橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は日本の調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属。
宮崎県北諸県郡三股町出身。実子の橋口慎介はJRA調教助手。
実弟の橋口満朗は元JRA騎手。
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。
日本の戦後競馬史を見渡しても数少ない学士騎手の1人であり、さらには地方競馬の騎手から中央競馬の厩務員に転じたのちに調教師にまでなったという、日本競馬史を見渡しても稀な経歴を持つ人物である。
大学を卒業後、24歳のときに地方競馬の佐賀競馬で瀬戸山重春厩舎所属の騎手としてデビュー。
大学卒の騎手は非常に珍しく、地方競馬の過去例を見渡しても船橋の森誉・足利の早川順一などごく少数である[注 2]。
しかし1年で騎手を引退。
免許取得は1980年3月1日であるが、厩舎を開業したのは丸2年後の1982年3月1日。初出走(同時に初勝利)は同年3月13日の阪神競馬第2競走のハクサンレンポー。
2002年、9月22日から11月24日まで当時JRA新記録となる10週連続勝利を達成する。
2006年のドバイミーティングでは、GIIのゴドルフィンマイル(ユートピア)とGIのドバイシーマクラシック(ハーツクライ)に勝利した。
預託馬主は、「ツルマル」の冠名で知られる鶴田任男、社台グループの一口馬主クラブである社台レースホース・サンデーレーシングなど。両クラブからは特に、薔薇一族の馬を数多く預かっている。
薔薇一族の重賞16勝は、全て橋口厩舎の馬が挙げたものである。
GI競走優勝は多いが、それ以上にGI競走での2着が多いことで知られる。
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萩原 清(はぎわら きよし 1959年3月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター所属の調教師。
1982年7月に競馬学校厩務員課程に入学。同課程修了後の同年10月より橋本輝雄厩舎の厩務員となる。
1983年に調教助手となり、橋本輝雄厩舎、今津福松厩舎、鈴木勝太郎厩舎、鈴木康弘厩舎にて調教助手を務める。
1996年に調教師試験に合格し、同年12月に厩舎開業。
初出走は1996年12月21日の第6回中山競馬7日目の第7競走のラインフィーバーで13着。初勝利は、1997年3月15日の第2回中山競馬7日目の第4競走のトーヨージェイドであった。
1999年2月14日、第1回東京競馬6日目の共同通信杯4歳ステークスを、勝浦正樹騎乗のヤマニンアクロで重賞初制覇を飾る。
2009年5月31日、第76回日本ダービーを管理馬のロジユニヴァースが優勝し、厩舎開業14年目にしてJpn1競走初制覇をダービーで果たした。
萩原 清 主な管理馬
ヤマニンアクロ(共同通信杯4歳ステークス)
アタゴタイショウ(函館2歳ステークス)
プリサイスマシーン(中日新聞杯、スワンステークス、阪急杯)
ロジユニヴァース(弥生賞、東京優駿など4勝)
ランフォルセ(エルムステークス)
萩原 清主な厩舎スタッフ
南田雅昭(調教助手)
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服部 利之(はっとり としゆき、1958年6月12日 - )は
JRA・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。
父は服部正利元調教師。
1984年7月、父・服部正利厩舎の厩務員となり、11月からは調教助手となる。
1988年10月、目野哲也厩舎の調教助手となる。
1998年、調教師免許を取得。
4月4日、エイユースナイパーが勝利し延13頭目で初勝利となった。
2000年、第36回小倉記念をミッキーダンスが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
父も1975年に制しており、同レース父子制覇となった。
2005年、第5回JBCスプリントをブルーコンコルドが制しGI初勝利を挙げる。
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ナカヤマフェスタ!引退なんですね・・・。
また国内で、その雄姿に合えると思っていたので、残念ですね。
ナカヤマフェスタと蛯名騎手と二ノ宮調教師のチャレンジは、きっと、次のチャレンジャーに
引き継がれるはずです。
いつか凱旋門賞にも、必ず、手が届く日が来るでしょう。
ドバイWCでヴィクトワールピサが実証したように!
「この馬のためにも、ベストな状態で種牡馬入りすることがいいと思いました。ステイゴールドの子は走っていますし、後継種牡馬として期待したいですね」と二ノ宮調教師。
お疲れ様でしたナカヤマフェスタ。いままで、ありがとう!!
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現在の川崎競馬場の地に最初に競馬場ができたのは、1906年のことである。板垣退助を中心とした京浜競馬倶楽部によって競馬が開催された。ところが、1908年に政府が馬券発売禁止令を公布して馬券の発売を禁止したため、競馬を開催できなくなってしまった。実質的な開催日数はわずか15日だけであったという。跡地には当時の川崎町長によって富士瓦斯紡績の工場が誘致され、1915年に操業を開始する。工場であった時代の1930年には、工場の労働争議を支援するため、煙突男が出現して世間の話題となった。その後、1939年に工場は東京電気(現・東芝)に譲渡されたが、太平洋戦争中の空襲により焼失し、戦後再び競馬場が復活することになった[8]。
川崎競馬場 アクセス
京急大師線港町駅から徒歩1分(競馬開催時には電車が増発される)
JR川崎駅東口・京急川崎駅から無料送迎バス。
羽田京急バス
川崎鶴見臨港バス
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川崎競馬場 ポイントサービス
2007年10月8日より来場するたびにポイントがもらえる「カツマルくんカード」を無料で発行している。
カード発行条件は20歳以上で、身分を証明するもの(運転免許証や保険証など)を持って、1号スタンド1階のファン案内所にある申込用紙に必要事項を記入して提出する。1回来場すると、「来場回数」が加算され、「カツマルくんポイント」=10ポイント(重賞レース開催日は20ポイント)、ヤマダ電機で使用できる「ヤマダ引換ポイント」=50ポイント(重賞レース開催日も50ポイント)がそれぞれもらえる。
なお、ポイントは各入場門およびファン案内所にあるポイントカードリーダーにカツマルくんカードを投入すると加算される。ただし、ポイント加算は川崎競馬開催中の1日につき1回で、有効期限は最後にポイントを加算した日から1年間である。
貯めたカツマルくんポイントに応じて川崎競馬場の特別観覧席のチケットやオリジナルグッズもしくは商品(ハム詰め合わせなど)と交換ができる。また、PeX(ペックス)ポイント[6][7]に交換することもできる。
ヤマダ引換ポイントの使用については下記の手続きが必要である。
カツマルくんカードとヤマダ電機のポイントカードを持ってファン案内所に行き、ヤマダポイント引換券をもらう。
ヤマダ電機のポイントカードとヤマダポイント引換券を持って全国にあるヤマダ電機またはダイクマのレジに行き、ポイントを加算してもらう。なお、ポイント引換期間は引換券をもらった翌日から3週間以内である。
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川崎競馬場 エピソード
競馬場としてはコースの奥行きが無い構造である事から、向正面や3コーナーなどの仕掛け所をスタンドから一目瞭然に見渡す事が可能である。
「牝馬の川崎」という異名がある。これは大レースに牝馬限定戦が多いことと、サブタイトルを含めてレース名に名を残す3頭(キヨフジ・ロジータ・ホクトベガ)がいずれも牝馬であることに由来する。
1995年の年末には、テレビ番組に関連する企画イベントとしてポニー競馬のGIレースを開催した。
2004年11月25日には、映画「レディ・ジョーカー」のロケがここで行われたことを記念した競走「レディ・ジョーカーカップ」が開催された。
表彰式では、合田刑事役の徳重聡がプレゼンターとして登場した。
2006年にはジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)が開催された。
11月2日(夜間開催・マイル)と3日(昼間開催・クラシック)の2日間に分けての開催となった。ただし、コース形態の問題で競馬場に1200m戦の距離設定が無いことから、JBCスプリントは1600mのJBCマイルとして開催された。
また2000m戦の場合フルゲートが12頭であり、14頭の出走枠を確保するためJBCクラシックは2100mとなった。
定期的に毛色限定競走を実施している。
年末には芦毛・白毛馬限定競走のホワイトホース賞(開催時期によってはホワイトクリスマス賞)が行われる。他に青毛・青鹿毛・黒鹿毛馬のレースくろうま賞、栗毛限定のゴールデンホース賞が行われている。
なお、ホワイトホース賞ではレース名にちなんで、くじ引きで入場者にウイスキーのホワイトホースのプレゼントが行われた事もある。
場内食堂の食べ物が豊富なことでも知られる。
ちなみに、現在では競馬場内で名物と銘打ってたんめんを提供する店舗が複数存在するが、場内タンメン屋の実質的な元祖と言えるタンメン専門店の「国広」は2004年3月31日に閉店しており、現存しない。(店主の引退によるもの。
現在は同じ場所に別の店主が出店。)
所属騎手は年々少なくなってきているが、今野忠成が南関東リーディング上位に立ったり、中央競馬でも活躍する他、ベテランの森下博や金子正彦、中堅の酒井忍に若手の山崎誠士、町田直希も他場や中央競馬で騎乗しては結果を残すなど、川崎本場や川崎競馬以外でも川崎所属騎手の活躍は目立っている。
2008年10月31日より今までの南関東4競馬場ホームページとは別に、川崎競馬場独自のホームページを開設した。今までも携帯電話によるオンラインクーポン(携帯電話サイト「競馬総合チャンネル」との提携による)で入場料が無料になったが、11月3日開催より「無料入場券」を印刷して競馬場入場門で渡せば同じく無料になる。
同競馬場での開催や場外発売が行われない週末では、馬場内駐車場を利用したフリーマーケットがしばしば開催されている。また馬場内駐車場は近隣の川崎競輪場が開催されている時にも利用されている(競輪場までの無料送迎バスあり)。
2010年6月の開催より個人協賛競走が実施されている。実施には最低5人グループ(1人1万円、計5万円の費用)での申し込みが必要で、1開催につき2競走程度実施されている。
なお南関東4競馬場では初の個人協賛競走実施場となった[5]。
同じく2010年からは『クラシックジュニアカップ』という「出走馬の父が中央競馬の牡馬クラシック三冠(皐月賞・東京優駿・菊花賞)優勝馬」のみという競走が行われている。
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川崎競馬場 小向厩舎
川崎競馬場は施設が狭いために厩舎が併設されておらず、厩舎は幸区小向仲野町の多摩川沿いの一画にある。
また、厩舎地区と多摩沿線道路を挟んだ向かい側の多摩川の河川敷に1周1200mの調教用のダートコースがあり、調教はこのコースで行われる(地図上では川崎競馬練習馬場と表記されている)。
馬がコースと厩舎を行き来する際は、厩舎前の多摩沿線道路を横断することになる。
厩舎前には横断歩道と押しボタン式信号機が設置されており、信号が青に変わった際には馬が警備員の誘導で横断歩道を渡って馬場へ行き来している(なお、今のところ馬と車の接触事故は発生していない)。
調教用コースは公開の河川敷であるため、土手や河川敷から調教風景を眺めることができる。
また、走路等禁止された区画でなければ内馬場に相当する区画にも立ち入ることができる。
調教用コースは左回りで使用する日と右回りで使用する日が1日おきに定められている。
このコースは台風や大雨で多摩川が増水するとしばしば水没するのが関係者の悩みの種だという。
2007年9月7日に台風9号が首都圏に上陸した際には多摩川の増水でコースが水没、同月12日からの開催に出走を予定していた馬は川崎競馬場で調教せざるを得なくなった。
しかし、河川敷ゆえに川風が吹いているため、都市部のトレセンというイメージの割には空気が綺麗であり、これが川崎から南関東のトップクラスの馬が出る原動力の一つになっていると評する競馬関係者もいる。
かつては小向厩舎地区の馬房数不足を補うために調教師が競馬場周辺に独自の厩舎(外厩)を開設することが認められていたが、調教師の人数が減ったため2001年11月にこの形の外厩制度は廃止された。
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川崎競馬場 場外発売所
ジョイホース横浜(会員制) - 横浜市中区桜木町1-1ぴおシティ7F(2010年12月13日開設)
自場の管理としては初の場外勝馬投票券発売所となる。
その他の詳細は大井競馬場#場外馬券売場を参照。
大井競馬場・船橋競馬場・浦和競馬場
オフト後楽園・ひたちなか・大郷・新潟
オープス中郷・オープス磐梯
三条場外発売所
益田場外発売所
ニュートラックかみのやま・松山・いいたて
川崎競馬場 主な競走
川崎競馬場 ダートグレード競走
川崎記念(統一JpnI)
関東オークス(統一JpnII)
エンプレス杯(キヨフジ記念)(統一JpnII)
ホクトベガメモリアルスパーキングレディーカップ(統一JpnIII)
全日本2歳優駿(統一JpnI)
2006年にはジャパンブリーディングファームズカップが開催された。
重賞競走 [編集]
ロジータ記念(SI、2011年から地方交流となる)
報知オールスターカップ(SIII)
クラウンカップ(SIII、開催時期変更のため2010年度は施行なし)
川崎マイラーズ(SIII)
スパーキングサマーカップ(SIII)
戸塚記念(SIII、2011年からSII)
ローレル賞(SIII、2011年から地方交流となる)
鎌倉記念(SIII、2007年から地方交流)
川崎競馬場 騎手交流戦
佐々木竹見カップ・ジョッキーズグランプリ(2003年から開催中)
川崎競馬場 JRA2歳認定競走
(JRA認定)新馬(認定初出走:2,000,000円)
川崎競馬場 所属騎手
小向厩舎内を行き交う競走馬
伊藤裕人(いとう ひろと)
岩城方元(いわき まさゆき)
金子正彦(かねこ まさひこ)
今野忠成(こんの ただなり)
郷間勇太(ごうま ゆうた)
酒井忍(さかい しのぶ)
佐藤博紀(さとう ひろのり)
山林堂信彦(さんりんどう のぶひこ)
田中涼(たなか りょう)
中地雄一(なかち ゆういち)
拜原靖之(はいばら やすゆき)
藤江渉(ふじえ わたる)
本田紀忠(ほんだ のりただ)
前住和寿(まえずみ かずとし)
増田充宏(ますだ みつひろ)
町田直希(まちだ なおき)
森下博(もりした ひろし)
山崎誠士(やまざき せいじ)
山野勝也(やまの かつや)
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川崎競馬場 コース概要
馬場:1周1200m 左回り平坦、砂厚8.5cm
直線(4コーナーからゴール板まで): 300m
コース幅: 25m
距離設定: 900m、1400m、1500m、1600m、2000m、2100m
最大出走頭数(フルゲート): 1500m、1600m、2100mは14頭、それ以外は12頭である。
ダートコースの砂は従来は仙台産のものが使用されていたが、2011年5月から青森産の砂に入れ替えられている。
川崎競馬場 施設概要
川崎競馬場パドック
スタンド
1号スタンド(1983年12月竣工)、2号スタンド(1997年4月竣工)、3号スタンド(1971年3月竣工)があるが3号スタンドは2010年11月から外向きのグッズ売場を除いて閉鎖されている[2]。
指定席は1号スタンド4階(特別観覧席B 2000円)、2号スタンド3階(指定席 1000円)、4階(特別観覧席A 2500円)にある(ただし、2011年度は節電対策のため2号スタンド3階の指定席は閉鎖されている)。指定席についてはCNプレイガイドで事前予約可能となっている。
2号スタンド1階には、日本最多勝利数の記録を持つ佐々木竹見元騎手を記念するギャラリーが設置されている。
川崎競馬場 ナイター
ナイター競馬の開催場で、1995年より「カワサキ・スパーキングナイター」という名称で実施している。
2002年8月よりナイター競走期間中の最終競走発走予定時刻が20時50分となった。2006年7月現在、大井競馬場と並んで最終競走の発走予定時刻は日本のナイター競走施行場(他種公営競技含む)で2番目に遅い(最も遅いのは高知競馬場で20時55分)。
2004年の年末開催には薄暮競走である「クリスマス・プチナイター」を実施した。
2009年より12月開催を通常のナイター開催より1時間程繰り上げて発走(第1レース14時台、最終レース19時40分)する「セミナイター」で実施。
川崎競馬場 敷地
全国の競馬場で最も敷地面積が狭く、全国の競馬場で唯一向正面の奥に大型ビジョンが設置されている(簡単に言うならば競艇場などと同様のレイアウトである)。このため、内馬場の芝生スタンドからも大型ビジョンによりオッズなどの情報を容易に取得する事ができる。
その後、2006年に東京競馬場に設置されたターフビジョンが面積660m²で、世界最大となっていたが、川崎ではキングビジョンと旧大型映像装置の筐体を一体的に活用して、2009年6月に改めて世界最大面積1152m²の「川崎ドリームビジョン」として再整備され[3]、2010年にギネス・ワールド・レコーズに認定された(2011年現在はドバイのメイダン競馬場のものが最大である。)。メーカーは富士通フロンテック。
フルゲート14頭立ての競走でも馬単の全オッズが1画面で表示可能である。
内馬場地区の東半分は一般駐車場となっている。
また西半分は投票所と芝生スタンドとして開放され、メインスタンド側とは地下通路で繋がっている。なお、芝生スタンドの芝は施設所有者であるよみうりランドのゴルフ場のノウハウを用いた手入れが行き届いている。
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