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アヴェンチュラ

アヴェンチュラ

英字表記	Aventura
品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2008年3月7日(3歳)
死没	(現役競走馬)
父	ジャングルポケット
母	アドマイヤサンデー
母の父	サンデーサイレンス
生国	 日本(北海道安平町)
生産	ノーザンファーム
馬主	(有)キャロットファーム
調教師	角居勝彦(栗東)
競走成績
生涯成績	6戦4勝
獲得賞金	1億7922万円
勝ち鞍	GI:秋華賞(2011年)
GIII:クイーンステークス(2011年)

アヴェンチュラ(伊:Aventura)の主な勝ち鞍は2011年の秋華賞。馬名の意味はイタリア語で「冒険」。

アヴェンチュラ 経歴

アヴェンチュラ 2歳
2010年6月20日に阪神競馬場の2歳新馬戦でデビュー。このレースにはシュプリームギフト、エイシンオスマンといった評判馬が出走した。そのなかでアヴェンチュラは単勝3.7倍の2番人気に支持された。レースは中団を進み、直線では上がり3ハロン34秒4の末脚を繰り出し3馬身1/2の差で快勝した。2戦目は重賞初挑戦となった10月2日札幌競馬場の札幌2歳ステークスに2番人気で出走、レースでは中団後方から脚を伸ばしたがオールアズワンの2着だった。その後、12月12日阪神の阪神ジュベナイルフィリーズではスタートで出遅れ後方からレースを進んだがスローペースが響き4着になった。その後、右前第三手根骨が判明し、長期休養に入った。

アヴェンチュラ 3歳
復帰初戦となった2011年7月30日の漁火ステークスでは道中好位の4番手を進み、直線で先頭に立つとシルクアーネストの追走を3馬身差で抑え2勝目となった。8月14日のクイーンステークスではコスモネモシンをクビ差抑え、重賞初勝利となった。クイーンステークスから直行した秋華賞では、当初はエドガー・プラードが騎乗予定だったが、岩田康誠に変更となった。2番人気に支持され、メモリアルイヤーの大逃げというレース展開から最後の直線で早めに抜け出すとキョウワジャンヌ、1番人気のホエールキャプチャの追走を封じて1着となり、GI初制覇を果たした。

アヴェンチュラ 競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	距離(馬場)	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	タイム
(上り3F)	着差	騎手	斤量	1着馬(2着馬)
2010.6.20	阪神	2歳新馬		芝1600m(良)	12	2	2	3.7(2人)	1着	1:35.7(34.4)	-0.6	福永祐一	54kg	(エイシンオスマン)
10.2	札幌	札幌2歳S	GIII	芝1800m(良)	14	7	11	4.5(2人)	2着	1:49.9(35.7)	0.1	池添謙一	54kg	オールアズワン
12.12	阪神	阪神JF	GI	芝1600m(良)	18	1	1	9.9(3人)	4着	1:36.1(34.1)	0.4	和田竜二	54kg	レーヴディソール
2011.7.30	函館	漁火S	1600万下	芝1800m(良)	12	4	4	3.3(2人)	1着	1:47.9(35.4)	-0.4	池添謙一	52kg	(シルクアーネスト)
8.14	札幌	クイーンS	GIII	芝1800m(良)	14	6	9	2.7(1人)	1着	1:46.6(35.5)	-0.0	池添謙一	52kg	(コスモネモシン)
10.16	京都	秋華賞	GI	芝2000m(稍)	18	2	4	3.1(2人)	1着	1:58.2(34.9)	-0.2	岩田康誠	55kg	(キョウワジャンヌ)

アヴェンチュラ 血統表
アヴェンチュラの血統 (ゼダーン系/Northern Dancer 4×4=12.50%)
父

ジャングルポケット
1998 鹿毛	*トニービン
Tony Bin
1983 鹿毛	*カンパラ
Kampala	Kalamoun
State Pension
Severn Bridge	Hornbeam
Priddy Fair
*ダンスチャーマー
Dance Charmer
1990 黒鹿毛	Nureyev	Northern Dancer
Special
Skillful Joy	Nodouble
Skillful Miss
母

アドマイヤサンデー
1995 鹿毛	*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛	Halo	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well	Understanding
Mountain Flower
*ムーンインディゴ
Moon Indigo
1986 鹿毛	El Gran Senor	Northern Dancer
Sex Appeal
Madelia	Caro
Moonmadness F-No.1-p
全兄:東京スポーツ杯2歳ステークス、共同通信杯を連勝し、皐月賞で3着に入ったフサイチホウオー。
全姉:阪神ジュベナイルフィリーズ、優駿牝馬を制したトールポピー。
半兄:全日本2歳優駿2着のナサニエル。

イタリアンレッド

イタリアンレッド

英字表記	Itarian Red
品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2006年2月24日(5歳)
登録日	2008年9月18日
父	ネオユニヴァース
母	バルドネキア
母の父	Indian Ridge
生国	 日本(北海道千歳市)
生産	社台ファーム
馬主	東京ホースレーシング
調教師	石坂正(栗東)
競走成績
生涯成績	17戦7勝
獲得賞金	2億2618万9000円

イタリアンレッドの主な勝ち鞍は2011年七夕賞、小倉記念、府中牝馬ステークス。
2011サマー2000シリーズチャンピオンである。馬名はイタリアの赤(冠名でもある)。

イタリアンレッド 戦績

イタリアンレッド 2009年
クラシックシーズンに間に合わず、デビューは6月6日の中京芝1800mの未勝利戦でのデビューとなった(8番人気で3着)。2戦目の8月1日の小倉の未勝利戦(芝2000m)で初勝利を飾る。続く小倉の500万下も連勝。しかし重賞初挑戦となったローズステークスは15着に敗れてこの後休養に入る。

イタリアンレッド 2010年
3月の中山戦で復帰し、2戦するもそれぞれ3着、4着となる。5月の京都の御室特別で2着に入ったものの、500万に降級した阪神の平場戦は1番人気で7着に敗れる。しかし小倉の対馬特別を1番人気に応え勝利すると、続く西海賞も連勝。9月の阪神の準オープンのムーンライトハンデも勝ち、3連勝を飾りオープン入りする。オープンに入ってからはアンドロメダステークスは10着、重賞の愛知杯は4着となる。

イタリアンレッド 2011年
休養明けの新潟の福島牝馬ステークスは5着。マーメイドステークスは4着となる。そして、東日本大震災の影響で中山開催となった七夕賞は直線差しきり重賞初制覇を飾り、さらに小倉記念も七夕賞同様に直線差しきり、勝ち時計1:57.3の小倉芝2000mのコースレコードで重賞連勝を飾ると共に2011サマー2000シリーズの覇者となった。牝馬がサマー2000シリーズを制したのは史上初である。府中牝馬ステークスは中団待機から直線で抜け出しアニメイトバイオ、フミノイマージンとの叩き合いを制し重賞3連勝となる。

イタリアンレッド 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭数	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上り3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2009	6.	6	中京	未勝利		16	34.9	(8人)	3着	浜中俊	54	芝1800m(稍)	1:48.3(37.0)	0.9	マヤノカピオラニ
8.	1	小倉	未勝利		16	5.6	(2人)	1着	浜中俊	54	芝2000m(良)	2:00.5(35.6)	0.0	(カノヤグッドラック)
8.	30	小倉	500万下		14	4.1	(2人)	1着	浜中俊	52	芝1800m(良)	1:47.9(34.3)	-0.1	(リーガルアミューズ)
9.	20	阪神	ローズS	GII	18	33.3	(7人)	15着	浜中俊	54	芝1800m(良)	1:45.9(35.5)	1.2	ブロードストリート
2010	3.	20	中山	鎌ケ谷特別		14	13.5	(4人)	3着	吉田豊	55	芝1800m(良)	1:50.1(34.7)	0.3	スカーレットダイヤ
4.	11	中山	野島崎特別		13	3.2	(2人)	4着	吉田豊	55	芝1800m(良)	1:48.4(34.5)	0.1	ダイワジャンヌ
5.	30	京都	御室特別		10	6.1	(3人)	2着	秋山真一郎	55	芝2000m(良)	2:01.8(34.1)	0.1	サクラローズマリー
6.	26	阪神	500万下		8	1.7	(1人)	7着	浜中俊	55	芝2000m(重)	2:05.6(39.4)	2.3	ロイヤルネックレス
7.	17	小倉	対馬特別		12	2.5	(1人)	1着	浜中俊	55	芝1700m(良)	1:39.9(34.7)	-0.2	(アグネスサクラ)
8.	8	小倉	西海賞		15	2.4	(1人)	1着	浜中俊	55	芝1800m(良)	1:47.3(34.4)	-0.2	(スイートマトルーフ)
9.	26	阪神	ムーンライトH		11	4.3	(2人)	1着	浜中俊	52	芝2000m(良)	2:00.2(34.0)	-0.1	(ロイヤルネックレス)
11.	13	京都	アンドロメダS	OP	13	8.5	(4人)	10着	秋山真一郎	52	芝2000m(良)	2:00.6(36.2)	1.1	アドマイヤメジャー
12.	19	小倉	愛知杯	GIII	18	7.4	(3人)	4着	秋山真一郎	53	芝2000m(良)	1:59.7(34.3)	0.2	セラフィックロンプ
2011	4.	23	新潟	福島牝馬S	GIII	16	16.6	(10人)	5着	中舘英二	54	芝1800m(良)	1:46.1(33.8)	0.7	フミノイマージン
6.	19	阪神	マーメイドS	GIII	13	6.1	(3人)	4着	福永祐一	53	芝2000m(良)	2:00.8(34.7)	0.4	フミノイマージン
7.	10	中山	七夕賞	GIII	17	17.7	(4人)	1着	中舘英二	52	芝2000m(良)	2:00.5(34.9)	0.0	(タッチミーノット)
7.	31	小倉	小倉記念	GIII	18	7.6	(4人)	1着	浜中俊	55	芝2000m(良)	1:57.3(35.7)	-0.3	(キタサンアミーゴ)
10.	16	東京	府中牝馬S	GII	16	9.6	(5人)	1着	中舘英二	55	芝1800m(稍)	1:46.8(33.7)	0.0	(アニメイトバイオ)
血統表 [編集]

イタリアンレッドの血統 (サンデーサイレンス系/クロス無し)
父

ネオユニヴァース
2000 鹿毛	*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛	Halo
1969 黒鹿毛	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well
1975 鹿毛	Understanding
Mountain Flower
*ポインテッドパス
Pointed Path
1984 栗毛	Kris	Sharpen Up
Doubly Sure
Silken Way	Shantung
Boulevard
母

*バルドネキア
Bardonecchia
1995 栗毛	Indian Ridge
1985 栗毛	Ahonoora	Lorenzaccio
Helen Nichols
Hillbrow	Swing Easy
Golden City
Rosa de Caerleon
1986 芦毛	Caerleon	Nijinsky II
Foreseer
Carose	Caro
Pomme Rose F-No.20-c
母のバルドネキアはフランス重賞のプシケ賞勝ち馬で、イタリアオークス2着になっている。半兄のタヤスターゲットはダートで準オープンまで活躍した。祖母のRosa de Caerleonはイタリアの重賞2勝している。
近親にGIのサンクルー大賞、コロネーションカップ、ターフクラシックステークス、オイロパ賞勝ち馬のApple Treeがいる。

アパパネは、3カ月以上の休み明けを叩いた次走は4戦4勝なんですね。

アパパネは、3カ月以上の休み明けを叩いた次走は4戦4勝なんですね。

 

 

 

桜花賞は約3カ月ぶりのチューリップ賞2着から勝利。
昨年の秋華賞はローズS4着、今春ヴィクトリアマイルはマイラーズC4着から優勝しました。
もしも、エリザベス女王杯に勝てば牝馬のGⅠを完全制覇することにもなります。
できれば達成して欲しいところですね。今回も、叩き一変での勝利があるかもしれません。
ただ、府中牝馬ステークスで2桁着順から巻き返した馬のデータをみると、いままでは、2着が最高です。

アパパネのベスト体重は、おそらく、490キロでしょう。

今回、10キロ絞れれば勝つかもしれません。
アパパネはまだ終わっていない!?

レーヴディソール

レーヴディソール

英字表記	Rêve d'Essor
品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	芦毛
生誕	2008年4月8日(3歳)
父	アグネスタキオン
母	レーヴドスカー
母の父	Highest Honor
生国	 日本(北海道安平町)
生産	ノーザンファーム
馬主	(有)サンデーレーシング
調教師	松田博資(栗東)
調教助手	藤原吾郎
厩務員	小園隼人
主戦騎手	福永祐一
競走成績
生涯成績	4戦4勝
獲得賞金	1億4923万3000円
勝ち鞍	GI:阪神ジュベナイルフィリーズ(2010年)
GII:デイリー杯2歳ステークス(2010年)
GIII:チューリップ賞(2011年)

レーヴディソール(仏:Rêve d'Essor)の主な勝ち鞍は2010年の阪神ジュベナイルフィリーズ。
クラブ法人サンデーレーシングの所有馬で、募集価格は3600万円(40口)。馬名はフランス語で「飛翔の夢」。

レーヴディソール 戦績

レーヴディソール 2歳
2010年9月11日のメイクデビュー札幌に中舘英二を鞍上に迎え、1番人気で出走。レースでは中団のインを追走し、最後の直線で先に抜け出したノーザンリバーを差し切って初勝利を挙げる。
2戦目は重賞初挑戦となった10月16日京都のデイリー杯2歳ステークスに福永祐一とのコンビで1番人気で出走。道中後方待機から、大外一気の末脚を繰り出し、残り100m付近で他馬をまとめてかわして重賞初勝利を挙げた。牝馬でのデイリー杯制覇はシーキングザパール以来14年ぶりとなった。
その2ヶ月後、12月12日の阪神ジュベナイルフィリーズでは1番人気に応えてGI勝利を収めた。この競走では2着・3着も芦毛馬が入る珍事となった[1]。阪神ジュベナイルフィリーズを含む重賞2勝を挙げたことから、この年のJRA賞最優秀2歳牝馬に満票で選出された。

レーヴディソール 3歳
明け3歳の緒戦として2011年3月5日のチューリップ賞に出走。2005年の菊花賞で記録したディープインパクトの79.03%を上回る81.4%の単勝支持率、オッズ1.1倍の断然の1番人気に支持された。レースでは道中後方から4番手を追走すると、最終コーナーで外に持ち出し、直線では鞭を使うことなく後続に4馬身差をつける圧勝となった。その後は桜花賞出走に向けて調整されていたが、3月30日の1週前追い切り後に右前脚のトウ骨遠位端部分の骨折が判明。全治見込み半年以上と診断され、牝馬三冠を棒に振ってしまう[2]。

レーヴディソール 競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	距離(馬場)	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	タイム
(上り3F)	着差	騎手	斤量	1着馬(2着馬)
2010.9.11	札幌	2歳新馬		芝1500m(良)	14	1	1	1.4(1人)	1着	1:32.3(34.3)	-0.8	中舘英二	54kg	(ノーザンリバー)
10.16	京都	デイリー杯2歳S	GII	芝1600m(良)	12	8	12	2.4(1人)	1着	1:33.6(33.7)	-0.2	福永祐一	54kg	(アドマイヤサガス)
12.12	阪神	阪神JF	GI	芝1600m(良)	18	6	11	1.6(1人)	1着	1:35.7(33.9)	-0.1	福永祐一	54kg	(ホエールキャプチャ)
2011.3.5	阪神	チューリップ賞	GIII	芝1600m(良)	12	6	8	1.1(1人)	1着	1:34.5(33.6)	-0.7	福永祐一	54kg	(ライステラス)

レーヴディソール 血統表
レーヴディソールの血統 サンデーサイレンス系/Sir Gaylord 5×5=6.25%(母系)
父

アグネスタキオン
1998 栗毛	*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛	Halo	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well	Understanding
Mountain Flower
アグネスフローラ
1987 鹿毛	*ロイヤルスキー	Raja Baba
Coz o'Nijinsky
アグネスレディー	*リマンド
イコマエイカン
母

*レーヴドスカー
Reve d'Oscar
1997 芦毛	Highest Honor
1983 芦毛	Kenmare	Kalamoun
Belle of Ireland
High River	Riverman
Hairbrush
Numidie
1993 鹿毛	*バイアモン	Blushing Groom
Lodeve
Yamuna	Green Dancer
Yeovil F-No.1-p
半姉に阪神ジュベナイルフィリーズ2着のレーヴダムール(父ファルブラヴ)、半兄に青葉賞を制したアプレザンレーヴ(父シンボリクリスエス)とレーヴドリアン(父スペシャルウィーク)がいる。

ウオッカ

ウオッカ

英字表記	Vodka
香港表記	伏特加
品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2004年4月4日
抹消日	2010年3月18日
父	タニノギムレット
母	タニノシスター
母の父	ルション
生国	 日本(北海道静内町)
生産	カントリー牧場
馬主	谷水雄三
調教師	角居勝彦(栗東)
調教助手	岸本教彦
厩務員	中田陽之
主戦騎手	四位洋文→武豊
競走成績
生涯成績	26戦10勝
(中央)22戦10勝
(ドバイ)4戦0勝
獲得賞金	13億3356万5800円
(中央)13億487万6000円
(ドバイ)2868万9800円
WTRR	T/L117 - 2007年
T/M120 - 2008,09年
勝ち鞍	GI:阪神ジュベナイルフィリーズ(2006年)
安田記念(2008年、2009年)
天皇賞(秋)(2008年)
ヴィクトリアマイル、ジャパンカップ(2009年)
JpnI東京優駿(2007年)
JpnIII:チューリップ賞(2007年)

ウオッカ(Vodka、2004年4月4日 - )は元競走馬・今は繁殖牝馬。
牝馬として64年ぶりに東京優駿に勝利するなど牡馬を相手に活躍した。
同世代のダイワスカーレットとは激しい争いを何度も繰り広げ、ともに牝馬ながら牡馬と互角以上に渡り合った。
2008年・2009年のJRA賞年度代表馬。2011年選考のJRA顕彰馬。

ウオッカ デビュー前
2004年4月4日に、北海道静内町のカントリー牧場で生まれる。カントリー牧場の場長である西山貴司はウオッカが牧場にいたころの印象はあまり覚えていないとの事(何事もなく無事に過ごしていたため)。
2歳時に栗東トレーニングセンターの角居勝彦厩舎に入厩。その際、厩舎スタッフの間でも「シーザリオ級が入ってくる」ともっぱらの評判となっていたらしい。担当厩務員は中田陽之。なお中田は、テンコー・トレーニングセンター時代に母のタニノシスターと接している。中田の第一印象は「牝馬にしては大きいが、幅がなかったので良くなるには時間がかかる」だった。
入厩後の調教ではデルタブルース、ハットトリックのG1馬に食らいつく走りを見せており、想像以上の能力を見せている。この知らせを聞いた谷水はウオッカが将来の名馬である事を確信したという。これ程の能力ならば北海道の2歳重賞(函館2歳ステークス、札幌2歳ステークス)を総なめにする事も夢ではないとデビューに向けて移動するも、現地で熱発を発症したため一時テンコートレーニングセンターへ放牧に出される事になった。
クラシック登録する際、角居は「桜花賞、オークスの2つですか?」と確認したところ、馬主の谷水雄三は「5つ全部だ」と言って、5冠全てのレースのクラシック登録を行っていた。
ウオッカ 現役競走馬時代
ウオッカ 2006年(2歳)
10月29日、京都競馬場の新馬戦にてデビュー。デビュー前から主戦は四位と決まっていたが、四位が天皇賞・秋での騎乗が決まっていたため、鮫島克也が騎乗した。スタート後すぐに先頭に立つと、直線で再び突き放して勝利を収めた。
2戦目の黄菊賞から四位洋文を鞍上に迎えた。レースはスタートで後手を踏み、2着に敗れた。
3戦目の阪神ジュベナイルフィリーズではスタート後先団に取りつき道中は馬群の中団からレースを進め直線で先に抜け出したアストンマーチャンを差し切り、GI制覇を収めた。この時の勝ちタイム1分33秒1は、レースレコードであると同時に2歳芝1600mの日本レコードであった。阪神ジュベナイルフィリーズの勝利を受け、この年のJRA賞では最優秀2歳牝馬を受賞した。
ウオッカ 2007年(3歳)
2007年の緒戦にはエルフィンステークスが選択された。他馬より2キロ重い56kgの斤量を背負っての出走となったがレースでは直線に入ると馬なりで先頭に立ち、2着のニシノマナムスメに3馬身差の着差をつけて勝利した。続くチューリップ賞ではダイワスカーレットがウオッカとマッチレースを望むかのようにウオッカをひきつけたが、これをクビ差交わし優勝した。なお3着との着差は6馬身であり、2頭の力が突出していることを示す結果となった。桜花賞では前走の結果から瞬発力勝負では分が悪いと踏んだダイワスカーレットが早めに抜け出すという作戦をとり、これを捉えることができず2着に敗れた。

ウオッカには桜花賞に出走する以前から東京優駿に出走するプランが発表されていた。桜花賞で2着に敗れたことで断念するとの見方もあったが、(事実桜花賞後は「オークスで頑張ろう」と話し合っていた)谷水から判断を一任された調教師の角居勝彦は牝馬として1996年のビワハイジ以来11年ぶりの出走を決断した。この時の決断は谷水が「オークスかダービーか角居君が決めればいい」の発言に角居が「ならダービー行かせてもらっていいですか!!」と答え谷水が「よっしゃ!!ダービーいこ!!」の電話の会話で決まった。レースでは馬群の中団から直線で抜け出して優勝し、父仔2代(父娘での制覇は史上初)での東京優駿制覇を達成した。また、牝馬の東京優駿制覇は1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに続き史上3頭目、戦後初の出来事であった(レース詳細は第74回東京優駿参照)。四位にとっても初の東京優駿制覇で64年ぶりの偉業に「もう騎手をやめてもいい」と語った。
その後、初めての古馬との対決となる第48回宝塚記念へ出走。3歳牝馬が宝塚記念に出走するのは1996年のヒシナタリー以来11年ぶりのことであった。しかし、レースでは狙い通りの位置取りを取ることができずに、折り合いを欠いてしまい8着とデビュー以来初の大敗を喫してしまう。
同年秋の凱旋門賞への出走を目指し、ステップレースとしてヴェルメイユ賞から凱旋門賞というローテーションが考えられていた。しかし、8月7日に右後肢の蹄球炎を発症し、馬主サイドとの協議の結果、凱旋門賞出走を断念した。なお蹄球炎は4日間馬房内で治療に専念して回復したものの、この4日間の療養で調教ができなかったことで万全の状態でレースに挑めなくなったことが出走断念の理由となった。
その後8月26日には坂路入りを再開して調教が行われ、秋はトライアル競走を使わず直接第12回秋華賞に向かうことになった。レースでは後方に位置し3コーナーで外から進出していくものの、最後はダイワスカーレットだけでなくレインダンスも交わすことができず3着に敗れた。
次走には第32回エリザベス女王杯が選ばれた。
ダイワスカーレットとの決着が期待されたが、レース当日の朝、右関節跛行の故障が発生したためレースへの出走を取り消した。実は早朝に谷水の下に電話がかかっておりこの時点で谷水はウオッカに何かがあったと察知したという。しかし症状は軽症だったため、第27回ジャパンカップに出走。迎えたレースでは2番人気に支持され、道中最後尾の位置から最後の直線で猛追するも最後失速し4着だった。
第52回有馬記念‎ファン投票では、1位となる10万544票を獲得した。これは3歳牝馬(旧4歳牝馬を含む)としては初のファン投票1位であった。レースでは折り合いに苦労し、第3コーナーで早めに仕掛けたが早々と失速。11着と大敗、デビュー以来初の2桁着順となってしまう。また、同レースで同じ3歳牝馬のダイワスカーレットは2着に粘り、同馬との直接対決では3戦連続で先着を許し、JRA賞最優秀3歳牝馬の座も奪われてしまった。しかし、牝馬による64年ぶりの東京優駿制覇を選考理由としてJRA賞特別賞、関西競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞した。
ウオッカ 2008年(4歳)
第3回ヴィクトリアマイル
京都記念から始動。同世代のアドマイヤオーラが1番人気、ウオッカが2番人気に支持される均衡した評価の中レースが始まる。レースでは好スタートを決めるものの、直後にトウカイトリックに馬体をぶつけられた結果、外側によれて馬群からはやや置いて行かれた形となる。その後、向こう正面ではまたも折り合いを欠き、4角地点で最後方から3頭目の位置から伸びあぐね、最後の最後で鋭い末脚を繰り出すも、6着に敗れた。
次走はドバイデューティーフリーを使う。ドバイで一番結果が出ている日本人騎手ということで武豊を鞍上に迎え挑戦したレースでは、積極的に前から進めるが4着。なお、レースは有力どころの牡馬勢(アドマイヤオーラやリテラト、クレカドールなど)が大敗し大荒れとなった。レース後は短期放牧に出され、帰厩後、ヴィクトリアマイルに出走。単勝2.1倍の1番人気に支持されたが、レースでは伸びを欠き、エイジアンウインズを捕らえきれず2着に敗れた。

第58回安田記念
中2週で第58回安田記念へと向かった。なお、東京優駿優勝馬の安田記念出走は1989年のサクラチヨノオー以来であり、きわめて異例であった。前走まで騎乗していた武豊が安田記念でスズカフェニックスへの騎乗が決まっていたことから、新たに乗り替わった岩田康誠を背に、レースでは3枠5番という好枠から好スタートを決め先行すると最後の直線、残り1ハロンから一気に抜け出し2着のアルマダに3馬身1/2の差をつけてゴール。東京優駿以来約1年ぶりの勝利でGI及びJpnI競走通算3勝目を飾り、復活をアピールした。グレード制を導入した1984年以降、牝馬による安田記念制覇は1994年のノースフライト以来14年ぶり3頭目であり、東京優駿に優勝した馬がその後に2000m未満のGIまたはJpnI競走に優勝したのは史上初であった。また2着につけた3馬身1/2の差はGI格付けされた84年以降の最大着差である。
第49回宝塚記念‎ファン投票では前年の有馬記念に続き1位となる7万5594票を獲得したが、宝塚記念には向かわず、栗東で休養することになった。休養中には、翌年も現役を続行し日本国外へ遠征するプランがあることがオーナーサイドより発表された。
秋初戦は毎日王冠に出走。唯一のGI馬という事もあり、圧倒的な1番人気に支持された。スタート直後に馬なりでハナを切り、そのまま最後の直線まで先頭に立ち、逃げ切りを図ったものの、ゴール前でスーパーホーネットに差され、2着に敗れた。
11月2日、天皇賞(秋)に出走。ライバル・ダイワスカーレットは単騎で逃げ、ウオッカはディープスカイをマークする形でレースを進め、直線に入り残り300メートルからディープスカイとともにダイワスカーレットに並びかける。ゴール前は2頭並んでの叩き合いとなり、一時は先頭に立つも再びダイワスカーレットが差し返し2頭並んでゴールイン。15分に及ぶ写真判定の末、2cmという僅差で勝利した。また、勝ちタイムは1分57秒2とレコード決着となった(レース詳細は第138回天皇賞を参照)。東京優駿を制した牝馬が天皇賞を制したのはヒサトモ(第6回東京優駿、第3回帝室御賞典)以来である。また、牝馬による牡馬混合GI3勝目となりこれも過去最多勝利数となった(その後、5勝にまで記録を伸ばす)。
天皇賞後はジャパンカップへ出走し、鞍上は天皇賞で手綱を取った武豊がメイショウサムソンに騎乗予定であったため岩田康誠に乗り替わった[3]。最終的に2番人気に支持されたが、まれに見るスローペースに折り合いを欠き、最後の直線で内から伸びてくるものの、スクリーンヒーローの3着に敗れた。
第53回有馬記念のファン投票で136619票を獲得し2年連続で1位になったが、同競走を回避した。
2008年度のJRA賞で、年度代表馬と最優秀4歳以上牝馬に選出された。牝馬の年度代表馬選出は1997年のエアグルーヴ以来11年ぶりであった。
ウオッカ 2009年(5歳)
2009年は再びドバイデューティーフリーを目標にドバイへ遠征。前哨戦としてジェベルハッタに出走したが、終始前を塞がれ結果はバリウスの5着だった。そして迎えたドバイデューティフリーに2年連続で出走。週末のレースまで雨が続いたことから重たい馬場でのレースとなった。レースでは、好スタートから2番手を追走したが、ゴール前で失速。逃げ切ったグラディアトラスから大きく離され7着に終わった。

第4回ヴィクトリアマイル
帰国後は5月17日のヴィクトリアマイルに直行。1番人気に支持され、好スタートから中団の6番手くらいに抑えたが、最終直線で馬場の内側を通り抜けて先頭に立つと後続を突き放し、2着のブラボーデイジーにJRA古馬マイルGI史上最大着差となる7馬身の差をつけた。タイムもヴィクトリアマイルのレースレコードでの勝利となった。この勝利で2歳からこの年まで4年連続GI級勝利を挙げ、ホクトベガが有していた、牝馬による生涯獲得賞金の記録を12年ぶりに更新することとなった。また、ヴィクトリアマイルの1番人気での勝利は初となった。この圧勝のレースぶりに武豊は「牝馬という枠を超えている。この馬の背中は渡したくない。」とコメントしている。
続いて、6月7日の安田記念に出走し前走に引き続き1番人気に支持された。好スタートから道中は中団を進むも、直線で前方を他馬に塞がれ、スーパーホーネットとサイトウィナーに接触しながらも、残り100メートル付近でようやく進路が開く厳しいレースとなったが、そこからディープスカイを差し切って優勝した。レース後、2着に敗れたディープスカイ鞍上の四位は「向こうは残り100mくらいしか仕掛けていない。まともだったら5、6馬身は離されていたかもしれない」と語った。安田記念の1番人気での優勝は1998年のタイキシャトル以来11年ぶりであった。このレースの勝利によってウオッカは牝馬として初めて獲得賞金が10億円に到達するとともに、牝馬では最多となるGI級競走6勝目となった。また、1993年のヤマニンゼファー以来3頭目、そして牝馬としては1952年及び1953年に連覇したスウヰイスー以来の安田記念連覇という記録も達成した。 この絶体絶命のピンチを撥ね退けての劇的な勝利にオーナーである谷水は「ウオッカは天からの授かりもの」とコメントした。
第50回宝塚記念のファン投票で139507票を獲得し1位となったが、同競走を回避して放牧されることとなった。
休養明けの秋初戦は前年同様毎日王冠から始動。単勝1.3倍の1番人気に推される。レースでは好スタートから自然にハナを切り、直線に向いても脚色は衰えずそのまま逃げ切るかと思われたが、残り100m付近でカンパニーに差され2着となった。なお、このレース2着での賞金加算によりJRA通算獲得賞金が10億1746万円となり、JRAでの獲得賞金でも10億円を突破することとなった。

第140回天皇賞(秋)
第140回天皇賞(秋)、ここでもウオッカは2.1倍の人気を集める。レースは、好スタートも前哨戦と違って中団やや後方から追走して直線では内をついたが、先に抜けたカンパニーとの差を詰められず、2番手に粘っていたスクリーンヒーローを一度は差すも、ゴール前で再び差し返され3着に敗れた。天皇賞での敗戦後角居の「これ以上負ける姿を見せるのはかわいそう」の発言が引退ととらえられた為、引退の噂が流れた。
11月29日の第29回ジャパンカップに出走、このレースでは厩舎側が「ウオッカに掛かるイメージを持っていない騎手」を理由に、鞍上をクリストフ・ルメールに交代させた[6][7]。近走の不振に加えて距離延長や年齢的な衰えの不安要素を抱えていたが、ここでも応援馬券的な意味合いもあってか3.6倍ながら1番人気に支持された。レースは武豊のリーチザクラウンが引っ張る形で進み、ウオッカは4,5番手の好位を追走。最終直線に入り早め先頭で押し切ろうとするも、後方からオウケンブルースリが追い込み2頭並ぶ形でゴールに入線。写真判定の結果、2cmの差でウオッカが1着となり、GI7勝目を挙げた。ウオッカはシンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクトに並ぶJRA・GI7勝目という記録を達成した[8]。また、牝馬のJRA・GI7勝および日本生産、調教の牝馬としての同レース勝利は史上初となった(牝馬の優勝としては1989年のホーリックス以来20年振り4頭目[8])。また、この勝利で東京競馬場芝コースで行われる古馬GI全てを制したことになり、これはJRA史上初である。
しかし、ジャパンカップの終了後、競走中に鼻出血を発症していたことが発表された。この為、日本中央競馬会競馬番組一般事項第2章のその11「痼疾馬の出走制限」の規定により、ジャパンカップが施行された日から1ヶ月間出走できないため、12月27日の有馬記念への出走は不可能となった。これによって引退を含めた今後の動向が注目されたが、12月8日に角居調教師から、2010年3月27日にアラブ首長国連邦のメイダン競馬場で開催されるドバイワールドカップ(GI、オールウェザー2000m)を引退レースとし、引退後はアイルランドで繁殖に入ることが発表された[11]。12月10日に発表された有馬記念ファン投票の最終結果で1位となったが、3年連続1位は初である。
2010年1月に、2009年度のJRA賞最優秀4歳以上牝馬、年度代表馬に選出された。牝馬の年度代表馬2年連続選出は史上初であり、通算ではシンザン、ホウヨウボーイ、シンボリルドルフ、シンボリクリスエス、ディープインパクトに続く史上6頭目である。また、4年連続JRA賞受賞はメジロドーベル以来史上2頭目である。
ウオッカ 2010年(6歳)
1月に最終目標とするドバイワールドカップの他、2年続けて出走したドバイデューティーフリーおよびドバイシーマクラシックへの予備登録を行い、ステップレースとして3月4日のマクトゥームチャレンジラウンド3に引き続きルメールを騎手で出走したが、好位からレースを進めたものの伸びを欠いて8着に終わった。そのレースで2度目の鼻出血を発症したことが判明したため、調教師の角居勝彦とオーナーの谷水雄三が会談を行い、招待を受諾していたドバイワールドカップへの出走を取り止め、現役引退を決定[12]。2010年3月18日、JRAよりウオッカの競走馬登録の抹消が発表された。
ウオッカはドバイよりそのままアイルランドのギルタウンスタッドへ向かい、繁殖生活に入った。なお、数年間はアイルランドにとどまり、その産駒を外国産馬として日本で走らせる予定となっている。
ウオッカ 引退後
2010年5月30日の第77回東京優駿開催日のJRAプレミアムレースである目黒記念に対し、ファン投票により「ウオッカメモリアル」の副名称が付与された。
2010年6月3日、繋養先のギルタウンスタッドより、3度目の種付けによってシーザスターズの仔を受胎したことが発表された[14]。翌2011年5月2日(現地時間)に初仔となる牡馬を出産した。
2011年5月9日、平成23年度顕彰馬選定記者投票で186票中157票(得票率84.4%)を獲得し、規定の3/4を超えたため、JRA顕彰馬に選出された[15]。
ウオッカ 競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	頭数	枠番	馬番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上り3F)	着差	1着馬(2着馬)
2006.	10.	29	京都	2歳新馬		13	4	4	3.3(2人)	1着	鮫島克也	54	芝1600m(良)	1:35.0(34.5)	-0.6	(レースドール)
11.	12	京都	黄菊賞		8	7	7	3.0(2人)	2着	四位洋文	54	芝1800m(良)	1:49.5(34.1)	0.2	マイネルソリスト
12.	3	阪神	阪神JF	G1	18	1	2	11.1(4人)	1着	四位洋文	54	芝1600m(良)	1:33.1(34.2)	0.0	(アストンマーチャン)
2007.	2.	3	京都	エルフィンS	OP	9	8	9	1.7(1人)	1着	四位洋文	56	芝1600m(良)	1:33.7(34.0)	-0.5	(ニシノマナムスメ)
3.	3	阪神	チューリップ賞	JpnIII	16	6	11	1.4(1人)	1着	四位洋文	54	芝1600m(良)	1:33.7(33.5)	-0.1	(ダイワスカーレット)
4.	8	阪神	桜花賞	JpnI	18	7	14	1.4(1人)	2着	四位洋文	55	芝1600m(良)	1:33.9(33.6)	0.2	ダイワスカーレット
5.	27	東京	東京優駿	JpnI	18	2	3	10.5(3人)	1着	四位洋文	55	芝2400m(良)	2:24.5(33.0)	-0.5	(アサクサキングス)
6.	24	阪神	宝塚記念	G1	18	1	2	3.5(1人)	8着	四位洋文	51	芝2200m(稍)	2:14.0(38.0)	1.6	アドマイヤムーン
10.	14	京都	秋華賞	JpnI	18	8	16	2.7(1人)	3着	四位洋文	55	芝2000m(良)	1:59.3(33.2)	0.2	ダイワスカーレット
11.	11	京都	エリザベス女王杯	G1	13	3	3			四位洋文	54	芝2200m(良)	出走取消		ダイワスカーレット
11.	25	東京	ジャパンC	G1	18	6	11	6.1(2人)	4着	四位洋文	53	芝2400m(良)	2:24.9(33.6)	0.2	アドマイヤムーン
12.	23	中山	有馬記念	G1	15	8	16	6.9(3人)	11着	四位洋文	53	芝2500m(稍)	2:35.7(37.9)	2.1	マツリダゴッホ
2008.	2.	23	京都	京都記念	GII	16	8	16	3.4(2人)	6着	四位洋文	56	芝2200m(良)	2:13.9(33.8)	0.3	アドマイヤオーラ
3.	29	ナド・アルシバ	ドバイDF	G1	16	12	12	発売なし	4着	武豊	55	芝1777m(良)	計測不能		Jay Peg
5.	18	東京	ヴィクトリアマイル	JpnI	18	5	9	2.1(1人)	2着	武豊	55	芝1600m(良)	1:33.8(33.2)	0.1	エイジアンウインズ
6.	8	東京	安田記念	G1	18	3	5	4.1(2人)	1着	岩田康誠	56	芝1600m(良)	1:32.7(34.0)	-0.6	(アルマダ)
10.	12	東京	毎日王冠	GII	16	2	3	1.5(1人)	2着	武豊	57	芝1800m(良)	1:44.6(33.8)	0.0	スーパーホーネット
11.	2	東京	天皇賞(秋)	G1	17	7	14	2.7(1人)	1着	武豊	56	芝2000m(良)	R1:57.2(34.4)	-0.0	(ダイワスカーレット)
11.	30	東京	ジャパンC	G1	17	2	4	3.7(2人)	3着	岩田康誠	55	芝2400m(良)	2:25.7(34.3)	0.2	スクリーンヒーロー
2009.	3.	5	ナド・アルシバ	ジェベルハッタ	G2	16	7	7	発売なし	5着	武豊	57.5	芝1777m(良)	1:49.18	0.34	Balius
3.	28	ナド・アルシバ	ドバイDF	G1	16	3	3	発売なし	7着	武豊	55	芝1777m(良)	計測不能		Gladiatorus
5.	17	東京	ヴィクトリアマイル	G1	18	3	6	1.7(1人)	1着	武豊	55	芝1600m(良)	1:32.4(33.4)	-1.2	(ブラボーデイジー)
6.	7	東京	安田記念	G1	18	2	3	1.8(1人)	1着	武豊	56	芝1600m(良)	1:33.5(35.7)	-0.1	(ディープスカイ)
10.	11	東京	毎日王冠	GII	14	6	6	1.3(1人)	2着	武豊	57	芝1800m(良)	1:45.5(33.8)	0.2	カンパニー
11.	1	東京	天皇賞(秋)	G1	18	4	7	2.1(1人)	3着	武豊	56	芝2000m(良)	1.57.5(32.9)	0.3	カンパニー
11.	29	東京	ジャパンC	G1	18	3	5	3.6(1人)	1着	C.ルメール	55	芝2400m(良)	2.22.4(34.8)	-0.0	(オウケンブルースリ)
2010.	3.	4	メイダン	A.M.C.Rd.3	G2	14	8	8	発売なし	8着	C.ルメール	56	全2000m(良)	計測不能		Red Desire
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す
ウオッカ 評価
競馬雑誌『優駿』が2010年8月号で実施し、読者・ライター・評論家・編集者の投票により決定した「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち The Greatest Horses 100」のランキングでは、読者部門で第2位、ライター・評論家・編集者部門で第5位、この2部門のポイントを合計した総合部門ではディープインパクトに次ぐ第2位となった。
競走馬時代には、有馬記念のファン投票で3年連続1位に選出された。同競走のファン投票での3年連続1位は史上初。また、2009年の宝塚記念のファン投票では、同競走のファン投票における史上最高得票率(76.1%)を記録した。
ウオッカ 記録
牝馬史上最多賞金獲得馬
JRAGI最多勝利タイ記録
牝馬によるJRA最多GI勝利数(JRA GI7勝)
牝馬による牡馬混合GI最多勝(5勝)
東京競馬場古馬芝GI完全制覇
ウオッカ 馬名の由来
父・タニノギムレットの馬名の由来であるギムレットはジンがベースのカクテルであるが、父よりも強くあってほしいとジンよりもアルコール度数が高い(強い)酒であるウォッカから「ウオッカ」と名付け、同様にストレート(に命名すること)の方がアルコール度数が高い(強い)という意味で「タニノ」の冠名を付けなかった[8]。
ウオッカ 血統表
ウオッカの血統 (ロベルト系/Graustark 4×5=9.38%(父系))
父

タニノギムレット
1999 鹿毛	* ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛	Roberto	Hail to Reason
Bramalea
Kelley's Day	Graustark
Golden Trail
タニノクリスタル
1988 栗毛	* クリスタルパレス
Crystal Palace	Caro
Hermieres
* タニノシーバード
Tanino Sea-Bird	Sea-Bird
Flaxen
母

タニノシスター
1993 栗毛	* ルション
Rousillon
1981 黒鹿毛	Riverman	Never Bend
River Lady
Belle Dorine	Marshua's Dancer
Palsy Walsy
エナジートウショウ
1987 鹿毛	トウショウボーイ	* テスコボーイ
* ソシアルバターフライ
コーニストウショウ	* ダンディルート
ローズトウショウ F-No.3-l
父・タニノギムレットについては同馬の項を参照。馬主の谷水家が経営するカントリー牧場の育てた牝系から出た東京優駿勝ち馬である。
母・タニノシスターは中央競馬5勝。JRAが購入、育成した後に馬主に譲渡される抽せん馬として谷水が入手した。
母・タニノシスターの仔は全て角居厩舎に預けるというのがあり全て角居厩舎の所属となっている。
祖母エナジートウショウの産駒(本馬の叔父)にスリーアベニュー。三代母コーニストウショウの産駒にシスタートウショウ(1991年桜花賞勝ち馬)、孫にシーイズトウショウ。四代母ローズトウショウの孫にマチカネフクキタル(1997年菊花賞勝ち馬)。日本競馬史における大牝系の祖であるシラオキを六代母にもつ。

アパパネは、エリザベス女王杯を勝つと、G16勝ちで歴代単独5位になるんですね。

G1最多優勝馬はシンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ウオッカが7勝で並んでいます。
現在G1・5勝のアパパネはエリザベス女王杯を勝てば、歴代単独5位の6勝。
牝馬ではウオッカに次ぐ2位!!歴史的名馬の誕生か!?

武蔵野ステークス

武蔵野ステークス
開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月13日
施行時期	11月上旬 - 中旬
(原則5回東京4日目)
格付け	GIII
1着賞金	3800万円
賞金総額	7200万円
距離	ダート1600m
出走条件	サラ系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	1996年5月18日

武蔵野ステークス(むさしのステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場のダート1600mで施行する中央競馬の重賞(国際GIII・統一GIII)競走である。東京中日スポーツを発行する中日新聞東京本社が優勝杯を提供しているため、正式名称は東京中日スポーツ杯武蔵野ステークスと表記される。名称は施行場の所在地域の武蔵野に由来している。正賞は中日新聞社賞のほか、地方競馬全国協会会長賞。

武蔵野ステークス 概要
東京競馬場の5歳(現4歳)以上による準オープン競走「武蔵野ステークス」の名称で施行されたのが始まり。1996年に4歳(現3歳)以上による混合・別定の重賞競走として格上げ(GIII)された。
重賞に格上げされた当初は、帝王賞の前哨戦として位置付けされダート2100mで施行されていた。しかし2000年よりジャパンカップダートが新設されたことにより施行時期を秋に、施行距離をダート1600mに変更、JBCクラシックとともに同競走の前哨戦として行われている。なお2010年からは、エリザベス女王杯(GI)と同日開催となる。
またクロフネが芝路線からダート路線に移し、歴史的な大差勝ちを収めたのも当競走である。
出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)及び、JRAに認定された地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)である。
負担重量は3歳55kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は3kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
総額賞金は7200万円。1着賞金3800万円で、以下2着賞金1500万円、3着賞金950万円、4着賞金570万円、5着賞金380万円と定められている。

武蔵野ステークス 歴史
条件競走、オープン特別時代
1986年以前 - 5歳(現4歳)以上の競走馬による混合・馬齢重量の1400万下条件競走として「武蔵野ステークス」が、東京競馬場・ダート1600mで施行。
1987年
混合競走から除外。
負担重量をハンデキャップに変更。
1988年
混合競走に再び指定。
負担重量を別定に変更。
施行距離をダート1400mに変更。
1989年
施行距離をダート1600mに戻す。
オープン特別に昇格。
1990年 - 負担重量をハンデキャップに戻す。
1995年
イブキクラッシュが史上初の連覇。
的場均が騎手として史上初の3連覇。
沖芳夫が調教師として史上初の連覇。
重賞競走時代
1996年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬による混合・別定重賞(GIII)競走「武蔵野ステークス」として昇格、東京競馬場・ダート2100mで施行。
1997年 - 指定交流競走に指定され、地方馬は5頭まで出走可能となる。
1998年 - 当年のみ「英国祭UK98開催記念 武蔵野ステークス」として施行。
1999年
エムアイブランが2頭目の連覇。
武豊が騎手として2人目の連覇。
伊藤修司が調教師として2人目の連覇。
2000年
国際競走に指定され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
地方馬の出走枠が5頭から4頭に変更される。
施行距離をダート1600mに戻す。
2001年
中日新聞東京本社より寄贈杯を受け、名称を「東京中日スポーツ杯武蔵野ステークス」に変更。
クロフネがダート1600mの日本レコード1分33秒3で優勝。
2002年
東京競馬場の改修工事により、中山競馬場・ダート1800mで施行。
外国調教馬の出走枠を8頭に拡大。
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)より国際GIIIに指定。
2007年 - 施行日当日から過去1年以上前の重賞競走および牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。
2010年 - 施行日をエリザベス女王杯と同日にし、日曜日開催となる。

武蔵野ステークス 歴代優勝馬

武蔵野ステークス 1400万下条件・オープン特別
施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
1986年4月20日	ロードレオネ	牡4	1:37.8	菅原泰夫	野平好男	(株)ロードホースクラブ
1987年5月16日	ベルベッドグローブ	牡4	1:35.5	郷原洋行	大久保房松	栗林英雄
1988年4月29日	イブキノキャニオン	牡4	1:23.1	田村正光	野平富久	(有)伊吹
1989年5月13日	レインボーアカサカ	牡5	1:35.0	岡部幸雄	高橋英夫	(有)イーデン産業
1990年5月12日	ダイナレター	牡6	1:36.6	杉浦宏昭	二本柳俊夫	(有)社台レースホース
1991年5月11日	ミスタートウジン	牡5	1:35.4	安田隆行	福島信晴	藤立啓一
1992年5月16日	ナリタハヤブサ	牡5	1:34.5	横山典弘	中尾謙太郎	山路秀則
1993年5月15日	メイショウホムラ	牡5	1:35.3	的場均	高橋成忠	松本好雄
1994年5月14日	イブキクラッシュ	牡4	1:37.0	的場均	沖芳夫	(有)伊吹
1995年5月13日	イブキクラッシュ	牡5	1:35.6	的場均	沖芳夫	(有)伊吹

武蔵野ステークス 重賞格付け以後
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1996年5月18日	キソジゴールド	牡7	2:11.6	安田康彦	安田伊佐夫	皆吉康子
第2回	1997年5月17日	デュークグランプリ	牡6	2:10.5	岡部幸雄	小西一男	石原春夫
第3回	1998年5月23日	エムアイブラン	牡6	2:11.8	武豊	伊藤修司	稲見豊
第4回	1999年5月22日	エムアイブラン	牡7	2:09.6	武豊	伊藤修司	谷口貞保
第5回	2000年10月28日	サンフォードシチー	牡5	1:35.4	村山明	大沢真	(株)友駿ホースクラブ 
第6回	2001年10月27日	クロフネ	牡3	1:33.3	武豊	松田国英	金子真人
第7回	2002年10月26日	ダブルハピネス	牡5	1:52.2	河内洋	柴田政見	伊藤武三郎
第8回	2003年11月1日	サイレントディール	牡3	1:36.2	O.ペリエ	池江泰郎	金子真人
第9回	2004年10月30日	ピットファイター	牡5	1:35.4	柴田善臣	加藤征弘	臼田浩義
第10回	2005年10月29日	サンライズバッカス	牡3	1:35.2	佐藤哲三	音無秀孝	松岡隆雄
第11回	2006年10月28日	シーキングザベスト	牡5	1:35.3	勝浦正樹	森秀行	吉田和子
第12回	2007年10月27日	エイシンロンバード	牡5	1:35.5	吉田豊	小崎憲	平井豊光
第13回	2008年11月8日	キクノサリーレ	牡3	1:36.0	後藤浩輝	吉田直弘	菊池五郎
第14回	2009年11月7日	ワンダーアキュート	牡3	1:35.5	安藤勝己	佐藤正雄	山本信行
第15回	2010年11月14日	グロリアスノア	牡4	1:36.6	戸崎圭太	矢作芳人	高野葉子
※2002年以降は国際重賞(国際GIII)競走により国旗を表記。

武蔵野ステークスからのジャパンカップダート優勝馬
2000年から同年に新設されたジャパンカップダートの前哨戦として施行されるようになったが、2頭(内1頭が2回制覇)が同年のジャパンカップダートを制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第6回	クロフネ	牡3	1着
第10回	カネヒキリ	牡3	2着
第13回	カネヒキリ	牡6	9着

京都ジャンプステークス

京都ジャンプステークス

第11回京都ジャンプステークス
開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月12日
施行時期	11月上旬 - 中旬
(原則5回京都3日目)
格付け	J・GIII
1着賞金	3000万円
賞金総額	5700万円
距離	障害芝3170m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(混合)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	1999年5月16日

京都ジャンプステークス(きょうとジャンプステークス)は、京都競馬場の障害・芝3170mで施行する中央競馬の障害の重賞(J・GIII)競走である。

京都ジャンプステークス 概要
1953年に障害の重賞競走として創設され、年2回施行されていた京都大障害の春の競走を前身とし、1998年の第90回競走を最後に廃止された京都大障害(春)を機能的に引き継ぐ形で、1999年に障害競走にグレード制が施行されたと同時に新設された。
なお、京都大障害(秋)は同年に新設された京都ハイジャンプ(2009年より5月に施行)に引き継がれている。
2008年までは6月に施行される東京ハイジャンプへ向けての前哨戦の位置付けとされており、2005年の優勝馬エリモカントリー、同じく2006年のスプリングゲントが同競走で優勝を果たしている。2009年からは開催時期を5月中旬から11月中旬に変更された。
京都ハイジャンプとともに重賞競走用の「大障害コース」を通過するコースで施行され、高低差0.8m、長さ15.9mのバンケット(飛び上がり飛び下り台、愛称は「ビッグスワン」)が設けられ、コースの難易度が他の競馬場よりも比較的高く、第4回・第8回競走以外は出走馬が落馬をしている。オープン連勝した馬がそのまま優勝するなど、近走好調の馬がその勢いで活躍することが多い。
現在の優勝レイの配色は、紫色の地に金色の文字となっている。
出走条件は、2008年まではサラ系4歳(旧5歳)以上、2009年からは3歳以上のJRA所属の競走馬(外国産馬を含む)。
負担重量は、2008年まではハンデキャップで施行されたが、有力馬の出走を促すため、2009年からは別定重量に変更された。 3歳58kg、4歳以上60kg、牝馬2kg減を基本とし、更にJ・GI競走1着馬は3kg増、J・GII競走1着馬は2kg増が課せられる。
2011年現在の総額賞金は5,700万円で、1着賞金3,000万円、2着賞金1,200万円、3着賞金750万円、4着賞金450万円、5着賞金300万円と定められている。

京都ジャンプステークス 歴史
1999年
京都競馬場の障害・芝3170mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの混合の重賞(J・GIII)競走、京都ジャンプステークスとして創設。
出走馬13頭の内2頭が落馬、1頭が競走中止、そのうちファイブポインターとカブトフドオは、2周目7号障害で先頭を争って競りながら飛越するが揃って失敗、ファイブポインターは転倒し、カブトフドオも騎手が落馬した。ちなみに、両馬はそれぞれ1,2番人気と人気を分け合っていた。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2009年
開催時期を5月から11月に変更。それに伴い、出走条件も「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
負担重量を「ハンデキャップ」から「別定重量」に変更。

京都ジャンプステークス 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1999年5月16日	トキオワイルド	牡5	3:33.3	熊沢重文	山本正司	坂田時雄
第2回	2000年5月13日	メイショウワカシオ	牡6	3:34.0	嘉堂信雄	池添兼雄	松本好雄
第3回	2001年5月12日	ユーセンシュタイン	牡5	3:31.5	出津孝一	岩元市三	(有)アサヒクラブ
第4回	2002年5月11日	ホッコーアンバー	牡7	3:33.4	熊沢重文	浜田光正	矢部幸一
第5回	2003年5月17日	ウインマーベラス	牡6	3:36.0	白浜雄造	森秀行	(株)ウイン
第6回	2004年5月15日	クールジョイ	牡6	3:31.8	金折知則	松元茂樹	菱田健
第7回	2005年5月14日	エリモカントリー	牡5	3:30.6	嘉堂信雄	高橋隆	山本敏晴
第8回	2006年5月13日	スプリングゲント	牡6	3:38.2	小坂忠士	野村彰彦	加藤春夫
第9回	2007年5月12日	キングジョイ	牡5	3:31.0	白浜雄造	増本豊	松岡隆雄
第10回	2008年5月17日	テイエムトッパズレ	牡5	3:33.3	佐久間寛志	鹿戸明	竹園正繼
第11回	2009年11月14日	エーシンディーエス	牡4	3:31.8	横山義行	坂口正則	(株)栄進堂
第12回	2010年11月13日	ランヘランバ	牡7	3:31.7	五十嵐雄祐	藤沢則雄	田中充
第13回	2011年11月12日

京王杯2歳ステークス

京王杯2歳ステークス

開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月12日
施行時期	11月中旬
(原則5回東京3日目)
格付け	GII
1着賞金	3800万円
賞金総額	7200万円
距離	芝1400m
出走条件	サラブレッド系2歳(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	馬齢(55kg、牝馬1kg減)
第1回施行日	1965年10月17日

京王杯2歳ステークスは、東京競馬場の芝1400mで行われる2歳馬限定の競馬の重賞(GII)競走。
正賞は京王電鉄株式会社賞。京王杯スプリングカップ同様に優勝杯を提供する京王電鉄から冠名が取られている。
京王電鉄は東京競馬場の最寄の駅である府中競馬正門前駅に乗り入れをしている鉄道会社。

京王杯2歳ステークス 概要 

1965年に京成杯3歳ステークスとして創設。当初は中山競馬場の芝1200mで施行されていたが(1968年・1975年は東京競馬場の芝1400mで施行)、1980年からは施行場が東京競馬場に移るとともに現行距離となり定着している。
1984年のグレード制施行によりGIIに格付けされた。
1998年に京王杯3歳ステークスに改称されたが、これは当競走の施行場が変更された1980年以降、京成電鉄の沿線にある中山競馬場で京王杯オータムハンデキャップ、京王帝都電鉄(1998年に社名を京王電鉄に変更)の沿線にある東京競馬場で京成杯3歳ステークスが施行されるというねじれ現象が続いていたことから、京王・京成両者の合意を得て寄贈賞を入れ替える形で行なわれたものであった。そして2001年からは馬齢表記変更に伴い、現競走名となっている。2002年は東京競馬場改修工事の影響で、かつての施行条件である中山競馬場の芝1200mで施行された。
阪神ジュベナイルフィリーズと朝日杯フューチュリティステークスの両GI競走の前哨戦に位置付けられており、旧3歳GIの位置付けが明確に分かれた1991年以降では、1996年優勝のマイネルマックス、1997年優勝のグラスワンダー、2003年優勝のコスモサンビーム、2010年優勝のグランプリボスの4頭が次走で2歳(旧3歳)GI競走を制しており、また同じく優勝馬のウメノファイバー・ブルーコンコルドものちにGI競走を優勝している。優勝馬以外からは2010年の10着馬オルフェーヴルが史上7頭目の三冠馬となっている。
出走資格は、サラブレッド系2歳のJRA所属馬(外国産馬含む、未出走馬及び未勝利馬は除く)、地方競馬所属馬(4頭まで)、及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は馬齢で、牡馬・セン馬は55kg、牝馬は54kgである。
2011年度現在の総額賞金は7200万円で、1着賞金:3800万円、2着賞金:1500万円、3着賞金:950万円、4着賞金:570万円、5着賞金:380万円と定められている。

京王杯2歳ステークス 歴史 

1965年 - 3歳(現2歳)の競走馬による重賞競走として京成杯3歳ステークスが創設され、中山競馬場・芝1200mで施行された。
1968年 - 東京競馬場のスタンド増設工事に伴う振替開催により、東京競馬場・芝1400mで施行。
1975年 - 京葉労働組合の労働協議の影響による開催中止の振替開催により、東京競馬場・芝1400mで施行。
1980年 - 施行場を東京競馬場・芝1400mに変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。
1989年 - 混合競走に指定。
1990年 - 境勝太郎が調教師として史上初の連覇。
1995年
指定交流競走に指定され、地方所属馬は4頭まで出走可能になる(阪神ジュベナイルフィリーズ出走候補馬及び朝日杯フューチュリティステークス出走候補馬がそれぞれ2頭)。
加藤和宏が騎手として史上初の連覇。
1998年 - 京王電鉄と寄贈杯提供競走(京王杯オータムハンデキャップ)を入れ替え、京王杯3歳ステークスに名称変更。
1999年 - 蛯名正義が騎手として2人目の連覇。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「3歳」から「2歳」に変更。
競走名を京王杯2歳ステークスに変更。
2002年 - 東京競馬場の改修工事による振替開催により、中山競馬場・芝1200mで施行。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2010年 - 国際競走に指定され、外国馬は9頭まで出走可能になる。そのため、重賞格付け表記をGIIに戻す。

京王杯2歳ステークス 歴代優勝馬

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数	施行日	優勝馬	勝時計	性齢	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1965年10月17日	ハイアデス	1分12秒0	牡2	加賀武見	小西喜蔵	椎野浅五郎
第2回	1966年11月20日	メジロフレーム	1分11秒0	牡2	矢野一博	八木沢勝美	北野豊吉
第3回	1967年10月29日	ヤマトダケ	1分13秒2	牝2	嶋田功	稲葉幸夫	北條三郎
第4回	1968年10月20日	ショウゲッコウ	1分26秒0	牝2	佐藤征助	田中朋次郎	村松健一
第5回	1969年11月2日	アローエクスプレス	1分10秒7	牡2	加賀武見	高松三太	伊達秀和
第6回	1970年10月10日	スズランパス	1分10秒5	牝2	郷原洋行	西塚十勝	鈴木武二
第7回	1971年10月10日	トクザクラ	1分13秒2	牝2	田村正光	梶与四松	(有)徳間牧場
第8回	1972年10月15日	マミーブルー	1分10秒9	牝2	藤本勝彦	藤本冨良	竹内専一
第9回	1973年10月7日	カーネルシンボリ	1分13秒0	牡2	西野桂	野平省三	和田共弘
第10回	1974年10月20日	テスコガビー	1分10秒2	牝2	菅原泰夫	仲住芳雄	長島忠雄
第11回	1975年10月19日	フェアスポート	1分25秒2	牡2	嶋田潤	藤本冨良	(有)ターフ・スポート
第12回	1976年10月24日	セーヌスポート	1分12秒9	牝2	嶋田功	稲葉幸夫	(有)ターフ・スポート
第13回	1977年10月23日	タケデン	1分10秒0	牡2	岡部幸雄	鴨田次男	武市伝一
第14回	1978年10月22日	ジェットバージ	1分10秒4	牡2	郷原洋行	稗田善彦	上総興業(有)
第15回	1979年10月21日	シャダイダンサー	1分10秒1	牝2	竹原啓二	松山吉三郎	吉田善哉
第16回	1980年10月19日	タケノダイヤ	1分24秒8	牝2	中島啓之	仲住芳雄	大沢良丈
第17回	1981年11月1日	イーストボーイ	1分22秒4	牡2	根本康広	橋本輝雄	加藤久枝
第18回	1982年11月7日	ドウカンヤシマ	1分26秒3	牡2	郷原洋行	田中朋次郎	新井操
第19回	1983年11月6日	ハーディービジョン	1分25秒6	牡2	的場均	柄崎義信	鈴木健司
第20回	1984年11月4日	ダイナシュート	1分23秒6	牝2	柴田政人	矢野進	(有)社台レースホース
第21回	1985年11月3日	ダイシンフブキ	1分23秒2	牡2	菅原泰夫	柴田寛	高橋金次
第22回	1986年11月2日	ホクトヘリオス	1分23秒3	牡2	南田美知雄	中野隆良	森滋
第23回	1987年11月15日	シノクロス	1分23秒9	牝2	嶋田功	西塚十勝	福井裕
第24回	1988年11月13日	ドクタースパート	1分24秒0	牡2	的場均	柄崎孝	松岡悟
第25回	1989年11月12日	サクラサエズリ	1分22秒9	牝2	木藤隆行	境勝太郎	(株)さくらコマース
第26回	1990年11月11日	ビッグファイト	1分23秒4	牡2	小島太	境勝太郎	戸澤澄
第27回	1991年11月10日	ヤマニンミラクル	1分22秒6	牡2	田島良保	浅見国一	土井薫
第28回	1992年11月15日	マイネルキャッスル	1分23秒0	牡2	柴田善臣	河野通文	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第29回	1993年11月13日	ヤマニンアビリティ	1分22秒9	牡2	横山典弘	浅見国一	土井薫
第30回	1994年11月12日	ゴーゴーナカヤマ	1分22秒0	牡2	加藤和宏	小西一男	和泉信一
第31回	1995年11月11日	アジュディケーター	1分23秒5	牝2	加藤和宏	佐藤全弘	関駿也
第32回	1996年11月9日	マイネルマックス	1分22秒9	牡2	佐藤哲三	中村均	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第33回	1997年11月8日	グラスワンダー	1分21秒9	牡2	的場均	尾形充弘	半沢(有)
第34回	1998年11月14日	ウメノファイバー	1分22秒8	牝2	蛯名正義	相沢郁	梅崎敏則
第35回	1999年11月13日	ダイワカーソン	1分23秒4	牡2	蛯名正義	増沢末夫	大和商事(株)
第36回	2000年11月11日	テイエムサウスポー	1分22秒3	牡2	和田竜二	柴田光陽	竹園正繼
第37回	2001年11月10日	シベリアンメドウ	1分25秒8	牡2	後藤浩輝	堀井雅広	藤田与志男
第38回	2002年11月9日	ブルーコンコルド	1分09秒4	牡2	秋山真一郎	服部利之	(株)荻伏レーシング・クラブ
第39回	2003年11月15日	コスモサンビーム	1分21秒8	牡2	武豊	佐々木晶三	岡田美佐子
第40回	2004年11月13日	スキップジャック	1分22秒1	牡2	勝浦正樹	高橋裕	ディアレスト
第41回	2005年11月12日	デンシャミチ	1分23秒3	牡2	柴田善臣	田中章博	小田切有一
第42回	2006年11月11日	マイネルレーニア	1分22秒6	牡2	松岡正海	西園正都	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第43回	2007年11月10日	アポロドルチェ	1分22秒7	牡2	後藤浩輝	堀井雅広	アポロサラブレッドクラブ
第44回	2008年11月15日	ゲットフルマークス	1分21秒6	牡2	四位洋文	岩戸孝樹	ジェイアール
第45回	2009年11月14日	エイシンアポロン	1分22秒0	牡2	池添謙一	岡田稲男	平井豊光
第46回	2010年11月13日	グランプリボス	1分21秒8	牡2	M.デムーロ	矢作芳人	(株)グランプリ
本競走からの阪神ジュベナイルフィリーズ優勝馬 [編集]
第27回から阪神ジュベナイルフィリーズ(阪神3歳牝馬ステークス)の前哨戦の1競走として施行されているが1頭が同年の阪神ジュベナイルフィリーズ(阪神3歳牝馬ステークス)を制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第29回	ヒシアマゾン	牝2	2着
京王杯2歳ステークスからの朝日杯フューチュリティステークス優勝馬
第1回から朝日杯フューチュリティステークス(朝日杯3歳ステークス)の前哨戦の1競走として施行されているが13頭が同年の朝日杯フューチュリティステークス(朝日杯3歳ステークス)を制覇している。
回数	馬名	性齢	着順
第2回	モンタサン	牡2	4着
第5回	アローエクスプレス	牡2	1着
第7回	トクザクラ	牝2	1着
第9回	ミホランザン	牡2	6着
第15回	リンドタイヨー	牡2	2着
第17回	ホクトフラッグ	牡2	2着
第19回	ハーディービジョン	牡2	1着
第21回	ダイシンフブキ	牡2	1着
第32回	マイネルマックス	牡2	1着
第33回	グラスワンダー	牡2	1着
第39回	コスモサンビーム	牡2	1着
第40回	マイネルレコルト	牡2	5着
第46回	グランプリボス	牡2	1着

エリザベス女王杯に出走するダンシングレインは、英オークスとドイツ版オークスを勝っている馬なんですね。

英国の第233回オークス(GI、芝・左約2400メートル)が6月3日午後(日本時間同日深夜)、
ロンドン郊外のエプソム競馬場で13頭によって争われ、J・ムルタ騎乗の7番人気ダンシングレイン(愛国産、英=W・ハガス、父デインヒルダンサー)が2分41秒73(良)で優勝した。
1着賞金18万4502・5ポンド(約2435万円)。初戦2着後2戦目で勝ち上がり、続く準重賞2着を経ての挑戦だった。調教師、騎手ともに英オークス初制覇。3/4馬身差2着に2番人気ワンダーオブワンダーズ。

 ドイツ版オークスの第153回ディアーナ賞(GI、芝右2200メートル)が8月7日午後(日本時間同日深夜)、デュッセルドルフ競馬場で16頭によって争われ、K・ファロン騎乗の英国オークス馬ダンシングレイン(愛国産、英=W・ハッガス、父デインヒルダンサー)が
2分20秒32(重)で1番人気に応えた。1着賞金23万ユーロ(約2576万円)。6戦3勝、GI2勝目。前走は愛オークスで5着だった。3馬身差2着に3番人気ジュママ。
これはこれは、結構な穴馬かも、ですね。

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