競馬用語&競走馬 さ行 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

シンボリルドルフ 競走馬引退後

シンボリルドルフ 競走馬引退後
シンボリルドルフは公開入札という広く株主を募集する手法で10億円(2000万円×50株)のシンジケートが組まれ、北海道門別町のシンボリ牧場で種牡馬生活に入った。1世代目の産駒が1990年にデビューし、そのなかから自身に勝るとも劣らないGI4勝の二冠馬トウカイテイオーを出した。

このトウカイテイオーにより父子2代連続の無敗での皐月賞・東京優駿の二冠制覇を達成した。2世代目の産駒からも4歳牝馬特別、東京新聞杯優勝のキョウワホウセキや、ステイヤーズステークス優勝、宝塚記念2着のアイルトンシンボリ、フランスの重賞で2着に入ったジャムシードを輩出した。

1994年にはアイルトンシンボリらの活躍により生涯の最高位となる種牡馬ランキング6位に入った。その後中央競馬の重賞馬を出せないでいたが、1999年にツルマルツヨシが朝日チャレンジカップ、京都大賞典に優勝した。
また、雑誌『Number』で行われた競馬関係者による「20世紀の名馬アンケート」ではシンザンに次ぐ2位に選ばれた。
2004年をもって種牡馬を引退後は日高町のシンボリ牧場で功労馬として余生を過ごした。

また、同年8月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「シンボリルドルフメモリアル」が初出走を果たした新潟競馬場にて施行された。
29歳となった2010年1月に、冬の北海道の寒さは厳しいという配慮で、23年間繋養されていた富川のシンボリ牧場から千葉のシンボリ牧場に移動した。
2010年11月28日にはジャパンカップが第30回を迎えたことを記念して、東京競馬場でのパドック展示が行われ、引退式以来24年ぶりに競馬場へ輸送され、若々しい馬体をファンに披露した。なお、この年のジャパンカップはブエナビスタが1着入線しており、勝てばシンボリルドルフ・トウカイテイオー以来2例目の父仔制覇(ブエナビスタの父はスペシャルウィーク)となるはずだったが、皮肉にもブエナビスタは降着処分を受けてしまった。
2011年10月4日、繋養先の千葉シンボリ牧場にて死亡した。馬齢30歳。
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シンボリルドルフ 競走成績

シンボリルドルフ 競走成績
年月日競馬場競走名格頭数枠順人気着順騎手斤量距離(馬場)タイム(上り3F)着差勝ち馬/(2着馬)
1983.07.23新潟3歳新馬1061人1着岡部幸雄53芝1000(不)0:59.2 (35.1)-0.4(ブロークンヒル)
10.29東京いちょう特別1741人1着岡部幸雄53芝1600(稍)1:37.3 (36.7)-0.3(エビスジョウジ)
11.27東京オープン511人1着岡部幸雄55芝1600(良)1:39.9 (36.4)-0.3(ハルーダ)
1984.03.04中山弥生賞GIII14122人1着岡部幸雄55芝2000(良)2:01.7 (35.4)-0.3(ビゼンニシキ)
04.15中山皐月賞GI18101人1着岡部幸雄57芝2000(良)2:01.1 (36.2)-0.2(ビゼンニシキ)
05.27東京東京優駿GI21101人1着岡部幸雄57芝2400(良)2:29.3 (37.2)-0.3(スズマッハ)
09.30中山セントライト記念GII1051人1着岡部幸雄56芝2200(良)2:13.4 (35.6)-0.5(オンワードカメルン)
11.11京都菊花賞GI1851人1着岡部幸雄57芝3000(稍)3:06.8 (35.3)-0.1(ゴールドウェイ)
11.25東京ジャパンCGI14124人3着岡部幸雄55芝2400(良)2:26.5 (34.5)0.2カツラギエース
12.23中山有馬記念GI1141人1着岡部幸雄55芝2500(良)2:32.8 (35.0)-0.3(カツラギエース)
1985.03.31中山日経賞GII861人1着岡部幸雄58芝2500(稍)2:36.2 (35.5)-0.7(カネクロシオ)
04.29京都天皇賞(春)GI15151人1着岡部幸雄58芝3200(良)3:20.4 (36.8)-0.4(サクラガイセン)
06.02阪神宝塚記念GI103岡部幸雄56芝2200(良)出走取消スズカコバン
10.27東京天皇賞(秋)GI17171人2着岡部幸雄58芝2000(良)1:58.8 (35.8)0.1ギャロップダイナ
11.24東京ジャパンCGI15151人1着岡部幸雄57芝2400(重)2:28.8 (37.4)-0.3(ロツキータイガー)
12.22中山有馬記念GI1061人1着岡部幸雄57芝2500(良)2:33.1 (36.1)-0.7(ミホシンザン)
1986.03.29サンタアニタサンルイレイSG1753人6着岡部幸雄57.2芝12f(良)2:26.8(不明)Dahar
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シンボリルドルフの故障、引退騒動、6歳時

シンボリルドルフ故障による引退騒動と奇跡的復活

シンボリルドルフは、宝塚記念直前に故障して、その後の回復ぶりは芳しくないものだった。

その段階で、すでにシンザンと並ぶ五冠馬となっていたルドルフは引退が噂されるようになり、7月10日にはそれを裏付けるように「体調不十分による欧州遠征中止、そして同時に引退する」との和田の談話が発表された。当時、ルドルフの遠征予定に合わせ、先だって欧州修行に出ていた岡部は、発表翌日にその報を聞きひどく落胆したという。

しかし、原因不明の筋肉痛に苦しんでいたルドルフに対し、和田は再度の引退宣言を出しながらもなんとか復帰できないかと治療を続けていた(これに対し、岡部は「シンザンを越す六冠をルドルフに取らせたいと言う野心のカケラがみじんもなかったとは断言できないだろう」と語っている[24])。そして、夏のある日に牧場で「イチかバチかの大バクチ」と祈る思いでやった笹針治療が功を奏し、ルドルフの体調は回復に向かい、和田は引退宣言を撤回する。

しかし、そのような状態でぶっつけで挑んだ天皇賞はとても万全の状態とは言えず、ギャロップダイナに惜敗。それでも管理する野平は「競馬に絶対はないと言うが、ルドルフは例外。
今度(ジャパンカップ)は気楽にいけるさ」との談話を残した。そして、その言葉通り、続くジャパンカップ、有馬記念を快勝するのである。
シンボリルドルフ 6歳 
1986年、この年シンボリルドルフは海外遠征に旅立つことになるが、和田と野平の計画は微妙に異なるものであった。和田はまず春にアメリカ遠征に行き、それから秋にヨーロッパ遠征に行くという考えだったが、それに対して野平の計画は、春に休養させてから秋にヨーロッパ遠征に行くというものだった。

この点をめぐって和田と野平の間に確執が起こり、結局和田の計画が実行されるが、調教から何からを現地のスタッフに任せる事態となった。シンボリルドルフはまずサンタアニタ競馬場のサンルイレイステークス (G1) に出走し、次にサンフアンカピストラーノインビテーショナルハンデキャップに出走する予定だった。

しかし迎えたサンルイレイステークスではDahar(ダハール)の6着に敗れた。コースの特徴でもあるダートコースを横切る場所で左前脚繋靭帯炎を発症したことが敗戦の理由とされ、その日のテレビではNHKをはじめ各局がニュースなどでシンボリルドルフの故障、敗戦を報じた。
そして帰国後、海外再挑戦が検討されるも最終的には引退となり、12月7日には中山競馬場で引退式が行われた。シンボリルドルフは「7」の番号と王冠のマークが描かれたゼッケンをつけて姿を現した。
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シンボリルドルフ 5歳時

シンボリルドルフ 5歳

シンボリルドルフの1985年初戦の日経賞は単勝オッズが100円元返しだった。
レースでは逃げる馬がいないので押し出される形で先頭に立ったが、4馬身差で勝つ。岡部は手綱を持ったままであった。

次走の天皇賞(春)はミスターシービーがいつもと違って先行策に出たが、結局2馬身2分の1差で快勝。2着にも同じパーソロン産駒のサクラガイセンが入り、ミスターシービーは5着に敗れた。

表彰式で岡部は5本指を立てた。その後、同年の東京優駿優勝馬であるシリウスシンボリとともにキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへの海外遠征が予定された。
海外遠征を控え、資金稼ぎと一部の風評があった宝塚記念に出馬投票を行ったが、レース前日の土曜日の段階で左肩跛行により出走を取り消した。これは、シンボリルドルフが阪神競馬場の杜撰な芝の張替えによって芝がはがれてダートがむき出しになった部分であわや落馬かという転倒をしたことが原因である。

結局この故障によりシンボリルドルフの海外遠征は取りやめとなり、シリウスシンボリのみ渡欧。和田からは引退宣言もでた[22]。
引退宣言からの奇跡的な復活後、天皇賞(秋)にはぶっつけ本番で挑み、ここでも1番人気に支持された。しかし当時は不利とされていた東京競馬場芝2000メートルコースの大外17番枠からの発走で、さらにレースはハイペースとなり、ニホンピロウイナーやウインザーノットらを競り落とすも、ゴール前で13番人気の伏兵ギャロップダイナの大外強襲の前に2分の1馬身差の2着に屈した。

天皇賞(秋)敗退後、馬房のなかでシンボリルドルフが悔し涙にくれたという話が報道された。
前年に負けたジャパンカップは悪天候の重馬場での競走であったが無難にこなし、ジャパンカップ史上初の1番人気での優勝馬となった。

2着にも地方競馬代表のロツキータイガー(大井競馬所属)が入り、同じく史上初となる日本馬のワンツーフィニッシュとなった。表彰式で岡部は六冠を示すために手を手綱から離し、指を1本置いた。
シンボリルドルフにはふたたび海外遠征が計画され、有馬記念は日本国内でのラストランとなった。このレースを前に調教師の野平は強い勝ち方をするよう岡部に指示をした。

レースでは、直線半ばでムチを2発入れて追い出しを開始すると、同年の皐月賞、菊花賞の二冠を制したミホシンザン以下を4馬身突き放し優勝した。フジテレビの盛山毅アナウンサーの実況「世界のシンボリルドルフやはり強い、日本のミホシンザンを離す」「ルドルフはもう日本でのレースはありません」は名文句となった。

この年5戦4勝2着1回で、満票で2年連続の年度代表馬に選出された。年度代表馬を満票で受賞したのはテンポイント(1977年)、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー(2000年)の3頭である。
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シンボリルドルフ 4歳時

シンボリルドルフは、
1984年、4歳初戦として弥生賞に出走した。
このレースはシンボリルドルフにとって3か月ぶりとなり、18キログラム増の馬体重で出走した。
このレースではそれまで岡部が主戦騎手を務め4連勝中であったビゼンニシキが単勝1番人気となったがこれを1馬身4分の3差で破った。
ふたたびビゼンニシキとの2強対決となり、2頭に人気が集中しそうだったため2頭とも単枠指定とされた。今度はシンボリルドルフが1番人気となった。

シンボリルドルフは道中3番手で競馬を進め、第4コーナーでは先頭になった。直線に入るとビゼンニシキと一騎打ちになり、シンボリルドルフは外側を走るビゼンニシキと激しくぶつかり合い、外に斜行している。

しかし最後はビゼンニシキを1馬身4分の1抑えてレースレコードで一冠達成。ただし、この斜行で岡部騎手は2日間の騎乗停止処分を受けている。

表彰式で三冠を意識して岡部が一冠を示す1本指を指し示した(このパフォーマンスはのちにディープインパクトに騎乗した武豊も行った)。
東京優駿(日本ダービー)はビゼンニシキとの「SBダービー」と呼ばれた。

皐月賞に続いて揃って単枠指定とされた2頭の連勝複式馬券は銀行馬券と思われ、今も投票額最高記録を維持している。しかし単勝ではオッズ1.3倍とシンボリルドルフの圧倒的1番人気だった。

シンボリルドルフが向こう正面で岡部のゴーサインに反応しなかったために競馬場は騒然となったが、直線に入ると自らハミをとり3頭併せで先を行くスズマッハ・フジノフウウン・スズパレードを差し切り二冠達成。この出来事から岡部は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。

無敗での二冠制覇はトキノミノル、コダマ以来3頭目の快挙だった。ビゼンニシキは14着と沈んだ。

ここでも岡部は表彰式で二冠を示す2本指を立てた。
ダービー後、和田はルドルフの海外遠征を計画。

新聞などでも報道された[7]。しかし、ルドルフが右前脚に故障を発症したことと検疫条件が整わなかったことが重なり、7月に海外遠征の中止が発表された[8]。
秋緒戦、故障した右肩も回復し、すっかりリフレッシュしたシンボリルドルフはセントライト記念をレコードタイムで優勝。そして、三冠最後の菊花賞に挑む。

表彰式では岡部が三冠を示す3本指を立てた。そして3000メートルの菊花賞後、中1週の強行軍でジャパンカップへと駒を進めた。
前走で天皇賞(秋)を制した前年の三冠馬ミスターシービーも出走し、史上初の三冠馬同士の対戦となったジャパンカップだったが、シンボリルドルフは下痢をするなど体調不良が大きく報道され、生涯最低の4番人気となった。1番人気はミスターシービーだった。

しかし、レースは10番人気と前走の天皇賞(秋)から大きく人気を落としていた宝塚記念馬カツラギエースが逃げ切り勝ちを収め、史上初の日本馬のジャパンカップ優勝馬となった。シンボリルドルフはミスターシービー(10着)にこそ先着するものの、イギリスから参戦したベッドタイムにも及ばず3着と敗れ、連勝記録は8でストップした。
初の敗戦後に迎えた有馬記念は、ファン投票こそミスターシービーに次ぐ2位だったものの、単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持される。岡部は、前走カツラギエースにノーマークで逃げ切られた反省から、カツラギエースをマークする競馬に徹した。

最後の直線で先頭に立つと、粘るカツラギエースに2馬身差をつけてレコードタイムで優勝。中央競馬史上初の4歳四冠を達成した。

表彰式で岡部は4本指を立てた。この年7戦6勝3着1回で年度代表馬に選出された。
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シンボリルドルフ  3歳時

シンボリルドルフ (Symboli Rudolf) は、

日本競馬史上4頭目のクラシック三冠馬であり、また初めて無敗でクラシック三冠を達成した。
三冠を含め、GI競走で通算7勝。1984年度優駿賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬、1985年度同年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬。
主戦騎手は岡部幸雄。
シンボリ牧場で、スイートルナにパーソロンを交配し、その結果1981年にスイートルナの4番目の産駒として生まれたのがシンボリルドルフだった。
額に三日月に似た形がついているという特徴を持ち、誕生から立ち上がるまでにかかる時間がわずか20分だったという。

牧場にいるころは「ルナ」と呼ばれていた。

シンボリルドルフ 競走馬時代
シンボリルドルフ 3歳

シンボリルドルフ 競走内容

1983年7月23日、新潟競馬の新馬戦でデビューし、優勝した。
このときのレースぶりについて岡部は「1000メートルで1600メートルの競馬を覚えさせた」と述べた。
新馬戦のあとシンボリ牧場で調整されたシンボリルドルフは10月上旬に美浦トレーニングセンターへ戻り、10月29日のいちょう特別を優勝した。野平はこのときの岡部の騎乗を見て「1600メートルのレースで2400メートルの競馬をした」と語っている。
3走目には朝日杯3歳ステークスではなく11月27日の一般オープン競走が選択され、優勝した。
シンボリルドルフ 3歳時のローテーション

シンボリルドルフ デビュー戦について
当時は期待の大きい馬が夏にデビューする場合、北海道で行われるレースに出走するのが一般的であった。

そのため新潟でデビューしたシンボリルドルフは、デビュー当初はそれほど期待されていなかったのだという説がある。
これに対して野平は美浦トレーニングセンターと北海道を往復することによってかかる負担を避けたかったことと、芝のレースでデビューさせたかった[4]ことから新潟のレースに出走させることを決定したとしている。
また、このときのレースは芝1000メートルであったが、野平は岡部に対し「1600メートルのつもりで乗ってほしい」と騎乗の際に話している。

シンボリルドルフ 朝日杯3歳ステークス不出走について

シンボリルドルフは関東の3歳チャンピオン決定戦であった朝日杯3歳ステークスに出走せず、11月27日の一般オープン競走に出走した。

このレースはシンボリルドルフにとって3か月ぶりとなり、18キログラム増の馬体重で出走した。このレースではそれまで岡部が主戦騎手を務め4連勝中であったビゼンニシキが単勝1番人気となったがこれを1馬身4分の3差で破った。
ふたたびビゼンニシキとの2強対決となり、2頭に人気が集中しそうだったため2頭とも単枠指定とされた。今度はシンボリルドルフが1番人気となった。

シンボリルドルフは道中3番手で競馬を進め、第4コーナーでは先頭になった。直線に入るとビゼンニシキと一騎打ちになり、シンボリルドルフは外側を走るビゼンニシキと激しくぶつかり合い、外に斜行している。

しかし最後はビゼンニシキを1馬身4分の1抑えてレースレコードで一冠達成。ただし、この斜行で岡部騎手は2日間の騎乗停止処分を受けている。

表彰式で三冠を意識して岡部が一冠を示す1本指を指し示した(このパフォーマンスはのちにディープインパクトに騎乗した武豊も行った)。
東京優駿(日本ダービー)はビゼンニシキとの「SBダービー」と呼ばれた。

皐月賞に続いて揃って単枠指定とされた2頭の連勝複式馬券は銀行馬券と思われ、今も投票額最高記録を維持している。しかし単勝ではオッズ1.3倍とシンボリルドルフの圧倒的1番人気だった。

また回避馬が続出し、当時の戦後最少頭数となる21頭でのレースとなった。レースではスズマッハが逃げる展開となった。

シンボリルドルフが向こう正面で岡部のゴーサインに反応しなかったために競馬場は騒然となったが、直線に入ると自らハミをとり3頭併せで先を行くスズマッハ・フジノフウウン・スズパレードを差し切り二冠達成。この出来事から岡部は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。

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シンメイフジ(英: Shimmei Fuji)

シンメイフジ(英: Shimmei Fuji)は、
主な勝ち鞍は新潟2歳ステークス(2009年)、関東オークス(2010年)。馬名の由来は冠名+父名の一部より。
シンメイフジ 2歳(2009年)
2009年7月5日、阪神の芝1200メートルの2歳新馬戦で武豊とのコンビでデビューし、1.6倍の1番人気に応えてデビュー戦初勝利を挙げた。続く8月8日のダリア賞でも1番人気の支持を得たが、先に抜け出したプリンセスメモリーに先着を許した。

3戦目の9月6日の新潟2歳ステークスが重賞初挑戦となり、最後方追走から上がり3F32秒9の末脚を見せて岩田康誠との新たなコンビで重賞初勝利を飾った。これで岩田康誠は騎手として同レース史上3人目の連覇となった。

阪神の第61回阪神ジュベナイルフィリーズでは3.9倍の単勝1番人気と支持されたが、道中後方待機から伸びきれず5着となった。

シンメイフジ 3歳(2010年)
2010年の始動戦は3月20日のフラワーカップ。

好スタートを決めハナに立ち、道中も先頭でレースを進めた。直線に入って一旦突き放すも3番人気のオウケンサクラに並ばれると後退し5着。

6月16日、川崎で行われた第46回関東オークスでは内田博幸が手綱を取り初ダートとなったが、1番人気に支持され、課題のスタートも五分に出て好位追走から抜け出し2着に0.3秒差突き離して快勝した。6月30日、右第1指骨剥離骨折を発症していることが判明した。

シンメイフジ 4歳(2011年)
7ヵ月半ぶりの実戦復帰となった2011年2月2日の第14回TCK女王盃では内枠を利してハナに立ち先頭でレースを進めたが直線で後退し5着に敗れた。続く3月20日の第59回中京記念では先団から追走して4着。

ショウリュウムーン

ショウリュウムーンは、
名前の由来は昇竜に母の名前の一部であるムーンからとった。
2009年 
11月22日京都競馬場の新馬戦芝1400mで7番人気で2着に惜敗。

2戦目は12月6日の阪神の未勝利戦で1番人気に推されるも3着に終わる。
ショウリュウムーン 2010年
2月14日の京都未勝利戦で3戦目で未勝利を脱出した。

次走のチューリップ賞は9番人気だったが、直線先頭のアパパネをゴール前差しきり重賞初挑戦で初制覇し桜花賞の優先出走権を獲得した。鞍上の兵庫県競馬所属の木村健にとってもJRA重賞初制覇となった。

古馬との初対戦となったクイーンステークスでは中団から追い上げるも人気通りの5着に敗れた。秋華賞ではいつもの様に中団で待機するも直線では全く伸びず16着と大敗した。

マイラーズカップでは終始後方のまま14着と大敗した。そして本番のヴィクトリアマイルでは中団後方で待機するも見せ場無く13着。

クイーンステークスでは後方から追い上げるも5着に敗れた。ポートアイランドステークスでは内から馬群を捌いて抜け出すと、大外から伸びてきたロードバリオスをクビ差凌いで勝利した。

ショウリダバンザイ

ショウリダバンザイは、馬名の由来は「勝利だ万歳」から。
ショウリダバンザイ 2歳時 
ホッカイドウ競馬デビューであり、2009年5月20日のデビュー戦は門別で行われたJRA認定フレッシュチャレンジだった。

8頭立ての1番人気に推され勝利すると、次走は7月7日の栄冠賞に出走し、前走に引き続き1番人気に推されたが5着に敗れた。
3走目は8月11日のリリーカップで、3戦連続の1番人気だったが3着に敗れ、続く9月24日のルールオブロー賞では、2番人気となったが、デビュー戦以来の勝利を挙げた。
5走目に10月22日のエーデルワイス賞に出走、前走は勝利したものの3番人気で6着となり、6走目は水沢競馬場に遠征して南部駒賞に出走し、3番人気で4着となった。

ショウリダバンザイ 3歳時
年が明けてホッカイドウから大井に転厩し、3歳初戦は1月21日の桃花賞に出走すると、転厩初戦を勝利で飾った。

続く転厩2戦目に3月24日に浦和競馬場で行われた桜花賞に出走。レースは中団追走から徐々に進出し、4コーナーから先頭に並ぶと最後の直線では後続との差を広げ、1番人気だったバックアタックに2馬身半の差をつけて転厩2連勝とした。
さらに南関東へ戻り、11月17日に川崎競馬場で行われたロジータ記念に出走すると、最後の直線で1番人気ハーミアを交わし優勝。重賞3勝目となった。

ショウリダバンザイ 4歳時
初戦は2月2日のTCK女王盃に出走、後方追走のまま9着に終わった。4月18日付でホッカイドウ競馬の林和弘厩舎に復帰。

ノースクイーンカップでは1番人気のクラキンコを抑えて優勝、連覇を達成した。ビューチフル・ドリーマーカップではマチカネオイカゼの2着に敗れた。




 

サンライズプリンス

サンライズプリンスは、
主な勝ち鞍は2010年のニュージーランドトロフィー。
名前の由来は冠名+王子。
サンライズプリンス 2010年 
デビュー戦は1月24日、中京芝2000mの新馬戦。2着以下を9馬身差の圧勝でデビュー戦を飾る。

全勝のまま3戦目を中山の皐月賞トライアルのスプリングステークスだったが、4着となり惜しくも皐月賞の優先出走権を逃した。そして4月10日の中山のニュージーランドトロフィーは中山1600m戦の不利な大外16番枠を克服して重賞初制覇しNHKマイルカップの優先出走権を得た。

しかしNHKマイルカップは前目の競馬をしたものの直線伸びず4着となった。その後、右前浅屈腱炎を発症していたことが判明。

休養することになった。

サンライズプリンス競走成績

年月日競馬場競走名格頭数オッズ(人気)着順騎手斤量距離(馬場)タイム(上り3F)タイム差勝ち馬/(2着馬)
2010.1.24中京新馬153.6(2人)1着北村友一56芝2000m(良)2:02.1(36.2)-1.4(オーパスクイーン)
2.13中京ビオラ賞91.4(1人)1着北村友一56芝2000m(良)2:02.0(36.3)-0.6(アルティスト)
3.21中山スプリングSGII157.1(3人)4着北村友一56芝1800m(良)1:48.6(34.9)0.4アリゼオ
4.10中山ニュージーランドTGII163.4(1人)1着横山典弘56芝1600m(良)1:32.9(34.8)-0.3(ダイワバーバリアン)
5.9東京NHKマイルCGI182.7(2人)4着横山典弘57芝1600m(良)1:31.9(35.2)0.5ダノンシャンティ

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