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女性騎手

女性騎手

女性騎手 概要
世界初の女性騎手は1936年に日本の京都競馬倶楽部での騎手免許試験に合格した斉藤澄子である。
しかし、競馬関係者が「女性騎手の存在は風紀を乱す」と反対運動を展開した結果、農林省および東京帝国競馬協会が斉藤のレース出場を禁止する通達を出したためレースに騎乗することができず、さらに1937年に発足した日本競馬会が男性であることを騎手の要件とした(当時)ため引退を余儀なくされた。吉永みち子の小説『繋(つな)がれた夢』の主人公は斉藤がモデルとなっている。

世界2例目の女性騎手は斉藤の引退から30年以上を経た1968年11月にアメリカで騎手免許を取得したペニー・アン・アーリーである。しかし男性騎手がストライキを起こすなどして抵抗し、斉藤と同様に一度もレースに出場することなく引退した。
このように完全なる男尊女卑の社会であったかつての競馬界において異色の存在であった女性騎手は、それ故にその誕生から不遇に満ちたものだった。

しかしその後、1960年代後半から起こったウーマンリブの世界的広がりなどの影響から、競馬界に於いても不当な男女差別が問題視されるようになり、以後実際にレースで騎乗し活躍を見せる女性騎手が登場し始める。
最も成功した女性騎手はアメリカのジュリー・クローンである。クローンは通算3704勝、重賞132勝、1993年のベルモントステークスに優勝するなど超一流騎手と呼ぶに相応しい実績をあげ、2000年8月に女性騎手として初めて競馬の殿堂入りを果たした。

21世紀以降も、カナダのシャンタル・サザーランドなどの超一流クラスの女性騎手が登場している。サザーランドはモデル業と騎手を兼任している珍しい騎手でもある。
日本では勝利数の面において、中央競馬よりも地方競馬において女性騎手が活躍している。名古屋競馬場に所属していた宮下瞳が、日本における女性騎手の最多勝利記録の626勝を挙げ(地方競馬のみ)、短期騎手免許で騎乗した韓国でも50勝以上を挙げている[1]。なお、2002年に中央競馬の短期免許を取得したニュージーランドのロシェル・ロケットが、中山大障害に優勝。これが中央競馬初の女性騎手による重賞優勝、かつGI(J・GI)優勝である。
対する日本中央競馬会(JRA)所属の日本人女性騎手については、2010年時点でも目立った活躍は見られない。これは単純に騎乗技術の優劣によるとする考え方の一方、技術以上に「女の力では馬は御せない」という盲目的な古い因習=男尊女卑の思想が競馬関係者や馬主などに未だ根強く残っていることにも原因があるという見解の分かれる部分もある。その最たる例として、競馬学校で騎乗技術を含めて最も優秀な成績を修めた卒業生に贈られるアイルランド大使特別賞を受賞し、JRA初の女性騎手の1人としてデビューした牧原由貴子(現・増沢由貴子)が、実際の騎乗依頼数、騎乗馬の質においても殆どチャンスを与えられず、他の同期生たちよりも騎乗数などで冷遇されていることが上げられる。彼女たちのデビュー当初は「女性にも道が開けたことで先行する地方競馬のように中央競馬に挑戦する女性騎手が増えるのではないか」と期待されていたが、最初のケースが実質的な失敗に終わったことで、現在の中央競馬では女性騎手が活躍できる下地が根付いておらず、また西原玲奈を最後に競馬学校の騎手過程を卒業した女性は途絶えている。

日本全国の女性騎手を招待して開催されるシリーズとして、「レディースジョッキーズシリーズ」(LJS)がある。これは荒尾競馬場で2004年および2005年に行われた「全日本レディース招待競走」を前身とし、1997年から2000年まで中津競馬場で行われていた「卑弥呼杯」、2001年に新潟競馬場で行われた「駒子賞」を起源とする。なお、それ以前の女性競馬騎手招待レースには「レディスカップ」(1981年〜1984年、水沢競馬場、上山競馬場、新潟競馬場)、「国内女性騎手招待競走」(1982年〜1984年、水沢競馬場)、「ANJレディースカップ」(1988年、札幌競馬場)、「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」(1989年〜1993年)などがある。
NARグランプリでは「優秀女性騎手賞」の部門を設置し、その年に最も活躍した女性騎手を表彰している。

女性騎手に対する減量特典がある競馬場 

女性騎手に対してレース時の負担重量を減量する特典を付与する制度を実施している競馬主催者もある。平地競走においては1kg、ばんえい競馬は10kg優遇される。ただし、重賞競走においては適用されない。
ばんえい競馬
名古屋競馬場
笠松競馬場
福山競馬場
高知競馬場
荒尾競馬場

主な女性騎手

日本の女性騎手

女性騎手 現役(2011年11月現在)
増沢由貴子(旧姓:牧原)(JRA)
竹ケ原茉耶(ばんえい)
笹木美典(北海道)
下村瑠衣(北海道) - 2011年3月16日新規騎手免許合格。
皆川麻由美(岩手)
山本茜(名古屋)
別府真衣(高知) - 父は高知所属の調教師別府真司。
森井美香(高知)
岩永千明(荒尾)

女性騎手 引退
斉藤澄子(京都競馬倶楽部)
田村真来(JRA) - 父は元騎手の田村正光。
板倉真由子(JRA)
細江純子(JRA)
押田純子(JRA) - 現姓・清水。父は元騎手の押田年郎。
西原玲奈(JRA)
辻本由美(ばんえい) - 父は調教師の辻本誠作、弟は騎手の辻本貴信。
佐藤希世子(ばんえい)
安田歩(北海道)
勝賀瀬芳子(北海道〜宇都宮)
佐々木明美(北海道)
高橋クニ(岩手) - 実際にレースで騎乗した日本初の女性騎手。繋駕競走のみ騎乗し、通算253戦33勝、2着39回(1966〜1971年)。水沢・高橋武(クニの夫でもある)厩舎所属。娘の優子(下記参照)は日本初の平地女性騎手。
高橋優子(岩手) - 日本初の平地女性騎手。水沢・高橋武(優子の父でもある)厩舎所属。1,776騎乗209勝(1969〜1974年,通算5年6ヵ月)。1969年4月にデビューしたが1974年、急性心不全のため死去。
佐々木亜紀(岩手)
石川夏子(岩手)
千田和江(岩手)
新田弥生(旧姓:吉田)(岩手)
岩田富子(上山) - 昭和20年代に活動。『地方競馬』1986年7月号29ページにおいて「(斉藤を除くと実質的な)本邦女性騎手第一号といわれる」と紹介されている。
小田嶋志生子(上山)
和田美由紀(上山)
徳留五月(旧姓:遠藤)(上山〜高知)
藤塚聡子(新潟〜高崎)
山田真裕美(新潟)
山本泉(大井〜新潟)
赤見千尋(高崎)
米田真由美(高崎)
牛房由美子(浦和) - 父は浦和所属の元騎手、現調教師の牛房榮吉。
木村園夏(浦和)
平山真希(浦和) - 騎手引退後調教師に転向。
土屋薫(浦和〜大井) - 父は浦和所属の元調教師土屋登。
稲川由紀子(船橋)
鈴木久美子(船橋)
鈴木千予(船橋)
溝邉悦代(船橋)
米井陽子(船橋)
松沼緑(大井)
沢江鮎美(大井)
埴谷美奈子(大井〜益田)
戸川理彩(川崎)
安池成実(川崎) - 騎手引退後調教師に転向。父は元調教師の安池保。
宮岸由香(金沢)
山上由紀子(金沢)
岡河まき子(笠松)
中島広美(笠松)
神野治美(名古屋) - 日本の女性騎手として史上初の初騎乗初勝利の快挙を達成した人物。後に同じ名古屋所属の騎手であった横川健二と結婚し、子息である横川怜央は大井所属の騎手で、日本の平地競馬では史上初の両親が騎手経験者である騎手[1]。
宮下瞳(名古屋) - 日本における女性騎手最多勝記録保持者(2011年8月現在)。
吉岡牧子(益田) - 8年間で通算350勝。現代競馬において女性騎手の存在を広めた功労者。引退まで益田のスター騎手でもあった。
白津万里(福山)
池本徳子(旧姓:大場〜佐藤)(福山)
伊藤千織(佐賀)
藤本美芽(荒尾)
小田部雪(中津〜荒尾) - 2001年中津競馬の廃止とともに荒尾競馬に移籍。2002年引退。
篠田幸子(中津)

日本国外の女性騎手
ペニー・アン・アーリー(アメリカ)
メアリー・ベーコン(アメリカ) - 1978年大井競馬場の招待競走などで来日。
ジュリー・クローン(アメリカ) - 1990年ワールドスーパージョッキーズシリーズで来日。
エマ=ジェイン・ウィルソン(カナダ)
リサ・クロップ(ニュージーランド) - 1994年にJRAの短期免許を取得し来日(女性短期免許騎手第1号)。
リサ・マンビー(ニュージーランド)
ロシェル・ロケット(ニュージーランド) - 2002年中山大障害優勝、JRAの重賞競走で唯一の女性G1ジョッキー。
アンヌソフィ・マドレーヌ(フランス) - 1999年インターナショナルジャンプジョッキーズで来日。
アレックス・グリーヴス(イギリス) - 1997年ナンソープステークス優勝、欧州の平地競走で史上初の女性G1ジョッキー。
バーナデット・クーパー(大井) - 短期免許(2003年8月5日〜11月4日)。オーストラリアの騎手。
ヘイリー・ターナー(イギリス) - 2006年、2007年シャーガーカップイギリス代表として出場。2011年ジュライカップG1、2011年ナンソープステークスG1優勝。
シャンタル・サザーランド(カナダ)
カシー・オハラ(オーストラリア)
^ 韓国の日本人騎手たち 内田利騎手、現地若手の模範に ZakZak 2011年1月27日

ジョワドヴィーヴル、阪神JFを母仔&姉妹制覇!!

2011年12月11日、阪神競馬場で行われた第63回阪神ジュベナイルフィリーズ(2歳牝、GI・芝1600m)は、福永祐一騎手騎乗の4番人気ジョワドヴィーヴルが優勝しましたね。
ジョワドヴィーヴルは、今年のジャパンCなどGI・6勝のブエナビスタ(父スペシャルウィーク)が半姉で、
名牝ビワハイジを母にもつ超良血馬ですね。
母仔&姉妹制覇です。

なかなか良いレースを見せて貰いました。ジョワドヴィーヴルは、文句無しの勝ちでしたね。
馬の名前の由来は、フランス語で「生きる喜び」!まさに、喜びが爆走していましたね。
次走が待ちきれない感じです。はやく、もっと見たいと思わせてくれますね。

日本のこれからの競馬に新たな歴史の1ページを刻んだジョワドヴィーヴルに拍手を送ります。
ジョワドヴィーヴル(牝2)
父:ディープインパクト 
母:ビワハイジ(阪神3歳牝馬S-GI)
母父:Caerleon
半姉:ブエナビスタ(11年ジャパンCなどGI・6勝)
厩舎:栗東・松田博資
馬主:サンデーレーシング
生産者:ノーザンファーム

ステイヤーズステークス

ステイヤーズステークス

第44回ステイヤーズステークス
開催地	中山競馬場
施行日	2011年12月3日
施行時期	12月上旬
(原則5回中山1日目)
格付け	GII
1着賞金	6400万円
賞金総額	1億2200万円
距離	芝3600m(内回り2周)
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	1967年10月8日

ステイヤーズステークスは、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場芝3600mで毎年12月に施行している中央競馬の重賞競走(GII)。
正賞はスポーツニッポン新聞社賞で、1994年度からスポーツニッポン新聞東京本社が優勝トロフィーを提供しており、正式名称は「スポーツニッポン賞 ステイヤーズステークス」と表記している。

ステイヤーズステークス 概要
中山競馬場でかつて行われていた日本最長距離ステークス(芝4000m、芝外回り2周)[1]が廃止されて以降、現在はこの競走が日本の平地競走における最長距離の競走である(GIの最長は天皇賞(春)の3200m、また障害競走の最長は中山グランドジャンプ(J・GI)=旧・春の中山大障害相当=の4250m。ただし芝4000mという距離設定は現在も残されている)。
3600mの距離は、芝内回りコースを2周。最長距離なので、スピードやスタミナ配分に注意しなくてはならず、特に競走中盤のスピードの出しすぎは禁物といわれており、騎手の手綱捌きの比重が高い競走である。
有馬記念のステップレースとなりうることも意識し、中山開幕週の土曜日のメインレースに設定されることが多い。
しかし、有馬記念には天皇賞(秋)やジャパンカップ出走組が大挙出走することもあり、ステイヤーズステークス優勝馬が好走することは少ない。
出走資格はサラブレッド系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
2011年度現在の総額賞金は1億2,200万円で、1着賞金6,400万円、2着賞金2,600万円、3着賞金1,600万円、4着賞金960万円、5着賞金640万円と定められている。
^ 第2次世界大戦前に、同距離で「中山四千米」が開催

ステイヤーズステークス 歴史
1967年 - 中山競馬場の芝3600mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップ競走の重賞競走、前年まで準オープン特別として行われていた同名の競走を重賞に昇格させる形で創設。
1968年 - この年のみ、「5歳以上」の出走条件で春に開催。
1971年 - この年から12月に開催となる。但し、この年は馬インフルエンザの影響により、開催中止。
1978年 - 柴田政人が騎手として史上初の連覇。
1982年
ピュアーシンボリが史上初の連覇。
小島太が騎手として史上2人目の連覇。
1983年 - 野平祐二が調教師として史上初の3連覇。
1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。
1989年
スルーオダイナが史上2頭目の連覇。
岡部幸雄が騎手として史上3人目の連覇。
矢野進が調教師として史上2人目の連覇。
1992年 - 岡部幸雄が騎手として史上3人目で2度目の連覇。
1993年
混合競走に指定。
アイルトンシンボリが史上3頭目の連覇。
畠山重則が調教師として史上3人目の連覇。
1994年
スポーツニッポン新聞東京本社より優勝杯の寄贈を受ける。
エアダブリンがコースレコード3:41.6で優勝。
1997年
GIIに格上げ。それまでのレース体系では活路を見出せないステイヤーの目標となる。同時に、ハンデキャップ競走から別定戦に改められる。
特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2005年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2006年
牝馬限定競走優勝馬の負担重量を軽減。
O.ペリエが騎手として史上4人目の連覇。
2007年 - 国際競走ではあるが、国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、レースレーティングがGIIの基準を満たしていないため、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2008年 - 30年ぶりにフルゲート(16頭)でレースが行われる。
2009年 - 重賞格付け表記をGIIに戻す。

ステイヤーズステークス 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師
第1回	1967年10月8日	リコウ	牡5	3:53.8	横山富雄	小西喜蔵
第2回	1968年5月5日	ニウオンワード	牡4	3:54.5	森安重勝	尾形藤吉
第3回	1969年10月10日	アタックブルー	牡4	3:51.2	藤本勝彦	藤本冨良
第4回	1970年9月27日	コンチネンタル	牡4	4:02.6	津田昭	野平富久
第5回	1971年12月26日	開催中止
第6回	1972年12月29日	ジーガー	牡4	4:02.0	大和田稔	二本柳俊夫
第7回	1973年12月23日	トーヨーアサヒ	牡4	3:49.4	増沢末夫	古山良司
第8回	1974年12月22日	エクセルラナー	牡3	3:50.6	嶋田潤	藤本冨良
第9回	1975年12月20日	トウショウロック	牡4	3:51.9	加賀武見	阿部正太郎
第10回	1976年12月25日	ホッカイノーブル	牡3	4:01.7	田中清隆	野平祐二
第11回	1977年12月24日	ランスロット	牡4	3:56.4	柴田政人	高松三太
第12回	1978年12月23日	フジノハイハット	牡3	3:49.2	柴田政人	久恒久夫
第13回	1979年12月22日	サクラエイリュウ	牡3	3:51.4	森安重勝	尾形盛次
第14回	1980年12月14日	フジノハイハット	牡5	3:47.7	柴田政人	久恒久夫
第15回	1981年12月13日	ピュアーシンボリ	牡5	3:52.7	小島太	野平祐二
第16回	1982年12月19日	ピュアーシンボリ	牡6	3:50.4	小島太	野平祐二
第17回	1983年12月18日	ブライトシンボリ	牡3	3:46.8	郷原洋行	野平祐二
第18回	1984年12月9日	カネクロシオ	牡3	3:50.2	蛯沢誠治	成宮明光
第19回	1985年12月8日	ホッカイペガサス	牡4	3:53.3	柴田政人	野平祐二
第20回	1986年12月7日	シーナンレディー	牝6	3:52.7	蛯沢誠治	清水美波
第21回	1987年12月19日	マウントニゾン	牡4	3:47.9	嶋田功	森安弘昭
第22回	1988年12月11日	スルーオダイナ	牡4	3:46.3	岡部幸雄	矢野進
第23回	1989年12月10日	スルーオダイナ	牡5	3:47.3	岡部幸雄	矢野進
第24回	1990年12月8日	ドクタースパート	牡4	3:45.6	的場均	柄崎孝
第25回	1991年12月7日	メイショウビトリア	牡4	3:44.1	岡部幸雄	伊藤雄二
第26回	1992年12月12日	アイルトンシンボリ	牡3	3:47.8	岡部幸雄	畠山重則
第27回	1993年12月11日	アイルトンシンボリ	牡4	3:51.4	柴田政人	畠山重則
第28回	1994年12月10日	エアダブリン	牡3	3:41.6	岡部幸雄	伊藤雄二
第29回	1995年12月9日	ステージチャンプ	牡5	3:47.1	蛯名正義	矢野進
第30回	1996年12月7日	サージュウェルズ	牡5	3:50.5	和田竜二	岩元市三
第31回	1997年11月29日	メジロブライト	牡3	3:48.7	河内洋	浅見秀一
第32回	1998年12月5日	インターフラッグ	牡5	3:58.8	岡部幸雄	工藤嘉見
第33回	1999年12月4日	ペインテドブラック	牡3	3:46.2	横山典弘	鈴木康弘
第34回	2000年12月2日	ホットシークレット	騸4	3:45.6	柴田善臣	後藤由之
第35回	2001年12月1日	エリモブライアン	牡4	3:43.3	横山典弘	清水出美
第36回	2002年11月30日	ホットシークレット	騸6	3:45.6	岡部幸雄	後藤由之
第37回	2003年12月6日	チャクラ	牡3	3:48.2	後藤浩輝	安達昭夫
第38回	2004年12月4日	ダイタクバートラム	牡6	3:44.8	M.デムーロ	橋口弘次郎
第39回	2005年12月3日	 デルタブルース	牡4	3:47.7	O.ペリエ	角居勝彦
第40回	2006年12月2日	 アイポッパー	牡6	3:43.4	O.ペリエ	清水出美
第41回	2007年12月1日	 マキハタサイボーグ	騸5	3:44.9	吉田豊	新川恵
第42回	2008年12月6日	 エアジパング	騸5	3:48.1	横山典弘	藤原英昭
第43回	2009年12月5日	 フォゲッタブル	牡3	3:51.3	C.スミヨン	池江泰郎
第44回	2010年12月4日	 コスモヘレノス	牡3	3:43.4	松岡正海	菊川正達

ジャパンカップダート

ジャパンカップダート

第11回ジャパンカップダート
開催地	阪神競馬場
施行日	2011年12月4日
施行時期	12月上旬
(原則5回阪神2日目)
格付け	GI
1着賞金	1億3000万円
賞金総額	2億4800万円
距離	ダート1800m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	2000年11月25日

ジャパンカップダート(Japan Cup Dirt)とは日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場のダート1800mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走(国際招待指定)。
正賞は日本馬主協会連合会会長賞、全国公営競馬馬主連合会会長賞、地方競馬全国協会会長賞、全国公営競馬主催者協議会会長賞。

ジャパンカップダート 概要
JRAにおける最初のダートGI競走は1997年に昇格したフェブラリーステークスであったが中距離の交流GIである帝王賞や東京大賞典での熱戦、ドバイワールドカップやブリーダーズカップ・クラシックの隆盛により中央競馬においてもダート競走の主流である2000m級の距離によるダート国際競走を望む声が高まり、2000年に東京競馬場ダート2100mの競走として創設された。略称はJCD(JはJAPAN、CはCUP、DはDIRTのそれぞれの頭文字)。
外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎や飼料にかかる費用、馬主、調教師、騎手、厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担する。このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走は日本ではこのほかにジャパンカップがある。世界ではドバイミーティング(ドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。なお、外国招待馬は8頭まで出走可能である。2008年からジャパン・オータムインターナショナルに指定されている。また、一定の実績を持って参戦した外国招待馬が3着以内に入着した場合に褒賞金が支給される制度がある[1]。
2008年からはジャパンカップの翌週の日曜に移動し、阪神競馬場のダート1800m[2]で施行される(関西初の国際招待GIとなる)。これに伴い、一部の競走日程が変更されている[3]。
なおファンファーレは創設以来テープ演奏であったが2004年から2006年までと2008年からは生演奏で行われている(当然阪神競馬場に変わってからは関西GIのファンファーレになった)。また2007年まで(ジャパンカップと同日開催となった2004年は除く)平地のGI競走では数少ない、土曜日に施行されていた競走である[4]。
2000年から2007年(2002年を除く)までは日曜日に開催するジャパンカップと共にジャパンカップウィークを形成していた。
負担重量は定量で3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減。
2011年度現在の賞金総額は2億4800万円で、1着賞金:1億3000万円、2着賞金:5200万円、3着賞金:3300万円、4着賞金:2000万円、5着賞金:1300万円と定められており、これは国内の全ダート競走において最高賞金額となっている。

ジャパンカップダート 優先出走権

ジャパンカップダート 日本馬の出走権
レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる。そのほかの出走馬は賞金順によって決定。この方式の結果、2008年に出走したカジノドライヴは収得賞金が登録した日本馬中最下位であったため本来ならば除外の対象となっていたがピーターパンステークス(アメリカ・G2)優勝などの戦績からレーティングで登録馬全体の4位にランクされ出走が可能になった一方、同年ではエスポワールシチーが前哨戦となるトパーズステークス(当時オープン特別・現在のみやこステークス)を制したにも関わらず、賞金面で除外されたという事例がある(同馬は翌年の競走で優勝)。

ジャパンカップダート 外国馬の出走権
招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われている。なおジャパンカップと異なり指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対しての優先出走権の付与は2010年現在行われていない。

ジャパンカップダート 褒賞金制度
ジャパン・オータムインターナショナルシリーズとなった2008年より、指定の海外レースに優勝もしくは2着になった競走馬がその年の当競走に出走し優勝した場合には優勝賞金に加え褒賞金を交付している。また2009年5月の改定で範囲が拡大され、3着までに入着した場合にも褒賞金が交付されることとなった。しかし、2011年に減額されてしまった。なおケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークス・トラヴァーズステークスの4レースは3歳馬によるレースでそれ以外は古馬混合レースである。今なお、2010年現在で制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。
現在の指定競走・金額は以下の通り[5]。

2011年現在
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	指定年	褒賞金条件
ドバイワールドカップ	G1	メイダン競馬場	オールウェザー2000m	2008年 -	
当年優勝馬の場合
1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円[6]
当年2着馬の場合
1着:4000万円、2着:1600万円、3着:1000万円[7][8]
ブリーダーズカップ・クラシック	G1	持ち回り	ダート10f
ケンタッキーダービー	G1	チャーチルダウンズ競馬場	ダート10f
サンタアニタハンデキャップ	G1	サンタアニタパーク競馬場	ダート10f	

当年優勝馬の場合
1着:7000万円、2着:2800万円、3着:1800万円[9]
メトロポリタンハンデキャップ	G1	ベルモントパーク競馬場	ダート8f
スティーブンフォスターハンデキャップ	G1	チャーチルダウンズ競馬場	ダート9f
ハリウッドゴールドカップハンデキャップステークス	G1	ハリウッドパーク競馬場	オールウェザー10f
ホイットニーハンデキャップ	G1	サラトガ競馬場	ダート9f
パシフィッククラシックステークス	G1	デルマー競馬場	エコトラック10f
ジョッキークラブゴールドカップステークス	G1	ベルモントパーク競馬場	ダート10f
ウッドワードステークス	G1	サラトガ競馬場	ダート9f
プリークネスステークス	G1	ピムリコ競馬場	ダート9f
ベルモントステークス	G1	ベルモントパーク競馬場	ダート12f
トラヴァーズステークス	G1	サラトガ競馬場	ダート10f

過去
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	指定年	褒賞金条件
ジャパンカップダート	GI	阪神競馬場	ダート1800m	2008年 - 2009年	
日本調教馬を除く前年優勝馬の場合
1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円

ジャパンカップダート 問題点
創設時のコースは世界のダート競走の主流である2000mからみると半端な距離(当時はJRAの競馬場にダート2000mのコースは存在せず、後の阪神競馬場改装時に設定された)で、スタートから第1コーナーまでが短く競走馬の能力以外の有利不利があった。またダートが主流のアメリカでは赤土のようなスピードの出やすいダートが主流だが、日本のダートはスピードが出にくい。2007年に来日したスチューデントカウンシルは時計のかかる馬場向きと見てブリーダーズカップ・クラシックを回避して、このレースに出走した経緯がある[10]。
世界各国の一流馬が登録することこそあるものの開催時期が北米勢(およびクールモアグループなど一部の欧州勢)にとっての最大目標であるブリーダーズカップ・クラシックの後ということだけあって、実際に出走することは皆無である。ただし近年、アメリカのダートコースにも変化が見られるようになりオールウェザーの競馬場も増えたことからスピードの必要なアメリカ特有のダートに適性がない馬がこのレースを選ぶこともある。また1800mという距離で施行されるため、中距離馬とマイル馬の両方が出走し易くなっている。ただし日本馬のレベルの向上とアメリカ勢の惨敗が続いているためアメリカの競馬関係者の中にはジャパンカップダートに出走すること自体が無謀という考えも多くあるうえに[10]、アメリカの競馬場は全て左回りであることから今後このレースの外国の有力馬が増えるかどうかは微妙である。

ジャパンカップダート 歴史
2000年 - 東京競馬場のダート2100mの4歳(現3歳)以上の国際招待指定競走の定量のGI競走「ジャパンカップダート」として創設(創設当初の外国調教馬の招待枠は6頭まで、負担斤量は3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
外国調教馬の招待枠が8頭に拡大。
日本のクロフネがダート2100mの世界レコード2.05.9で勝利。
2002年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場のダート1800mで施行。
2003年 - アメリカのフリートストリートダンサーが外国調教馬として史上初の制覇。
2004年 - ゴールデンジュビリーデーに伴い当年に限りジャパンカップと同日開催。
2005年 - 武豊が騎手として当競走初の連覇。
2006年 - 外国調教馬が1頭も出走せずに実施された(予備登録はあった)。
2007年 - 石坂正が調教師として当競走初の連覇。
2008年
開催競馬場を阪神競馬場ダート1800mに移して施行。
ジャパン・オータムインターナショナルに指定。
3歳の負担斤量が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kgから牡馬・騸馬56kg・牝馬54kgに変更。
日本のカネヒキリが当競走で史上初の2度目の優勝を果たすと共に、東京、阪神の両方の開催地で制覇。
2009年 - 当年のみ、JRAプレミアムレースの対象レースとなる。
2010年 - 外国調教馬が1頭も出走せずに実施された[11](予備登録はあった)。
2011年 - 2年連続で外国調教馬が1頭も出走せずに実施される(当年も予備登録はあった)[12]。

ジャパンカップダート 歴代優勝馬
回数	施行日	調教国・優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	2000年11月25日	ウイングアロー	牡5	2:07.2	岡部幸雄	南井克巳	池田實
第2回	2001年11月24日	クロフネ	牡3	2:05.9	武豊	松田国英	金子真人
第3回	2002年11月23日	イーグルカフェ	牡5	1:52.2	L.デットーリ	小島太	西川清
第4回	2003年11月29日	フリートストリートダンサー	騸5	2:09.2	J.コート	D.オニール	T.レザーマン
第5回	2004年11月28日	タイムパラドックス	牡6	2:08.7	武豊	松田博資	(有)社台レースホース
第6回	2005年11月26日	カネヒキリ	牡3	2:08.0	武豊	角居勝彦	金子真人ホールディングス(株)
第7回	2006年11月25日	アロンダイト	牡3	2:08.5	後藤浩輝	石坂正	(有)キャロットファーム
第8回	2007年11月24日	ヴァーミリアン	牡5	2:06.7	武豊	石坂正	(有)サンデーレーシング
第9回	2008年12月7日	カネヒキリ	牡6	1:49.2	C.ルメール	角居勝彦	金子真人ホールディングス(株)
第10回	2009年12月6日	エスポワールシチー	牡4	1:49.9	佐藤哲三	安達昭夫	友駿ホースクラブ
第11回	2010年12月5日	トランセンド	牡4	1:48.9	藤田伸二	安田隆行	前田幸治

ジャパンカップダート 記録
レースレコード
2:05.9[13](第2回優勝馬 クロフネ) - 東京 ダート2100m
1:48.9(第11回優勝馬 トランセンド) - 阪神 ダート1800m
2着との最大着差:7馬身(第2回優勝馬 クロフネ)

ジャパンカップダート 注釈
^ 「ジャパン・オータムインターナショナル」の勧誘策を強化 日本中央競馬会
^ 2007年11月20日のサンケイスポーツによると阪神のダート2000mはスタートが芝コースとなる関係もあり、1800mでの開催になったのではと考えられている。
^ 阪神ジュベナイルフィリーズが12月第2週目、朝日杯フューチュリティステークスが12月第3週目にそれぞれ変更となった。また、ジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定されることになる。
^ 例えば2002年のNHKマイルカップが5月5日の大国魂神社の祭事と重なるため5月4日土曜日に施行されたほか、天皇賞(春)が4月29日の固定開催だった1989年に土曜日開催となった。
^ 交付対象競走、指定外国競走、交付対象馬及び褒賞金の額
^ 2010年までは1着:1億3000万円、2着:5200万円、3着:3250万円。
^ 2010年までは1着:5000万円、2着:2000万円、3着:1250万円。
^ 2009年までは前年優勝馬には1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円が交付されていたが、2010年の改定で対象から除外された。
^ 2010年までは1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円。
^ a b 週刊Gallop 2007年11月25日号。
^ 【ジャパンCダート】(12月5日、阪神)~外国馬の出走はなし - ラジオNIKKEI実況競馬Web 2010年11月17日閲覧
^ ジャパンカップダート(GI)外国馬情報 外国馬の出走なし - JRA公式サイト 2011年11月20日閲覧
^ 但し2002年の東京競馬場の改修工事前の記録であり、2003年 - 2007年のレースレコードとしては2007年の第8回にヴァーミリアンが記録した2:06.7である(2011年現在はコースレコードでもある)。

鳴尾記念、弥生賞を勝っているサダムパテックには、距離がぴったりかも!?

鳴尾記念・特別登録馬18頭

エアマックール 56.0(○○)、カリバーン 56.0(蛯名)
コロンバスサークル 54.0(藤岡佑)、サダムパテック 56.0(岩田)
ショウナンマイティ 55.0(武豊)、スマートギア 56.0(北村友)
ダイワマックワン 56.0(○○)、ダノンスパシーバ 56.0(プレブル)
ダンツホウテイ 56.0(横山典)、デストラメンテ 56.0(○○)
トウショウウェイヴ 56.0(○○)、トーセンレーヴ 55.0(メンディザバル)
ヒットジャポット 56.0(川田)、フレールジャック 55.0(福永)
マゼラン 56.0(ドミンゲス)、ミステリアスライト 56.0(蛯名)
ミッキーパンプキン 56.0(池添)、レッドデイヴィス 55.0(デムーロ)

サダムパテックは、いかにも阪神1800が合いそうですね。
この距離短縮は絶好でしょう。
岩田騎手だしね。圧勝まであるかな。

ジャガーメイル

ジャガーメイル

英字表記	Jaguar Mail
性別	牡
毛色	鹿毛
生誕	2004年5月8日(7歳)
登録日	2006年7月12日
父	ジャングルポケット
母	ハヤベニコマチ
母の父	サンデーサイレンス
生国	 日本(北海道浦河町)
生産	アイオイファーム
馬主	吉田和美
調教師	堀宣行(美浦)
主戦騎手	石橋脩
→外国人騎手
競走成績
生涯成績	24戦6勝
日本:21戦6勝
海外:3戦0勝
獲得賞金	日本:3億5488万7000円
海外:2946万6200円

ジャガーメイル(英語表記:Jaguar Mail(「ヒョウの鎧」の意)、香港での漢字表記:網絡電郵(「ウェブ電子メール」の意))の主な勝ち鞍は2010年天皇賞(春)。

ジャガーメイル 戦歴
ジャガーメイル 2007年
デビューは歳未勝利戦も終了する寸前の2007年9月8日。6番人気の低評価を覆して初出走で初勝利を挙げた。その後500万下を勝利し、有馬記念当日の第7競走グッドラックハンデでマイケル・キネーンを鞍上に迎えたが、着外に敗れる。

ジャガーメイル 2008年
2008年は東京で陣馬特別、ジューンステークスを勝ち、10月12日に行われたオクトーバーステークスでは後のジャパンカップ優勝馬、スクリーンヒーローにハナ差だけ残して勝利し特別競走3連勝を飾ったが、重賞初出走となったアルゼンチン共和国杯では前走に続き再びスクリーンヒーローとの顔合わせになるも、斤量差が響いたのか同馬に1馬身半差の2着に敗れた。
続く香港ヴァーズはスクリーンヒーローがジャパンカップを勝ったことと、騎手に再びマイケル・キネーンを迎えたこともあり、前年の覇者Doctor Dino(ドクターディーノ)に続く単勝3.9倍と2番人気に推されたが、4コーナー後方2番手から追い上げたものの更に後ろにいたDoctor Dinoの3着に終わった。

ジャガーメイル 2009年
2009年は京都記念からドバイシーマクラシックのローテーションが予定されていたが、京都記念には出走せず、天皇賞(春)から始動。レースでは後方で待機し、直線で伸びてくるものの5着に敗れた。続く目黒記念では実績のある東京コースで、1番人気に推されたが、勝ったミヤビランベリから5馬身差離され2着に敗れた。休養を挟んで10月の京都大賞典に1番人気で出走。後方から追い上げてくるも4着に終わった。続くアルゼンチン共和国杯でも前走同様の戦法をとったが、伸び切れず5着に敗れた。その後、香港に遠征し、12月13日の香港ヴァーズでは最後の直線のたたき合いから残り200mで先頭に立ったが、そこから伸びを欠き4着に敗れた。

ジャガーメイル 2010年

ジャガーメイル 第141回天皇賞(春)
2010年はダイヤモンドステークスから始動する予定であったが、左前肢フレグモーネのため出走を取り消した。代わりに京都記念に出走し、直線でブエナビスタに迫るも差し切ることができず、半馬身差の2着に敗れた。そして5月2日の天皇賞(春)は直線抜け出したマイネルキッツをゴール寸前で差しきり、重賞初制覇をGIで飾り、鞍上のC・ウィリアムズもJRA重賞初制覇となった。なお、天皇賞(春)を外国人騎手が制したは史上初のことであった。続く6月27日の宝塚記念ではブエナビスタに次ぐ2番人気で出走、中団追走も直線で伸びあぐねて8着に敗れた。秋はステップレースを使わずに天皇賞(秋)へ出走し15位に入線したが、直線でエイシンアポロンの走行を妨害したとして18着に降着となった。
この後、陣営は香港ヴァーズの招待を受諾し、ジャパンカップ→香港ヴァーズという中1週のスケジュールを組むこととなった。ジャパンカップでは後方から追い上げたものの4着に終わった。香港ヴァーズでは道中は後方を追走し直線では最内を突いて伸びたが4着に敗れた。

ジャガーメイル 2011年
2011年の春シーズンは全休し、10月9日の京都大賞典が緒戦。後方から脚を伸ばしたもののローズキングダムの4着。続く天皇賞(秋)はトーセンジョーダンの9着に終わった。
続くジャパンカップは中団から追い上げて内を差し、見事3着となった。

ジャガーメイル 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量
[kg]	距離(馬場)	タイム
(上り3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2007.	9.	8	中山	3歳未勝利		18	14.4	(6人)	1着	石橋脩	56	芝2000m(良)	2:00.6(35.2)	-0.1	(タケデンシルヴァン)
9.	30	中山	3歳上500万下		17	4.3	(1人)	2着	石橋脩	54	芝2200m(不)	2:18.1(36.2)	0.3	ビエンナーレ
10.	28	福島	3歳上500万下		16	2.6	(1人)	1着	石橋脩	55	芝2000m(重)	2:03.8(36.8)	-0.3	(エーシントゥルボー)
12.	23	中山	グッドラックH		16	2.8	(1人)	8着	M.キネーン	55	芝2500m(稍)	2:39.4(35.8)	0.4	エフティイカロス
2008.	1.	6	中山	3歳上1000万下		16	2.7	(1人)	4着	石橋脩	56	芝2200m(良)	2:14.6(35.8)	0.6	トーセンクラウン
5.	4	東京	陣馬特別		14	5.2	(3人)	1着	藤岡佑介	56	芝2400m(良)	2:25.8(34.4)	0.0	(ミレニアムウイング)
6.	15	東京	ジューンS		15	5.8	(3人)	1着	石橋脩	57	芝2400m(良)	2:25.9(35.1)	-0.5	(ニシノコンドコソ)
10.	12	東京	オクトーバーS		16	3.0	(1人)	1着	石橋脩	58	芝2400m(良)	2:26.2(33.2)	0.0	(スクリーンヒーロー)
11.	9	東京	アルゼンチン共和国杯	GII	16	4.8	(2人)	2着	石橋脩	56	芝2500m(良)	2:31.0(33.4)	0.2	スクリーンヒーロー
12.	14	沙田	香港ヴァーズ	G1	13	3.9	(2人)	3着	M.キネーン	57	芝2400m(良)	2:29.1	0.0	Doctor Dino
2009.	5.	3	京都	天皇賞(春)	GI	18	10.7	(6人)	5着	安藤勝己	58	芝3200m(良)	3:14.8(34.5)	0.4	マイネルキッツ
5.	31	東京	目黒記念	GII	18	2.4	(1人)	2着	石橋脩	57	芝2500m(不)	2:39.8(38.8)	0.8	ミヤビランベリ
10.	11	京都	京都大賞典	GII	14	2.8	(1人)	4着	石橋脩	57	芝2400m(良)	2:24.7(34.8)	0.4	オウケンブルースリ
11.	8	東京	アルゼンチン共和国杯	GII	18	3.8	(1人)	5着	C.スミヨン	57	芝2500m(良)	2:31.4(33.7)	0.5	ミヤビランベリ
12.	13	沙田	香港ヴァーズ	G1	13	11.0	(7人)	4着	C.スミヨン	57	芝2400m(良)	2:27.6	0.1	Daryakana
2010.	2.	14	東京	ダイヤモンドS	GIII	15				C.ルメール	57	芝3400m(良)	出走取消		フォゲッタブル
2.	20	京都	京都記念	GII	13	15.9	(3人)	2着	C.ルメール	57	芝2200m(良)	2:14.5(33.3)	0.1	ブエナビスタ
5.	2	京都	天皇賞(春)	GI	18	5.9	(2人)	1着	C.ウィリアムズ	58	芝3200m(良)	3:15.7(33.7)	-0.1	(マイネルキッツ)
6.	27	阪神	宝塚記念	GI	17	5.1	(2人)	8着	C.ウィリアムズ	58	芝2200m(稍)	2:13.7(36.5)	0.7	ナカヤマフェスタ
10.	31	東京	天皇賞(秋)	GI	18	14.6	(5人)	18着[† 1]	D・ホワイト	58	芝2000m(稍)	2:00.3(36.0)	2.1	ブエナビスタ
11.	28	東京	ジャパンC	GI	18	20.4	(7人)	4着	R・ムーア	57	芝2400m(良)	2:25.3(33.7)	0.1	ローズキングダム[† 2]
12.	12	沙田	香港ヴァーズ	G1	14	10.0	(4人)	4着	C.ウィリアムズ	57	芝2400m(良)	2:28.3	0.7	Mastery
2011	10.	9	京都	京都大賞典	GII	8	4.1	(2人)	4着	四位洋文	58	芝2400m(良)	2:24.3(33.0)	0.2	ローズキングダム
10.	30	東京	天皇賞(秋)	GI	18	53.2	(9人)	9着	四位洋文	58	芝2000m(良)	1:57.4(34.8)	1.3	トーセンジョーダン
^ 15着入線降着
^ 2着入線繰り上げ

ジャガーメイル 血統表
ジャガーメイルの血統 (ゼダーン系/Northern Dancer 12.50% 4x4、Turn-to 6.25% 5x5)
父

ジャングルポケット
1998 鹿毛	*トニービン
Tony Bin
1983 鹿毛	*カンパラ
Kampala	Kalamoun
State Pension
Severn Bridge	Hornbeam
Priddy Fair
*ダンスチャーマー
Dance Charmer
1990 黒鹿毛	Nureyev	Northern Dancer
Special
Skillful Joy	Nodouble
Skillful Miss
母

ハヤベニコマチ
1992 栗毛	*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛	Halo	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well	Understanding
Mountain Flower
ターンツーダイナ
1978 鹿毛	*ノーザンテースト	Northern Dancer
Lady Victoria
*ナイスランディング	First Landing
Pashmina F-No.1-w
母の妹の仔に京王杯2歳ステークス、スワンステークス勝ちのマイネルレーニアがいる。
近親に重賞4勝でJRA賞最優秀5歳以上牝馬受賞のイクノディクタスがいる。

ジャパンカップ

ジャパンカップ
	
第27回ジャパンカップ
開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月27日
施行時期	11月下旬
(原則5回東京8日目)
格付け	GI
1着賞金	2億5000万円
賞金総額	4億7600万円
距離	芝2400m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	1981年11月22日

ジャパンカップとは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走(国際招待指定)。
正賞は農林水産大臣賞、アイルランド大使賞、日本馬主協会連合会会長賞、東京馬主協会賞。また八大競走ではないものの本競走は国際招待競走であるため、日本ダービー同様に副賞が「トヨタ賞」としてトヨタの高級車が提供される。

ジャパンカップ 概要
この競走はグレード制導入以前の主要競走である八大競走ではないものの国際招待競走であり、賞金額や開催規模などが八大競走に匹敵していたため、八大競走と同格に扱われることもあった。
外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎や飼料にかかる費用、馬主、調教師、騎手、厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担する。このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走(招待競走)は日本ではこのほかにジャパンカップダートがある[1]。世界ではドバイミーティング(ドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。
負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減。
2011年度現在の総額賞金は4億7600万円で1着賞金は2億5000万円、2着賞金は1億円、3着賞金は6300万円、4着賞金は3800万円、5着賞金は2500万円と定められており、日本国内の全競走の中で最高額であり、世界全体でもドバイワールドカップ、凱旋門賞に次ぐ3番目である。

ジャパンカップ 歴史
1970年後半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され[2]日本国外の調教馬を招待して国際競走を開催する計画も持ち上がっていたが、招待馬の選定にあたり日本国外の主要競走との日程競合が障害となり実現しなかった[3]経緯がある。当時の日本最強馬といわれたスピードシンボリが高齢になりながらも現役を続行したのはそれまでの海外遠征で負け続けた分、この国際競走で海外の馬を負かしたいという陣営の思惑が色濃く残っていたためだった。
1981年に記念すべき第1回ジャパンカップは開催された。優勝賞金は6500万円で天皇賞、有馬記念と同額。新設重賞としては破格の金額である。北アメリカとアジアから招待馬が選出されアメリカ、カナダ、インド、トルコ(来日後に故障し不出走)から出走馬が招待された。「日本の馬が外国の馬と対戦するレースが見たい」という第1回だったが、日本馬はサクラシンゲキが大逃げでスタンド(客席)を沸かせるも(後に同馬は「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる)ゴールドスペンサーの5着が最高だった。フジテレビで実況を担当した盛山毅アナウンサーは日本の一流どころが海外(ヨーロッパ除く)の決して一流とは言えない面々相手に日本勢が惨敗した様子を見て、「日本は完全に敗れました!!」と叫びしばし絶句。海外とのレベルの差を痛感する結果となる。
翌年からは招待範囲がヨーロッパ、オセアニアにも広げられ参加国の多さから「世界一の競走」、「競馬のオリンピック」と評されることもあった[2]。さらにその翌年(1983年)からは地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。その後も日本代表馬がことごとく敗れるばかりで、海外との差を痛感するレースにもなった。しかし第3回の1983年になってキョウエイプロミスが2着と好走を見せた。
1984年にはJRAのグレード制導入によりGIに格付けされた。この年、前哨戦の天皇賞(秋)を快勝したミスターシービーと菊花賞を無敗で制したシンボリルドルフの新旧三冠馬2頭が参戦、日本勢初優勝の期待を大いに集めた。しかし、日本馬の初優勝という褒章を得たのは単勝10番人気と期待の薄かったカツラギエースであった。1992年には国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定されている。略称はJC(J は JAPAN、C は CUP のそれぞれの頭文字)。
1999年に成立したワールドレーシング・チャンピオンシップに初年度から加えられており、この年以降にほとんど馬産の行われていない香港、アラブ首長国連邦からも招待馬の選出がされている。また2000年から2006年までは外国馬がこの競走で優勝した場合に限り有馬記念の出走資格が与えられるようになった(2002年のファルブラヴと2005年のアルカセットが該当)が、行使した外国馬はいなかった。この制度は2007年に競馬が国際セリ名簿基準委員会から「国際パート1」に指定されたことを受けて発展廃止された。
2008年からジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定される。
2008年4月24日、フランスギャロ(フランス競馬統括団体)により凱旋門賞の1・2着馬がジャパンカップに優先招待されることが決まったと発表された。また、その他に3レースが同様の指定を受けている(後述)。

ジャパンカップ 外国馬
かつてジャパンカップは日本馬の層が薄いことと賞金的な魅力もあり、数多くの外国馬が参戦しジャパンカップは外国馬の草刈り場のようになっていた。
しかし2000年代以降は検疫の厳しさや賞金的な魅力が相対的に薄れたことから、ジャパンカップに登録を済ませる欧州や北米などの各国一流馬は多いものの出走を回避する外国馬も少なくはない。また、欧州馬は日程間隔が殆ど無く賞金が上がってきていて地元馬の層の薄いブリーダーズカップの芝競走や香港国際競走に照準を向けることが多い。また、直航便の無くなったオセアニア勢の挑戦が少なくなったことも影響している。しかし2億5000万円という賞金は芝競走の賞金では国際的に見てもかなり高く、遠征費もJRAの全額負担でありかなりの厚遇となっている。第30回は久しぶりに8頭の外国招待馬が参戦を果たし、記念レースを大いに盛り上げた。
それでも外国馬の挑戦が減る理由としてはいくつかの例があげられるが、頻繁にあげられる理由が芝が主流の欧州のトップホースであっても速い時計に対応できない馬は日本の固い高速(時計の出る)馬場に適応できず惨敗することが多いからである。ジャパンカップが開催された当初はまだそれほど高速馬場化しておらず、加えて一部の日本馬を除いて日本馬と欧州馬のレベルに開きがあったために多少の不利でも勝利を挙げることはできた。
しかしその後は日本のトップレベルの馬が欧州馬などとも互角になり近年は日本馬の全体のレベルが欧州と遜色なくなってきていること、そして日本の高速馬場で力を発揮する日本馬が増えたことでその傾向はさらに顕著になり、日本の固い芝に対応するためスピードと瞬発力のある日本馬に欧州の深い芝に対応するスタミナとパワーを重視されているといわれる欧州馬が日本馬に瞬発力勝負で競り負けることが多い。初期を除き欧州馬でジャパンカップで好走する馬はある程度速い時計に適応性がある馬であり、遠征する側もその点を踏まえて遠征する傾向がある。実際、このレースに勝った外国馬のファルブラヴはロンシャン競馬場の深い芝が合わなかったためこのレースへの出走を決意したという前例がある。
このように、もはや現在では日本の競馬と欧州の競馬は同じ芝でありながら全く違うものと考えられるようになっている。その傾向は種牡馬でも顕著に出ていてサドラーズウェルズなど欧州のリーディング上位に君臨する種牡馬を父に持つ競走馬が日本の競馬界ではあまり成功しておらず、サンデーサイレンスを筆頭にスピードのあるアメリカの種牡馬を父に持つ競走馬が多く活躍している。この傾向もまた欧州勢のジャパンカップ回避に拍車をかけている可能性がある。
また種牡馬ビジネスが重要視される近年の欧米では一流馬の3歳の中には競走成績が非常に優秀であれば早期引退して種牡馬入りする場合も多く(特に欧州は多い)、無理に長距離遠征という過酷なことを強いその結果戦績を悪くすることは種牡馬入り後に響くためわざわざ勝ちにくいジャパンカップを選ぶことも少ない。よって、2億5000万円の賞金よりも種牡馬として買い取られるときに発生する遥かに高い金額を優先する。近年ではキングジョージや愛チャンピオンSを勝ったスウェインや英愛ダービー馬ガリレオが種牡馬としての価値を高めようと凱旋門賞にすら出走せずダート競走の最高峰であるBCクラシックに出走するなど、種牡馬になった後のことを考えてレースを選ぶ傾向がある。また上記で説明されている日本の固い芝でたとえ外国馬が勝利を収めても、深い芝の欧州やダートが主流のアメリカにおいてはその勝利は種牡馬入りしてもあまり価値がない。そのため、近年ジャパンカップに勝った外国馬は日本の生産者団体に買い取られることが多い。
外国馬の出走馬の中には、ジャパンカップで上位入賞した後に他のG1競走を勝つなどの活躍することで有名になった海外馬も少なからず存在する。代表例としては1982年の2着馬で翌年に凱旋門賞、ロスマンズインターナショナル、ターフクラシック招待ステークス、ワシントンDCインターナショナルと欧米のGI競走に多く勝利した牝馬オールアロング、1996年の優勝馬で翌年のドバイワールドカップ、コロネーションカップ、インターナショナルステークスに優勝したシングスピール、2000年の3着馬でジャパンカップ後にBCターフや愛チャンピオンSなどGI競走を5勝して欧州年度代表馬および米国最優秀芝牡馬に選ばれ2年連続でワールド・レーシング・チャンピオンシップのチャンピオンとなったファンタスティックライトや2002年の優勝馬であり翌年エクリプスステークスやインターナショナルステークスなどのG1を勝ったファルブラヴが挙げられる。
逆に、その年の凱旋門賞を勝利して来日した馬は勝っていない。それどころか複勝圏に入った馬も1996年に出走したエリシオのみで、その他のトニービン、キャロルハウス、アーバンシー、モンジューらは馬券に絡むことすらできなかった。

ジャパンカップ 国内馬
1990年代半ばには天皇賞(秋)や菊花賞などの優勝馬がこの後に1年の総決算とも言える有馬記念が控えていることもあって3戦連続のGI挑戦に慎重にならざるを得ないというローテーション上の問題から早々とジャパンカップ回避を公言するなど、日本の出走馬が小粒になるということもあった。この動きは八大競走時代の名残やジャパンカップの歴史がまだ浅いことから、目指す目標の違いが回避か挑戦かに現れているとも言われていた。しかし近年では賞金額が大幅に増額されたことや同一年に天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の全てに勝利した場合のボーナス制度ができたこと、宝塚記念から毎日王冠や京都大賞典を使わずに秋の天皇賞に直行する馬が増えたこと、さらに距離やコースの適性を尊重するようになってきた近代競馬では中距離の天皇賞(秋)を避けて中長距離のジャパンカップと有馬記念の2レース、または小回りの中山競馬場を嫌って天皇賞(秋)、ジャパンカップの2レースに照準を絞る陣営も増えてきている。その結果有力馬の回避は減少し、古馬に限っては故障以外の理由で回避することはほとんどない。また、菊花賞が10月の第3週に開催されるようになってからは有力3歳馬の出走も増えてきている。なおクラシックに登録していない3歳(旧4歳)馬はクラシック競走への出走ができないため、三冠をあきらめる代わりに世界の強豪と対決することを目標とすることから本競走に照準を合わせる馬も少ないながらも存在する[4]。

ジャパンカップ 3歳馬
日本馬は優勝回数が12回と最も多いが、その内3歳馬の勝利は1998年のエルコンドルパサーと2001年のジャングルポケット、2010年のローズキングダムの3頭のみであと一歩のところで勝利できない馬も多い。
2・3着に敗れた3歳(旧4歳)の日本調教馬

年	馬名	結果	主な勝ち鞍、備考
1984年	シンボリルドルフ	3着	牡馬クラシックを無敗で制した三冠馬
1988年	オグリキャップ	3着	元地方笠松所属
1993年	ウイニングチケット	3着	日本ダービー
1996年	ファビラスラフイン	2着	秋華賞
1998年	スペシャルウィーク	3着	日本ダービー
2002年	シンボリクリスエス	3着	天皇賞(秋)
2003年	ザッツザプレンティ	2着	菊花賞
2004年	コスモバルク	2着	地方ホッカイドウ所属
デルタブルース	3着	菊花賞
2006年	ドリームパスポート	2着
2008年	ディープスカイ	2着	NHKマイルカップ・日本ダービー
2009年	レッドディザイア	3着	秋華賞
2010年	ヴィクトワールピサ	3着	皐月賞

ジャパンカップ 出走権

ジャパンカップ 日本馬の出走権
レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる(レーティングが同じ値の場合は「近走成績や距離実績などを総合的に勘案して」順位をつけている、としている[5])。
その他は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
1998年より2009年まで出馬投票締切前日までのGI、GII、GIII競走の1着馬、または出馬投票締切前日までの1年間での中央競馬のGI競走(ただし2歳馬の競走を除く)3着以内馬に限られていた。この規定は、1997年にスノーエンデバー(前走ハンデキャップ戦であるアルゼンチン共和国杯に50kgの軽斤量を活かし2着)がジャパンカップの登録馬が少なかっために出走できたことが物議を醸したからと考えられている(参考:大阪スポーツ)。

ジャパンカップ 外国馬の出走権
ジャパンカップの招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われるため、招待が決定してもブリーダーズカップや香港国際レースに出走するため受諾できないケースがあった。そこで2008年より指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対し優先出走権を与えることとし、早期に招待を出すことができるようになった[6]。宝塚記念がブリーダーズカップ・チャレンジの対象レースになったことに伴い、2011年からブリーダーズカップ・ターフも指定レースに追加された。2008年にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス2着のペイパルブルが初めて優先出走権を行使して出走している。
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	優先出走権対象馬
1	キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス	G1	アスコット	芝12f	1着馬・2着馬
2	アーリントンミリオン	G1	アーリントンパーク	芝10f	1着馬
3	アイリッシュチャンピオンステークス	G1	レパーズタウン	芝10f	1着馬
4	バーデン大賞	G1	バーデンバーデン	芝2400m	1着馬
5	凱旋門賞	G1	ロンシャン	芝2400m	1着馬・2着馬
6	ブリーダーズカップ・ターフ	G1	持ち回り	芝12f	1着馬

ジャパンカップ 褒賞金制度
2000年から天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の3つのレースを同一年に制した場合に褒賞金が1億円贈られるようになった。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円に増額されており、テイエムオペラオー、ゼンノロブロイがこの褒賞金を獲得している。
2003年より外国調教馬に対して指定競走の当年優勝馬(レースによっては2着馬も)がジャパンカップ優勝した場合、褒賞金を交付している。2009年よりその範囲が拡大され、以下の条件に該当すればジャパンカップにおいて3着までに入れば規定の褒賞金を交付することとなった。制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。なお2011年より報奨金の金額が減額され[7]、イギリスのチャンピオンステークスが指定競走に追加されている[8]。
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	褒賞金
1	ダービーステークス	G1	エプソム競馬場	芝12f10y	当該競走の当年優勝馬
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円
当該競走の当年2着馬
1着4000万円、2着1600万円、3着1000万円
2	ジョッケクルブ賞	G1	シャンティイ競馬場	芝2100m
3	アイリッシュダービー	G1	カラ競馬場	芝12f
4	キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス	G1	アスコット競馬場	芝12f
5	凱旋門賞	G1	ロンシャン競馬場	芝2400m
6	ブリーダーズカップ・ターフ	G1	持ち回り	芝12f
7	ブリーダーズカップ・クラシック	G1	持ち回り	ダート10f
AW10f
8	アーリントンミリオン	G1	アーリントンパーク競馬場	芝10f	当該競走の当年優勝馬
1着7000万円、2着2800万円、3着1800万円
9	アイリッシュチャンピオンステークス	G1	レパーズタウン競馬場	芝10f
10	バーデン大賞	G1	バーデンバーデン競馬場	芝2400m
11	カナディアンインターナショナルステークス	G1	ウッドバイン競馬場	芝12f
12	コックスプレート	G1	ムーニーヴァレー競馬場	芝2040m
13	パリ大賞典	G1	ロンシャン競馬場	芝2400m
14	チャンピオンステークス	G1	アスコット競馬場	芝10f
15	ジャパンカップ	GI	東京競馬場	芝2400m	前年優勝馬(日本調教馬を除く)
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円

ジャパンカップ 歴史
1981年
東京競馬場の芝2400mの国際招待の混合特別指定競走、ジャパンカップとして創設。
メアジードーツが当時のJRAレコードタイム(2分25秒3)で優勝。
1982年 - 当時の世界歴代賞金王ジョンヘンリー(アメリカ)が出走(13着)。
1983年 - 日本で初めてゼッケンに馬名が記入された(後述。当時はこの競走のみの特別仕様)。
1984年
JRAグレード制施行によりGIに格付け。
ミスターシービー(10着)、シンボリルドルフ(3着)が出走し中央競馬史上初となる中央競馬クラシック三冠馬同士の対決となった。
カツラギエースが日本生産馬、日本調教馬として初優勝。
1985年 - 単勝1番人気馬(シンボリルドルフ:日本)が初優勝。
1989年
ニュージーランドのホーリックスが従来のJRAレコードを2秒以上短縮する、当時の世界レコードタイム(2分22秒2)で優勝。7歳(当時の年齢表記)牝馬がJRA主催のGI競走を制するのも初となる。オグリキャップはホーリックスと同タイムながら2着。
1着賞金の総額が1億円台となる。
1992年
国際セリ名簿基準委員会 (ICSC)により国際GI競走に指定。
シンボリルドルフの仔・トウカイテイオーが優勝。初の父仔制覇。
1996年 - エリシオとストラテジックチョイスが3着同着。
1997年 - イギリスのマイケル・スタウトが調教師として史上初の2連覇。
1999年 - ワールドレーシング・チャンピオンシップに参加。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
創設以来初めて日本馬が掲示板を独占。
2002年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝2200mで施行。
2005年 - イギリスのアルカセットが芝2400mの日本レコードタイムとなる2分22秒1で優勝。ハーツクライは同タイムながら2着。
2006年 - ワールドレーシング・チャンピオンシップが一時中止(2009年現在)。
2008年
ジャパン・オータムインターナショナルに指定。
3世代の日本ダービー優勝馬(メイショウサムソン、ウオッカ、ディープスカイ)が初めて揃って出走。
2009年 - ウオッカが日本生産馬の牝馬として初優勝を果たすとともに、史上4頭目(牝馬としては史上初)のJRA・GI競走7勝を達成。
2010年
日本のGI競走としては初となる3D映像の競馬中継を行う[9]。
第1位に入線したブエナビスタが他馬の進路を妨害したため、第2着に降着(降着制度施行後のGIでは2006年エリザベス女王杯のカワカミプリンセス以来3度目の1位入線馬の降着)[10]。

ジャパンカップ 歴代優勝馬
回数	施行日	調教国・優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1981年11月22日	メアジードーツ	牝5	2:25.3	C.アスムッセン	J.フルトン	A.D.シェフラー
第2回	1982年11月28日	ハーフアイスト	牡3	2:27.1	D.マクベス	S.ホッフ	B.R.F.ストーン
第3回	1983年11月27日	スタネーラ	牝5	2:27.6	B.ラウス	F.ダン	F.ダン
第4回	1984年11月25日	カツラギエース	牡4	2:26.3	西浦勝一	土門一美	野出一三
第5回	1985年11月24日	シンボリルドルフ	牡4	2:28.8	岡部幸雄	野平祐二	和田農林(有)
第6回	1986年11月23日	ジュピターアイランド	牡7	2:25.0	P.エデリー	C.ブリテン	タビストック侯爵
第7回	1987年11月29日	ルグロリュー	牡3	2:24.9	A.ルクー	R.コレ	S.ウォルフ
第8回	1988年11月27日	ペイザバトラー	牡4	2:25.5	C.マッキャロン	R.フランケル	E.ガン
第9回	1989年11月26日	ホーリックス	牝6	2:22.2	L.オサリバン	D.オサリバン	G.W.ド・グルシー
第10回	1990年11月25日	ベタールースンアップ	騸5	2:23.2	M.クラーク	D.ヘイズ	G.ファラー
第11回	1991年11月24日	ゴールデンフェザント	牡5	2:24.7	G.スティーヴンス	C.ウィッティンガム	B.マクノール
第12回	1992年11月29日	トウカイテイオー	牡4	2:24.6	岡部幸雄	松元省一	内村正則
第13回	1993年11月28日	レガシーワールド	騸4	2:24.4	河内洋	森秀行	(株)ホースタジマ
第14回	1994年11月27日	マーベラスクラウン	騸4	2:23.6	南井克巳	大沢真	笹原貞生
第15回	1995年11月26日	ランド	牡5	2:24.6	M.ロバーツ	H.イエンチ	イットリンゲン牧場
第16回	1996年11月24日	シングスピール	牡4	2:23.8	L.デットーリ	M.スタウト	シェイク・モハメド
第17回	1997年11月23日	ピルサドスキー	牡5	2:25.8	M.キネーン	M.スタウト	ウェインストック卿
第18回	1998年11月29日	エルコンドルパサー	牡3	2:25.9	蛯名正義	二ノ宮敬宇	渡邊隆
第19回	1999年11月28日	スペシャルウィーク	牡4	2:25.5	武豊	白井寿昭	臼田浩義
第20回	2000年11月26日	テイエムオペラオー	牡4	2:26.1	和田竜二	岩元市三	竹園正繼
第21回	2001年11月25日	ジャングルポケット	牡3	2:23.8	O.ペリエ	渡辺栄	齊藤四方司
第22回	2002年11月24日	ファルブラヴ	牡4	2:12.2	L.デットーリ	L.ダウリア	スクデリーア・ランカティ
第23回	2003年11月30日	タップダンスシチー	牡6	2:28.7	佐藤哲三	佐々木晶三	(株)友駿ホースクラブ
第24回	2004年11月28日	ゼンノロブロイ	牡4	2:24.2	O.ペリエ	藤沢和雄	大迫忍
第25回	2005年11月27日	アルカセット	牡5	2:22.1	L.デットーリ	L.クマーニ	M.R.チャールトン
第26回	2006年11月26日	ディープインパクト	牡4	2:25.1	武豊	池江泰郎	金子真人ホールディングス(株)
第27回	2007年11月25日	アドマイヤムーン	牡4	2:24.7	岩田康誠	松田博資	ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第28回	2008年11月30日	スクリーンヒーロー	牡4	2:25.5	M.デムーロ	鹿戸雄一	吉田照哉
第29回	2009年11月29日	ウオッカ	牝5	2:22.4	C.ルメール	角居勝彦	谷水雄三
第30回	2010年11月28日	ローズキングダム[11]	牡3	2:25.2	武豊	橋口弘次郎	(有)サンデーレーシング

ジャパンカップ ジャパンカップの記録
レースレコードタイム - 2分22秒1(第25回優勝馬アルカセット)
2着との最大着差 - 9馬身(第23回優勝馬タップダンスシチー)
勝馬投票券最高売上げ - 396億7438万2900円(第15回)
当日の最高入場者数 - 187,524人(第15回)
最多勝騎手 - 3勝
L.デットーリ(第16、22、25回)
武豊(第19回、26回、30回)
最多勝調教師 - 2勝 M.スタウト(第16、17回)
最多出走 - 6回 コスモバルク(第24~29回)

ジャパンカップ 特記事項
馬番ゼッケンに馬名(ゴール付近で観客に向かう右サイドに片仮名馬名、左サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また第6回までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場および大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している。ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国調教馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されている。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)[12]。
本競走の正式名称はあくまで「ジャパンカップ」であるが、2000年のジャパンカップダート創設以降は混同を避けるためか「ジャパンカップターフ」と称するファンや関係者もいる。
当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデーについては最終第11競走(この時も全11競走制)として行われた)[13]。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所および在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
第8回(1988年)にはディック・フランシスも視察に訪れている。
第13回(1993年)にブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったというボーンヘッドがあった[14](この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件を契機としてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
国際競走ではあるが、東京優駿で行われている国歌独唱は本競走では行われていない。[15]
2010年の第30回を記念したイベントとしてこの年のレース当日と前日の東京競馬の一般レース(平場戦)は全てジャパンカップ優勝馬の名を冠した「○○○賞」の副称が付けられ、馬券にはレース名も印刷された(既に名称が付けられている特別戦やワールドスーパージョッキーズシリーズのポイント対象レースには付けられなかった)。
現在に至るまでJRA最多となるGI7勝馬が4頭おり、いずれも当競走を優勝している。

ジャパンカップ 上位入線馬に関する事項
第3回(1983年)は5着までの調教国が全て異なる結果となった[16]。
第5回(1985年)にシンボリルドルフとロッキータイガー(船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは第18回の1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの30回中9回ある。
日本馬が掲示板を独占(1~5着)したのはこれまでに5回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
回	年	1着	2着	3着	4着	5着
第21回	2001年	ジャングルポケット	テイエムオペラオー	ナリタトップロード	ステイゴールド	メイショウドトウ
第23回	2003年	タップダンスシチー	ザッツザプレンティ	シンボリクリスエス	ネオユニヴァース	アクティブバイオ
第27回	2007年	アドマイヤムーン	ポップロック	メイショウサムソン	ウオッカ	デルタブルース
第28回	2008年	スクリーンヒーロー	ディープスカイ	ウオッカ	マツリダゴッホ	オウケンブルースリ
第30回	2010年	ローズキングダム	ブエナビスタ(1位入線降着)	ヴィクトワールピサ	ジャガーメイル	ペルーサ

ジャパンカップ 脚注
^ 中山グランドジャンプは2011年より通常の国際競走に変更となり、招待制ではなくなる(2011年度開催日割および重賞競走について)。
^ a b 「レーシングプログラム」(日本中央競馬会) 2006年11月26日
^ 日本中央競馬会『優駿』1970年10月号、p.49
^ 皐月賞・東京優駿・菊花賞の場合は、現状では規定によりクラシックに登録していない3歳馬が出走するには多額の追加登録料(200万円)が必要となる。一方ジャパンカップにはこの登録の必要がない。
^ 【ジャパンカップ(GI)】特別登録日本馬のレーティング順位 - JRA公式サイト 2011年11月14日
^ ジャパンカップへの優先出走について(JRA ホームページ、JRA ニュース)
^ 交付対象競走、指定外国競走、交付対象馬及び褒賞金の額(PDFファイル) - JRA公式サイト 2011年7月1日閲覧。変更前の金額もアドレス先を参照のこと
^ 国際交流競走褒賞金指定外国競走の新規追加について - JRA公式サイト 2011年7月1日
^ 放映されたレースは東京競馬場での競走のみで、第10競走のジャパンカップの他に第9競走と第11競走も放映対象に含まれていたため、東京競馬第9競走のキャピタルステークスが3D映像で放映される日本初の競馬競走となった(3D 体験イベント「LIVE IN 3D 第30回ジャパンカップ (GI)」)。
^ 過去GI成績 第30回 ジャパンカップ (GI) - JRA公式サイト 201年12月5日閲覧
^ 第30回はブエナビスタが1位で入線したが、最後の直線で2位入線のローズキングダムの進路を妨害したとして、審議の結果2着に降着処分を受け、ローズキングダムが繰り上がりで優勝となった(参考:ブエナビスタの走破時計 2:24.9)。
^ 但し、2010年のジャパンカップダートでは外国調教馬の出走が無かった為、従来のGI競走と同様に馬体の左サイドも右サイドと同じく片仮名馬名であり、かつ両サイドとも国旗の記載が無かった。
^ 1983年までは全10競走制であり、本競走は第9競走として施行された。
^ 通常、理由もなく追うのを止めた場合は審議の対象となり、長期の騎乗停止などの処分が下される場合があるが、この時は過怠金のみの処分であった。
^ 但し、ゴールデンジュビリーデーとして行われた2004年は、和田アキ子による国歌独唱が行われた。
^ 1着スタネーラ(アイルランド)、2着キョウエイプロミス(日本)、3着エスプリデュノール(フランス)、4着ハーフアイスト(アメリカ)、5着マクギンティ(ニュージーランド)

シンメイフジ

シンメイフジ

英字表記	Shimmei Fuji
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2007年1月30日(4歳)
登録日	2009年5月6日
父	フジキセキ
母	レディミューズ
母の父	ティンバーカントリー
生国	 日本(北海道新ひだか町)
生産	ケイアイファーム
馬主	織田芳一
調教師	安田隆行(栗東)
競走成績
生涯成績	12戦3勝
(内訳)
10戦2勝(中央)
2戦1勝(地方)
獲得賞金	9527万8000円
(内訳)
6202万8000円(中央)
3325万円(地方)

シンメイフジ(英: Shimmei Fuji)の主な勝ち鞍は新潟2歳ステークス(2009年)、関東オークス(2010年)。
馬名の由来は冠名+父名の一部より。

シンメイフジ 経歴
シンメイフジ 2歳(2009年)
2009年7月5日、阪神の芝1200メートルの2歳新馬戦で武豊とのコンビでデビューし、1.6倍の1番人気に応えてデビュー戦初勝利を挙げた。続く8月8日のダリア賞でも1番人気の支持を得たが、先に抜け出したプリンセスメモリーに先着を許した。3戦目の9月6日の新潟2歳ステークスが重賞初挑戦となり、最後方追走から上がり3F32秒9の末脚を見せて岩田康誠との新たなコンビで重賞初勝利を飾った。これで岩田康誠は騎手として同レース史上3人目の連覇となった。12月13日、阪神の第61回阪神ジュベナイルフィリーズでは3.9倍の単勝1番人気と支持されたが、道中後方待機から伸びきれず5着となった。

シンメイフジ 3歳(2010年)
2010年の始動戦は3月20日のフラワーカップ。好スタートを決めハナに立ち、道中も先頭でレースを進めた。直線に入って一旦突き放すも3番人気のオウケンサクラに並ばれると後退し5着。4月11日、阪神の第70回桜花賞では再び後方追走になり6着。5月23日、東京の第71回優駿牝馬では11着となり初の二桁着順に敗れた。6月16日、川崎で行われた第46回関東オークスでは内田博幸が手綱を取り初ダートとなったが、1番人気に支持され、課題のスタートも五分に出て好位追走から抜け出し2着に0.3秒差突き離して快勝した。6月30日、右第1指骨剥離骨折を発症していることが判明した。

シンメイフジ 4歳(2011年)
7ヵ月半ぶりの実戦復帰となった2011年2月2日の第14回TCK女王盃では内枠を利してハナに立ち先頭でレースを進めたが直線で後退し5着に敗れた。続く3月20日の第59回中京記念では先団から追走して4着。続く4月23日の第8回福島牝馬ステークスでは後方待機から伸びきれず9着となった。休養を挟み、JBCレディスクラシックに登録するも除外され11月13日の第36回エリザベス女王杯に出走、強気に先手を奪うと、2番手追走のホエールキャプチャ以下を引き離して大逃げを打ったが直線で一杯になり7着。

シンメイフジ 競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	頭数	オッズ(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム(上り3F)	着差	1着馬(2着馬)
2009.7.5	阪神	2歳新馬		9	1.6	(1人)	1着	武豊	54	芝1200m(良)	1:11.5(34.9)	0.0	(トシザマキ)
8.8	新潟	ダリア賞	OP	13	2.7	(1人)	2着	武豊	54	芝1400m(良)	1:23.3(34.9)	0.1	プリンセスメモリー
9.6	新潟	新潟2歳S	JpnIII	18	3.7	(1人)	1着	岩田康誠	54	芝1600m(良)	1:34.4(32.9)	-0.1	(フローライゼ)
12.13	阪神	阪神JF	JpnI	18	3.9	(1人)	5着	岩田康誠	54	芝1600m(良)	1:35.3(34.4)	0.4	アパパネ
2010.3.20	阪神	フラワーC	GIII	16	6.5	(2人)	5着	岩田康誠	55	芝1800m(良)	1:50.7(35.5)	0.4	オウケンサクラ
4.11	阪神	桜花賞	GI	18	10.8	(4人)	6着	岩田康誠	55	芝1600m(良)	1:33.7(33.8)	0.4	アパパネ
5.23	東京	優駿牝馬	GI	18	14.9	(6人)	11着	岩田康誠	55	芝2400m(稍)	2:32.3(37.1)	2.4	アパパネ
サンテミリオン
6.16	川崎	関東オークス	JpnII	14	3.2	(1人)	1着	内田博幸	54	ダ2100m(重)	2:13.1(38.5)	-0.3	(ハーミア)
2011.2.2	大井	TCK女王盃	JpnIII	16	7.9	(4人)	5着	内田博幸	54	ダ1800m(良)	1:53.1(37.3)	0.7	ラヴェリータ
3.20	小倉	中京記念	GIII	16	28.9	(10人)	4着	古川吉洋	54	芝2000m(稍)	2:00.9(37.1)	0.9	ナリタクリスタル
4.23	新潟	福島牝馬S	GIII	16	7.1	(4人)	9着	武幸四郎	55	芝1800m(良)	1:46.4(34.3)	1.0	フミノイマージン

シンメイフジ 血統表
シンメイフジの血統 (サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/クロス無し)
父

フジキセキ 1992
青鹿毛 北海道千歳市	*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ	Halo	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well	Understanding
Mountain Flower
*ミルレーサー
Millracer 1983
鹿毛 アメリカ	Le Fabuleux	Wild Risk
Anguar
Marston's Mill	In Reality
Millicent
母

レディミューズ 1997
栗毛	*ティンバーカントリー
Timber Country 1992
栗毛	Woodman	Mr. Prospector
*プレイメイト
Fall Aspen	Pretense
Change Water
*シンコウラブリイ 1989
鹿毛	Caerleon	Nijinsky
Foreseer
*ハッピートレイルズ	* ポツセ
* ロイコン F-No.4-d
母のレディミューズはチューリップ賞2着馬である。
祖母のシンコウラブリイはマイルチャンピオンシップなど重賞6勝している。母の半兄であるロードクロノス(父トニービン)は中京記念勝馬。半弟のトレジャー(父ブライアンズタイム)は重賞2着3回。
曾祖母の直仔にエプソムカップ勝ち馬のタイキマーシャル、京都牝馬ステークス勝ち馬のハッピーパスがいる。孫にセントライト記念や京成杯オータムハンデキャップ勝ちのキングストレイル。アルゼンチン共和国杯勝ちのタイキエルドラド、函館スプリントステークス勝ちのタイキトレジャーがいるなどオープンまでいっている馬が多い。

ショウリダバンザイ

ショウリダバンザイ

品種	サラブレッド
性別	牝
毛色	鹿毛
生誕	2007年3月2日
父	プリサイスエンド
母	オレンジスペシャル
母の父	ジェイドロバリー
生国	 日本(北海道浦河町)
生産	山口義彦
馬主	林正夫
調教師	林和弘(ホッカイドウ)
→ 高岩孝敏(大井)
→ 林和弘(ホッカイドウ)
競走成績
生涯成績	20戦8勝
獲得賞金	8366万5000円

ショウリダバンザイは日本の競走馬。馬名の由来は「勝利だ万歳」から。
ショウリダバンザイ プロフィール

ショウリダバンザイ 2歳時
ホッカイドウ競馬デビューであり、2009年5月20日のデビュー戦は門別で行われたJRA認定フレッシュチャレンジだった。8頭立ての1番人気に推され勝利すると、次走は7月7日の栄冠賞に出走し、前走に引き続き1番人気に推されたが5着に敗れた。
3走目は8月11日のリリーカップで、3戦連続の1番人気だったが3着に敗れ、続く9月24日のルールオブロー賞では、2番人気となったが、デビュー戦以来の勝利を挙げた。
5走目に10月22日のエーデルワイス賞に出走、前走は勝利したものの3番人気で6着となり、6走目は水沢競馬場に遠征して南部駒賞に出走し、3番人気で4着となった。
ショウリダバンザイ 3歳時
年が明けてホッカイドウから大井に転厩し、3歳初戦は1月21日の桃花賞に出走すると、転厩初戦を勝利で飾った。続く転厩2戦目に3月24日に浦和競馬場で行われた桜花賞に出走。レースは中団追走から徐々に進出し、4コーナーから先頭に並ぶと最後の直線では後続との差を広げ、1番人気だったバックアタックに2馬身半の差をつけて転厩2連勝とした。
5月20日の東京プリンセス賞では後方追走から追い上げるも最後の直線でトーセンウィッチと競り合いに敗れ2着だった。6月16日の関東オークスではシンメイフジの5着に終わった。
3ヶ月の休養を経て9月21日門別競馬場のノースクイーンカップへ出走。最後の直線でインコースから先頭に立つと後続の追撃も振り切り優勝した。
さらに南関東へ戻り、11月17日に川崎競馬場で行われたロジータ記念に出走すると、最後の直線で1番人気ハーミアを交わし優勝。重賞3勝目となった。
ショウリダバンザイ 4歳時
初戦は2月2日のTCK女王盃に出走、後方追走のまま9着に終わった。4月18日付でホッカイドウ競馬の林和弘厩舎に復帰。復帰初戦のコスモバルク記念では、中団追走から直線追い込むも、クラキンコをとらえきれす2着。星雲賞でも前をとらえきれず4着、ファルブラヴ賞でも3着に敗れた。ノースクイーンカップでは1番人気のクラキンコを抑えて優勝、連覇を達成した。ビューチフル・ドリーマーカップではマチカネオイカゼの2着に敗れた。レディスプレリュードでは後方から追い上げるも4着。道営記念では愛知の吉田稔が騎乗し、2着のリフレックスに4馬身差をつけて優勝した。
ショウリダバンザイ 競走成績
年月日	    競馬場	競走名	格	頭数	枠番	馬番	オッズ(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム(上3F)	タイム差	勝ち馬/(2着馬)
2009.	5.	20	門別	フレッシュチャレンジ		8	8	8	1.4(1人)	1着	山口竜一	53	ダ1000m(良)	1:00.7(36.6)	-1.1	(セレクトシューズ)
7.	7	門別	栄冠賞	H2	15	7	12	2.0(1人)	5着	山口竜一	53	ダ1200m(良)	1:14.7(38.6)	0.5	オノユウ
8.	11	門別	リリーC	H3	9	6	6	2.1(1人)	3着	山口竜一	53	ダ1000m(良)	1:00.7(36.5)	0.3	プリモエナジー
9.	24	門別	ルールオブロー賞		12	7	10	3.4(2人)	1着	井上俊彦	53	ダ1200m(良)	1:13.1(37.7)	0.0	(ミサトサウス)
10.	22	門別	エーデルワイス賞	JpnIII	14	5	8	6.7(3人)	6着	井上俊彦	54	ダ1200m(良)	1:14.7(38.5)	0.5	オノユウ
11.	15	水沢	南部駒賞	重賞	12	8	11	6.9(3人)	4着	井上俊彦	53	ダ1600m(不)	1:41.2(-)	1.4	ロックハンドスター
2010.	1.	21	大井	桃花賞	準重賞	16	1	2	6.5(3人)	1着	井上俊彦	53	ダ1600m(良)	1:43.2(40.4)	-0.1	(ネイルセンプー)
3.	24	浦和	桜花賞	SI	16	7	14	5.3(3人)	1着	真島大輔	54	ダ1600m(重)	1:42.5(39.6)	-0.5	(バックアタック)
5.	20	大井	東京プリンセス賞	SI	16	6	11	2.2(1人)	2着	真島大輔	54	ダ1800m(不)	1:55.1(40.6)	0.0	トーセンウィッチ
6.	16	川崎	関東オークス	JpnII	14	4	5	3.7(2人)	5着	真島大輔	54	ダ2100m(重)	2:13.9(39.1)	0.8	シンメイフジ
9.	21	門別	ノースクイーンC	H2	13	5	6	2.9(1人)	1着	服部茂史	54	ダ1800m(良)	1:54.4(38.0)	-0.1	(ライネスゴルト)
11.	17	川崎	ロジータ記念	SI	12	4	4	6.1(2人)	1着	御神本訓史	54	ダ2100m(良)	2:17.3(39.3)	-0.7	(ハーミア)
2011.	2.	2	大井	TCK女王盃	JpnIII	16	4	8	25.5(6人)	9着	御神本訓史	54	ダ1800m(良)	1:53.8(36.9)	1.4	ラヴェリータ
5.	5	門別	コスモバルク記念	H2	14	5	8	3.8(3人)	2着	山口竜一	56	ダ1800m(重)	1:56.1(37.9)	0.1	クラキンコ
6.	2	門別	星雲賞	H2	11	5	5	2.5(2人)	4着	山口竜一	56	ダ2000m(良)	2:10.8(37.9)	0.7	クラキンコ
6.	29	門別	ファルブラヴ賞		11	7	8	2.2(1人)	3着	井上俊彦	56	ダ1800m(良)	1:57.2(38.6)	0.8	ダイワルビア
7.	28	門別	ノースクイーンC	H2	14	3	4	4.6(2人)	1着	服部茂史	56	ダ1800m(良)	1:56.2(-)	-0.2	(クラキンコ)
8.	29	盛岡	ビューチフル・ドリーマーC	重賞	12	6	8	1.3(1人)	2着	服部茂史	55	ダ2000m(良)	2:07.9(37.1)	0.0	マチカネオイカゼ
9.	29	大井	レディスプレリュード	SII	16	5	9	55.1(8人)	4着	御神本訓史	55	ダ1800m(良)	1:51.5(36.2)	0.7	ミラクルレジェンド
11.	17	門別	道営記念	H1	16	5	10	3.0(1人)	1着	吉田稔	54	ダ2000m(良)	2:06.8(38.6)	-0.9	(リフレックス)
※競走成績は2011年11月17日現在
血統表 [編集]

ショウリダバンザイの血統 (ミスタープロスペクター系/Mr. Prospector 4×3=18.75%、Northern Dancer 5×5×5=9.38%)
父

*プリサイスエンド
Precise End
1997 黒鹿毛	*エンドスウィープ
End Sweep
1991 鹿毛	*フォーティナイナー	Mr.Prospector
File
Broom Dance	Dance Spell
Witching Hour
Precisely
1987 栗毛	Summing	Verbatim
Sumatra
Crisp'n Clear	Cold Reception
Ring O'Bells
母

オレンジスペシャル
2000 鹿毛	*ジェイドロバリー
Jade Robbery
1987 黒鹿毛	Mr.Prospector	Raise a Native
Gold Digger
Number	Nijinsky II
Special
*オレンジジャスミン
Orange Jasmine
1994 鹿毛	Masterclass	The Minstrel
Monroe
La Mortola	Bold Lad
Mortefontaine F-No.7-f
父プリサイスエンドについては同馬の項を参照。母オレンジスペシャルは未出走馬。4代母Mortefontaineの産駒にはアイリッシュ1000ギニーに優勝し、日本でアドマイヤムーン、ヒシアマゾン、スリープレスナイトを輩出する名牝系の祖となったKatiesがいる。

サダムパテック

サダムパテック

英字表記	Sadamu Patek
品種	サラブレッド
性別	牡
毛色	鹿毛
生誕	2008年3月30日(3歳)
登録日	2010年9月23日
父	フジキセキ
母	サマーナイトシティ
母の父	エリシオ
生国	 日本(北海道白老町)
生産	(有)社台コーポレーション白老ファーム
馬主	大西定
調教師	西園正都(栗東)
競走成績
生涯成績	9戦3勝
獲得賞金	1億7992万2000円
(2011年10月23日現在)

サダムパテック(Sadamu Patek)。
馬名は冠名+スイス時計名(パテック・フィリップ)より。主な勝ち鞍は2010年の東京スポーツ杯2歳ステークス、2011年の弥生賞。

サダムパテック 経歴
サダムパテック 2歳
2010年10月17日、京都の2歳新馬戦で柴田善臣を鞍上に迎えてデビュー、5番人気に支持され2着となる。続く10月30日の未勝利戦で鞍上はC.スミヨンを迎えて初勝利を飾った。 3戦目には11月20日の東京スポーツ杯2歳ステークスに出走、1番人気に支持された。道中は後方でレースを進め4コーナーでは中団待機まで進出し直線半ばで力強く抜け出し2着のリフトザウイングスに3馬身半差つけて快勝し重賞初制覇を飾った[1] 。12月19日の朝日杯フューチュリティステークスでは単勝1.8倍の1番人気で出走、道中中団で待機し直線で外から追い詰めたがグランプリボスの4着に終わった。

サダムパテック 3歳
2011年3月6日の弥生賞に出走、1番人気に支持された。道中中団を追走し直線で外から抜け出すとプレイに1/2馬身差をつけて勝利した[2]。震災の影響で舞台が東京競馬場に変更となった4月24日の皐月賞では中団から追い上げたが、先に抜けたオルフェーヴルに3馬身突き放され2着に敗れた。東京優駿では中団を追走したが最後の直線で伸びあぐねて7着に終わった。秋に入り9月18日のセントライト記念に1番人気で出走、後方待機から直線で外から追い詰めたがフェイトフルウォーの3着。菊花賞では先団を追走したがオルフェーヴルの5着に終わった。

サダムパテック 競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	距離(馬場)	頭数	枠番	馬番	オッズ(人気)	着順	タイム(上り3F)	着差	騎手	斤量	1着馬(2着馬)
2010.10.17	京都	2歳新馬		芝1600m(良)	16	1	1	15.8(5人)	2着	1:37.1(33.5)	0.2	柴田善臣	55kg	ケイティーズジェム
10.30	京都	2歳未勝利		芝1600m(良)	14	3	3	2.4(1人)	1着	1:34.3(34.8)	-0.5	C.スミヨン	55kg	(ダノンシャーク)
11.20	東京	東スポ杯2歳S	GIII	芝1800m(良)	16	1	2	4.6(1人)	1着	1:47.3(33.7)	-0.6	C.スミヨン	55kg	(リフトザウイングス)
12.19	中山	朝日杯FS	GI	芝1600m(良)	16	5	10	1.8(1人)	4着	1:34.1(34.9)	0.2	C.スミヨン	55kg	グランプリボス
2011.3.6	中山	弥生賞	GII	芝2000m(良)	11	6	6	2.7(1人)	1着	2:01.0(34.2)	-0.1	岩田康誠	56kg	(プレイ)
4.24	東京	皐月賞	GI	芝2000m(良)	18	2	4	2.5(1人)	2着	2:01.3(34.9)	0.5	岩田康誠	57kg	オルフェーヴル
5.29	東京	東京優駿	GI	芝2400m(不)	18	1	2	6.0(2人)	7着	2:32.8(37.4)	2.3	岩田康誠	57kg	オルフェーヴル
9.18	中山	セントライト記念	GII	芝2200m(良)	17	7	14	3.1(1人)	3着	2:10.7(34.1)	0.4	岩田康誠	56kg	フェイトフルウォー
10.23	京都	菊花賞	GI	芝3000m(良)	18	6	11	24.0(7人)	5着	3:03.8(35.9)	1.0	岩田康誠	57kg	オルフェーヴル
血統表 [編集]

サダムパテックの血統 (サンデーサイレンス系/アウトブリード)
父

フジキセキ 1992
青鹿毛 千歳市	*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ	Halo	Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well	Understanding
Mountain Flower
*ミルレーサー
Millracer 1983
鹿毛 アメリカ	Le Fabuleux	Wild Risk
Anguar
Marston's Mill	In Reality
Millicent
母

サマーナイトシティ 1999
鹿毛 白老町	*エリシオ
Helissio 1993
鹿毛 フランス	Fairy King	Northern Dancer
Fairy Bridge
Helice	Slewpy
Hirondelle
*ダイアモンドシティ
Diamond City 1988
鹿毛 アメリカ	Mr.Prospector	Raise a Native
Gold Digger
Honey's Flag	Hoist the Flag
Cathy Honey F-No.9-h

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