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イタリアンレッド

イタリアンレッド

英字表記	Itarian Red
品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2006年2月24日(5歳)
登録日	2008年9月18日
父	ネオユニヴァース
母	バルドネキア
母の父	Indian Ridge
生国	 日本(北海道千歳市)
生産	社台ファーム
馬主	東京ホースレーシング
調教師	石坂正(栗東)
競走成績
生涯成績	17戦7勝
獲得賞金	2億2618万9000円

イタリアンレッドの主な勝ち鞍は2011年七夕賞、小倉記念、府中牝馬ステークス。
2011サマー2000シリーズチャンピオンである。馬名はイタリアの赤(冠名でもある)。

イタリアンレッド 戦績

イタリアンレッド 2009年
クラシックシーズンに間に合わず、デビューは6月6日の中京芝1800mの未勝利戦でのデビューとなった(8番人気で3着)。2戦目の8月1日の小倉の未勝利戦(芝2000m)で初勝利を飾る。続く小倉の500万下も連勝。しかし重賞初挑戦となったローズステークスは15着に敗れてこの後休養に入る。

イタリアンレッド 2010年
3月の中山戦で復帰し、2戦するもそれぞれ3着、4着となる。5月の京都の御室特別で2着に入ったものの、500万に降級した阪神の平場戦は1番人気で7着に敗れる。しかし小倉の対馬特別を1番人気に応え勝利すると、続く西海賞も連勝。9月の阪神の準オープンのムーンライトハンデも勝ち、3連勝を飾りオープン入りする。オープンに入ってからはアンドロメダステークスは10着、重賞の愛知杯は4着となる。

イタリアンレッド 2011年
休養明けの新潟の福島牝馬ステークスは5着。マーメイドステークスは4着となる。そして、東日本大震災の影響で中山開催となった七夕賞は直線差しきり重賞初制覇を飾り、さらに小倉記念も七夕賞同様に直線差しきり、勝ち時計1:57.3の小倉芝2000mのコースレコードで重賞連勝を飾ると共に2011サマー2000シリーズの覇者となった。牝馬がサマー2000シリーズを制したのは史上初である。府中牝馬ステークスは中団待機から直線で抜け出しアニメイトバイオ、フミノイマージンとの叩き合いを制し重賞3連勝となる。

イタリアンレッド 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭数	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上り3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2009	6.	6	中京	未勝利		16	34.9	(8人)	3着	浜中俊	54	芝1800m(稍)	1:48.3(37.0)	0.9	マヤノカピオラニ
8.	1	小倉	未勝利		16	5.6	(2人)	1着	浜中俊	54	芝2000m(良)	2:00.5(35.6)	0.0	(カノヤグッドラック)
8.	30	小倉	500万下		14	4.1	(2人)	1着	浜中俊	52	芝1800m(良)	1:47.9(34.3)	-0.1	(リーガルアミューズ)
9.	20	阪神	ローズS	GII	18	33.3	(7人)	15着	浜中俊	54	芝1800m(良)	1:45.9(35.5)	1.2	ブロードストリート
2010	3.	20	中山	鎌ケ谷特別		14	13.5	(4人)	3着	吉田豊	55	芝1800m(良)	1:50.1(34.7)	0.3	スカーレットダイヤ
4.	11	中山	野島崎特別		13	3.2	(2人)	4着	吉田豊	55	芝1800m(良)	1:48.4(34.5)	0.1	ダイワジャンヌ
5.	30	京都	御室特別		10	6.1	(3人)	2着	秋山真一郎	55	芝2000m(良)	2:01.8(34.1)	0.1	サクラローズマリー
6.	26	阪神	500万下		8	1.7	(1人)	7着	浜中俊	55	芝2000m(重)	2:05.6(39.4)	2.3	ロイヤルネックレス
7.	17	小倉	対馬特別		12	2.5	(1人)	1着	浜中俊	55	芝1700m(良)	1:39.9(34.7)	-0.2	(アグネスサクラ)
8.	8	小倉	西海賞		15	2.4	(1人)	1着	浜中俊	55	芝1800m(良)	1:47.3(34.4)	-0.2	(スイートマトルーフ)
9.	26	阪神	ムーンライトH		11	4.3	(2人)	1着	浜中俊	52	芝2000m(良)	2:00.2(34.0)	-0.1	(ロイヤルネックレス)
11.	13	京都	アンドロメダS	OP	13	8.5	(4人)	10着	秋山真一郎	52	芝2000m(良)	2:00.6(36.2)	1.1	アドマイヤメジャー
12.	19	小倉	愛知杯	GIII	18	7.4	(3人)	4着	秋山真一郎	53	芝2000m(良)	1:59.7(34.3)	0.2	セラフィックロンプ
2011	4.	23	新潟	福島牝馬S	GIII	16	16.6	(10人)	5着	中舘英二	54	芝1800m(良)	1:46.1(33.8)	0.7	フミノイマージン
6.	19	阪神	マーメイドS	GIII	13	6.1	(3人)	4着	福永祐一	53	芝2000m(良)	2:00.8(34.7)	0.4	フミノイマージン
7.	10	中山	七夕賞	GIII	17	17.7	(4人)	1着	中舘英二	52	芝2000m(良)	2:00.5(34.9)	0.0	(タッチミーノット)
7.	31	小倉	小倉記念	GIII	18	7.6	(4人)	1着	浜中俊	55	芝2000m(良)	1:57.3(35.7)	-0.3	(キタサンアミーゴ)
10.	16	東京	府中牝馬S	GII	16	9.6	(5人)	1着	中舘英二	55	芝1800m(稍)	1:46.8(33.7)	0.0	(アニメイトバイオ)
血統表 [編集]

イタリアンレッドの血統 (サンデーサイレンス系/クロス無し)
父

ネオユニヴァース
2000 鹿毛	*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛	Halo
1969 黒鹿毛	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well
1975 鹿毛	Understanding
Mountain Flower
*ポインテッドパス
Pointed Path
1984 栗毛	Kris	Sharpen Up
Doubly Sure
Silken Way	Shantung
Boulevard
母

*バルドネキア
Bardonecchia
1995 栗毛	Indian Ridge
1985 栗毛	Ahonoora	Lorenzaccio
Helen Nichols
Hillbrow	Swing Easy
Golden City
Rosa de Caerleon
1986 芦毛	Caerleon	Nijinsky II
Foreseer
Carose	Caro
Pomme Rose F-No.20-c
母のバルドネキアはフランス重賞のプシケ賞勝ち馬で、イタリアオークス2着になっている。半兄のタヤスターゲットはダートで準オープンまで活躍した。祖母のRosa de Caerleonはイタリアの重賞2勝している。
近親にGIのサンクルー大賞、コロネーションカップ、ターフクラシックステークス、オイロパ賞勝ち馬のApple Treeがいる。

アパパネは、3カ月以上の休み明けを叩いた次走は4戦4勝なんですね。

アパパネは、3カ月以上の休み明けを叩いた次走は4戦4勝なんですね。

 

 

 

桜花賞は約3カ月ぶりのチューリップ賞2着から勝利。
昨年の秋華賞はローズS4着、今春ヴィクトリアマイルはマイラーズC4着から優勝しました。
もしも、エリザベス女王杯に勝てば牝馬のGⅠを完全制覇することにもなります。
できれば達成して欲しいところですね。今回も、叩き一変での勝利があるかもしれません。
ただ、府中牝馬ステークスで2桁着順から巻き返した馬のデータをみると、いままでは、2着が最高です。

アパパネのベスト体重は、おそらく、490キロでしょう。

今回、10キロ絞れれば勝つかもしれません。
アパパネはまだ終わっていない!?

ウオッカ

ウオッカ

英字表記	Vodka
香港表記	伏特加
品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2004年4月4日
抹消日	2010年3月18日
父	タニノギムレット
母	タニノシスター
母の父	ルション
生国	 日本(北海道静内町)
生産	カントリー牧場
馬主	谷水雄三
調教師	角居勝彦(栗東)
調教助手	岸本教彦
厩務員	中田陽之
主戦騎手	四位洋文→武豊
競走成績
生涯成績	26戦10勝
(中央)22戦10勝
(ドバイ)4戦0勝
獲得賞金	13億3356万5800円
(中央)13億487万6000円
(ドバイ)2868万9800円
WTRR	T/L117 - 2007年
T/M120 - 2008,09年
勝ち鞍	GI:阪神ジュベナイルフィリーズ(2006年)
安田記念(2008年、2009年)
天皇賞(秋)(2008年)
ヴィクトリアマイル、ジャパンカップ(2009年)
JpnI東京優駿(2007年)
JpnIII:チューリップ賞(2007年)

ウオッカ(Vodka、2004年4月4日 - )は元競走馬・今は繁殖牝馬。
牝馬として64年ぶりに東京優駿に勝利するなど牡馬を相手に活躍した。
同世代のダイワスカーレットとは激しい争いを何度も繰り広げ、ともに牝馬ながら牡馬と互角以上に渡り合った。
2008年・2009年のJRA賞年度代表馬。2011年選考のJRA顕彰馬。

ウオッカ デビュー前
2004年4月4日に、北海道静内町のカントリー牧場で生まれる。カントリー牧場の場長である西山貴司はウオッカが牧場にいたころの印象はあまり覚えていないとの事(何事もなく無事に過ごしていたため)。
2歳時に栗東トレーニングセンターの角居勝彦厩舎に入厩。その際、厩舎スタッフの間でも「シーザリオ級が入ってくる」ともっぱらの評判となっていたらしい。担当厩務員は中田陽之。なお中田は、テンコー・トレーニングセンター時代に母のタニノシスターと接している。中田の第一印象は「牝馬にしては大きいが、幅がなかったので良くなるには時間がかかる」だった。
入厩後の調教ではデルタブルース、ハットトリックのG1馬に食らいつく走りを見せており、想像以上の能力を見せている。この知らせを聞いた谷水はウオッカが将来の名馬である事を確信したという。これ程の能力ならば北海道の2歳重賞(函館2歳ステークス、札幌2歳ステークス)を総なめにする事も夢ではないとデビューに向けて移動するも、現地で熱発を発症したため一時テンコートレーニングセンターへ放牧に出される事になった。
クラシック登録する際、角居は「桜花賞、オークスの2つですか?」と確認したところ、馬主の谷水雄三は「5つ全部だ」と言って、5冠全てのレースのクラシック登録を行っていた。
ウオッカ 現役競走馬時代
ウオッカ 2006年(2歳)
10月29日、京都競馬場の新馬戦にてデビュー。デビュー前から主戦は四位と決まっていたが、四位が天皇賞・秋での騎乗が決まっていたため、鮫島克也が騎乗した。スタート後すぐに先頭に立つと、直線で再び突き放して勝利を収めた。
2戦目の黄菊賞から四位洋文を鞍上に迎えた。レースはスタートで後手を踏み、2着に敗れた。
3戦目の阪神ジュベナイルフィリーズではスタート後先団に取りつき道中は馬群の中団からレースを進め直線で先に抜け出したアストンマーチャンを差し切り、GI制覇を収めた。この時の勝ちタイム1分33秒1は、レースレコードであると同時に2歳芝1600mの日本レコードであった。阪神ジュベナイルフィリーズの勝利を受け、この年のJRA賞では最優秀2歳牝馬を受賞した。
ウオッカ 2007年(3歳)
2007年の緒戦にはエルフィンステークスが選択された。他馬より2キロ重い56kgの斤量を背負っての出走となったがレースでは直線に入ると馬なりで先頭に立ち、2着のニシノマナムスメに3馬身差の着差をつけて勝利した。続くチューリップ賞ではダイワスカーレットがウオッカとマッチレースを望むかのようにウオッカをひきつけたが、これをクビ差交わし優勝した。なお3着との着差は6馬身であり、2頭の力が突出していることを示す結果となった。桜花賞では前走の結果から瞬発力勝負では分が悪いと踏んだダイワスカーレットが早めに抜け出すという作戦をとり、これを捉えることができず2着に敗れた。

ウオッカには桜花賞に出走する以前から東京優駿に出走するプランが発表されていた。桜花賞で2着に敗れたことで断念するとの見方もあったが、(事実桜花賞後は「オークスで頑張ろう」と話し合っていた)谷水から判断を一任された調教師の角居勝彦は牝馬として1996年のビワハイジ以来11年ぶりの出走を決断した。この時の決断は谷水が「オークスかダービーか角居君が決めればいい」の発言に角居が「ならダービー行かせてもらっていいですか!!」と答え谷水が「よっしゃ!!ダービーいこ!!」の電話の会話で決まった。レースでは馬群の中団から直線で抜け出して優勝し、父仔2代(父娘での制覇は史上初)での東京優駿制覇を達成した。また、牝馬の東京優駿制覇は1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに続き史上3頭目、戦後初の出来事であった(レース詳細は第74回東京優駿参照)。四位にとっても初の東京優駿制覇で64年ぶりの偉業に「もう騎手をやめてもいい」と語った。
その後、初めての古馬との対決となる第48回宝塚記念へ出走。3歳牝馬が宝塚記念に出走するのは1996年のヒシナタリー以来11年ぶりのことであった。しかし、レースでは狙い通りの位置取りを取ることができずに、折り合いを欠いてしまい8着とデビュー以来初の大敗を喫してしまう。
同年秋の凱旋門賞への出走を目指し、ステップレースとしてヴェルメイユ賞から凱旋門賞というローテーションが考えられていた。しかし、8月7日に右後肢の蹄球炎を発症し、馬主サイドとの協議の結果、凱旋門賞出走を断念した。なお蹄球炎は4日間馬房内で治療に専念して回復したものの、この4日間の療養で調教ができなかったことで万全の状態でレースに挑めなくなったことが出走断念の理由となった。
その後8月26日には坂路入りを再開して調教が行われ、秋はトライアル競走を使わず直接第12回秋華賞に向かうことになった。レースでは後方に位置し3コーナーで外から進出していくものの、最後はダイワスカーレットだけでなくレインダンスも交わすことができず3着に敗れた。
次走には第32回エリザベス女王杯が選ばれた。
ダイワスカーレットとの決着が期待されたが、レース当日の朝、右関節跛行の故障が発生したためレースへの出走を取り消した。実は早朝に谷水の下に電話がかかっておりこの時点で谷水はウオッカに何かがあったと察知したという。しかし症状は軽症だったため、第27回ジャパンカップに出走。迎えたレースでは2番人気に支持され、道中最後尾の位置から最後の直線で猛追するも最後失速し4着だった。
第52回有馬記念‎ファン投票では、1位となる10万544票を獲得した。これは3歳牝馬(旧4歳牝馬を含む)としては初のファン投票1位であった。レースでは折り合いに苦労し、第3コーナーで早めに仕掛けたが早々と失速。11着と大敗、デビュー以来初の2桁着順となってしまう。また、同レースで同じ3歳牝馬のダイワスカーレットは2着に粘り、同馬との直接対決では3戦連続で先着を許し、JRA賞最優秀3歳牝馬の座も奪われてしまった。しかし、牝馬による64年ぶりの東京優駿制覇を選考理由としてJRA賞特別賞、関西競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞した。
ウオッカ 2008年(4歳)
第3回ヴィクトリアマイル
京都記念から始動。同世代のアドマイヤオーラが1番人気、ウオッカが2番人気に支持される均衡した評価の中レースが始まる。レースでは好スタートを決めるものの、直後にトウカイトリックに馬体をぶつけられた結果、外側によれて馬群からはやや置いて行かれた形となる。その後、向こう正面ではまたも折り合いを欠き、4角地点で最後方から3頭目の位置から伸びあぐね、最後の最後で鋭い末脚を繰り出すも、6着に敗れた。
次走はドバイデューティーフリーを使う。ドバイで一番結果が出ている日本人騎手ということで武豊を鞍上に迎え挑戦したレースでは、積極的に前から進めるが4着。なお、レースは有力どころの牡馬勢(アドマイヤオーラやリテラト、クレカドールなど)が大敗し大荒れとなった。レース後は短期放牧に出され、帰厩後、ヴィクトリアマイルに出走。単勝2.1倍の1番人気に支持されたが、レースでは伸びを欠き、エイジアンウインズを捕らえきれず2着に敗れた。

第58回安田記念
中2週で第58回安田記念へと向かった。なお、東京優駿優勝馬の安田記念出走は1989年のサクラチヨノオー以来であり、きわめて異例であった。前走まで騎乗していた武豊が安田記念でスズカフェニックスへの騎乗が決まっていたことから、新たに乗り替わった岩田康誠を背に、レースでは3枠5番という好枠から好スタートを決め先行すると最後の直線、残り1ハロンから一気に抜け出し2着のアルマダに3馬身1/2の差をつけてゴール。東京優駿以来約1年ぶりの勝利でGI及びJpnI競走通算3勝目を飾り、復活をアピールした。グレード制を導入した1984年以降、牝馬による安田記念制覇は1994年のノースフライト以来14年ぶり3頭目であり、東京優駿に優勝した馬がその後に2000m未満のGIまたはJpnI競走に優勝したのは史上初であった。また2着につけた3馬身1/2の差はGI格付けされた84年以降の最大着差である。
第49回宝塚記念‎ファン投票では前年の有馬記念に続き1位となる7万5594票を獲得したが、宝塚記念には向かわず、栗東で休養することになった。休養中には、翌年も現役を続行し日本国外へ遠征するプランがあることがオーナーサイドより発表された。
秋初戦は毎日王冠に出走。唯一のGI馬という事もあり、圧倒的な1番人気に支持された。スタート直後に馬なりでハナを切り、そのまま最後の直線まで先頭に立ち、逃げ切りを図ったものの、ゴール前でスーパーホーネットに差され、2着に敗れた。
11月2日、天皇賞(秋)に出走。ライバル・ダイワスカーレットは単騎で逃げ、ウオッカはディープスカイをマークする形でレースを進め、直線に入り残り300メートルからディープスカイとともにダイワスカーレットに並びかける。ゴール前は2頭並んでの叩き合いとなり、一時は先頭に立つも再びダイワスカーレットが差し返し2頭並んでゴールイン。15分に及ぶ写真判定の末、2cmという僅差で勝利した。また、勝ちタイムは1分57秒2とレコード決着となった(レース詳細は第138回天皇賞を参照)。東京優駿を制した牝馬が天皇賞を制したのはヒサトモ(第6回東京優駿、第3回帝室御賞典)以来である。また、牝馬による牡馬混合GI3勝目となりこれも過去最多勝利数となった(その後、5勝にまで記録を伸ばす)。
天皇賞後はジャパンカップへ出走し、鞍上は天皇賞で手綱を取った武豊がメイショウサムソンに騎乗予定であったため岩田康誠に乗り替わった[3]。最終的に2番人気に支持されたが、まれに見るスローペースに折り合いを欠き、最後の直線で内から伸びてくるものの、スクリーンヒーローの3着に敗れた。
第53回有馬記念のファン投票で136619票を獲得し2年連続で1位になったが、同競走を回避した。
2008年度のJRA賞で、年度代表馬と最優秀4歳以上牝馬に選出された。牝馬の年度代表馬選出は1997年のエアグルーヴ以来11年ぶりであった。
ウオッカ 2009年(5歳)
2009年は再びドバイデューティーフリーを目標にドバイへ遠征。前哨戦としてジェベルハッタに出走したが、終始前を塞がれ結果はバリウスの5着だった。そして迎えたドバイデューティフリーに2年連続で出走。週末のレースまで雨が続いたことから重たい馬場でのレースとなった。レースでは、好スタートから2番手を追走したが、ゴール前で失速。逃げ切ったグラディアトラスから大きく離され7着に終わった。

第4回ヴィクトリアマイル
帰国後は5月17日のヴィクトリアマイルに直行。1番人気に支持され、好スタートから中団の6番手くらいに抑えたが、最終直線で馬場の内側を通り抜けて先頭に立つと後続を突き放し、2着のブラボーデイジーにJRA古馬マイルGI史上最大着差となる7馬身の差をつけた。タイムもヴィクトリアマイルのレースレコードでの勝利となった。この勝利で2歳からこの年まで4年連続GI級勝利を挙げ、ホクトベガが有していた、牝馬による生涯獲得賞金の記録を12年ぶりに更新することとなった。また、ヴィクトリアマイルの1番人気での勝利は初となった。この圧勝のレースぶりに武豊は「牝馬という枠を超えている。この馬の背中は渡したくない。」とコメントしている。
続いて、6月7日の安田記念に出走し前走に引き続き1番人気に支持された。好スタートから道中は中団を進むも、直線で前方を他馬に塞がれ、スーパーホーネットとサイトウィナーに接触しながらも、残り100メートル付近でようやく進路が開く厳しいレースとなったが、そこからディープスカイを差し切って優勝した。レース後、2着に敗れたディープスカイ鞍上の四位は「向こうは残り100mくらいしか仕掛けていない。まともだったら5、6馬身は離されていたかもしれない」と語った。安田記念の1番人気での優勝は1998年のタイキシャトル以来11年ぶりであった。このレースの勝利によってウオッカは牝馬として初めて獲得賞金が10億円に到達するとともに、牝馬では最多となるGI級競走6勝目となった。また、1993年のヤマニンゼファー以来3頭目、そして牝馬としては1952年及び1953年に連覇したスウヰイスー以来の安田記念連覇という記録も達成した。 この絶体絶命のピンチを撥ね退けての劇的な勝利にオーナーである谷水は「ウオッカは天からの授かりもの」とコメントした。
第50回宝塚記念のファン投票で139507票を獲得し1位となったが、同競走を回避して放牧されることとなった。
休養明けの秋初戦は前年同様毎日王冠から始動。単勝1.3倍の1番人気に推される。レースでは好スタートから自然にハナを切り、直線に向いても脚色は衰えずそのまま逃げ切るかと思われたが、残り100m付近でカンパニーに差され2着となった。なお、このレース2着での賞金加算によりJRA通算獲得賞金が10億1746万円となり、JRAでの獲得賞金でも10億円を突破することとなった。

第140回天皇賞(秋)
第140回天皇賞(秋)、ここでもウオッカは2.1倍の人気を集める。レースは、好スタートも前哨戦と違って中団やや後方から追走して直線では内をついたが、先に抜けたカンパニーとの差を詰められず、2番手に粘っていたスクリーンヒーローを一度は差すも、ゴール前で再び差し返され3着に敗れた。天皇賞での敗戦後角居の「これ以上負ける姿を見せるのはかわいそう」の発言が引退ととらえられた為、引退の噂が流れた。
11月29日の第29回ジャパンカップに出走、このレースでは厩舎側が「ウオッカに掛かるイメージを持っていない騎手」を理由に、鞍上をクリストフ・ルメールに交代させた[6][7]。近走の不振に加えて距離延長や年齢的な衰えの不安要素を抱えていたが、ここでも応援馬券的な意味合いもあってか3.6倍ながら1番人気に支持された。レースは武豊のリーチザクラウンが引っ張る形で進み、ウオッカは4,5番手の好位を追走。最終直線に入り早め先頭で押し切ろうとするも、後方からオウケンブルースリが追い込み2頭並ぶ形でゴールに入線。写真判定の結果、2cmの差でウオッカが1着となり、GI7勝目を挙げた。ウオッカはシンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクトに並ぶJRA・GI7勝目という記録を達成した[8]。また、牝馬のJRA・GI7勝および日本生産、調教の牝馬としての同レース勝利は史上初となった(牝馬の優勝としては1989年のホーリックス以来20年振り4頭目[8])。また、この勝利で東京競馬場芝コースで行われる古馬GI全てを制したことになり、これはJRA史上初である。
しかし、ジャパンカップの終了後、競走中に鼻出血を発症していたことが発表された。この為、日本中央競馬会競馬番組一般事項第2章のその11「痼疾馬の出走制限」の規定により、ジャパンカップが施行された日から1ヶ月間出走できないため、12月27日の有馬記念への出走は不可能となった。これによって引退を含めた今後の動向が注目されたが、12月8日に角居調教師から、2010年3月27日にアラブ首長国連邦のメイダン競馬場で開催されるドバイワールドカップ(GI、オールウェザー2000m)を引退レースとし、引退後はアイルランドで繁殖に入ることが発表された[11]。12月10日に発表された有馬記念ファン投票の最終結果で1位となったが、3年連続1位は初である。
2010年1月に、2009年度のJRA賞最優秀4歳以上牝馬、年度代表馬に選出された。牝馬の年度代表馬2年連続選出は史上初であり、通算ではシンザン、ホウヨウボーイ、シンボリルドルフ、シンボリクリスエス、ディープインパクトに続く史上6頭目である。また、4年連続JRA賞受賞はメジロドーベル以来史上2頭目である。
ウオッカ 2010年(6歳)
1月に最終目標とするドバイワールドカップの他、2年続けて出走したドバイデューティーフリーおよびドバイシーマクラシックへの予備登録を行い、ステップレースとして3月4日のマクトゥームチャレンジラウンド3に引き続きルメールを騎手で出走したが、好位からレースを進めたものの伸びを欠いて8着に終わった。そのレースで2度目の鼻出血を発症したことが判明したため、調教師の角居勝彦とオーナーの谷水雄三が会談を行い、招待を受諾していたドバイワールドカップへの出走を取り止め、現役引退を決定[12]。2010年3月18日、JRAよりウオッカの競走馬登録の抹消が発表された。
ウオッカはドバイよりそのままアイルランドのギルタウンスタッドへ向かい、繁殖生活に入った。なお、数年間はアイルランドにとどまり、その産駒を外国産馬として日本で走らせる予定となっている。
ウオッカ 引退後
2010年5月30日の第77回東京優駿開催日のJRAプレミアムレースである目黒記念に対し、ファン投票により「ウオッカメモリアル」の副名称が付与された。
2010年6月3日、繋養先のギルタウンスタッドより、3度目の種付けによってシーザスターズの仔を受胎したことが発表された[14]。翌2011年5月2日(現地時間)に初仔となる牡馬を出産した。
2011年5月9日、平成23年度顕彰馬選定記者投票で186票中157票(得票率84.4%)を獲得し、規定の3/4を超えたため、JRA顕彰馬に選出された[15]。
ウオッカ 競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	頭数	枠番	馬番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上り3F)	着差	1着馬(2着馬)
2006.	10.	29	京都	2歳新馬		13	4	4	3.3(2人)	1着	鮫島克也	54	芝1600m(良)	1:35.0(34.5)	-0.6	(レースドール)
11.	12	京都	黄菊賞		8	7	7	3.0(2人)	2着	四位洋文	54	芝1800m(良)	1:49.5(34.1)	0.2	マイネルソリスト
12.	3	阪神	阪神JF	G1	18	1	2	11.1(4人)	1着	四位洋文	54	芝1600m(良)	1:33.1(34.2)	0.0	(アストンマーチャン)
2007.	2.	3	京都	エルフィンS	OP	9	8	9	1.7(1人)	1着	四位洋文	56	芝1600m(良)	1:33.7(34.0)	-0.5	(ニシノマナムスメ)
3.	3	阪神	チューリップ賞	JpnIII	16	6	11	1.4(1人)	1着	四位洋文	54	芝1600m(良)	1:33.7(33.5)	-0.1	(ダイワスカーレット)
4.	8	阪神	桜花賞	JpnI	18	7	14	1.4(1人)	2着	四位洋文	55	芝1600m(良)	1:33.9(33.6)	0.2	ダイワスカーレット
5.	27	東京	東京優駿	JpnI	18	2	3	10.5(3人)	1着	四位洋文	55	芝2400m(良)	2:24.5(33.0)	-0.5	(アサクサキングス)
6.	24	阪神	宝塚記念	G1	18	1	2	3.5(1人)	8着	四位洋文	51	芝2200m(稍)	2:14.0(38.0)	1.6	アドマイヤムーン
10.	14	京都	秋華賞	JpnI	18	8	16	2.7(1人)	3着	四位洋文	55	芝2000m(良)	1:59.3(33.2)	0.2	ダイワスカーレット
11.	11	京都	エリザベス女王杯	G1	13	3	3			四位洋文	54	芝2200m(良)	出走取消		ダイワスカーレット
11.	25	東京	ジャパンC	G1	18	6	11	6.1(2人)	4着	四位洋文	53	芝2400m(良)	2:24.9(33.6)	0.2	アドマイヤムーン
12.	23	中山	有馬記念	G1	15	8	16	6.9(3人)	11着	四位洋文	53	芝2500m(稍)	2:35.7(37.9)	2.1	マツリダゴッホ
2008.	2.	23	京都	京都記念	GII	16	8	16	3.4(2人)	6着	四位洋文	56	芝2200m(良)	2:13.9(33.8)	0.3	アドマイヤオーラ
3.	29	ナド・アルシバ	ドバイDF	G1	16	12	12	発売なし	4着	武豊	55	芝1777m(良)	計測不能		Jay Peg
5.	18	東京	ヴィクトリアマイル	JpnI	18	5	9	2.1(1人)	2着	武豊	55	芝1600m(良)	1:33.8(33.2)	0.1	エイジアンウインズ
6.	8	東京	安田記念	G1	18	3	5	4.1(2人)	1着	岩田康誠	56	芝1600m(良)	1:32.7(34.0)	-0.6	(アルマダ)
10.	12	東京	毎日王冠	GII	16	2	3	1.5(1人)	2着	武豊	57	芝1800m(良)	1:44.6(33.8)	0.0	スーパーホーネット
11.	2	東京	天皇賞(秋)	G1	17	7	14	2.7(1人)	1着	武豊	56	芝2000m(良)	R1:57.2(34.4)	-0.0	(ダイワスカーレット)
11.	30	東京	ジャパンC	G1	17	2	4	3.7(2人)	3着	岩田康誠	55	芝2400m(良)	2:25.7(34.3)	0.2	スクリーンヒーロー
2009.	3.	5	ナド・アルシバ	ジェベルハッタ	G2	16	7	7	発売なし	5着	武豊	57.5	芝1777m(良)	1:49.18	0.34	Balius
3.	28	ナド・アルシバ	ドバイDF	G1	16	3	3	発売なし	7着	武豊	55	芝1777m(良)	計測不能		Gladiatorus
5.	17	東京	ヴィクトリアマイル	G1	18	3	6	1.7(1人)	1着	武豊	55	芝1600m(良)	1:32.4(33.4)	-1.2	(ブラボーデイジー)
6.	7	東京	安田記念	G1	18	2	3	1.8(1人)	1着	武豊	56	芝1600m(良)	1:33.5(35.7)	-0.1	(ディープスカイ)
10.	11	東京	毎日王冠	GII	14	6	6	1.3(1人)	2着	武豊	57	芝1800m(良)	1:45.5(33.8)	0.2	カンパニー
11.	1	東京	天皇賞(秋)	G1	18	4	7	2.1(1人)	3着	武豊	56	芝2000m(良)	1.57.5(32.9)	0.3	カンパニー
11.	29	東京	ジャパンC	G1	18	3	5	3.6(1人)	1着	C.ルメール	55	芝2400m(良)	2.22.4(34.8)	-0.0	(オウケンブルースリ)
2010.	3.	4	メイダン	A.M.C.Rd.3	G2	14	8	8	発売なし	8着	C.ルメール	56	全2000m(良)	計測不能		Red Desire
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す
ウオッカ 評価
競馬雑誌『優駿』が2010年8月号で実施し、読者・ライター・評論家・編集者の投票により決定した「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち The Greatest Horses 100」のランキングでは、読者部門で第2位、ライター・評論家・編集者部門で第5位、この2部門のポイントを合計した総合部門ではディープインパクトに次ぐ第2位となった。
競走馬時代には、有馬記念のファン投票で3年連続1位に選出された。同競走のファン投票での3年連続1位は史上初。また、2009年の宝塚記念のファン投票では、同競走のファン投票における史上最高得票率(76.1%)を記録した。
ウオッカ 記録
牝馬史上最多賞金獲得馬
JRAGI最多勝利タイ記録
牝馬によるJRA最多GI勝利数(JRA GI7勝)
牝馬による牡馬混合GI最多勝(5勝)
東京競馬場古馬芝GI完全制覇
ウオッカ 馬名の由来
父・タニノギムレットの馬名の由来であるギムレットはジンがベースのカクテルであるが、父よりも強くあってほしいとジンよりもアルコール度数が高い(強い)酒であるウォッカから「ウオッカ」と名付け、同様にストレート(に命名すること)の方がアルコール度数が高い(強い)という意味で「タニノ」の冠名を付けなかった[8]。
ウオッカ 血統表
ウオッカの血統 (ロベルト系/Graustark 4×5=9.38%(父系))
父

タニノギムレット
1999 鹿毛	* ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛	Roberto	Hail to Reason
Bramalea
Kelley's Day	Graustark
Golden Trail
タニノクリスタル
1988 栗毛	* クリスタルパレス
Crystal Palace	Caro
Hermieres
* タニノシーバード
Tanino Sea-Bird	Sea-Bird
Flaxen
母

タニノシスター
1993 栗毛	* ルション
Rousillon
1981 黒鹿毛	Riverman	Never Bend
River Lady
Belle Dorine	Marshua's Dancer
Palsy Walsy
エナジートウショウ
1987 鹿毛	トウショウボーイ	* テスコボーイ
* ソシアルバターフライ
コーニストウショウ	* ダンディルート
ローズトウショウ F-No.3-l
父・タニノギムレットについては同馬の項を参照。馬主の谷水家が経営するカントリー牧場の育てた牝系から出た東京優駿勝ち馬である。
母・タニノシスターは中央競馬5勝。JRAが購入、育成した後に馬主に譲渡される抽せん馬として谷水が入手した。
母・タニノシスターの仔は全て角居厩舎に預けるというのがあり全て角居厩舎の所属となっている。
祖母エナジートウショウの産駒(本馬の叔父)にスリーアベニュー。三代母コーニストウショウの産駒にシスタートウショウ(1991年桜花賞勝ち馬)、孫にシーイズトウショウ。四代母ローズトウショウの孫にマチカネフクキタル(1997年菊花賞勝ち馬)。日本競馬史における大牝系の祖であるシラオキを六代母にもつ。

アパパネは、エリザベス女王杯を勝つと、G16勝ちで歴代単独5位になるんですね。

G1最多優勝馬はシンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ウオッカが7勝で並んでいます。
現在G1・5勝のアパパネはエリザベス女王杯を勝てば、歴代単独5位の6勝。
牝馬ではウオッカに次ぐ2位!!歴史的名馬の誕生か!?

エリザベス女王杯に出走するダンシングレインは、英オークスとドイツ版オークスを勝っている馬なんですね。

英国の第233回オークス(GI、芝・左約2400メートル)が6月3日午後(日本時間同日深夜)、
ロンドン郊外のエプソム競馬場で13頭によって争われ、J・ムルタ騎乗の7番人気ダンシングレイン(愛国産、英=W・ハガス、父デインヒルダンサー)が2分41秒73(良)で優勝した。
1着賞金18万4502・5ポンド(約2435万円)。初戦2着後2戦目で勝ち上がり、続く準重賞2着を経ての挑戦だった。調教師、騎手ともに英オークス初制覇。3/4馬身差2着に2番人気ワンダーオブワンダーズ。

 ドイツ版オークスの第153回ディアーナ賞(GI、芝右2200メートル)が8月7日午後(日本時間同日深夜)、デュッセルドルフ競馬場で16頭によって争われ、K・ファロン騎乗の英国オークス馬ダンシングレイン(愛国産、英=W・ハッガス、父デインヒルダンサー)が
2分20秒32(重)で1番人気に応えた。1着賞金23万ユーロ(約2576万円)。6戦3勝、GI2勝目。前走は愛オークスで5着だった。3馬身差2着に3番人気ジュママ。
これはこれは、結構な穴馬かも、ですね。

エリザベス女王杯

エリザベス女王杯

開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月13日
施行時期	11月上旬 - 中旬
(原則5回京都4日目)
格付け	GI
1着賞金	9000万円
賞金総額	1億7200万円
距離	芝・外2200m
出走条件	サラブレッド系3歳以上牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳54kg、4歳以上56kg)
第1回施行日	1976年11月21日

エリザベス女王杯(エリザベスじょおうはい)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝・外回り2200mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。略称は「女王杯」「エリ女」など。
正賞はエリザベス女王杯、京都府知事賞、日本馬主協会連合会長賞。

エリザベス女王杯 概要

前身の「ビクトリアカップ」は牝馬の菊花賞に位置付けられるものとして1970年から行われていたが1975年にエリザベス女王が来日したことを記念し、翌1976年に新たに「エリザベス女王杯」が創設されてビクトリアカップは廃止された。
競走名の改称が行われた場合は通常施行回数は引き継がれるがエリザベス女王杯は事実上は改称ながら形式としては新設の競走とされたため、1976年のエリザベス女王杯が「第1回」となっている。
(実質は改称だが施行回数がリセットされた例はほかにはペガサスステークス→アーリントンカップがある)。
1995年の第20回までは京都競馬場の芝2400mで施行され牝馬三冠レースの最終戦であった。ただし桜花賞・優駿牝馬(オークス)とは違い英国競馬のクラシック競走に範を取った競走ではないため、クラシック競走には位置付けられていない(これは秋華賞も同様である)。
1996年、秋華賞の新設に伴い芝2400mから芝2200mに距離が短縮されると共に古馬牝馬も出走が可能になり、これまで古馬になると牡馬と戦うしかなかった牝馬最大の目標の1つとして定着、3歳牝馬三冠路線組も合わせ牝馬の一線級が一堂に会する競走となった。また1995年以降JRAの方針によりGI競走が地方馬にも開放され秋華賞・京都大賞典・府中牝馬ステークスのいずれか2着以内の地方馬には出走資格が与えられることになり、更に1999年からは外国馬も出走可能となり、2008年からはジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定されている。
なお2006年には春季に古馬牝馬限定のGI競走としてヴィクトリアマイルが新設されたため、春秋それぞれに古馬牝馬が出走可能な牝馬限定GI競走が存在することとなった。
出走資格はサラブレッド系3歳(旧4歳)以上牝馬のJRA所属の競走馬、JRAのGI競走、指定された海外国際G1競走、地方競馬のダート交流GI競走優勝馬(2歳限定戦を除く)、及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は定量で3歳54kg、4歳以上56kgである。
2011年度現在の総額賞金は1億7200万円で1着賞金9000万円、2着賞金3600万円、3着賞金2300万円、4着賞金1400万円、5着賞金900万円と定められている。

エリザベス女王杯 外国馬の優先出走権

2009年5月の改定にて、その年のオペラ賞(フランス・ロンシャン競馬場)を優勝した外国馬には当競走への優先出走権が付与されることとなった[1]。
優先出走権使用馬
2009年 - シャラナヤ

エリザベス女王杯 褒賞金制度 

ジャパン・オータムインターナショナルシリーズとなった2008年より、指定の海外競走に優勝した競走馬がその年の当競走に出走し優勝した場合には優勝賞金に加え褒賞金を交付している。また2009年5月の改定で範囲が拡大され、3着までに入着した場合にも褒賞金が交付されることとなった[1]。
指定競走・金額は以下の通り。イギリスオークス・ディアヌ賞・アイリッシュオークスは3歳馬によるレースでそれ以外は古馬混合レースである。
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	指定年	褒賞金
イギリスオークス	G1	エプソム	芝12f10y	2008年 -	
1着:6300万円[2]
2着:2500万円[3]
3着:1600万円[4]
フランスオークス	G1	シャンティイ	芝2100m
アイリッシュオークス	G1	カラ	芝12f
ナッソーステークス	G1	グッドウッド	芝9f192y
ヨークシャーオークス	G1	ヨーク	芝12f
ヴェルメイユ賞	G1	ロンシャン	芝2400m
オペラ賞	G1	ロンシャン	芝2000m
アイルランドプリティーポリーステークス	G1	カラ	芝10f
ビヴァリーD・ステークス	G1	アーリントンパーク	芝9.5f
フラワーボウルインビテーショナルステークス	G1	ベルモントパーク	芝10f
褒賞金獲得馬
回数	調教国・出走馬	当競走着順	指定競走結果
第35回	スノーフェアリー	1着	イギリスオークス1着、アイリッシュオークス1着

エリザベス女王杯 歴史

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)牝馬限定競走時代 
1976年
京都競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牝馬限定の重賞競走「エリザベス女王杯」として創設(創設当初の負担斤量は55kg)。
牝馬二冠馬のテイタニヤが4着に敗れる。
1979年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝2400mで施行。
1984年
グレード制施行によりGIに格付け。
当競走で史上最多の21頭が出走。
1986年 - メジロラモーヌが本競走を勝利し、史上初の牝馬三冠を達成。
1987年
菊花賞と開催週を交換。
牝馬二冠馬のマックスビューティが2着に敗れる。
1989年 - 岸滋彦騎乗のサンドピアリスが20頭中20番人気で勝利し、単勝払い戻し43060円を記録(グレード制施行後のGI最高単勝配当記録)。
1993年 - 牝馬二冠馬のベガが3着に敗れる。

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)以上牝馬競走時代
1996年
秋華賞の創設により、出走資格が「4歳(現3歳)牝馬」から「4歳(現3歳)以上牝馬」に変更(5歳(現4歳)以上の負担斤量は56kgに設定)。
4歳(現3歳)の負担斤量が55kgから54kgに変更。
施行距離を現在の芝・外回り2200mに変更。
1着賞金が8900万円から1億円に増額。
2位入線のヒシアマゾンが進路妨害により7着に降着。
1999年
国際競走に指定。
メジロドーベルが史上初の連覇を達成。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上牝馬」から「3歳以上牝馬」に変更。
2003年 - 外国調教馬(アナマリー、タイガーテイル)が当競走に初めて出走。
2004年 - アドマイヤグルーヴが史上2頭目の連覇を達成。
2006年
1着賞金が9000万円に減額(ヴィクトリアマイルと同額)。
1位入線のカワカミプリンセスが進路妨害により12着に降着(降着制度施行後のGIでは1991年天皇賞(秋)のメジロマックイーン以来2度目の1位入線馬の降着)。
2008年
ジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定。
クリストフ・ルメールが外国人騎手として史上初の優勝。
ポルトフィーノがスタート直後に落馬・競走中止し、そのままカラ馬のままで先頭でゴール。GI競走でカラ馬が先頭でゴールしたのは史上初。
2010年
イギリスのスノーフェアリーが外国調教馬として史上初の優勝[5]。
ライアン・ムーアが外国人騎手として2人目の優勝。
エリザベス女王杯 歴代優勝馬

国際競走となった1999年以降は優勝馬の国旗を表記する。馬齢は国際馬齢表記による。

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)牝馬限定競走時代

回数	施行日	調教国・優勝馬	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1976年11月21日	ディアマンテ	2:28.5	松田幸春	稲葉幸夫	佐藤弘嘉
第2回	1977年11月20日	インターグロリア	2:28.7	福永洋一	柳田次男	松岡正雄
第3回	1978年11月19日	リードスワロー	2:29.1	武邦彦	服部正利	熊本芳雄
第4回	1979年11月18日	ミスカブラヤ	2:32.6	岡部幸雄	西塚十勝	(有)鏑矢
第5回	1980年11月16日	ハギノトップレディ	2:27.9	伊藤清章	伊藤修司	日隈広吉
第6回	1981年11月15日	アグネステスコ	2:28.1	西浦勝一	久保道雄	渡辺孝男
第7回	1982年11月21日	ビクトリアクラウン	2:29.2	嶋田功	稲葉幸夫	飯田正
第8回	1983年11月20日	ロンググレイス	2:30.1	河内洋	小林稔	中井長一
第9回	1984年11月4日	キョウワサンダー	2:28.4	樋口弘	吉岡八郎	浅川吉男
第10回	1985年11月3日	リワードウイング	2:26.8	内田国夫	鶴留明雄	宮崎忠比古
第11回	1986年11月2日	メジロラモーヌ	2:29.1	河内洋	奥平真治	(有)メジロ牧場
第12回	1987年11月15日	タレンティドガール	2:29.3	蛯沢誠治	栗田博憲	飯田政子
第13回	1988年11月13日	ミヤマポピー	2:27.2	松田幸春	松田由太郎	大宮良吾
第14回	1989年11月12日	サンドピアリス	2:28.8	岸滋彦	吉永忍	(株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第15回	1990年11月11日	キョウエイタップ	2:25.5	横山典弘	稗田研二	松岡正雄
第16回	1991年11月10日	リンデンリリー	2:29.6	岡潤一郎	野元昭	林田秋利
第17回	1992年11月15日	タケノベルベット	2:27.1	藤田伸二	小林稔	武岡大佶
第18回	1993年11月14日	ホクトベガ	2:24.9	加藤和宏	中野隆良	金森森商事(株)
第19回	1994年11月13日	ヒシアマゾン	2:24.3	中舘英二	中野隆良	阿部雅一郎
第20回	1995年11月12日	サクラキャンドル	2:27.2	小島太	境勝太郎	(株)さくらコマース

エリザベス女王杯 4歳(現3歳)以上牝馬競走時代 
回数	施行日	調教国・優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第21回	1996年11月10日	ダンスパートナー	牝4	2:14.3	四位洋文	白井寿昭	吉田勝己
第22回	1997年11月9日	エリモシック	牝4	2:12.5	的場均	沖芳夫	山本慎一
第23回	1998年11月15日	メジロドーベル	牝4	2:12.8	吉田豊	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第24回	1999年11月14日	メジロドーベル	牝5	2:13.5	吉田豊	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第25回	2000年11月12日	ファレノプシス	牝5	2:12.8	松永幹夫	浜田光正	(有)ノースヒルズマネジメント
第26回	2001年11月11日	トゥザヴィクトリー	牝5	2:11.2	武豊	池江泰郎	金子真人
第27回	2002年11月10日	ファインモーション	牝3	2:13.2	武豊	伊藤雄二	伏木田達男
第28回	2003年11月16日	アドマイヤグルーヴ	牝3	2:11.8	武豊	橋田満	近藤利一
第29回	2004年11月14日	アドマイヤグルーヴ	牝4	2:13.6	武豊	橋田満	近藤利一
第30回	2005年11月13日	スイープトウショウ	牝4	2:12.5	池添謙一	鶴留明雄	トウショウ産業(株)
第31回	2006年11月12日	フサイチパンドラ[6]	牝3	2:11.6	福永祐一	白井寿昭	関口房朗
第32回	2007年11月11日	ダイワスカーレット	牝3	2:11.9	安藤勝己	松田国英	大城敬三
第33回	2008年11月16日	リトルアマポーラ	牝3	2:12.1	C.ルメール	長浜博之	(有)社台レースホース
第34回	2009年11月15日	クィーンスプマンテ	牝5	2:13.6	田中博康	小島茂之	(株)グリーンファーム
第35回	2010年11月14日	スノーフェアリー	牝3	2:12.5	R.ムーア	E.ダンロップ	アナモイン社

エリザベス女王杯の記録
レースレコード - 2:11.2(第26回優勝馬 トゥザヴィクトリー)
2着との最大着差 - 4馬身(第35回優勝馬 スノーフェアリー)
同一馬による連覇 - 2
メジロドーベル - 第23、24回
アドマイヤグルーヴ - 第28、29回
同一騎手による連続優勝 - 4(第26~29回 武豊。同競走の最多勝利騎手でもある)
外国人騎手による優勝 - クリストフ・ルメール(第33回優勝馬 リトルアマポーラ)、ライアン・ムーア(第35回優勝馬 スノーフェアリー)

エリザベス女王杯に出走するスノーフェアリー、ダンシングレインの外国馬2頭が京都競馬場に到着!

エリザベス女王杯に出走するスノーフェアリー、ダンシングレインの外国馬2頭は
6日午前10時50分に千葉県・白井の競馬学校を出発して6日夜、京都競馬場に到着しましたね。
 連覇が懸かるスノーフェアリーのトレヴァー助手によると
「来日してから1週間体調の変化はなく、いい状態を保っている」そうで、この馬が一番人気になる
ようですね。

WIN5、最低配当の1万3720円!先週は、1億6千万円だったのにね。堅い決着でしたね!

JRAの5重賞単勝式馬券「WIN5」は11月6日、3―14―2―11―6で決まり、1万3720円の払い戻し。
今回は、
「WIN5」が4月24日のスタートして以来の最低の配当ですね。
5万3509票も的中したんだから、しょうがない。
発売金額は10億566万1800円かあ、来週は、荒れそうですね。

10月30日は、JRA史上2番目の高額の1億6213万1980円の払戻金!

的中は5票(1票100円)だったからなあ。

新潟第11レースで12番人気、東京第11レースの天皇賞・秋(G1)で7番人気のトーセンジョーダンが勝ったのが大きいよね。

 

史上最高は6月26日の2億円(的中3票!!)

払戻金が1億円に達したのは4度目なんだ。

いつか、必ず、獲りたいね! そして、全てから、自由になりたいね!!

 

アルゼンチン共和国杯

第48回アルゼンチン共和国杯

開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月6日
施行時期	11月上旬
(原則5回東京2日目)
格付け	GII
1着賞金	5800万円
賞金総額	1億1050万円
距離	芝2500m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	ハンデキャップ
第1回施行日	1963年5月19日

アルゼンチン共和国杯(アルゼンチンきょうわこくはい)は、東京競馬場の芝2500mで施行する競馬の重賞(GII)競走。
公式の外語表記はCopa Republica Argentinaで中央競馬の重賞では唯一のスペイン語となっている。
正賞はアルゼンチン共和国社会福祉省賞。

アルゼンチン共和国杯 概要
1963年にアルゼンチンジョッキークラブカップ(略称:ARJC杯)として創設。当初は春季に施行されており、施行場・距離も創設時は東京競馬場の芝2300mだったがその後何度か変更され、1972年からは東京競馬場の芝2400mで定着した。
1975年にはアルゼンチンの競馬の主催が国に変更されたのに伴い、創設時の競走名から現競走名に改称され、1981年からは中山競馬場の芝2500mとなった。
1984年からは目黒記念(秋)の条件を引き継ぐ形で、施行時期が秋季の11月に移り施行場も再び東京競馬場に変更されるとともにGIIに格付けされた。
GIIながらハンデキャップ競走であり、また1997年以降は天皇賞(秋)の翌週に施行されていることもあって、天皇賞を除外された馬、または距離適性の関係から天皇賞に出走しなかった馬がこのレースへ回ってくることもしばしばある。GI級の有力馬の出走は少ないが、ジャパンカップ・有馬記念への出走を目指す馬や、平地重賞の最長距離となるステイヤーズステークスへ向かう馬が出走することが多い。2008年の優勝馬スクリーンヒーローは本競走をステップとして次のジャパンカップを制した。
国際競走ではあるが、国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、レースレーティングがGIIの基準を満たしていないため2007年から2年間、JpnII表記となっていたが、2009年よりGII表記となる。
出走資格はサラブレッド系3歳以上で、施行日当日過去1年前以降1週前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬と地方所属馬(2頭まで)、及び外国調教馬(9頭まで)。
2011年度現在の総額賞金は1億1050万円で、1着賞金:5800万円、2着賞金:2300万円、3着賞金:1500万円、4着賞金:870万円、5着賞金:580万円と定められている。

アルゼンチン共和国杯 歴史
1963年 - 東京競馬場の芝2300mの4歳(現3歳)以上の別定の重賞競走アルゼンチンジョッキークラブカップとして創設。
1964年 - 出走条件が4歳(現3歳)以上から5歳(現4歳)以上に変更。
1966年 - 施行距離を芝3200mに変更。
1968年 - 開催時期を10月に変更。
1969年
施行距離を芝2600mに変更。
開催時期を5月に戻す。
1970年 - 施行場を中山競馬場の芝2500mに変更。
1972年
混合競走に指定。
流行性の馬インフルエンザの影響で6月に順延開催。
施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
1975年 - 競走名を現在の「アルゼンチン共和国杯」に変更。
1977年
アイフルが史上初の連覇。
嶋田功が騎手として史上初の連覇。
仲住芳雄が調教師として史上初の連覇。
1981年
開催時期を3月末から4月上旬に変更。
施行場を中山競馬場の芝2500mに変更。
1983年
ミナガワマンナが史上2頭目の連覇。
仲住芳雄が調教師として2度目の連覇。
1984年
グレード制の施行によりGIIに格付け。
施行場を東京競馬場の芝2500mに変更。
開催時期を現在の11月に変更。それに伴い、出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
混合競走から除外。
1989年 - 郷原洋行が騎手として2人目の連覇。
1990年 - 混合競走に再び指定。
1991年 - 横山典弘が騎手として3人目の連覇。
1993年
施行日が土曜日に変更となる。
藤田伸二が騎手として4人目の連覇。
1998年
日本・アルゼンチン修好100周年記念の副称が当年のみ付く。
特別指定交流競走に指定され、地方馬が2頭まで出走可能となる。
2000年 - 施行日が日曜日に戻る。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2002年 - 東京競馬場の改修工事による振替開催により中山競馬場の芝2500mで施行。
2005年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬が5頭まで出走可能となる。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2009年
重賞格付け表記をGIIに戻す。
外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
2010年 - アルゼンチン共和国建国200周年記念の副称が当年のみ付く。

アルゼンチン共和国杯 歴代優勝馬
国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数	施行日	優勝馬	タイム 	性齢	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1963年5月19日	エムローン	2:23.9	牡5	加賀武見	高木良三	久保田かつ
第2回	1964年5月17日	トースト	2:22.0	牝5	保田隆芳	尾形藤吉	永田雅一
第3回	1965年5月16日	トサイサミ	2:24.5	牡4	伊藤竹男	稗田敏男	斎藤ジョウ
第4回	1966年5月15日	コレヒデ	3:24.8	牡4	保田隆芳	尾形藤吉	千明康
第5回	1967年5月5日	リコウ	3:23.0	牡5	加賀武見	小西喜蔵	鈴木富喜子
第6回	1968年10月13日	スピードシンボリ	3:23.6	牡5	野平祐二	野平省三	和田共弘
第7回	1969年5月11日	メジロタイヨウ	2:43.7	牡5	横山富雄	八木沢勝美	北野豊吉
第8回	1970年5月5日	マツセダン	2:34.8	牡4	星野信幸	橋本輝雄	松岡冨治
第9回	1971年5月9日	メジロアサマ	2:38.0	牡5	池上昌弘	保田隆芳	北野豊吉
第10回	1972年6月11日	ゼンマツ	2:27.0	牡4	吉永正人	松山吉三郎	癸生川ヨシ
第11回	1973年5月13日	クリイワイ	2:27.4	牡4	柴田政人	大久保勝之	栗林友二
第12回	1974年5月12日	トーヨーアサヒ	2:28.2	牡5	小島太	古山良司	(有)トーヨークラブ
第13回	1975年5月11日	キクノオー	2:27.6	牡4	横山富雄	山岡寿恵次	田中伊三郎
第14回	1976年5月16日	アイフル	2:27.7	牡5	嶋田功	仲住芳雄	藤本義昭
第15回	1977年5月15日	アイフル	2:34.4	牡6	嶋田功	仲住芳雄	藤本義昭
第16回	1978年5月14日	カネミノブ	2:27.8	牡4	加賀武見	阿部新生	金指利明
第17回	1979年5月13日	カネミカサ	2:28.1	牡5	蛯沢誠治	成宮明光	畠山伊公子
第18回	1980年5月11日	ブルーマックス	2:29.8	牡5	東信二	境勝太郎	角隆司
第19回	1981年3月29日	ウエスタンジェット	2:35.2	牡4	柴田政人	柴田欣也	西川商事(株)
第20回	1982年4月4日	ミナガワマンナ	2:35.4	牡4	菅原泰夫	仲住芳雄	寺内倉蔵
第21回	1983年4月3日	ミナガワマンナ	2:36.9	牡5	郷原洋行	仲住芳雄	寺内倉蔵
第22回	1984年11月18日	メジロシートン	2:35.8	牡3	的場均	大久保洋吉	(有)メジロ牧場
第23回	1985年11月17日	イナノラバージョン	2:36.4	牡8	嶋田功	矢野照正	石井亀吉
第24回	1986年11月16日	サクラサニーオー	2:35.9	牡4	小島太	境勝太郎	(株)さくらコマース
第25回	1987年11月22日	カシマウイング	2:32.8	牡4	的場均	飯塚好次	松浦安雄
第26回	1988年11月20日	レジェンドテイオー	2:38.1	牡5	郷原洋行	田村駿仁	(有)貞文
第27回	1989年11月19日	クリロータリー	2:33.5	牝5	郷原洋行	吉野勇	栗林英雄
第28回	1990年11月18日	メジロモントレー	2:32.9	牝4	横山典弘	奥平真治	(有)メジロ牧場
第29回	1991年11月17日	ヤマニングローバル	2:32.6	牡4	横山典弘	浅見国一	土井宏二
第30回	1992年11月22日	ミナミノアカリ	2:33.5	牡4	藤田伸二	庄野穂積	岩谷包美
第31回	1993年11月20日	ムッシュシェクル	2:32.6	牡5	藤田伸二	小林稔	藤立啓一
第32回	1994年11月19日	マチカネアレグロ	2:31.3	牡3	河内洋	浅見秀一	細川益男
第33回	1995年11月18日	ゴーゴーゼット	2:31.3	牡4	村本善之	新井仁	林儀信
第34回	1996年11月16日	エルウェーウィン	2:31.8	牡6	南井克巳	坪憲章	雑古隆夫
第35回	1997年11月1日	タイキエルドラド	2:32.2	牡3	岡部幸雄	藤沢和雄	(有)大樹ファーム
第36回	1998年11月7日	ユーセイトップラン	2:32.9	牡5	佐藤哲三	音無秀孝	(有)アサヒクラブ
第37回	1999年11月6日	マーベラスタイマー	2:32.0	牡5	的場均	矢野照正	笹原貞生
第38回	2000年11月5日	マチカネキンノホシ	2:33.9	牡4	岡部幸雄	藤沢和雄	細川益男
第39回	2001年11月4日	トウカイオーザ	2:32.0	牡4	蛯名正義	松元省一	内村正則
第40回	2002年11月3日	サンライズジェガー	2:30.6	牡4	岡部幸雄	福永甲	(株)松岡
第41回	2003年11月9日	アクティブバイオ	2:31.9	牡6	武幸四郎	崎山博樹	バイオ(株)
第42回	2004年11月7日	レニングラード	2:33.8	牡5	横山典弘	音無秀孝	近藤英子
第43回	2005年11月6日	 サクラセンチュリー	2:32.4	牡5	佐藤哲三	佐々木晶三	(株)さくらコマース
第44回	2006年11月5日	 トウショウナイト	2:31.0	牡5	武士沢友治	保田一隆	藤田衛成
第45回	2007年11月4日	 アドマイヤジュピタ	2:30.9	牡4	村田一誠	友道康夫	近藤利一
第46回	2008年11月9日	 スクリーンヒーロー	2:30.8	牡4	蛯名正義	鹿戸雄一	吉田照哉
第47回	2009年11月8日	 ミヤビランベリ	2:30.9	牡6	吉田隼人	加藤敬二	村上義勝
第48回	2010年11月7日	 トーセンジョーダン	2:30.0	牡4	三浦皇成	池江泰寿	島川隆哉

アサクサキングス

アサクサキングス(Asakusa Kings)の主な勝ち鞍は、2007年の菊花賞、きさらぎ賞、2009年の京都記念、阪神大賞典。

アサクサキングス2006年10月に鞍上に四位洋文を迎え東京競馬場でデビューした。新馬戦を2馬身差で勝利すると次走の条件戦の百日草特別(500万下)も乗り替りで騎乗した横山典弘で勝利した。そして再び鞍上を四位洋文にし、重賞のラジオNIKKEI杯2歳ステークスに出走したが、道中不利を受けフサイチホウオーの5着に敗れた。
アサクサキングス 2007年
2007年初戦に出走したきさらぎ賞では3番人気に推された。四位洋文が落馬負傷のため武幸四郎を鞍上に迎えレースに挑み、逃げ切りで重賞初制覇を果たした。
しかし、続く皐月賞では逃げるヴィクトリーなどを捕らえることができず、更には後続にも交わされ7着に敗れると、次走のNHKマイルカップでは11着に敗れた。
その後は東京優駿(日本ダービー)に出走した。2007年に入ってから手綱を取っていた武幸四郎がヒラボクロイヤルに騎乗するため、鞍上は福永祐一で挑戦した。人気は14番人気と評価は非常に低かったが、ヴィクトリーが少し出遅れたこともありスムーズに先頭に立ちそのまま直線に入り、最後はウオッカに交わされながらも2着に入った。
その後は宝塚記念に出走した。武幸四郎がカワカミプリンセスに、福永祐一はアドマイヤフジに騎乗するため松岡正海が騎乗した。しかし、レースでは不利もあり15着に敗れた。
秋は神戸新聞杯から始動。武幸四郎が落馬負傷のため鞍上は四位洋文に戻った。レースでは直線で一度先頭に立つが、大外からドリームジャーニーに差された。しかし2着に入り菊花賞の優先出走権を獲得した。
そして第68回菊花賞では、先頭集団の様子を伺う形で5番手あたりにつけると、直線に向いてからは粘るホクトスルタンを交わし、後ろから追い込んでくるアルナスラインとの激しい叩き合いを制し、JpnI初勝利を果たした。レース後は、10月25日にグリーンウッドへ1週間の短期放牧に出され、帰厩後はジャパンカップに向かう予定であったが、出走登録は行わず、12月23日の有馬記念‎を目標に調整していたが、12月6日に体調が整わないため出走回避が発表され、翌12月7日に山元トレーニングセンターへ放牧に出された。なお12月6日に有馬記念ファン投票の最終結果で8位となる5万2149票を獲得したことが発表された。
日本ダービー2着の実績があったことや、同年のNHKマイルカップと日本ダービーは牝馬が優勝したことで、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。

アサクサキングス 2008年
4歳になって初戦は大阪杯に出走し、直線でダイワスカーレットに並びかけるも、直後にそのダイワスカーレットと接触し、その後突き放され結果は3着だった。次走の天皇賞(春)では1番人気に支持されたがアドマイヤジュピタ、メイショウサムソンにかわされ3着に敗れた。
6月12日に第49回宝塚記念ファン投票の最終結果で3位となる5万856票を獲得したことが発表され、6月29日の宝塚記念に出走した。レースでは、最後の直線で左右にふらついたこともあって、5着に敗れた。しかも、これが原因でインティライミとメイショウサムソンに不利を与えてしまった。特にメイショウサムソンに至っては勝ち馬のエイシンデピュティにクビ差迫っていたこともあり、レース後にはメイショウサムソンに騎乗していた武豊が怒りを顕わにした。宝塚記念後は山元トレーニングセンターに放牧に出された。10月8日に栗東に帰厩し、シーズン後半緒戦は体調、仕上がりを考慮して決定されることとなった。考慮の結果、天皇賞(秋)に特別登録され、鞍上には新たに藤岡佑介を迎えることが決定した。そして初コンビで挑んだ天皇賞では8着に敗れた。その後、11月30日のジャパンカップではクリストフ・ルメールとのコンビで挑んだが、先行せず後ろからの競馬に回った結果8着に終わった。有馬記念では最下位14着に大敗した。

アサクサキングス 2009年
5歳になって初戦は京都記念に出走、外のサクラメガワンダーとの叩き合いを制し、2007年菊花賞以来の勝利を収めた。続く阪神大賞典では大逃げするテイエムプリキュアを直線で捕らえ、最後は内から伸びたヒカルカザブエとの叩き合いを制し連勝、重賞4勝目を挙げた。その後、5月3日の天皇賞(春)に出走、昨年同様1番人気に支持された。しかし、好位でレースを進め、直線外に持ち出すも伸びを欠いてマイネルキッツの9着に終わった。 秋初戦は天皇賞(秋)に出走、11番人気と評価を大きく落としていた。レースは終始後方からの競馬を余儀なくされ、まったく見せ場無く最下位の18着に大敗した。ジャパンカップも出走したが、いつもの先行策に出るも直線で失速、ここでも16着に大敗した。

アサクサキングス 2010年
6歳となり、緒戦は連覇がかかった阪神大賞典から始動。レースでは2番手で追走し、最後の直線で一旦先頭に立つも外から追い込んできたトウカイトリック、ジャミール、メイショウベルーガにかわされ4着に敗れた。このレース中に左前脚を打撲したため、天皇賞(春)を回避して長期休養に入った。

アサクサキングス 2011年
6月26日の宝塚記念で復帰、先団追走も直線で失速、最下位の16着に大敗した。レース後の6月29日、7月1日付で競走馬登録を抹消しブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入りが発表された。[1][2]

アサクサキングス 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤
量	距離(馬場)	タイム
(上3F)	着差	勝ち馬/(2着馬)
2006.	10.	15	東京	2歳新馬		12	5	5	4.4	(3人)	1着	四位洋文	55	芝1600m(良)	1:38.5(34.2)	-0.3	(モハチビスティー)
11.	4	東京	百日草特別		8	8	8	2.4	(1人)	1着	横山典弘	55	芝1800m(良)	1:47.5(34.5)	-0.1	(サンツェッペリン)
12.	23	阪神	ラジオNIKKEI杯2歳S	GIII	11	4	4	8.0	(4人)	5着	四位洋文	55	芝2000m(良)	2:02.5(35.1)	0.4	フサイチホウオー
2007.	2.	11	京都	きさらぎ賞	JpnIII	8	7	7	9.1	(3人)	1着	武幸四郎	56	芝1800m(良)	1:48.8(35.0)	-0.3	(ナムラマース)
4.	15	中山	皐月賞	JpnI	18	6	12	12.0	(6人)	7着	武幸四郎	57	芝2000m(良)	2:00.4(35.6)	0.5	ヴィクトリー
5.	6	東京	NHKマイルC	JpnI	18	1	1	6.8	(3人)	11着	武幸四郎	57	芝1600m(稍)	1:35.4(36.5)	1.1	ピンクカメオ
5.	27	東京	東京優駿	JpnI	18	8	16	84.5	(14人)	2着	福永祐一	57	芝2400m(良)	2:25.0(34.9)	0.5	ウオッカ
6.	24	阪神	宝塚記念	GI	18	7	15	55.5	(11人)	15着	松岡正海	53	芝2200m(稍)	2:17.3(41.4)	4.9	アドマイヤムーン
9.	23	阪神	神戸新聞杯	JpnII	15	7	13	18.2	(5人)	2着	四位洋文	56	芝2400m(良)	2:24.8(35.4)	0.1	ドリームジャーニー
10.	21	京都	菊花賞	JpnI	18	5	10	8.4	(4人)	1着	四位洋文	57	芝3000m(良)	3:05.1(35.8)	0.0	(アルナスライン)
2008.	4.	6	阪神	大阪杯	GII	11	6	6	12.4	(4人)	3着	四位洋文	59	芝2000m(良)	1:58.9(34.9)	0.2	ダイワスカーレット
5.	4	京都	天皇賞(春)	GI	14	8	13	3.6	(1人)	3着	四位洋文	58	芝3200m(良)	3:15.5(35.5)	0.4	アドマイヤジュピタ
6.	29	阪神	宝塚記念	GI	14	7	11	8.7	(4人)	5着	四位洋文	58	芝2200m(重)	2:15.7(37.5)	0.4	エイシンデピュティ
11.	2	東京	天皇賞(秋)	GI	17	1	1	21.2	(6人)	8着	藤岡佑介	58	芝2000m(良)	1:57.7(35.0)	0.5	ウオッカ
11.	30	東京	ジャパンC	GI	17	7	15	12.9	(6人)	8着	C.ルメール	57	芝2400m(良)	2:26.1(34.4)	0.6	スクリーンヒーロー
12.	28	中山	有馬記念	GI	14	7	12	29.5	(9人)	14着	四位洋文	57	芝2500m(良)	2:34.3(39.1)	2.8	ダイワスカーレット
2009.	2.	21	京都	京都記念	GII	12	6	9	8.9	(3人)	1着	四位洋文	58	芝2200m(良)	2:14.6(35.6)	0.0	(サクラメガワンダー)
3.	22	阪神	阪神大賞典	GII	12	6	7	3.7	(2人)	1着	四位洋文	58	芝3000m(重)	3:13.2(38.3)	0.0	(ヒカルカザブエ)
5.	3	京都	天皇賞(春)	GI	18	8	17	3.5	(1人)	9着	四位洋文	58	芝3200m(良)	3:15.3(35.8)	0.9	マイネルキッツ
11.	1	東京	天皇賞(秋)	GI	18	3	6	47.5	(11人)	18着	四位洋文	58	芝2000m(良)	1:59.3(34.5)	2.1	カンパニー
11.	29	東京	ジャパンC	GI	18	1	1	43.9	(10人)	16着	岩田康誠	57	芝2400m(良)	2:25.5(38.0)	3.1	ウオッカ
2010.	3.	21	阪神	阪神大賞典	GII	14	8	14	7.3	(6人)	4着	岩田康誠	58	芝3000m(良)	3:07.5(37.3)	0.2	トウカイトリック
2011.	6.	26	阪神	宝塚記念	GI	16	3	6	232.9	(15人)	16着	浜中俊	58	芝2200m(良)	2:14.4(39.0)	4.3	アーネストリー

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