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ジャパンカップ

ジャパンカップ
	
第27回ジャパンカップ
開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月27日
施行時期	11月下旬
(原則5回東京8日目)
格付け	GI
1着賞金	2億5000万円
賞金総額	4億7600万円
距離	芝2400m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	1981年11月22日

ジャパンカップとは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走(国際招待指定)。
正賞は農林水産大臣賞、アイルランド大使賞、日本馬主協会連合会会長賞、東京馬主協会賞。また八大競走ではないものの本競走は国際招待競走であるため、日本ダービー同様に副賞が「トヨタ賞」としてトヨタの高級車が提供される。

ジャパンカップ 概要
この競走はグレード制導入以前の主要競走である八大競走ではないものの国際招待競走であり、賞金額や開催規模などが八大競走に匹敵していたため、八大競走と同格に扱われることもあった。
外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎や飼料にかかる費用、馬主、調教師、騎手、厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担する。このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走(招待競走)は日本ではこのほかにジャパンカップダートがある[1]。世界ではドバイミーティング(ドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。
負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減。
2011年度現在の総額賞金は4億7600万円で1着賞金は2億5000万円、2着賞金は1億円、3着賞金は6300万円、4着賞金は3800万円、5着賞金は2500万円と定められており、日本国内の全競走の中で最高額であり、世界全体でもドバイワールドカップ、凱旋門賞に次ぐ3番目である。

ジャパンカップ 歴史
1970年後半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され[2]日本国外の調教馬を招待して国際競走を開催する計画も持ち上がっていたが、招待馬の選定にあたり日本国外の主要競走との日程競合が障害となり実現しなかった[3]経緯がある。当時の日本最強馬といわれたスピードシンボリが高齢になりながらも現役を続行したのはそれまでの海外遠征で負け続けた分、この国際競走で海外の馬を負かしたいという陣営の思惑が色濃く残っていたためだった。
1981年に記念すべき第1回ジャパンカップは開催された。優勝賞金は6500万円で天皇賞、有馬記念と同額。新設重賞としては破格の金額である。北アメリカとアジアから招待馬が選出されアメリカ、カナダ、インド、トルコ(来日後に故障し不出走)から出走馬が招待された。「日本の馬が外国の馬と対戦するレースが見たい」という第1回だったが、日本馬はサクラシンゲキが大逃げでスタンド(客席)を沸かせるも(後に同馬は「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる)ゴールドスペンサーの5着が最高だった。フジテレビで実況を担当した盛山毅アナウンサーは日本の一流どころが海外(ヨーロッパ除く)の決して一流とは言えない面々相手に日本勢が惨敗した様子を見て、「日本は完全に敗れました!!」と叫びしばし絶句。海外とのレベルの差を痛感する結果となる。
翌年からは招待範囲がヨーロッパ、オセアニアにも広げられ参加国の多さから「世界一の競走」、「競馬のオリンピック」と評されることもあった[2]。さらにその翌年(1983年)からは地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。その後も日本代表馬がことごとく敗れるばかりで、海外との差を痛感するレースにもなった。しかし第3回の1983年になってキョウエイプロミスが2着と好走を見せた。
1984年にはJRAのグレード制導入によりGIに格付けされた。この年、前哨戦の天皇賞(秋)を快勝したミスターシービーと菊花賞を無敗で制したシンボリルドルフの新旧三冠馬2頭が参戦、日本勢初優勝の期待を大いに集めた。しかし、日本馬の初優勝という褒章を得たのは単勝10番人気と期待の薄かったカツラギエースであった。1992年には国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定されている。略称はJC(J は JAPAN、C は CUP のそれぞれの頭文字)。
1999年に成立したワールドレーシング・チャンピオンシップに初年度から加えられており、この年以降にほとんど馬産の行われていない香港、アラブ首長国連邦からも招待馬の選出がされている。また2000年から2006年までは外国馬がこの競走で優勝した場合に限り有馬記念の出走資格が与えられるようになった(2002年のファルブラヴと2005年のアルカセットが該当)が、行使した外国馬はいなかった。この制度は2007年に競馬が国際セリ名簿基準委員会から「国際パート1」に指定されたことを受けて発展廃止された。
2008年からジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定される。
2008年4月24日、フランスギャロ(フランス競馬統括団体)により凱旋門賞の1・2着馬がジャパンカップに優先招待されることが決まったと発表された。また、その他に3レースが同様の指定を受けている(後述)。

ジャパンカップ 外国馬
かつてジャパンカップは日本馬の層が薄いことと賞金的な魅力もあり、数多くの外国馬が参戦しジャパンカップは外国馬の草刈り場のようになっていた。
しかし2000年代以降は検疫の厳しさや賞金的な魅力が相対的に薄れたことから、ジャパンカップに登録を済ませる欧州や北米などの各国一流馬は多いものの出走を回避する外国馬も少なくはない。また、欧州馬は日程間隔が殆ど無く賞金が上がってきていて地元馬の層の薄いブリーダーズカップの芝競走や香港国際競走に照準を向けることが多い。また、直航便の無くなったオセアニア勢の挑戦が少なくなったことも影響している。しかし2億5000万円という賞金は芝競走の賞金では国際的に見てもかなり高く、遠征費もJRAの全額負担でありかなりの厚遇となっている。第30回は久しぶりに8頭の外国招待馬が参戦を果たし、記念レースを大いに盛り上げた。
それでも外国馬の挑戦が減る理由としてはいくつかの例があげられるが、頻繁にあげられる理由が芝が主流の欧州のトップホースであっても速い時計に対応できない馬は日本の固い高速(時計の出る)馬場に適応できず惨敗することが多いからである。ジャパンカップが開催された当初はまだそれほど高速馬場化しておらず、加えて一部の日本馬を除いて日本馬と欧州馬のレベルに開きがあったために多少の不利でも勝利を挙げることはできた。
しかしその後は日本のトップレベルの馬が欧州馬などとも互角になり近年は日本馬の全体のレベルが欧州と遜色なくなってきていること、そして日本の高速馬場で力を発揮する日本馬が増えたことでその傾向はさらに顕著になり、日本の固い芝に対応するためスピードと瞬発力のある日本馬に欧州の深い芝に対応するスタミナとパワーを重視されているといわれる欧州馬が日本馬に瞬発力勝負で競り負けることが多い。初期を除き欧州馬でジャパンカップで好走する馬はある程度速い時計に適応性がある馬であり、遠征する側もその点を踏まえて遠征する傾向がある。実際、このレースに勝った外国馬のファルブラヴはロンシャン競馬場の深い芝が合わなかったためこのレースへの出走を決意したという前例がある。
このように、もはや現在では日本の競馬と欧州の競馬は同じ芝でありながら全く違うものと考えられるようになっている。その傾向は種牡馬でも顕著に出ていてサドラーズウェルズなど欧州のリーディング上位に君臨する種牡馬を父に持つ競走馬が日本の競馬界ではあまり成功しておらず、サンデーサイレンスを筆頭にスピードのあるアメリカの種牡馬を父に持つ競走馬が多く活躍している。この傾向もまた欧州勢のジャパンカップ回避に拍車をかけている可能性がある。
また種牡馬ビジネスが重要視される近年の欧米では一流馬の3歳の中には競走成績が非常に優秀であれば早期引退して種牡馬入りする場合も多く(特に欧州は多い)、無理に長距離遠征という過酷なことを強いその結果戦績を悪くすることは種牡馬入り後に響くためわざわざ勝ちにくいジャパンカップを選ぶことも少ない。よって、2億5000万円の賞金よりも種牡馬として買い取られるときに発生する遥かに高い金額を優先する。近年ではキングジョージや愛チャンピオンSを勝ったスウェインや英愛ダービー馬ガリレオが種牡馬としての価値を高めようと凱旋門賞にすら出走せずダート競走の最高峰であるBCクラシックに出走するなど、種牡馬になった後のことを考えてレースを選ぶ傾向がある。また上記で説明されている日本の固い芝でたとえ外国馬が勝利を収めても、深い芝の欧州やダートが主流のアメリカにおいてはその勝利は種牡馬入りしてもあまり価値がない。そのため、近年ジャパンカップに勝った外国馬は日本の生産者団体に買い取られることが多い。
外国馬の出走馬の中には、ジャパンカップで上位入賞した後に他のG1競走を勝つなどの活躍することで有名になった海外馬も少なからず存在する。代表例としては1982年の2着馬で翌年に凱旋門賞、ロスマンズインターナショナル、ターフクラシック招待ステークス、ワシントンDCインターナショナルと欧米のGI競走に多く勝利した牝馬オールアロング、1996年の優勝馬で翌年のドバイワールドカップ、コロネーションカップ、インターナショナルステークスに優勝したシングスピール、2000年の3着馬でジャパンカップ後にBCターフや愛チャンピオンSなどGI競走を5勝して欧州年度代表馬および米国最優秀芝牡馬に選ばれ2年連続でワールド・レーシング・チャンピオンシップのチャンピオンとなったファンタスティックライトや2002年の優勝馬であり翌年エクリプスステークスやインターナショナルステークスなどのG1を勝ったファルブラヴが挙げられる。
逆に、その年の凱旋門賞を勝利して来日した馬は勝っていない。それどころか複勝圏に入った馬も1996年に出走したエリシオのみで、その他のトニービン、キャロルハウス、アーバンシー、モンジューらは馬券に絡むことすらできなかった。

ジャパンカップ 国内馬
1990年代半ばには天皇賞(秋)や菊花賞などの優勝馬がこの後に1年の総決算とも言える有馬記念が控えていることもあって3戦連続のGI挑戦に慎重にならざるを得ないというローテーション上の問題から早々とジャパンカップ回避を公言するなど、日本の出走馬が小粒になるということもあった。この動きは八大競走時代の名残やジャパンカップの歴史がまだ浅いことから、目指す目標の違いが回避か挑戦かに現れているとも言われていた。しかし近年では賞金額が大幅に増額されたことや同一年に天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の全てに勝利した場合のボーナス制度ができたこと、宝塚記念から毎日王冠や京都大賞典を使わずに秋の天皇賞に直行する馬が増えたこと、さらに距離やコースの適性を尊重するようになってきた近代競馬では中距離の天皇賞(秋)を避けて中長距離のジャパンカップと有馬記念の2レース、または小回りの中山競馬場を嫌って天皇賞(秋)、ジャパンカップの2レースに照準を絞る陣営も増えてきている。その結果有力馬の回避は減少し、古馬に限っては故障以外の理由で回避することはほとんどない。また、菊花賞が10月の第3週に開催されるようになってからは有力3歳馬の出走も増えてきている。なおクラシックに登録していない3歳(旧4歳)馬はクラシック競走への出走ができないため、三冠をあきらめる代わりに世界の強豪と対決することを目標とすることから本競走に照準を合わせる馬も少ないながらも存在する[4]。

ジャパンカップ 3歳馬
日本馬は優勝回数が12回と最も多いが、その内3歳馬の勝利は1998年のエルコンドルパサーと2001年のジャングルポケット、2010年のローズキングダムの3頭のみであと一歩のところで勝利できない馬も多い。
2・3着に敗れた3歳(旧4歳)の日本調教馬

年	馬名	結果	主な勝ち鞍、備考
1984年	シンボリルドルフ	3着	牡馬クラシックを無敗で制した三冠馬
1988年	オグリキャップ	3着	元地方笠松所属
1993年	ウイニングチケット	3着	日本ダービー
1996年	ファビラスラフイン	2着	秋華賞
1998年	スペシャルウィーク	3着	日本ダービー
2002年	シンボリクリスエス	3着	天皇賞(秋)
2003年	ザッツザプレンティ	2着	菊花賞
2004年	コスモバルク	2着	地方ホッカイドウ所属
デルタブルース	3着	菊花賞
2006年	ドリームパスポート	2着
2008年	ディープスカイ	2着	NHKマイルカップ・日本ダービー
2009年	レッドディザイア	3着	秋華賞
2010年	ヴィクトワールピサ	3着	皐月賞

ジャパンカップ 出走権

ジャパンカップ 日本馬の出走権
レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる(レーティングが同じ値の場合は「近走成績や距離実績などを総合的に勘案して」順位をつけている、としている[5])。
その他は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
1998年より2009年まで出馬投票締切前日までのGI、GII、GIII競走の1着馬、または出馬投票締切前日までの1年間での中央競馬のGI競走(ただし2歳馬の競走を除く)3着以内馬に限られていた。この規定は、1997年にスノーエンデバー(前走ハンデキャップ戦であるアルゼンチン共和国杯に50kgの軽斤量を活かし2着)がジャパンカップの登録馬が少なかっために出走できたことが物議を醸したからと考えられている(参考:大阪スポーツ)。

ジャパンカップ 外国馬の出走権
ジャパンカップの招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われるため、招待が決定してもブリーダーズカップや香港国際レースに出走するため受諾できないケースがあった。そこで2008年より指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対し優先出走権を与えることとし、早期に招待を出すことができるようになった[6]。宝塚記念がブリーダーズカップ・チャレンジの対象レースになったことに伴い、2011年からブリーダーズカップ・ターフも指定レースに追加された。2008年にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス2着のペイパルブルが初めて優先出走権を行使して出走している。
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	優先出走権対象馬
1	キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス	G1	アスコット	芝12f	1着馬・2着馬
2	アーリントンミリオン	G1	アーリントンパーク	芝10f	1着馬
3	アイリッシュチャンピオンステークス	G1	レパーズタウン	芝10f	1着馬
4	バーデン大賞	G1	バーデンバーデン	芝2400m	1着馬
5	凱旋門賞	G1	ロンシャン	芝2400m	1着馬・2着馬
6	ブリーダーズカップ・ターフ	G1	持ち回り	芝12f	1着馬

ジャパンカップ 褒賞金制度
2000年から天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の3つのレースを同一年に制した場合に褒賞金が1億円贈られるようになった。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円に増額されており、テイエムオペラオー、ゼンノロブロイがこの褒賞金を獲得している。
2003年より外国調教馬に対して指定競走の当年優勝馬(レースによっては2着馬も)がジャパンカップ優勝した場合、褒賞金を交付している。2009年よりその範囲が拡大され、以下の条件に該当すればジャパンカップにおいて3着までに入れば規定の褒賞金を交付することとなった。制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。なお2011年より報奨金の金額が減額され[7]、イギリスのチャンピオンステークスが指定競走に追加されている[8]。
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	褒賞金
1	ダービーステークス	G1	エプソム競馬場	芝12f10y	当該競走の当年優勝馬
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円
当該競走の当年2着馬
1着4000万円、2着1600万円、3着1000万円
2	ジョッケクルブ賞	G1	シャンティイ競馬場	芝2100m
3	アイリッシュダービー	G1	カラ競馬場	芝12f
4	キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス	G1	アスコット競馬場	芝12f
5	凱旋門賞	G1	ロンシャン競馬場	芝2400m
6	ブリーダーズカップ・ターフ	G1	持ち回り	芝12f
7	ブリーダーズカップ・クラシック	G1	持ち回り	ダート10f
AW10f
8	アーリントンミリオン	G1	アーリントンパーク競馬場	芝10f	当該競走の当年優勝馬
1着7000万円、2着2800万円、3着1800万円
9	アイリッシュチャンピオンステークス	G1	レパーズタウン競馬場	芝10f
10	バーデン大賞	G1	バーデンバーデン競馬場	芝2400m
11	カナディアンインターナショナルステークス	G1	ウッドバイン競馬場	芝12f
12	コックスプレート	G1	ムーニーヴァレー競馬場	芝2040m
13	パリ大賞典	G1	ロンシャン競馬場	芝2400m
14	チャンピオンステークス	G1	アスコット競馬場	芝10f
15	ジャパンカップ	GI	東京競馬場	芝2400m	前年優勝馬(日本調教馬を除く)
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円

ジャパンカップ 歴史
1981年
東京競馬場の芝2400mの国際招待の混合特別指定競走、ジャパンカップとして創設。
メアジードーツが当時のJRAレコードタイム(2分25秒3)で優勝。
1982年 - 当時の世界歴代賞金王ジョンヘンリー(アメリカ)が出走(13着)。
1983年 - 日本で初めてゼッケンに馬名が記入された(後述。当時はこの競走のみの特別仕様)。
1984年
JRAグレード制施行によりGIに格付け。
ミスターシービー(10着)、シンボリルドルフ(3着)が出走し中央競馬史上初となる中央競馬クラシック三冠馬同士の対決となった。
カツラギエースが日本生産馬、日本調教馬として初優勝。
1985年 - 単勝1番人気馬(シンボリルドルフ:日本)が初優勝。
1989年
ニュージーランドのホーリックスが従来のJRAレコードを2秒以上短縮する、当時の世界レコードタイム(2分22秒2)で優勝。7歳(当時の年齢表記)牝馬がJRA主催のGI競走を制するのも初となる。オグリキャップはホーリックスと同タイムながら2着。
1着賞金の総額が1億円台となる。
1992年
国際セリ名簿基準委員会 (ICSC)により国際GI競走に指定。
シンボリルドルフの仔・トウカイテイオーが優勝。初の父仔制覇。
1996年 - エリシオとストラテジックチョイスが3着同着。
1997年 - イギリスのマイケル・スタウトが調教師として史上初の2連覇。
1999年 - ワールドレーシング・チャンピオンシップに参加。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
創設以来初めて日本馬が掲示板を独占。
2002年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝2200mで施行。
2005年 - イギリスのアルカセットが芝2400mの日本レコードタイムとなる2分22秒1で優勝。ハーツクライは同タイムながら2着。
2006年 - ワールドレーシング・チャンピオンシップが一時中止(2009年現在)。
2008年
ジャパン・オータムインターナショナルに指定。
3世代の日本ダービー優勝馬(メイショウサムソン、ウオッカ、ディープスカイ)が初めて揃って出走。
2009年 - ウオッカが日本生産馬の牝馬として初優勝を果たすとともに、史上4頭目(牝馬としては史上初)のJRA・GI競走7勝を達成。
2010年
日本のGI競走としては初となる3D映像の競馬中継を行う[9]。
第1位に入線したブエナビスタが他馬の進路を妨害したため、第2着に降着(降着制度施行後のGIでは2006年エリザベス女王杯のカワカミプリンセス以来3度目の1位入線馬の降着)[10]。

ジャパンカップ 歴代優勝馬
回数	施行日	調教国・優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1981年11月22日	メアジードーツ	牝5	2:25.3	C.アスムッセン	J.フルトン	A.D.シェフラー
第2回	1982年11月28日	ハーフアイスト	牡3	2:27.1	D.マクベス	S.ホッフ	B.R.F.ストーン
第3回	1983年11月27日	スタネーラ	牝5	2:27.6	B.ラウス	F.ダン	F.ダン
第4回	1984年11月25日	カツラギエース	牡4	2:26.3	西浦勝一	土門一美	野出一三
第5回	1985年11月24日	シンボリルドルフ	牡4	2:28.8	岡部幸雄	野平祐二	和田農林(有)
第6回	1986年11月23日	ジュピターアイランド	牡7	2:25.0	P.エデリー	C.ブリテン	タビストック侯爵
第7回	1987年11月29日	ルグロリュー	牡3	2:24.9	A.ルクー	R.コレ	S.ウォルフ
第8回	1988年11月27日	ペイザバトラー	牡4	2:25.5	C.マッキャロン	R.フランケル	E.ガン
第9回	1989年11月26日	ホーリックス	牝6	2:22.2	L.オサリバン	D.オサリバン	G.W.ド・グルシー
第10回	1990年11月25日	ベタールースンアップ	騸5	2:23.2	M.クラーク	D.ヘイズ	G.ファラー
第11回	1991年11月24日	ゴールデンフェザント	牡5	2:24.7	G.スティーヴンス	C.ウィッティンガム	B.マクノール
第12回	1992年11月29日	トウカイテイオー	牡4	2:24.6	岡部幸雄	松元省一	内村正則
第13回	1993年11月28日	レガシーワールド	騸4	2:24.4	河内洋	森秀行	(株)ホースタジマ
第14回	1994年11月27日	マーベラスクラウン	騸4	2:23.6	南井克巳	大沢真	笹原貞生
第15回	1995年11月26日	ランド	牡5	2:24.6	M.ロバーツ	H.イエンチ	イットリンゲン牧場
第16回	1996年11月24日	シングスピール	牡4	2:23.8	L.デットーリ	M.スタウト	シェイク・モハメド
第17回	1997年11月23日	ピルサドスキー	牡5	2:25.8	M.キネーン	M.スタウト	ウェインストック卿
第18回	1998年11月29日	エルコンドルパサー	牡3	2:25.9	蛯名正義	二ノ宮敬宇	渡邊隆
第19回	1999年11月28日	スペシャルウィーク	牡4	2:25.5	武豊	白井寿昭	臼田浩義
第20回	2000年11月26日	テイエムオペラオー	牡4	2:26.1	和田竜二	岩元市三	竹園正繼
第21回	2001年11月25日	ジャングルポケット	牡3	2:23.8	O.ペリエ	渡辺栄	齊藤四方司
第22回	2002年11月24日	ファルブラヴ	牡4	2:12.2	L.デットーリ	L.ダウリア	スクデリーア・ランカティ
第23回	2003年11月30日	タップダンスシチー	牡6	2:28.7	佐藤哲三	佐々木晶三	(株)友駿ホースクラブ
第24回	2004年11月28日	ゼンノロブロイ	牡4	2:24.2	O.ペリエ	藤沢和雄	大迫忍
第25回	2005年11月27日	アルカセット	牡5	2:22.1	L.デットーリ	L.クマーニ	M.R.チャールトン
第26回	2006年11月26日	ディープインパクト	牡4	2:25.1	武豊	池江泰郎	金子真人ホールディングス(株)
第27回	2007年11月25日	アドマイヤムーン	牡4	2:24.7	岩田康誠	松田博資	ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第28回	2008年11月30日	スクリーンヒーロー	牡4	2:25.5	M.デムーロ	鹿戸雄一	吉田照哉
第29回	2009年11月29日	ウオッカ	牝5	2:22.4	C.ルメール	角居勝彦	谷水雄三
第30回	2010年11月28日	ローズキングダム[11]	牡3	2:25.2	武豊	橋口弘次郎	(有)サンデーレーシング

ジャパンカップ ジャパンカップの記録
レースレコードタイム - 2分22秒1(第25回優勝馬アルカセット)
2着との最大着差 - 9馬身(第23回優勝馬タップダンスシチー)
勝馬投票券最高売上げ - 396億7438万2900円(第15回)
当日の最高入場者数 - 187,524人(第15回)
最多勝騎手 - 3勝
L.デットーリ(第16、22、25回)
武豊(第19回、26回、30回)
最多勝調教師 - 2勝 M.スタウト(第16、17回)
最多出走 - 6回 コスモバルク(第24~29回)

ジャパンカップ 特記事項
馬番ゼッケンに馬名(ゴール付近で観客に向かう右サイドに片仮名馬名、左サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また第6回までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場および大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している。ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国調教馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されている。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)[12]。
本競走の正式名称はあくまで「ジャパンカップ」であるが、2000年のジャパンカップダート創設以降は混同を避けるためか「ジャパンカップターフ」と称するファンや関係者もいる。
当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデーについては最終第11競走(この時も全11競走制)として行われた)[13]。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所および在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
第8回(1988年)にはディック・フランシスも視察に訪れている。
第13回(1993年)にブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったというボーンヘッドがあった[14](この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件を契機としてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
国際競走ではあるが、東京優駿で行われている国歌独唱は本競走では行われていない。[15]
2010年の第30回を記念したイベントとしてこの年のレース当日と前日の東京競馬の一般レース(平場戦)は全てジャパンカップ優勝馬の名を冠した「○○○賞」の副称が付けられ、馬券にはレース名も印刷された(既に名称が付けられている特別戦やワールドスーパージョッキーズシリーズのポイント対象レースには付けられなかった)。
現在に至るまでJRA最多となるGI7勝馬が4頭おり、いずれも当競走を優勝している。

ジャパンカップ 上位入線馬に関する事項
第3回(1983年)は5着までの調教国が全て異なる結果となった[16]。
第5回(1985年)にシンボリルドルフとロッキータイガー(船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは第18回の1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの30回中9回ある。
日本馬が掲示板を独占(1~5着)したのはこれまでに5回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
回	年	1着	2着	3着	4着	5着
第21回	2001年	ジャングルポケット	テイエムオペラオー	ナリタトップロード	ステイゴールド	メイショウドトウ
第23回	2003年	タップダンスシチー	ザッツザプレンティ	シンボリクリスエス	ネオユニヴァース	アクティブバイオ
第27回	2007年	アドマイヤムーン	ポップロック	メイショウサムソン	ウオッカ	デルタブルース
第28回	2008年	スクリーンヒーロー	ディープスカイ	ウオッカ	マツリダゴッホ	オウケンブルースリ
第30回	2010年	ローズキングダム	ブエナビスタ(1位入線降着)	ヴィクトワールピサ	ジャガーメイル	ペルーサ

ジャパンカップ 脚注
^ 中山グランドジャンプは2011年より通常の国際競走に変更となり、招待制ではなくなる(2011年度開催日割および重賞競走について)。
^ a b 「レーシングプログラム」(日本中央競馬会) 2006年11月26日
^ 日本中央競馬会『優駿』1970年10月号、p.49
^ 皐月賞・東京優駿・菊花賞の場合は、現状では規定によりクラシックに登録していない3歳馬が出走するには多額の追加登録料(200万円)が必要となる。一方ジャパンカップにはこの登録の必要がない。
^ 【ジャパンカップ(GI)】特別登録日本馬のレーティング順位 - JRA公式サイト 2011年11月14日
^ ジャパンカップへの優先出走について(JRA ホームページ、JRA ニュース)
^ 交付対象競走、指定外国競走、交付対象馬及び褒賞金の額(PDFファイル) - JRA公式サイト 2011年7月1日閲覧。変更前の金額もアドレス先を参照のこと
^ 国際交流競走褒賞金指定外国競走の新規追加について - JRA公式サイト 2011年7月1日
^ 放映されたレースは東京競馬場での競走のみで、第10競走のジャパンカップの他に第9競走と第11競走も放映対象に含まれていたため、東京競馬第9競走のキャピタルステークスが3D映像で放映される日本初の競馬競走となった(3D 体験イベント「LIVE IN 3D 第30回ジャパンカップ (GI)」)。
^ 過去GI成績 第30回 ジャパンカップ (GI) - JRA公式サイト 201年12月5日閲覧
^ 第30回はブエナビスタが1位で入線したが、最後の直線で2位入線のローズキングダムの進路を妨害したとして、審議の結果2着に降着処分を受け、ローズキングダムが繰り上がりで優勝となった(参考:ブエナビスタの走破時計 2:24.9)。
^ 但し、2010年のジャパンカップダートでは外国調教馬の出走が無かった為、従来のGI競走と同様に馬体の左サイドも右サイドと同じく片仮名馬名であり、かつ両サイドとも国旗の記載が無かった。
^ 1983年までは全10競走制であり、本競走は第9競走として施行された。
^ 通常、理由もなく追うのを止めた場合は審議の対象となり、長期の騎乗停止などの処分が下される場合があるが、この時は過怠金のみの処分であった。
^ 但し、ゴールデンジュビリーデーとして行われた2004年は、和田アキ子による国歌独唱が行われた。
^ 1着スタネーラ(アイルランド)、2着キョウエイプロミス(日本)、3着エスプリデュノール(フランス)、4着ハーフアイスト(アメリカ)、5着マクギンティ(ニュージーランド)

プレミアムボックス

プレミアムボックス

性別	牡
毛色	鹿毛
生誕	2003年4月8日(8歳)
登録日	2005年4月27日
抹消日	2010年12月8日
父	アドマイヤベガ
母	チャッターボックス
母の父	ターゴワイス
生国	 日本(北海道千歳市)
生産	社台ファーム
馬主	社台レースホース
調教師	上原博之(美浦)
競走成績
生涯成績	34戦8勝
獲得賞金	2億4395万6000円

プレミアムボックスは、日本の元競走馬。馬名の由来は「賞金、賞品を入れる箱」。
主な勝ち鞍はオーシャンステークス、CBC賞、京阪杯。社台レースホースのクラブ馬であり募集価格は2000万円(40口)。

プレミアムボックス 経歴

プレミアムボックス 2009年京阪杯
2005年から2007年かけ条件馬として4勝、2008年初頭の準オープン1勝を挟み続くオーシャンステークスで重賞初制覇を記録。この他2009年のCBC賞・京阪杯と合わせ、上原調教師が「ベストの距離」と評した[1]スプリント戦での重賞を3つ獲得した。
プレミアムボックスは現役前半に勝ち鞍を重ねていた当時は前からの競馬で押し切る展開が続いたが、「たまに発馬で出遅れる癖がある」とスタートダッシュの悪さを調教師から懸念[2]され、2008年の高松宮記念や函館スプリントステークスでは発馬でもたつきそのまま後方からの競馬となる展開が続き、現役後期にはそのまま中団後方から最後の上がり勝負となる展開へと脚質が一転する。
また自分から動けるタイプでは無いため[3]レース展開に左右されることが多く、調教助手の鈴木も「とにかくこの馬は展開」と同馬を評価、騎手も「(展開が)ピッタリ合えば差し切って勝てる」とコメントを残したが[4]、追い込み届かずというレースはそれを上回り、出走馬中最速の上がりを記録しながら2桁着順に終わるレースも散見、現役最後のレースとなった2010年京阪杯もそのレースの一つとなった。
重賞を3勝した実績馬であるがいずれもGIII、GIIでの連対は1回、5度出走したGIでは全て2桁着順と上のクラスでは苦戦が続き、同年12月8日付けで競走馬登録を抹消され現役引退となったが、種牡馬としてのオファーは無く、乗馬となる。

プレミアムボックス 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭数	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上り3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2005	12.	17	中山	2歳新馬		16	1.3	(1人)	3着	藤田伸二	55	芝1200m(良)	1:10.9(35.2)	0.4	ロランラムール
2006	1.	8	中山	3歳未勝利		15	2.2	(1人)	6着	中舘英二	56	ダ1200m(良)	1:15.0(41.1)	0.8	キタサンモノガタリ
5.	6	新潟	3歳未勝利		16	5.0	(2人)	3着	石橋脩	56	芝1000m(良)	0:56.2(33.3)	0.3	シノワールド
5.	14	新潟	3歳未勝利		16	2.1	(1人)	1着	石橋脩	56	芝1000m(良)	0:56.6(33.7)	-0.2	(キャラメレ)
2007	1.	28	小倉	4歳上500万下		18	4.7	(2人)	3着	田辺裕信	56	芝1200m(良)	1:09.9(36.0)	0.5	ゴールドサンセット
2.	11	小倉	4歳上500万下		18	4.5	(2人)	1着	田辺裕信	57	芝1200m(良)	1:09.0(35.0)	-0.7	(コウユールビー)
3.	25	中山	4歳上1000万下		16	3.2	(1人)	3着	田辺裕信	57	芝1200m(重)	1:10.2(36.0)	0.3	タイキシルバー
4.	7	中山	千葉日報杯		13	1.7	(1人)	1着	武豊	56	芝1200m(良)	1:08.3(33.6)	-0.1	(レオハスラー)
5.	20	東京	フリーウェイS		17	5.7	(3人)	5着	鮫島良太	55	芝1400m(良)	1:21.4(33.6)	0.4	ドラゴンウェルズ
6.	16	福島	さくらんぼ特別		15	2.5	(1人)	1着	吉田隼人	57	芝1200m(良)	1:07.9(34.3)	-0.3	(トミノドリーム)
7.	15	新潟	アイビスSD	JpnIII	18	32.6	(9人)	9着	石橋脩	56	芝1000m(重)	0:55.6(33.0)	0.5	サンアディユ
12.	2	中山	市川S		16	34.1	(9人)	13着	菊沢隆徳	57	芝1200m(良)	1:09.7(36.3)	1.4	テンイムホウ
2008	2.	11	京都	山城S		16	8.9	(4人)	1着	幸英明	57	芝1200m(良)	1:09.3(33.8)	-0.1	(ビッグジェム)
3.	8	中山	オーシャンS	JpnIII	16	19.6	(7人)	1着	吉田隼人	56	芝1200m(良)	1:08.9(34.5)	0.0	(エムオーウイナー)
3.	30	中京	高松宮記念	GI	18	20.3	(8人)	10着	吉田隼人	57	芝1200m(良)	1:07.7(33.3)	0.6	ファイングレイン
7.	6	函館	函館スプリントS	JpnIII	16	27.5	(8人)	4着	幸英明	56	芝1200m(良)	1:08.9(35.1)	0.5	キンシャサノキセキ
8.	31	札幌	キーンランドC	JpnIII	16	13.0	(6人)	12着	幸英明	56	芝1200m(良)	1:09.1(34.7)	1.2	タニノマティーニ
10.	5	中山	スプリンターズS	GI	16	38.5	(10人)	14着	三浦皇成	57	芝1200m(良)	1:08.8(34.5)	0.8	スリープレスナイト
2009	2.	8	京都	シルクロードS	GIII	16	28.4	(11人)	10着	幸英明	56	芝1200m(良)	1:09.3(35.1)	0.8	アーバンストリート
4.	12	中山	春雷S	OP	13	13.6	(8人)	5着	吉田隼人	57	芝1200m(良)	1:08.5(33.5)	0.3	アポロフェニックス
5.	3	新潟	谷川岳S	OP	16	9.3	(5人)	5着	吉田隼人	57	芝1400m(良)	1:21.6(34.8)	0.6	ホッカイカンティ
6.	14	中京	CBC賞	GIII	16	37.1	(12人)	1着	鮫島良太	55	芝1200m(良)	1:08.0(33.1)	0.0	(エイシンタイガー)
8.	30	札幌	キーンランドC	GIII	16	28.9	(10人)	4着	鮫島良太	56	芝1200m(良)	1:08.9(33.7)	0.5	ビービーガルダン
10.	4	中山	スプリンターズS	GI	16	36.1	(12人)	11着	鮫島良太	57	芝1200m(良)	1:07.9(33.7)	0.4	ローレルゲレイロ
10.	31	京都	スワンS	GII	18	33.9	(13人)	6着	鮫島良太	57	芝1400m(良)	1:20.8(33.4)	0.5	キンシャサノキセキ
11.	28	京都	京阪杯	GIII	18	17.3	(7人)	1着	幸英明	57	芝1200m(良)	1:07.6(33.0)	0.0	(レディルージュ)
12.	20	阪神	阪神C	GII	18	16.3	(7人)	2着	幸英明	57	芝1400m(良)	1:20.6(34.7)	0.0	キンシャサノキセキ
2010	2.	7	京都	シルクロードS	GIII	16	8.5	(5人)	6着	幸英明	57.5	芝1200m(良)	1:08.9(33.4)	0.8	アルティマトゥーレ
3.	6	中山	オーシャンS	GIII	16	11.9	(5人)	4着	幸英明	57	芝1200m(重)	1:09.9(35.3)	0.1	キンシャサノキセキ
3.	28	中京	高松宮記念	GI	18	10.1	(5人)	13着	幸英明	57	芝1200m(良)	1:09.3(34.7)	0.7	キンシャサノキセキ
10.	3	中山	スプリンターズS	GI	16	80.1	(12人)	15着	幸英明	57	芝1200m(良)	1:08.6(34.6)	1.2	ウルトラファンタジー
10.	30	京都	スワンS	GII	14	18.6	(8人)	9着	幸英明	57	芝1400m(良)	1:21.6(34.0)	0.6	マルカフェニックス
11.	27	京都	京阪杯	GIII	18	47.4	(14人)	12着	幸英明	59	芝1200m(良)	1:08.6(33.5)	0.6	スプリングソング

プレミアムボックス 血統表
プレミアムボックスの血統 (サンデーサイレンス系)/Northern Dancer4×4=12.50%
父

アドマイヤベガ
1996 鹿毛	*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛	Halo	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well	Understanding
Mountain Flower
ベガ
1990 鹿毛	*トニービン
Tony Bin	Kampala
Severn Bridge
*アンティックヴァリュー
Antique Value	Northern Dancer
Moonscape
母

チャッターボックス
1987 鹿毛	*ターゴワイス
Targowice
1970 黒鹿毛	Round Table	Princequillo
Knight's Daughter
Matriarch	Bold Ruler
Lyceum
シャダイチャッター
1980 栗毛	*ノーザンテースト
Northern Taste	Northern Dancer
Lady Victoria
ペルースポート	*ガーサント
グレートターフ F-No.19
近親にダービー2着馬インティライミやワンモアチャッターがいる。

京阪杯

京阪杯

開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月26日
施行時期	11月下旬
(原則5回京都7日目)
格付け	GIII
1着賞金	4000万円
賞金総額	7600万円
距離	芝1200m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)

負担重量	別定
第1回施行日	1956年11月4日

京阪杯(けいはんはい)は、日本中央競馬会が毎年11月に京都競馬場の芝1200mにて施行する重賞競走で、GIIIに格付けされている。
本競走の優勝馬には、京阪電気鉄道から優勝杯が贈呈される。

京阪杯 概要
1956年に「京都特別」の名称で芝2200mのハンデキャップ競走として創設され、1961年に現在の競走名に改称された。1984年に春季に移行されたが、1997年より再び秋季開催となっている。1994年と1995年には別定重量戦として開催されたが、1996年からは再度ハンデキャップに変更された。その後2003年以降は別定重量戦として施行されている。創設時より1800mから2200mの距離で施行され、中距離重賞として定着していたが、短距離路線の整備に伴い、2006年に現行の距離に変更された。
中距離競走の頃はカツラギエースを始め、ネーハイシーザー・ダンツシアトル・ダンスパートナー・ダイワエルシエーロ・カンパニーといった歴代のGI馬がこのレースを勝利しているが、1200mに変更後はまだ勝ち馬が現れていない。
出走資格は、サラ系3歳以上のJRA所属の競走馬と、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は3歳55kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本として、更に以下のように斤量が課せられる。
日本馬は収得賞金が3,000万円を超過した馬は超過額2,000万円毎に1kg増。
外国調教馬はGI競走1着馬は5kg増、GII競走1着馬は3kg増、GIII競走1着馬は1kg増(ただし2歳時の成績を除く)。
2011年現在の総額賞金は7,600万円で、1着賞金:4,000万円、2着賞金:1,600万円、3着賞金:1,000万円、4着賞金:600万円、5着賞金:400万円と定められている。

京阪杯 歴史
1956年 - 京都競馬場の芝外回り2200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、京都特別として創設。
1961年 - 名称を「京阪杯」に変更。
1966年
施行距離を芝外回り1800mに変更。
諏訪真が騎手として初の連覇。
諏訪佐市が調教師として初の連覇。
1971年 - この年のみ、芝1900mで施行。
1972年 - 施行距離を芝内回り2000mに変更。
1978年 - 福永洋一が騎手として2人目の連覇。
1979年 - 京都競馬場の改修工事により、阪神競馬場の芝2000mで施行。
1982年
ノトダイバーが初の連覇。
加用正が騎手として3人目の連覇。
北橋修二が調教師として2人目の連覇。
1984年
グレード制施行によりGIIIに格付け。
開催時期を5月に変更。それに伴い、出走条件が「4歳以上」から「5歳以上」に変更。
1989年 - 混合競走に指定。
1994年
京都競馬場の改修工事により、阪神競馬場の芝2000mで施行。
負担重量を別定重量に変更。
1996年
31年ぶりに芝外回り2200mで施行。
負担重量をハンデキャップに戻す。
1997年
開催時期を11月に変更。それに伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
施行距離を芝外回り1800mに変更。
1998年 - 中央競馬特別指定交流競走となり、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2003年 - 負担重量を別定重量に再度変更。
2005年
混合競走から国際競走に変更され、外国馬は5頭まで出走可能となる。
福永祐一が騎手として4人目の連覇。
2006年 - 施行距離を現在の芝内回り1200mに変更。
2007年
日本のパートI国昇格に伴い、外国馬の出走枠が9頭に拡大。
馬インフルエンザに伴う開催日割の変更に伴い、この年に限り金曜日開催となった。

京阪杯 歴代優勝馬
国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数	年月日	優勝馬	勝ち時計	性齢	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1956年11月4日	ミナトリユウ	2分19秒1/5	牡3	渡辺正人	稗田虎伊	小川乕三
第2回	1957年10月6日	ナンバイチバン	2分24秒0/5	牡4	大沢真	玉谷敬治	浜田尚子
第3回	1958年10月5日	タツテル	2分19秒3/5	牡3	高橋直	諏訪佐市	鈴木晴
第4回	1959年10月4日	ワカノキング	2分21秒5	牡3	北橋修二	柴田不二男	小野国光
第5回	1960年10月2日	ヤマニンモアー	2分16秒7	牡3	浅見国一	藤本冨良	土井宏二
第6回	1961年10月1日	メーデンスレデイ	2分17秒1	牝4	宇田明彦	星川泉士	伊達牧場
第7回	1962年10月7日	タカシゲ	2分17秒2	牡3	清田十一	伊藤勝吉	大久保常吉
第8回	1963年9月29日	コウライオー	2分06秒9	牡3	沖田秀勝	吉田三郎	高田政治
第9回	1964年9月27日	ヤマニンルビー	2分23秒6	牝3	池江泰郎	浅見国一	川田武
第10回	1965年9月23日	ヤマヒロ	2分17秒1	牡4	諏訪真	諏訪佐市	土井宏二
第11回	1966年9月18日	バリモスニセイ	1分55秒3	牡5	諏訪真	諏訪佐市	小杉咲枝
第12回	1967年11月3日	ネイチブランナー	1分50秒5	牡4	松本善登	山岡寿恵次	(株)増伝牧場
第13回	1968年11月10日	ヒロダイコク	1分55秒3	牝3	武田悟	夏村辰男	曽我薫
第14回	1969年11月9日	クリカシワ	1分49秒9	牡4	高橋成忠	柏谷富衛	栗林友二
第15回	1970年11月8日	セブンオー	1分51秒3	牡3	久保敏文	伊藤修司	森本博
第16回	1971年11月7日	タイセフト	1分59秒7	牡4	高橋成忠	二分久男	三宅正平
第17回	1972年11月23日	ロングワン	2分03秒5	牡4	武邦彦	松田由太郎	中井長一
第18回	1973年11月23日	シバタケ	2分03秒6	牡4	高崎詠三郎	橋本正晴	内芝伝一
第19回	1974年11月24日	イーストリバー	2分04秒2	牡4	北橋修二	松元正雄	川東勝俊
第20回	1975年11月23日	エリモカンセイ	2分05秒3	牡4	目黒正徳	大根田裕也	藤原鉄男
第21回	1976年11月28日	コウイチサブロウ	2分02秒6	牡3	松本善登	庄野穂積	桂土地(株)
第22回	1977年11月27日	シルバーランド	2分03秒6	牡7	福永洋一	佐藤勇	冨士田竹三
第23回	1978年11月26日	マチカネタイテイ	2分02秒3	牡5	福永洋一	清田十一	細川益男
第24回	1979年11月25日	タマモリマンド	2分00秒8	牡4	久保一秋	吉永猛	三野道夫
第25回	1980年11月23日	タニノテスコ	2分01秒6	牝5	飯田明弘	小林稔	谷水雄三
第26回	1981年11月22日	ノトダイバー	2分01秒3	牡4	加用正	北橋修二	(有)能登
第27回	1982年11月28日	ノトダイバー	2分02秒5	牡5	加用正	北橋修二	(有)能登
第28回	1983年11月27日	エリモローラ	2分03秒2	牡4	猿橋重利	大久保石松	山本慎一
第29回	1984年5月13日	カツラギエース	2分02秒1	牡4	西浦勝一	土門一美	野出一三
第30回	1985年5月12日	マルブツサーペン	2分02秒1	牡4	加用正	瀬戸口勉	大澤毅
第31回	1986年5月11日	シングルロマン	2分04秒2	牡4	松本達也	中尾正	藤井章
第32回	1987年5月17日	マルカセイコウ	2分05秒5	牡4	柴田光陽	内藤繁春	河長産業(株)
第33回	1988年5月15日	トウショウレオ	2分04秒4	牡6	田島良保	鶴留明雄	トウショウ産業(株)
第34回	1989年5月14日	ニホンピロブレイブ	2分02秒7	牡4	武豊	伊藤雄二	小林百太郎
第35回	1990年5月13日	ロングムテキ	2分01秒7	牡6	松永昌博	沖芳夫	中井商事(株)
第36回	1991年5月12日	イクノディクタス	2分02秒4	牝4	村本善之	福島信晴	勝野憲明
第37回	1992年5月17日	ミスタースペイン	2分03秒3	牡4	石橋守	橋口弘次郎	架谷外茂次
第38回	1993年5月15日	ロンシャンボーイ	2分00秒9	牡4	清山宏明	小原伊佐美	清岡政徳
第39回	1994年5月14日	ネーハイシーザー	1分58秒9	牡4	塩村克己	布施正	(株)大丸企業
第40回	1995年5月13日	ダンツシアトル	1分58秒9	牡5	村本善之	山内研二	山元哲二
第41回	1996年5月11日	ダンスパートナー	2分12秒8	牝4	四位洋文	白井寿昭	吉田勝己
第42回	1997年11月22日	エリモダンディー	1分48秒2	牡3	武豊	大久保正陽	山本慎一
第43回	1998年11月28日	ブラボーグリーン	1分46秒6	牡4	幸英明	栗田博憲	(株)グリーンファーム
第44回	1999年11月27日	ロサード	1分46秒4	牡3	安藤勝己	橋口弘次郎	(有)社台レースホース
第45回	2000年11月25日	ジョウテンブレーヴ	1分45秒2	牡3	O.ペリエ	相沢郁	田邉久男
第46回	2001年11月24日	テンザンセイザ	1分45秒6	牡3	四位洋文	藤原英昭	平野三郎
第47回	2002年11月23日	サイドワインダー	1分45秒3	牡4	武幸四郎	北橋修二	(株)協栄
第48回	2003年11月29日	チアズブライトリー	1分49秒1	牡5	本田優	山内研二	北村キヨ子
第49回	2004年11月27日	ダイワエルシエーロ	1分46秒3	牝3	福永祐一	松田国英	大城敬三
第50回	2005年11月26日	 カンパニー	1分44秒8	牡4	福永祐一	音無秀孝	近藤英子
第51回	2006年11月25日	 アンバージャック	1分08秒3	牡3	武幸四郎	中野隆良	(有)日進牧場
第52回	2007年11月23日	 サンアディユ	1分07秒9	牝5	武豊	音無秀孝	松岡隆雄
第53回	2008年11月29日	 ウエスタンダンサー	1分08秒1	牝4	川田将雅	崎山博樹	西川賢
第54回	2009年11月28日	 プレミアムボックス	1分07秒6 	牡6	幸英明	上原博之	(有)社台レースホース
第55回	2010年11月27日	 スプリングソング	1分08秒0 	牡5	池添謙一	鶴留明雄	吉田照哉

松永昌博

松永昌博

出身地	鹿児島県肝属郡田代町
(現・錦江町)
生年月日	1953年12月17日(57歳)
身長	155.5cm
体重	52kg
血液型	B型

所属団体	日本中央競馬会
所属厩舎	曽場広作(1977年3月 - 1978年2月)
松永善晴(1978年3月 - 引退)
初免許年	1977年3月1日
免許区分	平地・障害
騎手引退日	2002年2月28日
重賞勝利	25勝(うち地方交流2勝)
G1級勝利	1勝(うち地方交流1勝)
通算勝利	5846戦544勝[注 1]

調教師情報
初免許年	2005年(2006年開業)
重賞勝利	9勝(うち地方交流1勝)
G1級勝利	1勝
経歴
所属	栗東トレーニングセンター

松永 昌博(まつながまさひろ、1953年12月17日-)は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。
中央競馬騎手・調教師であった松永善晴は義父。旧姓・舞原(まいはら)。

松永昌博 来歴
1953年、鹿児島県肝属郡田代町(現・錦江町)に生まれる。身体が小柄であった事から親戚より騎手になることを勧められ、中学校卒業後に京都競馬場の曽場広作厩舎に入門、騎手候補生となった。騎手免許試験6度の不合格を経て、1977年に22歳で騎手免許を取得。曽場厩舎からデビューした。

松永昌博 騎手時代
同年3月に初騎乗、4月2日に初勝利を挙げた。当年、32勝を挙げて関西所属新人騎手の最多勝記録を更新。
しかしシーズン中に制裁による騎乗停止処分を受けていたため、規定により「新人賞」ではなく「敢闘賞」を受賞した。同年に曽場が病気で死去し、翌1978年より松永善晴厩舎に移籍する。1983年には松永の娘と結婚・婿養子となり、松永昌博と改姓した。
1986年12月、ポットテスコレディで阪神牝馬特別を制し、デビュー9年目で重賞初勝利を挙げる。以後も中堅騎手として活動を続け、1991年からはナイスネイチャの主戦騎手を務め、「善戦ホース」として人気を博した同馬と共に知名度を上げた。以後もトーヨーリファール等で重賞に勝利。1997年にはトーヨーシアトルで地方交流GI競走の東京大賞典を制し、騎手生活唯一のGI級競走制覇を果たした。
2000年代に入ると年間勝利数が一桁台に落ち込むようになり、2002年2月28日を以て騎手を引退した。通算5846戦544勝(うち障害3勝)、重賞25勝。

松永昌博 調教師時代
騎手引退後、松永善晴厩舎の調教助手を経て、2005年に調教師免許を取得。翌年、栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した。初出走は2006年3月11日中京競馬第6競走のシシャモムスメ(11着)、初勝利は同年7月2日、京都競馬第6競走でヒカリクロメート(延べ42頭目)であった。2008年にマルカフェニックスで阪神カップを制し、重賞初勝利を挙げている。2010年10月30日にはスワンステークスをマルカフェニックスで制し、JRA通算100勝を重賞勝利で飾っている。2011年11月20日にエイシンアポロンがマイルチャンピオンシップに優勝し、騎手時代を含めてもJRAのGI級競走初勝利を挙げた。

松永昌博 通算成績
松永昌博 騎手成績
通算成績	1着	2着	3着	4着以下	騎乗回数	勝率	連対率
平地	541	576	561	4,146	5,824	.093	.192
障害	3	1	3	15	22	.136	.182
計	544	577	564	4,161	5,846	.093	.192
日付	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初騎乗	1977年3月6日	障害未出走・未勝利	スミマル	7頭	-	5着
初勝利	1977年4月2日	5歳以上300万下	ナニワスピード	9頭	2	1着
重賞初騎乗	1977年5月1日	京都4歳特別	ケンセイズグ	9頭	7	3着
重賞初勝利	1986年12月21日	阪神牝馬特別	ポットテスコレディ	17頭	1	1着
GI級初騎乗	1979年4月8日	桜花賞	ダイワプリマ	22頭	8	17着
GI初勝利	1997年12月28日	東京大賞典	トーヨーシアトル	13頭	2	1着
全国リーディング最高17位(42勝・1987年)

松永昌博 受賞
(1977年)
松永昌博 主な騎乗馬
※括弧内は松永騎乗時の勝利重賞競走。太字はGI級競走。
ポットテスコレディ(1986年阪神牝馬特別 1987年京都牝馬特別)
ポットナポレオン(1987年小倉3歳ステークス)
バンブーメモリー(1989年スワンステークス)
オースミシャダイ(1990年阪神大賞典)
ロングムテキ(1990年京阪杯)
センターショウカツ(1990年神戸新聞杯)
ナイスネイチャ (1991年京都新聞杯、鳴尾記念、小倉記念 1994年高松宮杯)
テンザンハゴロモ (1991年サファイヤステークス)
トーヨーリファール (1993年ニュージーランドトロフィー4歳ステークス 1994年平安ステークス 1995年マーチステークス)
アルファキュート(1993年サファイヤステークス 1995年中山牝馬ステークス)
テンザンユタカ (1994年サファイヤステークス、愛知杯)
トーヨーシアトル (1996年ウインターステークス 1997年東京大賞典、平安ステークス、東海菊花賞)

松永昌博 調教師成績
日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初出走	2006年3月11日	1回中京3日6R	4歳上500万下	シシャモムスメ	16頭	5	11着
初勝利	2006年7月2日	4回京都6日6R	3歳未勝利	ヒカリクロメート	15頭	3	1着
重賞初出走	2006年10月14日	5回京都3日11R	デイリー杯2歳S	メイショウバルドル	13頭	12	12着
重賞初勝利	2008年12月21日	5回阪神6日11R	阪神C	マルカフェニックス	18頭	8	1着
GI初出走	2006年12月3日	3回阪神2日11R	阪神JF	テンザンコノハナ	18頭	13	14着
GI初勝利	2011年11月20日	6回京都6日11R	マイルCS	エイシンアポロン	18頭	5	1着

松永昌博 主な管理馬
※太字はGI級競走。
マルカフェニックス(2008年阪神カップ、2010年スワンステークス)
エイシンボストン(2009年東京ジャンプステークス、小倉サマージャンプ)
ゼンノパルテノン(2009年東京スプリント)
エイシンオスマン(2011年ニュージーランドトロフィー)
ウインバリアシオン(2011年青葉賞)
エイシンアポロン(2011年マイルチャンピオンシップ、富士ステークス)

マイルチャンピオンシップ、やったね!エイシンアポロン!!またまた池添たいしたもんだ!!

初月無料メルマガで本命にした5番人気のエイシンアポロンが前走の富士Sに続く連勝で、G1を初制覇しましたね。
おめでとうございます!!
田辺騎手の騎乗停止による代打騎乗で1年7カ月ぶりにエイシンアポロンに乗り替わった池添騎手は、これで今年のG1・5勝目!
池添騎手は、なんと大舞台に強いことか!
前日からの降雨で日曜の芝は不良馬場。
エイシンアポロンは5番手と前目の絶好のポジショニング。4角からは、進路を真ん中に取り、残り200メートルを過ぎてからは、
内のフィフスペトルと鼻つらを並べてのマッチレースでした。
見事な首差先着でしたね。
よく「水かきが付いている馬」という表現がありますが、エイシンアポロンは、まさにそれなのかも。
道悪の安定感は本当にすごいものがあります。
エイシンアポロンを管理する松永昌師は騎手時代を通して、中央G1初制覇。本当におめでとうございます!!

シンメイフジ

シンメイフジ

英字表記	Shimmei Fuji
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2007年1月30日(4歳)
登録日	2009年5月6日
父	フジキセキ
母	レディミューズ
母の父	ティンバーカントリー
生国	 日本(北海道新ひだか町)
生産	ケイアイファーム
馬主	織田芳一
調教師	安田隆行(栗東)
競走成績
生涯成績	12戦3勝
(内訳)
10戦2勝(中央)
2戦1勝(地方)
獲得賞金	9527万8000円
(内訳)
6202万8000円(中央)
3325万円(地方)

シンメイフジ(英: Shimmei Fuji)の主な勝ち鞍は新潟2歳ステークス(2009年)、関東オークス(2010年)。
馬名の由来は冠名+父名の一部より。

シンメイフジ 経歴
シンメイフジ 2歳(2009年)
2009年7月5日、阪神の芝1200メートルの2歳新馬戦で武豊とのコンビでデビューし、1.6倍の1番人気に応えてデビュー戦初勝利を挙げた。続く8月8日のダリア賞でも1番人気の支持を得たが、先に抜け出したプリンセスメモリーに先着を許した。3戦目の9月6日の新潟2歳ステークスが重賞初挑戦となり、最後方追走から上がり3F32秒9の末脚を見せて岩田康誠との新たなコンビで重賞初勝利を飾った。これで岩田康誠は騎手として同レース史上3人目の連覇となった。12月13日、阪神の第61回阪神ジュベナイルフィリーズでは3.9倍の単勝1番人気と支持されたが、道中後方待機から伸びきれず5着となった。

シンメイフジ 3歳(2010年)
2010年の始動戦は3月20日のフラワーカップ。好スタートを決めハナに立ち、道中も先頭でレースを進めた。直線に入って一旦突き放すも3番人気のオウケンサクラに並ばれると後退し5着。4月11日、阪神の第70回桜花賞では再び後方追走になり6着。5月23日、東京の第71回優駿牝馬では11着となり初の二桁着順に敗れた。6月16日、川崎で行われた第46回関東オークスでは内田博幸が手綱を取り初ダートとなったが、1番人気に支持され、課題のスタートも五分に出て好位追走から抜け出し2着に0.3秒差突き離して快勝した。6月30日、右第1指骨剥離骨折を発症していることが判明した。

シンメイフジ 4歳(2011年)
7ヵ月半ぶりの実戦復帰となった2011年2月2日の第14回TCK女王盃では内枠を利してハナに立ち先頭でレースを進めたが直線で後退し5着に敗れた。続く3月20日の第59回中京記念では先団から追走して4着。続く4月23日の第8回福島牝馬ステークスでは後方待機から伸びきれず9着となった。休養を挟み、JBCレディスクラシックに登録するも除外され11月13日の第36回エリザベス女王杯に出走、強気に先手を奪うと、2番手追走のホエールキャプチャ以下を引き離して大逃げを打ったが直線で一杯になり7着。

シンメイフジ 競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	頭数	オッズ(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム(上り3F)	着差	1着馬(2着馬)
2009.7.5	阪神	2歳新馬		9	1.6	(1人)	1着	武豊	54	芝1200m(良)	1:11.5(34.9)	0.0	(トシザマキ)
8.8	新潟	ダリア賞	OP	13	2.7	(1人)	2着	武豊	54	芝1400m(良)	1:23.3(34.9)	0.1	プリンセスメモリー
9.6	新潟	新潟2歳S	JpnIII	18	3.7	(1人)	1着	岩田康誠	54	芝1600m(良)	1:34.4(32.9)	-0.1	(フローライゼ)
12.13	阪神	阪神JF	JpnI	18	3.9	(1人)	5着	岩田康誠	54	芝1600m(良)	1:35.3(34.4)	0.4	アパパネ
2010.3.20	阪神	フラワーC	GIII	16	6.5	(2人)	5着	岩田康誠	55	芝1800m(良)	1:50.7(35.5)	0.4	オウケンサクラ
4.11	阪神	桜花賞	GI	18	10.8	(4人)	6着	岩田康誠	55	芝1600m(良)	1:33.7(33.8)	0.4	アパパネ
5.23	東京	優駿牝馬	GI	18	14.9	(6人)	11着	岩田康誠	55	芝2400m(稍)	2:32.3(37.1)	2.4	アパパネ
サンテミリオン
6.16	川崎	関東オークス	JpnII	14	3.2	(1人)	1着	内田博幸	54	ダ2100m(重)	2:13.1(38.5)	-0.3	(ハーミア)
2011.2.2	大井	TCK女王盃	JpnIII	16	7.9	(4人)	5着	内田博幸	54	ダ1800m(良)	1:53.1(37.3)	0.7	ラヴェリータ
3.20	小倉	中京記念	GIII	16	28.9	(10人)	4着	古川吉洋	54	芝2000m(稍)	2:00.9(37.1)	0.9	ナリタクリスタル
4.23	新潟	福島牝馬S	GIII	16	7.1	(4人)	9着	武幸四郎	55	芝1800m(良)	1:46.4(34.3)	1.0	フミノイマージン

シンメイフジ 血統表
シンメイフジの血統 (サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/クロス無し)
父

フジキセキ 1992
青鹿毛 北海道千歳市	*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ	Halo	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well	Understanding
Mountain Flower
*ミルレーサー
Millracer 1983
鹿毛 アメリカ	Le Fabuleux	Wild Risk
Anguar
Marston's Mill	In Reality
Millicent
母

レディミューズ 1997
栗毛	*ティンバーカントリー
Timber Country 1992
栗毛	Woodman	Mr. Prospector
*プレイメイト
Fall Aspen	Pretense
Change Water
*シンコウラブリイ 1989
鹿毛	Caerleon	Nijinsky
Foreseer
*ハッピートレイルズ	* ポツセ
* ロイコン F-No.4-d
母のレディミューズはチューリップ賞2着馬である。
祖母のシンコウラブリイはマイルチャンピオンシップなど重賞6勝している。母の半兄であるロードクロノス(父トニービン)は中京記念勝馬。半弟のトレジャー(父ブライアンズタイム)は重賞2着3回。
曾祖母の直仔にエプソムカップ勝ち馬のタイキマーシャル、京都牝馬ステークス勝ち馬のハッピーパスがいる。孫にセントライト記念や京成杯オータムハンデキャップ勝ちのキングストレイル。アルゼンチン共和国杯勝ちのタイキエルドラド、函館スプリントステークス勝ちのタイキトレジャーがいるなどオープンまでいっている馬が多い。

アルーリングボイス

アルーリングボイス

性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2003年1月23日(8歳)
父	フレンチデピュティ
母	アルーリングアクト
母の父	エンドスウィープ
生国	 日本(北海道白老町)
生産	白老ファーム
馬主	(有)サンデーレーシング
調教師	野村彰彦(栗東)
競走成績
生涯成績	21戦4勝
獲得賞金	1億3488万6千円

アルーリングボイスは、日本の元競走馬。2歳時に小倉2歳ステークス、ファンタジーステークスを連勝した。馬名の由来は「うっとりするような声」。
母アルーリングアクトも小倉3歳ステークス(競走名は当時)に優勝している。

アルーリングボイス 経歴
2005年の7月にデビューし2着。武豊が騎乗した次走で初勝利を挙げ、重賞初出走となった小倉2歳ステークスで同競走母仔制覇を果たす。その後オープン特別戦のききょうステークス、GIII・ファンタジーステークスも連勝し、4連勝で臨んだ2歳女王決定戦・阪神ジュベナイルフィリーズでは1番人気に推された。しかしここで14着と大敗すると、以後は極度のスランプに陥り、勝利を挙げることはなかった。
母も2歳以降は大敗を繰り返しており、早熟であるという評価もあった。しかし勝利寸前まで行ったレースはあり、古馬になって4走目の北九州記念では、単勝オッズ22倍の6番人気ながら優勝したキョウワロアリングからクビ差の2着に食い込み、キョウワロアリング、3着の10番人気ワイキューブと共に、三連単配当157万円という大波乱を演出した。続いてのセントウルステークスでも4着に入り復活の兆しを見せていたが、以後は再び大敗を繰り返すようになり、2008年7月に骨折。全治3ヶ月と診断され、そのまま引退・繁殖入りとなった。

アルーリングボイス 血統表
アルーリングボイスの血統 ヴァイスリージェント系/(Mr. Prospector 4×4=12.50%、Northern Dancer 4×5=9.38%)
父

*フレンチデピュティ
French Deputy 1992
栗毛 アメリカ	Deputy Minister 1979
黒鹿毛 カナダ	Vice Regent	Northern Dancer
Victoria Regina
Mint Copy	Bunty's Flight
Shakney
Mitterand 1981
鹿毛 アメリカ	Hold Your Peace	Speak John
Blue Moon
Laredo Lass	Bold Ruler
Fortunate Isle
母

アルーリングアクト 1997
鹿毛 日本	*エンドスウィープ
End Sweep 1991
鹿毛 アメリカ	*フォーティナイナー
Forty Niner	Mr.Prospector
File
Broom Dance	Dance Spell
Witching Hour
*チャーミングファピアノ
Charming Fappiano 1986
鹿毛 アメリカ	Fappiano	Mr.Prospector
Killaloe
Charming Story	Hail to Reason
Dame of Fritchie
伯母に米G3ダボナデールステークス優勝馬カットザチャーム(Cut the Charm)、母の従兄に1999年のカナダ最優秀2歳牡馬で、米G1メトロポリタンハンデキャップ等の優勝馬エキサイティングストーリー(Exciting Story)がいる。
全妹にアルーリングライフ(2007年生)がいる。

フレンチデピュティ

フレンチデピュティ

英字表記	French Deputy
性別	牡
毛色	栗毛
生誕	1992年1月30日
父	Deputy Minister
母	Mitterand
生国	 アメリカ合衆国
生産	Irving & Marjorie Cowan
馬主	Irving & Marjorie Cowan
調教師	Neil Drysdale(米)
競走成績
生涯成績	6戦4勝
獲得賞金	195,200US$

フレンチデピュティ(French Deputy、1992年 - )はアメリカ合衆国産の競走馬・種牡馬。
現在は日本の社台スタリオンステーションで種牡馬として繋養されている。

フレンチデピュティ 戦績
1994年にハリウッドパーク競馬場のメイドン(未勝利戦)で5馬身差の圧勝でデビューを飾る。続くアローワンス競走(一般戦)を2戦とも楽勝した。初重賞挑戦のベルモントパーク競馬場で行われたジェロームハンデキャップも制し、4連勝でG2を奪取。その後アローワンス競走で2着と初黒星を喫した後、ブリーダーズカップ・クラシック(G1)に出走したが、シガーの9着と大敗し、この競走を最後に引退した。

フレンチデピュティ 種牡馬として
引退後は、現地で種牡馬入りした。その後、輸入産駒のノボジャックやクロフネらの活躍を受けて、2001年に社台グループが輸入した。輸入後に、現地に残してきた産駒から2002年のエクリプス賞の最優秀古牡・セン馬に選ばれたLeft Bankなどが活躍している。
2004年に日本での産駒がデビューし、JRAファーストシーズンチャンピオンサイアーに輝いた。また、2歳総合ランキングでもサンデーサイレンスに次ぐ2位となった。日本産の産駒からは、2006年にフレンドシップが交流G1初制覇。2007年にピンクカメオがNHKマイルカップで中央のG1級競走を制している。続く2008年にはレジネッタで初のクラシック競走を制すると、今度はアドマイヤジュピタが天皇賞・春を、エイシンデピュティが宝塚記念を制するなど、順調に活躍馬を送り出している。
産駒の勝ち上がり率は高く、芝・ダートを問わず活躍し、重馬場も苦にしない傾向にある。
短・中距離の競走を得意とする産駒が多いが、母父にリアルシャダイを持つアドマイヤジュピタが天皇賞・春を勝ったように、母系によっては長距離もこなす産駒もいる。
また、フレンチデピュティはノーザンダンサー系の中でも特に北米を中心に発展したヴァイスリージェント系であるため、日本国内の繁殖牝馬に対しても近親交配の度合いが高くなりにくい利点がある。仮にノーザンテーストを父に持つ牝馬に交配しても、ノーザンダンサーの3×4のクロスが発生するに留まることになる。なお、現在でも日本国内屈指の勢力といえるサンデーサイレンス牝馬との配合からレジネッタを出しており、今後の主流となる可能性のある血統のひとつである。
既に産駒のクロフネからも、GI馬で種牡馬のフサイチリシャールが出ており、父系は広がりを見せつつある。

フレンチデピュティ 主な産駒
クロフネ

エイシンデピュティ

アドマイヤジュピタ

ピンクカメオ

レジネッタ

日本調教馬以外はGI(G1)競走優勝馬のみ記載。
1997年産
Left Bank(ホイットニーハンデキャップ、シガーマイルハンデキャップ、ヴォスバーステークス)
ノボジャック(JBCスプリント、東京盃、黒船賞 2回、群馬記念 2回、北海道スプリントカップ、クラスターカップ)
1998年産
クロフネ(ジャパンカップダート、NHKマイルカップ、武蔵野ステークス、毎日杯)
1999年産
Mayo on the Side(ヒューマナディスタフハンデキャップ)
2000年度産
House Party(プライオレスステークス)
2002年産
エイシンデピュティ(宝塚記念、金鯱賞、京都金杯、エプソムカップ-GIII)
サンアディユ(セントウルステークス、京阪杯、アイビスサマーダッシュ)
ライラプス(クイーンカップ)
ブライトトゥモロー(新潟大賞典)
アンブロワーズ(函館2歳ステークス)
2003年産
アドマイヤジュピタ(天皇賞・春、阪神大賞典、アルゼンチン共和国杯)
フレンドシップ(ジャパンダートダービー)
サイレントプライド(ダービー卿チャレンジトロフィー、富士ステークス)
アルーリングボイス(小倉2歳ステークス、ファンタジーステークス)
2004年産
ピンクカメオ(NHKマイルカップ)
2005年産
レジネッタ(桜花賞、福島牝馬ステークス)
メイショウベルーガ(京都大賞典、日経新春杯)
母の父として [編集]
2004年産
スズカコーズウェイ:父Giant's Causeway(京王杯スプリングカップ)
2006年産
ブレイクランアウト:父Smart Strike(共同通信杯)
2007年産
アニメイトバイオ:父ゼンノロブロイ(ローズステークス)
ビッグバン:父ネオユニヴァース(北海道2歳優駿)
2008年産
ボレアス:父ディープインパクト(レパードステークス)
血統表 [編集]

フレンチデピュティの血統 (ヴァイスリージェント系/Nearco5×5=6.25%)
父

Deputy Minister
1979 黒鹿毛	Vice Regent
1967 栗毛	Northern Dancer	Nearctic
Natalma
Victoria Regina	Menetrier
Victoriana
Mint Copy
1970 黒鹿毛	Bunty's Flight	Bunty Lawless
Broomflight
Shankey	Jabneh
Grass Shack
母

Mitterand
1981 鹿毛	Hold Your Peace
1969 鹿毛	Speak John	Prince John
Nuit de Foiles
Blue Moon	Eight Thirty
Blue Grail
Laredo Lase
1971 黒鹿毛	Bold Ruler	Nasrullah
Miss Disco
Fortunate Isle	Ambiorix
Slippy F-No.4-m

尾島徹

尾島徹

出身地	愛知県
生年月日	1984年3月23日(27歳)
身長	170cm
体重	52kg
血液型	O型
騎手情報
所属団体	岐阜県地方競馬組合
所属厩舎	柴田高志(笠松)
勝負服	黄・青鋸歯形、袖青一本輪
初免許年	2001年

尾島 徹(おじま とおる、1984年3月23日 -)は、地方競馬の笠松競馬場柴田高志厩舎所属の騎手である。地方競馬教養センター長期騎手課程第73期生[1]。

尾島徹 来歴
 2001年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月1日第1回笠松競馬1日目第4競走BC組条件戦3番人気ダイワコマンダーで初騎乗(9頭立て5着)。同年4月25日第2回笠松競馬3日目第3競走3歳組条件戦を9番人気カメラメセンで優勝し、11戦目で初勝利(10頭立て)。
 2002年10月15日第17回全日本新人王争覇戦出場(12人中9位)。
 2004年4月9日第1回笠松競馬5日目第5競走サラ系B19組条件戦を1番人気マルタカウランで優勝(10頭立て)し、地方競馬通算100勝達成。
 2005年4月30日第3回京都競馬3日目第6競走3歳500万下で10番人気マルヨサンデーに騎乗し、中央競馬初騎乗(11頭立て7着)。同年8月19日第8回笠松競馬5日目第9競走第34回くろゆり賞を7番人気オグリスキーで優勝し、重賞初制覇(10頭立て)。
 2006年5月31日第4回笠松競馬3日目第1競走サラ系3歳9組条件戦を1番人気アウヂョンで優勝(9頭立て)し、地方競馬通算200勝達成。同年10月22日第9回盛岡競馬5日目第31回報知新聞杯ウイナーカップを3番人気オグリホットで優勝し、他場での重賞初制覇(14頭立て)。翌10月23日から11月12日まで騎乗技術の向上を目的として中央競馬・岩戸孝樹厩舎で研修を行った。
 2007年6月8日第6回名古屋競馬4日目第12競走第37回東海ダービーを4番人気マルヨフェニックスで優勝した(12頭立て)。また、同馬とのコンビで同年8月15日第8回大井競馬4日目第9競走第41回黒潮盃に出走し、9番人気の低評価を覆して快勝した(15頭立て)。同年9月13日第10回笠松競馬3日目第9競走サラ系C2組選抜戦をキャプテンハートで優勝(8頭立て2番人気)し、地方競馬通算300勝達成。
 2008年1月8日第17回笠松競馬2日目第3競走において個人協賛により尾島徹騎手結婚記念3歳4組条件戦が施行され、マディスンスクエアに騎乗し2着だった(9頭立て3番人気)。同年7月7日第6回福山競馬3日目第9競走に実施された福山競馬場初の地方競馬全国交流競走オッズパークグランプリ2008で8番人気マルヨスポットに騎乗し、レコードタイムで優勝した(9頭立て)。同年11月28日第14回笠松競馬5日目第4競走いろり火特別(サラ系A2組)をフィンマックールで優勝(6頭立て4番人気)し、地方競馬通算400勝達成。
 2009年6月23日には騎乗機会4連続勝利を達成した[10]。同年7月16日第6回園田競馬3日目第11競走オッズパークグランプリ2009に3番人気マルヨフェニックスで出走、返し馬の際放馬するアクシデントがあったがそれを克服し優勝した(11頭立て)[11][12]。同年11月11日第13回笠松競馬3日目第8競走サラ系B8組条件戦を2番人気フジノアサハタで優勝(10頭立て)し、地方競馬通算500勝達成。
 2009年、549戦107勝で初めて笠松のリーディングジョッキーとなる。
 地方通算成績4499戦629勝/JRA通算42戦1勝(2010年12月31日現在)

東海菊花賞

東海菊花賞

開催地	名古屋競馬場
施行日	2011年11月17日
格付け	SPI
1着賞金	350万円
距離	ダート1900m
出走条件	サラブレッド系3歳以上オープン・南関東・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州所属
負担重量	3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減
第1回施行日	1960年10月30日

東海菊花賞(とうかいきっかしょう)とは名古屋競馬場においてダート1900mで施行する地方競馬の重賞(SPI)競走。
かつてはダートグレード競走として開催されていた。

東海菊花賞 概要
1960年創設。長らく東海地区所属馬(愛知・笠松)限定競走であった。翌1961年には東海桜花賞も創設されている。1974~1976年には中京競馬場の芝コース2000mで施行されている。
1996年に中央地方全国指定交流競走に指定され、JRAおよび他地区所属馬に門戸が開かれた。翌1997年ダート競走格付け委員会により統一GII競走に格付けされた。当時はダート2500mで施行。
2001年、愛知県競馬組合による競走見直しおよび名古屋グランプリ新設により中央・地方全国交流競走から東海地区限定に戻り2002年から東海・北陸・近畿交流競走に、2010年からは南関東・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州地区交流競走に拡大された。

東海菊花賞 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1960年10月30日	ケンロクチカラ	牡7		2:46.7	光岡直三郎		
第2回	1961年11月3日	ダイゴロクレンタイ	牡6		2:44.1	白井善治		
第3回	1962年11月4日	ツバクロ	牡7		2:44.1	山島昇		
第4回	1963年11月3日	ラウンドカツプ	牡5		2:38.2	白井善治		
第5回	1964年11月1日	ローヤルライト	牡4		2:39.9	大橋憲		
第6回	1965年11月28日	シヤチノオーザ	牡3		2:37.6	福田秀己		
第7回	1966年11月6日	テツリユウ	牡6		2:35.6	藤ヶ崎一男		六郎田雅喜
第8回	1967年11月5日	グレースタイバー	牡5		2:34.9	藤ヶ崎一男		
第9回	1968年11月3日	ヒリユウシンゲキ	牡7		2:36.4	伊藤光雄		
第10回	1969年11月3日	タカヒロ	牡5		2:36.7	藤ヶ崎一男		
第11回	1970年10月25日	オーナーズチエス	牡5		2:37.4	伊藤光雄		
第12回	1971年11月7日	アサホマレ	牡3		2:36.7	山本栄二		
第13回	1972年11月5日	アサホマレ	牡4		2:36.2	山田義男		
第14回	1973年11月4日	ノースアイランド	牡5	名古屋	2:35.9	瀬戸口悟	斉藤弘光	
第15回	1974年11月4日	ケンハツピー	牡5	名古屋	2:02.1	平和人	青山功	内田三郎
第16回	1975年10月3日	ケンセダン	牡4	名古屋	2:02.7	富田光吉	木村鶴男	
第17回	1976年11月7日	マサデンセイ	牡5	名古屋	2:02.3	黒宮高徳	藤ヶ崎一男	
第18回	1977年11月6日	ブレーブボーイ	牡3	名古屋	2:36.0	山田義男	大薮憲三	寺島眞鶴
第19回	1978年11月5日	ダイタクチカラ	牡4	笠松	2:35.4	山田義男	倉間昭夫	中村雅一
第20回	1979年11月4日	クリーンフアミリー	牡4	名古屋	2:34.8	中村広己	青山功	
第21回	1980年11月3日	ロイヤルーハンセー	牡4	名古屋	2:36.3	田中敏和	瀬戸口悟	
第22回	1981年11月3日	シヤアペングラス	牡4	名古屋	2:37.7	山田義男	青山隆司	
第23回	1982年11月7日	ゴールドレツト	牡3	名古屋	2:36.7	原口次夫	磯村林三	都築芳男
第24回	1983年11月6日	ヒデアトム	牡5	名古屋	2:36.5	坂口義幸	栗田和昌	
第25回	1984年11月4日	マツノセイザン	牡4	笠松	2:38.1	安藤勝己	後藤保	北島鉄雄
第26回	1985年10月4日	カウンテスアツプ	牡4	笠松	2:34.4	安藤勝己	後藤保	佐橋五十雄
第27回	1986年11月3日	グレートローマン	牡5	名古屋	2:39.0	田中敏和	野島豊	上川廣
第28回	1987年11月3日	ワカオライデン	牡6	笠松	2:36.4	井上孝彦	荒川友司	小塚美近
第29回	1988年11月3日	フエートノーザン	牡5	笠松	2:38.8	安藤勝己	吉田秋好	高橋義和
第30回	1989年11月3日	サンリナール	牡3	名古屋	2:38.8	白坂芳文	錦見勇夫	(有)大勇
第31回	1990年10月31日	マツクスフリート	牝3	笠松	2:37.1	安藤勝己	荒川友司	松田三芳
第32回	1991年10月30日	アンダープリンス	牡7	名古屋	2:40.2	田中敏和	斉藤弘光	森昭彦
第33回	1992年11月3日	イチアヤヒデ	牡7	笠松	2:38.0	松原義夫	青木和夫	前田篤久
第34回	1993年11月3日	ヒデノデュレン	牡5	名古屋	2:47.5	桜井今朝利	伊藤光雄	加藤由夫
第35回	1994年11月3日	マルブツセカイオー	牡4	名古屋	2:45.6	戸部尚実	斉藤弘光	大澤毅
第36回	1995年11月3日	マルブツセカイオー	牡5	名古屋	2:43.9	戸部尚実	斉藤弘光	大澤毅
第37回	1996年11月4日	ホウエイコスモス	牡5	JRA	2:42.0	藤田伸二	柴田不二男	佐橋五十雄
第38回	1997年11月3日	トーヨーシアトル	牡4	JRA	2:43.1	松永昌博	松永善晴	(有)トーヨークラブ
第39回	1998年11月3日	デュークグランプリ	牡7	JRA	2:43.5	武豊	小西一男	石原春夫
第40回	1999年11月3日	マチカネワラウカド	牡5	JRA	2:41.0	石橋守	高橋隆	細川益男
第41回	2000年11月3日	ファストフレンド	牝6	JRA	2:40.8	蛯名正義	高市圭二	竹﨑大晃
第42回	2001年10月8日	センゲントウショウ	牡5	名古屋	2:03.2	竹下太	山内和明	石川雅博
第43回	2002年10月30日	ブラウンシャトレー	牡5	名古屋	2:00.7	安部幸夫	国光徹	小島史代
第44回	2003年10月31日	マルカセンリョウ	牡5	名古屋	2:01.8	上松瀬竜一	瀬戸口悟	大西和子
第45回	2004年11月12日	レイナワルツ	牝4	名古屋	2:00.6	兒島真二	瀬戸口悟	林進
第46回	2005年10月7日	クインオブクイン	牝3	笠松	2:02.8	濱口楠彦	松原義夫	中部建材(株)
第47回	2006年11月16日	ウイニングウインド	牡5	名古屋	2:06.5	吉田稔	原口次夫	奥村幸男
第48回	2007年11月15日	チャンストウライ	牡4	兵庫	2:04.4	下原理	寺嶋正勝	ジェントルマンホースクラブ
第49回	2008年11月19日	ムーンバレイ	牡7	名古屋	2:07.2	吉田稔	角田輝也	後藤繁樹
第50回	2009年11月18日	ヒシウォーシイ	牡4	名古屋	2:01.8	戸部尚実	川西毅	竹内三年
第51回	2010年11月19日	ヒシウォーシイ	牡5	名古屋	2:04.6	岡部誠	川西毅	竹内三年
第52回	2011年11月17日	エイシンフレンチ	牡6	笠松	2:04.2	尾島徹	伊藤強一	平井豊光
馬齢は2000年以前も現表記で表示している。

東海菊花賞 エピソード
2002年の菊花賞で1番人気のノーリーズンに騎乗した武豊がスタート直後に落馬して競走を中止したが、そのわずか10日後に行われた本競走でも2番人気のレジェンドハンターに騎乗した安藤勝己がスタート直後に落馬して競走を中止した。同じ菊花賞の名を冠する競走でスタート直後の波乱が相次ぐという珍事となった。

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