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天馬賞

天馬賞

開催地 帯広競馬場
格付け BG1
1着賞金 100万円
距離 直線200m
出走条件 ばんえい5歳オープン
負担重量 別定重量
第1回施行日 2008年1月3日


天馬賞(てんましょう)は、帯広市が帯広競馬場で開催するばんえい競馬の重賞競走。

天馬賞 概要

4歳(明け5歳)のばんえい競走馬による重賞競走として、2007年度より新設。チャンピオン決定戦として位置づけられ、BG1に格付けされた。

明け5歳馬限定の競走はばんえい競馬ならではのものであり、平地では極めて少ない。ばんえい競馬では古馬(3歳以上)とは別に3・4歳馬によるクラス分けも行われており、3歳馬限定のチャンピオン決定戦はばんえいダービーなどがあるものの、4歳馬によるチャンピオン決定戦は明確になっていなかったため新たに本競走が創設され、4歳馬の重賞路線が整備された。

創設当初より正月開催期間に施行しており、帯広記念とともに正月開催の目玉競走として定着しつつある。
2010年度の賞金総額は150万円。1着賞金は100万円で、以下2着25万円、3着12万円、4着8万円、5着5万円。

天馬賞 歴代優勝馬

回数 施行日 開催地 天候 馬場
水分 優勝馬 性齢 ばんえい
重量 タイム 優勝騎手 管理調教師
第1回 2008年1月3日 帯広 晴 4.6% マルミシュンキ 牡5 770 1:49.1 松田道明 今井茂雅
第2回 2009年1月4日 帯広 晴 3.7% アローファイター 牡5 760 2:25.9 鈴木恵介 高嶋紳一
第3回 2010年1月3日 帯広 晴 4.2% オレワスゴイ 牡5 760 1:50.8 藤本匠 皆川公二
第4回 2011年1月3日 帯広 晴 1.9% キタノタイショウ 牡5 760 1:41.8 大河原和雄 服部義幸

報知オールスターカップ

報知オールスターカップ

開催地 川崎競馬場
施行日 2012年1月3日
格付け 南関東SIII
1着賞金 1500万円
賞金総額 2550万円
距離 ダート2100m
出走条件 サラブレッド系4歳以上・地方競馬全国交流
負担重量 別定重量
第1回施行日 1964年7月22日
特記 1着馬のみ、川崎記念への優先出走権

報知オールスターカップ(ほうちオールスターカップ)は、日本の地方競馬である川崎競馬場で行われている競馬の重賞競走(平地競走)である。報知新聞社から優勝杯の提供を受けて冠名が取られている。

報知オールスターカップ 概要

1964年創設。第1回から長きに渡り南関東所属馬限定競走だったが、2003年度(レースは2004年1月)から地方競馬の全国交流競走となった。南関東SIIIに格付けされている。

現在は川崎記念のトライアル競走となっており、この競走の1着馬には川崎記念への優先出走権が与えられる。 なお、現在の冬季ではなく、夏季に開催されていた2002年度以前は、ファン投票によって選定馬を選出していた。
距離は創設からしばらく2000mで施行され、1988年からは1600mで施行されていた。冬季開催に移行した2003年度から再び2000mに戻ったが、2006年度(レースは2007年1月)からは2100mに延長された。

負担重量は別定重量で、4歳は54キロ、5歳以上は55キロで、牝馬は2キロ減を基本とし、更に指定日までの番組賞金が4歳は4,000万円、5歳は4,500万円、6歳以上は5,000万円毎に1キロの負担が課せられる。
総額賞金は2,550万円で、1着賞金1,500万円、2着賞金525万円、3着賞金300万円、4着賞金150万円、5着賞金75万円と定められている。

報知オールスターカップ 歴代優勝馬

回数 施行日 優勝馬 性齢 所属 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1964年7月22日 オリオンホース 牡4 船橋 2:06.7 松浦備 谷口源吾
第2回 1965年7月14日 オリオンホース 牡5 船橋 2:06.0 宮下哲朗 谷口源吾
第3回 1966年7月1日 ヒガシモア 牡5 川崎 2:07.2 佐々木竹見 青野四郎
第4回 1967年7月19日 ウエルスワン 牡5 大井 2:07.1 高橋三郎 遠間波満行
第5回 1968年6月9日 イチウエルス 牡5 大井 2:07.7 高橋三郎 遠間波満行
第6回 1969年7月3日 イナズマイーグル 牡4 船橋 2:06.0 高橋三郎 梶田繁雄
第7回 1970年7月9日 アポスピード 牡4 大井 2:06.5 高橋三郎 須田茂
第8回 1971年7月15日 カヤヌマタイム 牡4 大井 2:06.4 渥美忠男 寺田時次郎
第9回 1972年6月25日 リユウトキツ 牡5 川崎 2:07.2 佐々木吉郷 新貝一雄
第10回 1973年7月4日 マルイチキング 牡4 船橋 2:05.9 角田次男 宮下仁
第11回 1974年7月1日 ウインザライン 牡4 大井 2:05.4 赤間清松 遠間波満行
第12回 1975年6月26日 マルイチダイオー 牡4 船橋 2:04.8 角田次男 宮下仁
第13回 1976年7月6日 ヒデノアラシ 牡4 川崎 2:06.6 佐々木竹見 勝又泉
第14回 1977年7月21日 ニユーエビス 牡5 川崎 2:06.2 森下博 足立関男
第15回 1978年7月20日 サンコーモンド 牡4 大井 2:07.4 赤間清松 竹内美喜男
第16回 1979年7月4日 シヤドウ 牝3 川崎 2:07.4 橘真樹 高橋正豪
第17回 1980年7月9日 モブスター 牡4 船橋 2:05.4 佐々木竹見 佐竹海治
第18回 1981年7月8日 トウケイホープ 牡5 大井 2:05.9 秋吉和美 大山末治
第19回 1982年7月7日 アズマキング 牡5 大井 2:06.7 高橋三郎 岡部猛
第20回 1983年7月6日 ミサキマリヌーン 牝6 大井 2:05.9 奥山正行 竹原眞一
第21回 1984年7月9日 ダーリンググラス 牡6 浦和 2:07.2 桑島孝春 中沢文男
第22回 1985年7月3日 トムカウント 牡6 船橋 2:06.1 石崎隆之 江川秀三
第23回 1986年6月18日 カウンテスアツプ 牡5 大井 2:07.1 的場文男 赤間清松
第24回 1987年7月15日 ガルダン 牡6 大井 2:07.3 的場文男 三坂盛雄
第25回 1988年7月27日 リユウコウキング 牡3 船橋 1:41.5 本間茂 森誉
第26回 1989年7月12日 ダイタクジーニアス 牝5 川崎 1:41.9 佐々木竹見 鳥飼春弥
第27回 1990年7月23日 コリムプリンス 牡7 船橋 1:42.0 佐々木清明 佐々木総雄
第28回 1991年7月10日 チヤンピオンスター 牡7 大井 1:41.0 高橋三郎 飯野貞次
第29回 1992年6月24日 パワーデイクター 牡5 船橋 1:39.6 田部和廣 矢熊壽
第30回 1993年7月12日 ハナセール 牡5 大井 1:42.4 高橋三郎 物井榮
第31回 1994年6月29日 ガンガデイーン 牡4 川崎 1:41.4 的場文男 安池保
第32回 1995年7月5日 アマゾンオペラ 牡4 船橋 1:42.2 石崎隆之 出川己代造
第33回 1996年7月31日 アマゾンオペラ 牡5 船橋 1:41.6 石崎隆之 出川己代造
第34回 1997年7月3日 アマゾンオペラ 牡6 船橋 1:41.0 石崎隆之 出川己代造
第35回 1998年7月3日 バンチャンプ 牡5 船橋 1:39.9 石崎隆之 出川己代造
第36回 1999年6月30日 アローセプテンバー 牡4 船橋 1:39.1 左海誠二 北川亮
第37回 2000年8月9日 サプライズパワー 牡6 船橋 1:40.6 石崎隆之 川島正行
第38回 2001年8月15日 スピーディドゥ 牡5 大井 1:41.6 内田博幸 高橋三郎
第39回 2002年8月14日 フジノテンビー 牡4 船橋 1:41.5 佐藤隆 川島正行
第40回 2004年1月2日 エスプリシーズ 牡5 川崎 2:08.6 森下博 武井榮一
第41回 2004年12月23日 ウツミジョーダン 牡4 水沢 2:08.4 小林俊彦 村上佐重喜
第42回 2005年12月23日 ケイアイミリオン 牡7 大井 2:08.0 内田博幸 中村護
第43回 2007年1月3日 ビービートルネード 牡4 川崎 2:18.0 町田直希 武井榮一
第44回 2008年1月3日 エスプリベン 牡4 川崎 2:16.9 山崎誠士 久保秀男
第45回 2009年1月3日 アンパサンド 牡5 川崎 2:15.1 御神本訓史 池田孝
第46回 2010年1月3日 マズルブラスト 牡8 船橋 2:14.9 戸崎圭太 川島正行
第47回 2011年1月3日 ボランタス 牡7 川崎 2:15.4 山崎誠士 山崎尋美
馬齢は新年齢表記に統一

報知オールスターカップからの川崎記念優勝馬

川崎記念の前哨戦として位置付けられた2003年度以降では、過去に1頭だけ川崎記念を制している。
回数 施行日 馬名 性齢 所属 着順
第40回 2004年1月2日 エスプリシーズ 牡5 川崎 1着

スターシップ

スターシップ

生年月日:2004年4月28日
毛色:芦毛
調教師(所属):鈴木 伸尋(美浦)
馬主:有限会社 社台レースホース
生産者:社台ファーム
産地:千歳市
クロフネ French Deputy Deputy Minister
Mitterand
Blue Avenue Classic Go Go
Eliza Blue
フラワーフェア ジヤツジアンジエルーチ Honest Pleasure
Victorian Queen
フアイアフラワー Dike
Pascha
本賞金 付加賞金 収得賞金
9498万円 79.4万円 平地 3500万円 障害 0万円


総合成績2011年10月23日現在
平地競走成績
種別 1着 2着 3着 4着~ 出走 勝率 連対率
GI 0 0 0 0 0 .000 .000
GII 0 0 0 1 1 .000 .000
GIII 0 0 0 3 3 .000 .000
その他重賞 0 0 0 0 0 .000 .000
重賞合計 0 0 0 4 4 .000 .000
特別 2 0 2 10 14 .143 .143
他 4 0 1 13 18 .222 .222
合計 6 0 3 27 36 .167 .167
障害競走成績
種別 1着 2着 3着 4着~ 出走 勝率 連対率
JGI 0 0 0 0 0 .000 .000
JGII 0 0 0 0 0 .000 .000
JGIII 0 0 0 0 0 .000 .000
その他重賞 0 0 0 0 0 .000 .000
重賞合計 0 0 0 0 0 .000 .000
特別 0 0 0 0 0 .000 .000
他 0 0 0 0 0 .000 .000
合計 0 0 0 0 0 .000 .000
出走レース
年月日 レース 競馬場 コース 馬場 頭
数 枠
番 馬
番 人
気 オッズ 着
順 騎手名 斤量 馬体重 タイム 上3F 通過順位 タイム差
11/10/23 ブラジ 東京 ダ2100 重(曇) 16 3 5 8 15.1 6 横山典弘 55.0 478(-2) 2.10.9 37.2 16-15-15-15 -0.8
11/09/19 エルム(GIII) 札幌 ダ1700 良(曇) 13 1 1 9 43.2 9 吉田隼人 56.0 480(-6) 1.45.5 37.6 07-06-06-08 -1.3
11/08/27 しらか 札幌 ダ1700 良(晴) 13 2 2 12 50 3 吉田隼人 55.0 486(14) 1.44.7 38.2 08-06-04-02 -0.2
10/09/20 エルム(GIII) 札幌 ダ1700 良(雨) 13 7 10 7 21.1 7 吉田隼人 56.0 472(-4) 1.44.5 36.4 09-10-11-09 -1.0
10/08/28 しらか 札幌 ダ1700 良(晴) 13 5 6 5 14.7 3 吉田隼人 55.0 476(-4) 1.44.5 37.2 11-09-07-06 -0.5
10/07/18 マリン 函館 ダ1700 良(曇) 13 4 4 7 12.6 5 吉田隼人 57.0 480(0) 1.45.2 35.9 11-12-12-11 -0.9
10/07/03 大沼S 函館 ダ1700 良(晴) 13 4 5 10 35.2 1 吉田隼人 52.0 480(-4) 1.44.4 36.7 11-11-10-09 0.0
10/06/12 ブリリ 東京 ダ2100 良(晴) 16 7 14 9 31.1 8 武士沢友治 52.0 484(6) 2.11.1 36.5 09-09-10-09 -0.8
10/05/09 オアシ 東京 ダ1600 良(晴) 16 7 14 12 58.5 4 武士沢友治 52.0 478(4) 1.35.9 35.3 10-08 -0.6
10/02/13 アルデ 京都 ダ1900 重(晴) 16 6 12 8 65.2 7 浜中俊 52.0 474(-2) 1.56.9 36.7 14-14-14-12 -1.5
09/12/26 師走S 中山 ダ1800 良(晴) 16 3 5 10 37.8 4 吉田隼人 52.0 476(13) 1.53.5 38.0 14-14-10-11 -0.7
09/05/24 東海S(GII) 中京 ダ2300 良(晴) 16 1 1 13 119.5 15 幸英明 57.0 460(-2) 2.26.1 38.0 15-15-16-16 -2.4
09/04/26 アンタ(GIII) 京都 ダ1800 重(曇) 16 2 3 13 104.7 11 上村洋行 56.0 462(-4) 1.49.4 35.9 15-13-16-16 -1.6
09/03/22 下総S 中山 ダ1800 良(雨) 16 2 3 4 10.5 1 北村宏司 54.0 466(-4) 1.52.5 37.1 11-11-07-08 0.1
09/01/24 アレキ 中山 ダ1800 不良(晴) 11 4 4 5 26.6 5 横山典弘 57.0 470(4) 1.50.9 36.1 06-06-04-06 -1.0
09/01/11 招福S 中山 ダ1800 良(晴) 16 1 1 6 8.5 7 北村宏司 54.0 466(2) 1.54.4 37.4 13-13-11-11 -0.5
08/12/07 3歳上 中山 ダ1800 良(晴) 16 2 3 2 3.6 1 北村宏司 57.0 464(2) 1.54.4 37.8 12-12-13-13 0.7
08/11/22 甲斐路 東京 ダ2100 良(晴) 16 2 3 6 17 4 北村宏司 54.0 462(0) 2.12.7 36.5 09-07-10-12 -0.5
08/10/11 3歳上 東京 ダ2100 良(晴) 16 5 9 7 17.8 6 津村明秀 57.0 462(-4) 2.11.4 37.6 12-12-11-12 -1.0
08/09/21 3歳上 中山 ダ1800 稍重(雨) 14 6 10 6 15.3 1 北村宏司 57.0 466(2) 1.52.4 36.9 11-11-10-09 0.3
08/08/17 3歳上 新潟 ダ1800 不良(晴) 14 1 1 6 13.9 10 勝浦正樹 57.0 464(6) 1.54.0 38.9 06-07-08-10 -1.7
08/04/27 4歳上 東京 ダ2100 良(晴) 13 6 8 8 29.3 6 田中博康 ☆56.0 458(-8) 2.12.1 39.2 06-06-04-04 -0.8
08/02/11 4歳上 東京 ダ2100 不良(晴) 16 7 14 14 91.8 11 津村明秀 56.0 466(12) 2.10.3 38.1 04-04-05-10 -2.9
07/12/02 3歳上 阪神 ダ2000 良(晴) 16 6 11 12 49.8 12 A.シュタルケ 56.0 454(-2) 2.07.5 39.2 05-05-08-13 -2.4
07/10/21 南武特 東京 芝2400 良(晴) 11 8 10 9 29.2 11 勝浦正樹 52.0 456(-2) 2.29.6 36.5 02-02-04-08 -2.5
07/10/08 3歳上 東京 ダ2100 良(曇) 16 7 14 9 46.1 1 津村明秀 55.0 458(-2) 2.13.6 38.5 02-02-02-01 0.1
07/08/05 3歳上 函館 芝2600 重(曇) 13 3 3 11 61.1 12 津村明秀 54.0 460(6) 2.57.2 41.4 11-11-13-13 -4.0
07/07/22 3歳上 新潟 ダ1800 稍重(晴) 15 3 4 12 38.5 11 吉田稔 54.0 454(0) 1.54.9 39.9 09-09-12-13 -3.4
07/05/12 3歳 東京 ダ1600 良(晴) 10 7 8 5 22 6 鮫島良太 ☆55.0 454(4) 1.39.0 38.8 08-09 -2.2
07/04/15 未勝利 中山 ダ1800 稍重(晴) 13 8 13 2 3.6 1 北村宏司 56.0 450(-2) 1.56.3 39.0 06-05-03-03 0.3
07/03/31 未勝利 中山 ダ1800 稍重(曇) 13 6 8 5 8.9 3 北村宏司 56.0 452(-2) 1.58.3 39.5 05-05-05-05 -1.3
07/03/18 未勝利 中山 ダ1800 良(晴) 16 6 12 8 22.7 中止 田中勝春 56.0 454(0)
06/11/19 未勝利 東京 ダ1600 良(小雨) 16 1 2 3 10.5 6 津村明秀 ☆54.0 454(2) 1.42.2 39.4 14-13 -3.3
06/11/04 未勝利 福島 ダ1700 良(晴) 15 4 7 1 1.8 5 中舘英二 55.0 452(6) 1.50.7 39.9 09-08-08-09 -1.3
06/09/02 未勝利 新潟 芝1600 良(晴) 16 3 5 4 9.4 6 後藤浩輝 54.0 446(-8) 1.36.8 34.8 04-05 -1.3
06/07/30 新馬 新潟 芝1800 良(晴) 18 7 14 5 16 5 塚田祥雄 ▲51.0 454 1.51.1 34.4 11-11 -0.6
年月日 レース 競馬場 コース 馬場 頭
数 枠
番 馬
番 人
気 オッズ 着
順 騎手名 斤量 馬体重 タイム 上3F 通過順位 タイム差

ライブコンサート

ライブコンサート

せん馬 8歳
生年月日:2004年4月8日
毛色:黒鹿毛
調教師(所属):白井 寿昭(栗東)
馬主:グリーンフィールズ 株式会社
生産者:Mrs J. Chandris
産地:愛
Singspiel In The Wings Sadler’s Wells
High Hawk
Glorious Song Halo
Ballade
Dance Lively Kingmambo Mr. Prospector
Miesque
Tivli Mt. Livermore
Bold Boston
本賞金 付加賞金 収得賞金
2億3030万円 346.9万円 平地 8500万円 障害 0万円
総合成績
条件別成績
競馬場別成績

総合成績2011年11月21日現在
平地競走成績
種別 1着 2着 3着 4着~ 出走 勝率 連対率
GI 0 0 0 7 7 .000 .000
GII 0 0 0 4 4 .000 .000
GIII 1 2 1 6 10 .100 .300
その他重賞 0 0 0 0 0 .000 .000
重賞合計 1 2 1 17 21 .048 .143
特別 5 1 2 3 11 .455 .545
他 2 3 1 3 9 .222 .556
合計 8 6 4 23 41 .195 .341
障害競走成績
種別 1着 2着 3着 4着~ 出走 勝率 連対率
JGI 0 0 0 0 0 .000 .000
JGII 0 0 0 0 0 .000 .000
JGIII 0 0 0 0 0 .000 .000
その他重賞 0 0 0 0 0 .000 .000
重賞合計 0 0 0 0 0 .000 .000
特別 0 0 0 0 0 .000 .000
他 0 0 0 0 0 .000 .000
合計 0 0 0 0 0 .000 .000
出走レース
年月日 レース 競馬場 コース 馬場 頭
数 枠
番 馬
番 人
気 オッズ 着
順 騎手名 斤量 馬体重 タイム 上3F 通過順位 タイム差
11/11/20 マイル(GI) 京都 芝1600 稍重(晴) 18 2 4 18 205.3 10 川田将雅 57.0 482(6) 1.34.7 35.9 02-02 -0.8
11/10/22 富士S(GIII) 東京 芝1600 不良(曇) 17 4 7 11 29.3 9 福永祐一 56.0 476(-2) 1.35.7 35.9 04-03 -0.7
11/06/05 安田記(GI) 東京 芝1600 良(曇) 18 6 12 16 118.5 18 藤田伸二 58.0 478(2) 1.33.9 35.7 10-11 -1.9
11/04/17 読売マ(GII) 阪神 芝1600 良(晴) 18 1 2 8 18.6 10 藤田伸二 57.0 476(0) 1.33.1 33.6 10-09 -0.8
11/04/03 ダCT(GIII) 阪神 芝1600 良(晴) 18 3 5 2 5.1 2 福永祐一 57.5 476(2) 1.33.3 33.6 04-04 -0.0
11/02/20 フェブ(GI) 東京 ダ1600 良(曇) 16 2 4 11 60.1 7 福永祐一 57.0 474(-4) 1.37.3 36.4 08-11 -0.9
11/01/05 京金杯(GIII) 京都 芝1600 良(曇) 16 2 4 2 5.5 3 岩田康誠 57.5 478(4) 1.33.6 34.1 04-03 -0.2
10/11/21 マイル(GI) 京都 芝1600 良(晴) 18 2 3 12 37.1 5 和田竜二 57.0 474(6) 1.32.0 34.8 05-05 -0.2
10/10/23 富士S(GIII) 東京 芝1600 良(晴) 17 2 3 14 92.3 2 和田竜二 57.0 468(-4) 1.33.0 34.3 03-04 -0.2
10/06/06 安田記(GI) 東京 芝1600 良(晴) 18 6 12 18 98.3 15 和田竜二 58.0 472(-16) 1.33.1 35.7 12-11 -1.4
10/04/17 読売マ(GII) 阪神 芝1600 良(晴) 18 3 6 10 28.4 15 和田竜二 57.0 488(8) 1.34.1 34.9 06-07 -1.2
10/02/28 中山記(GII) 中山 芝1800 不良(晴) 16 4 7 11 26.7 9 内田博幸 57.0 480(4) 1.53.3 39.0 05-05-07-12 -1.6
10/01/30 東京新(GIII) 東京 芝1600 良(晴) 16 8 16 7 14.7 13 岩田康誠 57.0 476(-4) 1.33.5 33.9 13-15 -1.4
10/01/05 京金杯(GIII) 京都 芝1600 良(晴) 16 4 7 5 14.3 1 岩田康誠 57.0 480(12) 1.34.1 34.6 10-09 0.1
09/12/05 鳴尾記(GIII) 阪神 芝1800 良(晴) 14 6 9 8 24.5 12 岩田康誠 56.0 468(-4) 1.47.3 34.1 04-03 -0.8
09/11/22 マイル(GI) 京都 芝1600 良(小雨) 18 8 17 13 36.8 9 岩田康誠 57.0 472(2) 1.33.7 34.1 07-07 -0.5
09/10/24 富士S(GIII) 東京 芝1600 良(曇) 18 4 8 9 13.9 9 岩田康誠 56.0 470(-6) 1.33.6 34.3 09-10 -0.3
09/08/09 関屋記(GIII) 新潟 芝1600 稍重(雨) 18 2 3 5 10.2 7 福永祐一 56.0 476(-8) 1.33.4 33.4 12-12 -0.7
09/07/05 米子S 阪神 芝1600 良(晴) 17 2 4 1 3.2 14 福永祐一 57.5 484(8) 1.33.7 34.5 09-09 -1.1
09/06/07 安田記(GI) 東京 芝1600 良(晴) 18 4 7 15 139.1 5 和田竜二 58.0 476(-2) 1.34.0 35.8 07-10 -0.5
09/05/10 都大路 京都 芝1600 良(晴) 18 1 1 5 11.5 1 和田竜二 56.0 478(-2) 1.33.0 34.0 07-03 0.0
09/04/18 読売マ(GII) 阪神 芝1600 良(晴) 10 8 9 10 34.1 10 小牧太 57.0 480(0) 1.34.6 33.6 07-08 -0.7
09/03/21 六甲S 阪神 芝1600 良(晴) 16 1 2 3 5.4 1 福永祐一 54.0 480(-2) 1.34.5 34.5 10-08 0.1
09/02/07 小倉大(GIII) 小倉 芝1800 良(晴) 16 7 13 8 23.1 14 佐藤哲三 54.0 482(2) 1.45.7 34.2 10-11-11-12 -0.8
09/02/01 節分S 東京 芝1600 稍重(晴) 16 4 7 2 5.2 1 岩田康誠 56.0 480(2) 1.35.2 35.2 09-06 0.2
09/01/04 新春S 京都 芝1600 良(曇) 16 7 14 2 4.5 3 藤岡佑介 57.0 478(-2) 1.34.6 35.0 07-06 -0.4
08/12/14 3歳上 阪神 芝1600 良(晴) 12 1 1 1 1.4 1 岩田康誠 57.0 480(-10) 1.35.1 35.1 07-07 0.3
08/11/30 アプロ 東京 芝1600 良(晴) 18 8 16 2 9.5 2 岩田康誠 57.0 490(-2) 1.34.7 33.7 08-07 -0.0
08/11/15 東山特 京都 芝1600 良(晴) 12 2 2 4 7.3 3 上村洋行 57.0 492(4) 1.33.8 34.1 03-03 -0.1
08/11/01 奥只見 福島 芝1700 良(晴) 14 3 3 2 3.9 1 中舘英二 57.0 488(0) 1.40.7 35.8 05-05-02-01 0.7
08/09/27 汐留特 中山 芝1600 良(晴) 16 7 14 2 6.6 8 松岡正海 57.0 488(0) 1.33.5 35.7 04-03-03 -0.8
08/09/15 3歳上 阪神 芝1600 良(小雨) 18 7 15 3 5.8 2 岩田康誠 57.0 488(-2) 1.33.9 34.2 02-02 -0.3
08/08/17 鹿屋特 小倉 芝1700 稍重(晴) 14 7 12 5 8.2 4 上村洋行 57.0 490(0) 1.42.6 35.5 07-09-09-09 -0.9
08/07/27 3歳上 新潟 芝1800 良(曇) 18 4 7 4 7.1 9 後藤浩輝 57.0 490(-8) 1.46.6 35.4 06-06 -1.2
07/07/28 青島特 小倉 芝1700 良(晴) 14 6 9 2 4.2 1 武豊 54.0 498(4) 1.40.6 34.8 05-06-05-06 0.0
07/07/08 未勝利 阪神 芝1600 良(晴) 18 6 11 1 1.3 1 武豊 56.0 494(0) 1.34.2 34.3 04-07 0.1
07/06/23 未勝利 阪神 芝1600 良(晴) 18 2 4 1 2.5 2 武豊 56.0 494(4) 1.34.4 33.8 08-06 -0.2
07/06/02 未勝利 東京 芝1800 良(晴) 18 5 10 2 4.4 2 岩田康誠 56.0 490(6) 1.47.3 34.5 04-07-05 -0.1
07/05/13 未勝利 東京 芝1600 良(曇) 14 3 3 5 17.1 3 岩田康誠 56.0 484(12) 1.34.8 35.0 08-09 -0.4
07/01/27 未勝利 京都 ダ1200 良(晴) 11 4 4 5 30.6 9 川田将雅 56.0 472(-2) 1.14.2 36.7 09-09 -1.0
07/01/14 新馬 京都 ダ1400 良(曇) 13 6 9 7 21.2 6 川田将雅 56.0 474 1.28.0 39.0 05-03 -1.1
年月日 レース 競馬場 コース 馬場 頭
数 枠
番 馬
番 人
気 オッズ 着
順 騎手名 斤量 馬体重 タイム 上3F 通過順位 タイム差

イケドラゴン

イケドラゴン
牡7歳  栗毛
父:ニューイングランド 母:キクカフローラル 母父:サクラユタカオー 血統
2005年3月20日生  新冠産  
厩舎:(美浦北)石毛 善彦  生産者:泉渕瀬牧場  馬主:池田 豊治
本賞金:27,000,000円  総賞金:70,800,000円  障害本賞金:0円  障害総賞金:0円  附加賞:649,000円
平地重巧拙:◎  平地ダ巧拙:–  障害重巧拙:–  障害ダ巧拙:–
【トータル戦績】
1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
4 2 3 23 0.125 0.188

__ 【連対時脚質】
逃 先 差 追
2 1 2 1

【戦歴(全32走)】
年月日 開催 R レース名 頭 枠 馬 人 着 騎手 斤量 距離 コース タイム 2 M 3 4 前3F 後3F 差 馬体重 増減 備考
2011/12/17 5中山5 11 ディセンバーステークス(OPEN) 16 1 1 13 5 木幡 56.0 1800m (芝)右内A M 1.47.4 02 02 03 02 36.6 36.2 0.4 542 +8  
2011/11/06 5東京2 11 アルゼンチン共和国杯(G2) 18 8 17 18 17 丸山 51.0 2500m (芝)左B S 2.34.0 14 15 15 15 38.9 37.1 2.5 534 +6  
2011/10/15 4東京4 11 アイルランドトロフィー(OPEN) 11 8 11 11 11 江田照 56.0 2000m (芝)左A H 2.01.9 10 10 10 10 38.3 34.8 1.3 528 +10  
2011/05/28 3東京3 11 目黒記念(G2) 18 5 10 16 15 中谷 52.0 2500m (芝)左C M 2.35.1 03 06 06 05 36.0 38.7 2.6 518 -10  
2011/05/08 1新潟6 11 新潟大賞典(G3) 16 2 3 13 10 大野 52.0 2000m (芝)左外B M 1.59.9 — 11 11 11 37.3 35.6 1.5 528 +6  
2011/04/03 2阪神4 11 大阪杯(G2) 15 5 9 15 11 柴田善 57.0 2000m (芝)右内B M 1.59.0 10 10 09 11 37.0 35.2 1.2 522 -18  
2011/02/19 1東京7 11 ダイヤモンドステークス(G3) 16 5 10 10 11 丸山 52.0 3400m (芝)左D S 3.34.3 02 02 03 03 38.3 37.4 2.4 540 0  
2011/01/05 1中山1 11 中山金杯(G3) 16 7 14 15 7 大野 52.0 2000m (芝)右内C S 2.00.1 02 03 02 03 36.6 34.7 0.3 540 +8  
2010/08/29 3新潟6 11 新潟記念(G3) 17 5 10 12 10 丸山 52.0 2000m (芝)左外A S 1.58.9 — 02 02 02 36.4 34.8 0.5 532 0  
2010/07/11 2福島8 11 七夕賞(G3) 16 6 11 5 6 丸山 52.0 2000m (芝)右B S 2.00.6 02 04 04 02 36.5 35.7 0.2 532 +6  
2010/05/30 3東京4 12 目黒記念(G2) 12 6 8 9 2 丸山 51.0 2500m (芝)左C S 2.34.9 01 01 01 01 37.1 34.1 0.1 526 -2  
2010/05/01 2東京3 10 府中ステークス (1600万下) 18 2 3 7 12 柴田善 54.0 2000m (芝)左A S 2.01.7 07 07 07 11 37.5 34.4 0.7 528 -6  
2010/03/28 3中山2 10 常総ステークス (1600万下) 14 7 11 5 7 中舘 57.0 2000m (芝)右内A M 2.02.7 04 07 07 07 37.3 36.0 0.6 534 -6  
2010/03/07 2中山4 9 富里特別 (1000万下) 16 1 2 4 1 柴田善 55.0 1800m (芝)右内A M 1.52.5 06 07 07 07 38.3 36.4 0.0 540 +4  
2010/02/20 1東京7 9 調布特別 (1000万下) 14 6 9 7 4 柴田善 57.0 2000m (芝)左D M 2.00.8 02 02 02 03 36.6 35.2 0.4 536 -16  
2009/12/19 4中京3 12 天竜川特別 (1000万下) 16 3 6 7 7 中舘 54.0 2500m (芝)左A S 2.33.8 02 02 05 05 36.9 36.1 0.6 552 +12  
2009/11/28 5東京7 10 オリエンタル賞 (1000万下) 14 8 13 5 8 三浦 57.0 2000m (芝)左C S 2.00.8 08 08 09 09 37.6 33.8 0.9 540 -4  
2009/10/31 4東京7 7 サラ3歳以上500万以下 8 7 7 2 1 三浦 57.0 2000m (芝)左B S 2.01.7 07 07 07 07 38.7 33.2 0.1 544 0  
2009/10/25 4東京6 8 サラ3歳以上500万以下 17 8 15 2 3 中谷 57.0 1800m (芝)左A S 1.49.3 03 05 07 07 37.1 34.8 0.2 544 +4  
2009/10/11 4東京2 7 サラ3歳以上500万以下 18 8 18 12 3 中谷 57.0 2000m (芝)左A S 2.00.3 05 06 06 06 37.0 34.3 0.1 540 +10  
2009/07/18 1札幌9 10 サラ3歳以上500万以下 12 2 2 7 8 宮崎北 55.0 2400m (ダ)右 M 2.37.3 06 04 06 08 39.7 38.9 1.8 530 0  
2009/07/04 1札幌5 8 夕張特別 (500万下) 14 6 10 2 11 藤田 57.0 2000m (芝)右A M 2.03.1 04 07 06 09 37.1 36.0 1.3 530 +2  
2009/06/14 3東京8 7 サラ4歳以上500万以下 18 2 3 7 1 柴田善 57.0 1800m (芝)左C S 1.48.4 05 05 03 03 36.6 34.3 0.0 528 +4  
2009/05/30 3東京3 8 サラ4歳以上500万以下 13 4 5 5 3 柴田善 57.0 2400m (芝)左C S 2.31.0 07 07 08 08 38.2 34.8 0.5 524 +10  
2009/05/17 1新潟6 12 春日山特別 (500万下) 10 5 5 6 6 大野 57.0 2000m (芝)左外B S 2.04.0 — 07 06 07 38.4 35.1 0.5 514 -20  
2008/10/26 3福島2 8 サラ3歳以上500万以下 16 3 5 4 6 大野 55.0 2000m (芝)右A M 1.59.7 08 08 09 10 35.1 36.0 0.4 534 -6  
2008/09/28 4中山6 12 サラ3歳以上500万以下 12 8 12 4 7 小野次 54.0 2000m (芝)右内C S 2.01.7 02 03 03 03 36.9 35.8 0.4 540 0  
2008/08/30 3新潟5 12 サラ3歳以上500万以下 18 8 18 7 2 小野次 54.0 2000m (芝)左内A S 2.02.0 03 03 02 02 37.0 35.0 0.0 540 +2  
2008/08/09 2新潟7 7 サラ3歳,未勝利 18 8 18 6 1 小野次 56.0 2200m (芝)左内A M 2.13.4 01 01 01 01 35.0 36.1 0.0 538 -4  
2008/07/13 2福島8 4 サラ3歳,未勝利 15 7 12 7 11 勝浦 56.0 1700m (ダ)右 H 1.49.6 06 05 07 09 37.3 41.0 2.3 542 +12  
2008/03/08 2中山3 2 サラ3歳,未勝利 12 4 4 3 8 勝浦 56.0 1800m (ダ)右 M 1.58.3 10 11 09 08 38.4 40.0 2.2 530 -2  
2008/02/17 1東京6 4 サラ3歳,新馬 16 3 5 9 7 勝浦 56.0 1800m (芝)左D S 1.53.0 08 08 09 09 39.4 34.2 0.6 532 0  
「R」の背景色: _ 良馬場 _ 稍重馬場 _ 重馬場 _ 不良馬場
「着」の背景色: _ 1着 _ 2着 _ 3着 _ 着外

【レース条件別成績】
コース 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
平地

芝 右 1 0 0 8 0.111 0.111
左 3 2 3 12 0.150 0.250
ダ 右 0 0 0 3 0.000 0.000
左 0 0 0 0 0.000 0.000
直線トータル 0 0 0 0 0.000 0.000
障害トータル 0 0 0 0 0.000 0.000

【馬場状態別成績】
コース 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
平地 芝 良 3 2 1 16 0.136 0.227
稍重 0 0 1 4 0.000 0.000
重 1 0 1 0 0.500 0.500
不良 0 0 0 0 0.000 0.000
ダ 良 0 0 0 3 0.000 0.000
稍重 0 0 0 0 0.000 0.000
重 0 0 0 0 0.000 0.000
不良 0 0 0 0 0.000 0.000
障害 良 0 0 0 0 0.000 0.000
稍重 0 0 0 0 0.000 0.000
重 0 0 0 0 0.000 0.000
不良 0 0 0 0 0.000 0.000

【距離別成績】
コース 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
芝   ~1000m 0 0 0 0 0.000 0.000
1001~1200m 0 0 0 0 0.000 0.000
1201~1400m 0 0 0 0 0.000 0.000
1401~1600m 0 0 0 0 0.000 0.000
1601~1800m 2 0 1 2 0.400 0.400
1801~2000m 1 1 1 14 0.059 0.118
2001~2200m 1 0 0 0 1.000 1.000
2201~   0 1 1 4 0.000 0.167
ダ   ~1000m 0 0 0 0 0.000 0.000
1001~1200m 0 0 0 0 0.000 0.000
1201~1400m 0 0 0 0 0.000 0.000
1401~1600m 0 0 0 0 0.000 0.000
1601~1800m 0 0 0 2 0.000 0.000
1801~2000m 0 0 0 0 0.000 0.000
2001~2200m 0 0 0 0 0.000 0.000
2201~   0 0 0 1 0.000 0.000

ディープインパクト 日本競馬史上の最強馬!?

ディープインパクトは、日本競馬史上の最強馬かも知れませんね。

次点はシンボリルドルフかなあ。

オルフェーブル、どこまでこの2頭に迫れるのか、2012年が勝負でしょうね。

ディープインパクトの産駒が無敗でクラシック三冠・有馬・JC・秋天・宝塚の国内7冠を制し、さらに海外G1も勝ち無敗8冠又は9冠で引退・・というドリームも今後ありうるかもしれません。

ブリランテ・ワールドエース・アダムスピーク・スピルバーグなど2012年の飛躍が期待できる馬たちが多いですからね。

ディープインパクト

現役期間 2004年 – 2006年
英字表記 Deep Impact
香港表記 大震撼
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 2002年3月25日
抹消日 2006年12月25日
父 サンデーサイレンス
母 ウインドインハーヘア
母の父 Alzao
生国 日本(北海道早来町)
生産 ノーザンファーム
馬主 金子真人→金子真人ホールディングス(株)
調教師 池江泰郎(栗東)
厩務員 市川明彦
競走成績
生涯成績 14戦12勝
(中央競馬13戦12勝)
(フランス1戦0勝)
獲得賞金 14億5455万1000円
※歴代2位(引退時)
WTRR L124-E118 / 2005年
L127-E123 / 2006年
勝ち鞍 GI:皐月賞(2005年)、東京優駿(2005年)、
菊花賞(2005年)、天皇賞(春)(2006年)、
宝塚記念(2006年)、ジャパンカップ(2006年)、
有馬記念(2006年)
GII:弥生賞(2005年)、神戸新聞杯(2005年)
阪神大賞典(2006年)

ディープインパクト(Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 – )は史上6頭目のクラシック三冠馬(史上2頭目の無敗での三冠馬)である。

2005年(平成17年)、2006年(平成18年)JRA賞年度代表馬、2005年(平成17年)JRA賞最優秀3歳牡馬、2006年(平成18年)JRA賞最優秀4歳以上牡馬。 2008年(平成20年)にはJRA顕彰馬に選出された。

ディープインパクト デビュー前

ディープインパクト ノーザンファーム時代

ディープインパクトは2002年(平成14年)3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた[注 2]。ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと証言している。

0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。

ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した[3]。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。

広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと証言している。

1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した[5]。その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった[6]。

ディープインパクト 池江泰郎厩舎に入厩

ディープインパクトと池江泰郎

ディープインパクトは2004年(平成16年)4月15日にに早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[7]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。

入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。

その後12月に武豊騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。調教を終えると武豊は調教助手の池江敏行に「この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し、翌年の活躍に期待した。

ディープインパクト 現役競走馬時代

ディープインパクト 2歳~3歳(2004年 – 2005年)

ディープインパクト 新馬戦から東京優駿まで

2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちにきさらぎ賞・金鯱賞・かきつばた記念・マイラーズカップに優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利。

レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。

続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。

レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。

またこの時点で三冠達成を確実視する声もあった。

さらに中山競馬場での第42回弥生賞。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルトや京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに[14]勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と、1951年のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し後手を踏み、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。

さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めて鞭を入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。

フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。勝利騎手インタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」と言葉を残した。レース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした。

これはシンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ事実上の三冠宣言であった。

ディープインパクト 2005年5月29日、東京競馬場にて、第72回東京優駿

迎えた東京優駿。当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた[16]。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。

スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。

そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。
対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。


ディープインパクト 三冠達成、そして有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し[19]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[20]。放牧に出されずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[19]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた。

秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。


ディープインパクト 2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞

そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた[21]。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。

この単勝支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位[注 5]、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった。

レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かったため、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線では先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。

シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。


第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場にて撮影。ハーツクライの2着に敗れ、デビュー戦からの連勝記録が7で途絶える)
菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した。

事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆[23]が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。

レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。

2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト 4歳(2006年)

ディープインパクト 阪神大賞典から宝塚記念まで

1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスとフランスの凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された。

2006年(平成18年)の初戦となった阪神大賞典は初めて経験する稍重馬場だったが、レースでは3コーナーで進出を開始して4コーナーで先頭に並ぶと、最後の直線でデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず、決勝戦手前では武豊が抑える余裕を見せ3馬身半の差で優勝。順調なスタートを切った。


ディープインパクト 2006年4月30日、京都競馬場にて、天皇賞(春)

4月30日、続く第133回天皇賞(春)。単勝支持率は当競走史上最高となる75.3パーセント(オッズは1.1倍)を記録した。スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。

そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して[注 7]先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。

勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった。しょうがない」と言うほどの内容だった。武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い[26]、海外遠征での勝利に期待感を示した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。

5月8日、調教師の池江によって凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され[注 8][7]、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念[注 9]に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。

当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。

ディープインパクト 凱旋門賞


凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年(平成18年)7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。

ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた[27]。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。

10月1日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。

この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか[30]、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた[31]。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。

レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている。

そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している[36]。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭[注 10]に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている。

ディープインパクト 日本帰国からジャパンカップまで

ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた[27]。その後、調教師の池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。

10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した[38]。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。

しかしそのわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された[39]。そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された。

天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで[40]回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。

同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。

レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって万歳三唱をした。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた喘鳴症(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。

ディープインパクト 有馬記念、引退まで

ディープインパクト 2006年12月24日、中山競馬場にて、有馬記念

そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続で(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。単勝支持率は70.1パーセント(オッズ1.2倍)で、1957年にハクチカラが記録した76.1パーセントに次ぐ史上2位となった。

レースでは道中後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」[41]「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」[42]と言うほどのレース内容だった。また、このレースでシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並ぶ史上3頭目(当時[注 11])の中央競馬GI7勝の最多タイ記録を達成し、獲得賞金ランキングでもテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクインした。

この後ウイニングランは行われなかったが、その理由について武豊は、ゴールを過ぎてから走るのを嫌がったためだと語っている[43]。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の2本指が加わって七冠を表す7本指ができた(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)。

そして有馬記念当日の全競走が終了したあとに引退式が行われた。約5万人[44]のファンが見守る中、厩務員の市川と調教助手の池江に曳かれながら、武豊を背に同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。

2006年のJRA賞では年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬に選出された。年度代表馬は2年連続の受賞だった[注 12]。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。昨年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト 競走馬引退後

ディープインパクト 2007年5月11日、社台スタリオンステーションにて

2006年12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。それからディープインパクトは、父サンデーサイレンスやノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした「功労馬厩舎」と呼ばれている厩舎で過ごすことになった。同スタリオンでの担当厩務員はノーザンテーストを担当していた森田敬治である。

2007年2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった[47]。以後は同スタリオンで繋養される一部の内国産種牡馬と同様、放牧地にいる間の一般見学が可能になっているが、本馬にのみ専門の警備員が付き添う形になっている。

2008年5月8日、平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票(得票率86.6パーセント)を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された。それを記念してJRA競馬博物館の1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り記念展」が5月17日より開催され、馬主服の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時に装着した蹄鉄などが展示された。

2010年5月2日に京都競馬場で第12競走として開催されるJRAプレミアムレース「京都ゴールデンプレミアム」の人気投票において当馬が最多得票を獲得し、「ディープインパクトメモリアル」の副名称を付与して開催された。

ディープインパクト 種牡馬時代

初年度(2007年)の種付料は当時の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円であった[注 13]。初年度は日本国内の新種牡馬の中では最多となる206頭に種付けを行い[50]、2008年1月9日には初産駒が鳥井牧場で誕生した(牝馬。母ロングディライト)。

2008年7月15日と7月16日に行われたセレクトセール2008当歳馬セールにて産駒が初めてセリに出され、2日間で総勢36頭が登場して31頭が落札された。最高落札価格馬は初日に登場したビワハイジの2008で、2億2000万円という高値で島川隆哉に落札された[注 15]。最終的にこの2日間でディープインパクト産駒の総売却額は19億1000万円、1頭平均売却額約6161万円となり、2006年にキングカメハメハが記録した新種牡馬産駒の総売却額17億4500万円、1頭平均売却額約5629万円の記録を更新し、売却頭数31頭は2006年のキングカメハメハと同数となった。

2010年に初年度産駒がデビューした。6月26日に福島競馬場で行われたメイクデビュー福島にてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、11月21日に京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年にアグネスタキオンが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。さらに11月27日には京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。

これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。さらに12月25日には阪神競馬場で行われたラジオNIKKEI杯2歳ステークスでダノンバラードが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。

最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳リーディングサイアーに輝いた。なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった。

翌2011年にはマルセリーナが桜花賞を制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした。また、その年に行われた安田記念ではリアルインパクトが3歳馬ながら古馬を相手に勝利した。10月22日には産駒がJRA年間100勝を達成したが、産駒がデビューして2年目の同日における達成は最速記録だった。この年は最終的にJRAのサイアーランキングではキングカメハメハに次ぐ2位(中央競馬と地方競馬の合算では4位)、2歳部門ではJRAと中央・地方合算の総合部門でともに2年連続でリーディングサイアーとなった。

ディープインパクト 競走成績

年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量[kg] 距離(馬場) タイム
(上り3F) タイム
差 勝ち馬/(2着馬) 馬体重
[kg]
2004. 12. 19 阪神 2歳新馬 9 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 55 芝2000m(良) 2:03.8 (33.1) -0.7 (コンゴウリキシオー) 452
2005. 1. 22 京都 若駒S OP 7 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:00.8 (33.6) -0.9 (ケイアイヘネシー) 450
3. 6 中山 弥生賞 GII 10 8 10 1.2(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:02.2 (34.1) 0.0 (アドマイヤジャパン) 446
4. 17 中山 皐月賞 GI 18 7 14 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2000m(良) 1:59.2 (34.0) -0.4 (シックスセンス) 444
5. 29 東京 東京優駿 GI 18 3 5 1.1(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:23.3 (33.4) -0.8 (インティライミ) 448
9. 25 阪神 神戸新聞杯 GII 13 6 9 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 1:58.4 (34.1) -0.4 (シックスセンス) 448
10. 23 京都 菊花賞 GI 16 4 7 1.0(1人) 1着 武豊 57 芝3000m(良) 3:04.6 (33.3) -0.3 (アドマイヤジャパン) 444
12. 25 中山 有馬記念 GI 16 3 6 1.3(1人) 2着 武豊 55 芝2500m(良) 2:32.0 (34.6) 0.1 ハーツクライ 440
2006. 3. 19 阪神 阪神大賞典 GII 9 2 2 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3000m(稍) 3:08.8 (36.8) -0.6 (トウカイトリック) 442
4. 30 京都 天皇賞(春) GI 17 4 7 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3200m(良) R3:13.4 (33.5) -0.7 (リンカーン) 438
6. 25 京都 宝塚記念 GI 13 6 8 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝2200m(稍) 2:13.0 (34.9) -0.7 (ナリタセンチュリー) 442
10. 1 ロンシャン 凱旋門賞 G1 8 2 1 1.5(1人) 失格 武豊 59.5 芝2400m(良) 3位入線 Rail Link 計不
11. 26 東京 ジャパンC GI 11 6 6 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:25.1 (33.5) -0.3 (ドリームパスポート) 436
12. 24 中山 有馬記念 GI 14 3 4 1.2(1人) 1着 武豊 57 芝2500m(良) 2:31.9 (33.8) -0.5 (ポップロック) 438
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。


ディープインパクト 種牡馬成績

ディープインパクト 年度別成績

年 総合(中央+地方) 中央
出走 勝利 順位 AEI 収得賞金 出走 勝利 順位 AEI 収得賞金 頭数 回数 頭数 回数 頭数 回数 頭数 回数
2010年 74 189 35 43 40 1.82 5億4074万3000円 74 187 34 41 35 1.17 5億3704万3000円
2011年 210 961 111 150 4 3.02 24億8904万8000円 206 879 100 135 2 1.94 24億5909万4000円
2011年終了時点。

ディープインパクト 代表産駒

太字はGI競走
2008年産
リアルインパクト(安田記念)
マルセリーナ(桜花賞)
ボレアス(レパードステークス)
フレールジャック(ラジオNIKKEI賞)
トーセンラー(きさらぎ賞)
ダノンバラード(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
2009年産
ジョワドヴィーヴル(阪神ジュベナイルフィリーズ)
アダムスピーク(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
ディープブリランテ(東京スポーツ杯2歳ステークス)

ディープインパクト 特徴

ディープインパクト レーススタイル

後方待機からの強烈な追い込みが身上であった。道中は中団から後方につけ、3~4コーナーから一気にまくりあげて他馬をごぼう抜きするというレーススタイルでGI競走7勝を挙げた。主戦騎手の武豊は、新馬戦の追い切りの際に少しスピードがありすぎると感じたため、ゆったりとしたレースをさせるようにしたと述べている[53]。また、ゲートの中でじっとしているのが嫌いで落ち着きがなかったため、スタートが上手くできず出遅れることが多かったことも、追い込みという脚質になった一因だとされている。

ディープインパクトの強みは優れた瞬発力とスピード、そして末脚の持続力である。実際、上がり3ハロンのタイムは日本国内の競走では全競走で出走馬中最速であり、東京優駿(当時)、菊花賞、天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念(4歳時)などでは史上最速であった。

また、天皇賞(春)ではいつも通りの後方待機策から残り600メートル付近で早くも先頭に立ったにもかかわらずそのまま押し切っており、そのトップスピードの持続力は卓越していた。武豊は東京優駿後のインタビューで「この馬は瞬発力が続くんです。ド~ンとゴールまでそのまま行く」と答えている。調教師の池江泰郎も、瞬発力に優れ、しかも長くいい脚を使うのはディープインパクトの強さを感じるところだと述べている。

反面、ほかの馬と馬体を併せるレースとなった弥生賞ではクビ差とディープインパクトにしては僅差での勝利、同じようにほかの馬と馬体を併せる形となった凱旋門賞では3位入線と敗れている。調教助手の池江敏行はこのことに関して、「馬体を併せると、本気で走らない気がする」とディープインパクトの引退後に語っている[57]。武豊も自身の『武豊TV!』内の2006年有馬記念を回顧する回において、「弥生賞や負けた有馬記念、そして凱旋門賞と馬体を併せる形になったレースでは伸びなかった。

勝ったレースはすべて大外から一気に馬を抜き去り圧勝した。はっきりしたことは分からないし断言できないが、馬体を併せると物見(馬を見る)をする。相手に合わせて走ってしまう。反面、単走やそれに近い状況なら、調教でもレースでも力を発揮した。ジャパンカップ前に自ら志願して、初めて単走で追い切ったのはそのため」と語った。

ディープインパクト 身体的特徴

ディープインパクトはレース時の体重が436~452キログラムで、サラブレッドとしては小さな体型である。デビュー戦の452キログラムがもっとも重く、最低体重を記録したのは引退レースの1戦前であるジャパンカップだった。

出走したGI競走の中でも、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2005年)・ジャパンカップ・有馬記念(2006年)では出走馬の中で最低の馬体重だった。馬体が小さいため、当初は他馬に揉まれ弱いという声もあったが、他馬に揉まれながらも皐月賞に勝利したあとは「大型馬よりも故障のリスクが小さい」と馬体の小ささが肯定的に見られるようになった[58][59]。種牡馬入りのときの健康チェックでは体高が164センチメートルだったが、社台スタリオンステーションの徳武英介は、父サンデーサイレンスと同じサイズで体格的に種付けは心配ないと述べている。

馬体に関しては、バランスの良さを指摘する声もある。共同通信社の永井晴二はディープインパクトの馬体について、「ボリューム感に欠ける」ものの、「よく見ると実にバランスの取れた馬体」をしていて「すべてがコンパクトにまとまっている」と評している[61]。サラブレッドクラブ・ラフィアン前代表の岡田繁幸は、「お尻のつく位置や骨の太さなど、すべてのバランスがいい」と述べている。

また、体の柔らかさも指摘されている。ノーザンファーム早来時代に育成を担当したスタッフは、「やわらかくて、ゴム鞠のように弾むようなバネがあった」と証言している[6]。また、同ファーム場長の秋田博章もディープインパクトが坂路を走る様子を見て、今まで見たことがないような柔軟性があり、まるで「ネコ科の動物」が走っているようだったと語っている。

装蹄師の西内荘は、犬や猫などのように後ろ脚で耳を掻くことができるほど体が柔らかいと発言している[注 18][64]。サラブレッドクラブ・ラフィアンの岡田は「筋肉の質がよくて柔軟性に富んでいる」と述べ、そのため伸び縮みが自在になると考察している[62]。武豊はその柔軟性の高さを「チーター」にたとえている。

さらに、GI馬に共通した特徴である薄い蹄を持っている[66]。皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、東京優駿に向かうにあたってこの点が問題になった。蹄が薄い馬の場合、蹄鉄を釘で固定すると馬がストレスを感じるためである[67]。また、皐月賞が終わると蹄もボロボロになり、釘を打てる場所がなくなっていた。

そこで装蹄師の西内は、新しい方法で蹄鉄を装着して東京優駿に臨むことにした。それは、装締によって蹄に負担がかからないように従来の釘による装締を止め、クッションの役割を果たすシューライナーという素材を蹄に貼り、その上にエクイロックスという特殊な接着剤で蹄鉄を蹄に装着する方法であった[67][68]。ディープインパクトはこの方法により装着された蹄鉄で東京優駿に勝利した。

ディープインパクト 走る時の特徴

装蹄師の西内はディープインパクトの蹄鉄の減りがほかの馬に比べて遅いことを証言している[70]。実際、エアシャカールやアグネスワールドが2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比較すると、ディープインパクトの蹄鉄のほうが減りが少なかった[71]。西内はその理由について、地面をがっちりと捕まえるディープインパクトの走り方を挙げている。西内によれば、本来競走能力の高い馬は蹄鉄の減りが早いのだが、ディープインパクトの場合はそのような走法のために摩擦が少なく蹄鉄が減りにくいという。

心肺機能がほかの馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s・メートル毎秒)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間を「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものである(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)。3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6であるのに対し、ディープインパクトはデビューの時点で16.3を示した[72]。HR100も一般的な3歳馬は10分以上かかるが、皐月賞のときにディープインパクトが記録したのは2分42秒であった[73]。

走り方も無駄がなく効率的なものとなっている。JRA競走馬総合研究所が菊花賞のディープインパクトの走りを研究したところによると、武豊の「走っていると言うより飛んでいる感じ」という言葉に反して、ディープインパクトは4本の脚がすべて地面についていない時(エアボーン)の時間がほかの馬の平均である0.134秒よりも短く、0.124秒だった。

しかし、その間の移動距離は長く、ほかの馬の平均が2.43メートルであるのに対し、ディープインパクトは2.63メートルだった[74][75]。同研究所の高橋敏之は、エアボーンの時間の短いほうが無駄な力を使わず、空気抵抗も少ないため、効率がいい走法になっていると結論付けた[76]。さらに、2本の脚が同時に地面に着いている時間が少ないことも指摘し、このために着地時にスピードが落ちにくくなるとも述べている。この脚と脚が同時に着いている時間が短いという特徴は、アメリカの三冠馬セクレタリアトにも見られるという[64]。

ディープインパクト 気性・性格・知能の特徴

武豊は「走ろうとする気持ちが強すぎるので、乗る立場からすれば難しい馬」[54]「この馬が本気で行きだしたら止めるのは容易じゃない」[77]と語っている。

3歳時はほかの馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労するほどで、さらに調教で馬場に出るときに尻っ跳ねをする癖があった[78]。パドックでもうるさい様子を見せており、とくに東京優駿では焦れ込んで馬場入りのときと同じように尻っ跳ねをする仕草もした。3歳夏の札幌競馬場でのトレーニングでは、これらの癖を直すための調教もされた。このトレーニングが功を奏したのか、その後はある程度改善され、4歳時の有馬記念前の調教では他馬に反応することも尻っ跳ねをすることもなくなった[79]。


普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃまくん」のニックネームで呼ばれていた[80]。「素直な性格」[81]で「天然」[82]だと厩務員の市川は述べている。調教師の池江はディープインパクトを「とてもおとなしい」馬だと言い、さらに「人間が好き」で「優しい馬」だと表現している[83]。競走馬時代の担当の獣医師も、ディープインパクトは「性格が気さく」であり、これほど性格が良い馬はそういないと語っている[84]。種牡馬となってからの担当厩務員である森田敬治は、自分が人間よりも上の立場だということを誇示したがるほかの種牡馬と違って、ディープインパクトは人間と対等の立場で接してくると証言している[85]。

非常に利口な馬でもあり、調教助手の池江敏行によると、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えてしまうという[86]。武豊も頭の良さは認めており、菊花賞でディープインパクトが一周目のホームストレッチでかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまった(=そこまでに先頭に立たなければならないと勘違いした)からだと証言している[87]。

ディープインパクト 評価

ディープインパクト 公式レイティングによる評価
2005年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは長距離(ロング:Long – 2101メートル~2700メートル)でのパフォーマンスが124ポンドと評価された。ほかの距離区分も含め総合9位、3歳馬の中では4位にランクされた。超長距離においては118ポンドに評価され、この距離区分では世界1位となった。

2006年の同ランキングでは長距離で127ポンドに評価され、インヴァソール・バーナーディニ・ディスクリートキャットに続く総合4位タイ、芝部門ではレイルリンク・ジョージワシントンと並び世界1位タイにランクされた。ちなみにこれは1999年におけるエルコンドルパサーの134ポンドに次ぐ日本調教馬歴代2位のレイティングである。

超長距離部門では123ポンドに評価され前年と同様、世界1位だった。

また、2006年7月10日にIFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」の2006年1月1日から7月10日までの集計分では125ポンドに評価された。このレイティングにより、集計期間内にタターソールズゴールドカップ(アイルランドG1)に勝利していたハリケーンラン、また、同じく集計期間内にコロネーションカップ(イギリスG1)を制していたシロッコと並び、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて世界1位にランクされた。

ディープインパクト 競馬関係者による評価
ディープインパクトを管理する調教師の池江泰郎は、3歳春の時点で同馬を「理想的なサラブレッド」と言い、長所として騎手の指示に対する反応の良さを挙げている[88]。また主戦騎手の武豊は、弥生賞後のインタビューで、同馬の長所は何かという質問に対して負けないところだと答えている[89]。その後武豊は、負けないという意味は「すべての面でほかの馬を圧倒している」ということだと発言している[90]。

菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬のシンボリルドルフとの比較という点においては、同馬の主戦騎手だった岡部幸雄が「ルドルフのほうが強い。ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」、「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる」と答えている。しかし同時に、自ら「ディープインパクトの追っかけ」[91]と言うほどのファンでもあり、凱旋門賞のときは声を荒げて応援していた。

一方、ノーザンファーム場長の秋田博章は、「ルドルフはソツのないレース巧者」で「優等生という印象」と言ったうえで、「ディープの強さは並ぶ間もない圧倒的なもの」と発言し、「一枚上」だと評価した[92]。柴田政人の場合は菊花賞のあとに「ルドルフを超えたというよりもすごい馬が現れたと感じている。潜在能力がまさにケタ違い」と評している[93]。

競馬評論家の井崎脩五郎は、ディープインパクトの新馬戦の翌日に行われたイベントで「今まで(=数十年間)見てきた中で、一番『これは強い』と思ったレースは?」と振られ「昨日のディープインパクトの新馬戦」と答えた。その後井崎は、ディープインパクトのことを「競馬史上の最強馬」ではないかと発言した。その理由として、名馬のレースで「なんだこれ!?」と感じるのは1頭に1回だが、ディープインパクトの場合は新馬戦と2戦目の若駒ステークスの2回連続でそう感じたことを挙げている[94]。

また、競馬評論家の合田直弘は日本国外にもディープインパクトを高く評価する競馬記者が複数存在することを証言している。合田が指摘しているように、イギリスのレーシング・ポスト紙は2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレイティングが日本の競馬のレベルを低く見すぎていて保守的であると不満を唱え、独自のレイティングでディープインパクトを133ポンドで世界一にしている。合田によると、香港にも「35年間競馬を見てきた中でディープインパクトは一番印象的だった馬」と述べ、ディープインパクトに高評価を与えた記者がいるという[95]。

ディープインパクト 投票による評価

競馬雑誌『優駿』(2010年8月号)が同誌の創刊800号を記念して読者・ライター・評論家・編集者の投票により決定した「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち The Greatest Horses 100」のランキングでは、読者部門とライター・評論家・編集者部門でともに第1位に選ばれ、この2つを合計した総合部門では14074ポイントを獲得し第1位となった[96]。なお読者部門では、10代~60代以上のすべての世代で第1位に選ばれている[97]。

競走馬時代には、出走したJRA主催の全競走において単勝式馬券で1倍台の1番人気に支持された。その中でもGI競走では、東京優駿・天皇賞(春)・宝塚記念・ジャパンカップで史上最高の単勝支持率、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2006年)で史上2位となる単勝支持率を記録した。

ディープインパクト 人気・注目度

ディープインパクト 社会現象に

現役競走馬時代、ディープインパクトの存在は社会現象となり[21][98]、高い注目を集めた。NHKで中継された2006年の凱旋門賞の平均視聴率は関東で16.4パーセント、関西で19.7パーセントを記録し、また瞬間最高視聴率は関東で22.6パーセント、関西で28.5パーセントを記録した[32]。

そのような高い注目と相まって、競馬専門誌やスポーツ新聞だけでなく一般の新聞・雑誌・テレビ番組などのメディアもその存在を取り上げた。JRAに対する取材の申し込みは例年の10倍に及んだ[99]。三冠達成後の2005年10月29日にはNHKスペシャルで「ディープインパクト~無敗の3冠馬はこうして生まれた~」が放送された。なお、同番組は2005年のJRA賞馬事文化賞を受賞した。漫画雑誌でも取り上げられ、ハイセイコーのときと同様にグラビアを飾ったことや(『週刊ヤングサンデー』2006年15号)、凱旋門賞の前に『週刊少年チャンピオン』でディープインパクトの物語が短期集中連載された[注 19]ことがある。競走馬引退後の2007年4月には、サントリーフーズ「BOSSコーヒー」のCMにトミー・リー・ジョーンズと共演している[100]。

現役競走馬時代の2005年と2006年には、その年を代表する存在として扱われることもあった。2005年には新語・流行語大賞の候補語60語にノミネートした[101]。また、2005年の『日経MJ』のヒット商品番付では「西関脇」に番付された[102]。ほかにも、フジテレビ系列で年末に放送する「笑っていいとも! 年忘れ特大号」の中のコーナーにおいて2005年・2006年の2年連続でその年に話題になった存在として取り上げられたことがある[103][104]。

ディープインパクト 経済的影響

関西大学大学院教授の宮本勝浩は、ディープインパクトが出走したGI競走と出走していない前年の同じGI競走の入場者数や売り上げなどを比較し、その増加分から同馬によってもたらされた経済波及効果を試算した。その結果、経済波及効果は262億円と推定された[105]。関連商品はよく売れ、同馬の関連商品によって2005年の競馬グッズの売り上げが前年より10パーセント増加したと中央競馬ピーアール・センターの職員は語っている[106]。

なお、同センターが販売する競馬グッズの売り上げの3分の1が同馬の関連商品だった[107]。関連「商品」ではないが、単勝馬券を払い戻さずに取っておくファンも多数存在する。同馬が日本国内で出走した全13レースのうちで単勝馬券の未払い率が最高となったのは引退レースである2006年の有馬記念だが、同レースでの単勝馬券の未払い率は9.1パーセント(通常は0.3パーセント)を記録した。また、13レースの単勝馬券の未払い額は合計で2億8731万6370円となった[108]。単勝馬券がインターネットオークションで取引され、1万円以上の値がつくこともあった[109]。

一般企業がディープインパクトとのタイアップ商品を売り出すこともあった。銀座松坂屋ではディープインパクトの福袋まで発売された。また菊花賞と宝塚記念のときには京阪電気鉄道の乗車カードである「スルッとKANSAI Kカード」でディープインパクトが図案となっているカードが発行された[注 20]。引退後の2007年1月24日には、ディープインパクトの応援歌「翔んでディープインパクト」(歌:和田青児)が発売された。

ディープインパクト 交通面での影響

交通面での影響としては、京阪電気鉄道において、菊花賞当日の京都競馬場の最寄り駅である京阪本線淀駅ではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンで、菊花賞終了後にプラットホームが混雑し、急行列車の臨時停車や臨時列車を大増発したものの、それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽特急列車を4本のみ臨時停車させた。さらに競馬場付近を走る京阪宇治バス宇治淀線などの路線バスや周辺道路も当日は混みに混み合って渋滞が解けたのは宇治淀線の最終バス発車間際の午後10時ごろだったというエピソードもある。

ディープインパクト ファンの少年の自殺

2006年10月11日に福岡県に住むディープインパクトファンの中学二年生がいじめを苦に自殺したが、その中に「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」と遺書に書かれていたことが報道された。この報道を受け、蹄鉄製造会社の社長がディープインパクトが使っているのと同型の蹄鉄を遺族に贈呈したり、主戦騎手である武豊が色紙を中学生とその遺族に贈るなど、話題になった[110]。

ディープインパクト 対戦した競走馬の故障

ディープインパクトが勝ったGI競走の2着馬は7頭いるが、うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。このことは雑誌『AERA』の2006年10月2日号でも「ディープインパクトの呪い」として取り上げられた。ちなみに、日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、上述の通り、翌年に喘鳴症を発症し引退に追い込まれている。また、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも翌年骨折、さらに腱を痛めて引退している。

唯一、健常な競走馬生活を送ったのはポップロックで、のちにアイルランドにレースの場を移して2010年(9歳)まで現役を続けたが、最後にはレース中に屈腱炎を発症して引退となり、「ディープインパクトの(GI競走)2着馬は決してGIを勝つことができない」というもう一つのジンクスについても打ち破ることは叶わなかった。

また、デビュー戦で2着に敗れたコンゴウリキシオーはその後重賞を勝っているものの、この馬もGI競走を勝つことはできなかったように、ディープインパクトが勝ったレースの2着馬も活躍こそできたがGI競走を勝つことはできていない。

ディープインパクト 血統

ディープインパクト 血統背景

父サンデーサイレンス
父サンデーサイレンスはケンタッキーダービーやブリーダーズカップ・クラシックを制した競走馬。13年連続で日本のリーディングサイアーに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残る種牡馬である。
母ウインドインハーヘアは競走馬時代にドイツG1のアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入る活躍をした。
半姉に、5歳の6月という遅いデビューながらデビューから無傷の5連勝をし、2003年のスプリンターズステークスで4着に入ったレディブロンド(父シーキングザゴールド Seeking the Gold、6戦5勝)、全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニング(父アグネスタキオン)がいる。
曾祖母ハイクレア (Highclere) はエリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞[注 21]を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで2着に入った名牝だった。このハイクレアの一族には1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン (Nashwan) 、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフ (Nayef) がいるほか、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムといった日本で活躍した競走馬もいる(そのほか近親の活躍馬はハイクレア一族の項目を参照)。

ディープインパクト 血統表
ディープインパクトの血統 (サンデーサイレンス系/5代アウトブリード)


*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ Hail to Reason 1958 Turn-to
Nothirdchance
Cosmah 1953 Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ Understanding 1963 Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower 1964 Montparnasse
Edelweiss


*ウインドインハーヘア
Wind in Her Hair 1991
鹿毛 アイルランド Alzao 1980
鹿毛 アメリカ Lyphard 1969 Northern Dancer
Goofed
Lady Rebecca 1971 Sir Ivor
Pocahontas
Burghclere 1977
鹿毛 イギリス Busted 1963 Crepello
Sans Le Sou
Highclere 1971 Queen’s Hussar
Highlight F-No.2-f
競馬予想のレジまぐ
本日開催中のレース予想一覧

地方競馬のレジまぐ
本日開催中の地方競馬レース


ディープインパクト 脚注

ディープインパクト 注釈
^ 父サンデーサイレンスも1986年(昭和61年)の同じ日に生まれている。
^ ノーザンファームの同期生にはシーザリオ、ラインクラフト、カネヒキリ、ヴァーミリアン、インティライミといったメンバーが名を連ねている。
^ トップはダンシングキイの2002(のちのトーセンダンス)の3億5000万円。
^ その理由として武豊は、苦境に立たされそうな場面で必ず自分やファンを救い、さらに売り上げの増加という点で競馬界も救ってくれたからだと述べている(島田、2007年、130頁)。
^ 菊花賞優勝馬としては1943年のクリフジの75.0パーセントを超える史上最高支持率となった。
^ 2011年のチューリップ賞でレーヴディソールが単勝支持率81.4パーセントを記録し、これを更新した。
^ 武豊はこのロングスパートを、ほかの馬が動かなかったために行ったとしている(島田、2007年、204頁)。
^ キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでなく凱旋門賞が選ばれたことについて調教師の池江は、前者が行われるアスコット競馬場よりも後者が行われるロンシャン競馬場の方が平坦なコースであることから後者を選んだと述べている(島田、2007年、208頁)。
^ 宝塚記念は例年阪神競馬場で施行されるが、この年は阪神競馬場が芝コースの外回りの新設工事中だったため京都競馬場で代替開催となった。
^ レイルリンク、ハリケーンラン、シロッコの3頭。
^ のちにウオッカも達成。
^ 2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目。
^ 翌2008年の種付料も2007年と同じ1200万円。その後、1000万円(2009年)、900万円(2010年)、1000万円(2011年・2012年)と推移している。
^ この馬はオースミが購買し、沖芳夫厩舎に入厩。ナリタカサブランカの名が付けられた。
^ 後にこの馬はトーセンレーヴの名が付けられている。
^ 3歳馬による安田記念勝利はGI格付け以降では初。
^ なお、産駒がデビューして2年目でのJRA年間100勝の達成は1995年のサンデーサイレンス、2008年のシンボリクリスエス、2009年のキングカメハメハ以来のことだった。
^ 同じ三冠馬のミスターシービーにもそのような特徴があったといわれている(同馬の記事を参照)。
^ 作者は以前同誌で競馬漫画『優駿の門』を連載していたやまさき拓味で、『優駿の門 特別篇』として掲載された。のちに単行本化され、少年チャンピオン・コミックスから発売された。
^ 図柄となった写真はスポーツ報知の協力であった。カードには菊花賞時は「夢舞台、淀へ」、宝塚記念時は「淀から凱旋門賞へ」と記載されていた。
^ フランスのオークスに該当する競走。

ディープインパクト 出典

^ NHK取材班、2006年、37頁。
^ 週刊Gallop編集部、2006年a、49頁。
^ a b 島田、2007年、51頁。
^ NHK取材班、2006年、39-40頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2005年a、48頁。
^ a b 島田、2007年、56頁。
^ a b c 週刊Gallop編集部、2007年、10頁。
^ 島田、2007年、70頁。
^ 島田、2007年、70-71頁。
^ 島田、2007年、75頁。
^ サラブレ編集部、2007年、76頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、12頁。
^ 島田、2007年、82頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、13頁。
^ 優駿編集部、2006年、16頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年a、30頁。
^ 島田、2007年、130頁。
^ 優駿編集部、2006年、174頁。
^ a b 島田、2007年、141頁。
^ a b 島田、2007年、154頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2005年b、14頁。
^ 島田、2007年、178-179頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、23頁。
^ 「武豊「残念、理由分からない」~有馬」 スポーツニッポン、2005年12月26日。
^ 島田、2007年、193-194頁。
^ 島田、2007年、204頁。
^ a b c d e 週刊Gallop編集部、2007年、11頁。
^ サラブレ編集部、2007年、105頁。
^ 「インパクト“単勝1番人気”だ~凱旋門賞」 スポーツニッポン、2006年9月25日。
^ 週刊Gallop編集部、2006年b、56頁。
^ 島田、2007年、258頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2007年、30-31頁。
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ディープインパクト 参考文献

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岡部幸雄・合田直弘・井崎脩五郎・鈴木淑子 「座談会 2006年競馬を振り返る」 『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑2006』、産業経済新聞社、2006年
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サラブレ編集部 『ディープインパクト 衝撃の軌跡』 エンターブレイン、2007年 ISBN 475773381X
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城崎哲 『カリスマ装蹄師西内荘の競馬技術―空飛ぶ蹄鉄をいかにデザインするか』 白夜書房、2007年 ISBN 9784861912689
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃2冠までの足跡』 産業経済新聞社、2005年a
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃3冠DVDメモリアル』 産業経済新聞社、2005年b
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ファンが選んだ2005ベストレース』 産業経済新聞社、2006年a
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週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 さようならディープインパクト ありがとうターフを去ったHero&Heroine’06』 産業経済新聞社、2007年
優駿編集部 『優駿3月号増刊 TURF HERO 2005』 日本中央競馬会、2006年
優駿編集部 「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」 『優駿』800号、日本中央競馬会、2010年

札幌競馬倶楽部

札幌競馬倶楽部(さっぽろけいばくらぶ)は、かつて日本において競馬を施行していた団体で競馬倶楽部のひとつ。1910年、北海道競馬会が改称する形で設立された。1937年、日本競馬会発足に伴い解散。

札幌競馬倶楽部 設立に至る経緯

札幌共同競馬会社

札幌競馬倶楽部のそもそもの母体は、1879年に設立された札幌共同競馬会社である。同社は「会社」という名称を用いているものの法律上の会社ではなく、実質的に官が運営する競馬施行体であった。

同社が主催する競馬においては屯田軍馬や開拓使所有の馬が競走馬として用いられ、競馬開催の費用は入場料のほか、開拓史からの補助金や北海道在住の公務員からの出資金などで賄われていた。

1881年には明治天皇が北海道行幸の際に札幌競馬を観戦、お雇い外国人の開拓使エドウィン・ダンがダブリン号に騎乗している。
1882年、同社の財政を支えていた開拓使が廃止され、以後は軍馬の品種改良のためには競馬の存在が不可欠であるとする屯田兵本部の支援を受け存続することとなった。

1886年、廃県置庁に伴い北海道庁が設置されることを受け、1887年には中島遊園地(中島競馬場)に移転した。
札幌共同競馬会社時代の競走馬として全国的な活躍を見せたのが英(ハナブサ)号である。1887年春、横浜競馬場において婦人財嚢競走に、不忍池競馬場において皇族下賜賞典競走に優勝するなど活躍を見せた。

北海道乗馬会

1905年、長らく興行不振に陥っていた札幌共同競馬会社は競馬事業を北海道乗馬会に譲渡した。

北海道競馬会
同じく1905年、桂太郎内閣のもとで馬券の発売を黙許する通達が出され、翌1906年4月に東京競馬会が主催する競馬が成功を収めると、日本各地で政府公認の競馬会を設立する動きが活発化する。

当時札幌において競馬を主催していた北海道乗馬会もまた、政府公認の競馬会を設立するべく活動を開始。1906年10月10日に同会競馬部が分離独立する形で北海道競馬会を設立。翌1907年4月24日、社団法人として政府の認可を受けた。

なお、このとき設立の要件として一定以上の規模の競馬場を有することとされたが、札幌における従来の競馬場(中島競馬場)は要件を満たしていなかったため、1907年には北海道乗馬会が北海道競馬会とは別に設立した札幌馬匹奨励株式会社が琴似川東岸にあった子取川農場の敷地を買収して新競馬場を建設した(子取川競馬場)。これが現在の札幌競馬場である。

札幌競馬倶楽部

1908年、黙許されていた馬券の発売が禁止され、日本の競馬が公認競馬から補助金競馬へと移行した際に、全国の公認競馬会は競馬倶楽部への改称を要求された。北海道競馬会はそれを受け入れる形で1910年、札幌競馬倶楽部と改称した。

競馬倶楽部

競馬倶楽部(けいばくらぶ)とは競馬を施行する団体を指す。

日本では、補助金競馬が始まってから日本競馬会が設立される間に競馬倶楽部が組織された。

競馬倶楽部成立の経緯

1908年10月6日、競馬規程が制定されたことによりそれまで黙許されていた馬券の発売が禁止され日本の競馬は公認競馬から補助金競馬へと移行した。その際に日本各地に15あった公認競馬の施行体(社団法人)は11に削減され、かつ競馬倶楽部への改称を要求された。こうして誕生したのが日本各地の競馬倶楽部である。

1923年7月1日、(旧)競馬法が公布され馬券の発売が解禁された。その後各倶楽部では現存する重賞の起源となる各競走が創設された。1936年12月10日に日本競馬会が設立されたのを機に、同団体に統合される形で翌1937年には各倶楽部は解散した。

競馬倶楽部と競馬場所在地

札幌競馬倶楽部(札幌)
函館競馬倶楽部(函館)
藤枝競馬倶楽部(藤枝)→福島競馬倶楽部(福島)
新潟競馬倶楽部(関屋)
松戸競馬倶楽部(松戸)→中山競馬倶楽部(中山)
東京競馬倶楽部(目黒→府中)
日本レース・倶楽部(横浜)
京都競馬倶楽部(島原→須知→京都)
阪神競馬倶楽部(鳴尾)
小倉競馬倶楽部(戸畑→三萩野→北方)
宮崎競馬倶楽部(宮崎)
競馬倶楽部時代に創設された競走 [編集]

日本中央競馬会に引き継がれたもの。競走名は創設時のもの。()内は創設年・倶楽部名等。
東京優駿大競走(1932年 東京 現・東京優駿(日本ダービー))
目黒記念(1932年 東京)
大障碍特別(1934年 中山 現・中山大障害)
中山記念(1936年 中山)

ステーツ・アイザックス

ステーツ・アイザックス(States Isaacs、1865年 – 1945年12月26日)は、アメリカ合衆国出身の実業家・馬主。

ステーツ・アイザックス 経歴

1890年頃に来日し、横浜の外国人居留地で貿易業を営んだ。1892年頃から馬主として同居留地内にあった横浜競馬場で競走馬を走らせるようになり、やがて同競馬場で競馬を施行していた日本レース・倶楽部のメンバーとして同クラブの運営に深く関与し、実質的な最高責任者として活動した。

日本競馬会が発足して以降は横浜競馬場の場長として活動。日米関係の悪化を受けて太平洋戦争開戦の数か月前にアメリカへ帰国。再び日本へ渡ることなくロサンゼルスで死去した。太平洋開戦後、アイザックスが所有していた競走馬と牧場は敵国財産として日本政府に没収された。アイザックスが所有していた牧場は日本中央競馬会の宇都宮育成牧場として利用された後、現在は競走馬総合研究所の敷地となっている。

日本レース・倶楽部

日本レース・倶楽部(にほんれーす・くらぶ、The Nippon Race Club)は、日本初の西洋式競馬の施行体で、のちに競馬倶楽部のひとつとなる。

1862年に設立された横浜レース倶楽部が前身。

1895年以降オーストラリアから競走馬の輸入を続け、また補助金競馬時代の競馬施行体(競馬倶楽部)の中で唯一補助金の交付を受けないなど、経済活動・財政の面で一定の独立性を保ち続けた。日本競馬会の発足に伴い、1937年10月に解散した。

日本レース・倶楽部 歴史

1862年、横浜・外国人居留地における競馬施行体として横浜レース倶楽部が発足した。
1866年、外国人居留地内に居留外国人のためのレジャー施設として根岸競馬場が完成。
1875年、特別会員として初の日本人馬主となった西郷従道が所有馬のミカン号に自ら騎乗し、日本人馬主による初勝利をあげた。
1876年 団体内部の紛争が原因となり横浜レース・アソシエーションが分離独立。
1878年6月20日 横浜レース倶楽部・横浜レース・アソシエーションの2団体は合併し、横浜ジョッキー倶楽部が発足した。
1880年 横浜ジョッキー倶楽部が日本レース・クラブと改称。同時に、同クラブへの日本人の入会が可能となった。この措置により入会した日本人には伊藤博文、松方正義、大隈重信、榎本武揚、岩崎弥之助、尾崎行雄などがいる。
同年6月9日、明治天皇下賜の花瓶を賞品とする競走(The Mikado’s Vase)が行われた。同レースは天皇下賜の賞品が授与された日本初の競走であり、その意味において現在の天皇賞のルーツである。
1888年 日本レース・クラブが根岸競馬場において1枚1ドルの馬券を発売(日本における初の馬券発売)。
1895年 オーストラリアから競走馬を輸入を開始。
1896年 ニイカップステークス(後のエンペラーズカップの元となったレース)を開催。
1905年 明治天皇から御賞典が下賜され、エンペラーズカップ(後の帝室御賞典、現在の天皇賞)が始まった。
1906年 社団法人日本レース・倶楽部として政府の認可を受ける。
1937年10月 解散(同年5月の開催が最期の主催競馬)。

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