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重賞

重賞(じゅうしょう)とは競馬の競走の中の目玉となる大きな競走である。

重賞解説

重賞の開催は事前から告知を行い有力馬を集め、多くの観客を集めるための看板となる競走である。

重賞の語源は英語のパターンレース(pattern race)から来ている。パターンレースとは「毎年一定の時期に一定の条件で繰り返し行われる競走」のことで、18世紀のイギリスで始まった。それ以前は競馬の競走は開催直前まで条件が確定されないことが常であったが、パターンレースが広まることによって有力馬が目標を持って調整を行うことが可能となった。

「重賞」という語は、このパターンレースの「回を重ねて賞を行う」点を採って意訳したものとされる。もちろん「重要な賞」であることに疑いはないが、patternという語に「重要な」という意味はない。

ただし、現在ではパターンレースの訳語が重賞であると単純に定義づけることはできない。例えばグレード制(またはグループ制)のもとではパターンレースはG1(グレード1もしくはグループ1、以下同じ)、G2、G3およびL(LR、リステッドレース、Listed race)に格付けされるがこのうちリステッドレースは日本では主に「準重賞」と訳され重賞には含めない。

日本でも重賞以外の一般競走・特別競走の番組が一部を除いて中央競馬では年3回、地方競馬では当該開催の直前に所属馬の動向を鑑みて発表されるのに対し重賞は年度ごとの発表であり、なおかつ頻繁な条件の変更は行われないことから「重賞はパターンレースの一種」であるということは間違いない。

重賞に対応する言葉としてグレード競走(グループ競走)という表現が用いられることも多いが、日本にはグレードなどの格付けのない重賞も地方競馬を中心に多数存在する[1]。準重賞は地方競馬では現在も用いられている。

中央競馬では、降雪等により出馬投票後に芝コースからダートコースに馬場変更となった場合には重賞競走のままであるが格付けは設定されない。最近ではエルコンドルパサーが勝利した1998年の共同通信杯4歳ステークスがこれにあたり、降雪で本来の芝1800mからダート1600mに変更となったため格付け(JRAGIII)が外された。この取り扱いは1984年2月4日から実施されているものであり[2]、それ以前に芝コースからダートコースに変更された4競走[3]については当初の格付けのまま施行されている。

日本競馬関連の重賞に関する記録

便宜上、以下、中央競馬施行の重賞は「中央」、地方競馬施行の統一重賞は「統一」、地方競馬施行の統一重賞でない重賞は「地方」、ここまでの総称は「日本」、外国競馬施行の重賞は「外国」ないし具体的な国名で表す。

通算重賞勝利数

17勝 ブライアンズロマン 統一1勝 地方16勝
16勝 オグリキャップ 中央12勝 地方4勝
15勝 トウケイニセイ 地方15勝
15勝 スマートファルコン 統一15勝
14勝 アブクマポーロ 中央1勝 統一9勝 地方4勝
14勝 メイセイオペラ 中央1勝 統一3勝 地方10勝
14勝 スズノキャスター 地方14勝
13勝 ホクトベガ 中央4勝 統一9勝
13勝 ケイエスヨシゼン 地方13勝
13勝 ロードバクシン 地方13勝
13勝 ヴァーミリアン 中央3勝 統一10勝
13勝 マルヨフェニックス 地方13勝
13勝 ヒシウォーシイ 地方13勝
12勝 スピードシンボリ 中央12勝
12勝 テイエムオペラオー 中央12勝
12勝 ナイキアディライト 統一2勝 地方10勝
12勝 マリンレオ 地方12勝
12勝 ローゼンホーマ 地方12勝
12勝 ワシュウジョージ 地方12勝

外国調教馬日本重賞勝利数
3勝 カラジ 障害重賞
2勝 ハートレイク

日本調教馬外国重賞勝利数
3勝 エイシンプレストン 香港3勝
2勝 エルコンドルパサー フランス2勝
2勝 アグネスワールド フランス、イギリス各1勝
2勝 ステイゴールド ドバイ、香港各1勝

年間重賞勝利数
8勝 オグリキャップ 1988年 中央7勝 地方1勝
8勝 ホクトベガ 1996年 統一8勝
8勝 アブクマポーロ 1998年 統一6勝 地方2勝
8勝 テイエムオペラオー 2000年 中央8勝
8勝 エレーヌ 2010年 地方8勝
7勝 ブライアンズロマン 1998年 統一1勝 地方6勝
7勝 マリンレオ 2002年 地方7勝
7勝 ヒシウォーシイ 2010年 地方7勝

重賞連続勝利数
10連勝 オグリキャップ 中央6勝 地方4勝 重賞以外での勝利を挟む
9連勝 マリンレオ 地方9勝 重賞以外での勝利を挟む
9連勝 ヒシウォーシイ 地方9勝 重賞以外での勝利を挟む
8連勝 タイキシャトル 外国1勝 中央7勝
8連勝 テイエムオペラオー 中央8勝
7連勝 ホクトベガ 中央1勝 統一6勝

同一重賞勝利数
6勝 シバフイルドー クイーンカップ(地方) 6連覇
4勝 ブライアンズロマン とちぎ大賞典(地方) 4連覇
4勝 オースミダイナー 瑞穂賞(地方) 4連覇
4勝 キングスゾーン マイル争覇(地方) 4連覇
4勝 コウエイトライ 阪神ジャンプステークス 3連覇
3勝 セカイオー 鳴尾記念 3連覇
3勝 シゲルホームラン セイユウ記念 3連覇
3勝 アドマイヤドン JBCクラシック 3連覇
3勝 タップダンスシチー 金鯱賞 3連覇
3勝 カラジ 中山グランドジャンプ 3連覇
3勝 エリモハリアー 函館記念 3連覇
3勝 ブルーコンコルド マイルチャンピオンシップ南部杯 3連覇
3勝 マツリダゴッホ オールカマー 3連覇
3勝 ヴァーミリアン JBCクラシック 3連覇
3勝 ラヴェリータ スパーキングレディーカップ 3連覇
年間複数施行重賞限定記録
5勝 バローネターフ 中山大障害 秋施行分3連覇含む
4勝 フジノオー 中山大障害 4連覇
4勝 グランドマーチス 中山大障害 4連覇

同一重賞連対数
6連対 シバフイルドー クイーンカップ(地方) 6連続
6連対 ブライアンズロマン とちぎ大賞典(地方) 6連続
5連対 メルシーエイタイム 中山大障害 5連続
5連対 クーリンガー 佐賀記念
年間複数施行重賞限定記録
7連対 バローネターフ 中山大障害 6連続
5連対 フジノオー 中山大障害 5連続
5連対 グランドマーチス 中山大障害 5連続

最短距離勝利重賞と最長距離勝利重賞の距離の幅
2400m ドクタースパート 1200m(北海道3歳優駿)~3600m(ステイヤーズステークス)
2100m タカハタ 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(日本経済賞)
2100m タカオー 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(天皇賞(春))
2100m メイヂヒカリ 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(天皇賞(春))
2100m キタノオー 1100m(朝日杯3歳ステークス)~3200m(天皇賞(春))
2000m タケシバオー 1200m(英国フェア施行記念)~3200m(天皇賞(春)) 古馬戦のみでの最高記録
中央限定記録
2200m ドクタースパート 1400m(京成杯3歳ステークス)~3600m(ステイヤーズステークス)
障害重賞も含めた参考記録
2900m ゴッドスピード 1200m(小倉3歳ステークス)~4100m(中山大障害)

連続出走連続勝利重賞間の距離の幅
1600m タイテエム 1600m(マイラーズカップ)~3200m(天皇賞(春))
1600m フソウ 1600m(安田賞)~3200m(日本経済賞)
1600m クリチカラ 1600m(安田賞)~3200m(日本経済賞)
1400m アサホコ 1800m(スワンステークス)~3200m(天皇賞(春))
1400m クシロキング 1800m(中山記念)~3200m(天皇賞(春))
1400m サクラローレル 1800m(中山記念)~3200m(天皇賞(春))
1400m メジロブライト 3600m(ステイヤーズステークス)~2200m(アメリカジョキークラブカップ)

勝利重賞の距離のバリエーション
7 シンザン 1800m 2000m 2400m 2500m 2600m 3000m 3200m
7 アブクマポーロ 1600m 1800m 2000m 2100m 2300m 2400m 2600m
7 ヴァーミリアン 1600m 1870m 1900m 2000m 2100m 2400m 2500m
7 マルヨフェニックス 1400m 1600m 1700m 1800m 1900m 2000m 2400m

重賞勝利競馬場数
10 ホクトベガ 中山 京都 札幌 川崎 東京 船橋 高崎 大井 盛岡 浦和
9 メイショウバトラー 小倉 京都 佐賀 中京 名古屋 浦和 川崎 水沢 船橋

最初の重賞勝利から最後の重賞勝利までの期間
2522日 ユウユウサンボーイ 1990年12月29日 全日本3歳優駿 ~ 1997年11月24日 北上川大賞典 共に地方
2165日 ブルーコンコルド 2002年11月9日 京王杯2歳ステークス ~ 2008年10月13日 マイルチャンピオンシップ南部杯
1932日 トーアファルコン 1983年9月4日 小倉3歳ステークス ~ 1988年12月18日 CBC賞

重賞勝利から次の重賞勝利までの期間
2071日 ダンスインザモア 2005年3月20日 スプリングステークス ~ 2010年11月20日 福島記念
1457日 メジロマイヤー 2002年2月10日 きさらぎ賞 ~ 2006年2月6日 小倉大賞典
重賞勝利から次の重賞勝利までの期間を未勝利で過ごした参考記録
1434日 エルウェーウィン 1992年12月13日 朝日杯3歳ステークス ~ 1996年11月16日 アルゼンチン共和国杯
最短記録
6日 エレーヌ 2010年4月19日 日高賞 ~ 4月25日 ル・プランタン賞 共に地方
7日 バリモスニセイ 1964年10月25日 朝日チャレンジカップ ~ 11月1日 京都杯
12日 ヤサカ 1955年5月3日 京都4歳特別 ~ 5月15日 毎日杯

同一重賞勝利間隔
1472日 テツノヒリユウ 東京盃 第21回1987年9月15日 ~ 第25回1991年9月26日
1463日 ヒダカハヤト カブトヤマ記念 第44回1990年10月21日 ~ 第48回1994年10月23日
1463日 マズルブラスト 大井記念 第52回2007年5月23日 ~ 第56回2011年5月25日
1456日 ローエングリン 中山記念 第77回2003年3月2日 ~ 第81回2007年2月25日
最短記録
36日 バンチャンプ テレビ埼玉杯 第7回1997年3月26日 ~ 第8回1997年5月1日(地方)
287日 シエスキイ クモハタ記念 第16回1966年12月11日 ~ 第17回1967年9月24日
年間複数施行重賞限定記録
82日 プラトーフォンテン 東京障害特別 第50回1980年11月9日 ~第51回1981年1月31日
98日 ヤマニリユウ 京都記念 第42回1966年11月27日 ~ 第43回1967年3月5日

重賞出走後に長期休養を経て復帰戦を重賞勝利で飾るまでの期間
574日 テイエムドラゴン 2006年4月15日中山グランドジャンプ(2着) ~ 2007年11月10日京都ハイジャンプ
462日 スズパレード 1987年6月14日宝塚記念(1着) ~ 1988年9月18日オールカマー 連勝
385日 サクラローレル 1995年2月19日目黒記念(2着) ~ 1996年3月10日中山記念
364日 トウカイテイオー 1992年12月27日有馬記念(11着) ~ 1993年12月26日有馬記念
343日 メジロマックイーン 1992年4月26日天皇賞(春)(1着) ~ 1993年4月4日大阪杯 連勝

最後の重賞勝利時における年齢
13歳 オースミダイナー エトワール賞(地方)
12歳 オースミダイナー 北海道スプリントカップ
12歳 カラジ 中山グランドジャンプ
10歳 ブラーボウッズ みちのく大賞典(地方) 重賞初勝利
10歳 セタノキング さくらんぼ記念
10歳 ブラクパワー 金杯 福山(地方) 重賞初勝利
10歳 アサカディフィート 小倉大賞典
9歳 ゲイリーフラッシュ シルクロードステークス 重賞初勝利

最後の重賞勝利時における出走数
106戦目 サンエムキング 2002年開設記念 高崎(地方)
94戦目 ダイニカツフジ 1956年京都大障害(秋)
75戦目 トラツクオー 1953年毎日王冠
75戦目 タマツバキ 1951年読売楯アラブ東西対抗(秋)
最初の重賞勝利時における出走数
93戦目 クルセイズ 2008年OROカップ(地方)
71戦目 リバーセキトバ 1998年黒船賞
68戦目 メリーダンサー 1970年京都大障害(秋)
66戦目 ブレツシング 1958年中京競馬開設5周年記念

重賞勝利馬の勝率
戦績 勝率 馬名 主な勝ち鞍
11戦11勝 1.000 クリフジ 東京優駿
10戦10勝 1.000 トキノミノル 東京優駿
8戦8勝 1.000 マルゼンスキー 朝日杯3歳ステークス
8戦8勝 1.000 ケイウンリーダー 荒尾ヤングチャンピオン
7戦7勝 1.000 カヅミネオン 笠松アラブダービー
7戦7勝 1.000 ナイスフレンド アラブダービー(大井)
7戦7勝 1.000 キタノダイオー 北海道3歳ステークス
4戦4勝 1.000 フジキセキ 朝日杯3歳ステークス
4戦4勝 1.000 アグネスタキオン 皐月賞
3戦3勝 1.000 ガヴアナー 東京優駿
3戦3勝 1.000 レッドイーグル 朝日杯3歳ステークス
3戦3勝 1.000 ミラクルユートピア 帝室御賞典
3戦3勝 1.000 ダイナサンキュー デイリー杯3歳ステークス
2戦2勝 1.000 サイキョウカチドキ 兼六園ジュニアカップ
13戦12勝 0.923 コウザンハヤヒデ 楠賞全日本アラブ優駿
12戦11勝 0.917 ツキノイチバン 金盃(大井)
11戦10勝 0.909 ホスピタリテイ セントライト記念
43戦39勝 0.907 トウケイニセイ マイルチャンピオンシップ南部杯
10戦9勝 0.900 ピユーアゴールド 帝室御賞典
8戦7勝 0.875 ミホノブルボン 東京優駿
8戦7勝 0.875 キングカメハメハ 東京優駿
8戦7勝 0.875 ロイヤルブリッジ しもつけ弥生賞
23戦20勝 0.870 ゴールドレツト 東海ダービー
14戦12勝 0.857 ディープインパクト 七冠馬
27戦23勝 0.852 シユンエイ タマツバキ記念
20戦17勝 0.850 トチノミネフジ 全日本アラブ大賞典
13戦11勝 0.846 バンザイ 帝室御賞典
13戦11勝 0.846 タイキシャトル ジャックルマロワ賞
13戦11勝 0.846 カブラヤオー 東京優駿
19戦16勝 0.842 キンカイチフジ 全日本アラブ大賞典
30戦25勝 0.833 インターハイクラス 九州王冠
18戦15勝 0.833 ヘイセイパウエル 新春アラブ争覇
6戦5勝 0.833 シーザリオ アメリカンオークス
6戦5勝 0.833 アグネスフローラ 桜花賞
6戦5勝 0.833 ダイシンフブキ 朝日杯3歳ステークス
6戦5勝 0.833 ユーワフォルテ 新潟大賞典
6戦5勝 0.833 アサクサスケール クイーンステークス
41戦34勝 0.829 ローゼンホーマ 全日本アラブ大賞典
35戦29勝 0.829 第二メルボルン 帝室御賞典
49戦40勝 0.816 マリンレオ タマツバキ記念
16戦13勝 0.813 シンボリルドルフ 七冠馬
15戦12勝 0.800 エビタカラ 全日本アラブ大賞典
15戦12勝 0.800 クロイチョキンバコ 全日本2歳アラブ優駿
5戦4勝 0.800 ダービーリッチ ラジオたんぱ賞
5戦4勝 0.800 ギャラントダンサー 朝日杯3歳ステークス
29戦23勝 0.793 ダイナナホウシユウ 天皇賞(秋)
19戦15勝 0.789 シンザン 五冠馬
14戦11勝 0.786 ホマレショウハイ 全日本アラブ争覇
9戦7勝 0.778 ハクシヨウ 東京優駿
9戦7勝 0.778 マルシンヴィラーゴ 全日本アラブ争覇
13戦10勝 0.769 ミラ 帝室御賞典
30戦23勝 0.767 コトノアサブキ 道営記念
21戦16勝 0.762 メイヂヒカリ 中山グランプリ
40戦30勝 0.750 ニホンカイユーノス 西日本アラブダービー
36戦27勝 0.750 ニユーバラツケー 読売楯争奪東西対抗
12戦9勝 0.750 トウカイテイオー 有馬記念
12戦9勝 0.750 メジロラモーヌ 牝馬三冠
12戦9勝 0.750 エキプレス 読売カップ
8戦6勝 0.750 イソノルーブル 優駿牝馬
8戦6勝 0.750 サルノキング 弥生賞
4戦3勝 0.750 ミナミホマレ 東京優駿
4戦3勝 0.750 ミュゲロワイヤル 共同通信杯
15戦11勝 0.733 キタノカチドキ 皐月賞 菊花賞
11戦8勝 0.727 エルコンドルパサー サンクルー大賞
11戦8勝 0.727 ノースフライト 安田記念
11戦8勝 0.727 カオリビジン 六甲盃
25戦18勝 0.720 キーストン 東京優駿
32戦23勝 0.719 アブクマポーロ 帝王賞
7戦5勝 0.714 キタサンヒボタン ファンタジーステークス
38戦27勝 0.711 ヒメカツプ アラブ大賞典
41戦29勝 0.707 カウンテスアツプ 東京大賞典
17戦12勝 0.706 コダマ 東京優駿
17戦12勝 0.706 ホクトライデン アラブダービー(大井)
40戦28勝 0.700 スズノキャスター 全日本アラブクイーンカップ
20戦14勝 0.700 マルタケ 帝室御賞典
10戦7勝 0.700 テスコガビー 桜花賞 優駿牝馬
以上に現役馬は含まず

重賞脚注

^ 中央競馬では平地競走は1984年、障害競走も1999年から全ての重賞競走に格付けがなされ格付けの無かったアングロアラブ系競走は1995年に廃止されたためしばらく全重賞に格付けがなされていた(芝コースからダートコースに馬場変更となったために格付けがはずされたレースを除く)。2009年より施行されたレパードステークスは創設から2年は格付けを行わないことが決まっており、グレード制が導入されてからは初の格付けのない重賞となる。
^ 『優駿』(日本中央競馬会)1984年3月号、p161
^ アメリカジョッキークラブカップ、日経新春杯、中日新聞杯、京都牝馬特別

ジャージー規則

ジャージー規則(じゃーじーきそく、Jersey Act)とは、イギリスのジョッキークラブがかつて定めていたサラブレッドの定義のことである。1949年撤廃された。規則名の由来は当時のジョッキークラブ会長の名前より。

ジャージー規則解説

ジャージー規則の内容は、先祖の全てがジェネラルスタッドブックに収録されている馬にさかのぼれなければジェネラルスタッドブックに登録しない。つまりサラブレッドとは認めないとしたものであり、サラブレッドの定義の中でも最も条件が厳しい。

これは1909年にジェネラルスタッドブック第21巻に記載され、1913年の第22巻ではさらに強化された。(*サラブレッドの定義が初めて決められたのが1901年(第19巻)、この時は現在とほぼ同じ「父母8代に渡ってサラブレッドとしての先祖関係を証明できること」であった。)

この規則が成立する少し前、それまでの馬匹改良によって高いレベルに達していたアメリカのサラブレッドが数多くイギリスに輸入され、その中には伝統あるクラシック競走に優勝する馬が出現した。

この事にイギリスは屈辱を感じ、またアメリカのサラブレッドの中には、ジェネラルスタッドブックに記載されずにアメリカに輸出されたサラブレッドの血や、南北戦争などで血統書が失われたサラブレッドの血を含むためサラブレッドの純血性が失われるのではないかとも危惧していた。このような背景でジョッキークラブはジャージー規則を決めアメリカのサラブレッドと、その血を持つサラブレッド(イギリス内ではサラブレッド系種)を締め出しにかかったのである。

種牡馬としても成功したレキシントンの血統中にはジェネラルスタッドブックに遡れない馬の血が含まれていた
折りしもアメリカは1920年から禁酒法時代を迎え、多くの州で馬券発行が禁止されヨーロッパに多数のサラブレッドが流出したが、イギリス国内ではそれら全てがサラブレッドとして認められなかった。

だが、サラブレッド系種としてイギリス国内で走ることは禁止されていなかったため、1914年にはダーバー(父父がセントサイモンだが、母方に米血であるレキシントンを持つ)がエプソムダービーに優勝している。

その後、イギリスはアメリカのサラブレッドの血を使えなかったため(ただし規則成立以前に輸入されていたアメリカ血統は使えた)、イギリス・アメリカの血を自由に使えたフランス(米血を使える上、当然セントサイモンに代表される英血も使えるため遺伝子資源の面で優位になった)に対し、相対的に馬のレベルの低下を引き起こし、フランスからの遠征馬にイギリス国内の大レースが数多く勝たれるという現象を生じた。特にトウルビヨン出現以後はその現象が顕著になり、ついに1949年、米仏からの強い抗議もありジャージー規則は撤廃された。

斜行

斜行(しゃこう)とは、公営競技において斜めに走行することを指す用語である。斜行により、他の競技者(馬)の走行を妨害したと判定されたときは、反則行為として制裁が科される。

競馬では、レース中に走っている馬が斜めに走り出す事である。「もたれる」の表現も斜行と同じ意味で使われる。当然真っ直ぐだけに走らせ続けることは不可能であるので、自分より横や2馬身以内の後方に馬がいないこと、進路変更が他馬の走行に妨害を与えるもので無いこと(前を走る馬を抜きに掛かる余力が残っていない状態を含む)などを条件として、斜め・横に進路を取ることが許されている。これに該当しない斜め・横方向への進路選択を斜行という。

斜行するとその横にいる馬だけでなく、後ろを追走していて追い抜きにかかる馬が非常に危険にさらされ、時には接触または避けようとして落馬などに至る場合がある。

この場合、斜行した馬に騎乗した騎手に制裁を課されることが多い。軽い場合(馬の癖などによる斜行など)や過失が馬に起因し騎手が進路修正を行なっていたと認められた場合などは戒告や制裁金で済むこともあるが、悪質なもの(後続の馬が落馬、または騎手がバランスを崩し落馬寸前まで至る等)にはその騎手に対して降着や失格と判定し、次週以降の騎乗停止処分を課すこともある。

降着制度は1953年に西ドイツで採用され、その後採用した国が多くなり、1990年頃になると世界にはこの制度が一般的のものとなっていたが、日本競馬での降着制度は1991年(平成3年)に採用された。日本にはそれ以前は降着制度が無く、制裁は主に失格と過怠金および騎乗停止によるものだった。

現在の日本において降着制度が存在するのは競馬だけである。ただし、中央競馬による斜行の事例を例に取ると、一見同じ度合の斜行に見えても裁決委員の判断により処分は異なるケースがあることに留意しなければならない。

斜行その他

他の公営競技では選手の走行中における行為により斜行を判定する。例えば競輪の場合は「走行注意」などの制裁(着順には関係しないが事故点が課せられる)が科せられ、失格となった場合そのレースの賞金は支給されず、開催中のレース出場取り消し(斡旋解除)や、その後の出場を予定するレースの参加を取り消される(斡旋拒否、出場自粛)場合がある。

斜行関連項目

降着制度
パトロールビデオ

三大始祖

三大始祖(さんだいしそ)とは現在のサラブレッドの直系父系祖先を可能な限り遡った場合に辿り着くダーレーアラビアン(Darley Arabian 1703)・バイアリーターク(Byerley Turk 1679)・ゴドルフィンアラビアン(Godolphin Arabian 1724)の3頭の種牡馬の事である。

三大始祖概要

現存のサラブレッドの血統を父の父そのまた父というふうに遡っていくと、必ず3頭の種牡馬に辿り着く。このため、この3頭を三代始祖と称する。

三代始祖が生存していた時代には、「サラブレッド」の概念は成立していなかった。後世に「サラブレッド」として品種が確立されたウマの父系先祖をたどった場合に、個体の記録が公式に残っているものとして行きつく最古のウマ、ということである。

サラブレッドは複数の品種を用いた品種改良の結果誕生した品種である。三大始祖は品種改良に用いられた多数の馬のうちの3頭に過ぎず、したがって三大始祖それぞれはサラブレッド品種ではない点にも注意を要する。

例外もあるが原則的に両親ともサラブレッドでなければその仔もサラブレッドとして登録できないため、今後も三大始祖以外を父系祖先とするサラブレッドは生まれて来ることがない。

三代始祖と三大基礎種牡馬

日本では上記それぞれの父系子孫で、これらの父系を発展させた3頭を三代始祖と称する場合もある。

ダーレーアラビアン – エクリプス(Eclipse 1764)
バイアリーターク – ヘロド(Herod 1758)
ゴドルフィンアラビアン – マッチェム(Matchem 1748)

サラブレッドの場合、エクリプスを介さないダーレーアラビアンの父系子孫は現存していない。他の系統も同様である。したがって、現存のサラブレッドについては、ダーレーアラビアンの父系子孫はすべてエクリプスの父系子孫となる。

このため、現存のサラブレッドを分類する場合、エクリプス系、ヘロド系、マッチェム系と3つに大別する場合もあり、注意を要する。混同を避けるため前者を三大始祖、後者を三大基礎種牡馬として区別する場合もあるが、英語圏で三大基礎種牡馬(three foundation stallions)と言った場合、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、バイアリータークの3頭を指す。他に三大根幹種牡馬等とも言う。

三大始祖に対する誤解

三大始祖というのは、現在生きているサラブレッドの父方祖先を遡った末にたどり着く3頭の種牡馬というだけのことであり、本来人間で言う一族の祖以上でもそれ以下でもない。

サラブレッドは3頭から始まったと言われることもあるが、当然牝祖は別におり、当時は別の種牡馬も活躍していた。このためサラブレッドは3頭から始まったというのは完全に誤りである。

三大始祖の血量を合計しても25%程度でしかない(ゴドルフィンアラビアンはサラブレッド最大の祖ではある)。また、サラブレッドは複数の品種を用いた品種改良の結果誕生した品種であり、三大始祖は品種改良に用いられた多数の馬のうちの3頭に過ぎず、したがって三大始祖それぞれはサラブレッド品種ではない点にも注意を要する。

また、あくまでも現存のサラブレッドをたどると3頭に行きつくというだけであり、この3頭以外の子孫のサラブレッドが存在しなかった、ということではない。かつてはこれ以外の父系統もあったが、現存していない。現在のサラブレッドの定義の基礎となっているジェネラルスタッドブックには、この3頭を含めて100頭以上の種牡馬が記録されており、これらの子孫もサラブレッドである。

三大始祖サラブレッド以外

サラブレッド以外の品種では三大始祖の何れかが単一の始祖となっていることが多い(多くはダーレーアラビアンが)。競走馬として使われるスタンダードブレッドは、エクリプスを介さないダーレーアラビアン系であるフライングチルダーズ系が実に99%をも占める。イタリア史上最強馬ヴァレンヌを例にとると

ヴァレンヌ
父Waikiki Beach→Speedy Somolli→Speedy Crown→Speedy Scot→Speedster→Rodney→Spencer Scott→Scotland→Peter Scott→Peter the Great→Pilot Medium→Happy Medium→Hambletonian 10→Abdallah→Mambrino II(これ以前はサラブレッド)→Messenger→Mambrino→Engineer→Sampson→Blaze→Flying Childers→Darley Arabian(22代前がダーレーアラビアン)
となっている。ただしスタンダードブレッド以外のトロッターにまで広げるとマッチェム系も若干の勢力を持っている。

そのほかの品種については
クォーターホース – ハーミット系とピーターパン系(どちらもエクリプス系の一派)が多い。
セルフランセ – 比較的最近成立した品種であるため、雑多な父系が残るが、それでもセントサイモン系(エクリプス系の一派)が最も多く、次いでハリーオン系(マッチェム系の一派)が多いという。

三大始祖歴史

三大始祖成立

サラブレッドがまだイングランドのランニングホースと呼ばれていた時代には三大始祖以外の父系も数多く存在していた。代表的な物としては、オルコックアラビアン系や、ダーシーズホワイトターク系があり、ジェネラルスタッドブック第一巻には三大始祖を含めた102頭の基礎種牡馬が記載されている。

これら102頭の内実際に父系を伸ばせたのは10数頭であったが、それでも18世紀初頭には必ずしも現在の三大始祖が特別な地位を占めていたわけではなかった。

ゴドルフィンアラビアンやダーレーアラビアンは当初から大きな勢力を持っていたが、それもダーシーズホワイトターク系などを圧倒する程ではなく、バイアリータークの父系に至っては当初弱小父系に過ぎなかった。この時代には、ダーシーズホワイトターク系のベイボルトンが8度種牡馬チャンピオンになり、オルコックアラビアン系のスペクテイターがマッチェムを破っている。

1760年から80年代になると、三大始祖の父系から登場したエクリプス、ヘロド、マッチェム、及びヘロドの産駒ハイフライヤー等が種牡馬として大きな成功を収めることで他の父系は圧倒されていく。イギリス本国では1785年のエイムウェルによるイギリスダービー制覇を最後にオルコックアラビアン系の組織的な抵抗が終わり、新大陸に逃れたダーシーズホワイトタークとセントヴィクターズバルブの系統も19世紀中ごろまでには完全に滅ぼされた。こうして三大始祖が成立した。

三大始祖勢力の増減

この頃の各父系の勢力はヘロド系が最も大きく、次いでエクリプス系、マッチェム系であった。しかし、ヘロド系は何頭かの突出した種牡馬、ヘロド系を後押しした馬産家がいたにもかかわらず著しく衰退、マッチェム系も同様に衰退した。200年経過した21世紀初頭、エクリプス系が圧倒的勢力を築いている。なお、かつてはエクリプス系、ヘロド系どちらが競走馬として優れているかの議論も行われていたが、現在は三大始祖いずれの父系に属しているかによって能力等に差は生じないと考えられている。

三大始祖他品種への拡大

19世紀以降、サラブレッドの優秀性が認められるにつれ、他の品種の改良にサラブレッドが頻繁に使われた。スタンダードブレッドや北米における乗用種の成立に関わったメッセンジャー、クォーターホースの改良に貢献したスリーバー、セルフランセの父祖に見られるオレンジピール及びフリオーソ等を通じて三大始祖は他品種に浸透した。現在では三大始祖の勢力はサラブレッドに限られたものでは無くなっている。

三大始祖現存のサラブレッドの例

ディープインパクト
父サンデーサイレンス→Halo→Hail to Reason→Turn-to→Royal Charger→Nearco→Pharos→Phalaris→Polymelus→Cyllene→Bona Vista→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabianとなり25代遡るとダーレーアラビアンへ辿り着く

ナリタブライアン
父ブライアンズタイム→Roberto→Hail to Reason→Turn-to→Royal Charger→Nearco→Pharos→Phalaris→Polymelus→Cyllene→Bona Vista→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(これも25代遡るとダーレーアラビアンへ)

シンボリルドルフ
父パーソロン→Milesian→My Babu→Djebel→Ambiorix→Tourbillon→Ksar→Bruleur→Chouberski→Gradefeu→Cambyse→Androcles→Dollar→The Flying Dutchman→Bay Middleton→Sultan→Selim→Buzzard→Woodpecker→Herod→Tartar→Partner→Jigg→Byerley Turk(24代前はバイアリーターク)

ミスターシービー
父トウショウボーイ→テスコボーイ→Princely Gift→Nasrullah→Nearco→Pharos→Phalaris→Polymelus→Cyllene→Bona Vista→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(24代前はダーレーアラビアン)

シンザン
父ヒンドスタン→Bois Roussel→Vatout→Prince Chimay→Chaucer→St.Simon→Galopin→Vedette→Voltigeur→Voltaire→Blacklock→Whitelock→Hambletonian→King Fergus→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(19代前はダーレーアラビアン)

セントライト
父ダイオライト→Diophon→Grand Parade→Orby→Orme→Ormonde→Bend Or→Doncaster→Stocckwell→The Beron→Birdcatcher→Sir Hercules→Whalebone→Waxy→Potoooooooo→Eclipse→Marske→Squirt→Bartlet’s Childers→Darley Arabian(20代前がダーレーアラビアン)

クライムカイザー
父ヴェンチア→Relic→War Relic→Man o’ War→Fair Play→Hastings→Spendthrift→Australian→West Australian→Melbourne→Humphrey Clinker→Comus→Sorcerer→Trumpator→Conductor→Matchem→Cade→Godolphin

Arabian(18代前がゴドルフィンアラビアン)
三冠馬の6頭の内、5頭がダーレーアラビアンの直系子孫であることからも分かるように、この3系統の中でもその勢力には大きな隔たりがある。

ダーレーアラビアン(エクリプス)を父系祖先とする馬、すなわちエクリプス系が全世界のサラブレッドのうち95%をも占めている。残りはゴドルフィンアラビアン(マッチェム系)が多く、バイアリーターク(ヘロド系)はイギリス・アイルランドを中心に少数が残るのみとなっている。日本における偏りはさらに大きく、2008年に日本国内で血統登録されたサラブレッドの99.5%はエクリプス系(内訳はファラリス系97%、リボー系2%、他0.6%)であり、ヘロド系(0.3%)、マッチェム系(0.2%)の割合は極めて小さい。

三大始祖アメリカンダミー

三大始祖以外の馬が現在も種牡馬として活動しているとする見解も一部にはある。日本の血統研究家の中島国治は、かつてのアメリカにおいてはクォーターホースをはじめとするサラブレッド以外の品種の馬の仔が、血統を偽ってサラブレッドとして登録されていたと主張し、三大始祖以外、それもサラブレッド以外の品種の父系子孫が現在も種牡馬として活動しているという説を唱えている[1]。そのような馬のことを中島はアメリカンダミーと呼び[2]、近親交配を解消するための有効な手段だと主張した。

なお、競走用クォーターホースはハーミットとヒムヤーの子孫が大半であり、残りも新興のファラリス系が殆どである。基本的にエクリプス系に属していると考えてよい。

三大始祖その他

インドには三大始祖とオルコックアラビアンを記念したダーレーアラビアンステークス、ゴドルフィンバルブステークス、バイアリータークステークス、オルコックアラビアンステークス(全てインド国内GIII)という競走がある。

馬主法人であるゴドルフィン、ダーレー・ジャパン・レーシングの名も三大始祖が元になっている。
メダルゲームの『STARHORSE』『STARHORSE2』には、三大始祖が登場し架空の競馬場で競走するレース(ゲーム上で行われる架空のレース)がある。ただし三大始祖で現実に競走で使われたのはバイアリータークだけである。

三大始祖脚注

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^ 類似の噂話には、アングロアラブ種における血統偽装(「テンプラ」と呼ばれる)がある。
^ 「アメリカンダミー」という呼び方は中島自身の造語である可能性が高い。彼は自著『血とコンプレックス』で「いわゆるアメリカンダミー」と(あたかも既存の用語であるかのように)言及しているが、中島以前の競馬関連書籍でこの言葉を用いた例は見受けられない。
外部リンク [編集]
地方競馬まるごと―三大始祖

サイン理論

サイン理論(サインりろん)とは、競馬の勝ち馬予想の手法の一つのことである。広義的な意味でケントク買い(見得買い、見徳買い)の一種として扱うこともある。
この手法を用いて買い目を決めた勝馬投票券をサイン馬券ともいう。

サイン理論概要

「メインレースの多くではレース前から既に勝ち馬や勝利する騎手が決まっており、特定の者に主催者または競馬の神様がサインを出して教えている」という発想の下で予想を行い、馬券を購入する。

人気馬では配当面の妙味が薄いため、基本的には穴馬を探すための手法であるが、人気馬を本命視する根拠の補強のために用いられることもある。

ただし、多くの手法が過去の経験則や統計から導き出された結果に基づくことから、必ずしも将来も的中が続くとは限らない。さらに、開催者・競馬関係者自体が八百長行為を行っているとも解釈することができるため、真面目な競馬ファンや競馬関係者からは嫌われる予想方法でもある。

古くからある手法の一つではあるが、日本においては競馬評論家の高本公夫がこの種の予想方法を世間に広めた人物として認知されており、予想コラムなどを通じて広めたことからタカモト式の名称で呼ばれることも多い。

ただし、実際のところ、当初の高本が著していた「サイン馬券」とは、競馬場の内外で情報収集を徹底的に繰り返し、馬主経済・厩舎人脈・競馬主催者の集客戦略から競走馬の生理面に至るまで様々な要素のレース予想における必然性を理路整然と唱えたものであった。

これに基づいて高本が無名時代に東京スポーツに連載していたコラムで枠順発表前に勝ち馬を予想したものが次々と的中したことが、「サイン馬券」の信奉者を増やす原動力になった。

だが、JRAの厩舎・競馬の関係者の管理体制や取材方式などの変化に伴ってそういった「サイン」の元となる情報の入手が困難になったことで、高本自身の予想も現在のサイン理論の様な「レースには何らかの作為がある」として強引に暗号解読を試みるものに変質してゆき、それと同時に多くの後発亜流が発生し、既に全盛期が過ぎていた高本もそれに呑み込まれてしまった。

サイン理論手法の例

時候や記念日から連想される馬名、馬主から予想する。
出走馬の関係者の誕生日や冠婚葬祭にもとづいて予想する。
主催者(中央競馬の場合は日本中央競馬会)の発行物や広告にあるフレーズ(特定の単語、漢字の画数)、使用されている写真などから予想する。

当日競馬場にゲストとして来た有名人や、場内で放送される迷子案内から連想される馬券を購入する。
そのとき、社会で大きな話題となっているニュース・事件・事故などの時事ネタから連想される馬券を購入する。
なかにはノストラダムスの予言解読などで見られるように、アナグラムや暗号解読、挙句にはオカルト的発想などの手法を用いた、牽強付会とも言えるこじ付けによる手法が用いられることもある。もちろん、レースの結果が出た後に、その結果にあてはめてサイン理論を作り上げることも可能である。

また、サインの対象が騎手である場合、その騎手が騎乗している全レースの馬券を購入することもある。競走馬でもサインが馬主の冠号にまつわる場合は、同様に同じ冠号を持つ馬の馬券を全て購入することもある。

サイン理論代表的な例

有馬記念
有馬記念は、中央競馬における1年の総決算ということもあり、その年の世相を反映したサイン予想がスポーツ誌を賑わせる。レース翌日のスポーツ誌でも、勝ち馬と世相を結びつける記事が掲載されることがある。以下のような例がある[1]。

アメリカ同時多発テロ事件が発生した2001年、秋開催唯一のクラシック第62回菊花賞では、逃げるマイネルデスポットをマンハッタンカフェが捕らえ勝利。さらに、有馬記念ではマンハッタンカフェとアメリカンボスの1・2フィニッシュとなった。3頭ともテロ絡み(独裁者・ニューヨーク・大統領)のサイン理論の典型的な予想および的中例ではあるが、多数の被害者が出た事件でもあり不謹慎とされかねないことから、結果や成果に言及した者は少なかった。

トリインフルエンザが流行し、中央競馬も馬インフルエンザで開催中止に追い込まれた2007年、1着に人気薄のマツリダゴッホが入った。この勝利とインフルエンザを関連付け、「ゴッホゴッホ」と咳をするという説明をしている。

2008年は、1着こそ単勝1番人気のダイワスカーレットだったが、2着は14頭中14番人気と最低人気だったアドマイヤモナークが入った。この年の7月に山本モナが、当時読売ジャイアンツ選手だった二岡智宏との不倫が発覚し話題となっていた。このことは、有馬記念翌日のスポーツ新聞各紙で大きく取り上げられた。

さらには騎乗した川田将雅騎手のイニシャル「K.Y.」(Kawada Yuga)が、2007年ごろから流行していたギャル語の1つ「KY」(空気読めない)と一致していたこともあり、偶然が重なっている。川田本人も、レース後のファンイベントで「すみません、KYでした」と恐縮しながら発言している。

2010年は、表彰式に第69代横綱白鵬翔が登場することがあり、勝ち馬は白つながりであった。1枠(白い帽子)のヴィクトワールピサが勝利し、しかもヴィクトワールピサの母がホワイトウォーターアフェアといった具合である[2]。

サイン理論その他

ほかにも、代表例として以下のようなものある。
1980年代の日刊スポーツ賞金杯において、「金杯」の名のとおり、金、もしくは金属、さらには金偏の漢字やそれを想像させる馬名の馬が偶然にも1着になる傾向があった。

すなわち、1984年のドウカンヤシマ(本来は太田道灌が由来だが、「銅カン」と考えられた)を皮切りに、1985年はスズパレード(鈴・錫)、1986年はクシロキング(釧路)、1987年はトチノニシキ(錦)、1988年はアイアンシロー(アイアン=鉄)、1989年はニシノミラー(ミラー=鏡)が優勝したことから、一部で「金杯は金の付く馬が勝つ」と語られるようになったのである。1990年以降はこの傾向はなくなったものの、金杯の時期になるとこのサインがしばしば語られる。

1990年代には「中山競馬場のレースで『ナカヤマ』の冠名を持つ馬の馬券を買うだけで儲かる」という話が話題となったことがある。実際1989年から1998年にかけて(10年間)のデータで、中山競馬場のレースで「ナカヤマ」の冠名の馬の馬券を全て購入した場合の単勝・複勝回収率がいずれも100%を超えるという結果が出ている[3]。

特に1997年末(5回中山2日目)から1998年初頭(1回中山3日目)にかけて「ナカヤマ」の馬が中山競馬場のレースに出走したケースで6連勝し、なかでも1998年のガーネットステークスでは「ナカヤマ」の馬(スーパーナカヤマとビーマイナカヤマ)がワンツーフィニッシュを飾った。

1998年、第3回秋華賞では、1着に同年の桜花賞馬ファレノプシス、2着に単勝13番人気のナリタルナパークが入線し万馬券決着となったが、これも同年秋に急逝した三冠馬ナリタブライアンに関するサイン理論の予想および的中だったとされる。1着のファレノプシスはナリタブライアンの近親、2着のナリタルナパークはナリタブライアンと同じ馬主で、かつ所属厩舎も同じ大久保正陽厩舎であった。

2009年8月、芸能人の押尾学と酒井法子が覚醒剤絡みの容疑で相次いで逮捕され、マスコミ報道が加熱している最中に開催された第44回北九州記念では、酒井学が騎乗しているサンダルフォンが勝利。田中裕二が東京スポーツで連載している予想コラムでこれをサイン的な形で話題として取り上げてサンダルフォンに本命印を打ち、単勝1,580円を的中させている。

天皇賞(春)においては、開催時期が世間一般でゴールデンウィークにあたることから、ゴールデンウィークに関連した馬名が絡むケースがいくつかある。一例として、1999年はスペシャルウィークが1着となり、2010年は人気薄のメイショウドンタクが3着に入った(ゴールデンウィークには博多どんたくが開催される)。


2010年11月21日に行われたマイルチャンピオンシップでは、前日11月20日にJリーグ(J1)優勝を決めた名古屋グランパスエイトやサッカーに関連した馬が上位独占した。1着はエーシンフォワード、2着は8番(エイト)のダノンヨーヨー、3着はゴールスキーといった具合である[4]。

サイン理論脚注

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^ 2010年12月21日付東京スポーツ紙面 井崎脩五郎と田中裕二の対談記事
^ 2010年12月27日 東京スポーツ紙面
^ 『珍馬怪記録うま大全』(井崎脩五郎・須田鷹雄著、ザ・マサダ、1999年)pp.172 – 173
^ グランパス馬券だった/マイルCS – 日刊スポーツウェブサイト 2010年11月21日閲覧

サイン理論関連項目

陰謀論
疑似科学
チェリー・ピッキング
中丸新将(俳優。サイン理論で馬券予想する著名人のひとり)

裁決委員

裁決委員(さいけついいん)とは、着順の確定や制裁など競馬に関する一定の事務を執り行う者のことである。

競馬の開催を担当している開催執務委員の一種で、関係者不祥事などの処分を検討・決定する裁定委員会とは別である。
以下、日本の中央競馬における裁決委員について記述する。

裁決委員の職務

裁決委員概要

日本中央競馬会競馬施行規程第181条に規定されている職務は以下の通り。
着順の確定
走行の妨害の申し立ての採決
出走馬または騎手に対する保安措置
制裁
競馬の公正を害すべき行為の取り締まりに関する事務

裁決委員による着順の確定

全出走馬の決勝線入線後、裁決室から検量室へ移動し、レース後の騎手の検量(後検量)に異常がないことを確認した上で着順の確定を行う。ただし、以下の場合には審議を行った上で確定を行う。(なお、審議が行われる場合には着順掲示板に「審議」と表示される。詳細については審議 (競馬)を参照。)

競走中に着順を変更する可能性のある出来事が起こったと判断した場合。
全出走馬の決勝線入線後、馬主、騎手、調教師などから走行妨害の申し立て(他の出走馬から走行妨害を受けたという申し立て)があった場合。

負担重量について審議する必要があると認めた場合。
審議の結果着順に変更がない場合は入線した順(到達順位)の通り確定を行い、着順を変更する必要があると認めた場合には着順変更の措置(詳細については降着制度を参照)をとった上で確定を行う。

裁決委員による走行の妨害の申し立ての採決

走行の妨害の申し立てとは、前述のように全出走馬の決勝線入線後に馬主、騎手、調教師などによって行われる他の出走馬から走行妨害を受けたという申し立てのことである。この場合、申し立ての際に申請者側が3万円を支払うことになっている。

裁決委員の出走馬または騎手に対する保安措置

出走予定馬および騎乗予定騎手の異常について出走または騎乗が不適当と判断した場合、当該馬について出走取消を許可しまたは競走から除外し、当該騎手について騎手変更を許可する。

裁決委員による制裁

競馬開催期間内に日本中央競馬会競馬施行規程に違反した競馬関係者に対する制裁および競走中に悪癖を呈した競走馬に対する処分を行う。制裁には「戒告」、「過怠金」、および「調教または騎乗の停止」があり、処分には「出走停止」がある。さらに競走馬については再度調教審査を受けるよう命じることができる。処分の通知は書面によって行われる。

裁決委員の競馬の公正を害すべき行為の取り締まりに関する事務

中央競馬では競馬の公正を確保するため、各競馬場内およびトレーニングセンター内には調整ルームが設けられている。裁決委員は調整ルームの管理を行っている。

裁決委員の構成・勤務形態

一競馬場につき3名で構成される。競走中には裁決室(競馬場内のスタンド最上階にある)から競走を監視する。監視は双眼鏡とパトロールビデオを用いて行う。

裁決委員を補佐する者

ハンデキャップ作成委員(ハンデキャッパー)・獣医委員 – 競走中に裁決室内で情報・資料を提供し裁決委員を補佐する。
走路監視委員 – 競走中にコース内の各コーナーにあるパトロールタワーから競走を監視し、異常を見つけた場合に裁決委員に報告する。
決勝審判委員 – タイムの計測や写真判定を担当し、判定の結果の報告を裁決委員に行う。

裁決委員その他の業務

騎手を補佐するバレットの採用試験の面接を担当している。

裁決委員参考文献・出典

藤田伸二「競馬番長のぶっちゃけ話」(2009年 宝島社)

裁決委員関連項目

審議 (競馬)
降着制度
パトロールビデオ