孤軍奮闘している状態で、自身は中距離馬だったが長距離を得意とする馬を多数輩出している。母は未勝利だが、本馬の甥にステイゴールド、近親にバランスオブゲーム、ドリームパスポートがいる。
サッカーボーイ エピソード
直前で回避した第40回毎日王冠は、オグリキャップ、イナリワン、メジロアルダンと人気・実績馬が顔を揃えた。当初の予定ではサッカーボーイを含めた4頭が単枠指定を受け、史上初の「4頭単枠指定」となるはずだった。
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