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平井 雄二 調教師時代

平井 雄二 調教師時代
 1985年調教師免許取得。1986年3月1日、第2回中山競馬3日目第4レースのボルボシローで厩舎所属馬初出走を飾り、同年5月10日の第1回新潟競馬7日目第5レースのシャダイハンターで初勝利を飾った。
厩舎開業当初は後に伝説の名馬となったサクラスターオーを管理していた。1987年、同馬で第47回皐月賞と第48回菊花賞を制して注目を浴びた。しかしそのサクラスターオーは1番人気に推された第32回有馬記念で第3コーナー通過時に脚部を骨折。長期の闘病生活を送ったものの、翌1988年5月に病状が悪化、立ち上がれなくなった為、関係者間の協議の結果、安楽死処分の決断が下された。このサクラスターオーの安楽死は平井も相当な悲しみとショックを受けていた。
尚サクラスターオーの活躍が評価され、1987年に重賞獲得調教師賞を受賞している。
平井は、気性が悪いとの傾向があったサクラショウリの子であるサクラスターオーに対して「サクラショウリの仔は気性が悪いなんて言われるが、サラブレッドについて気性が『悪い』なんてことはない。闘争本能をどう利用して育ててやるかが人間の役割だ」とコメントしていた。

平井 雄二 調教師成績 

日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初出走	1986年3月1日	2回中山3日4R	4歳新馬	ボルボシロー	10頭	10	8着
初勝利	1986年5月10日	1回新潟7日5R	4歳未勝利	シャダイハンター	13頭	2	1着
重賞初出走	1986年8月31日	3回新潟8日8R	新潟3歳S	サクラバリュー	12頭	5	8着
重賞初勝利	1987年3月8日	2回中山4日11R	弥生賞	サクラスターオー	11頭	6	1着
GI初出走・初勝利	1987年4月19日	3回中山8日10R	皐月賞	サクラスターオー	20頭	2	1着
主な管理馬 [編集]
サクラスターオー(1987年弥生賞・皐月賞・菊花賞)
サチノスイーティー(2006年アイビスサマーダッシュ)
平井 雄二 主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
五十嵐久(1989年-1995年 騎手)
松山将樹(1999年-2007年 調教厩務員、調教助手)
鈴来直人(2000年-2005年 騎手)

平井 雄二

平井 雄二(ひらい ゆうじ、1947年7月31日-)は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師で元騎手。
父は元騎手で中山大障害を制した平井寅雄。
騎手時代は平地競走の他に障害競走にも騎乗しており、障害競走の名馬の1頭であったバローネターフにも2度騎乗している。

平井 雄二 騎手時代 
1963年に馬事公苑長期騎手養成課程14期生として入所。1965年に東京・稲葉幸夫厩舎の騎手候補となり、1969年に騎手デビュー。

同期に同郷の安田富男の他、田島良保、小島太、池上昌弘、目野哲也らがいた。
障害競走の騎乗が中心であった為、安田、田島、小島、池上と違い目立った活躍は無かったが、障害競走に於ける調教師からの信頼は厚く、中山大障害等の障害大レースにも良く騎乗していた。
調教師免許取得により1985年2月に現役を引退。騎手時代の通算成績は重賞競走4勝を含む合計117勝であり、この内概ね9割に当たる106勝が障害競走での勝利であった。

日吉 正和

日吉 正和(ひよし まさかず、1972年1月1日 - )とは、
JRA・栗東トレーニングセンターに所属する調教師で、元騎手。
福岡県出身。身長153cm、体重48kg、血液型A型。騎手時代は平地競走と障害競走の両方に騎乗していた。
1991年、JRA競馬学校を第7期生として卒業して騎手免許を取得し、栗東の湯浅三郎厩舎所属でデビュー。同期には四位洋文、藤田伸二らがいる。
初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第1競走のキョウワカガヤキで、13頭立ての10着。初勝利は1991年3月23日の京都競馬第12競走のエイシンテイオーで挙げた。デビュー15戦目だった。
2002年6月9日、中京競馬第5競走のタケカソウルネバーで障害初騎乗初勝利を挙げた。
1992年9月6日、小倉3歳ステークスでデイリープラネットに騎乗し重賞初騎乗(10着)。
2003年7月20日付で騎手を引退し、岡田稲男厩舎の調教助手に転身した。騎手成績は2118戦93勝(うち障害戦7戦1勝)であった。
2010年2月に調教師免許試験に合格[1]。3月1日より技術調教師として活動する。
2011年3月1日付けにて調教師として新規開業(栗東:馬房数14)。

日吉 正和 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
山本勝彦(2011年-現在 調教助手)
高野容輔(2011年-現在 調教助手)

羽月 友彦

羽月 友彦(はつき ともひこ 1970年7月29日- )は、
日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師。

1970年7月29日、鹿児島県出身。
1995年に小林稔厩舎で厩務員となる。その後調教厩務員、石坂正厩舎で調教助手を務める。
2006年2月、調教師試験に合格し、調教師へ転身。1年間は技術調教師として修業。
2007年3月1日、湯浅三郎厩舎を受け継ぐ形で厩舎を開業した。
2007年4月8日、第2回阪神競馬第10レースの梅田ステークスに於いて管理馬のワンダースピードが勝利し、厩舎開業初勝利を挙げた。
2008年4月27日、第3回京都競馬第11レースの第13回アンタレスステークス(GIII)に於いて管理馬のワンダースピードが勝利し、厩舎として初の重賞勝利を挙げた。
主な管理馬
ワンダースピード(2008年アンタレスステークス、名古屋グランプリ、2009年平安ステークス、東海ステークス)

畠山 重則 主な管理馬

畠山 重則 主な管理馬
ハセシノブ(1981年新潟記念、オールカマー、1982年新潟大賞典)
ロシアンブルー(1985年七夕賞、新潟記念)
ハセベルテックス(1987年フラワーカップ)
ヤマタケサリー(1989年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス)
アイルトンシンボリ(1992年~1993年ステイヤーズステークス、1994年宝塚記念2着)
マイヨジョンヌ(1996年新潟大賞典、福島記念、1997年新潟大賞典)
アルコセニョーラ(2007年福島記念、2008年新潟記念)
コスモメドウ(2011年ダイヤモンドステークス)



畠山 重則

畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター(南)に所属している調教師で、元騎手。実家は有限会社畠山牧場を経営している。
1964年、東京・田中和夫厩舎所属の騎手見習いとなる。
1965年、騎手免許を取得する。
1974年、東京(後に美浦)・勝又忠厩舎所属となる。
1978年、美浦・飯塚好次厩舎所属となる。
1979年、調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は通算1787戦143勝。
1980年、厩舎を開業する。10月11日、初出走となった福島競馬場での第5レースは、ミスマッキンレーが2着となる。12月6日に中山競馬場での第12レースで、グリーンエコーが勝利し延べ14頭目で初勝利を挙げる。
1981年、新潟記念をハセシノブが制し、重賞初勝利を挙げる。
1985年、春にシリウスシンボリを厩舎に受け入れる。詳細はシリウスシンボリ移籍事件を参照。優秀調教師賞を初受賞する。
1995年、10月10日に管理馬が地方競馬で初出走する。
1998年、7月15日に浦和競馬場で行われたマルチロマン特別を1番人気だったカゼノオーが制し、地方競馬初勝利を挙げる。
2005年、8月6日にJRA通算300勝を達成する。

橋田 満 調教師成績 管理馬 

橋田 満 調教師成績
 日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初出走	1985年3月16日	1回阪神7日1R	4歳未勝利	トーワチャンス	-	-	7着
初勝利	1985年5月11日	1回福島7日5R	4歳上400万下	アナベイル	-	-	1着
重賞初出走	1987年2月15日	2回京都6日11R	きさらぎ賞	スズノライジン	8頭	8	2着
重賞初勝利	1987年9月6日	3回小倉8日10R	小倉3歳S	ポットナポレオン	16頭	3	1着
GI初出走	1987年5月31日	3回東京4日10R	東京優駿	スズノライジン	24頭	23	21着
GI初勝利	1990年11月18日	4回京都6日10R	マイルCS	パッシングショット	18頭	10	1着
橋田 満 主な管理馬
アドマイヤグルーヴ(2003年・2004年エリザベス女王杯)
アドマイヤコジーン(1998年朝日杯3歳ステークス、2002年安田記念)
アドマイヤベガ(1999年東京優駿)
アドマイヤホープ(2003年全日本2歳優駿)
アドマイヤマックス(2005年高松宮記念)
サイレンススズカ(1998年宝塚記念)
スズカマンボ(2005年天皇賞・春)
スズカフェニックス(2007年高松宮記念)
パッシングショット(1990年マイルチャンピオンシップ)
橋田 満 主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
楠孝志(1989年-1993年 騎手、1993年-現在 調教助手)
南井大志(2002年-2005年 騎手)

橋田 満

橋田 満(はしだ みつる1952年9月15日-)は、JRA栗東トレーニングセンターに所属する調教師である。

1983年に調教師免許を取得し、1985年3月16日に管理馬が初出走、同年5月11日に初勝利を挙げる。
有力馬主である近藤利一や永井啓弍との繋がりが非常に強く、代表的な管理馬の名前には大抵「アドマイヤ」や「スズカ」の冠名がつく。

逆にこの2人の馬主以外の馬でのGI勝ちはパッシングショットの1回しかない。2010年2月22日現在の管理馬42頭中36頭が両名の所有馬である。
2007年以降は近藤オーナーの意向で、「アドマイヤ」の管理馬に武豊が騎乗することはなくなった。しかし松田博資調教師と違い、スズカフェニックスを初めとする他の管理馬では、武に騎乗依頼を出している。

橋口 弘次郎 主な管理馬

橋口 弘次郎 主な管理競走馬

カルストンダンサー(1984年阪神牝馬特別)
サンキンハヤテ(1986年小倉3歳ステークス、1988年阪急杯・セントウルステークス)
セントシーザー(1987年阪急杯・CBC賞)
レッツゴーターキン(1991年小倉大賞典・中京記念、1992年天皇賞(秋))
ミスタースペイン(1992年京阪杯・高松宮杯)
ツルマルガール(1994年朝日チャレンジカップ)
ロゼカラー(1995年デイリー杯3歳ステークス)
ダンスインザダーク(1996年弥生賞・京都新聞杯・菊花賞)
ツルマルガイセン(1998年中日新聞杯・カブトヤマ記念)
ロサード(1998年新潟3歳ステークス、1999年京阪杯、2001年・2003年小倉記念、2002年オールカマー)
ダイタクリーヴァ(2000年シンザン記念・スプリングステークス・鳴尾記念、2001年・2002年京都金杯)
テンシノキセキ(2000年フェアリーステークス、2003年セントウルステークス)
ローズバド(2001年フィリーズレビュー、2003年マーメイドステークス)
イブキガバメント(2001年朝日チャレンジカップ、2002年鳴尾記念)
ツルマルボーイ(2002年中京記念・金鯱賞、2004年安田記念)
ザッツザプレンティ(2002年ラジオたんぱ杯2歳ステークス、2003年菊花賞)
ダイタクバートラム(2003年阪神大賞典、2004年北九州記念・ステイヤーズステークス)
ユートピア(2002年全日本2歳優駿、2003年ユニコーンステークス・ダービーグランプリ、2004年・2005年マイルチャンピオンシップ南部杯、2006年ゴドルフィンマイル)
ヴィータローザ(2003年ラジオたんぱ賞・セントライト記念、2006年中山金杯)
ハーツクライ(2004年京都新聞杯、2005年有馬記念、2006年ドバイシーマクラシック)
ゴールデンキャスト(2004年・2005年セントウルステークス)
ペールギュント(2004年デイリー杯2歳ステークス、2005年シンザン記念)
ローゼンクロイツ(2005年毎日杯、2007年中京記念・金鯱賞)
ロジック(2006年NHKマイルカップ)
オディール(2007年ファンタジーステークス)
ダノンゴーゴー(2008年ファルコンステークス)
スリープレスナイト(2008年CBC賞、北九州記念、スプリンターズステークス)
カノヤザクラ(2008年・2009年アイビスサマーダッシュ、2008年セントウルステークス、2008年・2009年サマースプリントシリーズ王者)
リーチザクラウン(2009年きさらぎ賞(NHK賞)、2010年マイラーズカップ)
ローズキングダム (2009年東京スポーツ杯2歳ステークス、朝日杯フューチュリティステークス、2010年神戸新聞杯、ジャパンカップ)

橋口 弘次郎 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
石坂正(1982年-1997年 調教助手)
高橋亮(1996年-2002年 騎手)
平田修(1998年 調教助手)
助手)

橋口 弘次郎

橋口 弘次郎 エピソード
実績を挙げた調教師は若手であってもすぐに評価し、その調教方針から範を取って、自らの調教に取り入れることもある。そのため、レース週の追い切りなどにはしばしば変化が見られる。

栗東トレーニングセンターに坂路コースが完成した際、いち早く調教メニューに組み入れた調教師の一人でもある。
1996年にロゼカラーが桜花賞を熱発で回避し次の週にはダンスインザダークが同じく熱発で皐月賞を回避したり、ロゼカラーの仔ローズバドが母と同じ熱発で桜花賞を回避するなど、春のGIでは運に恵まれない面もあった。
東京優駿(日本ダービー)に人一倍執着を持っており、「私の一年はダービーに始まり、ダービーで終わる」と語ったこともある。その考え方を表すように、1999年から2006年までは8年連続で日本ダービーに管理馬を出走させていた。

1996年にダンスインザダークで、2004年にハーツクライで、2009年にリーチザクラウンで、2010年にローズキングダムで2着に入っているが、まだ日本ダービー制覇の夢は実現できていない。
新潟事件によって所属する関東の調教師からの騎乗依頼が激減した後、主としてローカル開催で関西馬に騎乗することが多くなっていた大崎昭一騎手。

同県出身ということもあり「大崎昭一に1000勝させる会」と一部で呼ばれた調教師グループの一員として橋口調教師も加わっていた。管理馬であったレッツゴーターキンが谷川岳Sから大崎騎手とコンビを組むとそれまでの不安定な成績が一変、勝ちきれないことも多かったが安定した成績を残すようになった。

福島民報杯を勝ったところで、半信半疑ながらも大崎騎手のアドバイスにより秋の天皇賞へ出走、11番人気ながらも先行馬の作った猛烈なハイペースに乗じて直線一気の剛脚を炸裂させ、一緒に伸びたムービースターをおさえて見事栄冠を勝ち得た。大崎騎手にとっては11年ぶりのG1級勝利であった。
熱烈な読売ジャイアンツファンで知られ、2006年5月4日の阪神甲子園球場で行われた、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のラジオ日本ジャイアンツナイターにゲスト出演した。

橋口 弘次郎 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走・初勝利1982年3月13日1回阪神5日2R4歳未勝利ハクサンレンポー--1着
重賞初出走1983年9月11日4回阪神4日11RサファイヤSカルストンダンサー13頭1213着
重賞初勝利1984年1月29日2回京都2日11R京都牝馬特別カルストンダンサー13頭81着
GI初出走1984年11月18日5回京都6日10RマイルCSカルストンダンサー16頭1414着
GI初勝利1992年11月1日4回東京8日10R天皇賞(秋)レッツゴーターキン18頭111着

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