マイルチャンピオンシップ南部杯 歴史
1988年 - 水沢競馬場のダート1600mの3歳以上の北日本地区交流競走、北日本マイルチャンピオンシップ南部杯として創設。
1994年
岩手のトウケイニセイが史上初の連覇。
菅原勲が騎手として史上初の連覇。
小西重征が調教師として史上初の連覇。
1995年
中央・地方全国指定交流競走に指定。
2004年 - 4回東京競馬1日の中止によりJRA東京競馬場で勝馬投票券を当日発売。
2005年
JRAのユートピアが史上2頭目の連覇。
橋口弘次郎が調教師として史上2人目の連覇。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。
JRAのブルーコンコルドが史上3頭目の連覇。
幸英明が騎手として史上2人目の連覇。
服部利之が調教師として史上3人目の連覇。
ファンファーレが変更される。
2008年
JRAのブルーコンコルドが史上初の3連覇。
幸英明が騎手として史上初の3連覇。
服部利之が調教師として史上初の3連覇。
2009年 - ファンファーレを2006年以前のものに戻す。
2010年
JRAのオーロマイスターが1分34秒8のコースレコードで優勝。
3着に12頭立ての11番人気である高知所属のグランシュヴァリエが入り、配当レコードを更新する大波乱が発生。
JRA主催として施行され、売り上げの一部を支援金として岩手県競馬組合に拠出される。
この年のみ、出走枠を地方競馬所属馬は5頭(うち岩手所属馬2頭まで)、フルゲート16頭までに変更する。
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名馬の訃報
2011年
シンボリルドルフ:1984年のクラシック3冠を史上初の無敗で制覇。
トウカイテイオーの父。10月4日死亡。
シンボリルドルフ 完全無欠の皇帝 - JRA
豪華3強対決を制した皇帝の底力 - JRA
シンボリルドルフVSビゼンニシキ - JRA
オフサイドトラップ:1998天皇賞(秋)優勝(同レースでサイレンススズカが競走中止)。8月29日死亡。
ホーリックス:1989年JC世界レコード勝ち。8月24日死亡(netkeiba.com)。
H01 ジャパンC ホーリックス - JRA
セイウンスカイ:1998年皐月賞、菊花賞優勝。8月16日死亡。
セイウンスカイ死亡 - 西山牧場オーナーの涙気分(2011年8月16日)
サクラバクシンオー:スプリンターズステークス(1993 年~1994年)を連覇。4月30日死亡(日刊スポーツ)。
スペシャリストの先駆者(パイオニア)サクラバクシンオー - JRA Video Interactive
サクラバクシンオー - JRA「名馬の蹄跡」
サドラーズウェルズ:世界的大種牡馬。4月26日死亡(netkeiba.com)。
サドラーズウェルズ - 合田直弘Official Blog(2011年4月28日)
サニーブライアン:1997年日本ダービー、皐月賞優勝。3月3日死亡。
ミエスク:1987年英仏両1000ギニー、1987・1988年BCマイルなどG1を10勝。1月20日死亡(サンケイスポーツ)。
2010年
「芦毛の怪物」オグリキャップ
サクラユタカオー:天皇賞(秋)をレコード勝ち。11月23日死亡(サンケイスポーツ)。
ジンクス不問サクラユタカオー - JRA Video Interactive
サクラユタカオーVSスダホーク - JRA
ブロケード:無敗で桜花賞制覇。11月16日死去(スポニチアネックス)。
オグリキャップ:有馬記念を2度(1988年・1990年)優勝するなどGIを4勝。7月3日死亡。
オグリキャップ - JRA
オグリキャップ(1990年・第35回有馬記念) - 日刊競馬で振り返る名馬
シングスピール:1996年のJC、1997年ドバイワールドCなど優勝。7月2日死亡(netkeiba.com)。
7月1日死亡(netkeiba.com)。
2009年
アグネスタキオン:2001年皐月賞を無敗で優勝。
2008年リーディングサイヤー。6月22日死亡(UMA-JIN.net)。
夢の途中アグネスタキオン - JRA Video Interactive
アグネスタキオン - JRA「名馬の蹄跡」
2008年
ダイタクヘリオス:マイルCS(1991年~1992年)を連覇。12月12日死亡。
GI2勝の喜劇王ダイタクヘリオス - JRA Video Interactive
ヘリオス - 山内牧場(2008年12月12日)
タヤスツヨシ:1995年日本ダービー優勝。サンデーサイレンスの初年度産駒。
7月29日死亡(netkeiba.com)。
タヤスツヨシ(平成7年日本ダービー) - JRA
燃え尽きたダービー馬「タヤスツヨシ列伝」 - Retsuden.com
2007年
スティルインラブ:2003年に史上2頭目の牝馬三冠を達成。
8月2日死亡(ラジオNIKKEI)。残した産駒は1頭。
咲き誇れ、3つの大輪スティルインラブ - JRA
スティルインラブ - JRA「名馬の蹄跡」
アドマイヤグルーヴVSスティルインラブ - JRA
牝馬三冠馬スティルインラブの初仔誕生~下河辺牧場 - 競走馬のふるさと案内所
キョウエイマーチ:1997年桜花賞優勝。5月9日死亡(netkeiba.com)。
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マーチンゲールの法則とは、いわゆる倍賭けと呼ばれるノウハウです。
負けた時に賭け金を勝つまで倍々に増やしていくことによって、負けた分を取り返していきます。
つまり最終的に絶対負けない方法といわれているのがマーチンゲールの法則なんですね。
ただ、たとえば11レース連続で負けて、12レース目に勝った場合のシミュレーションをすると下記のようになりますが、なんと賭け金は204800円にもなってしまいます。
でも、仮に勝つ確率が50%あるギャンブルをするとすると(ルーレットの赤・黒、偶数・奇数等)、12回連続で負ける確率は4096分の1です。つまり勝率はじつに99,9・・・%になるんですね。あくまでも計算上ですが、ほとんど勝てることになります。
マーチンゲールの法則とは「レースが的中するまで、掛け金を毎レース事に増やしつづけていく法則」です。
最初のレースで100円を投入して外れてしまったら、次のレースは1レースに賭けた金額の倍、すなわち200円を投入します。
2レース目も外れたら3レース目は2レース目の投入金額の倍の400円、3レース目も外れたら4レース目は3レースの投入金額の倍の800円・・・といったように掛け金を倍々に増やし続けて的中した所で止めるやり方です。
基本は1点買いですね。
この買い目のオッズが2倍を切らなければ、的中した時に、それまで損失していた全ての掛け金を回収して、かならずプラスになるという方法なわけです。
マーチンゲールの法則を競馬で使うとすると、どうなるかというと・・・
出現率が高くて、狙った1点買いで的中しやすく、配当も2倍ぐらいの馬券といえば・・・
1、2番人気の単勝や3、4番人気の複勝あたりですね。
例えば、単勝1番人気を朝の1レースから買い続ければ1日1回は出現して、それを的中させたところでゲームは終了ということになります。
しかし1番人気の単勝でも1日、1回も出現しない日もあるわけです。(1番人気の1日の平均出現率は約4回、3レースに1回は出現しているのですが、たまに1回も出ない時があるんですね)
それなら、1日1番人気の単勝が出なかったら、翌開催日の1レースから続きを開始すれば良いのではないか、と思いますよね。
でもこれが、そううまくはいかないんです。
何故かというと、
実は、このマーチンゲールの法則は理論でしかないからです。
100円から掛け金をスタートしても、毎回レースを外していくと、たった1日で驚くくらいマイナスが増えるんです。
総投入金額がどうなるかというと、
300円
700円
1500円
3100円
6300円
12700円
25500円
51100円
102300円
204700円
409500円
となってしまいます。最終レースまで外れた場合に投入金額は41万円近くなるんですね。
そして最終レースで仮に当たっても、1番人気の単勝が2倍だと、たった100円しか儲かりません!
なんだ、このマーチンゲールの法則は使い物にならないのか?とも思いますが、
ウイークポイントを改良すると使えるようになえるんですね。
問題は資金繰りなんです。パンク(資金が底をつくこと)を避ければ何とか使えるんですね。
さて、どうしたらいいかと言うと・・・、
賭け金が大きくなりすぎると、パンクしちゃうわけなんですね。それで投資からリタイヤせざるを得なくなってしまう。
何故、賭け金大きくなりすぎるかというと、それは賭けるオッズが2倍と低いからなんです。
つまり賭け金を少なくする為には、もっと高いオッズの馬券を狙えばいいわけです。
高いオッズのものは出現率は低くなりますから、当然的中率も下がってしまいます。
しかし3,4倍程度のオッズであるならば、ある程度の出現率のある対象も確かにあります。
例えば、2、3番人気の単勝ですね。1番人気の単勝よりも出現率は下がりますが、替わりにオッズは上がります。
2番人気の平均配当を4倍とした時にマーチンゲールの法則を応用すれば、掛け金を毎回2倍にする必要はなくなるわけですね。
これを比較してみましょう。
(今まで負けた金額)÷(オッズ-1)+(最初に賭けた金額)=(次の掛け金)
というマーチンゲールの法則の公式にあてはめてみましょう。
例えば2回目以降の掛け金は、これに数字を代入すると・・・
もしオッズが2倍しかないのであれば
(100円)÷(2-1)+(100円)=200円
となり答えは200円。続けていくと
(100円+200円)÷(2-1)+(100円)=400円
(100円+200円+400円)÷(2-1)+(100円)=800円
(100円+200円+400円+800円)÷(2-1)+(100円)=1600円
・・・と倍々になりますね。
それではオッズが3倍の時はどうでしょうか?
(100円)÷(3-1)+(100円)=150円、切り上げて200円
(100円+200円)÷(3-1)+(100円)=250円、切り上げて300円
(100円+200円+300円)÷(3-1)+(100円)=400円
(100円+200円+300円+400円)÷(3-1)+(100円)=600円
となり、投入金額もオッズが2倍の時よりはグッと低くなります。
そしてオッズが3倍を切らなければ、どこで的中しても200円以上のプラスになりますね。
オッズが4倍、5倍・・・と高くなるのであるならば、更に投資金額は少なくて済むわけです。
仮に今、1~3番人気の単勝のどれかを狙うとした場合、それぞれの平均配当は約2倍~6倍です。
各オッズについて、1日単位(12レース)で投入金額を検証してみると
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが2倍であるならば投入金額は409500円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが3倍であるならば投入金額は 31300円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが4倍であるならば投入金額は 11200円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが5倍であるならば投入金額は 7100円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが6倍であるならば投入金額は 5300円
(全ての端数を切り上げて計算した場合によります)
こうして見ていくと、的中するまでにいくら必要なのか、最終レースまで続けるための資金が判ります。
仮に1日10000円しか競馬に資金を投入できない場合は、5倍、6倍のオッズを狙えば最終レースまで続けられます。
5倍、6倍の配当なら3番人気以上の単勝、もしくは2番人気以上の枠連、2番人気以上の馬連等狙えるものがありまうね。(平均配当は約500円以上あります)
この計算法で競馬投資していけば、決めた資金内で長く投資が持続できるようになるのです。
マーチンゲールの法則、試してみるのもありですね。
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持込馬(もちこみば)とは、かつて中央競馬で用いられていた競走馬の区分。母馬が胎内に仔馬を宿した状態で輸入され、日本国内で産まれた馬、または仔馬が満1歳を迎えるまでに母馬とともに輸入された馬のことを指す。
もともと持込馬は内国産馬扱いであり、天皇賞やクラシックへの出走制限は行われていなかった。
しかし、それまで許可制であった活馬(生きている馬)の輸入が自由化された1971年、その見返りとして内国産馬振興の方針が打ち出され、その一環として1971年6月30日以降に輸入された繁殖牝馬から生まれた仔馬は外国産馬とほぼ同等の扱いを受けることとなった。競馬新聞などの馬柱には○の中に「持」のマークで持込馬であることが表記されていた。
この制限は1983年一杯で廃止され、元のように内国産馬としての扱いを受けることとなった。
主な持込馬
規制以前の主な持込馬 [編集]
月友(マンノウォーの直仔。昭和初期の大種牡馬)
月城(競走名クレオパトラトマス 帝室御賞典。クモハタの姉、ハマカゼの母)
ヘキラク(1956年皐月賞・1957年安田賞(現・安田記念))
ヒカルメイジ(1957年日本ダービー)
ミスオンワード(1957年桜花賞・オークス)
マサタカラ(1958年オールカマー・ダイヤモンドステークス)
ウイルデイール(1959年皐月賞)
キユーピツト(1961年阪神牝馬特別。『華麗なる一族』最初の活躍馬)
アズマテンラン(1961年菊花賞・オールカマー・日本短波賞)
バリモスニセイ(1964年京都盃、1966年大阪杯など重賞8勝。シンザンを重賞競走で唯一破った)
メジロマジヨルカ(1966年クイーンカップ)
フイニイ(1967年阪神大賞典、1969年ハリウッドターフクラブ賞他。社台グループ最初期の活躍馬)
メジロサンマン(1967年目黒記念(秋)。メジロイーグルの父)
シエスキイ(1968年毎日王冠他)
ジュピック(1970年オークス)
タイテエム(1973年天皇賞(春)。規制直前に活躍)
規制期間中の主な持込馬 [編集]
トリデジョウ
マルゼンスキー(持込馬空白期間のため日本ダービーに出走できなかった)
メイワキミコ(1977年・1978年スプリンターズステークス。マルゼンスキーと同世代だがオークスに出走している)
ヤマニンスキー(マルゼンスキーと非常によく似た血統で大変期待されたが競走馬としては準オープン止まり。だが種牡馬としては成功を収めた)
メイワパッサー(スタビライザー、スプライトパッサーの父)
セクレファスター(ナムラモノノフ、テイエムオオアラシの父)
規制解除後の主な持込馬 [編集]
ニシノフラワー(1992年桜花賞)
ビワハヤヒデ(1993年菊花賞)
マーベラスクラウン(1994年ジャパンカップ)
サクラローレル(1996年天皇賞(春)・有馬記念他)
フサイチコンコルド(1996年日本ダービー)
アドマイヤコジーン(2002年安田記念他。母は日本産だがアメリカで種付けを行った)
キングカメハメハ(2004年日本ダービー)
エイシンフラッシュ(2010年日本ダービー)
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見習騎手(みならいきしゅ)とは、騎手免許を取得して間もない騎手のことをいう。
見習騎手概要
騎手免許を取得したばかりの騎手は他の騎手に比べ競走経験が浅く技術が低いものが多く、他の経験豊富な騎手と同一条件で競走で争った場合には不利になる状況が多々発生する。その結果、騎乗機会にも恵まれず経験を蓄積したり技術の向上にも影響を与えるため負担重量における減量措置をとり、騎乗機会を与えることで条件面で優位にし経験を積ませている。これを減量騎手と言う。
減量制度によって、これまであまり良い成績を残せていなかった馬が競走に勝利した事例は少なくない。俗に斤量が1kg軽いと1馬身違うと言われている。
国によっては見習騎手を対象とした免許を発行し、一定期間経過後にその間の騎乗実績などを考慮したうえで本免許に切り替えるといったシステムを採っているところもある。また、フランスなど見習騎手によるランキングで表彰する国・主催者もある。
なお、かつての日本では騎手免許取得を目指し調教師に弟子入り中の者と騎手免許取得から間もない者を併せて「見習騎手」と呼んでいた。
見習騎手は重賞での騎乗が制限される場合がある。ドバイ・マカオでは毎年見習騎手による招待競走が行われているほか、東アジア圏でも『アジアヤングガンズチャレンジ』の名称で2009年より見習騎手による国際招待競走が行われている。
中央競馬の見習騎手
日本の中央競馬においては、騎手免許取得3年未満で通算勝利数100回以下の騎手のことを指す。競馬用語ではアンチャンとも言われる。若手騎手と呼ぶ場合は見習騎手以外の騎手をも含む場合が多い(詳細は後述)。
見習騎手の現在の減量制度と騎乗制限
現在、中央競馬における見習騎手の減量制度はハンデキャップ競走と特別競走(重賞競走も含まれる)を除く一般競走に適用される。減量制度は騎手免許取得3年目までなので、3年を過ぎると勝利度数に関わらず減量の特典は無くなる。
デビューから3年の間はこの減量を活かして成績を残す騎手もいる。そういった騎手は減量が無くなっても将来的には騎乗依頼も多くなる。逆に減量の特典がある間に成績を残せなかった場合は、減量が無くなった場合に騎乗依頼が少なくなる。実際に減量があるので見習騎手を起用するといった関係者は多い。
減量制度を適用している見習騎手についてはJRA発行のレーシングプログラム、競馬新聞、スポーツ新聞等に掲載される出走表に以下のような▲、△、☆の印で減量されていることを表している。特別競走などに騎乗した場合は見習騎手も減量制度が適用されないので、以下の印は記されない。
印 減量 条件
☆ 1kg 51勝以上100勝以下
△ 2kg 31勝以上50勝以下
▲ 3kg 30勝以下
またJRAの内規により平場・障害の各競走問わず通算勝利数が31勝に満たない騎手はGI、JpnI競走に騎乗することができない(J・GI競走は除く)。
中央競馬の見習騎手の歴史
1980年代以前は単に騎手免許取得3年未満の騎手のことを見習騎手と呼んでいた。2kg・3kg減には勝利数の上限が存在したが1kg減に関しては勝利数の上限が存在せず、騎手免許取得3年未満であればどれだけ勝利していても1kg減の恩恵を受けることができた。
また競走面でも1980年代前半まではオープンクラスの一般競走(いわゆる「平場オープン」)もあったため、一線級の馬が出走する際の斤量を減らすために見習騎手で挑むこともよく行われた。
しかし1980年代後半に入り武豊を始めとする当時の若手の騎手がデビュー直後から数多くの勝利を挙げるようになり、特に武は2年目より関西リーディング首位になるなどリーディングジョッキーが重量の恩恵を受ける状態となり「ベテラン騎手以上の勝利数を挙げている騎手に減量の恩恵を与えるのは制度の趣旨に反する」などの意見が高まり、1994年に制度が改正され、現在のように1kg減に関しても勝利数の上限が設けられるに至っている。
2004年には勝利度数の規定が変更され▲が「20勝以下」→「30勝以下」、△が「21~30勝」→「31~50勝」、☆が「31~100勝」→「51~100勝」となっている。
中央競馬の若手騎手
現在、中央競馬においては騎手免許取得7年未満であって通算勝利度数100回以下の騎手のことを若手騎手と呼ぶ。これは2004年より若手騎手限定競走が設けられ、騎乗できる騎手が対象である。若手騎手限定競走は競馬開催日の1競走のみ、午前中の競走に組まれることが多い。見習騎手に対しては上記で述べた減量制度も合わせて適用される。
なお2004年から2008年2月までは免許取得後の期間が「6年未満」であったが、2008年3月から対象となる騎手の免許取得後の期間が「7年未満」へと変更された。
地方競馬の見習騎手 [編集]
地方競馬における見習騎手の取り扱いは中央競馬と異なる。減量の対象となる勝利度数も主催者ごとに開催日数が異なるため差がある。女性騎手に対して常に1kg減量する主催者もあるため平地競走では最大4kg減量となる場合がある。また町田直希のように見習騎手は騎乗できる競走が制限されるために免許期間や勝数が規定に満たない場合でも減量解除申請を行い受理されれば減量は解除され、騎乗できる競走の制限も解除される。
ばんえい競馬 [編集]
印 減量 条件
☆ 10kg 通算勝利度数が50勝未満の騎手、免許取得5年以下で通算勝利度数が50勝以上100勝未満の騎手については当該年度で10勝未満の騎手、あるいは女性騎手
△ 20kg 通算勝利度数が50勝未満の女性騎手、または免許取得5年以下で通算勝利度数が50勝以上100勝未満の女性騎手については当該年度で10勝未満の女性騎手
減量条件の変更は出馬投票ごとに行われる。規定の勝数となっても、出馬投票が完了している競走では減量条件の変更はない。
ホッカイドウ競馬 [編集]
印 減量 条件
☆ 1kg 新規免許取得日から3年未満であって100勝以下
△ 2kg 新規免許取得日から3年未満であって30勝以下
▲ 3kg 新規免許取得日から3年未満であって20勝以下
岩手(盛岡・水沢) [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
南関東4場 [編集]
印 減量 条件
☆ 1kg 新規免許取得日から2年以上、3年未満または50勝未満
△ 2kg 新規免許取得日から1年以上、2年未満または25勝未満
▲ 3kg 新規免許取得日から1年未満または10勝未満
なお、内規で南関東SI競走などには減量騎手は騎乗できない。
名古屋競馬場・笠松競馬場 [編集]
印 減量 条件
☆ 1kg 新規免許取得日から1年以上、3年未満もしくは80勝未満
△ 2kg 新規免許取得日から1年以上、2年未満もしくは50勝未満
▲ 3kg 新規免許取得日から1年未満もしくは25勝未満
女性騎手は上の条件にかかわらず、1kg(☆)減量する。減量条件の変更は開催ごとに行われる。開催の途中で規定の勝数となっても減量条件の変更は次回の開催からとなる。
金沢競馬場 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
兵庫(園田・姫路) [編集]
印 減量 条件
☆ 1kg 20勝未満
△ 2kg 10勝未満
福山競馬場 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
高知競馬場 [編集]
印 減量 条件
☆ 1kg 100勝以下または女性騎手
△ 2kg 30勝以下
▲ 3kg 20勝以下
★ 4kg 20勝以下の女性騎手
騎手免許の通算取得期間が3年未満、勝利数が100勝以下の騎手が重賞競走、交流競走及び招待競走のいずれかでもない競走に騎乗する場合に限る。ただし、本人の申出により減量しない場合がある。女性騎手は、負担重量から1kg減ずる。
佐賀競馬場・荒尾競馬場 [編集]
印 減量 条件
☆ 1kg 新規免許取得日から2年以上、3年未満もしくは100勝未満
△ 2kg 新規免許取得日から1年以上、2年未満もしくは60勝未満
▲ 3kg 新規免許取得日から1年未満もしくは40勝未満
★ 4kg 新規免許取得日から1年未満もしくは40勝未満の女性騎手
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マッチレース(Match Race)は、一対一で勝敗を争う形式の競走。
転じて日本では、三者以上で行われる競走の場合でも、先頭の二者が抜け出して、抜きつ抜かれつを繰り返すレース展開になった場合を指していうこともある。「一騎討ち」とも表現される。
競馬におけるマッチレース
競馬の競走におけるマッチレースという言葉は、現在使われている意味合い(抜け出した上位2頭の拮抗)で使われることもあるが、主に原義の一対一形式の競走を意味する。近現代においては主に臨時のイベントとして催されるもので、企画に賛同した馬主同士が協定条件下で2頭の馬を競わせるものである。出走予定馬の除外などによって2頭立てとなる場合もあるが、この場合はマッチレースと呼ばれない。
マッチレース形式の競走は、馬主自身が騎手も兼任していた競馬の黎明期から存在し、純粋にどちらの馬が強いかを競うものであった。古来この形態こそが競馬だという風潮があり、18世紀あたりまではこの形態が競馬の主流であった。その後時代の遷り変わりによって少しずつ衰退し、現代ではほとんど見られなくなったが、一部ではイベントとして開催が行われている。
日本国内の競馬においては、戦前などではマッチレースが行われていた事例もあるものの、現在では原則として2頭立てで競走が成立しないため、よほどの例外を除いて施行されていない。
日本国外の例としては、アメリカ合衆国の各競馬場が20世紀中頃までしばしば開催していた。強豪馬同士の対決を売りとしたマッチレースは集客力があり、なかには2歳馬同士のマッチレースなども開催されていた。しかし1975年のラフィアンが故障・予後不良となったマッチレース以来強豪馬同士のマッチレースは自粛傾向にあり、現代ではほとんど見られなくなっている。
主なマッチレース
それぞれ、上の段から、開催日、開催された国名、競馬場名、賞金。○は優勝した馬、●は敗北した馬。
1799年3月25日 イギリス ニューマーケット競馬場 3,000ギニー
○ハンブルトニアン(18世紀末の最強馬)
●ダイアモンド
1851年5月13日 イギリス ヨーク競馬場 距離2マイル 1,000ポンド
○ザフライングダッチマン(1849年ダービー、セントレジャー優勝馬 6歳)
●ヴォルティジュール(1850年ダービー、セントレジャー優勝馬 5歳)
着差:1馬身
1920年10月12日 アメリカ ケニルワースパーク競馬場 距離10f 85,000ドル
○マンノウォー(「ビッグレッド」、21戦20勝の米国の至宝)
●サーバートン(米国の初代三冠馬)
着差:6馬身
1923年10月20日 アメリカ ベルモントパーク競馬場 距離12f 85,000ドル
○ゼヴ(1923年ケンタッキーダービー優勝馬)
●パパイラス(1923年ダービー優勝馬)
着差:5馬身
1938年11月1日 アメリカ ピムリコ競馬場 距離9.5f 15,000ドル
「世紀の対決」と呼ばれた、西海岸と東海岸それぞれの最強馬による対決。このマッチレースの模様は映画「シービスケット」の中でも描かれている。
○シービスケット(無冠)
●ウォーアドミラル(米国の4頭目の三冠馬)
着差:4馬身
1942年9月19日 アメリカ ナラガンセットパーク競馬場 距離9.5f 25,000ドル
○アルサブ(1942年プリークネスステークス優勝馬 4歳)
●ワーラウェイ(米国の5頭目の三冠馬)
着差:ハナ差
1947年9月27日 アメリカ ベルモントパーク競馬場 距離10f 100,000ドル
○アームド(無冠)
●アソールト(米国の7頭目の三冠馬)
着差:4/5馬身
1956年8月31日 アメリカ ワシントンパーク競馬場 距離10f 100,000ドル
○ナシュア(東海岸の王者)
●スワップス(西海岸の王者)
着差:6馬身1/2
1972年6月17日 アメリカ ハリウッドパーク競馬場 距離9f 250,000ドル
○コンヴィニアンス(5歳牝馬)
●タイプキャスト(7歳牝馬、天皇賞優勝馬プリテイキャストの母)
着差:アタマ差
1974年7月20日 アメリカ ハリウッドパーク競馬場 距離10f 350,000ドル
○クリスエヴァート
●ミスマスケット
着差:50馬身
1975年7月6日 アメリカ ベルモントパーク競馬場 距離10f 225,000ドル
○フーリッシュプレジャー(1975年ケンタッキーダービー優勝馬)
●ラフィアン(1975年ニューヨーク牝馬三冠馬、無敗)
着差:無し(ラフィアンが競走中止したため)
2001年3月18日 アメリカ フリーホールド競馬場 距離4f
89連敗中の人気馬ジッピーチッピー(サラブレッド)とスタンダードブレッドの非公式戦
パディーズレディーは速歩(ペース)のうえ繋駕車を引く、ジッピーチッピーは20馬身後方からのスタート
○ジッピーチッピー(対サラ100戦0勝の人気馬)
●パディーズレディー(繋駕速歩競走用競走馬)
着差:クビ差
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