京都金杯の過去10年の傾向を単勝オッズから見てみると、
単勝3倍未満なら
(2-3-0-0)で、連には絡みそうですね。
ヒモ馬は、単勝オッズが10.0~14.9倍(5-1-2-10)
が目立ちますね!
京都金杯の単勝オッズ
1.0~1.9倍 (2-0-0-0)
2.0~2.9倍 (0-3-0-0)
3.0~3.9倍 (0-0-0-4)
4.0~4.9台 (0-0-1-2)
5.0~6.9倍 (1-2-3-7)
7.0~9.9倍 (1-2-0-14)
10.0~14.9倍(5-1-2-10)
15.0~19.9倍(0-0-2-10)
20.0~29.9倍(0-2-0-10)
30.0~49.9倍(1-0-1-25)
50.0~99.9倍(0-0-1-24)
100倍以上 (0-0-0-22)
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ダイワスカーレットは見事な栗毛の馬です。
栗毛の馬の中では、サイレンススズカやグラスワンダーと並ぶ位、ダイワスカーレットは好みですね。
天皇賞での休み明けだったのに精一杯タフなレースを闘ったダイワスカーレットは凄かった。
あの展開、あのペースで坂下からまた盛り返せる馬なんて他にはいないでしょう。
今、母となったダイワスカーレット、産駒のデビューが待ち遠しいですね。
ダイワスカーレット
英字表記 Daiwa Scarlet
性別 牝
毛色 栗毛
生誕 2004年5月13日(8歳)
抹消日 2009年2月18日
父 アグネスタキオン
母 スカーレットブーケ
母の父 ノーザンテースト
生国 日本(北海道千歳市)
生産 社台ファーム
馬主 大城敬三・吉田照哉
調教師 松田国英(栗東)
厩務員 斉藤正敏
競走成績
生涯成績 12戦8勝
獲得賞金 7億8668万5000円
勝ち鞍 GI:エリザベス女王杯(2007年)
有馬記念(2008年)
JpnI:桜花賞、秋華賞(2007年)
GII:大阪杯(2008年)
JpnII:ローズステークス(2007年)
ダイワスカーレット(英: Daiwa Scarlet)は繁殖牝馬。2007年の桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、2008年の有馬記念に勝利している。
同世代のウオッカと激しい争いを繰り広げ、ともに牝馬ながら牡馬とも互角以上に渡り合った。デビュー戦から引退まで12戦8勝・2着4回と全ての出走レースで連対を果たした。
デビューから引退までの12戦連続連対はJRA所属馬としては牝馬最多記録となっている(最多記録は19戦連対のシンザン)。デビューから引退まで完全連対の成績を残したことから「ミス・パーフェクト」と呼ばれた。
馬名の由来は冠名(ダイワ)+映画『風と共に去りぬ』のヒロインであるスカーレット・オハラから[1]。
ダイワスカーレット 戦績
ダイワスカーレット 2歳
デビューは2006年11月19日、京都競馬場第5競走の新馬戦(芝2000m)で安藤勝己を鞍上に先行策からほぼ馬なりで快勝した。安藤勝己は以後全レースで騎乗することになる。なお同日のメインレースのマイルチャンピオンシップでは半兄のダイワメジャーが優勝し、兄妹同日勝利を挙げ話題になった。続く中京2歳ステークスでは同じく先行策から評判馬アドマイヤオーラの追撃を余裕を残して封じ、デビュー2連勝を飾った。
ダイワスカーレット 3歳
年明け初戦のシンザン記念では牡馬相手に強い内容で連勝してきた実績を買われて1番人気に支持されるものの、やや掛かり気味にレースを進めた上に終始アドマイヤオーラのマークを受け、直線では同馬に差されて2着となり初黒星を喫した。
続く桜花賞トライアルのチューリップ賞では前年の2歳女王ウオッカと対戦。スタート良くハナを切り、直線では真っ向勝負を望むかのようにウオッカを引き付けたが、前に出られると差し返すことはできずクビ差敗れた。
陣営はこの敗戦で瞬発力勝負では分が悪いと判断し、大外18番枠からの発走となった本番の桜花賞では直線で早めに抜け出す積極策でウオッカの追撃を抑えて優勝。前走の雪辱を果たすとともに兄妹クラシック制覇を成し遂げた。優駿牝馬(オークス)ではウオッカが東京優駿(日本ダービー)に出走するため不動の本命と目されていたが、感冒により回避。山元トレーニングセンターへ放牧され8月10日に帰厩した。
復帰後初戦はローズステークスに出走。優駿牝馬ハナ差2着のベッラレイアとの初対決が注目を集めた。レースではスタート直後から徐々に先頭に立つと、そのまま押し切り1着でゴール。
10月3日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは109ポンドの評価を得た。なお、このレース以降、レース中は青いメンコを装着している。その後第12回秋華賞に出走。このレースは、64年ぶりに牝馬のダービー馬となったウオッカと春以来の再戦ということもあり非常に注目されていた。
距離の面で不安視されていたが、道中かかり気味に2番手を追走し先頭を行くヒシアスペンを3コーナーで捕らえると後続の追撃を払い、そのまま押し切り完勝。中央競馬牝馬2冠を達成した。
秋華賞後はマイルチャンピオンシップへの出走も視野に入れていたが第32回エリザベス女王杯に出走。レース前日まで1番人気だったウオッカがレース当日に出走を取り消したために、最終的には1番人気に支持された。
レースではスタートから押し出されるような形で先頭に立つと、最後の直線では前年優勝のフサイチパンドラや前々年優勝のスイープトウショウを抑え1着となった。なお翌週のマイルチャンピオンシップで兄のダイワメジャーが安藤を背に快勝。兄妹による2週連続のGI制覇となった。
11月26日に都内で行われたオーナー主催のパーティーにおいて、生産者で共同オーナーの吉田照哉から来春のドバイデューティーフリー遠征、さらには第52回有馬記念での兄妹対決が語られ、その動向に注目が集まった。
11月29日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは、エリザベス女王杯を制したことにより過去7年で最も高い115ポンドの評価を得た。有馬記念で安藤が兄・ダイワメジャーと当馬のどちらに騎乗するのか話題になったが、引き続き当馬に騎乗することになった。有馬記念ファン投票では7万4134票を集め4位となった。ちなみにダイワメジャーは3位であった。
そして迎えた有馬記念では、初のGI級牡馬との対戦に加え初体験となる長距離、関東遠征、さらに鞍上の安藤が中山の芝重賞未勝利であることを不安視する声もあったが兄を上回る単勝5番人気に支持される。レースでは道中2番目に付け直線で抜け出しを図るも、経済コースを通っていたマツリダゴッホに内をすくわれるとこれを交わすことはできず1馬身1/4差の2着に敗れる。
スターロツチ以来の3歳牝馬での有馬記念制覇はならなかったが最後の直線では追いすがる兄を突き放し天皇賞春秋連覇を達成したメイショウサムソンやライバルのウオッカ、同世代牡馬のロックドゥカンブらに先着し、改めて能力の高さを見せつけた。
この年内GI3勝に加え有馬記念2着、ダービー馬ウオッカにはGIで3回対戦してすべて先着したことが評価され、年度代表馬の座こそ海外戦を含むGI3勝のアドマイヤムーンに譲ったものの、ウオッカを抑えてJRA賞最優秀3歳牝馬およびJRA賞最優秀父内国産馬を受賞した。
なお牝馬の有馬記念連対は1994年のヒシアマゾン以来13年ぶりであり、このレースで2003年のスティルインラブを抜いて牝馬のJRA年間獲得賞金額歴代1位となった。
レース後には、初のダート戦となるフェブラリーステークスをステップに、ドバイワールドカップかドバイデューティーフリーへの参戦が予定された。
ダイワスカーレット 4歳
1月31日にドバイワールドカップ及びドバイデューティフリーの選出馬となり、ドバイへのステップとしてフェブラリーステークスに登録したが、調教中に走路から跳ね上がったウッドチップ(木片)が右目に入り、創傷性角膜炎と診断された。そのためフェブラリーステークスを回避し、併せてドバイ遠征も白紙となった。
その後大阪杯で復帰し単勝2.0倍の1番人気に支持され優勝。次走はヴィクトリアマイルを目標に調整されていたが右前脚管骨骨瘤を発症したため、春シーズンを全休した。そのため出走に至らなかったが、宝塚記念ファン投票では4位となる3万9234票を獲得している。
その後は秋まで休養しステップレースを使わず秋の天皇賞へ出走。当初は出走が微妙な状態だったが、「少しでも不安があればエリザベス女王杯の選択肢もありますが、昨年も勝ったレース。
限定戦の楽な選択をするより、強い馬が集まるレースで強いことを証明したい」という理由から出走を決断した。大阪杯以来の故障休養明けでのGI出走に加え東京コース未経験であることを不安視する声もあったが、ウオッカに次ぐ2番人気に支持された。
好スタートからハナを奪ったが、道中ではトーセンキャプテンに後ろから競りかけられ、最初の1000mを58.7秒という淀みないペースで逃げる展開となった。しかし直線に入ると追い込んでくるウオッカと壮絶な1着争いを繰り広げ横並びで入線。15分に及ぶ写真判定の結果、わずか2cm差の2着に敗れた(レースの詳細については第138回天皇賞を参照のこと)。
年末には第53回有馬記念に出走し1番人気に推された。レースでは外枠13番からの発走の影響もなくスタート良くハナに立ち、最初の900mを53.1秒という淀みないペースで逃げ、最後の直線でも他馬を寄せ付けることなく完勝、人気に応えた。牝馬による有馬記念制覇は、1971年のトウメイ以来、37年ぶりの快挙であった。なお、牝馬の有馬記念制覇は史上4頭目だが1番人気での優勝は初である。
レース後には、再び海外遠征のプランが持ち上がった。調教師の松田国英は海外での3勝を目標とし、2008年は断念したドバイ遠征に再度挑戦したいと発言。生産者である社台ファーム代表の吉田照哉も日本国内産馬でのヨーロッパGI制覇を期待しているコメントをした。
2008年度のJRA賞は年度代表馬、最優秀4歳以上牝馬部門ともウオッカが選ばれ特別賞授与についても審議を行ったが委員8人中、賛成は4人(反対3、欠席1)のため委員総数の4分の3以上(6人以上)の推薦が得られなかったため、この年はどの賞も受賞することができなかった。
ダイワスカーレット 5歳
この年もドバイワールドカップを目標に、前年同様にステップレースとしてフェブラリーステークスに登録していたが、1週前追い切りを終えた直後の2月12日に脚部不安を発症したために出走を回避した[2][3]。翌日には浅屈腱炎であることが判明、ドバイワールドカップも回避し[4]、その後大城敬三と吉田照哉の間で協議が行われた結果、2月18日付で競走馬登録を抹消され現役を引退した[5][6]。なお、兄のダイワメジャーと違い、引退式は行わなかった。
ダイワスカーレット 競走成績
年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量[kg] 距離(馬場) タイム
(上り3F) 時計
差 勝ち馬/(2着馬)
2006. 11. 19 京都 2歳新馬 12 3 3 1.8(1人) 1着 安藤勝己 54 芝2000m(良) 2:04.1(35.0) -0.3 (コスモグルミット)
12. 16 中京 中京2歳S OP 8 1 1 2.2(1人) 1着 安藤勝己 54 芝1800m(良) 1:47.8(33.7) -0.1 (アドマイヤオーラ)
2007. 1. 8 京都 シンザン記念 JpnIII 10 7 8 1.9(1人) 2着 安藤勝己 56 芝1600m(良) 1:35.3(33.7) 0.2 アドマイヤオーラ
3. 3 阪神 チューリップ賞 JpnIII 16 4 7 2.8(2人) 2着 安藤勝己 54 芝1600m(良) 1:33.7(33.9) 0.0 ウオッカ
4. 8 阪神 桜花賞 JpnI 18 8 18 5.9(3人) 1着 安藤勝己 55 芝1600m(良) 1:33.7(33.6) -0.2 (ウオッカ)
9. 16 阪神 ローズS JpnII 14 4 5 1.6(1人) 1着 安藤勝己 55 芝1800m(良) 1:46.1(33.6) -0.1 (ベッラレイア)
10. 14 京都 秋華賞 JpnI 18 7 13 2.8(2人) 1着 安藤勝己 55 芝2000m(良) 1:59.1(33.9) -0.2 (レインダンス)
11. 11 京都 エリザベス女王杯 GI 13 5 7 1.9(1人) 1着 安藤勝己 54 芝2200m(良) 2:11.9(34.1) -0.1 (フサイチパンドラ)
12. 23 中山 有馬記念 GI 15 4 7 8.1(5人) 2着 安藤勝己 53 芝2500m(稍) 2:33.8(36.6) 0.2 マツリダゴッホ
2008. 4. 6 阪神 大阪杯 GII 11 7 9 2.0(1人) 1着 安藤勝己 56 芝2000m(良) 1:58.7(34.8) -0.1 (エイシンデピュティ)
11. 2 東京 天皇賞(秋) GI 17 4 7 3.6(2人) 2着 安藤勝己 56 芝2000m(良) 1:57.2(35.2) 0.0 ウオッカ
12. 28 中山 有馬記念 GI 14 8 13 2.6(1人) 1着 安藤勝己 55 芝2500m(良) 2:31.5(36.4) -0.3 (アドマイヤモナーク)
ダイワスカーレット 競走馬としての特徴
抜群のスタートダッシュからレースの主導権を握ると中盤でペースを落として力を温存、そこから上がり3ハロン33秒台~34秒台前半の息の長く速い末脚を使って押し切るというスタイルで好走を続けた。
3歳時はスローペースに落としてから他馬と同じ末脚に持ち込んで押し切る。4歳時はハイペースに持ち込んで他馬のスタミナを削るという2種類のペースで走っていた。2008年の有馬記念では、3コーナーで競りかけてきた人気馬達がことごとく沈んでいき、競馬評論家の井崎脩五郎に「超一流馬に並みの一流馬が潰された」と評された。
抜群の安定感を誇り、引退までの12戦において一度も連対を外すことはなかった。生涯出走全戦で連対した日本中央競馬会所属のGI級レース勝ち馬としてはシンザンの19連対に次ぐものであり、牝馬としては歴代最高記録である。またダイワスカーレットは容姿の美しさについて、元騎手で競馬評論家の細江純子はその容姿を「人で喩えるならば、デビューしたての頃の宮沢りえ」と評した[7]。
ダイワスカーレット 繁殖入り後
引退後は生まれ故郷の社台ファームで繁殖入りした。2010年3月6日、チチカステナンゴとの交配による初仔を出産した[8]。初仔は牝馬で、チチカステナンゴにとっては日本での初年度産駒となる。
ダイワスカーレット 繁殖成績
馬名 誕生年 毛色 父 性 厩舎 馬主 戦績 備考
初仔 ダイワスカーレットの2010 2010年 黒鹿毛 チチカステナンゴ 牝 – – – (幼駒)
第2仔 ダイワスカーレットの2011 2011年 栗毛 キングカメハメハ 牝 – – – (幼駒)
ダイワスカーレット 血統表
ダイワスカーレットの血統 (サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/Lady Angela 5×4=9.38%、Almahmoud 5×5=6.25%)
父
アグネスタキオン
1998 栗毛 *サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛 Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
アグネスフローラ
1987 鹿毛 *ロイヤルスキー Raja Baba
Coz o’Nijinsky
アグネスレディー *リマンド
イコマエイカン
母
スカーレットブーケ
1988 栗毛 *ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛 Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
*スカーレットインク
Scarlet Ink
1971 栗毛 Crimson Satan Spy Song
Papila
Consentid Beau Max
La Menium F-No.4-d
スカーレット一族の一頭。
半姉・ダイワルージュ、半兄・ダイワメジャー(いずれも父・サンデーサイレンス)をはじめ、兄姉にオープン馬多数。
母・スカーレットブーケはGIII4勝。
近親に下記の活躍馬。
スカーレットリボン(母の全姉、報知杯4歳牝馬特別勝ち)
サカラート、ヴァーミリアン、キングスエンブレム兄弟(母の全姉・スカーレットローズの孫)
トーセンジョウオー(祖母・スカーレットインクの曾孫、エンプレス杯等交流重賞を5勝)
ダイワスカーレット 脚注
^ “有馬記念アラカルト”. netkeiba.com (2008年12月28日). 2010年1月6日閲覧。
^ “ダイワスカーレット号がフェブラリーステークス出走回避”. JRA. 2009年2月12日閲覧。
^ “ダイワスカーレット、フェブラリーS回避”. SANSPO.com. 2009年2月12日閲覧。
^ “ダイワスカーレット号がドバイ・ワールド・カップ出走回避”. JRA. 2009年2月12日閲覧。
^ “ダイワスカーレット号が競走馬登録抹消”. JRA. 2009年2月16日閲覧。
^ “ダイワスカーレット引退 JRAが正式発表”. SANSPO.com. 2009年2月16日閲覧。
^ “「中央競馬ワイド中継」2007年1月7日より”. 2009年4月17日閲覧。
^ ダイワスカーレット、初仔の牝馬が誕生 サンケイスポーツ 2010年3月8日閲覧
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フサイチエアデール
性別 牝
毛色 黒鹿毛
生誕 1996年3月26日
死没 (現役繁殖牝馬)
父 サンデーサイレンス
母 ラスティックベル
母の父 Mr.Prospector
生国 日本(北海道早来町)
生産 ノーザンファーム
馬主 関口房朗
調教師 松田国英(栗東)
競走成績
生涯成績 21戦5勝
獲得賞金 3億9541万9000円
フサイチエアデールは、繁殖牝馬。現役時代はGI競走には手に届かなかったが、繁殖牝馬となって2年目の2005年にフサイチリシャールがGI競走を優勝。母の無念を息子が晴らす形になった。
フサイチエアデール 競走馬時代
フサイチエアデール 3歳(現2歳)、4歳(現3歳)時
デビューは1998年9月13日の3歳新馬戦。1番人気に推されていたが期待を裏切り13着に敗れる。その後は惜敗の繰り返しだったが、4戦目の3歳未勝利戦でようやく初勝利を挙げた。
明け4歳(現3歳)の1戦目に出走したのが初の重賞レース挑戦となるシンザン記念。そのレースを優勝し、続く桜花賞のトライアル、4歳牝馬特別で連勝。桜花賞に駒を進める。しかし本番ではプリモディーネの2着と惜敗した。
続く優駿牝馬(オークス)トライアルの4歳牝馬特別では2着となり、本番へ進む。しかし優駿牝馬では直線伸びきれずウメノファイバーにコンマ3秒遅れの5着だった。
秋初戦は秋華賞トライアルのローズステークスを選んだ。このレースでも2着に入り、出走権を獲得。しかし秋華賞はブゼンキャンドルの前に5着と敗れた。結局3レースともトライアルで権利を取ったものの、本番では力を出せずじまいだった。古馬牝馬と初対決となったエリザベス女王杯もメジロドーベルに屈し2着に惜敗。暮れの有馬記念にも出走したが9着と大敗した。
フサイチエアデール 5歳(現4歳)以降
4ヶ月ぶりのレースとなったダービー卿チャレンジトロフィー。休養明け初戦だったが1着になり、約1年ぶりの勝利を重賞で飾る。マイラーズカップは13着。続いて安田記念に出走。香港のフェアリーキングプローンの7着に敗れる。その後、7月のマーメイドステークスで安藤勝己との新コンビで勝利した。
秋初戦は府中牝馬ステークス。このレースで3着となり、エリザベス女王杯に2年連続で挑戦。しかし今回はファレノプシスの前に再び2着惜敗。暮れの阪神牝馬特別の5着を最後に引退した。
フサイチエアデール 主な勝ち鞍
4歳牝馬特別(桜花賞トライアル)
シンザン記念
マーメイドステークス
ダービ卿チャレンジトロフィー
フサイチエアデール 繁殖牝馬時代
2001年よりノーザンファームで繁殖入りし、2002年にフレンチデピュティとの間に牝馬(ライラプス)を産む。同馬は3歳時クイーンカップを制した。そして2003年、クロフネとの間に牡馬(フサイチリシャール)が生まれた。
同馬は初戦こそ敗れたが以後4連勝で2歳GI(朝日杯フューチュリティステークス)を奪取した。2004年に再びフレンチデピュティとの間にアステリオンを産んでいる。2006年に出産したサイオン(牡、父クロフネ)と2007年に出産したフサイチエアデールの2007(牡、父クロフネ)は、2007年7月10日、11日に行われたセレクトセールにおいて、1日目に兄が1億4000万円で、2日目に弟が1億3500万円で両馬共に有限会社ローズヒルが落札した。
フサイチエアデール 繁殖成績
生年 馬名 性 毛色 父 厩舎 主な戦績
第1子 2002年 ライラプス 牝 栗毛 フレンチデピュティ 栗東・松田国英 3勝(引退・繁殖)
2005年クイーンC
2005年スイートピーS
第2子 2003年 フサイチリシャール 牡 芦毛 クロフネ 栗東・松田国英 5勝(引退・種牡馬)
2005年東スポ杯2歳S
2005年朝日杯FS
2006年阪神C
第3子 2004年 アステリオン 牝 鹿毛 フレンチデピュティ 栗東・松田国英 未勝利(引退・繁殖)
第4子 2005年 グリッターカーラ 牝 栗毛 フレンチデピュティ 栗東・松田国英→北海道・ 広森久雄
→美浦・大竹正博 地方2勝(引退)
第5子 2006年 サイオン 牡 芦毛 クロフネ 美浦・堀宣行 4勝(現役)
第6子 2007年 スクーデリアピサ 牡 鹿毛 クロフネ 栗東・白井寿昭→園田・中塚猛 0勝(現役)
第7子 2008年 ゼンノルジェロ 牡 青毛 シンボリクリスエス 栗東・池江泰寿 1勝(現役)
第8子 2009年 ボルボレッタ 牝 青鹿毛 ウォーエンブレム 栗東・松田国英 新馬(現役)
フサイチエアデール 血統表
フサイチエアデールの血統 (サンデーサイレンス系/Raise a Native3×4=18.75%(母内)、Royal Charger5×4=9.38%)
父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛 Halo
1969 黒鹿毛 Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛 Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
母
*ラスティックベル
Rustic Belle
1990 黒鹿毛 Mr.Prospector
1970 鹿毛 Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Ragtime Girl
1973 栗毛 Francis S. Royal Charger
Blue Eyes Momo
Swinging Doll Raise a Native
Doll Ina F-No.20-a
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 は行
タニノギムレット
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1999年5月4日
父 ブライアンズタイム
母 タニノクリスタル
母の父 クリスタルパレス
生国 日本(北海道静内町)
生産 カントリー牧場
馬主 谷水雄三
調教師 松田国英(栗東)
競走成績
生涯成績 8戦5勝
獲得賞金 3億8601万円
タニノギムレットは、2002年の第69回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。
馬主の谷水雄三は、かつてタニノハローモア、タニノムーティエで東京優駿を勝った谷水信夫の子息で、親子二代での東京優駿馬オーナーとなった。
「ギムレット」とはジンをベースにしたカクテルの名前で、東京優駿レース後の優勝騎手インタビューで、武豊が「今日はギムレットで乾杯してください」と語っている。
タニノギムレット 戦績
タニノギムレット 2歳時代
育成時代は北海道浦河の吉澤ステーブルで鍛えられ、デビューは2歳の夏、札幌競馬場のダート1000m。そこでは2着に敗れ、それ以降冬まで休養し、12月に阪神競馬場の芝1600mで復帰し、2着に7馬身差をつけ初勝利。
タニノギムレット 3歳時代
3歳となり重賞初挑戦となったシンザン記念は、武豊を迎え優勝。続くアーリントンカップも3馬身半差をつけ優勝。さらに皐月賞トライアル、スプリングステークスでは負傷の武豊に代わって四位洋文が騎乗、大外を通り豪快な末脚でテレグノシスに並び掛けて首差の差し切り勝ち。
皐月賞では再び四位を背に、2.6倍の1番人気に推された。しかしレースでは、最終コーナーで一番外を大きく回るコースロスが響いてしまい、直線に入ってからほとんどの馬を抜き去る豪脚を見せるが、前の2頭を交わすことはできず3着に敗れた。
勝ったのは好位から抜け出した15番人気のノーリーズンであった。このときの四位の荒い騎乗について、明らかな騎乗ミスであったとされることが多く、解説者も「タニノギムレットは1頭だけ100メートル余分に走っていた」と語った。勝ちタイムは1分58秒5は皐月賞レコード、ノーリーズンの単勝は万馬券、2着にも人気薄のタイガーカフェが粘り切って馬連53,090円となった。
このまま東京優駿へ向かうものと思われたが、NHKマイルカップにケガから復帰した武豊を鞍上に迎えて出走し、単勝1.5倍の1番人気に推された。いつもの通りの後方待機から直線に向くも、テレグノシスの斜行より進路をふさがる不利があり、進路を左右に変えながら追い上げたが、そのテレグノシスの3着に敗れた。
審議時間は20分以上にも及び、この斜行に鞍上武豊は激怒したという。
引き続き中2週と詰まったローテーションとなるが、次走は東京優駿に出走。ここでも1番人気に推され、いつもの通りの後方待機から直線に向くと直線坂下から末脚を繰り出し、シンボリクリスエスを差し切り優勝した。武豊は史上初の東京優駿3勝目を挙げる。なお、レース前にタニノギムレットについて「馬は絶好調だし心配することはほとんどないが、杉本さんの◎だけが唯一心配だ」と関係者が揃って言っていた。
しかし、秋シーズンを迎えて神戸新聞杯から菊花賞を目指すローテーションが組まれた直後に浅屈腱炎を発症し、引退した。
タニノギムレット 競走成績
年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム(上り3F) タイム
差 勝ち馬/(2着馬)
2001. 8. 5 札幌 2歳新馬 12 6 7 2.1(1人) 2着 横山典弘 53 ダ1000m(良) 1:00.8(36.5) 0.2 レアパール
12. 22 阪神 2歳未勝利 16 2 4 3.6(3人) 1着 四位洋文 54 芝1600m(良) 1:35.6(35.2) -1.2 (ハマノホーク)
2002. 1. 14 京都 シンザン記念 GIII 16 2 3 2.2(1人) 1着 武豊 55 芝1600m(良) 1:34.8(34.5) -0.1 (チアズシュタルク)
2. 23 阪神 アーリントンC GIII 13 6 9 1.3(1人) 1着 武豊 56 芝1600m(良) 1:33.9(34.1) -0.6 (ホーマンウイナー)
3. 17 中山 スプリングS GII 16 6 11 1.3(1人) 1着 四位洋文 56 芝1800m(良) 1:46.9(34.5) 0.0 (テレグノシス)
4. 14 中山 皐月賞 GI 18 6 11 2.6(1人) 3着 四位洋文 57 芝2000m(良) 1:58.8(34.8) 0.3 ノーリーズン
5. 4 東京 NHKマイルC GI 18 5 9 1.5(1人) 3着 武豊 57 芝1600m(良) 1:33.5(35.3) 0.4 テレグノシス
5. 26 東京 東京優駿 GI 18 2 3 2.6(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:26.2(34.7) -0.2 (シンボリクリスエス)
タニノギムレット 種牡馬として
故障を受けて、急遽馬主の谷水雄三、社台グループの吉田勝己、調教師の松田国英の間で話し合いが持たれ、総額16億2000万円のシンジケートが組まれ、北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となることが決まった。
産駒は2006年から走り始め、初年度産駒のウオッカが第58回阪神ジュベナイルフィリーズを制して産駒の初GI勝ちを収め、さらに翌2007年には、父と同じ「2枠3番」で64年ぶりの牝馬の東京優駿優勝を達成するなど、好調な出足を見せた。ウオッカとの父仔東京優駿制覇は史上5組目であり、父-娘の関係では史上初となる。
ウオッカをはじめとする初年度産駒が活躍したこともあり、同年は240頭に種付けを行った。この種付け頭数は当年の国内2位であった。なおウオッカは2008年、2009年度のJRA賞年度代表馬となっている。
初年度からの好成績に加え、ナリタブライアン、マヤノトップガン、サニーブライアンら他のブライアンズタイム産駒の種牡馬から目立った後継が生まれていないこと、及び日本最大手の社台グループの社台スタリオンステーションに繋養される恵まれた環境もあり、ブライアンズタイムの有力後継種牡馬として期待されている。血統的にもノーザンダンサーやミスタープロスペクターを含まず、サンデーサイレンスを父に持つ牝馬とも交配が可能である。
タニノギムレット 年度別種牡馬成績(中央+地方)
年 出走 勝利 順位 AEI 収得賞金頭数
2006年 47 139 7 9 89 1.07 1億9830万9000円
2007年 139 799 50 81 21 1.78 9億9318万7000円
2008年 198 1504 94 152 13 1.86 14億8380万7000円
2009年 216 1840 96 172 11 1.94 16億8699万7000円
2010年 271 2007 103 167 21 1.06 11億5303万6000円
2010年終了時点。
タニノギムレット 主な産駒
ウオッカ(2004年産)
2004年産
ウオッカ(ジャパンカップ、東京優駿、天皇賞(秋)、安田記念 2回、ヴィクトリアマイル、阪神ジュベナイルフィリーズ、チューリップ賞)
ヒラボクロイヤル(青葉賞)
アブソリュート(東京新聞杯、富士ステークス)
ニシノブルームーン(中山牝馬ステークス)
ゴールドアグリ(新潟2歳ステークス)
2005年産
スマイルジャック(スプリングステークス、関屋記念、東京新聞杯)
2006年産
セイクリッドバレー(新潟大賞典)
2008年産
クレスコグランド(京都新聞杯)
リワードレブロン(黒潮菊花賞)
タニノギムレット エピソード
DREAM競馬MCの柳沼淳子(フリーアナウンサー)が結婚発表した際、相手のことを「馬でいえば、タニノギムレット」と表現している。
タニノギムレット 血統表
タニノギムレットの血統 (ロベルト系/Graustark3×4=18.75%、Sicambre 4×5=9.38%、Roman5×5=6.25%)
父
*ブライアンズタイム
Brian’s Time
1985 黒鹿毛 Roberto
1969 鹿毛 Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Kelley’s Day
1977 鹿毛 Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale
母
タニノクリスタル
1988 栗毛 *クリスタルパレス
Crystal Palace
1974 芦毛 Caro *フォルティノ
Chambord
Hermieres Sicambre
Vieille Pierre
*タニノシーバード
1972 栗毛 Sea-Bird Dan Cupid
Sicalade
Flaxen Graustark
Flavia F-No.9-c
母のタニノクリスタルはサファイヤステークス3着馬。
母の兄に朝日チャレンジカップ、北九州記念勝ち馬のタニノスイセイがいる。
ナスルーラやマームードといった名種牡馬を輩出したムムタズマハルを牝系に持つ。
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競走馬の血統
今まで、競走馬の血統と能力は密接な関連を有していると考えられてきた。
「競馬はブラッドスポーツである」という格言もある。
ただし、近年の研究[1]によれば、競走馬の競走成績に及ぼす両親からの遺伝の影響は約33%に過ぎず、残りの約66%は妊娠中の母体内の影響や生後の子馬を取り巻く環境によることであるとされているが、それでもなお競走馬の能力に血統が一定の大きな割合で寄与している事実がある。
生産者が血統を意識して交配を行い、馬主が血統を意識して競走馬を購入することはもちろん、一般の競馬ファンが予想を行う際にも、しばしば競走馬の血統をその要因に含める。
従来、競走馬の血統という際には父側に大きなウエイトをかけて語られることが多かったが、近年の研究によれば、競走馬の遺伝的な素質は母馬から55〜60%を、父馬から40〜45%を受け継ぐということが明らかになっている。
競走馬については、いかなる血統構成をしているかが競走生活において、そして引退後の余生において、大きく影響する。とくに余生については、競走成績に見るべきものがない馬であっても、競走成績や繁殖の実績に優れた馬の近親であるというだけで種牡馬や繁殖牝馬として遇されることが多々ある。また、そのような馬が実際に優れた繁殖成績を挙げることもしばしばである。
競走馬の血統用語
繁殖馬 – 種牡馬・繁殖牝馬をまとめて指す用語。
種牡馬
繁殖牝馬
ブルードメアサイアー(母の父)
○○系 – 特定の馬の直系。
メールライン、サイアーライン、父系
ファミリーライン、母系、牝系
ファミリーナンバー – 基礎牝系
血量 – ある馬の血統中で、特定の先祖馬が占める割合を数値化したもの。概念上、両親をそれぞれ50%、祖父母をそれぞれ25%、曽祖父母を12.5%、四代前を6.25%、五代前を3.125%…と、代を遡る毎に2分の1とし、特定の先祖馬の血量の総和を、AのB血量はn%などと表現する。
インブリード、クロス – 近親交配のこと。
アウトブリード – 雑種交配、異系交配。インブリードではないということ。
ラインブリード – 系統交配、系統繁殖、累進交配。近親交配のうち、それぞれの直系に同一の先祖を有する馬同士の交配。
ニックス – 相性が良いとされる、父系と母の父系の組み合わせ。
競走馬の血縁関係
競走馬の血縁関係に関しては、専門的な言い回しが多く用いられ、また一般的な用語であっても人間の場合とは異なる意味が用いられる場合(兄弟姉妹など)も多い。
競走馬の血縁関係 総論
総合すると、直接の祖先・子孫の関係を除き、競走馬Aから競走馬Bへ、牝馬の親子関係(ファミリーライン)のみを経由して辿る(具体的には一方の競走馬から2頭の共通の(牝馬の)祖先へと遡り、そこからもう一方へ下る)ことができなければ、AとBとが血縁関係、近親関係にあるとはされない。
ただし、この場合の近親関係・血縁関係は、遺伝学上の近親関係とは別の概念である(近親関係にないウマ同士を交配したとしても近親交配にはなりうる)。
各競走馬の血縁関係論(具体的な血縁関係について)
競走馬の血縁関係 親子関係
生物学上の父親を父、母親を母と表現する。
生物学上の子については産駒、もしくは仔と表現する。
競走馬の血縁関係 兄弟姉妹の関係
ある競走馬にとって、母を同じくする競走馬は兄弟姉妹と呼ぶが、父を同じくする競走馬は兄弟姉妹と呼ばない。母のみが同じである兄弟姉妹をそれぞれ半兄・半弟・半姉・半妹、母と父を同じくする兄弟姉妹をそれぞれ全兄・全弟・全姉・全妹という。
競走馬の血縁関係 祖父母の関係
ある競走馬にとって父の父、母の母といった、サイアーラインかファミリーラインの血統の馬を祖父母という。
母の父は、ブルードメアサイアーとしての関係があるため祖父として扱われる場合が多い。
父の母は祖母とは扱われない。
競走馬の血縁関係 おじ・おばの関係
ある競走馬にとって、母の兄弟姉妹はおじ・おばと呼ぶが、父の兄弟姉妹はおじ・おばとは呼ばない。
競走馬の血縁関係 いとこの関係
ある競走馬にとって、母の姉妹の産駒はいとこと呼ぶが、父の兄弟姉妹の産駒、および母の兄弟の産駒はいとことは呼ばない。
競走馬の血縁関係 親子○代制覇
この場合は父系の親子関係(サイアーライン)、牝系の親子関係(ファミリーライン)を指す。
例:アグネスレディー(優駿牝馬)-アグネスフローラ(桜花賞)-アグネスフライト(東京優駿)・アグネスタキオン(皐月賞)-ロジック(NHKマイルカップ)
アグネスフローラはアグネスレディーの産駒なので親子GI制覇となる。
アグネスフライト、アグネスタキオンはアグネスフローラの産駒でアグネスレディーの孫なので親子3代GI制覇となる。
アグネスフライト、アグネスタキオンは母が同じなので兄弟GI制覇となる。
ロジックはアグネスタキオン産駒なので親子GI制覇ではあるが、アグネスフローラとは牝系が異なる為親子GI4代制覇とはならない。
競走馬の血縁関係 血統表
血統表とは、競走馬や馬術競技馬の血統を表す上で使われる家系図の一種のこと。その馬の代々の祖先を父方・母方にかかわらず特定世代まで全て表にまとめている。
血統を見る際には、血統表は必要不可欠のものである。書き方には何通りかの流儀があるが以下では最も一般的なものについて説明する。なお、馬の系図には他にサイアーラインやファミリーライン(牝系図)などもあるが、これらは血統表と違い血統の一面(父方や母方のみ)を見るためのもので、全体を見るにはやはり血統表が必要となってくる。
競走馬の血縁関係 血統表の見方
テイエムオペラオーを例にとって説明する。
1番左の列は上下2段に分けて上に父の名を、下に母の名を書く。
テイエムオペラオーは、父がオペラハウス、母がワンスウェドである。
オペラハウス
ワンスウェド
(補足)このさらに左に自分自身の名を記述することもある。
つまり1段目は、1代先祖の父と母が並ぶことになる。
次に左から2番目の列は4段に分ける。上2段は父についての欄で、先程と同様に上に(父の)父の名を、下に(父の)母の名を書く。
オペラハウスの父はSadler’s Wells(日本に輸入されてない競走馬は英語表記)、母はColorspinである。
オペラハウス Sadler’s Wells
Colorspin
ワンスウェド
下2段は母についての欄で、上に(母の)父の名を、下に(母の)母の名を書く。
ワンスウェドの父はBlushing Groom、母はNouraである。
オペラハウス Sadler’s Wells
Colorspin
ワンスウェド Blushing Groom
Noura
つまり2段目は、2代先祖の(父方と母方双方の)祖父と祖母が並ぶことになる。
以下同様に、左から3段目は3代前の先祖が8頭並ぶ。左から4段目は4代前の先祖が16頭並ぶ。まとめると以下のようになる。
テイエムオペラオーの血統
父
*オペラハウス
Opera House 1988 (父の父)Sadler’s Wells 1981 (父の父の父)Northern Dancer (父の父の父の父)Nearctic
(父の父の父の母)Natalma
(父の父の母)Fairy Bridge (父の父の母の父)Bold Reason
(父の父の母の母)Special
(父の母)Colorspin 1983 (父の母の父)High Top (父の母の父の父)Derring-Do
(父の母の父の母)Camenae
(父の母の母)Reprocolor (父の母の母の父)Jimmy Reppin
(父の母の母の母)Blue Queen
母
*ワンスウェド
Once Wed 1984 (母の父)Blushing Groom 1974 (母の父の父)Red God (母の父の父の父)Nasrullah
(母の父の父の母)Spring Run
(母の父の母)Runaway Bride (母の父の母の父)Wild Risk
(母の父の母の母)Aimee
(母の母)Noura 1978 (母の母の父)Key to the Kingdom (母の母の父の父)Bold Ruler
(母の母の父の母)Key Bridge
(母の母の母)River Guide (母の母の母の父)Drone
(母の母の母の母)Blue Canoe
この血統表では4代目まで記述されているため4代血統表と呼ぶ。これには4代前までの先祖が全て記述されている事になる。
競走馬の血縁関係 補足
1番上の行は父、父の父、父の父の父、父の父の父の父と並ぶ。これらの配列をサイアーラインという。
逆に1番下の行には母、母の母(祖母)、母の母の母(曾祖母)、母の母の母の母(高祖母)と並ぶ。これらの配列をファミリーラインという。
5段まであって五代前の先祖32頭までを表に掲載した血統表は五代血統表と呼ぶ。以下6代、7代、8代血統表と呼ばれるが、次第に莫大な数の先祖馬を記載する必要が出てくるため特殊な用途にしか用いられない。I理論は9代血統表(1000頭以上)を常に用いる。ドサージュ理論においては12代血統表(約8200頭記載)が使われた事がある。一般的には3代から5代血統表がよく用いられる。
血統表によっては生年や毛色を併記することもある。
インブリードの発生している馬を太字、あるいは色等で区別して表記することもある。
馬名の表記について
馬名の表記については、全てカタカナあるいはラテン文字で表記する場合もあるが(中にはハングルなものも存在する)、ウィキペディアでは「日本で競走に走った馬」ならびに「日本に繁殖で輸入された馬」はカタカナ表記(あるいはラテン併記)、それ以外の日本に輸入されてない競走馬は母言語にかかわらずラテン文字表記としている(このルールは以後検討課題である)。
輸入された馬に対してアスタリスクをつける場合もある。Wikipedia日本語版は日本語化された馬名にアスタリスクを付けているが、アメリカではアメリカに輸入された馬に対してアスタリスクを付けたものが発行されている。近年これを是正し、「Sadler’s Wells (USA)」の様に表記する例も見られる。
同名異馬が存在する場合には「Nijinsky II」の様に表記する場合が多い。「Nijinsky (CAN)」、「Nijinsky (1967)」と表記する場合もある。
血統を構築するための理論(血統理論)
多くの競走馬生産者は、競走馬の競走能力がもっぱらその血統構成によって決定されるという信念を抱いている。競走馬の配合に関する経験や知識の中には理論(血統理論、配合理論、生産理論)として体系化されているものもある。多くの場合は疑似科学的であり、その特異かつ複雑な理論構成とあいまって、各理論の理解やその妥当性を離れて信奉や嘲笑の対象となることもままある。
血統理論 概略
かつては生産者が優れたサラブレッドを生産するための方法論であったが、競馬が馬券の発売を伴う娯楽やギャンブルの性格を強くすると、馬券の予想に用いられるようになった。
後に馬券やサラブレッドの生産や取引から独立して、サラブレッドの血統の研究そのものが娯楽の対象となった。日本では、1990年代に血統理論を組み込んだ競馬ゲームの人気により血統理論の概念が普及すると、サラブレッドの血統に関する書物が一般に多数刊行されるようになった。
血統の研究は、単なる血統と成績のインデックスの集積を目的とするものと、血統と成績の因果関係を体系化しようとするものに大別できる。多くの場合、血統の研究は医学的・遺伝学的な手法ではなく、歴史学的・文献学的な手法がとられる。
厳密に言うと、優秀なサラブレッドを生産する配合を選択決定するための生産理論と、生まれてきたサラブレッドの競走能力を説明するための血統理論は別のものであるが、ここでは同一のものとして扱う。
一定期間競馬の結果を観察することで、しばしば、ある特定の種牡馬(あるいは繁殖牝馬)の子や孫に共通した特定の形質を見出すことができる。この特徴は、サラブレッドの競走とは無関係に、身体的外見的特徴であったり、血友病や喘鳴症などの疾病であったり、性格的気質であったりする。こうした特徴が受け継がれる事実は、遺伝学が一定の科学的成果を収めるよりも古くから経験的に知られており、多くの場合血統理論はこの「経験」に基づいて議論が進められる。
血統理論の欠陥
しかし以下のような致命的な欠陥により、サラブレッドの生産が始まってから3世紀を超えてもなお、科学の域にまで押し上げられた血統理論はほとんどなく、サラブレッドの血統に関する研究や理論は、未だ疑似科学の域を脱していない。
統計的手法の欠落
サラブレッドの競走能力と血統の相関関係を体系化する際に、厳密な意味での統計学的手法が用いられることは、ほとんど皆無である。統計学的手法は、これまでサラブレッドの世界に持ち込まれることがなかったか、あるいは無視されてきた。この事実は血統理論が科学的な理論と見なされない致命的な要因である。
1791年にジェネラルスタッドブックが創刊されて以来、サラブレッドの血統と競走成績は一体のものである。一般的にサラブレッドの「血統」とか「血統書」と言った場合、それは単なる親子兄弟親族などの姻戚関係を図表化したものではなく、必ず競走成績が併記されることによりそのサラブレッドの血統的な「優秀さ」を表している。(あるいは、表そうとしている。)
こうしたサラブレッドの「優秀さ」の表示は、主にそのサラブレッドを商取引において、売買価格の決定や購入の決断をする場合に、その根拠として用いられてきた。優れた相馬眼の持ち主であると自認する場合には必ずしもこのような根拠を必要としないが、そのような人物は稀である。この場合、売り手は、できうる限りそのサラブレッドの「優秀さ」を高めたいので、競走成績に関する情報のうちから「都合のよい」ものだけを表示することができる。
この事情は現在でも変わっておらず、近年、サラブレッドの競走結果に関する様々な資料が爆発的に普及したにもかかわらず、ほとんどの場合それらは、ある馬がどこそこの競走でどのように勝利したかの羅列になっており、どこでどのように敗戦したかを体系化した資料は存在しないか、存在しても必要とされない。
厳密な意味での統計学的手法を用いてサラブレッドの競走能力を数値化あるいは数式化しようとした場合、それは例えば心臓の大きさであるとか、運動量と心拍数の変化であるとか、筋量や骨量とかといった医学、解剖学、運動生理学に基づくものになるであろう。また、継続的な実験による母集団の作成と抽出という作業を行うためには、遺伝学的な手段による条件の画一化が不可欠であるが、サラブレッド生産は常に遺伝学的手法を拒んできたし、そもそもサラブレッドは非常に高価なものであり趣味的な性格が強く、こうした実験は困難である。
運動生理学や獣医学の分野ではこうした研究は一定の成果を挙げているが、これはサラブレッドの血統と能力の相関関係を明らかにするためではなく、専ら経済動物であるサラブレッドを疾病から守るために行われている。
量的形質としての競走能力の指標の曖昧さ
血統理論は、一般的にサラブレッドの競走能力の由来を主にその血統に求めるものであるが、競走能力の指標を何によって表すか、客観的で統一された指標が存在しない。
他の分野、例えばイネの収穫量であるとか、果実の糖度であるとか、乳牛の乳量や脂肪量のように、物理的かつ継続的に計測することは不可能である。
収得賞金額、勝利数、所要タイムなどの絶対的な指標を用いることもあるが、競馬の性格上、これらの指標も統一的で普遍的なものとは認めがたい。まず、競馬は、第一義的には到達順位を競うものであって、所要タイムを競うものではない。相手次第で順位や所要タイムが異なってくるため、それらを単純に比較することは難しい。
また、騎手や馬主、調教師といった関係者によるレース中やレース前の継続的あるいは一時的な影響によっても競走成績は大きく左右される(騎手の騎乗技術や、出走レースの選択など)。
近年ではフリーハンデやアウスグライヒ、ワールド・サラブレッド・ランキングなどの、ある程度の客観性を持った、一般的に共通の指標が創出されている。しかし、これらの指標も万人に受け入れられたものではないし、あくまでも競走馬の競走能力を相対的に示すものにすぎない。
一方で、主に運動生理学の立場から、サラブレッドの競走能力を構成する心臓や肺などの循環器や、筋肉や骨などの運動器のあり方を明らかにしようとする試みも行われており、一定の成果をあげている。こうした器官の運動性能によって競走能力を数値化することは理論上は可能であるが、現に競走に出走して一定以上の成績を収めているサラブレッドの心臓を取り出して解剖するわけにはいかないので、結局のところこうした運動生理学の観点で競走能力を数値化する試みはほとんど行われないのが実情である。
またこのような生物的な運動能力が必ずしも競走の成績と比例しない事実も経験的に知られている。運動能力以外のサラブレッドの血統に基づく特徴として、「回復力」とか「成長力」とか「馬格」などの抽象的な要素や、「勇敢さ」とか「利口さ」とか「馴致性」といった精神的な要素が知られており、ときには「品位」であるとか「優雅さ」といった競走能力とは関わりが薄いと考えられる要素が取り上げられることもある。これらを指標化することは極めて困難である。
遺伝学に関する議論や手法の不足
サラブレッドの形質の中で、親子間でその形質が一定の法則に基づいて伝わることが明らかにされているものとして、サラブレッドの毛色と血液型がある。毛色は外観上容易に判別することが可能で、血液型も比較的容易に確認することが可能である。かつてはこうした形質と競走能力の相関関係を明らかにしようとする試みもなされたが、現在ではその有効性は認められていない。
サラブレッドの競走能力は、運動器の良否、循環器の強弱、性格の適否の集合体として発現するが、これらのうち先天的なものと後天的なものとを明確に分別することは不可能である。一般的に血統理論は、当然にしてサラブレッドの先天的な能力が血統によって決定付けられるものとしているが、現在では遺伝学の成果により、これらの形質が極めて複雑な遺伝の仕組みによって決定されることが知られている。しかし、遺伝学の知識が血統理論に取り込まれることは稀である。
遺伝学は、血統理論を論じる場合にはたいてい無視されるか、誤解されるか、意図的に曲解されるか、あるいは単に知られていない。血統理論を構築する場合に多く用いられるのは、現在や過去の様々なサラブレッド競走馬の遺伝子のサンプルではなく、血統表と成績表である。
サラブレッド生産は伝統的に、精子の保存や人工授精といった遺伝学の分野の科学的成果を導入しやすい手法を拒み続けている。これは主に商業的な理由によるものであるし、サラブレッド生産が単なる産業ではなく多分に趣味的な性格を兼備しており、馬主の大半がこれらの科学的手法を自分たちの「財産」の価値を危うくするものと認識していることにも由来する。例えば南アフリカのD・R・オスターホッフは、馬の血液中の血清蛋白質トランスフェリン(血清鉄と結合し、鉄を体内に運ぶ働きを持つ)について、8つの対立遺伝子によって構成する28の型のうち、特定の型を持つ馬の競走能力が極めて優れていると発表しているが、国際血統書委員会は競走馬の血液に関するデータの公表を禁止している。
経験的に知られる例外
過去において様々な血統理論が構築されてきたにもかかわらず、説明が困難な現象が知られている。多くの血統理論はこれらの現象をうまく説明できないか、無理やり説明しようとする。
全兄弟に関する議論
サラブレッド生産においては、母馬が同一である場合において、これを「兄弟」(あるいは姉妹)と言う。父馬(種牡馬)は1年のうちに何頭も(多い場合には100を超す)子を作るので、これらを「兄弟」と表現するのは不適当だからである。母馬が同一で、なおかつ父馬も同一の場合、これらを特に「全兄弟」といい、父馬が違う場合を「半兄弟」という。(このほか特定の条件で「4分の3兄弟」という表現もある。)
血統理論では、全兄弟は全く同一の血統表で表されることになり、全く同程度の競走成績が期待される。しかし実際には、兄は歴史的な名馬であるが弟は凡馬であるとか、その逆とか、兄弟で全く異なる特徴があるとかという例が経験的に知られている。
「良い」血統、「悪い」血統
サラブレッド生産においては、競馬での競走能力が著しく優れていたにもかかわらず繁殖における成果が著しく低劣であるとか、その逆であるという例が数多く知られている。
血統理論が明らかにしようとするもの
現代では、血統が単に「良い」とか「悪い」というような単純な1次元構造ではなく、様々な特徴の複合として多次元的に定義することが多い。以下はその例である。
利口さ、賢さ、勇敢さ、臆病さ、馴致性、回復力、頑健さ、性格、瞬発力、健康さ、筋力、心肺能力、持久力、脚質、速力、芝やダートの上手さ、障害飛越能力、遺伝力、疾病の有無、成長力
など。
ただし、それぞれの特徴の定義が不明瞭な場合も多い。
主な血統理論
以下に、過去において発表されてきた主な血統理論の概要を記す。
ブルース・ロウのフィギュアシステム
1895年、オーストラリアのブルース・ロウ(Bruce Lowe)が発表した理論。ファミリーナンバーでよく知られる。
ロウは著書『フィギュアシステムによる競走馬の生産』の中で、当時のサラブレッドをイギリスのジェネラルスタッドブックの1巻に記載されている牝馬まで遡り、イギリスのダービーとセントレジャーとオークスの優勝馬の数が多い系統順に並べ、多いものから1~43号の番号を付けた。この番号をファミリーナンバーと呼ぶ。
そして特に優れた競走馬が多く属する系統として1~5号を競走族、優れた種牡馬が多く属する3、8、11、12、14族を種牡馬族と呼び、必ずしも競走能力の優秀さと種牡馬能力の優秀さが相関関係にないことを明らかにして、独自の配合理論を打ち立てた。理論の発表から100年以上経過しており、彼の理論自体が重要視されることはほとんどないが、ファミリーナンバーに基づくサラブレッドの分類はたいへん便利なため、現在でも牝系を整理する際に多く用いられている。
ロウについて補記すべきこととして、彼がファミリーナンバー以外に「競走能力に優れた牝系のファミリーに、優秀な種牡馬を交配すると、優秀な産駒が出る」ことを例を引きながら論じた功績が挙げられる。論の立て方の冷静さが、時代を考えるなら大きいといえるだろう。
フィギュアシステムは長らく血統理論とは見なされていなかったが、細胞質は母から子へのみ伝わることが明らかになった現代では、「持久力の原動力はミトコンドリアをはじめとする細胞質である」として、ファミリーを重要視する高柳誠二博士のような者も現れている。
サラブレッドを含むイエウマ (Equus caballus) のゲノムは、31対の常染色体とX染色体、Y染色体、mtDNAの、計約2.7GbpのDNAより構成されるが、この内mtDNA (16.7kbp) が母系に付随して継承されることが分かっている。
mtDNA上には核遺伝子(ゲノムサイズ約2.7Gbp、ORF約2.1万(解析途中の概算))に比べると非常に小さいものの、その環状DNA中にはATP合成に関わる13種のタンパク質、それらタンパク質の合成に関与する24種の非コードRNAが含まれており、実際にこれらのハプロタイプが能力に影響するかもしれないとする研究例もある。ただし20-35%程度の割合で系図に誤りが見つかっていることから、ハプロタイプ=ファミリーナンバーがそのまま適用できる訳ではないという問題がある。
ゴルトンの法則
19世紀から20世紀にかけてイギリスで遺伝の研究をしたフランシス・ゴルトンが提唱した理論。子供から見て、両親の影響力はそれぞれ父が4分の1、母が4分の1、祖父母が16分の1ずつ、曾祖父母が64分の1ずつ…であるとして、これらの総和によって子供の形質が発現するとした。
この理論では、例えば両親が全くの凡馬であるのに子供が優秀である現象を説明できる。両親の影響力は父4分の1と母4分の1の計2分の1にすぎず、それより以前の代が優秀であれば残りの2分の1に相当するので、これに子供の能力の由来を求めることができるのである。この理論は、メンデルの法則に代表されるその後の遺伝学の成果により、完全に否定されている。
しかし、血統表に現れるすべての馬が産駒の能力に影響を与えるという彼の考えは、現在もほとんどの血統理論に取り込まれている。
フィッツラックの18.75%理論(奇跡の血量)
近親交配を行う場合の方法論として現在も特に日本で人気のある理論で、「奇跡の血量」として有名。両親をそれぞれ50%、祖父母をそれぞれ25%、曽祖父母を12.5%、四代前を6.25%、五代前を3.125%…と、代を遡る毎に2分の1とし、これを血量と称する。近親交配を行った際に、ある特定の祖先の血量の和が18.75%になった場合に優秀な競走馬が生まれることが多いという理論。
特に、3代前と4代前に共通の祖先が現れる際に18.75%になることから、「3×4」が奇跡の血量の代名詞として通用している。ゴルトンの法則同様、完全に非科学的であるが、方法論が単純であるのと、優秀な競走馬がしばしばこの奇跡の血量をもつことから根強い人気がある。正確な記録がないが、日本では1948年生まれのトキノミノルが活躍した際に紹介されて有名になり、コダマ、トウショウボーイがこの理論に合致するとして知られている。
ヴュイエのドサージュ理論
フランスの退役軍人ジャン=ジョゼフ・ヴュイエ大佐(Jean-Joseph Vuillier)が1920年代の著書『競走馬の合理的配合(Les Croisements rationnels dans la race pure)』で提唱した理論。ゴルトンの法則の発展系といえる。
サラブレッドの祖先を12代前まで遡り、12代前を1ポイント、11代前を2ポイント…2代前を1024ポイント、1代前を2048ポイントとし、あらかじめ選んだ「シェフ・ド・ラス(chefs-de-race、純血種の長)」と呼ばれる16頭の過去の重要な馬が、血統表中に出現するポイント値を計算する。
そして16頭のポイント値がある理想的な分布(スタンダード・ドサージュ値)になるように配合を決めるとよいとされる。ヴュイエの理論はアガ・カーン3世の生産牧場で実践されて一定の成果を収めたとされる。12代遡ると登場する祖先は8192頭に及び、計算作業が大変煩雑であるし、理論の発表から50年以上が経過して世代交代が進み、ヴュイエが考えた理想的な分布は適用できなくなっていることから、当時の理論をそのまま現在も用いることはまずない。
現在は改良されたドサージュ理論(次項)が一般に用いられる。詳細はドサージュ理論を参照。
シュフ・ド・ラスに含まれる繁殖馬(ポカホンタスのみ牝馬)およびそのスタンダード・ドサージュは以下の通り。
バードキャッチャー(288)
タッチストン(351)
ポカホンタス(313)
ヴォルテール(186)
パンタルーン(140)
メルボルン(184)
グラディエーター(95)
ベイミドルトン(125)
ストックウェル(340)
ニューミンスター(295)
セントサイモン(420)
ガロピン(405)
アイソナミー(280)
ハンプトン(260)
ハーミット(235)
ベンドア(210)
スティーヴ・ローマンの改良型ドサージュ理論
スティーヴ・ローマン博士のドサージュ理論では、シェフ・ド・ラス種牡馬はその繁殖での実績に応じて、スピードからスタミナの5種類に区別され、またそのうち1種類または2種類のカテゴリを持つとされる。カテゴリは以下の通りで、Brilliantが最もスピード系で、Professionalが最もスタミナ系の能力である。
Brilliant(B)
Intermediate(I)
Classic(C)
Solid(S)
Professional(P)
例えば、ノーザンダンサーはBrilliant(B)とClassic(C)のシェフ・ド・ラス種牡馬である。これが父の場合16ポイント、祖父の場合8ポイント、以下4ポイント、2ポイントの値を持つ。そして、このように2つのカテゴリを持つ場合、各カテゴリに対して半分ずつ値を按分する。よって、ノーザンダンサーが祖父にいる馬の場合、BとCが4ポイントずつ与えられる。4代血統表からこれらの数字を合計したものが、ドサージュ・プロファイル(Dosage Profile)と呼ばれる。例えばフジキセキを例に取ると、ドザージュ・プロファイルは以下のように算出される。
2代祖先:ヘイロー(B,C)、ルファビュルー(P)→B,Cに4、Pに8
3代祖先:ヘイルトゥリーズン(C)、ワイルドリスク(P)、インリアリティ(B,C)→Bに2、Cに6、Pに4
4代祖先:ターントゥ(B,I)、プロミストランド(C)、インテンショナリー(B,I)→Bに2、Iに2、Cに2
ドザージュ・プロファイル=8-2-12-0-12(左から、B,I,C,S,P)
ここから、スピードとスタミナの能力についてドザージュ・インデックス(DI)およびセンター・オブ・ディストリビューション(CD)を算出する。これらの数値が低いほどスタミナが多いとされ、レース距離とこの指標は相関するとされる。目安としては、ドザージュ・インデックスが4以上であればスピード型で、距離克服能力に不安を持つと見なす。算定方法は下記の通り。
ドザージュ・インデックス=(B+I+(C/2))/((C/2)+S+P)
センター・オブ・ディストリビューション=((2*B)+I-S-(2*P))/(B+I+C+S+P)
マリアンナ・ホーンのXファクターとダブルコピー牝馬
オーストラリアの血統研究家、マリアンナ・ホーンは1997年、『エックス・ファクター – それは何か、どのように見つければよいか:遺伝性の心臓サイズと競走能力の関係性(X FACTOR:What it is & how to find it:The Relationship Between Inherited Heart Size and Racing Performance)』において、競走馬の能力に重大な影響を及ぼす心臓のサイズ(厳密に言うと、心臓の一回拍出量)は、性染色体のうちメスなら2本オスなら1本持つX染色体によって決定されており、必然的にその遺伝は特殊な経路のみに限定される伴性遺伝となることを明らかにした。
既に複数の遺伝学者によって、「子馬の心臓のサイズに与える影響は、父馬よりも母馬の方が大きく、父馬の影響は息子よりも娘のほうが大きい。したがって、馬の心臓の容量はX染色体による伴性遺伝に依存する」という旨の研究が発表されており、ホーンはこれを現実の競馬と対照して一般向けにわかりやすく説明したものである。
Y染色体は父(XY)から息子(XY)へのみ受け継がれるのに対し、X染色体の方は、父(XY)から娘(XX)へ、あるいは母(XX)から(50%の確率で)息子(XY)および娘(XX)へ、という径路で伝えられるため、X染色体についての伴性遺伝は、血統表のおよそ3/4を占める部分(X染色体径路、もしくは伴性血縁と呼ぶ)の祖先しか関わってこない。ホーンは特に重要な牝馬はXXの両方に巨大心臓遺伝子をホモ接合で持つとし、これを「ダブルコピー牝馬」と命名した。
この理論はさらに、父母双方のX染色体径路上に、優れた名牝やフィリーサイアーを複数配置(場合によって近親交配)した牝馬は、しばしば自身ないしその産駒や孫において極めて高い能力を発現するという理解へと発展を見せた。
その後、シドニー大学のスティール博士らは摘出せずに心臓サイズを比較するための数値「ハートスコア」を考案し実際の調査を展開した。ホーンは続刊でそれをプリンスキロ、ウォーアドミラル、ブルーラークスパーおよびマームードの4頭に由来する、「4大ハートライン」に分類することができるとしている。
ラスムッセンとフェイヴァシャムのラスムッセン・ファクター
『デイリー・レーシング・フォーム』誌上で血統記事を担当していたレオン・ラスムッセンとロミー・フェイヴァシャムは、40年にわたる調査の結果、優秀な牝馬の近親交配(Inbreeding to Superior Females)に注目し、同名の著書において、これを「ラスムッセン・ファクター(RF)」という基準として発表した。
具体的には、直近の5世代以内で、異なる個体を通じた優秀な牝馬の近親交配、又は直近の4世代内の全兄弟の近親交配があるものが対象となる。この条件に合致するものは、ダリアプール(コロネーションカップ、香港ヴァーズ)、インディアンデインヒル(ガネー賞)、アドマイヤベガ(日本ダービー)、ファンタスティックライト(全欧年度代表馬、全米芝王者)、エルコンドルパサー(ジャパンカップ)などが挙げられる。
宇田一の交配形式の理論
戦前、満州の奉天農業大学学長を務め、戦後は明治大学教授となっていた宇田一は、中央競馬会から委託された研究として、サラブレッドを両親と自身のいずれがインブリードでいずれがアウトブリードかの組み合わせとして分類し、競走馬として優秀なもの、種馬として優れたものを統計的に明らかにしようとした。
宇田が目指したのは、近親係数と近交係数を用いた育種学的な配合理論であった。近交係数は個体の相同遺伝子が同一の祖先遺伝子から由来する確率として定義され、家畜等の改良において個体の近交度を表す時に広く用いられる。現代では、牛など家畜の改良には近交係数を基に綿密な交配計画が立てられることが既に一般的である。
宇田はサラブレッドを近親係数によりR型とr型、近交係数によりF型(いわゆるインブリード、近交係数1.6%以上)とf型(いわゆるアウトブリード、近交係数1.6%未満)に分けた。関連係数については、現代のサラブレッドのほとんどがR型を示すためここでは省略する。近交係数による産駒の系統型と両親の系統型の組み合わせは次の6通りとなる。
両親の系統型 産駒の系統型
1 F × F F
2 F × f F
3 f × f F
4 F × F f
5 F × f f
6 f × f f
このうち2)と5)の交配形式がインブリードとアウトブリードを使った望ましい交配で「基準交配」と呼ばれる。「基準交配」はインブリードの近交弱勢とアウトブリードの遺伝力の弱さを避け、遺伝力があり、競走にも強い馬を生産する目的の交配形式である。
1)の型はインブリード馬同士からインブリード型を作る交配形式で遺伝力が一番期待できるが,近交弱勢の影響を最も受けやすい。3)の型はアウトブリード馬同士の配合からインブリード馬を作る交配形式で優秀な競走馬としての型。4)の型はインブリード馬同士の配合からアウトブリード馬を作る交配形式で優秀な競走馬としての型。6)の型はアウトブリード馬同士の配合からアウトブリード馬を作る交配形式である。遺伝力も少なく,競走能力も高くないので望ましい配合ではないということになる。
すなわち、2)によって生産された馬には5)によって生産された馬を、また5)によって生産された馬には2)によって生産された馬を交配し、こうした基準交配を繰り返すことによって、継続的に安定して優秀な競走馬を生産することができる。ネアルコの血統において、何代にも渡って基準交配が継続されていたように、こうした交配形式は伝統的な育種学の中でも有力な方法論の1つとして用いられており、宇田の研究結果はこれに裏付けを与えるものとなった。
笠雄二郎の配合理論
笠雄二郎は在野の血統研究家で、1984年に「日本サラブレッド配合史」を上梓した。「日本」と銘打ち、100頭の日本産名馬の血統表を掲載しているが、実態としては世界のサラブレッドの配合の歴史を概観し、その中に通底する配合の技法を探し出し整理概説した上で、それが世界や国内のサラブレッド生産において、どのように適用されてきたか、演繹法と帰納法を使い歴史を通説することによってその有効性を論証しようと試みている。
笠はインブリードおよびラインブリードの技法(これを総合して笠は「クロス」と呼ぶ)に特に着目し、配合を通じたサラブレッドの改良について、以下のファクターが重要であると考える。
優秀な血を引くこと
A級馬のクロス
同じ馬についての継続交配
クロスの継続と転換
同血・全きょうだい・4分の3同血のクロス
父母相似交配
4分の1異系導入と他のクロスによる止揚
「全きょうだいクロス」や「4分の3同血クロス」のようなニアリーな血のクロスを、笠は活力を増す配合として重視する。「全きょうだいクロス」は例えば、パーソロン産駒のプリメロの全きょうだいのクロスによって実証されている。そして、「4分の3同血クロス」だが、例えば、サンデーサイレンス産駒のヘリオポリスとガルフストリームの4分の3同血という相似なクロスから多くのG1ホースが続出していることが分かっている。
上記の表現のうち、いくつかは笠雄二郎が生み出した独特の表現である。まず、4分の3同血とは、サドラーズウェルズとヌレイエフのような、血統表の4分の3程度(またはそれ以上)が同じ血統の馬を示す。父母相似交配とは、父と母が複数の共通祖先を持ち、多種類のクロスが生じる配合(セントライトやマルゼンスキーなどが好例)を指す。それは爆発力を増すと笠は考える。また、4分の1異系とは、血統表の祖父母において、3頭が比較的似たタイプの血統で、残りの1頭だけが異系血統(強くインブリードされていればなお望ましい)ことによって、活力を生じさせることを指す。
なお、笠はクロスの表記法として、例えばネアルコなら「セントサイモン5・4×4・5」というように、父側の共通祖先と母側の共通祖先を分けるように表記した。
それまでの世界の血統解説書では「5×4×4×5」のように父母の区別が付いてなくて、父側のみに共通祖先があって本馬においてはアウトブリードなのかインブリードなのかが分かりづらかったりするので、これは独特な改善であると言えるだろう。なぜなら、インブリードは自身に存在しているのか、祖先に存在しているのか、どちらなのかが問題であって、自身に存在することと祖先に存在することとを、遺伝学的に区別しなければいけないという考えを表記として明示したからだ。
「クロス」の概念も含め、血統表の共通祖先を利用した配合手法を分かりやすく整理した点、「全きょうだいクロス(全兄弟クロス)」をA=B、「4分の3同血クロス」をA≒Bと表記したり、シンプルな表記を多用して、血統の配合論の手法を整理した点も評価できる。
五十嵐良治・久米裕のI理論
在野の競馬研究家であった五十嵐良治は、「サラブレッドの競走能力の遺伝は、父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先によってのみ行われる。したがって、これらの同一の祖先こそ、サラブレッドの競走能力を遺伝させる遺伝因子なのである」というラジカルなインブリード・ラインブリードの重視を主眼とした血統理論を構築し、1984年より週刊競馬ブックにてその概要を披瀝した。
「共通の祖先」として定義されるのは、一般にインブリードの範疇とされる4代・5代にとどまらず、8代にわたる分析を行い、それらを総称して「クロス馬」と定義した。そして、そのクロス馬の出現傾向によって「名血」であるかどうかを分析する。実際には、以下の要件を分析する。
主導勢力
位置・配置
結合度
弱点・欠陥
影響度バランス
クロス馬の種類・数
質・傾向
スピード・スタミナ
一例として、主導勢力に関して紹介すると、これは、比較的近い位置でクロスしているAという馬がいた場合に、その父、またその祖父や祖母などがクロス馬になっているかを見て、「系列ぐるみ」でクロスが明確化されているかを示す。例えば、ある馬がナスルーラのインブリードを持つ場合、その父ネアルコ、ないしは母のムムタズベグムがナスルーラ以外を経由してクロス馬となっているか、を行い、更にそれをその父や母(ファロス・ノガラ・ブレニム・ムムタズマハルなど)に関しても行っていく。これらによって主導勢力が明確である場合は、配合の質が高いと定義される。上記のような様々なユニークな尺度により、精密な分析を行う点が魅力とされた。
五十嵐と同様在野の競馬ファンであった久米裕は、五十嵐に師事して彼の理論を学び、1993年にそのエッセンスを解説した単行本『血闘競馬論I』を上梓し、またスポーツ新聞などのメディアを通じて、五十嵐のイニシャルを取った「I理論」と名付けこれを世に広めた。さらにIK血統研究所を興し、新馬戦・未勝利戦を勝ち上がった各世代の全てのサラブレッドの血統分析評価を行ってこれを書籍で公開し、また馬主・生産者向けの血統コンサルタント事業を始めた。久米は種牡馬の数が増えた時代背景に合わせて、従来は例外的な場合にのみ行っていた9代までの分析を常態化し、さらに分析する8項目を5段階で評価し、その合計得点によって血統を評価する手法を新たに取り入れた。
特にオグリキャップ・ビワハヤヒデなど、一般的には決して良血とは言えない活躍馬の血統を「優れた血統構成を持つ」と説明したこと、「血統的にはスプリンター」と言われることの多かったミホノブルボンを一貫して中長距離向きと論じたことなどが同理論の評価を大いに高めた一方で、低い評価で走った馬に関して「日本の軽い馬場向けだから走ったのであり、本来名血とは言えない」などと説明する辺りで、教条的と見られて批判されることもある。詳細についてはI理論を参照。
中島国治の「0の遺伝」理論
オペラ歌手の中島国治は、イタリア留学中にフェデリコ・テシオの未亡人リディア・テシオを訪ね、テシオの馬産理論を精査した成果として、競走馬が子孫を残す闘争としての競馬に着目し、独自の血統理論を編み出した。中島は主流血統として氾濫した血統においては、子孫を残す際の近親交配などによる弊害により不利が生じ、意的素質・闘争本能が低下すると指摘する。そして、母系における異系の血統がマジックとして重要であると説く。
一方で、単純なマイナー血統賛美に留まらない要素として、中島は「0の遺伝」という理論を考案する。つまり、種牡馬のバイオリズムは「太陽のサイクル」と呼ばれる8年周期のサイクルで活性化し、それが0となる年に種付けされた場合は、「0の遺伝」という現象が発生し、近親交配による弊害がクリアされるとする。8代血統表にてゼロの遺伝で弊害がクリアされた部分を差し引いた数字を「残祖先数」とし、これが低い馬の場合には闘争本能などに優れた馬が出るとする。他の血統理論では能力差を説明できない全兄弟についてもその差を説明できることも「0の遺伝」の特徴である。
中島の主張の中には、大種牡馬が実際にはその血統表と異なる血を引いているとする、過激な部分もある。ネイティヴダンサーがクォーターホースの血を引いており、サドラーズウェルズが本当はブランドフォードの直系であるなどの主張がそれで、もし事実であれば国内外で多数のサラブレッドの血統表が書き換えられるべき事態だが、中島は著書においても、自分の観察眼や他人からの伝聞以外に根拠を示していない[2]。
中島は『競馬最強の法則』2008年4月号においてマウリツィオ・コッレオーニなる筆名で、サンデーサイレンスの父であるヘイローの系統と、同じヘイルトゥリーズンから分枝したロベルト系との間に「日高ニックス」なる好配合が成立するとする、新しい理論を発表した。これはサンデーサイレンスの祖父がヘイルトゥリーズンではなく、本当はテディ系のヴィクトリアパークであるという主張に基づくものである。従来の中島理論ではヘイロー・ロベルト両者の親和性に対して否定的な評価を下していた所を、血統表に疑いを差し挟むことで逆に肯定的な評価へと転換するという論理を展開している[3]。
武市銀治郎の血の活性化論
防衛大学助教授の武市銀治郎は、『世界の逞しい血統』の中で「異系血統による血の活性化」こそが血統の興隆の鍵であると記した。世界の競馬では異端と見なされるマイナーな系統、あるいは周辺と認識されたマイナーな地域から、優れた血統が登場する様を劇的に描いた著書は一部に熱狂的な支持者を獲得したが、武市の言説には科学的には誤った記述が多く、血統理論としては体を成していない。
BLUP法
現在、世界の家畜育種の分野ではBLUP法で能力評価をして、優秀な動物同士を配合する方法が主流になってきている。BLUPは最良線形不偏予測値(Best Linear Unbiased Predictor)の略である。
元々、家畜の遺伝力を推定するには主に4つの難題があった。すなわち
実際の測定値(表型値)には、遺伝子の発現による効果だけでなく、後天的に与えられた環境も影響する
遺伝子は親から子へ受け継がれるため、血縁関係を考慮する必要がある
能力が低い個体は早期に処分されてしまうため、能力の高い個体からの記録ばかりになる(データに偏りが生じる)
家畜の飼養環境がばらばらなので、条件をそろえてデータを得ることができない。
それが、チャールズ・ヘンダーソン博士が考案した混合モデル方程式と、コンピュータの発達による計算能力の向上によって、BLUP法として近年実用化されたものである。日本でも、1985年に北海道の乳牛群に関して本格運用が始まっており、今では国によって1年に3回、遺伝的能力評価情報が提供されている。
競走馬への適用について言うならば、これは各馬の個体データや走破時計から、環境(性・年齢・飼育条件・出走レースのコースや条件など)の補正を行うことで、素質や次代へ遺伝する部分だけを取り出して評価ができるということである。
脚注
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^ 優秀な競走馬を生産するための種雌馬の要因及川正明(2002)
^ 類似の噂話には、アングロアラブ種における血統偽装(「テンプラ」と呼ばれる)があるが、20世紀におけるサラブレッドの大種牡馬について、このような言説を自著で発表しているのは、世界でも中島だけである。中島はクォーターホースの血を引くサラブレッドという概念に「アメリカンダミー」という言葉を当てているが、これも海外では使用例がなく、実際には中島独自の造語である可能性が高い。
^ スティルインラブなどが「日高ニックス」の典型例とされる。ただし、父がサンデーサイレンス系で、かつ母父がロベルト系の勝ち上がり率は、2009年7月時点で31.9%(中央勝ち上がり144頭/中央出走452頭)で、父サンデーサイレンス系全体の39.1%(同3335/8540)よりも著しく低い。また重賞勝ち馬率は、前者が 2.0%(9/452)で、後者の 2.9%(244/8540)の2/3に過ぎず、1頭当たりの平均獲得賞金は前者が1291万円で、後者の1991万円より700万円低く、2/3以下である。このように「日高ニックス」は勝ち上がる確率・重賞勝馬になる確率・稼ぐ賞金額のすべてが低くなる配合であり、中島の言うような結果は現実には出ていない。
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アドマイヤベガ
英字表記 Admire Vega
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1996年3月12日
死没 2004年10月29日(8歳没)
父 サンデーサイレンス
母 ベガ
母の父 トニービン
生国 日本(北海道早来町)
生産 ノーザンファーム
馬主 近藤利一
調教師 橋田満(栗東)
厩務員 児玉武大
競走成績
生涯成績 8戦4勝
獲得賞金 2億9060万2000円
アドマイヤベガ(Admire Vega)は、1999年の東京優駿(日本ダービー)に優勝した。母ベガは桜花賞・優駿牝馬(オークス)を勝った名牝。全弟にセントライト記念を勝ったアドマイヤボス、半弟に朝日杯フューチュリティステークス・帝王賞などGI7勝をあげたアドマイヤドンがいる。
アドマイヤベガ プロフィール
ベガはサンデーサイレンスとの初めての仔を受胎したが双子だった。双子は競走馬として大成しないと言われているため、片方の胎子がつぶされ、もう片方が残された。そして、残された方の胎子から生まれたのがアドマイヤベガだった。生まれたとき、母ベガと同様に左前脚が内側に曲がっていた。
アドマイヤベガ 競走馬時代
1998年11月7日の新馬戦でデビューし1位に入線したが、最後の直線走路で斜行したために4着降着の処分を受けた。次走には未勝利戦ではなく、形の上で格上挑戦となる500万下特別のエリカ賞を選び、スリリングサンデーらを相手に勝利した。3戦目は、ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)に出走し、これも優勝し2歳を終えた。
1999年、3歳となったアドマイヤベガはクラシック戦線へ向かった。初戦は、皐月賞トライアルの弥生賞(GII)に出走、単勝オッズ1.5倍と断然の1番人気に推されるが、ナリタトップロードに敗れた。しかし、上がり3ハロンのタイムは出走メンバー中最も速かった。次に皐月賞(GI)に向かうが、直前に体調不良を起こし、馬体重を-12kgと大幅に減らして出走した。それでも1番人気に推されたが、テイエムオペラオーの6着に終わった。
その後、東京優駿(GI)に出走した。ここで初めて2番人気になるが、馬体重を+10kgと体調を戻してきた。道中は後方に控え、最後の直線で先に抜け出したテイエムオペラオー・ナリタトップロードの二頭を大外から後方一気の末脚でかわし、当時アイネスフウジンが持っていたレースレコードタイ記録(2:25.3)で優勝した。このレースで(前年スペシャルウィークに続いて)武豊は史上初のダービー連覇を達成した。
その後、3歳秋初戦として菊花賞トライアルの京都新聞杯(GII)に出走し、再びナリタトップロードを差し切って優勝した。しかしクラシック第3戦菊花賞(GI)ではナリタトップロードの6着に敗れた。その後休養に入り、翌年の宝塚記念(GI)を目標に調整が進められたが、左前脚の繋靭帯炎が発覚し、2000年に引退した。
アドマイヤベガ 競走成績
年月日 競馬場 競走名 格 人気 倍率 着順 距離 タイム (上3F) 騎手 勝ち馬/(2着馬)
1998 11. 7 京都 3歳新馬 1人 1.7 *4着 芝1600m(良) 1:35.1 (34.9) 武豊 マヤノマタドール
12. 5 阪神 エリカ賞 1人 1.2 1着 芝2000m(稍) 2:06.1 (35.9) 武豊 (スリリングサンデー)
12. 26 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 1人 2.1 1着 芝2000m(良) 2:04.1 (34.8) 武豊 (マチカネキンノホシ)
1999 3. 8 中山 弥生賞 GII 1人 1.5 2着 芝2000m(稍) 2:03.7 (35.0) 武豊 ナリタトップロード
4. 18 中山 皐月賞 GI 1人 2.7 6着 芝2000m(良) 2:01.3 (35.9) 武豊 テイエムオペラオー
6. 6 東京 東京優駿 GI 2人 3.9 1着 芝2400m(良) 2:25.3 (34.4) 武豊 (ナリタトップロード)
10. 17 京都 京都新聞杯 GII 2人 3.0 1着 芝2200m(良) 2:12.3 (34.6) 武豊 (ナリタトップロード)
11. 7 京都 菊花賞 GI 1人 2.3 6着 芝3000m(良) 3:08.2 (34.4) 武豊 ナリタトップロード
※(*)1位入線後、降着。
アドマイヤベガ 種牡馬時代
引退後は、早来町の社台スタリオンステーションで種牡馬となり、2004年には初年度産駒が走り出し好成績を収めた。しかしその年の10月29日に偶発性胃破裂の為死亡。
残した産駒は4世代のみで、2005年産の産駒がラストクロップとなった。2006年にキストゥヘヴンが桜花賞を制し、産駒の平地GI初勝利をあげた。
2007年度リーディングサイアーは10位となっている。
障害競走に秀でた産駒も多く、メルシーモンサンが2010年のJ・GI中山グランドジャンプを制すなど、障害においても優秀な産駒を輩出している。
上記に挙げたようにわずか4世代しか残らないながらも産駒の成績は極めて優秀で、存命であれば父サンデーサイレンスの有力な後継種牡馬の1頭としてさらなる大成が見込めたという声も聞かれる。
アドマイヤベガ 主な産駒
アドマイヤベガ 2002年産
テイエムドラゴン(中山大障害、京都ハイジャンプ(2005年/2007年)、阪神スプリングジャンプ)
アドマイヤフジ(日経新春杯、中山金杯(2008年/2009年))
ストーミーカフェ(札幌2歳ステークス、共同通信杯)
レキシントンブルー(ききょうステークス)
シルクトゥルーパー(橘ステークス)
アドマイヤベガ 2003年産
キストゥヘヴン(桜花賞、京成杯オータムハンデキャップ、フラワーカップ、中山牝馬ステークス)
ブルーメンブラット(マイルチャンピオンシップ、府中牝馬ステークス)
プレミアムボックス(オーシャンステークス、CBC賞、京阪杯)
ニホンピロレガーロ(小倉記念)
トウショウシロッコ(東京競馬場グランドオープン記念)
アドマイヤベガ 2004年産
アルナスライン(日経賞、菊花賞2着、天皇賞(春)2着)
トーワベガ(阪神スプリングジャンプ)
ギルティストライク(東京ジャンプステークス)
サンライズベガ(小倉大賞典)
アドマイヤベガ 2005年産
クリスタルウイング(青葉賞2着)
オースミスパーク(小倉大賞典)
サザンギャラクシー(葉山特別・衣笠特別)・本馬唯一の、外国産馬(ニュージーランド産馬)
メルシーモンサン(中山グランドジャンプ)
アドマイヤベガ 血統表
アドマイヤベガの血統 サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/(Almahmoud4×5=9.38%)
父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ Hail to Reason 1958 Turn-to
Nothirdchance
Cosmah 1953 Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ Understanding 1963 Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower 1964 Montparnasse
Edelweiss
母
ベガ 1990
鹿毛 北海道早来町 *トニービン
Tony Bin 1983
鹿毛 アイルランド *カンパラ
Kampala 1976 Kalamoun
State Pension
Severn Bridge 1965 Hornbeam
Priddy Fair
*アンティックヴァリュー
Antique Value 1979
鹿毛 アメリカ Northern Dancer 1961 Nearctic
Natalma
Moonscape 1967 Tom Fool
Brazen F-No.9-f
全弟にアドマイヤボス、キャプテンベガ。半弟にアドマイヤドン(父ティンバーカントリー)。
母ベガの半姉にニュースヴァリュー(外国産馬として出走、札幌スプリントステークスGIII2着)、全弟にマックロウ(京都記念GII勝ち、種牡馬)。
カテゴリ : 競馬用語&競争馬 あ行, 競馬用語&競走馬
アサカディフィート
品種 サラブレッド
性別 騸
毛色 黒鹿毛
生誕 1998年3月26日
父 パラダイスクリーク
母 スプリームクィーン
生国 日本
生産 協和牧場
馬主 浅川吉男→浅川昌彦→林順子
調教師 鶴留明雄(栗東)
競走成績
生涯成績 76戦11勝
(中央)73戦11勝
(地方)3戦0勝
獲得賞金 4億6564万2000円
(中央)4億6194万3000円
(地方)369万9000円
アサカディフィートは、中央競馬平地競走及び中央競馬平地重賞競走の最高齢勝利記録を持つ馬(10歳、2008年小倉大賞典)
アサカディフィート 戦歴
アサカディフィート 2001年 – 2003年
気性的な問題もあってデビュー前に既に去勢手術を受けており、騸馬として競走馬生活を送ることになった。
デビューはかなり遅く、2001年6月9日となった。初戦の中京3歳未勝利戦(ダート1,700m)で初勝利を挙げる。その後もレースでは逃げの戦法を見せ、主に芝の中距離戦に使われた。
2003年の5歳時に格上のオープン競走である大阪城ステークスで勝利し、オープンクラスに昇格する。その後は重賞の新潟大賞典、金鯱賞、宝塚記念に出走するも金鯱賞の5着が最高であった[1]。しかし、続く函館記念では3着に入り、福島記念では後方からメンバー中最速の上がりで、またも3着に食い込んだ。
アサカディフィート 2004年 – 2006年
2004年には初戦の中山金杯で中団からの差し切り勝ちを決め、重賞初勝利をあげた。その後は中距離の重賞やオープン競走を中心に出走し、2005年のカシオペアステークスや2006年のアンドロメダステークスで勝利を挙げている。
アサカディフィート 2007年
2007年も中山金杯から始動した。雨で重馬場の中、道中最後方で追走しメンバー中最速の上がりを見せるが、勝ったシャドウゲイトに7馬身差の圧倒的差をつけられ2着に敗れた。
続く小倉大賞典では10番人気ながら、後方から上がり3F34秒台の追い込みを見せ1 1/2馬身差で快勝し、3年ぶりの2度目の重賞制覇を遂げた。その後、芝の2000m戦やダートの重賞に出走するもののいずれも掲示板を外す結果となった(上がり33秒台を記録した札幌記念の6着が最高)が、前年優勝したアンドロメダステークスでは追い込みを決めて8番人気の低評価を覆す勝利を収めた。
アサカディフィート 2008年
2008年も中山金杯から始動した。道中を最後方で進め4角からメンバー中最速の上がり3F34秒3の末脚を見せるが、7着に終わった。続く小倉大賞典では鞍上を中舘英二に替え道中は最後方を追走し、最後の直線では大外から豪快な末脚を繰り出し、先に抜け出した1番人気マルカシェンクをとらえ史上初の10歳馬(旧表記の10歳を含む)によるJRA平地重賞勝利を挙げた。
また、これにより8年連続勝利を遂げた。続く中山記念では、後方不利と言われる中山競馬場かつ開幕週ながら、上がり3ハロン33.9秒という年齢を感じさせない末脚で5着と掲示板に載った。続く金鯱賞では道悪馬場の影響からかいいところがなく10着に敗れた。その後は宝塚記念に出走、ブービーの13着に敗退した。その後、休養を挟み、11月15日のアンドロメダステークスに出走、同一レース3連覇がかかっていたが10着に終わった。続く中日新聞杯では13着と大敗した。
アサカディフィート 2009年
2009年も6年連続で中山金杯から始動したが、見せ場なく14着と大敗した。続く小倉大賞典では同一重賞3連覇を狙ったが、シンガリ負けの16着だった。そして、2月13日付でJRA競走馬登録を抹消された。生まれ故郷である協和牧場において乗馬となっている。
アサカディフィート 主な成績
2003年 – 函館記念3着、福島記念3着
2004年 – 中山金杯
2005年 – 中京記念3着、京阪杯2着
2006年 – 中山金杯2着、名古屋大賞典3着
2007年 – 中山金杯2着、小倉大賞典
2008年 – 小倉大賞典(2007年から連覇)
※ アンドロメダステークスを連覇(オープン特別、2006年・2007年)
アサカディフィート 記録
せん馬(日本調教馬)史上最高賞金獲得 (4億6564万2000円)
JRA史上最年長平地競走勝利 (10歳)
後に2010年1月10日第1回中山競馬第3日第11競走ジャニュアリーステークス(オープン特別・ダート1200m)でニシノコンサフォスがタイ記録を樹立
JRA史上最年長平地重賞勝利 (10歳)
JRA各年度勝利連続記録 (8年)
アサカディフィート エピソード
約8年間の競走生活で中央・地方合わせて76戦に出走、重賞も3勝して4億円以上を稼いだ本馬であるが、中央GI競走への出走は2003年・2008年の宝塚記念だけである(地方交流を含めても2007年のかしわ記念が加わるのみ)。
本馬が出走した宝塚記念は、2度とも『6月29日』の施行であった。GI競走の開催は基本的に日曜固定であり、同じ曜日配列が回ってくるのは5年ないし6年に1回であるから、少なくとも5〜6年は現役を続けていないと達成できない珍記録であると言える。
アサカディフィート 血統表
アサカディフィートの血統 ネヴァーベンド系/Nasrullah5×5×5=9.38%、Polynesian5×5=6.25%
父
*パラダイスクリーク
Paradise Creek
1989 黒鹿毛 Irish River
1976 栗毛 Riverman Never Bend
River Lady
Irish Star Klairon
Botany Bay
North of Eden
1983 鹿毛 Northfields Northern Dancer
Little Hut
*ツリーオブノレッジ
Tree of Knowledge Sassafras
Sensibility
母
*スプリームクィーン
Supreme Queen
1981 鹿毛 Alydar
1975 栗毛 Raise a Native Native Dancer
Raise You
Sweet Tooth On-And-On
Plum Cake
Knightly Belle
1969 芦毛 Knightly Manner Round Table
Courtesy
Belle Poule Barbizon
Chinchon F-No.16
アサカディフィート 脚注
^ 新潟大賞典では3位に入線したが、進路妨害で7着に降着となっている。
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ベストタイアップ
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1992年3月29日
父 アンバーシャダイ
母 ミスタイモア
母の父 Sham
生国 日本(北海道早来町)
生産 社台ファーム早来
馬主 吉田照哉
調教師 松山康久(美浦)
競走成績
生涯成績 15戦7勝
獲得賞金 2億577万円
ベストタイアップの主な勝鞍は中山金杯・東京新聞杯。半兄に1990年京成杯勝ちのノーモアスピーディ。
ベストタイアップ 戦歴
デビューは1994年10月。パドックでいつもチャカつく気性が災いしたのか4歳春までは思うような成績は残せず条件馬のままで終わる。秋に入っても気性難は変わらずであったが晩成の父同様に本格化の兆しを見せ始める。
1996年1月平場からの4連勝で中山金杯を制覇し重賞タイトルを手にする。この後、僚馬ジェニュインとの兼ね合いで長距離路線を歩み、次走日経賞では2番人気の評価を受けるが不良馬場に持ち味であるキレ脚を殺され4着に終わる。さらに天皇賞・春も一気に伸びた距離に対応できず惨敗、この年は1勝のみに留まる。
翌1997年適距離に戻りかつての切れる差し脚が復活、中山金杯を連覇し更に東京新聞杯を1番人気で快勝。安田記念へ向け大きく前進したその矢先脚部不安を発症、そのまま現役引退となった。
引退後は種牡馬として地方重賞2勝のジーナフォンテンを輩出するも、他に特筆すべき活躍馬は無く2006年に種牡馬から引退。現在は北海道野付郡の野付ライディングファームに繋養されている。
ベストタイアップ 競走成績
年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F) タイム差 勝ち馬/(2着馬)
1994 10. 8 東京 新馬 12 8 11 3.9 (2人) 3着 田中勝春 53 芝1400m(良) 1:23.6(36.6) -0.9 タイガーチャンプ
10. 30 東京 新馬 8 4 4 4.8 (3人) 1着 田中勝春 53 芝1800m(良) 1:50.1(35.6) 0.4 (マチカネブラボー)
1995 2. 25 中山 500万下 10 4 4 2.8 (2人) 2着 田中勝春 55 芝2000m(良) 2:02.3(36.0) -0.5 イブキニュースター
3. 26 中山 スプリングS GII 15 3 4 30.8 (7人) 13着 横山典弘 55 芝1800m(不) 1:56.1(41.1) -1.6 ナリタキングオー
10. 8 東京 500万下 9 4 4 4.5 (2人) 1着 横山典弘 55 芝1600m(良) 1:35.6(34.8) 0.1 (タイキマーシャル)
10. 29 東京 紅葉特別 15 3 5 3.2 (1人) 1着 横山典弘 55 芝1600m(良) 1:33.7(35.1) 0.4 (トキオフェニックス)
11. 26 東京 ウェルカムS 18 6 12 2.8 (1人) 1着 横山典弘 56 芝2000m(良) 2:00.0(34.3) 0.4 (マルシゲギャロップ)
1996 1. 5 東京 中山金杯 GIII 16 1 2 2.4 (1人) 1着 横山典弘 55 芝2000m(良) 1:59.3(33.7) 0.2 (ウインドフィールズ)
3. 17 中山 日経賞 GII 11 2 2 5.3 (2人) 4着 横山典弘 56 芝2500m(不) 2:37.7(37.1) -0.4 ホッカイルソー
4. 21 京都 天皇賞(春) GI 16 3 5 40.3 (6人) 13着 岡部幸雄 58 芝3200m(良) 3:20.5(37.0) -2.7 サクラローレル
10. 6 東京 毎日王冠 GII 12 1 1 5.9 (5人) 5着 田中勝春 57 芝1800m(良) 1:46.2(34.6) -0.4 アヌスミラビリス
10. 27 東京 天皇賞(秋) GI 17 3 6 15.2 (6人) 6着 田中勝春 58 芝2000m(良) 1:59.1(34.4) -0.4 バブルガムフェロー
11. 23 東京 キャピタルS OP 14 7 12 1.7 (1人) 2着 柴田善臣 57 芝1400m(良) 1:21.8(33.9) -0.1 エイシンバーリン
1997 1. 5 中山 中山金杯 GIII 15 1 1 2.4 (1人) 1着 岡部幸雄 57 芝2000m(良) 2:01.5(35.7) 0.2 (マウンテンストーン)
2. 2 東京 東京新聞杯 GIII 11 3 3 1.3 (1人) 1着 岡部幸雄 57 芝1600m(良) 1:33.7(33.9) 0.2 (ユノペンタゴン)
ベストタイアップ 血統表
ベストタイアップの血統 (ノーザンテースト系/Lady Angela 父内4×5=9.38%、 Hyperion 5×5=6.25%、 Nearco 5×5=6.25%、 Bull Lea 父内5×5=6.25%)
父
アンバーシャダイ
1977 鹿毛 日本 *ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛 カナダ Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
Clear Amber
1967 鹿毛 アメリカ Ambiopoise Ambiorix
Bull Poise
One Clear Call Gallant Man
Europa
母
*ミスタイモア
Miss Taymore
1977 黒鹿毛 アメリカ Sham
1970 鹿毛 アメリカ Pretense Endeavour
Imitation
Sequoia Princequillo
The Squaw
Bend an Oar
1967 鹿毛 アメリカ Never Bend Nasrullah
Lalun
Up Oars Turn-to
Nile Lily F-No.10-a
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 な行, 競馬用語&競走馬 は行
戸崎圭太
出身地 栃木県下都賀郡壬生町
生年月日 1980年7月8日(31歳)
身長 158cm
体重 44.3kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 特別区競馬組合
所属厩舎 香取和孝
勝負服 青、胴赤星散らし
初免許年 1998年
免許区分 平地
戸崎 圭太(とさき けいた、1980年7月8日 – )は、大井競馬場・香取和孝厩舎に所属する騎手である。趣味はスポーツをすることで、好きなスポーツはゴルフ。
勝負服は青地に胴赤散らし。青は大井の先輩である内田博幸の勝負服が、胴赤星散らしは同様に的場文男の勝負服の星(★)が由来となっている。[1]
戸崎圭太 来歴
中学時代は野球部に所属していた。今でも野球が特技である。
騎手志望当時、戸崎は中央競馬の存在を知らず、栃木県那須塩原市にあった地方競馬教養センターを受験。1998年、地方競馬教養センター騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。[2]同年4月12日の大井競馬第3競走C3八組九組をミヤサンヤシマで勝利し、初騎乗初勝利を挙げる。
2005年6月26日に福島競馬場で行われた3歳未勝利戦で、13番人気だったスプリングラゴスに騎乗し中央競馬初騎乗、10着となる。同年9月14日大井競馬第10競走トゥインクルレディー賞を8番人気のコウエイソフィアで勝利し、重賞初制覇。
2007年、初のJRA重賞となったマーチステークスでは、11番人気だったシーチャリオットに騎乗し14着。7月8日、阪神競馬場で行われた3歳以上500万円以下のレースをヤマカツティガーで制し中央初勝利を挙げる。12月13日に地方通算600勝を達成した。
2007年には全国リーディング3位の活躍を見せた。これは南関東内では内田博幸に次ぐリーディング2位であり、的場文男を上回る勝ち鞍を挙げる活躍ぶりであった。
2008年の東京ダービーでは2007年のアンパサンドに続き、ドリームスカイ(10番人気)で勝利。東京ダービーを連覇した。6月25日の中央との交流重賞帝王賞(JpnI)をフリオーソで制覇。9月17日大井競馬第6競走において落馬、全治1ヶ月の鎖骨骨折を負い、同日第11競走トゥインクルレディー賞でトーセンジョウオーに騎乗できなかった。このようなアクシデントはあったが、ネフェルメモリーを12月31日の東京2歳優駿牝馬で勝利に導き、この年は306勝を挙げて初の全国リーディングを獲得した。
2009年は船橋記念をスパロービートで勝利し、3月11日のダイオライト記念および3月20日の桜花賞をいずれも2年連続で制覇。続いて京浜盃で重賞4連勝および自身のデビューからの通算勝利数を1000勝を飾った。他にも東京プリンセス賞・羽田盃・浦和記念で優勝し、前年を上回る387勝を挙げ、2年連続で全国リーディングを獲得した。
また、中央競馬では前年まで通算5勝の成績から一転して年間20勝を挙げ、安田記念ではコンゴウリキシオーに、天皇賞・秋ではエイシンデピュティに騎乗し中央競馬のGIにも参戦を果たした。クイーンカップでは大井所属のエイブルインレースで、勝ち馬のディアジーナから0.1秒差の3着に食い込む活躍をした。
2010年は中央への参戦も積極的に行っている。中央競馬の日本ダービーでトゥザグローリーに騎乗。大井競馬場で行われた東京ダービーではマカニビスティーに騎乗し、圧勝。東京ダービー最多タイの3勝となった。6月30日に行われた帝王賞(JpnI)では、フリオーソに騎乗。中央競馬の有力馬のカネヒキリ・ヴァーミリアン・サクセスブロッケンなどが参戦するなか、先頭を進むサクセスブロッケンの2番手につけ、直線で一気に先頭に躍り出るとそのまま1着でゴールイン。2着は中央競馬のカネヒキリだった。
今まで勝ったことのなかったヴァーミリアンにも勝つことができ、表彰式では涙を拭う場面も見られた。交流GIは通算2勝目。7月14日に行われたジャパンダートダービー(JpnI)ではマグニフィカに騎乗。始終先頭をキープ。直線でも一度も前を譲らず、そのままゴールイン。帝王賞に続いて川島正行調教師とのタッグでGIを獲得した。GI通算3勝目。11月3日に船橋競馬場で行われたJBCクラシックは地方最強馬のフリオーソとタッグを組むも武豊騎乗のスマートファルコンに逃げられ2着。11月14日の東京競馬場第11競走第15回東京中日スポーツ杯武蔵野ステークスでは6番人気のグロリアスノアで優勝し、中央競馬重賞を初制覇した。
2011年も中央競馬へ参戦。6月5日の安田記念では、南関東の先輩で負傷休養中の内田博幸のお手馬でもあるリアルインパクトに騎乗し、中央競馬GI競走での初優勝を飾った。
戸崎圭太 エピソード
2005年に初めて中央競馬 (JRA) の新規騎手免許試験に挑み[3]、一次試験で不合格となる[4]。2010年の時点ではJRAへの移籍について「今は特別考えていませんね。そういう時期になったら、改めて考えようと思っています。今は1頭でも多く、1日でも多くガムシャラに乗りたいんですよ」[5]と述べていた。翌2011年、安田記念の勝利を契機として2度目の試験に挑んだ[3][4]が、またも一次試験で不合格となった[6]。
戸崎圭太 表彰
ベストフェアプレイ賞(2006年)
NARグランプリ最優秀騎手賞(2008年)
戸崎圭太 年度別成績表
戸崎圭太 地方競馬
年度 騎乗数 勝利 順位 勝率 連対率 獲得賞金勝数
1998年 70 4 位 .057 .143 18,356,000円
1999年 307 12 位 .039 .121 62,908,000円
2000年 404 25 位 .062 .126 113,735,000円
2001年 546 31 位 .057 .125 186,837,500円
2002年 533 36 位 .068 .158 166,044,000円
2003年 615 39 位 .063 .135 156,293,000円
2004年 731 53 位 .073 .156 181,840,000円
2005年 860 74 62位 .086 .169 235,136,000円
2006年 1145 139 22位 .107 .229 391,532,000円
2007年 1584 212 3位 .134 .242 593,054,000円
2008年 1737 306 1位 .176 .305 1,055,680,000円
2009年 1762 387 1位 .220 .355 1,196,562,000円
2010年 1665 288 1位 .173 .297
通算 11968 1593 – .133 .241
戸崎圭太 中央競馬
年度 騎乗数 勝利 順位 勝率 連対率 獲得賞金勝数
2005年 3 0 176位 .000 .000 0円
2006年 18 0 181位 .000 .000 750,000円
2007年 44 2 133位 .045 .091 45,263,000円
2008年 152 3 110位 .020 .092 110,736,000円
2009年 199 21 50位 .106 .191 311,105,000円
2010年 293 22 45位 .075 .184 496,676,000円
通算 709 48 – .068 .155 964,530,000円
戸崎圭太 初騎乗記録
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
地
方 初騎乗・初勝利 1998年4月12日 1回大井1日3R C3八組九組 ミヤサンヤシマ 9頭 1 1着
重賞初勝利 2005年9月14日 11回大井4日10R トゥインクルレディー賞 コウエイソフィア 16頭 8 1着
GI初勝利 2008年6月25日 5回大井4日11R 帝王賞 フリオーソ 13頭 1 1着
中
央 初騎乗 2005年6月26日 2回福島4日3R 3歳未勝利 スプリングラゴス 15頭 13 10着
初勝利 2007年7月08日 3回阪神8日8R 3歳上500万下 ヤマカツティガー 13頭 5 1着
重賞初騎乗 2007年3月25日 3回中山2日11R マーチステークス シーチャリオット 15頭 11 13着
重賞初勝利 2010年11月14日 5回東京4日11R 武蔵野ステークス グロリアスノア 16頭 6 1着
GI初騎乗 2008年2月24日 1回東京8日11R フェブラリーステークス アンパサンド 16頭 13 10着
GI初勝利 2011年6月5日 3回東京6日11R 安田記念 リアルインパクト 18頭 9 1着
順位 主な騎乗馬
フリオーソに騎乗
メイショウアーム(2001年ジャパンダートダービー2着)
コウエイソフィア(2005年トゥインクルレディー賞)
アンパサンド(2007年東京ダービー)
フリオーソ(2008年ダイオライト記念、帝王賞、2009年ダイオライト記念、2010年帝王賞、日本テレビ盃、2011年川崎記念、かしわ記念)
フィリアレギス(2008年桜花賞)
ドリームスカイ(2008年東京ダービー)
トーセンジョウオー(2008年スパーキングレディーカップ)
ギャンブルオンミー(2008年黒潮盃)
ネフェルメモリー(2008年東京2歳優駿牝馬、2009年桜花賞、東京プリンセス賞)
スパロービート(2009年船橋記念)
ナイキハイグレード(2008年ハイセイコー記念、2009年京浜盃、羽田盃)
フジノウェーブ(2010年東京スプリング盃)
マカニビスティー(2010年東京ダービー)
マグニフィカ(2010年ジャパンダートダービー)
グロリアスノア(2010年武蔵野ステークス)
クラーベセクレタ(2010年東京2歳優駿牝馬、2011年羽田盃、東京ダービー、ロジータ記念、クイーン賞)
ナイキマドリード(2011年さきたま杯)
リアルインパクト(2011年安田記念)
順位 脚注
^ 競馬最強の法則2010年9月号 ターザン炎上!競馬デスマッチ 戸崎圭太騎手
^ 同期デビューの騎手には森泰斗(現船橋)がいる。
^ a b “地方競馬No.1騎手の戸崎がJRA受験” (日本語). デイリースポーツ (2011年9月2日). 2011年10月20日閲覧。
^ a b “戸崎 JRA受験「内田さんを追いかけて」” (日本語). スポーツニッポン (2011年9月2日). 2011年10月20日閲覧。
^ 週刊Gallop 2010年8月29日号 戸崎圭太という男
^ “大井の戸崎はJRA騎手免許試験に不合格” (日本語). デイリースポーツ (2011年10月20日). 2011年10月20日閲覧。
カテゴリ : 競馬用語&競争馬 あ行, 競馬用語&競走馬, 騎手, 騎手 あ行
ニシノライデン
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1981年3月20日
死没 2011年12月31日(30歳没)
父 ダイコーター
母 ミスホマレシロー
母の父 ダディダンフィ
生国 日本(北海道鵡川町)
生産 西山牧場
馬主 西山正行
調教師 伊藤修司(栗東)
競走成績
生涯成績 中央26戦7勝
獲得賞金 2億8923万8000円
ニシノライデンは重賞(GII)を4勝した。
斜癖があることで知られ、朝日チャレンジカップの1位失格や天皇賞・春の2位失格があり、「降着制度の産みの親」とも言われる(後述)。
※戦績の馬齢は旧表記(数え年)。
ニシノライデン 戦績
4歳となった1984年2月に京都競馬場でデビュー。当初は伊藤清章[1]が騎手をつとめた。デビュー戦を勝った後5戦3勝でクラシック路線に乗るが、三冠馬シンボリルドルフらの壁は厚く、皐月賞は6着、日本ダービーでは5着に終わった。
秋に神戸新聞杯[2]2着の後、菊花賞トライアルの京都新聞杯で重賞初制覇。菊花賞では打倒ルドルフの一番手として2番人気に推された。直線早目に先頭に立って、堂々とシンボリルドルフを負かしにいく競馬をしたが3着に終わった。このレースを実況していた杉本清が、ニシノライデンのレースぶりをのちに著書[3]で褒めている。
5歳初戦の鳴尾記念(当時は3月に開催された芝2500mのGII)で重賞2勝目。大阪杯を挟んで天皇賞・春に出走するがシンボリルドルフの4着に終わった。そして秋初戦の朝日チャレンジカップでは1位に入線するが、斜行して失格となった。伊藤がこのレースでの処分で騎乗停止となり、次の京都大賞典では田原成貴が初騎乗し、ヤマノシラギクの2着。
しかし天皇賞・秋では12着に敗れ、再び伊藤が騎乗すると阪神大賞典(当時は12月開催)で重賞3勝目をあげ、有馬記念ではシンボリルドルフ、ミホシンザンに次ぐ3着。
6歳初戦の日経新春杯で4着に敗れると故障し、1年2ヶ月の休養を経て7歳で復帰。復帰初戦の阪神大賞典[4]は8着に終わったが、再び田原に乗り替わった大阪杯で重賞4勝目を飾る。
そして、天皇賞・春では圧倒的1番人気のミホシンザンに次ぐ2番人気に支持された。レースでは最後の直線で急に外側に斜行し、外を走っていたアサヒエンペラーの進路を妨害。ゴール前ではアサヒエンペラーと内・外が入れ替わっているほどの斜行で、アサヒエンペラーは騎手蛯沢誠治が立ち上がるほどの不利を受けた。
この間に内を突いたミホシンザンとニシノライデンがほぼ同時にゴールイン。長い写真判定と審議が行われ、まずは1位ミホシンザン、ハナ差2位にニシノライデンと表示されたが、さらに長引いた審議の末、ニシノライデンは失格処分となった。 GI級のレースで2着までに入線した馬が審議の結果失格処分となったのは日本中央競馬会史上初であった。
続く宝塚記念では、失格処分の同情票も集めたかGIレースで初めて1番人気に支持されたが、同期のスズパレードの3着に敗れた。
このレースを最後に故障し、現役を引退した。
ニシノライデン 競走成績
通算26戦7勝
4歳:13戦4勝 京都新聞杯(GII)、神戸新聞杯(GIII)2着
5歳:8戦2勝 鳴尾記念(GII)、阪神大賞典(GII)、京都大賞典(GII)2着
6歳:1戦0勝
7歳:4戦1勝 サンケイ大阪杯(GII)
ニシノライデン 引退後
引退翌年の1988年より西山牧場で種牡馬となった。馬主の厚意で種牡馬入り間もない頃は桜花賞馬ダイアナソロンの母ベゴニヤや、西山牧場の割合優秀な成績を残した牝馬など、少ないながらもそれなりの繁殖牝馬が集められた。しかし産駒は気性に問題があり、入厩はしたものの出走にこぎ着けられない馬も多く、活躍馬は輩出できなかった。
種牡馬登録は生涯続いたものの、1997年以降は産駒が生まれなかった。繁殖に上がった牝馬もほとんどおらず、結局ニシノライデンの血を引く馬は残せなかった。実質的な種牡馬引退後も西山牧場で功労馬として余生を送り、2011年12月31日に老衰による心臓麻痺で死んだ[5]。
ニシノライデン エピソード
のちにナリタブライアンのトレードマークとなるシャドーロールは、ナリタブライアンの登場までは、本馬もシャドーロールを代名詞とする一頭であった。
1位失格となった朝日チャンレンジカップでは、ワカオライデンが繰り上がり1着となった。
3着に敗れた宝塚記念レース後、西山正行とその実子の西山茂行は、天皇賞で失格を告げられた裁定委員に呼ばれ、パトロールフィルムを見せてもらい、スタート直後にニシノライデンがコース上にできた影に驚いてジャンプし、それで引っかかったところを確認できたという。天皇賞で失格を告げた裁定委員がこの時には「お気の毒ですが」と優しく声をかけてくれたという。
ニシノライデン 第95回天皇賞について
問題の天皇賞については、「真っ直ぐ走っていればニシノライデンが天皇賞馬だった」という意見もあるが、騎乗していた田原までも、「ニシノライデンは真っ直ぐ走るよりも、斜めに走る方が調子が良かった」とまで発言していた。
田原は天皇賞で騎乗停止処分となり、いずれも当時お手馬であったマックスビューティでのサンスポ杯4歳牝馬特別、フレッシュボイスでの安田記念に騎乗できなかった。いずれも柴田政人(天皇賞ではミホシンザンに騎乗)が騎乗し、勝利を収めた。
柴田政人は後に、あくまでも推測としながらも、「ミホシンザンとアサヒエンペラーは馬の格好も似ているし、勝負服も似ていた[6]から、ひょっとして外に来たアサヒエンペラーを俺の馬(ミホシンザン)と間違えて、馬体を併せに来たら斜行してしまったんじゃないか。ニシノライデンとアサヒエンペラーが外に行ったから自分は内を突いて、ゴール板のところでミホシンザンがわずかに前に出たのは確信できた。」と語っている[7]。
失格の裁定が下った後、この時の審議に当事者であった田原が呼び出されたのが着順が決定した後だった事から、田原は「きっと、天皇賞馬を失格に出来ないので、ニシノライデンを2着にしたんだよ。」と思ったという。なお、「優勝したが故に、失格されてもおかしくなかったのに失格とならなかった例」は複数例ある[8]。
ニシノライデンの天皇賞失格以後、「進路妨害等をした馬がレースで発揮した能力についても最大限尊重すべき」という論議が起こり、欧米で採用されていた降着制度が導入される一因となっている[9]。
ニシノライデン 血統表
ニシノライデンの血統 ボワルセル系(セントサイモン系)/Blue Larkspur5×5=6.25%
父
ダイコーター
1962 鹿毛 *ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛 Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
*ダイアンケー
Dianne K.
1950 鹿毛 Lillokid Jack High
Amaranth
Bonnie Luna Bon Homme
Rockiluna
母
ミスホマレシロー
1975 栗毛 *ダディダンフィ
Daddy Dunphy
1965 鹿毛 Coboes Mahmoud
Belle of Troy
Feria Thoulouse Lautrec
Feira de Rio
クリロット
1970 黒鹿毛 *オンリーフォアライフ
Only For Life Chanteur
Life Sentence
クリツヒメ ハクリヨウ
クリホマレ F-No.1-b
母系は西山牧場由来ではなく大東牧場由来のもの。4代母クリホマレはクリペロ・クリヒデの天皇賞馬兄妹の姉にあたり、6代母英月(競走名テツバンザイ)は1941年の阪神優駿牝馬の勝ち馬。
脚注 [編集]
^ 現姓上野、当時は調教師伊藤修司調教師の娘婿。
^ 当時はGIII。
^ 「あなたのそして私の夢が走っています」(双葉社)
^ 鳴尾記念と入れ替わる形で3月開催。
^ ニシノライデン死す…
^ ミホシンザンの勝負服は横縞、アサヒエンペラーのそれは縦縞という違いはあるが、袖が赤で胴が緑と黄色の縞模様と言う配色は一緒である。
^ 「別冊宝島143競馬名馬読本」より。
^ ミスターシービーがダービー、シンボリルドルフが皐月賞でインターフェアと受け取られかねない行為をしながらも、両者共に失格とはならず騎乗停止処分だけとなっている。
^ 降着制度は1991年に採用されている
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