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JBCクラシック 歴代優勝馬

JBCクラシック 歴代優勝馬
回数施行日開催競馬場施行距離優勝馬性齢所属勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回2001年10月31日大井競馬場ダート2000mレギュラーメンバー牡4JRA2:05.2松永幹夫山本正司(有)ノースヒルズマネジメント
第2回2002年11月4日盛岡競馬場ダート2000mアドマイヤドン牡3JRA2:05.6藤田伸二松田博資近藤利一
第3回2003年11月3日大井競馬場ダート2000mアドマイヤドン牡4JRA2:04.3安藤勝己松田博資近藤利一
第4回2004年11月3日大井競馬場ダート2000mアドマイヤドン牡5JRA2:02.4安藤勝己松田博資近藤利一
第5回2005年11月3日名古屋競馬場ダート1900m[2]タイムパラドックス牡7JRA2:00.9武豊松田博資(有)社台レースホース
第6回2006年11月3日川崎競馬場ダート2100m[2]タイムパラドックス牡8JRA2:16.1岩田康誠松田博資(有)社台レースホース
第7回2007年10月31日大井競馬場ダート2000mヴァーミリアン牡5JRA2:04.8武豊石坂正(有)サンデーレーシング
第8回2008年11月3日園田競馬場ダート1870m[2]ヴァーミリアン牡6JRA1:56.7武豊石坂正(有)サンデーレーシング
第9回2009年11月3日名古屋競馬場ダート1900m[2]ヴァーミリアン牡7JRA2:00.2武豊石坂正(有)サンデーレーシング
第10回2010年11月3日船橋競馬場ダート1800m[2]スマートファルコン牡5JRA1:49.9武豊小崎憲大川徹
第11回2011年11月3日大井競馬場ダート2000m
第12回川崎競馬場ダート2100m

JBCクラシックの記録
2着との最大着差 - 7馬身(第2回優勝馬アドマイヤドン、第10回優勝馬スマートファルコン)
最多勝騎手 - 5勝 武豊(第5、7~10回)
最多勝調教師 - 5勝 松田博資(第2~6回)
同一騎手による連続優勝 - 4連勝 武豊(第7回~継続中)

JBCクラシック 歴史

JBCクラシック 歴史
2001年 - サラ系3歳以上・指定交流・定量の重賞競走「JBCクラシック」を創設。

第1回は大井競馬場・ダート2000mで施行。
2004年
アドマイヤドンが史上初の3連覇。
安藤勝己が騎手として史上初の連覇。
2005年 - 馬主・関口房朗が代表を務める株式会社FDOが協賛(2006年まで)。

この年のみ競走馬関連情報サイト「フサイチネット」を冠にした「フサイチネット協賛 農林水産大臣賞典 JBCクラシック」として施行。
2006年
タイムパラドックスが史上2頭目の連覇、同時に平地GI級競走(中央・地方)では史上最高齢となる8歳での優勝。
松田博資が調教師として史上初の5連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、格付け表記をJpnIに変更。
2008年
ヴァーミリアンが園田競馬場・ダート1870mのコースレコード(1:56.7)で優勝、3頭目の連覇。
武豊は騎手として2人目の連覇。
石坂正は調教師として2人目の連覇。
2009年
ヴァーミリアンがアドマイヤドンに続く3連覇と同時に、GI勝利数新記録となる8勝を達成。
武豊は騎手として初の3連覇。
2010年 - スマートファルコンが勝利し、武豊は騎手として初の4連覇。

JBCクラシック

JBCクラシック(ジェイビーシークラシック)とは日本のJBC実行委員会と施行競馬場を管轄下する地方競馬団体とで、各地方競馬の競馬場で持ち回り開催される「ジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)」で施行される地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 JBCクラシック」と表記される。
2001年から始まったジャパンブリーディングファームズカップのメイン競走として夏の帝王賞(JpnI・ダート2000m)、冬の東京大賞典(GI・ダート2000m)と並ぶ地方競馬の最高峰の競走として創設された。

JBCスプリントとともに開催地を固定せず、各地の競馬場が持ち回りで実施する方式が採用されている。
施行距離はダート2000mが基本だが、競馬場のコース事情により前後することもある[2]。
出走条件はトライアルレースの優勝馬及び、選定選抜されたサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬及び地方所属馬で、出走枠は競馬場のコース事情により毎年異なる。
負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減である。
Road to JBC(トライアル競走シリーズ) 
このシリーズは上記JBCクラシックの出走権をかけて争うシリーズで、大きくトライアル指定競走と選抜指定競走の2つで構成されている。

JBCクラシック トライアル指定レース
以下に示す2競走の優勝馬については中央競馬・地方競馬問わずに優先出走権が与えられる。
競走格付け競馬場距離備考
日本テレビ盃統一JpnII船橋競馬場ダート1800m
マイルチャンピオンシップ南部杯統一JpnI東京競馬場ダート1600mJBCスプリント優先出走権兼

JBC指定競走
次に示す各競走は、優勝馬がJBCの出走馬を決める選定の対象馬としてノミネートされる。2011年は以下の6競走(前年と同数)が指定されている。
競走	競馬場	距離	備考
青藍賞	盛岡競馬場	ダート1600m	JBCスプリント指定競走兼
東京記念	大井競馬場	ダート2400m	
オータムカップ	笠松競馬場	ダート1900m	
珊瑚冠賞	高知競馬場	ダート1900m	2010年より
姫山菊花賞	園田競馬場	ダート1700m	JBCスプリント指定競走兼
九州記念	荒尾競馬場	ダート2000m

JBCスプリント 歴代優勝馬

JBCスプリント 歴代優勝馬

回数	施行日	開催競馬場	施行距離	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	2001年
10月31日	大井競馬場	ダート1200m	ノボジャック	牡4	JRA	1:11.1	蛯名正義	森秀行	(有)池ばた
第2回	2002年
11月4日	盛岡競馬場	ダート1200m	スターリングローズ	牡5	JRA	1:11.4	福永祐一	北橋修二	(株)協栄
第3回	2003年
11月3日	大井競馬場	ダート1190m[4]	サウスヴィグラス	牡7	JRA	1:09.7	柴田善臣	高橋祥泰	南波壽
第4回	2004年
11月3日	大井競馬場	ダート1200m	マイネルセレクト	牡5	JRA	1:10.6	武豊	中村均	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第5回	2005年
11月3日	名古屋競馬場	ダート1400m	ブルーコンコルド	牡5	JRA	1:25.3	幸英明	服部利之	(株)荻伏レーシング・クラブ
第6回	2006年
11月2日	川崎競馬場	ダート1600m[5] [2]	ブルーコンコルド	牡6	JRA	1:39.6	幸英明	服部利之	(株)荻伏レーシング・クラブ
第7回	2007年
10月31日	大井競馬場	ダート1200m	フジノウェーブ	牡5	大井	1:11.0	御神本訓史	高橋三郎	大志総合企画(株)
第8回	2008年
11月3日	園田競馬場	ダート1400m	バンブーエール	牡5	JRA	1:25.6	松岡正海	安達昭夫	(有)バンブー牧場
第9回	2009年
11月3日	名古屋競馬場	ダート1400m	スーニ	牡3	JRA	1:25.9	川田将雅	吉田直弘	吉田和美
第10回	2010年
11月3日	船橋競馬場	ダート1000m	サマーウインド	牡5	JRA	0:57.6	藤岡佑介	庄野靖志	ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第11回	2011年
11月3日	大井競馬場	ダート1200m							
第12回		川崎競馬場	ダート1400m

JBCスプリント 歴史

JBCスプリント 歴史
2001年 - サラ系3歳以上・指定交流・定量の重賞競走「JBCスプリント」を創設。第1回は大井競馬場・ダート1200mで施行。
2005年 - 馬主・関口房朗が代表を務める株式会社FDOが協賛(2006年まで)。この年のみ競走馬関連情報サイト「フサイチネット」を冠にした「フサイチネット協賛 農林水産大臣賞典 JBCスプリント」として施行。
2006年
ダート1600mのJBCマイルとして施行。
ブルーコンコルドが史上初の連覇。
幸英明が騎手として史上初の連覇。
服部利之が調教師として史上初の連覇。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。
大井のフジノウェーブが地方馬として初の制覇。

JBCスプリント

JBCスプリント(ジェイビーシースプリント)とは日本のJBC実行委員会と施行競馬場を管轄下する地方競馬団体とで、各地方競馬の競馬場で持ち回り開催される「ジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)」で施行される地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しているため、正式名称は「農林水産大臣賞典 JBCスプリント」と表記される。
2001年から始まったジャパンブリーディングファームズカップの準メイン競走として春のかしわ記念(統一JpnI・ダート1600m)、秋のマイルチャンピオンシップ南部杯(統一JpnI・ダート1600m)と並ぶ地方競馬の短距離路線の最高峰の競走として創設された。

JBCクラシックとともに開催地を固定せず、各地の競馬場が持ち回りで実施する方式が採用されている。なお2006年は川崎競馬場で施行されたがダート1200mが設定できずダート1600mで施行、名称も「JBCマイル」に変更された[2]。
距離はダート1200mが基本であるが、競馬場のコース事情[3]により前後する。
出走条件はトライアルレースの優勝馬及び、選定選抜されたサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬及び地方所属馬で、出走枠は競馬場のコース事情により異なる。

Road to JBC(トライアル競走シリーズ) 
このシリーズはJBCスプリントの出走権をかけて争うシリーズで、大きくトライアル指定競走と選抜指定競走の2つで構成されている。

JBCスプリント トライアル指定競走
次に示す2競走の優勝馬については中央競馬・地方競馬問わずに優先出走権が与えられる。
競走格付け競馬場距離
東京盃統一JpnII大井競馬場ダート1200m
マイルチャンピオンシップ南部杯統一JpnI東京競馬場ダート1600m

JBC指定競走
次に示す各競走は、優勝馬がJBCの出走馬を決める選定の対象馬としてノミネートされる。2011年は以下の5競走(前年から1競走減)が指定されている。
競走	競馬場	距離	備考
アフター5スター賞	大井競馬場	ダート1200m	
青藍賞	盛岡競馬場	ダート1600m	JBCクラシックの指定競走兼
オータムスプリントカップ	金沢競馬場	ダート1400m	
道営スプリント	門別競馬場	ダート1200m	
姫山菊花賞	園田競馬場	ダート1700m	JBCクラシックの指定競走兼

ジャパンダートダービー 歴代優勝馬

ジャパンダートダービー 歴代優勝馬

回数	施行日	優勝馬	性齢	所属	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1999年7月8日	オリオンザサンクス	牡3	大井	2:06.9	早田秀治	赤間清松	日浦桂子
第2回	2000年7月12日	マイネルコンバット	牡3	JRA	2:06.4	大西直宏	稲葉隆一	(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第3回	2001年7月12日	トーシンブリザード	牡3	船橋	2:05.8	石崎隆之	佐藤賢二	稲垣博信
第4回	2002年7月4日	ゴールドアリュール	牡3	JRA	2:04.1	武豊	池江泰郎	(有)社台レースホース
第5回	2003年7月8日	ビッグウルフ	牡3	JRA	2:04.9	武豊	中尾正	(有)ビッグ
第6回	2004年7月8日	カフェオリンポス	牡3	JRA	2:04.5	柴田善臣	松山康久	西川清
第7回	2005年7月13日	カネヒキリ	牡3	JRA	2:04.9	武豊	角居勝彦	金子真人ホールディングス(株)
第8回	2006年7月12日	フレンドシップ	牡3	JRA	2:06.1	内田博幸	角居勝彦	吉田照哉
第9回	2007年7月11日	フリオーソ	牡3	船橋	2:02.9	今野忠成	川島正行	ダーレー・ジャパン・レーシング(有)
第10回	2008年7月9日	サクセスブロッケン	牡3	JRA	2:04.5	横山典弘	藤原英昭	高嶋哲
第11回	2009年7月8日	テスタマッタ	牡3	JRA	2:04.5	岩田康誠	村山明	吉田和美
第12回	2010年7月14日	マグニフィカ	牡3	船橋	2:05.2	戸崎圭太	川島正行	吉田照哉
第13回	2011年7月13日	グレープブランデー	牡3	JRA	2:04.9	横山典弘	安田隆行	(有)社台レースホース

ジャパンダートダービー 歴史

ジャパンダートダービー 歴史
1999年 - 大井競馬場のダート2000mの4歳(現3歳)の定量の統一グレード競走「ジャパンダートダービー」として創設、格付けは統一GI・南関東G1。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
船橋のトーシンブリザードが優勝、史上初の南関東4冠を達成。
2003年 - JRAの武豊が騎手として史上初の連覇。
2006年 - JRAの角居勝彦が調教師として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。なお、南関東グレード(G1)は併記しないことになった。
2008年 - ユキチャン効果で同レース最高売上11億2,690万700円を記録(ユキチャン自身は直前で蕁麻疹により回避)。
2009年 - JRA所属馬の出走枠が5頭から6頭に、南関東所属馬の出走枠が6頭から5頭にそれぞれ変更。
2011年 - 南関東二冠牝馬のクラーベセクレタが3位入線したが、後日、禁止薬物のカフェインが検出されたことから失格となる。

ジャパンダートダービー

ジャパンダートダービーとは、日本の特別区競馬組合が大井競馬場のダート2000mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 ジャパンダートダービー」と表記される。
1996年に創設された4歳ダート三冠(ユニコーンステークス・ダービーグランプリ・スーパーダートダービー)の3競走はいずれも秋に開催される競走だった為、「春にも4歳(現3歳)のダートチャンピオン決定戦を」と言う意見があった。

また特別区競馬組合が主催するダート4歳ダート三冠競走最終戦のスーパーダートダービーを統一GIIから統一GIに昇格を目指していた思惑とも合致しスーパーダートダービーをスーパーチャンピオンシップと改名の上、4歳ダート三冠から撤退および南関東交流競走に降格させ本競走を統一グレード競走のスーパーダートダービーの後身競走として春季に新設した。春の3歳ダートチャンピオン決定戦の位置付けで、統一JpnIとして開催されている。

なお、2006年までは南関東G1が併記されていた。
また新設年よりユニコーンステークス・ダービーグランプリと共に3歳ダート三冠を形成。

更に2002年より羽田盃・東京ダービーと共に南関東3歳三冠を形成した。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)の競走馬を前提としてフルゲート16頭で、JRA所属馬6頭、南関東所属馬5頭、南関東所属以外の地方所属馬5頭と出走枠が定められている。
負担重量は定量で56kg、牝馬は2kg減の54kgである。
なお、2007年までは1着入賞した地方所属馬に限りダービーグランプリの優先出走権が与えられた。
ジャパンダートダービーとは日本の特別区競馬組合が大井競馬場のダート2000mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnI)競走である。

農林水産大臣が賞を提供しており、正式名称は「農林水産大臣賞典 ジャパンダートダービー」と表記される。
1996年に創設された4歳ダート三冠(ユニコーンステークス・ダービーグランプリ・スーパーダートダービー)の3競走はいずれも秋に開催される競走だった為、「春にも4歳(現3歳)のダートチャンピオン決定戦を」と言う意見があった。

また特別区競馬組合が主催するダート4歳ダート三冠競走最終戦のスーパーダートダービーを統一GIIから統一GIに昇格を目指していた思惑とも合致しスーパーダートダービーをスーパーチャンピオンシップと改名の上、4歳ダート三冠から撤退および南関東交流競走に降格させ本競走を統一グレード競走のスーパーダートダービーの後身競走として春季に新設した。春の3歳ダートチャンピオン決定戦の位置付けで、統一JpnIとして開催されている。

なお、2006年までは南関東G1が併記されていた。
また新設年よりユニコーンステークス・ダービーグランプリと共に3歳ダート三冠を形成。

更に2002年より羽田盃・東京ダービーと共に南関東3歳三冠を形成した。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)の競走馬を前提としてフルゲート16頭で、JRA所属馬6頭、南関東所属馬5頭、南関東所属以外の地方所属馬5頭と出走枠が定められている。
負担重量は定量で56kg、牝馬は2kg減の54kgである。
なお、2007年までは1着入賞した地方所属馬に限りダービーグランプリの優先出走権が与えられた。

ジャパンダートダービー 優先出走権付与競走
地方所属馬に限り優先出走権保持馬、指定馬が所属枠内の頭数で出走できる。その指定競走は以下のとおり。
優先出走権トライアル競走(優先出走権は地方馬のみ)
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
兵庫チャンピオンシップ	統一JpnII	園田競馬場	ダート1870m	1着入賞
ユニコーンステークス	統一GIII	東京競馬場	ダート1600m	1着入賞
関東オークス	統一JpnII	川崎競馬場	ダート2100m	1着入賞
南関東トライアル競走
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
羽田盃	南関東S1	大井競馬場	ダート1800m	1着入賞
東京ダービー	南関東S1	大井競馬場	ダート2000m	1着・2着入賞
指定馬トライアル競走(ダービーWeek参加競走)
競走名	競走格	施行競馬場	施行コース	取得条件
九州ダービー栄城賞	KJ1	佐賀競馬場	ダート2000m	1着入賞
東海ダービー	SPI	名古屋競馬場	ダート1900m	1着入賞
兵庫ダービー	重賞	姫路競馬場	ダート1800m	1着入賞
岩手ダービーダイヤモンドカップ	D重賞	盛岡競馬場	ダート2000m	1着入賞
北海優駿(ダービー)	HI	門別競馬場	ダート2000m	1着入賞
また上記以外のダートグレード競走の1着入賞馬、兵庫チャンピオンシップの2着・3着入賞馬、中央競馬における重賞競走(2歳芝重賞・障害重賞除く)及びオープン特別競走(芝・障害・2歳競走を除く)の1着入賞馬にも指定馬としての権利が与えられる

シンボリルドルフ「七冠馬」のエピソード

シンボリルドルフのエピソード
シンボリルドルフをイメージした「七冠馬」という日本酒が作られている。
シンボリルドルフという馬名は発音がしにくく、レース実況においてアナウンサー泣かせの馬名といわれた。盛山毅はおもに「ルドルフ」、杉本清や草野仁はおもに「シンボリ」と略していた。
上記のようにシンボリルドルフという馬名は発音しづらいために、オーナーの和田は「ル」を省略して「シンボリドルフ」で登録しようと考えた。しかし、命名担当者の説得により「シンボリルドルフ」で登録された。
シンボリルドルフはもっぱらシンボリ牧場で調整され、レース前になると野平厩舎に入厩するというサイクルで競走生活を送った(外厩のはしりとも言える)。野平によると、環境が定期的に変化することがシンボリルドルフの精神にはリフレッシュ効果をもたらし、プラスに作用したという。
もっとも、これはシンボリルドルフだから通用したところもあり、のちにマティリアルに同じようなことをしたら逆効果になり、クラシックシーズン不振の原因となっている。
野平によると、厩舎の馬房にいるときは乱暴な振る舞いをしたが、馬房から外に出ると堂々として暴れることはなかったという。
野平は気ままに振る舞っていい場所をわきまえていたとしている。
シンボリルドルフの調教は、もっぱら野平自身が行った。
1990年度産駒のヤマトダマシイという馬は活躍が期待されていたが、新馬戦を勝利したあとの2戦目で故障し予後不良となった。管理していた藤沢和雄調教師は未だにその死を悔やんでおり、このことからシンボリルドルフの代表産駒として本馬の名を挙げるファンも多い。
カメラがどういうものであるかを漠然とながら理解していたらしく、取材時にカメラを向けると自分からポーズをとってくれたという。
野平は「競馬には絶対はない。だがシンボリルドルフには絶対がある」と1985年の天皇賞・秋の敗戦後にも強気に言いきった。
このことからも野平がシンボリルドルフに絶大な信頼を寄せていたことがうかがえる。
大橋巨泉は「この世代(シンボリルドルフの世代)は上の世代(ミスターシービーなどの世代)よりも強い」と発言し、
ミスターシービーのファンから不興を買った。引退式で大きく蛇行し騎乗していた岡部を振り落とそうとしていた。
ルドルフはシンボリホースメイトの共同馬主馬であった。
これはホースメイトに出す3歳馬をどれにするか決定する会議において、和田がルドルフをホースメイトにすることを決めたからである。
みなで喜べればこんないいことはない。もう私は、競馬をひとりで勝って、ひとりで喜ぶのに飽きているんだ」と語ったという。

競馬予想のレジまぐ
本日開催中のレース予想一覧

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