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ローテーション

競馬におけるローテーションとは、競走馬が出走するレースに関して用いられる言葉である。ただしローテーション(rotation)という英語の本来の意味は「(3者以上の)輪番、持ち回り」であり、例えばプロ野球チームの先発投手陣が順番にその役目(先発登板)を果たすような仕組みに対して用いる言葉である。よって競馬においてはこの言葉は和製英語である。

用法には以下のものがある。

当該競走馬の出走予定。とくに、グレードの高いレースに向けての予定。
当該競走馬が当該レースに出走するまでに踏んだ過程(出走した回数、レース相互の間隔(直近のレースと当該レースまたは過去に出走したあるレースと直近のレース)など)。

レース間隔の表現

レースAとレースBとの時間的間隔を表す際には、中○日、あるいは中○週という表現が用いられる。

中○日は、レースAの施行日の翌日とレースBの施行日との間に挟まれた日数を表す。たとえばレースAが1月1日、レースBが1月10日に施行されたとすると、両レースの間隔は中8日である。

中○週は、中央競馬において用いられる表現である。中央競馬は原則的に土曜日と日曜日に開催され、その2日をもって1週とされる。つまり中○週とは、レースAとレースBとの間に挟まれた週の数を表す。

たとえばレースAが10月1日(土曜)、レースBが10月16日(日曜)に施行されたとすると、2つのレースの間には10月8日(土曜)、10月9日(日曜)の週が挟まれるため、間隔は中1週となる。挟まれる週が1つもない場合は、中0週ではなく連闘と表現される。なお、土曜日と日曜日の2日間で連続してレースに出走することは禁じられている。

レイティング

レイティング、レーティング(英語: rating)とは、一般に、対象となる物事に対して、ある基準を適用して等級分けをしたり、何らかの度合いを意味する数値を付与したりすること。”等級分けをする”、”度合いを計る” を意味する英語の動詞 “rate” から来た外来語。様々な分野で用いられる用語で、各分野において実際に意味する内容は異なる。

リーディング

リーディング(leading)とは、競馬における騎手や調教師、種牡馬などの成績に関する順位を指す言葉である。

たとえば「A騎手はJRAリーディングm位」という表現は、A騎手が当該年度におけるJRA主催のレースに出走した騎手の中でm番目によい成績を挙げていることを意味する。ただし、英語においてleading単体ではこの項で述べるような意味はない。

なお、それぞれの成績ランキングで1位にある人や馬のことを「リーディング○○」と表現することがある。たとえば騎手成績が1位の騎手は「リーディングジョッキー」と表現される。(JRA賞の項も併せて参照されたい)

日本におけるリーディングには

騎手部門(通常は勝利数を集計する。1位の騎手をリーディングジョッキーという。)
調教師部門(通常は勝利数を集計する。1位の調教師をリーディングトレ-ナーという。)
種牡馬部門(通常は収得賞金額を集計する。2歳馬のレース限定のリーディングも存在する。1位の種牡馬をリーディングサイアーという。)

ブルードメアサイアー部門(通常は収得賞金額を集計する。1位のブルードメアサイアーを、リーディングブルードメアサイアーという。)

馬主部門(通常は収得賞金額を集計する。1位の馬主をリーディングオーナーという。)
生産者部門(通常は収得賞金額を集計する。1位の生産者をリーディングブリーダーという。)
などの部門がある。

リーディングジョッキー

リーディングジョッキー(Leading Jockey)とはある国・地域・競馬場、もしくは主催団体においてシーズンの勝利数が最も多い騎手のことである。最多勝利騎手ともいう。

中央競馬においては、日本中央競馬会(JRA)が主催する競走に出走した騎手全体の中で勝利数が最も多い騎手のことを指す。

JRA賞にもリーディングジョッキーを表彰する部門があるが、この場合は中央競馬および地方競馬の一部競走(JRA指定交流競走)が採用される。また、美浦トレーニングセンター(関東)あるいは栗東トレーニングセンター(関西)[1]所属の騎手の中で最も勝利数の多い騎手のことを「関東リーディングジョッキー」「関西リーディングジョッキー」という場合もある。

さらに特定の期間における特定の競馬場での勝利数によるリーディングジョッキーという概念も存在し、地元のマスコミ関係団体などからの表彰を受ける場合がある。

地方競馬においては地方競馬全体でのリーディングジョッキーのほかに開催主催者単位、あるいは競馬場単位のリーディングジョッキーという概念が存在する。

この言葉が広まっていることから日本では2位以下の騎手のランキングについても「リーディング○位」とあらわすことがあるが、Leading Jokeyとはつまり「首位騎手」でありLeadingという言葉自体にランキングの意味はない(→リーディング (競馬)参照)。

歴代日本リーディングジョッキー

中央競馬+地方競馬(平地競走+障害競走)
年 騎手 所属 勝利数
1998年 小牧太 兵庫 265
1999年 石崎隆之 船橋 286
2000年 石崎隆之 船橋 317
2001年 石崎隆之 船橋 423
2002年 石崎隆之 船橋 370
2003年 石崎隆之 船橋 337
的場文男 大井
2004年 内田博幸 大井 396
2005年 内田博幸 大井 496
2006年 内田博幸 大井 524
2007年 内田博幸 大井 406
2008年 戸崎圭太 大井 309
2009年 戸崎圭太 大井 408
中央競馬のみの成績 [編集]
年 関東 関西
騎手 所属厩舎 勝利数 騎手 所属厩舎 勝利数
1980年 増沢末夫 鈴木勝太郎 64 河内洋 武田作十郎 72
1981年 増沢末夫 鈴木勝太郎 95 河内洋 武田作十郎 83
1982年 増沢末夫 鈴木勝太郎 104 田原成貴 谷八郎 87
1983年 増沢末夫 鈴木勝太郎 89 田原成貴 谷八郎 104
1984年 増沢末夫 鈴木勝太郎 88 田原成貴 谷八郎 100
1985年 柴田政人 高松邦男 101 河内洋 フリー 118
1986年 増沢末夫 鈴木勝太郎 106 河内洋 フリー 117
1987年 岡部幸雄 フリー 138 南井克巳 宇田明彦 99
1988年 柴田政人 高松邦男 132 武豊 武田作十郎 113
1989年 岡部幸雄 フリー 94 武豊 武田作十郎 133
1990年 岡部幸雄 フリー 105 武豊 武田作十郎 116
1991年 岡部幸雄 フリー 128 武豊 武田作十郎 96
1992年 岡部幸雄 フリー 129 武豊 フリー 130
1993年 岡部幸雄 フリー 114 武豊 フリー 137
1994年 岡部幸雄 フリー 121 武豊 フリー 134
1995年 横山典弘 フリー 130 武豊 フリー 134
1996年 岡部幸雄 フリー 136 武豊 フリー 159
1997年 岡部幸雄 フリー 124 武豊 フリー 168
1998年 蛯名正義 フリー 136 武豊 フリー 169
1999年 蛯名正義 フリー 129 武豊 フリー 178
2000年 岡部幸雄 フリー 103 武豊 フリー 130
2001年 蛯名正義 フリー 133 四位洋文 フリー 98
2002年 柴田善臣 フリー 120 武豊 フリー 133
2003年 柴田善臣 フリー 119 武豊 フリー 204
2004年 柴田善臣 フリー 145 武豊 フリー 211
2005年 横山典弘 フリー 134 武豊 フリー 212
2006年 横山典弘 フリー 113 武豊 フリー 178
2007年 後藤浩輝 フリー 116 武豊 フリー 156
2008年 内田博幸 嶋田潤 137 武豊 フリー 151
2009年 内田博幸 嶋田潤 146 武豊 フリー 140
2010年 横山典弘 フリー 120 福永祐一 フリー 109

イギリス

平地競走
年 首位 勝利数 2位 3位
2010年 ランフランコ・デットーリ 104勝 フィリップ・ロビンソン キアラン・ファロン
フランス

「フランスリーディングジョッキー」を参照
北米

アメリカ合衆国・カナダの成績[2]
年 首位 勝利数 2位 3位
2000年 ラッセル・ベイズ 412勝 クリントン・ポッツ ラモン・ドミンゲス
2001年 ラモン・ドミンゲス 433勝 ラッセル・ベイズ トラヴィス・ダンケルバーガー
2002年 ラッセル・ベイズ 431勝 コルネリオ・ベラスケス ジョサイア・ハンプシャー・ジュニア
2003年 ラモン・ドミンゲス 453勝 ラッセル・ベイズ ジョン・ベラスケス
2004年 ラファエル・ベジャラノ 455勝 ラモン・ドミンゲス ジョン・ベラスケス
2005年 ラッセル・ベイズ 375勝 ロドニー・プレスコット エディー・カストロ
2006年 ジュリアン・ルパルー 403勝 ラモン・ドミンゲス ラッセル・ベイズ
2007年 ラッセル・ベイズ 398勝 ラモン・ドミンゲス エルビス・トルヒージョ
2008年 ラッセル・ベイズ 403勝 デシュワン・パーカー J・D・アコスタ
2009年 ラッセル・ベイズ 415勝 ラモン・ドミンゲス フアン・カルロス・ディアス
2010年 デシュワン・パーカー 377勝 ラモン・ドミンゲス ラッセル・ベイズ
香港 [編集]

年 首位 勝利数 2位 3位
2009/10年 ダグラス・ホワイト 100勝 ブレット・プレブル 鄭雨滇
脚注 [編集]

^ トレーニングセンター設立以前は各競馬場。
^ [1]
[隠す]
表・話・編・歴
啓衆社賞 – 優駿賞 – JRA賞
競走馬部門
年度代表馬 | 最優秀2歳牡馬 | 最優秀2歳牝馬 | 最優秀3歳牡馬 | 最優秀3歳牝馬 | 最優秀4歳以上牡馬 | 最優秀4歳以上牝馬
最優秀父内国産馬(廃止) | 最優秀短距離馬 | 最優秀ダートホース | 最優秀障害馬 | 最優秀アラブ(廃止)
調教師部門
最多勝利調教師 | 最高勝率調教師 | 最多賞金獲得調教師 | 優秀技術調教師
騎手部門
最多勝利騎手 | 最高勝率騎手 | 最多賞金獲得騎手 | 最多勝利障害騎手 | 最多勝利新人騎手 | 騎手大賞 | 特別模範騎手賞
特別賞
特別賞(特別敢闘賞)
文化賞
馬事文化賞

落馬

落馬(らくば)とは、騎乗者が馬から落下することである。

一般的に騎乗者の足は鐙(あぶみ)に架かっているため落馬が発生すると上半身(特に頭)から落下することがよくあり、大きな怪我を負ったり、場合によっては死に至ることも少なからずある。

競馬における落馬

競馬において、落馬した場合には当該馬は競走中止の扱いとなり、その馬が関わる馬券の購入金額の返還もされない。

ただし、落馬した地点で再騎乗するか、騎乗後に落馬した地点まで引き返せば競走中止とはならない(日本中央競馬会競馬施行規程98条第2項)。

再騎乗は障害競走では見られることがある。これは、障害競走における落馬は馬に故障がないことがあり、また完走すれば他馬の落馬等で賞金が得られる順位まで繰り上がる可能性も平地競走より高いためである。

また、他馬の進路を妨害して落馬せしめた場合、妨害した馬は失格となる。加害馬に騎乗していた騎手は騎乗停止などの制裁が課される。
騎手が落馬したまま走っている馬をカラ馬と呼ぶ。

落馬の理由としてよくあるもの

競走中に馬が他の馬に関係なくつまずく。
競走中に馬が故障や疾病を発症する。
競走中に馬が競走中の他馬に触れつまづく。
競走中に故障を発症して転倒した馬に接触する。(この場合大事故になりやすい)
障害競走で馬が障害飛越の際、着地に失敗して転倒、または騎手がバランスを崩して落馬する。
競走中に馬がラチ(柵)や他馬に体をぶつける。
競走中に馬が逸走する。
競走中に馬が走路の鳥に驚き、避けようとして急に斜行する。
馬がゲートを出た直後に立ち上がったり、前のめりになって騎手を振り落とす。
 などがある。

競走中の落馬によって命を落としたり、騎手生命を絶たれた日本の騎手 [編集]
本項では落馬により死亡、騎手生命を絶たれた人物について抜粋記述する。
加藤義雄(日本レース倶楽部・1933年落馬、死亡)
茂木勢一(日本競馬会・1938年落馬、死亡)
吉田昌祐(日本競馬会・1940年落馬、死亡)
武富三(日本競馬会・1944年落馬、死亡)
岩瀬三郎(日本競馬会・1948年落馬、死亡)
横山靖(国営競馬・1953年落馬、死亡)
田畑志郎(国営競馬・1953年落馬、死亡)
谷岡敏行(国営競馬・1953年落馬、死亡)朝日杯3歳ステークスでの事故であった
西橋康郎(中央競馬・1955年落馬、死亡)
大柳英雄(中央競馬・1955年落馬、死亡)死亡年度の全国リーディング7位。2年目での悲劇。
阿部正太郎(中央競馬・1956年落馬、引退)のち調教師として厩舎を開き、加賀武見を見出す。
矢倉義勇(中央競馬・1959年落馬、一時回復するも1962年死亡)
柴田富夫(中央競馬・1960年落馬、死亡)調教試験中の落馬で、この事故を契機に、調教中でも救急車が馬場内に待機する様になった。
茂木光男(中央競馬・1960年落馬、死亡)
目時重男(中央競馬・1960年落馬、1961年死亡)
近藤武夫(中央競馬・1960年落馬、1961年死亡)
菅村恭一(中央競馬・1961年落馬、死亡)
志村功(中央競馬・1964年落車、死亡)繋駕速歩競走での事故であった。
小野定夫(中央競馬・1969年落馬、死亡)
石井正善(中央競馬・1969年落馬、死亡)『馬事公苑花の15期生』。
丸目敏栄(中央競馬・1971年落馬、引退)引退後は調教師として競馬界に復帰したが、1980年8月4日に急死した。
秋元松雄(中央競馬・1976年落馬、1977年死亡)
坂本恒三(中央競馬・1977年落馬、死亡)
佐藤政男(中央競馬・1977年落馬、死亡)『馬事公苑花の15期生』。
角田次男(船橋・1977年落馬、引退)落馬事故の際に騎乗していたサギヌマグツドリーは、この年の関東オークス優勝馬。
松若勲(中央競馬・1977年落馬、死亡)…この競走では7頭が落馬。(中央競馬の1レース落馬頭数ワースト2位タイ)
町屋幸二(中央競馬・1978年落馬、死亡)
福永洋一(中央競馬・1979年落馬、引退)『馬事公苑花の15期生』。
坂本敏美(名古屋・1985年落馬、引退)後の東海地区のエース・安藤勝己が敵わなかった天才として知られる。
斎藤仁作(中央競馬・1987年落馬、死亡)
玉ノ井健志(中央競馬・1992年落馬、死亡)
岡潤一郎(中央競馬・1993年落馬、死亡)
柴田政人(中央競馬・1994年落馬、引退)『馬事公苑花の15期生』。
清水英次(中央競馬・1994年落馬、引退)この時の後遺症が長く尾を引き2005年7月5日に死去した。
北川和典(中央競馬・1995年落馬、1998年引退)
北村卓士(中央競馬・1998年落馬、2000年引退)
松井達也(浦和・2000年落馬、死亡)
竹本貴志(中央競馬・2004年落馬、死亡)騎手デビューしてわずか3週目での惨事だった。
常石勝義(中央競馬・2004年落馬、2007年引退)『競馬学校花の12期生』。デビュー年の1996年にも障害競走で落馬、脳挫傷で一時重態となっていたが復帰した。しかし、2度目の落馬事故で再び脳挫傷など受傷し、引退を余儀なくされた。
佐藤隆(船橋・2006年落馬、死亡)浦和競馬での事故であった。
石山繁(中央競馬・2007年落馬、2009年引退)
塚田祥雄(中央競馬・2007年落馬、2010年引退)
この他にも、調教中の落馬事故で死亡したり、騎手業からの引退を余儀なくされた例も存在する。

馬術競技における落馬

馬術競技(馬場馬術、障害飛越競技など)においては、落馬した場合は失権となり、それ以後の競技を続行することはできない。競技点も得ることはできない。

競馬とは異なり、馬術競技では全力で襲歩をさせるわけではないので、正常な運動の状態で競技選手が落馬するような例はほとんど見られない。馬術競技において発生する落馬は、たとえば馬が何かに驚いて急に跳ねた場合、何かにつまづいて転んだ場合、障害を前にして拒止した場合などが大半である。

競技ではない、乗馬クラブや学校馬術部などでのレッスンや部班運動などの練習においては、騎乗者の未熟により馬上でのバランスを取り損ねての落馬もある。

通常、落馬による負傷や死亡事故を避けるため、ヘルメットやプロテクターベストの着用を義務付けたり推奨している場合が多いが、馬場馬術の競技のように、正装での騎乗が求められる場合にはその限りではない。

乗馬・馬術においては、落馬時の対処について、以下のように指導されている。
馬の首にしがみついた場合、回転して馬の前に落ちてしまわないように注意する。前に落ちてしまうと、そのまま馬に踏まれてしまう危険性があるため。

落ちるときはできるだけ鐙を外す。鐙を支点として回転して頭から落ちると危険なため。
着地するまではできるだけ手綱から手を離さない。これにより足のほうから着地できる可能性が高まるため。

着地した後はすぐ手綱を放す。手綱を持ち続けていると、走り去ろうとする馬に引きずられてしまう危険性があるため。

落馬の一覧

日本の競馬における主な落馬事故

1956年日本ダービー – 重馬場の上に27頭立てということもあり、外枠の有力馬キタノオー・ヘキラクが早めに有利なポジションを確保しようと内に馬体を寄せた結果、1コーナーで馬群が内側に詰まり混乱が発生。その中で行き場を失った内枠のエンメイとトサタケヒロが落馬、故障を発症したエンメイは予後不良となり、エンメイの馬主で作家の吉川英治はそれにショックを受けて馬主業から撤退した。

鞍上の阿部正太郎も騎手としては引退に追い込まれる瀕死の重傷を負った。この事故がきっかけとなり、日本中央競馬会は事故防止委員会を設立した。

また、事故調査委員会も開かれ、6月の梅雨による馬場の悪化の影響を指摘。それ以降のダービーについて「5月の最終日曜日に実施する」という原則を発表した。加えて、それまで障害競走のみで使用されていたヘルメットを平地競走でも導入することとなった。

1967年阪神大賞典 – 1965年のダービー馬キーストンが最後の直線で故障、騎手が落馬。予後不良となる程の重傷を負いながらも、失神している山本正司騎手を気づかうような仕種を見せたキーストンの姿は、後々までの語り種になっている。

1973年高松宮杯 – 先頭を走っていたハマノパレードが最後の直線で転倒。致命的な負傷を負ったが、レース後即座に安楽死とならず食肉業者に売られたことが後日明らかとなる。この事件以降、予後不良となった馬は手続き終了後、即座に薬殺されるようになった。

1995年宝塚記念 – ライスシャワーが第3コーナーの坂の下り(この年は京都競馬場で開催)で故障を発生し転倒。騎手が落馬し馬は予後不良となる。のちに京都競馬場内をはじめ数か所に同馬の記念碑が建てられた。

2001年京都大賞典 – ステイゴールドが最後の直線で斜行し、ステイゴールドとテイエムオペラオーの間に挟まれたナリタトップロードが落馬。審議の結果ステイゴールドは1位入線も失格となり、2位入線のテイエムオペラオーが繰り上がり優勝した。

2007年1月27日の東京競馬場において、第2競走から3レース連続して計9頭の落馬事故が起こった。また第10競走でも1頭が故障して落馬。同じ日の小倉競馬場で2頭、翌1月28日の京都競馬場でも2頭が落馬しており、2日間で14頭落馬したことになる。このほか28日の小倉第4競走の新馬戦では1着馬が入線後に落馬している。

2010年1月11日の中山競馬場において、第4競走・3歳新馬でノボプロジェクトが第4コーナーで急に外側へ斜行したことの影響で出走16頭中9頭が落馬した[1]。1つのレースでの落馬頭数としては中央競馬史上最多。ノボプロジェクトは1位入線も失格となり、騎乗していた三浦皇成は進路妨害が認められ、4日間の騎乗停止となった。

落馬した9頭に異状はなかったが、内田博幸が左尺骨近位骨幹部骨折の重傷を負うなど騎手6人が負傷や検査によりその後のレースの騎手変更を余儀なくされた(詳細については9頭落馬事故を参照)。なお、地方競馬では1979年2月に園田競馬場で出走11頭中8頭[2]が落馬する事故が発生している。

中央競馬のGI級競走における1番人気馬の落馬の例としては、1969年の日本ダービーでのタカツバキ(スタート直後に落馬)、2002年の菊花賞でのノーリーズン(スタート直後に躓き落馬)がある。

1985年の札幌日経賞で、スタート直後に落馬したギャロップダイナが鮮やかな好位差しで“1位入線”を果たし、この年の年末スポーツ特番の格好のネタとなった。同様に1993年の京阪杯でワイドバトル、2008年のエリザベス女王杯でポルトフィーノが、スタート直後に躓き落馬した後、1着馬より先に入線した。なお、ポルトフィーノに騎乗していた武豊は史上初のGI級のレースで同一騎手が2回もスタート直後に落馬した騎手となってしまった(2002年菊花賞、2008年エリザベス女王杯)。

1990年、前年の阪神3歳ステークス優勝馬のコガネタイフウは、1年で2度平地競走で落馬している。3月4日のペガサスステークス、10月20日のカシオペアステークス(オープン特別)である。いずれも騎手は田原成貴でペガサスステークスでは腰椎・骨盤を骨折する重傷を負ったが、馬はいずれのレースでも故障はなかった。なお同馬はのちに障害競走にも出走した。(3戦して落馬なし)また、1年に2度平地競走で落馬した馬には、ギガンティック(翌年も平地競走で1回落馬)、アルドラゴンがいる。

障害競走では複数頭の落馬がたびたび発生している。1985年の中山大障害(春)では、名物の大竹柵障害で出走馬10頭中6頭が一挙に落馬、完走したのは半数以下の4頭だった。1999年の京都ハイジャンプでは13頭中7頭が、2003年の阪神スプリングジャンプでは14頭中6頭が、2010年12月4日の阪神競馬第4競走障害未勝利戦においても14頭中7頭[3]が落馬している。2001年の中山グランドジャンプでは、向正面の2号坂路(バンケット)の下りで先に転倒した馬に後続の3頭が巻き込まれて落馬したが、このうちの1頭のランドが再騎乗して完走した。

1964年3月8日の中京競馬場でのサラ系障害戦では、出走頭数4頭のうち3頭が落馬し、1頭(アルプスオー)のみ完走を果たした。この為、単勝式馬券のみ的中となり、連勝式馬券は買い戻しとなった。

1965年1月4日の第1回中山競馬第2日目の第3競走サラ障害オープン戦(勝ち馬フジノオー)において、サチオンワードに騎乗していた坪井正美は、最終障害で落馬転倒して後続の馬に頭を蹴られ、前頭部頭蓋骨陥没骨折および側頭部開放性骨折の重傷を負った。特に側頭部の骨折箇所からは脳が見える程の大怪我であったが、すぐに病院へ搬送されて緊急手術を受けた結果、奇跡的に回復。年内には復帰して14勝を挙げ、1980年に引退するまで活躍した。

落馬その他

1198年 – 源頼朝が落馬。その後死亡。(異説あり)
1337年 – 新田義貞が福井県の藤島城攻めで落馬、敗死。
1430年 – ジャンヌ・ダルクがコンピエーニュ攻めで落馬、捕縛されて後処刑される。
1626年 – 徳川家光が高田馬場へ狩猟に向かう途中の早稲田にて落馬。現地には現在も「落馬地蔵」がある。
1939年 – 周恩来が落馬しその後右腕が不自由になる。以後物を書くときは不自然な体勢になった。
1995年 – 俳優のクリストファー・リーヴが馬術大会の競技中に落馬。脊髄損傷により俳優の引退を余儀なくされた。後に福祉活動家となり、自身も負った脊椎損傷の回復の研究などの支援も行った。
1998年 – 俳優のトミー・リー・ジョーンズがポロの試合中に落馬。
2005年 – 歌手のマドンナが誕生日に自宅で乗馬中に落馬。肋骨と鎖骨、腕の骨を骨折する重傷。
2006年 – ドーハ・アジア大会の馬術競技中、韓国代表の金亨七選手が馬とともに転倒・落馬し、馬の下敷きになり死亡。

落馬メモ

中華人民共和国において、汚職で失脚することを「落馬」という。
「馬から落馬」…重言の例としてよく取り上げられる。
二輪車の場合は落車と呼ばれる

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